麦と兵隊
- AI summary (β)
- 私は雑路の丘に登り、真夏のような炎熱の中で兵隊たちが休憩している様子を観察した。彼らは木陰や家の中で談笑しながら休み、銃は手入れされていた。兵隊たちは平然とした顔で煙草を吸い、まるで戦闘を終えたばかりとは思えない様子だった。私は戦場での特別な経験が日常化していることに気づき、兵隊たちがその感情を乗り越えていることを感じた。出発の命令が下り、兵隊たちは整列して新しい戦場に向かって進軍を始めた。その光景は美しく、力強い生命力を感じさせるもので、私はその荘厳な脈動の中にいることを実感した。
- pid
- 1324850
- date
- 1940-03
- note
- 商品番号 : J-54730, デジタル変換後ノイズ除去 : ノイズ除去なし, 物語
- year
- 1940
- genre
- 文学作品の朗読、解説
- creators
- 火野 葦平[作詞], 火野 葦平
- duration
- 196
- persName
- 火野 葦平
- publisher
- ビクター
私は雑路の丘に登った。じりじりと真夏の太陽に似た炎熱である。兵隊は柳の下や家の中に入り込んだりして休憩している。
あちらでもこちらでも地面にアンペラを敷いたり、高梁柄を広げたりして寝転んでいる。
また多くの者は木陰に躊躇して腰を下ろし、談笑している。銃が鎖銃して各所に並んでいる。
銃は真っ黒で傷だらけである。それは何度も泥に埋もれ敵と渡り合い城壁をよじ雨に打たれたものだからである。
しかし常に兵隊は手入れすることを忘れない。兵隊のおいしそうに吸う煙草の煙が幾筋も陽炎の中に揺れて消える。
それはちょうど幸運してきてちょっと一休みしているという風に見える。
それはたった今死闘を終えたばかりで、またこれから死闘へ向かって出て行くのだとはどうしても見えないのである。
それはいつか中山さん坊がこの頃兵隊の平気な顔を見ると頭が下がる気がするよと言ったその平気な顔である。
私はふと私が村間で過ごした一日のことを思い出したが、私自身もそれは私が何か特別な経験だったとは少しも感じないでいることに気づいた。
戦場では特別な経験などというものはありはしない。取り立てて言うほどのことは何もない。
同じような日が同じように過ぎていくだけだ。上海から南京から女州へ、それからもっと先へ、戦場は果てしなく続いている。
私が村間で得た感想が兵隊にとっては毎日連続されている。それはすでに何も感想がなくなってしまっているのだ。
それはその感想に負けたのではない、その感想を捨てたのではない、それは乗り越えたのだ。
苦労というような生やさしい言葉では尽くされない一つの状態が最初は兵隊の上を覆い、
次の瞬間には兵隊がその上を乗り越えた。
雑路の丘に私が立って呆然としていると出発の命令がくたったようである。
兵隊が柳の木の下から浮き上がり、腰を叩いたり、あくびをしたり、のびをしたりしている。
家の中にいたのや、山の上にいたのや、麦畑の方にいたのやが、それぞれ集まってきて整列し、銃を取り、やがて東方向に向かって前進しだした。
雑路の丘から私は見ていた。一面のびょうびょうたる海のごとき麦畑の中を遠く、右手の山のふもとづたえに行く部隊もある。
左の方も延々と続いていく。中央も長蛇の列をなしていく。東方の新しき戦場に向かって、炎天に焼かれながら、黄針に包まれながら進軍していくのである。
私はその風景を類なく美しいと感じた。私はその進軍に盛り上がっていくたくましい力を感じた。
脈膜と流れあふれていく力強い波を感じた。私はまったく自分がその荘厳なる脈動の中にいることを感じたのである。
私はこの香ばくたる歪幅の平原に来て、このすさまじい麦畑に呆然とした。その土にこびりついた生命力のたくましさに驚いた。
しかしながら、それは動かざるたくましさである。私は今、その麦畑の上をかっこたる足取りをもって踏みしめ、延々と進軍していく軍隊を眺め、そのあふれた地、盛り上がり殺到していく生命力のたくましさに胸打たれた。