地震の話 (四)
- Lyricist / composer / arranger / performer
- 今村 明恒 (理学博士)
- Label
- ビクター
- Genre
- 教育・児童
- Publication date
- 1930-06
- Category (AI-assigned)
- 災害
- Keywords (AI-assigned)
- 地震, 村人, 火災, 救出, 被害
- Notes
- 商品番号 : 51318, デジタル変換後ノイズ除去 : ノイズ除去なし, 学芸
昭和2年半後大地震の時には、9歳になる順上2年生や11になる順上4年生がつぶれ家の下敷きになって、しかもただいま申しましたような、最も勇敢な働きをなした話があります。
また、大正14年5月23日田島大地震の時、地震の最も激しかった田井村におきましては、子どもまでが勇敢に働いた話もあります。
この時、木の先の温泉町は震火災で全滅し、豊岡町は3分の2ほど焼け、両方だけでも359人の死人ができました。
田井の村は震源の真上にあたっておりましたから、地震は木の先や豊岡などの段でなく、最初から5秒とたたないうちに全村83個のうち82個つぶれ、65人の村人が下敷きになってしまったのであります。
おりやしくこの日は、開戸の焚き立て火であったので、部屋を温めるため36個は炭火を起こしておりました。このためにあちらこちらから煙が上がり、見る間に3個は燃え上がりました。
もしこの時、安全であった村人がうろたえてしまったならば、村はまる焼けとなり、下敷きになった65人も大抵黒焦げとなったでしょう。しかしながら、訓練の行き届いた村人は、女、子供に至るまで極めて沈着に彼らの最善を尽くしました。
彼らが口々に叫んだのは、「まず火を消せ!」の一語でありました。瞬くうちに3ヶ所のぼやはもとより、煙の上がっておる家は屋根を破って火元を消し止めました。
続いて下敷きの人も助け出されましたが、このために58人は無事に救われ、ただ7名だけが落ちてきた針や桁のような材木による致命傷のため助からなかったのであります。
かくして貝の村は最も激しい地震に襲われながら、村人がまず火を消すことに努力したために震災は割合に軽くて済んだのでありました。