飯田水引
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- 伊達における水引き製造の歴史は300年以上あり、昭和50年から60年代には全国シェアの70%を占める産業となりました。伊達水引きの発展には、地元で作られていた丈夫な和紙と元結衣の製造技術が大きく貢献しています。吉澤さんは50年間、元結衣を作り続けており、独特の道具「糊缶」を使って作業を行います。元結衣は強度と適度な切れやすさが求められ、長年の経験でその加減が作り上げられます。 一方、飯田での水引き製造は江戸時代中期に始まり、昭和10年代に第一次全盛期を迎えました。昭和20年代後半には金工などの生産が増え、昭和30年代後半には高度経済成長とともに売れ行きが好調になりました。大量注文に対応するため、昭和40年代に機械が導入され、飯田水引きは多様な製品を生産していますが、その細工は手作業によるものです。飯田水引きの伝統と製品開発への精神は今も受け継がれています。
伊達における水引き製造の歴史は300年を超えます。
昭和50年から60年代には全国シェアの70%を占める産業になりました。
伊達水引きの発祥には、伊達で古くから作られていた丈夫な和紙と、
それによって生み出された元結衣の製造技術が大きく貢献しています。
吉澤さんは父親の後を継ぎ、元結衣を50年作っています。
糊缶という独特の道具。中には米糊が入っています。
糊缶は筒先を口に加えて作業をします。
両手がふさがる作業の中で考案された道具です。
糊付け後の艶出し作業。
2本の竹で挟み、3往復します。
この作業によって元結衣の強度が増します。
これは親けんつんだけど、これは子けんつって、
これを4枚ずつ寄して、それでこれを100本にして、
これで4000本になって出てくるわけです。
元結衣はただ強いだけではなく、
石取りの曲げを言うときには、ある程度の力で切れることも要求されます。
その加減は長年の経験で作り上げられるのです。
一方、飯田での水引きの製造は江戸時代中期に製造が始まり、
染め屋で紅白に染める紅白水引きが中心でした。
やがて職人の手こきによる飯田水引きは、
第一次全盛期を昭和10年代に迎えます。
さらに昭和20年代後半には、細工を施した金工などの生産が増え、
昭和30年代後半になると、高度経済成長とともに、
優位納品なども売れ行きが好調になりました。
大量の注文に対処するために、水引き作りに機械が使われるようになります。
よりを掛けたものに、掛け端、こき端、乾燥、染色を一度に行う機械です。
昭和40年代に導入された機械で、飯田・下稲に2台しかありません。
飯田水引きは、金風やのし、優位納品などのほかに、
正月飾りなどの工芸品まで作られますが、その細工は手仕事によるものです。
元優位作りから始まった飯田水引き。
その伝統と製品開発への精神は今も受け継がれています。
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