甲陽軍鑑童士教導鈔 附草之城

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石田卷舒子
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石田卷舒子
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コウヨウグンカンドウシキョウドウジョウ
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東北大学
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2026-08-28T18:53:25.651810+00:00
狩川 甲陽軍艦童士趣道寸鈔 太日本國城會圖 維時 嘉永五年子正月廿九日 所ニ求ルレ之 一、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、〇〇 です 多目屋 儀兵衛 琉球県信託ノ関州室を 以テ開入セル内鼠博士 「浦野市民議会 ○夫謀[テ]事智至レを能軍者と言之凡日本 本文記表 人書興明 国中に名高良将之兵家館レ両レト絶レ茂代遠き故 其書捨れり憖に数愚にして中興書伝を 発巻数纔にして其理ふかしといへとも迷覆シ 深ク学訓は疑多し其教不レ足用シール爰ニ中の武田 晴信公者施仁ノ志を衆に通給ふ故武武つよし武 強カ故古今無類卿貞将是也其教依レ正明シヲ正明ル学ク士 多し其代近きか故ニ未レ失二其伝一也此一巻者福学之 教要にして用之本文者軽して学則は其理 重ク部々之間ニ帰二旧海ニ一結集すれは此小巻となく某 石田巻部子武田家伝兵道を学事多歳也雖未 一得其明一師博一筋を書立申防軍鑑童士教童士教道等 銭を色定末シ文盲なれは本理をうしなひ誤り 多クして心有る人見たまはん事はつほしけれ とも万一其理も有之者間智なる童士之勤教 にも可成也軍鑑之伝品々誤教世に多し末代 におゐては半は可誤一事なりとも其理を正レ心 治メ給へ古語曰一犬声吠万犬声ノ誤ル一師源ト 閻魔第道惑を惑ツと有ることく武士として其誤を つきたまわん事天鑑無二勿躰一深ク慎シ而能学ニ給 を継武士道といふ也寛文弐暦壬寅林鐘念 五泉州於_二堺津一石田巻錦子鈔記之 源法性院大僧正信玄公軍法他国高陰謀 無伝受不知様書之 一夫軍の名兵法也其いわれは無陣時武士かけ向之 勝負をは切合或は仕合と申す件之勝負に無疑勝事 を能習体て是を能手に熱して然而後勝負を決而度 之得勝利家名を取て人にも是を教を能兵次仁と名 付ク就中国持合大将の自国他国を争総合合戦又は 城責なとゝいふ勝負をは是軍陣と申す其軍陣に 於而弱敵少敵大敵町敵破敵匹敵諸々の敵方に打合 武器督略計策を睹レ而定て能得勝利事を能軍法と云 然に武略之本は地国諸々之城取を能構陣取を取敷舗を 一継立設ル事大方は先見武略之本也扠智略省能大将省向 乱敵を真に概作大将無百乱敵を味方也乱向執作大将有 而貢ル敵は味方乱奥之真ニ抗作大将無[サ]負[ルを以是を以是ノ語 敵をそゝりたて働敵を見合半途を討肝を以殺随臣或は敵 の内に帰伏之侍を招キ或味方ニ謀有シ勇士を近付ケ敵国江 差違其行を能聞えて其敵[ク]全ク亡ス事是先大形智略之 本也等斯菜者出家町人百性などの才覚有る者を常に 恩をあたへて後敵国へ遣敵之大将才督無して好事を 過して万民迄もうとむ所を聞繕候而敵国をさだゝ せ其国を攻メ又は敵の内に邪欲の者を聞究音物色々を 以其敵を遁る事大形興計策の本也右之武略智略計 第三つみ佐代其すへを知而是をはかつて勝利を得る ことわさを指て能軍法と申如此三此軍法と云此 本を尋るに大将之再拝を能取給ふ事肝要也 ◯初に曰心之深文字に朱丸をする也力を入て可見合声也 天一人地 試 コヽロ人 サト也 ヲコナウ ○信書公御出陣前に三箇條之試之事 モ千ユル ○曰前と云字内々と云にて内試と云て千要の文 富士の義武具也深字此試と云字也武田の軍理悉。試と云字より 可見分者也楽類也暗俗云御一代の砲き作池の備内試を以定 孟子親子果章句上命也依之題語に試とは賞也当流志し深き士は 各政施にト有ラ悉此心を踏て末書を我胸に可巻治雑及者此文 去之請当ニ試之ト字也卒に不可叶思能謹而可武字者也 第一御心之痛悪シめ 曰モ可也尉様子ニ於聴二宣言其術一と有之。晴信公用俗欲国 ○仰キ子刀はかは巨意可レ有二発向五三年前ノ誠に其国地形の善悪敵之 金軍に売合弓矢之格を積り誅臣を招き事能ヲ軍法を定メ智 末代之将詣当武武を策せ勇者には敵の海を切崩させん事を 之論ヱ謀ノ強味方少も無怪我人ノ別を士大将足従大将六 ○信士公の書を書巻奉行其外兵民迄に味方軍の作法を言せて聞 一笠辛は黄名はつ宜とを用危キを退ケ無二之行を求宜きに於ては叛キ と云心にて鬼諺国へ深クはみ入捨て少も老姦を於テ慎て以或重にも内 公とは置也誠仕給也硯き軍法と言フは大将の作法行画の論に 御子勝頼三深代に常は国法の政備を施り定ゟ忠臣も忠位を返す奉察に 常は国法の政倫を能テ定メ忠臣も忠臣を故輩警 悉ク御備督たる事は給と事は畢竟大将の心備を能定の善悪を正し 第一御心之備悪めし給を飽き試と云壁言は高キ所を削り畢レ畢る 試を失給故也故に をならすと云心也武道の作法能か宅齢刀を能キ 軍法之試と云 長篠合戦ニ御父 ○或説に曰三ケ条の試之事と云は此下に見へたる 晴信公使入給フ功 三ケ条を指て云比ケ条に軍理て悉ク籠りて 士を殺給也軍ノ勝 有り此三ケ条を兼々内談仕給フを試と云説に有し又 負有将の心備の無 如此下の三ケ条に見て三ケ條と読切て試と二ツ 悪ニヨル子細ハ晴信久 に見分類と云説モ有リ之ノ字ハ下へ元續キ字ニ用ト 一敵将手向け不成て 土説モ有リ之ノ字を用ては二段に其理難見ヱと云 一御心のま宜き故ニ依テ 下の三ヶ条にて試の理は難聞也只一理の口伝計 一度も敵小押付を 也諸人なずんて下の三ヶ条を引合類に依て裁と 云字の刀を失也三ヶ条の試之事と云は一定将の 心論二諸士武道の能仕置の備三其敵の軍の 作は善悪の飽き積り之備是主将第一之儀の 作法善悪の能き積み備是言将第一之備の 三略に 本是也初終此三ケ条よ過る事無シ言将試之 陸将下ニ無窮災備二六時中勿忘[リ] 之道理也 ○肘条子癇勝第一其回之絵図を以て内談の事 孫子ニ病算 孫子知彼知己慶曰典と云フ字韻に付たる言葉にて可レフ 我え不有是皆武寺也指て其国と云フ敵国地形之善悪直曲狭侯之 尉麗子道可閤戦場陣取其場方円曲直へ銃大小山臣深田 一必試二其後郭也田森林之茂り様凸凹陰海岸但澤海川大小浅 ○孫子不熟雑険深瀬之替り帳江村遠近之道積り絵図を取出陣 但沼沢三軒者木岸に試を以て能知り其所へ行少もあくまたる 一能証事又曰工夫を定額をはらし宜きに於ては敵国へはみ又 計隊泥遠近上将弓箭を可しは将と云は将と云は将と臣と内試の事 之道也を言テ主将得得自力の土礼儀を尽し恩賞を尽し恩賞を与へ合 を言り主将得二貧角力の士一礼儀を尽し恩賞を与へ智 ○易曰其機不審者は謀を好し両力者は其忠を施さん事を思如かに 則宮或は底魂より親に申様に仕給へき事寺也謀隠密 命せよといはんため内よといはんため内談と書弓箭の事は隙 一法蜜可也蜜可在也略洩に於ては失勝利迄内談と 民三ヶ条に加さ有は三ケ条ともに如此也古語に曰事以塞成る語り らす数巻の書に以地殿と有も可也可慎は智略武略計略の武也 有之軍理何也顕るゝに於ては何も不入味方滅亡也三略に能図山 浸んさる様に哥へ川能表大難信玄公如此の道理に徹し給イ可働 仕也依之に始ける国々の図を求給イ士大将足軽大将六奉行と式 に内試と有也隠密にして家味方の善悪を正し給つ故一度 越後謙信公も十も危キ事無之本文之次卜云字要ゟ也勅と云 二人衆と申商人子に可レ見戦国成国成四にしては諸国往還難成に依て をこしかへ諸国へ絵図難調也晴信書は小身の士心安キ譜代之 なり 被遣幣方の様子宛も弓矢功者の慥成侍を商人出家修行しな 聞給也とにか立せ或は非人猿ひきさゝりすりすり十様の 布商人四人軽甚にこしらへ諸人の心を不付体にして敵国 鰹商人四人江被遣絵図を取給也図不調間は其国にあつ 蝋燭商人四人にても居て国の様子委細岡に仕也扨は諸方よ ○矢の吉公朝鮮国一一も立の牢人を抱置き其国々の将の作法国法 御出陣之前に師の郭正砲聞届知給也又其国より蓋類商人地下 陸の図を御取置人には金銀を超て国頃御聞被成に依て已に敵将 摂州にて無難哉の格弓矢の作供能知給也依之諸国の綿図大形 を定メ御発向也良将御将被成也何レの国へ働給フにも其国之図を 之御心答何と同程取出し内試を以勧給改無疑何の軍ふも危事 なり なり一度も無之如勝利也良将の御心は一ツ道理也 唐節艾と云者は昔も頼朝公伊豆の国に流人にて御座時如来〳〵 高山大沢を見る判官を求討に仕給フ時役判官の居館十堅固 たひことに絵図ににして地形不案内なる邦道と言フ士を放遣山木刀 書たれと有り也館を不残絵図にさせ取寄給フ北条卜内試有て 一趣をはらし思の侭に討取給也彼邦道と云者 其所足行疑すし返をはらし思の侭に討取給也彼邦道と云者 判官か旧友故油断して居間迄よせける故思 て可得能地ため割宿へか旧友故油断して居間迄よせける故思 なり の臣に図を調ける也委細事鑑寛工謙信公も 十二人衆と名付て諸国へ遣シ様子を聞居給也 孫子知彼知己 第二歌の人数積之事同強弱内談之事 百戦の名 白積知と可レ見也誠に敵の人数之多少を知り其 上にて味方の備定むへき也其積に乱世治国 の替り有り我国山は国数所知の程難知故一回 戦国の人数積留一万と定〆三千百主居に手分して出人七千 一万を定〆三千留主居に手分して出人七千 今我々持て国成に三千の餘分を増弐千の剛分を懸テ出人一万 れは大将の身舞弐千の人数と積義信玄公御代之積如此也亦 器故一回一幕と積当時治国よ上て将の国数所知て大小皆人の所 也大岡小国参構一知ルなれは其人数知連安し一万石に騎馬哉 国一万と云競有執顕之積可可能ル付り三段の様子有り二・国 是ハ大省憐国エテ知の大小熱不熟二將の貧福三ニ隣国の将 お口免故押の散と入魂乗入魂此三ヶ条を記り僉議可有事 多入にしは出口す肝要也戦国にも憐国の将と中の善悪にて なき故扨とも少人数の多少有り子細は三日頃の家康公岐阜の しと云説有人数信長公国並にて堅キ藝紙を以答合せ互に加勢 積卜云事は大たゝ在延へ市分領より人数多し又暗侯書は四方敵 ひの積を持雷となれ共御分限より出人少也是留主名又敵 する也明ニは不被知者方へ之押に多入故也 者也委細軍鑑者に習す ○曰菊剛弱強の積 付り同強弱内談之事 信玄能被成其敵 の格依て御内の士◯曰強はつに敵弱はよは敵也軍は敵の絶移を能策 大将に先をさせ給して合戦の仕様強弱のあておひ第一也戦国の強 柔剛之様子を取弱は弓箭を取るなへ其善悪明りに見るに見る 給ひ仰付て親瘡軍無之故へ難知也此時は七重の哉を以知ル也去将 公信長公家養此外貧民天地時比七つを以テ知ル也口伝ハ能師に為エ言記 諸方の敵のろ失のよ七計と有るも是ならん可信意公如此の道理を以 様子により士大将にして強弱を能ク謀り給て御内の侍大将を歓上指向け 立をさせ給フ也又押給フにも巣剛弱強を能考給也或説に後頭国 土主給も又倫音に依て有之と云事云事有上に方の士は弱笠束の 薬剛西屋二轉変士は強しと云人有り愚なる説也国かうと云て 之口伝委細師一字心は一ッ道理よして格は国々にて替ル也事細は図 東は人のからやき三氣物毎強破に見る風俗也 一士絵羽は蓬春より又上み方は見懸け兼りかに立て少も強破に 一棄散し子細弐四位無之様子也上方にても台今名高キ若将義 一玄正直に奪ひ給経公楠木正成公須は信長公秀吉公公弓矢を取其 八其弓矢化メ御門御名もの雁己美義雑公は鞍馬の寺そそ左の成レ共 諸士大成ル功を仕る末代にも希なる良将也扨関東にても源頼朝 他国の士督て甲州公義奥公尊氏公近代信玄公謙信公家康公 士皆加免信玄公御是前後無類名将也如此なれは全国には強弱は有間敷也先 他男面雁勝瀬二 是等の事有特也如此なれは全国には強弱は強弱は有間敷也矢 一安督有て長篠剛弱は大将の善悪によるへき也古語曰庭将下無難 一合戦ニ功臣悉討死 一兵ノ道理難有 一仕り勝頼勝利を失 問第三味方勇類誓詞あらはして可致三ケ 給は大将の御心念 一也とほく弓箭の善 ◯悪は主将の御心に有 条ともに口伝多し 曰比かほは王道と雖○曰信玄公御出陣前に誓清之堅メを以諸士の心を始給給 吉法の一和と云者也玄君よりも貴賤上下によらす正し善悪を賞罰 信玄あ勤入に能率明じて依怙聊在之間敷油の罰文を諸士へ被下 法の仕様を尋念に依て勇ム々と云子細は大身は小身に負けんとす 勘助申は死軍の本身は猶大身にをとらしと勧め老若も然。し是特少 者の法度はせめても儀帖有間敷と云折言の志し喪に通て一命をつて 五年も十年之内式忠を尽びし味方一致の執力自然ど都方へ洩し聞其 心カ儀先味方勇ト云歌シテト云事ハ古今 を以諸士の作義を。気を奪フは不戦と云。比二隠密宜した是 定給はすめは正直成是又多勢なれは隠密難議の遺而諸人あやふみて かたかるへし俄に頃悪事の端尾可被成と信書前直参参にて御焼き火絶而起 度を乞給は衆人に要亦被官者勉頭玄寄親の石にて熊野の牛王を に遣退て問のわるは執シ誓清を仕也自ラ敵方へも聞ル也是顕て然とく也 ひ共なるへし定て誓の宗文頭書に有之都合此三ケ条は心の深キケ 五七年も能道理を云条成連は明に薙書分能軍鑑者に学へ 聞へ給いそこにて能 軍のを定給てすめじ宮をさへての一和とて権法也信士云御若キ時より 申上也委軍艦ニ付連々軍法を御取立可有荷如此四討文を以亀人一 誓済なとも能比を戴させ給フ也誓を不仕者は逆心同前に被仰付故願 虫給しため神の教は不同心の族も権威に恐れ誓詞仕也押へての一和 号を以て人の心をなれは正道こは難言構法と是を言四朔者は罰者は制 めし追々能々道記に士[ソレ権クと有も可し也賢聖の使王ソハ自ラ浄心志義を 引入諸士啓進を至極めつくす也信書云御家も次第彙次の記作法定し申 後は誓も不入心より 一程自衆心一和する故後には誓も不入也 一同せん事信玄公の 古語盟誓相誅代六韜ニ欲ス朝合日令戦ヲ約警賞罰ヲ 諸侍自ラ除シテ大キ成 忠節を尽シたる也自主 右諸士同右諸書者 三箇條之合戦備定の事 一今度於二戦場一忠節忠功 一の族於有之者貴賤上 事有之に依て発る也傭は人数を以定也迄は 一下によらす依其功忍に 賞可定行事 一軍法下知於相背ニ者某 親類を初メ成敗可申付 要字也論には天人地の定め有り是備の第一也 下によらす焚物忠字也備には天人地の定メ有り是例の第一は 一備には口伝多奥の書に有り師に有り 敵人底来り新ニ至り行列は未寄可申事 ○曰此論千は侍中掛の口伝有 第一味方備砲百敵の立類を見て是を致口侍 親類を初メ成職可申付候一 主衣口伝○障子曰先裏載地西門敵者ハ便也後家我地而惣而惣戦者努 一依怙目以負も頭有間 敷事付於逆心之族 者妻子親と成器可申付得地の利を能軍場を取堅め少も無レ危き事を備治 ○諸士誓紙者 一御下知は不及申上立寄親 一組の下乗も宜敷なるもの也其善悪を能兼て可討也其善悪 一味方難儀に及者於有之 一依暫員も次角守○四施見要字也味方の備得陣法方円の大正如く天人 ○曰胞見要字也味方の備得二陣法方円の大西め天人 敷事なり於隠して前後正クして前後右の利を請敵より先ンして 将二地の利を能軍場を取堅メ少も無レ危き事を備後 してと云フ押来る敵を待請て合戦すへし後れ 一御下乗不及申上王寄親来類額は何をしても備之利不宣め軍のみたり を知る事を立るを見てと言致は討を云心也 者一命を抛テ忠功火節 可仕事付り迷心聊仕間 第二敵勝而味方を討二三より是に勝り 敷事 一敵方より計策を以悪事 小ク共数を以敵一ツに九ツ迄と思へ共五ツ を申来に付ては無二心 六ツ迄に吉し口侍 有様に可申上事 同立天張陽備人天人地卜備四行多 一五人物一帳 不依何事不作の仕候 〇曰此浦よは掛中侍の口伝有 一五人備 出事 〇一三張天地二湯 一一俵玄伝毘かんもんの事五 金田町 口伝丸五六の口伝は 一初ル次第は 一立地論一考廻らな一巻六十八 一不問也 一立地備湯地備不同 一九備天人地三領ノ備 七ヶ条程被仰付事也 七ヶ条程被仰付事也〇日二三は要海軍の仕様也丸は結備之根元也五六是迄又同し ケ条少ノ其道理開類能ク先務に有へし敵先レメ能キ軍場を取是得地也理を 様喜もの也備を立政軍の理を立味方後て行して軍の理を失備柔 一本書二ヶ条忠正公侍と自己勝利無し是を歓勝て味方を討と云そこふては二三の手 悪キ沙汰也 小可心付也 一九は天人地之三段連聞 云口伝 ○五ッハ 一紙三ヶ条仕に依て其三 ケが子に口伝有りと云説有 一三ヶ条をは第三ヶ条の事 也其理広大にして難及 一号故三ヶ条氏三ヶ条同 子細者三ヶ条もにと有所 を以可勝謀を一斗本別味方備之理を失フのみならす無理加 勝を好ム故一陣歇め残黨之利を失フいかなる良将にて も騒動したる備を以ては可勝様無し其時は先キ一緒 をたゞ敵にあたへ負軍と心得あいしらい合戦の如ニ して児国に引取二の手へ可レ渡事先手の大将の武功 也其内に諸備早ク備を立堅むへし敵は初合戦に似て 備もさたつものなれは味方二三の新手の備正きを以て 一九は天人地之衆縄必勝りし二の手も未正則は三の手にては必定勝利也張運 一の洞平成就元皇二三より勝と云又敵初合戦剤を得て色り来らすめ 也陰陽和合の粗引取ル時は二三の備を以くいとむへし引取ル備は的は約々都有 陣取迄も此九三程として行烈塵もの也其時は弥然也。北ツ尾数を以て すると云事は味万め人数にても備数多〆向へ を得たるを管備とすると云事は味万め人数にても備数多〆向へ と也小備にしては人数つかひ安きもの也依之に 備数を好事武西流にかきりて如此也万我短公 兵哥に百人を十所に置倫社子の敵にも切り 勝と聞け能ク習是に式論に小クも数を以て敵一ツ に九ツ迄と云フ事壁は壱万の人数を一まよして掛 来らは味方千の人数ならは幾か備にも分けて備立 よと也数多きには利有九ツ迄と云は皆備ふも と云様也五ツ六ツと云は備数多きには利有と云へ 一五は浦つよて潰ぬとも余少人数にて八九ツ迄の手配り難我去時は の中也五人一備と組立 の中也一備と雖立正備大備よして向フと云競も有之如何レ能之軍鑑 にして二備巻五十キ一備 五ヶ廿五一両と定其者に学へ○移書数と有更は人数小頭を付て浦 より三は第方段の配りするを云五人の頭を伍の長と云かし二十五人の 備にても此道理に頭を卒の長百人の頭を旅の長五百人の頭を もる事無之堕師弐千五百人の頭を軍正と云如此歌を付るを 公流是也五行の手数と云孫子に分数の数是也九ツと云も天人地 紀奥書に有る三段五と云は五勺の五又一備の事をも云六つとは 一六之備後湯天人也塩湯二段の立様を云三ノ字ヨリ備て発る也委ク 三段之事頭書に図有り深め謹て奥の極位を可聞守也 一喉湯陰 一一ル一第三敵砲備を立て堅クは是味方九ツ迄に 一天二地三人 一湯陰湯 一六者陰陽三段の備 而向て亦横を用るせめては六ツ迄にする口伝 にて御ぬの中しが曰徳九六は敵味方ともに会論と云也敵の備正き時は 人数よしては陰陽虫方も正備にして味方の仕置き能ク而花陣屋 の祖合にして吉シ又不可載立也正兵には可勝行ては無きく也せめて八 多風の時は天人地也横と云事を用る地変の翌し有味方乱て奥位実 組入寺也九五六文にして向フ扨は隠遊あいしらい声を以て敵の気を窺し 洩る事浄の意也甲を横と云其時敵備さたつ東おいては能見定て無 口伝 皆れより薨ヶ供重二無三に合戦すへき者也砕髪百数手レ来ト云是也 浦矩浦取の作に達し或人の土の積を用類とそ横鎧を入て勝と云又味方の 也天理広大阪明に備ふも九段に備を立両脇両飛も右備に人数置様御 雅奏分我愚なれは侍有りと教類人有り悪説なるべし子細は能く備を立 過て本文の程を失して堅クはと有時は中々横鑓なとは木放入ま也様な 也と覚て医委細とは敵の虚へならては入れぬ者也実備ふは横は 上地軍怪者に習え思も不寄事也正兵を方せしめん急の味方乱てあ てかふを横とは云軍鑑に千人推[リ]門[テ]一人不レ如レ如抜入問 又千人従向敵百人の横を入可然と有是也諸人是を 誤て横鑓を入ルと辺悪説也丸六は備の立様三章に記す也 大将三之再拝者 ○日大将とは玄君の事也三とは下夫レよ見え三ヶ条 之事も手にて振る再外にては無シ君の心の再拝 と云事有り大将の心悪クして善悪不正則は功臣は 教退す苑人は奇集[ス]故に再拝の下地に背ツ故追 進不同にして眉給ツもの也又大将善悪を正シ其 功に依て恩賞をも軽重を正シ施レ給へは莫雄は 集来して功を尽スなゝ自ら母頭人は四を閉て進 退する事玄将の心の再評正き故也信玄公此道 私云此本文を善志 二ッを主君麻衣褒美し給 こと見ル諸人誤て○善 理にてつし諸士を使給フ故衆人一致にして再拝之 一御下知に随也依レ之ニ負軍一度も晴信公ニ無之 然るときは善悪君に有りと云も可也 一内にて上中下を正し給 第一常之自国他国共に武士之手柄 也善と思との二つは 下の第三ヶ条目に有る 忠節忠功上中下共に能上中下共に能相の事 一善の内にてさへめ此 上中下を褒美有 事なれはいはんや善 悪の儀は天地の如く 賞罰を行ヒ給フ也 信玄公ふかきり如 此北條左衛門大夫指シ 物の批判は正道之 御批判し権院にとて三中下をも批判無けれは粒重の働一ツに 見ルは愚也 上中下を褒美有○曰常々とは不断不怠不絶と云心也随ひはんと云 事なれはいはんや否敵味方共に武士手柄の働きは第一忠節忠 悪の哉天地の如く功れに過たる事無し味方の士は不及容験言敵士 □□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□ 賞罰を行に給也とても面の手柄なれは毛頭無依怙上中下を 信玄公におきり如正し摩武美仕給フ事武将第一也其能き働之 此小源左衛門検内子ても三中下を正シ給フ小いはんや吉悪の二ツ 物の批判は医三十五人は無程正道に罷成を能ひはんと云能も働 成りて後よは善悪猥りになるもの也信玄公刀 くの通をおほしめし諸士の忠節忠功有之中に も上中下を正し給ツ事味方の士は小刀は云敵士た 里とも如此巳ニ北條左衛門更深沢にて黄八幡ノ指 物を落城之節落ス也此御批判も諸人に替り 三巻能納人 直解 正道故左衛門太夫毎朝信玄公を奉れ聞類也其 後に氏政公の降参も悉皆は左衛門太夫がはからひ これ信玄公の徳敵国迄も化して如比也是を硯きひて むと云也世人是を誤て權法に見成に信玄公左衛門 奢によろこばせん為の謀に態能ひはん有之と云説 を教チ悪キ説也信玄公は只有様の道理をひはやし給フ 也左衛門太夫程之武士如何〳〵其謀にのるへきて爰の 所を能ク考へ可レ見事肝要也悪キを継き趣き恨よりひはん有 る儀は良将に無き事也信書公よ全ク無之哉也 一納久則衆賢集テ而 細久則義賢集に而第二人を記見知りそれ〳〵に役を申付事 第二人を飽見知りそれ〳〵に役を申付事 丑の道才 一川狩 一鹿嶋 三つ之遊山者曰磯見知其々将要の所也去将士を使給を使給は善 一鷹野山鷹追守狩悪をたゝさす其士品に依て用給フ事良将是也 起き士を使事はいかなる愚盲の将也成る事也 一川侍化き士を使事はいかなる愚盲の将己成る事也 一鹿伝良道不検我上将は不弁士ノと云信玄息の理を思 名将者無荷の数を召人を使給つには亡同目に言茶を挽せ居たりには 者ぬ給す諸士へ足に火をたかせ給フ如かに其人之格に依て役を知る ための為には外遊者給なゝ一人としてすたる事無し家老出頭人を為なり 一北善悪を見届給し衆は玄君のそばをか参るに依て其人の生に付を ため扨そ地頭を見知給ふ也は尤なれ共外様の劣なる者迄の哉 の百姓あたりをやしを能ク知給フ事は三ツの御遊所にて外様其外下々迄も御 給しため也信士公男眼前をか参るル故に能知給フ也良将八御遊山に魚鳥鹿な との取レさるにも不レ構ハ口は諸士を武道に能引入為之試 に好給フ事也闇将は其に替り鳥鹿なと取レ子は立腹シ 嘉永十二戌年 給也是愚好の事也三ツの御遊山者国玄好不給して 古語 かなはぬ仏也子細は諸人へ軍の作法足こしらへのため 人出二一言知其長 端一 亦は頭奉行の善悪代官地頭の様子民百姓町壱家〳〵 一貧福ク国中地形の事迄を知給ン為也 六輪曰吾欲賞一以勧 第二忠節忠功の武士にて手物の上中臣 を能穿鑿して三段に恩をくるゝ事 ○賞所二以存一勘四割ハ所 以舟ノ懲ヲ ◯是共に三つの春汗也かくの通あしけれは 諸士の形をむさほりて下の手柄も己そ 富福の媒也 か仕様にて上に成と心得戦場の働をそ 一同義者ハ不不不不レ不仁者一 ひかへ軽薄計にかりて大将の鋒先 死上智者不為闇主謀 先ヲ弱しさるにつき此三ヶ条者国持 一百通二志於衆一と有則 武士平物は黒色忠吉大将の再拝ならん又手にて振は其下 忠功なれは鬼状ナク志 を表に墓事将寺の約大将大将或は足軽大将の仕所也 一也夕毛有之節八分別才智氏男才智氏略計策を以敵を以敵を随常 無ト事也郡時御家也其主君へ能気公を勤めに随て被下知に随つと云也忠功は 理に至り能成有功を智愚武勇を尽し身命を不惜敵を切崩す事を 賞禄仕給劣なる忠功と云於士に過立忠功無し其厚志の手柄成し 侍にも依二其功に依て恩賞を正し其功に依て恩賞を施し褒美も も預ケ知行をも過分軽重を正し給を能キせんさくと云そ信玄公出 にこ宛行志を衆にくの心也閻主は右の通は右の通よして 通し給ヱは諸士いさみに三中下の沙汰も無ク恩賞褒美も猥りに 功を奉すしさへ御教し給フ故へ書す士己今も仕様にて悪も善になる 官領助殿公は国知してそと心得て戦場之働をはひよく家老出頭人王 奸人を不見知宗哉昔信を以取入或は責めを引付て其気を取請候 し給フ故功臣者区ヶ侍は本より女次臣の家老物奉行成れは己ほ欲を 追けぬり思惟すなれをこし面々の気にさへ入れは其悪を温し結句 は家中皆兵衛を仇め取成也扨又有功の士は女次臣の気を取調フ 先として偽の面計事聊も古けれは其家老出頭人讒言を以テ悪 繁昌公に依て美言なすに絶て美士心を離す故大将のほこさき 不二見知給一不直之故 不見知念不直之故弱し是全ク玄好の不正よして如す娘を用給フ故也 次第に悪キ侍を住すめ 馳走仕給フ故忠臣は 次第に悪き侍を集め良将は善不善を正し給放礼せされ共謀臣集来罰せ され共女頭人は退き美士日々に大切を尽[ル]事連賞 恨を含則政公の御当 罰正キかな也源晴信公め此也 を思士一人もなし是 一全将之不正にして忠 法曰礼崇則智士至類禄重則義士軽死 一全将之不正にして忠法曰礼崇則智士至類禄重則義士軽死 一先以大剛強ニ二敵様 節忠功の善不善を 一御旗奉行ふは再拝を免し給ふ事 知不給故終に北波氏 康公に負給ふ ○曰旗奉行には功臣を言付ル者也諺は軍気也正キ則勝ツ 虚土に負給フ也○曰旗奉行には功臣を言付ル者也旗は軍気也正キ則勝ノ ○虎略品 不正則は負と聞知也守旗と是を名て勝負の根 〇武者奉行武人は御大将 元惣軍のつか也武田の六奉行の内也族奉行弐人 と同意に暫き監獄鑓奉行或人民者奉行弐人合六人是六奉行と云 にして人之不実を此士は随分武功の者の者の仕る役也五細は玄君に乗り も守の蔵に武者本諸軍之指ひきもする俄乏に再拝を免シ給ひ此内 行の噂七ッは 行の鳴七ツは小鑓奉行あらわれさる事細は春秋と云て夏之 一先へ大剛強ニ二敵旅籠たる如ク籏と武者奉行との間にこもりたる也 子を不見以前に軍ツ 子を不見以前に車〳作作は旗奉行同前也 「姫瀬味方敵より 一武者奉行は御大将とひとしく再被じ不持 多比遠慮深シ三介 可勝を見定軍を初ム 四に柔剛敬強四の心 して不叶事 但功すくなきは 名計口伝 一意記恐ル是有無シ曰武者奉行と云は大事の役にて武勇智謀有功分 五に右の通数競悪夕別を覚有て老士の人数不持して人之崇敬する も無シ六ニ敵味方鳴侍の役也御大将のかけのことくに立替れき〳〵の 騒ク足有せぬも不驚侍大将ふも指引て下知を成す事なれは主将の如 其不見取をも積りを小諸士尊敬する者を武者奉行に仕給フもの也主君 以て知し十日七ツ八ツ九十五日末よ御越取成事は危き故御下知を請 思案実のはに不当して御大将の如くに成替備々へ行下知を加る役 と云事七に右是正キなれは其威勢無〆は不成也加此之侍二人数米持 中道の明なる勇者して悉ク調たる士は多無之者なるに依て家老 知ヲ懸ヲ懸テ以□是非居又ハ主君の親類其外先祖ニ名誉有ル名 武右奉行両人武功高き七の諸人其役を免し敬侍言付る者也是 一全き武兵を奉行を切少き時は名計を用ると云也 に定類信玄公御家之 御大将其下之侍大将足軽大将近習 め此也 物見の事 之頭迄不存してかなはさる事 一物見者将眼也○曰御大将と云は我籏を以て出給ふを大将と云其下 一視観察之事に有之ヲ士大将と名を呼也此下革の理は侍大 一大中小之物見事将者頂におきらす只之侍も存知たるか能き事な 一其身之振不構故れ共此義は主君の御身をキ衆故論々王御使又は 敵色を見定を物 物見に参類故不知して不叶事と云 見其身の武者振 一相図の外候口侍 を欲する事を専 とす大きに写◯曰敵同疑しき時か何れに敵の色を知シため 也敵の様子を見物見を以て見定る也立帰て様子大将へ言う上ル言 定子を運とする語に相図者不入場により立帰ル事不成所にて 其身の振に当り行先より諸へ相図を以て告ヶ知するを云違ひ ぬ也 高天神城来諾時節横田甚五郎名誉の相図の 一応行医廻の事物見仕給フ也是を以可甚真直クに乗るも口偽物 一物見して帰望見は色は習有り往り軍鑑者に習へ の中にて敵の美 沙汰せさるもの也 一馬乗様図に有楽 方地は市にも都に 物見馬乗様 乗出次第よ乗也帰 時は敵地は成程早ク 味方地は成程次第都 せつし 静に乗候へは息き れすして主君へもの 申上るにもよき也 孫子に 言不相聞故ニ為之 一相図之小籏口伝 金鼓観「相見故○曰旗は古間にして貝太鼓も聞工さる時に旗を以 為二之カ荘旗一夫金鼓 一旌旗者以所一人之 耳目一也 一相図を定首尾を能合ル也遠クより早ク相図を知れは 旗也是三増峠にて典厩公なさるし守類籏を相図 の籏と云御旗本と廻り左る巌備と両方への相 図正道也六ヶ敷無之様にするは名誉也又或説には 族を以告け知するは地形有り高地扨は山なとへ上り てする事也然とも高キ地形は敵方へ見ユ類故相図 敵方へ知ルもの也敵方へ不寛所迄旗を持て二リ試 ふ五色の旗を以て相図を定め扨ふへは功者あほり敵色 を見届け様子次第にほう鉄炮を打也是も前方に 旗の色と鉄炮の数を定てする事也と云説有 一能ク軍鑑者に習へ 一残心之習口伝 一斤候四方に心を付る口侍 ◯曰斤候と云は敵の虚実備の清濁ク人数之甲てを見 計事を云フ其レのみならす方々へ心を配り地形之 善悪軍隅の横草木の茂り様迄も不残心配り致 事物見仕侍之心得也沼津に於て宿嶽横田 甚五郎家康公方へ物見に行名誉有と云砲是にて 一合点すへし。和兵へと云事地流に有り能々師に習へ 一敵味方共に働時持小旗備後之事 ○私に云七仏と云ふ 曰行烈備押よは旗を惣て先に立押もの也委 細相押之書に有り今戦の時は備て後に置也旗は 軍気にて惣軍の歌卜は云へ共勝負の時先に立 ては其徳少し子細は旗は崩レあき故縦勝利に ても軍気悪ク見ユる也又後に置ケは勝利危チ と云事気能けれは跡備さはめざる物也見崩 裏崩も無てもの也他家よは合戦行列共に ○私に云七仏と云ふ前に置と教は愚也 を世の誤て伊路 一計策文之認様一字の事七仏の事口伝 半をおうくりて認 こと教は愚し子細共 池見吉道にて楽敵の内に帰伏の士を求たかひかし心を通し謀之 れたる時御審立つため書札を以内通有る時文段にあらはしては へき也計米文縄落[ル]か又は敵に奪れたる時悪しき也其 の時も不知様に書時のために試に草行真と一字を定て認事有 すを第一とす七浦難二書分一故略て扨七仏と云は伊路半を指て云 と云はさつと読長〳〵七佛は佛なれは変が自由也此術名を以て調に 地見しても人々不になにたる事あても不成と云事無し依之に 雷に置様にたいて七仏の自由自在成にたとへて伊路半を七仏 いの文章の怨へと名付計策の文地見[ス]文化見様にさつと し其ため一字の口草行にて認よと云ンために七仏と云フ不四両三ケ 侍有り是にては他連八策自由と成也一字の事武家の秘定爰に 見に入ても不知様略す 三十ニ日 ○無便二辨士一談説歌 美 曰敵の人数味方よりたせの時物見より立帰て 日欲人数に出きらす諸士の同所にては有様には言上さるもの也三ヶ 敵の美鉄侍の聞所一又は半分と内通之言葉を定メ云上類を内通 にて能取さたせきと云フ又味方より小勢に於ては有り慎に言とてよし 味方よりたせの時之事也五細は諸侍の聞故に ○大坂御漁の時中にて敵の幕を取沙汰すれは諸士の勢に渡る者也敵 勘解由出言を家の美を悪く言上る時諸人は内通は不知候へは大将之 の美を悪ク言上ル時諸人は内通は不知候へは大将之 康大きに御しかり軍なされさるもいかゝ也其時は敵色悪く然も小 軍なされさるもいかゝ也其時は敵色悪ク然も小 勢なれは御勝利は無レ疑共足場悪きなとゝ言上る 事物見仕士の功し御大将引取り給ふ時には左をひ軍 に勝と云フも諸侍労る儀はいかゝと味方をいたわ り給へは諸人難宿存ル也軍御勝と言上るにひき取給 得は諸士に主将をくれたる様に思フもの也此相図の 言葉は危き取にてひき取給ンときの義也 一退敵陣取敵見恨之事 太宗問答 ○白退ク敵と云フは陣不取して引取る事也是は小荷 駄を以て可レ見分退敵は小荷点をもおろさす又下は もちらさるもの也是を舟陣取退敵と云又陣取 敵は小荷点をもおろし又陣具を取に下に下に下に下に下に下に下に下に下に 入よ行に依て人足ちらさるもの也亦其陽を老み けいきをも可し見合体と泣の二ツ有口伝 莫伐二「棠々陣莫レ 海上 一戦場に出ゐて進る敵しさる敵見知様事 一位は進ニ来ル勢以見ル 一白懸り来ル敵に進退之見分け要め也第一進み来る類 色は備厚ク真の真の黒打びくよして前に武しほこり 二体は見分安し子細に立て旗指物の紋紙と見へす迚陥そろふて 一退ヶ敵は引と見る自武兵色追々備厚すゝみて見ゆる是を懸ル に依て見へ安し敵と云フ第二可退敵は懸り来ル内にも旗指物申 位は近来を考へ見の前立物之紋きら〳〵と光りて見ゆる後に る事なり ほこり立て備の色薄クむゝ〳〵にして足ふみの心 一敵の付の火は火口両ノ とろに有てそろはす備さはきて見ゆるを退く 敵と云つ是を位の見様と云 有ルもの也 一此数のきさみ馬場 一矢倉せいろうに数のきさみの事 殿口の越にて初て曰数のきさみと云フはいつれの矢倉にも用て 仕給也何事もよし殊に堺目にて専用類也矢倉の数の数のき 堺目さはかしき時吉さみと相図の湯を定め目当ちかわさる通り 濃殿無魂下知仕居小数のきさき打をする也若し堺目王敵押寄来 小少もちかはるらはのろし上けよ火事ならはのろし幾ク三ケよ 故耳目の愛取を敵る焼働には旗を上ケよ一揆発ちは火の手 呑なから知給人を立よと申含メ何事によらすさはかしき時立矢 弥深ノ馬場木経衣を倉に上りて見定類也数のささみは個別之 奉散也徳盛御咎湯を見違にしき為メ也耳目の山及取を鰹の 八謀也口伝 間に早知る事也其相図諸人へ隠してする事也 論語 一敵の勤恨にて遠慮の事 一敵の働様にて遠慮の事 人無遠キ慮以有二 近き憂一 白敵働ましき所にて深ク働キひ〳〵ましき所ニ而 引みたるましき所にて起ル敵は奥意有りて の働と心得慎而味方遠慮の備老也卒尓に かゝりさる所也是謙信公鼠宿へ働き入給フ時 信玄公御旗本を初め己に懸て切崩レとする小畑山 堀守り曰クさすほの名将の謙信公路なくして敵に 後口を見せ不案内の働き有類間敷候必御味方の角老く なき様に御仕置可有と申上る依是村上畏畏切り ならす還て逆心あらわるゝ也委細軍従者になるへ ○曰論立テたる敵なり 一敵を見切るに一人より上の一 は見くらへと云事 有乗行中にて見 る事也 一押通類人数も難積 もの也大たゝひの 事也一人よりくとる也諸先三人つゝ居て積類也惣勢大たゝひの損也 ○曰見切ると云は敵物勢何程と積る事を包押シ 通る地形ふくくの事也一人より上と云は押通る敵一人 と見及二人四人八人と次第〳〵に倍して縦六拾四人 一押通る人数も難積迄も見積り先諸に何ふても印を付て置き先通り もの也大だゝすのとをりたると物勢を積る也是は是人にては難積 云は細道にての事也 口伝 一相験無疑数多キ事口伝 一信玄公ノ家中にても 馬場備は朱ノのぼり 山乱備は角の折敷キ 〽住士公の家中にても曰惣軍の相印一色斗にては入龍たる時一組切 馬場備は朱ノのぼりにワからすして疑有もの也依運相印一組切りに 品を替定也入乱たる時も相印を見分て集ル也 内藤備はしなひ高坂 言葉なくして早ク備立也是数多キ徳也 備は輪ぬけなとゝ 品を替定給フ故一組に 切りに作法定りてよし 一部地働山手の事 私云山手能地にても 水の手無てにお ゐては可被遠慮一 白敵国へ働入ルにも又陣取ふも山手を請てよし永陣 私公山手徳地にてと によし敵を引請ても高地は堅固也働入にも山手を 好事は長鮑の道尾よし殊に右に山を請て可也 若シ山手艶き事あらは必山は不レ及雲ニ山近[クに往来 の道有事あり此道疑き死也伏兵なと雖もの也 遠慮して十町も廿町も山手を退て押入もの也 備之事 ○日帰には糺明八陣又は六花の陣形皆是備の事也 日本よくも其家伝多しと云つ施て久き故其 伝を失フ也頃惟世言捨れたる事法を改絶たる 武道を定戦国の時節池を弓箭を取古今希連成 良将此信玄公也八陣と云も備の事也武田之軍法 と云も木ト古きを師とし給つなれは取わけて 能と云ふはあらねとも地流は年久江政実侍 を失フ故に少は愚カなる汝も有り依て只今武四 流を学フ也喩の事は奥の書に見へたり爰には 少計あらわれたる也 二二 三二 口伝 一くり引の仕様 一口侍曰くり引と云は備を引上るに宜き悪ク引立てたら 所へ歓くいつき候へは必利を失フに依て信玄公御 工夫にくり引と云を以て引取候へは少も危き事無キ也 大形図に書す委細は軍鑑者に有口伝は略す 一献巻クほくし様の事 曰成巻[ク]云は城政の事也五かうわりと云政様有 絵図に書す味方の先手を以て敵の勢大手を請取可 改也餘者習之聞一方の尾口を明て改るもの也寵 成の人数も落口有れは早ク城も落るもの也万類 兵をせめ可殺と思つ越ならは小口を一ツも不明巻 つめて改る也め此ノ政類時は命難助故思切て働に 依て勢ひも強ク右鼠還て猫をくらふと云如クにて 一危き事も有り扨又ほくすと云は巻詰めたる勢を 引上ける哉也此時は必誠より進出て儀ある也ほぐし 様はくり引を以引候へは少も危き事無し世人誤 てほくし様計と教ル也是は城まきほくし様と見 一ほくし様はくり引也 是武田家の秘事 委細奥之書に有 低く軍鑑者になるへ 将 る故也熱巻ク同ほくし恨とよみてよし子細は 巻根はごかうわり引様はくり引此二の教に有 るときはほくし様斗に見るは悪き也 越政ここうわり日ほくし様の事 一一 鯛 一先手 ○私に云畳と云字あめ也 一備畳事一頭え五頭也 屏風を畳心也屏風 口伝 と云この御供の加理曰是帰押の時に至てと云事を要とす子細は一倫押に場そ 敷に立る時は大に馬玉頭押す徳あり是兆とも一遍押し場に五備を守るに を取る也畳時は纔なくも有ましけれとも通徳ば二三四五の備つゝ〳〵を の小箱に入綿也此以て一頂へ五頭と云或人曰は壱頭の大将をすれは鉄砲と 問也備之儀は能々師旗兵小荷駄五頭を預る故立然ト云々悪き説也 に可以学也備前道一畳たる備 〇一畳左馬備二作法之備 具合武者合町間 の積り有り口伝 下の書付通りに畳と云説も有り 鉄砲鉄 長柄↓長 大将一 旗- 兵族 上の書付の如ク畳と云説も有り此畳様吉也 一本書には結と云儀 目取破と云次の貞 小あれとも組詰一 理成る故に見出き時東方也多勢を敵ふ見せ候へはかゝりぬ者也一備 様に一所に書す 三四合軍瓢力曰林下 一組事口伝一結事口伝 目取破と云次の員百姓語備の大事也陰陽の剱恨物頭物奉行之 にあれとも祖結一組合に入也又敵介の智畧にも用る也小糠に向 之内にて短に集[ニ]小備に見するを組と云又事 備も詰寄類を儲と云山陰ケ木林林のほげにて の事也備には五人一組よして五々廿五一倫陰 又廿五一備湯にして陰陽詰に合て五拾騎一 侮とする也○三条に結フ士ヲ以信クと有る時は相 諾者作は悪ては不成事也 之吉画 祝一ヲ不得為吏士ト小問 一山本勘助前原筑前日取破る事御侍 曰此西侍は武田家の軍邸者也是等そ口伝はなし 曰異説あれとも大に 京沙汰取不及党同取の事を云ンため二士を書いたせり自取候 日取の大事口伝故 云は天の時を云フ日取よは色々口伝奥の書に有り 略之 孟子ニ天之時は不レ若二地利一地之利者不レ若人之和と 有時は第一人の和軍配日取の本也破と云は味方 時と日は味方よけれは 日取の吉良をゑらんて敵に向とき其敵日取 一敵もよし只肝要は方 天門悪ク共衆儀一味の和敵ならは逢て討かたけ 角を取れ 一大事は其漁の内より掛て可勝是を破と云フ信書公は敵味方ともに 一国を取せ成敗の事不知を専要に仕給を也 一牛馬取放候いゝ夫馬は 一法度入て木入事 見出火第取シ乗馬は一法度入て木入事 ○方角と云召伝近は是日取不達順に又味方天の時を得ずして敵又天 昇場にての札者門之吉と得たるども玄将と士と不和に於ては必 見出次第取ル乗馬は 一過銭運御墓衆如し之政を行作を行候をこそ給フを法度と入と言武道の 一喧嘩は両方成敗作第本八飽き法度なれは善悪を正し制を正し給事第一也 一医の沙汰有て置随ひ然ト法度に遣ひたる者有之と云へ共其品に依テ 罪を分け坂上武事不及心其侭置事も有品により褒美する事も 一不浄有之は縄を張り有類也是を法度子入と云亦常に国改正しけれは 其油のをき所より過軍中にての剤札には其入る事計を書立図法を 一銭五拾文是七軒え定め余は除く也是も不入と云フ佳玄関甚八兵衛哉 取計 御批判にて知ルに依て略是 一高声小歌大酒無用事 右武者奉行より 一享五郎小貧酒七十一近夜軍自玉他国にて替類分別の事口得 一敵夜軍自国他国にて替る本前の事口侍 ○曰夜軍と云は小人数の方よりする事也実死一生の事也 大敵に向ては合戦難成故我軍を好也是か左キ合戦 也大人数の将は全不好事也乍者大勢の方よりは夜 軍をする様に見せる也是小敵に夜軍をさせま 一夜軍は大将と大将 しきため也小説は又夜軍をする時はせさる様に隠密 の軍を立也 するもの也又自国にては地乱案内能知りたる故夜 一定寸三角図にては地形案内能乱案内能案内能知りたる故 一夜討は足軽一備にての事 軍を好他国にては不案内故泰軍を敵よりしかけ 一夜込は夜少き人数にて られさる様にするを替ルと云夜軍夜討夜込み 江村立家に火付焼払 段の替り有り武道の義は平余に直の思求軍も求 ひ取なとする事を 討も又夜込も一つに咄せは殊之外初心に見ゆる也民 云フ夜働と云も同事也 士として武道不案内成類は恥敷事也 一異説に自国は案内役 三段の替り頂書に有り 一知たる故夜軍をするに も物見一人も不出者也 一柳太皷之事九事九字を表す他国はいあんも 一池国へ来り夜軍をし かんと思フ敵は物見を あれ信玄公流はめ此 一知之出也地形不案内 故也いつとても合戦 を好時の物見は比衆 を専と見る也 を専と見る也類と云者心の大皷の事也口伝故略之誤て打様の ○臨兵闘者皆 陣烈在前 ○曰太皷の作の打の外の書に有り大赦と云事は古より 有之といへ共軍の初顕一組切に大鼓用し給し人数をつ おひ給フは信玄書也依之武田家の大事也九字を表 ると云者心の大皷の事也口伝故略之誤て打根の 数也と故る人有り数計之事にて武国家の秘事と 云フは愚カ也還て大皷の理を失つ也九字と云フは心の打様 也事の大皷は心の大戦の次キ也となく大戦の事は 深伝交して可治也教をろかなる時者退而其理を 失フ也其理を失つはもつたいなき也 此文字大皷に合す 一押留るによする又作つに二ツ一に序二に 類れしの大戦震一押留るによする又作法に二ツ一・序二 元也口伝有リ里鑑 者にあるへ 元也伝有に急口伝となふたる時のため 破三ニ急口伝となへうしなふたる時のため 一太皷ハ濁也 記す也 一鐘者法也記巻 一奥者陰陽養ツ○田神殿は先のつかへたる時備をとゝむる時太皷の数 鯰の物也三ッのさたまらすけつもよせて打也作には行烈の事也 薄奥の書に有作つ之大皷之打様はと二ツ也序もと 孫子・可打破の大皷・・可打魚八・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 言不相聞故に為也外十一段の口伝有主君心の太皷悪くしては何程 一金鼓一視不相見故太皷を以て人数つかうと云共不成也となへうしな 為三之旌旗ヲ夫レ僉 施族者弘所一人々耳口伝なして者難厳故に後人其教をとなへ失 目也人既専一則王人と廻り教のため書あらはす也序破急の太 勇者も不持独自殺の数も定し難をとちく口伝なしては侍へかたし 慎者も不得独造此ヶ条は不可及免一人にはつたへさる所也此理計ふて 此用帳之法也 此用帳の之頃也は不運用秘事する故爰よは略す貝大皷族 再拝者同事也 侍大将足軽大将言葉の再拝二ツ之事 三略曰 美化院 ○日れは戦陽に向ての事也諸勢の進退は者頭物奉行 の下知に有り進みすきたる勇者をはおさへ怯者 をは言葉を以て進め給フ事士将たる人の心要是 なり於二戦端ニ進退言葉の再拝是也 西大夫拝せ云先も一馬上にて敵味方の批判能見にて味方勇也 敵の美を 曰者頭馬上にて下知する時敵の事は弱く沙汰し味方 をそ言葉を以進メ給フ事可し也味方の進退は大将の 枇杷による古色源氏之討手に平家向つ時鳥の 羽音に驚きて崩レしも実盛る悪キ批判故也必 敵のよき沙汰せぬもの也 〽二見切也右弐ツの五升かくの花なり 曰良将の軍に勝給フは勝負の見切り宜き故也軍は 士大将足軽大将の侭に仕給フものなれは玄君の被 成間敷と有合戦なり共勝利を見定に於テは 一無二ニ味方を進メ可レ合戦又可被成と云軍なり共 勝利危きに於ては必遠慮可在也是を見ゆりと云 陣取之事 ○曰武田家の陣領は大陣取り北陣取陣城災鮮是レ 皆方図の浦□□□葛孔明八陣と云も此方円 にもなく事無し前後左右の働有之様にするを 武田流に方円と云是糺明八陣の図に同し八陣 と分けて八ツの名あれは其理も八ツにかわり て有之と教ユ其伝交を失フての儀也八ツの名は 其陣形をよそへて名つくる也八陣は木一也分 て為に見へたり八陣は一理也八根に其理替 ると云は悪き陣取の事奥の書に有り其 一口伝広大なれは木運審すルに略之 大宗問対八陣 一方円是は敵国深ク働時夜合戦小木合陣 木一也分て為八 一取也本より軍法に大によし但信玄公宣ッは 方円 外正内奇 拾ケ国迄ハ此染取可然又二拾ケ国より上に は旗本定りてたせたるへきとて貞麟 陳取に付 一本からはけたし の陣取と名付て一ツあそはし出かるゝ の土井の内に焼 付り角の焼様有 一合言夜々に替ると 云フ八日中には相印 を以て見分也夜 それは信玄公御工夫也馬場美濃守内藤 修理正山県三郎兵衛高坂弾正慶右衛門尉 小山田弥三郎計に被仰渡余人八存間敷 八相印難見分故相 言を専要とする故 者也大軍にて此陣取に被成共御旗本計 夜々に替と云求 の事先衆は江もほうやうの陣取可能候 用と云事也一夜一 徳取に付り一に本かり一すてかり 日用ては其晩に 替也 一合言葉夜々に替事一あんしき有り 一あんしきの場分仕 所の庭に但ねて 侍大将かりかくのたう有 たの事也○四方因の浦取卅卅卅三に委ク有此陣取糺明出工 一かりかくの平図に勢し八浦の岡に問し能く陣取成れは敵国へ働入夜 せし八陣の図に同じ能き陣取成れは敵国へ働入来 有り是はをなり出仕又軍に小谷を取成迚は其理もとより軍法にふし形 御用被仰守時御殿は八地品に依て賜る事有しと云フ共其理は同し此方 せばらあやきの橋円に過きたるはなし陣形物人数のしきたるを にて家也又は青を初見て頭忌次第に名をつくる也八陣におきらす る時風雨夜気を凌光様ふも可取をかく四反八尾の働有之様に取を ために用る かくのとうの図 拵様口伝に有 方円又は八陣の能キ陣取と云深ク此理を学時はなに 様之陣取も無シ不残又五ケ国より十ケ国まては方 円の徳取よし二十ケ国より上は魚鱗を用し是も 旗本計の事也其外は皆方円可也子細は国数を両ノ 持ツ将は旗本勢走りて多キ者也故に方円にては難 成故一手を別手に分て魚りんと名つけて並て 両陣にする也是も旗本計の事也理は方円の陣に 同シ是信士公こ工夫也六人の家臣の外は無二知事一世の 人師伝おろかふして末書三に有る大陣取を魚と 云人有悪き説也又陣城を魚と云人も有りそれ〳〵 に名有る故は魚りんとは難名本文に五か国より拾ヶ 国迄八方図を用る二十ヶ国より上は魚わんを用ると 有り然は十ケ国よりサケ国迄の深取不見エ夫レには 大陣取と名有を用る也末書の三に有り魚りんの 陣形は信士公御建計終に御陣取は無之 大将の本陣大形如此取りて吉餘は習定に家 中の陣屋は此外に取也委細口伝を以て一数也 一ほうやうの陣と云 八方円の事を言フ 一古語曰陳間容陳 後間容湯退陳 法之習也口伝 車 □□□□ □□□□□□ メス 同編編編 戦場にて備立同配り之事 ◯曰備立同配りにも品々口伝有爰にて其ノ次第計也 為レ得更次第不同に書之也為見分一次第を付也或人 の云は武四流に七段の備外は無之と云フ人有又九 段の備有りと云人も有り是皆陳取の伝取の間敷 故也不レ足用二其理一陣取備立は人数の大小により 貧段にも配ル也とかく備は八陣の格得とく結哥也 一御旗本一荷備一小荷駄奉行備 一脇備一皮備一先衆一二ノ先衆一二ノ先衆 敵を引進る合戦には ○曰引懸と云は決請る合戦の事也侍中掛の軍也 是信玄公三増介戦を以て可学也 一先衆の内よりあいしらい勢三手計 曰あひしらい合戦は大乱逆軽迫答也尤あいしらい合 戦は智略を以敵をうかふ内に時刻延て悪キ 時懸ツ引ソ廻合軍するを云フ三手計と云は信玄公 三増合戦之時先衆の内より足軽三手を以て 迫合したるを以て三手計と云幾手ても其時に よるへし 曰遊軍山形に三増にて 一遊軍は如何程も是は信玄流に浮勢也 俄に云付給を以て 定りて無之と云人◯曰遊軍勢とは定りたる約の少し人数餘たるを如何 有りれる時にあたりて程にても遊兵と云フ武田家にては浮分と云定り の変化也高下野たる役なし爰には武者言葉を教れためにあら 遊矢の頭也と書す三階合戦に嶺を浮勢に成シ下沢をまはり にある也此前後四ケ条ハ三拾八三軒 軍に勝チ給フ]此前後四ケ条は三頃合戦を踏[テ] にある也 書類故遊軍の事もあらはす也遊兵ノ便朴先に有也 一小荷駄奉行備本大将程の人に尤也但味方 路先敵地にては銘也退時は又先へも合戦 なきふは大形の奉行も不苦口伝 ○白小荷駄は陣具運道付る小依て軍勝負の大 要也融国へ深働入りては小荷医を大事にする三増 一合戦々の如くなるは大切所なへ内藤修理に奉行を云 付給ふ也かやうの哉を本大将程の人に花也と云 一謙信殿当原金戦ト二三騎にて漸々引取り給つも 小荷縣を敵に功崩され給政也勢城を信士公 遠慮に思召切者の周藤に云付給フ也左も無キ時は大形 の士に云付てよし是とても功者の武士の仕る事 也味方地にては小河縣を先へ敵地にては諸につり 也小荷獣を先へ衆連は物聲の支度のためによし疑 所にては縦味高地と云つ跡につるゝもの 一小荷駄印の事 ◯曰人数多き時は小荷駈入こみて龍類もの也早書薬 無[ク]て見分のために小荷騎印を付る也一備切りにす るもの也上に双ノ紋其下に小荷腰主の紋を付ル也入龍て も早ク一組きりに一所に集る也其内にても又我之 の紋にて見知な少も疑事無シ多勢にて同紋多直之 時は色を替てこと也常々も大名は旅道にて用てよし 備大たゝいの事 ○曰備には品々の習有リ爰には先ツたいていの形計し奥の 書に有り陣形は惣勢の備立類を見て惣軍の陣 形したいに名をつくる也陣形は好され共自ら あらわるへ也能〻一つん学者陣備也 り古語 戊戌酉ノ則尾至ル戌尾 則首至ル代中則ハ 首尾共にひと云も 一広所にて両鶴一條横不広所にては魚 ○曰広キ地形にて八鶴翼の陣と成ル余り不広地形ニテは 一首至ル代中則ハ血わんの陣形と成ル年月毛鋒矢も皆一此 七十十七として八陣の不逆陣は飽キ陣形と不望也余ハ忽ち 蛇陣の事也長蛇 二山へかりては蛇 共云也 ○曰わ平にては蛇備を好也子細は平陀の如ク首尾の働き難 成蛇備には首尾の働き碇キ故山上の合我山下にも蛇 陣宜キ也大筒尾と云も蛇陣也 一大首尾八三増合戦 一小首尾は大王子合戦 鶴翼 魚鱗 長鮑 一遊軍は軍にも可然但によりて也 〇曰遊事は軍にも一升のとは三増合戦の時山縣三郎兵衛を 浮勢になして長髭の首尾合つて信玄公御勝利也 是遊事を以ての比也治定年にも可然と云遊事の役は 人数すくなき方への加勢又は敵戒責取たる時能戦 なれは城代定類迄は浮せる故に預け給フ也又悪キ城 にてはきにて給かに。]世浮勢に給てはき捨給つ也か やうの役なれども定りたる備の外に浮勢を以て勝 利を得事も有に依て事にも可然と云フ 一一手別手別手一手 ○曰是は武者言葉を知らせんため也縦は信玄公の物御人数 一手なれ共一緒にしては中く思フ様に下知ならず 儀定侍大将に手分してそれ〳〵に預けてつかひ給 一也是を一手の別手と云剛手一手と云は手分した 類備を二備も三何も組合する事有是を別手の一 手と云五拾騎一備之内にさへ廿五騎弐備にて渓階の 備有りて一手の別手別手一手の心有り ○曰当代之同心を信雲公御代には足恒 足軽は と云今のよ力を同心と云 一矢壱ツ玉弐ツ合預る事其口得たし ◯曰足情はら鉄炮の事を以て手柄をする矢玉数多 持候へは敵あひをかより射出し打出す故弓鉄砲の働き 少にて我兄にと打出もの也其時は備騒ク故為聞の 簾一本玉二ツ預る也其預りたる箭玉にて手柄の働 なけれは面々の働き難成故に下知無連共自らおしみ て敵を近かよせて射出し打出す故事も有て拍子 もよき故に備さはがす打様は先へ玉を一ツ打出て残ル一ツ の玉を籠内に一本の矢を射出也右の外に多く打た き時は其時又預共也為関五人三人宛の矢玉駒を違ひ 一五より初廿五一組也大まも是よりする御伝 ●曰備は五人組と組初其より五之廿五人一約とする廿五人宛 二備を含め陰陽の本一備と成る也一万弐千五百迄も 此心をうつしてする時はならずと云事なし百万の備も 田理也。此外は為辺之是浄法の組様也 一弓は早キ勝負也三ツ一ツを以する口伝 ○曰信玄公御代よそ鉄砲二ツに弓一ツ宛の積に一 人之足恒大将に預る也弓すくなきは鉄炮より 弓は数を射出す事[サ]故[ニ]一ツと云フ也当世は弓 はら起と別人に預ける也是も理は同事也 法は御馬右より初 一呉手将気頭流立 一ノ 一三四一 人形 人人 左一 右一 人形 くく つゝらま 六 一 一二三四五六七八九 遊軍浮勢也 是は先衆守 11111111 ○曰備の義は初発より云如く能々師に習王御馬右 より物と云は右は陰尼は湯也合戦初所は渇く成る 故右より馬を始る也陰陽和合する也信玄公流 は右を当番左を明番と云也 合言葉 ○曰春言葉は味方討させましきてめに始め也 一敵か打一花か実なる一水か水 一山かやま一同かにち一道かしる 如此雑人の云の事を吉凶にまかせてかなし 一信玄公の合言葉関東越後美濃三河諸の 敵地にて後者為存により御他界の一 両年前よりは敵かふくべなとく作り申候 者他々信玄公御ほこさき強して敵とも たはかりてたすかりたかりたると未 代等も思召候へ如件 ○曰荅言葉下々の者の云う趣き事を作ていわする 也か口は侍道小かに奉成ル事は不レ作もの也 城を改に 五之備は 一蜘を改ル帰二後談してしたかへるを本とする賊を責るは下将之 の押ふ三夜軍備事サ也智略武器計束の備を大要とする也 四分り備五浮勢の 備也 一敵出る不出見様の事 白城内より出る敵に出敵に体と位の二ツ有リ 躰とは城躰之事也堀広深にして引橋有類は 籠越を本とする敵也是不出敵と可心得又出る 敵は堀浅ク狭く引橋もなく橋なと丈夫にこし らへたるを出る敵と可知是を身と云フ位者大将 の心入に依て籠城を踏へて取たる成よりも ついて出る事可有又籠城すましきと心得 て追いて出る事ならすして籠城する事も可有 此時は城気敵の人数の和不和を考へし位は 微妙之石にて難及二筆談一依一略之略之 一大将御順見の事 ○曰是武者言葉を知せんため也大将の敵城の様 子御見定に出給フを順見と云物見とは不容者也 物見とは其下の侍之事也 竹束の図一竹たはねうしをいわねそ人損す 如此拵委細 口伝 ○曰歓城を改には竹たぞをこしらへ仕寄りに用し拵様 図に有り竹束の付様つゝろ打立の如かに付る遠 誤て竹たそねこしをいはねはと読人有り大キ成 るあやまり也うしと云もの也竹たぞと云事そ 天文廿一壬年信州かりや原の趣を信玄公改 給ノ時半倉丹後初て竹たそを付初類依レ元ニ 其地責取も甘利手より早く乗取込其後松 山の堀責るにも米倉を宮竹束を付欲に其 時も中利手より勝利初也是偏に米倉出武略 の竹東之故也 一ちやう林口伝 曰歓城改ル時押寄せ永陣の時は士卒退屈有ル也其 時分はやし又は能なとをさせ諸人をなくさめ給フ 也味方よ不限二何事一騒動シ備なり乱る事有之 時も敵其気を窺ひ追テ出ルもの也左様の儀を敵に 知せ間敷ためにそはやしなとをする也其時に あたつて計はやしをすれは敵猶不審に思へしゐ 一謀略じやうはやしをする也自ラ諸人のなくさみ共成シ也 一一せいろう上るに組様有 口伝 〇曰せいろうの矩根は算木積みにする也俄に上ルせいろ そのこしうへやうは竹をつぎ舟のほを上る如かに 籠なとに人を入て上ル也為其軍中へ細工人大工石 連レ候此者共に云付て作する也此外品々こしらへ たるせいろう世に多ク有といへとも大さう事 なれは其理不運用に 一所によりて金堀是も穴ほる計にても 或人之曰州様は仕寄 一なし瑕練有五西は堀様の指図多シ依テ 場を御道の如金彫に ほらせ仕寄と云を鍛 一関に大工も金彫りも信玄公御領分之者案 一練有と云つ城内 千二人待穴を堀て 内者也 置所へ自然ほりあ○曰大工金はりを軍中へ被召連事は酒時金毘を入敵 たれは金銭難をきをほり崩す事有り大工金財は敵方へ告け知也 をほり崩す事有り火工金剛は敵方へ告ケ知也 類也為其時服穴を度と思フ謀略碓ク通シ知ス也依之信玄云云云云云云云云云云云云云 堀てよし有くに立大工金彫は謀略之案内也如比故穴彫る計ふても 隠をもこしらへ置くなし鍛練有りと云助様の損図多しと云は大工を以て かやうの事を鍛錬り八様子を積ち也金郎を入ると有れは都堀へ聞へ聞へ成 云説あり立説之君内さは〳〵もの○金剛いれすとも自然を以て如此いへ 所にあ合戦を以てば自ら敵之気を余り不戦したかへる也良将者 残崩事も可有天工は天事[ニ]は無シ鍛練工夫以てする時は大工 積りを能するものな 一金剛も智略に入◯ れは且い理をつもらせ 不改とも城改と云こ口〆 一飛脚篝之事大河出たるに是を用ル 敵城の堀の水なと ひいて見すれは敵方 一属シ城を渡も也是 良将の事也諸細工 一人信玄公召連も 敵堀の堀の水なとして西蔵脚角と云つ大河を隔たる堺目より根越へ住 ひいて見すれは敵力を申度時大河に水出て注進難成時にを何を以て やし城を渡毛也程をする也雨降り角焼しさる時は野根火を上ル也 良将の事也法知一是も兼て相図の場を定てする事也 謀略のため也 味方討無キ様三ツの事 一のろしは穴を掘出犬曰軍入乱れては聞味方討有者也信士公工夫を以て相印 の責もぐさ両入を定給故味方討せら也即然の下には味方討は無き者也 わらごもくを沢山 一しるし持木来前申合様口伝 に籠て火を付也 一三ツ巻二甲前立物三相言是三ツを以味方討 をいとふ也 ○曰しるしとは首の事也高名の頭と云フは御定の書付 の働を高名と云つゝ入飛ての類はかせきたると云の辺 頭とそ承言出陣前に印の鼻かくへくらすと申含置也子細 は混乱したる時の頸鼻かきし得は證拠無き故後には味 方討有て也御陣前にしるしの鼻かく事女人又者病云扨そ 味方討曰前と申聞する也又不審成紛る者有之におのては 三ツ答前立物相言葉を以て敵味方を知ル也越元信玄言 御家に味方討無之若シ御作法相背キ鼻かくにおゐて は逆心同罪にいましめ給フ也 人数多せ無勢出立の事 白味方の多勢にしても軍に向フと東方無勢にして大敵 等向く軍する備之出立の心得也 一大軍少旗少軍大籏口伝 曰籏は何のかさり也味方大事を以て小敵と軍する 小は族数をすくなく持する也又小味方にて大敵に 向合戦するにて旗数を多ク持する也旗多けれは備厚ノ 一見ゆる也旗計にかぎらす長柄其外如此可心得也 味方夜軍をせんに ○曰味方印軍をせんと云フは専リ本軍の大要と云ひために 夜軍を覧にと書たる也平軍は小敵の好事也子 細は能き地形の明なる所にては大軍に難向故求 軍を好ム事也実死一生の危き合戦也夜は人数分限 難冥徳有類故小人数の方より夜軍を好む也 の方には危キ夜冬戦は勢すして日中の正キ令戦を 好てよし或説には多勢は人数多き故夜軍は危き故に 一好と云説悪きさた也人数百万有類とても味方一教に而 則は危事なし又何程の小勢にても不振の味方に於 ては実死一虚の合戦は一斗難成大敵に可向行て無キ 故危き平軍をする也夜軍の作法は北条氏塵川 越の求軍を以可学 一厚討てうすく出る口侍 白夜軍は実死一生の大事の合戦也厚ク遠慮を廻シ 夜軍の試を定るを厚クと云扨試定て首尾よく夜 事をしたらは如何にも軽く可引取事大要なり是を うすくと云又は地形之悪き方より懸り能方へ引取へ したせ集喜敵へしかけて其後小勢居敵方 得進てうつをも然カ云也 一険難を能見る是に付てすつはの入所也但し それはまへの事也 一表着胴肩衣ト云ハ 羽織の事也 ○曰夜軍は一入地形専要なれは合戦前に地形の善 悪を能見定へき事第一也其時にあたつて 地乱穿鑿するふては無シ兼て地形を見届へき也敵 国ふてはすつはを遣して地形の善也悪を知ル也儀之 前の事と云 一白と云は羽織のこ 二表衣胴肩きぬ白口伝 しらへやう也異説 一相印シ八羽織小加さ にて夜打する時を〇四夜は相印し難見響きもの也相印のため羽織の衣 白と云説と有りを黒ク裏を白して相印の入夜事には裏の白き岩 一相印レは羽織小野替人類ときは敵は疑味方定類相印シ氏康土川越 わたる事にても与ては白紙を以て羽織を拵ヱき也相印に仕給フ なし舜元然事是味方討なき仕様也亦夜軍する時分は暮六ツ ことの夜事にそ過きか夜明けかくまなき月の夜かやうの時は敵 縄ふて体巻をさ油断するもの也やみの夜雨風の夜は敵も用心得ら せ給也相印は名得もの也俄定に白しと云説も有尤風雨の夜夜討する に当て軽き物を以テ 事も有るへし するを本とする也 一異説ニ引請引取と云 口伝 一ひかへ軍折要也 事有と云フ 引請は引へ備の事也 引清は引へまあれし喰ツクもの也其押にひほへ酒を置迄引工手を 引取は惣勢引上ル時〳〵 相図を云川越の夜 一ときを合る事肝要也 口伝 軍には引取は貝也 一夜軍ニハ再拝を以下 一和成らさる諸人のとき此三ツの内を用る求軍よは鉄砲送軽 早く聞知はときの手明也夜は鉄炮は不聞故其人数に馬乗を指出 散也給事ときを得敵の後へ迫し夜軍の備より懸りときを上ル 以て諸人を遣フ也扨と其声を相図にして四方へ廻りたる備よりも 軍引上ルときの有一度にときを三ケ懸類じ四方より大軍押に也 三ヶて後殿の婿たる様にする謀略也又夜中にはほう鉄炮をも 一人残てときを三ル打へし是は所によりての謀也 其をきの声上て後 ○一伏溜りに風の大事口伝竹之物見はかき は敵方より来る士縦 味方にても打取ルと 定也とかく引上ル時に 物きゝと云 早ひかすべき為也 ○田伏は大竹は小也伏竹居る所は山陰谷森林茂り柏野から 場也難き給へはすつはを以て一に見届一仕員有也取究る 烏集り居ル也雑事人番につく也火縄の音物言フをと 風下へは聞る也是を風の大事と云フ小鳥なとは 兵町居雲ヲはあらく乱て飛也如此の道理を穿鑿 して其国言業を以て其所の濃人の如くこしかへ 不思ふりにて行キ有無を見定メ若シ敵をかめは木 草かる者又は田畑へ参るなとし其様子に応してあいさつ をたかくして直[クに通るへし其跡にてあいさつを聞届 立ま有無を知也段々其道筋に二人も三人も置て次第〳〵 に云つくをかき物きゝと云 初てあふ敵に武略の事 ○曰初てあふ敵よは論合り入ル事也初軍をするは大事也 其レに付き武略の謀多し初合戦敵味方の弓箭の 格第一也其格に依て敵星ク随フもの也委細者信 玄公の敵会を以て一レ知筆段にはあらはしかたし 口伝を以可計学武略は誠の謀智略は南産の転化を 一見物ニ口伝一苅田小口縛一植田をこねるニ口伝 ◯曰見物は卜リ之相事也あら働をするに江人のことく 出立見物人の様小する也春は植田をこね夏は 麦作をあらし秋は苅田をして敵国の人民をつ 一いやして毎年敵国を難儀させ根子を見合計 策を以帰伏させ其所を我手に入其地下人に惑 をあたへ二年も三年も作り取にさせ候へは其国得 には我手に入也是敵国を随是誅略也がゝがんし 居城へ板垣鈴形大物見をかけ給フとき原夷の 見物の備にて悉ク得二勝利一也軍鑑者に可レ学 敵国宿働の仕様の事 〽一植田をこねる千は 材木其外何にて も重キ長物に縄を 付て引きすりて よし 次第書付の如働也一ト書付 之有所より一番に働其よ り次第よ可レ働口伝有 一敵によりて教ルと 本文に有るを 敵より教ルと聞見 一地国の大河渡り不知時敵によりて教ル也 ○曰敵国へ働入大河の有類に渡り難知事有其所へ江人 あらはとらへて河の渡りを可に尋也江人なくは河原の根 子を以知るし也人之常に渡所は石原けれは小石なとに 水あかもなくきれい也人み通にて足にて踏あろ うなゝ也砂原なれは人馬の足諸古シ草鞋馬の沓す ○古哥 そこひなきふちやは さわく海川の浅き瀬に こそさゝ波は立 たりて有る所を河の渡る瀬と可心得一渡にて無之所 は石なとも水あかにてよごれ砂なれは人馬の足 跡の跡も無之也又海河の浅深は水色にて知ル青ク 見ゆる所は深シうすあを小さゝ波立取は浅キ瀬と可聞知 素性法師か読し歌にて古今恋の部に有し又敵 一出給り引取給つ時天龍河を渡り敵に見せ給フ平案 公隆レ為名将若将故不案内にて大事の堺目の 一大河を自身渡り敵に見せ給也と武田方ふても馬場 美濃守枇刺有りて天龍河之渡を知給フ也 小せり合の事 ○曰小迫合と云フは足軽備又八五十六十斗にも然も大形 馬上にてする也是は敵色の虚実を知しため又はな ことそ謀有て惣合戦の時刻を待間なとにする也 一敵の退様を見る事 〇曰小迫合は本備の虚実を知ランためか実備には虚を 付し謀略よする事也小総合の内に敵引退に実と 一虚の二ツ有〽退く間敷き所又は崩し間敷所にて俄に退て崩 中道之立様の備 事あらは敵に進る事は不及言味方を堅ク仕置尤也謀 有り扨は引請て可討取事と心得味方遠慮の帰 専要也実虚の見様は前に有る也 一足軽五拾百を一備に立て中道の立様有り 此儀にて弓鉄炮打払様不危口伝 ◯曰足軽立リ図にあらはす如く比立る時は少も危き事なく矢 鉄炮打に尤よし是つゝら立と云也中道の立様にて 物頭乗通り下知するに弓鉄炮打よ少も危き事無シ と教シ人多し忠説也中道の立様と読てよし子細は此立 横八陣の備立ふて有て故尤弓鉄炮打に危事は 無之也依乞中道の立様と云也中に道と見レは人々誤ての 事成ルへし奥の書にも中道の備之沙汰有念也此 三拾八陣の格少もあやまらす不出不入地[キ]中道の 例也備の形は地形の転変による作つは八陣の格也 一馬上にて俄に足軽を分るはりう こ乗の事口伝 一河越木越は躰と位 の見分有也越ス様 に見せて不越敵 ○曰俄に足軽を分るはわうこ乗りと云事有り且利 にて原美法俄足軽を分類とき馬に乗なり らりうこの如ク乗分ケ足軽をわけ給也其と よりりうこ乗と云つ事有り其後弦書公御 工夫有て足軽五人に壱人の馬乗を頂に仕給フ 故其後は俄に足軽分類ふも自由也 一敵国或は敵陣ふほく働き大河の有類は 不越様よして越而敵 に敵駕時河越を見知事同大将の其中に 是を位と云フ也姉川 一太戦に徳海家康公 備如此〇家広大将大 有之を見知事但是は敵によりて也 将榊原武略を以テ 家康公御勝利也 不知様に見せて越 一給故敵の朝倉敗 軍する也 一曰河越ス敵は身等しらへ有ル也歩[キ]武者は下もうす く見ゆる子細はもゝひきわらんしをも取る歟下も うすに見ゆるとかく腰より下を軽クする也馬く の武者馬の繁栄をむらび三ヶ水にぬれさる 様にする故下もうすく見ゆる也是は兼て身 こしらくをしたる敵也又指当に越へきと思フ敵 色は河端にて人馬共に身こしらへをするなし給ふ 験ク也諸人足等しらへをする故。うつむく也有 一私云丸取の習絵図 一枚に拵へたる所有り て備ひきく見ゆる也是を河越に敵と云テ又右の如ク無 き敵は何程河越云恨に見せても不越敵と可心得 扨其備の中に大将の有類は物具の趣き馬上の武者た くして歩ものすこし可有諸人数つけしき有て 大将を中につゝみ我先ふと篇面に立恨に見ゆる 是を大将の有馬備と可心得如此無キ偏には大将無 之と知へし然とも其数の格に依て真先に進成程 軽き謙信公の恨成大将のまには難計也是には其将 弓矢の格又は位を以可レ見分是微妙の智恵入所也 残取之事 違にて大形合点す へし奥に其絵図 をあらわす也誠取は とかく筆段にては 難書分天形の習 有之 是迄して大乱合思ふ 向城取と云フは小人数を以て籠成し大敵を引請口首に へし奥に其結図城を持也是帰取の大事也其外得失の習多し薄 をあらわす也城取はならては難得也城は山城天平山越人平城地辺を となく巻段にては誠と云フ此外は附城陣城取手此餘は此教を以て するにならすと云フ事無シ陣取も備立も一理也誠 取者専ラ信玄公より初る山本勘助流也他流に此城 取と云事を自然教ル人有リ不学事なれは其理大 きよ愚也武士として不知義を知たる様にするはもつ たい無キ哉也然り一斗の学は城取也艶之習多し卒奈に 学におゐては還て本理を失フ也深ク軍鑑者に可なる也略之 口伝 一ちいさく丸 或人曰我人数を外田 輪に一間壱人宛なぶしき田城は大将身体より小ク取れは四国也城は第一一ト 程に取候へは其身体 程に取候へは其身躰籠ためなれは陰を本とする故丸クと云丸か取る時者 に相互め小つめ也南損矢を破払フ也四角なれは横矢の拂りなき故貌 代は城玄替れ故身也天城人難地越三段に行様の習有り本丸之間 一体相応に難取と云 数なとの習も有り奥書を以教類也 其も大形城牛の知 一角馬出之事付り横曲輪の事 行の高知ル故其知 行に応メ可最小ク丸ト 公は大概の積也 行に応めて最小丸と◯曰馬出者珍要也馬出よは必横曲輪を用ルに馬出無之 城は危キ也間数百三拾八間の場を用にそれより小にも 六大概の積也堀ハ危キ也間数百三拾八間の湯を用にそれより小にて する也本馬出は一ツカ二ツなくては難レ取馬出無シの小 この取様有大形用て是短き虎口の取様也馬出の間 横矢角おとし 数者別の書にて伝乞ヲ 一角かけの城内勢はし 口伝 角なけ の城内 せはし 一曰角ほけにしては普請造作は曰事にて城の内狭き也 の城内又横矢のきかさる石にふては角を落す事有り世人 一是を誤て角欠ケと云奥の図に見へたるも角落[テ] を誤て角かけとする愚也大形絵図にする能キ軍鑑 者に穿鑿あるへし 一丸馬出之事口伝 白丸馬出間数角馬出と同シ其かたり奥の図に有り 一丸馬出に三間の欠き大極窓迄口伝 ○曰角丸にかきらす馬出は城より人数くり出すよし 敵を引御敵そうなく責入レ難所故馬出を越の 大極意とする也三間のかきは丸馬出に有公図にて 合只行也諸人是をなすんて三間のかきを極意ト 教ル子細本紙を以見ル時者両方にて三間かく時は 童の内に矢さまの拂も二ツ三ツ出来るを以て 大極意と云フ此説はあしき也其理広大成類武田流 き城取の習に三間の徳を大極意と可言事全意 かやうの誤を世に教る故末々へなりては弥其伝更 をろかよして其教の大秘事迄も取り失こと思フ也 一理成とも学じ給れ士は其程を能く心意に治め能まな びたまわん事結安也 一辻の馬出一着当矢倉一馬左まり の白辻の馬出間数に定三ケ千子共に絵図に有り馬だまりに習有り 奥に朱よて書石を馬たまりと云世間に云馬たまりはゑ此 一門戸ひうひぢかねの事口伝 〇曰ひぢかねの拵様は下よりこぢて不抜様に常のひたね の上に押へかねを可打下よりこぢてぬけざるやうにする也 一門地ふくの事口伝 ○曰門の地ふくをば切り石を敷くり石を狸の又は柱を立横に 貫をとをし一丈も二丈も埋てよし是すつとを入ましき也 一すき門の事 ○杉土塵取塵防ト有ル を打かやして塵防 塵取と耳見口伝の ため如此書す 〇曰すき門は内よりも敵を払フ様にする門の上下をあけ 矢ざまをあくる也馬出又谷なとのほりきりの中に もつる外より内の不見取よする也 一ちりとり問ふせきの事口侍 ○曰塵防きは堀へ人を落す間敷きため也高[サ]指渡る人之 三里長ヶ向の餘壱尺前の広さ壱尺五寸にする也塵取 は四五間宛間を置て道を明る堀の辺りの掃除堀 をさゝへるため也雨ふりたる時天水を越へ可入ため也其御 図にあり 一みゆるみゑさる事口伝 ○白城取と云は由より外の見ゆる様に外より内の見へ さる如ク可取山城は高地故へ一入用之也其取様口伝に有り 一竹木打やす事口伝 白陰陽の縄ちかひ自ラ外より内の見へる事有左 様の取へ竹木を植てしとむ也みやすとは楠と云る也 〽曰ろうか橋本成と二ノ 〽ろうか橋の事同引はしの事 病くれ也二より外に湯あいろうか橋は本銭と二の曲輪の堀切に用也外中輪に堀切 の堀切りに廊下橋を有之時は出橋しとみ欄干に板立てよし引橋長崎 すれは敵より火災又堅固成尻口に用也橋の中程より味方つ計を引つ を打懸る故悪き 廊下橋にて矢さゐなと汲に碓し敵付より味方へ引と云事も有り を明る扨鉄炮の煙之出る様にしてよし 一橋の左右広狭の事口伝 曰大走省部城際へ付 たる時堀内より打拂つ ○曰是は橋の広狭之事にてはなし虎口外形の明様に 曰右走者額如陳へ付有事也是にて外より内不レ見エ 一武者是三段者かんきあふ坂重[キ]坂表に ためにする是第一 と云人有り此理計 一ツ二ッ八右走りと云フ口得 にてはなし第一は土井 の崩さるためるする 也尤寺に土井の表に高けれは崩る事有為其時犬走を付け類也大きに高キ土 する也其餘力を以て打なれは二ツもつく類是にて不崩也土井の外にする事也 敵州際王気たる時敵又塀際へ付きたる時犬走りあれは城内より大鉄砲 打拂フに尤也 にて打そうふによし 一矢さまひかへをいとふ口伝 ○白矢ざまを明るも曰矢さまは鶏図に書すひかへと云は塀の頃かへ来 三つ一ツの道理を以 て間を配るへし則そうにつかく政様にするをいとふと云也引立木は越中 絵図の如し ひかくと世火に言フは悪キ事有り古方の如かにして 絵図の如しひかくと世間に言フは悪キ事有り古方の如かにして よし走り矢倉二重寺満明類によし ○丸さま 是鉄炮さまと云地より八寸上に刀脇 指のつかへさる取に可レ用 角さま 此矢さま 一指渡る人のひさ切り上に上に明 へし節よりさかる共上ル事なかれ しのきさま 一土俵は台よする事安 一鉄砲さま土一俵を以す口伝 也子細は上手の鉄砲 打に玉箔を度にして〇曰土俵を拵へ塀裏に置てよし鉄砲を打時意に用事も有〳〵 打放り目当をつもちや 一候へは如何成ル鉄炮木裳 一汝内のほんしよ高ク広きを用る口伝 内の者も打つ也此訳 を以て正法を失犯が○曰かんしよは霊隠の高也城内にては物の具を着 の裏に四三位もなからも用所を致すために高く広を用 有り 一白陣屋なとの雪隠 一城内に糞格を専らにする口伝 者腰にと見ゆる○曰城内に糞捨なけれは諸侍難義して後ば病人 様にす過若し敵のたのたる物也城内也陣屋も常々も番捨無連は人 すつはかくれ名事迷惑する也依毛専ら蘇槍を用る其取れ絵図に有 有そ人の面の見 一家をひきくす口侍 遊る様に驚と云 事あり 〇白城内の家作り外より見へさるやうにする物也寺ノ として外より見れは火矢を打かける也 一鉄炮の煙の事遠慮有事口侍 ○曰矢倉ふて大筒なと打出す煙の出る所無之時者 一矢倉に居る人も煙にむせぶ也自然火事なと 出立する物也依之矢倉に煙出をする事也 一横箭見様の事口伝 ○曰城は横矢の払を専らとする也恩けれは城のよ はみ也矢の拂取無之所を能く見て横矢之拂有 之様にせよとの妙也横矢の智へ誠取執行する 程知ル也或説には見る様を三様と見てよし横失 一の三様は横矢屏風打横矢ひつみ横矢升形 是三拾と云人有り此三拾斗にてはなし横矢のゐる と有り横矢の拂無之所を能見ると云理は重シ 城者横矢の払第一也能払有る様にせよと云事 を横矢見る様と云フ 一堀高さ山城は五尺五 一山城塀一二三段の事平城にも此心持有リ 一寸平越は六尺本図 六尺五寸にもする 一曰一二三段者地形高下を云フ外曲輪ほと段々にひきく 也其外所により高 取さくる也本曲輪より段々に外曲輪人前の有様 一包する平嶺の 等いの事也尤平城にも此心得旧事也隣の寺[リ]顕書に有り 残り有 一水堀水鳥の事薄 白水綿から堀土器を執行の時其得失知ル也扨又水 鳥の類をたくさんに羽をこきていくつもはなし置 てよし麩のしのび入たる時者鳥さはく故知也又 万堀の時素食計なれは大将の病も五散ル物なれ は為もに水堀に魚鳥を入かう也扨は長籠城の 節大将より諸侍へ料理をこしらへあたへよろこそ しむるによし是衆と共に滋味を同して志を士卒 に施し給謀略也 一升形本図五八の事但大将のすき頃 第五八を以す門前をも舛形といふ口伝 曰舛形の本図は五間に八間堀図也大小省大将のすき 次第也門前升形と云フには異説多口伝有爰に略ス 一一二の門広キ狭キ徳の有事口侍 ○曰一ノ門三間二ノ門五間絵図ニ有リ敵能形の内迄押入左る時 ついて出るによし一人せばき故敵引取に混乱す 類也是広狭の得失也 一橋小両方板の事口侍 〇向外曲橋には廊下橋不用故外曲輪之橋の通り敵人 見ゆる故は左右に板立ル是も取よより箒狭間を明ル也 一一代棚の木之事 曰桐の木の場は図に有或人曰[ク]からたちを植たるを 一代網と云フ是尤可也外より内見へす内より外能見ゆる 一敵に令力仕寄の事可見知口得 〇白堀間敷庇に堀を架り築ましき所に土手をつき柵 の端を土井にする事悪き也他可見分是を敵に 一合力仕寄を云フ城取の執行にて其得失知レ也 一八方七方六方五方四方三方正面の事 昌八方矢倉とは矢倉一ツにて八寺へ矢の払有ル様に取ル を八方矢倉と云フ當代是を天守と名ク矢倉と云フは 高き屋にあかりて敵を払計にてはなし治国の時は主将此矢倉に 見れはけふりそ上りて自国の栄労を見給しために此矢倉を天守と 民の駕とはにき 云フ八方正面は天守になしては難成事也其餘も矢の わいそする 払方〳〵へ有様に取事矢倉の大事也 一矢倉にて小皷笛若は尺八も陣屋にてもめ此 ○曰矢倉に於て小皷笛尺八其外音曲之類蜘内にて する事は何事なても故中騒働之時寄手にしられ ましきための謀略也隆蔵と其時にあたりて計りすれ は敵も不審を立る故常々千用也此徳に依て寵 堀の諸士の気をはらし勇も有ル也扨策の種共 成迄陣屋にても如此の道理を用る也夜討なと入 たる時合り陣へ知する相図ふもよし敵艶方早ク記 一馬出無の座口取様の事口得 ○曰本馬出者衆四ことにはたも最あり此虎口を専ラ用る 一遠国の城の図を調ルに は土図を一とすと教 一表問の成の図を調ルに也馬出なくして短キ虎口也病図に有り 一は土圃を一とすと故一会図本図土図を以餓取発をするに 一絵図木図土図を以城取遠路をする事 類人世にて悪き孰也 遠き城の図をするには 口伝 者土を一とす 三色共に用意也其理 小浅深は無そ太図を 一要と云フは愚ゆんを御覧有り度き時見分の侍組を絵図よして持来 路をする事と読取大将へ御内に掛け時土図にする也絵図は城取の 其理にあやまる事也有之也知人者合点成りかたしと云へ共三をあま 事と立学をいざとによしかへ出念はこしかへ安メ合点もしやすしと云へ 焼てよし候取の執行共又崩安キ故遠路ならす木図にては城形明なれ には子には出医を専と す此ヶ条者遠路のそ大将へ居なから遠笛の陣を見せてまつる小三 蜘を調る事と又の口色共よし緒之にしを路をするに用也又土を一とする の讐左の事を二ッセ八銭取を執行する小三ツの内にて土図調へ安め字 書たる也遠路の城記合点する故然そ古の事には土を専要とする也 の図調ル事計に見 一間数寸町分間を以て遠路にす 故還て本文の理を知 ○軍艦者に可学也 曰城取執行又は遠路の城取図にする事は小キ内にこ しらゆる事なれは間数難積故一町を一寸に定 一間を一分に定て取る也然るときは拾間の時には 一寸と成故一町一寸と紛る故朱と黒とにて可書分 是にてまきるゝて極無し 一付城陣城是は大将の事見せ失人君口伝 白付城は本城にさのみ不レ替ことくに取もの也是者 一付城の普請本城 一付城の普請本城敵堀に向て用るて俄にこしらへる趣なれは思つ の如小すとと云は敵様にはこしらへかたし又陣渡者山に申たルを云フ大 蜘を攻るに籠城の将の本陣計本丸にこしらへ其餘者常の陣 者ともの力を労す屋の如シ付汝陣城別書に絵図有し見也矢倉 る事也帝暦寺長三リ諸備の様子を大将の見給つために用也三ツの 之逆塗等御改成内中を能クこして両脇弐ツ者岸相よする也是 時季うす山に御取大将の上り給フ時敵に疑せん謀也 候を付成と云フ也 一侍大将之付城是少別也一ツよして もくるしからす 〇曰士大将の付城尤本御大将の付城の如クこしら 得てよき事なれ共士大将の分にては少身故く 成少力者本城のことくになくても不苦也本大将 の符もより麁相ふするを以少し別也と云フ又成人 き事ならは付城者本城の如ク千世よとの儀也 草之城 辻の馬を 四百坪 廿五挺 土橋シトミ 横矢外形 ヒスミ 目 耳 □□□□□□□□ 竹木ミヤス 是有故ニ立 ス是無レハ 見ユル こそは 所代シヤク高下橋 右衛門 本丸 八方正面 四拾八間四方 一 □□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□ アンジヤ 馬たまり 目 四耳 御門前竹形 馬たまり 一同 しか様の所角あれは城内勢ぞ 以上 □□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□ 二葉青麗 奉存候以上 □□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□ 塵防キ同 角馬お 弐百坪 川崎 三郎兵衛 取之 行之城 辻ノ馬出 土橋レ卜ミ 水矢倉 □□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□ アツチ馬出 力子の馬出 随曲輪 坪ノ中形 一未書城取之巻に有ル行の習不残図に取 大形是を以可し学武州にて石田巻舒子取之 〇私曰草の城者軍法之巻之内に有之城の取 一壇を悉く此草の城に顕す作者居住武蔵国河 嶋三郎兵衛と云依レ[シ]教道寺鈔に是を書載 也亦行の城某作み之]の軍の字[リ]士の導にも可 成と思此一巻之記 } 1759 同