甲陽軍鑑雄略抄

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松山貞申述
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2026-08-17T19:23:20.995Z
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松山貞申述
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コウヨウグンカンユウリャクショウ
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東北大学
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2025-11-13T06:47:51Z
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2026-08-28T18:53:25.651810+00:00
将監 甲陽軍鑑雄畧抄 天地 甲陽軍鑑雄略抄天地 一児村泰唱氏ノ奇附会ヲ 以テ購入セル沖博博 「猶男吉阮善蔵書 曰陽軍艦雄略抄天 甲陽軍艦雄略抄天松山貞申先生述 一足軽大将之業 地重按一ニ歩足軽ニ作ル梵筆抄ヲ按ニ是也 第一足軽大将は古より軍の露拂ひと号て追事諸士に 一先たち其勝利は足軽小有り露を払ふに悪敷はらへは 其段を濡し能払へは全く其爪濡れす武功なき名越に 一足軽大将と定めは必一手に属のし勝負危き瑞相なり大閤戦 小迫合に至る迄勝利は足軽大将の采拝に依り候思案工夫 ひなり 第二武田信玄公足軽大将と定らるゝ各は 一横田備中 後改 二多田三八後町 淡路 三 三原美濃 四小幡山城 五山本勘介 一如斯弓矢功者の大剛の各え被申付也右之衆士府衆 同前之衆代也惣して武田の家にては四拾九騎まて預け らるゝを足軽大将と定め五拾騎預ケらるかれは士大将と 定めらる右は介添之足軽大将とて弓矢功者にして 先手へ差加へらるゝ也 第三旗本の足軽大将と定らるゝは九人有之此外出頭 一足軽大将とて三人有之此裏は当春非番の語りあれとも 一備来御陣取にも其作法以不審に 其図に云 小幡又兵衛 今井九兵衛 遠山右馬之助 曽根七郎六兵衛 矢田治部右衛門 城伊尾 一開甚五兵衛 駒井七郎兵衛同 曽根内匠 真田喜兵衛 江馬右馬丞同 御旗本三枝 第四足軽大将自然之働不可仕足軽大将に不限物頭 物奉行たる者は其役を全く守るを以上とす自非の高名を 心かくるときは其後の足軽同心頭なしのことくにて伏々の行列 を乱り進退度を失ふなり殊に強敵程崩ときは足軽壱分 人して百敬百腕仕ても難得勝利此時二手を待て勝を 可取事足軽大将の武功にあり百数百屍仕る時鞭の采拝 有り原美濃守加乱 第五足軽五人小馬乗同心壱人ツヽ取附事専一也武田信兵公 は足軽三人に馬乗一人ツヽ被附たる備も有り是故に足軽大将討死 一仕ても其備全ク乱るゝ事無きは五人を一人して支配仕よきを 双なり殊に足軽長柄有之ときは猶全きならしなり 如斯発足を以足軽大将と云は足怪頭と云と云とは替るなり 箇様の穿鑿迄も常々仕らさるは不案内之在たるへき 第六弓足軽は敵間近くなり約敷場にて鉄砲の出来 をつぐ間に敵を射するむ事也とか心得必遠く射捨へからひと 「延重按一ニナシ 他国はいかんもあれ甲州流には矢一ツ玉二ツ頭も事是千里 第七足軽大将自身之働かたく無用といふ事には非す 敵を切崩さゝる以前は無用切崩しては足軽大将自身の 傷乞せ敵十人廿人ツヽ集り丸た成りて退く所を足軽 大将馬を以て乗割り医して我組子に討せ其身と討を 馬足軽とは申也此時二ノ合戦を持か致者定て有へし 働く足軽をは首捕り足悦とも申なり 第八軍勝利之とき足軽二ノ合戦を持と云は五人に属すもの 小頭十人有を二ツに分ケ関取に仕敵敗革之時三町之内老倫 を全く立て固めん残る五人は歩足軽共に働を仕らすへし 大永元年辛亥武田信虎出於駿州飯田河原に福島と 有無之合戦之時小幡嶽寺信虎公旗本之足軽大将なる か信虎福島か旗本を切崩給ふ時山城我五拾ら足軽に射 込み下知をなし其後敵の備へ乗込福嶋か伯父山県淡路と いふ武者を討取此とき山城守兼て申付たると見へて組子廿人 斗鳥城寺と一所にはたらきて残る卅人余は三町之内登備近 立設け二之合戦を持つこれを見て過半他之足軽も如此迷 故に親方に未タ合戦仕らさる場も有之といへとも大将討死也 一殊に味方の此合戦を持てかゝるを見てこと〳〵敗争也様子に よるといへとも敵大事たるときは如此二ノ合戦を持へし 内試大要なり此時は十人の足軽頭を二ツに分ケ働く足軽 紙二ノ合戦と可定也 第九大閤戦小迫合ともに足軽に勝負の持せやうは人 気かさによる或は陰陽或は天地人足軽大将之武功に有り 進則ニ入り替り引取ときは繰引なり此を返は勝肉の もたせ様大要なり 第十城殿之時は竹東土俵之付ケ様足軽大将より勘弁 在竹束付難き時は必鉄炮の打せ様其行有へし 竹東のれつし武者奉行の下知之時其作法有り 一陣に一度の竹来も足軽大将の下知と可心得也 第十一城を乗立へる時矢鉄炮射雨の貝を可持是は 延皇按恐侍 様子によるといへとも味方討を厭ふ所なり 早陽軍艦雄略抄地 第一足軽は五より初りて五を伍とす下士是を司る 廿五人を為西一組也中司是を司る両三ツハ七十五人なり 是を一車の法とす百人を卒とす上士是を司る他 国はいかんもあれ甲州には此周制之法を以て本とす 然れとも百人の歩足軽を一人の采弁は危し右を分 別工夫して真鉄炮之打払ひ危からさる様備立尤なり 二二 一一 二一一一 図ニ云○ ○ 一二三〇一〇一〇 一一一一 一一 第二足怪立るに蹄立也麾立はつかひ付さる足軽は不 一案内成もの也五位二十五之格不定則は備立兼ると心得へし 是足軽之大要なり 第三物比に尾足軽之仕様其地形に依て様子は替れとも 勝負の持せ様打払ひ不危様ニ可仕事専要也或時武 田士大将板垣信形と信州村上之将大将楽岩寺と対陣 之所に板垣大物見を遣はす板垣尻敵の陣屋近く押 法見切らんとせし処に額岩寺是に進んて板垣衆已に 危き所に石下義湊等傷以前より危き様子を能見切 延童按起見物 其通筋を考へ物見のもく足軽を引連出て三所に備 折敷て在之所へ案のことく追来候敵を請取て難なく 敵を追通し殊に馬上の士此騎討取を味方を全く引 取事原美濃守か武功之宜敷を以如此これら或 一送足軽之仕様と思案工夫可仕也送足軽ハ地形に有り 備の立根悪しけれは味方之矢鉄炮是味方の雛と成る 庭皇按一ニ作所 森林山手に何れも武功之入る義なり 送り足軽之図 ○ 物見 一口伝 口伝 ○ 一一 一一 口伝 一一 一一 ○様子多シ依地形設之一口伝 足軽大将人衆つかふ多少五ヶ條 第一敵の口働様子をさとり其場哉取敷敵に手越 失はせ早く胴勢を引付て度々勝をうる働には自然胴勢 遅き時ハ危き病なれハ足軽多く預ケてよし 第二十人の足軽を百人の根に使ひ敵にかさをかけ我日心 ともに敵を携にするかことく思はせ敲き廻して味方小気を 付勇に懸て勝負を初巻敵中へ真先に乗込み備を宗 割歩立てハ鎗を合せ大勢を突散す俄ニハ足軽多く 預てよし 第三足軽あつかふ事縦へは袋え物弐入レ一ツ宛取り出す かことく我同心ども、不残手柄をさせ又袋ニ入るゝことく押 まとめて引退傷ニは足怪少し預てよし 第四足軽に勝負之為ゆ様を以て敵を引出し或は 夜かけの足軽を能つかひ得たる働には一入足手岩星成る 者をすたりて足怪少し預てよし 第五足軽之立様を以敵の備をまはさせ或は切所へ敵を 引入れ働自由ならさる様に仕又味方の梅を立替る事能 心得たる者には足軽多く預てよし 是を以て足軽大将に思案工夫可仕者也 足軽大将心持之事 一備押には右当番左非音を定むる也尤陣取にも如斯 足怪は我跡を押へし夫より初る一組なり但様子ニよるへし 一二千の備には足軽大鼓を申請当番之方にて是を打へし 一打様は其旗本よりの序破急たるへし但止る太鼓はよ する也是を打送る也 丁建重按一作請 三道あしくは兼る定る新衆を申付へし道を作るは 定りなり其備の立様は場に寄る付道幅細くは右当番 より押渡るへし 一口備畳ときの足軽は下野也但場に寄り人数がさす 二行也危き所に依て其左右之立様口伝 五陣取てハ足軽大将の内にて一二三の鬮取候て物見可仕 是は夜中之物見なり 六篝二根は足軽之役なり其たかせ様は足軽大将の下知 たるへし口伝有但本簿は小人中間も不苦 一七足怪大将之内にて夜事之役者ハ時の虎口尤能是并 仕るへし勝負の為様口伝 延皇按可作物見非也 八小屋落し苅田の春行には森林をむしごとり必見物なり 勝負の持様は人数次第場による陰の敵に因るは猶以如此也 惣して陽の歌ニ右の働ハ遠慮有へし物児は三者也 一足軽類之心持之事 延重按一ニ作備非也 一足軽頭と云は右に書す五人三人ツヽの頭と定る侍なり 五人を一人しての支配は仕安き義なり腐行列を乱さす五人 の後に立て敲き廻して矢鉄炮之打払ひ危からさる 様に可仕敵あひ無話しく成ては歩足軽進之難き者けれは 弓鉄炮をゝ目非取て仕味方を勇むへし此時行列を 乱すハ未練の上有甲斐なしの頭なり 一二幡屓の持守様は一組の人数多少に依て足軽大将の下 知有へし是を背くへからす矢玉打放し射出されたる 程約しく成と鑓足鑓足怪有之に付ては必悦を進めて 先キに立て靡きかくへし長柄奉行に越へらるゝは未練の 士なり 三二の合戦ほ為ツ役人ならは三町之内にて押まとめ勝負 を持へし此時自身の働き仕五人の足軽を糺さは必立 可為成敗 一ニ分ルにハニ作ル 一口惣して亡への足軽乱さゝるを御俄にわくるりうご乗り 立すぐり居すぐりも此作法に有り口伝多し 一日陽軍鑑能略略終 文政十一戊子年三月日 天保四癸巳年九月十四日 萱野春陽先生門下 中澤源親邑 一天保四癸巳年九月十四日続源豊巳晴 一続深金左信 12620