軍法卷改解 附七段備圖聞書
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- 赤上某
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- 2026-08-17T19:23:20.995Z
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- 赤上某
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- 日本語
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- グンポウノマキカイカイ
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- 東北大学
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- 2026-08-28T18:53:25.651810+00:00
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附七段備図聞書
軍法巻改解
二
七段備図聞書
合壹巻
赤上伝軍法巻解
四
荒井恭信氏ノ寄贈金ヲ
七段備図聞書
大旗小旗持小旗之事
以テ購入セル間博士
柳野亭吉光筆録画
非界奉言□書か
大旗ハ諸旗ノ真先ニ立ツ也コノ道ハ一本ニ可レ限事ナリ大経ト云是ナリ小旗持小
旗二色共一種ナリコノ小漁ハ陰陽ヲ以テ名ル間端ノナキヤウニ八本或ハ十本十四本
ト云様ニ干ノナキヲ能トスコレ配遇ノ理ニシテ人情ヲ結ベリコノ旗ノ大小ハ其家セノル
高方ニ何本ト良具ナリ
ノ数アリシ天下ヨリ領高ニ陥ヘテ衆置ク其明ニ当テ多少シ事ハ士大将ノ心況方
ノコトタルベシコノ旗奉行ニハ金鼓アリ敵ノ旗鋒已ニ顕レ地形モ能キル所ナレハ旗奉行
止メ金ヲ打テ旗ヲ居ヘ土地広ケレハ鶴ノ形ニ応ヲ立テ敵ノ方ヱサシカテ勢ヲ取リ逃ケ道ニ
ナキヤウニスルコト奉行ノ一心ニアリ若地狭キ或ハ敵不意ニ来ル時ハ左右ヘ開キテ備ヲ経リ
出サシム小山抔ノ高キ処アレハ其レヘ備ヘテ勢ヲ取ルモ場ニヨリ或ハ敵ニヨリテ能シ扨テ
敵味方勝負ノ時旗奉行己レカ役ヲ仕舞タルトテウカ〳〵トシテ居ルベキカ弥烈ヲ
進メ勢ヲ不校旗本ヲク尽シ敵ノ恩ハサル処ヘ頭ヲ転シ或ハ敵ノ下意ニ応スコノ奉行
一両人各隔香に勤メ非番の奉行は先陣に在て下知を成し前後を見計せて将陳
メ卒ヲ引ク自身ノ働ヲ厭ヲ攻ニ出陣ヨリ帰陳迠諸下知ヲ出ス役者也ト手鑑ニ
見ヘタリ旗本ヲクロマスニ乗馬或ハ小筒駅ヲ以ス胆ヲ居ヘ場ヲ取晴ニ天嶋ヲ可参事
鉄炮頭ノ事
旗奉行旗ヲ居ヘ敷ヲ取ル時鉄炮頭馬ヨリ下リ真兵ニ進テ組子ヲ引連レ旗足軽ノ
聞リ繰出ス五人宛組頭ヲ一人付ケテ廿五人一隊タルヘキコレ五々ノ数ヨリ紀ヘケリ
或ハ三十人組ムコトモアリ其義マノ古治モアルユヘ多少ノ違ヒアルベキカ扨テ曳声ヲカケテ
敷ヲ詰メ已ニ間云町或ミ町半ニ町ニ至レハ鉄炮ヲウタ多玄楽ノ手廻ヲシテ随分早ク
玉数ヲ打ヲ以テ善トス幼此鉄炮始レハ弓モ労シテ躋リセリ出ス扨テ弓ヲ射既ニ
間六七間ニモノレハ三尺手拭ヲ以テ鉄炮ヲ片カニ負ヒ抜連レテ切テ懸ルコノ時ニ頭士ハ云ニ
不レ及鉄炮頭細子ノ先ヘ進ヘミ出自身鑓ヲ以テ功名ナルヘシ是軽頭ノ簡軍ノ先ニ進テ蔑
毎ノ頭トナル故ニ足軽ハ平生町間ヲ積リ遠迄ヲ弁ヘテ鉄砲ヲ打散ノ絡ニ及冬直ニ
抜連レテ勢不抜切テ入間云髪ヲ不入機変台火ヲ遅シトスルモノ変ニアリ只戦ノ始成ル
一政ニ全体勝負ノ得失コノ一隊ニアリ弓ノ兵ニ不レ越ヘト組子ヲ耻カシメテ勢ヲ取リ進公コト
頭タル者ノ働ナリコノ頭ハ左右ニテ非番当番アリ法ハ右ヨリ始ル
弓足軽頭ノ事
コレモ鉄炮頭ヘ同シ十五間ヨリ八九間過スイフン燕多ク矢ノナキヤウニ射サシメ已ニ敵間近ク
ナレハ弓ヲ三尺手拭ノ類ヲ以テノ背カニ負ヒ枚連テ切込鉄砲足軽ニ留ラシト云葉ヲ以テ
一励シ自身モ鎗ヲ取テ高名タルヘシ其外鉄炮頭ニ替ル事ナシ
長林奉行并手明中間ノ事
コノ奉行長柄ヲ預事六十本ヨリ八十本本或百本モ可預カレトモ小頭士アルヘシ大名ニハ
寄騎抔モ可付カ扨鉄砲弓車斉テ彼我ノ勢場ヲ見テ真柄ヲ歩立或ハ諸士ノ差嵩
小頭士王不残長柄ヲ渡シ伺ヘタル将夫ヨリハ鑓奉行ノ皆支配手草長柏奉行ハ何類
何ノ役タルコト見ヘス面目ナキニ似タリ爰ニ於テ士大将申渡スハ長柄ノ内十五本或ハ碁其方
へ給フナリ人ヲ目キヽ次第ヱリ取リニ可仕ノ由ナリ依之中間ノ内力量ノ者カ心武士ニモ
劣ラサル者ヲ撰ヒ取テ件ノ長柄ヲ持セ扨言葉ノ采拝ニ其方同シ人ニ生レ今又武士ト同レ
様ニ鎗ヲ持リ何カ為ルコトノ可有イサ吾レモ續ゲヤ首三切名アルニ於テハ後日ニ重キ内宝
ヲ申下シ又モニモ可成ト或ハ恥シメ或ハ悦ハシメテ別ニ一隊トナリ武士長柄ノ歩兵ニ労ラシト
競ヒ進ヘム長柄ハ惣テ歩兵ノ数程可持事ナリ故ニ長柄ノ数不爾他流ニテ其胸ヲ
梯子ニ組ミ或ハツルベノ事ニ用ルト云ヘリ不可取用武器ヲ左様ノコトニ用ルヿ豈善ト云
ンヤ
手明中間ハ長柄ヲ皆髪其ミ渡ス故ニ手明ニナルナリコノ中間ニ申含メ株ハ其モ戦場ニ
落チ捨リタル戦具ヲ撰ヒ取テ自分ノヽノ所得ニ可レ致収テ右ノ戦具其方共ノ将テ何ノ
用ニ不立物ナレハソレヲ又役人ヲ定メ置テ大将ヘ買ヒ給フ又夢ノ手自ト死人ヲ引懸テ
本陣ヘ可レ来其働キ棟品ニ依テ格別一廉ノ褒美ヲ給フヘシ若又棄武者ニテモ敵ノ首
一杯ヲ取ルニ於テハ猶更重キ褒美ヲ可被下ト能々云ヒ含メテ励ミ働ラカスヘシ
鎗奉行之事
騎馬ノ士并長人柄ノ兵ノ頭タリ故ニ長柄ノ歩兵ニ向ツテ各ハ平生ハ鎗ヲ下将ト云ヘトモ今日騎馬
兵ト同シ様ニ鎗ヲ持テリ何リ騎馬ノ兵之コトヤアルヘキト諫ノ励マシテ競ヒ進マシム
又騎馬ノ士ニ向テハ各ハ日頃鎗ヲ持チ口ヲキヽ玉フ今歩兵ニ後シテ国ヘ帰リテ何ト
申分ケヲ致サレ給フリヤ貴兵ヨリ先ヘ進テ鎗ヲ入レ商石シ給ヒイサ吾レニ續キ玉ヘトテ頭
名モノ真先ニ進テ言葉ヲ以テ歩卒ヲ引ク依テ貴兵ハ侍ニ劣ルマシ侍ハ炎兵ニ成立
シト互ニ競ヒ進ム故ニ其鋒先強クシテ勢ヒ満テリ
士大将ノ事
行車抔ニテ事モナキ時ハ人ニ下知レテ全鼓ヲ打タシム然レトモ行軍ノ時モ不断ニ序ノ大鼓計
ヲ打ツ時ハ人情惰リ心頭ヒ余義生メ政卿ノ事抔ヲ思ヒ懐風ニ成ルモノ故ニ泣シモ作法
ニ二ツト云ヘリ又同シ序ノ大戦ニテモ平生頭ラヲ軽ク後シ重ク打ヲ左様ノ時ナトハ頭ヲ
重ク後ヲ軽ク打テ終ニ平生ノ序ニウツス勝負ニ及ハント欲スル時ヨリ己ニ勝負ノ節ハ
一
自身捲ヲ取テ金鼓共ニ可打天下ノ大事ハ抱頭ニアリト古語ニモ見ヘタリ只前竿ノ内ニ
物ナキヤウニ金銭旗ヲ以テスルコト良将尊ラトスルコト也越ヘ国ノ景虎抔ハ平生合戦ノ
時ハ二陣ニ在テ下知セリト云ヘリ前卒ヨリモ先ヘ進ミ出テ勢ヲトリ言葉ヲ励スヘシ然リ
ト云ヘトモ自身ノ働ハ嫌フ事ナリ
○長柄奉行ニ長柄ヲ十五本廿本クルヽコト口伝ナリコレミテ奉行ノ廻換アリ又人ヲ撰取ル
一故ニコノ隊モ甚タ強クメ一廉一方ヲ破ルコトコノ奉行言葉ノ采肝要ナリ
○絵奉行ハ騎馬ノ侍并長柄ノ歩兵鎮今狗頭タリコリコレモ言葉ノ采拝肝要ナリ
旗本ノ将鎗ハ十五本或ハ廿本数不レ寅ノ鎗笑頭并茶坊主其外料理人抔ニ可及
事ナリ
〇旗奉行旗ヲ立ル時武首奉行并ニ検使単目付先陣ニ在テ武省奉行下知ヲ成シ
一検使軍目付ハ軍ノ全体味方諸士ノ働キヲ見ル検使ハ士大将ノ代リ也次ニ当印
一等大将ヨリ預ケテ雨ニ依テ近国ヲ遣ス或ハ大将ノ如クナル鎧ヲ青右ノ印ヲ以テ大将ノ
自身出玉フ様ニスルコトアリ
○旗本ヲク只フヽト云フコトアリコレハ桑馬ヲ直ノ次ニ立テ勢ノ多キヤウヽ散リ〳〵ニナキヤウニクロマシ
旗ヲサシカケ勢ヲ取ルナリ
弘化三丙午年三月十日於摂州尼ヶ崎野田先生之塾中島之
續源豐迄
赤上氏作
上巻
軍法巻改解
尾州ヨリ書入
武器
六日凡良将ノ兵ヲ起スル事理ノ書スヘキヲ尽シテ已ヲトノ王歌ノ位ヲ知明ニテ能ク能ク
ユヘミ軍ヲ発シテツヽユルコトナシ是然ニ非スハ自然ノ理ヲ尽スノミ愚精其通ヲ尽ストシ故ニ
一事ニツヽナルコトツテ物ニ転セラル良将能会体ヲ憫カ夫ニ不意ニ登下自任ニシテ自ラ備ル
一是ナラシノ能クユヘナリ今日ノ修学モ皆是ナリ能ホト能ホトト達スルーモ深球人ニモイタル
是ヲ以此書三ヶ年ノコトラシヲ初ニ置ト信玄公二十日ノシ玉フ所ニ依テ後世ニ依テ微其理ニ
其意ヲ得セシメントナリ
信玄公御出陣前三ヶ条ならし事
其国の絵図を以内談之事
一解曰其国の絵図を以内歌と云事は先ツ指留て可働出之事也
又帰曰地ハ軍ノ重トスル所古賢正法ノ書地理ヲ以論スルト過タリ故ニ絵図ヲ以埋
察シ明ニシテマルヽコトナキカ夫ニ役者士卒ニ至マテ更ニ疑ナキトキハ於勝自莫クヤツ
ナク軍門ヲ不出シテ
一故ニ其国の案門を不知して軍を出すといふ事なり染にも不
一速ニ勝トヲ握ヒ農義一味自然ト備ル手足ヲいかリカコトシ是内談ヲシテレヲ調ル
道明也
用事也是政か輩にも御出陣前にと書たる疑は兼々より地の学内を知るといふ
古其節に至りて又よく知りてことなるいふ心にや不用之則は地の利に行あたり
備皆虚たるへし此利不可不潔有人問て若シ急戦の時右の趣乱斗ケ様の時か
又如何答て左様の時は其所々の郷民をして計々可知事なり
敵の人数積同強弱内證之事
一解曰敵の人武積問強弱内乱の事と云は凡単の全躰なり故に法にも軍合しうを
集と也然は人数移なさすして不叶事其積る事凡法は壱万百の高に人数
雑兵四百二万石に八百三万石に千二百と知此事を信積を法とす故に何万何十万石
と云とも右の積を以なす事よしと云是に
一此間ニ可書入時ノ貧福ト其国ノ東西南北ノ険不臣ト又隣国合体之首血トヲ可
一峯隙ト云ハ其国タトエハ西北ハ高山ニシテ往来ノ通ナルトイエトモ人数カシテ指コト
サ多ノ可成地カ是ハ陰ノ徳ナリ
過ぎの事書は可有然といへとも其国の将と所と明のむんやくによつて
一可察事也是故に敵味方に強弱可有
此地ヲ防クコト人数ウメ持ヨタエヨシ然ハ戦場ノ兵多カルヘシ又三方カ四方トモニ皈ウナル
トキハ其方入気労イヲナスタユ上ニ押ヘノ兵或ハ境目所々ニ捕置ヘシ然我ト対スル
兵少カルヘシ政往昔楠正成
これを察する事なくして軍を行事能となり
新田義貞ニ一ノ谷ノ一戦を伝授セラルヽトキ源平ノ物器ニ源氏ノ兵六万余騎ト
侍ントモ不審ニ候四万ニハ過マジ頼朝鎌倉ニ軍兵ヲ残シ置奥ヨリ常の功
マテハ未シタカハス甲州野州上州ハ羊ハ義仲ニ属ス関西ハ一向ニ平家方ナリイカテ
〇六万アラシヤ但海道不残屈セハ又三万ヨリ多ク何ラシカト談玉フ是皆其意ヲ
得ルトキハ察シ可知事也
有人問是は楽に相して我へす軍には尤左様次第一自善貌俄に越て来時親の人数
大首は右の積を以事也則はたいかいは可知事也併欲味方の強弱を合て輩此間敷
志村氏覚書に自国ゟ廿里行ハ八分役三十里四十里行五十里六十里六十里ハ四分三分
一位ノ役也然レハ彼我ノ遠逅ニテ人数ノ多ク之積リナリ
ケ様成はいかく仕よく候や如何答て左様の時はたく泣にまかせて己か人数よく
事を尽して出其人数役に倍する則はこれをわかつて勝負を尽く使と己と
ひとしき則はよく戦と云又になる則はよくのかると言法にまかせてたゝかうべし
と云し
味方いさむるせいしあらりしてさすへし
解曰味方いさむるせいしあらわしてさすべしと云事哉田家にては家中の
諸士え戦場に一々戦功をおよそ是を付置といへとも節出て家中の諸士は
勿論下々ニ至る迄殿中え召集諸人の眼前にしてせいしを被遊其文言ニ戦功ニ
一々かなん新地可家行と兼るふれ置といへとも今又改之畢ぬさてせいし
一文言に右書付出置所の戦功にかおんの事上下をいわす全く可飛行毛頭いつ
わりこれなきせいとう如此と有之諸士ニ被下各とこれをちやうたいし
于時上より公此大実をあらはし御見せ被遊下もとして其分ニさし置
いた〳〵して各々又れん判を以一ツ番指上る其文言ニいわく一ニ今度戦場ニ
おいてきやくしんの心さし毛頭さしはさみ申間敷事二ニほうはい
を見すてましき事三ニ何事付ても戦場の義ニそんしよりも有之
候はゝはゝからす可申上候右三ケ條の心持相背におゐてハ神文橋上ヲ可申直レ無
三ヶ條合戦備定之事
一味方簡よくして敵の立て是を致す
解言味方備よくして敵の気を見て是をいたすと云事此句俗の形をよく
してといふニはあらす己か今学所の軍通段に尽しきたれは自然と事ひ
一変に応す故に敬におふては彼かあらわれうずく所に恐るはこれ速にして
勝負あらわるとこたるも然は是右いふ側よくしてといふは形の事に而なし
心細と見る所は学ひ得る所の軍道に有とみて
敵と勝て味方を計二三よりもこれに勝らいさくとも数を以敵一ッに
九ツ迄とおもへとも五ツ六ツ迄ニよし
一解に云哉勝て味方を討と云事先ツ敵勝てといふ文学を敬かゝるせんと見る
よし故ニ味方を討とおしへにくたす事也又二三よりこれに勝と云
二三ノ奇兵囂と変し言より鬨をはつしてかゝる所に歌ノ臆客と
合する事自然の利也これ以勝といふ文章をかゝるとよませたり又ちいさく
とも数を以といふ心は先ツ甲州ノ儘ノ跡ハ縦ハ人数ハすくなく共一個を三ツ
又曰敵勝ニテ此方ヲラウツトハ向ヲ備テ雑戦ヲ与タリ公是ニ戦ハ畢竟卿ヲ討テ討ト第
一ナルヲ教奇正ノ眼ヲサレアラハシ又教勝トハ故老ヲ取テステニ呼方ヲ討レトスル勢
ヲ自ト言出セリ
軍治巻御覧書之内
一夫婦武者と云有是は如何仕候を名付候や
一今云五人絹ヲ古来ハ二人申合さする法有し故ニ夫婦
武音と云たると見へたり別に深意なき事也
一宛に帰候得は先陣二陣にて九段の痛となる是
正成ノ切紙ニモ一万ノ敵ニ千ノ味方ニテ切勝ト云事書ヲケリ
を合する勝は越るへと云是故に三たん二所九段の備と云故に先陣一備を以も合する
一膳ツ残る戒と成さて又ケ様の時甲州の膳員の位を取事数一ツに九つといふ
其心は敵一ツとさしたるは敵の大将の胸を見るへし然るに敵一ツに九ツ迄とおもへ
とも五ツ六ツ迄ニよしと書たる事先ツハ敬一ツに九ツニてハ不残事たり乍去
一此敵よき働の勢所以か右九ツの勢にて味方不足にや五ツ六ツ迄によしといへり
又其心は先陣二陣兵陣左右脇向旗本如此五ツ六ツの州ハ不破と云事なし
といへる事也
一敵よ〳〵浦を立堅〳〵ハ是味方九ツ迄にして向て又損を用せめてハ
六つ迄にする
又穂ヲ用ルトノ義又ノ学眼よリ不尽学抄達ノ作用単ノ全体皆横之向フノ所
形は堅立にして魯泥白穂也於処又横ヲ用ひ不尽ナリ正中奇又奇甲正変化
一無窮変ヲ以実解ヘシ是志村氏尾州眼部貞好ヘ紙ニテ名ナラレントモ返書也
一解言敵よく備を立てといふ心は先ツ敵は将軍に痛を見る事なり又堅くと
いふは爰にて得てかたんと一へんにおちたる故なり或最の位を知所にや是味方
九ツ迄にして向て又横を用ると云心は行なりに敵に味方の先陣軍の横
を用る所寄也是故にせめては六ツ追にすると伝らしるは六ツの海右を当り左り左りを
に当り替〳〵当事奇兵当て並興となる此正兵へんして奇兵となる
或いつれ迄て此あらたらんにや九ツ迄にして向て又横を用るせめては
六ツ迄にするとは伝たりと云く
大将三の再拝
一常に自国他国共ニ武士之手柄の忠節忠功上中下能判之事
解に云常に自国他国共に武士の手柄の忠節忠功上中下能裁判と云事
先常々と云事大将たる御万箕道をおゑりなく心もけられよとの事也
又自国他国と云事世に申ふるゝには敵のびはたんすへからすと云也然るに
其能事をもこゝにつらねて敵味方共ゝ武士の手柄の忠節忠むともにいよく
裁判の事也これをさつするにたゝ見つからのわたへしをさことのみつか
是故に武士の手柄の忠節名面上申下の分かよりく批判におつへし如此松を
御門て事を被成置所以には後日の戦功被遊に御あやゆりなく其功
被成全かるべし云々
人をよく見知りそれ〳〵に役を申付る事
解に云人をよし見知り其れ〳〵に役を申付ると云事大将の全体也故に
せん国ニは惣軍の上下をいわす已に近付るいかれこれか意地をしるへし路世には
一人をよくしれは万人もしるゝ事たく己か私を信する所に有故にそれ〳〵
役を申付る事其のりにたかわつたゝふせつと会かことしと云々
武士の忠節忠功手柄の上申下ともによくせんさくして三段に
おんをくるゝ事果合ともに三の角拝也かくの桶へあしけれはと
段々すへノ句ハ書のことしと也
一断に曰忠布忠功武士の手柄の上申下ともによくせんさくして三段におんの
くるゝ事是右共ニ三の再拝なりかくの通むしけれはと言事尤以大将
たるへき御方は古忠節患功よくせんさくして是に応しおんのおこなひ
人々の忠を治たもふべき事第一たり故に其しやうこしやうせきたゝ
しきを以剃する事也但しそれのみにかきるへからす其事のたゝしき
にも貴不貫も有大首物にたたらふる所あれは其功しるく物也又忠節と
忠切と別なる事軽重そ〳〵はくたり可察事也又未の句の事いふに不足し
事なりと云々
一御旗奉行に再拝をゆるしたもふ事
解ニ云御旗奉行ニは再拝ゆたし重もふと云事此氏かり殊に聞なし
候得は奉行の意術にせる事なきやうにもきこへら得共左には無之
して再拝と云に二ツの品有一ツにはことはの再拝二つには手にて振用
一拝政に意置のと云は御大将の外不用事也併右の役人にはこれを御免し
寒成して不叶事也夫と云に此役者行軍ニ一番先を仕役者たり故ニ此
一役者論的の再評所めして不叶然るにこれに再拝免さすしては
忽勝負の図かはつれ味方に備立やきやうなし是故に立等の用料を免し
給ふと云事也且又本文ニ言葉の酉科とはなく候得共たゝ再拝とおれは
一言楽の酉拝の事なりと可知と也
一武者奉行は大将と等再拝等持して叶さる事但剛すく
なき名斗口伝
一解に曰武者奉行は御大将と等用拝薄して叶さる事但しかうすくなきは
名計と云事此奉行の大将とゆひきり再拝発して汗とは
一此奉行道は御大将よりの御下知をうけて周拝を取諸卒え其御下知を
くたすか全体か役なり然る所に此奉行突持とひとしくと書たる
事于時此役者惣倫を立ると否や一はへ先に立て勝負をうかかし得者
なれは勝負の節をうかかかふに大将に其節に至て御下知くら事は右いふ
ことし君また大将節を見えしたもふ時にそ君命をうけさる所は
其ことの図かはつるく所以に彼か直に再拝をせり下知るす其勝負字を
はつき前のが根の節自然と有之所以に兼てこれをゆるし置たら
を以御大将とひとして暮を伝たり常は宇知を用てこれをなす
故に再拝不持して不叶事といへり又切すくなきは名計といふは此後者
打死すかか病死の時替りの役人を被仰付にケ様に軍の功者民者家中
にもまれなり然るに切すくなき者に被仰付候得は無卒不用之然ともよに
又無之時の役人に名有者を被仰付也其石有者といふはその身家高か
御家門の内を被仰付然間是女をは御家中の諸士も常にそんきやういたす
所以に是を被仰付候得は諸人役儀ほとは不存候得とも右の役者の部
事無是非も用る所以ニ有之を以被仰付を以功すくなきは名計といふ
伝なりと云々
一御大将其下侍大将足近内之頭迄不存して三叶事
一日相圖の物見之事
解に云相図の物見と云事凡ケ様の節其次第二有光り一せつハ行事ニして
備をもふけて勝負を決せんと待か〳〵る所にたゝ今貌何ゆへ哉らん其教
十町前致さして鋪をとゝめ不成其時味方の大将ケ様の変におふて其
軍になす尤有亦なす留さる御きりやしの御大将有り然といへとも直ニ
かゝつて軍を不被成先か物見を被遣と也夫と云は彼は大将公爰に応して
申可被成御きりうにてはや御人数を進め押出御成とも装革に必殺生し
たとい大将の意に吝まかするといふ共其侭に舅の勢つくましきかおろかなる人
には其自然の利なり次に物見を遠きて物見民者の働惣軍に是を聞して
味方の意を養て其縁に三千て軍を出したもふ則は必軍可為御勝利
然は又其役か働いか様に仕を大将士卒の可遂再拝にこれを取たもらへ
や然は先ツ物見或者の金体或は武者振か肝要也故に物見武者の製はケ様の
時一人なり依之くわれい成出立をもつはらとし馬の無合ゆましなく乗
付る大将是を御らんし彼を御同め被成口上には士卒に向てあれを見上子の
一乗合にゆひ其根合ば物しかなと御ほめ被成候得は無平何れもこれを見て
一実は物なれたる振合と見す所にはや家舎二町組江乗り語り語りたり実は
是を見るに二町の内へもくり入て見るをよしみす夫じ云は玉のとらき
うらかく場也然は其間二町ニ不及してこれを見る則は玉のもとゝかさる場
なれは爰におゐてはたとい其形彼か明に見ると。いとも言十何も是をまことに
せき風事是又人情のいたす所也夫と云は敵の打玉の勢とゝかされにおく
したる心指と見なしては何をかはんつへし抔とさみしまそにせす故に
ケ様の物の物かんは二町を内へくり入て見るをならひともす但し此程にても
何をか見つへし抔とさみしまとにせす政にか様の場の物見は三町を内へくり
入て見るをならびともす但し此程にても見へさる事ありさなる時は一町
迄も乗込て見るへしたとへは玉数ひ雨のことく打立ても其玉のあたると
云事たへてなしと云さあつて物見敵の虚実の形をよく見すまし
其相囲を立たる方へ右へにも左へも一さんに程も乗通し爰におゐて味方
をまねきかくる大将は是を見とひとしく図をはつし再洋惣軍ゑいやと
しやして押かゝるに大将しつかに太鼓を打て遥々たまらん時又物見は敵
陣江是も又しつかに乗通し右の次第か又形変するかをよく見て其
子細を又右之こと〳〵乗通して味方江告る大将はいそけといふ事なりと
いよ〳〵進み破の大数を打たまふすてに味方の桶もはや二町え及時は
物見己か役儀はとゝけぬさすれはとけ自分は今の案内として何方え立て
人のあと云立にあらす故に己馬より飛あり鑓取て味方のみ先かけて
進むと武士の本意とす但し又ケ様に押掛りてこれを見るに敵に
二つのとゝまる所有先ツ右のことく物見に是を見する事は敵地を取つて勝間に
決せんには彼か心にまかする事右のとし又簡に自然の虚乱なる所以に
進むへき軍さまる事桶を費へに立なをさんとゝたゝまる所に物見来て是
を見る時に又敵の角の内に何有勇士有つて設をうつとらんと近出勝負へ
を決せんとするに物見いました己か見る所えめしならさる内は黎名乗
懸ク追ふといへとも乗はつし〳〵幾度も無違物見みす出して此幾度
味方の大将へ其見る所の委事をとらけては武士たる者か敵に度に押付を
見せて旦分にさし置事なし故にはやく取て返し敵と随身を
決すべし此節のかうめうを重とへ鑓にてつき妙せ首を取ても是を
組討のかしめうと云惣して組討三たんと云て馬上と馬上の者の勝負
を組打と云又大将の首を取たるをも組討のかうめうと云此金体の勝負
よきとほんそめなる事先ツ馬上と馬上の者は者頭或は後八たり故に家来も
多ク可付か全体也然は勝負は六ケ敷とうりなれは依之其功を能と定む
大将との勝負は猶以右の心也又物見の勝負へ敵味方がんぜんにてはれ〳〵
しき所の働ゆへ絵討のかうめうといふさて又敵の虚実は覚る事虚陣
と見るは先陣なりとも二三或は旗本側の乱を虚と云又貫陣と立はたとへ
先陣乱たりとも二陣実なる時は涌実と見るべしと云々
調図小はた口伝
一所に云朝国のたと云事先ツ敵はかゝつて来る事は待軍なり既に地を
もふけて出るといへとも地形にさへられ敵の人数のため知る事難叶故に
一撃のたたを遣置て自間桶を出すに士卒地形によつて勝負へ近うか
がう事人情なり是故に大将士卒に向ていふ何れの方に契りしを
一書置たり是を振や見るべしと知らする時士卒各他事に心なりし
此はたに心をうつすはたを振や〳〵とおもふ所に勝負をみやふくめり
然ぬ旗をふりこれとひとしく大将里をあけ給へは士卒各一同に図を
はつし敵と相掛りにかいつて勝負へヲ決すとなり然るに繋のはたを
遣る有たる所以を見るに敵押来る人数のた歩も難計は地形のさはり
有之所以に敵の人数の多く先立て知らんたんため相寄のはらしを遣し立たり
これを知りては勝負の事其子細に可勝事いか程もとえんし候はいかく
物見四方に心を付る事
解に反物見聞に心を付ると云事先ツ夜は地をとつての証軍なり味方又
かゝり軍にして押来るに其間二十町前後をも隔て先亦備を爰にもふ
けてこれに先立て物見を遣す事地のきやうさう伏なとの有恙なし
をたゝす事全体の働物見の又絶也氏に物見被仰付且身の立慢し
は是を見る地の全体の広狭敵仕方爰におゐて勝負の残り合かしこ
に至ては伏の有るなしこれによつて勝負の虚実地のきやうさう
不残是を見るに馬乗切千鳥かけ或は十文字にのりわけ敵騎負ひ拍子を
事ニ東西南北ノ地の形によつて海のたて横等を計之或は伏持可有之と察し
所の森林の遠近其広狭物のかたたしき所にては馬乗わけ〳〵其勝負口に
見きわめとつて返し大将江うつたゆる事明に道臣或は内辺の謀なして
大将江これをうつしかりにも己か功を不可立敬味方情を計所専たるへし扨
又千鳥かけに馬を乗る事あなたを見んとてこなたにしるしをなして馬を
それ迄ゆとしなく紫切則これを見るにそこにたゝいして見べからずの
輪乗をしながら四方に心を付て見る事に習有こならたを見んとてはあならし
にめしるしなして右のことく馬を乗付たゞいせずして是を見る事
其場を開きて見されは地の隠易良狭によつて敵味方の備の虚実群
如此物見するを以物見四方に心を付るといふ意味なりと云々
一祖父事也縦人数崩れてもこたへ家道有味方通合に負にけ来時は給奉行
馬ゟ飛下り旗下手を懸旗さしの中間にけたが家をしかりきつとこたへ
母先ゟにけ来る味方の者共に見知たる者の名をよはり詞を懸日頃の広に云
もにあはぬぞとこへにけ綿そふみまれと下知をして暮者にも旗に手を
掛くれよと願中間共に共にけたりとも侍斗に而旗不残あれは人すくなくは
三本にても旗備の場にこたへし時は二のみへは勿論諸手へみゆる味方の旅行の
志村氏覚書
こたゆるとみへたり其内に二のみつく二三ゟ是に勝す
侍氏共之妻かくの族至て荷物へ入もたせたせてよし又五本白き
別の無りんのはたの旗を荷物に入ル
又五本白き
敵味方とも働時物にはた備後の事
解所に云敵味方とも働時持にはらし備後之事先つ行軍に大胆士旗持ふはらくは
惣備の真先なり但し歌味方とも働時持さた簡後の事と云はすてに道
のりはいが程もあれ敵の旗頭の見ゆるとひとしく乾奉行大はたにはた
押立ると持登た左右江押開丁旗押立其形一文字に一野に一覧にも二かわか弓
にも高世則体の間に体を入ると言習のこと〳〵小はらたを立と則奉行しよは
きうしの太鼓の内を打か押留りねをうつて惣浦江是をしらしむる干つてつ
ほう足軽鋪より段に人数くり出し是より旗本人数くり出せはおのつから持にはた
備後の事となる其益先ツは罷成儀大にくろむを以勢と寿政に教味方共其訴
第一と用事也きて又大胆の術味方の惣甲にあらわるゝ事は持ふ薩の
術所以テ天ト云は大旗を以惣隔を右えむけんも左え向も進めんも開くも
とゝまるも此大旗の術の形によつて悪車の働事皆天はたの所以也
然とも大はた一ツの形の変するにて其子細見ゆると云事なし故におはた
数多を以其段に自由をなす形あらわる故に是をはたの手と云て不不不案とし
志村氏覚書
茶衆と取合之得上方牢人渡部人兵衛物見に出乗しを案衆物見を
不知に笑其儀に城伊衛門出て乗られは甲州衆ならんとおめしと也
虎
◎
⑧
④
④
幅乗は情を落付へき為輪乗の面目当をしてよし是彼我の目所になの
はれわさ成故何程から来しもはちる気味を出くるにてはなゆれとも
はちておくする事也首有然は物見にかては或者ふりのせんさく斗心懸物
見の役義をわするゝ也夫故右のことくものりをする内に心をしつめ様子を見
届る也扨此いきを不知はわのりをしたりとも武兵ふり悪かるへし又何程
このりなく直に帰りたりとも輪乗走るゟ此旨を知たらん者はふり見れど
へき也
一ニ敬の応色人数多少地形成べし
敵人数隠義御大将諸役者内通の事
解に云欲人数かくす義御大将に諸役者内通と云事先ツ味方始も軍武軍
也然るに味方段々押詰来して敵味方具間二十町前後にして先ツ爰に
味方紐をもらけて先立て物見被仰付物見武者乗出しはせめくりこれを
見て直に馳帰て足大将の御前え出て物見の次第は指至大将の顔を急度
見あけりし干明大将も是は内通と思召候なりさあつて後其次第を申上るに
地形の次第さては何れの所に人数五十も百も是は自分の眼に及ぶたけを申
上旬に今日市町へ出る者共に候をらん郷人町人と見へししとも五十七百貫
見物抔相見へ罷在と申上ル大将きこしめしてそれは其方の見たかへと也凡
其辺ニは敵の武町の兵あるへしとおもふ所案にたかわすそれは敵の武略の
哉し也と被仰れは言草これをき下候るはたゝ今見て来者の申事
いまた見さる実明それは其旨の見たかへと有之事何とも難得両意然
とも殿の御意にてそれは兼而御思慮の所也と被仰候得共定而勝負の御心当
は気を左あれは敵にもおとろ〳〵へきに不有又物見の申所にてはいよ〳〵よし
と存候得は勝負の事あやかくすと云々
一計薬文の認様一字の事七件の事
解に言計策文認様一学の事七件の事と云は先ツ仏の名七ツを以事々の
繁ヲ定る直其事の一学を以通しおふ事也然る時段ハ数我国江年
さかいめの城を攻るにこれへ早速し己後詰に来て城と其間一里二里も
へたちて先ツ爰に陣のなしてさて城へ何々の勝負への内通の文字を悉い
時右之一学を以是を通給に敵此間に居て右計承文をはい取る然といへとも
敵是を取て其文の分ケ所知又味方ニも相図なくして敵江うはわれたる事
もしれさる也故に二の相図有夫と云は右のふん〆遣し可相届刻限の損
ておののろしをいへつあくる時又城にもため文届ケハ其約のろし
をあくる又とゝかされは是又其約ののろしをあくる也主将或はす事
その中をかくべき謀に右の文字を遣しうたかいをつくるを記すまら
を以文のかまゆると云計策文総様と云事也云々
退歌陣取散見様事口伝
所に曰退款陣取散見る様ら候也と云此司は互に今日封陣の時比然るに此所を
引取か又此所に陣の取かを物見するに先ツ時節を計て出る事日中に
及比こと時節を怠る可知夫と云は敵もはや陣をなすも引取も此道也
政に先ツ退と云も日中に及ふといへとも昼飯をも各しよくせ義と存給
の荷物もおろさすして馬の一つをしめ歩行立はわらんしの緒をしめ拝
する則は今退敵と可知又此所に陣を取ははや時節来ては厳給候荷物
をもおろし諸卒も昼飯をふよくす又さう人はら陣具を取に
所々に立はたる則此所に陣すると可知然は此分を知りては敵の退時は其相
図の道をおこのふへしきて又敵陣を取は其相図を以味方の痛引かけ
敵に陣をとらせすしておしかゝつて敵を追散すへしこれによつて
敵味方のそんしき有に是をいふ時は先ツ敵退に至ては味方今爰に陣を
取か引あけむより二陣を取は味方のゑき也又新興所に陣を取には常の
の浦大鹿たり故に押かゝつて勝負を決せんには可為勝利是頃に敵のみん
なる事多しと云々
戦場においてかゝる家数しさる敵見様之事
解に云戦場におゐてかる家戯しさる戯見様といふ事是を物見するに先ツ
敵かゝるは敵の繍谷はや手々ニ鑓おつとりわらんしのおくしめ馬のくつ
をもしめて役人には馬を引かけ抔すこれをかゝる敵と見る又ふさる敵と
いふは本陣にはなき扁ふ町三町も張出して鋪をもらけて陣をなすは
しきる敵と見るへし然はが根のわけを見る則は狗か心の働にはかたる知の則は
早く今辺大将ルこれをうつたへ大将にはつみをもたせ敵のうこく
所に先しを取るは是物見の益たり又志さる額の則は物見のり返し大隅えうり
たゆる事歌の先掛はひつかけの働と有見る事本陣と一二の浦はなる事
五町も三町も有之は浦の絵に過たり然る間其地形を見れは五町三町を通
所は足入也故に敵の計所楽の勝負見つる所にして引かけ痛みだす則は敵
一必おもよす味方追不屈し進事は一条味方の負へとなるへしさすれは
弥対陣有之後の変を見て勝負は決し可成下攻に敵の先掛本陣へ
しさるより外無他事なるはいかく
一矢蔵栖楼に数のきさみの事口伝
解に云天蔵栖楼に数のきさみと云事也光ツ此天くらせいろう城の時は何ほとそく
うにても是を矢くらと云又陣やにては何ほとけつこうにても是を栖桜と云へ
亦是に数のきさみといふは先ツ城或は陣屋抔より国さかい迄領内の村果所々
に有り然るに敵我領内に来てほう火乱亡か或は小屋抔江夜討のこゝろさし
にてひそかに来らんとするに目の内は其目と敵も難成所以に夜込をこのみ
て来るに馬場美濃守是をはかつて右云政のきさみといふ事らいをなす
文ト云は右に有之ことく矢倉或はせいろうに数のきさみを付善蔓へ何村へ
当るききみ無里へ当るききみと段に斗置て則又何れにものろしの数にて
約を実へ置にすてに又献来て誓偽をなす故に段々の祭のことくのか
しをあくる干時馬場是を見るに夜るの事にて恨の働に大方は知るといへとも
分明に難知其故に右数のきさみへ大竹のよのふしをぬき置て此よのすい
より右之のろしを見るに眼の勢外えちらずして段々のささみに或はれは
これに当る也是を大竹つほさまと云故に七平の気まとわす是にひしと
当て出とみて
敵の働様にて遠慮之事御伝有
解に云欲の働様にて遠慮の事と云いふ先ツ遠慮と云文を安くあもん
はかるとよかへて文字の心を以教を計見れは敵の可衛四節必大旨しれ
べき者也于時高坂ゆいつたゆると沙汰するは惣して此事を用たまふ
へき方は事の文字をかなにかきたる文字をなをすとす事なかれと得聞ク
かりそめにきゝなせはくちもんもふにきこへはんやる立入てこれをかん
からる時はよく伝へたるぶん也夫と云はかなをたゝよみて見れはかなのきに
ふたやうによめばいれそどうたひ生えさすれは惣句のさりをよくたして
見れは其道理中なり又学をかなになをして見れは息事はるかに違し程は
是は字をこへにてよみしをよみによめは句のきりに叶なり故事にならすして
御伝遠慮之事
これをかんからるゆへに我かものになる尤不埒の伝といつへしや神
時節を計可出
節なしは勢討出間敷
節出るは軍弱
敵を見きるに壱人より上之事口伝
朗に云歌を聞んさるに壱人より上の事と云は先ツ敵を見切に壱人と為たるは敵の
大将をいふなりさて見切といふはその大将のすき婦所の善悪の是非を問
を以これ知る所こそ全躰上なる所有之なり故に壱人より上といふ事也此上きす
所は敵将より味方の大将が上と云事也
敵地働山手の事
解に云敵地働山手の事と云事故国山国の時は敵に先立て土地を取り可働
夫と云は敵先又我に立有て出て地をそふけて味方を得則は鍛錬方に勢有て
貌のさはしよの地を敵を追払といふともつゝきて追事味方叶ましきは
敵の後の地形難計攻に一はいの勝負味方の勢不叶して右へくどの勝負に利
を得と云とも味方の情のたるむ所え親返しなは味方追放されん事にたかい
有へし是故に先立て地を取つて働則は必味方の勝利うたかいすまし
然る所以は敵も我地といふとも味方の後の地形の有なしか難計故ニ是も
一はいの働不叶人情にたるむ所有へし然は山を取つて勝首を好則は
初終の勝負へ不叶して可失利こゝを以敵地働山手の事と意也
上巻終
備之事
中巻
くり引仕様
一瞬に曰くり引の仕様と言は先ツ此句は野掛の合戦の時楽の勝負へ事のうへ
まつさんし鋪引揚に此節いまた敵の間近く故に倒る勝負へ持て
引時は僅くり引たるへし夫くり引の仕様は二浦を以是をなす為二の手を
以敵を押へ先陣引取又右の二陣引取先に引取し先陣を以敵を押へ二陣
引取也但し備くりなりに押へ引也是をくり引の仕様と云
一城巻ほくし様の事
解に云城巻ほくし様といふは右のくり引の仕様と同断にして別に替たる事
あらす然共同事成り其名の替る馬事は野掛と城との分にかつて其縁を
三つてとなゆる事也故に野かけの掛口はまりかくると云其心は敵と直に勝負
決する所以に取出馬と云又城を攻るは言葉を巻詰と云其心義と直越
不叶所次に味方の人数を段々とくりいたし攻つめ〳〵敵のかこひを打破て
直戦決んとて備宅つめと云此縁より計て引取明は巻ほくすと云
くむ事
一解に云くむと云は勝負のうへにくむと言然近き勝負はにし然る事然負へ
を組合ては書にてもたるむ方まくるなり決に己か家地を出るより敵に合
勝負を変して己か家に又回陣まてめしもたるむましき位をしめ
さんとてくむと云縁を以勝負を握らしむるなり凡戦場の事は敵地
味方地と云さかいを立一さるは勝負への全体の利たる所次に此くむと云おしへ
をしるすと也
一敵と組合する事也縦は景虎ニ高坂家康公ニ山形
備たゝむ事一頭え五頭也
解に曰簡たゝむと云事惣る光ツ押前の繍は先衆何れの
伝授是旧武衛陣也甲州ノ教也衝陣ノ説ナシコヽロヲイテアラハ又爾タム云ニ
備も可鉄砲頭二ニ弓頭三に長柄頭四御鑓頭五に士大将也如此五頭
テ勢ヲ全ク取は公コト尤財句也頭へ類ハ則罰也得レ之則ニ因テ更ニ而事
を以一簡とす然に押前に有て是をわたにこすゝ川向に貌あらわれ侍軍と
見ゆるは勿論地によつて敵わたりの向に自下無かの分明ならるるの路に簡
たゝむと云背を以可越夫と云は先に立鉄砲頭の立間地の並に跡向頭痛を
ならひて節に至てる頭一道に川を越故三浦に向頭の人数はなれす是父に
敵もし何れの頭江取かゝりても其すくひ自在々也故に出形を開
たゝむといふて立に長き俑を横に又長〳〵立て人数を自在をつかふを云
さて又川向に敵無之時これを越時は各押来簡の侭にて先にの頃より段々と
わたるべしとなり但し先く頭わたりても其行なりに簡押まし〳〵
して跡浦各に是をわたりきる迄先々何れも座備にして諏勢待合一備の
五頭都合して押前すべし政に何時何方にて敵におふといへとも一条の人数
はなれさる所以の法組也
志村氏覚書
是は我場にてたゝみゝ様也め此
中の二を横にぬけて当れは
足軽
士大将
大将士
旗馬旗長柄
中の二を横にぬけて両れは
馬籠
あとあくにより能教也敷る
大将
あきてよし敵なが物見来て見て
あきてよし敵方ゟ物見来て見て
あきてよし敵なる物見来て見て
も中のぬけかん事たゝみて居事は
も中のぬけかる事たゝみて居事は見へ
すたとい見知たりとも横におれは我も情を
足軽
うほふつり合能ほとにまはる内に敷能
なる也
一山本勘助前原筑前日取破事
又曰天官ハ俗心ノ深クヨル所人情ノ常ナリ就中発生死ノ境ニノソム節疑ノ生ル源
解に曰勘助筑前日取破るゝと云は先ツ信玄は多様の日夜時取
世政往古聖賢民将軍ヲ発スルニ至テ天臣ヲ用ニ甚信ヲ存愚將ハ天臣ニナツミ
といふ吉きやう抔是と被成事ニてなし惣して良将のはたへ
一良將ハ或天官ニシ分イ或天官ヲ使フ攻大ニナツムコトナシ信立公賢ノ的意ニ従シテ
は物事すて寿としさる事に御なすみなきものといふ然るに
取ヲ用ルニハ天官ニシ劣ヒ節ニヨツテ破レ之天官ヲ使フ也於牧野散貞生ハ未ク下ヲ用天公ハ
信玄には前原筑前小笠原けんゆさいと云て日衆者両人迄召至
一破レ之其機以一也此書ハ武田子義治ヲ以教ヲ後世ニタル故ニ甲州ニライテ直ニナシ玉フア
るゝ然る所以は愚風裏十の養のために候至れ何方江も御座
トヲアラハシテ往昔良將ノ意ニ叶フ数ヲ後世ニ遺スモノナリ
かけ天成もよ出しこれ有時は右両人に吉日の日取鳴取被仰付則毎人これを
かんかへ吉の日取明取申上る信玄きこしめし直に勘助をめしても背は
一今度戦場の単に可残吉さやうの日取来る或日大吉日と残入す日のうへ
尤さそあらん又勝負の上に此日取其義に当り候やいからと被仰付勘助
急度かんかい申上るは日取の上吉きやうさそ御座候半乍去勝負は此日二日
三日もおそなわりしことならは敵も勝負はど斗て可出然は敵地を先立てさらん
故に敵にせんつき味方なん戦に可及然間これを計るに来る義日こそ残員に
の義と奉存候なり但し士卒屋一にして両たんのうかかふ所に又衆前さ昔は
一日上去日これなり只今又勘助申嵩候所は然の虚なる節に当る日也然ば
日の上の去日頼むにたらす故にせいけんの言葉にもてんくわん時日にん
しのみととなへり候然は勘助被申所勝負図に当り候きてんくわん時日を用る
も可勝の寄本一ッ也然るゝ其申上る日取今勝対に当又勘介申上る所勝負の
図に当り候得は元来此吉日を御やうに被返事もひつきやう御勝利のため也
然は勘介と申所の日積犬吉日なりと筑前其利に己か利を破るを以各に奉存する也
むすふ事
一解に云むすふと云果に栄心のむすふといふか利の自然よりかるなり夫ト
云は敵味方の勝自たゝけり合する節に至てはたれ其味方ひころは敵々
のことくたりといへ共其期に望みて味方を相すくらん事一恩の内を不分事爰に
おゐて君のため己かためと思慮に及事自然となしたし是天利の自然
なり然るに又爰にむすふと号して事のおしへの法とす故に又ぞくに
軍心のむすふと位をとつて味方の簡はなれさるを以軍の全体とす
政に味方の偏自然と又はなれたる時むすふ也むすふと云は味方の先陣
抔との山をこすかきりあつきか夜ゐんに各見へさる時二陣より図をはつし
候へは先の一手此図を合せらし互に何れいかなる所を知ると云事也
法度入不入事
一解に云治度入不入と云事先ツ治度入と高は泣のたゝ敷を以是を行則は
事候に順す故に治度入と号する事君にしたかふは是道也又法度不入と又
絶を立し事君の下知く自然と事の度時其事の及旨これを用則は勝員へ
の図をはすさす故に君又法度入不及と法を立たし唯逆皆其命と也
一敵夜軍自国他国にて替分別之事
一解に日敵夜半自国他国にて替分別と云事夜夜軍をなすに自国
の時はおもふ程の働すへし又他国の時は其働かるくすへし全体の
勝負地の利を以順逆にしたからは勝負自然の利也故に自国他国勢州
といふ事也
一押太鼓之事九字ヲ表ス他国如何もあれ信其流は如此押と渡るに
よする又作法二ツ一ニ序二ニ破三二急口伝有是となへ失たる時の
為しるす
押留るによする
一解に曰押とまると云太鼓は行軍押不戦場有へて味方の備出しゆく
内にそこにとゝむへき用事の時これを打つ泣也故に其浦前統可被うに
とゝまる也然るに乗薮の打様今時の太鼓式はとうしやう大鼓のことくこき
さみに次第おつて音高くはちあたりつよく大まかに中ころ迄うちてん〳〵
れより又次第おつて音ひき〳〵改其ちあたりもやはらかに打末次第にときさ
みに打留る此義二へんもうへへも右のことくうつなり是を押とまる大数と
去きて又よする太鼓といふは先御国を出る時ゟも陣窟出来ツ各之浦を立るに
皆座備にしてすてに又押前の節に至時も陣中戦面すへて涌出し高
秀時此姿の太鼓を打決に各之馬に乗り歩立はこらんしのおくしめ何れも
一用事を調へ事とゝのいて序の太鼓を打と各おき立押前の歩行せさて
此節の大戦の打様右おし落る太鼓の打様に替事なしと也
又作法ニ二
解に曰作法に二と云いふはあけの太鼓の事これをうつ節はすてに味方敵を切
崩し追詞をもいたす時其勝を七分迄は追討させていまらし二万言のも
味方の勢有之節右之大鼓をうつと也打枯数は二ツ宛つゝけてうつに其
はち音合くつよく右をくり通〳〵五度も七度も打ひつきやう味方ニ
此太鼓のいろ拍子はやく可知様に相事せんたしとなりこれを仕法に二ツと云大数
のうちやうなり
一ツに序
一解に曰一に滞候立大鼓は行軍押前戦場に至る迄不かし静に押行鳴是を
うつ也其打様は云より二ツうつ也但し相様先師自身のたくらんを以打出
せる音拍子也其間拍子は初打一ツははち面軽く其音等に路にうつ一つははち
音たかく大に打也但し又戦場にては二ツ宛つゝけてうつ事其間相程
よく打つゝけ勢を取る拍子肝要なり且亦行軍押前等欲に対さる間は
押前に人情を突鼓にのせてほかうをさせ落軍の気を引たて其気を
たるませしと計りうつ拍子也夫と言は大鼓の折様右兵ことく初打一ツを
かろく小音にうち後うつ一ツを大音に前後へよくきこゆるやうに打
事さてこれて打拍子相は歩行向間十間十五間にてもあれ事の情の太
教にはなれつべきたるみを察して是を打時人情をひかんためはしめうつ
一ツをかすかに人情へうつし人情に又は是を呼むる節茲の一ツを大音にうつ
これきかつて各其気を自然とひきたて勢げんせさる大事の程迫子の太
鼓也これを序の太鼓也
二つに破
一解に曰二ツに破の太鼓と云は行軍押前戦場に至迄ほからはやぢ道たるへ
き時これを打て其うつ数は右より三うつなり但し打やう右公ことく造師
打出せる也音拍子は初め打二ツをはち当り軽く旦音にに後に打一ツを
はち音たかく大に打也士卒の歩行に乗つてうつ雲平は又太鼓の拍子の
つて歩行す出なしくこれを拍子は息相州息頭二の内二の息次く頃の
はつみをたかへす打拍子なり是を破の太鼓と云也
三ツに急
一解に曰三ツに急の太鼓と云は行軍押前戦場に至迄歩行急に歩行ぬむ時
これを打也是もちより四つうつ法也但し打様是以先師打出させ音拍子は
初め打一ツをはち音大につよく後にうつ三ツをはち音ににかるく打也士卒の
歩行八太鼓の拍子に乗て歩行す同しくこれを打桐子はおのれか息相
其息二ツきの内二ノ息次く頭のはつみをたかへず打拍子也これを急の大衆
と云なり
切崩太鼓
解に曰切崩す太鼓と云はすてに勝負の節に至て大将是を打也但し折様其数に
かきりなく其音大にたか〳〵せわしく勢に乗て具拍子を打事大将大さる
の以さあ切崩せとのたもふ節右三大鼓をうつ也是を田崩大鼓と言然る是迄
を七段に打是を泥み太鼓と云是たゝ今の大戦の姿の姿かゝり太鼓とまりかね
あけかいと如此緒を立替重り心端的に此義人情にうつりてよしとなり
然るに又七段の太鼓の辺なへ失ふたる明のためしるすとの事此義難斗但し
云まりかね物の貝の可入美に有て右至様もし其場ニ無之明右七段の
一門を以たんてきの図はつすましとの了簡ゆへかと也
一侍大将足軽大将詞之再拝二ツの事
馬上にて敵味方扱別よけれは是にて味方勇也
解に曰馬上にて候言は詞はさしかけたる勝負の物と見ること也常の習の
詞にあらすさて敵味方。粗別よけれは是にて味方いさむなりと云事天の
為を事ていふか或は風雨のしきりなるをいふか人数の痛立あしなを云か
地の利の空へをいふか此事によりて敵の可乱利を味方にしめす則は是に
て味方いさむなりといふ事尤しか也
二ツに見きり也右二ツの再拝かくのふんなり
一解に曰二ツに見切也と云は地のせん悪をよくまて其利に乗所こそ直に見切る
勝負の金体也かくの分悪けれはたとへ。各斗所の里に叶といふ共勝負へしやう
かるへしこゝを以右二ツの再拝かくの分也これ見切なりと云之
陣取の事
万円是は敵国深く働時夜合戦にあはさる陣取也もとより軍法に大よし
但し信玄宣ふは拾ヶ国迄は此陣取可然又二拾ヶ国より上は旗本定而多勢し
なるへきとて魚鱗の陣取と名付て一ツあそにし置るゝそれは信兵兵
一御文之馬場間徳内藤陸理正山孫三郎兵衛高坂弾正左衛門尉小山田弥
三郎中ニ被仰渡余人は存ましきなり大軍ニて此陣取になさるゝ月
御旗本斗りの事先衆は何れも方図の陣取よかるへし陣取に付たる
一本鏘二に捨篝三に相詞は夜々に替るやシ恋しき五に帰りかくりかくのかく有
一解に曰方白是は敵国深く働時夜合戦にあわさる陣取也と云は先方衣と
正時は小屋の外かまへかく内陣の小屋を丸き形に尋より故に小屋取りの
すみ〳〵にくう地出来て小屋の人数俄に働にも人数こんじすして働よし
又敵国へ浅く働時は敵よりも勝負かくるに其利うすき則はおのつから
かゝる事なし故に散悶深く則は歌自国なれは労味方にして其利よき
所以に夜討可討可打事全体の働也爰を以これにかたるましき覚悟有な
す事故に方亀の陣取よかるへしとの事なり又もとより軍法夫に
よしと云は軍路ニ大ニよしと云を軍法ニ大云よしことなゆるかよしとの事也
又信玄宣ふは十ケ国迄ハ此陣取可然又二十ヶ国より上は旗本有て多勢なるへき
とてきよりんの陣取と名付て一つあそはし草亭それは信玄父は御実なりと
三事十ヶ国迄にて右の陣取被成候に初夜討かけ候ても右言やく豊島筋なり
川
十分
一旧二二二二二三
外方
内方し内円
外方
内方
内に道を立てくつろきすると外にするもの違也是は内京外方外高内方のちかいなり
に泊候こんらす又二十ケ国共領する大将は旗本他商勢なれは惣軍勢と打込の陣
取被成候得て旗本大勢故惣隔こんして悪敷是故に籏本計惣縄にはなれて
小屋可取とて其取様の御屋形を見舞と名付とひそはし置るへ其形をして
おもて正面二人数かさによつて二重ゝも三里も幾重も人数のかきりたへし
本陣の窟ニはたゝ御直羽目と御勝手の役人斗の小屋積にして加へのほう
とてさゝかきなし然間本陣の昔まはし所々にかゝり其間には大小の
挑灯有て番人迄にして夜辺なしの小屋たるへし故に其用心馬へし
となり如此被成とも御旗本斗の事先衆は何れも右方図の陣元よるへし
と云は先衆は何れも小勢といゝ一手切にて他の痛ましい事なし故に
旗本計りとなり又はた本とても小勢の時は肝要也大勢ニしては四方の
備に取つゝまれたれは痛こんして旗本手に忽はなりかたく黒栗美
の上にて被仰出たる事也
高サ尺なと
一師三大智如此也此土居ハ火も
つほませ歌付もよくみん
陣屋
□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□
為也陣屋虎口ゟ敷一町
たるへし
□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□
一ツに本かゝり
解言本再と云は陣小屋の虎只町も前にたく也但しかゝりたく場見
の手のと〳〵どいをつき其こくちの方の六物見のまと有へし難く
番人は左右のとい脇よりたゝなり番人は替々勤へしと也
二つに捨かゝり
解ニ同拾再と云は其場所は人馬おふきやう自由なり方に小屋より五三町
迄も隔ておのれもゑるやうにまてたく此方の如方にせいろうあけ番人
これにかゝりのひかしを以敵の来を物見すると也
三つに相調夜々に替と云は
解に曰敵によつて一夜の内に二度三度も可替夫と云はを目に定たるを夜明
迄も用則は若陣内に親となれあい者有之候得は此相伺親えつけしらする
時ハ味方の相伺益なし故ニ勝負盗負となる大事を定るこれ絶也是故に
夜に替ると号して右云と〳〵夜に度も三度も替則はたとへなれあ
いの間志有と云共此事つけ歌是を知るといふ共敵来て右を用いんとする
ともはや替たれは敵の利筆中かゑつて己かあたとなるへしか也
四にあんじき
解に曰あんしきと云は大将の小屋に有又といふは諸番人実持通しの道是より
次のまえ此役人の外通事間敷其場の左ニは敷物をしかす土間にすめ此定後置
一也故に所々の役人の外いかなる間者すつはと云とも其故にしのひ災あるへき
手たて不叶必是を用事尤よしと也
五ツに士大将衆かりかくのたう有
解に曰士大将見かりかくのたう有と云は者戦物奉行抔番所を勘明番屋を
用にしの竹を以これなすには竹一本を後先をときり旁へ餘りの間数
りに竹をまけて先を土え押込て是を出入の定後と左右にも小竹を立て
又是をも少々まけて各入口と定たる川へゆわひ付て是をなわるくわん
せんよりを以くも抔のゑをはることくからけ付る其上へこもむしろしふ
紙抔打掛置て通路迄をいそふはんやなりと云々
一戦場にて備立同賦之事
御旗本前浦裏駄奉行繍脇縁後繍先衆一二
之先衆師三先陣出て備場へ行座備にせし次ニ而陣簡場へ行つく馳
小屋出の未拝専一也餘滴泊之
一解に曰臺を出て備を立ヲ備賦先蕃に先陣の涌出て本道よりめ各の方え
問て御旗本偏の可立場通り備たけ先立て儀を立則座備にす次ニ二陣
事能程に出て是も右今問筋江出たし浦を立事右同断立るしたかつて御旗
本備は本道を押行也是以爰に偏を立に則座鋪にす若歒何方よりも
不為に出て駐本側江取かくると云共此跡ゟ出る味方旗本江掛る敵をや
ふる事不叶かへつくつゝから詠勢へ大将の涌退こまれ負となるへし故に
爰を計一二之先衆先ニ出て横ニ立て備ル所以に敵不明にかたし是を破り
んニもつゝきて出る薄行なりニ直ニ横ニ入べし是又右同断の外質也
是より右のとく旗本他立ルとつゝきて前誦はたもと備より罷出し
備立る事右ごと同断也次に番駅備からし旗本浦の跡に備ゆる次は脇
備両とも出て小荷駅備跡の方に高次は発浦出ても三百め此段々小屋を
出るさて備中出郷迄右の一二不動居して後陣出郷痛座倒に立院と
此時二陣右の所を出て前涌の先に帰立る先陣もつゝきてなる蒲も
先に立て是も中座備にす此義惣軍立経て柱本にてよする大鼓を打と
惣軍勢歩行の仕形に及ふと又旗本にてしよの太鼓を打と各一同に歩行すと也
備立様は先旗本を能かけんの場所に立る所備は旗本に付しし坂に一度に出て
立ると前備も旗本にて二浦に成二の軍を持て出る是一度にかゝれぬにより
跡先の様に書けれ共へんとつくりを書にも一学の内に筆の跡先有様成
去也先旗本と前帰遣し立し時若シ敵来れハ大将難由何に御座候故
残りの備皆々我先よと横に当惣様軍を持也
扨厳駄奉行備は早く立度し也先番絶乱ては貞へのすいそう也其上
小阿駄は馬にて剱を立る事早く不成により籏本と一度に出て跡の能所に
海を立る漸に惣様備を立て仕廻し時分に初ゟ立懸りても立侍迚也夫衆
一度に書たけれ共一度にはかゝれすみ番めに書し也扨脇浦は旗本の沼
取続て立る是を施手に続て立る也当然奉行は前浦脇住居中に
とりあわす旗本と一度に立る也扨後海を立てそこにて一の先衆論を
立ると二の先衆桶を立る也右七偏に遊軍を入て八陣の絞り〆備を
入て九備八方中九陣にて八陣のつもりと也
敵を引掛る合戦には
先衆の内よりあいしらい勢三手斗
解ニ曰先衆の内よりあいしくい勢気斗と云事此あいしらい勢足軽大将
或は足性頭の事也又先衆と云は先陣二陣三陣を去さて敵を引かけると云
勝負は先敵味方相済の時敵能地形を取携をもふくる所次に其勢をつし
き息せんのとりもとし勝負決んため又味方勢のたるむましきとて
先衆の内より薫ことく足軽儀三手押前の行なりに幾を引かくる豆端
的の働不弁但し其働先をかくる一備にう鉄砲を以恐しやくもなく打替
いかくる時款もせんをとうせしとおさしかへる時は先きの一手自然と崩るゝ
敵もこれを追拂ふて引拂とす二ノ手つゝきて又弓鉄砲をはかけ打けくひ
つき親是にしたかつて追おろさんとすかさす追かくる政に又自然と尋るゝ
敵も又引とらんとすれは三ノ手喰付初中終あけ立すして終に引掛大涌
を以勝負を決せす若又先の一ノ手最初の弓鉄砲をいかけ打かけ打かけて押り
かる時敵地形をはなれすこれ又弓鉄砲の働を以勝負を決せて二ノ手
すかさす云つと押あかる節一の手と三手を以契をきり崩すへし此道がう
りの所に虚実有事を可弁是政に絶に先衆内よりあいしらいせせみ手耳
と也三手を用る事不可有不潔と也
遊軍いか程も是信玄流浮勢也
一解に曰遊軍いか程も是信玄蔵院勢也と有之此軍は後去のふち人にあらす事人
ともなり但し牢人といふとも他の者にあらひ信首御家中の諸士の子とも
一兄弟の御ふち不得者共なり自然と又他国者も有然とも其以内以しよ有之
牢人者也右牢人共如此も戦場を勤めされは一生牢人也又戦場を勤め
其功あれはめし被召御主人となる故に彼等か親兄弟として勝手のなり
次第にこれを勧めさする信玄物もくれすしてめしつれらるゝが人数は
多きかよきゆへに将軍はいか程もとなり故に是信玄うき勢なり。扨此
将軍の引掛に被遣候趣味方の勝負の位は戦場の期も未不来は其町間違に
にして親よき地を取て勝負味方に其利うすき所以に彼の遊筆を
引かなゆ敵を引出しによけあいてなり彼将軍はけつきさかんなる若者
ともこれへ行程にして勝員を喰合せすといふ事候つしてなし夫と云
は右云所以の者共なれはなり勝負の程拍子の事右云足軽頭の働て同所
の意味也と云々
一小荷駅奉行筒本大将程の人尤也但シ味高地は先夜地にては
跡也退則は又先へも合戦なきには大形の奉行も不苦口伝
解に曰光厳の奉行備本大将の人尤也と云事実釼継向には難人の多く集る
海なり其上総軍の諸色此海に有か故に敵是もはい取候へは忽想備の事とゝの
わつして紋の本たり其上また敵ノ間者入よく殊になひ能き備也政此奉行
かるき者にては物のくきこときかすして備こんし其故に右いふ事の上親の
勝利せんたるへきよつて奉行の位有を以これをかさむれは年のうゑ静
にしては必ものゝ法色も立て我間入事も不叶勿論これをうほう立不可
叶政に災為程の人尤也こと云扨又味方地は先敷地にては跡なりと云ふ事な
味方地にては此備さきへ押前を奪す益有夫と云は
又曰半側駄鮫ノ下ヨリシテ望ムモノ也味方ハ心元無ク思フモノナレハ自ニ聞ケサルヽモ也
文ニ慥ナルヲ奉行ニスルトキハ諸六十ツタカイマシ三軍ノ災筑疑ヨリ生スレハ少ニテモ
疑アルハ大ナルソンナリヨク〳〵奉行ヲ可撰也
真先義付なれは雑人己かゝか情かひけておのつから静なり静なれはおさし
めよし鍛は歌これをばいとらんには味方よりこれをふせけは敵のはい取
事も不叶役に味方地は光となり又敵地にては跡なりと云は先々にて
敵を追拂利なれは跡に押すへき事よし故に貌地にてはあとなりといへり又退尋は
又光へもといふはかへる地は味方なれは先に声なし然は徳あやからすこゝを筮
一時は又先へもとなり扨合戦なきには大形の奉行も不苦と云事此節は敵と私ほくは
懃を攻つふかしたらん時はよもに敵なけれは何のやうしん迄故に合戦なきには
大形の奉行も不苦といへりきて又此書尋給論を引掛用年味方闕地江深も
働に親おあわす味方には勝負を好むといへとも越めへて出合す然間彼に利を
あたへて是を引其利をあたへ是を引事其全体の虚なくして又額喰
つかさる所以虚を計に小荷給備の引取かたき地形にかゝつて引取是爰の
備もなはる所の自然の虚なり故に契食付是をうほふへしこれらの引掛
せい智の謀といふへけんや然るを計て後貞を決てと此儀を以引掛るはかたい
なりと云〻
小荷駄しるしの事
印はのぼりに大将の紋を大きにして一上に染ぬきにして付其次に小存清
奉行の紋を付其次に小荷給主の紋を付小荷給主の紋に書に付る名主
書付て何も小荷駄印とすのほり也
触に曰書何給したしと云は其一手〳〵大将の馬な下を見ゆ〳〵の書跡奉行
是を支配して押所のれつを重ゞす此金体なりさて尚給印古引掛の
一ツの身にしるせり故にこれを計て見るに尤心これらの謀をせい智の謀と
もいつへし夫と云此に荷給備を以契を引掛んに金神かなの意勝負を
とか〳〵に平好所以有之を以不出を味方此備を敵にあたへて心引掛レと斗
事元来此細歌に菓われ候得は味方大イ成負景と成年自然の利也
故に此備大事の前の細なりこゝを以厳縄奉行ま御大将程の人尤也と云り
是故に敵前を計て引かくるに金体の利を以これを引に奉行物を乱して
引は敵これをまことにせすまことにせさるは元来此奉行は能しか此奉行ことなる
事そんしの前の事然は依乱すましきか奉行め常なり然を聞乱たしては
事とるへて不出又これを不乱よく引取れは奉行上手なりとおもふては出
故にこゝを計るを以せいい智の謀と云夫と云は右云こと〳〵倫を不乱して全く
引取に右の浦に書給印を奉行計て此印にふる不形近付て引取を思える
候にわ他の形全く見へて実にたゝしく見る所も右云小落能印音いが
付て見ゆる敵これをさつするに縦は下戸と上戸とうつわ物に滴をたふ
〳〵とうくるニ上戸は金躰己か好所以に自然と是はこほさす又下戸は全体己これ
を嫌所以に自然と実へにしていやさに是をおそ見てこほすケ様に人慥に
そなさる自然の利から見れは各敵前を引取所次に大事の前とそんし勇気
をはけむといへとも親の前なれは六ヶ敷地なれは自然と内心の弱気が光た
にあらはれ歌ふと見ては今の形たゝしきといへとも内心のあつるゝを見て
はいに駕事貴又自然の利也ケ様に引出しぬれはこれそせいちの陣と云
自然の利よりまことの道を計によつて敵の出事無疑と存する事也と云々
備大たゝいの事
一広き所にてはくわく
一解に曰広き所にてはくわくと云は地形広く故に全体の面の形も此地に相応
所以に広所にて公わくと云但しくわくの備にもかきるましきためにや
一題事ニも涌大たゝいと其事にかきらす事たりと云々
あまり横不房所にてはきよ
一解に曰此ケ参のわけ以右三ことき意味を以是を見る則は地に依ての簡の形を
いふ事是以海大たゝいと其事をかきくす事たりとみ々
山えかゝりては蛇
朗に白山えかりては地と云事凡山地は其道全躰か道せまきか自然の形也故に
地形も亦形是に相応所以に山へかゝりて地と云是又此形も是にかきるまし
さとにやまたゝいと其事をかきらす事事たりと云々
遊軍ハ軍ニも可然但し所ニよりて也
一解に曰遊事も可然但し所々よつて世と云は簡の形段々分類といへとも
款味方の勝負節に望其今可当其図をたかゆる事事自然と有故に何れの
備よりも其可当図を見たる備より勝負を決せんため倒の陰を是も
定むましき所次に惣備を極軍と定置故に前後の痛に事をあしきう
心指なくして其勝負の図をはつさず故に極事ハ軍ニも可然し也又但シ
所によりてなりと云は其地形せぬきか炭なる所にて橋の不被入所にては跡より
正をむすはんにはこゑを以合先にて奇の商を可働すとよや所によりてとは
書たりと云〻
一手別手一手
一解に曰一手別手一手と云ハ段々の痛奇正しゆんぐわんのはしなき事六ゑり
然る所以浦数に有といへとも期節によつてきわまりなし故に道によつて奇中正
正中の奇有是奇正しゆんくわんのはしなき所以の絶也是夜に全評の奇止
一ニ而二ツ二ツ而可也又是を二めさんとて手別手列手と計たる馬事也と云々
一足軽は矢一匁二ツ合頭くる事其口伝
一解に曰矢至二合預くる事夫と云は先甲州の足軽大将は足軽五十人も七十も日も
預る故に鉄砲斗り預からなれは弓の入場にて端的の働不叶政に口軽の数を
わけて其方ノ一弓其二鉄砲なれは其一頭にて約両の臓員は自由たりてはよし
又五百にて打鉄砲も七十にて打鉄砲もたく可度二度に打たり類と事なし
鉄砲はたゝ白堤十挺よりたくならひて打事凡なし其故に鉄砲斗なるは
大に成るそんなり勝負の趣雨をいふ時は勿論悪しとなり並二十三十預る
異怪ハ鉄砲迄にしてこれはよしか様の積りの時は其一鋪の内ニは鉄砲頭らひ
と用也事よしめ此其緒を定むれは矢玉合預る勢も右のこと〳〵二頭にて
一働も其勢し弁也可察之事也
五より初廿五一組也大海も自是する御伝画し
伝授同五ヨリ初廿五一網ト云ハ品ヘ鮫ノ絹合ナリ世上モ足軽ハ先ニアリ弓鉄ノ迎合ヲナシ
解に同五より初廿両一組也大仙も自是する事又と云は先五より
扨迹ヨリ鉄兵兵ヱト弓鉄ハ左右ノミ開クト心得タリ場ニ依テ左様ナル節アリトイヘトモソレモニ
足軽頭ウカ〳〵ト脇ヘヒラキ見物メアランヤ足軽ヲ先ヘ立ルハ仮旅ニハアラフヘ互ニ敷ヲ
他のおこる所以は天性自然の利よりおこるは外火土金水の
ヲ公ル内ニ弓鉄ヲ以カケ引色ヲミテ直ニ軍ヲ入立シカタメナリ故ニ甲州ニハ五人ノ介隊足軽大将
トテ先陣ニ追ハ士大将ニサシツヽキタル衆ニテノ足軽迫合ノ内色ヲ見テ足軽ヨリ直ニ
五ッ也然は是に位を付て見るに奇正の二ツ又是を形に取
軍ヲ入初ルナリ巌ニ足軽ハ大事ノ働也故ニ廿五一組ハ足軽ノ建治大輔モ初ルトシタル第モ大
備モ是ヨリスルト云也
れは魚鱗鶴翼二ツ又勝負より見れは切とつくの二ツ也故に低立より
初ると也此数をあけて五々二十五にして是を一組と定至る所比に如此例を
有れ前後左右八方共以勝員の見つる事ままことに自然也是故に大便と
いへとも此法を以申する事亦自然と勝負そなわる所次の法也
弓は早き勝負也三一を以する
一解に曰らは早き勝負也三一を以すると云事夫と云は縦は三十も有之
足軽を干と二十とにうと鉄砲と二ツに合て具りさをくるに先鉄砲一はなしはな
す内には弓は二筋もはなす勝負にとく有之所以に弓ははやき勝負也三一
を以する事然は三十とも有之足軽は必如此分たるか勝負には利也と云々
又世上一統ノ誠ニ鉄砲ノ多粟ヲツク間ニ弓ヲ以ツムルト云事アリ此大成アヤマリナリ先鉄ハ
クリカヘニスルハ絶コトミ攻ニ五人絹ヲ分ルナリ弓ト鉄トハ業ヲツトナル間数ノ所ハルカノ違ナリ
然ニ鉄ハ遠メハサヲナス所其間ニ弓ハ六七間ノハサヲナス力ヲ以テツクハンニハ是ヨリ大ナル
ヘカラス負ヘヲ引ノ頂上ナルヘシ弓ハ早キ勝負トハキシナルトキ弓息用ニ立力ユヘナリ伝授ニ曰
全体銀袍足軽ハ多ク弓足軽ハ少シ是甲州ノ治ニシテ今日本ノ通法トナルタトヘハ競転ニ頭ニ
弓将一頭網ニテ鉄コウノ通合ヲナサンムルニ又日鉄砲ノ業攻十四五間ノ前後ニセリソハルニ至テ
弓ノ兵ノ出ルコト大格ナレトモ既ニ敵合コミナ間ニヲヨヘトモ弓ハ敵合述ツカサレハ放サルモノトテ今将
鉄将ト一所ニ鉄砲ヲ下知シテウタスル側ニウカ〳〵トシテフランヤ弓将ヒノ業可成ヲ考ヘ
楊ヲツトムル役弓ハ紋近ニテノ業トテ弓進ニツレテ鉄モ張出〳〵相極テ下知シ打スヘキモノ
ナリ然ラ公ニ自ラ勢ヲ巻シテ通合ニ契ノタルミナリ鉄弓ヲ以セリツメ〳〵サセシタメナリ
又畢竟弓鉄モ早所ハヲナシ業ナルハ鉄ノ義楽込カヘ一枚打内ニ弓ハ二敷ミ或モハ古トモ
飯ハ人数多キユヘクリカヘニ打セタルトキハ打タシニタユミナキハ同事也然トモ手ツヽニ成テハ
クリカヘヒスル間ナフシテ只一枚ノ勝負アリ故ニ弓ヲヨレトス三一ト云ハ業ヲ以論ヒテ勝負ヘ
ノ徳ヲ知ラシムル者也
人形入形
一解に曰人々と言事夫と云へ先ツ人々と一組入々と一組にして此夜を二行に帰をくみ
都合に及蔀よりてつほうを初むるに先人形のの面の五の玉を打出す是を
左一と云也右玉を打払と入形のへのゐめに打ひと是を右ひと云如此打つの形
跡よりせり出す程の形なれは是はせり出しのてつほうと也故に三度可打
時は人形の備への五の玉打かす又四度可打時は入形の縁の人の五の玉打かす又
五度可打時は人形の論の人の五の至打出す又六度可打出時は入形の備のへの如の
玉打出す又七度可打時は人形の海のへの野の玉打かす又八度可打出す入瓶の
人のやの玉打出す何程にても替々如此打と云事也是あまり地の横ひろからさる
明如此きよの形にをもふくる事也
連解に曰此俑の立る形はくわくの形なり夫々言は其地形広き故に矢玉の働に
一数多く不用して其勢とりかたく所以にくわくの備也但し二かわに
したれは必せり出す形せ改に上一から玉打掛ら跡は二より張かし玉
一一打出す事上一打玉打擲落をぬかさす張出し打也をなかけしほと云右
一一二玉打払二の玉打得右めてつほうに玉こみをなすこれより段々段り替り
一打て備押詰る也但し又鍛は其地形広けれはとて必くわくの論に旦形も
一広く立されは未叶と云事にはあらす故に何たゝいと事たり先は次にも
一方同広所にてはくわくと計しと也
クワク
ヨク
解に曰独立ノ形はくわくの形也さて此側の形にて鉄砲打根右のかたより玉相勤
十五はなしはた〳〵打擲と右の方え何れも五人ともにこほれ候得は此次の
一五人右こ内連たる五人の跡江出る時又其次順に其跡へ出て其跡江右こほれ
一馬五人来て備こゝにて玉を照也又歌の左の先の五人は大天はん但玉
打拂とひとしく玉打なすこれも五人なからはた〳〵と至打払と又
ひとしく何れも是は左えこ内れ候得は次の五人こほれたる跡江出る
是より右の仕形に不替備をもふけ玉打事段々いか程も勝負の
程と存候是はせり合玉と也
一朗に曰此側の形はきよの形なりさて此儀の形にて鉄砲打根一番先に立ぐ人玉打
初五人なからうちはなし則其儀の後えこほれ候得は左に立他の五人共に段々と入
魚リン
一
一
玉を打出す時又其頃に備ゆる五人は先の場え説かくれはくには口こ同またる
一三人其跡え参て玉を次く右入替たさ五人何れも玉打拂右のことくこ
一ほれ候得者又右の方より入替り玉打出す時は其次の備先の場江詰
かへれは又こほれたる五人其跡え来て玉を次く也是より右の順々
に備立替〳〵玉すきまなく打也是をきよのせり金鉄砲と云也
解に曰此編立の形はかんきやうしと云扨此形に備立る地形はけつして地のつたり
たるせまき所にてせり合てつほう打に先に立く人はた〳〵と至打拂時頭
荒
一
此次に立たる馬五人の覚へ軽はや詰よせんとはつみかゝるに右五人此道は玉打
榊とひとしから其備たる真後御こほるゝ故に其次のはつみかけたる壱月
一一れたる跡江立てすきまなく玉打出す是より其跡に詰る
行一是によつて右こほれたる五人足軽惣の跡に立て玉を吹く段々
右のことくに備を立つつ海をこほきつける事尤其順けたりと云んし候
無之
一二三四五六七八九
1111111
解に曰此浦一二三四五六七八九文九八七六五四三二一と申たるは先は此儀は災明の儀と也
然る右事く高形は後世のおしへのために是をし類せ夫と云は賢祖の浦の立形は
一ツは鉄砲二ツハ弓三か長柄四ハ鑓の兵両は御大将六銭の兵七ハ遣物八ハ弓九鉄砲と如此
緒を立事実将の前後如此儀也前後如此何事前に勝負はと可持明は勿論順の
備立也又暮に敵出れは何れの役者もたゝ身をねしむく迄にして其敵に対
する事此端的是を後に堀返しと云此地返を後人にさとさせんとてつからん迄
をしるし九が一に変する事をしめし置れたりとそんし候ハいかく
遊軍浮勢也是は先衆
一解に同杜軍浮勢也是は先衆と云事夫と云前に引掛の役者になしたる
遊事これなり但し又彼にも又爰に出したる所以は此遊軍狸前は勿論彼
等か勝頂にます不至内の涌所御太将の近所より外に可簡所なし鍛は牢人倒の
事なれはしつはらい備所尤か併彼等六つはらいに備候ては大将かれらを用たも
事も輪的の勝負に不叶第一は御簡中ニはなれては其他見たりにして加照川
て御側のらんのはしとなるへしかた〳〵を兼る実将鋪の近所に至なる故に
一実持の事をしたる物江あらせし置たり是故の事ニも実将と彼等
何とにつりをなして置りさて又傑を先衆も立事牢人倒なれは何方
ニもたゝ先を全体との本意とす故に先衆と申たりとそんし候はかいかく
下巻
あいはゝ義楽其夜の用言は急に用る事可心得也
敵かうつ花か見なる水か水山か山日かにち道かしる
如此雑人の言よき事を養凶に任たし作なり信玄公の祠言葉関東越後
美濃み河もろ〳〵の歌地にて後は存たるに御他界の富ね前よりは敵か
ふくべなとくも作り申也能に信其公御料先つよ〳〵して酌たはかりて助かり
度存らる末代にも思召候へ如件
一解に曰右相立毛の段々如此さう人のゆいよき事を吉凶に任て作れと云
事まさに勝負へをうみ出す約的の朝なりはさう人のゆひよき事尤は
なり是吉凶に任せて作事勿論よしさて信玄公の御言葉関東越後
美濃三河諸々の敵地にて後は存たるにより御他州の万年前よりは我かふく
べ抔とも作り申と也実には右の相覚ふ年をへては右の国々にて聞知事可成
故か後は敵かふく通抔は作り替其申候と也然は候様の相言業は後世にも可然
存しは先かけ立置等事々にまきれす其敵なれは其言葉は已にあたり
て先ツなつむいろ有事人情なれはなり又味方にかけては何れか聞ても少も
なすむまし亦かけ言葉の事其節とてもきわまりたる事もなきと聞
へ候はふくへ抔ととんたることをしるせし然は後世にも此心を以うけの意に似た
も当座に心付たる事を用よときこへ候き尤しかなり又能々信意公御滞先
強して駅たちかり助かりたく存たると末代にも思召候へ如件と有之事まに
信玄公の鋒之つよき事終に御帰の破れさる文言繁之者也
城を攻るに
敵出る不出見様の事
解に曰歌出る不お見様と云事先欲室と察するは城十町廿町前後に段々と
手拭有之則親出るに利有是に不かは愚也亦歌出ましと察するは城丁町此町
前後に手拭の地少々有之いへとも其間四五町とも物有事きれては我等
は懸也是に不出は尤可也不可有不尽有之
大将御順見の事
解に曰大将御順見と云事は敵城二三里に押詰て先陣を取さて城近辺の
一地形の様子を御順見宜成事也其節事に功者成者を一人も七人も其外
上下廿三十人もめしつれられ遠々と順見可被成事也悪の城家の弥入兼し
是指当利也可整然は是をさゝりと只一目に順見被成内にも右切者成者共
とは段々ひてかに御相談はこれあつて小屋へ御立帰有つて諸士諸卒をめして
是より城迠の地形の次方様子をこま〳〵とも為仰聞に書丁是を承ては御順
見の様子を見まして御大将の御口上といへとも各まとしからすしてうたかいの
はしたといへとも明日にも押めの日に御再評はたゝかく見にかけて見るか如し是
故に呑愚なりと云へとも御大将をたゝ人とは不存故に後々の再拝れ全く
これにしたかふ也然は御順見の事たゝ今にあらす常に御国にして能々可成事也
故に此義たらくも御一馬に有之則ハ御大将の意ニあらすと世の人はいゑると也
竹たはねうしをいわねは人損す
触に曰竹堂はねうしをいわねは人そんすと云事先此竹たちねは米倉
丹後と云井利左衛門同心のに頭たく見いたすと也時節有て小笠原長時の
旗本かりや原の城主を住其政つぶし被成ぬ物て用之旦後松山の城を
御役敷候時も是を用るに城の城きは迄行たはねを以仕寄を付に洩たみへ出たし
此たけた其ねに土をかへる時さう人ばう多くうたれたり此明又横田十郎兵衛も
抔きわへ出かし下知をなすとて鉄砲に討れと手負たるも此時盛にさらす又丹波
計えてうしと云形をたくみ出しこれへ右の竹たはねをかく見付て仕事
を付所以に此已後人のそんする事なしと云さて又此竹たてねの仕様と
右のうしの仕様を云々先ツ竹堂尊ねは行大ゆひねも有之と木抔もやくもやく司ま
八りも有之を用に竹等もに其長さ六七尺積りにして其廻りさしわたし
無尺程にたはね申す也是をたはね申時横にはり等を入てたはね不申候ては
矢さま切事不叶是迄さしてゆふへし舟うしと云は
一師云高サ六尺横六尺ほと
くるたる三角の物二ツ立置
其間六七尺にして上にむな木
持歩行に持よきほとよし
をゆひそれに横等をも二所ゆふて是に右の竹重はねを段々とすき酒なく
からみ付て其内より是をはこひ仕度を付ときく也
ちやう林
解に曰ちやう林と云事先此ちやうと云文字を学に書部時は常と云ちやうの子
を用則はつねに有之林之用事何そ大事戌曲輪の外え見ゆる此曲輪を
外江かくさんとて林を付置等のゑた年にはひこりて旦林しけりて故に
右の曲輪抔ノ城外江見へさるために城内に用之事也きて道林を攻る方
よりさつするに人しち曲輪の或は立根くらか何そたからをつる直くらかけ
様のたくひたるへしめ此知しては鍛は人しち或は女中曲輪の時はたゝ人情を
可授手段よし又其外に物をつみたるくら抔の時はしのひを入てやくへき手立
尤よしとて不可不潔也三ツの物物人医曲輪立根資蔵水ヲ手古等来より成る
三ツの植物と云
一栖楼揚るにくみ様有
解に曰柚機あくるにくみ様有と云事夫と云は先ツはこせいろうと云は其形物をむす
梯
井楼の多くに段にとくみあけ是を用るに其大きさサ五六尺方にして是ま
我様
をきり矢玉をかくる又ひし也二ツを以くみて城内の様子をうかかふ有又ほばし
らのことくはしらにくる里を付是を立置人をがこにの勢て引あけ城内の様
子を見るに其あくる所はこせいろうは何方にあけてもよし但し見べき所は
節のさつしに有はしこもはしらを以見るもえ玉のかゝらさる所にこれかくる
城内にては何ほとそさうにてもこれを立倉と云又何ほとけつかうにても城外
或は陣小屋にてはこれをせいろうと云板又しばかきとひやうをいつきあくる有之
をきよゐんと云と也
所よりて金城是も穴ほる計にてもなしこんれん有子細は堀様の
一杭図多しそれによつて大工も金塔も信其公御領分のは案内者也
一解ニ同所ニよつて金掘是も穴ほる事ニてもなしと云事金堀を用るに穴
ほる計にて此役者益うすし故に穴ほる計にてもなしと云故にたへれん有
と云事穴を掘り入といへとこそなんそ其両る所もふけて堀入を以掘やうも指図
多しと也御領分のは案内者也云事しのひを兼たる金屋なり是使の前により
しのひて城内の益不遂知り可堪之に指図多しそれによつて大工も金掘も
信玄公御領方のは案内者也と云大工の事も凡しのひを兼たるとの事也又所に
より穴ほる一円に用場も有惣して金城は穴同而一やんのもの也信笠公は
彼等を用たもらん所によりて穴ほる計に用たまわす有也
穴ヲ垣ト云ハ専ラ山城ヲ責ルニ用ユ爰ヲ掘テカシユヲ責ンカタメ也是故ノ情ヲヨセシ
カタメ也故ニ旧州ノ大工省シノビヲ桐カネタシレシアリト云又ハホリヤリ指図多シト云タシント
云ハ敵ノ難義ニシテ請ヲ引様ニホルナリ俄之へ差寄サマ〳〵アリ故ニ信玄公御領方ノハ大
ユ金地トニモニ些我ヲヨクカツテシメ後々ニハ切着ナリ穴ホルハカリニモカキラス敵ノイタムヤ
ウニホルナリ是ヲ以ミレハ山城ハカリニモカヲルベカラサルナリ
安康公大坂ノ役ニヲイテ甲州ノ金球ハ案内者タルヲ以大坂ノ城女中田輪ヲホリクズ
ヽヘシトノ風聞ナラシテ甲州ヨリ日々金球ヲヨビ上セ玉フ城ヲヲツビヤウレ玉フ内ニ眠中
慨聞アツテ女中ヨリナゲヤ云立ル事サマ〳〵ナリシ其内ニ和睦トンラル是モ紅睦ノ親類
一手段ト聞ヘシ
飛脚かゝりの事大河出らるに是を用
解に曰飛脚かゝちの事大河出たるに是を用ると云事又勝負地なれはケ様の時
已に助の道きれては勝負あやりし故に已になんの来をはやく味方江同せん
ための斗らいなり夫と云は大河出て已に助道きれたる明親かてを立たる時は
やむことなく半まけのはしとなるへし是を斗て味方えはやくつふせんため
飛脚かゝりと多し火を以味方えはやく此なんつくる也然は又融地なれはる様
にかゝりをすへき事く思慮に度いかくせんや故に米の諌はうすきを嫌染は可
深しておそるへからすと云さのことく深き事はしのひを所につかい置たる
所以に所々の在家に火をかくる事相図の程を定へ多き立三ヶ所も如此ならんには
味方地江わたくべし味方地江とつきては兼而定めは可有そんし候ハいかく
一味方討多き様言の事しるし持不来前部命様口伝
三巻甲前立物相言葉是三川迄以味方討をいとふ也
解に曰亀甲前立物お言葉と云三ツの事是は敵味方と入乱連合為或は又東
さんして互に引わかれたる時敵若味方の内にまきれましいる事有様の時右
三色を以人にあらためこれをたため事専一也于将先ツ入見たれたる軍に敵味方
分明ならさるとき前より是迄見手に敵味方のしまし甲所兵物に有下々は
足て右の尊しを用る也又後口より敵味方を忘るには大小のさやに紙を以相寄の間
を三ツ半也なり但しこれを開くにはのり付にする也然事に奢るしは付物に而風雨
はけしけれはせれおつる事有右の印たこしからす其段に登葉を定置
所以に味方うちなくして人にからめうをきはむにあやうからすの是又右を申立
むるニは戦物えかる節ニ是をきわめておるなり故に中の前かきにしるし将不
来前部ふくめ様と書重り惣して首をしるしと言事追首の事追首の事追首の事追首のた
るをいまた戦場江も不出内にしるし首を為不来候所に申ふくめやうと事
たる事は門出の云凶詞ニして又後世の教ニ端的をはかれとなりたとへ聞に
敵となれあいのもの有と云とも此をしるしあつ言葉駅江通事不叶斗しい也
としるへしと也
甲州の治にて追盲を印と云此事出陣前の法度上に出す事にて送
子細は印持不来前に有戦場敵相進寄時節の事也勝留諸儀へ
乗廻し〳〵必敵の畠共欠べからす首にて持来れ追留は何れの所迄
也縦大将を討共追留を越庁からすと触さすへし是にて率の
一慥勝軍の所へ移り負る事は自然に忘る大成養也
一人数多勢無勢出立の事
大軍小籏常大すた口伝
解に曰大軍にはた小車大はたと云事凡敬味方共も地の広所にては大単よし
又地の狭き所にては輩よきか金体軍の自然の利なり然は敵の眼す軍の
さいしよにはからんため大軍小軍大旗と人数を出立事なり故に故に敵も
自然の利かそむきかたき所以に旦利にまかせて勝負を持たんとて此際
に落る也夫と云は大東の時持ふはた数すくなき則は小勢に見ゆる又業
の時持登た数多き則は大軍に見ゆる事右云ことく是自然と軍の利
なる所学款大学の時は此方を山軍と見て広き地を好也又敵輩の時は
此方を大半と見て狭き地を好也故に軍に本利たがわす事を所いに残員
自然ののりに叶と也
旗の仕立様布市にして長八尺か丈重か也旗棹は旗二たる也
一味方夜軍をせんに
あつ〳〵討てうすく出る
解に曰あつて討てうすく出ると云事先ツあつく討立は敵陣臺え説察す
てに小屋江討込時其組合のしとも兼て楽にはなれきるやうに斗て何れも繁の
奥が火の手あける打込組にも一同に向浦の警にまかせうち込にはら〳〵になく可討込
事をしめさんとてあつく打とおしへにいゑり又うなく出る立事は其役義を
仕廻てははやく出るかよし然は各申合する事なく可出故に出るに法なし但し
出ては申合する所有つてこれへ可集と也
険粉を能見る是に付てすつはの入所なり但しそれは前の事
解に曰けんなんを能く見る是に付てす川はの入所也但それ前の事と云は云は先潰
難を能見ると云は夜討可打には其地形のけん不賢を能見置て己か備実と計て
是を討と也又是に付すつその入所也但シそれは前の事と云は右けんなんを見ひ
には平人の可叶事にあらす故にすつはの入所也との事但しすつ是是を見給と
いへすさしかけてはすつはもよく見る事は叶政になひてより〳〵見てよく
見おゝせて可打事也是故にそれは前のことゝ也
うわき胴からし衣白
解に曰うわき綱かた衣白と立給へ夜討の相印是なり綱かたきぬ白と云其
仕立る事順礼抔のきる物の上に着する袖なしのこと〳〵に仕立る事なり又白と
云事夜の相印に候得共且色白きかよしと云尤是也
ひかへ軍汗西め也
火ヲ上ケ其所ニ不居ト
表ノ口ヨリ不レ入トカ秘也
一解に曰むかへ単肝要也と云事此ひかへ軍は勿論の事也此簡拝寄たる事程拍子
か大事也夫と云は先ツ程と云事は敵のかける内江問て所の虚実論的の働絶負
の侍弓事を云又拍子といふは討手の者寄場江しのひ付之時又彼等しはたも
此にゆふよ有之時は内際より討之故に小や江しのひ付くとひとしく相図の火
手の手か貝のやうかを以味方の惣軍江小屋江つきたる次第をつくるに討手此道相
図と共に明松に火をかくる者共同しく段々の討手もせもと明松に火を付屋
え己々かもよりへ掛入小屋へ火を掛る事ゆとりなし然るに此拍子を向何かり
りも拍子の図をはつしては勝不全それゆく向倒にはつみかけてななおそし
と待かへる道に至て相図あらはるゝとひとしく鬨をとつと作るに此勢に乗て
うつても右云めりをたかへすか様の程拍子所以にひかへ事肝要也となり
鬨をあらする事肝要也
解に曰君を合す事肝要へと云事此道ははや討手台へかへをはなちおくり
備切て入敵を切見たし則おくりかけ出け図の図を有くるゝ向備にて此間を
合事也其次第に拍子有り夫と云は討手のしともすてに小屋え掛込火をはなつ
節は間隙の春とも取安す家をかけ出る此節は又おくり切込敵を切みだすこれ
によつて敵の将小屋を出に智恵の二ッ有此頃はおくり小屋をおよにはやく引取
駕跡にも夜討した事く討事なかれと云も此趣也さるほとにおくりに屋をかる
事四五人なる時輩の異をあくるニ向簡則又此器を合する是肝やめ也と云節也
然は此頃の共片寄と云拍子あいの事さつし見るにおくり浦の家来初夜
詞人数の備くはり場にしはらく立て右討込討手の致着小屋え討込即勢
の奥向帰にて作る其器を右云おくり浦の家来是迄夕とひとしくてうそんに
火をともしゑいや死〆にて約末の寄場江かけ集る高後興を合肝要の拍子
あい彼の挑灯の場へおくりかけ出自分〳〵の紋付たる挑灯の所え来り銭をと
取ける時はてうそんゐ駒栗のこと〳〵も人来ると馳行を専くさしあくる事
三四ツにして今一ツ計の約末の挑灯を尋何れも又是を見るにおくり給人
数集と欲はつするに待かけたる向偏異を合る歌は自分の掛場へ出るに親唐氏
を見ては右令する写を勢にしやうして掛て朝かけの勝負を決すへし然る
時は送二の勢をつきて入崩となり又なかけばへはやく出て涌立を見るに
実なれは向備右の道鬨を今其勢を以引取か木軽頭小頭の兵共に足軽をまと
めて向角と両体を以はや〳〵くり引にすと也
伏かなりに風の大事口伝かたりの物見はかき物聞と云口伝
解に曰伏帰りに風の大事口伝と云は先ツ夜討打方より計之風何方より吹と云共
香サトす鮫か
其風下に居て伏かなりの火をたしなむ其火のかさをかぎて伏たりの有か
なしを知る故にかたりの物見かき物きくといふ扨又敵小屋より兵をかし
勝負はをもたんため小屋より五町も七町も先に敵の可成道筋を計てこれを
置これに又二ノ代を置に勝負への当りを又計て置之敵もし夜封可討と
計しのひやかに来を知りては先のかまり窓をはつして出るに二ノ手つゝきて
鬨を次き先のかまりに力を風勝負をもたんと説と語る于時右大将小屋
より早速軍をかし火鼓多して三ノ軍迄持て武窟の大将計たも不断以
は先今日の軍終日の働ゆへ小屋をかかうへきあわひなくして野陣取
或は其うけ物なくして右かまりを出す事陣中小屋よりか様に兵を出し
かまりを置に右云ことく小屋とるに其上さい有之時用事也尤臺のやう
しんなれは陣中是を用度もの也然とも子細なく是を置事不仁の至也
夫と云は何れも小屋に嘉座に居る也伏兵菊露北風のなんにおふては大将を
うら見さらんや政に陣中いつれも善悪の二ツなく東に身上にかゝれる
なん来る所以こめ此伏に出るにいつれへうらむるとかなしと云々
初而逢歌に武略の事
見物に口伝か川田に口伝うへ囲こねるに口伝
解ニ同先ツ見物ニ口伝と云事此見物と云は敵征軍の武略に春はた者を五十も百も
勝負可当場に地を取つて計之を去又か川田に御伝こね田に戸伝と変又これは
寄手の武器地をかまへかつたこね田をなす但し此かつたと云は秋のみなる節也
又こね田と云はいまたみならす向草の節也然は敵味方の武略其分いかくする夫
と云は先ツ敵将軍の盛共にすはたし五十も百も勝負可当場に地を取計之候
かゝり来る敵屋にしては是にはる。しる夫と云は来敵詰家のすてに勝負たること
地をかまへてすはた者多見ゆるといへとも敵の民胎を不知見物と見る所に勝分へ
可当期に右のすはた立器をとつと作れは蒙る敵これと見る所に可掛敵の情かさけ
虚となる所以に待掛か敵を己か武略にのすると也扨又寄る敵良将にしては押擲
にさき立てなひ間者或は物見有て彼のすはた者を其物を見きりて大将に
是をうつたゆるに大将是を察しいまた其敷敵とつまらさる所にて彼見物のこ
とく出立たる真の方へ使篭へしいわせんにはそれに居られから〳〵は見物
と相見ゆる然共各々の見物場所は勝負へのさまたけと成申地なれはそこを
開かれ遠にと一外に居て見物いたされよさなくはろうせきに夢とゆひけし
見物是をもちゆればよし又不用して居する時はて川ほうをいうちたて追拂
とひとしく敵陣江向て勝負可決と也さて又寄る敵かつたこね田をなす哉
りやくの事先敵の心指其位を兼るまて知ると云共当然の利を引出さん謀にこれ
をなす所に出れは其出る分によつて彼か端的の意を知る又不かはこれによつて
これを知る是かつたこねたの武里やく也と云し
他国の大河渡り不知時悪によりて数ル也
一解に曰他国ノ大河渡り不知ぬ哉に依て散る也といふ事契も渡り瀬に出るか全体の
利也然と又寄手敵も右敵の備ゆる所をうたかわす渡るへしと也夫と云は
可得契計て瀬なき所に居て是を計は単ののりがたがいて忽軍員となる〳〵
然る所以は寄る駅は水れんを用来り其上にも所案内をも用あつく計て
来か全体の姿なれは至将たりといへともめ此処に絶のことく渡り瀬に出て居
する事又待獣の全体の法也是故にあ渡り法にも叶となりこゝを以勝負の事
私なき則は其のりに叶事也楽症をかまゆる事懸のいたす所也と云々
に迫合之事
一獣の退根を見る事
一隅に曰敵の追様を見ると立事其せり今の内に敵崩れ引明に其外に其外
叶して崩るゝ有又計て崩るゝ事有干時歎崩るくに己か勢十分に掛成事の
崩るらは幾早くつれ也故に己か気に乗て可追亦己か勢未掛おもふころころころ
崩るる有也其所なき時は其うくつれ也と察しおふべからさる故共
これ端的の舟拝如此
一足軽五十百を一簡に立て中通の立て様有此氏にて弓鉄砲のうち払不変
一解に曰足軽五拾百と一編に有て中道の三様有此義にて被鉄砲の打拂篭と云事
如此中道を立てされは勝負に益なし故に此大将馬を右絵図のとく備を
二ツに乗わくれはよしと也夫と云事すてに弓鉄砲のせり命せりつまりたる
茲に至て大将絵図のことく馬乗わくるとひとしく絵図上の形はいまらし普請記
を打に下ノ形は弓鉄砲わつそく掛にいふ物にせおふてはや冥をはつして遠み出る
為又上ニ而打弓鉄砲是もなめことくにせおふて先江出る味方の二を結出ると也如此
なすを以弓鉄砲の打拂あやうからすと也
馬上にて俄に足軽を分るはりうこの事
臍に曰て上ニて俄に足軽を合るは早かうこ乗りと云事一万石如此乗分るりうと乗
と云さてりうこに足軽を無ふなる事此像と云事文のもんしよりこれを弘めする
一に足軽の形を四ツに有る形なり是を分類向次幾又俄に左右より出るもつて味方の
桶四ツにわけて以左右の象を一簡宛にて二浦を以敵を押て初の敵をは残る二手を
以破之と云意味なりと云々
銭にも人と云学を多く書て一所へ寄早みこの様に乗割し絵図斗りに
有足軽を一処に集て角から角へ筋違に乗分て四処へ分て集一分
宛を遣す抔通し崩れたる人数の時也夫を集て又乗分るは余程懸りて
難仕田家ニて初中終なき事也夫ゟ鍛足軽頭打死しても誰が足軽
は左右の方何れ成共当番へ左右へ集り隔よと下知すれは備る事也左にて
はなく過食事也省令には馬を入ると云事有馬を入て利を得る事
多し七百千の多人数の迫合は馬を入ル事有入様は彼我食食る処を
脇ゟ馬道去戌者を十廿棟て横入に角の胴中を無分さはく処迄本舗
ゟ追付候夫故馬上にて今有俄とは敵尾不知様に俄にする也馬入る敵筒の
くびりたる物也中を無分くびりたる心也
入場は真中ゟは先足軽之所か能し分るとは敵の足軽を乗わる事とは
敵国或は敵陣深く働大河の有に罷出る時川越又不越を見る事同大将
ノ其中に有之を見知事但し是は敵ニよりて也
鄙に曰親士式幾陣深く働大名有に親出る時川越又等戦を見ると云事岩軍の
時川を越散は此川江来つて歩行兵はわらんしのかくこめ抔す馬は一川のかく
しめ可戦仕形有之時は越と見る又これへ来りても川不戦は右の仕形のなきは必不越を知
るへし扨又大将の其中に有之を見知る事但し是は敵によりてと云事惣馬川
戦は海を有て可越事にあらす人々の勢気の働を以可越事全体の利也故に
川の中涌みたなく事也然といへとも其内の大将を見はなす事なけれは大将の
越所必備くろむ事是自然の利也但し是は敵によりてと云事試又川によつて
右のことく士笠丁何のおもひはたく打込落もあり又是によとむ節も有然ぬ是を
可越図に当ては大将此義を見るとひとしく関をみつして一番にさつと川江打込
被成候得は吾是につゝきて打込所也是又相つ候へ事自然の利なり故にまつへる
くろむへし然は一はんか大将と見る事別義にあらすたゝ勝負は大将の浦江
打事有工にい跡よとにや此事のくわんとうにも大将江といわんとて我一ツにと事
たり右の心さし金体の蔵角への利を変せんとかや此義初末にしるせりとそん
し候はいかく
一此一巻序説を螺てありといへとも於兵銘深用紙あつて玉かる書也今吾子
作抄既に於テレ功帳二来リ百里以告ク之予則巻を開て試レ之良論奥を得たり又述べ
一可レ通神ハ以不可与点述也神也又非レ有ルニ二政兵者無形也尚是越此書也尚卑之哉
鄙語を防て求レ文飾ことなふかれ古縁唐糺明して嗣して嗣二這一眠之義の
一証鏡とならん者乎
皆元禄十六癸未歳
服部氏
九月
貞好
書
12591
弘化三丙午年三月廿九日
一同月月日午前