軍法卷傳書

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萱野延重
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2026-08-17T19:23:20.995Z
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萱野延重
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グンポウノマキデンショ
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東北大学
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2026-08-28T18:53:25.651810+00:00
軍法巻伝書 仝 軍法巻伝書全 ▽荒井恭信氏ノ副会ヲ 以テ購入セル竹関博士 狩野亭吉氏善蔵書 一信玄公御出陣前三ヶ条ならしの事 同十二丁 延重公義中□ヲ加ル者ヘ其総罪也都ヲ経説弁ト相照シ見ル之其他済ニ記ス処負死重ノ名ヲ以テ 一将其国に居て本国の時ならし 一既に敵出来る時之ならし 一右三ヶ条ならしと云是前の字の。初中後の意味也ならし とはならはしと云略語也 一其国の絵図を以内談の事 勝負は地形より生す万事皆土より生するの意也然る 破隣国の嶮岨広狭の類水すへはこれをふだんに知る所大将 たる人の勝負へ入の道也治国の時ハ国々の地形絵図知安シ 戦国の時は町人百姓出家其外勝負を知ルの侍をして敵国も ひそかに遣し亦は敵国のものを抱置て是を以考弁し絵図 をなし知事也晴信も常に近国之絵図を以地の善悪を しり給ふ又勝負の道を知にも右之儀なる故是を初条 に置是敵の出来さる以前如是 蒙ニ解張曰凡用兵貴ク貴テ知ヲ知ル地ノ如遠遠シ迄ノ則能為二近貞之計知海易ノ 則能審二歩騎之利二広狭則能度衆度二衆募之用一知二生死ニ則識戦散 之勢也 一敵の人数積同強弱内談の事 扨ちらことく敵なき時近国をしり給ふ故たとへは信州の 村上義清小笠原長時諏訪頼茂馬瞻信の敵と成と 一聞時は則其領する土地の高を以人数を積り敵国の図を以 其来る道の遠近地の善悪敵の可出所に依て爰彼と勝負 の畢竟を積り扨義清は大敵なれ共暫敵頼もは少敵な れ共騒散といふ事を知る是を同く臆弱内訳と云右第一第 のヶ条は勝負の道を導く順路たとへはものを一二と数ふる かすし 一味方いさむる誓詞あらはしてさすへき事 爰に右の次第を転変して兵法の計といふ事をおらへて 軍法と云事を示頃既に敵陣に向はんとするわ敷味方士大将 の懸こを分て誓紙をなす其趣大将に不苦哉存達 一心を仕間敷寺の文言也略信御時代の誓詞制有此誓詞味 方々諸兵なす時敵は是を聞て戦の讒からん事をおもふ 味方は是をなして敵に内通したるものも漸く一和したる事 を知も疑の心なし是を敵に当て味方をも寿の術といふ 親長誤脱ス 従補之 ○単法を出す事 信玄公戦毎になし給ふ。心備也然共常人の遠りて能と高時に これにかきらぬ す歌に申て味 勝負を知る者のみて惣事有常人の待て能おも不時勝負 方をますの 街をなせとの を知る者の還て能を知る是勝負の道を不弁る故如 教也是を円 謀と云玄心 是たとへは我堀の渡辺神崎押渡平家を討んとする時 はしなきを 三勝負の 梶原以下之諸将還て悪敷といふ義経不因終に還て 道を不知ものは 自己の智一 得勝利是常人の智に待て能と思ふに達人の還て能と 信濃守殿への亀に行て能と思ふに付て能と思ふに達て能と 恵をいける時一方へよく退病は惣しく 爰をいる湯間おのつから城名見咎る所也な法をさして護を立常の眉を以て被の哉と云ふ 爰を以る湯負おのつから城府へ残る所也声法をさして謀そ三霞の眉を以義を護に志にし あらす右既に戦に望まむとする以前に此誓詞をなさし書ける 三ヶ条合戦備定の事 一味方備能して敵の立るをみてこれをいたす事 のは 一味方備能してと云は是又数を備たる場の義にあら 名ていふ軍 二つより外の 間敵の異る をみてかなし て能時は懸り 待て能時は待 これを知と 一味音諸施しては是又藤を備たる場の誠にあらす大将の心備の心備也心の論もふは勝負の道を おもふ證拠也又楠天王寺に出張の時須田高橋敗事之 後宇津宮公綱重て天王寺へむかふ此時天王寺にて和田孫 三郎以下其夜懸て宇津宮を夜討にせよと云正成是を不 用て天王寺へ引退キ曽て是を常への目に懸天能とおも 不時逢人の届て悪しき語拠也人みな常の人にして如是 其智のたかふは別の儀に非ひ勝負を知と不知との差別也 其勝負の道を知尤と欲する則此苗盤の伝授を明 らかに知る時は其内より此道をおのつから得る也 一敵かつて味方を討二三より是に勝少共数を以敵一に九ツ迄と おもへとも五ツ六迄によし 敵かつて味方討かつてとは懸てといふかの字を中略したる也 然は敵懸る時ハ味方の待所文中に篭れり二三日これに勝少共 数を以敵一に九迄とおもひ共又遥によし此義筆紙に尽 されす口伝に云三所三段九段の後夜味方対々の人数対々の帰 の時可勝道なし声の横を以勝事形を離ておしゆ 一敵よく備を立て堅は是味方九迄にして向てまた横を用 ゆせめては六つ迄にする 一これ敵の備を立て堅といふうちに敵の待心覚里是味方 一九匹にしてむかつて向は発向の心也然は味方の筆所明也又横 を用ゆ是又右之ことくの声之精を用て詰る義也せめては 六迄にする是三州三段九備の内六ツ曇る時三ツ残る残の 備を文外におしゆる也 大将三の采許 三ツとは下に有処の第一より第三返之ヶ条を云来許とは 人を替所のざいの儀也是は表面にて人を仕ふものにして 内に人を仕ふの備ある故に表面のざいを以人を遣儀を おしゆ然は大将の心術の再拝は形にあらはるゝの再拝の 儀にあらす此三ヶ条は誠の朱拝也 一常に自国他国共武士の手柄上申下共能損判之事 一大将たる人戦国の時自地国の戦の儀を或は聞或は也 其戦の善悪得失其戦に小身成武士の養布忠功是 を明かに吟味をなし批判をなし三る時上中下迄顕屋と 能知るが是常々是をせんさく批判なす内自然と 勝負の道を生し勝負の道に入の初中後をおしゆ 書物を雑て勝負の道を学ふ所也治国には此事 鑑にのする処の趣信玄公のなし給ふ処の戦をせんさく 一批判すれはおのつから其内ゟ是非得失分りて次第に 勝負の道明かになる 一人を能見知夫々に役を申付る事 能と云字重し勝負を不知人の自己の智恵を以人を 見知んとする時言事不充第一のヶ条の如く常によく常によく 勝負の道を知て人をよく見知戦に望んて夫々に役を 申付る時常へ玉こか得ものをさするか故に自然る常の 人にまされり 一忠節忠功の武士に手柄の上中下をよくせんさくして三 段に恩越高ゝ事 第一第二之ヶ条ハ御出陣前の第一第二のヶ条の如く勝負 の道の順路をおしゆ凡死の生に随ひ忠希となま事 是常に報録をも得るか故に忠節をなし忠死をな すといふは是当然の利にしで常人の智也如此の理は云には 曽而不用其理の当然を捨てまた其上に忠節に忠功 のものに報録をましあたふ故に善を以善をましめしたる の道也依之諸卒おのつからいさみをなし忠節忠功を なさん事を思ふ是をひかん為也其忠節忠功に上中 下有り誤て下切に上録を與ふれは下の文に云かことく 士是むさほる心を起す上功に下録を与ふる時は士那を うらむ如是成ものは此三ヶ条に明かならさるもの也是を よくする時ハ采汗を不同して衆軍之士心に従ふ事 再評を以なすにまされり是右ともに三ツの再拝也是迄 已前より近来処の軍治の巻の本文也 如是あしけれは これが後の文は景憲先生の事鑑を撰はれ候時如ルの 一足也右三ヶ条あしき時の事をおしゆる事本文のことし 一御旗奉行には朱拝をゆるし給ふ事 旗奉行と云ハ旗は惣留の先にして此籏を以押行也 然は籏奉行は時に励て諸兵を下知して旗を建て引 事有ゆへ免シ給ふ也 一武者奉行ハ御大将とひとしく采許を藉して不叶事 武者奉行ハ勝負の第一とする処を主とり本大将の 床几代りをする大将とひとしき故に不危といへとも奉拝 を持也侍大将以下すへて武者奉行の下知也御大将の人数 を自分の兵のことく仕ふさるに依て其家々の玄族大身 たり共勝負の道不知人にはゆるさす 但し切少きは名計 是はかげのり先生後に附たるヶ条也 一治国には面々其功の顕はるゝ事なし依て治国に武者辛 行の号をゆるさんとおもはゝ其家の諸士の常く目をつけ 武道たんれんたると敬ふ人をなすあへて大衆中腹に よらす勝負の道を心懸る人を撰ひ用ゆ其名取用と 云心也別伝ど武者奉行の気量にあたる人のな き時は其役を欠事有 一御大将其外侍大将足軽大将近習の頭迄打存して不叶事 如何ニ而も改たる者不知して不叶義と申事也則左ニ有之 品々のケ条の事也 一相図の物見の事 相図の物見とは敵味方王に寄合する時敵津かへ止り しに味方も止何して敵止りしやと思ふ時其手の内にて 功者の可働ものを呼出し拝見をなさしむ右之侍馬 を千鳥懸にか乗さて物見の士四五丁も進候時足軽頭を 申付おくらする右送り様は南陣の間を立ふさかさる様に 可足扨送り備四五丁も追候時大将迎備と号して可進 彼是となす内におのつから備の間敷をつめんを為也みかた の諸事を無我になしてうちあはす能々可心得さて物 一鬼武者の武功は敵陣の二丁ほとに詰寄る様子を見切への 夫ゟ遠しては小筒のわさはきかす小筒のわさのきかぬ所 にて見て帰てはみかたの諸兵部故也馬を乗廻し武者 ふりをしてみかたを招かけへし勝負をせんとかけあ わす敵あり共勝負はせぬもの也馬をかけ廻しのかれ へしさて物見仕廻て後よき敵とみは勝負をなす へしこれを組打の高名と云 一相図の小旗之事 此ヶ条は山麓なとにて敵の来るへき道筋こへさる時 山の上木林の脇に小はたを置て敵みゆる時何色のはたも ふれ敵ケ様ならは何色をふれと申付置是を以敵の来 るを知ゆへ也 一物見四方に心付の事 是は行事なとの時山陰木成陰藪原等不残場有らは物 見を可遣是味方の諸卒疑を断ん為也物見武者心得ハ 右の山森なとの不審所へ馬を乗せんし〳〵劇にてみかたを 一招かけへしこれにて味方疑を散シ行猶又意味可深も のなり 一敵味方共働時持小旗備後の事 別に図有て教をなす 一計米文認様一字の事七佛の事 〽計策文とハ敵の内惣大将とひとしき侍大将なとの方へ 矢文を遣る事也其法はいつれの夜いつれの日ゑる申合せし ことく返惑有之裏切有へし或は城に火をかけよな とらの儀文中に認扨其末に何にても不審成字を書入 遣すこれ敵将の心に疑を生せしめ敵の君臣の中を さかんとの事也七仏是は味方の城に兼而申合置兵粮 運送の儀をいゝこす時はあみだの阿の字或は勢をこせと 云こさんには薬師の師の学なとを書中に出こさん事を示し 合せ通用す是其状を敵うばいとりたれはとて謀の もれざるを用とす 一一敵人数を隠儀御大将へ諸役者内通の事 一親人数隠儀は敵の謀をさしいふ諸役者内通とて たとひ何ものニても敵方の不審とおもわむ事品々御大将へ 可申上旨常被仰渡置故諸役者はゝかりなく申上るならへ 軽き侍たり共勝負の気の直然たる儀中馬ものニハ御賞 一説有之二度も三度も宜図申上るものには其侭御鷹大納 に成故諸卒此図の宜事を見出し聞出し申上ん事を 心懸る故味方虚なし又御大将なれハとて左様に万方へ 眼は配はられ頃依之諸役者内通のヶ条有是万卒に勝 負の気かしなりせさる第一也 一一昼敵陣取敵見様之事 一道敵は小荷駄を引不来也陣取敵は小荷髪を引来る 又其日之申之刻過迄陣をかけさるは過敵也 一一於戦場かゝる敵しさる敵見知る様之事 逢る敵は跡ゟうこきしさる敵は先より動く他流とそ かゝる敵は先ゟ動きしさる敵は跡ゟ動といふ兵を意か ゆへなり 一矢倉栖楼に数の刻みの事 是は甲州家にて馬場美濃守工夫也兼而矢倉栖 一楼に東西南北をなし刻み近付置敵出来は昼よて 煙をあけよ夜は火を上よとや依之敵出ると心〳〵ゟ 相図をなす其節右矢倉の刻にていつれの方角と 知る 一敵の働様にて遠慮之事 是は敵南の方角より来り利有に引違て東の方より 来る時節したる事にて利の書からゟは寄来ると了簡し みよといふ事也給へて敵出来とて了簡もなく早 速駈向ふものにあらす 一敵を見切壱人ゟ上の事 敵よせ来るに未た敵みへぬ内の事也其時人をえらみ 功者の望を見て参候へとて被遣三段の物見とて 信玄公海野平にて原美濃山本勘介小幡山城を 追々被遣謙信公の備をみせしめ給ふ壱人より 上はいくらも可けとの儀也 別伝ニ敵と引あせは其大将壱人さへ見切ハ全体の勝負 はしるゝと也 一一烟印疑なく数多き事 味方たしかに見へ出る様ニ差物立もの其外にし数多相 印を致せはみかた討なく敵紛れ入に疑なくはたらき よき事也 一敵地蔵山手の事 一敵地へ働行には先は山手を帰て行事利多き也豈陣 故レハ夜打のおそれなし薪小屋野に不自由なし談を うけてよし旁々利の有地也 備の事 一くり引の仕様の事 くり引とはみかたの人数を引上んとおもふ時敵間近く引上ケ かたき時くり引にする縦へは先手引て後サ二の手引く敵より 先手へ募んとする時二の手より入崩し益有り 一城巻ほくし様之事 城を攻ると云は一句に取巻き責るものにあらす其口々を一 勢〳〵請取攻るきて人数を引上んとなる時本陣ゟ貝を 立諸卒見をつるへ合せ引縦へは六備なれは三備は先きへ 引さて跡三帰引敵城ゟ突出んとする時先へ引し三浦ゟ 入崩す是退中総也 一備たゝ尤事一頭五頭也 按此条ノ法腹 組事云々ノ法釈也 一綱といふは五々の法也老若と強弱と定なると虚なる と組合するをいふさて大将の心論也取合有之敵とは且 暮心を不放して出るを組と云 一山本勘助前原筑前日取破る事 甲陽軍艦十一 九国山本勘介 此ヶ条筑前がとかの字を入て見るへし筑前は口陽 九日取前原筑 前一月切ノ日取 是二ッハ何レノ日 の留配者也夢配とは日取時故之吉凶を占ふをいふ 取ヨリ古来カラ 勝負ニ大形アヒ 唐にてハこれを天官と云右筑前信玄公御出陣の吉 涙トテ右ノ二ツテ 内々ニテ御用 也三々又小笠原 日たとへハ来十五日よしと申上家され共右の日至日前ニ 源与斎申上ル 御出陣よきと思召時勘介右之日殿を破るやふり様は 八方ガウノコ合 セテ三ツ云〻是ヲ ニテ考ルニ二人片ニ 一軍配ニ達スル者也 届配 十五日ゟ十日よし十日は日はあしけれ共十日之崩御出陣 前東ノ日取ヲ山本ガトリワキ破ルト云理甚不可也 の吉時なりと云破る振て勝負の気をます元来最 時故は勝負の為にてはなし興の気をます一術也然は 兵の気を助たるものをたゝに破れは興気をおとす爰 ヲ以考て知もの也 一結ふ事 手鑑ニ雑剛 結也云々此注ト 結ふとは軍心を結を言なり三所三段九備是也三度のかま 同意也 を一ツにしてが却て結ふに非す離したるか故に給ふ なり先衆二の先衆なとゝま〳〵有之処に我は哥しや とてかまはぬ事はなし先衆へは二の先ゟ結ひ二の先 へは前備ゟ結ふか様に惣事を持あいて行也 備押ノミノ如ク聞ユ残念也 一法度入不入事 先衆負に成ル時も大将之下知次第との師なる間脇備 より然るましき也懸りて慥ニ勝チを見ゆるに懸らぬは 法度に落[入]也左様に慥に見切たる時はいづれより成とも出 て横を入て其軍に勝利を得よと也 一一敵夜軍自国他国にて更ル分別之事 敵を味方と見てよし親国にては夜付ニ不レ]様ニ可心 得いか程其国の絵図等にて敵地を探り知て行といへ共 自国のことくたんれんにてはあるまし自国にては敵陣 を夜討にする様ニ可度敵此方の国へ来ては不案内生る か故也替る金別とは敵国へ入ては歌を夜討にする様に なすへし味方地にては討れさる様に聞へしと也 一押太鼓の事九字を表す地図はおほもあれ信玄流は如斯 一扨太鼓といふを打て人数を引也此ばち数二九ツ也九字とはワ さと書たり九と云るへし他流には九字を表するともいふ也 信立流とは外は何を以人数を引[リ]行共武田家にては 右之太鼓といふ也 一押止ルに寄る又作法に二一に序二に破三に急口伝多是 一鳴失たる時の為に記 序破急ゟ先に言きかせ次に押止をいふがよし押止るは 頭一ツ強く次第によはく幾ツも寄るは折敷せるに入事頭二ツ 先〳〵と打ツ是や懸る時数を打別書にくはしけ有り 一士大将足怪大将詞の参許二の事 一御大将なきハ少キ米評故の事大将のハ三ツ余許有之也 一一に馬上にて敵味方の批判よけれは是に而味方いさむや 敵味方の批判といふハあの備は如如此なる間敵負になるを は高名せよと云てかゝらせ味方負になりたりたる時は主て 諸兵危ム此処をよく見切て申ことく小諸兵をて先の戦 有し時はいつも進也 一こと見切也右二の再拝せ此の分也見切もち同前にて過て 一勝利可有処を能々見切て戦はする事也 陣取の事 ▢一方因是は敵国深く俄時夜合戦に不合陣取也元ゟ 軍法に大によし 方囚と見へし夜合戦に不合とは夜討に逢ても出て 戦能ノ利を取ル故の事也其故ハ空地をする事也丸き 一地ニ四方に取る四角なる地に丸く取故空地出来ル也 一此処戦の場に成ている故に他流と違て夜討の時も外へ 押出し空地にて戦事当流也夫故外の様ニおち〳〵と 夜討にかたれおくれをとらぬ仕方故夜合戦に不違とは いふ也軍法にも大によき仕方といふ事也 但信去公宣は十ヶ国迄は此陣取可然又二十ヶ国ゟ上は旗本 定而多勢たるべきとて魚鱗の陣取と名付て所投し 被置夫は信玄公御工夫也馬場美濃守内藤修理正山 一縣三郎兵衛高坂弾正正土屋右衛門尉小山田弥三郎計に 被仰渡余人は存間敷也大量にて此陣取に被成共御仕候 旗本計の事先衆は何茂方円の陣殿よかるへし 右より是迄の文ハ小幡先生之文義也大軍之時旗本 斗ハ更鱗と有之候得共信玄公にはいつも重鱗の陣 故に御旗本は被成候 □ ○ ○○○魚鱗如此 ○ 一つとり候へは跡はいつもうろこ形也 陣取に付一に本かゝり二に捨かゝり三に合詞夜々に替る 四にあんしき五に侍大将衆かりがくのとう有 営陣抄ニ野ス 〽本かゝりは陣屋の口々の先に引付て焼也捨かゝりは御陣屋か 一丁半ゟ二丁も間を置焼草をつみ風上より火をかけ置 合詞は陣府の度々替ルあんしきは莚の事安く敷の心也 〽かくのとふは一夜二夜には竹にても麻集の成如此にして 戦場にて備立同配之事 渋越まどにて包み御寿の陣屋の口に土大将の景也 一御旗本一前備一小荷駄奉行備 一腰備一後備一先宛 一二ノ先衆 一の先しゆにこの先扉出て陣屋脇。備の寸出場所へ出て可帰 なり扨旗本出る次に前備出る次に小荷様備出る次奉行 備出る次脇備出る次に後備出て扨一この先衆備之備の ことくに立て押ユ也一二の衆行列跡に備る故に仕廻に書て 有之也 一○二ノ先衆 十一 是の先衆 ○一ノ先衆 六〇後備出ル 四〇春行備出ル 三〇小荷罷出ル 五月同 一〇旗本出ル ○脇備出る 二〇前編出ル 如此縦ニ見ルベシ 一七〇二ノ先宛帰ル 八〇一ノ先死帰ル 敵を引懸る合戦には 是備之敵不出を引付る事也 一先罪の内よりあいしらい勢三手計 先三備の内ゟ足軽大将を遣歩 一椀筆いか程も是信玄流浮勢也 是は被召出候家中の二男三男其親兄弟の自分〳〵にて 出す外也備之外之不被仰付勢故外也是にも頭は付 給なり此所へ出したるは右引懸の時此浮勢に被仰付候 得と面々武功をあらわして御奉公に可出とはけみ引 懸又は直に追崩し勝利に成事故に爰に用たまふ也 一小荷駄奉行備本大将ほとの人に尤也但味方地は先 き敵地は跡也過時は又先上も合戦なきには大形の奉行と容 一小荷駄を以事有之節大将程之戦功有之者を可用左様 も無之時ニハ大概の侍大将にてもよし味方地ハ先と此方ゟ より出る時先にてはなし帰る時味方地へ入てのうちは 先也又敵地にては敵地へ行には跡に引く敵地ゟ味方地 へ趣帰る時ハ少も早く味方地近クなる様ニ先へすゝむる也 一小荷駄印の事 置一手〳〵の印無院様に能分ケ一二三の段々を正して 備へへしと也 備大たゝゐの事 一広き所にては鶴 ひろかり行也 〇一余り横不広所にては魚 魚の籬の形の如也 一山へ懸りては蛇 山路にての事也 〽此哥の備地に依てなす事をおしゆかねをこしらへ なさゝるの事をいふ 一一遊軍は軍にも可然但所によりて也 一一手痛にも可用との事也所によりてとはたとへは伏兵 にも或は前のことく引懸様の時にも用ゆるの類也 一一手別手割手一手 是は備大将彼が手是が手と見る時は別手に戻れとも 全り幾手にても持合たる備故に大将の人数は幾手に みも一年也 足軽は 一実一つ玉二ツ合せ預る事 失一ツとは弓足軽廿五人○鉄砲足軽卒人組合預る事也則 一三人之足軽頭可附外に廿五人与力有り是を足従大将 甲州ニテハ同心録ハ大小各異也 方へ司る少き三所の備也故に大将の号有 一五より初廿五一組也大備も是よりする 一足軽五人ツヽ組て五ツ合スれハ廿五人壱組也又廿五人を五ツ合 すれは弐百五十人也如此餘也大国の割も宿を以する也 一弓ははやき勝負也三ツ一を以ス 弓は鉄砲と違ヒ矢つぎ男が故に廿五張にて鉄炮五十挺に かけ合フ兵家の多少をいなすはこれ也弓は敵間近くて 始るもの故早き勝負とはいふ也 法は御馬右より初ル 右よりとハ兵家ハすへて逆徳成る故ニ右を初せす然る故に 右を諸備当番とす弓鉄炮共に右より射はしめうち初ル 兼て右ゟ勝負初る事法成故諸卒不疑 人入 友一 入人 △ 四 □ 人形入形ハ細道なとにて足軽に弓鉄炮いさする時之仕 方也兵士之銭をはしめんとおもふ時ハ跡ゟ時を作ると其 時々声にて先の弓鉄炮の足怪開く是口陽の法也 入 一二三四五六七八九 同断月廿一日 避軍は浮勢也是は先衆一しより九近領逆に出しは九段の論 の左右窓脇留を入て高形也首尾共ニ相応する備と云事 なり一ゟ九迄明れ共に五の所先ゟかぞへても跡ゟかそへても 真中也然れは遊事の備所は御旗本脇としるへしと云数 なり」先しゆ口伝とは御はた本に置ても引かけなとにつ かふ時は先へかけるといふ儀也 合詞 一敵かうつ一花かみなる 、 一一 一 一 如此雑人の立よき 合詞は雑人迄言よき事を吉凶に任せて作る敵かと 云はかけ詞也うつと云は請詞也如此東々の合詞を昼に 置越夜夜筆の節右の合詞をかけ若不都合なれは早艶と知り 請詞不違ば味方と知る故に疑なく信玄御鉾先張して と云ゟ下の文敵共たはかりて助りたかると出しは八幡堺 の内能の意也いふ心はたばかりて助かりたかるほとの敵 ならはあしき戦ん也尤意味深かるへし 城を攻るに 一歌出る不出見様之事 是は味方二ノ手虚成時ハ敵出るとしるへし 一大将御巡見の事 是は絵図を以内後をして大体も御存ニハ候得共誠に 御覧候而よく候故遠々と御出有て城を御覧有事 なり 一竹束うしを結称は人損す 図 竹 竹タハノ図 一同 此図疑ヘシ 戦功の巻にくはし 如此のものを城の責口への仕寄になす此時敵ゟ鉄炮に而 味方の巧束の裏を打たかり立あからせぬやうに鉄炮にる うつ也 一ぜう林 城中に林の有所ハ敵大事とする処の曲輪とか知と也 一栖楼上ルに組様の事 一親のいやがる処へあげる也城中みへて迷惑と思所へ見立て 紅と也 一所によりて金堀是も穴堤計にてもなし 是は信言の領地之もの共は戦に丹練也去に依て山になも川 にても堀ㇾと有ほられぬを知てもほらぬとはいわぬ也夫ゟは 此方を堀て可然抔と申大将の御威光をおとさす是に 依て丹錬と云 一蔵助かゝりの事大河出たるにこれを用ゆる 大河出たるとは道の絶たるをおしゆる也敵国へそみ入に着る 相図をなし置かゞりを壱本上は兵粮としれ弐本上ケは か勢としれと示し置敵道を取切たれは迚刃難儀 事なしかゞるを以飛脚になすの意也 味方打なき三ッの事 一印不持来前中含根之事 これははなかくな首を持来れよと云事也 一ニ三巻二ニ甲の前立物三ニ合詞 これは三ツを以味方打をいとふ是は五此如此如味方と早く見分 人数多勢不勢出立の事 能様に相印をして右にいふ相無葉をもよく申付よと 一大軍小旗小軍大旗 これは大軍にては小旗に而出る事も有小勢とみせん故に 小軍の時大旗にする事これは時に依て人数大勢に みせんとする也 味方夜軍をせんに 一厚ク討て薄く出る 〽是ハ夜討にふるに討入時はどつと討入て追時は壱人宛なり 共さつと出よと云事也 一一嶮難をよく見る是に付てまつその入ル所也但文は前の事 これは夜討をせん敵も陣取とはや其勝負を考敵の陣 殿の様子地形何に〳〵有しと顧みせ知て討入もの也 一別伝に実なる敵は庭るをおきなひにして討と云秘事有 一上着胴肩衣白 一是夜討には白しての徳は夜分能見ゆる又ハ俄に相印 かへたき時墨にてもよふ付候に益有へし 一ひかへ事肝要也 一時を合する事肝要なり 一右二ヶ條夜理の事をいふ夜討に討手の兵送りの兵迎 の兵と云事有討手の兵敵陣迄忍に寄らるゝ事はよ れと申渡故随分と仕度最早慶にたるに支時は胴の火迚 竹の眉のこときものに火を入持行衆右の火を明松に移り し送り備へみする此時送まゟ時をとつと作る此間にて 討手の兵敵陣へうち込此節敵の首とるものゝ順ひ敵 陣へ火をかざちり〳〵に出る依之敵陣騒[ル]の付頭へ送 備ゟ打込なり 一伏かゆり風の大事かまりの物見すかきものきくといふ 是ハ風下へ廻り物見すへし庭中ハ以眼力物見ハならぬ故 物音を聞ものゝ香をかく故かぎもの聞をはいふ也 初而逢敵に武略之事口伝 一見物に 是は備の外に見物備とて剛手に偏在を云 一苅田に口伝 これは敵国へ入て田の実入の頃ならは苅ラすべしと也 一敵を引出の謀一術也口伝 一植田越こねる口伝 是は本より夏迄の内ならはこねさせよと也 一右同断 一他国の大河渡り不知時敵に依て散る也 是は浅みを防て深みを隔ぬに依てみゆる也然共敵に延て 深みをわざと防衛を防かぬ事も可有是を能々見よと也 小迫合之事 禿筆抄云小迫合 語ナルヘシ 老華拾三千仙村総方へ御朋介ハシテナ程シテ勝負也ミ又殊ニ胴動トハ甫ノ朝ノノ道ニテ忽心痛ヲ有テ病ト見セズ但 これは惣革を調勢にして二百三百を以事する事也 一敵の退様を見る事 是は両陣相対して兵士五十百を出して戦事有此 時真崩有空崩有立崩とハ此方の勢十分ニ懸たる時前 るゝハ真崩也きも無ニ崩るゝハ空崩也これ敵の打能所へ引 かけて討へきとの事なり 一足軽五十百戔一備に立て中道の立様有此儀に而三鉄 炮打払不危事 これは足軽を図の如ニ立先ゟ先ゟ打出しては左右へしさり跡へ 備跡へ備する足怪類は中道を乗り廻り下知する故 危事なしと也 此他ノ鉄炮打拂ヒ跡へ引テ備ル ○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○ ○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○ 右同断 足軽頭 〇一馬上にて俄に足軽を分るはりうご乗の事 〽これは急に人数分ケたき時里うごに不限十文字に成とも五に 成共乗分ル也甲陽の法也 一敵国或ハ敵陣深く働大河の有に敵出る時川越ス又不残れ 咒知事但大将其中に有を見知事是ハ敵ニ依て也 敵の川こす不越を見知事他流にては川前二三丁にて用意 をなすに依て川越スといふさには非す敵の越して利 の有所なくは越まじきとか知其善慮ハ勝負の賂に而しら げんば見る事能 大将其中に有之を見知 一山縣三郎兵衛大井川のこなたニ三千余騎ニ而陣したる時家屋 五拾騎計にて大狗建ニ御出被遊候時山縣見てけしからぬ浜 松武省の物先代家康ニハ透間かぞへの大将元我等備由断 ならば胴勢を引付ケ直[ク]勝負初んとの儀ならんあれ打てと れと惣軍一度に川を越人懸るをみて早々淀松へ御引取 罷成 是は敵に依て也 惣別敵味方と成時常々心を不放[ル]組といふハこゝ也常之 組か故に敵将の位心備をしる山県は甲陽之士大将なれ 共勝負に通達故如是 城取の事 一ちいさく九く 立院 〽如く丸とは二三の曲輪の間敷二丁にふつれ或は三十間四 十間の処も可有小筒の業を致す敷に可取丸とは奇正順親 の形左をうては右応し右をうてば左応ずる様に可取但 一本城は大将の心次第に可取と也 一角馬出ニ付横曲輪の事 角馬出に横曲輪を付る事角馬出はかと有て 横矢きゝ悪き故也 小幡元王院 向へ十間左右二 十間ニスベシト 一角欠の城内狭 是は閣の如く角の所を横矢きかせんとて折れは折レだけ 内せまくして惣しこれは横矢になずむものを道ひかん 道のおしえ也 一九馬出に三間の欠大極意 是は横曲輪に及はす横矢角也角馬出ゟ普請も早く入り 目もかたらす然も盛法ニ大ニよし角欠は内を挟する故 一椀なり是は内を欠衆外ハ同し事に而内は虚し依之極 意と云 一本土居の敷は高三間土居敷は六間也馬出は高壱間間中 の高サにして敷は三間也是を一間間中四方両方に而欠故 に三間に成也 一辻の馬出之事 □ 九馬出 三間の 欠キ 一着至矢倉の事 二の曲輪三の曲輪の間に能諸者見ゆる処にあけるを結て 忌到矢倉といふ 一馬満の事 一門の内外共ニ広ミをさして馬溜といふ 一門とひらひしかねの事 城門のひし金は三ツ胴金に聞る敵こち明んとする為也 一門地ふく事 地ふくの下をよく石にて畳上地ふくを籠也是に而敵ニ門 下を堪るゝ事なし 一透門の事 コレニ不可限甚狭シ 外の門を三ツ一格子にすかすをいふ 一ちり取芥防の事 ちり取は土橋を懸るに橋のはゞ左右壱尺程差置て土 手を三里たけに説り也壱尺ツゝ余したるハ橋の上之戦 には道に用る或ハ土手の際ニ而ころひても手をつく為也 右陽は惣堀の端に三男長に土手を飛也これにて水押入土 手損ル事なし 一見ゆるみへさる事 これは随分内のみへさる様ニ絶張をすへしされ共みへす してならぬ処も有へし其時みゆる程ニとて艶張を止る 事なかれ其時は見ゆる事も不苦と也 一廊下橋之事 一橋のうへに境ろらかを懸がやねもふき左右に矢間を切置 なり 一引橋の事 是は口弐ツならひ明て一方は事有の用為に引橋をして おく也 一橋の左右広狭の事 一此ヶ条城門と橋との左ちの広の事也大概忠の方を広く す橋を中する左へ寄る故也守り口請取士大将五十の 一兵士を弐年に分外形の内其段は二の門の内に扨突て出る 時右五十騎二手に分たる内右当番先へ出る其次に左備出る 如此くり出せし跡へ士土将拝形出備ふ此士大将の備し時宜に 依て出る敵代追崩し引上る時ハ右当番先へ左非番其次に 引上る其跡に士大将引上ル敵したはんとする時橋の広に備へし 一足軽ゟ矢玉を懸る夫に而も敵付入時は二ノ手の士大将ゟ入崩す 二の手の士大将ハ一の手出払ふと城門を開敵ゟとふ〳〵とも ゆる様になし備居る二の弓鉄砲は城の境表に付矢玉を 懸さするが様の義は長柄を最前ゟ諸卒に預ケ持しむ 兵の出じほ敵の仕寄せんとするをは矢倉の幾門ゟ見せ しむ 図左に有 □□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□ 赤血{ 京都都市 □□□□□□□□ 地 □□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□ □□□□□□□ 〇〇 ○同断 一〇〇 此所左 右を厚す 同十一日 橋は左方へ 寄懸る 丑十月廿一日 十月廿一日 三吉延丁 一同十九十六日 □□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□ □□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□ 姥 一武者走三段は雁木あふさる重坂表に一ツ二ツハ犬走といふ 此図三ツトモニ誤リ写スト見エ 本図ニテ考ヘシ 一タリ猶城郭本図ニテ去リ 尾木坂加此 角の処抔如此 皆坂に仕候を判 坂と申候付逢坂 とけ候 皆坂に仕候を灯此説疑べし 重り坂中段に似 此広を一段取懸 申候 後按 今図見ニ各貞坂ノ 図ノアシキ也 一右三共に塀裏に有る坂也犬走の事前の図に有によつて略す 一矢さまひかへをいとふ事 これは矢間共能数を積ての上ひかへを付さするもの也 一鉄炮間土壱俵を以する事 土俵ふたにして置放す時に横にして臺になし打也 一城内の閑所高広を用る事 これは差物をさし大小をさし出入故あたらぬ為也 一城内にふんしやも専にする事 閑所たくては害也少くては用たらす数を能者て拵よ となり 一家をひきくする事 外ゟ矢玉のからぬ様に卑く立よと也 一横矢見様の事 見様とは三様といふ儀也屏風折ひつみ曲輪出外形の 争也 一山城の塀一二三段の事平城にも此心得有事 是は上下と卑くかけるもの也平城にも右同所に也 一水堀に水鳥の事 これはすへて城内ゟ城外へり続たる堀に堀せらじとてなす 事有大小あし候尤歌ゟ城内へ忍ひなと入る事ならぬとも 此方ゟ城外へ忍出す事ならさる也当流にてハ敵ゟ入よく味 方よりも出しよきやうになす様之悪可多 ▢一拝形本図は五八の事但大将の好次第五八を以す門前を も舛形といふ 外形は五間横八間竪に作る定法也乍去大将の好装第 広作るといへとも五間八間の雛ははずさす五八に而五八四十坪也 一坂一騎宛にして四十騎は被置也如此故旱騎もゆるり と立也廿五騎宛二備是等騎也備くり出等之労橋 の左右のヶ条に委によつて略 一一二の門広き狭キ鑓の有事 一の門狭ク二の門広敷より込入にくら味方の追拂よし 一橋に両方板の事 是は橋の左右欄干に板を打敵ゟ矢玉を懸る時に あたらさる為也 一一代さくの木之事 〽出し居の上に橋柏の冬木をうへ敵前る郎板をうちま 一束塀ニ用シ為也 一敵に合力仕寄見知へき事 伝に嶮岨の処へ道を付るを言也 一八方七方六方五方四方三方正面之事 矢倉を上馬に八方ゟ三方迄見ゆる処に可上二方見ゆる処に にはよしなしと也別伝に矢倉に不限浄金体出是 一矢倉に而小数留若は尺八も陣屋にてゝ如是 城外に森林有て敵の仕寄に被成所ハ焼払可申也この これは蕃城陣屋共ニうつ陰なるもの故楽器類時に ふれ免す事有 一馬出れしの虎口取根の事 此虎口世上すべて大陰の口といふ所以城門開かは敵直突入と する故出るに期なく敵の為に徳有故終に開事顔を 以大陰と号ス世以先生の伝に迷へり依之馬出しなし の虎口には別に縄張有と云是景〆りの防位にとちられ 迷ひを聚也馬出なしの虎口当季て大陽の虎口 と云大成働口也依之勝負なくして只ニ取二非ひ奇 正応変を考て以テ取ル取様有とハ勝負の第一とする 露近いふ也 一絵図木園土図を以するは遠路をまる土を一とす 一ニ本図二ニ木図よし三ニ絵図也 一間数寸町一分間を以建路をする 本文の通也 一附城陣城是ハ大将の事みせ矢倉也 御陣抄ニ至処ニ異ナルコトナシ 城陣陣城かまへ給ふ時之事也 見せやくらはせいろうの事也是は大伝の敵国へ入て付 〇一傍ゟ将の附城ハ少し別也一ツにしても不苦 士大将たり共縄張等御大将と別なる事なし大将 ほとに念は入間敷との事也 右薬法巻伝書てふものは他に木氏伝来これ亦 浅井家の遺書なりもとより其説渉近にして意 味少きかことくなれとも其易簡屋へかきあそまより まされりとかいふへし何にまれ我黨の学老帝の一 助なきにあらすといふことしかり 峯里源延重職 長屋里源延重識 天保山癸巳の歳冬十月中旬続業巳藤之 12604