兵法神武雄備集
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- 不明
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- 2026-08-17T19:23:20.996Z
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将助
1000
武備第一
索情
兵法神武雄備集
一兵法神武雄備集武備第一
主本目録
一国主郡主先可知八ヶ条之事
一大将先可知三ヶ条之事
一大将思用拾ケ条之事
一孫呉の十法之事
一大将八の不可頼の事
一士卒十病之事
『荒井恭信氏ノ歌会ヲ
以テ購入セル節関博士
兵法神武雄備集武備第一
一狩野亭吉氏善
主本
○国主郡主可先知八ヶ條之事
一天のときを可知事
〽天の時と云は年月日時星辰方角雲気煙気孤
虚旺相を云に非す時の盛衰運の順逆時節の
寒熱天道の変四時の宜を可知といへる事なり
私云天道は循環して陰極る時は陽生し陽消る
時は陰長す縦夏は暖にあつしといへとも冬冷
しく寒し天の相めくる事如此然は春夏
秋冬式さかんに旺し或かくれおとろふ万物に
天地のことはりにひとしきか故たま〳〵さ
かんなりと云共又おとろふ事まのあたり成へし
さかんなるをひかへおとろふるを待弓矢を長久に
取是時の盛衰をわきまゆるか故なり
運の順逆と云は我なしとしわさを慎いましむと云共
運逆成かゆへに其事皆さかろふて悪事に成行
事有是を運の逆と云へし譬はかねて思ひ
設て是をなすにはあらされとも運順なる時は其事
皆順に成行不思に利を得る事有是を運の
順逆と云へしめ此の事は天道の自然なるへけれ
とも己か身の上を顧て其事をなさは長久なる事
うたかひなし運に順逆有る事をしらさるか
ゆへにまとふ事多し
時節の寒熱天道の変と云は四時に於て寒熱
陰陽のことはり有其断をふけ時は五行の相対
相生を不知して万事に陰陽の二つの不離事を
不知天道の変は国主の行を戒る諫なれは
其変を知て己か一心を正しくして政道を全くして
君臣合体をならと是天道の変をもつていまし
めとなす也
〽四時の宜しき知ると云は春夏秋冬の時に従
たる行有天の四時の宜かことく其事に望て
其理をなす是を四時の宜を知るといふなり
二地のよろしきを知るへき事
〽地の宜を知と云は険阻遠近広狭高下を云にはあらす
防戦の地守成の地設を受る地部へ働地国を城にし
城を国になす是を地の利共可レ云
私云守成に利あらすして防戦に利可有地有地形
防戦にに宜からされとも守成をなすに利ある地有
是を防我の利地守成の利地といふ
〽又数をうけて手段を設け是を掌に利ある地あり
請るには利不有して働き出て戦に利有地有尤
其国主弓矢の取様に可依事なれとも地形は兵の
助なるかゆへに地形を以て論する時は又如此国主あらしめ
如此の作法をわきまへ知て一国を一城のことく持なし
一城を一国のことく持なし地の利を自由になす是を
地の宜きを知と云也其作法は妄末に論せり
三人の用を可知事
〽人の用と云は才能知不知芸不芸を云に非す人を
用かの法を知る是を人の用を知ると云なり
私云才能の堪不堪をわきまへ知て夫〳〵に是を成候
云は尋常の事也才も不才も知も不知も推て用之人に
強弱の替なきることく是を成を人の用をしるへきと意
如此に士卒をつかひ得さる時は大軍をひきゐて自由に
つかひなす事あたわさると古人是を戒国主大節
の心得なり
四相応の用をなすへき事
深思フテ而謀ヲ浅ク而志遠シテ而志遠云云
私に云さるへき智恵謀計はあらすして深き望をたゝわへ
身の分限にさまてもなくして其志山海より高く深し
皆其分限相応を不知かゆへなすましきわざをなし
ふ義をたゝわく不忠をなす是相応の用を不知る
故なり慎むへし
一五世に従て事異なる事をしるへき事
彼一時也此一時也ト云云
私云上代に用たる法令の世に不相応今の用か所得世に
ひとしかるへからす其時其世に随ひたる作法風俗可有
道理は一ツなりと云とも事は品替る事古今の
通法なれは如此事を知て其時代にかなへる政道軍
法をなす事良将の作法なり
六何事にも変ある事を可知事
私方の事一定せると存する時は其事に懈り有
昨日は今日のむかしけふは明日のむかし変化する事
物々にしかり故に安きに居ては危を思ひ楽しみに
居ては憂を忘れす何事もかねて如此に慎む時は
変に至て驚く事不可有国家長久成時は長久を
のみおもふか故に乱るゝ事を忘て武を失ひ軍政を
嗜ます事至て始て驚く事有候は兼て火事あらば
め此といふ手配を不成していつも爰は火事あらずこ
思か故不慮の矢火に逢て作法尽く乱る仍て万事
皆め斯なり
七天命を一し知事
一私云貧福貴賤皆是天道自然の定れる事也
求て致す時は災必至る故に作法を正しく致し
政道を専になして天命に任する時は災不可至
天衆をかねて求め定れる貧福を不知かゆへに
無理の利欲をなして身の咎をなす是将の誤に
依れり万事を如此可慎
八其物にあたつて其利を可成事
私言己か好めるか故に人の不好事をも人の前にしかたり
人是をすかされはあしきものゝ様に云皆是我私なり
事を不知して其物にあたりて宜き利を不知る
故也愚者をつかひ貪者をつかひ強兵弱言共に
其宜に応じて是を用なす皆是其物に当て
其利を成なり剱術の家に此語を伝へて秘
事とす其心得其品は替れるかことしといへとも
心はひとしかるへし
〇大将先可知三ヶ條之事
一武略
〽伝に云武略と云は治ノ内ノ作法一を正しく致し持の城取四国
なし陣を能構備を能立人数の手分手配手組共に
其作法よろしき是を武略といふなり
私云武略と云は外を捨て内を治己か心地を正しく
して其作法滞る所なく邪義邪法を捨て偏に
正理を行是を武略と云しかれば己が身の非を不知る
只人にかたん事を求我身のまがれなを忘て
一影をからん事を求は縦は幸に勝事を得るとも
亦是老中の危也故に将先己か身を正しくし誤なから
しむる時は影をのつからまからす是内を治作作法を
正しくするか故也されは敵に勝ん事を求る者に
一敵の非を不改而己か非を可改言法に論する時は先持の
一城取を堅固に構縄張を能なし縦不意の出合城下
におゐて謀叛の侍有と云共一旦に落城致さゞる
ことく其法を宜しくなし兼て手分手配手組を
相定源営の法を能定備定内習となして相違なから
しむる是内を治の断を外に推広めて城となり
陣と成備と成其物に応して其理を不念乱能強に
能弱なる時は縦散に不意に逢共かねて誤なきが
故に危事不有是を治内武略と云へし如此の作法を
不知して敵の非を求て勝ん事をおとふは皆是敬に
討るゝの虚なる所と知へし
兵法曰経レ之以二五事一事云云
二知略
〽伝に曰知外と云を名付て知略と云数の大将の善悪言法の
邪正弓矢の真草を知て其格に従て其手段をなすを
知略と云なり
私云武略を以身方の作法を正しくすといふとも
外をしらさる時は変に応しかたし縦は真実の道理を
明め得たり知者も其間人にしたかひて答るか故に
其理相応す主君へ奉公をなしと忠臣も主人の
気をうけされは奉公をなしかたし皆是外を知の
知略也爰を以散の大将の善悪を知て善なる時は
是に応而謀を用ひ邪義成時に其諸人のうとむ
所を知て是に勝事をなすとも兵法の邪正の様子
弓矢の真草の格に従て或位ノ式重く其敵其
様子に相応の兵法を用ひは不勝と云事なし是
先外を不知時は去法を用る事かたし故に知略と
号して第二に知外事をあらわせり
〽又曰部の様子を委く知て味方の作法と放の
作法とたくらへ教の作法のたらさるを見て其虚に
一勝是を知略と可云々
兵法曰校レ之以二七計一ヲ一而索二其情一曰主孰有レ道将一
孰有能天地孰得法令孰行兵衆孰強士卒孰
練賞罸孰明以レ此知勝負一矣云云
三計策
〽侍に云計策と云は変に応して鼓をはかり間者を入て
敵の手立を聞其時に随て兵を用ひは不残といふ事
不可有是を計策と云なるへし
私兵内を調ひを知と云とも時に随て設る手段を
しらさる時は敵に依て転化をなす事あたはす縦は
兼て謀をなし備を設け内習をなすと云共敵の様子に
依其場に望て思ひ設たる事に相違成事可有
如此の事は問者を入て敵の腹心をさぐり敵の蜜事を
尽く考しらされは用ひかたし考知事は計策に
非しては難尽此故に第三に計策を挙て数をは
かるの術とし味方を入て敵をたぶらかし返り忠の
者を作りて設のはかりことを知不戦して全く勝事
をなす是を計策の法と云なり武略知略能とゝ
のほると云又計策によらすしては花勝事をなしかたし
爰を以兵法に用之
兵法曰兵者詭道也又云明君賢将所二以動テ而勝
不成レ功出於衆者先知者不可取不可取於鬼神一ニ
不可象於事不可験於度必取於人而知敵之情也
一私以上三ケ条是を兵法の三本といへり此内一ツも
不正時は全く勝事を難得兵法のみに不限万の
事其物に応して或名をかへ武品を替て是をいへる
計にして其実理は是に不可過極めて是を論
せは武略知略は正にして計策は奇なり猶ふかく
云時は陰陽の前儀に不過天地の間万物の道理
陰陽に背事なし是兵法の千変万化奇正陰陽
をふ過かことしめ此の断を委細にそ管して不捨
一法不交一塵の趣に叶悪を知て必不捨善を
知て必不取只其部に応し其場に随て其謀を
なす事は秘中の秘なるへし能々か受口伝
○大将思用五ヶ条の事
見水則可思不流
私云水火は天下の用事也一日もなくんば不可有候段は
用水兼て無之時は日損にあひて水乏しきか故
一耕作心の侭ならずかけれの便りある所は久旱に
逢と云共水をかけて其積をのかれ霖雨洪水な
れは水をおとして其自由よきかゆへ水損に
あはず旱損に逢事なくして農業全し然者
水を用るの徳に大より北に至迄其徳広大なりと
一云共水若過る時は田畠を流し人家を亡して其
損又大なり故に兼て其損ある事を知て所に
依堤を築て水を防川除をなし水のはき可行
場を拵て其難を除時は徳たして損少し爰を
以江川の水を見る時は流されなんことを知て
是をつゝしむへしと云なり
二見火則可思不焼
私云食をむし水をあたゝめ寒気を防夜の暗きを
一明ならしむかは火にしくはなし其功能誠に多と云共
用る事其用に相応せされば家を焼財を失ひ
多年の功を一時になみする其災又大なり此故に
火を見る時は家を焼さらん事を可思と云り能
慎て其損ある所を除き法あることく致さは其災を
のかなへし万事に此心得有へし
三見レ人則可レ思レ見レ賢
云心は人の気質一様ならす其さかしき所有その
たらさる所有然者人を見る時は其得さる所を
すてゝゑたる所かしこき所をはより知て其役を申付
職をなさしむれば滞ル事なくすたれる人なし此故に
人を見てはさかしき所を見出さん事をはかるへし
といへり古人云天地無レ弃レ物聖人無レ人と云
心は天地の間に出生する物其数を不知其内には
善悪邪正あげてかぞへかたき迄雖有之天地終に
不嫌々不浄をも不捨か故不浄をもとらす其広
一大なり徳あるか故あらゆる物を不嫌不捨して其応用
明也是を天地に無レ弃レ物と云り聖人は其徳天地に
ゆつらさるか故善人に逢ても悪人に逢ても各
其用をなすをい好む事なくにくむ事もなし
天地日月の浄不浄を不取捨かゝとし若或好
式にくまば郭正を行の人たるへし是を聖へに
無弁人と云りさかしき聖主の行ひ迄こそ無之
共国主郡主其人々にしたかひて用之は棄れる
人有へからす
兵法曰至一於用レ人之際一則不レ可レ成レ拘二其才一故因
レ能授二職各取レ所レ長使レ得二以尽二其能一而任二其事一云々
四取国者可思為二亡国一
云心は古ゟ大将国を破り家を失給ふ事多し是は
安に居て危を忘当来に依て未来を考さるか
故也されは治れる国を守護せり大将あらかしめ亡国
たらん事をはかり賢者を招き其礼を厚くし
弓箭の作法を正す時は是亡国の備也故に国を
失身をそこなふ事不可有此志怠る時は知者を
不用賢臣を不招諫を不聞身を不慎か故に終に
国を失成へしこの故にめ斯云なり
五用レ兵者可レ思二終勝リレ之
云心は大将源之計事をなさず遠く不慮後道の勝利を
捨て指当たゝ合戦計を不廻ことく弓矢を取給へば
小利を得ると云共大利なりかたし戦に負勝をなし
得すと云共必至終のかつ所を考知て小事に
心を不付大事をなさん事をはかる時は其功
成就する事全し縦は武田勝頼剛強の大将たりと
いへとも右のわきまへをふ遠へをふゆへに長篠の
一戦にして大に敗軍し重ねて大利を得さかかことし
爰を以大将は必万事を如此可致遠慮と云義なり
私云右の五ヶ条を書面にあらわす道理は万の断徳
あれば損あり善成時は悪有善と悪と対し
徳と損と相めくり其損徳善悪を能知て其わざを
なし其事を慎まず災不可被来物不可捨ル爰を以其用
をなす事自由自在なり大将万事を一偏に
取始終を考へたまわずんば假善と知てなす事も
又其徳不可有右の五ヶ条を能はかりて其事に
従て用ては縦悪をなすと云共其事図に当るへし
物々に依て其徳と損をたくらべ其小利大利を
考知り正義を守て中道を行は危事すくなかり
へし可慎事共也
一老将は若きを用事
私云若き時ゟ度々誉有之大将は其手柄を自讃
して怠る心出来する故不意のおくれをとりて
功を全くなさゝる事有然者老将は跡の手柄も
忘て若き時初陳出る時初陣出る時のことく心を持怠る事
なく油断を不可成如此時は其約合宜しくして危キ
事なし是を老将は若きを用ると云なり
又云老将は己か武功ゆゝしくあるか故に縦其下の
衆不案内なりと云共老将能見届て是をつかふ
へし爰を以若きものゝかけはしり自由に
才覚ある者を見届て是を取立つかひ立は
我思ふことくにつかひなすへし其上功者成老将
下知を加へて用給に若者はいか様よき所あるか
故にこそ如此用給ふなるへしと奥ふかく諸卒も
存し取立らるゝ若者も武功の無之者をめ斯
重恩をなし給ふと弥忠良忠功を二心なく慎へし
然者末〳〵は功者と成子孫迄危くなく召仕るゝ為に
大によし是を若きを用るといふなり
〽又曰古来より其家に生れて大名なるか身の分限も
宜くさせり勲功も多き人はたとへ取立給ひても
深く忝は不一度又其家にも非してひいでんと
する若者を取立給ひて其人に随て御恩賞も
ゆゝしくは其重恩を浅からす存して縦何様の
大節成事を被仰付たり共二心を持事不可有
是を若きを用給ふの徳と云へしと云々
二若将は老を用事
私云若将と云は年はいか程にもあれ一度も
合戦廻合に不逢して武功の誉なき大将を
云なり其大将武功なき時は兵法の道様々の
習有事不知我好者計を崇敬し老功智を
不用万事にふせんさゝ成事多して正理正法を
取失ひ給ふ事有大将如此なる時は上を学供侍
尽く其風俗に随て家職を忘れ忠節忠功の勤
其道理に背へし此故に若き大将は心をなく
持不給老功の勇士を集て先代弓矢の作法
物語をせんさゝし名有名持の合戦の咄を聞給ひ
二六時中に其工夫をなし給はゞ能作法出来し
其国危からず各家職をきり常に心懸厚
して其すべを知か故国法軍法共に正しかるへし
故に如此いへり
三盛持は老弱共に用之事
意は盛将とは文武共に調りて聡明聖智
なる良将を亡り聖人は人を不捨か故に尤を用て
も若を用ても何れも其能所に随ひ其さかしき
所を用ひなする故を以尤弱共に用に不立き
なし是を盛将は老弱共に用と云り如此時は支
体の相随骨節の相数ることくにして其作法
滞る所なく其変宜して事を成就するに
たれり能々わきまふへし
四為レ古用新事事
云心は天は覆て外なき徳を立地は載て捨る事
不有断を顕し万物造化の有様四時運行の為体[ク]
一日月星辰山河草木夫〳〵の応用顕然たり是を
古法と云へし是を本として其微妙の用をなす
時は日々にあらたまるかことし若古法を不知天地の
徳に本付ずんばなす事皆私にして真実の
道理に不可相叶天陽地陰の至れる道理をまなび
万物に応して此事を成時は見る事聞事あら
たまるがことゝにしてあらたならす是を古きを
なしてあらたなる事を用ゆといくり爰を以西復テ
無レハレ外天之徳也明君躰レ是保二国家一載無レ棄地
之道也良臣則レ之守二社稷ト云る成へし
五為二新事一用レ古事
私云古法を請て今の掟とする事古今の通つたり
と云共若用る人不正時は古法に泥て却而能道理を
失ふ事有爰を以事をは新敷用ひ其時代に
随て其法を立て心は古人の正義正法を守へし
兵法に格を離て格に逢といへる事有縦は
水を背にして陣するをば為絶地[ト]地形なり
不可用之云は古法也といへ共韓信は背水の陣を
なして楚の大軍に勝是離レ格て合レ格者也と云也
孫職は竈を減而魏の彭堅に勝虞詞は竈を
堀して大鼓を打其法一様に不限只古律古法
の心地をうけて事あたらしく可用
〽源君家康公未天下をしらせ給わさりける比
和泉の城へ御越被成候に諸臣申て云他国にての
義なり其上所の者も定而道の行粧ゆゝし
かるへをなとゝ云て見物群をなすへし承候へは
其軍法御定なくしてはいかゝ可有と各申上候
所に何の作法と云事のか有我意地ましに
供奉可仕と仰有けりとそ是は敦国へ押入に
軍法をなし行列を調ることく致事古法を言共
其所其部に依て明将其事を新敷用給て
おのつから古法に相叶かゆへ也悪将はめ此事を
不知微妙の智恵なきか故に或はことぢに興して
琴をしらべ舟をきさんて剣を求む或格に離
ざれば不得自由とて戦ふ度毎に常の作法を
矢かゆへにふたつなから勝事不得
「兵法曰不レ可レ象二於事一
古人曰悟則是非俱ニ是也迷則是非共非也
〽又云我に形なきを神と云と云々我微妙の玄通して
其事を用は皆古法にかなひ古人にのつとるのみ
にして割符を合たることく成へし然らは新敷
事に似たりと云共皆古法也是を新き事を
なせとも古を用と云々
〇孫呉か拾法の事
一道
道者令二民与上同レ意可二与レ之死一可二与レ之生一不レ畏レ君共一者也
私云道と云は仁義五常にして人間万物の治る源也
若主君道を不知時は賞罰の法不正臣をつかふ
事おさ〳〵しからさるを以忠節忠功の賢臣あらず
衆儀一味せざる事多し故に民上と志をひとしく
せすされは人君道徳を行真実の道理を得て
能下を治めば上下心にして魚と水ものことく
危に望むといふとも主恩を大節に存して其心
死をなすへし是道によらずんば下を治めかたし
爰をもつて第一に道といへり
二天
天者陰陽寒暑時制也
私言是は上天の時を可知といへるにひとし故其行を略す
三地
地者遠近険易広狭死生也
私云上地のよろしきを知るといへる断に同し爰以略て
四将
将者知信仁勇嚴也
私言将と云は者頭物奉行式侍大将武者奉行式一
手の軍将たる人を云り然るに其将を撰ずは其事
を用ひかたし第一に智と云は是非を分別して
善通にくらからさる是なり
にしてうたかひをなさず真実の深き是なり
仁と云は士卒を愛憐して我子をつかふかことく
なす時は其志をしるかゆへ差引心のことく成へし
勇といふは臆せす不弱勇猛にして大鼓を見て
不然是を勇と云なり〽厳と云は大将たる徳
備りて士卒の為に馴侮れさる是也如此の五の
徳有て其能物えに貧しき者是を将とすへし
五法
法者曲制官道主用也
私云曲制と云は曲は部曲也と注して五人を伍とし廿
五人を両とし其備を段々にわかつ是を曲み云
制とは金鼓旌旗の約束を定め人数の大小
所の遠近なからしめ前後左右をひとしくつかふ
是を制と云官とは五人に手分しては其頭を
付廿五人を一手になしては其手の大将を定め
それ〳〵の奉行を申付る是を官と云り
〽道と云は働入へき道筋其遠近をはかり険難を
知る是なり主用と云は合戦に可用諸道具
其用所をなす器残所有さるかことく相思らむ
是を主用といへり以上五ツの作法相調る時は
内とゝのほり作法色くして危事不有故に
是を孫子か五事と名付ぬ
六理
理者治レ衆如レ治レ寡
一私云一人に勝事をしらされは万人に勝事を不得
一人を治る事を不得は万人を治る事を不可知
万人を一心のことくおさむる是を理といへり故に
一紂か億万の人衆は億万心也武王の三千人は
一心なりと古人是を云り此断を不知時人を
つかふ事をふ得此故に第一に理といへり
七備
備者出スルレ門如レ見レハハ
云つは侍とは鼓を見され共其法をあらかしめ
備おそるゝ事なしと云共常におそるゝ人あるかことく
慎む是を備と云爰を以門を出るより敵を見るが
ことく備をなす時は不重の教に逢事なし備と云は
人衆を立手配をなす計を云にあらす何事に
不依其事不用意をなす
皆是を備と云へし
八果
果者論敵不懐レ生
私に云敵にのぞんて疑をなさず必死をむねと
して戦を一途になす是を果といへり大将かくの
ことく其つ底を決定せされは大節に望て無
二の防戦をなしかたし既や国を離れ堺を出て
一大敵と一戦を遂事其疑有てはかなひかたし
九戒
故に果を以其将をいましめたり
戒者雖レ勝如二始戦一
私云かねて万事を遠慮するを以縦其数に
勝と云共猶こり断をなさす始て敵に逢がことく
戒め守か是を戒といふいふ心は安に居て危を
忘すたのしみに居て憂を思ふかことく成皆
是戒と云へし
十約
約者法令省而不レ煩
私兵法令繁多なる時はそむ〳〵者多して其法立
事かたし法令に不限万事のうわさに労而
無功と云る是也譬は万巻の書をよむと云とも
己か一心を治さる時は皆是外にして我実を不得
かことし品々多く設けずして事をつゝまやかに
なす時は不レ労而可レ有効
以上是を孫呉か十法と名付く将能此断を知て
其国法軍法を調る時は国家不治と云事なく
兵法不正と云事なし爰を以是を武略の源と
なせり
〇大将八の不可頼之事
一天不可頼二地不可頼
三人不可頼四大軍不可頼
五安樂不可頼六官位不可頼
七理不可頼八兵法不可頼
私云心にたのむ所有時は其法怠て不正候己か
宜しき道理也といへ共是をたのみなすは大成
一誤也たとへば漢の王眼君は吾美人なる事を
たのみ昼工にまひなわすして胡国に趣きしか
ことし万事の断必と頼む事不可有殊に兵法は
怠るを以放にうたる怠さる時は実にして虚なら
さるか故にうたるへき不意なし爰を以大将
八ツのふし頼といへり
○士卒十病の事
一うたかひ二恐懼
三つかれ四うらみ
□□□□□□□□
五臆心六二心
七飢渇八混乱
九まどひ十不知法
私曰是を士卒の十病といへり大将是を知て
此病を去ときは士卒衆義一味して其事
ならすといふ事非す条々口伝あるへき
事なり
19479
〇
一。
一一一一一一
狩川
兵法神武雄備集武備第二
索情目録
一人情敵格を可考作法九ケ条之事
一人を可試作法九ヶ条之事
一侍大将者頭物奉行可申付器量九ヶ条之事
一士大将者頭物奉行不可申付侍九ケ条之事
一家になくて不叶四人の事
兵法神武雄編武武備第二
索情
孫子曰校レ之以レ計而索二其情一云々此篇人の情を
はかり敦の格を可知事を記かゆへに索情と
名付たるなり
〇人の情散の格を可考作法九ケ条之事
一真行草三の格の事
私曰真の格と云は仁義の弓矢にして権謀詐術を
不用不道の者を誅し罪あるを殺し民と好悪を
ひとしくして殷湯用武のふるき跡をしたひ本を務
理を心得一人を殺して万民を安んせしめ不得己而
兵を用たゞひ是を真の弓矢といふなり
〽行の格と云は作法行義を守前後の次第を乱らす
一奇変を設手立有と云共深く詭を設る事は
不好たとへ不勝と言共非義なれる働をなさす我お
さめし国を散にいろわせず一ゟ十に至迄段々に
国を治め飛こえたる事をなさず位を守る是を
行の格と云なり
〽草の格と云は仁義を捨てゝ権謀を専とし品を越て
階級を不守無理也と云共利ある時は是をなし
一ゟ翻て十に至事も有十ゟかへりて一に至る事も
有非義をなし無理をなして世のそしり人の嘲り有と
云共大利を得創業を成へき至洛の踏へ所有時は
一図一図一へんにかた落ずして事をなす是を草の
格と云也
〽今案真行草三の格は兵法を用る人国此内に
入ずと云事なし然共王者の兵は真にして伯者の
兵は行戦国の兵は草如此其時代に依て三の格有之
といくり此内王者の兵は今の世にちかく用ひ来る
一人なし故に行の格を以今は真の格と云へし然に真
草の両格は其用る人踏所有て彼時は両様共に理に
可叶候は軍を正しく致シ作法を専とし備を組城を取
にも其古法古令を本として手組手分をなすは
真の様也作法に不殊軍法によらず他を不分城
取に不構其手分を不用して心底に実理を使たる
是を草の格と云り此二様皆将の好所其風俗かたき
にして善悪を分かたしちかく道理を顕に衣冠を
かふりしたふづをはき官位爵位それ〳〵の階級に
したかひ其礼を為は真と云へし其より心安き時は
肩衣を着し袴をまとひ身をいんきんにして色と
うや〳〵敷なす是を行と云是ゟ心安時は礼をやめ
和を用ひ心安く人をあいさつし或平座平臥して
やう〳〵たる形をなし其和きをなす是草也め此一人の
上に於て時に依人にしたかひて三の格を用ひその
一相応を成す皆是真行草の用たる所なり
〽又曰三皇無レ言〽而化流二四海一、帝者躰レ天。則レ天。則レ地有
レ言有レテレ令而天下太平ニ王者以レ道制レ人雖レ有二甲兵之
備一而無二闘戦之患一覇者制レトト士ヲ以レ權結レ士以レ信使レ士
以レ賞信衰則士疏賞虧ハ則士不レ用レ命云云是真行
草三の格也易曰堯舜垂衣裳一而天下治是
眞也三代楫譲征伐而天下治是行也五伯權謀
而伯二天下ニ一ニ一ニ一ニ一ニ是草也
二静なる家はやき家両様の事
私曰静なる家と云は作法を正しく守り無道をなさす
恨義をとらず道理を貴て物の自然と成就することく
家風也其比縦は如レ水と云く水は当座に甚敷事
なく漸に物をうるほし次第の功をなする故品をこ
ゆる事なく段々に物をうかほし穴にみちて後進む
大将の家風如此時は円長久成物也尤一旦に大利を
なす事は非すといへとも功積り善積て後には
終に其大用成就せすといふことなし大用成就の期に
望ては亡る事たやすからす其家破る事安から
として或五代式七代十代をたもつ事有之
〽はやき家と云は位を不守譜代を不貴人のそしり
世のあさむきにふ様おもふ住なる風俗をなして
過奢を好み将に定れる法なければ下に大成望を
おもひ分限をかきらさる家風是なり其作法縦
一如レ火と云々火は一旦に火力を用る時は大家高楼をも
焼失ひつきよき薪に先ついて次第を飛ても
焼失す定れる事更になし大将め此時は当座は
甚敷いさきよく見ゆれとも功を子孫に伝へて
一守成を全くする事かたし火さかんなりといへ共
常住もえさるかことく火力やかてつき安し是早し
家の風俗如此
古人云上善如レ水水善ク利レ物云云云又曰盈レ科而行云云
〽又曰弗レ戦自焼云云
〽今楽朝と早と両様の家風は其家に備りて有之
か故大将の好む所に可依儀也と云共道理を以考之に
静なる家は水のことく早き家は火のことし爰
を以長くなると不久との替有之大概長久に
相続せる家も破へき期に望ては必早成物也
縦早道を乗馬五町十町続て早き計なれは
馬息切て損するものなれは静なるにに長久なり
安く早きには長久成難し此所を大将工夫有て
はやき家風に成行ときは是をおさへて守成の
大功をなさしむる事結要の所なるへし
〽古老伝て云昔勢猛くのゝしる名将有之けり
此将一度天下を守護せし内は知行侍縁を人に
あたゆる事官位叙爵の道をも軽んして
其器量宜しかるへけれは凡鄙の侍をも取立て
一国半国をあたへ当座の言語気に相応せると
いひて或は一郡半郡を損助し少の科誤あれは
従類三族を亡し給ふ其家風のはやき事
火のことし然と云共世に背く臣下もなく国に
乱逆の民もなくて其代は治まれりけれ共相続
久しからすして義程なく天下の守護をゆつれりけると云々
〽又昔能静にて国をまつり事したまへる良臣有
ける不道を戒メ譜代を貴運を天道にまかせて
身の行を慎専に仁義の作法を以て万民を節
忠節忠功の士有時は夫に少禄下官を与て其者の
志を楽し見大罪ある者もしば〳〵是を尋究て
罪を軽くなし給ふかくて年月を送るまゝにおのつ
から天下の執権手に落八方を掌に握給ひける
其作法縦は水のことく自然に功を成就し給へる
故世を相続して其餘風萬世迄に及ぶへかり
けるとそめ此其ためしをからさる事なれは
静成家は長久にして早き家は不久事まの
あたりなり是に付大将創業をなすに静早
両様の口伝有之事なれは能々可更口伝
〽又曰早きは家には下のはげます所強く静成ル
家には下皆分を越たる望なく身を慎のみとてゝ
三生れ付六品有之事
第一静成人弟二はやき人弟三おとく生付たまへ
第四軽き人弟五ねはき人弟六さくき人
私曰人の生れ付陰陽五行の性分を得て出るに
過不及あらすと云事なし過不及あらすして
能中道に叶ひ生付たる人を達人といへり人の
格を以て其心を知るには様々のある事なれば
班固が前匠書には人を九品にわかち上に三段
中に三段下に三段合て九段の評をあらわもり
当流には六品六者とわかちて以上十二品合て
一品に極て論之也第一類成生付の人は縦火
事出来の砌我先下に居て秘蔵の道具を
かた付妻子をのくべき所を申付事に動持
致事なく万事を踏へて其道理に叶ことく
麁相ならさる作法是なり第二はやき生付の
人は右の火事の時分いまた火おほひにならす屏
のおゝひ或垣壁なとへ少計付たるをしつまりて
物の下知計致て居る時は火大事に成事勿論な
れは如此の時分は家財をなげうち雑人小者迄
集て先ツ手はやに火をけさしむる是一心の落
付てはやき故也或大地震の時早く出像なる
いひ言に人の急に切時ちゝりとすれば早飛違
取て押臥かことく成事是皆早き生付の致
事也第三おもく生付たる人は行義作儀法を
不乱言をすゝなくいんきんに礼を用ひ我兼る
せんさゝ致たる意地をふまへて大節に望て
もあふなげもなく事を致生付也第四軽き
生付の人は縦は座敷をあるく共軽々として人ことに
弥義をなし言さのみ静ならす能道理をふま
へてかろき故式軽くして或はおことく人にすく
れて神通自在成心強き所極りたる人也
〽第五にねはき生れ付の人は大小事共に物を破ら
さる様に致し我意地を慎て人ゟ先に物を云
人先に事をして人にひだちをうたれて
はと万事をひかゆる心有かゆへ跡先を遠慮し
其作法外より見えかたしと云共氷の日にあたりて
とくるかことくいつとなく万事をうららかに成
是なり〽第六さくき生付の人はあらかしめ心に
せんさくを極置て何事に於ても当座に
行あたる事なく俄に驚く事あらすさら〳〵と
うけなかして滞り無之生付是をさくきと云也
〽以上此六品は定て人に生れ付有之然共其心真
実を得て我至極の道理をふまへて六品ある時は
何も其心正しくして誤あらさるもの也是を以て
其人の心底をはかり可知と云々
四同六者之事
第一油断なる者第二ひよんなる者第三手にそき者
第四あはてもの第五埒のあかぬ者第六十万明口扣者
一私兵此六者と云は前の六品のうらなる生付にて人の見
そこなひ安き事也〽第一油断者を静なる人と
見る事有之油断なる生時の人は静にして一心の
ふまへ所落つく道理をしらず閑居隠遁の風俗に
見え安し第二道理をふまへずしてはやきを
ひよん成者と云立ましきをも立急くましきを
いそく是皆ひよん成生れ付也此生付の者はや
きと見る事有〽第三手おそき人と云は当
座にあたりて智恵のいらさる事をもねらして
奥意にふまへたる道理なき生付也是をおとき
人と見そこなふ事有也第四そこつに生れ付
物をはや合点に致置ゆへ大事の時国周章
するもの也此生付を軽きと見る事有之
〽第五埒のあかぬ人は理に図くしてしかとものをも
いはず不案内にて上には繕て佞人を構ふる
是をねはき人と見ちかふる事有之〽第六と
ほうもなく口をたゝき一日物を云共人のたりに
成物がたりをいたさず人のいふ事を聞伝て首尾
もあはさる長物語を致し人の用に立たかる
たぐひ是を能さくきものと見そこなゑる事有
〽今堂に六品はよく六者はあしく六品を取て六し
とし六者をとりて六品とする事皆闇大将の
作法なれは此道理をわきまへ知事結要の所也
五五敵の事
副敵弱敵破散随散若敵
私言剛教と云は弓矢の勝利をわきまへ知て
軍法を正し五事七計を調へ忠節忠功の家老
おほく迫合々戦度々有て戦法に能ねれたる
名高き大将也〽韻散と云は国法軍法共に不正
弓矢の正義を取失ひ邪義朝路にして万事の
作法を失ひ風流を好極山活計を本とし武士道
ふせんさく成大将を云破散と云は仕かゝりたる軍
をは利を矢と云共是をまわさず血気の勇をたか
ぶり後道の勝利を不考さしあたりたる軍に心を
かけて切所険難をもいとはざる大将是なり
〽随散と云は或時は強く或時はやわらかに利を見て
すゝみ難を見ては退き数にしたかひて将変を
なし縦は柳の糸の風に随ておれさることく或は
したかひて龍下になり或はきつとして敵と成
ことく定かたき大将の風俗是なり〽若散と云は春
大将の年はいか程もあれ強も弱も落付すして
いまた弓矢をとらさる故其わかちわきまへかたき
教是を若散といふなり
〽右は敵に五鼓有其格一様にあらす縦は近き我
国にて論之は武田信書は剛散上根管領は弱穀
一北銅緬信信は破散織田佐長は随散康郷は
其比はいまた若殿と可申分也何も残所なき名
将其格め此なれは我好所の格を知て敵の格を
計其かたぎ其格に相応の弓矢を取事干
要の心得也
孫子曰知レ彼知レ己者百戦不レ殆不レ知レ彼而知レ已一勝
一負不レ知レ彼不レ知レ己毎レ戦必戦必敗云々
六五性の数の事
私云是は秘事なれは略々
七人の心品々廿三ケ条之事
一おこりて不礼成者一謙りて慇懃成者
一正歌にしてきれい成者一邪欲にして貪る者
一短慮なるもの一勘忍つよき者
一言明にしてねは口成者一弁才共に明成者
一心剛強成者一心明也こそ共其身不調法にて
至らぬ者の目に短才に見ゆる者
一身を重く作りて心には替なき者一外は温和にして
心はけしき者一貌恭クして心たかふるもの
一こまやかに見えて誠すくなきは一分別有て
一艶多きの一剛ぎにして才知なきもの
一正直に見えて誠なきもの一愚痴に見えて
忠の心深き者一才知甚敷して誠の心なく
一偽おほきもの一礼義を慎て内に人を侮りさげ
すむ者一麁相なるがことくにて却土静なる者
一外は勇猛に見えて臆病成生付者一外は知恵
もなく容貌も劣りて内万人に勝れたるもの
私云人の品々多しと云共大概是に不可出此品々
我身心に備りたるかと云事能々思案工夫を
致し我身にて我心を知事叶かたくは能被官
を見出し家老を崇敬して親兄伯父のことく
大切に存し馳走致し義見を請吾悪意を改め
一法事結要也敬の格を知人の情をさくるには
先苦心の踏所を知我松を考て已後に人をさげ
見るときは大方十人か九人善悪の見定かたき事なし
八心をあらいきたいみがく三の作法の事
私云人の善悪をはかり我心をあらためなをすに
三の心得有〽第一心をあらふと云は万事を強くせん
さゝ致し我心貫格は何方へ至りたると云事を
極めて知事也縦は石と金とましわりあるを
せんたゝして石を流し金計に致是を洗と云也
〽如此我心をあらひ出したると云共きたわさるが
ゆへに修養する事すゝなくしていまた物に応して
転動する事安し石と金とを洗出したりと
一云共其金をきたわされは用をなすべからす縦は
同しく金なれとも鍋釜の類はきたわさる金なる
ゆへ物にあたりて破るゝ事安し正義正道を
得て弥其道を習練する是をきたふと云なり
〽みかくと云は壁は刀脇指をきたひ地がねはがねを用て
きたひ終れる共とぎをかけて是を磨されば物を
きる事ならすみがく事あしけれは切断する事
自在を不得なり其作法とゝのほり習練の功
なしても弥とぎみかきて真実の至善に止る事
干要也是をみかくと云也我心を正し人の格をしる
事此三段をわきまへて後に可用事なればめ此
いへるなり
〽昔大蔵杢といへる猿楽申けるは謡を声能うたひ
其ふしを能しり鼓拍子迄きゝたり共上手には
なるへし名人と云には至り難し其芸にたんれん
致たるは上手と云也手口の器用を以て心を洗
きたいみかく是を名人と云也と云々諸事に此道理は
渡るへき事也
九大将十過をしるへき事
一勇にして死を軽するもの有之
私曰大将至て勇猛成時は人衆を引廻す事なく
進て敵と打死を致せすよしと計心得て命を
おしまさる大将なり
二急にして心速なる者有之
私曰急と云は心短慮にしてせわしく心なかく久しく
持事難くはやく物に怠屈の心ある是を急にして
心速かなると云なり
三貧にして利を好むもの有之
私曰貪とは邪欲ふかく分限をこえてふかく物を貪る
私欲多き者也如此大将欲に心をそばわるゝ事有
四仁にして不忍人もの有之
私曰仁とは爰は慈悲ふかき心也慈悲ふかきは大将の
よき所也と云共いらさる所にしひなく人の迷惑
する事或は人の云事を無理なりと云共さし
あてゝ云事を嫌いか程も人の言をうけいれて
おる是也忍と云はかんにんをなす事也人のいた
む事をばかんにんせずにゆるすたぐひなり
五智にして心怯きもの有之
私云智恵弁才ありと云共あなたこなたと思惟
ふかく一圖におもひ格たる事なくして心よはく
つたなき大将の事なり
一六有信而喜レ信レ人もの有之
一私云正直成侭に人の云事を何事に不依信し
人の云にまかすり大将有之なり
七廉潔にして不愛人者有之
私云其身無欲に志いさきよく仮初にも悪衣
悪食を喰はず人に一言も云そしられじとたし
なむ是を庵潔と云也如此大将は人を殺す事を
何共おもはす不愛人もの也
八知にして心緩きもの有之
私云是はあしきとは知て居なから心なかくして改す
是は善なりと云事をわきまへて心ゆるくして
急に不動大将なり
一九剛殺にして自用もの有之
私云我つよき心にまかせて人の云事をは不聞入
我分別思案のことくに事を用るもの有之
十幅にして喜て任レスル人ニもの有之
私云懦と云は知恵才覚すくなく心よわきもの也
如此大将法人次第に事をなし人にまかせて置
物也
右以上大将の格に此十の内一ツも有之時は必手段に
乗安く計策にかゝりよし故に十のあやまりと
云也大将是を考て我にある時はあらため敵に
此格ある時はそれにしたかへる謀略を廻すへし
〽急而心速者ニ可レ久也貧而好レ利者可レ遺ル也仁而不レ忍
レ人者可レ労智而心怯者可レ窘也。信而喜レ信人者可レ誑ス
也廉潔而不愛人者可レ侮也智而心緩者可レ襲也
剛毅而自用者可レ事也。儒而喜レ任レ入者可レ欺云々
〇人を可試作法九ヶ条之事
一常々おなし事をも幾度も尋其人の答る言葉を
聞て其せんさゝの様子知恵才覚を可知事
私云常々我臣下家老の様子善悪惣して諸
奉公人近習の侍の実不実を知才知弁舌を
見るには先何事にても理の紛れたる事
あらば臣下近習の侍を招き集て不審をうつて
可尋其時所存之旨少も不残申上るに付其者の
弁舌才覚作法をしりたる不知なとゝ云事をは
則是を可知但おなし事とも繰返して幾度也
せんさゝ勿論なり其故は主君へ対して申上る
事は不断心安き所にて十可云を一つ二つならては
申上へあだき物なれは切に御尋有之て其者の
始終の所存をきこしめす是一〽当座には不出と
一云共期をのばして慥成道理を工夫致者も有之
是二〽当座に申上たる理の外は工夫しても不出者も
有之是三〽弁舌分明ならすと云共心は明にして
自然と理をいひ披く者有之是四つ遠慮をなして
一旦は不申上侍も有之是五如此の道理あるかゆへ
幾度もおなし事を尋て其人の前後の様子
始終の実不実をしり給ふ事肝要也一旦の事に
依て善悪を定給ふへからすと云義なり
二外様の侍智恵才覚のはしりまりをは鷹野鹿持
なとの時分是を考知給ふへき事
私亡外様の侍は大将一年に五度三度なしては目に
見給ふ事も有へからす然者近習に取立給ふ計
にては外様の侍はげみあるましけれは切に鷹
野鹿狩を被仰付組付の者共頭の下知につくか
ふ付歟組々の作法相倹狩詞いつれか宜しくして
道理にかなひたる式大将直に下らへ詞をかはし
給ひ其者の知恵弁舌を直にきこしめす時は
下々外様共に日比のはけまし各別にて作法
次第に宜かるへしと云々
三近習の侍并外様組付者頭物奉行御うしろくろくらく
なく御奉公を勤る実不実鏡にあらはすとく可被見定
作法口伝の事
私云是は兵法試人の大極意なれば妄に洩へからも
口伝有之事也
四横目目付を以人の善悪を可見定奥意の事
一私言目付と云は諸侍の作法を見定る役人也目付に
邪義あるを見る是を横目と云是に可申付役人
是をゑらみ不用時は聞事見る事にまよふか故
亡国乱君と成事多し口伝ニ曰以二天下之目一見レ之
則無レ不レ見也以二天下之耳一聴レ之則レ無レ不レ聞也以二天下之
心慮レ之則無レ不レ知也云々天下の目天下の耳と云は
多く見おほく聞と云にはあらさる也其口伝其心得
秘中の秘なれば口伝残之
五抑揚褒貶捨縦与奪之事
私言是は別巻に出が故に略之
六常録を与へて奢らさるを見大事を授て心の変ざるを見
一是をつかひて其実不実を与へておそるゝ事なきを見
謀略をはからしめて其知過を見問をいれて其誠を見
財を占へて其なな欲正欲を見
一私云是は本堂か八黴の心得也め此して其心を見ば
人馬かゝさんや
七視観察之事
其なすわざを見其道理観し其安んする所を
察口伝秘事なれは略之
八人の心をはかるにためして事をはかるとためたすして
用てと其心得かはり可有之口伝
私云是は秘事なれは爰に略て
九其人の心根前後のかはりなきを以信不信を可知事
◯侍大将者頭物奉行に可申付気質九ヶ条之事
一忠節忠功の侍
私云知恵才覚有て其人柄大事を成にたれりと
云共志の一図ならすして二心をおもふへき臣
下を侍大将惣して頭奉行に不可申付其故は主君
の御物を大節に存し御うしろくらくなき者には
何様の密事を内談有之ても謀外に洩る事なき
なり其人うしろくらく人の足もとを見て能
方へ付今迄みかたにても忽に敵方へ心を通せは
大事を談しかたき事勿論也爰を以第一忠節
忠功の侍をゑらひ給ふへしと云也然共忠節忠
功に其品多き事なれは大将心あきしかならす
しては是を見分給ふ事難かるへし第一忠と
云は中心とかきて忠とよめり中心と云は心に
物をへだてずして一筋に主君の仰を守り
私の志を立ず縦外よりは怯者臆者と云共主命
有之時は其命を慎て他の嘲を不顧其志丈
夫なり是を忠と云なり仮初にも主命は如此な
れとも外のおもわくはめ此なれはと内に二つに
隔たる時は中心と云へからさるなり
〽節と云は其事の品々時分時節をはかりて宜に
其理をかなわしむる是を節と云也姫君の仰め此
といへ共其時に至りてめ此後道理可置と存る時は
夫にしたかひて事をなす是を節といふ天道春
夏秋冬有は忠と云へし春はあたゝかなれば其
節に応して春眼を着し夏はあつきかゆへに
一暑衣を着するの類是を節といふなるへし忠功と
云は心に中心のへたてなく唯天理の誠をのみお
もふ時はおのつから其人徳義勲功備りて其いさをし
ある是を名付て忠功と云なり
古語曰有忠者無二二心一程子曰尽己無レ己無レ歎為レ忠
朱子曰又已之謂レ忠北漢陳子曰忠信二字従古来
有二人解得分暁諸家ノ説忠都只以二事君不レ欺而言夫
忠固能不欺而以不レ不レ可如レ可如レ此則忠之一字
只事レ君方使得説信又只以不疑解信則不可能則
所謂不疑者不疑何事説字骨不出直至
二慈悲ふかき侍
私云兵法曰仁則有二惻隠之心故能愛人といへり云つは
仁と云は人の悲みを見て憐をなし事に觸て愛
憐を催し人に施を成時は我家内の侍に情に情に情に情に堪へ
無理成事なく考弱大小ニ随てそれ〳〵に心を付
慈悲をあて行へは諸士義を重んし恩に感し
危きに望て命を軽んする事鶏毛ゟ軽しされは
人に情を施は人の為にあらす本ゟ吾身の為也と
古人もいへり
三智恵才覚ふかき侍
私云知恵と云は万事に渡りて滞る事なく
物の善悪を能わかち事の理非を深くわきまへ
知る是を智恵と云也才覚と云はちゑを以
わきまへ知たる事をそれ〳〵にさばき品を
つゝる事才覚成人にあらされは不可叶遠慮
分別何も智恵の枝葉なれば第一智恵を備たる
侍を可用と云也但智恵に正智邪智の替り可有之
邪智と云は当世俗語に利発利口なとゝ云ることし
指当て当話を能いひ眼きらめきて口をたゝく
物なり是は世智弁聡と号して正智にあらさる
なり此所工夫尤なり
兵法曰苟為無智則不足以下天下之事云々
四信実ふかくして不偽侍
私云信実と云は邪義邪路にあらず正義正道を守り
偽を去て実をたしなみ誠の志深き侍是将に
可用器量也兵法曰有レ信則不レ偽ト云々将信
あさき時は賞罰人の用すくなく下知もとおる事
なし故にめ此いへり
五敬みふかく物を大事にかくる侍
私曰慎みと云は越度なく疎略ならずそこつ成事
あらす万事を大事に積り遠慮をなす是を慎重
いふ也慎ふかくらず物を大事にかけされは敵身方
勝負のせんさく内習の吟味うすきか故おくれを取
ましき所にておくれを取事有之大凡世間体
後悔出来し誤ある事は慎をなさず懈怠生し
事を侮る所ゟ起れり殊に合戦の道は縦は高山に
車をおすがことし高き所へさかしまに車をきしり
あくるには多くの他力をかけされはあからず絶頂の
きわまて推あげたりと突おす者油断を
致時は山急成かゆへ車忽に落安し時をかさねて
おし上たる車も落る時は瞬息の間なり合戦の
評議を致し財寶を尽し人民をつかた等し
年月をかさね時日を移して働きをなすといふ共
身方に弓断あれば大切一時に滅す
諸曰戦々兢々如臨渓澗如履薄氷云々兵法曰敬事
下人ニ者人無不従以己奉レ人者衆無有服
六威のそなわりたる侍
私云威と云は人の軽しむる事ならず敬ふ徳有て下
其令を能用ひ其下知を侮事なきことく人の重ん
する所そなわりたるを威と云也大将感なき時は
下是を不恐上を敬事なし但作りて威をなす
にはあらす其人にいみしき道徳あれはおのつから
威あるもの也左伝曰有歳而可畏此記記
呉子曰其威徳仁勇必足以率一ルニ下云〻
七武辺手柄の走廻り数度有之てすゝれたる勇気有侍
私曰合戦迫合に数度逢武邊手柄の走り廻り其功名を
遂たる人は兵法にたんれん致し其道功者成へし
勇気と云はいさみにかく心物に不動転危に望て
おそれさる是を勇と云大将此勇あらされは士卒を
ひきいて死地に趣き一途に謀を成事かたし夫人の
生死は天の命にして述がたくちゝむへからす必其
きわまり有之と見えたり縦東方朔かよわひ
をたもち彭祖かことふきを得たるも其かきり
あれは終の道はかけろふ稲妻露幻と云共其へたて
不可有め此の世間を見なからさせる財宝をあつむ
へきにもあらす人間百歳を上寿とす百歳
いきく死する共其期に至ては残多事又ひとし
かるへし其所をわきまへ知生死大事の至極を
一発明して身命を軽すり是勇也但勇に仁義血
気生徳其かわり可有之兵法曰無レ勇則不レ可レ可ミ
以任天下之重
八名を用る口伝
私云名を用ると云は武邊場数多くして然も其
道に功者成ものを用ひ可給義勿論也と云とも
或戦国久しく遠さかり如此器量すくなき歟
或は走り廻りは有之と云共遠慮才覚無之して
其急量大事を任しかたき類は名計を用みて
世間ゟ名高くいひ立ほまれはあらされ共戦あらば
用に立ほまれも可有之侍也と連々申立る侍を
用ひて頭奉行を可申付如此侍を用ひ給へは其
下其下知をきくもの也其上世間よりすくれて
名をよふに大方の事に有へからす
大学曰十目所視十手所指其嚴矣乎云々
山本勘助元来参州牛窪に住したけひきく
色黒く一眼にして又片足なへたるをかしき生付
なりと云共世間名高き侍故武田信書扶助せられ
百貫の知行の約束なれとも即座に弐百貫あて
行ひ殊に足軽大将を被仰付けり如此類名を用ると
云なるへし
九理にあたつて疑なき侍
私云兵法に果敢決断と云事有縦は理をせんさゝい
たし至極に落付たる時はかさねて評論に不及則
其謀をなし其合戦を企千万人か云共心をふみた
かへす一筋に極り思ふ事大将此志あらすして理に
あたると云共疑をなし国法軍法共にすわりたる
意地なけれは難に望て後うたかひ多く事終て
後悔有之爰を以理に当て疑心あらさる侍を可
用と云なり
兵法云当ヲレ断ス不レ断スル断ニ反受二其乱又云持二不断之志一者
開二群狂之門一執二狐疑之心一者来二讒賊之口一又曰
果者臨レテ敵不レ懐レハ生テ尚書云惟克果断ナ。乃因二後難一ニ
尉繚子云除害在於敢断云〻
〇士大将者頭物奉行に不可申付侍九ケ条之事
一我意を立血気過たる侍
私云我意と云は我心に合さる事をは君命をもどき
万事に我理を立る侍是を我意を立ると云なり
血気過たる侍と云は血気は武士のいさむ所なるかゆへ
用之事勿論と云共邪義の強みを用ひ或一二を
あらそひ或一身の働に心を入我下の侍を引まわさす
勝負の善悪に不構散に侮れはつかしめらるゝ時は
理に不当戦を好む顔是を血気の過たると
言なり故に此両様を不可用意と云也
兵法曰勇之於レ将乃数分之一爾夫勇者必軽合拒合而
不知利則未可也云々我夫子曰暴虎馮河而死去悔者
吾不与必也臨事而懼好謀而成者也云々
二智恵才覚有く軽薄なる侍
私云智恵才覚有ても其心軽薄成時は其智恵皆
邪義にして諂ひ貪り私を以おほやけを忘主君の
為を不思金銀をたくわへて富貴を好事是軽
薄の侍の意地なり爰を以主恩を山のことくかふむり
ても君に悪事有時諫言をたてまつらず主
君御用をきこしめす共世の政たるへき事をは
指置いらさる事を申上る是皆智恵有て軽薄
なる侍のわざなり
三軍法ある事を不知侍
私云軍法と云は前後進退の掟金鼓旌旗の用其
作法定れる所有て是を不習練は智者も不及
賢者も不知所是を軍法と云此法をしれば丁
近時には進み退へき時に退て其節にあたる然に
軍法有事をしらされは邪義のつよみをいだし
定れる下知を破てすゝみたゞにかゝつて討死すれば
是将の本意也別に軍法有へからすと心得たる
侍是也如此侍をは頭奉行に用へからさるなり
四巻ありといへ共其道に不功者成侍
私云武邊是廻り其功を成に二ツの道有〽第一己が
勇猛にまかせたゞにすゝみ働く所計を知たる侍有
〽第二に合戦勝敗の日利人に勝れ地形の善悪を
能わきまへ知て其道功者成故度々誉有之以上
両様の内誉は切に有ても其道不功者に近速
宜しき事を不知は士卒を引率して下知
せしむへからす一人の進退と万人の指引は替れり
事なれば此所を可致分別也
五知惣才覚武勇有之と云共其事に油断多き侍
一私云何方も能うまれ付其誉残所なく滞る所なし
と云共物に油断多く有えて心に怠有侍は頭奉行に
不用也備は門を出るより鼓を見るかことしとて
不断敵を見ることく心を持を備とは兵なり然に
可致食戦をも心なかくして勤て是を不致後道
の勝利をふまへさる故に取ましきおくれを取事
勿論なればゆだんある侍を不可用と云也蘇老か
詞言姫は肩ぬきあかはだかに成ても剱きを
提け鉾を横たへて弓断あらさる所へは勇者も
たやすくふへかを付也又くろかねの鎧を着内曲を
しめ枝をつき刀をもてりと云共油断多く睡居
せる所へは童子是に近付へしと云々
六邪欲ふかき侍
私云欲は人間のなくて不叶物也然とも欲に邪正の
替有之邪欲と云は取ましき物をとり音物賄賂に
ふけり理をかへり見すして欲ふかき是を朝欲と
云頭奉行如此意地有之は義理を不知欲にふける
故其家中悉く風俗あしく成其身も大節に
望て心を変する事やすかるへし
兵法曰貪而好レ利此則好レ貸者也故可二遺レ之以レ略
七志を不立侍
一私云志を不立と云は一筋なる志無之我心に会得
なしと云共大身の人の事をは證引致し心に
よしとおもへとも云人小身なれは不用之さし
立たる意地無之侍は頭奉行に不可用也
「兵法曰懦而喜レ任レ人則必不レ明二於事一云々
八巻有之と云共ふせんさくなる侍
私兵せんさゝ吟味すくなき時は正義正道なる走廻り
すくなく誉も実理にかなへる事無之爰を以
第一うしろくらくら「第二ふせんさく〽第三ふ案内
第四面定通外第五通言を云
手柄其わきまへことくなく〽第七首尾不合〽第八
恥をしらす是皆誉有てふせんたくの家也
九短慮成侍
私云短慮と云は気いらひどく堪忍強からさる
侍の事也め此大将は敵に欺かれ賎しまるゝ時は
致間敷合戦を致し取間敷おゝれを取計
有之見利而動不見利而止是持の本意なり
必短慮にして図を不見働く侍を不可用也
急而心速者必不レ能レ持レ久故可レ久以糜之云々
〇家になくて不叶臣下四人の事
一家に久敷家老の文武共に備たる侍大将を大良に
存し大将も此人を敬祖父のことく崇敬有て
一心安く思ひ釣合有之臣下の事
私云兵法に是を腹心の侍とそり主脊レ謀応レ卒揆
矣消変総二覧計謀保全民命ヲ云々
二城を取陣を布備を立人数の手組手分手配勝負
の善点よく心得たる侍式大将の一族歟又は其家に
久しき家老にして其湯合によき士の事
私云兵法に是を股肱の臣と云此則代養復者也
必其能力於治事也故主任重持難言代将任重
難之事修溝治壁所以為守禦之備云々
〽つり合と云は秤に物の軽重をかけ合つり合能
こときにたとへ其臣下威たかく主息ふかしと云共
おこる心なく怠る所なく能強能柔なる是をつり
一合と云也口伝なれは略之
三武道正義正道の理に徹し遠く通り思案工夫有て
弁舌明かに智略計策能致臣下の事
私云兵法に是を通才と云所謂主拾レ遺補レ遺補レ過以
輔助之応二賓客論議談語以代應対職消患解
レ結除二危難一云〻
四侘国へ往来して様子を伺ひ四方の事を考然も
智恵才覚有侍之事
私云兵法に遊士説士と云是也所謂主伺レ奸候レ変
以開二闔人情一使二人心不レ疑敬二敵之心一以為二以為二間謀一是又
因敵之情而惑之云々
して
同村組組組
武備第三
分類
一兵法神武雄備集
一
一兵法神武雄備集武備第三
分類
分類目録
一武者分十七ヶ条之事
一諸役者之外陣中え可召連品々十二ヶ条之事
兵法神武雄備集武備第三
又曰武者分
分類
○武者分十七ヶ条之事
一士大将
古老伝云五拾騎以上人衆預る人を士大将と云也
私云兵法に五拾騎を以一備とす云心は五は天地の
定数四方に中央を合て五とす故に音不過五色
一壱文五ゟ起れりしかのみならす五を陽
数とす陽は万物を生し動陽の徳にそなゆるかゆへ
国備を五拾騎と定たり其上五拾騎ゟ下廿騎
廿騎四拾騎は其備堅からす五十騎ゟ上六拾騎七拾
騎の至百騎に至迄は其人数一備に致て多きか故
一進退下知自由ならず此道理を以て不少不聞
の中分を得て五拾騎を一備とす然共放に依
所に依て用る備の人数其多少はあると云共其
大概を取てめ此論せる也
又曰五拾騎ゟ上乃至弐百騎三百騎迄も主君を
持て一人の働不叶をは侍大将と云也其故は我
たのむ大身を大将と云かゆへを以て本大将と
対していひかたきを以て是を侍大将と云なり
二足軽大将
伝云馬上拾騎弐拾騎の玉馬上心様騎計に足軽十
廿五拾百計も差添預る侍を名付て足軽大将と云也
私云足軽大将と云は弓鉄砲共にかちあしかるを預り
頭を足軽大将と云也大概かちあしかる廿五人に
頭壱人をよしとす作法別巻に出之尤大将の
一好に依て廿廿五拾百計に大形廿五騎四拾騎十
騎計指添預らるゝ事有之縦馬上は四拾騎迄
足軽は百預ると云共是を足軽大将と云也
三長柄奉行
伝言五拾本に壱人衆一有之是は六奉行とは各別
なるへし
私云家中ゟ出る所の役長柄にても備に付たる
数長柄成とも是を引廻し奉行を致役人を
長柄奉行と云也此奉行は五拾本に壱人又は三拾
本に壱人成とも相応を考て可申付也但六
奉行の内の持鑓奉行と云は各別也大概長柄持は
一五拾本に五拾人やみ煩手負死人のかわりに
五人式三人に手明を壱人一印付此外にかち
侍壱人宛けいこの侍に致事も可有之なり
四惣旗奉行
伝云是又六奉行とは各別なり但武功の侍を撰可申付
私云是又家中ゟ出ル所の惣旗式備々の證據能也と
云共是を奉行いたすを惣族奉行と云也但拾本に
壱人五本に壱人計奉行を可申付是も六奉行
の内の御旗奉行と云にあらす然共其武功の人を
ゑらひ其器量に依て可申付也施指は大方壱本に
三人かゝり或弐人かゞりなり其家の族に依へし
手明けいこ等可有之族は備の印なるかゆへ別
して大節とするなり
五武者奉行
私云武者奉行と云は弓矢の正義に達したる侍
しかも場数有て軍法をしり知弁謀略共に備り
たるに足軽同心か々差添預り置大将の御旗本の
近習に被為並弓矢の義を御相談有て軍中の
下知法度相印相詞なんとを申渡し諸備へ
走廻りて下知致役人なり諸侍の奉行を致か
ゆへに是を武者奉行と云其釣合を一考事尋
六陣場奉行
私言是は出陣の刻ゟ敦地へおり付迄毎日之陣屋を
見立て営をなさしむる奉行也但馬上五拾百計も
不持時はあしき子細有之妾は別巻に出之
七持筒持弓の足軽大将
私云是は惣足軽大将とは替りて御旗本の持足軽
を預る頭也但其器量相当せされば其損多きか故に
是を可撰也様子は右に同前
八御旗奉行
私云御旗本御紋の施園居共に拾本十二本
一の至拾五本共本なりとも奉行を致奉行也
但大方奉行は弐人可申付也殊更に此役は六奉行
の内なれば其人柄常の武士同輩なるへからす
九御持鑓奉行
私云是は長柄奉行とは各別也御持の鑓いか程にても
奉行致役人也故に持鑓奉行と云也是も六奉
行の内也様子は長柄奉行と同前也
十組頭
伝云与頭と云は番頭の事也
私云組頭と云は只今の番頭の事也番頭とは御旗本の
武者廿廿弐五拾六拾斗にても御番所を請取て
御番を相勤る内に頭なければ諸士みたりかわしきが
ゆへに其組の内にて能侍をゑらみ其頭たらしむる
是を番頭と云也式奥近習式外様馬廻り或大
番役なとの内組頭と云是なり
又云竜頭と云有之族頭と云は一国半国の内小身の
侍武者を引率して出る其族の内にて頭を後を
是を施頭と云也近代は絶て其作法なし
十一小荷駄奉行
伝言小荷駄奉行と云は大剛の侍大将の殊に二三百
騎も人数持たる士大将の役也但合戦なき時は大方の
奉行を申付ても可なり
私言はたらきに小荷駄の入と不入と其替有之
云心は自国をはるかに離て二日三日或十日廿日
とも他国へ働入には小荷駄なくしては万事
不自由成かゆへに必小荷汰を可用なり小荷
御と云は雑人夫嵐子のたくひ荷物にて道具
主用の夫馬多き故少の事にて混乱致安し
故に奉行を付て守護せしめ部地に於て煩
乱せしめさることくに役事勿論也爰を以此奉行は
大剛の武士にして騎馬数多く持たる侍大将を可
申付也或又近所へのはたらきして国地はなれず
一合戦無之時は小荷駄いらさるかゆへに奉行も無之也
又御陣にあらすしては大方の奉行を申付ても
くるしからさるなり
兵法曰馳車千驅草車千乗帶甲十万千
里饋粮内外之費賓客之用膠漆之村車甲
之奉日費千金云〻
是皆小荷駄に用るの道理なり
右者頭物奉行の内にて或足軽大将と云式長柄
施等には奉行と云或は頭と云三色の品其古法
古実有之事也惣して武士を預るものをは大将と
云故に足軽大将は足軽を預ると云共馬上を指
添て預るを以大将と云り〽長柄旗の顔を預ル
役人は騎馬を預らず其上長柄持施指なとの
こときの雑人を引まわして其指引を役かゆへ
是を奉行と云也〽頭と云は其内にて器量の
能ものを撰て頭とをす也此道理を以長柄頭
能頭と云時は長柄持の内の頭旗指の内の頭を云へし
奉行を頭と云事大成誤也縦は町奉行と云か
ことし町中一切の事せんさく検断を司る是を
一町奉行と云也町頭と云は町人の内にて其人柄
然るへき者をゑらひ惣町人の頭として万事
を亡付る是を町頭と云也如此事其せんさくを
極さたする事当流に於て専一と致所也
十二使武者
伝云是は武邊場数すくなく共弓矢の正理に徹し
勝負の善悪地形の生死能心得たり侍を可申付也
一私云使武者と云は只今の使番と云武者なり
是は戦場に於て跡先へ合戦三月合の御使又は
横鑓二の手のかちなとを仰付らるゝ時施本ゟ
諸備へ御使に行役人也殊に備先にて物見
番の者なくは使番仰を請て物見をを事有之
爰を以武邊場数はすゝなく共弓矢の正理を
能わきまへ其断を心底に治め敵みかたの
勝負の善悪地形のよしあしなと能々たんれん
致たる者を可申付也縦は旗本ゟ先衆へ御使に
参て先衆敵とやかえせり合有へきを見ては
早々かへりせり合なき様に申て大将に弓断を
なさせ戦二のかちを不被仰付是使衆不案内の
至なれはつかひ番は別而せんさく致へし
十三目付横目
私言目付と云は家老出頭人或は者頭物奉行なと
公儀に対してゑこひいきある歟或其組下の
者預りの者の内にて音物賄賂にふけり理非に
まとふ事有歟なとゝ云事を正すを目付と
云也横目と云は頭奉行の善悪目付の見届て上
聞に達するにゑこある歟理非まかへる歟と云事を
正すを横目と云也如此に目付横目を定め家中の
善悪を見届せんさくふかき時はうしろくらき
事少も無之私を致ざる物なり但大将此役人を
ゑらひ被仰付るゝに善悪の二つ有之其故は目付
横目の申分を大将正直に思召て万事の仕置
法度賞罰を仰出さるゝ事なれば此役人あし
き時は家中さわかしくして末〳〵家のみたれみ
成事有之と見えたり
〽今案目付横目と云事は上代にになかりけると
見えたり中比太政入道平清盛公の時十六七
計なり禿六七拾人洛中洛外をはいくわいし
民家へ乱入て直に清盛公へ申達しける故
罪なくして配所へ趣く輩其数を不知と記録に
出たり是ゟ目付と云事流布せる其濫觴は
清盛也ちかき比は武田入道信堂の時目付横目の
差別を定て邪正をよくせんさくありけると云々
〽又田目付横目を可被仰付侍は必小身の侍成へし
其徳多しとも云り
十四歩武者
伝云甲冑兵具を帯したるを武者と云也
私云甲冑を帯し兵具をよそおひたる侍をは
大小上下共におして武者と云也武は勇士の称也
爰をいたけきものゝふといふは是武者の
民にあらすや
一十五徒虜武者
伝云久敷対陣に敵みかた出て迫合有之時能
武士肩なとに手を負其疵いまた不愈に大合戦
なと有ら時は具足きられさるとて不出してはふけ
に付頭奉行に断て具足をゆるされて出をすはた
武者と云なり
私云死生は必然の道理にして定れる事なれば
甲冑を不希共長しかるましき事勿論なれ共
かたく下知して具足を着せしむるは其身堅固
なりとおもわせて其志を定んといへる事也
されは子細有みて甲冑をゆるされ可出といへるや
〽今案上方衆は足軽に彼具足をきせず身かるに
致しかけ是を自由なることく致さしむ是はあし
かるを普請以下に一角其為也東国にては彼具
足なりといへ共肩に掛さする是は進むに志を
かたくせしめんと云奥意也両様共に其理有事
と見えたれ共当流には東国流を用ゆ其徳
大に有之事也
十六出法武者
伝云具足を着て指物をさゝざるを出法武者と云
是は其品定らずといへとも甲冑美麗にして其
一万豊能は侍大将か物頭の印と知て大閤戦勝利のみ
追首にても不可捨者也
稽常の侍は其備に定りて対の指物有之もの
なれは指物をさゝすと云事無之子細有之ふ
指時は自余の印を用か故なり是を出法武者と
云なり又侍大将者頭物奉行は指物をはさゝず
或国居小馬印と相定かゆへに指物をすさゝざる也
爰を以甲冑美麗ならは頭奉行のしるしるしと
可知とはいふなり
十七白歯者
伝云白歯者と云す中間又は草履取或夫嵐子
なとの一度も具足着たる事のなき者を云なり
私云上代は位高く氏よき者は皆歯を黒く致もり
中間草履取の類は歯を白くして居せし故
名之白の字をあをきとよむ事白馬の節
会にひとし
○六奉行の事
一御持鑓奉行弐人御持旗奉行弐人武者奉行弐人
伝云是を六奉行と云也軍中の仕置或合詞合印
皆六奉行ゟ出るなり此故に弓矢功者の侍其器に
相当せるを可撰なり何も采幣ふ持してかなはず
功すゝなきは名計口伝
私云此六人より軍中の仕置法度を致相伺相印を
毎日のせり合々戦の度ことに被仰合るゝ役人也
其上非番三人の衆は物見に出て諸備の様子
進退の下知を見切て可申付也爰を以弓矢
功者にして其釣合能分別望慮ふかく其器量相
応致たる者を可申付何茂采拝に不持して不叶
と云は此六人御旗本の前後左右を乞廻りて御
大将の下知を申正る役人なれは来幣不持して
不叶と云や功すくなきは名計口伝と云は其
役人功すくなき時には名の采拝と云をゆるさる也
真の再拝を被仰付時は功多き衆申分有之
事古来より多し爰を以再拝持たる同意に
一心得とある義を被仰付事有是を名のさいはい
と云也
〽式云六奉行は万事軍中の相談を致役人と有之
しからは家久しき家老或侍大将なと御相談有て
其事を定給ふ事実義なるへし然に別に此
六人を六奉行と定らるゝ義いかゝ有へき事歟
一予曰当流に六奉行と云を定むか子細は家老伝し
大将の類は人数持成るゆへ一方の仰を承りて相
勤に依て御本陣へ問隔たるへに御本陣間
遠くして切々往来有之は諸備共に疑おほく
其上其まあとにてさわくへしめ此損あるかゆへ
六奉行と別に定て自身是廻り諸手へ下知
致さしむる也兵法曰国政不入軍云々口伝多き
義なり
○諸役者之外陣中へ可召連品々十二ヶ条之事
一儒者
私言部方へ書状往通の草を作り陣所の制札
一神社への願書なとをかゝすへき時其文章を
制作し文字をゑらひ古語を引古事を
可考為に召連る也
二医者
一稽古本道外科共に用之て其利有或諸軍の
疾病を治し手負の疵をりやうしの為に用之
三大工細工鍛冶
是は陣屋をかけ栖楼をあけ陣中可用諸道具
の細工其外鍛冶を用ひて其徳多し
四金堀
是は陣所に於て金堀を入て城を掘くずさせ
或矢倉なとの類をも掘倒さすへき為也
五忍在所の案内の
是は戦場に於て放城の様子を伺ひ可知ゐに
恩を用ゆふ断も隣国の様体国々の作法を
知は恩にあらすしては不叶也勿論敦方所の
案内者是を兵法に郷導と云也
六算勘者
私云勘定奉行賄人と云是也陣中にて米粮
不自由なる時には諸軍自ら労れて用みに
利あらす糧用の有余不足を考働の心得を
なさしむか類有之事也
七馬医
八猿楽
九水練
十出家
〽私言出家は往来のつかひ或計策の為式は敵方に
送り来る頭を請とらしむかたくひに用て
十一軍配者
○和六日月星辰煙気雲気吉日良辰吉方山
方なとを考知る為に用之
十二右筆
一書状願書を認るに用て
右是は其品大概をあけたり是に応して工夫
致可用之也
兵法曰腹心一人謀士五人天文三人地利三人
兵法九人通糧四人奮威四人伏旗鼓三人股肱
四人通才三人権士三人耳目七人爪牙五人羽
翼四人遊士八人術士三人方士二人法算二人云々
腹心此則将之所頼以定大計一者也
謀士此則謀主也有智者皆可為之也
天文此則観天象以察時変也
地利此則択二地利以処スレ軍
兵法此則韜鈴之士暁兵法一者也
通糧此則運二糧食之職也
奮威此則近鋒之士也
伏旗鼓此則勇力之士也
股肱此則代二ル挙復者也
通才此則智略之士也
權士此則通変之士也
耳目此則廣見聞之士也
爪牙此則所以敵愾也
羽翼所以強声勢也
遊士此説士也
術士此巫卜之職也
方士此則醫療之職也
法算此善会計者也
二月廿一日
狩川山
武備第四
内閣
一兵法神武雄備集
兵法神武雄備集武備第四
内閲目録
一弓矢内習十三ヶ条之事
一内談之時兼て可致勘弁九ケ条之事
一出陣之前兼而可申合六ケ条之事
兵法神武雄備集武備第四
内閣或曰内習
一私云古老伝曰内閣と云は内談なりと云々事
いまた至らさる以前に我心安く存か腹心の臣下を
集めて内談を致し設め此後時は味方此手段を
なすへきと能評議を極る是を内習と云り夫
兵は国の大事兼て其事を定めたりと云共
危に望ては其作法不可相調故にあらかしめ思案
工夫をめくらして衆儀一味ならしむる是内習
の作法なり
司馬法曰雖有明君子不先教不可用也
周礼夏官大司馬職
中春教一振旅一司馬以旗致民平二列陳如二戦之陣一
辨二鼓鐸鋼銃之用一主ハ執二路鼓二諸候ハ執二責鼓一軍
将執晋鼓師ノ帥執提旅師執師執レ撃卒ノ長執銃
兩司馬ハ執レ鐸公司馬ハ執レ錫教二坐作進退疾徐
疏数之節遂以蒐田ス有司表銘誓民鼓遂
囲禁リ火弊献レ禽以祭レ社中夏ニ教ニ教ニ教二菱ヲ一ヲ如二振
旅之陣一云〻
中秋ニ教二治兵一如二振旅之陣一云々中冬教二大閲一云々
皆是内習の作法法なるへし
○弓矢内習十三ケ条之事
一味方の諸事其作法に心を一付事
私云敦国へ働入と云共敵の事にのみ心を付て
味方の弓矢のせんさく万事に心を不配時は
事に望て必相違する事可有故に敵国へ働
入時は先味方の善悪勝負の道理を能者頭物
奉行に申付其吟味を細に致させ諸臣下の知
不知を詳になさしむる事第一なり
二人の国をさだたせんより先我国の可躁処に知て
其思案内談可有事
私曰近き所の無理を改て遠き所の兆を見る事
万事の次第也我国よく治りて後に敦国の破る
へき所をはかり一知爰を以人の国を破りさたゞ
しめんとする時は先我国乱れさわかずと云事
なし此所人にうたるへき所なれは爰を知てその
ならしに気を付へしと云事なり
三他国の大将或其臣下の誤ある所をはからんゟ先我
一家老各へ不審を申かけ大小上下共に善悪と分て
よき方へ改内談可致事
一和曰人常の習にて自賛毀他有云つは人の非をは
見知と云共己か非を不知して自身の誉ル是人の
好所也此故に他国の大将其臣下のあしき所をふ
計して其臣下者頭物奉行の悪敷所其人の
気変好む所を安く知不審をかけて其臣
下の知を察し縦小身下位の侍たりとも
其云事理に相当らは是を用ひ其詞を以て
其心を伺ひよからん方へ内談を可極大方世の
ならわし大名老臣は己か積功にほこりく我
意を立る事多し爰を以内談本意を失事
有去程に宜方へ可付と云也
訊二リ其衆一求二一ヲ二四兵一秀闢二四門一ヲ人君
用人之道未二必不レ必不レ詢二之衆ニ而得レ之者況用
兵之際才技之人没二於行伍一者不可二勝数一苟
非レ非レ記二ニ之衆一ニ何以得二其材一乎亦曰問二謀於衆云〻
四人に一勝事を求んゟ先人の家に勝ん所を能〳〵
置りて其非を改め他国へ働き入ても無怪我了
一箭をとるへき事
私曰古人云遂レ鹿猟師は不見山と云り山中に
入て猟する狩人鹿を見付て是を追時は近き
山をも不見云つ也合戦の道も亦如此教に心を
付る時は味方を忘るゝ事猟師の山を不見に
譬たり故に先我に人の可勝非を改め幾度も
せんさくを遂[リ]味方如此時は散如此と云遠慮をな
して内談を極弓矢をとるへきなり
昔能戦者ハ先為レ不レ可レ勝以待二敵之可レ勝不可レ勝
レ勝在レ已可レ勝在敵故善戦者能為レ不レ可レ勝不
罷レ使二敵之必可レ勝云々
五味方の内にて無二心勇士を散方へ入て敵の様子を
可知事
私云歌の様子を不知時はみかたの弓矢を取に其
備定其内談いつれを期して可究様なし故に
かねて所の百姓地下人才覚成を見届金銀音
物を送りて散方の様子を可知或町人式出家
何も敵の油断致物なれは是にて間を入てその
様子を知る其作法は計戦の巻に出之如此にても
猶疑しき時は見かたの内にて大将の御心安万事を
御相談被成無二の忠臣を御勘気ある体になし
述懐のいきとをりあるかことくもてなし敦国の
辺へ遣して後敦の様子念比に聞或内間
出二勒戦篇一
として前方指遣したる計策の役者出
家町人百姓牢人なと内通を致たると相応
不相応を考実不実を弁して内談をなす是
大切の心得也
六部の家中相疑さたつことくに手段を以役内訳を可成事
私云つに士卒一味して志を一ツになす時に
放たとへ弱しと云共其鉾先かたく軍法不正と
云共破るゝ事かたかるへし故にかねて敵国へ
ふ入已前に部の良臣の間を隔て家中に
疑有て二ツに分れ一味不仕ことく計策を入
知略を廻らし敵の君臣の間をわかち味方へ内
通の者有ことく内談を成へしと云儀也
七強弱内談仕様之事
私云部方強弱知不知の様子とはかねて可知之
是を武略と云り然共敵の分限よりはるかに
別部に致してみかたを弱まに仕り一重に思案を
廻らさずして敵如此時は如此と云事を内談致す是を
強弱内談仕様と云也ケ様にならしをなす時に
一般剛強成と云共其期に望て危事不可有
又曰前後の替りと云口伝あるへし子細は内談の
時は敵強味方弱の批判なりと云共敵にのそみ
戦場に及ては敦強のせんさゝあらしむへからす
兵法ニ莫レレ使二弁士シク語二敵美一と云是也是を前後の
替りと云也
八人数積内談戦場前後替りの事
私曰数方人数積りの作法は別巻に記之数の人
数の大小をはからされは味方の備定かたし然に
内習を致時は敵の人数拾万ありと積らに拾五万
程の敵と積りて味方の弓矢取様を内談可仕
子細は小人数をは侮り安し是一あなとる故に
備を役す是二備を設されは内談廟算たらず
一是三部の土卒の多少をは推量して考るか
ゆへ其替有へし是四如此の理あるか故に敵を
大鼓に致内習を幾望にも仕る時は小散は云に不及
大敵に逢と云共備違ふ事有へからす是内談
の時の積り也但壱万あり人数を五万七万と積千
ある人数を壱万あると云ことく各別替事は
かへす〳〵誤也口伝可有
又敦と戦場の砌は諸卒の気をはけまさん
為成る故に小散也と云事是習也其理安く月
候の巻に出之
九内習顕密之口伝可有事
私云内談致事其事を密にして謀計を外に
不洩かことく致と云共備を割手配を致し組結の
作法を詳に成事は隠して是を内談致難し
一然るに顕密の口伝と云は敦剛設成歟功者成時は
部に我備の内習をしらせすして不意に可討
所存ある時は是を密にして人の気を不付心を
不附ことく致是密の内談也敵の弓矢味方より
弱く人数も小勢成時は戦法をならし備を立ル
事顕に致へしめ此時は鼓不戦して服し旗下に
なる事有是を散の気をうばふと云也又は
味方の家中疑しきか又は敦より味方をいやしめ
あなとる時には内習を隠密にいたし其事を
外へ通せしめさる物也め此事は数に依身方に
依品々の口伝ある事なれは口伝を受へし
首関東に土岐の末原上総に万喜少弼といふ
一大将有此少粥河房の屋形と取合を致せる時
一前方不断舞台をはり猿楽兮集明暮能踊に
好くけり房州衆是を聞扨す万喜は武道の
せんさく悉く取矢かゝらさる遊山を好と侮り
ける故に万喜をは捨て正木大膳と我をなし
一正木をしたかへてけり万喜是を聞右の舞台
を破り能をやめて近国の衆を寄防戦を達て
名誉をあらはしけると云々少弼不断踊を好み
能をすきけるも是皆士卒を内習せしむる
手立也けると云々少弼か武功其心得ふかゝり
けると見えたり
一十部国の地下味方に通用することく内談可有事
私言味方いまた放方へ出馬不致と云共地下の
百姓町人兼て此方へ内通をいたし身方の御
大将出馬あるかことくにと諸百姓悉くしたしむ
時は働入て弓矢取やすし縦剛散成と云共
其地下め此そむゝ時は其弓矢長久ならさると
古人も論レ之
十一大合戦ならには必定勝利疑なしと云事をも大将の
心得を以て諸軍の所存信不信をしる事
和言大合戦といふは放みかた対々の人数にて
互に場よしの時かけ合の合戦を致是を大合戦と
〽言也如此成大事の合戦には幾望にも内談有て
頭奉行諸卒共に安定御勝利疑なしと所存を
きわめたると有時は御大将御分制を以再
三合戦被成ましきと仰ある事有之て諸侍真実に
存歟又頭奉行うわつら計にて軽薄に申かと
ある所を考知給へし是大節の意得口伝重々
あるへし又曰たとへ諸軍真実に勝利
疑なしと存と云共大事の合戦にはわさと大将
御同意なく合戦をねらす事有是士卒の
気をねらし励ス武略異朝にて其先例多し
計ルニ不レ
十二出陣せしむへき朝に望てはかにたらさる長せんき
あらは其内教方へ内通の問者ありと可知事
私兵勝利疑なき道理見付て既に出陣を成時
頭奉行諸士の内にして理に似たる非を弁をかざり
利口をかりて云事あり是時分をのばし図を
はづさしむへき為る其使節往来を待る何も
内通間者の可致所なれば如此事大将の心付可
給事也
〽昔源三位頼政平家に鉾楯し高倉の宮をた
すけまいらせて嫡子伊豆守仲綱次男兼綱三
一百余騎にて三井寺へ取登りせる五月の末つき
六波羅へ押寄夜討にすへき由内談を極め既に
打立んとしける時一如坊真海阿闍梨と云増
平家の祈をしける故夜討の程をのばさんか為に
弟子同宿数十人引具して其座へ出永〳〵と
むかし今の物語を致てせんきを致ける故五月の
みしか夜ほの〳〵と明にける如此の類ひ皆これ
時のこゝろへ成へし
十三内習場所の事
一私兵内談評儀外に洩る時は敵是に依て其謀を
設く故に我国の計策武略の手段相違して
破をうる事疑なし故に万事の大事を蜜談
するに評定につらなる臣下の外は内外共に
是を洩さしと深ク慎へし凡蜜事を談合の
場所は常の所にては不仕もの也国人の往来なく
一四方に立聞すへき所なき場をはかりて出入を
禁し番を付目付横目を以て其辺に往来の
者あらは是をとがめかたく人を禁し其内にて
内談を遂へしいにしへは其場所の四方に堀をほりて
一下には石をたゝみ人の不捕ことくして其内にて
評定をなせしと也
〇内談の時兼て勘弁可仕九ケ条之事
一敵の人衆積有へき事
私云敵の人数をはからさる時は味方の備定かたし
故にかねて敵の人数をはかりしるへし其法
第一教の所知の高下を以可相計第二所知の
善悪に依て可積之第三に譜代之家出身の家
其替可有第四に大将に依て式知行高を
とり士を好或小身の侍を好其積に従て一考之
第五に時代に依て替か有其子細は長久守成
久安の時分は国家に其費有か故に人衆会限に
はるかにすくなき物也第六働の遠近に可依
第七助の兵来るへき数め此事を勘弁致して
其人数を積る時は大概相違有へからす是を人数
積の武略と云也
一二鼓の弓矢其格ある事を可知事
私云人の生れ付軽重早速あるかゆへ其弓矢に
真草の格有真の格にも軽重有草の格にも
軽量有め此事を能不積時は味方弓矢の取様
敵の変に応する事かたし爰を以散の弓矢
又其格有事をはかり知て其部可相応五性
一五散其口伝有之事也
三部国并家中其作法を積て弓矢を勘弁可致事
兵法曰経之以五事校之以計而索其情云々
部国の作法其家中の様子形義作法を所の者に
委細尋て其様子に従て弓矢を取其善悪を
はかりて手段を可役大かた鼓不断の弓矢の
下知国法の様子に依て其軽量はしれやすかるへし
一四敦国へ加勢後詰なとあるへき方を可知事
私云敬たとへ剛敦なりと云共別国ゟ加勢を
なし助をなすへき大将なき時は一重かわにして
かた〳〵是を責るに心安し城主国主へ相通る
一隣国ある歟加勢後結を成へき内意の国ある所は
一奇手其考なくしては勘度を取事勿論也
故に如此所を積りて若敵方加勢有之と云共此
おさへを可用と云事を幾生にも勘弁致事
肝要也
五部の大将無二に心安く存る腹心の臣下を可知事
私言敦方良将多しと云共大将是を許容せされは
其謀を用行れず散腹心のことく是を崇敬致し
軍事を是にまかする臣下を知て其大将の心を
疑しむか勘弁あるへき事
知或数の臣下の間を隔て或計策を用て臣下を
六陣中へ可致持参諸道具を可相考事
私云陣中へ持参致す道具と云は金鼓旌旗中
一冑弓矢の類は不及言金銀米銭の類衣服の売に
至迄能遠く通り守戦攻戦主客両様の時に於ても
其費何程と云事を第一一考知也孫子に帯甲
十万にして其費一日に万金を用るといへるかことし
又曰取二用ヲ於国一云々耐繚子曰器用不備則力
不壮云々
七味方米倉并諸侍貧福を可積事
私云味方粮米不足成時は長陣をはり合戦を
ねらす事成かたし殊更諸侍手前うすゝし
ては遠く働く事叶ひかたかるへしめ此所を
はかり知さる時は遠近の働叶かたし
八穀の米蔵の積り各諸侍貧福つことりの事
私云教方粮米の有余不足を案内意を以委く
聞届夫に随て味方の考有へし或部城粮
すくなき時は囲而不攻或は兵粮多き時は熊と
音信に粮米を送りて其計策をなさしむる
是勘弁多し爰を以め此言なり
九陣中へ可召連者を可考事
一軍配者二敵国の案内と三忍
四算者五水練六金掘
七文者八出家九右筆
九右筆
本道外科共
一十猿楽十一医者本道外科共十二咄之衆
十二咄之衆
十三賄人十四膳奉行台所人十五細工大工金堀
十六伯楽馬血取
此の類それ〳〵にせんさゝ致て兼て兼て恩をあたへ
扶助を加へ出陣の砌めしつれへきなり
○出陣前に兼て可申合六ヶ条之事
一陣中之法令兼日に堅可申付事
私云法令前に不定時は作法猥かはしく備不定
この故に兼るに評定を遂せんさくを極て陣中
一切の下知法度の様子委細に積りケ条を以て
諸軍へ触きにせ者頭物奉行の手前に一紙元書
一写させ念を入て其作法を可申合と云義なり
二諸方国地道筋の様子細に諸軍へ申きかせ都なから
但
しむへき事但弱備なとへは猶以能一申聞事
私云地形不案内成時は諸侍の走廻りも不如意成か
故可勝図をもはづす事多し爰を以益日
より其疑なきかことくに所の様子地形の絵図を
出しあらかしめ可申付也弱備へは猶以能可申
一合と云は弱備なとへめ此事を触きかしむれば
大将の難義に合給ふて今様の御触有之かと大事
を積りて弥心臆するもの也爰を以所の功所
陰難に於て大将御勝利不可有疑と云道理を
頭奉行ゟ具に臆せる備なとへは云合らるゝ事
肝要也
三出陣前誓言之事
和云大将信なき時には士卒賞罰をかろんず軍に
一賞罰不正時は勇士不進怪者は猶遅く勇怯共に
不遂時は軍必敗る賞罰を明に致すは兵法之
大用也出陣前に誓詞を致と云は大将記侍を
召集て自ら筆を取今度此合戦に本意
を遂るに於ては作法のことく手柄のせんさく
其上中下に従て私の依怙なく恩賞を過らし
可充行若法を背輩有之は身体の大小其
身の親疎に不依急度罰を可成と云趣を書
其末に誓言をのす如此時は士卒大にいさみて
其下知相届事疑なし其後頭奉行諸侍にも
直に仰有て無二心忠節を可励よし連署の
誓言をなさしむへし是を出陣まへの誓言と
言なり
氏盤は北条常陸介也為二佐竹
北条氏繁出陣の誓言に田
対陣一於飯沼卒
今度当地在城年来之願望此節候然は別而
一干本意者可引立事本義候就中当在
城中諸篇之走廻り可有浅深候条随其
様子如何様にも可引立候然唯今之走廻り
誅略に致レ之扨又本意之上一廉之立身之望
聊不可有信用候右之条に於相違候
八幡大菩薩愛宕大権現可蒙御罰状仍卒
天正五年丁丑
七月廿八日氏繁在判
瀬上太郎左衛門殿
古法め此くわしく別巻に出之
四諸侍忠節忠功之無心掛己か悪意を専として軍
法を輩き血気の勇を不可致頭奉行の下知を違
背不致走廻り別して可抽此掟相違役に於ては
最前の軍忠抜群たりと云共可処罪科と可被
触聞事
誓頭奉行の下知を不用して一己の勇を致
是誠の勇士に非して一旦の血気也其気しづ
まる時は其勇去る是臆病に帰する所也大将
御目かねを以頭奉行に仰付らるゝに其下知を
ないがしろに致時は主君を軽しめ御為を不存
義勿論なれは極めて不忠第一と云触を并
三念を入て可申聞也
五備の内にて雑談雑言不可有事
私云合戦を大節に存不意を守時は其気さ
かん。なる故一所に偏屈して其備に色めく事
なきもの也故もなく雑談を致し声高に
備前にて去時は其備必不定して危へし
源義組衣川軍歌曰
〽わけもなく空に鳴声ひゞきなば其日の軍負と知へし
大将の下知の声のみ聞えつゝ皆静まつて地闇キは勝
〽軍兵は物いわすして大将の下知きく時そ軍にはかつ
六武具高具等の兵具惣して戦場に一用道具其外
分限に随て奇麗成事他不入模様飾に
不可入念事
私云武具馬具等分限に相応致して用意可
致と可申触を奇麗に嗜へきといへるは
武具馬具の類は常に奇麗成ことくたしな
みても働き合戦の時はよき程也常住の
器物は不好といへともおのつから奇麗に成や
すきもの也故に心に随哥麗に致して
誠の時は相応致程になるへきといへる義を以て
め此いふなり
八
〇
二十一
狩臼
武備第五
振旅
一兵法神武雄備集
兵法神武雄備集武備第五
武備第五
振旅
振旅目録
一備定内談十三ヶ条之事
一者頭物奉行に兼て可告合八ヶ条之事
一以絵図可致内談五ヶ条之事
〇一味方討無之申合様五ヶ条之事
一一出陣之後跡不繰五ヶ条之事
同兵法神武雄備集
兵法神武雄編集編輯武備第五
振旅又曰備定
私云備定と云は兼て前後の古右の備其首尾を
合置て縦不意の働有之と云とも又は山鷹鹿
持なとの時節も其作法を守り列をひき座を
定る共其備をかたとりて手組手組手配を成皆是を
備定と云也又敦国へ働入べき前方に其敵の格
其様子に従て兼日に定置の作法を少宛用
捨致し其法を損益して内訳をきわむる事
是義朝にも其例ある事也殊に甲州武田信玄の
弓矢ならしに敦国へ働入前六年三年或は弐年を
隔て内習備定ありけると云々
〇備定内談十三ヶ条之事
一人数割能可仕事
一私曰不レ知二衆寡之用一敗と云々小勢ニゟ大軍に依て
其人数の配様組様畳根其品多き事なれは
第一人数の割を能致備の手分手形疑なき
様に可仕と云事也
一二備配并手分手配手組其作法を可知事
私云備配と云は右のことく人数を割て後に都に
随て備の彫様可有尤敵の弓矢真草の格軽重の様子に
依て備をも或軽く或重く致事有又先備を重く
致遊軍を多く用之其作法品々口伝ある事なれば
一様に不可言又小備を用て大軍の格を守る時に
其陣必破る然共所に依て用るのならひもある事也
如此事微妙をきわめずしては用難し手分
手配手組と云は其習有事也委別巻に出しかゆへ
委細は略之
三知行配の事
私云備を定るに知行所をしらさればまの相応
なき物也教方備の様子者頭物奉行侍大将諸手の
様子を能知て夫に相応して備を割大軍には
対金三段三所なとゝ用之皆是心也或味方先
備馬廻り何程と積り其通知行を聞て二の先衆
いか程と云事を可申付一二の釣合を以勝負を組皆此
意地なり
四敵に随て備を定る習ひある事
一勅云歌に三段の品あり第一大敲第二対歌第三
一小散也此三段に随て味方用る所の備定其品あり
其作法くわしく寡我衆戦客載の巻に出て
一五同数に同所に於て三戦を可持事
私云味方の人数備定あしき時は一戦に利ありと云共
一鼓二三の備を設て後軍を持或別軍を用或は殿の
備ある時は必破れを取事多し初の勝ありと云共
後軍利を失時は初度の合戦其利を失ふにひとし
此ゆへに味方備軍を兼て能きわめ同部に同断に
於て場を去らずして二三の戦迄持と云共丈夫に
軍を利あらしめよと云事也三戦と云は其大数を
挙たり縦幾度同所に於て雖レ持戦如此仕時は
味方の備つかるゝ事有へからずと云義也又曰
備をくりかへ以前為レ後以レ後為レ前遊言を用て敵を
押へ奇正を設て或休し或戦其備の変化自然
にして百度戦百度勝の術是を三戦迄持と云也
其作法は別巻に委出之
〽天文十六丁未歳八月信州上田原合戦一場にて同日に
五度の合戦武田信主と村上義清と相戦武田の
先手は板垣修形相備共に三千五百の備を以村上
方の先手と合戦て村上方敗軍是一度板垣勝
ほこりたる所へ村上方二の合戦を以勝板垣を討取
一是二度飯富豊郡小山田備中武田典鹿村上方へ
一かゝりて勝を得る是三度也かゝる所へ義臣雑兵
七百計にて無二無三に信書の旗本へかゝり
一戦を始て旗本を三町計しさらせけり是四
度也武田方既に敗軍に究たる所を脇備後備
馬場民部内藤修理横より入立村上方をうつ時に
原加賀守武田方旗本の跡に見物備を立ける
故義清終に引退是同日に五度の合戦なれ共
一住其備配を宜くなし給ひて二三の勝後軍迄も
丈夫なりける是皆内習の心なり
六敵小勢を以味方の大軍を可切崩せんさく備定兼て可仕事
和田部小勢にして味方大軍なれば必諸軍志怠るが
故安定勝利有へしと内談をも不致備をも不定
かゆへに敦剛強にして備配宜き時は必敗軍疑なし
故に鼓の小勢を以味方大軍を可切崩義は此備成へし
味方如此備をなす時は不覚のおゝれなき物也
七備を定ると云共我心を設になして散め行せば安定
一敗軍と所存をきわめば其備を定へし我意をいよし
と思共敦に心をなして見ておそるゝ所なはんは其備を
定る事無用成へし必遠く兼て可有備定事
私兵備を定るに我心を設に致して見て此まにては
敵の敗軍疑なきとおもふ時は備を可定我計
存る共数方より見る時は二三の勝なく後軍にては
一匠敗軍有つきとこと始終あやうくは不可定備と云々
又曰我に勝所を不断工夫致す是備定也其段別巻に
出之か故爰には略之
八族本并家中備押行列可被定事
伝に曰備押兼て可定之其故は人数を不乱手配を
待に頭奉行手間とらぬやうに致へきといふ義也
一稽古行列の作法式一行二行或三竪四竪其習ある
事也若其法正からさる時は散に非をうたるゝ事
勿論なるへし尤兼て前後の次第武士は不及申夫
嵐子の類迄我居所をしり我備の有所を知故に
一者頭物奉行其期に望んて我備は何方に可押と
云掟を守り心を落着る事正しくして手配其
一議論不可有故に如此押其作法を守り兼て
約束をなし行義を調る事是備定の肝要なり
まの押やう旗本家中其品相かわれり行軍
篇に出て
一九旗本并家中陣取兼而可被定事
〽伝田陣取能可仕と云は他国へ働き入陳取作法あしき
時は夜軍の時分おくれを取事あり故に兼て其陣
法を可被定と云也
私云人数の備押を以陣法を定へし敵国へ働入て
一城責せり合合戦に日を送るに凍取よろしからさる
時は不意を討るゝ事多し其故は有ましき処に
一足軽を置馬上の一居所に長柄を置かことく其作
法不定也如此時は夜軍夜討火事地震抔云人数の
さわぐ事にあへば陣中必乱れやすし人数散乱する
時は縦億万の兵士も是を用るに利あらず人の見
にげ聞逃と云事は皆是気の物に転ぜられて
分別を忘れ思案を不出して忙然たる所ゟ起れり
昼は人の心不怠物を見定るが故心不動夜は人に
油断多きゆへ不意の驚きあり爰を以て兼々ゟ
味方旗本并家中相備以下迄も一手〳〵の
一陣取を内談致し其陣取へき敷を前方より
定夜戦にあふと云共備の乱るゝ事あらさることく
に心を可用儀也其作法委細陣取の巻に出之
十備の首尾并人数の様表下知に付とふ付とを鷹野
廉持を以見定可給事
伝に曰我領内にて鹿狩或山鷹或川狩此三段にて
心ならしの備朝志暮念結要也口伝
私云あらかしめ備定列を引座を成事迄をも
能々其作法を正し者頭物奉行其様子を安く
なして後家中の諸侍大将の下知に付と不付
と其手の合とふ合とは鹿持鷹野にかこつけて
頭奉行の様子思案分別才覚のあるとなきと
組下の侍共其下知を重んして随ふと不随と
人数扱の善悪せこなみの立様にて其せんさく
をきわめ大将自ら諸侍に言葉をかわし
かり言或下り敷式下り立其作法の首尾を
朝暮内談内習の備立を頭奉行へ仰合らるゝ事
結要也是古今の名持定置存ゝ古法也委細は
用心篇に見えたり
一十一部城を責るに其人数割警固目明の両人を
能せんさく可致事
私云人数を分ち手配備定をなすに一備〳〵にけい
ご目明此両人を旗本ゟ指加へ遣之と也警固といふは
一旗本ゟの検使也目明と云は旗本ゟの横目に付也
此両人侍大将に指加り万事の見積り合戦勝利の
せんさくを三人して仕て指引を致に者也其故は
士大将私の意地を以入ざる強みを出してかゝるましき
所へ懸る事も有へし又大将の気分に依て
進退理にあたらさる事有へきなれは侍大将の
私の依帖を致させ於本安定の勝利を失せまし
きか為也此両人指加て少も私なく主君の御為
能ことく可仕為也然共両人不せんさく成歟武功
不足時は却而備の誤成へきか故よく〳〵大将見届
給ひて可被仰付と云儀也委細は口伝を受へし
十二部城を責さすましきとて出る時の押へ勢に
警固目明能可遂穿鑿事
一私云堺目の城を攻には必本城より後責有へし
其押へ勢を指遣し其大将は殊更器量能其
釣合を考検使横目目明を旗本ゟ一遣前段に
書記に同意の心得成へし
十三部の大将者頭物奉行の様子に依て味方の備其
あてがひ可有之事
私兵部の主将をはかりて其吉惣をしり其婦の
けいこ目明をよくしり其格を考て察し其人の
軽重其かたきに随てみかたの頭奉行それ〳〵に
被仰付殊更設かたおさへの為などに並味方堺目の
城主或部方の先衆其格をはかりて備を設へし
縦は良医の病に依て薬を用がことしいつれの
薬なりと云共病に依て不入と云事なし味方の
侍大将頭奉行のかたぎ各〳〵なるを敦の大将に
随てそれ〳〵に用ひたまふ事能病を知て
薬を用るに叶へり其病を不知して薬を用
る時は病者平愈すと云共あやうし
兵法曰凡戦之要必先占其将而察其材云々
むかし前漢の高祖魏をうち給ふに其大将は
誰成と云事を尋給ふ桓直なりと答ければ
桓直口尚乳臭いかんぞ我韓信にあたるへき
と仰有けると云是皆其敵に随て将を用シの法也
兵法曰以レ将而論二必其能否之所レ在将而有レ能
則可二以必勝一矣高祖之伐レ親不レ問二其他一而問二其他一而問二其大将
為一誰曰桓直也曰是口尚乳臭安ク能テ當ス二我韓信一
問二其騎将為レ誰曰馮敬曰是秦将馮垂択ク之子
雖レ賢不能當護安一ニ問二其歩將曰二其歩將曰レ誰曰頂也曰不
レ能レ當二曹参一卒之一挙シテ而擒二魏王豹一ヲ者是能一
校一ハ其将之能否一ヲ也趙捨ハ非二武安ハ比一ノ比一
敵ニ非ストキヤ二其将ノ能一乎
〽武田信玄敬の格に随て味方の備配有ける子細は
先関東の敵は馬上の戦をよし致し馬を入乗切
足軽をつかふ事得もの成かゆへに内藤修理小山田
弥三郎を指向らるゝ是は右のことくなる故に逢て
しまつて弓矢を取事上手也越後の徳信への
手遣には高坂弾正に小幡山城を差添てあてかい
給ふ是又謙信は弓矢にかさをかけて取人成ゆへ
に此両人は格をたく取るゆへ也惣して武田の人
数配はか様成けると軍鑑に見えたり
◯者頭物奉行に兼て可告合八ヶ条之事
一備一二のわさにて味方面定勝利無疑と考弱共に頭奉行
の衆能可存結様に内談有へき事
一私云備一二の勝と云は方円八方四面の備又は小備に
至迄無二の格を用て戦共備に一二の手分なき時は
其ま一重がわにして勝利を得る事難し故に
一二の備を定其勝利疑無之所を頭奉行に可申合
今時の侍大将は勇気を専用とするが故に一の備
相戦ていまた其図不叶にはやく二の手ゟ先をかけん
とするたぐひ可有之又は血気の勇を守る人有て
後軍にひかへ二の手に待事を嫌ふ人有へければ
一二陰陽の備を不用しては備必とする勝利有へから
ずと云事を能可申聞なり
二地形絵図にて道の遠近近を考迄留を定る事組頭
奉行計に可申合事
一私云歌国地形の様子絵図を以其遠近をはかり
一戦の場備の場陣取の場を知て見かた勝て敵を
可追其追留をか定也縦上道二里追討にか仕
設をは一里追て留り一里可追放をは半里追
留る是を追留と云也然るに半里追て帰れと
計申ては其程らひ知ざるか故に処を定て
何方迄可追其所より先へは縦数量をれ
居たりと云とも備崩てあり共必是にかけあふ
へからす其約束の場より引返し一所に集て
備へしと頭奉行に具に可被仰合子細と互の
勝利にかちほこりて人数散乱し或は是に
まかせて追行式大将一己にして組の侍共悉く
長追を致さは不意の部に出合て後道の勝利を
失事必然の理り也但諸組下の足軽雑言迄
是を知らしむる時は自然部に内通の者有へき
もしれす殊に臆兵は弥臆して追事を不得も
有へし頭奉行其下知を守り貝太鼓にて其所々に
其約束を成後道の勝を可慎事結要成へしと云也
三押太鼓貝鐘の様子頭奉行へ可申付事
私云金鼓旌旗所以一人之耳目也と云々人数つ
かふには目の及所には施を以通用し或火を用或
のろしを用ひて其下知をとゝかしむ耳の及所は
押太こ貝鐘を以是を通せしむ然に頭奉行其
作法を不知合図約束の用を不知る故に用ひ
なす所理に不叶事多し其由緒を具にして
時に随ひて成所の約束を知是肝要也と頭奉行に
能可申合事也
四頭奉行の功すくなきに一申守様は預れる諸侍同心
一被官を用に不立以前は自身の働面無用なり
子細は其下の足軽同心頭なしにして寄合一騎のことく
軍法不正其鉾先弱し然れば不忠第一の侍なり
亦逆心同意の罪科たるへしと可申合事
私云味方数を切崩して後は我預りの者を用に
立たる以後なれば自身鑓をとりて走廻りて
武功をなすとも然へしいまだはだへを不合互に
守りて迫合半の時分下知を指置自身の功を
心懸走廻る士は其下の同心被官頭なきが故寄合
一騎のことく軍法正からす衆義一味せさる故備
花弱し自身の功名を立名誉を得んが為に是
廻ると云共我役義を捨て備の鉾先弱き時は
主君への忠にはあらさる事逆心同意たるへし
其上己か引思へき訳侍同心役官を用に立備先を
堅して勝利を全するは大切にあらずして何事
そや壱人の手柄と万人をつかふほまれとす日を
同していふへからす如此断をしらさるはおろかなり
義也
五一身のはたらきをなして功を立んと存候はゝ出陣前に
一同心足軽を可指上也不然而自身の働有之は逆心同
一意の罪科たるへしと可申聞事
私云人其職分あり頭奉行は其職常の人と替
れり然頭奉行として我職を不勤葉武者の
働をなさば其職を忘るゝ也故に同つ足軽の類を
出陣前に急度指上て後自身の働を致へし
しからすして壱人の走廻りを仕る輩は君命を軽く
請て後くらき事をなすつたなき意地なれば
逆心同意の罪科と可申聞事
六組頭諸侍高名手柄め作法かと穿鑿頭奉行
ひいきのさたとして定法相違に於ては必右同意の
罪科たるへしと可申聞事
私云手柄高名のせんさくみたり成時は功あるもの
すゝます勇者必心臆す如此時は其備自然に
弱し故にあらかしめ手柄のせんさく其上中下を
分ち一二三前後の品々を令吟味頭奉行私の依怙
贔屓を以て上を下に致し下を上に改ることく成
うしろくらき事あらば是又逆心の咎たるへきの
よし備定の時可申聞なり
七記備の指物は必対差物たるへき事但差物の出しは
人々の走廻りの其品々なれは武家の紋諸神諸仏の
御名或吹貫のれん何にてもすき〳〵に可仕事
私云對指物と云は備の中一組切に或四半或切さき
なとゝ一手〳〵に組をわかち一様に致事也是は
其備のわかち前後左右を顕し或は味方討をいとふ
相印の為也指物の出しは諸備武邊走廻りを外へ
しらせんか為成故遠く見え置手軽き道具を物
すきに致し可用之但大名高家に久しく伝れる
人のしりたるだし又は昔より一ツ二ツ外無之なと
云出しは不可用なり
八鼓千可符を五百六百討て人数を一つ揚と云事頭奉行へ
能々可申聞事
私云敵を多討んとするか故に前方ゟ定れる所の
追留を破り長追をして先をかせく也味方の
人数め此散乱すれば不意に敵にあふ歟又は敵
二三の備有て不意を討時は必勝利を失ふ事有
爰を以後道のしまりを考て不覚のおくれを
不取かことく軽く打て軽くあげよと貝太この
約束を定め頭奉行へ委細に可申聞也一旦に
大利を得んとする事かへす〳〵誤也時節到来
を不知時は利を急に得んとする故おくれを
取事多かるへし口伝有事なり
○絵図を以可致内談五ヶ条之事
一可働入所の道筋遠進の様子幾重にも申付て
内談内習事
私云敵国へ働入所の道筋を委聞届ざる時に
備定内侯内習を致事不叶爰を以成重にも
承届へき義也第一道筋の地下人を呼て
絵図をきわむへし第二町人にても牢人
にても其所に久しく居往来を切ら致たる者を
近付て絵図をなさしむへし第三味方の内ゟ如此
事に鍛煉の者を可遣右三色の絵図を以山川の
有所相応不相応を考疑き所あらば三段に聞届
其趣を晴其ならしをなす事肝要也疑をはるゝに
口伝有事也
二絵図に念を可入心持気遣の事
私云絵図を致に心得なくして致絵図は倉を入ま
しき所に念を入可入事に念をふ入ものなり
第一道の遠近是を不積時は押行押留る其作
法定難し并脇道何方へ交往すると云事を可考
第二大河小河是は其広狭或浅深舟渡寄わたり
磯の様子舟付の場所瀬の有所流上の様子委細に
かつ付也第三大小山是は敦地へ行所の山又は路の
かたわらにそびゑたる高山なと其高下竹木の
茂りしげらさる其山と道の間遠近の様子山の
尾続けるとつゞかざるとの体迄不残是を可知也
第四木立是は伏兵を可置場其表林の大小見せ皆
見せ能の場などを念を入て知事也第五に
一堀云心はふけの様子に依て陣所の堅固と不順因と
合戦迫合の利不利其考可有事也又古ゟふけ
なりと云伝たる所にも其様子を見て足入に
あらさる事を知事有如此成は皆是武功也
第六原広原平陸は大軍をおして野合の
一戦に利ありと云共近所に伏兵疑ひの場なき
一時は疑兵を設て手段をなす事叶かたし
第七溜り水是は平陸谷間などに依て足入など
其替有事なれば左様の様子を知て利不利を
一考第八道の広狭是は道の様子に依て行軍
に其習ある事也第九田切田の中を押行時
先にて田切あれは必行留る事有物也第十
道のかたわら山陸の様子を可知大概め此の様子を
考知て備押陳取共に其内習可有事肝要也
三部国其様子絵図を以内談之事
私言部国へ働入所の道筋絵図疑なく内習をきわめ
其後敦国の様子を考て備を定へし第一山堅固
の地第二其合戦の場の様子弟三国の要害
第四に守成防戦のわかち第五に国内の広狭第六
隣国往来の道第七山つゞき平陸つゞき平陸つゞき平陸つゞき平陸つゞき
一穀運送之自由第九在家の繁昌第十戒の要害
如此の類迄能分明にわきまへ知て内談あるへき事
一四部城の堅固不堅固大小絵図を以内談之事
私云穀城の居城と城目取出つなきの城それ〳〵の
様子を委細に可知之第一城の大小第二城の縄張の縄張の
善悪第三四方の小城其あり所第四本城ゟ堺目迄
の道の道の近是にて後詰の来遅速を知るし第五
一虎口の善悪其数を知て仕奇場備定有し第六
防戦の堅固守城の御角の第七人質郭の有無
第八堀の広狭第九用水の足不足不足第十狭間
の数第十一横矢のかゝる所かゝる所かゝる所第十二
所堅固城堅固大方か様の事を積りて備定其
作法内談有へし
五六寸町壱分間の習ひあるへき事
私云是は城取の巻に出之
〇身方討無之申合様五ケ条之事
一相伺相論相疑無之数多可仕事
伝言相詞は夜々に可替下々雑人迄いひよき詞を作りて
六奉行より出す也古人相伺ニ云数か花日か月すゝむか
たけ花かみなる如此の類也
私云味方討の備に有之は備定不正其訳[チ不分明
せんさゝ不足か故也其子細は手柄高名の批判
正しからさるか故同士討有之故に合詞を正しく
可申合詞若うろん成時改ル為なれは
笠印袖印三巻対さし物なとを以設身方を見
分が相討を可禁也相詞は合戦の期に望んで是を
一極殊に夜々其約束をかへて兼て是を不可定
一前方ゟ合図を定て散若是を知時は約束なきに
ひとし〽又云をむつかしく致し誰人の申にくき
詞なれば甚安し此所を考て六奉行ゟ可申付也
二奪首合討をかたく可禁事
私云ばい首と云は味方の内にて数のよき武士を打
たる侍首を提て本陣へ行時道にて是をさへ
きる是をばい首と云也是ゟみかた討と云事は
有へし合討と云は縦は味方の侍の内にて敵と鑓を
合合絵組たるをみかたの傍輩馳付て助太刀を致し
是を仕留たるを相討と云也是に異論有て
みかた討を致し同士軍など仕る事むかしより
有之事也手柄高名のせんさゝに相討と云事
なし其故は縦後に来たる者仕負たり共初継
組たるを上とする也両ゟ一同に鑓を突合ると云事は
無之批判なり
三鼻をかくへからす場中の勝負の外證據なくして
鼻かき来る事なかれと可申合事
私云鼻をかきては数みかたの様子せんさく成
かたし鑓脇鑓下其外場中の勝負にしていまた
先を心かけて働く時は諸人へ證拠を取鼻を
かいて綿がみへ入る事あり此外證人なくして
鼻かき来るへからすとかたく可申含也鼻をかく
作法并其せんつゝ委細別巻に出之
四別四別陣別陣別所の備交往をなすへからさる事
五諸備対の相印あるへき事
右両条は別に其習あらすと云々
◯出陣有て跡不騒五ケ条之事
一持之国境目の城式取出留守居城丈夫に可相構作つゝ事
私云人の国へ働入には先国内危しては深く他国へ
入事かなひかたし故に持の国さかい目の城堅固に
かまへ尤留守居城守成堅固にして不意の一戦
城下に起ると云共危からさることく陰中陰に
可縄張也子細は縦一揆謀叛人有之と云共一旦に攻
とられずかたゝ守て大将来て後詰ある迄持こた
ゆる是後留の本意成か故也
二留守居の侍大将其釣合を考く可申付事
私云国内堅固なりと云共留守居丈夫ならさる時は
跡無つえ殊に其釣合悪しくして二つある侍なと
留守に有之ては逆心の企有之物也爰を以大将
心安く思召臣下御親族其湯合有人を留守居に
可申付也
三諸侍人質之事
私云頭奉行を始諸士に至迄其身の疑を散する
には人質にしく事あらず此故に或妻子或親
類を人質に取て本城の内へ入置諸奉公人二つ
なきことく可仕如此時は跡にて一揆おこる事なく
先にて敵方へ返忠なとを致す其気遣有へからす
但人質をは境目の小屋城なとには不置物なり
又残し置留守居城の侍大将の子弟なとを陣中へ
召連て父子兄弟一所に不可置と云事古法に
出たり右人質の心得成へし
四国々ゟ人夫を付出し可召連事
私云出陣の跡にて地下の町人百姓州一揆徒党を結ふ
事有えて跡御だつ事古よりある也爰を考て
諸百姓の人質心にて百姓の二番め三番めの子共を
人夫にしていか程も一れ行事是人質の心也
殊に此雑人も能頭奉行を付て散地在々所々に
於て分捕をさせ乱取をなさしむる時は其財物を
己か村里へ便に遣しやるがゆへに跡にても別して
いさむもの也其上第一山の手を取しくに道を
作らせ第二陣具をとらせ第三荷物をもたせ
第四足軽中間の煩の時是をつかい用第五に
一七り合に足軽五十卅の内手負死人有之
ものなれは其掛がへに用てかくのことくの法
あるがゆへ用えて其徳多し武田家には是を
新衆といふなり
五国内子細ある時は城より味方へ通するにはのろし
一飛脚かゝり或は計策文其品々兼て約束あるへさら
私云是は別巻に出之か故略之
狩
荷皿
武備第六
制法
同同兵法神武雄備集
八
一兵法神武雄備集武備第六
制法
制法目録
目録
一押太鼓を以て人数をつかふ徳之事
一押太鼓打様の事
一押太鼓を以約束を成九ヶ条之事
一鐘の事
一貝之事
一旌旗の事
一火の事
兵法神武雄備集武備第六
制法
〇押太鼓を以て人数をつかふ其徳五ヶ条事
一約束合図の太鼓の事
私曰近ふして目の及ふ所には采幣を以て士
卒を下知すといへとも程隔り間遠き時は
目及かたきか故に太鼓に約束を定て大軍の
見かたを下知し或合図を設て前後の事を通する
是相図の太鼓なり兵法曰金鼓之約と云る是也
二大軍を自由につかふ徳ある事
孫子曰闍泉如闘寡形名是也云々旌旗を形と云ふ
一金鼓を名と云といへり大軍の味方は備大成候故に
間遠く士卒混乱して其下知具ならず故に前
後左右共に是を見切事自由ならす然に金鼓を
一男の備に設けかねて其合図を定め其下知を
通用せしむか時は小勢を引廻して合戦なすに
替事あるへからす故に大軍をつかふに必形名を
用るといへる事
三人に勇怯ならしむる徳ある事
私曰人の剛臆を論するに生付て臆せると云事は
無之に極れり但臆病も又一ツの病にて内ゟ来
れる物に不可有然に合戦迫合の度毎に勇者は
すゝなくして臆者は多し是大将兵法の至極に
能底徹せすしかもつかふへき作法を不知か致す
所也縦は管領の八万の軍勢氏康の八千に切崩
され秦の符野か百万の人勢八公山の草のなびくに
驚し類皆将の不覚と其法の不定との致す
所也爰を以備に金鼓を置大将敵の虚実を計
味方の哥正を能調てかゝれるとある太鼓を
打時は惣軍一同にかゝり行か故勇者と云共独
進んて出る事不能臆者といへとも独退く事
不叶而其叡のとまれる迄押入如此あつく役時は鉄
陣金城と云共なとか是にあたらん是太鼓を以人の
勇慎を去手立に非すや近く此たとへを取て
云に爰に小童有へし暗夜に人遠所へ独行へき
やと問人あらば小童行事を得ましされ共人数
卓散に続松排灯を用く行は彼小童難なく行
へし是初は一人をつかふか故に臆之想をなすと
云共法を設け疑ひを明に成時は又勇者の列たり
大軍をつかふ中には如此臆の想は兵もなくて
叶され共三軍一時に進て不留か故に臆者退事
を得さる是同意の心得なり
兵法曰夫金鼓旌旗者所以一人之耳目也人既専
一則勇者不得独進怯者不得独退此用衆也
四可示威ために用之
私曰部に威を可参為と云は合戦迫合の時散に威を
なし其気を奪ひ勝をなすへき為に用言也
たとへは正兵部と逢て戦を持時奇兵二の手に
進て勝をなすに敵の勢急にして奇兵危歟
又は正兵敗に近時其軍式哥兵ゟ急に鼓声を
一本ニナシ
はけます是威を示す也如此義は妻口伝を受へし
口伝に曰二の手出て横をうたば敵に又しまりの
備あつて危キ時の心得也常に用にはあらす
五気を奪か事同部をうたかはしむる事
一私曰気を奪と云は引取時相図有体を敵に示す
手段又は引取かたき時備先にて太鼓を打
敵の気を奪ひ疑を設て引是又太鼓を以て
人数をつかふの法なり
○押太鼓打様の事
一臨兵・国・者・皆・陣列在前・表九字文
序二破三急四
私曰押太鼓を打にうち様と云て定れる事
あらすと云共古法を考るに九字の文を表する
といふ也九字の文の事本書に記かことし序と云は
一常に押行時又は備を進る時分うつ太鼓是序也
其数二つ宛つゝけて一み之故は少しはやし
或は道をとゑく太鼓或人数をきをわせんゐなとに
うつ太鼓は三つうつ也急は速か也或折敷時或
急に人数を進る時は愈の太鼓を打也其数四
已上合せて九つ是を九字を表するといふなり
太鼓の数四つ五ツゟ多くつゞけてはうたせさる物也
其子細は数多き時は士卒のきを紛れしめて
一合図約束大に替り近時は退引時はかゝることく
一大成相違出来する物也是太鼓を打約束の秘事也
太鼓は序破急の三重に不可過何れの相図約束
をも此心持也可致なり
兵法曰一鼓整兵二鼓習陳三鼓越食四鼓嚴ク弁シ五鼓
就行ニ聞二鼓声合一ヲ一然後挙レ旗云々
○押太鼓約束の九ヶ条之事
打始者又行
二鼓を切崩ス太鼓
三穀城へ取よする時の太鼓
四巻ほくす太鼓
五引取時もりかへす太鼓
六下殿太鼓むすふ太こ式備をとくの太こ
七勢を揃て寄する太鼓
八備を立るの太鼓
九夜軍の時猶太鼓有へし
和田大方押太鼓をうつへき相図約束の入へき
事如此なり然共兼て此相図にはかく可少と
云事を定置て約束を致にあらす其陣其所
其数に依て約束可定なり其作法は序破急の
三法を可守妾は前に記て
○鐘の事
一相図の鐘の事
私曰金鼓は兵の用ひずんば有へからさる道具なり
台朝に用る所は進むに太鼓を用ひ退くに金を
用鐘に其品々多して合図に替り可有之当流に
用る所は太鼓を以て合戦の相図に用て鐘を
西と用難し其故は太鼓は其声陽にして
遠く聞へ合図分明になりよし金は其品に
よる事なれ共釣鐘を持行には不自由なり
一鈴鉦鼓声ひきし殊に鐘は其声陰にして兵法に
不用爰を以鐘を以相図を致事は稀也されとも
所にゟ品によりて鐘を以約束を成事なき
にもあらさる也相図約束の作はは太鼓可レ均シ
兵法曰聞金而退又曰印鼓鐸鋼鏡之用之云々
明戚継光練耳目篇第一明旗鼓第二明笛号
凡喇叭吹長声一声
第三喇叭
謂之天鵞声
第四明噎醒
是要各
兵起身
一是要各馬兵下
第五明銅鑼
馬車正下車
第六明羯鼓凡行営
要各兵出営汲
第七明黄旗
水取柴飲馬
毒欲必
第九明砲号第十明鉦号五十五日
第八明梓館
是要各
兵収隊
鳴金声
二一二三の鐘の事
四十九月一番鐘に起二番鐘にはしたしめを致し三
番鐘には打立と兼て約束を定置類是を
一二三の鐘と云也是は押行間の陣中ゟ打立候法
の合図をなす時の事也然とも必め此と定置ては
教方へ通路相しるゝ事可有之もしれされば其陣
其所に依て替可有之也陣中或城内にても物に
依て一二三の約束は可有義なり
三触鐘之事
私曰改れる下知を陣中へなす時或子細有く
諸手へ事通する時兼て者頭物奉行と約束を
定置鐘をうたば諸手の大将施本へ一相集と
云事をなす是をふれ鐘と云也是又約束の
一也是は大方陣中城内に於て其約束をなす
事也参は籠城の篇に出て
四時刻を可知為に用之事
私曰陣中なとにては釣鐘の自由なり難し
故に城内にて用て其子細は守城篇に出たり
鐘は其声高き故敦陣へ刻限をしらるゝ損有を
以て対陳式籠城共に鐘を不用共いくり其時の
様子依へき也
一五不断の合図大方太鼓を可用鐘は退時なと用之去り
○貝を可吹様の事
一むかふか貝は始を細く終を強く吹送る貝は娘を太く
終を細く可吹事
私曰貝は螺貝也其吹様は七五三と吹也吹に始終に
依て細く太キの替有之然るに迎貝と云は出陣の
刻軍神を此備へ呼下し灌頂後なる時吹貝也
是は始細く終を太く可吹至終に長久の心得成へし
帰陣の後灌頂致たる軍神を送り上奉る時吹貝は
治を太して終を細くきさむ也此両様を受て
或始太く終細く或始細く終太く可吹其約束
相図に随て吹之是を吹様と云也七五三は
湯の数にして兵法に用之故に七五三と吹へしと云也
二約束の貝の事
是は其作法鐘にひとしき也一二の貝と云も一
二三の鐘におなしかるへし
三かゝり貝の事
一私云算貝と云は陣取終りて四方に笹垣を結日
一暮を成時六奉行諸手の合詞を申渡し諸軍
何も相詞終て後に六奉行より下知して毎を
一一焼白をふるゝ貝をあくる是をかゝり貝といふ也
此貝吹終る時笹垣の間〳〵に毎を焼へし毎
たくを見て遠笹に捨筋を始へし是をかゝり
貝のやくそくといふ也
四貝の約束其心得有へき事
私曰合戦の相図大方太鼓を以是を約束役と云共
定る備に貝太鼓を持しむる事其心得約束の
心持有事也其故はたとへは進へし引へしと
云事は各別の事なるを太鼓を三つうたは懸る
へし四うたは一引といへるかことく相定置時若
可引約束をうつに誤て可懸約束と聞違或
か懸相図を打時一一引約束と聞違る事風に
より所の遠近に依て必一有事也爰を以各
制の約束相図をは貝と太鼓と声のかにれるを
以相定むる是貝を用る約束の心得也此道理を
不知して只貝太鼓を用と計存時は又其用
叶難かるへし
五貝は遠音をさすに山谷の所に用て利有
○旌旗之事
同
一相図の旗の事内守能の事
一和曰相図の旗と云は族を以合図の約束を定め
前後へ約を通し一二の首尾斎正虚実を知
しむか類是也凡詞不相聞時は旌旗を以約を
なすといへり此故に古人教旗の法を立て目只
看龍職方色と有然は龍の色を青黄赤白
黒にして其方色に従て相図の品々を定む
是皆当流に云所の合図の旗也但宝朝には黄
色の於は何の相図青色の旗は彼の約束とかねて
其作法相応を以相定たり当流には其約束を
時に随て定め或は施の色或ははたの動し様
引様あけ様を以様〳〵に相図せしめたり必兼て
一相定れる事あらす其子細は兼て相定時は合図
約束と云へからす此故に敵に敵に依て度々に
其品をかゆる事桜中の秘なり
守影と云は兼て其陣其所に施を立置置其許の
数其色を以若数め斯時は此族を引なとゝ兼
日ゟ定置て他陣他所へ是を守らしむる是を
守能と云也
又証拠の旗といふ事有之是は備をかけ引致に
前後山林漏りて先にての様子しれかたき時は
山林に施を立置此旌の合図によつてかゝるへし
引へしと其施を証拠にいたさしむる為に用る
是をせうころといふ也
右如此其品々は替れりと云共合図の旗と云へし
子細は守髭もせうころも能を合図に定て
守らしめ証拠たらしむる故に相図の旗と計
覚る時は何方にても相違あるへからされとも
又其品をわかたされば互に当て疑有之か故に如
相定也相州三増山に於て武田信書廻備を用
一北条家を討し是せうこれを以前後の見切
進退の下知をなさしめ給ふる也又真田安房守
一信州上田にて地下幡を用ひ左右の伏兵に
相図をし兼て山に三の族を立三所に事を
通せしは守髭の武略と云へし合戦の次第は
所々に記之
兵法明二旗色一云々黄旗属レ土中軍所レ用但見二黄
旗一即知レ為二中軍一也凡人面向者為レ前紅旗
属前凡営塁所レ在向前者則用二紅旗但見紅
旗一俱想向レ前藍旗用レ左者則用藍旗
但見藍旗俱想向左白旗属右凡向右者則
用二白旗但見白旗俱想向レ右黒旗風向一
レ後者用二黒旗一但見二黒旗一俱想轉身向レ後云々
二見せ於の事
伝曰見せると云は譬は山林に鶏を立て遠所の放に
味方としらしめ或は物見なとに出るに送り足軽迎
備もなくして深く働入事難成時は指物をぬき山
陰木立の中に立置筒勢と部に見せて進行類を
見せはたと云なり切火縄見せ備なとゝいふかことし
私曰見せ旗と云は或布或紙を継て墨にて
紋をいたし山林の要害を抱たる嶺〳〵にいかほとも
立置散にみかたと見せて其気をうはふ是を
見せ於の謀略と云也或又物見武者なと一騎
一二騎五騎七騎にて行時数間近く深隔入難し
と云共又送り足軽迎備もなき時は指物をぬき
山陰木立にかたより是を立置部に胴勢と見
せて進行是又おなし手段也但是には其心得
悪しくしては誤有事と見えたり其子細は
若殿伏言を遣し立置所の指物をうはひ取は
其身一世の不覚たるへし此道理を考へ知て
越度なきことくに可有手段
切火縄と云は火縄を短切く火を付所々に置事也
大事の場を立退時敦跡ゟ墓事有へしごとふ時は
所々の詰りに切火縄を用る事有といへり念は
別巻に出し故爰に略之
見せ備と云は地下人雑人を集め竹鑓紙小旗を
持せてたしか成備のことく教に見せて敦の
後軍を防謀略を失しむる類是を見せ備と
一云也作法は別巻に出之
〽貞和五年正月四條縄手の合戦に四条中納言
隆賢卿を大将として和泉紀伊国の野伏二万余
人引具せしめ色々の旗を手々に指あげ飯盛
山に向はせける是は大旗小旗一揆を麓へおろ
さで楠を四条縄手へ寄させん為の謀略なり
是みせはたみせ備の武略と云へし
〽天文七年六月諏訪頼も小笠原長時両旗にて
甲州にし崎迄出張して信州衆荒手を入かへ日の
中に四度の合戦あり信書其比はいまた俗名
晴供にて年数漸十八にして若くましますに
一放は多勢也四度目には各草臥危かりける時
原加賀守西郡東郡の地下人或甲府町人
廿歳を限に五拾歳迄の者共に古具足を集
きせ紙小旗を用意し竹鑓をもたせ都合五
千計にてさゝめき渡てにし崎の合戦場へ押
来を見て流石に武き信州勢此謀略に驚き
敗軍して明修勝利を得給へる是みせ離の謀
略と云へし
三備に用る徳の事
私言備に定て施を用る事其法は第一掛引の
下知を諸卒に示し或前後へあらはす為なり
第二備々のわかちを示し其一備を分明なら
しむる法有「第三遠く押来る味方を知し
めん為也第四備の合図約束をなす為也第五に
備の勇怯近進退旗本ゟよく見ゆることく役か
ゆへ義を知命を重んして心の侭成事あらす
め此の法多きを以毎備毎に旌旗を用る也爰を
以施を司命名付たり妾は曲制の篇に出之
四持に旗は備の後たるへき事
私言是は別巻に出之
五族の色を以備をわかつ事
和言是は青黄赤白黒の五色に付て前後左
右の備其色をかへてわかちを分明ならしめ
たる事古来ゟ有之事也色は五方よつて
替有前朱雀後玄武左青龍右白虎と其前の
色に随ひ其備にかへたりといへり然共め此の
事は其家の古例を追利方を考へ合図約束
の分明成所を分別する事一為至極或日武田鶴の
色に依て惣備の武具其色一様ならしめ
たる事有油法に出て
六城責に証拠旗を以人数をつかふ事
私曰是は蚊城の篇に出之故に略之
七夜施の事
私曰夜にて私曰夜龍と云は夜軍夜討の
時の相図或夜中陣屋の前に立置所の面々の
印是を夜族といふ但是は施にあらず夜中
故施印等は見えわかたさるを以或桃燈式燈
籠の類を拵へ風雨に逢と云共如不損致す
是を夜旗と名付也其分明なる事昼のはたを
用るがことくなれば也其制末巻に出て
八馬印円居二本之事
なれば也其制末巻に出て
和田馬印は諸軍の馬の有所に有之大将の
前に立るをはまとひといふなり
○火を以人数をつかふ品々
一相図の燧同相図の火之事
二両冊同焼やう重々口伝の事
三飛脚かゝりの事
四夜軍の時火を以相図の事
五燧火たきやう口伝の事
六火攻品々の事
七火法の事
一右いつれも大戦に出てか故に爰にはこれを
略すと云々
狩川
武備第七
器用
同同年兵法神武雄備集
兵法神武雄備集武備第七
器用
目録
一旌旗可制作法事
一幕可制作法
一内幕事
一慢幕事
一暖簾幕事
一団扇可制作事
一米幣制作事
一扇別作事
一鞭制作事
一、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、〇〇
一太鼓制作事
一、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、〇〇
一貝制作事
一鐘制作事
一楯制作事
一総燈制之事
一一夜陣道具之事
一陣営切組事
兵法神武雄備集武備第七
器用
旌旗可仕立作法
一往古の旌旗仕立絵図作法之事
長七尺
図曰
家紋
或五尺
或一尺二寸云々
旗之図
十九
一長壱丈弐尺弐壱丈八尺なるへし
私曰旌旗にて異朝本朝共に用みて其制大概
相ひとし道具器用をなすには必しも古法を
用て成之と云にはあらす其道理を考へ長短曲直
銃をなす事是真実の理り也然るに古の旗は
八幡太郎ゟ相承し用来れる旌旗の法にして
古来是を手長の旗といひ或神祇官の太常の
旗御即位の時に用る万歳のはた其制何茂ひとし
異朝にも豹虎のはた廿八宿の号帯なと云は
此制に飛とし往召の誰於め此といへとも今代不
用之仕立様さま〳〵の習家〳〵の古実有之と云共
当時用之の旗にあらす爰を以其形計を図
して委細略之なり
虎鉾経旗幟篇曰旗幟者軍中之標表也以門
旗為首竿上置金銅珠大嚢深紅八幅樹大将
牙帳前鼓坐旗下五方旗各按方面将者事
於戦陣大将麻片戒潔心浄服俟天清星皎中
夜立壇卒諸将校宣祝文随方面祭之大将之
行先以五色旗導引之衝向方位云々
二乳付之族之図
一丁二丁二丁二丁二丁二丁二丁二丁
十一月廿一日
ぬいくゝみのはた
一私曰近代用ひ来れる旗是なり是を乳付の旗と云也
是は前に記せる手長の旗は旗の手飜として森林に
入て竹木にからまり自由あしきを以上脇に乳を
付右のことくなる損なからしむる也又近代多くは
竿付をぬいくゝみにいたし乳を不付旗を用其徳は
乳を付たる旗より縫くゝみに致したる旗は張立る
時竿を通すに手間をとらず尤森林山中なと
を通るに物にかゝらずして其自由猶いよろし
故にめ此縫くゝみを用たると見えたり兵具は仮初
にもめ此損徳を考て致事可為肝要也
一三乳数は廿五なるへし縫様針通しを不致折通し様口伝
私曰乳数は旗の大小に随ひて十八廿五卅六廿八と行事
有之定りて廿五と云にあらず縫様とは針返しを
不致長原にしてか縫之折返し様と云は射向の方へ
まへり返して縫也押付の方へ折返すへからす其作
法は武羅幕何も同前也
四族の紋の紋の事
一私曰於の紋は大方家の紋を付る事古法也然共
尊敬致所の仏神の御名を書或存寄たる古語を
しるし又は色々の表文を致し金字朱字等
ならしむか何も略義也然共其他の名[キ]を知ら
しむべき為なれは大将の好所に依へし
五族の幅数は其将の好所に依へし
私曰旗の幅大方一幅にしてたけ長きはた七本歟
十本歟可有之尤又二幅の旗に紋を出したるも
然へし此外に四方にして大なる旗二本有之是
円居馬印也圓居馬印は種々に様子をかへても
くるしからさる也
六族竿の事
私曰旗竿は大方三間柄に致したるを用と云共又於
の長短に随ひて成是也一様に不可存と云々近代旗
棹の中に指物竿なとを致し入或三間の竹柄
の池に常は致し用之時は旗竿に成ことく取置に
拵内に指物竿を後入たるなとも有之如此の類は
損徳を考へ宜かるへき様に可申付也
今桑に近代は明の好により旗の形様々其品替れり
吹貫吹なかし五幅三幅の大ばた四半四方の旗等を
用る人も有之又円居馬印にも挑燈釣鏡金銀
の御幣制札母衣はり白熊黒熊切さき恙ない
ばれん半月など様の物を色〳〵の様子をかへて
用と見えたり於差物纏馬印は其品々を以備の
わかちを知或族を振なびけうこかして声のとゞ
かざる遠味方を下知するの用所なれば古法也と
云て一様に致候は又紛る事も有へし紛所あ
れは旗を不持にひとし依之近代如此義類売
形ならしむ其徳なきにあらさる也猶口伝を
受へし
幕可仕立作法
一幕の幅の事
一和田幕の幅は十二月の数を蒙りて十二端なり
十二反を二に分陰陽の幕とす六冊の内一幅を取て
三に割左縄に三繰に致し手縄とすへし是
天人地三才をかた取也手縄は三色黒色青色
白色にして白は天の清る形黒は地の溜れる色青は
人の形を表して也残五反を重まくに仕立是五躰
五輪五行をかた取れるかゆへ也
二幕の長サの事付三帖の幕の伝
一同年の長さいたれは大中小有本幕中幕中幕小幕也
是を七歩六歩五歩のまくと云て三帖の幕と
名付也然るに大幕は長サ四丈弐尺巾は三丈六尺
小幕は三丈なり其大将の好に依て是を
可仕立也
三手縄の長さの事五歩の幕は四丈五尺六歩の幕は
一四丈八尺七歩のまくは六丈三尺なり前にしるすことく
三色に染三線にないて用之但混白の幕には
手縄も白かるへき事
私曰手縄或云其幕長にくらべ餘所六尺五寸に可致と
云々一説に云手縄三繰に不致四ツ割に致と云々
四乳四数の数の数の事天の廿八宿を表して廿八乳を付也
角宿の乳より逆にかぞへて九[ツ]目の乳を重て可付
牛宿を除故也
私云廿八の内一を重て乳数已上廿七是本義也
と云共七歩六歩の幕は其長[サ]に随て廿七宿に
九曜を入卅六付事も有之也或片幕には廿七の
乳を付片まくには卅六一には卅六廿八宿を形取て
陽の幕と云地の卅六禽を表して卅六童子の
御名を書乳の内へ入て陰の幕と云と云と云々
勢多迦童子光綱勝童子知恵童子
羅多賀童子持賢婆童子法守護童子
仏守護童子虚空護童子戒光恵童子
波女利如恵童子休童子石請孝善光童子
伊藤羅童子利車昆童子困陀羅童子
僧守護童子宝蔵護童子普香王童子
善你師童子吉祥妙童子金剛護童子
允勇猛童子師子恵童子阿婆羅童子
不思儀童子烏波計童子不動恵童子
虚空蔵童子法受護童子大光明童子
師子光童子波羅童子賢多羅童子
空垢光童子虚空光童子金迦羅童子
五乳長五寸弐分也惣の名一尺四分広サ一寸二分成へし或曰
長五寸なり内一寸布へかけ四寸は布の上なり幅の広
さは布幅を三に竪に割それを二に折てくけさ
する也色は白浅黄紺三色を交但同色にても仕と
云々異説故記之
六軍監の数日月貪巨禄文廉武破已上九ツ也日月
の物見は天の哥と次の界の間に可付各壱尺弐寸
扨其次に三ツゝ其下に四ツ合て九ツ也勝の品と
芝打の間には不明也軍監の広サ八寸五分
私曰或人の云軍監をあくる事上に四つ両の端
壱尺弐寸宛其間に文禄の物見をあくる其次の
幅の間に二ツ貪武の物見也広サ各一尺八分ト立説有之
常には物見より物見へからすと云々
七幕仕立る糸陰陽の糸有之天の幅と二の幅の間
一通り五色の糸にて縫事本義也又白糸にて仕
立る也糸は長原成へし縫初縫留はぬるでの屋に
にて留へしと云々
私曰長糸と云は一筋にて中にて不継糸の事也
八幕縫様針返しすへからす両のはしを外へまくり出して
縫へし折返事なかれ布を可重様は鎧の御手
かさぬるやうに重て弐通り陰陽の糸にて縫へし
縫始縫留は委〳〵図に出之
私曰布を右のことくかさねて一遍縫へし但
陽の幕は天の幅と二の哥の間を二通り縫へし
と云一説有之
九乳の付様の事付緒目七ツマ付なり是七曜を表
する也又身又囚如此にも可付又針を立るにも
裏より表へ出へし
十縫目革の事藍革を先を先を先を剱形に切て物見の
跡先に付る也付様口伝ある事
十一紋を可出事嫡子次男其差別有之嫡子の幕は
天の幅へかけて紋を可書二男は天の断を残し
芝打迄かくる也麁子は天の幅芝打を除中三号に
付へし紋の数は幕の大小に随て三所五所七所
と付へし
一私曰幕に紋出す事本説なし本義は直白成が
故也然共公方家の御幕混白成か故紋をいだすと
いへり徳大寺家に義門といへる人の流には上幕中は
地布も乳も手縄も白し若紋あらば中三品に
付へし中幕は地布を白くすれば乳縄を染へし
地布を染る時は乳純白かるへし下幕は地布段
替に致し紋を染付也又五幅にかけて紋を
いたすと云々
十二年十一年七月十一年十三ゟ已前五十三後の女左そ
右その女ゑらみて苧をうませ布を調用也糸も同前
成へし
一私曰幕絹の事不一定白絹白布白綾何に而も可仕
心といへる一説有之近代は不用之白布計を用
十三幕中の事情挺頭下角ゟ頭街木の間三寸幕の
すりと地の上下の間六寸頭衡木と摺との間は布
はゞに依へし地に入ら壱尺弐寸也幕串の数片
幕に四本宛なるへし幕の町五串四ツにて四似立
五横を表する也
私曰或説曰片幕に九本宛一張に十八本可有十八
界を表[ニ]故也又一張打時は八本不用七本にて打
へし一本の串両へ用故也云々
古幕串長八尺方角は壱寸宛積り八角削端挺頭に
いたし夫ゟ四寸下に折釘有墨を引黒うるしにてぬり
地入を鉄にてはる一尺はかり也まく串幕つくし
共云也木は勝軍木なり
私曰石突を入る事は握て不立物也故に如此一説に云
幕中長九尺太サ八寸八本の内壱本石突有之是は
穴をあけん為也残て七本は先をとからかす迄也
徳大寺流に曰幕一張に幕串九本長八尺五寸
内壱本は七尺五寸也又五本は八頭四本は押切也串の
頭には九曜の文字を入へしと云々
十五幕の打始の事何方にて打とも其陣の左の方ゟ
はしらかすへし春夏は陣の左の二本めの幕串に
角をあらせてふる也秋冬は右のまく串三本めの
まく串に角をあらせて打也出入の所は左右の
幕の合目左前に合て六尺明也手縄打はしめは
陽に打留は陰に留ル也留様は口伝有之
私曰或云常の幕は一文字にはしらかす合目も衣
一聚の前合たることしと云々又曰化粧幕の
事屋形の前に片幕打事有袴の腰なりに
一打也軍陣にて小屋の前なとに打へし
又出陣帰陣に付て打出打入と云打様有之
又辻固なとに壁のかわりに幕をうつには打切まく也
是は表を表へうつ也打切らさる幕は見物なと
のまく也と云〻
一六幕片〳〵打時は端を打のこすへき事
十七幕中を立る時曳こと云声を次第上りに三音上て
手縄を留る中に九字の文を唱へし
十八幕を納る時は本末ゟ面へ二人して治る也又帰陣の時は
末本ゟ二人して面へ持おさむか也
私田真中ゟ入て右の脇へ出左の脇ゟ入て真中へ
出し右の脇よりは入事なく左ゟ出ル事なかれと云々
一是一説也或云其時の様子に依へしと云々
十九幕出入心持出る時も入時も幕を表の方へまくり出し
後へ打こして出入すへし昼は日の物見の下より入
月の物見へ出夜は月の物見ゟ入日の物見へ出へし
又曰貴人座に有時は左の手を以てまき可入女姓内
あらば幕に手をふ付扇にてまくをあけて入へし
或云弓と太刀と両手に持て出入時は太刀の柄にて
幕をあけて可入大将外に有時はうら弥を外へ
内に有時はうら弾を内へなして入へしと云々
廿幕箱の寸法竪弐尺八寸横三尺六寸高サ幕の高サ
に随ふへし
其幕の名所并詞有之一の哥を天の暖と云其次を
二の鼎と云或あひの幅とも交其次を三の暖四の
一号を勝の暖と云五番目を芝打共石打の幅共云也
又幕に三所の名あり真中を天門破左を風体門
右を水門破と云也幕詞はまくをうつ或納ると云也
私云敵の幕をは引と云味方のまくをはうつと云
一船中にてははしらかすと云身方のをも同詞也
見物ゆ山の時はまくをはるといふ也又曰幕一ツ
をはかたまくと云二を壱張と云或曰幕壱双と
云々然共左伝にまくの数をかく時
廿二幕品々の事外幕内まく楽まく屋幕船まく
花まく野まく香幕死幕暖簾幕几帳斗帳
此類多し
私曰徳大寺義門の流に大ま〳〵と云有之六暖なり
長サ三丈弐尺乳数は卅二種子は廿七宿に明星四
天の種子をかき入る也又横まくといふ有之
長サ弐丈五尺にして五幅也是当流にもちゆる
所の外幕なり
廿三幕の図
今楽幕は軍旅の実器也本文に云廻計於帷
幄之中決勝於千里之外云々然は幕は丑軍を油
幕の内に籠並其下におゐて策謀をなす大
威徳の兵器なるか故将軍をは幕下共号せり
其制古法其濫觴を計に陣の前にかたひらを
はり布を縫合て士卒のかこみたらしめたる
なりめ此にしては其作法余り質朴成故五行を
表して五冊とし廿八宿を請て乳数をさため
三才を則りて手縄を三にわり其徳義を具
する事如此仕立様家々流々有之と云共唯其
肝要とする所は損徳利不利を知に有口伝重々有之
春亥子夏に卯秋丑未辰戌
廿四幕可仕立吉日は母倉日
一冬申酉土用之時不作之
天報日
春戊寅夏甲午
訓閲集出之又曰
秋戊申冬甲子
壬癸日に卯未日
作之
悪日之事羅刹日因果日三殺日嫌之
吉方之事其日ノ聞神玉女ノ方ヲ用
時取之事遁甲成就之時幸甚万倍之時
廿五本尊は八幡大菩薩其主人の氏神摩利支天弁財天
大黒天九万八千軍神を勧請致し壇をかまへ
東へさしたる楊の枝を取寄吉方に立置洗米を
供し御肴御酒を備焼書行法先護身法而九字印
又左右内縛して頭指を立招く
南無九万八千軍神八幡广利支天来臨影向給阿
きりゑいげいきそわか三返同施無いの印にて
阿しつた恒美多せむつはらたうんと三通唱御肴を
進なり哥に
千剱破神ものこらすきこしめせ
三返
みもすそ川の清きなかれを
幕布縫に菊綴の草針小刀細工人の数程唐櫃の
蓋に入て出幕作る人手に取音爐か持して布一ツ
裁始其上細工人にたゝする也裁様に口伝有扨
布の裁餘を壇に置たる柳の枝に結付て幕作
納て後所の氏神へ奉る也乳の内へは廿七宿を書て
入る也三十六の乳には廿七宿に九曜を書て入へし
何も南天の葉に書て入る也九字十字十一字の
文手縄の内に可書と云々め此して一日に出来する
ことく人を大勢集て可仕立之
其幕出来終て俄式は先幕を打也若まくつくし
おそくは何木にても新敷木を四本宛八本たて
幕を打か持する也又庭狭して一文字に打事
ならすは春夏は左秋冬は右の方に角をあらせて
打也幕作る人は南面し主人は東面に座すまくの
前に餅百廿つかせ瓶子銚子加取添て昼幕作人
まくをか持する也先護身法次九字の印にて一
串にて臨二串にて兵三串にて闘四串にて
者五串にて皆六串にて陳七串にて列八串
にて在九串にて前一字宛にて加持扨勝の一字
にて双幕を加持する也
其勧請致致処の本尊を送り奉る作法右の手を剱
印になし指の上にて左の手を外へむけて三
度上つたれつして怨敵退散と三度唱ルなり
上つたれつ致事上るをつよく垂るを弱く致也
廿八右の作法終て幕を畳納る也畳様はいか程も
外へ折てたゝむへし手縄を以て四竪五横に
からげ箱へ入へし
内幕可仕立作法
一内幕絹本説は紺の選糸を用る事本説也然共
近代は金襴純子綾錦を用る事是略儀也
二幅の数上の横暖一ツ是に家の紋を付る也其下
一竪幅十二合て十三也横の長さは絹の幅に依へし
一私云徳大寺流に内幕と云は其作法各別なり其
説に曰内幕には天地の絹無之唐絹ならは六幅
成へし又は十三幡成へし云〻当流に云所上の
横町家紋を出事無之是又一説也
三乳は号の絹とひとしき同色の絹を用也其数十六
成へし或哥五十八所ともいへり絹の幅によるへし
四竪の幅長サは五尺弐寸也菊とぢを付る所縫はつし
六寸成へし
五ぬい糸は長いと也あまらず不足なき様につもり縫へし
糸は白糸なり但陰陽の糸あるへし菊とぢの革の
事藍草を壱寸二分に切付る也
内幕図
慢幕可仕立作法
一幔幕は十二幅成へし
私曰まんまくと云は遊山既水或見物の場等に打
幕也唐絹純子金襴の類にて致之也又無役の
絹には秋の野花壱しを縫摺色たるも有之也
但徳大寺流には当流の内幕をまん幕と号して上に
横幅を加へたり但下の立幅六暖乳数十六廿五十八等也
二紋を不出立幅計にして上の横星なく下経はつし
菊とぢ有へからす乳付或は縫くゝみなり
図云
暖簾幕可仕立作法
一絹は浅黄に染五幅也長サ五尺八寸也末を六寸経はつし
黒草にて菊間有へし草の長サ壱寸二分也家の紋を
一ニ付数七五三也
二乳を付る事或手縄のない様は本幕のことし
三乳数は八ツ両の端を並て付る長サ五寸二ツに折て付る
所七分也手縄の事長壱丈五尺也縫糸は浅黄に
一染陰陽の糸有之長糸にて是を縫へし
私曰むかし性よからぬ人は本幕の登りに此まくを
打し也然時は十幅にもすへし其時は右の積りを
以て是を仕立る也但其時も紋は五所也のれんは四
暖也乳は十八付也中はあひよせとてあけ度時は
中をたてにひきあくるなり風なとの時は
中をくゝりて置也是をわけと云々鼎連は
白を忌へしかたを付へし縫物をも致也
一暖簾幕図
十一
団扇可作立作法
一軍配団扇寸法竪八寸横の広サ上九寸中七寸三分
一下七寸弐分柄頭三分出之長壱尺壱寸弐分但是は公方
官領屋形なとの御所持被成御団扇の柄のす頃也
平人の団扇は柄の長サ八寸弐分成へし下ゟ五分半ゟ
上に腕貫の穴をあくるなり広さ四分半成へし
二団扇はねり物にて作之柄は将軍木を用る也但
一鉄を以作る事も有之将の好に依へし
団扇之図
右の団扇図は武田新羅三郎所持団扇之図也
三団扇種子作法は先団扇作り出来たる時は乾の
方に壇をかまへ壇上に団扇を可奉行法は先護
身法九字印次に遂以右剱図中に一書之次結定印にて
南無金剛輪磨利支曳沙哥次結妙見秘印而
南無日輪月輪广利支天妙見大菩薩皆在閣中
不退守護次金剛合掌而南無九万八千軍神
来臨影向垂護持次九字九返次拍掌弾指
如斯行法終て扨団扇を取三献之祝言可有之
四団扇の祝言三種の肴組作法之事
一打蚫五ツ二勝栗五ツ三昆布三ツ五分三間五分三ツ五分三尺五寸三尺五寸三尺
御盃は土器三ツかさねて並へし口伝
私曰団扇は兵具の第一なれは尤崇敬すへし
故に大将ゟ外に手に取へからすと云也若家老
或は其家に久侍是を取扱ふ共御団扇の柄を
取事なかれ御団扇の羽の方を持へしと云々
一朱幣可作作法十三ケ条之事
私曰来幣と云事は異朝に其制慥ならす
され共於を以人数を進退せしむる事は周礼の
古法にして旗にいろ〳〵の品をかへそれ〳〵の
相図をなさしめたる事は古来ゟ有之儀也
此道理を考て云時は魔是をさいはいの心
なりと云へし故に古人魔の字をさいと
用たると見えたり日本に用所の米幣は
神道に用るにきてを表したると云本説有之
間米幣と書へし米はいろとると読り幣に
青白のへい尤五色の幣有之故成へし赤細は
神道に委し或采幣は禅の拂子を表するか
故に白熊黒熊赤熊等を用ゆる共いへり是又
異説にして本説あらすといへり
一米幣可作作法はつくしの長サ壱尺八分太サ壱寸五分也
私曰つくしと云は米幣の柄也米幣中共つくしとも
又は柄共云へしす法書のことし
二米付の緒通す穴の事先の方ゟ七分中成へし
私曰右つくしに緒通の穴をあけ夫に皮緒を
付て采をむすひ付る也
三緒通しの穴は下より三寸中成へし
私曰是は腕貫の緒を通す穴の事也
四上下に真鍮或銀を以はり上下の穴に二重し
とゝめ有之木は勝軍木にて作之へし
私曰逆輪を入る也木は花勝軍木也或相木を
用て致す説も有之然とも軍用之木は白漆
木を用事是本説也日本記出之
五粒子の事長壱寸太サ弐寸是又勝軍木にて作之
私曰りうこと云はさい紙を巻付る木也粒子に
不仕時は結目ぬけ安し太さ書のことし
六紙数は七枚十一枚十三枚成へし
私曰紙数をは必半に用之陽の数なれば也是を細に
戴て右の粒子に付也紙の広サは大方五分七分
一数は紙の幅に依へし是又戴事半に致へし
七米付の緒は紫草歟藍草歟薫草成へし壱寸三分
つゝにて緒みなり
八腕貫の緒は三尺六寸五分なり色は紅類青類黄類
其外何レの色も大将の好に依へし但常の人は紫を
姫へり
私曰紫は間色と云て古来は不用之斎の桓公の
比より貴び用来れり就唐則天皇后簾中
の政をなし給しより人に紫の眼を与へ此色
を貴へりと云々
九むすひ様は桶ゟ三寸弐分置て結也むすひ緒の餘りは
短き方一寸弐分也
私曰腕貫の緒かた〳〵を長くして置事は是を
わたかみ相引の糸にむすひ付縦取はつしても
米幣を落斗有共地江落すましきゐ也
又古人の鎧には米幣かけの環をうちたると
有之なり
十米幣の色は赤白二色なり但朱米幣は本大将
の外不可持之平人は白さいはいを所持いたすへし
私曰朱さいはいを貴事朱色は火の体にして
兵法に別御尊故に本大将是を所持致さるゝなり
十一白米幣はさいはいのつくしを黒クぬり朱米幣は
木地の米幣つくしを用也
私曰朱さいはい柄を木地に致事是質朴を
本とするか故也
今葉近代は金銀の紙或白熊黒熊或赤熊なとを
用是皆略儀也尤雨中或長陣の時紙は損し
安きを以毛を用帛を用るといへとも雨中
なとに用るは又老様の道具も勿論也万端その
質朴にして不飾を用る事本説なれは
当流にはめ此紙を用ひ損する時は幾度も切かへ
へき也口伝重々有之事一様に存へからす
采幣両様之図
一米幣串種子可書図
十二未幣出来秘法并祝之事
米幣をは其日の玉女の方に立並宋幣平の頭に
此梵字を書へし
同串に此梵字を書へし
次ニ無所不至の印にて
南無普施明妃日輪广利支天妙見尊星八幡大
菩薩魔群退散怨敵消除噫〻如律令次金剛
一合掌而可唱勝運仁者也
祝の肴は団扇とひとし
十三米幣団扇所持の次第は画夏ゟ末秋迄は団扇を
可持孟冬ゟ季春迄は米幣を持事本義也但め此
の事は大将のすき次第又は其家の嘉例に可任也
是は大将軍の事也
扇を作る作法
一扇す法の事常の扇にひとしかるへし別に
習なし片面をは朱に致し金にて月輪を出す
一方は地を全にして朱にて日輪を出す也何も来
うるしにてぬりうなしにて箔を並也是は雨に
ぬれても損せしめましきゐ也要をは丸かなめに
致し中に穴を明て腕貫を付る也
二骨は八本也是は天の廿八宿を表して八骨に致と
いへり骨八本にて常の扇の広さならしむる故に
はたはりを広くをらせ上下を平骨にいたす也
三陰の扇の事是は骨十六本に致し一方は地を銀
にして朱の丸一方は地を朱にして銀の丸也十六
一本は地の三十六禽を表せる也其外の作法は前にひとし
四扇子種子之事
五扇之図
鞭可致作法之事
一木は熊柳を可用也熊柳はしなひてつよし又は
九摩王神也云〻
二長は弐尺八寸成へし我手のすを以尺を定るなり
長クはつげみしかくはきれと云義有之也
私曰鞭の事古説色々有之真行草の三の鞭
或宝剣を表し或は須弥山の牢といふ虫をかた
取なとゝいへとも本説正しからす馬家に可尋也
図云
一縄可仕立作法
一繞寸尺の事五幡五尺七間七尺八幅八尺十幅壱丈
と云々其大小定り無之其人のきりやう其好に依へし
二縫様の事片糸にて是をぬふへし針かへしを致さす
芝打を外へまくり出して可縫也
三縄の色の事赤白の二色是本義也当代は定儀なし
五色何レをも用ると見えたり
四統一匁日春は庚辛夏は壬癸秋は甲乙冬は丙丁也
五母花の文字源平藤橘の四性に依て其替有之也
武羅源氏錦衣藤氏
神衣平氏母衣橘氏
め此四大姓に依てかはれり又親の三流と云て熊谷
平山蘇武其致様なと品々有之由申といへとも何も
異説にして信用致かたし
六統の図
私曰母衣をかけたる武者を討たる時は必母衣を取
来るへしと云々其名を知らん為也と云也
七縄出来行法祝之事
母衣作出来たる時は日輪の法可行之と云々祝は三種
の肴米幣団扇と同前也
私曰母衣は六具の第一也依之上古は大将を始名有
武士は必母衣をすゝめずといふ事なし依之母衣を
作り進るには様〳〵習有之然とも近代は此義
絶てなし故略之
又首縄着といへる物有之譬は今の羽織のことく
致し襟おほくひ付たる物也め此して母衣の替りに
着せりと云々異朝の賛会母の衣を着せし
ためしにも可有歟近代其作すなけれは略之
押太鼓丁造作法のの
一旗本の押太鼓は胴を黒くぬりめつき鋲にして
面に青く左巴をかく也環を打紅の緒にて肩に
かけさせて打也御大将の右に有之也
二諸手の太鼓は木地の胴にて鉄の鉄也墨にて右
巴を書也
三寸法は大小其好に依へし大方指渡し壱尺弐寸也
横壱尺三寸ばかり也鋲の数一方に四拾五六斗也是ゟ
大き成も有之定れる義無之
旗本太鼓の図
諸手太鼓之図
太鼓家に入たる図
二十一
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是は雨ふりの時め此家に入なり
一貝可仕様の事
一貝は口を銀にてはり上に紅の細をかけ緒を付て
吹者の頭にかけさする也別にならひ無之
私曰貝の口をはる事悪し子細は口金をうるし
にてつむると云共細〳〵はなるゝ事多しはなれ
候へは貝不鳴故に事をかく事有之此故にあし
き也唯口をよくすり漆にてつくろひ並へし
又近代は口の内をからくり吹様に致たる有之
是も其徳有がことしといへとも又其音ひきく
して其損有之や
貝の図
鐘の事
一鐘可作法別に習無之常の鐘を可用也又所により
場をかへあなたこなたへ持参するには鐘をつるには
其作法有之是は別巻に其制を出すが故残之
鐘の図
楯か拵作法
一持楯作法の事
私曰持たてと云は平城なとを攻るに奇口平陸
にて場よし成時拾輻も二十輌もおしならへて
おし寄其後にこしをならべ竹束を付る道具也
寸法は横壱間半はかり高五尺計也むかふに
鉄の楯を並べ矢間を切事も有之へし
図云
二丁楯の事
私曰丁楯と云は楯の前に取手を付或壱人持或は
弐人持に致しき張も備先陣場の前なとに
立並る是を丁楯と云也但是は大方木楯に致し
外へ鉄をはる也又楯に蝶青を致し一夜疎其外
其場にて急にあたりをかこひ度時楯をつき
ならへて蝶番を合て囲に致事多し
三鉄楯の事
私曰是は鉄をうすくのべ長三尺計に致し横壱尺
五寸程に拵へ壱人致し持是をかな楯といふ也
四木楯の事
私曰木を以楯に役には木にならひ有之樫は堅くして矢
玉不通といへ共厚時は持かたし其木重が故也猿ぬめりは
其木かたけれ共厚三寸に致ても猶国通り安し大方
むくの木榎あつさ三寸斗なれは玉通らさる也可秘云々
五釣楯の事
私曰つり楯と云は生牛の皮をいため其裏に鉄を以
薄くのへてあて上にくわんを付緒をむすひて是を
つらせ城攻の時先へ持しむる也唐の木慢と云類也
但木慢は四輪車にしかけ低昇せしむかことく致也
図云
六藤楯の事
私曰藤を以楯に致事老藤のこぶ多を竪に致し
それに大藤を巻付〳〵幾主も致し長三尺五寸
横壱尺五寸程に仕是を藤だてといふ也
懸燈制之事
一夜旗之事
一私曰夜歌と云は夜中に陳〳〵のわかちを知しむるには
旗を用かたし旗のかはりに悪灯を拵へ陣の前にかけ並
そのわかちを分明ならしむか是を懸燈といふ其作法は
常の丸桃燈に上に鉄の蓋を致し其上に油紙を設け
雨を防しむる也
図云
又曰壱人持の挑燈夜中に持参の為なとに致は又め此也
図云
又曰がんとう挑燈とて有之是は常の地燈を半ゟ
黒くぬり内。火をとほす時は向は明に見えて内は
少茂見えさるなり
一夜陣道具の事
一かくのとうの事
私曰是は仕寄番衆陣屋にても編敷の場にても
勤番致侍或一夜凍にて上にやねも無之時又は
外張篝の場の張番なと致時風雨を防く道具也
竹にて如絵図拵上に渋紙はりて居也是をかくの
とうと云也又は挑灯のことく油紙にて長四五尺
計に如絵図致し不断は畳置ことくにも拵る也
図云
二布紙二布渋紙こより糸立竹柱網紙
私曰布は縫合てつよく張時は雨不通物也渋紙は
間のしきり糸たてはやね竹をは柱といたし
こよりをたるきとするあみはたるきの為に用也
め此道具不断拵へ置時は手軽して一夜二夜の
野陣心よくかくる物也故に書之
三糸を用意致し可持参事
一私曰細引を用き致し鷹のへをのことく拵置
夫に銅の釘長壱尺計に致たるを十六本用き仕
是に糸を通す穴を明て急成時分鑓を中に
立てそれを八方へ糸細引を引つり右の釘を
立きわも引はりて其上に雨覆を致せは大将
計は雨にぬれ給さることくなる物也
陣屋切組雨覆致様の事
一陣屋の切組と云は常に必用所に立と云にはあらされとも
兼て軽く切組並或二間に十間或廿間計を二三駄に
付て行着成時御大将の御本陣と致し諸卒はかくの
筒にて陣する為に不意を可備か用き也是を頼へき
にはあらす凡軍の礼士卒雨に逢時は将蓋を
不張是古人士を愛するの信実也然ともか様の
兵器兼備の工夫是又主用の出る所なれは其あら
ましを記や
一柱竹七八寸廻長七尺計但石突共に小屋十間に
廿弐本組中に三本合廿五本なり
一梁十本但竹の太サ右同長サ壱間宛にて継へし
一桁廿本右同壱間宛にて継へし但両のはしは壱尺計
長かるへき事
一棟木十本壱間宛にて継へし
一つか五本
一柱の切組の事桁を持所を切かき竹を請ることく
丸みに切込へし但切口には檜の木かさわら木を入へし
其際を細糸にてまき漆をつかふへし猶前後中
三所を糸にて巻漆をぬるへし右の切込たる所に
ほぞを致し桁へ入柱に紺の細き小細引を付
置てけたを持せて結付へき也又曰ほぞなき
時は上下にかきかねを致し可合也
一はりは一間宛にて鉄の蝶番にて可合是も竹の
先にほぞをさわらにて入置也
つかの立所を少のそき脇にて蝶香有へし
一けたはほぞを致して両方に輪かけかねをかけ
入ちかへてかくへし又弐間宛ちや番ひに致し
置ともいふ
一棟木にも右同前也
一つかはむな木を持所は柱のけたを持ことく用きし
梁へかゝる所をは丸みに切かきてかけ金を上下に
打てかくる也
一はりを持柱是又右同前也
一たる木竹はから竹の細竹を用壱間に五本長八尺計
一弐本空上を紺の小細引にてくさり或壱間弐間
程横をも糸にてくたり置へし
一細引を用意致置てたる木を桁へくさり付へし
一一雨覆相油拵様蕨の粉念を入もちにねりて渋
の上々にてよく合木綿能にあつき美濃氏中を
喰さき紙に致し右の糊にてうらを打上下に
一綱紙を敷てよくふみしゝび致す時よくうつへし
其上を吉野漆にて薄ク二三へんぬる也もめんを除き
紙はかりにてもくるしからさる也
一雨覆長弐間半横壱間壱尺上下に五所宛乳を付ル也
一雨覆の乳へも細引を通してたる木へ結付へし
上中下共に細引を引はる也
一石突は四本鉄餘は杉にて致へし柱の上には折
釘をうつへし
狩川
武備第八
付候上
同同同兵法神武雄備集
兵法神武雄備集武備第八
斥候上目録
目録
一物見武者を可撰事
一物見三段の事
一大物見中物見作法五ヶ条之事
一繋ものみの事
一道足軽迎備の事
一相図の物見并狼煙小旗の事
一外候品々の事
一小物見馬乗様武功十一ケ条事
一付候可見積五ケ条事
一物見武者可見積所々の事
一夜中物見に三の見誤の事
一物見に出敵の人数見積の事
一物見武者物頭物奉行迄可存詞遣ひの事
兵法神武雄備集武備第八
付候上
物見武者を可撰事
一古老伝曰物見え可遣武者は武変場数有共敵の
様子を見切地形の善悪勝負勝負の配流を見分る事を
不知者には不可見也縦は場数すくなく共弓矢の
正理に賢き勇士の信有て義の強侍に可見也
私云物見と云は敵みかたの末メ備を不設以前或放
間遠き時武功の勇士を出して敵の娘に地形の
一利不利人数の多少数の強弱を見積る事を
物見といふ也但遠侯付候忍額物聞の類其品
下に記之然るに物見武者武功すくなくして損を以
徳とし利を以て不利と致七は味方の敗北疑なし
故に是を可撰義肝要也可撰作法は武邊場数
有之ても武功のせんさく徳損利害を勘弁
致事不叶者には不可見也場数すくなく共武功の
勘弁有之て信実深く跡先を踏しまり義理を
大節に存肴を微塵にくたかれ肉をしゝひしほに
致さるゝ共志を他に不変義を守る勇士を撰て
物見に可遣也め此武士は自身の功名を立ん事を
不存弓矢の勝負をはからひ他に志を奪るへから
さかゆへなり
二物見仕る衆は先使武者或足軽又将者頭物奉行衆
番頭之暦々是を勤るや二度目三度目は其次々へくり
渡すなり
私云物見武者と云は別に役者を立て是を置事
なし故に御旗本の物見を仕るは使番の役也使番は
前後へかけ廻りて備の釘くさひと成物なれは
大将の仰其日の春に依て先衆勝負合二の手
一横鑓等の義其しほ合を此役者見積也或山林
薯雀の疑しき処又は備先なとにて大事の物見は
御旗本足軽大将物奉行番頭の類非番の者勤之
是古法也二度三度ある時は其次之先へくり渡すと
云は敵の様子により疑しき事有て同場所江
二度も三度も付候を遣スには其次江くりかへて
可遣意は面〳〵の申分同歟不同歟なと云儀を勘
弁致へきが為なり猶口伝を請へし
三御大将見定に御一見は侍大将いくたりにても仰に
随ふて供奉可仕尤使衆不残可勤供奉事
私曰教に依様子に因て大将御一見有之事あり
順見とは又其品かはれかなり
四侍大将騎馬頭なとも物見仕る事有之左様の時は
一験弐本の内壱本もたする也口伝
私云是は馬験と小馬印と弐本持する事有之
其徳は士大将所用有之て他所へ往来致時大円
居馬印を持七行時は諸士大将の陣をさるを疑ひ
さわく事有之故に大円居をは常の役所に置
小馬印を持せて出給ふへし爰を以付候に
出る時もめ此成へしと云なり
付候三段之事
一
一小物見と云は一騎二騎或五騎十騎迄も小物見と云也
私云敎陳の様子を潜に伺はんか為に一騎二騎
指遣し山林竹木の茂りある所をかた取て是を
伺はしむか也
二中物見と云は卅騎四拾騎五十騎迄の物見を中物
みといふ也
私云其事に付て其品替る物なれは大物見
をかくるにはいかゝ小物見計にては見切かた
きとある時は中物見を掛ル事有之也
三大付候と云は能馬武者計をすぐりて五百騎
六百騎の至九百千計もつれて見切事有之
是を大物見と云也
私兵小斥候計にては数陳近くへたぶ〳〵と
踏つめて敵の様子地形の体を見切事不叶
爰を以能馬武者計を撰て百騎ゟ上千騎
迄も指遣丈夫に物見を仕らする是を大物見といふ也
大物見中物見作法の事
一味方人数の多少に依て中を大に致事
古老伝に曰味方つれ出る人数三万計には三百騎ゟ
千騎迄も大物見と云へし其人数に依て中を
大とする事有之なり
私云味方の人数其分限の多少に随ひて中物
見を大物見とする事有之大物見は大身の衆
に計有之と不可存也
二みかた人数のた人数のた少次第大物見有之事
私云身方の人数大軍にして敵の人数小勢
成時は大物見をも中物見をも切置して故に
味方の勢をなし其志を奪気をぬくへし小勢
にして大軍の方へは其様子に依て可有遠慮也
三敵を手引時は胴勢に口伝
私曰敵の大将軽くして遠き通りなき時は利して
一誘之故に敵を可手引ゐに大物見をかくる事
有之是には胴勢を指添可遣之云心は敵軽は
花大物見の人数をうたんと教兵を可出其時胴勢に
一教を渡し物見武者早々可引取め此時は同勢は
みたれず敵は乱して来る人数故必定可致敗軍也
又所に依手引計にあらず危き場所へは胴勢を
そへてか差遣也
四所に依馬足軽を可仕事
私云右のことく教を胴勢にゆつりて後足場よくは
物見武者左右へ乗分ツて敵の備へ馬を可入是は
付候武者能馬武者多く歩兵をつれさる時の
事也馬足軽と云は馬上の兵を撰ひて手軽く出立せ
敵の備の中へ乗込する事也古来は人数をもたす
乗引一己の自由成武者をは皆あしかると云り
五穀に依大物見遠慮の事
私云剛殿の功者或手軽き大将なとへは大物見を
無子細掛ル事不可有之尤送足軽胴勢なと
無之時は大物見可有遠慮なり敵小物見をつかひ
味方大物見の胴勢をみきり無二に一戦を始る時は
味方敗軍疑あるへからさる故也
後奈良院天文十六丁未年二月下旬武田信玄家ゟ
信州村上方へ板垣淺利両大将を以手遣の働有之
武田方旗本よりの横目には原美濃守美濃守大将なり
然るに村上方に余里布下岳岩寺三大将陣城を
構て扣たる所へ板垣大物見武者六拾騎歩者一人
もなく敵近く迄乗寄一見来由申付る荻原与惣左衛門
板垣甥堅く諫けるは剛敵にてしかも弓矢功者
成教へ味方弓鉄炮の胴勢壱人もなくては危かる
へし小物見可然とすゝめけれとも板垣不用之
終に大物見を掛たる所にがくかんし米幣を取
百騎計真しくらに乗て出既に板垣衆敗軍無
一都所に原美濃守同心二三十連兼てゟ見物のことく
道の端に出て敵出て味方可引取間を勘弁致し
敵近成と打合敵の馬を目かけて悉く突せける
是にて数少しどろに成所へ板垣衆返し合勝
負を初めんとするを見て敵引あくるに付大
物見難なく引取けると云々如此先蹤多し
能々可受伝受也
繋物見之事
一つなき物見と云は小付候計にては四方に心を配り
目を付地形の険易を見はかり或かまりの用心に心を付
万に手間を取故助物見の武者を二騎出し本物見と
三騎其約束を定て出る是を繋物見と云也然るに
繋物見には馬に乗様口伝有之
私云物見に可行道の間に山林竹木のさゝわり多く
一旦に見すかされす衆草障多時は小物見計にては
四方へ心を付目を酢其疑有て危時は本物見に心を
丈夫ならしめんか為に助物見と云を別に二人指添て
遣ス也馬の乗様と云は本物見は本道を一文字に
乗て行へし繋の助物見は左右ゟ乗出し脇道を
行左右の地形伏兵かまりの有無を伺へし本物見
疑き所にて馬を立助物見の合図を待時竹木剪
莟の所に伏兵有之は合図の外候を以本物見に
通すへし子細なき時は助物見左右へ本物見の
跡を乗違て又本物見を先へ進ましむへし
め此乗ちかへは無子細と可存本物見ゟ先へ不可進
本物見を敬ふ故也猶絵図に出之
繋付候馬乗様図
送足軽迎備之事
一大中小の物見共にうたかひある敵地にては送足軽
一迎備と云を用てあやうき事なく所々見定を致へし
私云物見に出る場衆草さゝわりたくして若敦
不意に出る事も可有之と存る時には医足軽と
号して弓鉄炮の足軽一組歟二組召連て危き
場に備を設けしめ其後物見武者進み出て様子を
見切也敵あらは則右の足軽をかけて勝負を始
其時宜にゟ場所によつて馬を入る事も可有之
一平陸にしてさゝわりなき場にても送足軽を
用事有之也委細は変戦に出之迎備と云は
送足軽をつれて物見に出たる時其様子に依て
むかひ備有へし送足軽若敵に喰止られ廻合
あやうき時ら迎備是を請取てあふなけなく
敵を押へ可引取か為也
又曰迎備をは送足軽のある所へ計遣みにはあらす
所ゟ数に依て用之事可有之又曰足軽大将
足軽をつれて物見に出るには竹木村里の危き
所々に足軽ヲ五人十人計も残し置て扨数の様子
を乗出し見へしと云々
送足軽迎備之図
五
五
一組
一組五拾人送足軽也一郷村二山林三谷入めひ
見する也口伝
右是は敵を手引て働く手立を見る時又は足軽
を用て焼働なとを仕時は何も此心持有へし
兵法曰第一物見は脈第二足軽を出し敵の働く手
段を見るは問薬第三焼働は養生薬付病者の
色を見るは敵の旗色と云々
相図の付候并のろし小旗の事
一何も相図の心にて可知之
私曰相図の物見と云は兼て相図の品を定むる事
なし其時其場に依て合図の約束を定め是を
通用致し味方へ事を告る也小物見中物見大物見
共に是を以事を知へし
のろし小旗と云は言相聞えさる時は旗を以合図を
定て事を告へし竹木のさゝわりあつて旗を
以相図を告かたき時は狼煙を以合図をなす皆是
相図の心得にて可致委制法に出之
付候品々の事
一検見
伝曰遠く見るをけん見と云也
私云相見と云は其事を奉行して実収致し事を
しるすを検見のものと云也爰に云所の抑見と
云は敵国へ入て潜に敵の様子大方に見て来る
役人也又敵の押来る時なと小高見切場にあ
かつて其様子を見積る是を抑見と云也
二見分又間角所々に事を次第に通する也
私曰数国へ往来し民間によつて旅宿の仮初
なる体を致し或は商人のやうに出立て委様子を
見る是を見分と云也縦は又敵我国へ来ると云共
山林竹木の茂れる中村里の間に徘徊して
教の押通るやうを見分をも云也
三目付
私云目付と云は敵の雑人に交り味方を離て敵方の
者のことくいたして編談をつかひて人数に
打交て陳々の様子人数の体を見積也
四かき物聞付草をむすぶと云事
私云かきと云は夜忍て教陣なとの様に見てまい
るをも云又初後の三者にかきと云有之是は別の義
なり爰にいふ鯨物聞と云は八重かまりなとを
いとふ時に味方の人数の先へ五十歩三十歩計
歩て先を考へさなりを聞て行を云也此跡に
一胴勢なり若かきの役者敵へ行かゝりて敵とかめは
其国郷談を以教にあらさる由を争ひ云へし其
問答の様子を物聞聞て跡の人数へ告しらする也
しからは胴勢は別所へ行歟又敵の伏言を打る
其時の様子に依へし此かき物聞あらすしては
八重かまりに逢事一大事也草をむすぶと云は
夜中にて道くらく衆草さゝわりたき所なれは
先を行かきの役人跡の人数に我行道をまきら
かすましきか為我行方の道を草をむすんて行也
緞草を不結共此心持を以印を付て可通と也
八重かまりに付ては色々可有勘弁
五しのひ
私云かき物聞見分目付なとのたぐひ何も同心の
類也然とも其数其事に依て武功の勇士をも
可指遣忍と云は陣中へ忍入城中へ入て其様子を
見分致メ役人也
六遠侯
私兵遠侯といふは遠き方へ人数を出して敵の
様子を聞を云是は人数一人二人にては難叶
故に遠候の備と号して備を遣し置事有之
所によつて城を拵へ其内に人数を並て事を
聞を遠侯の城なとゝ云り口伝有之事共也
小物見馬乗様武功之事
一本道を直に乗へからさる事
私云本道は敦味方何も気遣ひを致か故兵を出して
是を差防く事有之其上往来を見すかされて
自由宜からす故に敵の思ひ寄さる所ゟ乗廻して
行勘の様子を可伺と云也
二小物見馬乗やうの事
私云小物見馬乗様と云は別に其習なし第一物見
仕て引返す時故に押付を見せさるものなり
爰を以乗戻す時めてへ引かへすと第二部の
様子を見る時は馬を横馬に立て可見弟三疑
しき所をは馬をたてゝ見るへしと云々
三千鳥掛にか乗事
私云一騎物見に出たる時は千鳥足に左右へ広く
乗廻して疑き所を見すかすへし其作法絵
図のことし其地形凝しき所には馬を立て見切
四方にかまり伏兵もなき時にはかゝつて敵の娘子を
可見馬を乗返す時は一文字に跡へ本道を可乗返
最前散き所を委細に見て行故帰時危からさる也
図云
四かまり場馬乗様の事
私云かまり場は下に出て伏兵の地を乗通る時は
葉開きて見透し可行茂みをちかく乗時は敦
ふ意に鬨の声をあけたる時に馬驚てきるゝ
事有之其外損多し
五細道にて馬を味方の方へ折てねぢかへりて可見
横馬にはたてずと云々
私言道狭くして左右にくつろぎなき所にては
馬を味方の方へ折て可見敵急につきたる時
其徳多しといへり其地形様子に可依
六前中後馬乗様の事
私云前後を緩く中を急に乗と云是本説也
云心は物見を承て馬を乗出したる時には
急に不乗味方の方をはなれて馬を急に
乗行又敵陣近くなりては馬に息をくれ乗
寄へし必急に進へからす急に乗て敵を見て
馬を静に致すは首尾あしき也是一勝負を
致[トも馬息切るゝ故用に不立是二小者若党差
つゝかざるもの也是三此外損多し
七すく成道を不可乗行事
私云是は本道を不乗行と同意也道直なれは往来
敵方ゟ見すかされて物見仕にくしと云々
八村際を馬をはやくか乗事
私云かまり伏兵の有所を都に乗時は敵見付
られたると存て同時に立事有殊更村里には
伏覆のあるをも伺にくきゆへ馬をはやめて
可乗通縦見付たりとも不見付体を致して
可行かまりの人数も一騎二騎通るをは大方
見遁ヌ物也と云々
九まがりとをはやく可乗行事
私云まかりたる所は伏兵ある物也尤跡ゟ見えさる
所なれは引取時なとは急に退もの也
十細々小高き所へ乗上て可見切事
私云数の様子伏兵の有無四方を可見切か為なり
ゆへに切々小高き場所へは馬を乗あけて
前後さ右の様子を見切て心安可進と云り
十一輪を乗事あらは右むすひをか乗事
私云前に云ことく付候に出て馬を乗は見かたの
をし付を見せさることく一致と云々此心持を以
如此兵也猶馬上の礼義は軍礼の巻に出之
物見可見積五ケ条之事
一進敵二退敵三ゆるがさる敵四人数見積
五筒勢見切
右五ヶ条の見切は何の物見にも可心付口伝有之義也
付候武者可見積所々の事
一澤池二田切足入三大小山や大小河五原藪
六広道狭道七木立八かけたまり九伏兵場十村里の有所
大概此等之心得を以可見積也
夜中物見に三の見あやまりの事
一夜者を連て敵城近く忍寄堀の深さ水の上を
見計に水に目を付いか程と見れは水底少あり
といへ共七八分もある様に見ゆるなり向の土居に
目を付て見はかるへきなり
二城内火事なとの時風に依て城外の尺のに或
材木なとの立てあるを見て敵働出るかと存る事
有之是は能心を付て其長短と不動と間に
可心付也
三城内火事有之時跡ゟ見れは先衆の旗指物堀
際迄近き様に可有花先衆の陣場迄乗行
其間にて可見也
私云右の三ヶ条は其大概を記せるなりケ様の事は其時に
随ひて視観察其心得あらは疑ふ可有なり
物見に出敵の人数見積の事
一壱人よりうへの見切の事
私曰壱人ゟ上の見切と云は縦は壱人と見て又
それ一倍あらば二人なり二人と見てその一倍
あらば四人と可見五百千の人数もめ此に見積
是壱人より上の見切と云なり
二人数はかり舛の事
私云はかりますと云は数の備たる場所間数を
積りて其坪数を算用致して壱間に劣兵
何人と云事を勘弁致て其人数の大概を
しる是を人数はかり升と云なり是は其備の
ある場所敷をしらされは積かたし
三立くらべの事
私云立くらへと云は攻戦に出て也敵味方の備の間に
乗出して両方を見くらべ人数を考見るなり
但是は敵みかたの中間を積て中間にて見へし
四敵の人数を積る心持之事
私云数間をからさる歟或見すかして壱人〳〵
かぞへられさる事有之時は縦は一備〳〵の旗
指物をかそへて備の多少人衆の衆寡を可
勘弁也指物をさゝず道具を持さるは雑人なれは
多しと云共人数の内に不有用に立所の人数迄を
一積為なれは旗差物長道具の様子を見て
是を可積なり
五遠近に依て可心付事
私云数間遠くゟ敵の人数伺ふ時は所に目を奪れて
人数少く見ゆる物也是一教間余り時は少の
人数も目にあまることく見ゆる物也是二広原
平陸にして四方きら〳〵成処にては人数の様子
思ゟすくなく見ゆへし是三竹木の茂み村里の
狭き地形にては人数多く見ゆる物也是四大概
め此事に心を付て勘弁致へし是物見武者の心得也
六敵山林にかたよりて備たる時見せ於見せ勢を可知事
私云山中は竹木森林のさゝわり有之て地形も
高下多きか故平陸の場を見るかことくは見切
られさる物也みせ旗は竹木に結付置もの
成を以所ちかわさる物也是一見せ旗なる時は
不動也是二見せるは大方並構ふ是三め此義を
以可勘弁見せ勢にて真の人数なく旗指物
藁人形なとのある所には鳥獣是を不恐して
致往来者也又雑人を拵て見せ旗見せ勢に
致時は猶以見え安き物也能々心を付る事
干要なり
七人数の様子申上様心持の事
私云物見に出て敵の人数見積り大将へ申上る時
見積りたる人数ゟすくなく申上る物也子細は着
歌を付て人数をかそへたるとは替りて廿三拾五十
百計は人数のかさ地形に依て花見違るもの也
故に見そこなひたるか動転したるか臆したるか
わつかの人数を大勢に見違たりとある批判に
逢事多し爰を以め此云なり
八山林の間に隠し勢の有無を丁勘弁事
礼云敦備を山林の間に設てわさと手引の兵を
少出し味方をあひしらふ事有之左様の時跡に
人数あしは不可打之隠し勢あらすは可打之間
是を見切へき物見なとに行ては其心得重々
可有之第一小勢にて強く手遣を致散に
隠勢あり㐧二山林の間へ人馬往来しけくは
隠し勢可有之第三相図の於約束験なとあらは
可心付第四数の人数思所ゟすくなくは尤可有伏兵也
第五手引の勢合戦を持と不持とを以可見積也大概
め此道理を勘へ知て可見積之と云々隠勢の多少を
知事有之是は山林の大小其間数を積て可知之
又曰手引の人数は必三分一有之物なり是を以
勘弁致へし
九物見に出敵の人数かくす事
伝曰戦場にて物見に出散の人数見はかり可申上様は
一縦は弐万と見ば壱万五千弐千はかりも有之由可申上
なり然らは大将は弐万と可知給但是は御大将と内通
致しての義也人数計に不限すべて敵の拍子をは
味方ゟあしき様に可申上なりと云々
私云兵法云莫使辯士談敵美云々戦場に於て物
見に出敵の人数をめ作法見積り罷帰りて諸軍
気を呑て有之所へ放の人数はめ此と有のまゝに
云時は士卒心まとひて気をとられ気をうはわ
るゝ事可有之去程に敵の人数を隠し諸軍の
存る所ゟすくなき様に可申上しかしは士卒きほふて
合戦仕りよりよりるへし但兼て御大将へ相図を定
一約束を致ての義也人数を隠す計に不限惣して
物見忍なとの申事をは諸勢誠と存る物なれは
教方の様子は思所ゟあしさまに可言と也
又曰物見武者なとは常々諸侍の申分人数の
積りなとをも承置て其期に望ても右のことく
諸侍の存する所ゟすくなく可申上と云々
平維盛源家を追討の為に東国へ下向ふりけるに
関東の案内者として斎藤実盛を召具し給ひ
ける既に東国へ下向有みて富士川に陣を取ける
時維盛実盛を召て東国の軍の様を尋給ふ
宮盛答へけるは東国には精兵多く兵の心大剛也
殊に夜討に馴てなと東国の合戦の様を申けれは
一維盛大に恐て其夜水鳥の羽音を源氏の兵寄
八
ると聞不我而退ぬ
正慶二年千種忠顕後醍醐の敕命を請て伯耆ゟ
上洛し六波羅を攻けるに初度の合戦に打負ぬ
其夜忠顕児嶋高徳を召て軍中の事を問
高徳散夜討にする事も候へし御用心候へと申
忠顕大に恐て其夜陣を去て落行けると云々
め此の類皆数の美を談して味方の気を屈せし
むるの手立也故みかた敗北す物見の兵猶以能可
心得なり兵法曰勿告以害云々
十人数を積るに其本意を知事
私云人数をはかるに振々其品多くあらわすと云共
皆是其枝葉武功を云のみ也其本と云は兼て敵の
人数の大小衆寡其分限に依て了簡せは誤不可有也
其本を委しく致さすして武功の枝葉を論せは
却而敵の手立の内にか入なり爰を以広く見
広く聞常に見常に聞所あらすしては武功
成就かたかるへし
物見武者幷者頭物奉行迄可存詞違の事
一小かへしもりかへし惣かへしの事
私云諸手敗軍の時分一手二手計にて暫く通し
合する是を小かへしと云也一備二備かへし合するは
もりかへしと云也惣勢一度にかへすをは
惣返しと云也
二城を取まくをはまくと云人数をあくるをはほごす
といふへきなり
私云是はまくと云に付てほこすと云也
三くひ付喰とむると云事
私云敵の引取時期をしたふをくい付といふ引
とらせすにとゝむるをはくひ留ルと云なり
一四取くさると云詞事
四
私云先衆なとのせり合始りたる時に先衆
取くさりたると云もの也
五仕場居をふまゆる事
私云戦の場を不動しさらざるをしばゐをふまへ
たると云也合戦の場を味方に取たるをは仕
場居を取と云也
六持口寄口の事
一私云城内の防く所をは持口といふ奇手の寄来ル
所をは寄口といふなり
七堀をはく事
私兵味方攻取たる城来を人数を残る事不叶して
城の屏櫓をやきすて城を割をは城をはくと云也
八橋を引たるをは敵の橋は引と云味方の橋ははぬると云へし
九味方の人数を引取をは人数をあくると云也
十陣を取をは陣をはると云陳を引を払と云事は軍礼
篇に出之
右之外陳場詞其品軍礼巻に少々出之其外其
巻々に出て故略之也
狩猟
武備第八
斥候下
一兵法神武雄備集
兵法神武雄備集武備第八
付候下目録
一かまり物見之事
一敦の様子を伺て伏覆の有無を知謀功五ヶ條之事
一物見武者武功心得廿七ヶ條之事
一物見武者結要武功六ヶ條之事
兵法神武雄備集武備第八
付候下
○かまりの物見仕様之事
一里遠き所に足跡多くあらは伏ありと可知事
私云村里遠き所に人馬往来の跡多く見ゆる時は
近辺に伏有事を可心付事
二竹木の蔵み人遠き所にては木の枝なりちがひ蜘の
すきれ落ちりたか枝葉取乱したる所一心付事
私云枝の様子竹木のけいき其場其如に依て可
心付と云儀なり
三草のけいき不常はふ常はふ常はふしん有へし
私云道はたの深野愛畠竹木の茂き所はかまり
なくして不叶義なれば能々一心付也大方かまりの
ふしたる所は大風の吹たる跡のことく草並そろは
さる物也といへり
四人気馬糞にか心付事
私云人居ちかき時は人気のにほひ有尤大かまり
なとには馬ふん馬足の跡なと可心付なり
五両中なとには殊更人馬の足跡蹴あげなと一心付事
私云道筋草の葉のけあげ人馬の足跡に心を
付近辺に伏兵の有無を御ぐるへし
又曰人遠き所にて足跡けあげを見るに久しき
けあけは草の葉に堅ク付人馬の足跡も久敷は
堅くちかきはやわらかなる也といへり
六疑しき所へ暁物見なとに行時は礫石を持行事可有之事
私云林木の茂み竹藪なとのあたりを通りて伏兵
あるかと疑き時はつぶてを打て見へし其木の
様子けいき寝鳥の立と不立と其外場の様子に
依て内に伏の有無は可知儀也惣而夜中なとに
往来致には疑きをさぐる手立なる故磯石を
所持致へしと古老申伝へたる也
七野虫不声事
私云草の茂り木のおほへる所にならては伏覆を
設る事無之しかれは大方夏秋の頃なるへけれは
野虫の声なきにても其やうをうかふへしと
云儀也
八水泡たゝば可心付事
私云水のたまり溝堀をこして行所に水の上に
泡多くたち水のけいき違ひ向の土居に人の足跡
なと見えは人の往来致たる所也と可知なり
九村のはし道の折まがりいつれも伏兵の地なり
私云伏兵の地を能知事是は伏戦の巻に委細出之
必竟伏は味方の不意を一派に手段なれは味方不思
奇地には伏を可置と可心付と云義なり
十林木山中の伏覆は鳥獣の様子を以か知事
私云鳥起者伏也獣駿者覆也と云か云心は伏覆の有
所は鳥獣の住所成に故なくして鳥たちさわき
獣驚て出は内に伏覆有尤村里に依て設けたる
かまりとは犬鶏鳶鴉の類の其様子を以可心付
委細口伝に不及唯其心を付事可為肝要なり
昔源義経平家をはからんか為鴨越をこし給へる
時其兵にやおそれたりけん鹿三ツ平家の陣の
前を落けるといへり
又高師泰石州穀崎の城を責ける時御泰か兵城
の後の山へ廻りて夜討に仕らんとしけるが其勢
にや恐けん熊おほく其山を退て他の山へ移ける
を城中の兵更に不心付追かけ行此陣に師泰か
兵城中に乱入て城の大将佐和善四郎忽うたれ
城落けると云々如此事其内に武功の勇士あら
さるゆへなり
◯敵の様子を伺ふて伏覆の有無を知る謀功之事
一一放出迎へる時切所を防て戦ふ事なと有之時数の人数
出て防みに其人数積りよりすくなき事有之は
一覆兵有とか知事
私云是は山林の間にかくし勢の有無可勘弁謀功と
同し義なり故に其断略之
二切所を遠く退て備を設不及体をなす敵あらは伏
有こと可知事
私云露を設みかたを偽る備は不及体可有之然らは
伏有と可心付也
三故なくして引取敢に覆有可心付事
私云敵の退様にて延慮可有と云心得なり
四少勢にして深く働故に伏有可心付事
私云小勢にては深く働事不可有然に深働は伏
兵を頼ム所有か故也
五俄にして不働無声に伏有可心付事
私共不意に出合たる数は花可有動転然るに静にし
て不働は伏覆の心得有へし
○付候武者武功心得廿七ヶ条之事
一一敵の陣取善悪可見分事
新兵部の陣取を見るに方円八陣の作法をうけ
其実理を守りて致す営法あらはよしと可知其
法首尾不調かしこ爰に一むらがり宛陳取て或近
或遠く其利不利を勘弁不致して設たるは
あしきと可知なり
二城の堅固不除固可見分事
私云是は城築の利不利をしらすしては可難見分
尤堅固の不堅固不除固の堅固其心得可有なり
三弓断の数につゝしむ教見分事
私公数慎む時は小物見を切に出し或は両篝かぎ
物聞張番なとを用て其法厳重成へし然に
弓断の敵は最初にはめひ慎むと云共日を追て
退屈し或張番を出し或算をたく共時分次第
に違ひ怠る所有時は油断の敵と可知なり
四退放陣取放見分事
私云可陳取とおもふ時は士卒の心落付か故に小荷駄
をおろし兵粮をつかひ四方へ小物見を出して陣具
をとらせ陣場を見立なと致様子みゆる時は
陳取放なりと可知又物見をもすゝめず備うき
立て陳具をもとらず荷物をもおろざずそゞろに
見えて後へ人の往来あらは退散也と見へ
しと云々兵法云少而往来者営車也云云
五深田を見知事
一私兵深田を見しるには其習品多し㐧一公の性を
以可知野土にてふり〳〵としたる所に足入あり砂土
石地真土には深田なきもの也第二谷間山際の
田には必深田ある物也第三植田の並構へるは深
田にあらす焼にて植る故に並不揃なり第四
外かぶの長短を以可知田深き時は稲をかるにも
がんしきにてかる故にかりかふながく残るなり
浅田にはしからず第五回のうね道を可見公性
はららいでねばりけなけれはうね道次第に
崩るゝ物なり第六たとへ深く共底にさたへ
ある所は可哉并々大かため此義に可心付也
六城中或陣屋より敵出る不出見分事
私云陣屋に可飾於長道具をかさらさるは始終出る
敵なり尤飾て有之時には長道具うこかば出ると
可知城中より人の出るも是又右の心得なり
城の橋を不引小口に地らい多くは陽の敵にて
出ると一念尤かされる旗指物動く歟色めかは
出と可知也縦小口際へ付て放出しとて共内の指物
一族不動は不出とか知なり
七敦近く働寄川有に放出迎へる時其数川を弐不知
見合之事
私云敵味方共に川を防て陣を取備を設たる
時に敵川を越ふなといふ事を物見に出て見切
事其心得有川をこさんとする敵は常の様子
にてはこさゞるもの也故馬上の兵多して歩者
をもつれす泥障をはづしうつほを取乗
めくり〳〵丸く成て川上くすゝむは川を越散也
川端に備を立ると云共人数まはらにして川にさわる
道具を其侭置て川端に至るは川を越数に
あらすめ此心を付て見は大方違事不可有也
昔武大将敵と川を隔て陣を取けるに数若川を
趣事もやとて物見を両人申付て数の様子を
みせける壱人の物見来りて申けるは故は川を
越ましきにて候其故は川を越殿は兼て其
用意有てあをりをはづし六具をしめ手
縄をかため腹帯をしめ歩者をはぶひてこそ
川をは可越にて候此故に此様は見えず候と申上る
内に又壱人の物見来て放はや川を越候と申
最前の物見はいまた不功者故弐間敷由言上致
たる也夫良将の前にて川をこす事は人の見
しるへき様に用意致ては難越候某見切候は
人数を川上へ乗上馬上をはうわ手に立歩者は
下手に立備を丸[[]して川端に進候間河を
公す敦と見て候と申ける果して其数川を
越して来りけると云々
八敵海辺へあかるへき地ありるましき地見分事
私云是は水戦に出之か故爰には略之
九他国へ働入河あるに浅瀬深瀬を見分事
私云水は其形弱く柔かなると云共其害をなす
事大なり敦国にて其河の案内を不知時は
難をとる事多し第一案内者を以て川を
一越事肝要也第二潜に味方を入て瀬ふみを
致させ兼て其川の浅瀬を知へし第三部に
依て習事有無心はみかたは浅瀬をしらされ共
一敵の心にはみかた瀬を以来へしと思ふゆへに
花瀬の所に備を置もの也爰を以設の備を設
たる所を浅瀬と可知第四人のせいたけ程の
糸に下におもりを付上にうけを付ていくつも
持行て是を投て可知し第五波の立様人馬の
足跡水色を以て可知之と云々大かため此事に而も
可知之
昔太田道灌関東にて働きの時瀬をしらさる
河有て諸侍渡かね川岸に添て渡りを求ける所に
一灌潅暫く馬をへ士卒に向て下知しけるは
此川他国に有て更に瀬を不知といへ共おもふに
此邊浅かるへし其故は赤性法師の哥に
そこいなき渕やはさわく山河の浅き瀬にこそあた波はたて
をよめり此所にあた波立なれは必定を加へしと
云て消しけれは果して水浅くして越けると云々
又或時道潅急の事有て他国へ働き給時夜に入て
川を可知事有此河常に塩のさし引有て汐させは
ふかく潮引時は浅しと所の者申けれ共折節雨
強く降て目さすともしらぬ闇の夜に夜はいたく
更たりいかゝせんと士卒あきれて立けるに大将
道灌の云此川塩ひかたなりいだこし給へとて弐けるに
其詞のことく潮干落て浅かりけり此時又
古哥を引て云
遠くなりちかくなるみのはま街戸にて汐の海干をは知る
此哥を以見れは今千鳥の声遠く聞えたるなれは
我此川の汐ひかたと知たると申されけると云々
又木曽義仲くりから合戦の刻伯父十郎蔵人の
志保の山の合戦覚束なしとて馳向けるに境節氷
見湊に塩みちて浅さ深サをも不知けれは幾仲の
謀に先鞍置馬拾疋計おひ入てけるに鞍の
ひづめひたる程にて無相違向の岸に上りける木曽
是を見給て浅かりけるそとて渡されけると云々
め斯物語は皆其品かわれりと云共其所に依て
武功の勘弁なれはあらまし記之
十請取御使に行様行所之事
私云物見武者諸手へ御使を承て参る時大将ゟ
御下知有ていつれの備ゟ可申渡旨有之時は可任上意也
其使武者分別を以いつれの備なりなり共申渡すへ
きとあるには武功其候伝ある事なり行様と
云は馬に乗て行作は敵前にては手を負と益て
覚悟致類有之行所と云は其心得三ツ有第一合戦の
はしまるへき方ゟ先へ可申渡第二老功の衆は遅く共
苦しからさる間先若手の衆へ可申渡第三合戦
間遠き方ゟ先へ申渡し其後合戦はしまるへき方へ
行て上意の旨申渡其已後戦あらは則首尾を合す
へし若はやく戦はしまる所へ行て若首尾を合せんとて
手を負歟打死を致せは物見武者の趣度なれは
め此云と云々右三ヶ条のやうすは兼て定かたし其
御使の仰渡やうに依へし花と致へからさる也
十一不働敵味方を待色其虚実をしる事
私云備をかたく設て不働設に二の心得有第一地の利を
たのむ事は味方の備色めくを待て合戦を初めんが
為に不働是実なり如此備はうき立ずして備しつ
まり士卒為なり第二味方をおそるゝ故に引事も
ならす進む事もならすして不働有是は虚なり
如此備は敵の冑の吹有し不定指物動き士卒
跡を顧み於色可違是を以其虚実を可知也
十二対陣の時かゝな故不掛故同味方をおそるゝ故見分事
礼云味方を恐て不遂敵は陳の前にもにを結柵を付
遠公居を構て要害をなすをは恐てかゝらざるとか知
一能指物をも陳にかさらす物見切々往来し士卒
静にきほふ時はかゝる故と可知なりと云々
十三穀傷来て伏兵を置て偽わさと逃て伏を越しめ返し
合て丁討之事をはかり偽にくるを可見知事
私云教わると士卒を進めて働かせ跡に伏兵を置て
味方をあひしらい熊と味方に利を与へて備引事有之
偖て引敵は首尾能調り辞旗不乱丸く成て退
へし是兼て合図をするが故に壱人もとゝまる者
なし子に引数は士卒さらに調らす或は義を
重んし勇を励まして立留て打死を致も有或
引組て指ちかへるも有又は五騎十騎一騎二騎
ちり〳〵に成て退散をは敗軍と知て可打之也
兵法曰旗斉鼓応号令如一紛々能々雖退走非
敗也必有奇也兵却旗参差而不齊鼓大小不
応號令喧囂而不一此眞敗却也非奇也云〻
志野火と烽火と見分事
私云野火は煙白く烽火は煙黒し是にて可見分とて
但野火は定りなし烽火は約束有て其数可つ
め此事を以て可見分なり
十五押来る敵馬上歩者いつれ多きと可見分事
私云武者ほこり高立先するどなるは馬上多し
ひきく広く立時はかち者多しと可見と云々
塵飛既高而且鋭必
兵法曰塵高而鋭者車馬来也
車馬来也何以知其
為車馬行疾故
早而広徒者来也夫
其塵必高而鋭
天塵早而広則敵以徒進何
知其為徒蓋徒兵不若事
馬之重故其
散而條達者謂其塵之飛名
散而条達者樵採也
塵早而広
散起而有條理必其人之樵
採故其散
少而往来者謂其塵之飛金少而有
少而往来者営車也
往来之形必其営軍也云々
而有條也
十六敵国へ働入河あるに其河原石色或川上の様子を以
河出ル或干落か見分事
私云是は陳取武功の所に出之故爰には略之
十七教の備立善悪を見分事
私云是は備の作法其様子をしらすしては勘弁
成がたかるへしみかたの備をしる時は敵の備は可知なり
十八敵の備合戦を持不持見分事
私兵部の備をみるに諸備下り立てしころを傾け鑓を
引しきて将の下知を待色見えは合戦を持たると可知
其気うき立て跡をかへりみおり立といへとも馬を
引付て置鑓色あらは合戦をもたさる備と可知也
十九敦城甲或は陣中ゟひそかに退を知事
私云敵ひそかに其所を立去事あるをしらずして
寄手時日をむなしく送る事有之か様の事は心を付
気を付は手段に乗事は不可有也凡敵の働日比
にちかひて手遣あらきか兵を出して戦をいどみ
味方の士卒を草臥しむる事あるは是油断を
なさしめんと云謀也或亦陣の前に俄に柵を付
虎落を結長陣の体に見せては必其夜引取
事有め此事一々記に不及義也兵法曰鳥集者虚
也と云々延文四年将軍足利義詮十万余の兵を
ひきいて両方へ発向し吉野の官軍のこ
もれる城共を責させ給ひけるに龍泉寺へ楠
本儀千余騎を籠置けるがひそかに兵をよひ取
他所へ置龍泉寺に篭れる故甚すくなしされ共
敵是を不知数月を経ても不責落而守り居
たり寄手の内に土岐か兵城の上に鳥のとゝまるを
見て敵落たりと知て城を攻落しける又
異朝にて斎と晋と戦ふに斉候登山に上りて晋の
大軍を見て夜中にのかれさる晋の叔向と云者
申けるは斉の城上を見侍るに烏おほく集れり
故既に退たりと見え候と申ける其時晋候兵を
出して追行と云々皆是心を付る所あり
二十二十備しぐらむ事
私云其備を見るに春山に霞棚たることく薄雲
うちなひき人気上りて細かに見すかされさる
是を備しくらむと云也
廿一備すみやか成事
私云敵の備をみるに秋冬のけいきのことく備薄く
さへかへりて残所なく見えすくことく成をすみやか
成と云なり是粛殺の気と云也
廿二中のにごりの事
私云中の濁と云は善の内の悪悪の内の善にして
味方の大将仕様に依て善直にかたつくへきと
見切りたる事を中の濁と云也縦は敵の人数は
味方より大勢なれとも味方は地形の利を得設は
地形の利を失たることき是中の濁り也め此所を
以可見分なり
天文十六年十月十九日甲州武田信玄と越国の景虎信
州海の平にて合戦の時中州方ゟ原美濃小幡
山城山本勘介三人物見被成数方の備色合戦の
持様人数積心為に見て来り晴信の御前にて
原美濃申上るは数合戦を持て候人数は六千の内
外と山城も某も積り候由申備の色は山本勘介
見て速の中の溜と見て候と申上ル晴信山本
勘介に備を立よと被仰付けるに付勘介申上るは
原美濃申上る所の教合戦を持たると云別手を寄て
組合一手のごとく見せ鉾矢の丸備に作り候乙矢を
かたくとめられはみかたの備は方円になされ一手二
手にてわけて跡を偃月に備へ敵方乙矢の働
かさるは五町御右に鉾矢を用られ御旗本の跡は
雁行に被成可然由申上る景虎兼ては丸備に
作り指かゝりて一戦を始我旗本を以晴信の旗
本へかゝり一戦あるへき軍評定なりけれとも
武田の家老飯富兵部雑兵千五百の人数を晴信の
旗本より右へ五町計出てよき場所に備たる故に
景虎の手立こと〳〵く違へり先衆打合合戦始る
内に旗本ゟ上ル貝とおほしくて静に貝音聞えて
午の刻の終り未刻の半程に景尾と申佐美駿河守
両人さいはいを振早々引あけ候る是を海野平
合戦と云なり此すみやか成[ル]中の濁りと云山本
勘助か物見の致様此段の心得なり
廿三一重がわ成ル備の事
私云一重がわ成る備と云は胴勢しまりの備なくして
一重に合戦を持たる備是を一重かわ成る備と
云也一重に計備へたるを云にはあらさるなり
廿四日廿四ッ事
私言備あつきと云はしくらみて一重かわならさる備の事也
廿五川原石色并川上之様子を以て川出る干落間勘之事
一私云是は営法の巻に出之
廿六夜軍付候品々の事
一私云是は夜軍巻に出み
廿七見せ於の事
一私云是は制法の巻に出之
○斥候武者結要武功之事
一視観察
〽視観察と云は其事を見て其踏へ所を観し其本を
察して其心を知ル是を祝観察と云也
私兵視と云は其物を見其事わさをみて其理
心にうかふ所あるを視と云也観と云は目に見え
たる所はめ此なりと云共思案を廻らして見えは
又か様の理あると観念して其理を考るを観と云
祭と云は目に見えたる所に付て出る理を悉く
捨て心を以て其本をたゞす是を察と云也
然者親観はいまた気のなす所也秦は本心の動き
なれは此察に叶ふ事深き道理有へし縦は物見に
出て敵の人数を積るに目に見えたる所の人数大概
一万あるへしと見ゆるは親也爰に於て所広き故
め此みゆる狭き取如此か心に恐るゝ所あるか侮る
所あるかと観して見へし是を観と云祝観共に
壱万と見えたる時目に見えたる所を急く捨置て
心に其本をたゞすへし其敵の分限人数のかさを
考るに此故は是程有へきに今壱万あるは何故
そと察をかへて其物見を極へし又は人をこゝろ
むるに当座の弁舌利口計を頼てそれを
善人と思ふは祝也見えたる所はめ此なれとも
口にいふことく其才覚ある歟其作法叶かと見る
是観也言と身覚と二ツなから調ふれとも其本を
見るに行理に叶へる人歟不叶人歟信実ある
人類なき人歟と其本を察する是察なり
祝観を頼みて察をかくされは見ちかふる事
ある故案は視観を離れたる所に見ゆる所有を
察といふ故に聖賢の天文地利を察し周易の制作
ある所是奈の工夫なり末世の人能爰を工夫せは
百年前百年前百年後未来永劫に至迄同前に属然
たるへし是信の察也
伝に曰天地の間何事に不依其道を聞其能を
考へ其仕様を心得其本を知て其事に随ひて
察する時は積りはづるゝ事なし是を万の
道を知ると云と云也
二勇法をはなるゝ事
私兵心にほこる所あるきいさみするとなる時は
是に気を奪われて本理を見違る事多し
尤恐るゝ所つたなき所あれは可見事を不見
二ツ共に過不及にして中道の正義にあらす故に
侮る心を捨恐るゝ心を捨て其理にあたりて
其理を見へしと云義なり何方にても心に
一物有て見る所は皆理に相違致へし
兵法曰人有勝心惟侮之視人有畏心惟畏之
視ト云々
三心の付所に心を可付事
私云人の善悪にかたつき本理を背所皆心の付
様に依へし事に善悪はあらされとも用る人に
依て善事となり悪事となるも心の付所
各別なるか故なり鎌倉高時犬を飼田楽を棄て
世乱身亡太田美濃守は犬を飼て岩付松山両城の
約を通し万岐少弼は踊を好て合戦に利を
得たる類皆是心の付所ちかふ故に或苦事と成
或悪事と成昔或大将山の麓に陣を取けるに
敵の夜中に山上へ人数をあけ兵を進むる事も
こそあるへけれはとて物見を遣し是を見切らせ
けるに物見かへりて申上けるは山中へ夜中ゟ
物見を切え掛候と見え候間追付山へ敵の押とる
事も候はんと申す大将聞給ひて何様の子細あ
ればしか〳〵こまやかには見切たるそと御尋有ける
物見畏て申は某こなたゟ山中へ入候に山の
麓には蜘蛛糸をはへ草木の露ふかく候に
山の上ゟあなたは露干落蜘の巣切て見え候其
道の程も不広草木の枝なりちかひ候古哥にも
菅家
されはこそ人越に色浅茅原ねたしや今朝の前の露の露の露の並ぬは
と申歌の候へは如此見候由申上ル大将大に感して
文武の両道に達したる者也とほうび有けると
云々是心の付所に心を付たるなり
武田信玄忍ひを呼寄忍の入やうゝ其心得を聞給て
やかて忍の者共のしたかわずして一揆七日を心安
たいらけ給ふ是皆心の付所に心を付る也
一四見所を見る事
私云是又右同意也
岸六郎吉野の奇手にかりて岩菊丸か手の
者に有ける時岩菊丸か謀に依て孝楽即忍の者を
連金峯山え物見に出けるか金峯山に於のあし
多く見え候しかれ共はか〳〵敷軍勢は無之と見え候
其故は某か忍入候におそれて兎一ツ狸三ツ金峯山へ
走り入候彼山に軍勢有之は此獣逃入候まじきと
存候其上村鳥いくらも木々の梢にとゞまり候
扨は弥人なきとぞんし忍入て見候へは軍勢
壱人もなく旗はかりを木々に結付たるにて候
則一なかれ持参致しか入見参候得共若於一
流味方の忍にとられたると心付は数重には油断
有間敷候得ば味方の忍入かたかるへく存て取
不来といへり是見所を見切心の付所に心を付たる也
又或大将敵国へ働入に諸手一同に川際に打望み
此川をこさんといたせ共川波高く漲り殊に渕瀬も
しらぬ他国の事なれはいかゝあるへしと思惟有け
るに諸手の内よりさる武功の大将瀬ふみを入て
川の様子を見せらなゝ瀬ふみの者川半迄は行
けるが是より水になかされうきぬ沈みぬたゝよひ
けりかへり来るにも中〳〵あやうく見えけれは
諸手扨は河瀬なく見なきり落るに依て水渇
れりと思ひいられたる時瀬ふみの者階に我大
将に申けるは川は存の外浅く候と申大将大に
おとろき給ひしか〳〵の様子なれはいふかしき事を
こそ云へと仰けれは此者申は諸手川に打望て
我先にと見え候に某やす〳〵と渡り候はゝ帰り来ら
さる内にはや川を御越候衆可有しからは御陣は
おくれとすと存ゝてわざとめ此致たる由を申
上ける大将大に感悦し給ふと云々是見所を見たる也
平家の陣へ鹿の落穀崎城石州に熊の出たるを
追て城主うたれたる類は獣おとろくは伏なりと
云本文に心を不付故に見所を不見して敗軍す
一龍泉寺に兵あらさるを土岐か兵見付たるは
鳥集るは虚也と云本文に心を付たるか故なり
五聞所をきく事
私兵むかし城主敵方へ忍を入て其様子を聞ける
忍程へて立帰り敵の様子委細に語り申上けるは
大将是を聞給ひ其謀をなさんと有ける時近習の
者大将へ申上けるは此恩の者設方へたばかられて
敵の反問となりて来り候間忍を拷問可仕由
をひそかに大将へ申上ける大将もいかゝ有へきと
おもはれけれともさせる子細ある由をかたく申
けれはやかて忍を召とり既に拷問に及けれは
うたかふ所なく設の反間となれり其時大将近習の
某を召て何の子細か有て反間をは見出したるに
やと御尋有けれはされば候此恩はつね〳〵
御前にて敵のやうたいを申上ル詞つかひ大かた
定れり此度来て申上る其言葉常の詞と替り
終につかわさる詞をつかひ候間必定敵に教られて
来れる成へしと存候か故にか様に申上ると申けると云々
是聞所を聞たるにあらすや
今按視観察に叶時はめ此事は云に不及義なれ
共品々をわけて通せしめんか為所々に記七日
はかり也唯広く聞広く見常に見常に聞
所あらはまとひあるへからさるなり
六萬の本を可察事
武備第九
侍用武功
兵法神武雄備集高津国氏功
兵法神武雄備集武備第九
侍用武功目録
一小身の侍心かくる武士可存知五ヶ条之事
一小身の侍心掛不断可相守三ヶ条之事
一同武士召つかふ若党出立三ヶ条之事
一同武士陣中え持行物七ヶ条之事
一同武士武功百壱ヶ条之事
一讐討之事
一放討之事
兵法神武雄備集武備第九
武備第九
侍用武功
○小身の侍心懸る武士可存心懸る武士可条之事
一善陳者不戦善戦者不死ト云々其よく戦と云は其人
武功の心持を以て敵みかたの勝負其善悪の様子を
能考知其事に臨て謀をなすを能戦ふと云成へし
其作次第一教より先味方をはかりて働時には其手柄
一全かるへし第二味方の内にて口をきく勇士と内談
致し進退の下知を受へし第三敵前にては敵の
甲の吹返し差物のゆるき様に目を付へし㐧四矢道を
可知第五盛をひかへて衰分を討へし
大概此五ヶ条の本文に随て其功をなす時は其身を
一全して真実の功をなす事有へきならんかし
一人の大学士の大節何事か是にしかんや能戦は
勝あしくたゝかへは負勝時は身を全して負時は
命を失ふ是必然の断なるへし然者死を我場に
望て鴉毛よりもかろんするは勇士の本意なれは
身を全せん事をねかふて一倫と高はあらす
勝負を不弁盛衰を考て武功をしらされは
必死の場をしらさるか故主君の御為にもならす
自身の勲功にもあらすしてむなしく骸を九原
の野にさらすのみなるは是を匹夫の勇邪義の
つよみ不忠不義犬死と云へし故に爰を能考
兵法に至て工夫をなし其損徳を考死しても
主君の御用に立屍の上迄も其功を全くせは
子孫は栄花にほこり武名は後代に侍らん勇士
の本意とする処の死の道と云は則是なるへか
らんか故に其武功を大略して五ヶ条をあら
わせるなり
第一教ゟ先味方を計て働時には其手柄全しと
云は人に抽たる忠義をなさんと思ふ人は我功の
事計心付かゆへ人の事を忘る症は粉骨を尽して
功をなさんとする事は勇士何も可然也此故に
我一手の内我とひとしく戦場へ望む者にいつれり
誉をぬき出て致さんとする勇士なると気を付
て是を考其内にては此者なるといふ武士を目
当に致して其者ゟ先をこさんと働に精を出ス
時にはさのみ鈍き働はなき事也是をみかたに
目を付るといふなり
第二ニみかたの勇士の内にて口をきく衆と内談
一
一致と云は其備其組の内にて人の指さしする武功の
侍場数多き勇士あらは其人を頼手柄働の義
万事其人の下知を請る時は仕損する事不可有
其上我一身の功を止て其人の下知を請る時は
其侍猶以是を引廻すへししかのみならす主将
手柄のせんさくを致さるゝ時も先其侍を専一として
功を論し給へるか故早く上聞に達する事有
め斯の心得あらずしては若き最功第一にいたる
ことはあるへからさる事なり
第三散の冑の吹返し指物のゆるき様に目を付と云は
敵みかた互に陣を張て有之時其敵の軍勢差物も
ゆるがず冑の吹返も不動してしころを傾鑓先を
揃て戦を極て居ば是其備さかんにして強し必
是にかゝるへからす是を陽の敵と云成へし備ありと
いへ共士卒騒動し小旗指物風にまかせて散乱し
わけもなく軍勢鳴さわき冑の前立吹返し
相動きひらめがば士卒引色付て心一定せずうき
気の備と云へしめ此の断をわきまへて其強みを
さけ弱みをかゝつて撃之時は縦壱人の鑓にても
其他引立る事有然らは其侍の武功を以て全き
勝利を成と云成へし故に是を其心得とする也
第四矢道を知と云は兵法の秘事なれは慎みて是を
不顕也可受口伝
第五盛をひかへ衰にかゝると云は備にも士卒にも
大将にも鋭気惰気の二ツ有鋭気をきけて惰気
を撃時は其手柄可全兵法曰朝ノ気ハ銃昼ノ気ハ怠暮ノ
一気の飯と方事に朝昼暮の三段有へきなれは爰
を能弁知て其功を全くすへしと云義なり
○小身の侍心掛不断可相守三ヶ条之事
一武士道は吾も人も弱気を見せじと嗜み恵外不仕
ことく可相守事
私云慮外と云事武士の強みに不致事也専可
謹之或詞をあしくつかひ武下馬不致万事に不礼
成は至て臆病成事必定なり
二常々諸侍に出合て人の気にあたる事必要無事
私云意趣有之刻前方たくみて是をいふとも
真実と不可言意趣なくして是をいはゞ猶以不覚
悟なるへし
三武道の噂に能すべある事を必可知之縦は不知之は
せめてよきすべある物なりと計も可知事
丁
私云我臺地のむさきに任せよき事是に過へからす
とおもふは大なる小知なり偏に培髪の丸を転して
積合を賤しんするに異ならすせめてよき作法は
あるへき物也と所存を極むれは無理成うわさは
なき物なり
小身の武士召仕ふ若党小者出立三ヶ条之事
一小身の侍の若党中間は具足さる事あらす主君の
家の紋か又は何にても一様に大なる紋を羽織に出之
きせ召連へき事
二若堂は大方羽織は紋なしにして壱尺五寸或七寸斗に
一練を切て紋を出し右の肩に付さすへき也是を袖注と云
三水入筒を拵馬取の腰にさゝすへき事
小身の侍陣中へ可持行物七ケ条之事
一薫陸の入たる合香具足の下着下帯にとむへし
私云薫陸は山野の毒虫此香におそるゝかゆへ是を下
着下帯にとむる時は山野を往来して此おそれなし
又曰雄黄を可持行と云々
本艸綱目巻第九石部雄黄能殺百毒辟百耶殺毒
虫人佩之鬼神不敢近入山林虎狼伏渉川水毒物不
救傷又云入山林不畏蛇呉楚之地署湿掛對蒸多
毒虫及射工沙虱之類但以雄黄大蒜等分合搗一丸
例之或已中ル者塗之亦良
二布を可持馬の手綱式木立へ働き入時指物小旗のかけ
かへ弓鉄炮の腕貫上帯下帯の為万事に其徳多し
三もくさ
私云急病を治するに其徳多しといへり
四万の気付血留血しばり疵かうやく
五馬薬いき合
六火打筒火付竹
七南天の葉
私云南天はけかれを除くと云本文あるかゆへ触穢の
時は是を以て手水をつかふへしといへり
〇小身の侍武功百一ケ条之事
一武者修行の事
私云武者修行と云は心懸る武士いまた壮年に不及内に
世上の様子国々の弓矢の風俗をしらんか為に我国の
一時分諸国を往来して其国の合戦迫合には其他先を
かりて居場所の首尾を合するを武者修行と云也
縦は主君の勘気深きもの或又大身の衆若年の
比方々をわだと修行して世の断をしり給ふいつれ
をも武者修行と云へし
二我倫の場を去て自餘の陣に於て手柄を全くすと
云共真実の功に不可立事
私云撰功の巻に出之故略之
三湯風呂遊山活計の為に其陣をはなれ一戦の手にあは
さる事
私云武者修行なとに出武勇を嗜士万事に心を付
へし合戦いまた始るへからさる敵間遠しなといひて
湯に入風呂なとに入或気を晴さんか為に山地に
出て草をふみ土筆なとを取殺生を致しに出る事
難不可致子細はめ此砌若敵不意に出合て合戦なと
あらは必場をはつしたると云穿義に可落其上
公家上臈の働にはあらす明る打死致て頭に垢お
ほく共不苦事なれば偏に是を待て其場に有
なから其所をはづしたることく世上の評議に落ては
本意とは不可言能々心を付其場其所をはつさ
ざることく分別可為尤事
四自余の備へ用所有之て行と云共教ちかくの役所へは行共
一敵遠き方へ不可行事
私云用所の事有之て他の役所へ行事故をくの
場へ行時は敵合の時首尾を早く合するか故其手柄
全し其上縦跡にて我陣故に逢て我其場に有
あはせす撰功の時分数近くの陣所へ参りたると
あらはおなしく場をはづしたると云せんさくに
逢と云共其極り可為各別少も数遠き方へ行て
跡の事に不合は真実の場を逃したると被成へし
此所を吟味勿論成へし
五言葉つかひ并證拠の取様有へき事
六仕音場其外故近くへ行時には唯今矢に当ると兼て可思
その心得なき時には手負て振あしかるへき事
七仕寄場敷近くにて最初より其場に有之侍爰許矢
はげしかゞみ給へなと必おどす事有之其節誠と
存してかゞむへからす縦は其場にて矢にあたるとも尤
覚悟の前たるへし
八軍勢一手に成て押時は五間三間なりと云共同勢をはな
れて可乗行進行風情脇よりみゆるものなる事
九我と前後を争ひて進み行味方あらば何事に不依物語
を致かくへし其時たゆむを見て可乗抜事
十言葉をかくな事花先にある人に跡より詞を不可罷
一乗くして詞をかくへし跡ゟ宴をかけては縦先へ越
たるとも詮なかるへし子細は軍過て後撰功の時分
其方は我跡ゟ意葉を掛たるはといわれてはこしたると
いふせん立かたき事
十一敵をうらんと思ふ時はいつれにても手比の敵壱人に
目を付へししからさればうちにくきものなり
十二若輩の衆初陣歟或いまた場数なき時には縦はあしき
首なりと云共取て下人にもたすへしふ入して捨るは
安し先手をよごすもの也と古老語れり
十三若き衆は指物立物なとの落てあるをもひろい来る
へしせんさくの時志ふかきに成事有へし
士下列なる敵をは鑓付突たをして下人に頭をとらしむ
へしおり立て首をうつに不及事か
十五虎口際其外人多く並居たる所をは必脇へ退て可
一居急に崩るゝ時心ならずおくれを取事ある物なり
十六四拾已前の働き四拾已後の働其心得可有年付乗馬も
その心得同前なるへき事
十七歩立て東に鑓を合る時は内冑或は脇板の逃レを肝要に
突へし
十八回突合時敵に鑓を突立たる時は柄を持て不可居石付を
取てつんと先へなくへし必故倒るゝもの也其時畳み
かけて太刀にて打頭を取へし仮令切倒し或は人に
討れて有之共枕元ゟ掛て首を不取物也先跡より
一仕掛て見て後心安首を討へし
十九馬上の組計の事早く馬にはなれたる方負に成へし
いかんとなれば足先へさかるか故に馬におそくはななく
人を引かつくか故に必下に成也先肝要に下のあたり
を専にあたるへし刀にて切たるよりも当る時はいた
みて利を得るなり
二十勝負の時は必教を弓手へ受る様に計可心得馬手へ受る
時は勝負仕悪し
廿一馬上にて数を銭付突落したるとてあはたゝ友
急きおかへからず馬を乗廻し〳〵二鑓三銭計突て
後おりてか取
廿二頸を取て鼻をかく事うはひげを進てそぎ取
へしさなき時は女首にまきるゝなり
廿三味方敗軍の時分は五人も十人も約束を致し云合て
退へし独散々に成て近道をしてのく時は必敵に討
取るゝ也縦屍の上迄も本道を退すして近道の傍にて
打死は本意たるへからさる也
甚右のことく致し退時放急に付は味方の後と後を合て
戦ふへし左右なく打とられさるものなり
廿五穀城へ大将付候に出給ふ時其所弓鉄炮しげしとて
御供申衆不心得にて爰許失しがく候此方へ入御可然
などゝ不申事也矢さかんなりとて大将其道を行給
はされば大将の臆せられたるになりて諸軍気を失ふ
へし爰を以さ様の所にては其道は先見えかね候なり
此道へ御座をやすんせらるへしと申上矢しけからぬ
一方へみち引か致事
廿六大将手負給ふ時分又は御討死の刻必大将へはかり心を
かくな也故に其備崩安し大将には心を付る人多物なれば
先教を押[ル]ごとく手廻しいたすへし
廿七夜甲なと忍て敦城仕寄場へ行様子を見る時は竹
肥のちかく行時は矢にあたるへし竹把つかぬ方の明地へ
行てみれば矢ふ来と云〻
廿八惣乗或大合戦の則ゑいや声を互にあくな事有へし
其時人並に声を立へからす必息切へし人を進めて
声を立させ先我声をおしみて人の声いき切たる時
我声の一分に聞ゆる様に立又かなめの言葉をもつかふへし
廿九広所を行に細き道筋あらは其道を可往也むかい近き
とて道なき所を行時は鬼沼堀なとの渡[リ]なき所へ行
かゝりせんかたなきもの也
三十味方敗軍に教付来る事有て急におい詰られ有し
一合て勝負をせんと思ふ時は追詰られて急に馬をかへさ
さるもの也故にひしとめくりあひてうたるゝものなり
卅一同味方敗軍の時放付来るに来る数足次揃て進む時は
返し合せざるもの也敵同勢を離て二人も三人も
先立来時返合て勝負を可決敵壱人うたかれは跡は
しらむ物也と云々
卅二逃る敵を追ふ事必敵味方一騎宛にてあふ時は真向に
不可迄也必少脇へ寄て可追行但数の右の方へ可付也
卅三夜甲に備を押行時は或月毛何にても見しりよき馬の
跡をか乗行溝がけなとへ踏落スを見て跡の用心可有也
卅四城攻の時火を矢倉或多門なとへ進る事専一たるへし
必落城疑なしめ此時は縦に余の働多しと云共如此の
見切を専に致へし
卅五焼る所へ行かゝりて煙にむせて息切時は早く伏たるを
よしとす煙はあかる気計の物成る故に下には
煙無之
一突息切る時には惣して土に臥て息をつくもの也と云々
一其陣屋の内に臥と云共必大将の掟をか守少の内なりと
二日共壱人宛おこし置へしめ此刻は枕元に鎧に小手を
さしてつりて可置其侭きることくつるへし其他法
口伝股曳佩立はかねて致し居へし
卅八馬上にて刀をぬく事手綱のうちよりぬくへからす
手を切或又手綱を切事も有へし左の手にて手綱
を下へおさへてぬくへし鞘に納る時はさやを指にてかゝへ
指の俣をすらせて指へきなり
卅九馬上にて刀をぬき持馬を乗て時には右に刀を持て
右の肩に打かけてか行也
四十馬上にて敵と鑓を合する時の心持有へし真向に胸板を
突時は自然鑓ふ立して鞍をこす事あるへし腰を突
と存して突へし敵をちと見返りて可突縦人にあた
らすとも必馬に鑓立物成とぞ
四十一互に鑓と〳〵合程なれば足踏自由にならさゝか故。たい〳〵に
成安き物也鑓届く程ならば先馬のつら首を突へし
馬疵を負ておとろく物也故に馬にたまられさるもの也
尤馬も臥事有て覚悟なき人は落馬致事有
四十二穀の備へかゝらさる事数の鑓長短の品に依て強弱
の断可有可被受口伝
一四十三然手綱のひて悪敷事有之時は短く致様あり口伝
四番馬上にて御使に参ては御大将の馬の立所部つまらぬ所
ならは大将の右の方より御後へ乗廻し左の方へ乗よせて
御使の意趣を申上へし閉しき時馬ゟ出るゝ事不
可有馬上にて申上る時は手綱をしゆみのかみに納證を
はなして申すへし御跡つまりたる時には直に御道の
方へ乗寄へし
四十五右のことき時御使に参るに馬乗様の事作法大方付候
巻に出之御前より馬を乗立て行には早く乗出
さゞる物也馬は跡ゟ見れははやき馬もおそくみゆる
物也其上御前を静に乗出して先をいそく時は跡より
見て一段見事にふりみゆる也帰時又馬を一入為に
可乗道の中程にて急へし御前ちかく成ときは又静に
可乗但御目通の所にてがたと一度にしつめざるへし
子幼は先衆自然敗軍致せは逃たると云せんき有もの
なりめ此事種々可心付なり
四十六大勢かたまりておる所へは矢きひしき物也人に先立か
又人にはなれても可進退手負たり共まき込のせん
さくにふ可逢也
一器悪の時道具の納様あるへし鐙へ石付を入て足の大指
にて挟ムへし
四十八惣して馬上にて銭の納様有縦遠路を行と云共両手
自由成へし作りやう口伝
四十九戦にて我手に過たる馬屋不可乗物前にて馬の進む
を扣るはみつるしかるへし片手綱にても自由に乗手比の
馬を可用事
五十甲冑は大方頭奉行又は其身の好に依へしと云共必ては〳〵
度出立あるへからさる事なり
五十一大差物の事能々可為遠慮なり分限に不相応成指
物を下人に持せなと致し取ましきおくれを取たる
事其ためしたし
平士大差物にさしかゝりすべて人の存したるを仕あまして
替る事古人是をせんさくせり無遠慮と云へし
平三馬にて治なとを渡す時は先馬を渡さぬ前方馬を
かけちらして其きほひにて一文字に可渡と云々
五十四川こしの作法は阿戦に出せり必あをりを去へし鐙にも
水波立てさゝわる時は鞍の後輪に引付馬のさんづに
引上組違て可置馬氈は板ばせんよし綿の入たる
道具はめ此時水をくゝむか故に不用之常にも鞍下高
くしてあしゝ
一五五主人深く手を負せ給へる者なとをはいまた不死と
云共是をうたさるものなり主人の御成敗にて死
たることく可仕と云々
五十六陣中にてのゝ云代に遣ひぢんじやう成へし但やわらか成ル
詞いさゝかもつかふへからさる事
五十七つらの皮をはぐことはつらを十文字にさきて小便を
しかくれば則はがるゝものなりと云々
五十八闇に物を見る事は目をさらす時は見え安しと云々
口伝を受へし
平九惣して夜陰に及て他所へあるく時は下人を壱人壱間
ばかり先立て可行用心によし
六十刀の事至て大事成所竹藪木立の所なとを通る時は
左の手に提て可行兼の時には二刀にいたす便よし
六土夜くゝり木戸の類たけ短き所をくゞるには先人を入て
其後にくゝるへし
六十一忍に入て数に壁ごし築地ごしにつかれたる時は縦
相手なしと云共小声に敵へ聞ゆることくあぶなし用心
せよと云へし是は恩に不限惣して此心持あるへしと云々
六十三くらき所或先つまれる所へ行には縦は扇なりとも
又は小木なりとも請太刀のことくひたいに指かさして
可行是用心の為なり
六十四不断道をあゆみ座敷へ入共若勝負の義あらは如此と
一事を兼て分別有へし
六十五夜仕出たる喧には亭主方ならは火を消へししから
ずは火を消へりらすと古人いひ伝へたり
六十六陣中にては言葉多く物いふへしふり見事に見ゆ
別物なり但むさと仕たる事おほくいふ時は血気に
おかされたると云へし
六十七人の詞を不可受此方よりいひかけてあなたを請さすへし
六十八昔の功者衆仕置たる事あるを聞置見置て人に
語るへからす聞まゝに云をは古人これをそしれり
六十九親類縁者知音知の時其場に於て落渡不可致見
一苦敷物也戦場へ出ルより打死を致と言事は覚悟の
前なれば今更非可驚
一七十父子兄弟一所に陣場へ出る事父打死と志兄討死と
おもひきわめたる時には子弟をは別所の陣へ遣す
もの也一所の場に居ては父うたれ兄打死致時は遁かた
き物也と古人語れり
一七十一若馬に不可乗八歳に及へる馬を可用と云々
七十二大なる馬あし三寸の馬しゐて三寸五分の馬を用といへり
七十二おろしの馬に不可無に鞍下を立すかす時は乗にうつらす
鎧武者は常の時にか替ひたちの馬を好みて一乗
七十四髪立の馬野髪の馬を不可用道具に取からみて手綱
とりにくかるへしと云〻
七十五馬の事胴のみしかき馬は山野を能歩むへし長く頭
高き馬は川をよくおよぐといくり
一七十六軍中にふマ乗馬の事騎馬芦毛雪白蹈を嫌へりと
古老語れり
七十七三道具納様の事
古老語りけるは先鑓を納め第二弓を左にこはせにて
納め矢をは指物にそへて後に負鉄砲をはわつそくに
致し腕貫を以首に懸へしといへり是を三ッ道具と
云しかりと云共戦場に望む時一をすら用に立かたし
壱人にて三の道具を扱ん事手前の働を脇に
致されは不叶爰を以め此事を嫌へりと云共当代の衆に
事を広く知らしめんか為也只我手に覚たる道具
一色たるへし
七十八宵の前立の事家の紋家中の対なるへし但賜立物は
好次第也賜へ広きは必家太刀につかへてあし候尤深林に
入て其損有と云り
一七十九夜かけにか手遣に参りたる時引取事あるに相手我ゟ
先へ不越は川溝有共不可趣先相手を通して後に可行也
弓矢の道親子兄弟を限てよわげを致へからす
八十縦は山のはし川岸なとに数二三人出る事有之是を打
とらんとて我先にと進む時の分別有数は小勢なりと
云共山のはし川のはづれならは人数いまたあるへしと
おもひ定へし扨教近くへなる時分馬の進ぬ様に致し
各ゟ少乗さぐへし扨進みかゝりたる若武者弥気に
乗てかゝる時山かけ川の内ゟ敵どつと出る時必先へ進み
たるみかたしらむへし其時味方に言葉をかけ肝要の
我にをつめ一戦に及時先へすゝみたる人は利を失ひ
我壱人の利と成へし打死を致たりと云共名は末代に
残へし又数うち見えたる迄なり共敵は待かけたる
きさしみかたは馬を乗かくるきほひなるかゆへに
かゝる者必しらむへし殊に山を登る時は猶以しらみ
やすし心おくれさると云共足をやすめ息を入道具を
さはくゆへおくるゝ心有め此武功于要の心得なり
八十一用心を致て夜行時はてうちんを持すへからす挑灯ある時は
気一方にとられて四方見わけかたし
〽八十二月夜には月影を歩むへし尤袂に礫石を入疑しき
所をは打て見へし
八十三夜むかふゟ来る者足音せきばらひ小哥高声の事あらは
心なし用心致へからす
一念しそく蝋燭を手に持たる者とつれ立て出る事火の
かけの方へ付てつれ立へし持者は左に可持と云々
八十五途中にて跡より我を討時は我右の方へ廻りてよし
左へ不可廻刀下なり何時も後に物音せは右の方へ廻り
て可然となり
八十六屏を乗か或数を分捕しては刀脇差の下緒を以一致
下緒の事如此時可用か為なり
八十七縄ぬけする者をからめ取事弓の絃にてしはるへしさら〳〵
ぬくへからす殊に遠国なとへつかはす時は小手を二重に
廻し横縄をとりしかと結てふつと切其上を常の
細引にて如作法搦遣ヲなり
八十八人と並て物語致共人の右の方に可居いひ事なと有時
は刀をぬかせさるものなりと云々
八十九舟に乗時舟の横木有へし花は横木に縄を付る歟
又は三尺手拭を結付て可乗舟打かへりたりと云共
其縄をとらへは舟の内へ水ふ入物也
九十心かくる人は夏は六拾目冬は八拾目計成船玉を拵可持
万事に其徳多し
一丸士我連立たる侍道にて喧嘩なと仕出たらは助太刀をふみして
其後にひかへ其者に言葉をかけて仕進さすへし若
立所にうたれば則立かはりて勝負有へし
九十二刀をぬいて走来る人あらは其右の方へ寄て様子を見るへし
無左右不可取向跡ゟかく別言葉を可待
九十三我知たる衆喧嘩口論ある則其場に居合ては勿論居あ
はせすと云共様子を聞たらは行て其者のいひ分を
聞へし其刻是非可相果なとゝ言をは道理を極て是を
いけん致へし理つまりたらは同道勿論なるへしめ此時
場をはづしたるといはれさることく嗜へしと云々
丸等取籠者の事侍かに者かと聞て侍ならは其まゝ飛込へし
小者ならは少間延ても不苦侍は間延時は死の分別極者也
小者は間延る程たすかりたき心出来て取やすき物なりと云々
九直弓か鉄炮かを以て取籠たる時はどうぶくの成程軽きを刀の
鞘に袖を通し左の手に持て右には刀を抜入へし矢玉
とをり悪しと云々
九十六戸入の事大事也向ゟ一拍子に可飛入図不可思惟古人曰
左にさやを持下緒に小脇を結付て戸脇をうちて可見ト云々
九十七弐人の取籠者をは壱人はたすくると云て可然込と云々
九十八続松の出し様兼て可有心得家前計に有ては先見えかた
かるへし先へ投入て見へし但釘をさすと云口伝あり
九十九心のかち仕方のまけと云事有縦は鑓をつかず太刀打を
不致と云共手柄と成事有へし我手に及事も有又
不及事も有宜き所を能考て我手に不及事をは
後の證據にか成人に断我おもひ寄たる行を云肝要の
釘をさす時は已来其軍我見切のことくならは大なる
手柄つかぬ鑓を突事有也め此なるを心の勝と云
又しかたのまけと云は其人心はおくれされとも思慮う
すくしておくれを取事有縦は雨降夜半なとに
夜廻りにあたりて行時其ともなふ人の内にて今宵は
あまり大雨なる間いかなる敵にても今夜は出る事は有
ましき間いさや御帰りあれ縦後に御出ありとも身をも
干し雨の晴間を御待有之て御出あれなとゝ云時我人
自由成方には心ひかれやすき物なるか故さらば其義に
付とて陣なとに帰り自由致す内に放落行か又は
味方の陣に夜討をうちなとする時に番役をかく上に
餘の手の人待請て手に合か故彼者場をはつしたるに
成事有是は心のおくれたるにてはなけれとも分別
思慮すくなきか故に取間敷おくれを取是を仕形のまけと
云也如此事共をつら〳〵思案致事かんやうたるへきなり
百時代に依大将の格に依て可働事
私兵時代と云は戦国ちりき比盛久しく長久成時辺土に
於て一揆なとある時の働め此時分其時代に応して
定沙汰手柄有へし又其大将の格好む所に随て働きの
せんきあるものなれば若輩の族万事を一偏に
取てひかへかましき談合可引取なと云てだてをは
むさと云へからす古法に不相応軍法を違背するか
ことしと云共其時代其大将の好所ならは可為各別事也
百一死と云事兼て能あきしめ可知
私方老若男女有情非情天地の間に顕れて形をあら
わす者は死せすと云事なし此わきまへを参得せされは
花に於てまよふ所あるか故に或命を惜或むさき仕
形に成事多し武士の先可知事爰に有よく〳〵
可心付也
○かたきうちの事
一かたき討を致事ねらふ人は昼夜共に心かけへし古人云
父のあたには共に天をいたゝかすといへり工夫を廻らし
手段を設何とそ其あたを打留得ずんは有へからす
うちとゝめずして身体をのみすつるをは報讎の本
意と云へからす可慎事也
又曰召人云打得たらは本意を遂運尽てうち得ず
むなしく敵の為に死せば捨身の報とすへしと云々
私云放打の事禮記曲禮上曰父之讎弗與戴天
兄弟之讎不友兵交遊之讎不同國云云是を注する
人の云人を殺したるは其利あるか故数たる人死
是古今の通法也然共是を殺者義ある歟或は法を
守る時は殺せる人罪なしあたを報する事不可有殺す
人不義非法なる時は殺されたる方の一類奉行頭に
訴へて是を令罰然らはかたき討と事は有へから
さる事なれ共其場急にして奉行に告にいとま
あらさるか又は散せる人其場を退て行方しれさる
時は子として是が為にあたを報るをかたき打と云
父は子の為に天也故に教を持て同し世界に不可在
是を天をいたゞかさると云也兄弟は父母に合すれば
其恩薄し故に兵具を腰にはならずして敵に逢
を可待朋友の恩は又至て薄し爰を以同国に不居
計也是異朝の制也本朝の律又如此然共日本は武
国成か故科有て教されたると云共彼者にあら
すして殺之時は子必儺を報たるためし多し夫は
其人に可依なれは難定然るに敵を討者は昼夜
勤てかたきにあふをいたらぬくまもなく尋求手段を
かへ謀を違へて全くかたきを討を本意とすへし
一旦の血気に任せてかたきの大身大名をいはす身
の徒に成事を忘てあたを不報のみならす剰我
身も共ニとらわれて孝心をかくへし若其内
身に煩出来て不思死を得たらんは天命なれば
不可驚かたきを討は人の嘲の為に非す名刊にかゝわり
事に非す孝子の真実なれは不討得は身を
捨よと計は難言能節と思共うたれましき事
あらは是をさくへしと古人も論之せり第一身の
養生第二了断なく第三他人と交りて口論喧嘩
の慎みか様の事を可慎也
又曰捨身の報と重中是は時分をわかたす相逢を
限と期して討果事也若本意を遂すして討
死せは是又捨身の報とか云といふ義なり是は
とかく時節をふる内に人生はかり難し老少不定の
夕の間も頼みかたけれは我横死せんもかたき早世
せんもはかりかたし然らは家のかきん世の嘲と云へし
一爰を以蓬をかきりの命とか定と云義なり
私兵かたき打の事前に両段を記せり何も其行ある
事なれはかたきを持たる人の志に随て可用之
但後段の説の家のかきん世の嘲と云事はいかゞ丁
有事歟孝子の心は世の嘲をおもひ家のかきんを
恥るか故に報讎は本意なるへからす偏に孝行の
志計にして真実の道理を専としては本意と云
へからんか猶以工夫有へし
周礼地官調人掌司万民之難而諧和之に云凡和難父
之讎辟諸海外兄弟之讎辟諸千里之外從父兄弟
不同國君之讎恥父師長之讎眠兄弟主友交之讎
恥從父兄弟
一ねらはるゝへは常にね屋をかへ寝食を安んせす
昼夜いましめ用心をきひしく致てうたれさるを手柄と
す縦行路に敵を見たりとも道をかへて行たとへ
出合たりとも打れすして退を誉れとすへし血気
の勇者は是をそしる共邪義のつよみなれは不可用之
古人曰用心を臆病にいたして心を別に成へしと云々
○放討の事
一科人有之つ其所へ即時に押廻すして科人幾人何道具を
持いつ方に是あると云事を尋問て聞定押込へし
是実の作法也然るに即時に押込うたさるとそしな
事ひかことなるへし
二はなし打の時科人広座にても家内にても切て出たる
に最前に切結たる人手柄也如此成時脇ゟ歟後ゟか別人
立寄て此科人を切臥たり共一の手柄は始の人なるへし
子畑は後の人は切よし此断を以せんさくはめ此へし
後の人しとめたり共草臥たる所は打よければ仕留
よし但又いかに初に懸て切結たり共其者にしをゝ
ふ付して後の者に譲て立のかば不覚とか相定事也
三放討の刻科人勝負をせすして足早に逃行を討と
めずとてしかる人有是をそしるも無理也足はやに
にけて追付ずはいかんかせん又彼官を切とて手疵
を負事有是をそしるも不案内の至と云へし
子細は小者中間たりと云共刀を指脇指を指たるか
心勇猛にして働勝負をせは其時の仕合にて手負
事もなどかなからん然るを其場の様子も不聞して
無子細是を非をうつ事はふせんさくの至成へし
私云放討と重計科人ある時科人を広庭へ呼出しはたらか
せて討をはなしうちと云なり戦国の時分時の風俗にて
若き衆我心をためす為にめ此事有之か故に其品
をあらわせり能々心を付て可有実ものなり
三
}
狩山
武備第十
武功
同同兵法神武雄備集
よし
兵法神武雄備集武備第十
武功目録
一甲冑武功之事
一下著下帯并陳羽織其外陳道具武功之事
一陳刀脇指并鑓武功之事
一馬道具武功之事
一武功品々之事
兵法神武雄備集武備第十
武功
一冑
甲冑武功之事
私云冑の形色々其模様有之其人の好により物すきに
随事なれは兼て定る事なし頭鉢は大形なるを用
一鉢巻を致て不着時は長陣に頭痛む事多し其上
鉢ちいさきは常にも気積る物也又は鉢入物当り
たる時頭へひゞき強し故に大形なるへしと云々当代は
色々の形多し左様の事は其人好に可依
見上の板是を眉廂共云内を朱にぬるへし其徳有
深サの事広く深きを用尤城乗なとに上ゟ突出す
鑓頭へあたらさると云り但山手を往来致時は上を見
上る事成難しと云也
吹返しの事是は何レの冑にも用て吉其徳有事也
但其好に可従
浮張常のことく成へし木綿或は布を太く廻りさしにさして
用之絹物をは不用其損多し浮張の冑へ付は悪き也
冑と間のあきたるを可用と云り浮張の仕様其心得
可有之事也
錢の事さがりの長短其模様色々有之其人の好に可随
大方鉢付の板共に五さがりなり
一ヶ志の諸付所め常三所付を用前に二所後に壱所也
緒を一所〳〵にて結付る事を嫌ふ前後に自由に
引廻ることくゆるやかに可付常の冑には忍の緒の
端前に有当流のは後に成ことくに引通すなり
又四所付と云有是は前に二所後に二所是は七はく
付る也緒付を致緒付のわなに環を致四方へ自由に
廻ることく致也但執なとあれは頭にさわりて
痛物也
忍の緒の事晒布を用ゆさらしを一幅を三に割一分を
屏風たゝ見ニ致其上を九くけに致たるを用内かた
からすしてしまる事堅しと云々緒太きはそうとけ
致たかるもの也和らかにひらりと致せるを用へし
又曰羽重をも用と云々うち物組ものをは嫌ふのび
やすしと云々寸法七尺五寸或八尺といへり
忍の緒むすひ様の事
是は後のはしを左右へ取わけ前の緒を引のばして
頬の下へ引かけ左右の端をもはうの下へ引廻し
夫をあけて両の脇へ引懸て下へおろし給を
結様と云也是草の結様なり又真の結様と云は
前の緒を引のはしてはうの下へ懸へし但頬の両の
折釘へ是を懸へし扨又後の端を引廻し前の緒の
折釘へ懸たる所へ引かけ引しめて其緒を脇へ引
あけて夫を下へ引おろして可結也と云々常の
付様にては後ゟ冑を取て引は後へはぬけされとも
しころを取て前へ引は其侭ぬくる物也当流の
ことく致ては前後共に抜けへからさる也
忍緒留様
是は別に習なし一重に留ては其損有ゆへに幕の
手縄のことくに可留又打留とてうち合てとむに共云リ
母衣付の穴
是を星白共息合の穴共云沓のてへんに有穴也
必是をあくるなり久しくぬかざる時は頭の気つ
まりて或は息きれ或目まひなと致事有故に
息を出す穴といへり又曰笠印の執を云共云り
笠倉の環是は冑の後の方に執を打折釘を打て笠
験を付る環に致也
立物前立物脇立物何も其将其人の如し可然
但脇立長く脇へ広き時は太刀を振廻すにつかへ
山林へ往来致共其自由不宣と云り冑の星白ゟ
立物を出したるも有其人の好に可依
頬当夏冬の替有へし夏は夏ばうを可用鼻有へから
す鼻あるはうを夏かくれば息切る物也冬は鼻はう
を可用寒気を防に其便りある也
おとかひの下に穴をあくる事水落し共汗流ㇾ共云是は
汗を通す穴也尤物前にて口をきく時はおとかひの下に
よたれたまる物也故に穴をあけて是を落へしと也
又気を通用致さする為にも其徳有へしと云々
頬拵様之事幾度もあてゝさわる所を知て是を可改
はうつまりおとがひにあたれは忍の緒しめかたくおと
かい痛損多し我領に能々合ことくに用意致し
面頬も鼻をかけはつしに可致其徳多し頬の左右に
一汀有是は忍の緒をかくへき釘也故に緒留の釘と云也
頬をかけて忍の緒をしむれは食事水呑にふにふ自由
成もの也能々可心得なり
一鎧
筒之事
色々其もやふ有之一様に云かたし然共極めて
云時は毛引すがけ仏胴大方此三色より色々可有
毛引は糸多て筒に核をかさぬるゆへ身にしなひて長
陳にも着するによしすがけ仏筒はしなふ事
すくなけれとも水へ入雨にぬれて糸なき故に
水を含まずめ此徳其類多し此両様を考へ損徳
を積其人の好に随て可致之也
一箇の長短は其人の器堂に可依但少は短をよしとすと
古人云伝へたり筒長き時は股を突其外損多しと云々
笛の広狭は其人の乳縄を以致へし但上ひろく下細き
を用胸の板幅是も其人の乳縄に可依と云々
小核其外鎧のさねのかさね様は下ゟ上へかさねあくる也
是其徳ある事也板を立に重るには左は左へかさね
右は右へ重てよしと古人いへり
綿当は常のことく可成長サ大小其人の好に可依大方は五寸
五六分横の広中にて壱寸五六分ためは昔具足の
ために致し綿かみ直めにして後にためあるを
よしと云也
篭手懸のせめは綿かみの上より付るをよしと云か様
の事大方昔具足を可用せめ韓大方牛の角を
用但其人の好ニ可依
高紐の糸丈夫成へし具足合せ様め常に可合或小はぜ
に致たるもあり不用之
一脇并前をくる事是は深くくりたるを可用其子細は
胸を深くくらさればおとがひを突事多き故堀
溝をこし又は倒レたる時に痛事有腸を深くとら
御る時は手を下へ伸る事不自由なり或わら
づをはき下の物を取時手を痛る事有之
め此の徳を考て深くくるへしと云也
せてはみの事是は具足おどさざる已前幾度も着て
考て寝起を致てうし路につかへさることくに可申
付大方はせたはみをすくなく致へし必背にあたる物也
浮張の事和らかに致て皮を可付也布類は身を痛安し
うけはりは鎧に付たるはあしうきあかりて有を
よしといへり
繰〆の端は後に付たるは不用脇に付て左右の脇より
帯を通し後へまわさずにしむへし後に廻せは
損多しと云なり左に付也
小手大小長短其人の器量に可従近代色々のもやふ
有之然は其人の好に可従大形くさりに瓢草いかた
可有有の瓢草は並所冠の板際より壱寸弐三分
置て可付也其かつこふよしといへり
かふりの板は昔篭手のことく上へそらして可然歟
と云也手の甲是も其人の手の甲大小に可従大形は
幅二寸七八分長サ三寸計に致是むかし具足なり
手しめ指かけはくゝり丸打を用手をいためすして
其徳有といへりたゝみ篠の事別に習なし大方
小手片〳〵に廿八程か入といへり
籠手家の事裏は大方晒布渋染を用やわしか
成物は手ほかつき汗しめりてあしゝと云但其人の
好に可得
草摺是は大方七間に致を用裏を付たるを可用布を
こき渋に染て可用皮は水にぬれてあし雪さんに
裏有時は馬上の時或かけはしりの時分にもなら
御懸物也尤夜戦に其利有と云々云々惣してはけ
さんと云下一段を草摺共芝打共云也ゆるきの糸
昔具足は長く付当代は短く付る何も其道理ある
事也大方近代は長弐寸計也餘り短く致せは上帯
をしむる事難成又ゆるきすくれば上帯の下
あくもの也其心得を以勘弁致へしけさんの長さ
草摺共に六寸計なるをよしと云伝へたり
佩楯の事板はい立は武者押馬上の時見事に見ゆる
もの也物前にては踏込を可用板をはいたしくくさりを
ほうとうと云也家は晒布をこきかきに染て可用
一裏表共にさらし布を可用縁は皮を可用と云々
脛当はたゝみ篠を用脛当を致さゞれは馬に踏れたる
一時足損す其上城乗なとに猶以其徳有と云り
腸当喉輪よだれ掛是には上古には必として不用之
一小身の武士甲冑の外にさま〳〵の道具多は短兵を
急に提て不時に出合事難成然共近代如此事
世に流布致其模様さま〳〵也其人の好所に随ふへし
肩当是は当流に用来れり其故は脇当よたれかけは
なく共鎧の下に肩当を着し其上に鎧を着すれは
あきまあらす其上仕寄前又は急のかけ合には肩
当計を着して出る事も可有之か為なり
腰当流々其説医色当流には腰当を不用上帯を
以腰当を致か故也是を帯からみと云常の帯を
二重輪に致それへ刀を刺込て是をはく也別して
其徳有之其徳と云は太刀指に致度時はそりいかにも
丈夫也又城乗屏越なとの時分は落指に致てその
自由よし其上刀の少長き分は帯くつろきてぬけ
よしめ此の徳有か故に腰当を不用かめくゝしに
致てからみさしに仕る也一説に腰当をは不用道具を
上帯に挟て刀をそらする徳有筒さしは鍔せりて
あしくこんこうさしはたるみ安しと云々
鼻紙袋は弓手の方に可付と云々又けさんの内へ付たるも
ありか様の事は其様子に可依
股引是は常の股引にても苦しからされ共膝の所に
たるみ出来安したるみを嫌へは又引つつりて跪き
にくし其武功の人好めるを以致へし
手拭かけの環鎧の胸板左右へ館を打事有之大将の
御鎧には朱幣を納給ふ所とし常の者は手拭をぬら
して懸[ル]所に致せり
畳具足の事其具足の事其具共肩重く身草臥て
其損あり可有遠慮事也
具足櫃は笈に致たる吉或荷ひたるも吉と云り具
足ひつに小より皮の切入て可置其徳有之也
下着下帯并陳羽織其外陳道具武功
一下着夏冬拵の事
下着冬は綿厚き小袖を可用裏はやわらかにして
身に可付物を用表は其人の好にし可依綿は木
綿わたよしと云り水にぬれてしぼり安く水
ひたる事遅し長サは常の小袖に少短く可致袖
ほそに仕り身はゞをもせばくゑりをは取頭まき
のことくにゑりを付て吉ゑりをはほたんをいしむ
る也夏の下着帷子拵右同前長サ常の帷子なり
晒布を渋染に仕りて用又二重帷子に可仕共いへ
る也下着すそを長く致事は山林竹木田畠の
草繁き所を往来致時分帷子をまくりあけ
けさんを押包其上に上帯を致時は草の内を
往来してもけさん草摺に草かゝる事なし
此徳を以め此云也常もけさんを包て上帯を致
たる時はかけ合にも成事多しと云々又曰短キ
をも用意仕置へしと云々下着の紐付様背に
左右に廻ることく可付前にて紐を可結紐の中へも
綿を少可入二重に不可思フ一重にて可結又曰
弓手の脇に紐を付る共云なり
二下帯拵の事
是も夏冬の替り可有下帯拵様は大方わり下帯也
下帯の半ゟ末をふたつにわり前にて結かことく
可致之下帯のさかりに紐を付頸に懸てよし
用をたして後下帯のさかりを常のことく引出され
ざる物ながゆへひぼにて引あくるなり大方は
一二重廻りよしと云々
三上帯の事
私云上帯はさらし又は打帯組物をは不用大方
能しまるへき物を可用結事前にて結留へし
後にて帯をからみて左右へ引まわせば帯ゆる
する事なし丸く綿を入て可致み又くさりを
ぬいくゝみて可用之共いへり
四陣羽織の事
私云陣羽織は定たる習なし模様は其人の好に
可従ゆき短クたけも腰切に致馬乗をあけなど
致事古法也
木綿羽織の事是は寒陣には必木綿をうら
表に致し木綿わたを卓山に入長をなかく袖を
付て色模様を不好形を不付に一色に染是を
いくつも一所持と云り仕寄先にて寒気を防く
手段又は下々なとも此下へ入置にも吉急なる時は
ぬき捨て可出人見付ても不見知もの也
一紐をは付へからさる也
胴肩衣の事是は常の肩衣のことく二幅を中を
一縫合腰長に致前にてあわする様に拵たる物也
五鉢巻の事
古老云白綾本説也なしうちの時は必鉢巻なり
然共古来の義なれは略之南世は白き綾の鉢巻
と布のはちまきと両様を可用と云々城責大閤
戦なとの砌は沓をきずに鉢巻を致計をはきら
ふ也近代は手拭を長く致し是を鉢巻に致なり
六手拭の事
私云手拭は長きと短きと可有但かき染は水をはぢ
きて汗とれさる物也常に水にひてゝ環にかくる也
七草鞋の事
私云苧草鞋を用るといへ共足草臥安し常の
わらぢを念を入てうちたるを用と也然共又
つよきわらぢをも支度致置へし武功下に出み
八腰桶の事
私云腰桶めんつうの類は腰兵根を所持可致か為也
今時種々のもやうを致道具をこしらへて壱根を
自由に支度致ことく用意仕義古人の戒る所也
戦場に望ては心の侭なる振舞不可叶也或はやき
飯に致し或は食に味噌を指加て腹の飢を満す
れは又別に望不可有なれは当流なとに定れる拵
なし右の心得を以て用意可有之なり
九銅笠の事
私云是は銅を以常の笠のことく形を致し物あたる
時にはくる〳〵と廻る様に仕り是を所持可仕北越
上杉謙信常に此笠を用給と云々小身の武士
心かくる侍などは此銅笠を用意して其徳多し
常に戦場にて是をかふりても軽くて其自
よし鉄砲弓の繁き所にても矢玉あたりても
笠能まわれば矢玉を防く断にも成へし若又
急成所に於て食を認など致に鍋釜なき時は
是を用て物をかしくに其便有故に銅笠を
可致所持と云也
十著込の事
私云木槿の皮をさらし扣き水にひてゝ是を綿に
致たるを入たるきこみを可用と云々
又曰つはなの穂に出てあかみあるを多く取是を
たゝきわたのことく致用共いへり
くさりの着込当代色々有之その内宜きを可用
一鮫のきこみの事是は世間に流布致せ共其仕様
あしき時は不足用也大体鮫を六角計に致
それに図に穴を明四方へくさりたるを用く
さり様口伝可有之鉄砲の防には不成太刀打
なとには其徳可有之歩兵或かち立たる武者な
とには此着込を沢山に拵置て着せ可用と云り
生牛皮をいためて是を右の鮫のことく拵へ用ル
着込有之也
惣して着込を着してつよく四方をかたむる時は
開度時息切目まひなと有物也尤長途を走る事は
難成物也と云々可心得義なり
陣刀脇指并鑓武功
一陳刀脇指の事
寸尺の長短は其人の若量に可随刀は弐尺三寸より
長き刀はぬけにくき物也爰を以大方弐尺三寸を
古来ゟ陣刀の寸法と定たるなり脇指は壱尺五寸
より八寸迄も其人の好に可随
或人曰陣刀の事縦す長く共戦場にては急に
抜合する事なきものなれは中取を致て抜
さし致是本説也。少長く共此心得を以可致用意と
いへり乍然様能々可有遠慮事也
又曰三道具を可致所持と云々三道具とは刀脇指に
九寸五分計の鎧とをしの小腸指をふところの内に
可指是は戦場にて急に敵の類をかく時其外長道
具用に難立事あるに可用之為也と云々
反の事陣刀はそりあるを可用そりたる刀は寸
延ても抜安し其上押前太刀指なとの時見事
にて刀まわる事なき物也と云々
陣刀は樋のある刀よしと云々しかはあれ共なかご
迄も樋をかける刀は血柄へ入てあしこと云なり
又川をこす時樋のある刀はおさめよしといへり
作は其人の好其刀のきれに依へし但陳刀は名
ある作の物をは不用といへり其故は名作の刀は切々
ためす事難成其上名作と云又其家の道具也
作の上下に不構唯刀のきれを第一と可撰と云々
切羽鍛鵐目別に無拠近代陣刀なとは金拵を用て此類
をも皆金に役て用其人に可依太刀は古来のことく
銅赤銅を用是等にか用金銀を少也共陣中へ
所持可然事と古老を伝たり
柄頭鐺別に替儀無之柄頭は昔の陣刀のことく柄を握る
手をさゝゆることく拵て吉久しく刀を抜て持居ル
時又は柄すへりて手の中ゟぬくる事有時又は
戦時手くたひれさる物也と古人云伝たり模様は
可依好義也
鍋是も昔の陣刀のことく小しりを張たるを可用
地上に其侭居石砂なとへあたりたりたる時にも小
尻そこぬる事なし模様は其人の好次第成へし
但金銀をばちりばむへからさる事
柄事長短は其人の好によるへし但陣刀は柄の短き
不好と云也柄のなりはりうごを用と云り但是
も其人のこのみにしたかふへきなり
柄糸の事皮は血の付共水付ては必すめり安く持
にくき物也糸を可用と古老云伝へたり但其人の
武功に依好に可随
目釘の事二重目釘を可用目釘を打たる上を
糸をまくへし古人の拵皆め此尤可然事也目
釘竹は枯たる性のよき竹を可用といへり近代
大方は水牛を用
目貫の事陣刀の目貫は種々に打様あると見えたり
或目釘をぬかすましきか為に目貫穴をふさぎて
打も有武物頭の方へよせて両方二所にうつも有之
当流には常のことくうつを用也其故は両手にて
柄を持に目貫両手にこたへて持よく柄すへらさる
ものなれはめ此言也但其人の武功好に依へし
近代目貫に黄金を其侭うつ事多し其理ある
事と云りケ様の事は其人に可依義也
柄獣の事古人の陣刀は大方柄戦を黒くぬるなり
其徳多しと云々近代金銀の打鮫を用る事あり
か様の事必と不可用其人に可依也
縁の事是も其人の好に依へし別に利方に替事
不可有也
鞘の事鮫鞘は雨にぬれて損し安く水をこし
沼を渡るに損有尤旱の時刀をしめてぬけにく
き物也大方黒塗を可用模様は其人の好に可依
鞘の中をぬる事是は刀をさばすまじきか
為なれとも刀汗かきて其積多といへり
鞘袋事長陣或は押前の長路なとに鞘袋をかけ
されはあし候故にさや袋の用意有事也鞘袋に
金薄を以みやうをなす事事其人の好に可依也
繰形おひ金近代色々の模様をなして用之其利有
事にこそ当流には古人の陳刀のことく繰形負金
共に用ひ来れり但くり形おひ金の間を少ひろく
あくるなり是は帯からみを可致か為なり
下緒の事是も常の下緒を可用下緒は其子細
有て用物なれは是を不可除也
鋒大小其人の好に随ふ事也鉄鉄を可用といへり
模様品々其人に可依金銀の鍔は古人不用之と云々
右陣刀脇指共に金拵其外花麗成斗人に依て
可有遠慮小身の侍猶以其心得有へし敗軍の時
必打死致物也又屏乗の時分下より引落さるゝ事
有其外損多し柄の間鞘の中をくりて金
銀を入ることく致せる類は可然事と云り
二鑓
私曰長道具の批判は其道を不知しては詮義不
相応成へし故に兼て是を可用とは云かたし
徒鑓十文字鎰鑓管鑓大形中身小躬皆其人
の修錬に依事也尤其道々の人に尋て可極
柄の長短是又同前也但土侍云小身なり一騎侍戦場へ
持参の鑓は柄少も長きを可用其故は柄短きは
たゝきあふ時花下に成女し長き柄は上鑓に成て
徳多しと云る也
柄拵ぬり柄青貝の柄なとは水にぬれてはけやすく
冬は猶損多し白柄を可用と古人云伝へたり
石突の事古老云第一丸きを不好也人ごみの時分も
たれさる物也突立て置事成にくし爰を以先
尖リたるを可用と云々
石突穴の事古伝置して穴を明たるを可用徳
多し殊に船軍の時分又は籠城の砌何も其徳
ある事也穴なくは環をうちてもよし
一胴金の事前後に仇をうつ事是又其徳有尤鎰
鑓には鎰に仇を付るといへり
馬道具武功
一鞍鐙の事
私云馬道具の善悪利不利は乗形の衆に尋て
是を可極鞍は佐鐙も作をよしと用錠はかな澄を
可用徳多模様は其人の好に可依と云々
二切付馬膚三枚なるを用馬肌は蒲にて作るを可用也
馬の背をすらずして利方に宜きと云也
三手綱は布を可用也絹手綱は手の内ほかめきてあし
き也但又紬は用て宜き也と古人云り当代は紫の
顔を用然共古は御免なくては不用なれば可有
遠慮事也布のいと太き手綱を用てよし
雨にぬれ水にひたりて後絹たぐひは悪きなり
近代下手綱にはくさりを入て用る事あり
四鞭の事床にてあみて致せる房鞦を可用但小房成を
可用也
五泥障の事毛あをりを可用冬陣によし尤長旅にも
其利有かんのよき馬に猶以其徳多しと云々
六力は古老云力は古考々にきるゝ事有より縄にて
鷹頭を結居木の力革通シにとをして二筋にて
可結付
七腹帯の事戦場にては腹帯を二重腹帯にいたし
てよし二重に致馬の背にてひろげ腹にて取
ちがへしめたるも吉又関東腹帯とて両に
輪を付たるも吉されとも身の重き人は鞍かへ
り有古老云麻の縄を小指程に組て左の塩
手に付夫を馬の左の足にかけて前へ取て又
一塩手に留たるも吉と云々
八塩手は火打形に致たるくりぬきにしてそれを皮みて
縄にして付たるを可用常のことく成はきれたる時
たやすく付る事ならすと云
九取付事古法は壱尺弐寸の物也左右に是を付る也是は
頭を結付る為也と云々是古来ゟ首を付るによし
と云共古老云取付へは付にくし当代致ことく網に
致せるを可用人の目に立さるものなりと云々
十履古老曰麻の沓大にあしゝ遠路を歩む時に馬足
痛へし又曰しゆ路を可用と云々又曰馬の
尾にて致共云り大方は常の沓宜しかるへきや
十一三尺縄岡屋へし馬に依て頭はつれやすき物也と
古老の伝に見えたるなり
十一糠袋之事古老曰糠袋はなかをあけて後輪の下
両方へさかる様に拵可付也目に立色の物を不可用
と云〻
十三馬面馬鎧は所に可依事也乍然戦場に始て望時は
馬も殊之外ふるいわなゝく物也と云り然者馬面馬
鎧を致事㐧一馬をそこましき為なれば
可用之と云々古法云馬面に異類異形のおそろ
しき形をいろくたるを用時は敵陣の馬殊之外
おそれおのゝきさわく物也と云々関東にて北条
氏康なとの時分か様の事を用ひ給ひて利を
得られたるためしたし
十四馬氈は板馬せんをよしと云也綿の入たるは常にも
下高くしてあしきなり殊更川越の時分に損多し
武功品々
一筒火の事
私云種々ならひ有之馬糞の雨されたるを土に
ぬり込口をあけて火を付れば火付事安しと云々
但武田の筒火は別に出之
二川越の時火を持事
私云杉原をほ〳〵にもみほくちに焼て其内へ炭
の火のいかにも能おこりたる火を用ひあま紙に包
能結ひて持へし大は消さる物なり
三さけ緒火の事
奈良晒の古きを水に入て二三十日さらし縄に
なひ火にくべて焼時はない目其侭有是を古き
ござの小便しみたるに包みおもしを懸置て後
取出し火を付持に何にも不付して吉懐中に
可持之又曰紙衣のふるきを黒焼に致たる拾匁
引茶壱匁五分明はん五分右を取湯にてねりて
一炭固に致又明礬をやきて飯の取湯にてとき
右の炭固を六七通程衣に引日にほして紙に包
下緒なとに結付て可持之なり
四組討にたとへ大力なりと云共自由に引たをす
習有之大事なれば口伝にか受なり
五馬の喰物絶たる時他国にて拵様有是は別て秘伝
なれは口伝に残之
六草鞋草履にても中を結ふを中結とて雪中
又は沼の中なとを往来するに用る也両中にも
欠走りいたすに中結を致せはすへらさるもの也
七三尺手拭常ゟ長く致て所持可仕中を縫合て兵粮を
入て持に宜と云
八屏を乗道具兼て可拵置也身の重き人はこえかたし
兼て可心付拵様口伝有へし
九仕寄場へ着し行具足下股引は真皮にて作り可
用之筒服抔も皮を可用といへり
十鞍かための事
古老曰第一銚を致し緒を付て我身をかたむる也
㐧二に縄にて我身を鞍にかたむる也㐧三ふさを
取て結ひ留る也第四に鎰にて留る事有第五に
鐙の踏様にて不落といへり
十一柴つなきの事鎰にて留ると云共是は指物なと
さしては馬散るか故にかけにくし第一開き時可懸
無障上手綱を左の塩手に通して轡にかけたるを
よしとすといへり然共馬草臥安し三尺手拭
其外手綱にても馬の自由なることくわ致て柴
つなきある事也乍然乗形の衆へ尋可問之
十二馬上にて腹帯のしめやうの事
十三錠持人なくて乗られさる時の心得の事
十四馬上手綱の納様帯に留の輪ある事
十五馬に息をくるゝ時は地形のひきゝ方へ馬の頭をなして
息をつかすへし腹帯弱ければ馬息切る事
安し
其馬の名合には白女郎花をかげほしに致それに
小黒焼を可加又曰梅干の黒焼に五八霜を少
かへても用何を用何を用何も衣に包てくつわのくゝみにし
可結付と云々
私云息合の事塩気入たる物は久しく含む
時はあてらるゝ事可有之梅干も塩ある時はあしき
なり梅の能うみたるを皮を去て中の身をし
ほり出しいか程も是をためて日にほし干かた
まれるを絹に包て馬のはみに結付へし人も遠
路なとかけ是には可合之何程含てもあたる
事なくしてよしと云々
十七夜目をさらす事生姜を用て目をあらふへし夜能
みゆる物と云〻
十八渇を留るには枯糞根を多く可呑と云々
十九早帯の事是は刀脇指の下緒の結ひをくり形の際へ
一寄て結夫へ帯を通して両の端をねござの下へ
入て可置愈の時其侭乍立帯を取て道々帯を
致行へし縦帯をしてねたるよりは早く出合物也
旅宿なとにては可心付なり
廿夜打夜込の急成かけ合には必内にて鎧を着せんと
すれば遅き物也又小屋なとにてはつかへてなら
御家物なれば鎧を外へ取出して可着と云々
廿一頭を取る組少なとを致ては早々冑をぬく物なり
必息切て目まふものなり
廿二ふくべを用意致し水を入て持すへし川越に馬に取て
廿三うち物なとを討に縦へは早ク可行付とて脇道ゟは
かゝらぬもの也若不追付時は脇へへりたると云々遣し
廿四馬上の者を討には馬を切馬を切には手綱を可切手綱
よりは脚をなぐべしと源頼義の言に有
廿五城の内ゟ寄手を撃に外へ見えへきと云心得なき故に
城外へ身のみゆるを不知してうたるゝ事多し
ふつと乗出てうつ物なり冑なとの立物も外へ
見えさることく致て俄に出てうては不意成
故に外ゟうたれ御家物也と云々
其大事の道篭者をは鉄炮にて打事有是は紙を
水にひたしまるめて常の薬にて一季当座は
死と云共頓而息出る物也
廿七暗き所にて筒火なく共物を見分習口伝有
廿八馬の大豆も能煮て能ほしたるを付行へし軽重
各別に違ふもの也但寒の内能さらして可用也
廿九旗指の足軽具足は背板吉背板の事背に板を
あて前にれんぢやくを付て吉
三十矢箱玉薬筥たんすに致たると笈と有勢込の時は
笈よし川こしの時はたんすよしと云々
卅一馬上にて山林へ鑓を持行様鑓のけら頭を握りて鑓を
曳て行馬の行所まて自由にもたるゝ物也
卅二弁当の事拵様色々有之武田流は扇の地紙なりに
致せる弁当を用るなり但う様の物を可拵に心得
有へし自由よくと致せる物はいそきの時持参成
かたかるへし只かろく其物数不足共食を喰
計の事に可致用意歟
卅三焼飯を拵へ藁つと歟又は三尺手拭なとへ縫くゝむ歟
又所々を不縫にくゝして成共可致所持事
湛溜れる水を切流す時は水をうしろに致て土を水の
中へ掴入る物なり土入るに随て水あかりて能流る
物也又水道急になかなれはおし流御なゝ事も
可有之なり
卅五鎧を着して扇子の納め所は引合の糸に指納る物也
卅六差物かためやうの事
一私云請簡に入て計かためためためたるは取おき
城乗又は手近き働きに指物を敵にとられ或高
所ゟ飛出るゝ時又は溝堀をはね弐る時拍子に
依て指物ぬくる事有物也大方更筒にはねを
致さすと云共是も引あへはぬけ安し爰を以布を以
指物を念を入て結其余を前へとり左右の脇く
廻してかたむへしと云々
卅七町見の事
是は其説多く流々ある事なれば其口伝一様に
難言先爰に記すは其一説を顕せり町見の見様
と云はむかひに目当とする物の横幅しれたる時は見
よし緞は横はゞ壱間ある物を見るに目通りゟ
一尺先にて幅壱寸にみゆる時は其間拾間ありと
可知餘は是にて可準又横はゞしれさる物の
横幅の見様は縦は目通りゟ一尺先にて三分に見
ゆるものをは壱尺五寸さきへ寄て跡へしたり三
分に見ゆる所迄したりて見る時は其しさりたる
間ほど幅有物也但是は跡に空地有時の事也
一板に寸をもりてみる法有妾は功者の人に尋へし
卅八河越の馬乗様の事鞍を馬のたて髪の際へよせて
置其身は乗さがり馬の前足の間へ我両足を
踏込馬の足を壱所へよせさる様に可致波早く水
急にして馬童をれ流さるゝは後足一所へよるか
故なり猶口伝を受へし
卅九二重腹帯を致せは所に依て馬草臥るゝ事有
故に五六寸計の金に跡先に穴を明て四の緒を付
あをりの下より四の塩手に可付鞍かへりせさる
もの也但先右のかねを腹にあつるなり
又曰馬の手取髪をまけてかたく結それに長き
緒を付右の足の間ゟ廻して左の力革に付へし
薬をおさゆる者なく共乗に鞍かへらさるもの也
四十馬の頭高を不可好馬上の鑓ふ自由成物也馬の平頭に
鑓をもたせて押入ことく致へしと云々
四十一鉄炮を水底を持には筒口にわらをねち入て火
蓋に蝋をぬりて吉
四十二物前にて敵の武者を見覚事
是は惣へ目を不配物也或物見武者又は者頭物
奉行等の目にかゝる武者に心を付て見る物也
諸人も是を見覚る物なれば重而人の尋にも
其つかい合物也
四十三我居たる陣場を賜へ行たる跡にて我居陣場にて
廻合其外士卒手にあふ事有て我其場に
不居合時は必か為越度故に我行たり先の陣
場の人に断て可置重て場をはづさざる證
一拠となるもの也
四四夜鐘先見えさる時は横をはらいあたりたる時引取て
つくへし
四百五十五まにて鑓の合を見知るは立たる鑓のふすを見て
鑓合と可知也
四十六鼓弓鉄炮を構て有之処へ乗懸りては少もへるへから
さる也急に可乗通間ゆるやかなれは敵の心しつ
まりてあたりよし勿論運は天にあり
四十七不知所へ行て働には縦いそく共案内者をつれて
可行案内者なき時は行かゝりて埒の不明事
多し案内者郷辱を得すして可勝図をぬかす
事古より多し
四十八旅宿にても大将の御本陣を離て陣つき宿を取
一花日暮草臥たり共我居所より御本陣へ出る
道筋を倉を入て一見置勘度を取計多し
四十九用心の所にて主人の供を致には山路なとならば下
坂には跡に可引付上坂には先へ可行又平地にては
左右前後に眼を配り無油断心を可付門戸又は
挟道にては主人より先へ立へし
一五十頭を取にうねみぞへ切てたをしたるを立なから切には
切先にて切へし物討にてきれは切先さきの土に当ル也
五十一旅路又は忍て通る歟又人を討て退時跡ゟ人の追
かくる事有には不知道をも尋て通らさる物也
幾筋も有之道にては追かくる者必所の者に
か様の者はふ通かと尋るもの也故にめ此言なり
五十二人をねらい或取篭り者なとある所へ入事其不意
をうつ所第一なり忍入て戸をあくるとも
何の気遣なくさらりとあくへしそろ〳〵と
あくれば人則心付物也尤さらりとあくる時誰と
問ば則其声に付て飛入てか討首尾あしくは
か退なり
五十五壷壱騎二騎に合たる時は周章せず輪を乗大
まはしに乗て帰るもの也敵を見て其侭退ば
放うたかふ所なく早追物也輪なとを乗てゆふ
ゆふと役七は敵かみかたるなとゝ思惟する内に
程へたゝる也
一垂大将か者頭物奉行の願を取ては口の内へ手印を
入て並物也首共多く交りて後せんさくの時の為也
五十五組討は数みかたの身にすき間なく引よすればかつ物也
といへり其外組少に教を引たをすならひ
有之事也
五十六教方へ物見に行或壱騎弐騎にて敵の体を見るに
は馬の頭をみかたの方へ引向後むきに成て数を
見るへしは此時は教ゟ見付ても数かみかたかと
うたかふ内に引取なり
五十七鼓の様子を見るには乗留ては不見物也と云りせ様の
時は馬を乗留て居ず輪を乗て其内に可見也
乗留て居は殊之外見くるしと古人いへり
五十八郷辱に純の大事と重事有之是は昼夜に不依其
所の者をとしへて案内者に致し召れて行に
必取にがす事有大事の所にて取にがせは十方
を失ふ物成がゆへ案内者に縄を付て引とあるくへし
縄に不限此心得有へしと云儀なり
一五十九物前にて請合なと有之時分は成程つよみ成事を
云へし強みを云ても其手の頭不聞入物也其上
進退の事も引談合をは不言物也頭奉行に
いはせてそれに可随
六十大事の場にては潜にさゝやく事を嫌かならす諸人
うろたへさわくもの也と云々
六十一城乗屏へ付には頬をはづしてよしと云り下なる
し見えさかなりといへり
六十二具足の上帯は具足の上に致七日よりはゆるぎの糸の
所をか結帯にて具足を持ゆへ肩草臥シさるなり
六十二矢をも玉薬をも多くもたせ行には諸侍の小荷駄
又は惣軍の腰に玉薬の筒を拵へさゝせてもよし
といふなり
六十四陣中へ鼻紙を持事鼻紙五枚三枚宛引しごきて
上帯へはさみ可並入時用之に手間をとらさる也
六十五鼻ねぢりに水入筒を拵可置事
六十六常の小袖を下着に用様有之事
六十七下着は薄く上着はあつく可用口伝事
六十八草摺にはなを代申を用る事かへさまに可付なり
六十九下着の着様はゑりを引あげて頭にかふりて可着
其後ゑりをおろせば下着ゆるやかにてよしと云々
七十佩立の事下に着ては川こし深田へ入時とく事難叶
故に上に紐を可結也と云り
一七十一具足のわたかみをはせばくすへし手上へあかり
安して自由よしと云々
一七十二わらちの事常のわうぢを常のことくはきては
ふけなとへ入て足を引留らるゝ物也故に常の
ことくなるわらちもはきやうに口伝有事なり
武者わらんぢはごんづを可用と古人もいへるなり
七十二わらんぢ可作わら寒の内にさらし是をよく打て此
藁にて武者わらんち可作也
七十四土用の内におもたりの茎を取てあみて陰乾にして
後馬肌に用れは強くして湿を去馬に薬なり
或是を席にして寐所にしく時は湿におかされすと也
七十五細引或長キ縄器の類ひは皆中を白くして脇を染
置へし何時も真中見えてよし
七十六馬の沓わらのはかまを取すぐりわらにして寒三十日
も又前後五十日もさらし其後塩水にひたして
能うつへし但わらのみこは取へし石にあてゝ
たゝくへからすうちかげんは竹にかけてみて両の
合まてをよしとするなり
七十七常〳〵相たしなむへき心付之事
さすか小刀ニかけてよし
一矢立筆一火打ほくち同大打石
一水のみ水くみ
同印籠
一引はた大小一うちかへ一升入
一馬のまめかい一間縄十間
一曲尺くしらまきかね
二合三合五合計布の小袋に入て持へし則袋なから
一干飯湯へ入ても五合計布の小袋に入て持へし則袋なから
一二し飯湯へ入ても用之又うつほのつめにも成なり
一かきくわん
是は諸事に徳多し
但七八尺斗のかたきおなし
一こしあて
一こしあてを付へし
但七八尺計のかたきおなわ
一やりかけ
一妙薬
梅
いきあい梅あんめんたふもいき合によし
血留
気付
くわくらん
こしやう寒の内暑気に用之
かつほふし能煮てほして用之
一手続松
一布萬のかけかへに成事多し
一遠目金一砂時計
一砂時計
此外何にても刻限を
知へき物を可持なり
代十十七
狩刀
武備第十一
雑功上
同同兵法神武雄備集
兵法神武雄備集武備第十一
様功上目録
一医療門
一金瘡諸療門
一馬療門
武備第十一
雑功上
○雲陣夜話補遺秘伝十渓叟撰
此書は毛利元就尼子と取合雲州に七ヶ年在
陣之内ニ煩急にして京より道王を呼寄煩本復
の已後遠鄙には良医なくして諸人煩の刻
及難義の間於陣中医功をまたすして雑人の
病を治するたやすき薬方を記而与へられよと
懇望に依道王此書を作りて元体へあたみ
られたるなり
○疫癘門
其疾多感辛苦之人安樂者ハ未之有一皆触二冒
四時不正之気而為病魔氏曰疫氣發大則流行
天下次則一方次則一郷次則偏ニ著一家悉由二気運
鬱發一ニ所致也丹溪曰衆人ノ病一般ノ者此天行時疫
也云云然則俗ニ陣疫病ナト云モ是也
初治
一味散長夏ニ土龍ヲ取テクサギノ葉七枚ニ包黒焼ニ
シテ細抹シテ茶二服ホト温酒ニテ空腹ニ用必自汗シテ
平復ス
升麻葛根湯治二頭痛発熱甚衂血出一妙也
升麻白芍薬甘艸戔已上五文目葛根十五匁
右煎頻用之
三妙湯治証同前或治二手足ノ倦怠
香附子葛根黄芩已上等分本方除二黄芩一ヲ
名二香葛湯一専治風証是也以上三方ニテ不レ治後方ヲ
可用
敗毒散治疫病四時通用
羌活独活前胡柴胡枳売桔梗
右各等八
減半
白茯苓右各等分甘艸薄苛減半右毎服二十目
生姜三片加之煎服本方に人参を加て名人参敗毒
散毎服三文目トアリ
十神湯治二時令不正疫癘妄行一ヲ或四時感冒風熱頭疼
身痛寒熱メ無汗陰陽雨感並宜服之
麻黄玄節川芎甘艸紫蘇葛根升麻
白荘赤芍薬陣皮香附子以上十味煎用
私曰甘艸ヲ減半枳売ヲ加テ妙也
○瘧疾門
経曰夏傷一於暑秋為秋為瘧一云云瘧疾者二多得於暑
私曰傷寒之初発紛ル者也能々可レ候レ侯レ脈也
山トウシン
ヲ細抹二文目天目ニ
ノ木也
ノ木也
千金不二飲湯三礼木油
水一盃酒一盃入て一盃に煎発する日の清晨網服す
朝
又一服ハ発ヌル時ニ至テ可用三両日ヲ不レ経必愈
秘中之秘也非レハ其仁不可伝之
常山飲治一切新久ノ寒熱
以上四味等八
常山衡郎大小知母貝母以上四味等分
右酒天目ニ一盃入テ七分ニ煎服ス
桂枝羌活湯治一切瘧疾妙也一活活
桂枝羌活防風甘艸半夏已上五味
○泄瀉門
原病或曰瀉チ白為寒瀉青黄赤黒為熱也
釜中散治泄瀉聖方也
白木二匁茯苓芍薬一匁甘陳皮一匁甘草木
右細末シテ湯ニテ用若小便渋リ少ハ沢瀉猪苓
木通山梔子ヲ一匁宛可加○若咽渇テ引レ飲ヲ
葛粉人参門冬升麻一千宛可加○若寒月
冷瀉神麹縮砂木香一千宛可加之○若夏
秋温熱大ニ行レ暴泄蓮肉黄連澤瀉蒼朮外麻
木通ヲ一匁宛可加之
正伝止瀉秘方渡石消盃三十目肉豆蘇玉イサ二味細抹シテ
姜汁ニ調神麺二熱湯ニ入作糊●丸シテ五拾粒宛
白湯にテ用ユ百発百中之妙
家傳益元散治一切ノ泄瀉暑気ニ被レ侵小便不通
ニモ吉滑石六匁甘草一匁肉豆蒄一匁肉豆蒄一匁右三味細抹シテ
湯ニテ用本方除肉豆冠用之
○痢病門
凡痢病者赤白共ニ湿熱也赤者血白者気也赤
白膿血雑痢皆因脾胃失調也初治には
〽三黄丸大黄蓮黄栢三味木分細抹〆丸毎服
五十丸湯ニテ用妙也
芍薬湯治諸般痢病聖方也
已上各二匁
芍薬黄芩黄連
当皈枳売梹榔
已上
各一手
五分
甘艸五分右煎服或丸薬ニメモ佳也
「四黄丸一切ノ治痢疾
名等分抹メ丸ニ用
大黄黄連黄芩黄栢名等分抹メ丸シ用
私曰梹榔液石ヲ加テ速効如神
六一散滑石六八千甘艸一匁右抹シテ丸メモ用
○淋病門
淋疾者心腎不交清陽不外濁陰不降而成天地
不交之否
禹功散治五淋妙術千金莫伝之方也
燕ノ糞ヲ細抹シテノ茶二服程用五淋六述功如神
導赤散薀レ熱小便赤淡赤淡赤淡赤淡林集一
木通甘艸生地黄三味等分竹葉三枚入煎服ヌ
妙也
各三両
火府丹治証同前黄芩木通
生地黄二両
又二匁四
五十五右三味抹シテ密丸ニシテ五十粒塩湯ニテ用
滋腎丸小便渋或血尿スルヲ治
上同
五匁
酒洗焙乾
肉桂
黄栢
知母
各一両
右三味湯ニテ
丸塩ニテ下
○眼病門
風眼者衆人一般而病也俗病目卜云是也
洗薬防風薄苛黄栢右三味煎頻ニ可洗
或加二黄芩荊芥一ヲ佳也
『陣中群集ナトの時病目とて無別証目痛には長夏に
荊芥ヲ多取テツキシボリテ上スミヲ少ノ死サヌヘシ妙也
○頭痛門
夫頭痛ハ有二各経之不同一因而治法又有異也云云
然れとも爰には万般一同に效を得たる薬方レ而已を記す
川芎散川芎一味抹シテウヌ茶ミテ用ヨ名メ不可用
選奇散羌活防風酒黄芩土夏各等
甘艸小加抹〆用
芎並散古今之妙法効不可勝計
白芝川芎羌活以上三味等分にニシテ採用
○腹痛門
心痛腹痛之証錐不同二証共有寒熱食血
湿痰蠧虚虚ト実トノ九般也
三味木分
已上三味
木香丸木香義木梹榔三味木分甘中茯苓八上三両
ノ半分
右林丸五六十丸白湯にて用ヨ九般悉ク治シテ妙也
芍薬
芍薬木香丸白芍三匁木香二匁青皮一匁
右細抹丸用一切之心腹疼痛無不治
河間木香梹榔丸治食傷気滞太佐痛
谷五匁
各三匁
木香梹榔各三匁青皮陳皮白朮各五反紅麦枳実六匁
六匁
厚朴六匁麦芽炒七匁右八味抹丸用
芍薬甘中湯治四時腹痛
白芍甘草并二味等分ニシテ煎頻用之
○雑方
一咳嗽トテ鼻塞壱重悪寒頭痛シ衆人患病事有
疫癘門ノ十神湯敗毒散ヲ用
一脚気行歩不レハ遂ハ
各一匁二分
一魂治二秋各一分当故七分大黄二匁板実五分右煎
服妙也
一足膝クシキ痛ニハアラメノ黒焼ニ肉桂粉三分石灰小
右三味抹シテ酢ノ粘ニテ丸莫伝之妙也
一俄に腰を疼には地虚子一味抹して酒にて用
又方治腰痛甚者不遇三服平安ナラン
当故肉桂延胡三味木分煎酒少加用ヲ正伝
如神湯一
又方治腰痛如神
桂一両木香杜仲妙去絲
右三味為抹酒調下
右例縄千治万療之通格也後学宜請之而
莫慢元就公依御懇望於雲州嶋根陣中編
録之
○金瘡
一疵付薬
柿崎和泉守金瘡一流
霜
串柿ノ核霜イカノ甲立ワウクマタタカ霜烏同
由にし霜鹿の角霜をかきのサ子同鹿の夏角同
ホソノオトモ月艸曰女ノ髪ノヲチ同右粉ニメヌリ合
ゴマノ油ニテユル〳〵トトキ鴉羽ニテ付ル上ニシノ葉ヲ重テ
付ヘシ疵ヲウマヌマシキニハクスヲ加ヱ黄栢ヲ前スシテ
其汁ヲ少入ヘシ
一悪瘡ナガシノ薬
小豆粉生栗粉熊鷹看鴉内右疵口に茄子の
香物ヲシキ久火ヲ大ニメ七ツヤクヘシ其後薬ヲコマノ油
ニテトキ付同キココノヲヘタルニモ吉雉子羽ニテ付ル
一疵癰ノ薬
シヤウヒクヌ・大黄肉豆冠桂心甘汁
右木分ニ分ソクヒニ押合大クワン錢ヲ水ニテスリテ
其水ニテソクヒヲユルメ上ニ紙ヲサキテ付ヘシ此薬ハ
疵ノマワリニ付年寄女ノタンヲサイ〳〵付ルナリ
一虫ノ螫タル薬
酒呑タル
山モノ皮ノ粉土器ノ粉
ヲ用
右合コマノ油ニテ付
一血留ノ薬
八重山吹ノ花ヲ陰干ニメ甘汁十分一加テ付ル努々疵
口ニ不可付也
一狂気ノ薬
イマダ男心ナキ女ノ小便ヲノマヌヘシ
一シヤクリノ灸
髪ノマキメヲ十一壮可焼ナリ
一又キノ薬
三十三
末々ノ核ノミ
モミノ木ノヤニ甘中榎ノミニ
黒やキ
三十三
黒やキ
イナゴムシノコ赤トンボウヒルノネコカマキリ
右等分合テウスソクヒニ押合疵口ニ付ル上ニシヤウ
カクバラヲ付ヘシ
一又ヌキノ薬
五月五日ニ梨ノ若バヱヲ取テ陰干ニメソクイニ押
合口ニ付ル是モシヤウカクハラヲ付ル也
一骨続ノ薬
切ハ十千タル骨ノダイヱ甘牛ヲ三分ニキリ二分一分
ツヽイレテ十カ一分残ル処ニ母ヲヤノ薬指ノ血ヲ取テ
カケヘシサテ付薬ヲ付ル時ハワカキ女ニ一ビサキヲトラ
ヱサヌヘシ母ヲヤナクハ男ヲヤ男親ナクハ兄弟其レモ
ナクハ男心ナキ女ノ薬指ノ血ヲ付ル臍ノ緒ノ黒ヤキ
一骨続薬
クワドンサウラナノウノ粉・ミソハキ福〽右ウスソクイニ
押入付ル紙ヲサキテ付ルカフラ銭ヲ水ニテタリテ
合其水ニテソクイヲユルメテカノ上ヲヌルメニテ合テ可巻
其上ヲユヤナキノ皮ニテ可巻薬ハ七日ニ一度ツヽ付
カユル先ヲシメヲ青メナル石ヲヤキテ塩俵ヲカケテ
湯ヲウチ其イキニテイカニモ〳〵久クムシサテ引
ノヘテ養生スヘシ
一気付薬
人参□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□
酒ニテモ水ニテモ用
一膏薬
松脂コマ油ヲバコハコベ青木葉マクリソクツ
金銀中三ワトコ異天蓋大笹ノ葉
右イカニモヨク煎シ其煎物ノ中ヱウルシヲシボルヤウニ
膏薬ヲコシイレテ七日油ノ加減ハ夏冬ニカルクヌコノ
カゲンノ如クナリ
一気付薬
ヒツ千ハヱノ米ヲ白ク付テ寒三十日コホラセテ粉ニ
シテ水ニテ耳カキ一ツヽ用委クワヘテ吉
一疵ノシヽノキエタル薬
由ニシノ黒ヤキ粉ニメゴマノ油ニテ付ル
右北越上杉謙信卿老臣柿崎和泉守金
瘡秘伝也
○山田流金瘡
一血雷気付付薬三色ニ用
人参川芎当飯芍薬茯苓地黄
ニ而モ入テ吉但六月土用ニ
青木葉
右等分黒ヤキニシテ葛ノ
日ヲモテノ葉ヲトリテ吉
粉ヲ加テ色ニ口伝アリ付薬ニ用時ハ葛ノ粉ヲス
ゴヌコマノ油ニテ付ナリ服用ノ時ニハ湯ニテモ水ニテ
モ用之也
一内薬振薬
人参黄芩川芎禾香肉桂から骨二匁
鉄ヲ
忌酒
二テ洗
カウ骨ノ
桂心當皈黄連
外各一匁
甘ナヅ
右荒刻シテカケ合アフリテ一銭キヌノ袋ニ入テ
する湯を以振出候用一服を五六度も振出し用滓をゝ
ク有時又アブリテ煎用
右内薬加減筋切タラば梹榔子レ銭干子一銭加テ
日に三服用四日も用れは筋ユキ遺テ必悪シ大使結せば
大黄一錢巴豆に粒加熱気甚は柴胡黄芩を加用
右山田流終
○金瘡諸流業方
一問薬
ズノシリ草ヲ陰干ニシテ粉ニメ茶一服ホト三度用テ
三度トモニ返ヌハ大事ナリ三度請ハ養生スシ浅井越前流
鴉の黒やき茶一服等と塩湯にて用て可見三度吐は
大事也請ルハヨシ前鬼流
竜脳ヲ甘カキニ二ツ計舌ノ上ニタリ吐ハアシヽ
一血留
競麟血の粉に古綿の霜粉にして等分に仕ヒ子リ掛へシ
走ル疵口ヘ二度モ三度モ取替々可付若是ニテモ
不留ハ紫檀ヲコニシテ可付捻リカケ押付テ
十百波多野流
先血をみルに悪血黒血とテ二色有之黒血は薄赤シ
悪血はめに黒赤し悪血の時留レは腰より下に腫物
出也うす血ノトキ薬ヲ可付トクサヲ煎シテ可呑
又蒲黄粉ニシテ一服三錢ホトヌル湯ニテ用之藤井流
蒲黄土龍ノ霜キリン血右等分ニ合疵口ニヒネリ掛ヘシ
又五八州ヲヒネリカケテモ吉同
キブク血ヲ留口鼻ヨリ血出事アリ是ニハジヤウカ
甘草右二色等分に粉ニシテ一度ニ五銭計湯ニテ日ニ
三度可呑同
三両少
蒲黄ニ滴少トウシン西甘中一分右ニ生姜一斤入煎服
前鬼流シヲン紫根何茂ホ分ニシテサメニテ
ヲロシ粉ニシテヒネリ掛ヘシ同土蜘ノヌヲ付テ吉
同又カラ竹ノ中ニアル虫ノ糞ヲ可付渡マムヲ取テ酒
七日浸シ台ニ入黒焼ニ入黒焼ニ入黒焼ニ入黒焼ニ止ル
○南蛮流
血留内薬
烏梅湯地黄桂心人参蒲黄当飯川芎
烏梅各一匁血走不留ニ用之
一気付
人参ニゟ蒲黄円葛根一両甘ナヅ此内エ胡椒二粒
加常ニハアブリテ吉蒲黄ヲアフリテハ悪シ湯ニテモ
水にて毛用之波多野流
葛粉ニ両蒲黄同甘汁一分人参二分胡椒一分
右合湯ニテモ水ニテモ可用之荒井流
鴉ノ霜キリンケツ参甘ヅ合水ニテモ湯ニテモ用之
一洲レイヲ白水ニテ能土気ノナキヤウニ洗刻乾テヒキ
ウメニテ幾度モ引返濃メ也春秋ハヌル湯冬ハアツキ
湯夏水海玄源六月土月ノ内觜太鳥ヲハシ爪ヲ去テ
丸焼にしテ茶一服等と湯にても水にても吉寒の内の鴉
モ吉参ヲ加テ吉
一治肛腹腸出方
春夏秋冬ヨラヌ腸ヲ能アタヽメコマノ油ヲヌルク
アタヽメ腸ヱ付ヤワラケテ疵ヱ入程残ル分六手縄
ノ如ニ青ク染タル衣ニテユヒテナワキヌナクハホソヌノニテモ
用付薬ハ霊天蓋ヲ廿分一ホド加減メタリ合ゴマノ油ニテ
トキ付ヘシ、又水銀ヱトウゴマノミヲ取メリ合腸出タル通ノ
後工付也フ夕青ハ吉波多野
黒猫ノ頭ヲ霜ニシテ腸モネリ掛ヲク其上ヲモチニテイウ也
又方猫ノ頭ヲ黒ヤキニシテ出タルワタニイカニモヤワ〳〵ト
入ルヤウニシテ其上盃ヲアテヽヲク也但風引テ入残リ
タラハカラムシノ糸ニテユイテレン〳〵ニシメ切也荒井流
コマノ油ニテ猫ノ頭ヲ霜ニシテ付ヨ又腸ヘ入ル時々手負ヲ
アヲノケテネサセ足ノヒツカヾミウシロヘテヲマワシ
ソツトヲコヌヘシ其時薬ニハアヲシヽノ角白物各ホ
一分ニシテ可付也其上ヲ布ニテ巻ヘキ也愛洲
腸出タル内薬黒猫ノ霜ニシテ好キ酒ニテ百日日ニ三度
宛用但腸より黄なる物出は大事と知也同
米食ト物ヲクワサルヲサナキ児ノ糞ヲヘラニテ
ネヤシ腸ヘヨク〳〵ヌリ疵ヲアヲノケ頭ト股ヲ
全身ヲサクレテ腸入也上ニハ薬ヲ付アヲキ葉ヲ付ルヽ
柔ナル布ニテヨク〳〵可結ト云々
一抜薬
荒井
矢ノ根ヌキ薬桑ノ葉猶ノ木ノ葉柿ノ葉
枇杷の葉、朴の葉右五色等分ニ合煎一日に三度
宛三日用レハ必ヌクル也
疵口ニトケ又ハ何ニテモ立タル物金ノ子ニテヌク薬
串柿ノ核ヲ霜にメタウゴマノ油皮ヲ去右二色ソ
クイニ合其上ニ狐ノ皮ヲホトハカシテ付ヲク其上吸
膏薬ヲモ付也同ナヂシコノ根粉ニシテ三度ヅヽ用ヘ但
腹にいふのトマリタルニ妙也
太田吸膏ノ方大矢ノ根又ハキホウ何ニテモ止リタルヲ
又ク薬
栗木皮桑木皮合歓木ノ皮・クサギニレノ木
青木葉柳タイカヅラチウヤクサセンサウ
カヽミ艸キリシ草石若蒲モ合煎此汁ニテ
煉ルヽ此骨松ヤニ地皮看梅干五霜牛房ノミニ而
ヲシロイロクセウニ両右合テ酒五合程入テ煉ル
矢ノ根ヌキ薬
牛ハイヤマキクカツヲヒマシ何レモホ分ニシテ抹メ疵ヘ付也
〽同法ニメカノ目カマキリアカキ色ナルヲ牛ハイ何茂陰干ニシテ
米ノソクイニテ付ル也甲賀伴越前流
カノシヽノ眼ホシテサメニテヲロヌサケノコヅ甘サ
一粒毒ヲ
巴豆
トラヌニ粉ニシ
○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○
サシ入テ上ヲハリヲク也三日過テ蓋ヲハナヌヘシ愛洲
治骨中箭頭不出者
雄黄一錢差娘一分石灰一分研作末以牛糞焼之
雄黄一錢・雄螂一分石灰
一令赤色
威霊仙
一分
朝桂鼠
一枚去以
威霊仙一分朝桂鼠一
取血
右四味為レ抹入二鼠ノ血一蝦蜜為丸如二黄米大一納二瘡口ノ
一中其箭不レ論二遠近一自出
一治痛不可忍方
土龍の霜もワタ鹿の角の霜カンカツ此四色等分に
ヌリ合コマノ油ニテウメクトキ付テ吉フタニハ青木ノ葉ヲ
波多野流
用
自白ノ蛤白焼ニシテコマノ油ニテ付上ニ青木ノ葉ヲ付梹榔
子ヲ粉ニヲロシ付ヤウ同前
勝栗ヲ粉ニヲロシ付ヤウ同前
松ノアマハダヨキ酒ニテ付其酒ニヱイヌルホト天ロヌヘシ愛洲
防風天南星湯泡各等分右毎服五服五錢水酒各一
蓋生薑一片煎至八分食遠温服三服にシテ有効
一ソリノ灸
心サキヲ七壮ヤクヘシ。田手負ノ血ニマトイ俄ニ死ルニモ用之
又臍ノ穴ニ塩ヲコミテ三壮又指ト爪トノ間ヲモヤクヘシ浅井
ソリニ成ヌクムニハ小麦ワラヲタキ前後ヲアブルヘシ
薬ニハ鶏頭花ヲ霜ニメ芦ノ毛ノ馬ノ瓜ヲ粉ニシテ二か
等分ニ合小便ニテ用也。男女カワル同薬太郎ノ事百艸
川四郎カウホ子鐡ヲ忌サヽ三郎当皈四郎酒ニヒタシテ
アブリ粉ニシテ用
一治理方
一楊梅皮粉ニシテ疵ノ口ニヒネリカクヘシ菓芽
「青木葉ニクツノ粉ヲネハ〳〵トヽキテサイ〳〵ヌルナリ
薬ニハ丁香ヲヲロシヒネリカクヘシ
一治療血在内方
大黄一匁巴豆一匁半姜二分右ヲろ〳〵細抹メ●此ホドニ
丸シ廿粒アテ用之
同大事ノ血下芦ノ毛馬ノ屎ヨク〳〵ホシテ粉ニヌル同
霜ニテモ吉
紅花右等分ニ合湯ニテ呑也但紅紅花ヲ多入ヘシヽ当
飯大黄包豆高草右抹メソクイニテ●是等ドニ
丸シテ十粒斗宛用也
油ヲヨク取
巴豆
大黄一両当皈ニ分川芎二分黄連一分
二朱
メイカヌイハラノミ何レモ粉ニシテ塩湯ニテ用若下ラヌ
ンハサシテ吉波多野
頭下川芎西大黄一両香白艾二分右粉ニシテ酒ニテ呑同
各二両
同当皈天黄各ニ而右共為抹毎服二錢不拘時
童便和酒調和
頭下芎芒三分大黄西連芩芋二分蛇骨
木香茯一分参三朱甘少右煎如常用松田流
同田ニシ黒ヤキニシ黒ヤキニシ黒ヤキニシ黒ヤキニシ黒ヤキニシ
一骨続方
カモ鹿ノ角鹿ノ角右二色霜ニシテホ分ニ合ヨキ酒
ニテ用疵ノ口エヒネリテモヨシ菓芽
同筋ツキ薬小豆の粉十マ成禾香竹ノ虫クメ
右等分ニ合疵ノ口ニ油力ハコベノ汁ニテ付同
筋ワタシロクセウ澤蟹ノ足ハサミノ中ノ肉ヲ取テ
粉ニシテ疵口ヘヒネリカクヘシヒネリ処ナクハ廻リニ可付
但薬ニ加エヘシ天南星ノ粉計付テモウツキ止也右
灰ヲ加
四足切落サレタルニハ虎ノ角ヲ削骨ノタヘ入シンニ
仕りツグ也第一ノ秘事也湯柳ノ木ヲモ同前ニ用
ラキノハヲクキヲ去水ヱ入青汁ヲモミ出シヒロケ疵
ノマワリニ可付也
一金瘡愈薬
腸ノキレタルニハ鶏ノ血ヲ取テ付レハ吉腸ノ切タルニモ
藤井
用テ妙也藤井
食ヲイカニモカウク也ニイリアフリテ粉ニメコマノ油ニテ
波多野
一トキ捻リ掛テ吉波多斯
活香根粉にシテ鷹ノウチヲ右等分ニ合疵ヘフキ
イル也治香計ニテモ吉広疵ヲ治ニハ竹ノ虫クソ
臍ノ才粉ニシテ等分ニ合コヘノ汁ニテネリ疵ノ中ヘ
入付ル也松田流
一疵ノ中ヨリ愈薬觜フト鴉ノハラノ中へ生木香三匁
入霜ニシテ酒ニテモ湯ニテモサイ〳〵用付薬ニモ吉同
一打疵方
合観木カウ色ニイリテ粉ニシテ四匁ゟ白ケシ粉ニシテ一匁
右二味ヲヨキ酒ニテ用同
ウツキ止ル薬事葱ノ白ミニ砂糖ヲ等分ニ合テウ
すく上に可付なり但物にてつよく打痛に用之松甲流
打疵ノ血ノミチタカウ薬ハコベノ汁モヨトリジヤウゴ
の汁右二色に白薬を一錢程入テ二色の汁天目
半分ニ力キマセテ用也ノ白薬ハ別ニ出之薬
一荒井
打折たる疵には鹿角の粉に蒲黄の粉ミツを・白中散
ニテ可用
打疵ノ内薬黄莨当飯紅花タヲウ
右等分煎如常可服と也由賀伴越前流
打身ノ時腫タルニ引薬・桂心黄檗等分ニ合水ニテ
子リ合腫タル上ニヒク也其上ニ紙ヲモ付也愛州
治金瘡并木石損傷者用好陳石灰六両研砕節過
綿紋ノ大糞一両切塊同石灰鍋中に炒過め紫色に包て為レ度去
大葵再節過傳二傷處一ニ立ニ効アリ
一鉄炮疵薬
ハコベヲモミ其汁ヲ皿一ツホド呑其後ヌワウヲ煎シテ
天目一ツ呑是ヲ呑テ三時計ノ内ニカヘサダハ吉内薬ニハ
ハコベヲ霜ニシテ一銭宛日三度ヌル湯ニテ可用右ノ内煎
茶アリ菓井
〽付薬サトウシヤノウ此二色等八分ニ合疵口ヱ付自然
玉ノトマリタルハ五月五日昼ヨリ前方ツタイカイルヲ取テ皮ヲ
ムキ五ツ又ハ雉子ノ糞ヲ少入合付テヲクナリ木鋒トゲ
十トヲ踏テモ用之テ六時ノ内ニヌクル也同
矢鉄炮ノ疵深クシテ底へ薬行事難成トキハ愈薬に
勝栗ヲ粉ニシテ疵口ノマワリヱ可付薬底ヱヒキ入ル也
又ハ金子ヲ粉ニシテ愈薬ニ合テ付ルモ吉同
深キ疵シヽアケヤウヽ鹿ノフクロク用霜ニシテサメニテコソゲ
ヲロシヒネリカクルナリ波多野流
一膏薬
百目
松脂百目参ヲシロイ夫南星右粉ニシテ一銭コマノ
油ニテ煉
又膏薬ニ三日煎シ木通青木葉タイカツラヲバコ
藤ゴブ麻カラ蓮ノハ立ヤナキミレ栗木ノアマハダ
波多野流
右何レモホ分ニ合ホウロクへ入煎シユル〳〵トネル也波多野沼
松脂卅目桑ノ皮棗柿ノ葉葱苓
右合煎テシホリ油ニテ子ルナリ荒井流
松脂十両鷹ノ丸やキニ面鳶ノ霜同鴉ノ霜同
雀の霜白黄栢粉楊梅皮粉桑の木に出たる木のこ
右合油にてよき加減にかなる也何の疵にも吉又は一粒
宛呑テモ吉同
沈ノ霜一朱ハクフン一分立ンセウ一分黄栢一分クチナシ一分
石灰一分古草一分青木葉一朱松脂ニテ
煉也右薬種入后に青木葉ヲ煎シテ其汁ニテ
ユカク万ニ吉松田流
吸膏薬一切抜薬ニ用サメノウラ皮ヒキヤウサン
トウゴマ髪ノヲ千何モホ分ニシテ松脂ニコマノ油ニテ
子リ合用同
秘伝膏薬
サウギ茯苓カンテイラヤシヲニテ煉商蛮清
南蠻流
一治破傷風
古米粉小麦粉松石何モ口伝大文ノ秘薬也同
同
先有破傷風邪襲入瘡口其証大傷寒似而
一治破傷屈瘡口驟結白痂是其験也或発熱或寒熱間
瘡口驟結白痂是其験也或発熱或寒熱間
一作其則口禁目邪身体強直如角弓反張之形死在且
夕矣法当同傷寒処治因其有在表在裏半裏半表
三者之不同故不離乎汗下知之三法也是故在表
者行之在裏者下之在半表半裏者宜和解之又
不可過
其法一也
初傷在表用羌活防風湯
羌活防風川芎藁本当皈白芍薬甘中各四両
右或咀毎服各一両水二盞煎至一盞去滓温服不
拘時量竪竪慢加減用之○熱加黄芩○大便図加大黄一両
治二破傷風痛産疼痛一体発寒熱用玉真散
天南星ン雨防風同右共為抹伝於瘡口又以香油潤之
以温酒調一錢服
治破傷風牙関緊急如角弓反張者
即
叶以前方用二銭以老酒入童便少計嗜服立効不
愈再一服有験
又方
去皮
天麻白並川芎
各二才
草烏雄黄各一才
右為抹酒に和〆丸如桐子大毎服十丸温酒送下
一金瘡總論
人為兵器一所レ傷出血者必甚渇ス即不レ可レ与二水飯ヲ一
所金之物旋毛在吻須乾食食肥膩之物無レ所
妨害貴解渇而已不可過多飲粥可二過多飲レ粥則血沸出テ人
必死矣所忌者有有レハ焉一曰嗔怒二曰喜笑三
曰大言四曰労力五曰妄相六曰熱美美粥七曰
飲酒八曰酸鹹此八者犯レ之鮮レ有レ不レ死矣夫金瘡
不レ可レ治者有九曰傷天倉曰傷天倉曰傷臂中跳脉
曰傷大腸小腸曰傷五臓此九者皆死処也又有二
金瘡不レ可レ治者四一焉、曰脳髄出曰脳破而咽喉ノ中
沸壱両目直視曰痛不レ在二傷処一者此謂一傷経一曰出
血不止前ハ赤後ニハ黒或ニ自肌肉臭ク寒冷堅実其瘡
難愈此四者皆不レ可レ療矣除二此外一復論二其脉一脉
虚細者生数実者死沈小者生浮大者死其所
レ傷処在二陽処一失血過度而脈微緩急疾者死矣、
○解諸毒薬方
凡中毒従酒得者難治酒性行諸血脈遍身体
故難治也因食得者易治食与薬俱入于胃胃
能容毒或遂大便泄出毒気未流干血脈故易
愈也
解二諸毒一用甘草同二黒豆ノ煎湯ト嗜レ之又方白篇豆用
永調服
又方右菖蒲白礬等分右為抹新汲水調下
治二砒礦石毒一欝金末二錢右入蜜少計一冷水調下
一治中毒虫者方
又方弁麻不約右蜜煎冷服又方飲水解レ之
毒虫ニサヽレタルニハ枇杷ノサネヲカミクタキテ付ヘシ
又曰サシタル方ノ足ノ大指ヨリ血ヲトルト云云
又生甘中五錢右以水濃煎頓服吐痰即愈
又方胡草根不拘右搗汁半戔来レ計レ時服其出即下
和酒服尤妙白鶏血亦妙
治中酒毒者
大黒豆一升右煎汁二升服一吐即愈
治中諸菜毒者
甘藷胡粉貞母等分右為末水服又方小児溺服愈
治中瓜毒者
瓜皮湯ニテ服ヌレ愈
治中野菌毒而笑者
煎桑椹汁一服愈又方防風不拘右剉碎以水煎
一後冷曜之蝕
治中河豚毒者酢を大茶碗に三五不血可用則吐テ可也
又五倍子白ハン等分右為末水調服
又方青黛不拘右水調下又方生芦根不拘右搗汁服
〽治中諸魚毒者
鳥鞭草不約右煮汁服又方大黄不拘右煎汁服
治生漆惹人成毒者
生椒葉木狗右煎湯洗又方鶏子黄右塗患処
治木石圧死并従高趺死気絶不能下者
急ニ擘ヲ開レ口以二熱小便一唯レ之
又方用豆致一大盞水両碗煎三沸去渣服
治溺水死者心下温皆可レ救
急解衣帯用艾灸臍中令二二人一二
即治
又曰灰ヲ惣身ヱカクレハ水悉ク出テ息出ル也
又曰山カラノ黒やキヲ鶏ノトサカノ血ニテ丸シ湯ニテモ
水にても用之鶏の血みて用る時は弥可なり惣シテ
手負ノソリニモナロソリニハ山カラノ霜一銭酒ニテ
用也
又曰寒ノ中ノ山カラノ霜
ヲ鼻ヨリ吹入ルヽト云云
治下溺死微シテ有レ気及冬月凍レ死者ヲ一
脱二去温衣一ヲ仮二人ノ熱衣一包之用大米砂熱一尉熨二心上一ヲ一
炒二竃土一令レ熱以レ褒盛テ熨一心上一冷則暖之。令二煖レ気
火傷
通レ温。以熱酒或薑湯或粥一飲二少計一唯レ之即治
黄栢生香色霜三色を水にてときて付レハ妙也又方以酒洗也
当坐ニハ黒胡麻ヲタリテ付レハ可也又方南天ノ葉ヲヌリテ
付之無
趣愈
凡煙火ニ所レスレ傷切二不レ用二冷水冷水冷物一熱得冷気則却
而撃搏メ爛二人ノ筋骨一云側栢葉不拘右搗爛メ傳
又方寒水石大黄黄栢等分右共抹〆蜜ニテ
調傳之
又用テ油煎黄蜀葵花傳上
治馬咬傷者
鮫馬糞汁服之并以此洗瘡愈云云
治二落馬或木石ニ圧レ自二高処一落疼一
葱ヲ煎シテ飲レ之或伝二痛処一則立験又方黒鯛ヲ
煎之可食服云云
治中二百足毒一方
蕨をふりて患る処に可レ伝生蕨十くは干蕨にても用
マムシニサヽレタルニハタ顔ノ葉ニテヌリツクレハ吉
治中二河豚毒一妙方
蝋ノナルホドヨキヲケリ粉ニシテ水ニテ用之一切ノ
毒消也
湯ニテ焼タルヲハ生栗ヲヌリテツクル也
○金瘡并諸病桃薬妙方
一手負或うち身きつけの方
夏土用冬衣々の内ふとからすを何方も残さず霜
にして薄茶二服計酒或湯にて用る此薬方戦場に
於て即座に気を付或痛みをやめけ力常のことく
ならしむ勿論血留り痛なくても大疵にて行
奇構にならさる疵は何程大疵にても血留り
痛やみ気力常のことくに成其場にて常のことく
走り廻ル也石木或家屏なとにおしにかたれたる
もの当座に水計を早く呑時は死ると云々
一血留
寒の中の青しとゝの霜をひねりかけ其上を紙
にても絹にてもまくへし或艾をもみても此薬の
上に可付又石のわたとて大石のわれ目石の中ゟ
綿のやう成ル物出たる是有紫色なるもあり茶
色成も有是を付ても血留ルなり愈薬にもよし
うち身に酒にて呑てもいたみを留る也すりむき
たる所へ付ても吉気付にも吉又宮八草
疵に直に付ればつよすぎてあし其なかる〳〵
血を木にても紙にても又は手にぬりても又
其手負のひたいにぬりてもその血にひねり
かくる也大きに手負つよく血の出るを急に留れば
あしゝ血の色初はこく黒色なり後に薄くあ
かくなりて薬をつけへきなり
一立効湯
人参一両甘中二朱久しき手負又は大血をひいて
つかれくたひれたるものにはいりて一分二朱
入ルなりつよきものには其侭生れ人玉二分
ふぐりの玉を取清き水にて能〳〵あらひ皮を
むけは幾色も皮むくるなり皆むきはてゝ後
二つにわりて陰干にしてきさみ用
やきみそ中くりほとにして一ツ沈香つ両
右葱の細き白根長サ壱寸餘りにして五本入て
水二盃入壱盃二分に煎じあつくして用ゆねつ
きつよくは葱の根七本にても十本十五本にても
入へし是にて汗をかゝするなり多く汗出つ
かれたる病人には葱を入へからず此薬手負一
大事成に用る薬也そりにも吉胴ごみ血しばり
なり此薬を用ては帯をつよくしむればきかず
帯をときいかにもゆる〳〵とながくふせしむへし
此薬を用て吐ものは死すへしはかずして背
に汗かろく出ルものは生る
師侍に曰無病成者も戦場へ出る砌此薬を
あつき湯にて振出して一盃呑て出れば心気
さわがす落付て吉と云々
一手負打身そりの薬
芦毛馬の爪最干姜少加粉にして一銭酒にて用
又しね鼠の霜是も酒にてもゆにても用
一一切の手負売薬の間に用る振薬
かうほねいりて南桂桂心白木木香川芎
黄芩黄連人参当飯灸六分甘中少右絹ニ
包熱湯にて振出し用
一矢釘竹木のぬき薬
甘汁を粉にして疵口にたふ〳〵と付置へし痛を
やめ抜るなり
此薬馬の踏ぬきにも足のうらをよく洗右の薬を
瓜のがう内に一盃入沓をうちをくへし
一同方
せんくつじしやくきめのうら皮まつだけ
生くりかまきりの霜各な分疵の口に入青木
葉にてふたをすへし身にたちたる物黒かねにて
無之時はじしやくとかまきりをのけて串柿の
さねを霜にして等分可入なり
一竹木釘の身にたちて出ざる薬
茄子の花の落たるを陰干にして粉にして薄糊
にて疵口に付る也又曰ざうげの粉をつけて
もよし魚の骨の立たるにもざうげの粉を
用て吉と云々
〽同ふみぬきの薬
甘中の粉鰹節の粉瓢草の霜ひましの皮
をさりて右四色等分粉にして押ませ付る也
ひまし油すくなくしてははらつく時はそくいを
おしませて可用也
木竹ふみぬき身にとまりたる抜薬
常のまゆみは木ふし〳〵のことく
棗の葉犬まゆみの葉
矢のはのことくなるものあり実
枝にひきつきてなる也いぬまゆみは矢のはのことく
成物枝に無之実に細きくきありて下へさかりてなる也
かしはの木と
同前也みかわる
なりかしわのみはとんくりなりなら
しばのみは杉のみの青き時のことし
にはとこの葉
うこぎの葉
右四月の中の十日の間に取陰干にして粉にして
疵口を湯にて洗あたゝめ此薬うす茶二眼程酒
にてもちゆ大成物深くはいりつよくはれたるには
葱芥青木の葉のせんし物にてさい〳〵洗あたゝめ
此薬をさい〳〵用なり
一疵愈薬
生くるみの霜こまの油にてとき付る也やけど
灸にもよし
一小笠原流妙法膏薬疵にも打身にも腫物にも
万事に付るなり
冬葵子楡白皮次明子明礬亀足
大刀子
右等分抹して松脂にてねるなり
一同流骨つぎ
かさみ亀足ふつくさしんそく南礼骨
右等分にして切口ニ付左に有之煎薬にてねりて
上にもぬりて其上をゆやなきをすにあみてまく也
愈肉見えたる時は右の膏薬を付る也
一同流煎薬
羌活防風柴胡石葛根遠志乳香
けつめいしとうきし各等分甘中少
右せんしやうつねのことく手負に用る内薬なり
一食傷之妙薬方
ひるも草の葉五月中に取よく〳〵土を洗塩干
にしてよくひたる時塩水に一夜つけ取出しかけ
ほしして指匁さんしゝ三匁五分一夜酒に
一夜酒に
つけいりて
右二味粉にして●是程にうすのりにて丸し五拾
粒も百粒も湯にて用之一切の毒消なり少の食
たゝりには拾粒廿粒も用也
一大霍乱の薬
寸金散黄栢六・楊梅皮大・山椒少みせう少
右薄茶一眼程湯にて用ゆ此薬水に溺たる
者にもよし
生候
りろの
同方りろ
かう色と
楽分丁子三分
〽同方重ろからは等分十分三分にて
用妙なり
同方宍桂木香莪木名一匁枇杷袋に三分呉茱萸二分
右袋に入振出し用右二方共に常の霍乱にも用之
一一切の腹の痛の薬
香附子粉にして薄茶一眼程酢を湯にてのべて
それにて用むね士にも吉又香附子をいりて
粉にして茶一ふく程うす茶にて用れば頭痛にも吉
一せんきの薬方
蜜柑のさね霜茴香
一右粉にして等分塩湯にて薄茶二三眼程用之
同方
附子きんしく各等分煎法常のことし
一むねむしの薬方
白礬を酢にてさかりなる物は壱匁弐三じ小児
老人は七八分用之当座は眼悶乱する也二度お
こゝす
一心痛之薬
だい〳〵かうしの黒焼茶二眼程ツヽゆにて用之
一かうひの薬
白礬一両をからかね鍋に入ていれは一度ふき
あかるなりわきあかりたる内に巴豆を二粒
粉にして右の中へ入て二味共に粉にしてよしの
すにて咽へ吹入るなり
又曰かたつぶりの雨霞にされたるを粉にして
つくへし
一魚の骨喉に立たる薬
荒砥の粉をうすちや一ふく程湯にて用ゆ
又やくちを粉にして用
〽同方ゑのみを粉にして用又やきすみを粉にして用
又みつかんの青きを霜にして用又きうげの粉
ゆにて用之
一かつけの薬方
どうかめの黒やき薄茶二三ふく程宛酒にて用
一旅にて俄によこねをふみ出してあゆむ事ならさるに
いためかわの霜なべすみ明ばんぎかへし各等分
右粉にして壱匁にへ湯へ入かきまわし少あつき
内にゆにて呑てひきたて押付て痛共三里も
五里もあゆめばなをるなり
一足のうらにまめの出たるにはそのまめをつぶし
柿のさねを霜にしてそくひにませて付るがよし
一わらづざうりにて足をすりむきたる所には宮
倍子を粉にして付てよし
一馬に遠路をのりいしきを乗かきたるには
渋身をつばきにてぬらし薄くへきて灸の
ふたのことくにして其所へはりつくればよく
つきてはなれずいゆるもの也
一鼠にくわれたるには鼠の毛の霜をこまの油にて
ときて付る也
一同鼠喰内薬ねすみ喰には蟷螂の法干を粉にしてつくれは
一同鼠喰内薬之
其所よりうへははれず次第にはれ引物也
敗毒散人参を切用ゆ
柴胡前胡羌活独活桔梗枳売巴芎
各等分
茯苓各等ら甘中少右生姜棗入て常のことく
せんし用名方なり
同方
蝿の頭をとりてすりつぶし付へし冬春はいき
たる地なき時分は夏とりて陰干にして並粉
にしてこまの油にて付る也ひやうそにもよし
一ひやうその薬
糠の霜来と等分に合こまの油にてとき付へし
一船にゑいたるには十八さゝけの霜を湯にて用なり
一目いほの出たりは初発に其目いぼの出来たる
方の手の大指の内の真中すしのまき目の所に
物縫針にても小刀にてもさして血少にても
にぢみ出ればよし
一日腫の事時ならずむさときあいあしくなる事有
其時はなまままめを食すへし日腫なれば此生
まめなまくさからず日腫にてなき時は例のことく
なまくさし大豆なまくさからずは日腫と心得惣
身を見へし何方にぞ粟粒のことくなる腫物
出来て有へし針にても小刀にても血を少とる
へし此腫物は一日の内に死るなり気あい俄に
あしくして頓死するもの此病多し血を早
とればいきるなり
一小便通薬日本第一の妙方
みそはぎの葉を去くきを用大たからからかう
くきを用さゑもき葉を去くきを用さくきを用
其侭きさむき黄栢其侭刻中甘艸少
せんしやうつねのことし
一目の内へ蜘のすの入てとれさるには刀の錆を用と云々
一ふり薬手負疵の痛み血留気付其外諸病
共に用之狐付にも此薬を用ゆ手負は気力
常のことくなるなり一切是計にて仕立るなり
人参白木当皈木香川芎地黄肉桂
桂心甘中かうほね丁子槇榔子黄芩黄連
茯苓大黄
右何も等分毒をさらず皮を去ているへし
火を忌薬をも合ている但三段にいるなり
あらきを一たん中を一たん粉を一たん以上三段
同程にいるへし梹椰子のかせ黄にそまるを合図に
いり一ふくは壱匁五分程也ふり出して可用但痢病
にはぬるゆにて一分ほと用へし産後に頭ふら
めくには地黄をひかへひんろうしをますと云々
一しやくの薬細川家秘薬
三両
胡黄連三両芳参垂甘松二両良香二両干子二両
莪朮一両人参一両右何も粉にして豆ほとに
丸して衣に葛の粉ゆにて服み妙方の秘薬也
一武田信玄家陣中雑人の煩に用らるゝ方
〽おこりにば大がめの黒やきうす茶二服程水にて用
〽疫病にはむくげの木手一そく常のことく売して用之
〽虫気には地しはりといふ草を陰干にして粉に
して湯にて用
くわくらんには百草霜楊梅皮洗浄干粉にして各壱付
〽かいさうには黒大豆十二両生姜八両麁艾五両
紫蘇五両右合て布袋にもりて釜の中に
一水弐斗入壱斗にせんじ可用なり
一恩地の巻心を勇になし気を強くする薬の方
まむしのかけほしとうぼしの米の粉いりて
右等分粉にして毎朝一銭宛ゆにて可用
一ま川赤竜丹
人参二分茯苓日辰砂内黄苗同甘中桔梗丸
黄連同麝香一匁金箔十枚升麻五分
右十味細抹〆水を以是をねり人馬共に用て可也
痘疹に用
大くわくらん気付下り腹にはとりゆ
しほり腹むねむしには湯
一うち身妙薬鮒の鮓くろやき成程大きなかふな
かし飯共に是をやきすしのなれ過たる程よし
酒にて用ゆ上戸下戸共に酔ほと是を呑当帰
生にて粉にしてうす茶半服程湯にて右の薬
用る前に是を可呑とうきを中ゟ切糊にして
をき腰より上を打たるには当飯のかみを
用腰より下を打たる時は下を用
一くじきにはにかわをときて当座に付てよし
程過てはふ哥
又山のいもをすりて鍋炭を入又すり合て
付うへに紙をつくれば妙なり
一泄瀉のしそこないには牡蠣七日しらやきにして
寒の中水をかへ是をさらしたるを粉にして
五倍子を等分より少加薄茶二三眼計湯にて
切々用之色のつき痢病なとには甘中を
少かへ妙也
一心定散
壱両
天門冬
しんを去
人参
去帯
同肥大滋洞者
五せん九節者
石菖蒲
去毛
茯神
五才石石
一才才
光明者
光明者
粒度射香一胡文辰砂別研テ極細
右細抹して将砂麝和勺黄連心泡湯調服二戔
許如神気自定無他事煩擾
狩猟
武備第十一
雑功下
一兵法神武雄備輯
午十二月廿四日夜
南
兵法神武雄備集武備第十一
雜功下目録
一書礼品々事
一法令事一法令事
市
一兵法神武雄備集武備第十一
雑功下
書礼品々事
一書礼法式軽重事
此等之趣宜預御披露候
第一恐々謹言又恐惶謹言共
家司之名
一右披露状也奉主君之体也
御請文右に同
可得御意候恐惶謹言
恐惶謹言と計も
第二名字官殿
人々御中
名字を除て官計書は敬也名字を
除て唐名を書は猶敬也
右披露状之次也
返札尊報尊答
公惶謹言
㐧三進覧進献之進覧よりは下なり
返札貴銀御報上下
十五
一書色々謹言又恐々謹言共
御宿所於陣所御陣所
有札御報
右之書状等輩に用之
第五五郎許言
進之候
返札御返事
作言脇付なく殿と計書之是を書たれと申也
第六打付事
返札又打付書也
し候也
第七
しとのへ
返札又同返事は書中も書へし
此書様家来其外下々への趣也
一天台真言
恐惶敬白一
二
恐惶頓首二恐惶謹言三
宛所
院号
寺号
し僧正御房
市
脇付
御児御中一尊木下二
御同宿御中三御坊中三
御同宿中同玉床下五
返札
一尊善一尊報一
回答二回報二
一二右字之真行草にて高下可有之
一禅宗長老紫衣分
上に
洋上拝進
上所
一恐惶敬句恐惶頓首二
恐惶謹言ニ
宛所
寺号
院号
し和尚
脇付
一侍衣閣下一侍者禅師一
侍者御中二
返札
なとゝ書て脇付に
侍者閣下共
計も品有事也
又尊答尊報
一西堂右大半可為同前但軽量勿論有之也
一首座分之事前堂後堂可有心得
恐惶謹言
恐惶謹言
不宣敬白
脇付
侍者御中尊床下玉床下
有札
回報豊報御報
宛所
喜公首座
喜土蔵主
僧の諱の二字あるを下を下を下を一字取て書也
右大頼如此雅然其人の信仰に依て一へ有間
敷也軽た不可定候也
一一弘安法式云武家方之書状可認次第料紙を折ても
又半切にても料紙の端より発端の書出迄間三寸
六分恐惶と月日迄三寸六分又向之宛人迄三寸六分
是を三所三六のかねと被定也賞翫の方へは二寸八分也
下輩へは遠く左へよけて書也但書状をかき詰て
奥に白紙無之は法外なり
一一検文単初之間右同前五軽と月日の間も同前也
ウ
書詰て白紙無之は法外也但捨文は奥の折様有
一折置て折初也一折とは笏にて一折なり
尺広サ古は大方壱寸八分あり是程置て折出す也
下輩へは次第にひろく折也対目も縦は夕夕夕夕夕
此封より一字さけて宛人の名を書なり封之長
程向の名さかれなり
一名は中状の下端と同程に書留判は一字下て
書状の下のはつれより下に可有之判形大成は
慮外なり
一書状の中に音に音にて聞候と読によむと其心得
有之縦はよみによむ字を草にかく時は音の時は
必行に書てよみによむ所の文字行程に書
ならは音のよみの所を真に書也
一一書の事一とかく事は前に事なくしては不事也
一書の一字を長書時は其一文字のたけ程又下へ
礼紙を置てかくなり縦は一文字長五郎程あれは
五郎さけて書へし
一五節句其外祝ひの書状は発端より縦は為年頭之
御祝役共打付て発端に手示葉の字不可好也
一主人其人え進上申書状に餘り常に不聞及
●
文体文言努々不可有之但陣中往来は又文言
やはらか成を可嫌なり
一主人貴人え忝事の礼状こま〳〵敷御礼却而過外也
一祝義の状色紙に不可認事色紙は慮外なり
一書状の端書昔は上下共に書事稀也然心安方
なとへ書状の面にて申残たる事有之は追而中に
する事有之追而書は発端の三寸六分の所に二下
書て本書の間迄も書事有之と云々
一追而書のとまり又は追而書書之書状の端にても
以上と計書又返書のとめにも以上と書之儀不
可然なり端書無之状は以上可事返書のとめは
老中乍略と留申儀可有之
一謹上書事近代迄謹上の真行草にて殿の上行
草を定たるなり織田信長公の時代より此法断絶
して当時洋上に殿を略して指を書事世俗の
通法不及是非候以今式正の書状には古例可考之
一僧家に様の字を書事是又古例無之以今様は
有たしきなり
一年号の書様武家は竪紙には事書より一字下ヶ
て末に縦は文禄二年何月日とすくに可書之也
折て書は脇に可付半切も脇付同前也
一弔状に相果と書は二人より上喧嘩なとにて果
を申候
親王同御連枝
他界
御字可有之
将軍大臣
将軍御連枝
を行ゟ
逝去
左大臣
遠行遠去死去随行
下也
遷化出家
一吊状古法より竪紙に書之なり尤文体可有心得
遠路より来れる吊状の返札をは一書致啓上候
然とと可書直に預貴札なとゝ不可書之
一太刀目録寸法之事
図云
進上
大檀氏印此間一寸八分
御太刀一腰
天国
進上
一寸八分
御太刀一腰
此間三寸六分
御馬
粟毛
一匹
三寸六分
此間一寸八分
此間一寸八分御馬一匹
御馬一匹
以上
林右京亮
光政
一寸八分
以上
一持参の人の名字官或は三字或は又長き官なれは馬の
字より以上を少あけて書て上の字の下五分置也
品〳〵其子細有之進上御太刀御馬此三の字頭同通也
大檀紙の時
進上
御太刀
此間壱寸八分但武家は折目を隔て
御太刀
御馬
書之也
此間三寸六分
御馬
以上
一寸八分是も折目を
さかいに書之なり
御馬
以上
馬の字頭の通りに以上の
字頭を可書也以上より五分下[ケ]て持参人の名
字官を書左の方へよせて書也
一太刀目録紙其分限に可致相応なり
一太刀目録に当時持参之人之被官等ゟ或金銀等の
馬代にて右請取候よし裏付を望候是又古無之
天正末文録之比よりもてあつかふなり今川
了俊抜書には太刀目録持参の方ゟ請候刻目録の
右御馬代黄金五千両
右御馬代黄金に
□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□
丁堀
同二匁
約す物こと
丁へ越
内以上と有之へ点をかけて遣と有之当時は末の御馬と
ある脇に代何程と書付と相見えたり然時はうらに
右御目録之趣請取申候訖として年号月か
一宛所此方の判又は人に依て直判も可有之也
一料紙の定法武家は自古近代迄は鳥子を二切に
して書状を認上下翫処也天正文録の比より
世間鳥子の書状大方金除略也料紙長事平侍ゟ
六位の輩迄は杉原等之紙にて奉高人書状之長は
二折にして五寸也五位之面々は五寸五分四位は五寸七分
三位は六寸二分此外一位二位は各別也右弘安之例是也
但了簡可有之也
一拾文事折てかく書状よりは二分程短用也上下
共に竪文は短ク可用なり
一制札高札事
弘安年中異国本朝例有僉議糺明之所也
一制札高札高板に被定儀は漢祖の例有之也
一札之頭を如剣形作之事是亦漢祖大橋の欄干之左
之柱に自筆に軍勢の忠賞の法を令書給例也
一制札之条数は三ヶ条の法也付書は各別也是又漢
祖の例也
一制札板寸法
壱尺三寸
一寸壱分
一雨覆寸法前は七分後は五分
札中地の上七尺五寸五角前はしのき也
一札板竪横の事
数ヶ条にて竪板せはき時は横板にする事
法外之儀也制札右之趣中原大外記秘書有之也
一高札は札之端に定と書出す也制札は札の端に又右
のことく禁制と書出ス也
一掟と書出す事天下の儀已下被相定事を一書
を以被注並紙に書て我家に被置を申也
一法度と書事も有之と見えたり隆然端作り
には可有用捨儀也法度と可書所存候はゝ定と可
有之心又同し法度とは口上に云々也
一一ヶ条の時当分の義計にて書出すは猶以竪板にて
一文字なし中留に可心付大形は者也と留也
一制札高札其外平かなにて書留可有之句の切所
をばつゞかさる様に書はなつ也にごる所はにごりを
つくる事も可有之なり
一札の面に判形の時心得たし判形人の名字官
斗にて実名を除へきより但名字も公方家の
奉行なしは除之書之也下々は各別之義也
一判形有前日付より少左へ寄て可有之
一年号手下也筆初上下口伝有之
一条々と書出す札可有之是も当分之儀に相定と
可心得也
制札高札古案
禁制
一軍勢甲乙人等乱入狼藉事
一猥剪採竹木事付刈田畠作毛事
一相懸非分課役事
右條々堅被停止候訖若有違犯之輩は速
可被廃厳科はや仍下知如件
応安元正月日信濃守藤原判
同古案慈照院殿御代
禁制等持寺
一寺内坊舎押而令奇宿事
一於山林剪採竹木事付刈草事
一於寺中教生之事
右終々堅被停止畢若有違犯之族者忽可感
厳科之由所被仰下也仍執達如件
文安二年三月日
伊勢守藤原判
高札古案同御代
定
一喧嘩口論堅被停止畢有違背之族は不論理非
双方可為斬罪若於荷擔人有之者本人同罪事
一不可有押買狼藉事
一洛中火事出来砌町人と見聞次第可令参出也
一到火所近邊之奉公人奉行人之外不依仁不肖一
切停止自然違背之輩者可為越度事
右条々被定置候跡若別違犯族者可被為
科旨依仰執達如件
年号月日伊勢守藤原判
一知行方目録之事
支配
合力
扶助宛行
扶助
一何国何郡事為相成候事
扶持
今核助
知行
領知
有し状如件
一右金可被仍状如件以此内分別可有之也
よし執達如件
一為領知尾張国以中郡三千貫之所申付候畢
一右全可被所務者也
永禄元十二月朔日御印
目録
信濃国小出村七百貫
互別紙
事右軍忠為加増宛行
畢弥忠節可抽覚悟状如件
年号月日御判
二階堂出雲守とのへ
目録
為支配四百貫
在別紙
一右全可有所務状如件
事
為加増以支配内五百貫宛行平右全可所務者也
古案
亡父任遺言旨本知甲斐国府中領八百八十貫所
永相違有間敷状如件
建武二七月九日御黒印
山形吉内
亡父秋直任譲状之旨本領七百余町但伊豆国
那賀郡内也永相違有間敷所執達如件
尊氏
文保三年三月日
伊豆二郎
右金可被領納状仍如件
駿同国有度郡之内為合力三千貫申付候平
尊氏
文保二年十月日
一連状之事
一今川右兵衛殿
主人貴人の仰にて触状は大形此方之承人の
名判は多分壱人可然なり古案
来十五日御庭前之花被御覧候各可被参
之旨被仰出候也
三月十日伊勢守
一反奉
二反奉
三殿当病御座候
四反奉
忌御座候
五反
人々共可有之
三人へ此方連判之事書中は
月日
殿某判
殿某判
殿某判
上包には
殿
殿
殿
一百文事古案
御手前就被官出入従羽田但州日安到来候
一継紙二帋数七ヶ条候也各加裏判有之候
於理有之者来九日紀刻以前御口上可承候
一如御法双方当人壱人宛可有御参出候通々行之
十月四日
山形長左衛門殿
一過書事
荷物
輿十丁馬四拾疋諸関無
有之
畠山尾州下百人
有之
異儀可被相通候者也仍如件
名字官
年号月日
名乗判
諸関守衆
一宿札事
宝筐院殿義詮の貞治二年御上洛之刻
宿之書様宿札等之認様之事
一御本陣不及記伊勢下野守宿
御弓衆宿
又一手之宿札事大形日限相定候故前後に
め此竪板に可書之也
卯三月十九日
商前に立は慮外也
三月廿七日晩細川陸奥守宿
下宿事
細川陸奥守内秋庭宗左衛門下宿
細川陸奥守内
弓之衆下宿
大概め此也御ノ字は将軍家御直にて無之は
不可用也帳の上には屋渡帳とかくへしと云々
一感状并注文事
是は撰功篇出之故爰には略之
法令
一楠正成陣中法令事
一今度於陣中喧嘩口論其外不依何事
儀事有之割其一軍之中而可決是非
一縦雖一疑雖為親子兄弟自身往訊之儀不及
申不可遣使事
一陣中火事之刻者其陣之外不可消之
一余陣之兵士者帯甲冑備陣所可得御
下知事
一夜討夜軍之事大将無下知者不可掛之
但敷其手先江於寄来者其一陣之大将
可為下知事
一於陣中好遊興愛愛美酒早失狼食者可
為罪過事
一喧嘩口論之儀不可同常時味方敗北之
端也然不徳理非可同自他隠謀罪若於
一方堪忍之輩可与前之所領上半分仕掛
一者罪科右か同事
一不依老弱陣中不義不礼可為喧嘩端事
一陣中不安事怠軍之端也
一陣組之外無用所号音信号参会行他陣
事不嗜武不知兵不心掛之道也存於義者
必可禁之事
一於陣中大酒酔狂之上者可闕大事之場
必可所大罪事
一出陣中食事可同上下別美悪者敗北之
本也
右条々於相違者可同謀叛事穴賢勿怠云々
一武田信玄家出陣之制札五ヶ条
一於陣中火事令出来者当人可為死罪事
一有放馬者自其馬主可出過銭事
一喧嘩口論者双方遠流或可為死罪事
一陣中不浄有之刻従其近方可出過料事
一高鮮小歌大酒禁制事
一家康公小田原陣御軍法
一無下知而指置先手遣物見義可為曲事故事事
一指越先手錐令高名背軍頭之上妻子以下
志可成敗事
一無子細而他之備え相交輩右之者武具馬具共
可取之若其主人及異儀者共以可為曲事
但於用所者打除可通事
一人数押時不可致脇道由兼而堅可申付若
妄於通者其主人可為曲事
一諸事令違背奉行人之差図者可為曲事
一為時使指遣人之申旨少不可違背事
一人数押時小旗鉄炮弓槍定次第奉行相添
可押若妄押者可為曲事
一持検者為軍役之外間指置長柄道持事
堅停止之但長柄之外と持者主人馬廻に可為
一丁事
一於陣所馬取放儀可為曲事
一小荷駄押事兼而可相触催条軍勢不相交様
堅可申付若猥相交軍勢者其者可成敗事
一無下知而男女不可乱取若取之而隠置陣屋者
急度其者之主可改之自然自他相聞其者
為欠落可取敢主人之知行事付数地之家
無下知而先手之者不可放火事
一諸商買押買狼藉堅令停止也若お事有
之族者則可成敗事
一無下知而五令陣払者可為曲事
右條之於違背者日本国中大小神祗有照覧
無用舎可令成敗者也仍如件
天正十八年二月吉日家康御判
一右同時秀吉卿御法度書
禁制
一軍勢甲乙人等乱妨狼藉事
一放火事
一対地下人百姓非分之儀中原事
右條々若於違犯之輩者忽可被所罪科者也
天正十八年正月日秀吉御朱印
一陣中諸法度事
私云陣中の諸法度といふは其家風其大将の
好みに依て相定らるゝ儀なれはたとへ是を
書記すと云共必と云かたし然とも其大概
を顕し置事は人の惑[ニ]なからしめんか
為なり是に随て品々可有其洞色
一諸奉人不撰貴賤専守忠節忠功進退堅
可随大将之御下知事
一一為頭奉行輩若不動組下之差引欲成自己之
功名遂一身之勇誉者兼日可指上其組事
一出軍之行列前駆後乗之次第不可乱之堅
丁守兼日之定法事
一於陣中毎篇不可成血気之我台諸事伺
家老組頭之下知可任其意事
一行軍之間無懈怠自出門心見敵行止可
随約束之金鼓事
一著陣之已後謾離離離離離離離離離離
若不時之出合有之時分不有其場輩者
可為不覚事
一不用頭奉行之下知離役所背軍法輩は
一雖成抜手之功不可致許容事
一於放陣雖視全勝之理蜜致言上其旨趣可
受御下知也若頼已眼之是非而無下知猥挑
戦輩者可為不忠事
一合戦勝利之是非武備謀計之善悪聊不可
加私之批判若有私意相違之義者不撰上下
或用直目安或以家老組頭可致言上事
一夜戦者人之所惑也故兼日堅定其法陣所け々
各守此式変動可相待御下知事
一大事狼藉等有之者如定式於之陣其所
可拒之別陣別所之輩者堅備は不意可待
御下知事
一喧嘩之輩者不可同常時双方可為死罪堪忍
之族者可為忠節事
一酒宴遊興淫乱高声者皆人之所惑也堅
可禁制事
一一於役所敵味方強弱之批判停止事
一或夜会或振舞等之参会者衆談之所喧嘩也
一堅禁制之尤不依老弱無礼緩怠停止事
一自敵方送音物者可致言上其子細事
一陣中食物不可可別上下嘉肴珍味堅禁制之
但非時之食常可有用之事
一手柄高名批判穿鑿可如常式偏領之輩
者可広大科事
一合戦勝利之後乱取禁制之於有御下知如定
式可守其法事
右今度間色而定之各可守其旨者也
一制札事
私言是は陣取之時分制札之場に建置法令也
制札の場には諸人見聞の大法なる憲法を
書付て立置者也乍然其大将の家風
一好みに可依なり
一軍勢甲乙人狼藉事付諸商売押買事
一御定刻限之外無用之往来事
一陣中酒宴高声事
一於陣所放馬輩者可為曲事
一陳々不浄如無之可令掃除事
右之條々於違犯之輩者可虚厳科者也
大形め此也一手に々にては当手の軍勢と可書也
一諸士誓言前書事并大将諸軍を励折て言古案
一御陣中毎篇弥以抽日比之忠義万端不可
致違背御下知事
一所被仰出之御条目御軍法御下知堅不可致
違背事
一対自身高名手柄之儀雖有之対公儀御為
不可然儀者不可致許容事付御下知之儀
於其身当分雖不宜於御為可為思節事者
不顧他人之嘲事
一対諸傍輩雖有私遺恨於御陣中毛頭喧嘩
口論仕出間敷事
一組下之衆御奉公之善悪壱廻之是非尤隆
非我組不可致贔負偏頗事
大形如此の儀を前書に定めて誓詞可申
付や諸軍御下知を守る所は定れる儀なり
といへとも猶以其右心を堅く可致か為に
此誓言を定るなり
古寮北条氏禁出陣前の誓言は内閣篇に出之
源君家康公小田原御陣御誓言の御法令
前に至之
今度無二可為一戦条抛身命可被走廻候
一於遂本意者恩賞者戦功次第可任望候
所無偽八幡大菩薩可有照覧はや仍
状如件
元亀二年辛未正月七日氏政判
一守城法令
小倉内蔵助殿
一城内持口之諸手器械用具等無油断金用意
従数之手段可拒之事
一面々之持口無懈怠致順見考士卒之勇怯可加
下知事
一門戸之勤番相札相談相詞常々加吟味不可怠事
一従部方急難放鉄砲射弓持口之兵士謾不可
取合考遠近察用無用而可加下知事
〇一持口之足軽并兵士等陰陽之心得可有之尤積
一地形之広狭依城郭之堅不除而可置兵士事
一敵縦到于屏下雖挑戦必不周章可加下知
一周章則矢利事
一数以火箭焼門構之謀可有之必無懈怠出
遠望可察之事
一従歒方内通別心之事於通来速可告其旨
於大将必以自身之分別不可成通答事
一一故若夜進進而難割城辺持口不可用焼火
一続松寂宗可鮮事付投続松者各別事
一一敵待夜陰武替奇口或詰仕寄等之謀可有之
夜候無油断可守之事
一城中央火有之刻如常式以其手遊兵丁消除
之別郭并本城之衆猥閉門戸而不可往来事
一手城内出兵士而或防戦或追討敵之事堅禁
法之兆必勝之利漫挑戦者可為大科事
一蔵書落文等有之速可指上之事
一其手之内之兵士之為体有疑惑之様子輩者
速追捕之而可請下知事
一人質郭之辺無子細而往来之族堅林国法之事
一城内兵粮用水等如兼る式法可守之事
一食物不可分上下若参会談話之節者各推の一
飯草可愛亭主之奔走事
一乱舞博奕酒宴遊興高声に歌禁法事
一怪異不思儀之巷説堅停止事
一於守法存寄所少も無遠慮不顧上下可告
上於理之至極者可有許容事
一喧嘩口論之定如常式事
右之定法若違犯之談可処重科
大方か此之儀を可定守城之法度といふて
別ニ替ル事不可有常々法令をうけて
其時に至りて用捨あるへし
定
是は駿州之城牧落左衛門大夫を
指置時分之古案也
一城内之用心幷門戸之番号三度夜五度可被相改事
一諸城戸今日酉刻酉翌日辰巳両刻之間可開之事
十一
一駿州衆惣而城内之出入分別之外に候就中本城に
不断先方衆居住堅禁之候但於無拠用所々
人は昼計可出入是亦不可過十人候従酉刻
明巳刻迄は一切本城え先方衆出入堅禁制之事
付
有此旨無思慮有有出入之輩者可為罪科事
一他人之同心被官相頼候共不可有許容候但奇親
当主人え深令納得者甲府江可被得内儀事
一其方直之被官之外縦雖有重科信玄不被得
下知而為私不可被行法度事
一金吾知行分之外に盗賊謀謀叛殺害罪科以下之
糺明之儀久能之当在城衆可有談合事
付
卯十一月十一日月十一月廿一日同十一月十一日月十一月十一月廿一日
法度可被行所可定傍示之事
一三之曲輪に被作家当国衆参会尤之事
一毎日金吾自身諸曲輪有巡見屏築地尺木
破損之所可有耳興事
一一数取懸之砌必城外之防我禁止之候於堀際
可決勝負事
一在城衆并番手衆根城外徘徊堅停止事
一大酒禁法之事
十一
付
一同刻在城之貴賤之外猥不食餅飯事
一人質之書不可有疎略事
一於乱舞博奕之輩者可加成敗事
一在城并番手衆之貴賤具足甲手蓋脛楯
弓鉄砲小旗指物等節々可被相改事
已上
永禄十二年乙巳四月十九日
左衛門大夫殿邑は信玄別服之舎弟也
一
府川川
武備第十二
撰功
同同兵法神武雄備集
月十九才
ふ
□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□
也
□□□□□□□
兵法神武雄備集武備第十二
撰功
目録
一高名六段の事
一しるしの穿鑿十ケ条之事
一手柄武功品々二十ヶ條之事
一城攻手柄七ヶ条之事
一手負せんさく五ヶ条之事
一手柄上中下三段の事
一頭帳可認作法之事
一手負注文之事
一感状認様三ヶ条之事
一同古案之事
□□□□□□□
一兵法神武備集武備第十二
撰功俗曰手柄穿鑿
撰功
○功名六段の事
一一番鑓の事
私曰教味方の備の間二町計にして両陳互に鉄砲軍
始り次第に間近かに成てすでに一町の内外に
成時鉄炮せり合甚しけく成互にすゝ見寄備の間
三十間計に成たる時敵味方の弓鉄砲長柄入交り
剛者は進み法者は退くめ此時には其間僅に七八歩
ならではなし其時は何ほこ矢形に成てたとへば
俗ニハ是ヲ
此節侍大将并組頭武者
剣の先のことし
一ヘノ字形ト云〻
乗まはし〳〵かゝれ〳〵と下知すといへ共左右互に
相にらんで暫く不進と云々其時則諸勢を抜出て
鑓を合するを一番鑓と云也忠功と云勇といひ
智といひ英雄の武士と名付へし爰を以弓矢
手柄のせんさくに及ては是を一番鑓の功名と号し
て其粉骨他に異成とする成へし
二弐番鑓の事
私曰弐番鑓と云は一番鑓の始り鑓下鑓脇をつ
むるものあれ共いまた指続て鑓をいるゝ者なく
相互ににらんて進に得ざる時一番鑓に差加はりて
鑓を入る是を二番と云なり一番鑓に続たる
功名成へけれはなり
凡一番鑓二番鑓共に縦は敵と鑓を不合敵をうたず共
是を一番鑓二番鑓と云へし其故は勝負の義その
しほ合に依て鑓を合する事不叶敵を撃事
ならさる事あるものなり其志は敵出は鑓を合
せ様子よくは敵を可打儀勿論なり故にめ此いへり
手柄の事只その心根をせんさく仕ルかゆへなり
又曰三番鑓と云は敵剛強にして崩色付さる時有之
事也しからは四番鑓と云も有へし然共当流に
之所は二番鑓迄を用ひ来れる也大概二番鑓にて
惣勢かゝり合なり
三鑓下の功名の事
私曰是は志の武士鑓を不持して一番鑓の始[ル]とひ
としく此うしろ詰を仕り一番鑓二番鑓の下にて
敵を撃事有之是を鑓下の功名と云也
四鑓脇の事
一私曰鑓脇と云は一番鑓の衆鑓をあわする脇へ
太刀或は弓或鉄砲を以て詰一番鑓を丈夫に
あわさする是を銭脇の功名といふ也せんさく大形
二番鑓にひとし子細は此人鑓をもたば二番鑓ニ
成へし其上鑓脇なくては鑓を合する事は難け
もの也但鐘脇を云に三段の品有之
第一刀鑓脇いふ心は刀を以て鑓脇をつむる事
色しくて敵の軍勢手を負ひ或は味方武士打
死の首をあくる共勝負よろしかるへし故に
第一とする也
㐧二弓鑓脇㐧三鉄砲鑓脇いふ心は短兵を横たへ
居分鑓脇よりも弓を以鑓脇を詰るは詰よき也
然とも放すゝまんとせは可射落と見ゆる所へは
敵も出にくゝ味方の鑓合よし又弓ゟ鉄炮を以て
鑓脇を詰たる時は敵の気遣身方の鑓合可宜
此断を以て二三と定[ル]め此強弱分明に
穿鑿可相究なり
五場中の勝負同高名の事
私曰場中の勝負と云は右のことく一番鑓二番
鑓始り敵身方共に互に二騎三騎ばかり出合て
鑓を入ル時味方備の中ゟ鑓下又は鑓脇の衆
其外にも剛強の勇士進出太刀にて勝負を
決する是を場中の勝負と云也敵味方共に数万の
軍勢互にかたづを飲て花やか成勝負合なるが
ゆへ少のけちめあり共是を隠す事ならす故に
場中と云是は縦敵を一刀切て七はしくは先引
込共場中の勝負の中なり
場中の高名と云は右の場中に於て能武士と勝
負を決して是を打取事なり又曰場中の
高名と云は敵はよく共あしく共又は敵の打死したる
首を取白世者を打も高名と云へき也必能
武士甲付なとに不可限縦死人をあけても可為
同意又曰場中の人と云あり是は敵味方互に少宛
進み出て三十間計にて弓を射鉄炮をたせ次第に
進んて十四五間計に成て数身方共に能武士備ゟ
四五間程出て弓を射鉄砲を打事数味方共に有
是を場中の人と云なるへし
六崩し際の高名の事
私曰崩し際の勝負高名と云は右のことき二番鑓合て
場中の勝負始りすてに弱き方に崩色付敗軍
に見ゆる時進み出て鑓をあわせば其鑓一本にて
崩たることく見ゆへし其上崩し際へかゝりたる
時数強く手こたへして鑓をあわさする事もある
へきなれば是又高名なり
又曰味方の備に崩色付敗軍の時跡に立とまつて
鑓を合する是又崩れ際の高名と云或は又敵に
依見崩れの数にも其様子に依て此勝負と
云はありせんさくに云崩し際の高名は二番鑓
にひとしと云々
○しるしの穿鑿拾ケ条之事
一初首
私曰大合戦いまた是な〳〵て先衆足軽迫合の時
教を討歟或は大合戦の場にて弓鉄炮の七り合の時
敵の内ゟ進み出て弓を射かけ鉄炮をうちかけ
仕る武士手を負て場所急なれは其場にころび
居或は打死の時も弓鉄砲をいとひて引かくる事
ならさるを身方の中ゟ其首を取是よき高名
として初首と云也是を以て勝負の吉凶を見るに
用る也其故は敵の内にて抜出て鑓の口を切たる
者成かゆへ也猶委細口伝
一しるしの事
私曰是は追崩して後に人を討て首を捕たるを
しるしと云子細は今日の合戦に定たる高名の外
其者に身の働の跡には不居涯分かせぎて走廻
たるしるしに追首なれとも是を持参せると云の
心にてめ此但此首には其品手柄の様子證捕を
たゝす事干要なり世間にはおして是を
高名といふいかゝとあるへき事也
三冑つき
私曰かぶと付といふは追首のしるしの内に能武士の
首を取たるを書付と云也但そのせんさく有へし
四女首
私云女首と云は大合戦又は城責なとの時放敗軍歟
城落て尽く撫切に致ことく成時女童雑人た
をれ者又は味方打死なとの首を捕鼻をかき日
帯に及て頭奉行へ持参致し高名手柄に
そなゆる是を女首と定る也
五作首
私云作り首と云は夫嵐子雑人なとの首を取て
髪を結直しけしやうを致て敵の捨たる冑をひ
ろい或はふるき冑を用意して右の首を入て
来り高名帳にのり能武士を討たると云軽薄の
侍め此是を作首と云め斯首は必合戦おわりて後
首帳既に認りたる跡へおそく欠付て頭奉行へ
ことはるもの也
六病首
私曰是は大合戦に人を討はくれたる軽薄の武士
既に首帳認りて後に日暮に及ふ歟夜に入て
證據なき首を取来る是を病首と云子細は此者
一敵の陣中城中なとに長煩を仕り陣前へ出る
事ならさる歟はやり疫病に取つかれて病死
致たる者負軍にて味方に捨られてあるを
放逃のひて後陣中へ入て跡をさかして首をとり
来ル是を高名にいれん為に致す是病首なり
縦は病人にあらす共小笹原藪の陰に腰ぬけ
夫嵐子なと気を取失ひて逃かゝ見て居を
打て来ルを病首取と云なるへし
古老侍曰河中嶋合戦の時は戌亥の時に首帳語り
恐れとも信玄近代の良将故にめ此首なかり
けると云々
七十指首
一私曰ひろい首と云は大閤戦の乱たる時味方剛強の
勇士有て敵身方の間に手を負て居る死して
居る敵の首は不取して引取敢へ甚しく付能武士
を撰て打んとかせき捨て通る事あり然るに
其人に続て行みかたのさきへは不行而跡にて
心安右の首を取是を撥首と云やいふ心は先の
勇士捨置たるを跡にてとるかゆへ也
穿鑿に曰ひろい首仕ル者其身上先へ行武士と
不同歟或はかち者小者共歩武者なとなしは能心
ばせとすへし先へすゝむ侍とひとしき年比并
身上ならはにぶき働と是を定むへきなり
八追首
私曰是は大閤戦長追の時討取たるを押なへて追首と
兵へし但様子に依て討たる者の刀脇指を取首に
添て来る者なり尤昔の様子計にて可知之と
いへ共其侍かせきに念を入来るゆへすくれて
見ゆるものなり
九鼻をかく事
私曰大閤戦に禁之但場中の勝負にして場所せ
はしく小者若裳もつゝかすして先をかせくゆへ
首を荷ふにたへさる時は鼻をかゝき具足の胸
板に入て可然也子細は数味方共に證人おほき
かゆへなり
十拾首
一私曰捨首と云は場所急にして首をうち捨に致し
たる歟或は小者若煮つゝかさるゆへ是をもたせ
られずに捨る事有是は証人あらは尤不可苦追首
なとに証人なくてはせんさくなりかたかるへし
手柄武功之品々廿ケ条之事
一犬鎗の事
古老伝曰犬徳と云は屏越幕こし垣こし溝越
築地こしなりと云々
私曰右の五ヶ条是を犬鑓と云なるへし但鑓に
あらさるにはあらす鑓とは云へからす故いかんと
なれは此五ヶ所のない何も甚敷勝負に非ヌ其上
間一重隔たる鑓なれば間の隔れるを互に便に
致して鑓を仕る事成よし凡武勇の高名は
其志を以上とす故に鑓と云は以前にしるす所の
外をは是を云へからす右の外に放敗軍にして
其内より五人拾人かたまり退所へ追付て鑓を
致も犬鑓也又城なとを遠まきして設備を
小口ゟ出したる刻押詰て鑓を致も真の鑓に
あらす但是は其様子に依てさたまりの鑓も有
へしめ斯能せんさくを可分なり
二拂鑓の事
私曰是は堀こし屏こしに投突に致鑓をはらひの
鑓と云是二度の勝負を不知して一篇に取て致
か故鑓と定へき品にあらす大方はあはてゝ致
事成へし是も又其品に依へし
三馬上の鑓の事
私曰是も真の鑓にはあらす子細は馬上は敵を
追時歟味方崩れ付たる時の事なれは真の勝
負に非す爰を以犬鑓に比すへし
四敵身方出合て致鑓の事
私曰よき足場にて敵も五騎七騎身方も五騎
七騎計出合備よりは廿間卅間計隔り鑓にて
たゝき合是又本の鑓といふへからす同勢相続て
跡にあるがゆへ先衆の鑓仕る事心やすかるへけ
れはなるへし
五組撃の事
私曰くみうちと云は是も其品定かたし様子に依
場中の勝負にも可有之尤追討の時分にも有之
是は抜出たる勇士にあらされは不叶事なれは
様子に随ひ高名と云ても不苦也
六散の大将を打取事
私曰是を冥加の侍と云也子細は千万人に勝れ
弓矢を取ての冥加何事か可過之縦は手柄高
名をなして一二前後をあらそふ事は勇士は
必心懸成事也といへともめ此の事は希有の義
なるかゆへに別而是を貴ふ也其上合戦の勝負
いくはくの勇士粉骨を尽して成といへとも
敗軍致す時は将の誤とし勝利あれは是を将の
徳とすしかれは勝負必大将一人の覚悟に究るその
源との大将をうちたるは雑首とはひとしく論す
へからさる也打たる侍共かせきやふにもよらず唯天
の与る所なれは是を冥加の侍といふなるへし
又曰将をうつ事縦討死ありたる所へ行ても又はおくれ
口甚しくて引取給ふ所へ付と云共既に大将と
言上は志ある勇士是に付奉り恩を得たる家来は
死を忘て相したかふ人数たとへすくなく共五騎
拾騎計も付随ふへけれは扨は此云也
七追首に再拝を流る事
一私曰是亦よき高名也子細は再拝を持は士大将穴寿頭
足軽大将其外者頭物奉行也然ルにめ此の頭奉行
へは縦惣軍敗北なりと云共被官不付事はなし
其上負て敗軍の方へは届たる下人は先途を
見届んと付寄子は義を存して是に付勝て
追行かなたは馬を引寄早乗つかんと駿馬に一鞭
をかゞが故下人大かた壱人もしたかはぬもの也
其身退よくして馬上おほく持たる者も面〳〵に
かせき大方一所にはなきゆへ追首の時分は独働也
爰をせんき致して是を高名といふなり
八身衆へ付事
私曰是は味方勝利の時分敵を追討に敗軍の
内にて勇猛の士まん丸に成て本道を静に
十騎廿騎計退時其跡を慕て付を見しゆへ
付といふなり是は縦は人をうたすと云共其様子
見事なれは首尾よき言葉をかはし振廻よきに
おゐてはほまれ成へし
参行吉田の商城せり合に山縣内王科孕石は
こほれ者を討広瀬は人をうたされとも実店へ
付けるか故武田信玄別而広瀬を召御喉輪を
はつし給ひ当座の引出物に給けると云々
九こぼれものを討事
私曰是は城攻大合戦なとの時未甚しき合戦はあら
すと云共敵味方共に互にいさみ一度二度計七り
合有て追詰追出され致。事切に有物なり其時
敵の人数みかた付たるに味方には胴勢つゝける
ゆへ敵の備の内よわり足早に退刻勝負始り
道の脇なとへ五人三人下みあを者こほれかゝる
是を討をこほれ者を討と云也又は敵の働勢
味方に急につかれて本道へまるく退事ならず
二騎三騎五騎十騎脇へこほれかゝるを別所に而
討をもこほれ者をうつと云高名のさたまれる
品にはあしされ共是又ほまれ也
十負軍の時我大将并我頭奉行へ能付事付馬を
差上たる事
私曰下として主に従ひこれと可死丁生致すは
常に相定れる事也況や危難に望て日比の
恩貴を不忘別る義理を存し主君并我頭
奉行の行末を見届ん為に能付事あるは
勇士の本意也然とも世僥季に及て下として
上を侮り恩を思ひ情を感するは稀也爰を以
一入是をほまれとさたむるなりめ此者は急に
望んては自立留て拒矢を射或は身をなけ
うつて君を落延御する事多し殊更乗馬
手を負歟又は草臥て不得近時は我馬を奉り
替ゆる是又同しほまれなり
三州長篠合戦之刻勝類の乗馬草臥たるに
笠井肥後守と云勇士我馬をまいらせて其身は
歩立て跡にさかり終に討死仕りけるめ此事
皆こゝろさし深き誉成へし
十一はけしき場に於て味方の能武士手負て退かぬるを
引かけ退事附同打死の首をあくる事
私曰是又能ほまれ也敵味方互に備弓鉄炮はけ
しき場にては此能武士打死を役歟手負て倒
居ルをは敵方ゟ討とらんと勇士進め共場所は
けしくてふけを抜出て敵にうたせず引かけ
退事大なる心はせ也大概場中の勝負に準
へし尤城下に於て弓鉄砲はけしきに者頭
物奉行なと討死仕りたるを首をあけて
刀脇指指添て持帰る事又は其死たる侍の
家来差つゝかば下知をして右之通に仕するも
大剛の勇士也殊に虎口脇なとゟ敵追出るに
め此は猶以剛強の働と云へし
上州箕輪の城にて山県三郎兵衛法福寺口へ
一仕音を結けるに同心猪子才蔵と云勇士用人也
牢人也
城際へ急に付胴を討ぬかれ其場にたをれ
居たるを中ゟ首をとらんとすでにあげ
じやうを払ひらきついて出たるを斗科
作森は敵をおさへて鑓をあはせ広瀬四左衛門は
才蔵を引かけ五六間跡へしさり引に引て猪子か
彼官に相渡し又城際へ立帰り二番鑓を合せ
たり此時広瀬王科に御加恩五貫御感状被指
添佐玄自被下たるに感状の文章広瀬は
身蔵は痛手也といへとも
王科ゟ上なりけると云々
不死広瀬と王科とはいとこ也
又長篠合戦小山県か首を家来志村又右衛門といふもの
揚て来れる是又よきてからなりと云々
十二おくれ口に指物を落し取て帰る事
私曰是又能ほまれ也敗軍の時分には味方の
者は敵を鬼神のことく存一足も先をかせきて
退事花の事也然るに指物を落しては指物は
己か走[リ]廻の印なれは数方へとられ人口の嘲に
乗らん事を憚り必死を心にきわめ立帰て
是を取は勝たる勇士にあらすんは叶かたかな
へし爰を以ほまれと定ル也殊に指物をひろ
いたる敵を討て首を添て来るを功とす
大概鑓下に准之
又曰人こゝろに念ある歟恥をあたへられては憤る所の
志世間の習也爰を以差物を落し母衣絹をとられ
冑をとられなと致たる武士は別而其志他人に
すくるへき歟然は敵方へ働入て是を取かへしたると
一云共又自余の高名と一ツに論しかたかるへし
十三後駆の事
私曰しんかりと云は大合戦に放みかた敗軍の時諸
軍の跡にさかる事也尤味方源入の時敵につか
れて静に退是又しんかりなり或は又城責
に城を巻ほくし引上ル則敦急にしたふ事
有之時のしんかり或は商城なとを敗り引時も
しんかり可有之いつれも広大成誉成かゆへ
大概一番鑓に准之子細はかゝな時と引時の人数
其強弱を考えるにかゝる時強さかんに引時弱く
にぶし故に弱き時分一人抜出て備の跡にさかり
敵につかれても不動静にしんかりをして其
振見事なるはつよみはるかにまさるへし但一番
鑓は敵味方相すゝまず互にかゝれ〳〵と下知しき
り成時分諸卒に抜出て相すむ是忠義勇猛
ふたつなから益そなはりたるゆへ是に増たる
軍功不可有と相定る故しんかりをは二番鑓にも
ひとしとす勿論後駆の侍深手を負る子細
ありて跡にさかる事可有之此所を可有分別
尚退時幾度も返す事
私曰退口あしくなく敵つかば立とまりて鑓を合
せんとき度もふり返りてしさり引に致はその
振舞見事成へし況やかへし合能言葉をつ
かひ少も越度なき様に尋常にと嗜む是又
其人の心を難計魚深くして心はせ丁ほ成へし
十五敵敗軍之刻五拾百計引まとひ退を跡をしたひ突乱
しあるひは討取事是又仕にくきほまれ也
私口場中の勝負に准之
共作り武邊の事
私曰人を打たるとて是廻りの振を致し我太刀に
我と切込を致し差物を切さき甲に跡を付其外
種々の作り事を致す奉公人是を作り武変と云
軽薄第一尤臆病の至なるへしめ此者には其
手柄其働証拠なきもの也手柄の義正しから
御家はせんさく成かたし
十七家職を勤たるを上とすへき事
私曰侍の品それ〳〵にわかれて頭奉行一己の侍
足軽歩武者其役義あれば役義を勤たるを
手柄とする也縦は鉄砲は敵を遠而討道具なれは
いかはかり弱兵たり共二町三町の間を置ては
是をうつへし刀は身近き勝負間三尺にさされは
至て勇にふ有しては難用鉄砲と刀との勝負は
不及論刀の勝負を上と致へけれ共弓鉄炮の
足軽我預りの道具を捨て刀を以て働とせは
是を手柄と致すへき哉先弓鉄砲を以て上
とし刀を以て下と致してせん御く可致万事
手柄の義め此に吟味仕るへしといへり爰を以
此本文をかくたり
十八役所相違のしたる手柄の事
私曰役所相違と云は譬は二ノ手の備衆一の手の備衆一の手の一の一の手の手行て
覚を致し後備衆先手へ行て事を致こときを
役所相違と云也尤先手へ使に行付候に出ての
顔は不及言各別の義也如此主命に非して或は
我頭奉行の役所をはなれ他の陣他の備に居
事に逢たるをはせんさくに不入手柄と致へ
からす子細は故なく備を横行し頭奉行ない
かしろに致し軍法を失ひ本意をしらす其
いはれは我若他の陣に有合内本陣に於て何
一様の不意なる儀も有へししからは頭奉行と
一所に進み一所に進み一所に退て頭を全くたもつ事
あるへきに不然事是兵法に背く者也若め此を
覚なりといためは後陣にひかゆる勇士はいつ
れも有へからす此ことはりを分別してそのせん
さくを致へし
十九場をはづしたる事
私曰場をはづすと云は主命にあらず子細なく
して事前に我陣をはなれ他の役所に行
其跡にて我本備にてたゝかひある時首尾を
あはせさるを場を逃と云也尤其場に居合ても
首尾をあわせさる事時の仕合なるに役所を
はなれて事にあはさるは大なる趣度たるへし
臆病の内に定て妻は別巻に出之
二十ぬけかけの事
私曰ぬけかけと云は大合戦城責なとの刻大将ゟ
軍法の掟有て下知なくして城へ付へからす
敵方へ不可進と相触られし刻諸軍を出ぬき
一人の高名をたてん為独立て城際へ詰
一人立て敵陣へ進む是を抜かけと云也是を抜かけと云也是
軍法やふるゝの本なれは兵法に大に禁之
若如此族あらば則其場に於て罸之軍中に
唱へしゆるかせにする事なかれ
或人曰抜かけ也と云共其首尾見事にして
或は一番に鑓を合一番に敵城へ付其功を全く
致におゐては是を賞翫致義勿論たるへき歟
答曰人の勇功に前後の品を定め甲乙をわくる
事将の慎所也然ルに勇と忠と知と知と義と四の
徳兼備するを以其功第一と相定武功の内に
対陣の一番鑓を有功の専一とする事此四徳
を以論するがゆへなり女何となれは三軍相
にらんて兵士不進将しきりに下知をして人の
すゝまん事を論すれとも一夫もすゝむ事を
不得時一番に進み出る是勇猛と云へし
一番にすゝむ事大将の下知を守諸軍に
勇をはけまし鑓の口をあけ続て勝負を
始るなれは万人を働メ志なるがゆへ是を忠節と
一兵へし進退宜に叶其節を不失知と云にあら
すや義に臨て命を塵芥に軽んし志を
金鉄よりもかたくす義と云へしめ此の四徳
相備か故に古今の良将大に是を誉とす又
抜かけと云はたとへは一番鑓と云一番乗と云共
此四徳に於て不全所あり子細は大将軍機を
計堅く法を立て不可進と禁するかゆへ勇士
うなたれて下知を待其透間を伺てひそうに
ぬき出是真の勇と云へからす法を破り上を
侮り戒を不守は忠節といふへからす進退度を
失ふは知を得たりといふへからす己か一己の功を
立ん事を願ひ国家の大禁を犯す事義に
応せりと云がたし此四徳を違時は天下の大賊
何人か過之哉然るに将迷て是を賞する時は
盗を崇敬あるにひとし法は一世の為に非す
万代不変の掟なれは一夫の勇をおしみて国家
の戒を忘んや孔明は涙を押へて是を殺し
異子は是を立所に害す武将のつゝしむへき
事ともなり
○城の手柄七ケ条之事
一一番鑓に一番乗を准すへき事
私曰惣勢城を取巻て責時其手ゟ一番に城へ
乗込たる是を一番乗と云也是又城攻平場
共に一番鑓に同前也但城は大かた四方ゟ乗もの
なれば一備〳〵に一番乗と云は有へししからはその
手柄にも場所に依て甲乙の品有へし爰を
寛政四寛鑿致へし其後考城の普請小口の
様子を能わきまへ内に拒放すくなきをは第二と
定へし帯請不堅固にして早速破へき所
には守散多し故に是を一と云なるへし
二城を巻ほくしたる時跡にさかる事
私曰是はしんかりに准之かゝる時には惣人数
一同に続て跡に同勢あるもの也引時は英雄の
勇士に非しては跡にはさがらさるもの也其上部の
弓矢強きゆへに其城を巻ほくしたるなれは
前に記せる深働の後駆同意たるへし
三虎口乗を一とす但大手也
四かゝめての小口乗を第二とする也
五小口の外ひらへかゝりたるを三と可定事
六小口際の勝負の事
七城の弱手へ付たる事
私曰大かため此に相定めてせんさく可致なり
〇手負の穿鑿五ケ條之事
一大合戦小迫合城責三段の場所にて鑓刀或弓鉄炮
にて深手を負は抜出たる勇士のわざ也尤向疵之事
二後疵是又そしるべからす子細は敲を組臥せ味方つゝ
かざるに敵方続て上ゟ切ル事有是一扨又穀城近ク
寄て人数をあぐるとて後をうたる事有
但是は
設間遠く
二町斗にてこし矢
にあたるなり
是二先備あるに後備にて後疵おふもの有
是もこし矢也是三め此せんさく致へき也
三切に武辺走廻りなと有之て手疵を賞は其手柄
証人あるへからす大概虚言たるへし甲州家
馬場美濃守数廻の武功ありといへとも終に手疵
無之是又万人にすくれたる冥加の武士なれは
例と致かたし
四下人を成敗いたし或は仕物なとの時手負事多き
もの也是をそしる事大成無穿鑿也日比下人
被官たりと云共死の期に至ては高下有へからすめ此
働に於ては打物手疵を負事勿論たるへし
五剱術をつかふ者の仕合の手疵鑓つかひの鑓疵是又
右同前にそしるへからす時の仕あわせに依疵を蒙るもの也
畢竟勝負に勝を以上とするゆへ也
手柄上中下三段の事
一人数をつかひ預りの組を引まわしかけ引を
自由に致して教を退けしむるの手柄
是を上とするなり
二戦の場を見切手立の様子を考敦の人数を見積り
苦悪のひはんを申て其理に相応するを中とす
三鑓を合人をうち能キ詞をつかひ振見事にして
様子人にすくれたるを下とす
私曰是は其人に依て可相定法也
○首帳丁認作法之事
一首一とひとつの字をは脇に可付之首の名をは
ちいさく討取たる人をは大文字にかくへし
二貴人高位の首をは奥にかくへし奥を以あがりとす
三一番首ゟ十番首迄次第を前後して可記十番
已後は次第不同なかへし但当流には五番迄をかく
といへり大将の好に依へし
図曰
康安二年九月六日於近江蒲生郷一戦之刻討捕
刻限をも可書と云々
首目録
鑓下
萩嶋九郎
一番頭
遠里伊賀守討捕之
鑓脇
土岐次兵衛
松下内記討捕之
二番頭
不破茂兵衛
一三番頭不破茂兵衛鈴木新五郎討捕之
吉田加介
四番頬
山岡宗五郎討捕之
小川甚左衛門
五番頭小川甚左衛門鹿生伝兵衛討捕之
首二蓑田又兵衛討捕之
首秋田新左衛門尉討捕之
如斯いか程もかく也うたれたる者の家名実名
こまりに不可書尤少輔尉匠なと不弁奥に
已上と不可留何千何百余此内生捕何程追討
不知其数とかくへし大将頭奉行には頭の字
常は首の字なりといへり
○手負注文之事
一去霜月十六日於桂川口手負注文之事
二ケ所
一左之肩刀疵二ヶ所名字官
右之腕鑓疵壱ヶ所同
左之股矢疵二ヶ所同
以上
めひかくへし切疵突疵射疵と三段にかくへし
打死をははしに書付へしと云々
○感状書様三ケ条
一上の御感状たとへば
去廿五日於駿州久能辺御合戦之刻無比類走廻
特能鑓被仕之粉骨之至不可勝斗今度之
御勝利併法貴殿勲功之事業歟仍為御感所
領千貫被完行之至後日弥可致演説之状如此
恐々つて
亨禄二年
四月二日御判形
岡備前守とのへ
二中の御感状はたとへは
去十六日於山崎合戦走廻之上能首被討捕之条
尤神妙之至被為感入候由黄金拾枚被下置之
弥可被抽忠節者也
年号月日御判形
某とのへ
三下の御感状はたとへは
今度於肥州熊本表首一被討捕之旨達
上聞御感被思召候就其呉服弐袋被下置之
弥走廻可相嗜者也
年号月日御判形
我とのへ
大方め此に認み其品に相応して用捨か有
弓にての手柄には能矢被仕と書鉄炮をは能
鉄砲被致と可書由伝来れり然も可有事共也
一古案
今度於参州安城及度々能失仕殊十一月八日追手
一木戸焼崩無比類働感悦之玉也并廿三日
上野南端城於大手能矢仕最前城中え乗入
お本城門際畫粉骨之条神妙也弥可抽
忠功之状如件
天文十八
十二月廿三日義元在判之
井気多七郎殿
今度越国出張之儀炎天如待雷雨併千人
従推門不如一人抜関
年号月日輝虎在判
河田豊前守とのへ
近年到駿遠両国出陣謂勤労謂右節
不知所謝候今度高天神属手台之上者
当国静謐眼前之条山口之内五百貫停見
相渡候猶随勝頼本意可重領知者也仍如件
天正二年甲戌七月十八日勝頼在判
一和田兵衛大夫とのへ
今度三七殿依謀叛濃州大垣令居陣所柴田
修理宛至柳瀬表罷出之条為可及一戦一騎
懸馳向其所心を餘に付早遂付秀吉出眼前
一合一番鑓其働無比類候為其褒美三千石
充行訖弥向後奉公之地忠勤可遣領知者や
ゆめ件
天正十一年六月五日秀吉在判
脇坂甚内とのへ
今度摂州於大坂穢多崎并仙波両所端粉骨
一励軍忠之条無比類働感覚候依之任松平者や
慶長十九
正月十一日家康公御在判
松平阿波守とのへ
去永禄五年十一月五日本庄一類討果之時人
一体越中守事討捕之候誠粉骨之段無比類
感悦此事候仍状如件
輝元判
永禄十年四月九日
元就判
井上又左衛門殿
去朔日当国佐西郡厳島嶋陶陣山斬罪之時
敵一人討捕之粉骨之至無比類候誠神妙之
しや仍成状如件
天文二十四年十月廿日隆景判
井上又左衛門殿
十一
狩り山羽
武備第十三
兵占
同同同兵法神武雄備集
河
下
九
一同兵法神武雄備集武備第十三
兵占目録
一日古事
一時占事
一方角占事
一棟占事
兵法神武雄備集武備第十三
兵占付雑占
○日取
一進發吉日
春庚辛日夏壬癸日秋丙丁日冬戌巳日土用甲乙日
私云是は往て敵を打に用る日取也相剋相生を
考て可知之なり
二制尅日
甲乙丑未庚戌丙丁申酉庚辛寅卯壬癸巳午戌巳亥子
私曰是は上ゟ下を討日也干より支を尅するか故なり
三代封日
甲乙申酉丙丁亥子庚辛巳午戊巳寅卯壬癸亥辰戌
私曰是は下ゟ上に勝日なり支より干を封す
四臆病日
子己寅未辰酉午亥申丑戌卯
私曰正月より始め十二月に至ル也此日必兵具に
手を不可付也と云〻
五返報日
寅巳申亥卯午酉子辰未戌丑
私曰正月ゟ十二月に至る此日敵の首味方の大将
に見すへからすと云々
六廿八宿日取
室奎鬼軫角女空体より出生するが故に木性の
星と云也万事に可用但女宿凶
参柳氏心尾妻亢大体より出生するが故に火性の
星といふ也専らに武士道に用之千倍日と云也
壁畢斗虚危土体より出生するが故に土性の星と云也
胃星張箕風体より出生するか故に金性の星と云也
昴嘴井翼房水体より出生するゆへに水性の星と云也
図云
七周丈王団扇日取
上順下逆五々六口伝
私曰是は周文王太公に伝受ましませし日取の大
事也と云伝へたり上十五日は順にくり十六日ゟ逆に
くるゆへに上順下逆五々六とは云也此外別に習なし
委くは図に出之
図云
八周武王懸待日取
正月先勝一日二日三日七日八日九日十二日十三日十五日
十六日十八日十九日廿二日廿三日廿四日廿八日廿九日晦日
先勝也此外は先負也こしへて勝也
二月光勝一日二日五日六日八日十一日十二日十三日十八日十九日
廿日廿三日廿五日廿六日廿九日晦日
三月先勝三日四日六日九日十日十一日十五日十六日廿日
廿一日廿五日廿七日廿八日
四月先勝朔日二日四日七日八日九日十三日十八日廿二日
廿三日廿四日廿七日廿七日廿七日廿九日晦日
五月先勝二日五日六日七日十一日十四日十七日廿日廿四日廿五日廿六日廿九日
六月先勝二日三日四日八日十一日十一日十四日十五日十六日十七日
十八日廿日廿八日廿日廿日廿八日廿八日廿八日廿八日廿八日廿九日
七月先勝一日二日六日九日十一日十二日十三日十四日十七日十八日
十九日廿日廿二日廿五日廿九日廿九日晦日
八月先勝四日七日九日十日十一日十二日十九日廿一日廿一日
廿二日廿四日廿七日
九月先勝四日六日七日八日九日十三日十四日十五日十六日
十七日十八日廿二日廿三日廿四日廿四日廿七日晦
十月先勝一日三日四日五日六日六日十一日十二日十五日
十六日廿日廿一日廿五日廿六日廿七日廿八日晦
十一月先勝一日二日三日七日八日九日十二日十三日十五日十六日
十九日十九日廿九日廿九日廿九日廿九日廿九日廿四日廿九日廿九日廿九日廿九日廿九日廿九日廿九日廿九日廿九日廿九日廿九日廿九日廿九日廿九日廿九日廿九日廿九日廿九日廿九日廿九日廿九日廿九日廿九日廿二日廿九日廿
十二月先勝一日五日六日七日十日十一日十三日十八日廿日
廿一日廿五日廿六日晦日
○時占
一遁甲成就之時
甲乙日戊時丙丁日申時戊巳日午時庚辛日辰時壬癸日寅時
二幸事万倍之時
日曜日午丑時月曜日申時火曜日卯日水曜日巳子時
木曜日未時金曜日酉時土曜日辰亥時
○方角占
一三宝三天所在方
夫於軍陳三宝三天と云は摩利支尊天寺才天大黒天の
三天なり然るに摩利支尊天は大将軍是也弁才天は
一智弁謀略の天なり大黒天は名弓箭神是則
一摩酸修羅天なり軍陣におて粮用自在の為に
尊なり所在之方下に書之
今桑に兵法に三宝と云は勇知福の三是なり
爰に云所の摩利支尊は則武勇の神なり
辨財天と云は知恵謀略に達して臨機応変の
所則人々具足の弁才天なり戦場に於て大軍を
扶助し賓客の費をいとはず狼道を利し
万民を恵は福徳に非しては不可叶大黒天は則
福徳の神相なり爰に記す所兵法の秘傳なり
能可心得なり
子午卯酉九五一
丑未辰戌五九一
寅申巳亥一一九
兵具を始て仕立或着初又は武運長久の祈
此方に向て勤といへり
二生死之方
生寅卯辰巳午未申酉戌亥子丑寅
正二三四五六七八九十一十二
死申酉戌亥子丑寅卯辰巳午未
〽口侍云生に立て死をうつ時は勝あるひは死に
立て生をうつともいへり用捨其人に依へし
三孤虚方
○十一十二日虚五六目
私曰是は其日の支ゟかそへて十一十二日を狐とし
五六にあたるを虚と云也孤に立て虚をうつ時は
必勝といへり年孤虚月孤虚日孤虚時孤虚
といふ事有之爰に記す孤虚は日の孤虚なり
餘は是に類して可知
武備甚曰宜背孤撃虚大勝万人已上用年孤
千人已上用月孤五百人以上用旬孤五百人以上用旬孤百人以上用旬孤百人
已上用日孤十人已上用時孤大抵是空亡
虚即対宮是也
四旺相門
凡此旺相門者孤虚不得勝斗輪可折轄各因其
本宮可用其節總而用八節故八節門ト云也
立春自正節四十五日廢旺相胎没死囚休
杖
伏
春分自二中四十五日休廢旺相胎没死囚
伏
夏自四節四十五日囚休廢旺相胎没死
伏
夏至自五中四十五日死囚魔旺相胎没
伏
立秋自七節四十五日没死内休廢旺相胎
伏
秋分自八中四十五日胎没死囚休廢旺相
伏
立冬自十節四十五日相胎没死囚休廢旺
伏
同冬至自十一中四十五日旺相胎没死囚休廃
八門本體
八門本體休生傷杜景死驚開
天澤火雷風水山地
乾兌離震巽次良坤
一二三四五六七八
旺相胎没死囚休廢
九宮八門図
五友引の方并死引方
子午卯酉九
丑未辰戌丑
寅申巳亥三
〽死引の方
甲乙丑丙丁寅戊巳子寅庚辛巳壬癸申
口伝云敵の首実見の時反引の方ゟ取ていたし
死引の方に捨るなり
六味方を捨る方の事
戌亥子戌亥子戌未辰戌亥子戌丙戌酉辰巳丑未二戌亥年未四月十一日
口伝云正月よそへて十二月に至る身方打死の
しるし或は馬鷹の死たるを此方に捨るなり
椎占
○察気五ケ条之事
一宮気之事
大将辰の一天に城を出て一里或は三里を去て数
味方の気を見るに百人已上には則気あるへし
然者此宮気は大木の大成に布をはへたることく
ゆる〳〵と立上る堂にしぐれかゝりて薄雲た
な引いかにもゆう〳〵と見ゆる也是五行の中
にては四季に通して旺する土用の気也土は
常住にして不変の相あるがゆへよろこひの気とす
但末には和談有へし
圖曰
二商気
大将前のことく城を出て教みかたの気を見るに
けの色五色にして或は薄紫或は又人を葬
煙のことく立あかる事なく城のあたりを押
包更にすみやかになし此氣は平調にして金に
旺す四季の内に秋のつかさとる処也秋は草木の
変する時人の心すさましき気あるがゆへ悲の
気とすへし故に此気立たる陣は大将の気も
定らず勢衆もこゝろ替ありて軍整らず
終には其将にかなしみ来るへしと云なり
図曰
三角気
以前のことく気を見るに城のうへに常に
しくれかゝりて薄雲朝霧深く立かくして
いかにも静に見ゆるなり角気は双調也
双調は春を司る春は一切万物を生する時節
なるを以て悦の気とする也此気立は天より
軍神下りて守護をなすと云り
図曰
四微気
将気を見るに此気辻風に灰をまくかことく
にして城のめくりを押包めり此気は黄鐘
に火の体にして。夏に属す夏は万物
長生しさかんなるけなれは大なる軍可有
半吉の気也と云り
図曰
五羽気
此気の色は生松葉をたくかことく黒煙立て
城の廻りを押包み速成事なし羽は盤海に
属し冬を司る冬は万物凋み枯て寂滅の
相あり爰を以悲の気とする也敗軍落城の
気と可知
図曰
○雑気七ヶ条
一ゑきさごすた三の軍鳥の事
私曰ゑきは鴉也行は勝来る時は負也さごは驚すたは
鷹是は往は負来るは勝也鴉は手負死人有所へ
集る物也鳶鷹は生物を捕物を殺す事有故に
此二色は来ルをよしとするなり
二旗色の事
私云於色と云は其備しぐらみて於の手見え
かくれする事あり是を勝色と云尤於色乱れ
ずは其備勝色うたかひなし
三すみやかなる事
四しくらむ事
私云すみやかなると云は備すきてかくれがなく
見えすく秋冬の気とする也しくらむと云は
備見えすかず朝霧おりたちたることく
春夏の人気御かんなるがことし是をしくらむ
といふなり
五中の溜りの事
私曰是はよきうちにあしき所有を云味方手段の
致様に依へしと云義也竹侯の巻に出て
六敗軍の気の事
私曰敗軍の気と云は定りてめ此といふ事はあら
され共軍勢なり渡りて士卒しは〳〵かへりみ動
く時は敗軍の気と知へし
七死火清火の事
私曰察気其習多しといへとも召律の二気を
不出呂は陰にして秋冬を司り律は陽にして
春夏を司る呂は死火律は清火なり気を見て
事の善悪をはかるは只律の二気にしく
へからさるとなり
木公曰有大風甚雨之利而三軍無故旌旗前指
金鐸之声揚以清輦鼓之色宛以鳴此得神明之
助大勝之徴也行軍不固旌旗乱而相続逆大風
甚雨之利士卒恐懼気絶而不属戎馬驚奔兵車
折軸金鐸之色下以濁声鼓之声湿如沐此大敗
之徴也凡攻城囲邑城之気色如死灰城可屠城
之気出而北城可克城之気出而西城必降城之
気出而南城不可抜城之気出而東城不可攻城
之気出而復入城主逃北城之気出而覆我軍之
上軍必病城之気出而高无所止用兵長久凡攻
城囲邑過旬不雷不雨必亟去之城必有大輔此
所以知可攻而攻不可攻而止也
○初頭にて勝負を知事
〇一敵味方互に陣をはりて未合戦先にせり合有て
敵を討来るに其しるしを見て合戦後道の
勝負を考る事也其可見知様は討来たる敵の
首を見るに其しるしの黒眼下に付左に付左に付
は敵勝上に付右に付右に付は敵降参中に有は和談可
有也又曰黒眼見えぬ印有へし其色を見て
相克相生に合て其勝負を可知又眼をふさかず
口をひらきたかしるし可有是を野心のしるしと
云也必大将に不可奉見と云々
私云右眼は敗軍の眼道眼は勝利之眼天昭は味
方へ敎降参地眼はみかた教へ降参仏脇は和談
のしるし也其外別にならひあらず〽黒眼見え
さる時は其時節の相剋相生をあわせて可見
口をひらき目を見出したる首は野心の首也
不可入見参と云り
○中天之伝十二ヶ条
一夫人の脉は左忌小腸肝膽骨膀胱右は肺大腸脾
一胃命門三焦也肝の脉は春心の脈は夏肺の脈は秋
腎の衂は冬旺也脾脈は四季の内に有て旺する事
一十八日也然るに此旺脈と云は不強不弱はやからず
遅からすといへり若此旺脉俄に切る事あらは
廿七日の内に大中天に可逢又はやくしてうか
まは大病を受へしと云々
二二三日の内に中夫に可逢は眼の下に青筋あつて竪に
顕レ見ゆるなり可慎之
三眼の内に赤筋竪に一筋すぐにあらは大中夫に
可成可慎之
四鼻の先に青筋竪にあらわれは是も中天に
あふへし
五何時にても我小便を見るに泡有へし然るに此
泡たゝさるときは可慎毒食のおそれあり
六何レの所にても俄に蟻のとわたりかゆくならは
一必毒食我前に来ると知るへし又中天成へし
七毒食わかまへに来らはかならず眼に可通也
口伝
八人を可討時は能キ茶にゑの日は左との日は右の耳の
垢を添て此茶をふりて可見若手を可取には
茶の泡よくたつへきなり手をとるましきには
泡たゝさるなり
九毎朝手水より前に左の手につはきをはき
見へし必泡可有然るに泡なきは必其日の中天也
十奉向朝日我影を見るに肩ゟ上の見えさるは其日の
中天也肩ゟ腰の間まて見えさるは大中天なり
腰より下なきは病事可成
十一眼光を見るに其光火のことく成は常也色変せは
可逢中夭なり
十二旦那親方にうたるへきを見知事其主君を
見るに両眼見えずと云々
出陣の時冑鎧丁着次第之事
一木性人庚辛日出陣の時先冑より着其後鎧を
可着也火性人壬癸日土性人甲乙日金性人丙丁日
鎧ゟ着初なり水性の人は戌巳日鎧ゟ着初て
一冑を可着給と云々
私曰是は相剋の理を考てしる七日なるへし此外
大将の好にしたかふへしと也
○鑑着する時観着する時観着する時観念の事
一鎧若する時は辰巳の方に向て鎧を着初我則
軍神鎧則瑞籬と観念致へし押付東方結を
する也東方は軍神の始なるがゆへ東方結とかきて
あけまきとよむ
私曰鎧を着するには其義式有事也是は出陣
の砌甲冑を帯して観念致心得なり
○母衣を着する時観念の事
一母衣を着する事東方に向て武羅をかけ左の
方へめぐり母の胎内にこもると可観念なり
○頸対面実検見知に時大将観念之事
一頭対面実検或は勝凱歌とり行時大将唱可給
文有之
本覚発心本有如来
右対面実検之時首持帰る時肩を以十文字を竪の
点より引此文を口の内にてとなへ給ふへき也
○悪日を除にふける出陣之時可唱文之事
一疳積経曰一切日皆善一切宿皆賢諸仏皆威徳
羅漢皆行蒲以斯誠実言願我成吉祥
潤祥経曰如来法中無有撰擇吉日良辰
一九月十一日是法平等無有高下
秘華経曰於仏法中日無善悪
肺経曰法性如大海不説有是非凡夫賢聖人平等
无高下奉向朝日此文を唱ときは悪日転して吉日
と成て七難則滅スへしうたかふ事なかれと云々
◯向悪方時方違の矢を可射事
一西にむかふ時は南北に向ふ時は艮南にむかふ時は
乾東にむかふ時は申酉丑未辰戌にむかふ時は卯
方此方に向て尖矢を一筋可射是をなかれ
矢と云や
○矢入はしめの事
一陰の矢を不可射陽の矢を射へし又云午の歳の
生れの人にいさすべし午の歳は破軍星に
あたるゆへ也
陰折
○矢邊の守
一拾本帖宇匠座丸已王充喩起
一稽帖卅双名瓦毛瓦宛脇丸
右の符馬糞紙に書錦を以上を包み上に
陰陽の字をかき陰をは右陽をは左のわたがみ
に可付と云々
も
狩猟師
同断
武備第十四
軍禮
兵法神武雄備集
兵法神武雄備集軍権十六
とり
兵法神武雄備集武備第十四
軍禮
目録
一出軍門出之作法之事
一頸対面実検見知軍礼之事
一勝岡執行作法儀式之事
一頸送ル作法之事
一徒敵方送来る預可請取事
一軍礼品々事
一縄をかけたる武者七手のかけはつし礼法之事
一母衣武者を討たる時の作法之事
一母衣を臺にあくる事
一封法神武雄備集武備第十四
軍禮
○出軍門出の作法
一古老伝曰出陣の前三ヶ日の間精進潔斎致して一音に
先祖親の廟へ参詣し二番に氏神へ社参仕三番に
一常に信心致所の神社へ参詣せしめ其後門出の肴を
可祝先大将出立終て向吉方左持扇左の足を案して
八文字形に座し給其時御祝之肴酒を参すへし
御肴は打蚫同勝栗なり是を二種の肴と云又三種の
肴と云は昆布を加るや可調の様は常の人は打地一筋
二筋並為大将へは打蚫九ツ置なり下に四上に五
四竪五横に可置是九字を表する故也次に勝粟は
三ツかた〳〵宛を並みかた勝と云つやこんふは大きに
切て一切なり此肴を調る事はあまねく人に不可見
可秘と云々
一右の肴大将食し一箱様は打蚫ゟ先食し扨勝栗を
食し可給打勝と云心なり但帰陣の砌も此肴を
祝なり其時は打蚫長きなから用之勝のし喜と
けなり三種の肴をは打勝喜のし勝喜と食し
給ふへきと云々
一御給仕の作法は役者三人有り御酌取壱人提壱人瓶子
壱人なり先瓶子に酒を入持て奉軍神其酒を御
前にて則銚子へ可移始中終しさる足を不可踏是酌
取之秘事也物具にても上下にてもつくはいて
可取左の手を剱印に致脇に納右の手計にて可取
手を突事なかれ大将可参様は三々九度也一龍に
二度つゝ三度かるは九字を表する故也扨御道の
方へ寄へし大将は肴を右の方へ押直し無心にして
心を不動左の足ゟふみ出し立さまに七足のへん
ばいを可踏七足の反閉とは
貪巨禄存廉武破の反はいなり
私曰出陣の儀式古法多しといへ共当流用る
所は此通りなりへんはいの口伝は無心にして
心を不動所に有へし
一帰陣の時右のことく三所の参詣あるへしと云々
看図
○預対面実検見知并軍礼之事
一頸対面と云は貴人高位の敵を討取て其首を見るに
首対面といふ也其儀或は大将物具をし征矢を負給ふ
へし弓にとがり矢を取添左の脇に立大将は床机に
腰をかけ座し給ふへし首持参の役人は物具を
ふ帯首をすゝしの衣に包取出て公饗に可居
切口にかひ敷有頭の片顔を一入見参其役人左の
膝を突て右の膝をたて可罷在扨酒一龍有久
しく首を並事なし大将は少いそはみ衆目に
かけて見え観念有首を持帰る時はいかにも早く
退く様に首を取可罷出其時左右の武者を出閣の
声を初高く終りひきく三度あくへし
私曰対面実抑には様々其故実秘伝有之といへ共
近来其儀式軍礼を勘弁する人なく大将も
是を守て勤る事あらされは式法多く略之
爰に記す所は其作法の大要をあらわす迄也
礼法書面のことくにして口侍別に無之但首の改敷
には南天を可用南天はけかれをのそく故也酒は
大将是を飲て首に盃を指給ふへし是にて盃を
取へし世俗一献盃を祝言に嫌ふ是也大将の観念は
前に書之此外別のならひ無之
二実検見知といふ事は我ゟ下の士の首を見る作法也
其時は大将物具仕給へからす是も左右の武者有へし
頭をは山折敷にすゆる也首持参致す人大将の
顔を見る事なかれ持帰るにも首に目をはなさず
可帰実検の時左右の武者に心持有之見知の
時は何様に見ても不苦と云や口伝
一私曰実検の時は左右の武者観念可致大将は
観念し給ふ事なし古法には左右の武者の太刀
其寸法有之唯其首を弔心持観念なれは実
検に入たる首をは不可吊と云り
三大将へ首を御実指に入る時は役人左の膝を突右の膝を
立て首の右の顔を可入見参役人右の手にて首の
たぶさを取左の手にて公饗を持へし首を持帰る
時いかにも早く一退退時夜開き右の方へ立へし
此時首の正面を大将へ可入見参と云々是首を見せ
奉る作法なりと云々
私曰一説に実抑の時計右の膝をつき左の膝を立
左へ披きて我右を見すへしと云々
四馬上にて首を大将え見せ奉る事我左の鐙を蹴散し
大将の左の方へ乗寄首のたぶさを取て首の右の片
顔を可入実指なり是も右へ乗廻して可帰といへり
一説に右を見せ可帰と云此時は左へ乗かへすへし
五馬上にて首を持事左の取付に可付二つあれは右の
取付にも可付也
六首に札を付る事右の髻に付る也若髪のかみなき時は
髪をとをして可付之入道には耳に可付之
七首札の書様其人の上中下に従ひ真草行にやせ預
一帳にも名高大将なとをは名乗計を可申
八悪相を現したる首又は返報日に人を打たる時は
其両眼をつぶして可捨之
九実検に入首眼をふさがさるはまつ毛をぬく時は閉ル
物也是にても不閉時は馬の尾にて縫へし
十頭をは大将の見参に不入ものなりといへり若見
給ふ時は可有観念
十一形化粧と云事有て古実には色々頭をかさる作法
なと有之といへとも当時不入事なる故に略之
勝鬨取行作法儀式之事
一勝鬨の義式は御大将の左に太刀団扇御右も弓矢
弓は勝軍木にて作之矢は真鳥羽常の矢なるへし
太鼓はせおふ者に持せ能武士ばちを取て三度打
御左に有三三四也御右に貝是は吹ずして手に
持て居るなり一説に送る貝を可吹と云々終細く
七五三や何茂能武士其役を勤る也御旗は於奉行
御旗指を引付御旗に左の手を付て罷在なり米
幣は御大将可持給南天の手水たふの御手拭いつ
れも能武士の役なり
一私曰勝鬨の義式は近代の良将多く用来れり
畢竟士卒を散乱せしめず勝を味方に置成を
一教に可被との心持なり其作法書面の外別に
口侍不在之戦場に於て合戦勝利の砌則其芝
居を不去士卒をまとひ御大将床机に腰をかけ
給ひ御左に太刀団扇の役人御右に弓矢弓は勝
軍木を以弓の形をかたとる計也御左に太鼓
御右に貝め此の刻首帳したゝまる時は則於御前
頭帳を読へし首帳読終て後太鼓を二三四と
うつ其時惣勢閣声を三度あくるなり此儀式
終て南天を手水の内へ入て御手水に奉る也
是を南天の手水と云也南天はけかれを除と
云伝へたり本草朝目にも神に通るよしを記せり
殊に佞俗南天を転レ難クと用ひて常に是をうゆ
真言にこんはんかぢと云事有是は水火二ツを以て
物のけかれを除か持也南ては火にかたとり水は
水体成故又此理も可有にやたふの手拭と云は
たふは布の替なき物也殊に一度御つかひ有えて
則捨給ふ故質朴の道理をかたとる成へし此等の
役人何も能武士是を勤る也近代武田佐玄勝
鬨の義式を度〳〵相勤給へり御太刀領冨御団扇
板垣右に弓矢原美濃太鼓は小幡山城貝は山本
勘助御旗は加藤駿河守南天の手水は金丸筑前
太布の手拭は飯富源四郎と云々め此何も能武士
勤之たりと見えたり
○首送ル作法之事
一能武士を討取実抑過て其首を敵の親類縁者
なとへ送るに其儀式は先其武士母衣をかけば其
母衣に可包又常の武士ならはすゝしの絹に包也
桶に可入桶の寸法は高サ一尺五寸口の指渡し八寸
可成蓋の上に卍を可云上を布二幅を中を縫合
其桶を可慎扨射捨のきほうを一ツ上にさして
送なり
私曰別に口伝無之きほうは根なし矢也
○従部方送り来る預可請取事
一竹を串に拵幕打天の哥に物見をあけて
夫ゟ首を見可請取受取事は出家を出して請
とらすへし桶の上に指来る矢をは中より切
折て可捨返事は其時の様子に依へし
○軍礼品々事
一兵具を取拵には必柄に手付へからす柄を見へ奉るへし
団扇采幣共にはさきを持へし
二兵具を向置方北にむかふを可嫌又曰何方にても
一教の方へ万事向やうに可置と云々
三陣中にての礼法貴人の前なとにては左の手中指
無名指を相かゝめて食指小指大指をのへて地へつき
左の膝を付右の手をは腰に納め右の膝を立左
の方を貴人え見するやうに致へし
四古法には常の座配にもかしこまると云事あくらを
かくと云事無之縦貴人の御前にても右の膝を立
左の膝を敷て可罷在と云々足草臥ずしひるゝ
事なし久敷時は又膝を立かゆる共いへり戦場にて
此法式を守へし殊に兵具を帯してはひさま
つかれさる也
五戦場にて馬上より大将へ物を申上事并御請を
申事は大将の御左の方へ乗むかひ我射向の證を
けはなして手綱を鞍の前輪に納左右の手を
前輪につきしころを傾て可申上や帰時は大将の
馬の跡へ乗廻し大将の右の脇を通るへし是おし
付を見せましき為也乍去所により大将の後つかへ
通られさる所にては其侭左へ筋違て乗出し
右むすひに輪を乗て行や
六戦場にては直して御用の召ありても馬ゟ下りて
承る事を却而無礼と云や大方は軍陣にては常式の
礼はなきもの也
七戦場にて大将の御具足を着用致事有之め此時は
則ぬきて大将へ奉る様に可着用故にはいたて
以下大将の先下に召物を上に着用するといへり
一鎌倉右大将家之時作々木御鎧を着せる事東鏡
に出たり
八神前社頭或は戦場へ御幣式は巻数をさゝげ来る
事有之其時請取様巻数又は幣にても先を
我方へなし右の手をあをむけて持本を我左の
方へなし左の手をうつむけて取扨大将へ渡す時は
先の方を先へなして右の手にて本を持左の手
にて末を持て渡す大将其侭うけ取て右のことく
取直し右の手にて本を取左の手にて先を取て
頂戴して最前のものに渡す也巻数は梅のづあいに
付てさゝぐる也
九陣中書礼式法別に替れる事なし貴税へは御
一陳所御中同輩へは御陣所下輩へは陳所と書也敵の
名苗字は筆ほそに名字と名を書つゞけずきれ〳〵に
可書味方の名を太くつゞけて可被或は北と云字を
文字にかゝさる也願書等并触状常のことし但
可知古案なり
十感状の事撰功篇に出之故爰には略之
十一陣中飲酒の事
真のなかれと云は大将土器にて酒を飲下をすてず
残して置を其残たるを新敷土器いくつにも
入て是をぬらし其ぬれたる盃をいくつも重て
是を召出して呑する也草のなかれと云は大将酒を
うけ少香あまして銚子の中へ酒を打移して
其酒を新敷盃にて召出して呑する也又とをり
と云は家老物頭なとに大将の空を御して其家老の
呑たる盃を場中に置て召出しにのまするなり
真のなかれは盃を戴て酒をうけて一龍呑て退
出する也草のなかれは盃をいたゝかず酒をうけて後
戴て呑退也とをりは盃も酒も不戴して吉之
一礼して退也何も左の膝をつき右の膝を立て
一射向を見せて左右の肱を付謹而飲候也米幣
団扇を持たる者は是を腰に納て置太刀刀の
柄に不可懸酌取も膝のつき様開き様同前なり
銚子の菊金の上に右の手をかくるなり
十三故実は大方理の至極せるをよしとす然者当用に其
理ある時は則是を古実とすへし惣して公方武家の
式礼は板貫撰要等に出せる礼式を可用と云々
十三於陣場詞之事
一勅を蒙て征夷将軍家の出陣あるを征代と云
同又追討共追代共是を号す又は進発共
一発向共其様子に依て異なるへし
一一夜をは陣場と云五日共居所をは陳所と云
打立て行中を陣中と云家に陣を取を宿
陳と云
一幕の言葉は兵器の巻に出之
一味方の馬をはいさむと云数の馬をはいならくといふ
一御馬いてまいれと云御馬さして参れと可言ひいて
参れと不可言
一身方の手負たるをは矢疵の時はいさせたると云
鑓疵にはつかせたると云十文字にはかけさせ
たる太刀疵はきらせたると云へし諸事此
心得なり
一みかた打死をはうち死とげたると云へし
一みかたの人数を引取をは人数をあくると云也
一敵の頭をうちはれなる手柄を高名と云太刀
かたなをそへたるをは分捕高名と云也
一陣屋道具尺の木の類ひをはとると言へし切と云
へからす旗竿を切とは不云ほると云へし
一味方の人数をは打いたすと云数の人数をいだす
と云打と云詞を教にはつかはずと云々
一身方の人数をはき手に備たると云数の人数
をはきれに備たると云也
一陣屋或は城ゟ朝夕の立煙をは飯霞人気と云也
一陣かへの時我陣屋を焼をば陣拂と云也
一近所を焼を地焼と云遠所を焼を放火と云
又云敵の来て焼を放火と云共いへり
一旗をはまくたゝむと云へからすあぐると云や
一貝をはたつると云也
一閧の声をはつくる共あくる共云也
一一軍と云は一万二千五百也小勢をは軍勢なとゝは
かくへからす手勢と云へし
一柵をはしやくと云時はふると云へしさくと云時は
付るといふへし
一大軍出合てたゝかふを合戦と云へし一手二手の
たゝかいをはせりあいと云へしと云々
一備の外別手をすゝめて左右へ働をは働の衆と云也
右め此の詞は其顔品々ある事也所々に記之故
大概略之なり
一十四具足櫃冑箱其外兵具の箱に前之字を書事
二三九
八里
一四六七
○縄をかけたる武者七手のかけはつし礼法之事
一女衣のかけ様左ゟかけ始右にて納る也はつす時は
右よりはづして左を後にはづす也主君の前にては
いつかたにても主君の居給ふ方を後にはづすなり
母尤かくる時は緒の留様出陣戦場にては左の脇にて
留へし帰陣の時は右の脇にて可留み
一神社へ参詣し神拝する時は右の方の中禄の緒をは
つして右の方の脇に肱にてはさみて可拝扨帰ル時は
右のはつしたる中禄の緒を左の手にて取て
本のことく結ふ也出陣の刻父の前へ出て暇乞を
する時は左右の中禄の緒を左の手にてほとき右の
かたの中禄の緒をは肩の上にかけ左の中禄をは其侭
はなし置て可対面退出の時は先左の中禄の緒を取
て次に右の中禄の緒を取繕ふ也盃酒の儀あらは
先左の中禄の緒はなし置たるを右の肩を打
こして前へ取右の脇の上帯に挟て酒を呑也
一大将の前へ出る時は両方の中禄をほときて其侭は
なし置て出る也退出の時は右の緒ゟ取て次に左を
取結ふ也酒を給はる時は左の方の中禄の緒を肩の
上ゟ右へ取わたかみに挟て酒を飲也退出の時は右の
緒より取て次に左を取て結ふいつれも如此帰陣
の刻祝の時は左右の怨敵勝敵の緒をときはなし
富酒を呑て其後皆はつし納る也
○母衣武者を討たる時の作法之事
一母衣武者を討たる時は名字の罰のすそのすみを
四半に切十文字に折は四重になる三重を首の切
目にしかせ一重を上ゟ左のかた顔へうちかけて
大将の実験に入る也亦首取たる場にての作法は
首をは右のことく包死がいをは或は楯の板の上に
のせ一品切たる残の母衣をたゝみ下にしかせ其内
一重を上にうちかけて置也
○縄を台にあくる事
一母衣を台にあくる事是は是を其日打死に
極めたる時の作法也甲のてへんに穴有此穴を
母衣つけ共星白共云天上の緒のあけまきの先に
別に糸をむすひつぎ母衣付の穴へ引とをし
甲の内のうけはりを切あけ手を以あけまきの
先の糸を冑の内へ引こみ内にてとめ誉世の
緒と領地の緒をときあふみの猿尾に有母衣付
の穴へ結ひつくる也此時は胃の忍緒まむすひに
結たる餘りを少も不残むすひ餘りの緒をむす
ひ目の際ゟ切て捨る也是は三度むすはれず是を
限たる事をしめすが故也勿論母衣の緒を鐙に
給付るがゆへに馬上ゟおりたつ事なし母衣を
臺に上てより彼は敵の方へ後を見せず跡へ少
しさりたき時も馬を引かへす事なし其侭
しさり口を乗なり
す
同一
同廿一日
宿町
武備第十五
兵法神武雄備輯
□□□□□□□
一
兵法神武雄備集武備第十五
柳揚八字
目録
一脚揚
一褒貶
一捨縦
一與奪
一編集法神式雄備集武備第十五
○柳揚
今案するに此篇は大将の心得に依て万事に通
する大節の口伝なり然と云共如此品々の心を用
と云にはあらす主将其本は一ツにして教にあひ
人数をつかふ心得平生身心の受用をなす勘弁
の所に於て所に随ひ事に依て其用をなす
へきが為なり必是を用て人を疑ひ人をた
めし推量疑惑をなせと云にはあらす惣して
軍法は心得に依て説道謀計におち入等し此篇
尤将の得心に随ひて其節ちかふへし返す〳〵
能可受師伝なり
一脚揚
私曰抑とはおさゆる也おさゆる也おさゆるなと云は物の御かんに
なりおごり出来らんとする所を知て是をおさゆる
事也おさゆへきものを不押して其事長大に
なれは是をたつ事かたし縦は大木もいまた二宗
なる時は是をくぢく事安し大木に成て枝をさへ
葉をさかんになせるは是をくぢくに必斧斤の
功を用かことし又岷江のことし眼江と云江其
水のみなかみを尋れは濫觴とて僅に盃を浮る
斗なれとも楚国へ流れ落て後は。庭等もなき
深キ大河と成と云り水を防かんとならは其初を可防
万事皆め此家臣器量相当せりと云共是を用
長大ならしめは後に姦邪の知生して子孫の災
と成へき者をは早是を押へ其能をつかふて
其節をおさへ出さしめさる類是抑也又大将士
庶人共ニ自心を治ルにも我意のほしいまゝ成
邪念を押へて是を出さゝる是を抑と云也
〽揚と云はあぐるなりあくると云はよき道ある
時は是を用ひてあげその屈せるをのひしめて
人の心をふさかず或は人の手本或は人の為に
可成道ある時は速に是を用る是揚也善を
あくるは常の理也或は又悪をあけて人に
しめしめしめしめしめしめにあしき
ものをもあくる事多し
漢高祖とその頂羽と秦の世を奪る時高祖先
関に入給ふを項明聞て大にいかり高祖を容
せんとす高祖礼を尽して鴻門の会に項伯を
たのみて頂羽へ陳じ申されける故頂羽是をゆる
しける楚の臣范増ふかく頂羽に諫て高祖を容し
給へと云由を進めけれ共頂羽是を不用其後果而
高祖に天下をうばはれたり又越王白磯会粉方
山に取籠られける時呉王是を不敢は終に
呉の全き勝可成を是をゆる勢分を以終に越の為に
亡さる是皆可柳をおさへさるあやまりなり
兵法曰滔々不塞将為江河焚々不救炎々
奈何両葉不去将用斧柯
又漢の高祖いまた天下のあるしとならせ不給内ニ
項羽と心をおなしくして我の懐王の子孫に
孫心といへる人民間に降つて羊を養ひけるを
尋出して是を義帝と号し共に命を慎随れ
ける其後秦亡ひ漢と楚確執出来て頂羽ほし
いまゝに威を振ひ義帝を殺し奉りける高祖
是を聞て身ラ服をかへ大に愁傷して義帝の
為に喪を発し使者を諸候へ遣して告て云
天下と共に義帝を位に立けるに今項羽ほし
いまゝに是を殺す事大逆無道のきわまり也
われ為に喪の義をとゝのへたりと忘く告
給ひける故きくもの皆義帝の為に服を着る
といへり是高祖義帝をはおかしたく思へとも
天下の士の心をはけまさんか為に君臣の義を
いちしるからしめんか為也是あくるの武略
にかまふへし
一度はおさへ一度はあくると云事あり君は大将
士卒をつかひ用るに或時は是をおさへて其志の
変する所ある歟と云事を考或時は是をあけ
用て其志の高ぶり奢る所あるを心見へし
是を用捨柳揚の手段と云り
兵法曰使之以財以観其廉告之以難以観
其勇
抑へきをあくると云事ありいふ心はおさゆへき
ものなりと云共或は一時の計策の為或は士卒
のこゝろをなつけんか道にわざと是を用て人の
心を奪武略とするなり
高倉院御宇山門より神輿を陣頭へ振あけ
奉りけるに依て源平両家の大将軍に仰て
四方の陣頭をかためしめける平家には小松
重盛陽明待賢都芳三の門を三千余騎にて
かため給ふ宗盛知盛は西南をかためためためためためたり
源氏に源三位頼政三百余騎にて北之門維殿の陣
をかためたり小勢なれはまはらに見えける故
山門の大衆北の門縫殿の陣より神輿を入奉らん
とす渡辺長七唱を以大衆の中へ使者を立て送り
るゝ旨あり今度山門の御訴訟理運之条勿論
の所に御裁許遅々の様子餘所なからも遺恨に
覚候侭神輿を入奉らん事子細に不及但頼束
無勢に候あけて入奉る陣よりいらせ給ひなば山門の大衆は
目たり顔したりなと京童都の申さん事後日の難にや
候はんすしん末の陣頭をは小松殿の大勢にてかため
られ候其陣よりいらせ給ひへうもや候らんと
云送りたり神人暫いしへけるが豪運と云竪者
進出此儀可然神輿を先立て訴訟を致サは
大勢を打破てこそ後代の聞え可然とて東の
門へ神輿をふり入奉らんとしけるに果して
狼藉出来て災内裏に及ける是頼政此武略
を用て一旦の狼藉をなためけるなり
隋の煬帝大業の末に隋の世乱れ四方に朝放
多かりける其比唐の高祖をはいまた李渕と
申ける魏の国に李蜜と云者隋に背き
威を専ら盛にす高祖も隋に有て乱を企て
給ひける故高祖ひそかに書状をけして是を招
李蛮みつから兵の強を頼み祖彦君といふ
者をして返状をからせける其詞大に奢りて
高祖と力を合て隋を亡し高祖を我族
本に付へき由をかけり高祖是を見て笑て云
李蛮妄りに奢れり若俄に是をたゝば
又一方の敵を設ルかことし大事の前の小事
なれはしかし詞を賤して其志をおこらしめ
我為に敵を防しめ隋の世已に亡ひば縦は
料鷂の勢漁人之功なるがことしとて則温大雅
に状を認しめ給ふ其言を謙りて天下の間に
君ならずして誰か王堂るへき我年老て
露命たのみかたしひそかに君の恵をねかふと
云事をそかゝれける李蛮此書を得て喜て
諸将にしめして云唐公天下を可定人に
非すとて侮りける其後高祖隋を亡し李蜜
はたして降参す是可抑者也といへ共一時の
五十一計策の為に是をあくるなり
〽揚へきを抑ると云事有いふこゝろはあけ用んと
思ふ事ありと云共わたと是を抑て後ひそ
かにあけ用ル事有万事に其口伝品々有
へし将能口伝を受へし
延喜の御宇に一とせ世間逍奢盛にして
君も臣も是を止メたく叡盧をめくらされ
けれとも終にやまず帝潜に時平大臣へ御内
勅ありて謀をめくらさせ給ふ或時大臣衣冠を
正しく美麗を尽して参内致せり帝小蔀
より叡覧ありて職事を以勅詔ありけるは
今世専ら奢を極メ過奢さかん成を以朕常に
是をやめん事をねかひ思召叡慮不残大臣は
君に替りて政を司り天下の儀刑たるへき人
め此衣冠の花麗是国の奢の因て出る所なり
早々参内をやめ蟄居せしむへしとの勅意なり
大臣陳するに詞なくて色を失て退出し家の
四方に箔をおろし門を閉訪人あれはしか〳〵の
事有てふかき御戒あれはとて対面もせず
月日経て出仕をゆるされけると云々依之
世間の奢にやみけり是おさへて
あくるの武略なり
建武二年新田義貞足利尊氏卿と不和の時
後醍醐天皇ゟ新田義貞に朝敦追討の宣旨
を下し給ひける義貞六万余の勢を卒し相州
鎌倉え押寄仁木細川高上杉の人々尊氏郷の
御前に参り右之旨を安く申されけれは尊氏
〽然然として不言暫ありて宣ひけるは我君恩を
蒙る事深し然るに君讒臣の言に依て臣を
殺し給ふへき勅定あり是一ツも尊氏かしわだ
にあらず此条々を謹る子細に陣し申さば虚名
終に消てゑいこももなどかやまざらん旁は
ともかくもあれ尊氏に於ては君に向奉りて
弓を引矢を放ツことく成義有へからす縦剃髪
染衣の形にも成て君の御為に不忠を不存所を
子孫の為に可残とていつれもの異見に随ひ不給
といへり是は尊氏卿天下に対して弓を挽義
貞を亡して天下の成敗を掌に握らんと其心
底相極りたれとも戦国の勇士其変知レかたき
を以熊と是を押て或は諸将の気をはかり或は
一士卒の気をはげまし給ふ武略なり
前漢宣帝本始年中に漢句叙為無事外国へ
一馮奉世を使に遣しける外国の内郡善国の城主
馮奉世に語りけるは芥車国は本より漢の下に
属して漢ゟ王を立給ひ累年使者を遣す然に
今度隣国と共に計を合漢ゟ立給ふ王をころし
匈奴に随ひ其威を振へり急に討ずんは後の
災なるへきよしを申入ける奉世是に同心し漢の
仰なりと号して近国を蒐催し終に落車
を責城を落し国王の頭を長安に伝へ其威専
盛なり此故に奉世も抜世の御恩賞に預らん事を
思ひける宣帝も是を報せんと有けるを蕭望之
申けるは馮奉世其功は大成といへとも其本を尋
るに漢ゟ使者を承りて行也然ルをほしいまゝに
天子の仰なりと号し兵を催し威を盛に
致せり若是を賞せはかたねて漢ゟの使者必
是をまなひて恣なる事多かるへしとかたく
是をおさへ申により帝是に同し給へりめ此事
是又不可押ものをも後の為を考熊とおさゆる也
如此類能々可心得事也重々口伝有事也
一褒貶
私曰褒はほむる也褒と云は人の忠節忠功抽たる
働き軍功ある時は是を褒美して其心を悦しめ
人に善を進めんか為に賞翫致し余録を与る
是褒也善悪同則功臣倦といへり又責功不
踰共いへり
敗はそしる也誹ルと云は人の悪ある時にかさねて人を
戒こらさん為にふかく有しる也恥を与へて其気を
動す是貶なり
兵法に懲悪と云是なり可懲法をこらさゞるは
当座の愛あるかことしと云共信実にあらず
爰を以こらし恥かしめて其心を改万民を
つゝし見たゝしむる也
後鳥羽院文治五年源頼朝奥州へ発向有て
泰衡か一類を亡し其後出羽奥州両国の所領を
配分して軍勢の忠功に依て宛行のみならす
泰衡か土蔵を開て珍宝を取出し悉く是を
施し給へり是功を賞するに時をこへさるなり
観応の比義詮南帝帝と八幡合戦に利を得て
けるに山名師氏其軍に功ありけりといへとも
忠賞更になかりけれは終むほんを起し文
和元年に都へ責入主上并将軍義詮と共に
又都を落給ふ是志賞のあたらさるゆへにあらすや
漢高祖の起り給ふ時に齊は大国なりといへ共
韓信を報し趙は険難にして要害の地なり
といへとも張耳を報して趙王とせり楚頂羽
一士卒の軍功有者に知行を与んとて既に印を
おせとも惜む心あるがゆへ幾度も壱つ開きつ
其印つぶるゝ迄あたへ給はずといへり是漢
稽古の由[リ]所なり
一度はほめ一度は誂と云事あり云心は賞翫
褒美して宜といへとも過る時は恩を請る者
却而逆意をなす事有然はとて誹り恥し
めてつかへは其心屋して我もてる才智をも
出し得ざる物也其上万事一様にして片落る時は
其事難用爰を以或時はほめて其心を悦しめ
或時は誹りて其心をはげまし其時によりその
人に依て用る時は其つり合宜くして不礼物
なり是を一度はほめ一度はそしるといへり
昔由車と云大将即墨の城を守りける時偽りて
軍中へ軍神のあま下り給へる由を告諸軍の
気を励しける是に依て軍勢ことにきほひ
終に敵を退たり又周の太公は散宜生が著を
たてんと致けるにめど木を折亀を割て是を
不用終に殷の射を亡せりめ此事を以見れは
天文は人事に用ひかたしと云共或は士卒を
励す武略の為に是を用ひ或は三軍の惑ひを
去らん為に是を誹る其道一定ける事なし
爰を以唐の大宗此事を季請に尋給へは
李蹟其機一なりと答たり或はほめ或は誹る其事
わだ品けれりといへとも其桟の趣く所は一ツ也と
一六月一用一拾の格に近し
可褒を誹ると云事有いふ心は是は不褒而不叶
事なりといへ共是をほめ賞すれば人是に
まどふ事有まどへは士卒心うたかふがゆへに
難用故によしと知ても熊と是を誹る事有
兵法に敵の美を語る事なかれと云顔是也
故なりといへ共よき事をほめあしき事を誹ルは
理の常なれとも軍勢敵を恐れあやぶむへき
損を考て熊と是をそしるといふこれなり
小松維盛頼朝卿を追討の為関東へ下向有けるに
其勢已に神原藤川に着たる夜斎藤実盛
関東の弓矢の強き由を語りける故上方の諸卒
尽く心臆し水鳥の羽音を数と聞あやまりて
一敗軍致たり然は可誉者をはほむる事常の
ことはりなりといへとも其変を不知時はめ此趣度
有之なり
正親町院天正三年平信長卿武田勝頼と参州
長篠に於て合戦の時酒井左衛門尉信長に向て
申けるは勝頼は定て瀧川を越て可働にて候
さあらは味方の御人数を二つに分一分は勝頼に
向ひ一分をはひそかに教の後鳶の巣の城へ廻し
其留守を攻給はゝ大成御勝利たるへき由を申
上られけれは信長卿大に念りて信用したま
はす夜に入て潜に酒井を近付是をほらびありて
則左衛尉を大将として夜中に人数を遣し
給へりと云々是褒可用武略必定せりといへとも
若謀の数方へ洩ん事を憚て是をそしな手段也
謗るへきを褒ると云事有云心は悪敷事也
と云共熊と誉て人の心をまとはし夫を用し
めて敵を打手段とし或は善道え導引入る
手段万事に其心得ある事也
新田義貞播磨国に陣を取尊氏の西国ゟ貴上り
るゝをさゝへける時小山田高家軍中の諸法度を
背青春春春春春青春貞の侍所長浜と
云者是を見付て既に刑罰に宛行んとしけるを
義貞聞て此者青爰に命をかへんと不可思
兵根に術つきて法の趣を忘るゝ成へしとて
高家か宿所へ人を遣し見せけるに馬物具はさわ
やかにして兵粮一粒もなし義貞大にて士卒
め此なるは将の恥なりとて則兵粮拾石を与へて
田の主にも小袖二重をあたゆ高家此恩を感して
湊川合戦に義貞に替りて討死してけるとぞ是
法に行ふへき者也といへとも大将の身の咎に帰して
是をかんし給へるなり
昔唐の大宗五行の陣法や獣の陣法と云事を尋
給へは李靖答て云兵は偽りの道也故に古今其実を
かくさんか為に仮に其名を顕せり五行の陳本
五行に非す四獣の陣は仮に竜虎鳥地の名をかい
とり皆偽也と答けれは太宗問給ふは偽の道
なる時は是を捨て不用へけんや李請か曰人の
見る所はおろかに聞所癡かならしめんか為偽りて
其名をかへて如此記せるなり是を捨る時は偽り弥
多しと云りか様の兵法皆そし類へきを
ほめ用るの武略也
兵法曰欲廃之必固存之存而不用人見其
存而不見其廢
一検雑
私云擒と云はとりこにすると読りとりこにすると
云は人をとしへとりこにし是を植ぐを云也とりこに
すへき者をとりこにせざる時は災必其身に及ぶ
事也古ゟ其例多し或は愛におほれ或は後日の
難を忘れ一旦の利にしたかひて是をゆるす時は
一終に国家の災と成事を拵る事有縦は虎を
殺して其子を養ひ病をいやして其本をたゝ
さるかこと
〽昔平清盛源義朝を殺害せしに義朝の子頼朝卿
其比はみなし子成けるを池の大尼の請に任せ
是をゆるし豆州江配流せしめける是虎の子を
残せるよりも猶甚し果して廿四年の後治承の
末に三拾三歳にて兵を起し給ひ平家の一類を
亡しける是とりこにすへきをゆるけるゆへなり
又頼朝卿天下の権を取給ひて後に尓代御前
出家の体となれるといへとも成人の後是を誅し
給ふ是能とりこにする也左太小松の内府頼朝を
助給へるに依て世亡ひ頼朝卿は維盛の子を誅
せられし故世静に成と云計に不可有といへとも
仁徳の広キ恵を以論するに散生して仁に成事
多く後代の災をのかるゝ手段となる義其ため
しあれば其時に依て可有工夫
後漢の冠物は高峻か楯籠れる城をかこみける時
高峻か臣下皇甫丈といへる賢人あり或時城ゟ
皇甫文を使として城外の寄手に交の子細を
云送れり冠物是に対面し皇甫文か其志の
さかしきを見潜に人を道にさへきらしめて是を
殺せり城中是に依て力を失ひやかて落城せり
め此類是擒に致すの武略也
縦はゆるす也ゆるすと云は是は是はとりこに致へけれ共
とりこに致時は却而其損多かるへき事を
計て是をゆるす事有是を縦と云也
光厳院正慶二年平野将監入道赤坂にこもり
けるを阿曽時治是を攻て終に城中降を請て
出けるに曙治毒細に請取て不残是を誅伏して
けり其比官軍いまた吉野金剛山に取籠て
在けるが赤坂の降人不残殺されたる由を聞て官
軍気を励し心を堅して縦討死を一途に
守ル共二度降人に不可出と思定けると云り
〽秦の白来と云者朝と戦ける時刻の人数四拾
万冑を脱て降参せり申起此降人を請取
一人も不残偽て落し穴に入て是を殺す
趙の人数是ゟ心を一ツにして四方の秦に降らん
とするもの壱人も秦へ不降参是白起か可許を
勅せる故也如此事一様に不可心得なり
〽一度はとりこにし一度はゆるすと云事有云心は
是をとりこに致ことくいひ廻して其心の定る所
あるるまとふ所あるりと云所を察して其事に
随ひて是に任をあたへ又是をゆるして其心の
ゆく所趣く先を不考時は其心明白にして善悪の
様子正く見ゆへ
兵法曰窮之以辭観其変誠之以色観其貞云々
〽とりこにすへきをゆるすと云事有云心は末〳〵は
是をゆるすへからさるといへとも一旦に是をとり
こに致せは当分其損有時は是に恩賞を与へ褒
美をなして其心をゆるやかならしむか類是也
安藝毛利元就と陶と合戦の時元就にて潜に
評義致事陶か本へ聞えける故評義調かたし
元就ふしきに思ひいか様味方に教へ内通の者ありと
見えたりと申されけれは小平川隆案やかて彼
内通可致者をそ告たりける元就大に悦やりて
又軍の評定有ける時諸人に向て申されけるは
陶若大軍を催し厳嶋の方へ出張せは身方
敗軍無疑然共其謀を不知事のつたなさよ
とこまやかに語り給ひける此事果して陶か本へ
聞え大に悦てやかて大軍を引ゐて厳嶋へ指
遣ヌ元就我謡の行るゝを悦ひ頓而大軍を卒
いて潜に陶か本陣へ指遣ヌ陶人数を不残厳島へ
けし僅の小勢にてありける故終に討れてけり
其後彼内通の者を尋けれは元龍か近習に
居たる盲目なりけり是は内通の者を則御かし
出し是をとりこに可致儀なれとも熊とゆる
かせにいたし却而はかりことを通せしめて勝
たる手段にあらすや
孟子斉の宣王をいさめて仁道に入れんと欲れ共
宣王是に不従或は勇を好む故道に入かたし或は宝
を好か故に道を勤かたしと申されたれは孟子少も
是を不捨勇を好も善宝を好も又道のたすけ也
と是をゆるして道をとけり
又後漢光武王郎を攻給ふ時味方の内より王良
か方へ内通する者多し王郎敗れて後彼内通
の状共多かりしを光武是を不見諸人の見る所にて
悉く焼捨られけり是は内通の者の心をなんせん
か為也是等は皆とりこに可致事をわざとゆるして
武略のたすけと致せるはかり事也
ゆるすへきをとりこにすると云事有云心は是は
畢竟終にゆるすへき者なんともわさと其心を
安んせんか為に是をとりこに致しその難を以
正理を云是可許をとりこに致手段也所により事に
依て万事に如此武略多し一様には不可限也
平清盛卿させる子細有て其比の院の御所法住寺
殿を鳥羽の北殿江移しまいらする歟さなくはまれ
御幸をなし参らせんとて一門の郷相雲容其外
諸国の受領諸国の受領崎府傍書を呼集メ已に大軍を
ひきい院の御所へ押寄んとし給ひける時嫡子小松
重盛急き入道の館に至りてさま〳〵の教訓の上に
我は君の御恩をふかく蒙るの上に如此の無道に組す
へからす然とも院中へ参り籠一旦院中をも
可致守護さあらば重盛か身に替り命に
かわらんと契りし侍少々あるなれは以外の御大事
にこそ候はんと深く是をいさめて小松殿へ帰られ
盛国を召て軍士を催されけれは淀羽束瀬
宇治其外近辺にあふれ居たる兵共あはて騒て
馳参る小松殿に御わく事有と聞てければ
百八條に数千騎有ける兵共入道にはかくともいはず
皆小松殿へ馳参る入道の本には弓矢にたつさわる
もの一人も不残入道大に驚き内府に中たかふ
てはあしかりなんとやおもはれけん法皇をむかへ
奉らんとおもはれける心もやわらきけりと云々
是重盛全[キ]父子の間の軍を初めんとにはあらす
入道を抜クことく致され其難に驚き逆意を
和けしめんと云ふかき志なり是ゆるすへきを
とりこに致武略なり
又唐の太宗の臣下に李世勤と云る臣有元来
兵法に達し才智人に抽たり本は隋の燭帝に
仕てけり其志高ふり過たれは是を制せすんは
後には国家の災を可成其上本宗の太子亭宗へ
此季勘無二心奉公をも致ことく被成度と有て
潜に李嗜に尋給へは李靖善曰臣臣倩是を
はかるに季勤か事当御代には是を退け給ひ
太子の時に抽て御挙用あらは其深恩を感悦
して無二つ忠信を可守と申上ける太宗此儀を以て
信用有て貞観廿三年ひそかに太子に仰有
けるは季勘才と智と餘りある者なれは汝
是に恩を深く可致我我不用之は汝に用しめんか
為也と仰有て終に罪を以季勤を左迂し
給ひける高宗位につき給ひて後則召て尚書
左僕射に被成ける李勘深く此恩をかんして
二心なかりけると云り是ゆるすへき奥き成といへとも
わだと是をとりこたらしむる也
一興奪
私云利をあしくて得を施すは其心を悦しめんか
為なり兵法に貪をつかふと云事有是は士卒の
心むかふる時は其むさふる所を以財宝を与へ衣服を
施して其心を服せしむか是あたゆる也是計に
不限利をあたへてその事をなすは皆あらへと云也
漢高祖いまた天下を得給はさる内韓信己に斉を
破り使者を遣して高祖に申て曰斎は偽の多き
国にしてやもすれは謀叛の変可有国也ねか
わくは臣を斎の王として治め給はすは其国定ら
しと申けれは漢王大にいかり我誓に苦しめ
らるゝ事め此也汝来りて我を助けんとは不思して
白ヲ立て王たらんとすと仰有けれは陣平
一張良ひそかに立て漢王の足を踏み耳によりて
さゝやきて云漢いまた不定何そ韓信か王たらんを
禁せんや是を立て王とせんにしかじしからすんは
必変を生せんと申漢王則とりてやりて其所
望をかなへ給ひけると云り高祖の心寛仁大度
なるを以め此ゆるやかに臣下を国王に報し其心を
安を皆与之法也
兵法曰軍無財士不来軍無賞士不往又
曰香餌之下必有懸魚魚魚魚魚魚魚魚魚魚魚魚魚魚魚魚魚魚魚魚魚魚魚魚魚魚魚魚魚魚魚魚魚魚魚魚魚魚魚魚魚魚魚魚魚魚魚魚魚魚魚魚魚魚魚魚魚魚魚魚魚魚魚魚魚魚魚魚魚魚魚魚魚魚魚魚魚魚魚魚魚魚魚魚魚魚魚魚魚魚魚魚
夫故禮者士之所歸賞者士之所死招其
所歸示其所死則所求者至故禮而後悔
者士不止賞而後悔者士不使礼賞不倦
則士争死太公曰以餌取魚々可殺以禄
取人々可竭
奪はうばふ也利は人の悦所なりといへとも利過[ル]
時は始を忘るゝ故に終を怠り主君をないかしろに
致し逆意を企る事有然は利を与ゆるも其人に
依て高下を致し其心怠る者をば利を奪取
て其災を去る是奪なり
兵法曰無借人困柄借国柄則失其權云々
註曰柄者上之所執而下之所従也不可
以借人借人則失其權是倒持太阿授人
以柄也云々
漢高祖栄陽の囲みをのかれ給時は纔に独身のみ
なりけるに韓信張耳か人数はいまた金かり
ける故則彼等か陣に入て大将の印を奪なら
其人数をひきい給ふと云是可奪を奪なり
〽一度は与へ一度は奪と云事あり敵の勘弁或は
味方の人数をあつかふに一度は与へて悦しめ一度は
奪て其心をまとわし是を以手段とするなり
兵法曰一與一奪といへり
楠正成天王寺へ出張の時渡辺の橋の南に陣を取
京勢大軍にて是をうつ梅か勢一戦に変して
引退京勢是に利を得てつゝいて追懸[ル]柏湖に
人数を廻し三方ゟ京勢を取廻尽く是を討
め此手立皆一度は利を与一度は利を奪武略也
可与を奪と云事有云心は利を与へんと思ふと
云共其志物に屈し臆し或は難に望んて信
実を失ふ事ありやと其心底をはからん為先
是を奪て其安んする所を勘弁致す是可与
興意成といへ共熊と是を奪也
〽可奪を与ルと云事有奥意は可奪心也といへとも
先是に利を与へ其心をたゆませてその油断を
考て撃之武略也
〽楠正成天王寺へ出張之時京都之討手度々利を
失ひける故両六波羅より重て宇都宮公総を
指遣ヌ公総僅の小勢にてうちむかい思ひ切たる
気色なり既に楠か陳天王寺の近所柱本と云
所に着陣致す指暫く思案致し夜中に則
天王寺の陣を引退うつの宮翌日天王寺へ押寄
けれ共敵なけれは不出合公綱不戦して利を
得ける四五日過て柏野伏共を四五千計集め兵二
三百騎指添四方の峯〳〵に篝をたき日を追て
公綱か陣へ近付は公綱終に天王寺を引けると云々
是終に是を可奪と思へとも其説気をさけ
へき為熊と利を与へ其志を令怠たるなり
又文和元年尊氏京都に居不被申故京都無
勢也此時若南方より隙を窺出はあしかりなんと
義詮ひそかに思維を廻らし京都を無為に
せん為南方へ使を遣し和睦を乞給ふ南帝も
わざと京都を油断させん為に和睦の義に従へり
義詮和睦を悦て備怠りける所へ福正儀已下の
一言俄に押寄て義詮を出京せしめたり
是利を奪ん為熊と利を与たる手立なり
漢高祖天下の主として軍功のありける衆に
恩賞を宛行給ふ時蕭何已下廿余人のみを
報して其外はいまた報し給はさりける高祖
浴湯の南宮に出御成て諸将の或五人三人計
一むれに居て物語仕るを見給ひ張良を召て
問給へは張良何もむほんを企んとはかるの由
申上ける故高祖大きに驚思召ていかゝすへきと
仰あり張良申けるは高祖已に天下を掌に
入給ふといへとも恩賞を宛行ひ給ふは故人のみ也
爰を以平生の誤り有しは誤り故に恩賞に
不預かとうたかひ降参の衆は是をあやふみやむ
事をふ得して謀叛を企んと致也若是をなつ
けんとならは平生君のにくみ思召臣下の諸人
是を存たる者を召出されて俸禄をなし給うは
郡臣の疑ひ散すへき由を申依之高祖張良かねに
従ひ雍歯を用ひて賞せらる雍世といへる
者は日比高祖の怨思召給ふ者や爰に於て諸
人の心尽くうたかひを散しけると云々是与ゆ
まじき所雁然たりといへとも一時の手段に
依て諸人の疑ひを散し給ふ武略なり
漢楚の戦に頂羽ゟ漢わへ使者を送れり陣平
初に是を馳走致し引出物を与へ乱重んし
漢の物語なとを致て俄に頂羽より来れる使
者也と聞て初与へし引出物を尽く引返礼を
おろそかに致す初は范増ゟの使とこそ思ひたれ
項羽よりの使者と知らはかく漢の事語る間敷をと
つふやきける是ゟ頂羽花堀をうたかへり是可
奪を先与る武略也
〽以上大将の八境界と云は前に云ことく敵あい
人数あつかひ其事に依て用捨勘弁致す
手立也大将の心得其侭実にかなふ時は必
め此致はかりと云に非す万事に損徳相対し
利ふ利こと〳〵く有へけれは一様に不可存と
云心得なり重々口伝を受へし
□□□□□□□□
戸
名
}
府田副
同じ
武備第十六
威愛
同同同三和三年
▼
□□□□□□
一兵法神武雄備集武備第十六
威愛
目録
一強弱
一剛柔
一文武
一成愛
兵法神武雄備集武備第十六
感愛
○強弱
一私曰此篇又強弱の類を集是を記し折揚の篇と
相均しからしむ大将受用勘弁の工夫思案ある事也
一強
私曰強と云はあくまで意地強く物是に触る時は
花くじけ花やぶるゝ是を強と云り縦は大石のかたく
強きかことし石は其体かたく強くしなひ和しく
事なし然と云共或は物にあふて其侭砕クル
事有全く是を保つ事成かたし弓矢の道も
又如此純強にしてしなひやわらぐ事あら
されは石の全体かたくして物に応してくだくる
事あるかことく後道の勝利を不知進退前後
わきまへなく物のせんさく安しからす只つよみ
計にして或は我意を用ひ或は奢有て誤り
をうる事多し然共勇強は兵の本なれは是を
捨へきにはあらす其過ル所を嫌ふのみ也
二弱
私曰弱はよわき也縦は鶏卵の如く物に当ル時は
破別或は水のことし高をさけて低きにつく堅く
強体にはあらさる是を弱と云也然共かたきを和ぜ
強をしなゆるは弱に過たるはあらすされは弱も用る
所有と云り兵法の道一様に不極其用所に依て
其品けりある事也
三強弱
私曰強と弱と其品天地雲泥の謡也といへ共可用時
有不可用時有縦は車輪のことくかた〳〵を捨る時は
其車行ず
兵法曰弱有所用強有所如と云り強を以弱を論
する時は弱は強に不可當然れとも所により時に
依て弱国強に可敵故に強弱二ツなから用て
或は捨或は取其変化品〳〵可有事なれは大将
此二ツを兼備致し用捨勿論たるへし
能弱能強其国弥彰と云々
又曰強弱に三の品有大将の強弱兵の強弱時の強
弱也第一大将の強弱と云は大将生れ付に備れる
剛臆を云㐧二兵の強弱と云は大将剛と云は大将剛といへ共
一士卒未調三軍不和か故に其備堅固ならす
是弱兵なり将自ラ戦功をなさすと云共備正しく
其鉾先つよき是を強兵と云也㐧三時の強弱と
云は其時の勢に依て或は強く或は弱き是也め此
心得を以兵法の勘弁あるへし
剛柔
一町
私云剛と云はこわきなりこわきと云は専強しと云共
其道理正ク万事の理に徹し能通りて剛性成と
云共時により所に随て又しなふ事有之是を剛と
云也縦は金のことし金はかたく強体あれ共火を
以是を焼時は尽くころけ万の器物を作り万民
用所をなさしむ弓矢の道又如此剛強の意地
ありと云共跡先を考へ後道をせんさくして
万事に其本をふまへ末をさぐり豆にねれたる
所ある是剛也唐の諸葛孔明晋の羊祐日本
の武将甲陽武田信玄の類副兵を用大将と立し
二柔
私曰柔はやわらか成事也やはらか成と云は物にしなへ
る所ありてねばく強き事を云り譬は綿の
ことし其体やわらかにして物に不当是を用る
時は強キ是業なり弓矢の道又如此或は帰伏の
士と成或は降参して旗下と成其時節を待不
意を考柳の糸の風に従ておれさるがことく致ヌ
是柔将の法也
三剛柔
私曰柔と剛とは強と弱とのことし然共其心得
用る所又大に替れり
兵法曰自其体而言之則曰剛柔自其用而言
之則曰強弱といへり爰を以案するに剛柔は
体にして強弱は用也剛に放するには柔を以し
強に敵するには弱を以すめ此義を工夫致し
其相応を用ル時は法必理に可叶大将の心得
可為肝要なり
兵法曰柔有所設剛有所施又曰兼剛柔者
兵之事也と云々到菜強弱の郷は万物のみ形に
備りて有之品々なり然共用るに其道を不得時は
或は過或は不及して身を失ひ家を亡や用る事
其能に叶ふ時は四所共に其所を得へし数合人数
あつかひ其配立品々に随て可致工夫義なり
○文武
一文
一私曰文と云は其品多し詩を作り歌をよみ管絃
詠曲に携るも文と云古語を広く覚書漢を探り
博聞多識成をも云然共此二ツは真実の文にあらす
或は口才弁舌と成或は高慢我慢と成て今日の
我身を治る受用と不可成人々能可心得縦文学を
不覚詩を作り文を不書共我心の邪曲を去り
仁愛を勤め邪正分明ならしめて鏡の物を
照すか如く成時は内に私欲の惑ひ七情の邪なく
正義正法に可叶是真実の文なり将よく心を
文に寄せ給はゝ国家安穏に四海平均なる源
是に過ず詩を詠し文を作るを嫌ふと云には
非す信言の文を行ひ得て或は時の感を催し
或は人の心を和くへき其用所に於てなす時は
是又文と云へし
兵法曰免人之死解人之難救人之患済人之
急者德也徳之所在天下歸之與人同憂
同樂同好同悪者義也義之所在天下皈之云々
徳と義とは文の根源なり重々受用を得へし
二武
私云武と云に其品又多し人を殺し血気を
励而勇強を専と致は是血気の勇なり是一ツ又生れ
付て自然と勇猛なるあり是は生徳気質の
勇也是二ツ又心に嗜みふかく義を守節に望て
いさみふかく危きを見て命を鵜毛より軽んする
是勉強の武勇也是三又生死を天命に任せ
心に心を顧て内のけからわしき所なく事に
望物にあふて慎みふかく死を大切に守る類は
常に其行ひ妄りならす仁義を勤る所深けれは
是を仁義の勇と可言是四文を以是を撫育教
導致すといへとも或は上をないかしろに致し
或は下をそこなひ悪逆無道の罪人あれは干戈
をおこし是を誅し万民を安んする是はすに
論する所の勇武なり然るに其徳多端にして
一様にあらず若其法を不知時は姦佞を戒り
事心のまゝならすして却る災を受る事有
天下雖太平忘戦必亡といへり譬国家無事
にして太平安穏成といへ共乱の不起に其機を
察し法を極メて武備をとゝのへさる時は兵尽て怠り
法不知而三軍和調せず故に武の法を立て教之也
三文武
一私曰天下の事一ツもかた落る時は必費有殊に文
武の二ツは何茂将の用る要法なり一ツも不可捨
凡国の政専ゆるやか成時は天下の諸氏給ら怠り
法を不知是治国文道のかたおつるゆへ也又政道
厳重にしてきぶく仕置を致し勇猛を極むれは
民是に苦しみそこなわるゝが故手足を置に
所なし是武を用るの過れはなり軍法国法
文武の用所一人一己の心得皆め此なるへし
兵法曰昔承桑氏君修徳廃武以滅其国有庵
氏之君恃衆好勇以喪其社稷明主鑒焉必
内修文德外治武備故當敵而不進無逮於義
矣価屍而哀之無逮於仁矣云々
孫子曰令之以文齊之以武云々
今案するに文武は陽と陰となり縦は天地の
ことく縦は四時のことし其本源を尋る時は二なから
其徳広大なり故に其間に善悪是非の批判
を不可言只用る事不足時は正道を得す用る事
餘りある時は邪路に入爰を以国を亡し家を
失も文武の過不及より出るなり或人問曰
文と武とは人の左右の手のことしといへる義
勿論なりといへ共是を用るに前後の品可有事歟
〽答曰文武の理り前段に顕然たり文を用る共
武を心に不忘武を用る時も文を心に忘さる
ことく致すへし其内太平の時長久の末には
武を専心にかけ乱世の時には文を心に不捨と
申伝たり世久しく相承の後は諸侍共に心怠り
風流を好て作法を取失ひ不入事に心を費事
多し爰を以守成の世には武を不忘ことく可動
草創の代には国家敗乱の期にして日夜合戦盛に
漸世治れりといへとも剛強の風俗にして礼儀
徳行を不可知此故に礼節を教へ文学を励し一動
大概此心可然と先師侍給へり
又問文道を勤仁義を学び道徳に志ある人は
兵法の道を不知といへ共人に勝ことはりおのつから
可兼備なれは武備を不勤共可然事歟
答曰世殊時異なり彼も一時也是も一時也と云り
上古には人の心すなほに世の事わざも質朴
なりけれは上下共に合体の仁徳に然に備れり
是を上代と云り中古に及て人の気質漸々
裏利欲にふけり名誉を求る故に賞罰法令
を極めて民を撫育教導致にあらされは心す
なほならす近代に及て人の心常に偽臣として
君を殺し子として親をそこなふ愚人多し
故に末世の風俗忽に上古に皈る事は可難有
是時か矢に世こと也文を用ひて武の法を捨は
花かたおつへし文武は一体にして分ツへからざ
れ共其作法は不覚は不知故武を不知して可
ならんとは難定文武は只車の両輪のことく
成と知へし
又間曰道理至極致したる時は作法を不知共
全く可勝事可有縦は悪人善人と其理り雲
泥万里の隔なれは仁義調る時は悪逆の兵に
勝へし縦は作法を不知共道理を能守しは可有
必勝其理いかん答曰愚逆は縦は一旦の利潤を
なすと云共終に天理に背事勿論也然共道理を
知時は作法を不知共必勝の利あらんといふ事
大成誤なり理の善悪と事の善悪と其分チ
あり理を以云時は悪に苦は不可放事を以云時は
其事にたんれんの者は不鍛煉の大将に勝
是を事の善悪と云也縦は仁義の道を知り
万事の理に不暗者あらんに其身剣術を不知
又壱人は不知不第にし家物の道理をは弁へ
しらされ共剣術上手なり此両人理を以いはゝ
不知不才の者は博聞多識の者に不可敵といへ共
剣術の事わざに至りては其事の上手可為
必勝万事如此昔孟掌君と云もの秦にとら
はれたる時鶏鳴狗吠の人有て漸其難をのかれ
出けるといへり此時にあたりては聖人君子を
おくとも此難をのがるゝ事有へからす但善人は
あらかしめ思慮して如此難に不可逢のみか様の
所を以云に賢人君子たりと云共其所作事業
を露して人に勝事を云は理あつて事を
捨る也爰を以周公旦の撰へる用礼と云書物に
四時の田猟を定め軍旅を士卒に不令甚
大閉の法を立給へり聖人の事を不捨事如此
能々可施工夫事也
○威愛
一成
私曰威と云は人をおどし恐れゑむる事也人を
おどすは悪に入間敷兼てのあらましなり悪を
こらすは苔をすゝめんか為也大将に威儀厳
重ならされは人是を侮りないかしろにして
法令おろそかに下知調らす古今其例多し
但つくりて人に恐れしむまはあらす大将
心に信実深き時は自然に威儀備るへし
威儀全時は兵其其下知を重んし進退共に節に
応し其利全かるへし是を将の威と云也
兵法曰畏我侮敵云云
二愛
私曰愛と云は慈悲を専として人を憐みいたはる事也
士卒を撫育致し人民を養ひ国家の政道に
仁愛をなすは古の良将の道なり故に一箪之
食一瓢之飲士卒と共に是を飲食致す是皆
士を養の法也此愛たらさる時は士卒和せず
不和時は其本たゝすいかんぞ必勝の利を得ん
や能々工夫致へし
三威愛
私曰威愛の二ツは縦は文武のことし又かた〳〵捨
へからず人をつかふの法は威愛に不可過か故なり
但前後の次第可有人いまた上に思ふ付草業
の主にしては恩愛をふかく致し侍録を過分に
与へて其心を令撫育へし此時威をさきん
すれは心より思ひ不付也人己になつきしたしみて
後には感を以是を恐れしむへし威軽き時は恩に
ほこりて奢を生し上の威を軽んし安し但守成
草業の心得先方譜代を用る法其口伝有へし
兵法曰夫不愛説其心者不我用也不厳畏其心
者不我挙也愛在下順感在上立愛故不二
威故不犯故善将者愛与成而已又曰卒
未親附而罸之則不服不服則難用卒己親
附而罰不行則不可用
或人曰威と愛との二ツ前後の様子其品明かなり
といへ共事に臨て又威をさかんにする事も
可有之歟但必威を後にする事歟善曰威愛は
大将の用也必しも前後を可定様なし唯時に
より人に随て其品可有之然共時代に草業
守成あれは其心得前に云ことく愛を先に致し
威を後にするなりといへるなり又孫子か宮女を切て
威を示し禳黄が荘買を殺して軍の法を
立たる類は威を先立たる手段なり只其時の
変化に応する事是将のつゝしむ所なり
又問曰威愛の事人に依て其替可有歟又用様も
其心得大方定りて可有事歟
答曰其身大名高貴成人は威勢おのつからそな
はかへし故に和を先立て愛を施すへし其身
いやしき人は感不備物なり爰を以愛を次に
して威儀をたゝすへしと云り又威を以人をこら
す時には人悪に入者まれなり愛を以人を散れは
人必す愛に馴て奢生しやすし火ははけしき
を以人是に近付ず水は薬にして人是を侮る
ゆへ溺れ死する者多しと古人も是を
論せり師説に云所かくのことし
太宗曰嚴刑峻法使人畏我而不畏敵朕
甚惑之昔光武以孤軍當王莽百万之稱
非有刑法臨之此何由乎靖曰兵家勝敗
情狀万殊不可以一事推也如陳勝異広
敗秦師豈勝廣刑法能如於秦乎光武之
一同年之趣益頗人心之怨眷也况又王子不
暁兵法徒誇兵衆所以自敗臣按孫子曰
卒未親附而罸之則不服已親附而罰不
行則不可用此言凡将先有愛結於士然
後可以厳刑也若愛未加而独用峻法鮮
克済焉木宋曰南書曰威克厥愛凡濟愛
克厥成允罔功何謂也錯曰愛設於先成
設於後不可及是也若威加於前愛救於於
後無益於事矣尚書所以慎戒其終非
所以謀於始也故孫子之法万代不利云云
狩川
武備第十七
兵法神武雄備集
□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□
〆
□□□
□□□□□□□
〆
べ
〆
○兵法神武雄備集武備第十七
陳練上目録
一備を可設心持六ヶ条之事
一備四之作法之事
一五拾騎一備人数積拾一ヶ条之事
上
一同年邦雄備集武備第十七
武備第十七
陳練俊俗陳曰備
○備を可設心持
一備の道理を可知事
私云備と云は人数をわりち兵を備ふる計を云に非す
万事に付て其事の顕れさるにあらかしめその
わさを計行あたりてあぐまさることく備
調ふる是を備と云広く云時は天地陰陽の根源ゟ
人生日用の今に至迄備を離れたる事不可有
然る故に士農工商の心民備を不知時は必つま
つくへし縦は武門にはんより武士の作法を知て
其源を極め兵法を調へ其道深く修練をなす
是武士の備なり農人は五穀の品を知り農業の
営みを知り春は耕シ夏は粒り秋は収蔵して
其事に怠らさる是を農の備と云へし工商
共に此道理たり世界に其形をあらわすゑ
いきとせいける者何も此備を離る事不可有
兵法に用る所の備の本説又如此文に於て
武を不忘武に於て文をわすれさる皆此備の
道理なり夏はあつくして衣服用へから
されとも冬の備に衣服を不捨三冬は寒くして
単衣を不用と云共夏の来らん備に夏衣を
不捨此心を請て教いまた起らすと云共手分を
なし人数をそのへて備を設る是兵法の備の
本意なり果子云自出門如見敵是を謂備
と有能々可有工夫なり
二手分手配手組の事
私兵人数をわかち備をなすには品々口伝多と
云とも此三を玉とす第一手分と云は人数を
かす〳〵に分つ事也縦は千の人数ならは五拾騎に
手を分て廿備に定候数を廿に分ツ所是を手分
と云千の人数は大軍大勢なりと云共手をわかた
されは勝負に一二奇正を持事成かたし此道理を
辨へて手分をなす是兵法の大事也兵法曰
治衆如治寡分数是也と云々分数とは備を数
数に定め手数をあまたに分ツ是を分数といへり
〽手配と云は右の千の人数を廿備に定たるを四億
宛四方に配り前後左右を守ししめ中央旗本に
四備配る是手を配る也縦手を分たりと云共
四方へ配分は透間もなく是を守らしめされは
わかてる徳あらす故に第二に手配を干要と
する也手を配と云の心也若手配あしき時は
置ましき所に備を置防間敷所を防かしむる
を以不入兵を多く用て備をわかてる徳あらす
其損多し其善悪は将の工夫に可有手組と
云は手を組合する事也右の四方へ四備宛にわか
ちたる備を前後左右共に一二の組を定一の先
九月十一月十一月十九日敗軍せは二の手を以勝をか定先衆
及はゝ左の脇備をくり出して又一二を可組なとゝ
一教により酒に随て互に相たすけ相救の
一約を定る是皆手組の作法也兵法曰使衆
如使寡形名是也と云々形名と云は金穀雑礼の
形名を定て前後首尾の約をなし互に相すく
わしむる作法也縦手分手配有之と云共手組を
なさゝる時は備いくゑあり共一重かわや故に手組
をあらわすなり
〽右の三ヶ条は人数をわかつ時不用而不叶手立也
と云共用る善悪に依て不用にひとしかるへけれは
将能工夫をなすへし念は末伍の作頭の所に
出たり重々口伝を可受一身の手分手配手組
心得第一なり
三人数をわかつへき心得の事
私云小をつかふ事は安く大を用る事は難成子細は
一進退共に心のまゝならす下知自由にもとをらさるが
故図に当てとゝまれと云共止る事かたく進めと
いへ共進事心の侭ならす此故に良将大軍を用ル
には備を数〳〵になし手分手配を用ひ手数を
余多に定むるが故其自由吉縦は三拾人を一組
とし五拾人を一手と致しそれに組頭番頭を
申付れは壱人を能治れは其一手心安く
可従是手をわかつの徳大をつかふ事にをつかふ
にひとしき道理也天地の間其万物の形をしき
森羅万義ならしむれ共其源は陰陽五行に
過さるかことししかれとも人数をわかつは宜し
きと計心得て手を分る本理をしらされはわか
つましき処をわかつ事多し百の人数を五人宛
廿に分ツも手分にてあれとも是其理を不知
して其事わたをのみ心得に依て如此其様
ある事を不知なり
同同三千一合戦三千三千三合戦之事
私兵是は兵の分数あるとあらさると其損徳各別
なる事を論せり云心は三千を一備に作りて備
たる故に三千を五百宛に手分して六個に手配
致せる備と両方共に場よしにて合戦を遂る時
一百五十一備の人数大倫にて勢強は一備二備
三備迄も六備の方敗軍たるへし四備目には
三千一備の方成敗北すへし子畑は人馬三合
戦に息切半労し半は手を負て堅く働くもの
三分が一は中〳〵不有之其時分新手五百入かへは
三千一備の方こらへす敗るへし是同し人数にても
手分手配無之と其損徳善悪分明也大軍小勢
に不限人数をわくる事は将の可慎所を尋有之義也
一手別手別手別手別手別手一手の事
私兵一手別手と云は縦は先衆は一二共に何も一手の
先衆なりといへとも一二をわけて一は進んて
戦ひ二は守りて勝ことく一手を別手のことく
ならしむか是を一手の別手といふなり足軽五
拾人は一手なれとも五人宛に手を分て十に
つらなる是又一手の別手なり又足軽長柄馬
上施を合て一手一備と致といへとも足軽長柄
馬上夫〳〵の勝負を持始終の勝負を全く致は一手
なりと云共勝負は三段に持て次第を不乱皆是
一手の別手の心也猶広くいふ時は先脇後旗本
何も一軍たれ共手を分[キ]所を手を手を手を配て勝負を
一全く致す是又一手の別手也大小上下共に此心
持は一ッ也能々口伝を可請別手の一手といふは
別手なりと思時は首尾ふ合して前後相隔り
互に救ひ互にたすくるに其図をはつす事
多し故に別手にして一手の心を可持といふ義也
〽一二と備をわかつは陰陽奇正の心得各別なりといへ共
一の先進て戦時二の手其入合を見て横鑓を入
一軍をたすくる其図を知る事は一二各別也とお
もふては合蒔致難し則我備をうたるゝことくに
存して相たすくる是別手に一手を持と云心也
近く譬を取ていはゝ骨体手足何茂一体具足の
身なれとも手足各別の用をなす是一手にして
別手なるに非すや頭ゟ足の裏に至迄痛き時は
心に通しかゆき時は心に覚へ左の手出れは
右の手は入皆是一身の用所成を以心に通する
事速なるは元来別手も一手成かゆへ也常山の
蛇の首を撃は尾いたり尾をうては首至り中を
うては首尾共にいたるかことし是は兵法の
至極なれは能々可受口伝なり
○備に四の作法有之事
一結事口伝
古老伝に曰結とは組たる手を一ツに集メ丸く備を云なり
私曰備を四方に配て前後を防き左右をしとむ
には場を取事広きか故に小勢なりと云共
大軍の用をなすへし或部を引出して場よしの
一戦を可持歟味方の人数を小勢にみせて利有
時備を結と云事有之也其作頭前備曳ヲ有之共
一所に集てまとはしめ賜賜幾手有共又一所に
まとひ場をちじめ約束を定て味方の人数
小備なることく数に見せしむる是を結と云也
ときひろけたる糸を結合て一ツに致せるかことし
猶口伝有之義なり
二解事口伝
古老伝に曰結たる備を解て陰陽をわけ高陽
の地に居せしむる義なり
私曰解と云は手組手配有之人数を高陽の
↑
場に備しめ陰陽斎正一二をわかち常より備間
を遠く場広く備是を解と云なり是は数をおそれ
しめ大軍にみせて敵の勢を失ふ時に可用武略
の備なり味方高陽の地に居て敵を早下の
場にをく時は合戦の勢各別にしてひきゝ所より
高き所の人数を見ては前後見切られ御なか
故に大軍のことくみゆるもの也故に高場の地に
可令居と云也又曰前のことく結へる備を本の
ことく備へしむるをとくと云共いへり
或人曰結解と云事故に随て用る武略の論
其理至極せりといへ共大節の敵を前に請碁石を
以て合戦備を配ることく自由に人数を指引致
事可難叶但別に其作法有之事歟と云々
〽予先年其数有之て委しく其理をせんさく
せり凡敵を引可出時に備をむすひ敵に成を可参時に
一備を解是解と結の本説也然るに敵を引出すと
云は前にひかへたる敵を云にあらす或切所を構
地形の堅固に依て備へたる敵をこなたの場
よしへ引かけて可討時に備を結ふ是を見て
備をむすふか故に危き事不可有是一
旗本へ惣軍を丸く備へたりとも押太鼓
相図の旗を以前後左右へ手配定のことく
ならしむるに遅々零有是二敵かゝり来ると
云共鳥の如く飛にあらす魚のごとくにくゝるに
非す其間有へけれは其様子を積りて幼木
相図をたかへさらしむ是三め此道理を勘弁
する時は百万の人衆一手にむすひても不苦
古人曰乱而不乱ト云は此心得成へし解と云も
又め此なり
三組事口伝
一
一古老伝に曰組と云は別手一手一手別手の義なり
私云組と云は別手をあわせて一手に組一手を
以て別手に組の類是を組と云也
四たゝむ事口伝
古老伝に曰備をたゝむ時は押行時備はやく立一
二三四五の備続ク事早し尤押行には畳作法を
へし
私曰伯を畳む作法は斯軍の篇に出て数間近き
時は必備をたゝ見て可押不意に設にあへる
時備を像に立るに頭奉行手簡をとらす則
座備をなす是畳む時は備早く立の道理なり
殊に押行時二行に計おす時は一約の備おし
間数百歩に可及たゝみておす時は一二三の備間
相近く一二の備立るに其便宜しめ此なる徳多
きか故に備をたゝむ事大事也といへり
右四ヶ条は備を立るに不用してふけ事なれは
口伝重々可有之義なり
○備立人数積りの事
一五拾騎一備人数積り十一ヶ条
一士大将壱人上下六拾人乗馬三疋夫馬八疋
二五拾騎の士之組頭弐人上下三拾人
三騎馬五拾騎上下五百人
一四於奉行壱人上下弐拾人
一五族拾本圓居高印弐本をかつく者三拾五人
六足軽大将弐人上下三拾人
七惣あし軽七拾弐人
八長柄奉行壱人上下拾五人
九長柄持三拾人長柄三拾本
十貝太鼓役人弐人上下六人
十一太鼓せおふもの弐人貝持壱人
都合八百弐拾三人
人数の積と云は其国により所により又は其大将の
家風によりて替り可有事なれは其積
かねて定かたしと云共如此記並事は戦場へ
出る人数一備の様子を知時は此作法を請て
多少の替り其品は各別たるといへとも大概
其作法大格をしらしめんか為に心をつけて
是を書キ記せるなり
十八日
狩猟
して
武備第十七
同同年十月年兵法神武雄備集
か
一兵法神武雄備集武備第十七
練陳下目録
一伍之行列并図之事
一五行座備作法十ヶ条之事
一三陰陽之事
一三才之備之事
一方図座備之事
一座備に付軍法拾六ケ条之事
一甲陽武田信玄座備之事
一同信玄家備之事
□□□□□□□□
一弱備之穿鑿七ヶ条之事同心得之事
同同年英雄備集武備第十七
練陳下
○伍々の行列作法并図
一伍の備口伝
私云伍の備と云事其作法異朝ゟ事起れり
故に七書に於て其説多し本朝の古へ吉備朝臣
真偽天平の比入唐して兵法の要を伝へしより
大江匡房卿の軍記等にも大概其品を記せり
然とも上古の説にして当世に可用所分明難成
元弘建武の比楠正成正行父子於武将は其名
盛にして遺書等世に流布すと云共多は雑説
有之て信用致かたし此故に其法をはぶいて
爰に是をふ記夫伍と云は五人を伍とすと云る
是や天地の方角を定るに東西南北に中央を
加へて是を五方とす人の身を防くに前後左右に
不過中央を加へて五とすへし此故に備の始る所
数五より起れり是を信する時は伍々廿五人弐千
五百人或壱万弐千五百人と云是皆五ゟ起れる所也
其作法五人を五つにわけ五人を五方へ配り前ゟ
来る敵をは左より是を救後より来る敵をは
右よりたすけて是を討中をうたは前後左右
共に是を可守護と手組を致し中央を将の
陣と定て四方に人数をわけ互に守りわゝれば
五つたりと云共合すれは一つたり紛々無々闘乱而
不乱是伍の法也若広く云時は三軍六軍の大軍を
引卒して備を立人数をわかつ共此五法を離へ
からす故に是を備の初と号せる也大概当時人数を
組に五人を一組とし或廿五人或五拾人を一手と
わかつ是皆五の作法也重々口伝を受へし
問對中云大宗云伍法有数家孰者為要靖
曰臣按春秋孝氏伝云先偏後伍又司馬法
曰五人為伍尉繚子有束伍令漢制有尺籍
伍符云云臣酌其法自五人而變爲二十五
人自二十五人而変為七十五人此則歩卒
七十二人之制也云云小列之五人大列之
二十五人参列之七十五人参列之七十五人又五参其数得
三百七十五人三百人為正六十人為正六十人為奇此
則百五十人分為二正而三十人分為二奇
盖左右等也云云兵必有数々必有所始五
也者天地之中数々之所始也河図之象以
五為天地之数洛書之象以五居中央之位
是五者数之所由致也成周之法六郷之民
以五家為比其所以然者将以寓用兵之法
也故用兵之法五人為伍而周之民入以為
農出以為兵其為五者而其為比者也自伍
而卒其為伍也二十自卒而旅其為伍也二十自卒而旅其為伍也二
千五百人此三軍之衆莫不自伍而始則成
周之伍法誠為兵家之要也尉繚子曰古者
士有什伍車有偏列云云又曰量吾境内之
民無伍莫能正矣云云
伍法図
此図進備ノ形也
此図待備之形也
●一日
伍々廿五人図
●〇〇一〇〇
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十一日
・
五行座備作法十一ヶ条之事
一五重の座備の事
古老侍に曰五重の座備と云は五拾騎六拾騎計一備に
致して用る時の備を可立作法也方円座備の時茂前後
左右の諸手は皆五行の座備を可用なり
私曰五重の座備と云は縦馬上五拾騎百騎を一備に
致とも一備といたす時人衆を配る是五重の座備と
云也五重と云は足軽長柄馬上旗馬と五ツに分て備を
立るか故也委細絵図にくわし
二備を五重に亘るには一足軽二長柄三武者四族五惣高也
円居貝太鼓は大将の前に可備
私兵戦場へ出る役者其数多しといへとも戦に望て
勝負を甚敷致は弓鉄砲に不過其故は弓鉄砲は
敵味方間五十間三十間を隔たる時分ゟ足軽を
かけて迫合を始遠き勝負をなさしめ数をあら
こなし致さしむる是足軽の役義也故に第一に弓鉄
砲の足軽を用遠近勝負の様子は別巻に出てせり
第二に長柄是は太方三間柄の鑓を五拾本三拾本三拾本
かつかせて奉行指添可有之弓鉄砲の足軽拾間
一拾五間計備間近く迄入替〳〵うち立て程近く
成足軽せり合難叶時図を見計て右の長柄にて
敵の備をたゝき立る是長柄を第二に立る子細
なり〽第三に馬上是は右二色にて勝負をきわめ
馬上を以かたく短兵を急にましへしむる時は
かたずと云事不可有爰を以馬上を第三に
備るなり㐧四に旗を立[ル事は額は勝負の時働ク
物にあらす前後の指引をなしあいつを定る制
法の壱つなるか故持小旗を期に可備と云是なり
㐧五に惣馬是は馬上おり立て其馬を備の跡に
置馬印を立て是を来り故に馬を跡に置以上
是を五行の座備と云なり貝太鼓は大将の前に
有て備の指引進退の下知をなさしむへし
作法くわしく絵図に出之
三武者奉行と云事不可有其大将則武者奉行の
ことく乗廻りて下知を可致事
私云是は小備には武者奉行あるへからす其大将
則是[[][[[]][[]][[]]と[[[]][[]]と云義なり
一四馬上は皆おり立て如絵図五重に備者頭物奉行足軽
大将侍大将は馬上なるへき事
私云おり立と云は一事はなれて馬をは
□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□
歩立て勝負を致事也其故は馬上にておる時は
兵士一定せず備さだち安し馬はなれ折敷折立
時は惣侍足を失へるに同意にして少も退事なく
備後へからす是故に大部に逢時はをり敷て無二
の防戦をなす事多し毒細は下に書之者頭
物奉行の顔は乗廻りてかけ引の下知を可致為
なるか故馬をはなたさるなり
又曰備の跡に立る事備ゟ五拾歩三拾歩を隔て
備ふへし備へ間ちかくしては損多かるへしと云々
是に依て古法に馬を備の右の方に寄せて丸く
備へたる例有之是は侍備へも近く又備間遠き
心得も可有か様の事は遂待の心持に依て遠
近の様子有之と見えたり重々口伝を可受事
五足軽は何茂弐ツにわけて陰陽を定五人に壱人の
驚固を指添小連りにつらなりて弓を射鉄炮を放ツ
ともかたみに放して矢づかひ薬込の間を全くすへし
私云是はあし軽の巻に出みか故爰には略之
六諸侍持筒持弓等有之時は其心得口伝
私云諸侍組づき衆身の分限に従て弓鉄砲を
もたする事可有之左様の時弓鉄砲自分に
多くあらは一組にして一手の用に立る事も可有之
又は其侭面々のかたわらにもたせ置事も可有之
備のやうすに可依事なれは口伝を可受
一七侍大将自分の馬上有之時は組付の諸士の跡に置一手に
別手を可と持事
八旗本ゟ検使目付等有之時は士大将の左右に可置事
私云旗本ゟ来れる検使目付を故なく先なとへ
出さゞるものなり子細重々有之
九長柄鑓武功之事
私言長柄鑓上代は三間相也当代は柄みしかきを用
是は長柄を別人に渡して勝負をつよく可令持為
なり其時宜に依へし子細寡戦に出て
十しまり足軽の事
私云是亦寡戦に出之
十一五重に立る事は木火土金水を表してめ此なり
私云五重といふは五行を表するなり
○五行座備図
一
一足軽大将
一
○
一
○奉行
長柄
○目付
龍
○貝
旗○馬印
○旗奉行士大将旗○馬印惣馬
○太鼓
○奉行
足軽大将
○目明
一
一○足軽大将与頭
一
一目村
一貝
○龍○
馬
○龍○旗一〇馬
太鼓
太鼓
二
一一
与頭教言図
一〇足軽大将
一
〇一二陰陽の事
一古老伝に曰一を湯とし二を陰とすへし口伝
私云兵法の根元は天地に本つけり天地の源は陰
陽の外ならす然るに陰は其体静にして退くを
以能とす所謂太極静にして陰を生すと云是也
陽は其体動ひて進むを以能とす太極動て
陽を生すと云是なり陰陽既に顕れて木火土
一金水の五行を生す木火を陽とし金水を陰とす
土を陰陽の中とするといふ是や云心は木火は
動き進むを以てわざとし金水は静に退くを
わたとす木火全れ共に土を不可離是公を中と
する子細なり一を陽とし二を陰とするは一の先
備は動て進み敵とはたへを合せ二は静にして
勝負の変を待花勝の理をなす其体をわくれは
陰陽の動静あるに事ならす兵法至極の陰陽は
別に書之せり丈陰陽の二ツは一物一事に至迄も
不離道理也爰を以備に一二なき時は陰陽不有か
故に理不分明而其変自由ならす縦又二の備
ありと云共一の備有て合戦を不始はいかんそ其功
を成就せんや陰は陽を受て万物を生を進し
むるかことし天は陽也地は陰なり天道の陽気循
環して四時に応して雨露霜雪あり其仁を
受て地に万象を発見す去程に陰の徳
大なりと云共又陽なくんは其德を顕すへからす
天の地におけるも又如此縦一の備有て敵に
逢と云共二の手つゝく備なくは其功をなす
事かたかるへし是陰も陽をはなれす陽も
陰をはなれす陽と陰と相応して始る所有て
終る所を請る也凡天は地の応陽は陰の応なり
若其応なき時には万物不可成就臣は君の
為に応なるか故に聖君有之も賢臣なけれは
其功を不得賢臣有ても上に聖主の応なけれは
不合体備も又如此なれは能々可受口伝委細は
不及筆
又曰一を陰とし二を陽とすといへり云つは一軍を
以合戦を始熊と備を乱して退散に餌をあたへ
其備を乱して二の備を進め横合ゟ合戦を始る
時は敦縦剛強成と云共必敗軍すへし故に一は
進むといへ共心に退く処を持か故に陰の備と云也
二は静に待といへ共進みて一戦をなすを利とす
故に二を陽とするなり又曰右を陰とし左を
陽とすともいへり委細は別巻に出之
〽或曰陽は進み陰は退くと云事其断いかん答曰
陰と陽と進退を以其能とする事其故有近ク
縦を取て云時は人間六拾年を定命とすされは
半にして三拾年迄を陽とし三拾年以後を陰
とす年わかく血気盛なる時は気の進む事
多し是陽の過たる所なり三拾をこして後は気の
うはもる事なく思量ふかくして始終を考へ
前後をたくらべて一事をなす共誅草成事
非す是陰にて退が故也
兵法曰陽者謂盛其勢陰者謂隠其機云云
図云
三三三三三三三三三三三三
田川三三
●
私云竒正一二を持備は何もめ此たるへし前軍計
如此なりと云にはあらす左右後備共に一二陰陽を
持の備いつれも此通り成へし
又曰一は必右に備二は必左に備る事其子幼ある事
なり左に一を備右に二を備へて作法順逆替れり
是一横鑓を入て二の勝をとるに放の右押付へ
かゝる是二右に二の手を備なは必故致事
有へし是三めひの損徳を考せ右に三をわかち
備るなり猶口伝を受へし
二の手備を過たる図竪五竪五横と云是なり
私云一手は敵に向て備へ二手は備を四竪に
畳たる図如此惣して向て戦ふ備をは五横に
立てすゝみて戦備をは四竪にたゝむ事其徳
多し故に車かゝり或座備等に畳備
有之は別に子細有かゆへなり
〇三才の備の事
一天陣人陣地陣是を三才の備と云へめひ侍受して
妾は口伝を可受
私云陰陽の二陣に一軍をかへて三陣と致し
一を天陣と号し二を人陣とし三を地陣とす
凡天統は子に始り地統は世に始り人統は寧始レり
然るに天は万物に先立て覆て外なき是を天の
徳とす地は万象の終る所を得て載て捨る事
なきを地の徳とせり人は天地の中を更陰陽を
全くして万物の霊長たる事を得たり伏義
仰而視天俯而観地中而察人と云是なり
此三才を形取備に三段を設けて一を天とす
云心は備の最初に有て額にはたへを合て勝負
を示す事縦は天の万物の始として其長物た
なかことし第二を旗本に備へ是を人陣と名
付立心は天地位を定むと云共其中間に人有て
陰陽を定め四時をわけ日月の運行を考へ
十二月を一年とし三十日を一月と定七拾二候
廿四節を品々にして日蝕月蝕をはかり地に
山川の名を付国をひらき境を立耕作を
おしへ田畠をおこし其業を定めて四民と名付
国土に遊民なからしめ縦大雨暴風大旱洪水
等の災有と云共国土の害なからしめ豊年の
たくわへをなして野に餓草なからしむる事
是皆人の徳にあらすや或舟橋を作りて水地を
渡し或車馬を以陸行をなすされは天地の
徳莫大なりといへとも中間に人有て天の
徳を顕し地の功を称せすんはいかんそ末世に
於其功徳の大なる事をしらんや此道理を以て
備に旗本を立前後の中に陣せしめ先衆勝負の
様子を見合味方の勝敗を下知致し後陣に
しまりを用て必勝の心を持しむ是於本人陣の
徳や天陣地陳全く陣をなすと云共中軍あら
すんはいかんそ其功を成就せしめんや第三に
後陣を地陣とす云心は地は天の施しを請て
森羅万象成就の功を顕はせり天下の間有
情非情陰陽五行を具せるもの始りておわる所
皆地の徳に帰せり爰を以備を後陳に立てゝ
是を地陣とす惣軍勝敗の極り始終の合戦
其功をなす所は地陣に非しては不可治此備あら
すんは天有て地なく始有て終なきがことく
一全き道理あらすいかんそ其功を成就せしめんや
此故に是を地陣と名付たる也以上是を三才の
陣と号せり此心あらすしては誠に勝を全く
する事有へからす秘中の秘なり重々可請口伝
三才の備図
或曰前を天とし中を地とし後を人とす云心は
天先成て地後に生し地成て人生す是天地
前後の次第也此断を以備に用る是を三才の
陣と云と云々
兵法曰日月星辰斗柄左右向背此謂天陳
丘陵水泉亦有前後左右之利此謂地陳用
車用馬用文用武此謂人陳云云
一私云是を太公か三陣の本説とす深き心得有之
事也口伝重々
○方園座備の事
一方円座備の作法口伝
私云方円座備と云は大軍の陣に用みて作法を
全く致備是を座備と号せり但其心持を云時は
大軍計に不可限縦小勢なりと云共此心得を
不可離然に方円座備といふは五方を防ゟ始り
八方をまとかにするにいたるも其利に応して
勝負をなす是を方円の備といへり方円と
云は乾坤の間に形を請る者皆天地の形相をかた
とらすと云事なし天はまとかにして地をおほひ
地は方にして物を載此両相にかたとりて或三角
或半月其品万端に変すと云共きわまれる
所は方頼図形に過へからす此形に随て備を
設け或方頼或圓形皆混全たる本理を不可
違が故に名付て方円の陣といへり兵法曰
方丈勝団亦勝ト云是なり座備と云は大敵に
向て陣をなす時は諸侍委く下り立て馬の
備の跡に立り故におり敷座する備なれはとて
座備と云なるへし大凡人数を分別而陣を
前後左右に設一二陰陽を守て勝負を全く
致事は縦は四支の相随ひ骨節の相殺かことし
云心は人何も手足の四両あり骨有てすくやか
ならしめ節有て屈曲横直を自由ならしむ
若外物来て身をうたんとする時は手をい
是を防き足を以て身をひらき其害を除く
是四両骨節天理の妙あらかしめ侍れるか故に
なすわさなり右の手出る時は左の手入右足すゝ
む時は左足退く互に進退出入あらしむるは
陰陽奇正一二あるかことし人の五体定りて方円
の備を具足せり此心得を以て備に一二をわけ
陰陽を設四方八面共に触る所を初として備を
八方につらね一手を別手別手を一手と首尾
相応し前後相救はしむ口伝を不受しては
深理難知又曰此備を八方面と名付るなり
子砌は備を八方につらねて前後左右共に
互に一二陰陽を持て中央大将の陣を守護す
縦は敵を後に置共後を前とし前を後とし
左右に教を請たり共猶め此爰を以四頭八尾
触る所を初とす此故に八方面といへる也
兵法曰以前為後以後為前進無速奔退無
遽走四頭八尾触処為首敵衝其中両頭皆
勅勅勅勅勅勅勅勅勅勅令
以口伝を請へし
方形座備之図
右座備於本組之図
私云右是は五拾騎を一備と定め六手宛四方に備を
設け十備を遊軍勢と致し奇正をわけ陰陽
を組て旗本組を定め天地風雲龍虎鳥蛇の
八の名をわかちて備たる作法如絵図是は其作
法の大概を記すのみ所に依数に依て用捨品々
ある事やか受口伝
座備に付軍法十七ヶ条の事
一備九段の事
私言備九段と云は第一に陽の先弟二に陰の兄弟三に
右腸陽第四右腸陰第五左腸陽㐧六左腸陰
第七後備第八小荷込奉行第九於本也備の数々
其品多しといへとも定りて大かい九ツの外ならす
子細は九は陽の数にして八方に中央をかて其数
九つと極れり
兵法曰陳教有九中心零大将握之四面八
方皆取準馬ト云々又七段の備と云は一乃先
二の先脇備旗本後備小荷込奉行将軍以上
是を七段の備といふなり
一二手分手分手配結解五の作法の事
私云是は前篇に出之か故其断略之
三備間積の事
伝に曰一二の間五町二と於本の間拾町脇備は
旗本備に准す横の間は一二に准ヲ但敎に依
人数に可依口伝
私曰備間積り是は近代の良将被相定所なり
但一備大概五拾騎六拾騎計の人数を以積なり
凡備を一二と組事は一軍敗るゝ時二軍必備を
進め二の勝を必定味方に可取手配なり備の
間遠き時には教味方を軽くうつて備を軽く
あくる時は二軍横鑓を入る事不可叶是一又味
方勝て教をうつ時一二の間をけれは数二を以
我一軍を撃時たすくへき手段なし是二
一二の間遠き時は一軍気さかんならす是三一軍
の配立を見合て勝敗の術をはやくしる事
自由宜からす是四め此間遠き時は其損多し
〽又備間ちかき時には備の跡に武者屯のくつろき
ふ有して前後のわかち不分明是一味方一軍
敗るゝ時敵の勢に依て二軍横ゟうたれ御るもの也
是二勿論友崩有安し是三間近き時は別手
に備たる徳不有是四備間ちかき時は軍兵
しば〳〵往来して猥かわし是五如此の損又多し
爰を以遠近を考其積りを定たる事古法也
兵法曰不疎不蜜と云々一二の間五町と云は一個
五拾騎の敷前後の間百弐拾歩或百五拾歩也
然るに間五町を昼時は一備の敷に二倍せり然るに
間五町を置時は数急にかゝると云共其内には
味方不意の友崩に逢へからす故味方已に鑓合
進けれは勇者は進み情者は退か故備前の
外迄も人数入乱るゝを以五町の間弐町半は
武者袋たるへし残て二町半は二軍相進む
時其空地あらされは反崩あるか故也猶か故
口伝二と旗本の間拾町と云は先衆旗本一手
なりといへとも一手別手の心を用る事秘
伝なり先衆放と一戦を待時則旗本脇備ゟ
懸つて勝負を見ると云には不有先軍中軍
後軍と其作法をかたく守て一手を別手に備
へしむへきか為なるを以間を拾町と定めたり
脇は旗本に准すと云も右同意なり横の間は
一二に准すへしとは脇備と旗本の間も拾町
脇備陰陽の間五町何も先同意なりといへる
心得なり敵に依と云は敵其品おほきか故に
敵の格に依て備を遠近ならしむへしといへる
心得なり縦は剛敵に逢時は備間を遠く致し
軽き故に蓬時は備間を近く致し其格を勘弁
して其備間を遠近ならしむへしといへるなり
深き心得か有人数に依と云は味方大伯の時小
備の時又敵大備小備に依て遠近広狭の子細
有へしといへる義なり是は其大法を記せる事也
重々口伝有之
四しまりの備の事
伝に曰是を見物の備とも云なり
私曰しまりの備と云は後備の事也但大軍には
一後備の外に別にしまりの備と云事有之いふ心は
先賜はさし向へる教と合戦を持敦敗軍に於は
勿論縦みかた敗軍致せりと云共此備しまりて
有之時は大に敗れさるもの也惣敗軍の時分には
此しまりの備を以て敗卒をまとめて堅固に
備を引取へきか為なり若敦軍新手を入かへたる
時も此備あれは一戦を持事安かるへし其上
味方備の内に内通の者有て後矢を討後切を
致時此備不有しては敗軍疑なし尤伏言大かまり
のたくひに逢と云共しまりの備を以是をしづ
むへきか為なり見物の備と云は縦敵味方入乱れ
て相戦と共指向へる数計成時は此備を不動合戦
を見物致させて置備成る故に見物の備と云也
五ノ遊軍之事
私言遊軍遊兵と云は九段の備の外に別に惣軍の
三分一を別手に組て座備をしさつて備ゆる事也是を
用る其徳は第一放城を攻る時後詰の押勢
第二ニ敵城を攻取て人衆を致し可置為
第三に味方の弱手へか勢㐧四に放別軍
有て横をうつ時是を留むる備第五に教へ
用る働の衆第六に備をくりかへて夜を明す時
遊軍を以手配の為に用之第七後ゟ不意の
敲押へき為第八に備不足の時可用為め此其徳
多きか故に遊軍勢を用ゆといへり尚口伝ふかし
又曰遊軍をたくして賜備をすくなく致し
遊軍をすくなく致し脇備をたく致事故に
依て其習有之事也
六集勢の事
私云集り勢と云は其品々多し第一諸方より
其備の先をかりて寄合おる人数是を合せて
一軍たらしむ第二に組付の衆其分限に依て
自分の騎馬一騎二騎宛有之もの也是を集めて
一軍と次第三に役の足軽役長柄第四に其
分限小身にも不付大身とはいはれ御日衆を
集て一備と致す是をも集り勢と云也第
五に辺土遠国或は国々ゟかり集めたる人数
是をも集勢といへり大概め此分を集勢と
いへり然るに手配を不存して頭奉行をも慥に
不申付けいこ目あかしなとも云み時は漁すくなく
損多し能々可心付事共也口伝重々有之也
七前備の事
私云前備と云は先衆の外別に旗本の備の前に
備を置是を前備と云なり大軍ならすしては
難用義なり
八座備の時分は皆下り立て如繪圖に備をなし
者頭物奉行足軽大将侍大将は馬上にて可致下知事
九何の備も働きの時分は持小於は備の後に可立事
私云是は五行座備同前なるかゆへに口伝を略せり
十座備の時合戦いまた不始内大将先備順検有之時は
一体机替り釣合の将可有事
私云口伝興義なれは略之
十一旗本先足軽は幾組有之共二ツに分当番右非番
左に可備なり持筒の頭は大将のちかくに備なり
尤御後にも可備なり
私先足軽と云は旗本の御先に可備足軽の
義なり是は幾組有之と云共当番非番を定て
其先の左右に可備なり非番の足軽大将は
外侯に出先衆働の様子を見計其下知を
可かなり持筒持弓の類は先公軽ゟも引下りて
御旗本の前に陣を可設持筒持弓は御旗本の前後
左右に可備前後は交替輪番成へし
十二足軽大将の奇騎は歩あしかるの驚固たるへし五人に
壱人宛是を可用
十三足軽大将円居備立の時は足軽ゟ後に置足軽は前に
居て小速に致し薬込矢つかひの間数にうたれ
御家分別勿論の事
一私云是あしかるの巻に出み
一両脇後遊兵をはたゝむき心得之事
私云云心は先衆はさし向へる数に逢備なるか故に
直に合戦を可持故に是を備置也賜備後備遊
一兵等は何茂進んて合戦を持備也進み行時は
備へたることくにては不叶か故に備を畳とは
いへる也是は色々口伝有之事なれは紙面に
是かたし
十五三の合戦迄可持考之事
私云同時同処同数に三の合戦迄可持と云ならひ
有之意は敦惣軍を出して味方の先へ切かゝり
たる時味方の先衆勝利を以前といへとも数又
別軍の新手を以かゝる時は先衆過半労れ
たる時分なるか故此備を跡へくりかへて左
右の備を先へ進め一戦を可持敦又別手を出して
戦は右の左右の備を跡へ引後備を以又
かたく一戦を遂へしめ此致し用る時は放縦
き手新手を入替て相戦共味方敗軍致
事畳有口伝を請へし
十五備をくりかへて夜をあかす作法の事
私云備をくりかゆると云は昼の戦に味方勝利を
得たりと云共可引取には薄暮に及て其備
危し其侭そなへおらは敦又別手を以相戦事
あらは味方先衆労て危と有之時芝居に直に
明日迄有之其くりかゆへき作法也いふ心は先ゆ
軍を左右に出し数の不意をかため其後に
脇を前へくり両符を用ひ張番かぎ物聞を出し
腰兵粮をつかい手堅く弓矢を可取め此手配を
致ては縦敵不意に一戦をなすと云共敗北不可
有之也猶口伝有之也
十七備陰陽の事
私曰備陰陽と云は先肱於本後備と備は有と
いへとも先衆は毎度数に逢賜後は敵に不合
故に合備と不合備と有之時は事一片に
泥み士卒急く恨をこたる者也此道理を勘弁
して今日先衆を勤たる備は明日は跡備に
引賜備を先へくりて合戦を持しめ又明日は
後備を先に出[と定むる時は或は或は休し或動て
一士卒いさむ其徳一怠る事あらず其徳二敦と
合通を致がたし其徳三人の気をあらたむ
其徳四め此み理有之かゆへに備に陰陽あらし
むる也縦は日月の昼夜あるかことく天地の
四時運行するかことし故に是を備陰陽といふ也
又曰其大将の家風に依て先手脇備後備
兼日より相定れる事有之是は又各別の義
なるへし
○武田信玄座備作法の事
一甲州武田淡性院殿信玄元亀壬申年味方か原合
戦の時分にみかたか原平陸広原にして座備を
用るに便たく殊更源君家康公を大数に
存し奉らるゝに付諸手座備を堅めたるなり
合戦次第の様子は人々聞伝へたる所家々の
系譜に属然なり今其作法絵図左に記之是は
手配様子等本図に相応せすといへとも地形に
より数に随ひて致所の作法なるを以已来の
大将衆可相守為に記之なり
右之座備之図
十一
是は信玄旗本御前役者の手配也両の図見合て
一見えや甲陽武田信玄は古今に抽たる名将也
め此大将手配座備に有之様子を勘見て後代の
例と可致か為に古師是を残し置しと云々
○甲州武田信玄家備定の事
一遠州浜松押の手遣ひ山縣昌兼駿府江尻の城に
在之て家康公へ御先手たり此組に於本足軽
大将横田十御裏足軽同心共に在之相備は朝比奈
駿州
信州
駿河守に
衆
小笠原掃部大夫
同国同所の松岡
伊奈
三川先方つくでだみね長篠此三頭は山孫が先手と
計有えて軍法の義申合られす口侍有之事也
二中は高坂弾正昌信手勢四百五拾騎を百四拾貝津の留守
居に置て三百騎を五備に致し河中嶋の相備の衆は
皆御旗本の脇備或後備或はうき勢にめ此付たり弓
矢の抄別に小幡山城虎盛貝津の二の郭に在城也
三甲州郡内の小山田兵衛尉佐茂
高坂
四内藤修理亮昌豊前守
五小幡上総介信貞手勢千騎を国の留守居に五百
一崎指置上原随奉軒下知次第と定め置五百騎
召連罷出也相備なしに御訴詔申上五拾騎宛十個に
作り五備は舎弟弾正忠信氏是を引卒す信貞
阿藤行は信玄家
何時も三重に備定也
○付弾正林信氏ハ
譜代の足軽大将也
永禄十二年霜月駿州神原城責に勝頼と
一権を争ひ請取の方一番に乗打死なり後第
又八郎昌建右の跡を支配也
六真田源太左衛門同舎弟兵部介是も兄弟右之趣也
七旗本左の先は何方にても馬場美濃守也相備は駿州
一先方岡部次郎左衛門越中推名泰種衆四拾騎に飛騨
一池間常陸衆十五騎指添一備也其先は小田原小保衆
清水笠原大藤三頭之加勢衆一備なり荻勘右衛門是は
美濃後備也味方原の偏にもめ此
右之二の先衆
一山県備の二の手には勝頼
二小幡二の手典厩信豊
三郡内小山田二の手には土屋東村
一四十田二の手武田左衛門佐
是は典厩
五内藤二の手望月殿
才なり
六高坂二の手跡部大炊助
是は作書之従弟也其上
一七馬場二の手中山玄蕃頭入道梅雪
長女のむこなり
二の先衆は何も相備無之子細は先衆初合戦を見定
押太鼓をはやめ積入の勝負其手柄をさせ給はんと也
〇前備脇後小荷駄奉行遊兵の事
一前備頭は小山田備中守七備長坂長閑小山田大学生福
筑前馬乗弐拾騎三拾騎足軽廿三拾の衆也小山田
百廿騎の士大将也
二右脇備原隼人佐九拾騎頭として六備信州先方相木
上野先方後閑長根白倉永井豊前
三味方脇備保神弾正頂として六備は上野先方志中
左近信州先方諏訪和田兵部同左衛門作木曽衆
卅騎一備に致して左右合て左右合て拾弐備
四後仙逍違軒頭分ニ而一条苗山仕科尾勇坂垣
りうほう衆五拾騎是は信州海野衆也小宮山丹後守
三拾騎壱騎弐騎の組共に都合九備なり
五小荷駄奉行甘利衆九拾騎浅利衆三拾騎
六浮勢の衆信州岸田下野守様にして岩尾あなまや
前山松本壱部め此拾騎拾五騎つるゝ衆廿一頭
芦田組にて放城責落して御かゝへの時は城代にも
又破却の時も此うき勢也是みかたか原御陣新田
足利陣或越後大たされ迄の発向の備組なり
私曰右の備定修玄被相定之処堂りと云とも
是古法に洞色してなす所也後来可相守事也
〇弱備ふせんさく并心得八ケ条之事
一見崩
侍兵見崩と云は敦間遠く勝負いまた無之に敗北致
すを見くづれといふなり
私云見崩と云は数みかた互に備を立間いまた
遠しといへ共敵の働其様子を見て驚き敗軍
致事有之を見崩と云なり是は将の誤りに
よれり是一兵の臆せる気あれはなり是二敵に
気を奪れ先をとられたるかゆへ也是三備の
作法正しからすして諸軍志一ツならさるを以め此
是四敦間能見定御日を以しかるなり是五是
皆備の作法を不知其約をかたく致さ備には
此損あるへし
〽天正二年二月武田勝頼東美濃へ出張し明智の
城を攻給ひける時織田信長後詰有之て明智の
向ひ諏訪かね山に押上て備へ給へる武田方ゟ
山鹿三郎兵衛昌業六千の兵を以て押かゝるを見て
佐賀の先衆見崩致し山県勝利を得たる是
見崩也
二聞崩
侍言心臆せるを以声を聞ちかへて敗軍致を聞
崩とはいふなり
私云是又弱備に多キ事也第一将かねて約を
かたく七次第二に所の案内を具にしらす
第三内習無之第四臆気多し第五に聞
定さるを以なり心物に奪れたる時は必物に
そうどう致事安し心を定うたかひを去ル事
第一たるへきや小松維盛源氏追討の為に
関東に下向有て駿州蒲原冨士川の辺に
陳しける時水鳥の立たる羽音にきゝ崩有之
無下にめ此のおくれを取給へり
天正元年加賀松戸にて謙信向給ふと聞て信長
衆聞逃も是なり
三友崩
伝曰先衆敗軍に依て二の手も崩るゝ是を友
崩と云也伝曰先手見崩の時分二の手に扣たる備も
共に引立是を反崩と云也
私云備間積り其作法あしき時には先衆敗軍
の時分必友崩有之もの也か様の事は将の勇臆
にも兵の強弱にも不依備立前後左右の手配
あしき時皆此損有之といへり
一永禄十三年浅井備前守と浅田信長卿江州姉川
合戦の刻織田方の先軍川をこして浅井と戦ふ
信長の備は川よりこなたに有えて川を不越紙
由方先軍敗北して信長旗本へ崩れかゝり旗本へ崩れかゝり旗本
一二町友崩致たりと云々
四裏崩
侍云惣軍のうらゟ崩立て敗軍致を裏崩と云々
私云先侍別義無之といへ共後軍の味方騒動して
敗軍致故先衆無是非敗北に及是を裏崩と
いふ也是又備の手形不正混乱して猥なるか故也
越後長尾謙信武州きさいの城を責給ひけるに
一謙佐の武略を以城の後を乗取体を設に見せ
ける故に城の人衆乱て大手へ引かゝる大手の
大将かたく制しけれとも引立たる人衆無子細
大手も敗けると云々是又裏崩の損故如此なり
五備さわき鳴わたる事
一私云備定内習前方に能調りて其法相定る時は
縦急に望むといふとも手間を取事あらす
者頭物奉行それ〳〵に下知をかへて騒動致事不可
有也備の作法兼日ニ不調を以其場に於て口々の取
沙汰批判に及備一決不致約調らすしてまばらに
静らずめ此備は敗軍七次と云事不有必相慎
守るへきなり義経卿の哥に
〽わけもなく空になる声ひゝきなは其日の軍負と知へし
六きほひおくれの事
私云きほひおくれを下知しては下知をなす事難成
合戦の図をはづす事多き物也きおひを見て
士卒を進め殿れを知て人数を休せしむるたぐひ
是皆きほひおくれを知所也第一時を知に有第二
将の下知に有め此には重々口伝を受へし
七浮気沈気の事
私兵是は虚実の心得にひとし備を立陣をなして此
わきまへをしらすしては勝負かたく備弥弱シ口伝有之也
八かり壱手人数強弱の事
私云時の権に依てかり集めたる人数又は他所ゟの助勢
方々のかり集たる勢の類皆かり兵也或譜代の即等
重恩の家人は手人数と云也此二色にて強弱各別
違ひあるへしこゝろゑある事なり
□□□□□□□□
狩川
武備第十八
綾陳
同同兵法神武雄備集
要求した
候
同十一日
□□□□□□□□
八
兵法神武雄備集武備第十八
変陳
目録
一八陣本説二ヶ条之事
一八陣分名八ヶ条之事
一変陣十ヶ条之事
一車懸三ヶ条之事
兵法神武雄備集武備第十八
綾陳
○八陳本説之事
一古老伝云八陣と云は其品わかれたるか故に其名を
顕せり真実は一陣たるへし所に依地形の変多く
敵にしたかひて其頼替るか故其変動無常理り
を顕して八陣といへる成へし則周易の八卦天地の
八節に応してめ此記なり是を八陣の本説とすへし
私云八陣の説己に営すに具に是を記か故二たひ
論にたらず然共彼は営法是は陣法なれば
初て兵法を聞人或惑事可有か為其品替
れる事を議論せり営と陣と二ツ有には
不可有去共品をそれ〳〵にわかたんか為成へし
然るに八陣の事天地の八節周易の八卦に
随ひ起於五而終於八の旨を推て八方に陣を
つらね是を八陣と云其源は混々沌々として別て
不別一円形の備にして四方四維を守り四頭八尾
をかたくす是其形の不変所なり変するに
至ては変化千万成る故是を記すにいとま
あらず其変八を以本とする故八陣をのみ
書記せり其変分散する時は千変万化たる事
勿論たるへきなり
二八陣分散之事
図云
一一
一九九一
名
侍曰変法を不知時は変陣を用ひかたし此図を以
可会得と云々
私曰大極動て陽を生し静にし高陰を生す
陰陽出来て後八卦有八陣は方円の両陣ゟ
顕れて八変の陣たり是又陰陽に本ついて
八掛相連がことし故に方陣四円陣四にして
天地風雲竜虎鳥蛇の名あり分合する所
其口伝を不受しては諸人得心難致か故詳に
不論之
八陣分名之事
一円形の備の事
傳云圓形と云は備を結て丸く備たるの形なり
又曰円形は八方を慎て備を一円頼に立るを云と云々
私云此備は陣の形円なるに依て是を円陣と
云此備は故小勢にして味方大軍成時か縦は
敵をおびき出して一戦をなすへき時に引かけて
うつ時備る陣法也備に一二三を組約束を定て
前後左右一所に集りくぼき地形に陣をなす
是を圓形の備と云也是は金穀旌旗の約束を
定て備を立る時自間をとらさることく可致か
為なり
又曰一説にいふ所の陳法は四方四維をかため前後
の陣を設け八方をしとみていたすの陣是を
一円陣と云へしとなり
図云
○二鉾矢の備の事
伝言此備は甲陣は敵にむかいて軍を初め乙陣は
二陣に連りて勝を定る備也大概以少撃大以寡
一撃衆之時可用陣法也
私云此備を鉾矢形と云事は其備の形鉾矢に
相似るが故なり前箭後箭の備と事は此備
以少勝大寡をひきいて衆に向ふ時用る也
然は其形は一様にして用るに及ては両様成
へし云心は矢を携て鳥獣を射るに甲矢
己矢あり初て射出すを甲矢と云後に射を
乙矢と云鍛は矢を二筋携て山林に入て鳥を
いる時甲矢を以糸を射立其振舞を見うけて
乙矢を以是を射留るかことし兵法にも亦此心を
用て別手を一手に組合て一分とし一手を
別手に分ちて二の備となし一分は進て敵と
戦ひ二分はその様子を伺て数二の手三番合戦
横鐘の様子に随て味方の左ゟ備を進め敵の
右の脇へ透間をかそへて押寄かたく無二の戦を
なす是を前箭後箭の備と云敵大軍成歟
剛変成と云共如此一戦用て不勝と云事不可有
故に以少撃大寡を以衆を討の法と云也但放の
備の立様に可依敦至て剛強にして弓矢功者成か
作法を調て用たる備には是を致難し期の
備奇正を分たりと云共其実理不正人衆大軍
なれとも備の法まはらにして一陣〳〵かけ合
一合戦を守る如キ故には此備を可用なり
図云
三重月の備の事
伝云左右楽に向て其形縦は初三夜の月の書
曲せるに相頼す故に此備を書月と云なり又偃月
共号す敵の備鉾矢なる歟或は陽に閉て懸る時は
此備を用へし
又云乙矢を留る時には右に備有へし口伝
私云弯月の備は鉾矢形の備を打かへして用たる
備なり其かたち月の初て出て蛮曲し上絃
下絃の弓はれる月の形にひとしきか故是を
名付て弯月と云なり書は弓引共まかれる共
字訓有り此備は敎懸にして無二無三に相かゝる
陽に閉たる故成時は味方陰に開き待の備を設け
是をうち入ることく致て其徳有待備のことく
見ゆると云共又陽に開か故戦を堅く守る所有
其法口伝多かるへし敵鉾矢に備て無二の一戦を
心懸る時は乙矢の来るを不留時は縦陽に開ても
其備危し故に遊兵の内よりかたき備を出し
敵の備来るへき方に備しむる也是乙矢を留るの
備なり大方は味方右に備をいたすへし右は押
付左は射向の方成が故乙矢の来る常に右なり
といへり然共其数其所に可随口伝多し
委細は是を残す
図云
口伝云亦弓月と鉾矢とは
一備の本なり故いかんと
なれは備は通ると待
との二の外はあらす待
備は皆弯月かゝる備は
鉾矢形に致へし是
備の本なり
四雁行の備の事
侍云敵を押へて一手衆働入に用之其形雁の
行有かことく作法を乱さず故に是を雁行と名付也
又曰縦横にして其行列を不乱を鳫行と云へし
私兵雁行の陳と云は鴻雁不乱して往来するに
かたとりて用之の作法也云心は敵城ちかく押入
時歟或穀地ちかくなり行て藁葭林木なと有
地形又は宿城へ押入時にめ此備を立くりかゝりに
懸り又繰引に引時は其手立大に吉縦は
敵出て是を喰留ると云共一手を以おさへ一手を
以引時急につく事難叶其自由宜きか故雁
の行を不乱陣法と名付て用る也但かけ引
を自由に致さゞれは其手段設かたきか故
大軍には不用之小勢を用ていたす陣法也
足軽計にも此立様あるへし口伝を可受
口伝云足軽にても此心持はおなし事也
くゝかゝり繰引と云是なり
図云
五方陣之事
侍云是は人数を四方に立四尾八頭を堅するの備なり
私云方願の陣と云は同形の陣の変法也此備は故を
請て陰陽奇正を持四尾八頭共に敵の向所を以
初とし勝を制する備なり円形を奇とし方形を
正とす専平陽の一戦場よしなしては難用之也
図云
六魚鱗の備の事
伝云魚のうろくすの次第有ことくなる備を名付て
魚鱗と云なるへし
私云魚鱗の備と云事其説多し第一に魚
鱗につらなると古書には出て人数の次第を
不乱懸を云といへり第二魚鱗の陣と云は前に
記す鉾矢の備のことく連りたるを云也第三に
城下へ押詰宿城へ取入放火なとの砌繰懸ル
備を畳て押時魚鱗かゝりと云事有第四に
陳営の法に莫鱗のかけ様と云事義経公
衣川百首の内にあり㐧五備に用て人数の
並居様に莫鱗と云事有はひ其品多し然共
今代おほく誤来れり潜に愚按を廻らすに
魚鱗と云は三奇正陰陽を以て備き手有と云共
二行に備て中を明かゝるをも引をも引をも中途を
往来をしむる備是を莫競の備と云へし云心は
備の両方に二行に立事莫のうろこのつらなる
かことき故也
又曰左伝に魚麗の陣と云有其法相替れり
又云鉾矢は前箭後箭あるを云魚鱗は前後
なくさ右へ開て鉾矢のことく備たるを云也
七鶴翼の備の事
伝言場よしの一戦に用みて其德有
私云此備平陸の場よしにあらされは難用之
其法前後さ石如作法竒正一二を持左右の
腸備を両翼とす是鵲のつはさのやうに
ひらけるかことし故に鵲翼の侍と云なり
平陸場よしにあらさればめひに備を設る
事かたし野合の一戦に大に徳あり
図云
八常蛇の備の事
伝云是は唐朝孫卿子か常山の蛇陣をうけて
なす所也以前為後以後為前口伝を受へし
私云孫子曰善用兵者従如卒然卒然者常
山蛇也撃其首則尾至撃其尾則首至撃其中
首尾倶至云云いふ心は常山に蛇有首を討は尾
至て是を救尾を打時は首忽に至中を討時は
首尾共に至て是を救兵法も亦如斯散来て
前ゟ撃時は跡ゟ二のみ横鑓を入後を討時は前ゟ
さゝきりて是にあたり中を討んとする時は前後
左右其法のことく是を救ふ何方ゟ教を請備を
うたるゝ共其初る所を前として是を救ふ事
孫子か卒然の理にひとし爰を以此備を常山の
蛇に比して是を設る也重々口傳あるへし
古今将畧陳式図説上巻常山之陳一名卒
然何謂卒然常山蛇也無足而行無異而飛
形類毒蠎桜之殺人擊首尾應撃尾首應撃
其中首尾俱應陣用似之故以為名茲陣之
制与諸陣異余陣之形或両或三或九或八
或聚或散或分或合即相聯給雁行魚貫常
山之陣其首其中其尾為護屯則蟠結展為
一之陣既成列遊軍跟敵電奔雲飛遊如蟻
路斬将奪管準其律度兵故曰常山一陣勢
如虹蟠結相連首左中護翼遊軍飛虎出包
羅接応妙無究
口伝云是は備を一体のことくいたして能通し
能知て相救助る是常蛇の心得也
以上八陣図説終
按るに八陣の事右の名目のことく用へし兵家
者流に云所まち〳〵也といへ共皆実理を失か故に
一本説不慥但唐の李薬師か木宗皇帝に答奉し
往古の説に随ひ諸葛か魚腹八行の陣に因て此
図を顕せり後の見る人志深して本説としらは
末紙に記とゝめん事を願ふと云
大約諸葛之陳世罕得其伝惟李靖杜佑損
益古創作十二将兵陳自一至九変無究其
法曰四奇曰八正以歩人為正以馬軍為奇
四奇一曰前奇一曰後奇一曰左奇一曰右
奇八正一曰先鉾二曰左角三曰右角四曰
右爪五曰左爪六曰左爪六曰左第七曰右耳八曰後
軍卒然遇敵則觸處爲音其先爲大将軍營
陳六曰四門陣即古之方陳第二変鴈行陳
三変七門陳第四変準門陳即古之鋭陣五
変八門陳即古之圓陳六変四天陳七変張
翼之陳即古之曲陳八変蛇行陳即古之直
陳如此週而復始出奇無究
答諸葛亮推演八陳以巴蜀弱卒数万屯漕
水伐魏司馬懿以十萬之衆不敢與戰馬隆
歩卒三千按八陳図破樹機能数万騎以復
涼州今爲將者統兵数万果可不用陳法乎
如無陣法則衆為一族左右不能相応首尾
不能相援豈得不敗哉故廃陣形而用兵者
敗將也執陣形而求勝者愚將也其用陣之
法如敵攻吾右以天衡八隊敵之次出天前
後衡八隊張兩翼而攻之是為鳥翔陣如勝
未決再出西南西北二隅風雲八隊夾撃之
是為虎翼陣勝又未决以東南東北二隅風
雲八隊邀其後或囲繞之是為蛇蟠陣如両
陣相当而敵未動者或先出西南西北二隅
兵往来敵傍携之伺敵空虚之処而奮衝之
是為風揚陣大将列中軍以待敵或伏兵四
隅候敵来戦起而聚撃是為雲垂陣又又有
遊兵二十四隊或遮敵援兵或夾撃左右或
撃其背或絶敵粮道或邀敵飯路而取勝也
故陣有八向挙此一向以例其餘八陣之位
初無定位皆臨時制宜随地而設形故地有
廣狹尖斜之形陣有方圓曲直之勢錯綜八
卦実河図十五之図井字開方之義大将居
中諸部連繞四頭八尾触処爲首敵冲其中
両頭皆救如両手之捍頭目也
大白陰経諸葛亮八陣図八首唐李筌之所
演也以六十四陣内外前後左右四隅分折
而為陣天覆地戴内外之第一変風揚雲垂
前後之第二変竜飛虎翼左右之第三変鳥
翔蛇蟠四隅之第四変毎三十二陣為一陣
云云各以其名為形何弁之盖自古先王制
陣惟有法度与歩数而已至孫子始以虚実
論形以険夷論勢二篇之外別無餘法後世
權詐之士内循先王之法度外仮形勢以変
人之耳目雖有鵝陣鶴陣魚麗函箱偃月等
陣之名而形勢虚実在法度之内焉孔明八
陣所向八方乾坤巽艮之位而名為天地風
雲子午卯酉之位而名為竜虎鳥蛇四正自
四隅而立四奇自四方而出合乎先王制陣
之法度也區々之形勢肖像之説何与之有
李筌之図求形勢於法度之外其誣武候多
矣
右出于武備志五十七
○変陣拾ケ条之事
一一向二裏の備の事
私云一向二裏の備と云は陰中陽の備を云へし縦は
数と戦を持時一分は敵に向て戦を持一分は蜜に
敵の後陣のうらへ相向是を一は向二は裏をなすの
備と云也云心は敦向へる備を捨て廻る人衆の
方へ備をむかはしめんとせは其備うき立へし
然者前ゟ懸て可撃之故若跡へまわる人衆は
不接して前をつゝしまは廻れる人衆跡ゟ合戦を
始へし合戦仕懸かたき時は其所を放火し
民屋を乱暴して是を引取是味方の勝也
縦は対陣の所へ二裏をなすのみに非す或数の
地或敵の陣屋へ蜜に備をまわすは是皆二言と
云の謀略なり何れの備も奇正循環の理りは
可有と空中にも一向二裏の備には以奇為正
以正為奇の手段なき時は備は一向二衰たりと
云共勝を得る事難かるへし妄は戦法の巻出之
兵法云以一術為正以一術為奇といふ是也
図云
二狩鳥の備の事
私云是は縦は鷹を以野原に狩をなす時に
先犬を入て鳥を立しめ鳥の立様を見合
図を考て後鷹を放つ時は当らずといふ
事なし此法を移して備に用たるか故を以
狩鳥の備と云也此備は一軍を出して敵を
こゝろむるの備とし二軍を以其図を考へ
様子を見はかりて則相進て勝を全なす
是狩鳥の備なり猶図にくわしく出之
三冊足の備の事
私云俗に鼎立と云備是也是は中軍を左に
備前軍を中に備しめ後軍を右に備る其形
鼎足の三足三所に有りことし是は大軍にも
小勢にも用之て其徳多しいふ心は一軍をんて
戦を持時は左右奇正を守て撃之前軍故る〳〵
時は敵をたふ〳〵と引請てさ右よりさしはさん
て是を討不勝といふ事なし備間備の積に
口伝品多し伝受を可請なり
四両翼の備の事
私云両翼の備と云は三軍を三にわかち一軍を
出して敵に向はしめ二軍を分て左右に備ふ
其所の形粧に随山林渓澗の人衆を可隠
所を撰て左右に二軍を隠し置部と一軍
を戦しめて敵の備紛乱の時合図約束を定て
一同に備を出し奇正を以て是を撃不勝と
云事有へからす鳥の風に向てつばさを
のふる時は千里を瞬息の間に飛行自由する
かことし故に是を両翼の倫と云也大軍を
受て是を討の備又は小勢の剛設を三軍を
以て御しはさみ討の備に用えて其徳多し
委細は口伝を受へし
五対中懸の備の事
私云対中懸の備と云は敵味方楽に相備て
放は味方懸り来るの乱れなんとするを待みかたは
敵のかゝるを待て敵味方相対したる時に蜜に
合図を定て遊兵後軍の内より二三手計
敵に依所に依て左右より備を進ましめ
敵の前備の方へ出すへし敵不動といふ事なし
動時は前より直に戦を初め勝を一時に決す
へし不勝といふ事なし是は大軍に計不限
縦は小勢小備たりと云共敵味方対の備なる時は
此備を用へし法は替ると云共心根は一理なり
と可知妾は絵図に出せり
図云
六網鳥の備の事
私云鳥を可取か為に林木にかたよりてあみを
一張其不意にかゝるを待是をかた取て備るの
陳法也意は鳥の通へき道に網を張切て
後に鳥の止るへき丘隅の地に人居有ことく
致し彼道へ鳥をおとし入て網にかゝるかことく
敵の備へき地設の便有とする山林に見せ
勢見せ於の謀計をなし敵の通へき道おもひ
なき所に野伏の兵を置て数の不意を討皆
是網鳥の備と云也何れにも此心持なくんは
有へからすといへり
七鳥雲の備の事
私云是は山越の巻に出之故爰には略之
八まわし備回廻し備を留る何の事
私云右おなしく山戦に出せり
九陰の備の事
私云是は寡戦に出て
一十二二の備の事
右同しく寡戦に出て
○車掛り三ヶ条の事
一車かゝりと云は我備を立きり〳〵まわりていく
めくり目に敵の旗本と我旗本と打合すると
積りて懸ルを云也但人数に依地形に依ル口伝
私云車懸りと云は車輪のめくりて行ことく
あたらすと云備なく教方へかゝり行を車
掛と云也然とも常に此備を可用にあらす
大数に逢て無二の防戦を遂る時人数を
計まわり行て味方の備いく廻り目に必
敵と打合我施玉と敵の旗本と戦と云事
を考て可進但人衆に依地形に依と云は
味方大軍なる歟地形さゝわり多き時は人数を
廻す事自由ならさるか故に車かゝりを
なすへからさると云也
古人云雑言は壱万五千斗ゟの上の人数にては
車懸り不可致と云々又曰北越の輝虎
信州に於て武田信玄公と相戦時車懸りを
成たりと云々世に川中嶋合戦を号す此
法を守るへしとそ
二車掛りを留る備の事
伝云重月の備を立て鉾矢を右に出すへし
私云車懸りはかゝり来る敦皆右より来るか
故に備は陰に開きて晝月をたて
右に陽に閉て鉾矢をいたすへしといふ
心也弯月鉾矢の図は前に記之
三年かゝりにはいつれの備をもたゝみて可
押行事
私云畳むと云は押行備に用る事也車かゝりは
何茂押行備なるが故なり口伝有へし
□□
狩猟師
武備第十九
行軍
同同兵法神武雄備集
兵法神武雄備集武備第十九
行軍
目録
一諸家中備押廿ケ条之事
一備押行列絵図之事
一御旗本備押行列廿四ケ条之事同行列絵図
一備押行軍之武功
一編輯英雄備集武備第十九
行軍
〇諸家中備押二拾ヶ条之事
私云諸家中の備押と云は御旗本の外先後
左右に可相備随兵共に大小に不依其行粧を
相定る是を諸家中の備押ト云なり
一小旗
私云是は備大将役の惣於なり奉行は先に
乗て押行へし
二足軽
〇〇
私云是又作法常のことし毒細は下に記之
三役長柄鑓持
四侍大将持足軽
五同将鑓持
私云何茂頭奉行は預りの者の先に乗て可押行也
左右は各如定当番右非番は左に押へし
六使武者
礼云是は跡に乗て可押行跡へ御使に可致伺公の
為なり
七馬給奉行
私云侍大将の馬印御馬前にもたせて奉行跡先に
各番にして可乗行なり
八押太鼓貝
御馬前の左右に可押行なり
九武者奉行
私云侍大将の先左右を乗て可押右は当番の
奉行左は非番の奉行なり但小備には武者奉行
有へからさる義勿論なり
十目付横目
私云是又御先御後にも可押行なり
十一侍大将
私云先に小馬印をもたせ前後左右歩行の随言
いか程も打て可押行侍大将御馬の左右に得道具
を引詰給へき義なり
十二手明十間
私云中間頭并中間共行粧を調へて歩行にて
可押行なり
十三組頭馬上
私云組付の馬上組頭の跡に乗て二行に可押行
頭組共に得道具を引付て押行へし
十四乗かけ小荷駄
十五殿あしかる
私兵しまり足軽大将一組後陣に押て跡を警固
致へし
十六侍大将の乗替の馬は左右の中間を先へ引せて押へし
十七六奉行の内非番の三人は其日の付候に出て諸事
可見計事
十八家中施本備押差別の事
私云備押の行列諸家中旗本の差別有と云共
極めて一理なり但家中の行列には旗を先に
一
出し其次に足軽を押しむ旗本の行列には
足軽を先に出し旗を跡に押へし是其差別
なり然るに家中旗を先に押子細は於は
人の目の及限りは見ゆるものなり縦は備は
大将の近習にあり共旗先に有時は跡より
見て備はるかに進みたることく見ゆる物也
又於跡に置時は備はるかに押行ても跡より
みれは不進にひとし此故を以家中は施を
先へすゝめて御大将の方より備はやく進む
ことく見せしむる也旗本の施は跡ゟ見てすゝむ
不を見分に不構敲に逢て其利宜りことく
可致か為なれは旗を跡にして足軽を前に
押しむ是家中旗本の替なり
又曰家中も足軽を先に可令押事歟子細は
御大将より見えて遅速あるは其損すくなし
若敵に急に逢かあやうき期に望ては旗は
其用を成事なきかゆへ必跡へしさりて足軽
をすゝめされは不叶其時施色煩乱せは仙の
為に損多し此損徳を考るに於を先に
一押時は損多して徳すくなし故にあしかるを
先に可押と云々
十九諸手の備作法いつれもか〳〵のことし
廿一株の事
伝に曰小備には小荷駄奉行あらさるが故に殿の仙を
用ひて小荷込を守護せしむへき事
私云大軍には小荷駄奉行有て別に小荷駄を
守護致し押行か故に定りの備の外是をいろ
わず小身の侍大将は小荷駄奉行の備を別に
用んとせは敵前の備不足にて勝負前よからず
爰を以小荷駄奉行と云事なく前後の備の
内番に替りて殿小荷駄奉行を可相勤云心は
今日当番にて小荷駄奉行を致備は大将の
さし次に供奉致し其跡に小荷駄奉行を
押しめ非番の備一手殿に残りて其朝陣拂を
致則跡に供奉致なり若敦横合ゟ出跡ゟ出る
事あらは殿の備は敦を押へ当番は小荷駄を
まとむへしめ此可相勤猶口伝を可受儀なり
長長
柄柄
新助計
特特
新幹事
同丁
□□
十一日
同
十一日
□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□
を驚き酢を
野様貞雄
〆七
一鯰新助
身尊謝
勃興
十九日
身撃図
}
海北海岸
同一筆図
上昇平次
与助
諸家中備押行列之次第
四金
四丁
同村七百七十七日
十三
経
四丁
│[直
□□□□
廿四七九
□□□□□□□
□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□
夥敷
鯵袋
□□□□□□□□
此上村
四月廿一
行
筆師
三日
一
鎗
こと
長
金毘羅
中の事
山口上勢守
函館
西方様
金銭五貼
中地上げ
四十四本組
郡代職
函館
千顆千顆
行
同断
目図
榎本校
歩歩歩歩歩
行行行行行
絶随随随時
兵兵兵兵兵
弐〆七
随随
兵兵
日本四本丸
早淵村
十一丁目
殿
駄
廿七日
助兵
草鞋草屋屋
第一図
○御旗本備押行列
一陰陽の御先備衆
私兵一二陰陽の御先衆一組切に不残御先へ可押行
行列は前に如記
二御先足軽大将同心足軽を跡へ立自身は其先へ乗て
可押行行
一礼云足軽抑の事常々如作法事堂々心作法
一組交へ可押行馬乗同心は自身の得道具を馬の脇に
引付足軽五人に一騎宛乗て可押行委細如絵図
馬乗同心も自身の持筒一丁馬の脇に引付て
持すへし歩足軽矢をたばさみ火縄に火を
けさず是を可令将若敵出は小連につらなり弓を
射鉄炮を放しむへし其時同心小連にある足軽の
後にひかへ是を警固致し足軽をたゝき立て
能是を可用か為なり作法は前巻に記之足軽
人数押の作法は何茂可准之
又曰馬乗同心多き時は足軽大将の跡に乗其跡に
自分の馬上を乗しむるなり
足軽大将の事是又得道具を引付馬印を先へ
もたせて可押行也是いつれも頭奉行の作法也
三長柄鑓奉行長柄鑓を跡に立奉行先に乗て可
押行作法はあしかき大将にひとしかるへし
私云是は惣長柄奉行也長柄も五人に壱人の警固
有事古法なり
四惣於奉行旗指を跡へ立於の先へ乗て可押行事
私云旗は備の印と成り故に備を立る時後に置て
といふとも備押の時は其進退をあらはさんか為也
五先陣近習随兵二組は組頭跡に乗て可押行事
六御持筒持弓の足軽大将同心足軽の跡に乗て可押行也
私云作法先足軽の押やうにひとし
七御持鑓奉行二騎御持鑓の跡に乗て左右に可押行事
私云作法如前当番は右非番は左口伝
八御紋の御持旗奉行二帋御旗の跡先に乗て可押行事
私云作法め常部先当番非番あるへし
九御使武者得道具を馬の左右に引付て可押行事
右の内にて後陣にも可動供奉なり
私云後陣に押は御跡への使の為なり御用有之節
御前より跡へ自身の馬を引返す事無礼可成か
故め此也
一十武者奉行左右に乗て可押但当番は右非番は
左に乗て可押非番の方は敵近付は付候に可出事
私云六奉行何も当番は右非番は左に可乗と
一云心は若備押の内に於て六奉行へ可相尋事
有之歟又は御用の時分必右の方へ行時は其日の
当番なりと可令知か為なり六奉行共に非番の
者は先へ乗ぬけ数の様子地形の体諸事を
物見可致当番は備の義万事を下知致へし
十一御大圓居の奉行跡先に乗て自身の得道具
を引付可押行事但是は御持離の内なり
十二目付横目の侍六奉行に交り御旗本の前後に
可押行事
私兵是は押行間諸侍の行義作法等其行粧を
つゝしましめんか為にめ此なり
十三押太鼓貝
私共押太鼓貝の事御先にも又後陣にも可
有之子畑は先後の間路次遥に遠くして御
旗本の貝太鼓計にては前後へ相通する事
かたきかゆへなり
一両御歩行の随兵御陣の前後に可押行事
歩行の言当番は御こしの左所に供奉非番は跡ゟ可押行也
十五近習御手廻りの随兵前後左右に相従て可致供奉也
是は御用の御手廻りの随兵なり
十六御旗本御跡に小姓衆
私兵左右に御手廻りの御道具舎人馬副御冑持
御跡御床机持御馬の沓持御茶湯の道具同坊茶
│党其外御用人御噺の衆後陣に供奉致へし
十七御小人中間衆
私兵是は御こしの跡に引さかりて可押行又御馬の
先にて押太鼓を番に替りて打之貝は其役者
小人の役也作法は武者奉行下知致へし
又曰武田信玄は御小人すくなく御中間多し殊に
中間頭は目付廿人衆頭は横目成か故六奉行に
相交りて押行也
十八御使武者左右に乗て可押事
十九御褒美の御長持
私云御ほうひの長持新衆にかつかしむへし是は
当座の御引手物共の入たる長持なり是は忠節の
走り廻りの衆へ則御ほうひの為也兵法云賞
功不踰時ト云つ也
廿後陣の随兵近習の組衆組頭跡に乗て可押行事
廿一しまりの御足軽大将一組
御持足軽の内一組しまりに残て御跡に押へし
但前後可為各別
廿二御賜備陰陽御後備殿一手〳〵いか程も押へし
是は方円の座備を可設か為に如此なり
廿二小荷駄奉行備先当番跡非南小荷区乗懸を中に包て可押行事
私云奉行の事当番は先に押て小荷駄を守護致し非番は
一御陣払を致て供奉仕る故に小荷駄ゟ跡へ可押也其外徳たし
一一甚遊兵一手切に可押行事
おし行作法はつねのことし
地
鉄工
天皇
公須県郡一
東名
同五十一日
□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□
るを人物
鉄工
同人
○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○
欽
入物第五
鉄炮
同
昇進
□□□□□□□□□□□□□
疋
騎
□□□□□□□□
役
一斗
畔草鞋
件事作
将
一昨廿七日韓国中
無事
一英をををむける
相
四丁
真田
日朔刊
頭
国一日頃
日丁
助職所
ロー
奉行
ロー
□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□
略一品以上
財政
日本廿
司司
○金四
同
幸昌
罪非
牛里
歩歩歩歩歩
行行行行行
超過絶超超
兵兵兵兵共
日数日ヨ
御座御掛候
案日本組中
□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□
十一日
日本田丁
}
廿七日
十九日
身幸
日平成
執行鑓
浅草町
第一
一幸勤助
御城下御筆
日本行
夥敷
□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□
弐拾五軒
第三章{
其
同
□□□□□□□□
拝計書を
□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□
第二十一日
第三十九巻
果早キキ
同断同断同
一金弐朱金弐朱
□□□□
早淵村
廿四日
同断同断同断
一昨年十七日は
上幸護助
金融計
□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□
第十一日
同三十一日
一頭を継む事
前へ
身
貞照院
○備押行軍之武功
一備をたゝむ事
伝言備押の事道広き時は二行は二行に可抑設地或
敵陣ちかくへ押入時或山林谿洞の間を通る時はたく
みて可押行なり
私兵押入に道広して四隣に無数前後共にさゝ
わりなくは二行に押入て行粧を調へし或
一敵地ちかく或山林のさゝわり有て伏兵かまり場を
通る時には備を其侭不押入め作法たゝみて可
一押なりたゝむとは右に足軽其次に長柄其次に
馬上其次に旗以上四重に立並へて押也め此時は
一手〳〵の備間ちかく備を立るに其手廻シ能して
備手不薄しくらみて其作法宜故に兼て可押と云也
又曰堂ゝむと云事別に口伝有秘するか故不書也
一二押行道の積一日に五里六里に不可過事
私云人馬共に長途につかれては其夜数不意を討
事あらはおくれを取事多し是皆つかるゝ故に
老壮熟眠し陣中戒守事捨ルか故なり
兵法曰巻甲而趨日夜不虞倍道兼行百里
而争利則擒三将軍勁者先疲者後其法十
一而至五十里而争利則躋上将軍其法半
至三十里而辛利則三分之二至云云
三山林除阻之地衆草さゝわり多き地形にては一手〳〵ゟ
物見をかけ侍をたゝみて可押行事
私云是は行軍の砌押行道にはね成危き地形有
時は一手〳〵ゟ物見を進め場の様子を見切ても
猶備をたゝみて可押行なりめ此役と云共
いまた疑敷場にては一備をは畳て押一備を
は備を設けて居へしとそ
図云
四行軍の時道狭歟橋なと有て一行に押時は法に
右ゟ始といへり
私云惣備橋を渡る時諸軍左右を合て一行に
成て可押通橋計に不限狭き道にてはめ此
然るに其作法右ゟ先へ可押行高つは右の一行
先へ押通て其橋の右の方に行粧を調へは
左ゟ又可押通是は一を右二を左とする兵法勝
負の心得を以て也め此事兼日ゟ不定時は其期に
於て備可騒と云義なり
五歩足軽は預りの道具を不敢大縄に火を付弓に
矢をつかふ計に致て武者は馬廻りに面々の後道具
を引付可押行事
六馬上は何茂馬の鞍輪に履草鞋足半を引付歩行
の兵は腰に可付事
七騎馬并歩足軽共に一二の次第頭奉行ゟ兼日可申渡事
私云是は一二三の次第を乱らず可押行と云義也
法に曰奉公勤仕の先後を以て是を定むへし
或所地の甲乙或年数の老弱を以可為前後と云々
歩足軽なとは小屋頭五人組の頭を先に立て
可押と云々
八騎馬労武者共に腰兵粮を用意可致事
九次第をときるへからす若跡先に於てさゝわり
の子細あらば約束の太鼓を打へき事
十馬上の随兵用所ありは馬を跡へ乗抜て用意
相調て後に本座へ可乗次事
十一沓かけさする時同前道の脇へ乗抜沓懸終て後に
本の馬次に可入なり
十二敵間遠く近辺に疑しき所不有時は沓を可為持事
十三大雷大雨大風夜中日暮早朝霧深キ時大寒
大暑には不可抑行事
十四長柄持鑓の類惣して長道具を横たへ不可持事
私兵長道具を横たへ持は上下の往還にさゝわりて
口論ある物也殊に急用に不立といへり
十五族に馬上押歩行押と云事有
十六馬ばりつく時は跡の馬道脇へ乗よけ先の馬の
次に可乗其後又前のことくに可乗次事
十七弓鉄砲其外長道具数間遠しとて小荷駄に付る
事か為禁制事
十八歩行足軽用所有之と号して壱人に道具多く
不可令持事
私兵北越謙信にては足軽鉄砲をわつそくに
致首に懸させけると云り
一十九昵近の兵士并諸家中共に金銀を以太刀等に
ちりはむか事可為禁制事
廿小荷駄押面々の夫引付て一行に可押通荷物には
各の札印を可付事
廿一広き場狭き場に依て二行三行に致し跡を
近くする事も其武功品々あり
廿二水入筒何も可と持殊に炎麦の節と用之と云々
廿三火縄壱筋のおもさ廿匁也一日に常は三日得たつ也
うつ時には三尋半たつなりめ此事を考五拾百の
一足軽道中火縄の入積り重軽を計て可申付也
廿四品玉薬の積り重サ別て過分也一日に十数宛に
致路次の積を以人夫小荷駄の入積り有へし
古人之十敦の玉薬を竹に込入て諸卒の腰
に一々にさゝしめ行へし人夫のたすけ
たりと云〻
廿五兵根の事百人に付一日に五斗千人に五石十日に
五拾石の積なり道中是を可持行に非す其所々へ
兼て人をけし並其用意をなさしむへし
又曰一日宛の兵糧を小荷駄に付て可持行是は自然
先にて行つまる間敷か為なり又曰兵野に出る
十一
時は商買のあき人是を待て利買をなすか故
さき〳〵にて兵根不足成事不可有と云々
其行軍の砌俄に大宮大雨有て前後を見切事
難成時は則其場に折敷陣を設て進み行事
なかれ其利にさからいて遠押時は不意に放に
うたるゝ事有へし
其雪中に数地へ押入事もあらは新衆を遣し
一手宛道を作りて可押行かんしきを用ひそりを
本
致して雪を押除可通事
私云北国こしちへ働には尤雪の恐有故に辰の
上刻に出て等の下刻に陣取是暮天の雪の
しきりならん事を恐るが故也尤陣の前後
左右雪深き時は槨をかけて是をたいらかに
すへし是皆雪に逢て可用武略なり
廿八不臺の所に陳取時は諸卒皆が〳〵の筒を以て
一敷を定め竹の柱渋紙のやねを致し面を除く事
有尤兼て紙よりかくの筒渋紙糸立面〳〵に
其支度有へし又丁楯或間柵間虎落いか程も
用意致して可持行路次に於て如此事あらは
可用か為なりと云々
廿九暴風しきりにして鉄炮設かたく迅雨車軸を流
す時は火きえ薬しめりて用之事難成故に
弓足軽を先へすらむへしと召考いひ伝へ侍りぬ
卅古老伝曰兵粮或焼飯を致手拭を長く致両の
端を縫合て頭に懸て其内に可入之これ
腰兵糧の用所なり
卅一軒衆の事一手〳〵に一手切に押しむへし
其徳多かるへし
些雪中に馬上押と云事有之也口伝なり又かち
押と云事有之なり其外雪中の心得品
多き事共なり
卅三縄柵の用意多く致し持参可仕事
十一
宿川
武備第二十
営法上
同同同兵法神武雄備集
一兵法神武雄備集弐冊
代
兵法神武雄備集武備第二十
饗法上目録
一陣取に付大将并者頭物奉行可存五ヶ条之事
一不可陳取所々十ケ条之事
一陳取武功之事
一陳取作法之事
一陳取諸役者並所并陣中軍法之事
一御本陣作法事
一火難守禦之事
▢一陣中にて喧嘩争論無之其掟之事
一陣場詞之事
一陣取方図図五ヶ条之事
兵法神武雄備集武備第二十
常法上
○陳取に付大将并者頭物奉行可存知五ヶ条之事
一大軍には陣場奉行可有之小勢には殿備を以
互に陣屋を可令見立事
私曰陣場奉行と云は弐百騎三百騎程も可持
士大将を申付御旗本より一日路程先立一夜〳〵
の御陣場を見立并諸備の可陣取所を見積り
て作法を調へ不疎不益事に応置きことく
成義皆是陣ノ場奉行勤也殊更御旗本の
御陣屋をは此奉行守護して懸さすへし
故に是を陣場奉行と云也大軍にはめ此の
士大将を申付るといへとも小勢には軍勢不足
成り故に陣場奉行と号する侍大将別に無之
殿備と云を用て此当番の者小荷駄を奉行
仕るのみならす其日の陣場を見立るなり去程に
殿備を用て互に陣屋を見立なり其法行軍
の巻に記之か故に爰には略之凡陣場奉行
の儀或は足軽大将或は小身の士を申付たると
一云共其事可調義勿論なり然るに当流に
言所人数沢山に持たる大将を用る子細は陣屋
の事走廻る兵餘多無之時は不自由也是一
陣屋をかくるには小奉行或は警固の武士多く入
物也是二部水ひそかに伏兵を置歟或は野伏の類を
かくして味方の陣を営せんする陣具を奪小
一迫合を仕懸て其陣を堅固に取しりせつ事有
左様の時に心安く是を押へて後に陣をかけん
為也是三所により竹木を取に遣す事有其時
兵士多く入是四或は在家を破り其材木を取て
陣具に用事有其時敵を押る備可有是五
大概めひ徳あるか故に陣場奉行と云を別に
一手不申付時は危し
二とまり〳〵の陣屋をかくると云共必備を設て可勤み
尤敵地にての法其心得可有事
私兵衛々の一夜二夜の陣なりと云共敵無之所なる
とそんして其法をみたりに致し足軽雑人の
顔計を徘徊せしめて陣屋をかけさすへからす
子畑は在家或は竹木の茂み山のあなたなとには
教ひそかに備を可役所也又は所の野伏伏言
有て是をおそわんも不知は敵の可出所うたか
はしきしけみ山林険理の所には兼て備を設け
敵を押る手段をして後心安く陣屋を懸
へしと云義なり尤部地へ働き入て陣屋を
かくる事如此に可心付其法蚊城篇に出之
三腰兵粮を用意し一手〳〵番道具にて陣屋を
かけさする事
私云是又少茂油断なく不意をうたるへから
さる為にめ此用意仕るなり
四惣して早く出て路次を近く行早陣屋を掛さす
一る義可為勿論事
五糸たて細引渋昏等諸侍に常〳〵其用意可申付事
私曰糸立細曳渋紙の類は陣道具を包荷物をから
ぐらに入ものなるか故面々の陣屋雨覆間のしき
りに可仕為何も諸士用意可仕と申付常〳〵
吟味仕る時は事にあたつて行あたらさるもの也
故にめひ云なり
○不可陳取所々拾ケ条之事
一宿に不可陳取必可為野陳事
私云宿に陣を取是を音陣といふ也云つは
新敷場を見立人夫を用て小屋をかけなと
仕る事はおほくの手間を取か故にその所にその所に
ある在家の宿を則御陣屋に仕る事関将の
わざなり当流には別而是を嫌子細は門を出ルゟ
心見放と兵法にあり已に我国を出軍せしむるゟ
一足の先皆殿と不存時は不意を慎事なき故に
越度を取事必定なり故に縦は敵地へは
いまた程を隔近辺に楯付へき数もなくあたりに
山林のうたかはしきなしと云共猶目前に数を
見るがことく将是をつゝしめは士卒更に
怠る事なししかるを大将一旦のもやすきを
心に任せて春に陣をなす時は其損多しとや
第一に花は其屋作り不断の勝手を専に
構て陣法に不応なり此故に諸事首尾
不合なり第二に火事夜打なと有之時は
別而士卒うろたへ安し第三に敲ひそかに着
在家の者なとにまきれあるもしらす第四に
一士卒こゝろやすくそんしておこたる事多し
第五に傾城白拍子の類近辺にあれは其陣に
淫楽の気ある物なりめひの損多して其徳すく
なきか故に宿に不陣取必野陣をはる
へしと云也
二番在家のちかき所には不可陣事
一私曰縦は野陣をはると云共陣場より宿へちかき
時には女卒花宿へおり湯茶を自由に飲食し
或は女色にたぶらかされ作法尽く妄になる物也
是皆兵の怠りなるが故にめ此の時分敵ふきに
出て是をおそふ時は身方全く利を得る事
不可有故にめ斯いふなり
三富貴なる地下人の多き所なとをは放火せしむる事
私曰商に近き所を陳に取歟或押行時其宿に
富貴なる地下人多クある時は下々必乱暴に
心を入て作法みたるゝもの也其上宿在家
あれは夫に陣を取たかるへし兵法曰
良将不陳富貴云々万事に損多か故に放火
して可通と云なり
四湿地に不可掛陣屋事
私曰湿地と云は地形早下にして四方の水集り
水のはくへき地形なきなりめ此の地形には
花陣屋を不可掛わつか一夜二夜のとまりなれは
吉からじなとゝ存たやすく陣屋をかくれば
一
若雨水の急成時に水陣中へつきやすく
是一陣所ひきゝか故に四方見切られず地利
の逆たり是二久しく湿地に陣すれは人馬
の煩有之是三夜討夜軍の時其利大にあしゝ
是や離族の合図算続松の約束も用なにたらす
是五去程に陳取へからすとは云也兵法
曰地地不可舎又曰居高陽云々武備志云
不居地獄謂高滝之下其地廣衍平原中有
地形如仰盆之象者若安営其中被賊四面
乗高攻我必敗其中也
五山際に不可陳取事
私曰山下には必不可陳取損多し第一に疾風
甚雨の時分に山の様子に依て土崩れて小屋の
内へ落入人馬を損するのみならず陣中をさだゝ
する物也第二雨多くふれは山より水陣中へ
はくがゆへ是亦陣のさわきなり第三に竹木
風にさわか敷して遠く聞えす故寄来も不知
第四に竹木常に風に風に飄動して散よせ来る
ことく成故に陣中さわぎやすし第五に地震
の時山のまゝ崩安し㐧六に敵を山上にうけ
味方山下に陳すれは勝負の利よろしからすめ此
の損多きが故に山際に不可陳取と云なり将の
可心付事ともなり
兵法曰不居江湖之岸大山之側三面受敵
最悪後無進退之路若中有舟楫船機傍岸
又有通糧之道上流有救応之兵乃可安営
六古廟墓所に不可陳取事
私曰古廟と云はいにしへ如此の人の廟所霊験あら
たなる古所成なと云所或は墓所なとを地を引て
陣を設れは大将心にさゝわりなしといへとも
陣中に必妖怪を云物也陣中妖怪をいふ時は
士卒大にまどふ大にまとふ時は衆義一味不仕
して其鉾先弱し故に嫌之
一同年二二日不居死地謂安営不臨墓塚之地人
馬多夜驚久居士卒必為疾病
七四方に竹木の茂りたる地形には不可陳取事
私云竹木四方にしぶれる処には敵ひそかに
兵を隠す事あり其上物見を出しても四方
自由に見切にくき物也此故に四方をよく見
切へき処前後に合戦の場よしある所を可用也
但是は所にゟ味方に依へし口伝
兵法曰不居山林草木蒙密之地春夏枝葉
茂盛不見人馬恐賊穿生路而来驚我営秦
秋冬草木枯敗恐被上風放火因而劫我難
以廻避応敵
八潮の御し引ある浜辺水の俄に増来る事有所
には不可陳取事
私曰此ことはり武功の品にしるすが故に略之
九悪名の所を可去事
私云愚名といふは勝負善悪の名所により四に
依て有之事也如此所に陳とれば士卒の勢弱し
合戦は士卒の強臆きほひおくれによる事なれは
大将給此事に至迄可気付将の真へき義にはあら
されとも三軍は気をうばふによる事なれはめ此
云也兵法地名悪不可安営といへり
十山中に不可陳取所々の事
一山の陰組至て高く近辺にさゝわり多き山中の事
二山中なかくろ〳〵してめぐりに竹木多き所之事
三山中道四方に多く往来ふり由成ル所之事
一四左右前共に山にして行先分明ならさる所之事
五山陣はよく用れは便おほくあしく用れは便あしきといへり
六大山のはし険組を後にあてゝふや陣事作所に依へし
私曰第一山の険組至てそびへ近辺に竹木の
さゝわり多き時には敵伏兵を並に便有第二
なかくぼにしてあたりに林めくれる所は四方に伏兵を
置て味方をおそふ事有或はなかくぼなれは
陳所ひきくして相図約束弁へかたし第三に
左右前山有てその道四方につゞき往来不自由
成所は物見をかけて先を見ゆ事なりかたく
人衆を出しておさゆへきにも多方にして難押
第四に前を右皆山なる時は敵ひそかに堅固の
地利に依て手段を設る事あり㐧五に山中
并に竹木茂き所には戦をなすに利多く急成
時に引取よく薪草多し故に能用之時は其便
宜くあしく用之時は其徳皆敵の利たり爰を以
其人に依事也兵法苟能知山林利害者
鮮不勝也云云㐧六に大山のはしに陣を掛一方に
手明の険理を用事は故に依て彼事也と云共
好て成之へからす損あり徳あり口伝を受へし
○陳取武功九ヶ条之事
一流干落たる時河原石色見様之事
私曰働行道中一夜〳〵の陣所弁を掘て水を
取事宜しといへ共人夫の手間多く入る故難成
不然して以前より有之所の井水を用んと
すれは数毒薬をはなし雑塵を入て味方の
用水かなひかたし去故に河あらば河の近辺に
陣取て用水と可成然共所不案内にして水干
落るの程らひ指引の様子をも不考河原広し
と云て爰に陣を取時は越度を取事勿論也
その考様見様は切々出来る河原の石色は奇麗
にしてなめらかに石の間に塵なく草ふ生
二十二日細々不出来水の河原は塵多くたまり石辺
よごれ石に営むし草生し河原の色しら
けさる物也是を河原石色の見様と云なり
め此心を付て其外は所の様子に伏へし
二水辺に陣をなす時は流の上に可心付事
私曰水辺に陣取時は流の上に可心付といふは
其川上山中ゟなかれ出てしかもその山近辺に
有之川は山にしぐれ長雨ある時は山ゟ落る水落
合か故に出る事必すみやか也然共干落る事
又はやし子畑は山近きかゆへに一旦山水落合て
急に水増といへ共流の下の水はきつゞけるが
ゆへに水はやくはきてあからさまもたゝへさるもの也
以六町
又水上百里五十里
を隔て山中ゟ流出
為一里へ
たる水は縦霖雨するとも速に水増来らず
増来る事静にし多干落る事も亦遅し
いふ心ははけて来れる水なるがゆへ也水は不知科
と云本文ありさかんに流るゝ水も前なる
あなに満て後に外へ流るゝ是水の性
なれは山の遠近にしたがふめ此可心付と云義也
三河に滝河をいとふ口伝
私兵殿国へ働入て陣を取事は川の近きを好と
いへとも不遠慮にして川を越て陣を取川岸に
陣を設て水に跡を取切られ陣を川にひたさるなく
事有之是を川をいとふと云也然共陣営に
水遠して流に不流は又水に濁するの損可
有之なれは川に可添と云此両様を工夫して
或は川をいとひ或は河に可添と云也
四山のこなたかなたに可心付事
私曰敦地へ働入に山地へかゝらは此山味方の
山なる時は山のこなたに陣を取たりと云共無心え
事更に無之其山散地ならは必こなたに
不可陳取山のうしろに放兵を隠して夜是を
おそわんも不知此故に縦山を夜に入共行越て
山上或は山のあなたに可陳取と云也是を山の
此方彼方の武略と云也口伝可有之
又曰山の前後の義なり山の前に陣取時は山の
升に不や陣取山のあなたに陣取時には山上
七八分目に陣して敵をふもとにうくる心持
専一なり是を山の此方彼方の武略といふなり
皆是教をかさにうけましきか為なり
兵法曰視生処高戦隆無登此処山之軍也
五山際に可心付事
私曰山際に不可陣取といふ義は前に記み然に
山下に陣をとらずしてふけ時には山の間を隔て
合戦の場を残し可陣取と云々云心は敵山より
おそふといふとも山下を隔ある故に必山下へ備を
おろさゞる時は手合不成山下へ備をおろし
ては平地の合戦同意なるへし爰を以め此言也
又曰山に陣を取事山により処に依て山の
麓にそふて陣を取事あり子細は山をはなるゝ
時は山上ゟ敵味方の陣を見切人衆の多少陣
屋の法を見する頃か故に夜軍夜討を仕り掛
へきも不知なり此故に山にゟ麓に陣をはれ
ば敵の見切成かたしと云也
六人数の大小によりて地形に可心付事
私曰人数の大小に因て地形に可心付と云は大軍
の陣取には地形さゝわりなくふけかけ田切
不多敵をうけて合戦不危の処に可陣取
小軍の陣取は地形きら〳〵成所を嫌ふ或は山林
或は草木其さゝわり有みて敵出る時是を便に
可仕所に可陣取立心は小勢にして地形平陸を
好て陣を設れは敵ゟ味方を見すかし小勢
なりと知て兵を用る事其変宜か故勝を
取事まれなり故に地形をかた取利を設て
敵を偽り欺て小勢を見すかされず武略を
設て是をたぶらかす是小軍の可用は法也
又曰地形堅固にして要害宜く共前後左右に
備を相続せしむる事不能跡先絶て不可相救
ことき所には大軍を不可陣取故に大軍も小勢も
居てよろしき場所を見立て可陣取必地形の
堅固計を好へからすと云義なり兵法曰不疎
不蜜云云
七見切所に可つ付事
私曰見切所と云は敵味方共に四方を目の下に
見おろすへき地形の事也めひの地形をは味方
ははやく行て陣を取か人衆を置て其場を
取時には縦身方其下に陣取たりといふ共
敵に見おろさるゝ事なし又敵も左様の
場をは兼而より人衆を出し敵の陣屋をかく
へき所々を見切へし故に是を見切所に可心付
と云なり委は別巻に出之
八ふけ池かまり場等に可心付事
私曰地形は兵のたすけなりと云共不知之而
捨置気を付ざれは却而容と成へし此故に
ふけ池等ある所は地形連続せすしてかけ
引ふに中の場成が故近辺に陣をはるへからす
一縦陣を設る共その場を陣のうしろに致し或は
一柵を強付或は虎落を堅結て人馬の不落入
ことく仕るへし其場所も所に依て具に見届て
可置不見届而たゞにふけ成かけ成と計存し
其方を致し不意に出そわるゝ事古今有之
子畑は古来ゟ切所也と云をける処なりと
いへ共程久しけれはすはふけも浅田になり
切所不場所に成事ある物也縦は源義経鴨弐
を落し陶山小見山か笠置城を夜打仕たることきは
堅固莫太のことく成と云共今は其所替て云伝へ
たる計の切所にあらず如此事将の可心付事也
昔させる名将と云伝へたる人数の城を攻るに
我仕寄のまへふけ成と古来ゟいひ伝へける
ゆへ是を切所に設て其場よりは不故奇日数
経しゆへに隣陣より右のふけを心安渡り我陣
の前を庭て城際へ詰ける故此大将の仕寄
おくれけると云々是不付気故也又かまりの場
の事は伏戦に出之
九水のよしあし見積の事
一水流れて清くすみ流急成を上水とす
二流濁り色黄に黒く下に砂あるを中水とす
三流深く濁り下に泥土あるを下水とす
此三水はいづくに有共用水に致して不苦なり
一水留つて不流
二なかれの上に設の陣あるれ
三或は人馬の死骸不浄多き流水は呑之者
必序に逢と云り
此三水は不可用也此の外近所に用水なくは
その水の際に井ほつて可飲之と云々
○陳取仕家作法の事
一先地形の広狭并堅固の様子を具に可考事
私曰兵法曰一曰度二曰量三曰数四曰稱五
曰勝云々度と云は地形の様子を考てその広狭
をはかり堅固要容の様を委く知是を度と云
量と云は地形広く要害よき時は味方の人数を
はかりて前後の備の間左右の陣所不遠不進能
理に叶ことくはかるを量と云数と云は前後
左右施本其人数を以て地形何千何百坪と
云事をはかり渡之是を救と云也称と云は陣中
の諸役者その有所并陣屋の掛様万事如作法
して能相かなへる是を称と云勝と云は右の
四ヶ条能考へ能其理に逢時は則勝斗を得るか
故に勝といふ然は第一に先その地形の広せばを
はかり味方の人衆を可置程の地有之歟無之歟
堅固の要害成る不堅固成歟と云事を可考と云也
二備の場戦之場可出候所可引取処夜討之分別
可仕事
私曰敦出たる時には陣を出ていつくに侍を可置
いつくにて可戦いつれの方より陣中の人数を
可出或は可引取所或は夜軍を仕り懸られて
はめ此可仕と云五ヶ条の断を能々分別仕り夫々に
心を付て何も相応仕たる時には其所に可除
取と云義なり兵法の口伝なれは能々心付へし
三人数小勢の時には方圓の小陣取大勢の時には大陸取
山に陣を取には山陣取を可用事
私曰馬上百騎弐百騎三百騎の至五百騎迄は小陣
取成へし但五百騎にても大陣取を用る義可
有之五百騎已上の大将は何も旗本を大陣取に
可致山中には山陣取成へし委くは下に有之
一四陣法の義方円八陣の作法を可用事
私曰方円八陣の作法と云は兵法の極程成る故に
妄りに不伝之大底方角は四方に四維を加へて
八方たり八方を防時はいつれの所より歟敵是を
犯さん故に備も此法をうけて八方に備を設て
陰陽一二を組首尾相合の断をなし或は方頼或は
円形なり共敵をうけて其利よろしきかゆへ
八方正面八陣と云此故に陣取の法亦め備一二の
首尾を調へ所々に役者を配備に用て手配に
手間を不取ことく可掛此故に陣具何茂廉相
にして引敗る時は備の場と成ことく可仕と云り
猶か更口伝
五方圓の形或は三角或は半月或は本陣を前へ掛出し
或は本陣を奥にかくる共其陣の形いか様にしても
其理を用て其地形に依て可掛之事
私曰陣法はその地形に依て其形をあらわすかゆへに
其形定たるに似て不定只理のみを用る故
陣屋は其形方円三角半月曲直共に八陣の正
理を不失時はいつれも其徳有形よろしと云共
理に不応時はあしゝ
六陣屋の掛様諸役者者頭物奉行可置所々の事
私云是は具に陣取の本図に記之か故に爰に略て
七陣屋の梁大かた二間九尺はりなるへき事
私云二間よりはりま長くは柱ながく入故材木ふ
自由なり殊に一夜二夜の陣などはわづかの
木柱を用て致之か故に梁間長く不可掛なが
くて弐間ばり大かたは九尺に可仕といふなり
八陣屋に裏表と云事不可有事
一私曰陣屋の前は面なるが故に役所〳〵の幕をうつ
うしは長陣の時には或は弐尺三尺計垣なとを結
或草木を植て気を述んとする事是大に
あしゝ裏をさたむれは行義あしくなり前は
きれいに致せ共裏を無沙汰にして塵を捨
不浄をためて作法あしく成安し此故にめ此
云なり
九所々に握井あるへき事
私曰所々人の行あたるへからさる所一組〳〵の汲に
便可有所に井を握へし陣中水すくなき
時には諸卒渇する物也縦は有之といふ共便あ
しくほる時は喧嘩口論有てさわかしき物也
故に井を所々の宜しき場一手〳〵汲よきことく
可致と云なり
十陣屋惣のかこひはさゝ垣可成事
私曰笹垣と云は惣陣の外五間七間を去てしば芦
或は笹垣の類を用ひ疎草に垣を結事也凡惣陣
の外のかこひをは屏或はもがり或は土居柵なとを
付て丈夫に可仕義なれとも当流には不用之
子細は四方のかこひ丈夫なる時は内の兵おこたる
是一外より来る教四方の口々に人数を置て
是を防く時は内の兵籠鳥のことし是二急に
望て陣を引敗りて出んとするに不自由成へし
一是三火事夜討の時出入不自由成か故損多し
是やめ此の損あれは外の要害は不仕と云共
不苦へけれ共かこひな〳〵して小口の番所に
のみ番の足軽をおかば其間まばらにして
非常を禁する事成かたし爰を以僅に笹垣
を結ても其要害はひとしかるべし小口には
番の兵あつて往来をとがめ篠垣の内には
篝を焼て外人の出入非常のものを禁するに
たれりもし事急に及は四方を敗て小口に致し
備を出すと云共さゝわり有へからす但長陣の
砌は釣屏を可用是又同意なるへし
十一虎口いつれもあげじやうなるへき事
私曰虎口の事惣陣より外へ可出入所は不申
及つまり〳〵に至迄往来を改へき口々をばあげ
じやうに致し番の兵を可置あげしやうの事
外へつき出[メ]に可仕作作法城制に出之
十二行あたらさることくに可掛事
私曰行先とまりて可出道なき時は常にもふ
自由なり殊更火事夜討等の陣中をさわかす
事有之時にはめ此所の陣所混雑而喧嘩口論
其外死人多し万斗に損多きゆへこれを略す
十三道はいつれも三間あくへき事
私曰陣屋前後の道せばけれはあしゝ故に三間に
可取なり子細は三間柄の鑓を自由に取まわ
すへきが為なり是より広くは五間或三間半
成へし六七間ゟうへあく所是をは空地と云へし
安大事の陣をは一夜二夜なとの間おるにかせ木雨覆
不可仕事
私曰大事の敵前に於て一夜二夜計は腰兵粮を
つかいて備をくりかへ捨篝を焼て夜をあかす
作法也故に小屋を掛るとも人の心やすく不存
ことく怠なからしめんか為なれはかせぎ雨にほひ
をも不可仕事と云なり
十五寒陣には陣屋の四方をしとむことく温陣には日露
を肝要に仕へき事
秋日三冬の寒き時分四方のかこひおろそかに
陣具まばらにして暖ならさる時は人馬こゞゆる
が故に損多し是寒陣に可心付事也温陣には
四方のかこひはおろそかに仕ても日露ふ丈夫なる
時は人馬炎天暑気にあてられて温夜を
煩ふ故に日覆を可仕と云也其時其所に依て
将の可心付事共なり
十六門のふさからさることく可仕門の内に地らい広かる
へき事
一私曰陣中の義所々つまり〳〵に空間の地らい
なき時には急に及て人の出入つかへやすし
殊に門の内なとには地らいを広く仕て往来
につかへさることく致へしとなり
十七所々の明地の事
私曰明地の事是は大方城に登る事なし
人数を往来せしめ急のかけ合の時分其払
よきことく可致工夫なり
十八内外空地心得の事
一私曰是は内に明地を並へきよりは外に空地を置
へし縦陣屋の内はつまりたり共外に空地を
用意して人数のたまることく致へし何事
有之の時分も内にて備を立ては不宜なり
其前後の人数並様の事
私曰是は先へ出る人数をは小屋の奥に置跡に
出る人数を前に並へし其故は跡に出る人数の
前を先勢出終るを見て則出陣役に便よし
先勢出終て其次に出る備の間つゞきはやき
もの也其外口伝あり
廿小屋さきにて行つましさることく可致事
一私曰小屋の御き行つまりてまかりて出る所は
大勢出入成かたきもの也尤其損多し
廿一夜陣具用意致し持参可致事
私曰拵様は別巻に出之故に今略之
廿二制札場之事
私曰御本陣の前に有へし
○陣中諸役者之置様并陣中軍法之事
一六奉行之陣所は御本陣之前左右可成事付当番は
右に陣取事
私曰六奉行は大陣取小陣取山陣取共に御本陣への
虎口前左右に陣取へし御鑓御旗を柵木の
場に飾り此奉行衆引添て居之是一六奉行は
陣中の義大小によらす六人の内当番の衆是
をはからふか故毎度御本陣へ往来して仰を
伺はざれは事不調故に御本陣を不離なり
是二御本陣と間遠時は諸将の陣前を切々往来
可仕然らは六奉行の往来を見ては御本陣に
子細有之歟と云疑惑あるへし是三め此損ある
を以御本陣に近キ所に可陳取と云也当春は
右と定むるは一夜陣には其日の当番則御本陣
の右に可陣取長陣には右に番所を用意して
当番此番所に可陣取也左は勝手あしく右は
其勝手よし故に右と定るなり
二足軽大将衆前後左右共に其小口〳〵に可陣取事
私曰諸備の足軽いつれも其備の内の外小屋
外小口へ近き方に可陣取小口〳〵の番所にて
足軽衆番を勤ルに其便よろしかるへければ也
尤小屋ゟ人数を出スにも足軽一番に出陣すへきゐ也
三一組切に陣をかけて他組へ入ましふへからさる事
私曰前後左右旗本組いつれも一組〳〵別所に陣
取て他所へ不可入交なり一陣の中にて左右前後
を一組宛かけ入に他分明ならしむる時は夜討其
外急の出入に混乱不致物なり
一四中に陣屋をかくる衆の事
台所人納戸衆膳奉行医者右筆咄之衆
法印出家
一伯楽大工細工金堀
忍者猿楽水練賄人蔵奉行
私曰御本陣の後或は左右にても惣陣よりは中
小屋に掛へしいつれも御用人なれは御本陣を
遠さかりてはふに由成へしと云事なり
五諸卒私之幕は御本陣を守て可打事
私曰諸卒面々の印にうつ小屋前の幕は前後左
右共に御本陣へむかいてうつ是大将を敬ふか
ゆへなり尤如此時は陣屋にうら出来さる物なり
六御持の鎗御旗の外は諸手の指物長柄惣長柄等は
不可飾之事
私曰諸備私の旗指物長柄等を飾は陣中を失え友
見せて威を教に示すへきか為也と云共外ゟ
人数の多少を見すかされ内より人数を出す不出
なとを見ゆられて其損多し爰を以柵前に
有之御旗御鎖の外をは不可飾と云也
七陣中へ猿楽を召連る事
私曰小鼓笛太鼓時に依て用之人数の騒動を
しづめ又は品々の手段に用る事あれはめ此言也
八陣中の義何事に不依六奉行ゟ下知を受へし
一相調合験皆六奉行是を可沙汰事
私曰相詞は毎夜是をかゆるなり合験は五三日又は
一陣之内ニ二三度是を替る共云也か様の事
当番之節被致相談可沙汰也其外攻戦諸事
六奉行談合なり
九当番の御徒頭六奉行ゟ相詞を請て諸軍に可触渡事
私言相詞の義つくり出来て後御歩行頭諸手の
物頭物奉行衆へ日暮前に是を触渡す也夜に
入て教味方を可改か為なり
十相詞出て篝貝をならすへし其則本簿を焼へし
一本算を焼立て捨かゝりをたくへき事
私曰本算と云は笹垣と小屋との間番所の間〳〵
にてたくを云也口〳〵の番所にては書の足軽
有て往来を改む其間笹垣の場へ若非常の
者往来ある事あらは是をいましむへき為に
本算をたく也故に相詞定りて後にかゝり貞を
ならす時本箱を焼立ル也其後捨篝をたき
立るなり捨かゝりは陳の近辺を往来致す者
あらば其非常を禁し夜討夜軍の時分其相図を
通せしめんか為也其作法別に出て
十一陣屋いつれも篝両様旗本は一様にても不苦事
私曰何れの陣屋も両様の篝可有旗本はれ陣の
時は前後左右に備あつて遠篝をたかす共不苦
爰を以一様にても不苦と云なり
十二陣を取かためて則制札を立諸法度を可出事
私曰兼日より陣中の制札諸法度を相談仕り
置て其上にて陣所相極り陣取終ると則制札
を立へし制札遅々致し其内不慮ある時はその
作法あしきゆへなり制札のケ条は其時に依
其家の令にまかすへきなり委別巻に出之なり
十三御本陣に制札条数の法令をしなし置て者頭
物奉行に可示事
一社所和曰制札の場には大方三ヶ条宛五ヶ条宛五ヶ条は
人の有ふれて知る事を書付へし御本陣には
御陣中の軍法法令無残所書付て置者頭物
奉行に可申含毎は別巻に出之
一両諸侍行義能成触様之事
私曰諸士面々の陣屋の前雑塵有之は其近き
方より是を可払是一陣屋に裏表を不仕
一是二不浄捨雪隠を小屋に早く付置塵を
すつる事を制す是三め此触置へし是行
義を能致す作法也
十五朝夕の認め常に早く可致用意尤不時の合可
有其心得事
私曰是は陣中にて常々諸士の心掛致へき其法也
一不慮の掛合城攻合戦にも口に食絶ては下〳〵は
働かたきもの也爰を以ふ断はやく用き致して
是を食すへし尤ふ時の食の用意仕り置て
夜戦なとの時分も是を食すへし妾は粮道出之
十六張番の事
私曰張番と云は捨かゝりを焼間之番の兵を置事
なり捨篝をたく場にては火の光にて近辺に
番なく共往来の者見えすくへし其間に
一無御座候に十三人にて五三人はかり相伺相残
を以非常の往来を可禁なり妾は口伝有之義也
十七番所の事
私曰小口〳〵の番所いつれも小屋ゟ足軽を出して
可勤仕又四方の角には笹垣の方へ番所をよせて
四所に書を居相図の約束を定めて第の様子を
可通是番所の作法也
十八かぎ物聞の事
私曰かぎ物聞と云はかぎは夜中に忍の兵を
少々つれて城又は敵陣の近辺を往来し
其様子けいきをうかゞふの役なり物聞と云は
是又恩の兵をつれて四方を徘徊し数の
御なり夜戦の有無を知又は敵方の恩の兵
なと往来せは是をとしへて様子を聞是皆
物聞の武功に依へし
十九陣中へ商人を不可令往来事
一私曰陣中へ商人往来する時は敵の間は恩是に
紛て陣中に入味方の様子を伺其外味方より
内通の便計策の為諸事に損多し爰を以
商人を不郷入と云也但陣中へ交易あらすし
ては諸用不可調されば陣屋の外へ商人を定て
集め商人は門の外に並内ゟ主人の手形札を
もつて出て其交易をなすへし尤其場に
驚固目明を置て売買の役人蜜談私語せし
むへからす用所調時はすみやかに去へし其作法
条々有之事也
法曰営塁既定其外屠沽販売人一切禁断
営内自交易即不禁是は陣中に市を立て
交易せしむる事なり
共陣拂の事
私曰陣場奉行或殿の備勤之其頃は本陣より
初め諸小屋こと〳〵く引敗りて一所に集め是を
焼へし違土居かきあけ内もかり不浄捨等
尽く是をこぼちて見分られさることく沙汰
致へし其故は隣屋の跡を見て其作法を知
られましきか為なり是を陣拂といふなり
廿一諸番かぎ物聞の類用るに其実を得ざれは其損多事
私曰敵急に出たる時外きゝの者とおひすがふて
入事あれは其心得あるへしとなり
○御本陣作法之事
一御本陣広狭之事
〇御本陣の広狭は其大将の好に依事也故に依事也かに云は
大方弐拾間四方或拾五間四方是定れる古法なり
是ゟ広狭其地形其分限に随ふべし
二御本陣左は勝手臺所右は馬屋出仕所可有事
私曰御本陣の右に馬屋を立是に御乗馬御乗替
五三疋案立へし左の方に勝手台所奥詰間
湯殿雪隠可有之出仕所は御座の右御馬屋の
左の方に空地を置是を出仕所と致[メ]
一夜陣には小屋の中七はくして人数多く内へ
入る事不叶故に出仕を地上にて致すなり
三かきあげ内もかりの事
一私曰掻挙と云は御本陣の四方に広サ壱弐間計に
麁相なる堀を握其土を則土居に築是をかき
あけといふ也土居の高其土によるへし土居敷
大方壱間或三尺計なり其上にもがりを結
是を内虎落と云自然非常の者ありとも
すみやかに御陣屋へ混雑せしめ間敷か為也
もかりは常のことく給へし左前右前其口伝
可有之
四編敷の事
一私曰御近習の衆勤番被致に御陣屋せはきが
ゆへ御厩と勝手の間御座敷の前に竹をあみて
敷く其上にて近習の衆御番を致なり是は
雨天の時分直宿の下へ水をつけ間敷か為也
一夜にては大方如此致もの也
五かくの筒にて諸士御番を勤る事
私曰かくの筒を番の侍持参して右の編教の
場にて御番を勤るなりかくの筒は別巻に
出之
六御旗立柵の木御鎗立柵の木の場の事
私曰本陣の小口より五間或は三間去て左右に
一柵を付是に御持鑓を立る也尤御紋の幕を
うつ是を鑓立柵木場といふ此柵より三間去て
御本陣の向に楓を付る御紋の幕を打是に
御持の於まとひ馬印を立置是を御旗立柵
木の場と云なり御鑓奉行御旗奉行の同心共
御柵木の前左右にて是を守護する也
七栖楼大将のみせやくらの事
一私曰御本陣御座敷の後に柄楼をあけて
大将是より諸手并敦陣の様子を見切給ふ也
但櫓一ツ有時は敵是に気を付て矢間をと
つる事有之物也故に矢倉を二ツ三ツ用意
して散の気をまどわする是を見せ櫓と云
但平陣取には御陣やの後に一ツ前の左右に
二ツか有之山陣城にても此心得有へし一所に
三ツ用る事は不入義かと師のいへり
八家作并小口の事
私曰家作は城制に出之小口は御本陣の真向に
小口一ツをあくる是古法也但隠小口を可用
御本陣家作其簡可有之なり
九御歩行衆不寝の番有之而御本陣かきあけの
外を往来して可禁非常事
私曰かきあけの外四方をまわることくに道を
可付なり此所を御歩行衆往来而可禁非常
かくの筒にて可動仕也
○火難守禦示之事
一火事出来候時守禦可致作法兼て可申付事
私曰火事に手火あり又敵来りてひそりに
火を放事有之内に敵方へ返り右の者有て
火を付事可有之然に火は人の目を奪
物成がゆへかねて下知する事厳重ならざ
れは必其期に於て騒働致安し故に兼る
より式法を可定と云也第一火本の陣屋の
は東西へ往ちりて所不定時は敵のとりこと
成事有或味方同士打なとも出来致もの
なれは其組に依て集り処を前方ゟ可定
第二他陣の衆は共具を対して大将の御
下知を待へし尤足軽を配軽卒を出して
味方大将の下知によるへし其陣に親子兄弟
ありとも不可欠付也第三火消の役人は
遊兵の内番かわりにて可勤之なり第四先衆
二の手前其陣々の手ゟ次第蹴出迄足軽をくり
出して外より来るものを改其備を守るへし
第五人数を風ちく出すへからす第六戦を
持心得有へし大概め此義に心を付へし妾は
大戦に出み其上大方夜軍の作法にひとし
かるへし
〇陣中にて喧嘩争論無之其掟五ヶ条之事
一一水汲鷹十流の後或左右流細くは川下ゟ可汲事
礼曰水を前にあてゝ陣取たる時水を汲に
遠近清濁に依て必雑人争論に及事
有之故に兼て其頃を定て流の前は
常に水沢山なれは流の後ゟ可汲み其後に
左右其次に前と可定其水流細くは川上へ
おり立て不可汲流の下濁りて用水なり
がたく口論出来するものなれはながれの下ゟ
汲てあかるへし又曰流の左右より汲て中へ
おるへからずとも云り
二陣具可取次第之事
一番先衆二番二之先衆三番左右脇備四番前備
一五番後備小荷駄奉行六番旗本七番遊軍
私曰是は山中里すくなき所にて陣具を取
次第なり
三乱取先次第人数多しと号而不可奪取事
私曰獲利必分と云り乱取の事次第前後を
定並へし尤下知なふして在家へ入乱取
致事をは可禁之
一四奪首の輩於有之は其備へ付入六奉行に可断六奉行
不可有依怙事
私曰ばい首は同士打争論の本也堅く可申付事
五かさつになき様に可嗜之事
私曰無礼かさつは却而臆病の本なれは可慎之
旨雑人共能々可申渡なり
○陣場詞之事
一けだしの事
一を蹴出と云は陣屋の前後左右拾間ゟ三十間
迄のくつろぎを去なり
二外張の事
私田陣屋の前後左右五町十町迄も外張と云也
外のかまへといふ
三逆茂木之事
一私曰さかも木と云は大木の枝ながら切堂をし
て陣屋の前左右に違土居のことく引を
いふ古はさかも木と云は杭を打柵を付て
木を枝なから結付たるを云り
四編鋪かくの筒内虎落笹垣違土居
私曰前に記すゆへ爰に略之
○陣取方円之図五ヶ条之事
一方円小陣取之図
二同大陣取図
三方圓連陣之図
私曰連陣と云は惣軍を前後左右につらねて陣を
別に取を云也
四相備陣取之図
五山陣取之事
一後小口腰郭之事
私曰山に陳取は山陣城なり後小口と云は大将の
御本陣地形高陽の所なるがゆへ如常正面に
小口をあくる時は上ゟ下へおるゝ道部へ見えす
きてあしきなり故に後に小口をあくへし
と云是を後小口と云
腰郭と云は本陣を取廻して広さ三間計に
郭を付是を腰郭と云也此所を御歩行衆
往来して非常の者を禁する也此曲輪広き
時は六奉行是に陣取也
二腸小口の事
私曰後へ向ておるゝに其勝手あしき歟又大将
の御好に依て小口を賜へ付るには御本陣より
腰郭へ後に小口を付こしくるわより左右の
脇に土居を切込て道を付る是を脇小口と
云なり又曰御本陣ゟ腰郭へおるゝ口を
脇へあけてこし郭ゟ下へおるゝを後へ取共
いふなり
三小口左口伝
私曰賜小口を左所にあけすして一方にあく
る時は左の方にあくへし人数をおして外へ
出る拂よきか故なり又曰後小口にもむかい
に土居を付て左右へ出ることく致す此時後
小口に左の口伝といふは是を土居をかねの手に
つきて左へ出ることく役也
四二重築地出仕所青楼内もがりの事
私曰二重津いぢと云は腰郭に築地を築御本
陣のあたりに又築地をきづく是を二重築地
と云せいろう出仕所内虎落前におなし
陣城後小口之図
□□□□□□□
組組組組組組組組組組組組組組組組組組組組組組組組組組組組組組組組組組組組組組組組
武備第二十
営法下
同同同年兵雄編輯
十日
十一日
兵法神武雄備集武備第二十
営法下目録
一八陣并異朝営制之図
一五十騎一備営法之図并人数積之事
一百八十騎五備営法図并人数積之事
一右之備営中より可出作作法拾ヶ条之事
一連陣秘法図并人数積
兵法神武雄備集武備第二十
営法下
八陣并異朝陣法之図
一八陣之事
一私曰八陣の事本朝の兵法家に其沙汰多しと
云共その説まち〳〵にして本図に相応せず第一
魚鱗南鶴翼乾長蛇神鉾矢艮衝扼異雁行北
偃月西方図辰以上八の名に応して其備有その
備に依て八陣の営法を成す是一流の八陣也
第二に龍陣虎陣天陣地陣風陣雲陣馬陣
蛇陣又是を八陣と号す第三に天陣地陣
魚麗陣全陣木陣大陣土陣水陣是を八陣
と云然とも天地風雲の陣世に流布して
其作法多し亡心は龍は則屈曲するかゆへに
陣の形屋曲とまかれり虎は則張翼して其
勢をはる事大成る故に陣形是にのつとる
天陣は天運の四方へ施行にかたとれり地陣は
地形の平にして不屈曲をかた取風陣は風の
形のするどに形取雲陣は雲の左右に散行
するにかたとる鳥陣は鳥の飛行する事速成を
もつて形とし蛇陣は蛇の穴転とわたかまるを
以形とす是八陣の秘説なり龍陣は東虎陣は東虎陣は東虎陣は
西鳥陣は南蛇陣は北天陣地陣風雲の陣を
四階に配して以上八の名を立る名を立る是を八陣根元
の説として異朝の用る所なり
二十二月十二年二月廿九日八方乾為天地巽為雲
震為龍兌為虎離為鳥坎為蛇以其方之所
属而名之也無他義也後世好事者乃取其
四旋以象天平正以象地鋭其形以象風向
左右以為雲龍則屈曲虎則張翼鳥則迅急
蛇則宛転以此為古人制之陳之義云云
異朝の制めひにして其変陣八々六十四陣に
わかる法の伝来は黄帝に始れり其後千有
余歳にして周の武王殿の紂を討給ふ時召望
始て握斎の陣法をなし四万五千人を以て付か
七拾餘万をなる其後久其伝する其後久其伝すたいたり前
漢の武帝公孫弘をして八陣の心をのへし
むといへとも名有て実なし三国に及て
諸葛孔明八陣の法を以て蜀の刻備をたすけ
ぬ司馬仲達其宮法を見て天下の哥夕なりと
嘆す是黄帝の陣法に本つけり然とも
其書磨滅して藝州の石陣のみ有之所謂
布石為陣縦横八行并々是なり太公より
孔明迄既に千余歳孔明より今に至迄殆
千歳にあまれり世の伝へしらさる事久し
此故に八の名を立て方形或円形三角半月
様〳〵に様子をかへ相応の名を付是を八陣と
云是本説を不知か故也若其形を以て其
名をあらわさば地形の変千変万化也いかんぞ
必八陣にきわまらんや
爰に八陣の説を考るに黄帝蚩尤と戦時陣法
井によるといへり云心は井とは弁田の法也井田の
法四方を限り其中に井の字をかく時は間中間
を合て九ッたり四方四隅の八ツ是を私田と号す
農夫是をわたくしに耕ヲ中央の百畝是を公田
と号して公事に是を奉る其法委細の説あれ共
繁多なれは略之此法を受て八方に備を設け
中間を大将の陣とす是八陣の根元なりといへり
然共井田の法は目より事起れり此説弘信
兵法曰数起於五而終於八ト云々いふ心は我中
て
央に立て前後左右に人を置ク是陣の数
五より起といふ也猶丈夫に内をかこわん為に
又四の角に備を設ル時は中間を除て以上
八方につゝなる是を八に終ると云此八陣の
真実の道理なり此断を以見れは陣の形は
種々かはると云共五方をしとみ八方を守るに
其便宜は何も是を八陣と号すへし古人此説
を秘して仮に八の名を立人の心をまとはせり
かるかゆへに兵法及変地制敵紛々紜々闘
乱而不乱渾々沌々而形図而不散ト云是也
しからは八陣の名は不可用に似たりといへ共猶是を
用て善悪の多聞を広くす故に八陣をつゞ
めて五陣とす五陣は方圓曲直鋭是也方陣と
云は四面四角にした其作法よろしくみ形よき
是なり円陣と云は士卒志を一にして軍法整り
進退一円相の分離なきかことし陣の形も又
一円形なり曲陣と云は縦は其形まかれりと云共
其便よろしく譬は人の手足のまがる事有
時は曲るかことく其法正是を曲陣と云直陣と云直陣と
いふは陣法曲折せず直正にして其理あるへき
是也説陣とは其形三角にするど成火鉢を司ル
是也人事を用るに威厳重々成是なり是を
五陣といふ五陣をちゞむる時は方陣囚陣の二に
ふき方陣圓陣は方円一陣にふ過一陣と云は
その理広大幽徹なるか故に秘して委細を
不記可受口伝なり
兵法曰八陳之妙在竒正四陳竒正四陳在
二変二変者一之要也兵者欲簡不欲繁欲
易不欲難也
又曰当世の兵家陣の形に依て五行を引合
相剋相生を以て四季に陣の形を遣る事
有之大成誤也
兵法曰夫五行固有相生相剋者自水生木
木生火而推之此五行相生也而兵則血相
生之理自金尅木木尅土而推之此五行之
相剋也而兵無相剋之理兵無相剋相生之
理而謂之相生相尅者文之也非實也
異朝陳法
大火火火
取計候以上次次第次次次第次第次第次第
大大大夫大大夫大夫大夫大夫大夫大夫
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一五拾騎一備陣屋図
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一をすををををををををめめををたををとめて
第四章第五章第九次第第次第第次第第次次第次次第次次第次次第次次第次次第次次図図書
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第一章をしていためをたとめをためをいるを
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御〆次第八次第九次次次次次次次第次第次第次第
二五拾騎一備人数并小屋割
拾人連但主人共
一馬上五拾騎
五百人
夫馬五拾疋
乗馬五拾疋
壱騎に付四間宛
一右之組頭弐騎廿人連右同上下四拾人乗馬関
乗馬四疋
夫馬四疋
壱騎ニ付八間宛
一足軽大将弐騎
四拾人
拾人乗馬
馬右同
此小屋拾六間右同
廿人れ
一長柄奉行弐騎
四拾人乗馬右同
此小屋拾六間
右同
廿人
乗弐疋
一於奉行壱人
夫馬弐疋
此小屋八間
手明五人
夫馬三疋
一旗指拾人
けいこ弐人
拾七人
口取三人
此小屋五間
く廿人れ
乗馬四疋
一旗本目付壱人使番壱人廿人連四拾人乗人
夫馬四疋
此小屋拾六間
夫馬拾疋五人ニ壱疋
一足軽弐拾五人弐組
口取拾人
一同心寄騎拾騎八人連八拾人
乗馬八疋
夫馬同
但足軽五人同心壱騎ニ小屋五間半宛
此小屋五拾五間
持者三拾人
夫馬九疋
一長柄三拾本
けいこ六人
手明拾人
馬副拾人
此小屋拾弐間
夫馬壱疋
一貝太鼓役者六人夫馬壱疋
馬副壱人
此小屋三間
一侍大将上下
一對鑓三本三人十文字壱人
物見鑓壱人長刀壱人
小馬印弐人弓立五人
持筒五人甲弐人
具足持四人挟箱持四人
沓持弐人草履取四人
手明中間廿人乗馬拾疋廿人
夫馬七疋七人人夫拾人
此通りは御本陣の内成へし
一士大将自分武者弐拾人六人連上下百弐拾人
夫馬同
乗馬廿疋
此小屋六拾間三間宛
一自分使武者三人六人連上下拾八人
乗馬三疋
夫馬同
此小屋九間
夫馬四疋
一自分足軽弐拾人
口取四人
此小屋七間
一右足軽大将壱人上下六人乗馬壱疋
夫馬壱疋
此小屋三間
夫馬弐疋
一自分長柄拾本拾人夫馬弐疋
口取弐人
此小屋三間
夫馬弐疋
一賄人弐人上下弐人四人夫馬弐疋
口取弐人
此小屋弐間
上下弐人
夫馬六疋
一歩行衆弐拾人上下弐人四拾人夫馬六疋
口取六人
此小屋八間
一右頭弐人上下四人八人夫馬弐疋
口取弐人
此小屋四間
一右筆弐人医者壱人上下三人九人夫馬三疋
口取三人
此小屋四間
一同朋茶堂四人上下弐人合八人夫馬四疋
口取四人
此小屋四間
上下弐人
文馬弐疋
一膳奉行弐人上下弐人四人夫馬弐疋
口取弐人
一此小屋弐間
夫馬壱疋
一円居馬印弐本持者六人
口取壱人
此小屋弐間
上下三人
夫馬三疋
一小性三騎上下三人九人夫馬三疋
口取三人
此小屋六間二間宛
惣人数都合
惣陣屋合四百六拾壱間
此陣屋の図四百八拾間此内四百六拾壱間引残る拾九間内
弐間は半間宛外小屋の内にて組頭足軽大将の内へ
割入へし残而拾七間是は馬屋蔵方へ渡すなり
内ニかき
内にかき
右之外御本陣竪拾五間
横拾四間
あけは
あけ有
あけ有
この大将大大将大将
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□
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メントンソンヲ以テンソンセンセンセンセンセンセントン
第九章次第九次第二次第一章を以次第四章を以て
第次第九次第九次第第次第第条第第条第二条第四条第四条第四条第四条第四条第四条第四条第四条第四条第四条第四条第
十月廿九日朝夕大暑気を以来ルニ被為入候
一百八拾五騎五匁五拾五匁
E
第十一日におかないがないてしないせんだ
育育学校教育学校教育教育教育教育教育教育教育教育教育教育教育教育教育教育教育教育教育教育教育教育教育教育教育教育教教育育育教教教教育教育教育育教教教教教教教教教教教教教教教教教教教教教教教教教教育育育育
右人数割
一士大将此小屋弐拾弐間
対鑓弐本弐人物見鑓壱本壱人弓立壱人
一男壱人
鉄炮壱人甲壱人同壱人
歩行廿人
歩行廿人乗馬弐疋口取四人沓持壱人
挟箱弐人草履取壱人手明五人
一夫馬五疋五人賄弐人
一組頭弐人上下十五人此小屋拾弐間六間宛
鑓弐本二人馬取二人歩行三人
具足壱人夜箱持壱人そうり取壱人
一賄壱人夫馬一疋壱人
一馬上四拾五歩一人に付上下九人此小屋百八拾間四間宛
鑓壱本一人若党二人馬壱疋二人
そうり取壱人夫馬壱疋壱人
一足軽大将弐人此小屋拾弐間
人衆割同組頭
一足軽弐組七拾弐人
一組三拾六人
夫馬四疋
此小屋廿間一組拾間宛
一長柄奉行弐人上下拾五人此小屋拾弐間
人衆同前
一備三拾本宛
一長柄持三拾人
此小屋七間
夫馬三疋馬副三人
一於奉行弐人上下十五人此小屋拾弐間
人数同前
文馬四疋
一惣於五本かつく者廿人
此小屋五間
口取四人
一使むしや弐人上下十五人此小屋十二間
人数同前
上下二人
一まとゐ馬験弐本かつく者四人奉行弐人
一口取二人
夫馬二疋
此小屋四間
壱人に付上下三人
一貝太鼓役者弐人
持者五人夫馬二疋ツ取弐人此小屋四間
一新衆弐拾人夫馬四疋此小や五間
一備分人数積合
三備合
右一備陣屋三百七間三備合九百弐拾壱間
一旗本組頭弐人上下十五人此小屋拾弐間
人数積同前
壱人に付
一近習五拾騎
右同前
一御大将御手廻之道具
壱人に付上下九人
此小屋弐百間
対鑓弐本二人十文字壱人物見鑓壱人
一状九持壱人長刀壱人矢籠壱人
草履取五人交箱弐人六尺八人
手明小者廿人持楯弐人
一都合四拾五人御本陣に有へし
一御先足軽大将四人上下十五人此小屋廿四間六間ツゝ
一組卅五人夫馬三疋ツヽ
一足軽弓鉄炮百四拾人
此小屋四拾間ナ
十間ツヽ
口取三人
上下十五人
一長柄奉行弐人上下十五人此小屋拾弐間
一長柄持五拾人夫馬七疋口取七人此小屋
一旗奉行弐人上下十五人此小屋拾弐間
かつく者廿一人
一持旗七本
一持旗七本かつく者廿一人三人かゝり此小屋七間
夫馬五疋
一持足軽大将弐人上下十五人込小屋拾弐間
夫馬七疋
此小屋拾四間七間ツヽ
一あし軽五拾人
口取七人
一使武者八人上下十五人此小屋四拾八間六間ツゝ
一目付横目四人上下十四人此小屋弐拾間五間ツヽ
一歩行六拾人
一組廿人
夫馬五疋口取五人
此小屋拾八間
一組六間ツゝ
五間ツゝ
一歩行頭三人壱人ニ付十四人此小屋拾五間五間ツゝ
一馬印奉行弐人上下十三人此小屋八間四間ツヽ
夫馬弐疋
一纏馬印持六人
口取二人
此小屋弐間
一貝太鼓役者弐人
此小屋四間
持者拾人
此小屋五間
口取八人
上下四人
一右筆弐人
夫馬弐疋
一合八人此小屋六間
一医者弐人
上下五人
丈馬二疋
合拾人此小屋四間
一納戸衆弐人上下五人合拾人夫馬二疋此小屋八間
一馬屋別当弐人上下七人十四人夫馬二疋此小屋八間
夫馬五疋
一坊主五人
此小屋三間
一坊主五人上下二人合拾人
人夫五人
一忍頭壱人上下七人夫馬壱疋此小屋弐間
一台所人五人上下三人合十五人夫馬五疋此小屋四間
一忍者拾人
夫馬弐疋
口取二人
此小屋三間
一新衆百人此小屋拾八間
一大工頭壱人上下五人夫馬壱疋此小屋三間
夫馬弐疋
一大工拾弐人
此小屋四間
口取二人
{
夫馬右同
此小屋五間
一金堀拾人夫馬右同此小屋五間
一中間頭弐人上下三人合六人夫馬弐疋此小屋四間
一賄人弐人上下三人合六人此小屋四間
一勘定奉行弐人上下三人六人此小屋四間
九人
一蔵方弐人
一蔵方弐人九人拾八人此小屋八間
一馬屋方人夫三拾人夫馬六疋此小屋六間
上下六人
一咄衆弐人上下六人拾弐人此小屋六間
於本人数合
此小屋都合五百六拾八間此外井
但此外ニ馬屋蔵方四拾間此外余り小や
以上惣合陣屋千五百拾五間四分宛頭并賃金
惣合千五百五拾九間惣人数合
此外に本陣可有之
右之備陣中ゟ可出作法拾ヶ条
一一の先備の事是は右の方一の木戸口ゟ足軽大将并
近所之馬上組頭に付て備の場へ可出二の木戸ゟは
一の木戸口のあしかる出ると長柄奉行同心をつれて
備の場へ可出其次に馬上与頭に付て可出其次に
旗奉行同心を連て可出也御本陣前の木戸口ゟは
一の木戸口ゟ足軽備の場へ押出るを見て足軽大将
{
其跡に侍大将近辺の馬上をつれ馬印を持せて
可出若事急にして右一二の木戸ゟ出ル足軽方
勝負を始は二の手にて二の身を可致か為なり
此次に小荷駄の雑兵を可出但夜軍には手配
可為各別事
二左の脇小口ゟ二の手之備足軽大将并長柄奉行同心
を連て可押出其次に組頭を先として馬上可
九月廿一日本陣前の小口ゟ一の先衆出払て後足軽大将
侍大将纏馬印を持〆馬上を引卒して二の手
の備の場へ可出也
三御旗本は前の小口ゟ可出但御於奉行長柄奉行
馬験奉行持筒持弓足軽大将貝太鼓の役者一二
の先衆出払備を設せて後静に可押出御先
足軽二頭も此小口ゟ可出也
一四御先足軽大将弐人近習二頭組頭に付て左右其
勝手にしたかつて可押出事
五殿備右後脇木戸より足軽大将長柄奉行旗奉行
同心を連て可出并騎馬の兵も組頭に随ひ可
押出事
六後の小口ゟ殿の足軽大将侍大将纏馬印をもたせ
□
馬上を引卒して後備の場へか出也
七後左小口ゟ御本陣の中小荷駄衆可押出也
八目付横目使武者は何茂の陣の様に騒かしからしめず
一手〳〵の押出ヲ見積て可か下知事
九何の陣も作法をみたらす一度に騒動不仕互に可押出必不可取残也
十備の外張に於て可合首尾作法可請口伝也
連陣以前為後以後為前秘法図
孔明八陣李靖六花相交為一陣
しめんを
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一十一日
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□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□
同右
近習陽脇間
□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□
□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□
むす
□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□
□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□
従院脇旗本マテ百七間
はその
同六ン頭長弐軒
難義
□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□
□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□
廿一日
人家大大大大大大大大大大大破損
一一一一一一一七
昆布紙
いへいんといへはいへはいへんへんへんへんへん
□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□
□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□
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一〇〇五ツヽ
一同十一日
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□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□
□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□
□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□
しやはじめや
一方図連陣人数割
一侍大将壱人上下五拾人
上下十五人
六間宛
一組頭弐人
一組頭弐人上下十五人三拾人此小屋拾弐間六間宛
一騎馬五拾騎上下十人五百人此小屋弐百間
一於奉行壱人上下廿人此小や八間
一惣於拾本
惣於拾本かつく者三十人一本三人かゝり此小屋拾部
人一本三人かゝり此小屋拾間
夫馬六疋
一足軽大将弐人上下十五人三拾人同拾四間
夫馬一組ニ従一
一惣足軽弐組七拾人
七拾八人此小屋廿四間十二間ツヽ
人夫四人
一長柄奉行壱人上下廿人
一長柄奉行壱人上下廿人此小屋八間
長柄三十本
一惣長柄持三拾人
夫馬三疋三人
三拾三人此小屋拾間
上下三人夫馬三疋口取三人夫馬三疋
一貝太鼓奉行弐人
役者四人
拾三人此小屋五間
一円居馬印奉行
上下弐人夫馬三疋
一拾四人此小屋五間
持者六人口取三人
上下廿人
一旗本使番弐人上下七人四拾人此小屋拾六間八間八百五十五
惣人数
此小屋三百拾弐間
一十両人数合
十備分小屋合千百弐拾間井一備合而
此図左記之
上下廿人
一旗本近習頭六人
百弐拾人此小屋六拾間
上下拾人
一近習馬上百廿騎
一備廿騎
千弐百人此小屋四百八拾間
丁
一旗本先足軽大将六人上下十五人九拾人此小屋四拾弐間
一足軽弐百拾六人合弐百四拾人此小屋六拾六間十一間宛
一組手伝共ニ足軽三十人けいこ六人夫馬四疋人夫四人
一合人数千六百五拾人
此陣屋七百四拾八間一備分百八間
此図左に記之
旗本組人衆割
上下廿人
拾間宛
一六奉行六人
一六奉行六人上下廿人百弐拾人此小屋六拾間
手明七人
一御旗七本かつく者弐拾壱人
夫馬六疋此小屋拾間
けいこ二人
一
手明拾人
夫馬九疋此小屋廿間
一御持鑓三拾本かつく者三拾人
けい二五人
十間ツゝ
上下十五人
一使武者拾弐人上下十五人百八拾人此小屋八拾四間七間ツゝ
上下十五人
一持足軽大将四人
一持足軽大将四人六拾人此小屋廿八間七間ツヽ
手明けいこ共に足軽廿五人
一持足軽百弐拾人
外に夫馬四疋人夫四人宛一
百三拾六人此小屋四拾四間
十一間ツゝ
被下十五人
一長柄奉行弐人上下十五人三拾人此小屋拾四間
内手明六人かつく者三拾本に
一長柄持弐組合七拾弐人
合八拾四人
三十人外ニ夫馬六疋口取六人一組也
此小屋廿六間十三間ツヽ
一目付横目六人上下拾五人九拾人此小屋四拾弐間七間ツゝ
一小姓拾六人上下拾人百六拾人此小屋六拾四間
一歩行頭六人上下十五人九拾人此小屋四拾弐間
イ
一歩行壱百弐拾人
下百廿人夫馬三十疋
合弐百七拾人此小屋
人夫三十人
十五間
九拾間一組廿人夫馬五疋人夫五人
上下十二人
五間半ツゝ
一咄之衆弐人
一咄之衆弐人上下十二人此小屋拾壱間五間半ツゝ
上下五人夫馬四疋
一右筆四人
弐拾四人此小屋拾弐間
人夫七人
三間ツゝ
上下五人
一医者四人上下五人夫馬共同廿四人此小屋拾弐間同
上下十人
一儒者壱人
此小屋四間
上下五人
一納戸奉行弐人
拾人此小屋五間半
夫馬弐疋
一勘定奉行弐人右同拾人此小屋四間
上下三人
一茶堂坊主頭弐人
夫馬七疋人夫七人
拾八人此小屋四間
夫馬七疋人夫七人才八人此小屋四間
茶坊主二人掃除方三人
被下十人
一膳奉行弐人
弐拾人此小屋八間
一大工細工金堀頭三人上下弐人合四拾壱人此小屋拾八間
大工拾人細工者五人金堀拾人夫馬拾疋口取拾人
上下九人
一忍頭弐人
夫馬弐疋
一合四拾弐人此小屋弐拾間十間ツヽ
忍者廿人夫馬四疋人夫四人
一新衆弐百人
一中間頭四人
夫馬廿疋
人夫廿人
上下五人夫馬二疋
一弐百廿人此小屋五拾四間
人夫二人
拾弐人此小屋六間三間ツヽ
上下五人
一馬屋別当弐人
夫馬弐疋
拾人此小屋六間
一御馬屋方人夫は此内に可有之同四十三間
一台所頭弐人
人夫三拾人夫馬三疋
一賄台所
一賄五屋所人夫三拾人夫馬三疋合四拾六人此小や廿二間
一賄頭弐人上下三人
又馬弐疋人夫弐人
上下三人
一歩行目付六人
一歩行目付六人上下三人拾八人此小屋拾弐間弐間
弐間ツヽ
一蔵奉行弐人
一蔵奉行弐人上下六人拾弐人此小屋六間
一蔵方
一蔵方此小屋四拾三間
此小屋四拾三間
一猿楽一組拾人
此小屋四間半
奉行人数上下拾五人小屋拾四間
一惣捨奉行弐人於拾五本奉行人数上下拾五人小屋拾四間
かつく者三十人小屋拾間
惣人数旗本
以上三口合人数
右旗本陣図
〆八百文拾八八〆八百文八十八文六十八文
○□
□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□
同断
とてせん人とんなんといはんといろを見て
□□
近習一組陳図六組共可準之
九十騎一備陣図先脇後共可準焉
狩猟
戦律第
戦法
兵法神武雄備集か
兵法神武雄備集戦律第一
戦法目録
一備勝負合之作法五ヶ条之事
一戦法八ヶ条之事
一合戦武功六ヶ条之事
兵法神武雄備集戦律第一
戦法
◯備勝負合之作法五ケ条之事
一陰陽勝負之事
一私曰陰陽之儀別巻に委細を記する故爰に
略は凡先を陽とし二を陰とす云心は懸つて
戦と待て戦と此二ツを分ツが故なり然るに陰陽
の勝負と云は兵法曰以正合[キ]以レ奇勝と云是也
縦は一軍懸んで合戦を始部とはだへを合
勝負を決して若味方勝時は二の手つゝいて
備を進め丈夫に一の先衆に勝利を得せしむか
是を以正合と云也若味方の先衆備おくれて
首尾不調時は備敗軍の色付へし其時作法の
ことく能図を見合て二の手より横鐘を入
備を進めて是を討ときは不勝といふ事なし
子細は敵勝て味方を討といへとも已に一戦を
なしたる備なるか故臆せる兵は退き勇める兵は
たけく進みて人衆猥かはし殊に手負死
人も過半有へし其上人馬共に草臥労なり
備なれは又立直さゞれは合戦ならず譬は鑓を
突出し刀を切出せるかことし引直さゞれば勝負
致かたし其時節を伺て二のみに扣たる良将
図をはづさず曳声を上てまつしくらに
しつ〳〵と押懸ル故敦必敗軍せずといふ事なし
是を以レ奇ヲ勝と云なり
又曰一術を為レ正一術ヲ為レ奇と云りいふ心は一手
をは正しく教にあわしめ一手をは奇兵と
号して敵を偽りおびき寄て討是なり
又云哥正相生〽如レ無二環端一共云り云心は一の先
放と合戦を待さは一を正として二を哥とし
二の手横合より鑓を入て鼓にかたは一の先
又備を立直して二の手と成て奇兵を持
如此に其変に応すれは譬は環の端なぎの
ことくたかひにくりかん〳〵て一を二とし二を一と
する是なり大方如此の勝負を一二陰陽の勝
負と云也然といへ共是は故に依所に依其
変定ざるか故に紙上にあらわす事かたし
敵の備へかゝるには敦の備の騒く時かゝるへし
騒くといふは備の段々になく入乱れ於色
鑓色悪きをいふ髭色の悪と云は許の手
もめて於色上段になりたるを云鑓色の悪と
云は鑓先の上り武者色浮たるを云浮といふは
仰きたるを云なり待と云は敵の気定りて
備正く静まりたる時は待て戦に利あり於色
鑓色の善は右の裏也
奇正をも陰陽といふ奇は奇兵也偽を以勝
事也正は正兵なり正しくして勝を云合戦の
勝は手段にて勝と正くして勝ト二ツの外は不有也
・虚実も陰陽なり虚は心の不付なり実は
心の付所なり是心の虚実也体は実なりとも
心虚なる時は是虚なり体は虚なりとも心
実なるは是実なり
合戦は実を避て虚を討心の付と不付所也
但避買て討虚と云は習の内也至り至り至り至り至り至り至り至り至り
実自避て虚自討也不レ求ニ勝有也向上の所也
又曰是ニ記す所は向ひ合たる備に懸ルと待もの
考を記壁は一備の内にももつたいに懸
ると待との心得有なり先を取て掛ル事
肝要の心得なりと
兵法曰戦勢不レ過二奇正一奇正之変不レ可二勝究一
也奇正相生。如レ無二循環之端一孰能究レ之哉又曰
三軍之衆可レ使必受敵而無レ敗者奇正是也
又曰黄帝以来先ノレ正ヲ而後テレ奇テ先二仁義一而後二權
諸一又曰兵以前向一為レ正後却テ為レ奇ト
〽今案兵法の哥正は説え正しきとを云一二はか
りに非といへともおして用之時は一二亦奇正
なり
二二の手横鑓のならひ口伝
私曰先出ヲ合戦為レ正ト後出テ為レ寄トといへりいふ心ハ
一一の先衆進み出て放と合戦致して其図
あたらすして敗軍の時二の手より鑓を入るに
様〳〵口伝有へし敲きおいへて前後を不弁
味方にかゝり来らは二の手設に懸らすして
静に備を押出し敵の後の方へ備を進むへし
敦跡を取切らては前後に鼓を受るかゆへ雲
危と士卒おのつから跡を心えなく存て敗軍
いたす是後ゟ出ルを哥とすと云の興法なり
〽昔上杉景勝関東にて隣国の大将と合戦の時
一乗勝安田上総を先手とし二の手には次田大炊
助後軍に直江山城守を用備を立けるに
敦剛将にして安田か備を懸崩し既に敗軍の時
景勝須田に二の鑓可仕と使を立られける故
一深田備を押立敵の跡に押出しける爰を以
放勝といへ共跡を取切られじとおのつから
敗軍致所を案田もちかへしてかたのことく
勝利を得けると云々
又曰奇兵はかたわらよりうつと云心は敵の備一
文字に味方を追討て二の備身とをりを過す
時分に二の手より押太鼓を打て横筋違に
敵軍へかけいれは不徳といふ事なし是を哥兵は
傍よりうつと云也
昔源君家康公武田信書入道と元亀三壬申年
極月廿二日遠州みかたか原に於て御合戦の時山県
一昌景の備敗軍して既に大崩に及へかりけるを
山孫か二の手武田勝頼大文字の小旗を押立
敗軍の味方も右に見身とをり過る時横筋
遠に入立て敵を切崩す其内に山縣衆もるへし
て勝利を得たる是奇兵はかたわらより出て
撃の法也〽二の手を出すに身通りを過メ出すと
云事有是は敵の備味方の一の先を打て味方
敗軍いたし敦追かけて味方の二の手の身通りを
越時に二の手より横鑓を入よと云事なり是横
鑓を入るし外合也身通りを過すつは放それ
まて不追来内に二の手かゝれは敵軽く引物
なり此故に如此云也味方か原にて勝頼の二の
手の心なり
又二の手横鑓を入[ニ]ニ敵の備三ふ掛して直に
備を向へ可出と云事有是は敵のかゝり来る
備きほひ強くてあれへかゝちは二の手も崩る
事有へきと思ふ歟又は一二の備間近して敵の
気をぬく事成にくきか又は散に二の手を直に
向へ可進然れは追行勢味方二の手の跡に成て
危き故に必崩て物なり必竟放の気の抜ル
如く致して可勝と云事也
又我備小備ならは二の手を入ル事皆敵の後へ
出へし敵一備に味方二備の損あるなりしかれとも
大宗間對上云大宗云曹公曰奇兵ハ旁撃郷
謂若何李靖云按曹公註孫子曰先出合戦
為正後出為奇此与旁撃之説異焉臣愚謂
大衆所レ合為正将所自出為奇鳥有先後旁
撃之拘一哉
三先を湯とす湯にして陰の心持有へし
私云一軍に備たるみかたは懸て敵と合戦を始る
備なれは陽の備とする也然とも進んて戦と
斗おとしつくへからす散若急にきほひ
かゝつて備みたりならはわさと我婦を引て
放を引かけ二の手より勝利を取らしむる
是陽の偏なりといへとも敦の様子に従てわさと
備を退かなれは陰の心持ありといへり
〽又曰歌一の先衆を陽の備也と思ひはかりて一旦に
かゝつて合戦はしめんと浮立は合戦を持ることく
見せて軽く備を引陰の備に成して二の手に
勝を得せしむかなり敦是をはかり偽堂はかる
備にして実は軽く引なりと下知滞らは則かゝつて
合戦を成へし是敵陽とせは味方陰と成て是を
待設陰とせは味方陽と成て撃之の法也
四二を陰とす陰にして陽の心持有へし
私云二の手は進んて不戦して一の先衆の跡を
詰先衆に全く合戦を致さしむるの法也といへ共
先設偽退て敵を引かゝる歟又は味方先衆
敗軍の時は則二の手より横あいにかゝつて敵を
討へしと兼て其覚悟をもたされは陽の心持
出用かたし故に如此いへり又曰数二の手をは
不働の備なりと油断致し備を差むけすんは
其図を見合不意に二の手より可打之部又働備
なりと存て手いたく備を設けばわさとまを
むけさせて後に其様子を可待是を放陰とせは
陽の心持あり陽とせは陰の心持ありといふなり
夫兵法の道散に依て変化する事天道のあら
われすして四時の変化することく端末更に
いちしるからさるか故敵陽とせは陰に変し
敵陰とせは陽に変して其志のはかられさる事
天地のことく成時は散是に応する事難叶物也
是兵法の大事なれは一二計に不限勝負の深い
りも此心持有へし委細は口伝にあらすしては
伝かたし但持の微妙によるへし
三畧云端末未レ見人莫二能知一ト天地神明與レ物
推移変動無常因敵転化不レ為二事先動而輒而輒
随云云
兵法曰吾之正使二敵視二以為一以為之奇使二敵ノ
視以為正斯所謂形人者也又曰善用兵者
無不正無不奇使敵莫測故正亦勝奇亦勝
三軍之士止知其勝一莫レ知二其所二以勝一非二変而
能通安能至レ是哉
五前前猶源後前軽前軽前前猶軽後前深
私云前箭とは一の先衆の事をいへり一の先
衆は始て敵とはたへを合せ合戦の口を切かゆへ
に勝負も仕りかたく其首尾大事なり子細は
始て逢敦成かゆへに敵の弓矢の格をもしらす
其しほ合悪をゆれは必定敗軍なる故前に前は猶
ふかしと云り後前は軽と云は二軍の事なり
二の手は先備の合戦の様子を見合其首尾を
考て勝利有へき図をはかり敵の備つかれたる
所へかゝつて戦をなすかゆへに戦事やもし
是を後箭は軽しと云なり縦は鳥をいるに
初矢を以鳥を射立鳥の振廻を見済して乙矢
を射出することししかれは初矢を大事とすへし
乙矢は初矢の功を見てなする故也是を以壁とす
又云是は一の先手を申付る士大将へ申合る詞なり
云心は一の兄を以合戦をはしめ其圖をはづす
時は二の手の勝利と成一軍のおくれたり此断
を以一軍のしほ合別而大節なり必いたつらに
戦を不可始能々謀事を廻らして必可勝図を
しらすんはかゝつて是を不可討二の手の勝負は
なす事安しとかたく是を可申合云々
前箭猶軽後箭源と云は一の先衆尤合戦を始る
事たやすからすといへともいまた指続て二の
手有其上仕損したりと云共二の手頼あり
爰を以前前は軽しといへり二の手はしほ合を
見合する事大節也若少も図をはつして
一敗軍に及へは旗本迄のよわりと成て一入大切也
一縦甲矢ははつれても乙矢の頼あり乙矢致損
すればかさねて成かたしと云かことし又云
是は二の手の士大将へ申含る詞也云心は一の
先手は二の手の頼有か故に壁は軍を仕損
する共二の手を以必勝負を強く致事有若
二の手敗軍せはいつれを可頼様なしされは
源とは大事の事也軽しとは安しと云事也
又云糸引の軽ク重キにも可通
二の手大切なりと云事をくわしく可申伝と云々
〇戦法八ヶ条之事
一一此方備を全く致し敵の備立るに随て可稽事
私云兵法曰欲スルニ治セトレ外ヲ者先ハ試二其内一ヲ一といへり
云心は人の非を戒めんとおもふ時は先己か誤を
やめ人の悪を正さんとおもはゝ先我悪をたゝ
すへし我身ふりて親直なる事なし紫に
人に勝事を求めは我内の備を調へたらさる
事なゝ其守戒ル事不怠其法能成就して
後敦の様子を考其作法の善悪常々の国法
を察し味方いまたたらさる所あらは其虚を
一討壁は刀脇指は侍の腰にはなさゝるは人の
存る所也といへとも常之内を治は心あるへは
守り備る事深切成る故其きれ味を考鞘心は
いかゝと能改てさすかゆへに不意の出合喧
一嘩口論にも太刀に無心元事非す如此意
地なき侍はおなしく刀をさすといへとも守
慎む事あらざるか故にふせんさくにして
一仕損する事多し爰を以味方備守事を
堅く慎み考て後敵の守る事たらさる所を
考て可打之
兵法曰以實撃虚又曰主孰有道将孰有能
天地孰得法令孰行兵衆孰強士卒孰練賞
罰親明云云
又曰凡戦に重て俄に備を設んとする時は士卒
気を奪れ人衆散乱して必敗軍をなす事
有故敦に先立て其地形を得如作法備を立て
堅守へし是身方備を全く成と云なり此方
如此いたし設軍法不正備みたりかはしく俄に我
備の先に進みて備を立んと士卒往来し
味方に気を奪はれて散乱可致是一打図なる
ゆへ其所を見切散に従て可打みといへり
兵法曰先處レラテ戦地而待レ敵者佚後夷戦地一。而
一趣戦者労云云信州川中嶋合戦の時若佐玄
の備兼て前方より遠候外侯の兵を用ひ
上杉家より早備を押かため謙供の押来る
をまたは譬は牛角の合戦なりと云共旗本の
手に逢はかりの事は有へからす然るに信玄
かねて其手配は有けれとも却而謙信の
謀に乗られ備俄にさたちける故勝利
危かりける是皆味方備能して敵の備に随て
打之と云武略にそむけり備とは兼て整へ
守る事也人数を立る計に非す
二敦勝て身方をうたは二三より勝を設へし壁すく
なく共数を以設一つに幾重も手段を用ひ敵の
一働を見て可撃之事
私云敵の勢盛か故相戦事難叶事ありめ斯
一時は或和談を入或降参を請放の旨於下と
成其下知を請て後敵おそるゝ事なしと
勝に乗て戒守る事なく懈りおこりて
其作はみたり成へし其図をはからひて不
意に出て敵をうたは不勝といふ事不可有
是を二三よりうつと云也すくなくとも数を
以幾重にも手段を用ルと云は少敵を莫侮
と云る心也譬は設は少勢なりと云共其兵法
つよからすと云共必不可致油断爰を以散一人に
幾重にも内習備定をかねていたし其後敵の
働に従ひて是を一討といふこゝろなり
兵法云凡敵人強盛リテ未レ能二必取一須二常早レ詞厚
レ礼以驕二其志一ヲリ候二其有一ヲ釁可下乗ノ一ノ一擧一破レ之又曰
不レレ若則避云云
〽昔楠正成赤坂に籠城の時関東ゟ軍勢攻上りて
日々に入替〴〵責ける故楠毎度勝利を得たり
とはいへとも至終此城にこらへられましき
事を知てひそかに城をのき城には火を
かけ打きの体にもてなして枯こそ討死致たりと
披露させ関東の北条索鑑か気懈るを待住吉
天王寺へ出張して大軍を引うけ平場の一戦に
利を得たる是右之武略なり
又晋の僖公邪をうち給ふに糊の小国なる事
をいやしめて備を不役臧文仲諫けるは国
少しきとて海へからす亀蔓のはちは小虫なり
といへとも人をさすの毒有然るを豈人を悔
へけんやと是少共幾重も内習をなすの謀也
〽或人云味方の先軍進んて戦を始る時若其備
敗れて引退時放はかちほこりて身方を追
打にせば其時最前に記すがことく二三の備ゟ
横合に鑓を入て一打之二の手の勝利うたかい
なし是を二三よりうつと云也敦小勢なりと
云共味方の備如作は油断なく敵の一備に味方も
重にも備を設て鼓の働を見て可打之也と云々
〽遠州みかたか原合戦の時三河衆かちほこりて甲
州の先衆を追立たる時勝頼二の勝を待され
たるかことき是なり
兵法曰大宗曰朕破宋老生初交鋒義師少
却朕親以鉄騎自南原馳下横突之老生兵
断後大潰遂禽之云云
三部備能して堅くは味方堅守て又横を用て一蔵事
私云敦良将にして其作法正しく殊に大軍にして
軍法能とゝのをり衆儀一味せは先自国を
正しく治め法を能立て人民を能養ひ賞
罰を明にして道天地将法の五事を察し其
不足を考て後敵の様子にしたかひて其変に
応し好所を聞計策を入て敵の弱るかことく
致其後其国へ働入全く敵を亡事是横計
を用て勝の法也惣して剛部を亡し良持に
勝をうるは計策問者にしくはあらす故め此
云なり
兵法曰凡攻戦道必塞其明一而後攻二其強二
其大除民之害一淫之以色陥レ之以
レ味娯レ之以レ其親必使遠民勿使知謀
扶而納之莫覚其意然後可成
昔越王旬踐会稽山にかこまれける時呉の勢さ
かんにして遁かたき事を知りみつから兵をはけ
ましてひそかに大夫種を以呉の大臣太宰語か賄
賂にふけり佞臣なりけるを偽たはかりて
財宝をあたへ呉王の心をなため殊に美人
西施を送るへきよしを申入けるゆへ呉王財に
めて色にふける終に越王を本国へ帰ら
しめける是皆計策に依て大鼓をくじくの
法多し
或人曰放大軍にして殊に備堅く其法堅固なる
時は味方必指向備を乱して設に向へからす
爰を以かたく備を設け士卒をはけまして又横を
可用なり横と云は定れる備の外に遊軍の内
より別手をいたし味方のさ右へ押出し敵の老
右へ丁働敦是を防かんと備をわけは混乱
すへし其時かゝつて可遂一戦必利有へし
是を向て横を用ると云也
兵法曰知己有未可勝理則我且固守待敵
有可勝之理則出兵以攻之無有不勝
凡横より撃の法必兵を左右に懸る計に不可
限或別軍をいたして偽引或家備を乱して
後軍を勝を取皆是横ゟ打の法なるへし
〽寿永元年木曽義仲信濃国にて兵をおこして
国中を打したかへんとす平家是に驚て追
討の為城長茂越後出羽両国の軍勢を引卒
して信州江發向して横田河原に陣を取
其陣きひしくかゝつて一打にあらす木曽
僅に三千の兵にて押寄七手にわけ赤旗
七流作り手々にさし挙爰かしこゟ寄ける故
長も是を見て此国にも平家ありけるよと
悦所に相図を定一同に白旗さしかへて
不意に攻入ける故長茂大に敗軍す
〽又延元年後醍醐天皇ひゑい山におはしまして
新田義貞以下の官軍を京都へ指上せて
足利尊氏を攻給ふ亭氏先わつかの小勢を出して
一矢射違る程こそあれ則引退て官軍勝に
乗追かくる時暮氏大軍を出して是を取ひ
しきけると云々
〽又後奈良院天文十五年信州小縣の内戸石の
城を武田佐玄責給ふ時村上成清がくかん寺を
先手と致し戸石の後詰仕り木利備前か備へかけ
入て武田勢を押破る義清る旗本を以て信
金の旗本を入崩さんとかゝる内に城中よりも
突て出城を巻たる甲州衆を過半押払既に
信重の旗本危かりけるを山本道鬼分判を以
謀を一時に決し敵の肺肝をさくり諸角豊
後守か五十騎の備をかり五町計出て備を立
けるを見放人衆をまとめ此備に向はんと
備を南へ向けるゆへ武田勢の旗色尽く直りて
一部に敗軍の色見えける道鬼於本へ帰り少市
備中守か手勢を合せ一戦を持てかゝるを見放
悉く敗軍と云々如此事皆かたく備へて横を
用たる軍法也重々口伝ふかし
横とは和談を入計策を入て敵の心を奪ひ内に
疑の出来やうに致して可勝と云事也直なる
道計にては勝事なりにくき時は手段を
用て勝是を横と云也
〽又日敦にも亦二三の備有て味方かゝつて二の
鑓を入んとことすれは歌も亦二の手を出すかく
なる事可有かやうの部へは二三の備共に堅く
守て遊軍を出浮勢なとを以て横より
備を可出と云也
横へ働くと云は敦に向ひ合たる備をは其侭
向せおきて別の備を出して鼓の老右へ働き
一部の後へ廻すことくなる事横を討と云也
四陰戦
〽伝曰陰戦と云は敦待備にしてかゝり不来時無理に
懸りて合戦をはしめす敵の備を乱して可打て
武略干要なり其備は必陽中陰を可用なり
私曰陰戦と云は主義にも容戦にも歌よき
一地形を得てかたく守り備かゝり来らんとする
味方の備うき立所を相待て勝利をうる部也
め斯部には必無理にかゝつて合戦を初る時は
勝事難叶其合戦危し然といへともかゝら
すしてふけ事有子細は互に陰に設て敵
見かた共にかゝらさる時には終に合戦をせず
いたつらに兵粮を費して士卒のつかれたる
へし故にかゝつて打の法有是は大将よき
武略を用て敦の備みたれさたつかことゝ致し
敵のよわりさたつ時節を伺て撃へし其備は
陽中陰を用ると云はへんて戦と云共奥意
陰の心を用る也其心は備を進むるを見て
敦州其うき立をうたんと士卒下知してかゝる
へし其時備即下立て鼓のかゝり来るよき
図を見合せて戦を初る是陽中に陰の
心をさしはさむかゆへ陽中陰と名付るなり
大方陰の戦には向て横を用ひ或隠遊或あい
しらい勢なとのことき其作法口伝多し妾は
変戦にこれを出す
昔後醍醐天皇建武二年新田義貞と足利
直義と矢張川を防てゝ対陣す長浜と云者
義貞にむかいて申けるは此川の様子を伺見るに
渡りぬへき所尤二三ヶ所有之といへ共向の
岸高くして屏風を立たるよりも猶急也
殊更敎矢尻を揃てさゝへ侍れば此方より
此川を渡らんと致さは中〳〵敵に利をゑられ
ぬへく存也只暫河原面に御扣有て敵をあさ
むき川を渡して其時相かゝりにかゝつて川中に
敵を追入手いたゝあては可勝存る由申ける
義貞も此儀に同し給けるとそ
又案光院貞和五年楠正行高師直と河内国
四条縄手の於て相戦ける時正行わさと偽
引て敵をさたゝせ大将と死生を一途に定
めんと存して落行師直思慮深き大将也
けれは少も馬を不動師直か猶子高の師は
迄かけけるを柚取てかへし師冬か陣を打破
けれとも正行終に大軍のかこみにをそはれて
討死せりと云々
又曰北条氏勝野州大平山に於て皆川山城守と
相戦ける刻山城は山に便て鳥雲の陣を設け
陰にそなへて待氏勝先備を進めて相戦しめ
戦半にして引退皆川勝に乗て追来を山下迄
引掛旗本を以横合ゟかけ寄二の勝をなす
其後惣軍通し合て鼓を打取計其数図
八十餘と云々如此の手段何も陰の数をあいし
らふ武略なり其変陳は設に随ひ所に倍事
なれは一様にいひかたし
〽或人曰陰の敵と云は或は堅固の城に楯籠り或は
要容の地に依て主戦を後敦也みかた容我
にして其国に働き入はよき武略智略を可
用と云義なり但是は別巻に其法を記せり故に
今日略之
〽陽中の陰と云は懸ル内に待心也かゝる内に
待つと云は備を乱してかゝると見せて敵の
備味方のかゝるを見て乱るゝ時分を考へ
味方の惣勢を留て敵の乱を討事也然とも
かゝり行備は必競て進む故に急に難留との也
是を以榜尓を指ト云事あり
〽傍示を指と云は何方まてかゝりて丁留と
前方よりはうじを定て置事也然る時は
味方兼て止る所を知ゆへに敵の備乱るゝ
時分に時分にの迄迄進み行て其侭止る事成
安きものなりと云也
〽又傍爾をさゝれざる時分あるへしさ様の時は
殿足軽か又は組中の若党又者なとをすくり
出して敵の備へかゝらすへし其時散の備
乱るゝ事あらは懸て可討之と云り味方
ケ原にて礫石の武略の心なり
〽又懸りて行内に止るに心得有事也敵の
備味方のかゝるを見て止るか可懸是其しほ
合なり
〽又云一手の別手の心持も有之事也
五陽戦
〽伝に曰陽戦と云は敵かゝつて味方を打を亡也如此
敵には必陰の備にして是を待放かゝり来ル備の
みたりに陣有所を討へし
私に曰押行備はうき立てさだち安く備て
待散は乱すして強し然るに士卒をはけまし
て将一陣に進みみかたを取ひしかんと放
いさみ来る是を陽の敵といふ如此部には味方の
備陰を可用陰とは堅く守て其機を隠し
鼓押来る様子を伺其作法を察しかゝり来
んと浮立て旌旗煩乱の図を見合其乱
たるを可討なり守り勝は安くかゝつて勝は
破れ安し故にみかた隠にして設掛り来ルを
待といふ
正親町院天正三年長篠合戦の時武田勝頼
陽の敵にしてかゝり来る織田作長卿は陰に
備へ切所をあまたかまへて不進を武田方
其手段にたはかられ瀧川をこして柵を乗
らんと士卒をはけます所を信長卿矢尻を
桜鉄炮をまとふて一段〳〵入かへてさらへける
故終に勝頼敗軍してけりと云々是陽戦の
武略なり
〽陽の放と見は味方弥陰に可致口伝
或人曰陽の敦と云は味方は主戦にして敵は客
戦なる是を陽の敵と云又曰敦剛強に働
すゝとく進む歌を陽といへり如此の数は
無二無三の戦を好物なれはみかたの備を丈夫と
致しよき武略を用設の変動を伺其備乱り
なるを一打正々の陳堂々の旗をさへきり不可
討といへる是なり
敵の懸て来に味方討之時分有夫は鼓の懸来ル
内に備の猥りに成足なみ鑓色の不揃時懸て
討物也たとひ放懸来ルとも足並揃不乱をは
不可討惣め懸来る数も壁は間五十間卅間計り
有所よりかゝるに一度に其侭かゝり来と云
事は無物なり鑓長二つ三つ程に成ては備
留ル物なり其留ル時にかゝつて可討但し留て
暫あれは惣勢なりやみ静まる時分可有夫
より前に懸てはよし静まりて後は本の気に
成て強きもの也不可懸
又云敦剛強にして一偏に強み計を用る敦なしは
其教へは此方より成程静にあてかひ敵を
恐るゝ体を致しいよ〳〵敵強みを出させて勝
事是又同意なり
六対戦
伝言教みかた相共に陰の備にして不合戦一是を
対戦と云是には一向二裏の備を用ひ敵の陳
動を見て是を可討陰中陽の心を用て利有
私言味方進て敵をうたんとするには間に切所
有れ数能地利を得たる歟又は大軍なる歟
何とそ様子有てかゝられさる事あるかゆへと
陰に備数亦慎守てかたく不出互ににらんて
不違不退而日を送る事有是を戦の対せると
云り一向二裏と云は一軍は敵に向て陰に
備互にさたつを待二軍をは敵の後へまはして
其国地をとらんと別所へ備をまわす事有
是を一向二裏の備と云なり此備を用時は
敦州後はむかふみかたを防んと備うくへし
其時当手にむかへる人数進んて是を可討
若後のみかたに不構而堅く守らは働きの人衆
式部の後を打或焼働をして引取へし去
程に一向二裏の備を用ひ散の働きを見て
可討と云也
〽陰中陽の心と云は互に陰にそなゆると云とも
放のさたつを待設の引取を伺て是非無二
の一戦を可仕と存する是陰に備ゆるといへ
とも心は陽を用る也故に陰中陽の心を
用ゆへしと云り又云陽中陰を用へしと
云々是はかゝつて進む内に陰の心を用ひて
放うき立て備みたりなる時折敷て敵の
乱るゝを可討と云々
〽天正十二甲申申候年尾州小牧に於て豊臣大閤
秀吉卿と源君家康公御対戦の時
家康公は小牧に御馬を立られ秀吉卿は角田表に
違土居の要容を構て京勢数万備て相互に
不進数日之御対戦なり是を陰戦と云かゝる
所に秀吉卿三好秀次を大将として
秀吉之甥
天正十九年
任関
白
一万六千余の兵を卒せしめ前陣には池田
舞入万二千二陣に森庄蔵五千此間二里はかり
三番に堀木太郎八千此間一里半四番に大将
秀次此間一里半以上四方余の軍勢を小牧の
うしろ岡崎表へはたしかしめんか為に指遣
さる然るに此道に小畑と云古城は岩崎の
城に近し三州勢其宵ゟ岩崎勘助か第を
宗徒とし以上十一人の兵をさしそへ付候の
為に此城に籠置店入押寄て不残打取門出
よしと悦て道を兼て押行此由上聞に達し
けれは小牧御留守には本多平八郎後長中書石川
伯耆守酒井左衛門尉を持をかれ岡崎へ廻る鼓を
防き給はん為に御出馬有一番に岡部内膳神原
後号式部左衛門
一小平太後号式御座橋大須賀五郎左衛門水野惣兵衛土井
豊後守都合四千五百余騎二陣に井伊兵部少輔
千八百計三番に御旗本五千計以上一万余の
軍勢にて横筋違に一文字に押出けれは
秀次卿の旗本へ先陣行合大に勝利を得
秀次敗にし給へり是一向二裏の備なり然共
秀次卿其法は理に叶へとも陰中陽の心を
失ひ給へり子細は三州勢御旗本御出馬の跡へ
角田表より直に小牧へ押寄せ相戦は譬長
久手合戦は京勢敗軍するといへともなとか
一小牧の要害を攻不落と云事あるへきや此行を
しらすして京勢一偏に武略をめぐらせる
ゆへ合戦の図をはづせり是備の陰中陽に
不叶かゆへ也是を長久手初度の合戦と云なり
長久手之役前後の首尾任人口而雖不知本説
且為議論且為後学記之後人並誹之下数之
又近くへ人数をかくす事もあり遠へかくす
事もあり一様に不定
兵法曰竒正者所以致二敵之虚實一也敵實則
我必用レ正敵虚則必以奇苟將不知奇正則
雖レ知二敵之虚実一安能致シレ之哉云云云
て敦利を得て味方の先軍をうつ事有め此時は
陰陽或三才の備を作りて二軍三軍より勝を
得へし
私云味方の備其作法よき時は縦敵の先勢勝
利を得たりと云共鉄砲を打払矢種を射
直して士卒半はうたれ半は手負衆儀一味
せす右往左往に乱るゝ物なれはかさねて備を
立直されは難用其よき図を見合て味方
新手を入かへは不勝といふ事不可有故に
放利を得てみかたの先勢を討事有め此の
部には陰陽天人地の備を用ひ二三より是に
可勝陰陽三才の備は別巻に出て但是は二段
二所三段三所の備を云成へし口伝別書にあらわせり
右長久手初度の合戦に秀次おくれを取
三州勢勝ほこりて備しまらさか所へ堀木太郎
一森庄蔵池田産入かへし合せける故岡部榊原
こと〳〵く敗軍して初度の勝利を全せすつゝり
ける故三州勢已に危かりける時二陣に進みたる
一井伊兵部少輔先勢と間一里計隔りて押来り
京勢散乱の場へ寄合す池田勝入は小高山に
陣を張備をしくちめて三州勢を山下に
見おろして備ける爰に兵部少輔自身鑓を直し
彼山へかけのほる是につゝいて軍勢おそひかゝり
けるゆへ唐入彼山をすてゝむかいの山に陣を
張是京勢利に乗して味方を打所を二軍
三軍より設をみし武略なりかくて京勢と
三州勢と互に山に帰て両軍沓相戦けれ共池田産入
一森庄蔵討死を致されけるを以家康公御
勝利に成行暫御馬を小幡の古城に立られ
それより小牧へ御馬を受けると云々此御備定
皆三段三所三才の備と云に可叶歟とそ
八身方勝て鼓を撃に鼓方二三の備を出しみかたを
撃事有之是をいとふには必殿りの備を以見物
のことくならしむへき事口伝
私曰味方縦初の合戦に勝利を得ると云とも
敵に二三の備有て身方の先衆利に乗て混乱
する所を設かゝつて可討しからは其備敗軍た
かひなし故に如此の敵には備を能手配して
数多備人衆を不動見物の備を設へし見物の
備有時は敵二三ゟみかたを討と云とも或別軍
を以左右ゟ打之或は後軍ゟ横鑓を入て
勝利を全くすへし是味方を見物備有て
打へしとそ也
〽昔柏山成元弘の乱に天王寺の辺へ打て出
近辺を押領しける故に両六波羅ゟ隅田高橋
武命を合て五千余騎を帥ひ尼崎神崎村松の
辺に陣を取横聞之弐千余騎にて二軍に
手分し宗徒の勢は住吉天王寺に隠居わつ
かに三百騎計を渡部の橋の南に扣させて
相向へり隅田高橋是を見てされはこそ敵は
小勢なりけるそ一〳〵に召捕て軍功に預らん
云程こそあれ人ませもせす橋ゟ下を一文字に
渡り模勢を討取らんと追立る正成元来
謀を以出せる兵なれは一戦にも不及天王寺
の辺へ引退六波羅羅伊ににに勢馬の息をも
つかせす天王寺の在家迄我先にと追来る間
物思ふ侭に敵を引かけ人馬をつからかして
宗徒の勢を三手に分て六波羅勢のしとろ成
所へ討てかゝる隅田高橋思慮あさき大将なり
けれは爰は足立あしゝ鼓をあいしらい出して
場よしにて一戦をもてと下知して渡し辺の
橋をはして引退く楠是に利を得てつゞいて
追かけける故大軍の引立たる事なれは
かへせ〳〵と下知すれ共一返しもかへさす水に
溺人にうたれて死するもの数を不知這は
京へそ上りけると云々是隅田高橋武功の
良将に非るゆへ見物の備を不作敗軍して
けり若両将五千の兵を手配してしまり見物の
備を設け後軍に胴勢さしつゞかば柏後
軍をいたし二三ゟ勝と云共必定京勢後道の
勝利を可得然に利を一旦に爭ひて遠き
慮りなかりけるがゆへめ此のおくれを取けると也
又甲州韮崎に於て諏訪頼茂小笠原長時
後号
両将と武田晴信
信玄
相戦ける時日中に四度の
一合戦あり晴信三ヶ度勝利得給ふといへり然共
設大軍にて四度目に甲州勢既に彫成丁
可致を今井伊勢守日向大和守両大将三百の軍
勢を以高き所に備を立見物のことくなりける
其上原加賀守地下かまりをいたし身方筒勢の
ことく見せける故敦是に気を奪はれて敗軍す
是見物の備しまりの備あるがゆへなり
殿の備とは跡後に備を立諸備は懸て戦ふとも
此備は大将御下知なき間は暫守て戦を見物
して居るかことくなり爰を以見物の備と
いふなり大備の内にはめ此の殿なけれは大閤
戦に必敗軍致物なり若又小勢ならは足軽を
いてしまりきわめ軍を可拵
○合戦武功六ヶ条
一備をおしむへき事
私曰凡に人衆を分手配手分をなして備を四方に
設る事身方の勝を全くして散の気を散し
一敦の志を奪んが為なり然に備は数多しといへ共
用事其法を失ふ時は利を得かたし備をおし
むと云は陰陽奇正をなし一二の法を定前後
老右の手配をなして左うたるれ共約束なく
しては右是をかへり見す前うたるれ共後は
見物のことく仕ル皆是備をみたさゝるなり
用レ兵之法以レ奇為レ正以レ陰為レ陽其相めくる事
環の端なきがことし此故に一備も散にあわす
と云事なく一手も備を休せすといふ事なく
一二と次第を能致是備を一度に不用散に
したかいて段々に用是を備をおしむと云へ
め此の作法調らされば敵かゝり来る時は惣手
一同に手に合味方勝利うれば後道のおもん
はかりなく一所に設を長追し跡に殿り
二の手にこらゆへきと云若ものなきかことく
成行か故一度は勝と云とも必全き勝を得かたし
将此所を工夫して備を可惜事大切なり
遠州味方か原合戦の時三州勢初合戦に
勝利有ける所に勝頼二の勝をいたされけるを
酒井左衛門尉備を進めて勝頼方へしくらみ
かゝる爰に信玄使武者を以小荷駄奉行の
甘利衆に横鑓と申付られけるにより井利衆
米倉丹後守小荷駄を捨て備を進め行を
見ええ崩道付けり然るに依三州勢敗軍
なりされとも信玄
一家康公の御武勇難計被存脇備を先へくり
後備を脇へくりかへ二様の筒を用ひて夜軍を
防用意有けると云々若武田方備を不惜而
勝に乗て両軍を進めは必敗軍うたかひなし
組昼の合戦には勝と云共三州勢其夜に討の
御用意有けると云共備堅固成に付不及其儀
成行ぬ皆是備をおしみぬる故也
又云備を能下知して一二陰陽奇正の不乱是也
小備にても備を惜む心は同前なり
兵法曰敵所レ備者多則吾所与戦者寡矣故
備前則後寡備後則前宴備左則右寡備右
也衆者使人備レ己者也云云
則左寡無レ所不レ備則無レ所レ不レ寡々者備レ人者
二勝を身方に可置事
私云勝をみかたに置と云は持合戦に勝ておごりを
心に持ざる事也最前にも重々記すことく
譬は一戦に利ありと云共敵別軍を以て重て
戦をなすべきかと遠く慮りて将能慎志怠
らずしてしまりて弓矢を取時は縦別軍急に
はだへをあわすとも不意を守り其戒をかたく
するかゆへ敗北いたすへからす是兼て一腰
の道利をみかたに置の法也孫子か先勝て
後戦と云つ也但先勝て後に戦の心得は所に
依て道理替り有
兵法曰昔之善戦者先為レ不レ可レ勝以待二敵之
可レ勝不レ可レ勝在レ已可レ勝在レ敵故善能為
不可勝不能使敵之必可知而
不可為也云云
一三十分の勝をきらふへき事但敵に依事口伝
私曰兵法曰百戦百勝不在善之善ト云々云々云々云つは
百戦て百勝と云共士卒はつかれ将の気はおこ
りて備守る事慎さるかゆへおくれを取
不意を討るゝ事多し是を以将正法をなす
時は不戦して敵をやすへし然に十分の勝と
云は敦を侮て別軍遊言も有ましきと一面に
取ふか〳〵と働き入長追を致かさねて可用
手段を忘れて我意に任せて働く是十分
に鼓をしたかへんとする志ゟ起れり又後道を
大節に存しふ意を戒おこたらすなき鼓をも
有がことく此方を慎むは十分と云に不有故に
是を戒たり〽数によると云は法をかたく守り
法に泥む時は一旦に敵を取抜くへき其期を
のはす事有之爰を以設に依て其手段
格にはなれて格に逢の道理有へし口伝重々
有之
〽文和元年足利尊氏と新田義素武蔵野にて
相戦ける時尊氏軍利なくして引退給ふ義
奈勝に乗て思慮もなく石浜の河迄四十里
坂東道六町
壱里なり
町餘追かけたり尊氏卿危かりけれ共
難なくまぬかれ給ひて河をこす某猶続て
渡らんとしけれとも其勢を見れば皆おく
れつかれて僅に三百計に不過尊氏川向
にて敗軍の勇士を侍設るゆへ義宗進む
事をふ得して本陣へ引かへさんとすれば
尊氏の言跡に残る者道を指防て不叶義奈
一前後に度を失ひ設を防事不叶而弐月へ
落行給へりと云々
又前漢の韓信高祖の命を取て趙を攻ける時
足軽の兵を撰二千人を以て一軍とし手〳〵に
赤旗をとらせて別道ゟ山に上りて趙の軍を
のそましめ趙の兵我敗北するを見て必惣軍
を進め可追其時汝等朝の陣に入て此族を
立よとかたく相図を定めて其身は一万の兵を
ひきい有水の陣を設けて都と戦ふ暫有て
戦半にして引退散是に利を得果して人数
を不残敗軍の設を追相図の期に及て彼二
千人の伏兵共に数の陣に入趨の施を抜て
漢の族を立ける故朝の軍前後にまとひ趙
王歌いけとられぬと云々此又合戦にしまる
所なく十分の勝を好めるかゆへにあらすや
又云長追致して不苦敵は大概其敵を考るに
第一に弱部第二にかさつなる敵第三に無元散
是なり元なき敵と云は一重かはにして深き
奥のなき設の事也
四大合戦長追禁制と定るは勝を味方に可被成也
私曰大合戦と云は敦身方共に大軍をひきいて
野合の一戦を致事也如此の合戦には負ては
大崩レ勝て長追を致と見えたりといへとも
勝を一時に得る事願て必惣軍をみたし
士卒を進め跡先を不考而長追不可致縦勝と
云共士卒をまとめ備を繰かへて前後を守護し
慎守て追留を定めてそれより外へ人数一足も
踏出さゝるやうに法を極め置時は常に勝を
一味方に置か故危事不可有なり
凡合戦に其日の追留を定め其場ゟ先には
放但令馬ゟ下りて居たりとも首取へから
すと云程に法を可定是勝を味方に置心也
兵法曰挙軍而争利則不及委軍而爭利則
輜重捐是故巻甲而趁日夜不処倍道兼行
百里而争レ利則擒二三将軍一勁者先テ疲者後ル也
其法十一而至五十里而爭利則蹶上将軍
其法半至也三十里而争利則三分之二至
是故軍無二輜重則亡無二糧食一則亡無二委積則
亡
赤松十郎園心摩邪合戦に打勝ける時円心は
摩耶の城へ引退んと致けるを子息律師則
祐進出て軍の利は勝に乗て逃るを追には
しかす今度寄手の様子を聞に京勢数を尽し
て向へり若期をのばさば味方長途につかれ
なん逃散に追すかふて責上りなは只一戦に
六波羅を責落さては不可有と云て其夜頓而
打立て攻上りけるが桂川を隔てゝ赤相一戦を
危く致逃散を追とて後陣の続不続をも不知
一僧六騎にて六条河原へ打て出けれとも赤松か
勢こと〳〵くつかれて敗軍致しけれは六騎の
兵四騎うたれ筑前守貞範は押隔られ則祐
壱人七条を西へ落行けるか西条にて三百余
騎の身方に出合けれ共是も河野陶山につゝまれ
一僅の勢に打なされて山崎へ引退けると云々
則祐士卒のつかれを不知合戦の機を不察
正道の勝を失ひける是皆兵のあやうきを不知也
一剱の曹操蜀の劉備に戦ひ勝て利に乗して
劉備を追事一日一夜行事三百里
日本坂東道也
一孔明云精兵の放つ矢々勢強しと云共遥に
程をへてはうすものを通さす曹操思慮なく
士卒の労をいとはす一旦に勝を得んとす手立
を設て是をうたは不残と云事不可有と云り
果して赤壁の敗あり
〽唐の木宗宋金剛を攻ける時一日一夜に二万余
里の遠路を人馬に息をもつかせす抑行太
宗自ク甲冑をぬかさる事三日食を信事
二日なりといへ共終に勝利を得給へりと云々
め此事は兵法一用一捨の道理なれは委細の
口伝を受へし
五勝を身方に並時は敦こなたをおそれて武略三可
叶武略知略は我ゟ武辺手上の人には下手ゟ
用かたしとそゝ
私曰多レ算勝レ少レ算といへり云心は謀多き時には
謀すゝなきに勝合戦は謀計のなすわさなれは
先を考跡をはからされは不覚のおくれを取
事有へし故に遠く慮りて敵候別軍を
用て重て勝負をなさんことをはかると云共
此手配此備有てこゝを可拒と始終の勝利を
全く此方に置時は敦是を興ふかく存するかゆへ
是に気を奪れて武略不叶もの也其上武略
知略は敵の気を察し敵の謀を考るかゆへ我ゟ
上手の大将思慮ふかきには及かたかるへし重々
口伝
〽右に云ことく勝ても備を不乱能慎或は備を
繰替又は長追を不致跡を大事に掛て了
矢を取時は敵味方を恐れて武略を廻らす事
不可叶也我より手上の者の致事は下手ゟ
不見物也諭は高みに居人を早みより見レか
ことし高みよりは能見ゆる物なり我より
弓矢下手なれは我に向ふ手段は不成物なりと
云つなり
六勝を味方に置とは百人討取を五十式三十討取也
浅く勝負を仕へし首多くとらされば長追もなし
故に鼻をかくへからすと定るなり
私云浅く勝負を仕る時には将奢らす怠らず
故に百人一に討設をは五十三十討取て置ゆへに
勝ても重く危き勝負なきもの也凡首数
多くとらんと存する時には五里可追を十里も
追て長追の禁制をやふる也其上首多キ故
式鼻をかき或耳を切て首尾を合する印と
するなり長追なく鼻をかゝさることく吟味せは
ふかくのおくれふ可有なり
軽く弓矢を取と云は急に物を成就致さんと
不仕緩々と心を持て仮令少の勝を至終全き
ことゝにと致事なり
重く弓矢を取と云は一度に利を得んと心指て
一合戦にも首多く不取は勝にてなきなとゝ思ふ
ことくなる是は別末に大利を失ふ物也此故に
仮令鼓を討たりしも鼻をかくへからすと
定るは長追を嫌ひ首多く取を不悦故なり
軽く弓矢を取も重く弓矢を取も亦所に
可依なり一様には不可心得也
ト
〆五百文
狩川
戦律第二
客戦
一兵法神武雄備集
客戦廿六
兵法神武雄備集戦律第二
客戦目録
〇一敦国へ働入大将予可存三ヶ条之事
一容戦の大将可有遠慮四ヶ条之事
一客戦の大将心定三ヶ条之事
一容戦弓矢取様武功十九ケ条之事
〇一部地に於て人数引取様八ヶ条之事
一一客戦を為す将大軍なりと云共油断不可仕三ヶ条之事
兵法神武雄備集戦律第二
客戦
〇放国へ働入大将兼て可存三ヶ条之事
一一敵小勢にして味方に押入らるゝ時可存心持之事
私言身方は大軍部は小勢成故に小勢の大将国堅固の
弓矢計にして他国を謀ル事不叶を以大軍の
みかたに押入らるゝ事有之是を小勢にて身
方に押詰らるゝと云也然に敵小勢なりといへ共
其大将弓矢に正義正道を守るを以能大軍を
己か城下へたふ〳〵とおひき寄味方を侮る歟おこるか
此二色を見切り不意に打取は大なる勝利なりと
云事を奥意に定め不及防戦而大軍を引請る
事可有之是故に謀計の術ふかし此処を能
遠慮仕り兼て其手段謀を聞小敵なりと
云共侮らすけかなき様に仕りて敵の了前別
強成に於ては働入たり共急に不残堅固にして
帰国仕らは味方の諸勢急く勇み敵の士卒は次第に
弱るへし然らは大軍の方後道は全き勝利うたかひなし
此断を不知散小勢なれはとて無理なる働を仕り
人を損するは大成誤也と云義を知へし
二敦大軍なりといへとも弱言なる故に味方に押入ら
るゝ事有之如斯の敵にみかたかねて可存事
一私曰敦大軍なるに於ては小勢の味方に押いらるゝ
事不可有と云共弱散にて他国へ手遣無之時は
小勢の身方にも押入らるゝ義勿論なり然らは大軍
なりといへとも如此小勢に押いらるゝ事其弓矢と
奥ふかき事は無之然と云とも大軍の方場よしの
一戦をいとますよき切所を設け険難を採て堅く
引篭身構をいたし有之処へ味方偏て無理に
敵陣へ押入合戦を仕らはたとへは身にかゝる火を
払かことく身拂斗を仕共敵は大軍也味方は小勢
なれは大軍の方は手負死人多しと云共いたます
身方は小勢なれは少の手負死人も人数に合せ
ては沢山也是一教は大軍にて地戦身方は小勢
にてしかも容戦也是二此所を分別遠慮して
一中道の正義を守り必無理成義不可仕と是を兼て
可存儀なり
三部大軍なりといへともうちわに申分有之か故に
身方に押入らるゝ事有之め是時兼而可存事
私曰人数大勢なりと云共衆義一味七されば
弓矢取にくし其上久しき家末世に及減亡丁
仕時に少の事を申立家老共面々の心得に成
其家中さたつもの也さたつか故にうたかひ多し
皆是将の威軽くして其下のもの下知を不更
是をあなとるか故なり家中め此時にはかれは
是をうたかひ是はかれをうたかひて大軍なれ
共防戦を仕事不叶無是非他国ゟ押入らるゝ
事可有之如此成部国へ働入には猶以合戦
勝負計を不心懸其様子に従て問者を入
其家老出頭人なとの才覚にしてしかも邪義
邪路に音信賄略にふけるものを聞届
能遠く慮りて知略計策をいたし設のうち
わゟ帰伏の士を待大成利を全く得ることく可仕
如此の歌を弓矢計にてしつめんと仕らは人
数を損し手を砕て却て数のいさみ味方の
よはりと可成なれは不可勝過と云也是又
兼て将の不存而不叶義なれは委細論して
大将の遠慮有へきなり
〇容戦の大将可有遠慮四ヶ条之事
一一敦国并道中山川田切池堅切所平陸遠近等不残
よく尋可知事
兵法曰将能知国俗一能図二山川一能表二
制二軍権一云云私曰地形を不知所不案内成時は
士卒の心あやふみ多し爰を以教国の様子は
不及申働入所の道中の山川田切ふけ池の大小
道の遠近或切所多歟或平陸成歟或間近
ければ手遣にも其心持有或間遠時は道に
取出を築て前後の通路粮道をよく可致
なと云事をそれ〳〵に相応して其心持を可
仕か為なれば委細に尋知へき也尋るに奉公人は
不及申地下人町人商人に尋又は出家修行
しに逢て其所を聞其外さゝら独猿引の
類迄非人なりとも能意を入て尋可問也
妾は別巻に出て
兵法曰料レ敵制レ勝計ル二ル陰阨遠近一上将之道也
知レ此而用レ戦者必勝云云
二敵国江深働入弓矢を取事花勝を不可好不負
ことくにと可偏なり子細は我強か故に敦国へ入
たり是則勝利也又別に勝を求め深く病入て
大に利を得ん事を好まは過て必負なりと一は
遠慮事
一私曰我容戦たり敦主戦たれは合戦の仕り
よきと仕りにくきと其断顕然たり若容と
して弓矢の取様危き時は必定おくれを取へし
此故に不負様にと可取なり是不可勝過と云
義也云心は不負而しまつて弓矢を取時には
一旦に手ひろからすといふ共終には全き利を
可得とのこゝろなり
〽我強きか故に敦国へ入たりと云は主と客とは
其強弱各別也然は穀地へ押入たる事是暁の
弓矢強きか故也此外に別に勝を好む事ふ
可有弓矢をしまつて取自然と敵を従ふるが
ことく可仕といふ義なり
過て必負なりと云は大に勝を求むるか故に
役へからさる合戦を仕り取ましきおくれを
取計有之縦は数二千討て能を千五百可討と
存十五里追散を十里一つ迄と存する是勝を
残すと云なり如此時には敦に不意を討るゝれ
或は重而の合戦を仕りかけられても不危此故に
不可勝過と云也自然と全利をうる働可仕と
十五里十里いつれも
心得遠慮勿論なり
坂東道なり
一勝すくれは必無理也無理は負て打死するか縦は
なかしへて帰国仕とも終には其家滅亡すへきなりと
可有遠慮事
私曰兵理に叶時には勝全し勝全き時は百度戦と
云共不危勝を急に求むれはすましき合戦を
一仕る故無理多し無理は兵法に大に嫌之子細は
無理にして勝をうる事は無之無理の至れるは
危くして敗軍あつて其将討死を可仕たとへは
討死を致さすと云共一旦大部にしほを付られ
敗軍に於ては其家滅亡たるへし此所を遠慮
して必無理なり合戦不可仕利に応して動不
一合利而止ルへしと云の心なり
春秋胡傳曰天下莫レ大二於理強衆不与レ之
建武三年足利尊氏同直茂大軍を引卒而朝
紫より上洛之時義貞要容の地に於て防き
戦ん為に備中ゟ安庫迄引退けるよし後醍醐
天皇え奏聞申けれは楠正義をめして互に兵庫へ
羅下り義貞に力を可合よし被仰出けれは正
成畏て奏しけるは尊氏既に大軍にて上洛之
所に味方の疲たる小勢を以て敵の機に乗たる
とかけ合の合戦は身方の敗軍うたかいなく存候
新田殿をも唯京都へめし侍て先規のことく
山門へ臨幸被成正成も河内へ罷下候而畿内の
勢を以て河衆へ出張し是をさしふさき両方ゟ
京都を責め兵粮をつからかし候程ならば敵は次第に
つかれて落下味方は日々に随て馳集候へし
其時に当て新田殿は山門ゟ押寄られ正成は
搦手にて攻登候はゝ一戦に敵を責滅すへきにて
始終の勝を肝要に被成能々遠慮をめくらさせ
られ公儀を可被定と申上けれとも時の宰相
坊門清忠正成の謀不可然と無理の強みを申
されたるに主上従ひ給ひて終に正成も湊川
にて討死を致し義貞も兵庫にて敗軍し
聖主ふたゝひ山門へ臨幸有ける是合戦は理と
不理とを弁ルに依故なり
正親町院天正三年武田勝頼と織田信長と三州
長等戦陣の時に武田の家老馬場美濃守山鹿
三郎参内藤修理合戦の義見を委細に申
けれとも勝頼長坂長閑跡部主黨か邪義の
諫言にしたかい終に敗軍し是ゟ武田滅亡
に極る皆是無理の強みをいたして或
敗軍し或滅亡に及へる往古の徳能々
一老かため繁多をかへり見す染筆
なり
四久敷家の五ヶ国十ケ国計も支配の家末に
成ては西弓矢を取矢上下共に遊山活計を
事とし花車風流を好て不入事に物を
費し奢を極め武士道正義のせんさくを心掛ル
武士すくなくして能作法をしらす其軍法あし
其軍法あしけれは戦場に於ては評議調らす
備鳴り渡り見崩故崩なと有して西嶺なり
此所を大将能思案して兵法を専嗜み給ふは
諸人能すべを知がゆへにその鉾先つよし
一和田五ヶ国十ケ国計支配仕家五代七代も長久
につゝく時は後〳〵は家中尽く生れ替り
に成国弓矢を取失上下共に油断を致し
活計を専とし花車風流を好み詩歌管絃に
携り不入道具に物を費し過奢を好むか故
奢りを極め武道の正義正道のせんさくを心懸ず
先代の能作法次第にうせ軍法こと〳〵くみたり
成る故軽薄追従を第一とし備立内習なとの
常〳〵の作法更に無之かるかゆへに戦場に
於ては家老共面々の申分にして評議不調
号令不正か故備なり渡りて見崩友崩なと有之
此所を兼て遠慮をいたし他国へ働き入へき
前方内習備定無疑やうに諸人へ申聞せ能
ことべを知らしめは其備先つにかるへしと云々
○敵国江働入大将御心定三ケ条之事
一長陣を可張奥意有之に付大将御心定之事
私云働入て早速其所を取敷す其紙を我責に
不仕共後詰加勢も不可有之味方跡にも通忠
可仕輩も不可有と存するに於ては長陣勿
論なり然るに長陣を可張奥意と有之は敵の地下
在郷をも不熟民屋を不破乱暴をやめて
地下を心易からしむへし子細は諸士の陣屋或は
水草を取とも其便よし殊更其所を取敷我
侍大将に割あたゆる共又は付城を築設を
自然と手に入んとする共百姓をしたしみ地下
のものをなつけて所の者我にしたかへはおのつ
から数は降参と奥意を可定地下人百姓をよく
なつくれば諸事に其便有る故也是耳に
不限長陣の奥意は万事を急に不仕者也
猶攻城巻に出之
二早々可引取奥意有之時大将御心定之事
私曰早速一一引取之所存奥意を極むる時には
弓矢をけやけく取ものなり子細は敵の諸士并
在家の地下人百姓身方におそるゝことく合戦を
仕れは重而の合戦仕りよし去程に在之所々も
放火し女童を乱取分捕して味方の雑言に
あたゆれは味方大にいさみ合戦仕りよし是のみ
に不限弓箭をはけしく取ものなり
一三自然と手に一入致江働様心定の事
私曰敦国へ働入早速其国を取しかんとするか故に
すましき合戦を致し取ましきおくれを取此所
を遠く慮りて自然と鼓を手に一入に奥意を
定る時は一年に二度三度或四度五度計も其
所其数にしたかひて切々可働入働様は味方
兵をすくり三備或五備計に致し軽く敵地へ
可働入一上々所々を放火し春は植田をこね夏は
早苗をあらし麦作をこなし秋はいね作を
ふり苅田をし乱暴を仕り民屋を破り押
領を仕る時は敦おのつから疲るか故に其後能
図を見合ふ意に大軍を以働入は不勝と云事
なし其上地下百姓の類を累年め此時は過半は
味方へ内通を仕りてつくを頼ひそかに年貢
をはかりこなたの地下に可成と手形證人を
取なと役せは往々必定みかたの勝利うたかい無之
是敵をおのつから労らかすの法也如此時は自然と
数を手に可入なり
〇敵国え働入弓矢取様武功十九ケ条之事
一客戦に可謹所々の事
私云我部に成りて撃るへき所々を考見是を
可慎義勿論也然るに設地へ働入に慎べき場所
と云は第一勢揃之場第二おり付の場第三に
切所にかゝりて第四に鼓の城下第五に陣付
場第六森林草木茂き場大概め此の所にては
一念を入備をかため敵に臨ることく堅固に可働入
若此場に於て不護而作法を乱りなるに於ては
必敗軍無疑委く主戦に出て
二始て逢放に一入不付以前はいかにも大事に可仕事
私云始て逢敦と云は未手合をも不仕終に
合戦せり合をも致さる数なれは敵の弓矢の
格備の立様人数の用様強弱の品なとを具に
不知散の事也味方ふかく他国へ働入て所の
案内をも不知部の格をも試みすは兵衆大に
恐て合戦仕りにゝかゝなへし其上は此の部に
初合戦に身方あしき時は敵にきほひ付て
必おくれ口に成行もの也去程に合戦を大事に
仕り一入不付内はむさと合戦不可仕と云義也
是は士卒の気をおくれさせましきとその奥意也
三部に始てはたゑを合する戦に散軽く引はかくると
心得て味方を能下知し乱れて追事なかれ始終
此慎み可有事
私曰始て逢敦軽く敗軍の体を示す事可
有之是兵法曰利而誘レ之乱而取レ之と云へいふ
心は放偽て熊と味方に利をあたへ身方を
引かけあさむ〳〵事有之味方是に乱てあふ
時は敦則よき図へおひき寄或は二の手の勝
をし或は伏兵を以て是を撃是みたして
取之なり然に初て合散如此時は味方を引
かくる敵なり味方此様子を能見定るに
於ては備をよく下知致し乱て不可追軽く
打てかろく止まり能時分迄敵を追て早く
備をあくへし子細は散偽て敗軍の体を
見する共みかた軽く留て其手段に乗さる
時は是味方は全き勝利にして敵は初合戦に
早引色見ゆへし爰を以め此言也合戦の道
始終共に此心持を貴ふが故に慎へしと云也
四部に一入付たり共猶能身方を下知しておこる事
なかれもし勝ほこりて味方の人数散乱の所へ放
かゝり来らは必一負初合戦に勝なりとも
後の軍に負は始の勝利なきかことし必慎て
しまりの備を用ひ数をあさむく事なか
私云雖克如二始戦一云々縦は縦は数に一入付て人の
心きおふともおこたらさることく弓矢を可取
人の心安んする時には志におこたり有之去
程に初合戦に勝利を得たるにほこつて人数
散乱せしめ設を心安不可存合戦は始終の勝を
大事にいたすか故はつ合戦に勝たりとも後
軍敗北せは軍敗北せは実の勝に非と云なり
〽しまりの備を用て設をあさむく事なかれと
云は前後の備散乱して敦に逢時は敦州軍を
以て後の合戦を持時初の人数多しと云共
戦に労したる兵なれは用るに不可足是後
軍を一防の手段なくして敗軍必定なり
此断を考へ敦譬後軍なく共味方は客戦なりと
ふまへ所を極めしまりて弓矢を可取と云義也
是をしまりの備と号する也此法を失ふて一旦
の小利をむさほり四百八隅へ人数を散乱せしめは
一合戦あやうかるへきと可致遠慮也
〽元暦二年源義経八嶋を敗り平家を追落
せし夜軍勢つかれて前後もしらすいたく
寐入たりといふとも義経は敵の夜討にせん
事をおそれて少もまとろまさりけりと云々
一同衣川百首に
一勝とても高きほひすないにしへも勝て冑の緒をそしめる
建武二年新田義貞後醍醐天皇ゟ勅命を蒙り
足利尊氏の討手に関東へ下向し矢矧の合戦に
勝利を得放を鷹坂へ追はらひ鷺坂より
手細まて勝利を得既に尊氏を鎌倉没落
せしむへかりけるを毎度の勝利にほこりて伊豆の
国府に逗留し油断仕られける故重て箱根竹下
の合戦に打負けると云々
五大合戦小迫合共に既に三度に及て味方勝利を
得る時は敵味方を恐るゝか故に合戦仕よし然共猶
無油断陣を取敷備を能立日暮は両筋を用張
番かき物聞忍を出して鼓を伺せ昼は弓矢に
かしこき勇士をゑらみ物見をかけ敦味方勝負の
場の善悪を可知事
一
私曰三軍は気を奪ふへしと云々云つは三手盛
時にはつよくしてあたりがたく気おそるゝ
時には弱而破れ安し心に強弱なしといへ共
気に依て立する心なれは気の為に奪る
事勿論なり譬は物におそれて驚くは気也
気しつまつて見れは恐へき物なしと思ふは
心なれとも先立処はけ成かゆへに三軍は
気を奪へしと云也譬は合戦に幾度敗北
したりと云共心を以いはゝ部におくすへき
義は非れ共大合戦小廻合共に二三度も味方に
しほを付られては部の三軍其氣を奪みれて
大に味方仕よしこの故に如此言也然共幾度
勝を得ても奢あれは重て利を失ふ事
古今其ためし多き事なれは猶無油断慎へし
と云り陣を能取敷備を能立夜は両筋張
番かぎ物聞忍を用て散の様子を伺ひ計
策を入昼は物見をかけて鼓味方の勝負の
場の吉悪を見切せ夫にて合戦の内談を可仕
是皆勝といへ共猶怠らさるの法也
六敦国深く働入て能武略を用ひ勝利を得る共勝
遁る事なかれ譬は十里追へきを五里放千一討を
五百可討也
私曰是は勝をこなたに置の法也妾は備立戦法
の巻に出之
て勝て後のしまり前備後備備備備旗本の至極軍等
の備に至まて兼て手分し三の合戦迄一持事
私曰合戦味方勝利なりと云共其数の様子に
依て敦又別軍を用二三の備迄も持事有之
此処を分別して兼てゟ内習を三重に致し
置へし三重に後と云は同日同時に同所に於て
三度迄同部と合戦を仕る事也口伝に曰部の
軍勢かゝつて味方と合戦の時身方一二の先衆
不残部にあふて勝利有共一二陰陽の先衆は
皆手をあてたる備成る故に重て難用之
このゆへに是を跡へくり右脇を一二廿に先へ
くり後備を右脇へくりかへて二番合戦後へし
三番合戦の時は左衛を先へくり最初二三の
先を跡へくり定りの左備を後備に彼是にて
三度の合戦なり如此に作法を正しく仕る時には
同所に於て同数に幾度あふと云共合戦に
陰陽奇正そなわりてたとへは敗軍の味方も気を
いさましめ体を休めて四方敗北の備を集重て
又合戦をもつか故人数一様につかれず備かた
用られす其法盆也猶極秘の相伝有之なれば
委細は略之兵法曰奇正相成如二環無レ端
八敦国へ打入可働様子は山に付或は川をいとふ川にそふ
一堀五茂口伝
私日敦地へ働入に平原陸地のきら〳〵成場所は
前後を設に見透されて働入事難叶物成か
故に山手を便として可打入なり其徳多し
今宗
我於敵地
為県待之
山戦に出之川をいとふと云は水沢近き所は
時或近河
或遠河之
地形早湿にして人馬の煩とも成其外水辺
事可有之
湿ふかき所は地形ひきゝか故に放の為にす利
多く客と成ては損多し且又様子をしらす
大河なとにては手を取事多きもの也故に川を
いとふと云也川にそふと云は水に溺ん事をいとふ
て水に遠さかれは水草に事をかき人馬の
つかれ大なり去程に水草利有所より可働
入なり兵法に山を後にあて水を前にする
是を天官の陣と号するか故也其能言法に
達して能用之時は皆善也兼而それ〳〵に
応して分別を極むへし酒池も同意なり
兵法曰視レ生処レ高絶レ水必遠ニ水ニ
九敦国の山中に軍旅して新地戦成に一口成要害を
取詰は合戦仕様可有之
私云是は山戦の巻に出て
十他国へ働入道山陰鯰澗林木の所を過ル時は
戦に望ることく必無油断備をたゝみて可押也
私云兵法曰軍旁有二険阻潰井兼葭林木翳
一旧ノ者一必謹レテレ覆索レ之此伏姦之所也云心ハ未敎問
遠くして設不見所と云とも押行味方のせ右
かたわらに人数をかくすへき山かけ豁洞の
たに合林木の木立なと有之所には放兼而
より伏兵かきりを置て熊と味方の油断を
伺事可有之所なれは如此地形をすくる時は
戦に至ることく必不油断備をたゝみて物見を
かけ一手〳〵蔵押入へし若伏言かくし勢有テは
則備をかためて直に廻合を可仕か為なり
十一部の味方を積る義は微妙の知を以て一違之事
私曰微妙の智恵と云は言語を以是を相伝する
義にあらす兵法に至極して其妙に達したる
自然の智恵湧出し万端に渡る是を秘して
妙とす云心は設より味方如此の謀可有と重事
考積る事有之時味方其下墨にあたる時は
謀不合か故に其手段首尾相違して不調この
故にこなたを積る敵の知をはかり謀計を
引違て敵の積に不乗は矢けの妙所なるか故に
不勝といふ事なし
孫子曰明君。賢将所以動勝レ人成スレ功出二於衆一
者先知也先知者不可取於鬼神不可蒙於
事不可験於度必取於人知敵之情者也
北越の輝虎武田佐去と川中嶋合戦の時輝虎於西条
山作玄の備配合戦の様子を下墨其手段に
相違致されける故信書兼而の謀計首尾不仕
終に心ならす合戦を仕られける是輝虎微妙
の智恵達したる大将故也
十二備は必陰に仕置可致是にて陰陽相応する也口伝
私曰陰は其体類也陽は其体動く兵法に用事
亦しかり懸を陽とし待を陰とす我客と成て
他国へ働入たるは是動を以陽とする也然ルに
二
他国に於て我備軽く働部を侮て利不利を不考
兵を動スは陽の陽にして陰陽不応是独陽ふ立の
理を不知也去程に備を陰に設けて部の様
子を伺ひ其変化に依て可用去め此時は陰陽
和合して弓矢中道の正義に叶かたおちたる
事無之なり
十三乱取乱暴を堅く可禁制事
私曰遠国へ働きては我国より兵糧を持はこふ
事は難成其所々に於く乱取乱暴して数の
米石を取味方の兵粮に用事有之
ト
兵法曰取二用於國一因二糧ヲ於敵一と云是也然と云と云と云とも
乱取を仕らすれは作法みたりに成利歌の為に
身を失ふ事を不知諸人乱取に心をかけて
人衆散乱し不意のおくれを取事有物也是一
敵国深く働入て兵粮運送不自由におゐては
勿論なれ共不然して是をなせは人民をわつ
らはせ仁政を失ふ是二其陣中の様子よく
軍法正しく政道色くは地下百姓も所を不去
町人商人も来集て陣中おのつから富貴成
もの也是三源義経の哥に
〽たゝかひも民をはこくむ道なれは先乱暴の政道をせよ
十四戦場にて人不知ことく軍評諚の事
私曰国地に於て合戦の内談を仕り評諚を致
には場所を定て人を不迫其法内習の巻に
一出之戦場に於ては隠蜜の内談有時は臆せる
ものうたかふもの也臆せるかうたかふに依て剛
なるも少はおくれ口成事有之故に縦人聞たりと
云とも其分を不知かことくに軍評諚を致なり
其作法言に相図を定め約束をなして家老衆
御大将と内通して世間のことに付て其約束を定め
其法を可知謀計他に洩る時は大なる誤なれは
未練の者に御内談有へからす委細口伝
武田信玄関東小田原へ発向の時最前三嶋表ゟ
可働入由風聞有けるを北条家伝聞て道
道の城共えこと〳〵く人数を配当有ける時馬場
美濃守内藤修理丸を召て合戦の御内談之刻
馬場も内藤も両人共にけらつゝきと云鳥木の内
の虫をとるに木の前を指置て其うしろをつゝく
時虫驚て前へ出るを取はむと申又眼中の煩に
足の三里に灸をして験を得申候と云世間の物語を
申上るを聞給ひて引違後ゟ偽て偏入給め此の
義を戦場にて人不知ことく軍評諚すると云也
兵法曰用而示之不用能而示之不能なとく
云武略同意なり
十五善と見てそしる事有之口伝
私云戦国にす海道被官と云もの有之て国々我々
持の所をは日々のせり合合戦を互に仕りかくる
ゆへに所の者地下人町人は不及申降参の
武士先方衆なとの類何方へ成共弓矢の鉾先
つよき方へ手を入て内匠を仕る事有之故に
縦は合戦評議なとの時無二心家尤衆被申上
義至極せりと云とも先当座には是をそしりて
其謀を不用ことく仕りひそかに此謀計を用給
事有之是は右のことく成評定の末座の内に
若内通のことの可有もうたかはしきか故也如此の
事はそれ〳〵に応して可有遠慮事也
三州長集合戦之刻酒井左衛門尉信長に向て申
されけるは勝頼は定て滝川を越て一編味方の
御人数分られ放の後へまはして鳶巣の留守居
一城を責られは可然由を諫けれは信長大に怒りて
其謀不足用とそしり給けるか其夜に入てひそに
左衛尉を近付大に是を褒美し則此尉を
大将として鳶巣へ被遣たる事有信長始ゟ
此武略を不用には非す若内通の者有て謀
浅レバ勝頼滝川を越へからすと云の奥意を
ふまへてめ此也委くは褒貶の下に記て
一十六拾かまりの事
一私曰是は伏兵の巻に出すか故爰に不記之
十七引退と見せて夜軍の事
「和曰攻城の巻に出之
一十八敵の退様にて一有遠慮事
私曰退様にて遠慮と云は敦間ちくして
一合戦を持と見えたる敦俄に人数をあけ退
間敷所を退時は遠慮りて其様子を能考へ
手立に乗せられさることくに可仕と云義也
〽遠州高天神の城甲州持の時城中ゟ五拾三拾
計出て高天神の米を入乱取仕りなといたす事
切らに及或時甲州衆国安川を弐てむかい成
国安の村と云所へ人数を出し乱取なと仕りけれは
横須賀の城主大須賀五郎左衛門尉の方ゟ三州衆
一二三百計出し一一引取道を取切ル甲州衆打破て
通るへきには小勢也又道をかへて帰らんには
逢にまわらされは行付事ならすいかゝすへきと
少立留て詮義まち〳〵成を見三州衆一度に
引取て道をあけたり甲州勢是を見てたそ
あらんいさや此道を可帰部はいつく迄歟引取
つらんなと義定するを岡部丹波守申されけるは
本道を通る事不一蔵子細は此方の通りかまるを
見て人数をあけたるは退間敷所をのく
不審の教なり推してはかるに定て熊と
引取体を見せて老右に伏を置是をうつ
へき為成へしふ入つよみを出して各不覚の
おくれを取事いかゝなれは別道ゟ可引取と申
けるを諸卒此下知に随ふ所に横田甚五郎進
出て申さゝ丹波守被申義勿論なり乍去若
敵の引取たる事必定成を見定めすして
本道をへりたると後来の批判あらは武の
本望に非す若気なから来今日の物見可仕
若伏兵あらば馬を一段すゝますへし伏言無之は
扇をあけてまねくへし相図の約束を定乗
行に案のことく鼓鑓をそろへて左右に伏して
待かけたり横田約束のことく馬をはやめて乗
通りける故に跡の軍勢散有事を知て別道を
乗通りけると云々是退間敷所をのきたる敵
には心を可付也
一十九散の無事を作るに実不実をしる事
私言散味方無事を仕る事古今に有之義也然共
其放弱にもあらす兵粮につかれたるにも非す
何の子細謂も無之に或は無事をこひ或は降参を
こふ事有是皆身方に熊油断せしめんか為也
若無事の請様由緒正しくは手かたき証人を
一出し信実をあらわさは実の無事也と知へし
註
兵法曰無レ約請レ和者謀也
無レ約請レ和者夫
軍欲二速和一必其勢之不二トニ相敵故約レ和以休レ士
今未二之有レ約而驟請レ和必其詐降以怠其心一
也高祖入二此関一之如與レ秦未レ有レ約也乃欲二与下
秦将連レ和ソテ而暁関卒以平ク非レ謀乎
後醍醐天皇建武三年春新田義貞尊氏追討
可仕由之綸旨を給り西国へ下向の時先播州に
赤松円心か楯籠たる城を可責か為に斑鳩の
宿迄打寄給たりけるを円心の方より小寺藤兵衛
一尉を以て新田殿江申けるは円心不肖の
身を以て元弘の始大鼓に当り逆徒を亡し
ぬる事第一の忠節と存するの所に君の
恩賞降参不義の者より猶いやし一旦此恨に
依て多日の大功を捨兵部卿親王の御恩を忘るゝ
に似たりといへとも猶是をしたふ哀当
国の守護職を綸旨に御辞状をそへ下し給はゝ
本のことく身方に一参候と時の和談をこふ義
貞大に悦此事子細あらしとて頓而京都へ
飛脚を立守護職補任の綸旨を申されける
其使節往来の間既に十餘日を過ける内に
同心城をこしらへすまして後当国の守護は将
軍より給ける間手のうらをかへすことく成綸
旨は何にかは一一用と嘲哢して帰しけると云々
又元弘三年河内国飯森山城郭として古高時末
一鑑か一類左衛門佐時光と云者関東の餘党を
かり集一万餘にて大和を過半打随へぬ折
節正成は在京して有けるを直に討手に被仰付
既に一の下時先恩池左辺太郎を以飯森山へ
申遣しけるは先祖のなん念を休せんか為に今更
一御旗を挙らるゝ段敦なから感入侍る天下ゟの
御討手に正成罷下候へし合戦は時の運によれは
申かたし時を以いはゞ御先祖入道殿御心の侭
成ふるまいに依て天下をかくこそは成行侍れどう
少々の御はからひにては一統の天下くつかくりかたく
存候間もし御無事も候へかし左も有之は正成
御使は可仕とて八木百石樽五十荷肴十種を
送ける逆徒其情を感ししたしく返事して
一楠か分国へは不押入其後正成五百余騎にて已に
河内へ下りける時又楠使者を立て公家武家
一合体に於ては自他に付可然なれば思召よら
れよかしとて樽酒を送ける如此独往来の使者
に日を送らせて城内人数の様子を見すまし
ふ意に夜打して勝利を得たりと云々是放の
無レ約而請レ和也
〇部地に於て人数引取様八ケ条之事
一繰引は三備或は五備をよしと可仕事
私曰くり曳と云は敦国に於て合戦せり合の
時味方の人数を本陣へ引取或は味方地へ
帰国之刻人数を次第よく繰て自然と引取事也
此作法欠き時は縦鼓急に付と云共危事更に
無之故に門取にはいつれも繰引を用るなり
然るに其作法大軍なりといへとも不被引といふには
あらされとも先三備五備計にて用之は其便
宜しき也備を設る事如作法仕り合戦を持
たる体を見すへし放是を信実と存して
暫備をとゝめて急に不付其時先備を引て
後備の跡へ可立必定敦急に可付其時二の
手おり敷て備をかため丈夫に合戦を可持
放たゝかわは奇正虚実如常可仕此刻部又
あやふんて猶予せば則二の手又如初手軽く
引取て先に引し備の跡に備を立へし額付は
三を以又如前合戦を可持如此再三仕ル時は
数間既に遠く成候故に時刻を移して散ふ
可付散の不付をしほあいにして惣軍を一所に
まとめ可引取此以前為後以後為前の法な
れは繰曳と云也くりかへ〳〵引かゆるなり
〽くり引の図
子
二大軍のくり引の仕様之事
私曰是は攻城の時子細有て豊ほくす歟又は
大軍也と云共深く敵国へ働入て引時に大軍の
くり引と云事有之其作法は段々に備堂類
備を左右へ二行に立ならべて左右の間に地晶
一六拾歩或は百歩を残し其間を右より一手
引取て右の惣軍の末に可備設付は則左之先
軍進て可持戦鼓不付は則左之備を引取左
軍の末に備しむめ此段々に備を立かへ〳〵老右ゟ
互に引取時は引取事危からす但品々口伝有事な
れは不更相伝してはたやすくあきらめ難き也
大軍之繰引図
丑
三くり引の大事小荷駄に口伝
一私曰是は秘事成のゆへに口上残之
四かなわだての事
一私云弁に備の形を立て引事也くり引同前也
三方に備を立て段々に繰引へし作法別に
相替らず立かへ〳〵勝負を持て引へし
五人数を引取て一立所数の人数可出処にはしるしを
たて置事
一私曰兼て内談をさため作法を極めて散の
追来るへき程らひを考味方の人節を引
取て其備を可立処には印を付置へし又
自然放別道より可出も不知ことく成所にも
危時に印を付置て味方に油断不可仕なり
六広場にしは横に立て退事有之
私曰所広き足場かき左右にうたかはしき所無之処にては竪に
備を不立横に陰陽を設て是を引事一有之一は二と成二は
一と成之奇正直に一用所に地城をはほくすにも可用作法也
七足軽くり引の事
一私曰五拾百の足軽なりと云共一二備に分て合戦を
もち可引也
広場にてくり引の図
寅
八しさり引の事
私曰しさり引と云はさつと引ては立とまり跡へ
しさりて少き引事也小有しと云は各別たる
へきや
○客戦には大軍なりとも油断不可仕三ヶ条之事
一小散に多勢の味方敗北は大成恥辱なる事
私曰押入味方は大軍也押入らるゝ敵は小散也と
侮り油断仕らは必定大軍の方敗軍うたかひ
なし然共小勢の部に大勢の身方不慮のおく
れをとらは末代迄も悪名成へしと云所を
分別して奢るへからさる事
兵法曰勿慢小敵云云
二人之持分所領なれは地形をしらすしてはうた
かひおほへにるへし
私曰前に云ことく味方容戦にして人の持をへ
押入る故山川江河堀池田切なとの類も前方
何程内習を仕たり共眼前にては所の相違
有もの成かゆへに士卒のうたかひたしめ此
時は身方の手段心のことくならさるゆへ十分一
なりと可存放候は弓矢不功者也共此所を
味方分別して油断不可仕也
三小身をいやしみ押入て手にいれさるすゝあるに
況や敗軍をや此所を可遠慮事
私曰はるかに他国へ働入事必勝へきの断を
掌に握らすは兵を用る事有へからす然るに
小身を賤しみて遠慮りなく働入といへとも
手にいかるゝ事不成是大なる趣度なりいわんや
敗軍仕らば不覚の上の不覚成へしと所存を
究へしといふ事也是皆大軍をいましむる
のつなり
〆
四十
狩り出羽
戦律第三
攻城上
同同兵法神武雄備集
□□□□□□□
くは
兵法神武雄備集戦律第三
攻城上目録
一叡城を可攻前方可致内談十三ヶ条之事
一敵城へ可押寄作法四ケ条之事
一教城を取巻作法十箇条之事
一仕寄可仕作法拾ケ条之事
一城攻に可調道具之事
一平城山城共に城責に埋草致作法五ヶ条之事
兵法神武雄備集戦律第三
攻城上
教城を可攻まへかた可致内談十三ヶ条之事
一敦国へ働入て其城をかこむには菊とより其地形の様子
一城の善悪等絵図を以可遂内談事
一私曰是は内習備定等の巻に記之か故爰には略之
二三者を用て其様子を閉届へし
一私曰是は主戦巻出之
三城中に篭る所の軍勢多少を可考知事
私云数の人数の人数の多少を不積時には咄定
かたし故に其多少を積るへしと云なり
四身方の人数を損すましきと存する時内談の事
私云城を責るに二ツの心得有云心は縦は此城を責よめ此の
手段にては味方の人数是程可損然共亦如此の汰有へきと
云事を積是一ツ此城縦長ひく共味方の人数を不損して
全く一攻落と存る是二此二ヶ条を考はかりて内談可仕也
四月二日五長陣の奥意有之時内談可仕事
私云敵城堅固にして縦は一旦にかゝにで責なと云共落城
仕るましきと存る時には長速可仕と奥意を定な時には
○引卒仕る所の軍勢にも言に顔さすして其用意を可申付
或は又敵城へ働入たり共長陣の奥音有之時は数合
皆其覚悟可有儀なり故にめひいふなり
六敵城の近所によき城有之時心得内談之事
私兵数の本城にあらすといへ共亦別に其城の近辺に
縄張よき城有て兼而ゟ其用意を仕る歟或是をあけて
一所につほみぬる歟或敵城にあらす共城ゟ敵に内通の成
かと云義を能せんさ〳〵してそれに相応仕たる手段を設へし
七城中に内通可仕其ゆかり可有之歟といふ事可心付事
私云みかたの軍勢の内に於て敦城に籠りたる兵に内縁親戚
知音古傍輩なとのたくひ有て城中ゟ蜜通を可仕その便
有歟縦内通不仕と云共其ゆかりに依て敵を疑しむる謀計と
成事も有へし殊更敵城の内にちかきしたしみ有もの也と
云共味方に志深き兵士に其心底密して後熊と味方
是を勘当し流浪せしめ敵方へ入て間者とする事も有
其法品々多き事なれは将の丁貫工夫事共也
八後詰のあるへき方を兼てはかり可知事
私曰後詰の有へき方を前方ゟ知時には其期に望て
不覚のおくれを取事稀也凡後詰の可有所と云は其城
主にしたしき近隣の国主或堺目の城へは本城ゟの
後詰あるもの也縦そくばくしたしく共程遠くして
あまたの他国を隔たる国よりは後詰なきものなり
又曰其城主にはしたしからすと云共敵城近き方へは
あらかしめ押を置て不意を守る物なりといへり
九味方城をかこむ人数積の事
私云城を攻る事士卒不足の時には却て害たり法に
曰城中の兵に五倍を増へしと云〻云〻云々云心は城に籠る所の
軍勢千有時には奇手は是に五倍して五千を以て
是を攻へし猶多く入時は小口壱ツに五千の積りを
用ゆへし是にて城の兵と対揚すへし子細は城に
一籠る所の兵は前に堀をほり土居を築郭をかさね
柵を付矢倉を構門を設て其要害をかた取か故に
一堅固のかためき所も有之是一広野にての合戦には
敲みかた対揚の人数にても足場能故に合戦仕り
よし城を攻る事はやすからす是二城中の兵は堅固
をうけて所々を防かゆへに無油断奇手は城外の
不政と云事なくしかも将わつかに下知とゝこほれは
士卒怠る是三味方は射手の的にひとしく故は
勢兵の射手のことし其勢雲泥とかわれり是や
一寄手は四方すくなく敵は四方多し是五城よりは
透間をねらひ寄手はねらはるゝ計にして
ねろふ事難叶是六守らるゝと守ると其様に替
れり是七大概め此の損徳いちしるきか故わつかの
小勢を以城を一旦に取ひしかんとする事大成
誤なり爰を以人数積を肝要とする也
十一月十一年
一芸城を攻る備の法対重の心持有事也然事なるか故に爰
には不記之口伝を受へし人数をかさね様有
十一本ある故無本故其虚実を可考事
是又城責の秘事なれは爰には略之
十二堺目の城より可取詰歟又本城ゟ可致歟両様の内談可仕事
私云境目の城と云は敦味方の国境に能防戦の地形を
見立堅固の城郭を拵へ身方働入らは此所にて一戦を持せ
二の合戦を本城ゟ可遂と思慮して城をかまへたる是を
境目の城と云委は城制に至み凡城を攻るの法境目の
城を攻落して其後本城へとり入物也と古法に出たり
子細は第一働入とひとしく人数を分て境目を押へ
一本城へ働入は士卒気臆する物也是兵をわかつか故也
然者とて境目の城を不押に通る事不叶第二に
縦は押て行たりとも本城に手間を取内に右の
押勢敗北せは危し第三に境目の城を責るには
必定本城ゟ後詰有之物なり其節味方手配よく
武略とゝのをれは後詰の押へ勢或遊兵を用て
右の後詰を引受合戦を致是に勝利を得る時は
境目の城主頼む木の下に雨のたまらさることく
成ゆへ早速落城疑なし第四に本城は弱くとも
境目の城よりは強かるへし然らは日数を取事
一本城に多し第五に境目の城主己か落る時は本
城の敵力なくして合戦の図をはづす事多し是
等の道理を以先堺目ゟ攻るもの也乍去境目の
城と本城と本城との遠近或其敵の様子味方の品に依て
一境目をは差置不意に本城へ押詰是を落す時は
一陣破て残党不全ならひなれは本城落てい
かんそ境目こらゆへきと存するか又本城より
境目を頼て油断仕歟或又本城を取巻日数を
送る内に計策を以て堺日の城を落城せしめ
すとも落城の沙汰を風聞る敵の機をうばふ
謀計をなす事も敵に従て有事なれは
両様の内談を可仕といふなり
十三寄手面々の攻口兼て是を可申付事
私公味方の士大将の内に強弱柔剛善悪邪正の
差別可有之其格に遅速軽重の替りあるへけれは
あらかしめ城中持口の諸頭の様子を忍を入て能々聞
一厚或其城の堅固不堅固の所寄口の足場手段の可入
奇口なとを兼々考之其数其器に相応して可申付也如此
事は兼々将の工夫有へき事共也大政を前にあてゝ
備を四方へ繰かへ入違て作法妄なるは勝負の危き
一一必可相定なり
殿城へ押寄る作法四ヶ条之事
一敵城懸くならは先其後詰かせの有て跡を可取切所へ押
一勢を可役必釣合の能侍大将をゑらひ可申付事
私兵法に曰自出門如見敵と云り已に我国地を打
立ゟ後詰加勢の押勢其心当可有之事也猶以
教城ちかく成行は一入めひに作法を可相調其法無
遠慮時には不公寄所より不意に出て味方の跡を絶
根道を行て前後を取切時は城は是に利を得み
かたは是に気を奪はれて心ならすのおくれを取事
有是将の遠き慮なきか故なり
釣合の能士大将を可申付と云は此押勢若釣合なく
二心有時には或城へ内通し或後詰の将へ蜜談
して味方をとりこになす事あり去程に如此云也
昔新田義貞越前金崎に籠城の時高越後守此城に
於て初度におくれを取ける事を恥兼て其用意を
一仕り今川駿河守を大将として弐万余の軍勢を敦
賀津ゟ廿町計東に屋竟の要害を構掻楯かゝせ
杣山より里見伊賀守を大将うして五千余の後詰勢有
けれとも右の押勢にて堅固に守ける故後詰不叶
して金崎落城すと云々若此時寄手此心得なくは
いかんそ其功を遂んや
二敵城を去事一里或弐里にして可致着陣事
私兵長途をうつて士卒しは〳〵疲れ人馬共に労せるは
太公か必可撃と教たる兵法の道なり況や所も
不案内に地形疑しく教の弓矢の格をも不知して
一旦に城下へ押寄陣を取時は是を図にして或
夜軍夜討を可仕其節のみかたの兵長途につかれ
ていつくんそ急に是を防事叶ふへき是持の不覚
なれは敵城を去事一里或二里にして陣付諸
手を待合て相図を定士卒の労を休して後城へ
押寄る者なりといへり
三敵の宿ちかき所に不着陣宿をはなれて可陳取事
私云敵間未遠しといへとも敵地に於ては不怠事
是良将の作法なり必敵の宿ちかき所に陣を
取時は士卒四方に散乱し前に入在家に入在家に入て或
乱暴乱取或女色飲食にふけりて慎しみを忘
気をゆるべて変陣を成事かたかるへし是一
味方の宿に入時は宿さわきて早速数寄来ル事を
知へからす是二士卒散乱の所へ敵急につかは
危し是三め此に其損多く其徳すくなし故に
番をはなれて可着陣と云なり
一四右の陣所に一日逗留し壱人に三人前宛の兵粮を
支度して腰兵様に可申付事
私云右の着陣の所に於て人馬長途をうちたるを
休息せしめ可攻寄作法下知法令を設け諸手と
相図を定首尾無相違ことく可仕事也壱人に三人前
の腰兵粮を申付ると云は働入たりと云共未数の
様子を不知地形の変をも具にしらさるに急に
敵の城下へ押詰雑兵を引付陣具をとらせ水を
汲薪を取小荷駄をよせて兵根をつかひしたゝめを
なさんと混雑せは士卒おのつから怠り甲をぬき
鞍をおろして労を休せんとする事有へしかゝる
所へ急に故に取詰られは士卒いかんそ勝を全く
すへきや故に右の陣所にて一人に三人前の腰
兵粮を認軍勢に兼てより腰に付させ城を
巻て其首尾により一両日か間備を立かため腰は
根をつかひ陣場かたまる迄は小荷雑人をは
右の陣所に並委細に城の様子所の案内を見届
其上に小荷駄を可入と云也
或人云長途に労せる人馬一夜二夜共休しては
重て早速用に立かたしといへり
教城を取巻作法十ヶ条之事
一備をたゝみ一手〳〵より物見をつゝめて城下へ
押詰へき事
私云敵城ちか付て着陣の所ゟ打立時は備を畳
一手〳〵ゟ付候兵をすゝめ縦は中途に出て防戦を
仕る共或地下かまり或野伏等にあふと云共少もけが
不有ことくに仕て城下迄押寄へし備をたゝむと云
一儀其徳多し云心は備二行成時には軍勢まはら
成り故に足軽長柄旗一手〳〵宛押行て勝負を
持かたし是一備手薄して不意に放横ゟ是を好手共
防便り畳有是二足軽と馬上との間程遠か故先に
急事有えても跡不知跡に急ありても先衆用に
不立是三一二の間遠し是マ不入地らいを取是五
め此の損徳を考て大教の城下へ押入には二行に
成て不可押行と云也妾は行軍に出て
二未申の両刻を過ては城下へ押入へからさる事
私云城下へ押詰ると云共一手〳〵宛備を堅固に役
合戦を持城下に於て座備を設繰かゝりに取巻
其作法厳密にして時刻を移もの成る故に未甲の
刻を過ては日暮に及へし是一大数の切所を構て
待所へ日暮に行かゝらんは大成誤なり是二地の形
粧城の様子を不知士卒可臆是三日暮は人の心
いそかしく怠気付て油断有之物也是四夜にかゝつ
ては陣をなさんは変の撃るへき一ツなり是五
め此の損其図多か故に未申の両割を過ては
城下へ不可押寄と云儀なり但又敵により味方に
依て敵を偽る手段あらは各別の義なり是は
其大法を論するのみなり
三城を取巻事一度に不可取巻一手切に備をすめ
座備を以て数を押へ跡の備をすゝむることく繰懸て
しねんに可取巻事
私兵城を取巻時座備も不立作法をも不調惣手を
一同にすゝめて城を取巻んとすれはゆるか御日備無之故
諸備悉くうき立て軍勢御たつか故に敵不意に
出て戦んとせは合戦を持事不可叶故に座備を
役一二三の備を立一手宛左右へ繰出し放若備の
御たつを見て打んとする時には則折敷て合戦を
可持縦は此備立かねて一入付られたり共此畑はあら
手の不動備なれば必定二の手にては城中の言を
おひき出して勝利有へしと此断を定め一手切に是を
進る時には教やたけに思共いかんそ打事を可得や
然は如此云なり猶以絵図口伝を受へし
同六廿一日
十月廿一日
八
一一二二
二二
城を取巻図
十一日本橋式
四陣屋をかくる事先働の備をすゝめて座備を立合戦を
持て敵を押へ其うしろに於て陣屋を掛陣取を
口にて以後に小荷駄を引付後備を可入事
私兵城ゟ敵の可出遠慮もなく座備をも不設散を
可押働の備も不出して雑兵をすゝめて地形を
ならし陳具をとらせ道をあけ小屋をかけんと致
時には人数散乱するか故に不意の敵に逢て味方
大軍成と云共俄に人数をまとめ備を立る事不可叶
去程に城を巻詰縦は放出たり共如此して合戦
を可持と云手配手分を致其跡にて陣屋をかけ
させ小屋を可調其後堅固に陣を設て先備ゟ歟
後備ゟ一手宛繰入へし是又敵をおさへ放出は
め此に可仕と云事を申付て後にくり入へしと云也
作法は猶か更口伝事也
五取巻て後に惣鉄砲をかくへき事
私云是は城を取巻其跡をみるの法也め最前一手
切に備をすゝめ城取まきたりと云共其様子覚束
なき時に諸手ゟ足軽を出し惣鉄砲をつる
へて可見第一放是に驚て城急に責落さ
るゝかと騒動手段の様子有無を可考第二に凡
城に籠れる兵は其気屋し寄手は其気御かん
成か故にわさと敵の気を奪んか為なり第三に
軍礼なり云心は城を取巻たりと云共敵も未
〽出首尾に逢事なき時はこなたより案内をし
めし先壱手に成て勢を示すへきか為なりめ此の
断を以惣鉄砲をかくへしとはいふなり
六取巻て城の位を見る事
私云城を取巻ても可攻落ふまへ所無之時には
わきまへなく士卒を不進物なり縦は軍勢あり
のことくに城に付たりと云共必定か政落のはかり
ことなけれは徒に士卒を損し一ツも仕出し
たる事なくそゝろにおくれを取兵の気臆する
事多し爰を以軍兵を進め城を取詰敵を押
置て後に急に城を不政其可責図を考へ城の位
敵の体攻口仕寄場備の様子を可見積其上に可
攻落の奥意ある歟急に攻ましき所存有之時
には其変に応すへし無由緒一旦に城へ取かく
へからすと云義也
昔元弘の乱に鎌倉ゟ二階堂出羽入道道蘊大軍を
催し大塔宮尊雲の籠城ありける吉野へ押寄
ぬるに官軍は物馴たる案内者成かゆへ爰の
つまりかしこの難所に走り散て詰合せ開合て
討て奇手は死生不知の坂東武者なれは親子うた
るれ共不顧主従亡れともものゝ故とも不為乗
一弐人夜昼七日か間息をふ続相戦へとも城中
更によわらす奇手は多くやして見えたる由有之
又楠正成金剛山に続ける千剱破の城に籠けるを東国
一勢雲霞のことく馳集り攻みに三日か間に寄手の
手負死人を執筆十二人にて昼夜筆を不置
注せりされとも仕出したる事もなく夫より
軍勢督軍を止けると云々めひの事皆是大将
遠き慮りなくはやりおの者共をすゝめ下知も
なく位をも不見唯其気御かん成にまかせて
人を損し終に不覚のおくれを取事有之也
孫子謀攻篇将不勝其忿而蟻附之殺士卒
三分之一而城不抜者此攻之災也
七軽く屏際へ不可付事
私云敵強く不拒城中なりをしつめたる時には
奇手一旦の利にふけり心やすきにまかせ不覚屏
際へ付もの也是餌兵なりと云事をしらさるか
ゆへなりおよそ良将其城に有時は静なるも
動も皆其手段謀計にあらすと云事なし
或は寄手を引よせて不意に矢石を用寄手を
漂しめて城を拂て可出も又は楠か赤坂にて
致し釣屏の武略有之も或大かまり等の武
略有事も其心の涌出さる手段はからんとして
はかりかたかるへしめ此期に望て右のはやり
雄共必あくみて跡を見せ右を見て漂泊する
物なり故に一度に急に不懸備をかため兵を
下知して進む時は縦金鉄のかたき水火の急成
も勇者独不進怯者独不退初ゟ終迄はや
からすおそからす敵不出共不侮放出たりとも
あくまさる是良将城を攻の法なり
八城の体あさばなりとて急に哥攻之事
私云是は其城主の器量を考城主よくして
城の要害あしき歟城堅固なりとも将不宜か
俄に籠城故城不如意成かと云事を可心付
兵法曰地利不如人和と云り地利不堅固なり
共城主智謀ふかくは城浅場成に付て猶武略
を可設去程に一片に取て城不堅固定て
手段も有へからすと存する事士卒の血気
に依と云共併将の誤なり古今其例おほけれは
可慎之なり
九死地の兵にはかこみをふ合事
私曰死地の兵と云は城内外ゟたすけなく後詰
か勢の可有之城〳〵も悉く落城して僅に
此一城残りたる城にてしかも味方へ降参を請
ても一人もたすかるましき由緒の故なり
め此の城をは必急に取詰四方を取かこまさる物也
子細は士卒志を一ツにして迚可落行所なく降参
して憖に恥をのこさんも子孫に後栄有へから
すと一同に思ひ切て首尾を合相図を定城を
払て突て出か譬不働出とも衆儀一味して
謀を致はならすと云事不可有奇手多くは
敗を可取たとへ寄手後道は勝を得ると云と云とも
手負死人多して能大将をうたする事有之物也
去程に死地の兵と見切ては大将城の位を見
一方はかこみをといて三方ゟ急に可攻みしからは
士卒の心一味せす衆儀一同に不極して或当座の
利を見て潜に城を落妻子をにがし城かた
まらすして御たち安し是奇手の好所なれは
死地の兵をはかこみをふ合と云り但死地の言
にもあらす敵の将をも不見ゆるめ此の儀を
仕らは奇手の害たるへし可受口伝兵法曰
団城必闕と云是なり
同同日本朝後醍醐天皇正慶二年足利尊氏赤松
円心等六波羅を取かこみけるに東方を一方あけて
西南北の三方を囲ける故に六波羅勢次第〳〵に
落行て後には一人もなく落けると云々此時
六波羅勢伊伊の戦ひに力尽たりとは云共可
落行便もなく可降参由緒もなくおもひ切て
戦は寄手可危を東の明たるに依て関東を便に落
行道にてうたれけるいみしき謀計と云へし
又後魏の末に斉の神武兵を起して旗を挙ける
を尓来兆弐拾万の軍勢をひきいて神武南陵山に
囲む此時神武小勢なりけれは戦事不叶来兆
取かこむ事まはら成ける故神武自ら牛絶
馬なとをすきまある所につなき城ゟ外へ可
落行道をふさきける是に依て城中の兵迚のか
れぬ命なりと思ひ切四方へ打て出身命を捨て
戦ふ故に何茂一騎当千ならすと云事なし
是に依て僅の小勢なりけれ共尓朱兆か大軍
を敗けると云々
十物見をすゝめ地形の善悪を見積り見切所に
大将の本陣を可定事
私公殿さかよせに来れり共見おろして可戦か為也
一城責仕方可仕作法十ケ条の事
一竹重はねの事
私云竹堂はねと云は上古には無之中古ゟ用之
と見えたり上代の城政には持楯丁楯かい楯
なとを以士卒の先へ突置めん鳥羽にかさねて
其間に道を付ひた〳〵と城下へ押つむることく
拵たりと見えたりされとも近代鉄炮世に
流布るめ此の仕寄にては一たまりもこらへす軍
勢いやか上に打死仕れり是ゆへに竹把子を
拵仕寄を仕る也然に竹たはねと云は人たけゟ
高き竹共をひしき能念を入跡先を藤を以た
はね中をゆひ壱人にて自由に持ることく
拵る是なり竹を長クハ不仕と云法に云たけ
七尺なりと云々
又曰山城を攻る竹たはねは先をなかく仕りて折
かくる共いへり竹をひしきたるを其儘用る時は
先折かへるもの也是は山城地形高かゆへに前を
防んとすれは先めいて自由に鉄炮こゆるか故也
又曰山城たりと云共竹把の寸のふへからす子細は
跡は竹把の付土俵道歟或握道成ゆへに見切事
有へからすと云々
永禄五年武田信玄相州北条氏康にたのまれ
太田三楽か支配武州松山城に上杉則政の庶子
友貞こもられたるを攻給ふに甲州勢の先衆
甘利左衛門佐同以来倉丹後守弓矢功者の武士にて
竹把を拵ける其後武田勢竹計に不限杭柱迄
からけ集竹たはと名付城ちかく迄付寄る故手
負すくなく松山の城よはりたり是竹把の徳
なりといへり是は天文廿一年壬子信州刈屋原の
城責に米倉仕出せりと云々松山にての竹束は
其後用来りて彼七分なり
二牛を不用しては人可損事
私云天文廿一年米倉工夫ゟ竹把の仕寄を仕る
と云とも世間流布して其子細を不知爰を以
所々に柱を立もやいを結てかきを致し土居を
築其上に竹把を並仕寄を致せり是其理有
と云共め此時は先へくりかゆる事ならす其上
人手間多入道具なけれは不成ゆへ往還に
人可損故に牛と云物をゆひ竹把をふ付は自由
あしくして人多損するなり
三竹重はねのうし可作作法の事高サ五尺横壱間半
何方へ押返しても同様に可仕事
私云牛の高サ五尺横壱間半計にて其塩に
軍勢のたまることく役なり作法以絵図可考三角に
いたし何方へ押返してもろくに成ことく可付也
牛之図
われ
□□□□□□
図
〆2
四牛を以竹肥付る作法の事
私云当代の竹把を付には右に云ことく柱をたて放の方へは
行先道なきことく一面に五間も十間もの至五拾間
三拾間も押通して其間に或さまを切或間をすかし置是
但可依
誤
所也
子畑は竹把を付は城内ゟの鉄砲をいとふか故なれはもつ楯
一金楯を手かるく付て一俵を竹把に拵雑兵にしよらせ其陰に
軍勢を備其図を見て敵を手引或城をせむる事成に如近
代なる時は其自由不宜爰を以牛を入違中道を置放
出は竹把の陰より出て戦ひ急に矢鉄炮来らは其侭
其陰に入て是をはつすへしめ此してひたもの先へ
跡を崩して繰寄に城際へつむる是牛を以竹把を
つくるの作法也猶以絵図か考之
五竹把道の事
つねいふりてぬいふ
にしかひはいのおもしことになんぶや。なんぶや。あんがやいあんと
□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□
闇にいはく
私云陣取の場と城と間を置仕寄の場備の場を
残して陣を取か故其間遠して高矢倉の上或
高屏より打出す矢鉄砲仕寄を越て陣場と仕寄
場の間へ雨のふることく来る物也竹把子いまた城
際へ仕詰さる間は其道不拒して不苦竹堂はね
城へちかく成程道をふせかされは不叶か故に土俵を
拵へ入違人たけ計に積て左右に道を
明拵る也如此時には城内より来る矢玉を
防く便ありといへり
又曰山城なと地形高き所には地をほり道を千鳥
掛に堀て仕寄らすへし又曰土俵の事千鳥掛
よりは左右へ筋違て積に其徳有之と云々
六竹堂はね付る役人の事
私云竹把を付る役人と云は諸役に不構働にも
たつさわらす竹たはね計を付る役に役也是能
武士に申付竹把付そこなひたるにおいては小口を
はつしたる同前也縦は自余の働に於て合戦の
誉有之共竹把もとをらすは其功を不可立と
堅く下知して少も他事に構わせす敵の様子を
見て竹肥を付る時は竹抱はか行て仕寄他の
陣よりすくるゝ物也武田信玄数ヶ所の城を責
給に先衆の竹抱付るには其役人刀脇指をさゝす
竹把一把宛持行それを楯にして牛に立かけ〳〵
先へ詰けると云々
七仕寄の時はさまを飛物にてとつる物なる事
私云仕寄を先へくり城際へ可詰と存する時には
先寄手の方ゟ足軽をすゝめ城のさまをとつる
ものなりめ此時其跡にて心安仕奇を仕る故仕
寄一度にはか行もの也但是は其口伝を受へし
八一陣一度の仕寄の事
私云一陳一度の仕奇と云は縦は相備の士大将衆
多く先衆の仕寄互に吟味ある時抽て可仕と
存時歟又は敵城ゟきひしく防之故仕寄成にく
き時に敵をたばかり手立を設けて一度に屏
際へ仕歌をつむる事有是一陣に一度ならては
設かたき武略なれは大節成仕寄の法也是は
放の出ましき所を見切持楯に挑灯をゆひ付
曳や声をあけさせてちか〳〵と仕寄を付か
様体を見すれは寄手すはや城ちかく攻寄ルと
城中大に周章して俄にさまを我弓を射かけ
鉄砲を放ち是を可防其間に潜に竹把の役
人を出し真実に可仕寄所へ心安く竹把を
付さすへしめ此時は数是を防事不叶則一陣
一度の竹把なり毎度に是を用とする時は
一敵其謀を知て可防もか故に用る事かたし併
良将品をかへて其手段を用はいく度も用
かへらるへし
一古老伝云むかし良将城を攻事有々しにその
先手の内にいみしき大将有之相備の衆仕寄
を詰んと急けれとも城内きひしく防くがゆへ
仕寄を詰事一日に漸五六歩計に不過然に
此士大将我人数の内にて能侍を奉行に申付
公信の役人竹抱の役者と定め用意を調へて
後軍勢を急に進て城を俄責に可責落ことく
夜に入迄攻ける故城中に驚てあはや此城落る
かとふためきあらゆる兵をすゝめ弓鉄炮を以
防之己に夜に入て数みかた終日のせり合に
草臥矢間を不持軍勢おのか役所へ引退ける其
時分を伺ひひそかに件の役者を出し仕寄道を
作らせ竹把を付けるゆへに無程一夜に城際へ
付寄ける翌日是を見れは相備の先衆二三日
付たる仕寄よりはるかにこえたりけると云々
是又一陣一度の竹把右同意也然者其大将の
器量に従て幾度も其手段あるへし才知
愚暗におゐては一陣に一度も可危也
一九竹把丁付備の事
私兵是は城内に武功の勇士多して味方の透間を
ねらふ事多かゆへに若竹把を付時城ゟ突て
出竹把を引崩事あらは則備を以是を引出し
て勝負を可決か為也或大将座備を設ル歟或一手
二手計能武士を申付る歟いつれの備にても
是をかため置て其上にて竹把を可付と
云義也
十斤把付にときの声或鉄炮の打様或火みせ其地形
其時刻に依事
委細は口伝に渡す事なれは不記之
城責に可調道具之事
一熊手二鹿の角三亀の甲四金楯
もつ楯
五皮楯六土俵の用意
五皮楯六土俵の用意七楯
いためたる
九火矢の用意十皮心
十一布
を用ゆ
一十一布
九大矢の用意十一布十二材木ひしき竹
十三鋤鍬鎌
平城山城共に攻城埋草を役作法五ヶ条之事
一平城をは鉄砲猪を入ちかへにして一入埋草事
盤埋草と云は堀深して渡られす岸高[ク]]
□□□□□□□□
登られさる時に其便を設て致なり草木の
類は不及申所に有合たる物は何に不依在家
をこほちて入土くれを投石をこみて平地と
する是を埋草と云也平城の埋草は山城の埋草
とは少心持有へし何茂楯を入違て並へ一
きほひに埋之なり
二堀を千鳥掛にほりて埋へし并土俵も同前也
私云奇手の地形数ゟ見おろして危き時は所に依て
如此道を付ても埋草を入へき也
三上にやねを致ても可仕なり
一私云是は道を千鳥がけに掘たる時也道へ矢玉
ふり来る事有之故に左に左にやねを致て埋草を
可入なり水堀から堀共に同意なり
四竹肥急に付たる時は竹札の間ゟ埋草を可入事
五埋草の役人并きやたつの事
私云是は口伝なれは残之
□□□□□□□
狩り出羽
戦律第三
攻城中
同同兵法神武雄備集
兵法神武雄備集戰律第三
攻城中目録
一城を攻る作法拾弐ヶ条之事
一餓責に仕る作法四ヶ条之事
一城責武功之法廿壱ヶ条之事
一兵法神武雄備集戦律第三
攻城中
城を責る作法拾弐ヶ条之事
一取巻たる二三日の間を可慎事
私曰長途をうつて他国へ乱入し人馬共に道につかれ
地形も無案内にいまた数と手合の合戦も不仕時は
味方の言心臆して合戦を必とせたる物也然に此時分を
不慎して甲を抜馬をやすめ備に怠る所有て其
作法不調所へ放若不意に出て逆寄に合戦
しかくる歟或又夜打夜軍なとを仕掛られては
敵は所になれ味方は危事多きか故勝利を失ふ
事多し始て合敦に味方一入付られては弥軍勢
力を落し気をやして二度目の合戦大事也
爰を以始て城を取巻たる時は別して法をおとくし
戒をなして城の様子により二三日の間は腰兵粮を
つかひ座備を立備を前後を右共に繰かへて夜を
ありする或陣屋に入共相詞相印を改め夜は捨算
本箱等を用ひ昼は遠候付候のものみをすゝめ
少も疑なく必勝の断を相定士卒の心をうた
かわしむへからさるなり
二謀速ならすして其図のふる時は其城落かぬるもの也
私云籠城の敵は陰来て攻は陽なり其機はるかに
相替れり爰を以縦長途を押来れりと云共城
地へ着陣の砌いまた日数を不経時には其気
さかんにして一旦に城を可攻取と気を呑かゆへに
其勢金鉄にもあたるへし敵は又味方大軍にて
城下へ押寄たりときくより今日掛て責る歟
明日寄て城をかこむかと其手段を重んして士卒
嫌疑有へし去程に謀を速に設ヶ図をのはさすに
城を可攻図と云は城をかこみて十日迄を可責の
図と云なり若寄手の大将情くして可攻城の手段
なく兵を城へのほせ城中ゟ強く防かれ寄手志攻
あくみて已に十日を過れは一日〳〵と光陰押移
一ツも仕出す事なく手立も不替力つき気おくれ
て将も設る謀なく軍勢は草臥つひて自怠るもの也
其損一長陣の内には数に通り忠可仕もの味方に
出へきも亦は近国折を得て蜂起すへきもしらす
是二此城へ後責加勢の可有もはかられす是三
味方に敗可有を不知是四長引程敏に気を呑なく
物なり是五如此其変品々有之物なり爰を以
寄手はやく謀計を廻らして軍勢怠たる内
に可攻之なり
兵書曰攻城者迅声烈勢有若雷霆使壮士
不及掩耳李靖曰兵貴神速經久變生三畧
云抜而勿久法云久則生變外救必至
古法に論する事給ひ然るに長陣を継て寄手
利を失へる事古今に其例多し一挙していふ
へからす中にも正慶年中楠正成後醍醐天皇
に勅命を受爰かしこに要害を構て武家を
引請種々の謀を廻らし可攻落図をのばさせて
城の運を開し事其例有異朝には燕の楽殻
斉の七拾二城を一旦に攻落し筥と即墨との
両城を攻残し三年か間囲みけれとも事繁く
して終に田草か火牛の謀にあへり
三巡見の事
侍曰城下へ押寄陣を取敷城を取巻て後
大将巡見あり
私言順見と云は諸勢しく備を堅め城を取
巻て後御大将切々御覧被成物也子細は第一に
味方諸手の様子を見給ふへき為也第二に
寄口の善悪を見仕奇場を可申付為なり第三
敦の様子を考て手段を工夫可有之為にも
用之第四軍勢に油断あらしめ間敷為なり
第五軍勢の心をも勇ましめ諸将の忠節忠功
を情を入しめん為也第六に当座の引出物なと入事
有之四伝如此の徳あるかゆへに城不責落以前は
数度順見有へしと云々但順見の義に付ては
様々大事有之事也口伝を受へし
四部に依て在家を放火仕りて見る事有之
私云凡人城を攻事切所を構へたる敵を味方切
所へ行て戦か故に下策と号して不用之されは
寄手は敵を城ゟおひき出し平陸にて戦ふことく
あいしらふ事第一の手立成か故に放軽き死御〳〵
きかなと云事を能々聞届たる歟又は敵の様子
軽重の格を可知か為にも押寄とひとしく
焼残したる在家あらは焼働の人数をすゝめ
敦大仕りて可見若城内の敵敦火仕らすましきと
兵を城ゟくり出さは是を図に致て合戦可仕是一
縦敵不出共味方押寄ると一同に放火すれは士
卒もきほふ物なり是二地下殊外さわひて
敵を怖す事有之是三尤疑しき所有に
味方のと可成所あらは可致放火是四放火に
放さわかは則俄攻に致事有之是五皆其変に
依て可用為の武略なり
五責てくつろけて丁見事
私云城へ押寄るとひとしく諸手ゟ鉄炮をかけ
一兵をすゝめ一旦に其城を可乗取体を見すへし
此時城内多く御わき士卒いろめかは夫をしほ
合にして図をはつさす可攻入若め此急に責れ共
城内更に御わかす士卒弥しつまりて持口諸手
堅固ならは四方の奇手に相図を定め寄口を
くつろけて可見此時故に怠る気付て休
せんか為に持口を去て陣を引込矢さまをあけて
油断の様子見ゆるかと云事を忍を忍を入て是を
聞物見を懸て具に見届て後に一度に諸手ゟ
攻入る歟或かへり夜討なとを打事有之其上
城をくつろけんと致時には城内ゟ突て出る事
有へし其不意を慎軽々とおひき出して暫み
事も可有皆是将の工夫思案有へし
六寄手前後の備くりかゆる事
私云是は大将に依て其家の替りある事と云り
云心は今日先手の役の侍大将は明日は跡備の役
今日の跡備は明日さ右の脇備と日々に前後さ
右の役義を繰替へし云心はいつも兄手は先
計に居後備は跡に計有之時は士卒に偏頗
あるか故に休する者は常に休し気を労
する備は常に労す金鉄にあらされは縦先手に
おると云共長陣なとには殊更不怠と云事不可
有其上人のあらたまらさるかゆへに先衆は
いさめ共跡備はけおくなへし爰を以め右に
前後を右を繰かへて備をもたすれは士卒或は
いさみ或は休して先衆吟味強く少時も怠る
事有へからす縦は敵出たりとも其日の当番
必先を詰て自余の備はいつれも是に不構
其役義を相勤るか故に軍法能調ひ油断有
へからす是を練けるの法と云なり
或人曰伍を繰けるの義其断有と云共又其様
可有之歟子細は先脇旗本後備其役所々に
陣取て直に放出は陣所ゟ打立ことく成時は
放に逢事もはやく急成図をのかさすうつ事
可有之然るに備をくりかへんとせは今日の先衆の
陣取城へちかくとも明日の先衆は城へ陣所程
遠き損有之如此時には必可討図をのかす事も
可有之其上跡ゟ先衆欠つく家内には先に
陣場有之衆縦は其日跡備の番なり共図を見て
ふは有へから御分なれは却而軍法の不首尾
とも可成されはとて一度〳〵に陣かへすへき
も味方の御わき可成なれは如此の損可有之ね
かはくは惑をとかん予答曰知法日不知理時は
此疑有呉子曰兵法之所実不如戒云々戒と云は
軍法を守て其事に不怠是を戒といふ兵法
正しく首尾調り相図を定並時には千里を
隔たりと云共其期をのはす事不可有之殊更一陣
の内に於て前後の陣場ちかふ共其日の番手は馬に
一鞭を置中の緒を置中の緒をしめ敵出ると云ゟ早く可打立
覚悟をすへ置時は不意に逢事無之其上先
手仕寄場広き時には備をかためて仕寄場へ討
出様子を見るもの也或能図あらは大将へ言上して
責之歟或縁かへて付候をすゝめ城の体を見
する歟此二ツを慎へしいかんそ不意あらん縦は又先
手子細有て遅く共数近く成とて先衆にあら
さる備すゝむ事有へからす軍法を敗るといひ侍
大将をないかし路にするといひ逆心同意可成数は一度
法は末代の者なれは一旦の利に依て其法を捨事
大成誤可成能々可加工夫なり
七一手〳〵の相詞相印相図を一手切に可替事
私公諸手を一ツ相言相絵に仕ては其事もとお
るに似たりと云共詞は他にもるゝか故に若数に
その事を相通する者有て城内是をしれは相図
相違して其用をかなへす去程に何も一何〳〵にて
夜〳〵に相詞をかへ合印をなして放みかたを吟味し
外人非常の者を慎へし殊更相図は謀計の第一也
故に少も人に洩ることく仕るは将の不覚軍法
敗るへきもとひなり一手切にせんさくかね但其内
一ツの験は諸手同しく可致なり
或人問云相詞相印は故味方差別を可知か為なり
然るに一備〳〵別〳〵なる時には縦は味方の内ゟ自余の
備へ行たる時に相詞相印相違して先にて放と
疑ふ事可有之疑ふ時には味方打のもとひ可成
但此損有へからさる事歟
予答曰兵法の道陣屋の法令に無由緒兵化の陣て
往還仕る事をきらへり子細有て其陣へ
来るには其證據歴然たるへけれは疑に不足事也
其上惣手の敵味方をわかつ事はその陣〳〵にて
改ればおのつから敵のみかたに紛るゝ事は
無之なり但其道を能可受口伝なり
八諸手の内ゟ亦可攻落所存有之は大将へ塞に可申通事
私云奇手攻口の内に於て如此の手段有之は一武
略仕りて城を可攻落なとゝ存る義有之時は則
蜜々に大将へ申談して後大将の下知に可任不然
して一人の高名に備ん為抜かけを致一身の功を
必とすへからすと云義を可申渡子細は寄手の諸
将の内に善悪の所有て武功に達じたるもふ
達も其差別可有之然るに惣手の衆大将へ不申通
我一心の武功にまかせて抜かけを仕る時は其将
才知有て致之は落度不可有と云共若悪キ大将
そのまねを仕り手立なく城へ付事有之は
必定身方のあしき事可仕出去程に下知なく
して攻へからす可攻手段を存寄は一応大将へ
申上其意に可任也是は内の備定等の時分ゟ
可相定なり
九陣々へ非常のもの往来を可禁事
私之城中に良将有て或買売の商人に綿はし
或は武出家町人或動進行者なとに能武士を
出たゝせて寄手の陣屋〳〵へ往還為致諸侍の
様子其風聞手段なとを聞て相図を以城中へ
通する事ある物也故に寄手の陣々へ堅く
右のことくの非常の者を出入せしむへからすかたく
是をか禁なり縦は諸用の為に商人を可近付
所存有之は場所を定奉行検使を付諸事を
改め陣中の義を不申談ことくに可致是は営法に多
出之又所に依て不禁ことも有之なり
十味方の諸勢は向て城を責る共必殿りの備有て見
物のことく可成事
私言身方の内に教と内通のもの有て城中へ
内約を致諸勢城を攻時後矢をいる歟或所に
依敦兼てゟ伏兵大かまりを設る歟或城へ後詰
の勢有て不意の方ゟ奇兵を出さは味方縦
大軍なりと云共前後の敵に十方を失ひ人数
騒動し備を立なをす事叶かたくて必敗軍
すへし爰を以寄手の内の軍勢向て城を責る
共殿りの備をまふけ見物のことく成時は若奇は
不意に起り城をまきたる軍勢を脇に見て
旗本へ一文字に切込事有之共備を乱させす
其侭城をまき詰敵を押へて殿の備にて
不意の敵を可拒と云義也
新田義貞金崎に籠城の時脇屋義助僅に十
六騎の勢にて見せ於の謀略を用金崎後攻と
よばはり敵軍へかけ出ければすはや杣山より
後責有けるはと寄手御わく所へ城中ゟ才右の
木戸口を披て一度に働出百重千重のかこみを
一時に破る此敵わつかに十六騎なりと云共本ゟ
不意を備ふる備なきか故にこと〳〵敗軍して
囲を一時に破る去程に兵法の第一しまりの
備にしくはなし
十一先の先と云習有之事兵法の秘事なれは残て
十二城内火事の刻寄手妄りに城へ不懸可待下知事
私公城内の火事の時寄手みたりに一旦に城へ
付時は却而敵に突て出られ越度を取事有
へけれは備をかため大将の御下知を待て後急に
城へ乗共或陣をかためて士卒不乱とも
其時宜に可依
餓責に仕る作法四ヶ條之事
一依責の事
私云餓責と云は白城をも不取仕寄にも不構
押寄るとひとしく敵の城下迄巻詰先にすゝみ
たる人数を竹把にして討るゝ人を乗な〳〵
一女卒に息をつかせす一旦に責落さんともみに
もみて攻を兵なり然るに其作法あしき時には
人数多うたれなましいに城をも不攻落して却て
味方のおくれを仕出す事古今其例多し能々
可相慎なり餓責の事第一衆儀一味不仕は
不責物なり云つは城を攻るの軍勢各万死一生と
思切て目の前にて打死致味方を引のけずに
乗ひて進む事は将兼て法を正しく覆して
難成事也第二に城の弱口を可考云心は城内奇
口の堅固不堅固を不見定険固の奇口ゟ乗んと
せは軍勢すゝみ兼敵も防に力を得て急に是を
防は縦何程味方討るゝと云共城落へからす
第三城の矢さまを可積立心は寄手の士卒き備
おもてに立軍勢何程と云事を考城ゟ打出す
所の弓鉄炮いくはくと云事をはかり一番の討死
何程二番の打死又是程三番には城へ可付歟なとく
云事を具にせん御〳〵致人数の損をはからされは
不叶第四足場のあしき所を嫌ふ意は足場あし
き時は或進み或退去有て士卒の進退一同ならす
あし場よき所にてはかゝるも引も将の下知に任せて
一にとゝのふへし㐧五に像責には猶敵の先を取事
有之是は口伝残之大概め此に可心付なり
二賊責には備を大事に可致事
私云俄責に備を大事に致と云は備悪き時には
勇者は独進み怯者は独退て将かゝれと下知す
れ共互に目と目を見合人かゝらは我かゝらんと
守り合て敲きひしく防ケばかゝらぬものなり
夫備と云は常々軍勢をとゝのへ一番に足軽を
進め足軽進みかねは同心是を下知して一人も
しさらは是を制罰し警固同心をは足軽大将
下知をかへ二番に長柄を立て長柄しさらは三番の
馬上鑓先を揃て人手にかけす可打留め行
下知一偏にしてまつしくらに成横目目付を付置
使番を往来せしめて押太鼓を打勇者と云共
一人先たゝす弱言と云共一人おくれす豆次を
揃て遅からすとからすしつ〳〵と進む時には敵
いかんそ拒ん是を備と重め此の法をしらすして
徒にいちましに進ましめては放急に防時必つかへて
進みかね足す違てしとろに成物なり敵前にて
滞る所あれは夫ゟ先へは一足もすゝみ不得物なり
如此時には後詰不叶して兼而の思案相違役物也
爰を能々考知べきなり
三無子細像責をなす時は軍士多く死す可有遠慮事
私公縦は其城堅固の要害にして城主きひしく
防と云共士卒一同に調て我責を致時は不攻落と
云事なししかはあれとも奇手の大将作法あしく
して其様子不正時に責ましき城を俄責にして
一士卒悉く討死し剰城を売落そゝろに軍勢を
討すれは数是に利を得却て味方敗軍の上重て
一戦不可叶是小利を貪り城の位を不知而大利を
失ふか故兵法に於て大に嫌之爰を以めひ云也
兵法曰損敵一人殺我百人此資敵而損我
甚云云
昔楠正成正慶年中に金剛山を城郭に構へて
楯籠けるを鎌倉勢四方ゟ取囲城を責るの謀計をも
不知日々夜々に餓責を仕けれとも悪害はよし良将は
籠たりなしかは一旦に可落毎々奇手うたれ
城中次第につよかりけれは寄手大軍なれ共せんかた
なく徒に月日を送る程に兵根つまり次第〳〵に
己か本国へにけ下り京鎌倉北国西国同時に軍
起りて北条宗鑑か一類悉く滅亡すと云々
附
同断拾拾銭売二度目には不成物なる事
私云是は一旦俄責に仕て味方敗軍の上は二度目には
いきほひこと〳〵くうはゝれて其手段設かたき
ものなり云々
一四敦に依時に依所に随て俄責不用るふけ事有之事
私云俄責と云儀は人数の多可損故様なれは将の
不好事也然共敵により時により所に随て又
不用してふけ事有之第一敵に依と云は此敵
俄に取籠たりと云共若長引に於てはみかたの
怠りに依て不意に付て可出もはかられす
又近辺に能城有て加勢後詰の来る事も可
有之歟なとゝ疑き故には縦人数多く損る共俄
責可致人数多損しても又其徳有之かゆへなり
第二所に依と云は小勢にて僅の小国に楯籠たるを
一旦に責とれば一度に一国も半国も手に入る
又は長陣をはる内には地下騒て城へ通り右を
可役歟或急に不攻落は近国の敵共馳集りて大
軍に可成なとゝ存所あらは是又俄攻勿論なり
第三に時に依と云は久敷世治りたる時分に恨を
一合て徒裳を結ひ一揆をし籠城を致たる時には
有無を不謂して我責可然其故は世長久成時には
辺土遠国に怨を含める大名小名時を待て有之
者也是一たとへ左はなくとも小設になりひと時は
以来是に御へ手を取たると諸軍存し大事に
及は一場もあわしと気を含む者也是二又は
将の威を示さんか為也是三めひの徳あるかゆへに
一餓責を可仕と見届たるに於ては不苦なり
又曰国取合の時我国地にて籠城の者あらは
必定俄責可仕と云々さま〳〵口伝有之事
なれは能々可受伝法也
兵法曰城有空急而取之者有緩而克之者
若彼我勝均外有彊援応腹背之患者須急
急攻之以速其利如我強彼弱外無冠援力
足以制之者當羈縻守之以待其弊是謂不
以兵攻以計困之
城攻武功の法廿一ヶ條之事
一責てかこまさる城の事
私云城内には米粮沢山にて縦いかはかり籠城
仕居ると云共其城米穀につまる事有へきに
あらす殊に人すくなにして其城堅固なる時は
一旦にかゝつて是を可攻必城を囲み長陣を張ゆる
やかに是をふ不可責米多かゆへ敵長引て
不可苦急にかゝつて攻之と云共城内人すくなならは
見かたに手負死人おほかるへからされはなり
二囲て不可攻城之事
私兵城堅固なりと云共兵粮少きか其たくはへ
不足にしてしかも城内に籠る所の男女多く役に
立兵士すくなき城ならは必不可攻味方通り要
害を致付城を構陣城を取てかたく城ゟ出る敵を
一押並急に奇攻之終には此城落城疑不可有之也
兵法曰城虚者可以囲而守之城実者不可
囲而守之云云
三城はやしの事
私云城はやしと云は城を巻詰て其城堅固成か故に
早速落城不仕歟或又敵の様子に依て敵地へ聞
ゆることく仕寄先に於て死陣中に於て敵のあしき
義を小歌に作り諸軍にうたはせて踊をおとり
鼓をうたせて乱舞なとをさせて見する事
有之又は仕寄の時の小哥にも致す是を城はや
しと云なりめひ義はたわふれ事に相似りと
云とも味方の諸軍は鬱気を散し志いさみ弥
敵を事共せず其鉾先強し敵は是に気を奪れ
益気おくれ城外へ不出を退屈して武略をめくら
す事をせす或降参を願ひ内通を仕ることく成
皆是城をはかるの武略なり
北条氏勝築田の城を攻けるに築田軽出軽退て
身を慎みふかく働を不仕氏勝謀を廻らし築田は
亀の中頸を出して引込と哥を作りはやし
をさせてせめると云々
又武田甲州大守信玄はぢやうにな〳〵何かしか頭を
竹把にかけうよとはやしを致て敵城を攻給ふと云り
或人曰城はやしと云は教をいからしむる謀計也と云り
孫子始計篇怒而撓之と云手段の心なるへし
異朝に前漢の高祖平城のかこみの時傀儡子を
なして単干闕氏と和せし古の手段も有之事
なれは城はやしも可有之手段なり
四城のたのむ所を可取事
私云堂のむ所と云は城中の堂のもしくおもひ
第一の交力に存切て有之所をはかりて寄手
是を可取境目の城或取出の城なりと云共本城の
便成へき所ならば寄手押寄ると均く攻取之
不攻取共本城と通路を絶せしむれは城大に
弱るへし敵のいきほひは小事に依て替り可有之
義なれは寄手万事に気を付へし
又云攻城計に不限容戦にも此心は可有頼む所を
奪はれて本主弱りし事古今に其例多し
五具つ屋にて見おろす所あらは火箭を可放事
私云是は城の地外よりひきくして見おろさるゝ歟又は
寄手栖楼築山なとをなして城内を見おろす所
有之は矢勢届く歟不届かと云事を積てくつ
屋ならは火矢を切に放[サ]是を焼払へし
六味方の諸勢ゆへなく御わく時櫓栖楼の上に於て小鼓
笛又は尺八も用之事
私云奇手の陣中子細なくして御わき立惣勢是に
おひへしつまりかぬる事有之左様の砌は大将自
身小高き所にあかり小鼓笛又は尺八いつれにても
遠く響き有へき道具を用ひて高〳〵と吹すさひ
うちすさふへし諸軍是を聞て御本陣には無子
細と見えたりとおのつから鳴止もの也給ひ時節に
下知をかへて計はとゝまりかぬるもの也
古老伝へて云昔或良将夜中に陣中して混乱
してさわきける時臥して不ひかゝりける所に諸手本
陣へかけ集りみれは大将は平臥して無子細軍
勢心なからしつまれりと云々是前漢の周亜夫か
用之謀なり或人云無子細而諸手御わくと子細
有て御わくと此わきまへしるへき事歟
答云兼而ゟ法を定相図を定約束を致して敵
出る歟出たらは給ひと云事を定返り右の者あらは
め此と相約し置時は法之外に御わくを無子細而
御わくと云也軍法計に不限国法にてもかねて
約束を期し置時は不慮のさわき有みても見くるし
き迄の事有へからす寛永の末東鑑を一覧し
ける刻鎌倉無子細さふとうして御館へかけ集り
し事一両所見ける然者必妄りに御わく事は
無之といふは邪説也さわくと云共不惑乱を法の
正しきとするなり
七屏に諸勢つく時は飛物を以て矢窓を閉る事
私云平城にも山城も敵の屏矢窓は味方の諸勢
付所ゟは地形高きもの成か故にこなたより足軽を
かけさまをとち御せて後に屏へつかすれは
士卒多くうたれさる物也但尚口伝を受へし
八栖楼あけやうの事
口伝に曰下にて能割合て後に山へあけて仕
くめは人損せさるもの也くわしく城制に出之
九城中人質郭或女童の居郭可見考事
私云城主武功たらすして人質の郭外へ一重
成所或寄手の寄る方に近き所に置時には城攻
急に成てはやかて城内破るゝ物也子細は女童の
類何のゆへもしらす故外より矢玉の音近く
聞ゆれは城落るかとさわくもの也心臆せる武士是に
驚ろかされて一筋に持口をかためす臆したるに
引立られて縦は剛強の勇士も志しとろ成事有
去程に寄手は城内の人質郭女童の居所を
能考へ忍を入て具に聞届急にせむる体を見
する物なりめ此時には城平落事有
十減責鉄砲入不入時分有之事
私云城を責に遠攻にして未寄手屏際迄仕寄を
不語は足軽をすゝめ弓鉄炮をかけてせり合を
致事常の作法也然に四方ゟ惣攻の約束を定
備をかためてその城を一時に責落さんと存る時
には先足軽をすゝめ是にて互に迫合を致し
人数屏際へ詰て軍勢かさみたる時には兼て
一約束を定足軽をかくへからす子細はみかたをいとふ
かゆへなり猶口伝
土堀を汲て用水に致城へはいかた舟を拵へ鉄炮楯を
仕て水上にひかへ綱を付水を留むへき事
一和云是は大河城の腰をめくりたる歟或又城
内に水反して堀水を汲事ありとおほへは
在家をこほちいかたを組川上へひかへを付楯を
かん鳥羽に入ちかへ足軽に馬上少々差添丁留之
故必水につまるへし
十二堀のほり様堀切の入やうに依て散出る事有へし
私云堀の堀やう堀切の入様とは城制巻に出之夫
本城より二の郭へも堀入組二の郭ゟ外郭へも
堀入組たる歟堀切の入やうに従て城内の放ひそうに
舟筏を拵へ小口の外の寄手の陣へ出る事も有之
もの也是又みかた不意をうたるへき図なるか故
将心を付て可見積事也
十三城内人数積の事
私云城内の人数を不積時は内の兵根の費を知事
なし兵根の費を不知は何ヲ城の可落と云図を
知らん爰を以城内の人数を可積と云り然るに
人数を積る事かねてより忍を入目付を以
知之敵の身上の大小国所の善点に依てしる
事有是其本図なり或又満足不足を知事
又其徳多し城小にして人数多き時は破レ城内
大にして人数すくなき時は又危しめむ事に
心を付て可知事也
一方より急に可急に可売入所存有之と云共四方ゟ取巻
しなり
私云寄手前方に城の弱手の様子人数の厚き
方薄方を能知て此口ゟ可攻入と言儀を内習致
評義を定たりと云共必其方ゟ計不改物也惣の寄
口ゟ仕寄を詰城を取巻て俄責に可仕体を致し
城内あはてさわきて人数をしとろに配て何方へ
備をわけんと騒動し寄口うすく成をはかりて
兼而約束の所より可責入落城せすと云事なし
是を不守を攻の法と云なり
兵法曰敵欲攻一面四面圍之敵不知其所
攻と云是なり
十五寄口の橋等不焼落は陽の敵としるへき事
私云城に籠れる故は陰の数なり故或橋をやき
小口をとつる事勿論なり然るに橋をも不引
持口をゆるやかに彼是を陽の敵といふ言心は橋を引
小口をとちて後は城外へ出て無二の防戦を仕事
ならす小口前の敵を払事も不叶或夜軍夜討
等を可仕図有之共城ゟ外へ出る事ならす爰を
以橋を不引小口を残す敵は陽の敵と可知なり
楠正成住吉天王寺に人数を隠しわさと渡辺の
橋をふ引して川端に人数を残置たるを京勢武
幼不足か故にわさと引かくる散成事を不知
弓矢しまつて不取かゆへ尽く敗軍せり若此刻
京勢良将にして切所を前にあてたる楠可引
橋をふ引さゝゆへき所をさゝへさるは奥意可有と
遠慮して其謀にのらすは歳か手立
可相違かひの事は万事に多し将の
可心付事なり
十六外にたのみある城は寄手の手段謀能ものなる事
私兵頼む所ある時は其志怠る者也子細は夫城
堅固成る故要害を頼む歟或後詰かせのた
すけあるを頼むる其外め此のたすけを頼む
時は内を守事不堅合戦心に不入して真実の
弓矢無之故故事やすし
昔或大将の城を攻けるに城へ内通を致助の城
有敬此城を大節に存し切て有之時右の大将
ひそかに手段を入両城の間音供の道を絶して
後恩を入助の城の大将みかたへ内通のよしを風
聞せしめ其後敵の内ゟ生取たる兵を一両人
ゆるかせに致熊と抜しめける日比風聞の上彼
生捕かへりてしか〳〵と申けるゆへ本主是に
力を失て程なく落城すと古老語り侍りき
今桑平信長卿尾州桶狭間に今川義元主に
打勝給ふも義元笠寺に小寺氏を指置信長を
伺はせけるに依て信長心の侭成働有之事不能
信長卿謀計あくまてふかき大将にして計策を
入間を用ひ小寺信長へ内通の書状を認めへ
けしける故義元主の堂のむ所の良臣教と
成事をうらみ子細に不及小寺を吉田に於て
殺害す是ゟ信長無程出張して義元を害すと
云々如此の手段用るに様々あるへきなり
十七城内の人数厚き方薄方或人数の満足空を知事
私言押寄るとひとしく諸手より足軽をかけて
可乗取勢を仕り見すへし城内是に驚き人数を
配て拒之時其様子を以可知なり
又曰城の小口堅固の所には人数うすく要害
不宜所には人数多し
十八後詰を待城不待城可見分事
私兵後詰を待城は可仕合戦を不仕図をのはす
一是一味方をあいしらひ実もなき和談口ふりを
引て日数をのはす是二也不待城めひ両条不
可有其上少も不弱体にして弓矢可取なり
猶口伝
十九城ゟ敵出ル不出見様の事
付候巻出之
廿寄口に設可出所不可出所の事
廿一兵粮の有無積の事
此両条は口伝に残之か故略之
〆
狩川
ノ内
戦律第三
攻城下
同同年元和二年
十一
つ
兵法神武雄備集戰律第三
攻城下目録
一水責三ヶ條之事
一城攻に證拠旗を用る作法弐ヶ条之事
一山城責法拾ヶ条之事
一籠城の敵に随て勘弁六ケ条之事
一大放籠城可攻作法八ケ条之事
一城責落而後仕置之作法五ヶ條之事
一城不責落して引あくる作法四ヶ条之事
□□□
兵法神武雄備集戦律第三
攻城下
一水責三ヶ條之事
一地責之事
私兵水攻と云は其地形早下にして水多き所に
あらされは不為之殊に又一国一城或邊土の一揆
城なとに用之然るに蛇責と云は其数城の上に
細き流なと有之を土俵を以堤をつき水をせき
留て其なかれをさゝへ日数を経水おほく滞留し
其勢強大成堤を切て水を一度に落し是を
ひたすを蛇責と云也め此時には敵城大こわひて
早速落城仕る事有之凡蛇山より出る時其川
水流細くして身をおろしかたき時は身を横たえ
流をせき留水力の大成を待て後其水の勢に
つれて下へおるゝかゆへ是を蛇責と号する也
又云城を責る計に不限敵長陣を張て味方と対
陳の時此武略を用る事有
二ひたし責の事
私云ひたし責と云は其敵城おちくほ成所に有歟
或其近邊に大河の落合ある歟或よき流有之刻
其流に堤を築て水をせき留其城を自然と
水にひたし湖となす事有之是をひたし責と
云なりめ此時にはその城に良将有共防に力なく
落城不仕と云事なし古今に其側多し
三時に依敵に依て用之事多し
私兵豊臣秀吉織田信雄を勢州長嶋にて水
攻にたはかり毛利家小平川隆景を一夜に
水改に仕給例其時其数に依事なり
城責に證拠旗を用る作法二ケ条之事
一證據にて人数扱の事
私云證拠於の義城の廻り小高所四方ゟ慥に見ゆ
へき所々に立置相図の約束を定め其施を
證據に致し能に物をいわせて奇手寄口の
様子を口〳〵へ通し其謀をいはする是を證
捜辞と云也所隔ると云共目力の及所にはめ此の
一相図相図約束の旗を立置時は瞬息の間に其事を
通用す故是を以人数扱の法とす城責に必
可用武略なり毎は制法之巻に出之
二右の於は放城出る虎口数程味方の證據はた
可有之事
私云せうこ於の事故の城内ゟ可出小口は不及
申いつれの小口成と云とも奇手の陣取の前
後者右に於て見切場有之時は則此施を
立て約束を可通故に小口の数程有之と
いふなり
一月十一日晴
ははねはいきにあめんくといつめ
一
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□□□□□□□□□□□□□
同断同
同時間の手拭を
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一十一月廿一日
山城責様拾ヶ條之事
一一向二裏城責の事
私兵一向二裏と云は其城一方は山に続たる歟或
一方手明の有之山城を攻には此心持を用る也云心は
一方より急に其城を乗取ことく見さく別年を以
ひそかに其城の様子を伺はせ其城の兵不足の
所ゟ不意に可攻入子細は急に減を可乗取勢を
見する時には城中是に驚て惣手を合て一方に
つゝまり弱手を強く守ル時別軍を以急に内へ
別所ゟいらは防に便なし是を一向二裏の攻様と
云なり尤平城なり共此心得有之義なりといへ共
車城にて其障もとおりかたき事多し若相図
相違して謀不調時は将の不覚たるへし猶口伝
従名
昔北条氏盛
宗雲
一相州小田原の城を責ける時熊と
方雲
箱根山ゟ材木を取者の真似を致し日中に
大嶋の牛を山上へ追上けひそかに夜に入て焼松を
牛の角に結付精兵少々指添相図を定此続松に
火を付山下の浜面へ追下しける城主大森大に
驚急軍勢を浜面へ出して備を設ける早雲
潜に人数を廻し後の山ゟ城内へ心安乱入して
大名終に敗北すと云々此一向二裏の兵法なり
二山城に根小屋を焼事
私兵山城其地形高か故に尤地利の堅固は有之
と云共諸家中の者共悉く山上に居る事
難成爰を以山下に根小屋を構て過半下に
下居すへし爰を以山城へ押寄ては則根小
屋を可放火城内大に力よわる物也但其地形
山の様子に可依なり
三金握を可用事
私兵所に依平浦にも金掘を用様有之と云共
大方金掘をは山城に用るなり㐧一山のなたれ
急成所を見切て金掘を用ひほり崩たる時は
城内の勢を丁失第二に金堀を入てから堀の内へ
ほり付させ忍を入事有之第三急にほらるゝ
一時は敵上ゟ鉄炮或石なとを落す事多し
め此時は上に屋根を致て是をいとふへし第四
矢倉下をほる事有之第五政あかられ御日
所は必金堀を丁用大概め此所には皆用之なり
尚ほらせやう口伝多し
四急に山下へは不押寄ものなる事
私云無下に山下へ押寄る時には敵はかさに居
味方は山下に備て戦ふ事不順也味方の仕寄
も致かたく手段難設但高山には麓見切にくき
事も有物也
五対の峯を取て可攻事
私兵対の嶺と云は縦城有之山と間隔たりぬと云共
対したる山あらは是をみかたの本陣に定て自然と
可攻め此時には敵ふ意に城内ゟ出ると云共味方の
陳へ来らんには是又敵を内下に見おろして
無疑可少之不勝と云事なし尤長陣には付成
一向城をも取も其堂より多し
六堀の水引を可考事
私云山城は地形高かるへけれは水堀なき物なり
然るに水沢山にたゝへたる堀有之時は城主近
邊の水をせき留てはひに用意役たる歟或は
十町拾五町近くの川ゟ樋を臥て水を取かといふ
事を伐て其水引を可考但山城にも城の
根の堀なとは有之水心もとなからす山へつゝき
たる所の地形高きには用水も堀の水もたんぬ
仕るへからされは其水引を可考と云也
七長陣の事
私云城下へ押寄て長陣を張城を可攻体を
不仕作法を乱して有之事可有奇手良将に
此心は故此方を侮る様の
非る時は難用武略なり
武略なれはめび云なり
八山城を責に殊更しまりの備を丁用事
私云山城を責には一軍を以坂中へ攻上らせ一軍
を以しまりの備とすへし設地の利を得て味方
を防か故必定先勢は坂より下へ追崩さるへし
其時二の手坂下に備をなして敵一文字に坂下へ
足をためず追おろし軽く引取としはらく
たゝよふ所を横合に可討此時先手勝利を
失と云共殿の備有時は放長追ならす木戸口
をはなれゑさるもの也是皆しまりの備あるか
故也但山下にては二の手も急に坂下には
不備物なり何茂口伝
元弘三年赤松円心後醍醐院の勅命に随ひ
摂津国摩耶城に楯籠けるを佐に木時信常
陸前司時知両六波羅ゟの討手として押寄
けるを円心わさと敵をおびき歩手を七曲と
云けはしき細道迄引寄赤松則祐飽間光泰二人
城の南の尾崎へおりくたりて矢種をおします
散〳〵にいさせける間寄手少射しらまされて
互に人を楯になして其陰に隠れんと色めく
所を円心并子息範資同範貞城を払て二の
尾より切て出たる故跡より引立てかへせと云共
耳にも不聞入我先にと引ける其道或はふけ田
にして馬を落し或は荊棘生茂りて行先
弥せばけれは返さんとするにもふけ防かんと
するに便なし此故に城の麓ゟ武庫川の西の西の
端迄道三里か間人馬いやり上に重り死て往人
道を去あへすと云々若此時に於て時信時知
等良将にして殿り見物の備并山下の手なとを
用ひは赤松いかんそめねの利を得んや縦寄手一旦は
利を失共二軍は必勝の断可有に惜かな謀
計の空してめひのふ覚にあへる事
九城へ責上る道曲折するに於ては道を作らせて可責寄事
私云山城の木戸口迄は其地形に依て坂の間長き物也
然るに此道曲折とまかりつゝらおりにしてさ右に
さゝわり多き時には熊と人夫を用て障ル処を
つくらふへし若敦是を防んと木戸を開て
人数を出さは則引出して可相戦必道の
侭に責上ルへからす子細はせめてのほる時は
分入道もあなたうなたと道筋を行と云共放熊と
おひき奇急に突て出たる時はいそひて引取んと
おもふか故に一文字に山下へおりんともみにもみて
退ゆへ竹木御へられ土居築地にあたりて人馬
多討る物なり故にめ此哥也
昔武大将山城に楯籠りけるを城の木戸口迄は麓ゟ
二三町も可有之に或土居を築或藪を設あなた
こなたへ細く曲折したる道を付置ける奇手
何之思慮もなく道のまゝに城の木戸口迄麓ゟ
さゝへて攻けるをわさとおひき寄一度に城より
突て出ける故寄手大に騒働して場よしへ引取て
こそ合戦も成へけれなと我先にと垣を越
土居をこして山下へおりけるか右の狭道におさへ
られ過半放にうたれけると云々
又或大将殿の来りて我城を一責事を聞て
足軽を出し城の小口より可押寄宿際迄芦垣
を入違に義重も仕らせ置けるに寄手是を
事もやすく存我先にと馳入て攻ける城主
此時図を見合不意に城より突て出ける故引
取かねて足をそらにして馳まどひ鑓の石突を
垣につき込或おしにうたれて見物相撲の俄に
崩立たることく急くうたれたると云々
十山手に付ての合戦は山戦に出て
籠城の故に随て勘弁六ヶ條之事
一雑人一揆の籠たる城可攻心持之事
法に云押詰てよし口伝
私云地下人百姓なとの徒党を結て一揆を起
籠城仕て不随を責るには押詰てよしいふ心は
城へ押詰るとひとしく巻詰て我責に一旦に
可攻落勢を見する時には誰人成かゆへに恐るゝ
心有てあはてふためき丈夫に城を持こたへ
さる者也若是に利を与ゆる時は志おこりて
却而味方を損する事有故に押詰く可
攻取体を見せて城中の諸侍の気を落す
かことくか致なり
二侍一揆の可責心持之事
伝に曰押詰てくつろけてよし口侍
私云地下の侍共取籠たる城をはくつろけて可見と
いへり云心は一片に取包是を攻る事不可有怠可
攻落の体をみせて其城の様子により軽く備を
くつろけて可見子畑は其時足に依て城ゟ降参
を請事も有へし其上一片に不取巻かゆへに
可落行の道有て士卒の志ふ一死戦を致事
難し侍は上下共にきわまるに臨て其心一筋
成ものなれは若其説気をさけす一度に取
かけ数を壱人も不残全く勝を得んとすれは
死地の兵不得止而戦ふか故に縦是を取ひしく
共みかたの人数過半損すへし此則かつと云とも
苦の苦成勝にあらす故に良将不好み或は
是を取ひしき或是に利を与其変を以是を以是を
勘弁する時は自業にしておのつから
敗を取へし縦は一旦に不殺共礼をあつくし
又賄賂を入て全くとりこにするの法も有なれは
心を一様に存へからす
昔或大将の領分に一揆の取籠れる城二ヶ所有大
将出馬有て先近辺の一揆城を取まく城内
いかゝ仕りけん降参を請て寄衆に備をあけられ
候へと申大将此事いかゝ有へきとせんき有之時
其家の武功の侍申て云此城縦和談を請とも
急にかこみを解事不可有先二三日も取囲始
終を考て後備をあけ給ふへしと云処へ
家の家老乗廻り城降参を請上は早速備を
あくへしと下知をかへ尽くかこみをとかせける
城中弥降参かと奇手存たる所に跡にて又
降参不可仕よし申ける大将大に怒やかて我責に
攻落しけると云々則備を又残る一揆の城へすゝめ
城をかこむ爰にても城内又降を請右の武功の
勇士早速備を御あけ可然由を申上けれとも
家老初に手こりしてかつてくつろけす城内
是に怨をふくみ死戦をなしけるゆへ寄手大に
打死して城落ぬと云々かくて帰陣の後件の武功
の者を召て大将両度なから申上たる武功無
相違候いはれを聞召けれは答て曰初の城は
地下の町人百姓一揆なるを以一旦に城を急に
取かこまれたるにおぢて降参を請候間急に
引取候はゝ又逆意を構可申存如此申上候なり
後の城は侍一揆にてすてに降を乞所御證引
無之猶疑てかこまは城忽て二度義を含事候
へきと存両様に申上候と云けると云々誠に
武功の程ゆゝしく覚へ侍る也
三一国一城の時可攻心持之事
私云一国一城と云は何方よりも加勢後詰もある
ましき縦は日数を送りたりと云共後難あるへ
からさると存る時は卒尓に取詰て是を不可攻
是を死地の兵と号す爰を以放の可出所々
つまり〳〵に付成を付陣城を構て敵の粮道を
絶自然と其国を取敷へしめひ成時は敦自ラ
よはり味方へ合戦をしかくる事有之也かゝる時
わたと逆寄に為致場よしへおひき出し跡を
取切て是を取子にする歟或兵粮の尽るを
待ておのつから是を破ることくに仕り或内通
内縁を取てうちわをわらし互に疑ひある
ことく成手段を設時は力を不尽気をはけまさずして
其城必可落是全勝を得るの攻法也
四久敷太平成時分辺土遠国に於て一揆の輩有之
刻可攻落之心持事
私言守成久しく世治国静成時分辺遠国に
於て一揆謀叛の輩有之は俄責にして久し
かるへからす子細は国土長久成時は女卒武の法を
失ひ守る事怠るへし爰を以諸人のさけすむ
所偏に爰に有一旦に是を攻落して諸卒の
志を押へし是一守成久しき時は大小名共に
いきとをりを含欝懐を御しはさみて時節を
待族あるへし事のひ〳〵に及て諸国の蜂起
疑し是二僅の一揆等に手間を取てけれは
大事出来の砌は鉾をさかしまに成へきかと
外国の聞えかつは後の戒なり是三将の威を
万邦に振はん為なり是四外のたすけを
いとふによし是五如此の損徳相比して前後を
ふまへ道理にまかすへきか為なり
兵法曰貴軍於外則諸侯乗費而起雖有智
一者無能其後云云
或曰太平の世には外にあやふみあし御るか故力を全
し教をおのつから亡ふることく致へしと云々
五世いまたしつまらす又大方無事に及へる時分に
一揆籠城の輩あらは計策を入て可随之
六始て兵を起し威をふるふ時は勢を貴か故に俄攻
に可致之事
私云有此事は其変万端にして将の心より涌出する
事也故に爰には其一端をあくると云々
大鼓の城に篭れるを可攻作法八ヶ條之事
一本城の外別に堀目つなきの城あらは味方大吉事也
私言敦良将にして堅固の城郭に楯篭[リ]たるを
一旦に攻之時は味方人数を損し兵をそこなふて
勝を得る事難叶爰を以大将の居城をは
指置て本城の外に或取出の城境目の小城又は
つなきの城なと有之は先夫を攻落へし縦は
其内にていつれも堅固なる事は有へからされは
兼てより忍を入付侯を遣し案内者を以具に
城の要害を聞届て後に弱き方へ不意に
取かゝり是を可攻落其成落る時は本城も
よわり近辺の城も力を落して臆し
たるは則城をのくも有臆したる大将城を
あくれは少々剛強成敵も引立られ味方へ
降参可仕めひ本城の股肱の城とも味方の
手段に依て皆攻落されおのつから城をあけ
退か故に本城よわりて終に落城うたかひ
なし此故に是を大吉事と云也
二日給ひ時本城より後責あらは寄手猶吉事たるへき事
私云前に云ことく本城の外の城を寄手急に攻は
必本城より後詰有へし是又寄手の吉事也
言心は放兵法の勝義に不達而堅固の要害を
離後詰仕る事は大成誤也故におひき出して
しまり遊兵を以て是をうち或境目の城をは
軍勢を以是を押へて置後詰の数と一戦を
遂ると云共城を攻るの法ゟは合戦役よろし
かるへし爰を以め此言なり
又曰後詰をおひき出して合戦を可仕と存せは
わさと境目の城をあひしらひ置へしと云々
三所に依て境目の城を一二ヶ所も攻残す事も
可有之事
私云是又大敵の城を責るに用る武略なり
云つは大敵の城に籠れる時には城下へ押寄て
味方手段を設る共早速には攻落す事不可
叶去程に敵をあいしらいて戦はず城ゟおひき
出して平場に於て一戦を致一入付は必定後道
の勝利可成と所存を極置熊と可責落境
目の城或取出の城なとをあいしらい日数を
経本城ゟ後詰あらしむることく可致其上可
一攻落城を不攻落は若城主心替り別心有之
歟なとゝ弥疑有之者也め此時は手段いかにも
設るに宜かるへし
四所知割
私云所知割と云は右に云ことく数をおひき出して
一戦を致へきと存る時此武略を用意は放城
近く迄押寄味方各付城を構放城を急に
取詰すして長陣を可張用意を見て味方の
諸大将を召寄教の地下百姓を引出し敵の
知行所地を尽く割可与め此時は城中に籠れる
所の兵力を落し気を屈して寄手は是に気を
励へし是を所知割の武略とす敵是を怒て
逆寄にせは猶以味方吉事也め此事は一様に
あらす兵法曰怒而撓光言是也昔諸葛
孔明か魏の司馬仲達に巾悃を送りし謀も
是なるへし
五引取と見せて夜軍但小鼓にも用之口伝
私云是又大殿城に篭殊に城堅固にして早速
不可攻落と存る時に用之節は其城を取詰
たりと云とも其城落かたきか故に攻こし巻
ほくし重て可攻之体に致城ゟは一里或は二三
里計も陣をしさりて其城の様子を忍を入て
聞届城内の者共久々の篭城に退屋し寄手
の巻ほくしたるを幸に或を家へおり或
町屋宿へ御かりて面々の気を延事有之
城中尽く人すくなゝるを見切中途より
不意に取てかへし夜軍をしかくる共又城へ
急に乗込共時宜に依て変を設れは其城
必不落と云事なし
天文五年丙申十一月廿一日武田信虎信州海野口の
城を取巻三四十日かこみけれ共城要害よくして
攻落す事不叶十二月廿六日甲府へ帰陣に
極りてける時子息信玄其比はいまた情信にて
しんかりを致され其勢三百計にて跡にさかり
甲府へは帰らす海野口へ押かへして城を乗取
剰城主平賀源真法師を打取けると云々此謀は
大数なりとも必可設武略なり
六返り右の者を作ると云事付返り右の者を招事
私言通り右の者を作ると云は縦は其城かへり右を
仕るも無之と云共わさと計策を致て真実に
人の存ることく仕り敵の内ゟ味方へ内通の者の
有之由味方連〳〵沙汰いたし置時は味方も
奥頼母敷弓矢を取放方へ洩聞えては誰かれ
かと心を防士卒を凝て心を置諸侍も弥力を
落して気を屈すへし陣平か謀を以茫増を
通り右の者に作り信長の武略に依て戸部
新左衛門尉を返り右の者に作り給へることき
是なり返右の者を招と云は味方の内にて謀
ある勇士を近付縦小身の侍成共思案工夫の
分別を仕らせ味方の内に城内へ内通可仕つてを
取其人の志を考て音物を送り音信を伝へ
一金銀財奕を不惜に縁を取て計策をめくらす
是故を全く亡す所兵法の所称也
七城中をうたかわしむる事
私云兵法に曰地利不如人和云々縦地形堅固の
要害にして金城鉄郭なりと云共籠所の音士
衆義一味せたる時は其城長久成へからす爰を以
大殿の籠たるを責るにはうちわより破て
出ることく仕らされは謀不調者也うちわをわらす
事疑あらしむるに不過城中疑ふ時は衆義
一味長すして図にあたり難し兵法云国必
自伐然後人伐之云云
八此外計策の品々は別巻出之
城責落して後作法五ヶ条之事
一其城落たりと云共大将下知なくは諸手数乱不可仕事
私兵城已に落たりと存して軍法猥かはしく
諸手散乱して備なくは不意を守る事不能か
ゆへに若敵に別軍有て味方をおそひ撃事
有之刻必敗軍に及へし故に縦落城仕り
たりと云とも将の下知を守り備を不乱慎て
乱取分捕等に士卒を散乱せしむへからす城中
志く降人に成て出る歟落人に成て行歟仕り
て後静に一手〳〵宛くりこむへし
二降人を不可禁事
私云数の内より能一手の大将分のもの或諸侍
手かたき証拠を立て降参を請に於ては成
不禁して是をゆるすへし若め此の数をつよく
いましめ其侍をゆるかせに不仕時は却而死戦
を成事有又は別所の城中志を一にして二度
不可降と存寄手の害と成事有之猶時
宜に依へし
正慶二年平野将監か赤坂に篭城仕けるを水の
手つき渇水に及て一旦の謀計に降人に成て
出けるを寄手阿曽弾正是を請取先降人の
法なれはとて物具太刀刀を奪取高手に手に
いましめ六条河原へ引出し壱人も不残首を刎て
掛たり是を聞て吉野金剛山に籠たる兵共
弥気をはけまし降人に可出と思ふ者はなかり
けると云々罪を縮ふするは将の謀なり
南宋の武帝の時南燕を討て城中の降人三千人
を殺して西北の民望を絶へりと通鑑にかけ
るもことはりなり
三攻取て二三日の間を可謹事
私云其城を攻取たりと云共其敵に依ていまた
国中さたつへきも落人集りて一揆を成へ
きも餘意残て不意を待も思慮仕かたき事
なれは座備を設て驕らす油断を不仕所を
鎮め仕置を改迄は可慎なり先方衆降参の者
跡をしたふて所存を含む事古今に其例多し
四城はきやうの事
私云其城を責取たりと云共子細有て人数を
残しをかすかへす事有然るに其城をはかすして
昼は数又不意に取籠たる時要害堅固にして早速
落城難成と存る城をははきすつるもの也
急にはくに矢倉屏に火をかけて一度に焼可捨
又不焼子細あらは水の手を可絶と云々
五はく城不除城の事
是は所により教に依へし
一城不攻落而引あくる作法四ヶ條之事
一城まきほくすへき作法之之
古老伝曰一備つゝ次第〳〵に巻ほくすへし一度に
引あくる事有へからす
私云是又城を巻つむる作法に相同云心は
諸手一同に城を巻つくして引取んとする時に
城ゟ四方へ手分を致跡をしたふ事有之時いかんそ
一全く可引取爰を以兼て約束を定相図を致し
次第に巻ほくすへし若散城内ゟ突て出は則部に
残る所の備を以是を可押放猶合戦を致かけは
則座備を設け引取備を跡にして合戦を可遂
敵軽く城へ入は又押へたる備を跡へ引め此に
引取時は危事なく堅固に引取物なり
二右の紐には殿或殿りの備有て小高所に可備事
私云右のことく成小口を一手〳〵引取時は殿の備か
しまりの備をあらかしめ可引取途中少小高き
所労を見きるへき戦地に是を跡已に惣手
全く巻ほくしたる時是を守護して可引取
為なり此備なくは敦図を見てまきつくすへ数
一二備残りたる所へ突て可出是引取時の大切なれは
能々可受口伝
昔或大将敦城を攻さして巻ほくす時寄手の内に
いみしき大将を一手しんかりに申付兼而道のへの
小高所へ備しめ取巻たる人数一備宛引取に
先旗本を先へ引扨次〳〵に引ける時敦城ゟ
突て出けるを跡備鑓を直して合戦を持城主
思ふまゝに是を追事不叶一二備計になれる
時放又突て出たるを兼て残しをける人数
備をおろして合戦を持手かたく殿をおさへて
引とりけると云々
三引取には繰引を可用事
私云くり引の事別巻に出之云心は何を一度に
引入る事なく一備は敵を押一備は引取て次第に
可引入なり城を巻ほくす時は第一備をさ右へ
わけ一備宛立切て義備有共さ右へ竪に備中を
あけて一備宛引入るなり若放出る事あらは
則備を直して鉾矢形に成是繰引也第二に
鳫行に兵を連年てさ右へ繰引事も可有之
是をも繰曳と云作法爰には略之
四拾かまりの事
私兵是又城を巻つくし引取時能かまり場に
階に兵を臥ていさしらぬ体に致引取事可
有之此は備を乱しわさと鼓を引懸て敵の付
慕ふを待て撃の武略なり但又あいしらい勢を
作り敵をあいしらい喰止て不打之図を外す事
有之言[ニ]あいしらい勢の事は別巻に出之
堀田川
一
戦律第四
主戦
同同兵法神武雄備集
一兵法神武備集冊
}
兵法神武雄備集戦律第四
主戰目録
一三者を可用弐ヶ条之事
一人質を可取作法五ヶ条之事
一主戦の大将心定三ケ条之事
一防戦武功十七ヶ条之事
一防戦場所五ヶ条之事
一衆寡を不論丁切崩故二十四ヶ条之事
一退散を喰止へき作法七ヶ条之事
兵法神武雄備集戰律第四
主戦
敦我国へ押入に於て三者を可用二ヶ条之事
一敵押むかはさる以前に三者を可遣事
私云是を三者初めに用るとす三者とは第一に
かき第二に物聞第三に目付なり㐧一にかきと
二十六日に味方の国地へ働き入と云に究り
たる時無二心勇士の智弁兼備れる者を勧進
修行者或は旅宿の者なとに出立せひそかに
敵国へ指遣し其国の様子を見せしむ是を
かきと云なり凡小身の者僅の所へ旅立すら
其分に相応の用意は有へし殊に三軍を動し
遥の戦場に望み豈国中の用意家中のさなり
無事は不可有然者左様の風情等目に及計の
事を所々に番を取家々へ動進修行して伺是を
かきと云なり第二に物聞是は商人町人地下人
なとに出立せて売買の為他国へ往来仕体に
致させ敵国へ出入せしめて様子を聞也人の
情内に動時は其行必外に顕る外にいち
しるき時は人是を押てはかる人おしてはかる
時は其事必多聞に及ね多聞に及時は其謀洩る
物なり謀泄る時は其国の様子敵の体はかり安し
故に物聞を遣し旅泊の商人にまねひ所に
立寄てやうすを聞在家のしるへにはよそな
から尋地下人なとに親しく致し金銀を与へて
ひそかに内通せしめ切々自他へ往来して
事を聞是を物聞と云なり第三に目付是は
兼日より敵の家中の者に交り居地下町人に
紛れ委く様子を聞届味方へ内通仕候是目付也
右此三者を用て数未働出以前に具に敵の
様子を聞届夫に応して兵を用るのならし
可仕是を初の三者と云也
二敵押向と聞は又三者を可用事
私云敵の押向時に遣ヌ是又三者也是を後の
三者と云也第一に検見第二に見分第三に忍也
検見と云は伝に曰遠見を検見と云々心は敵の
押来ると云時国境よき地形見切場はよし
なとへ馬を乗上て人数の行列備の押やう
軍勢の多少を見る是を抑見と云外侯にひとし
第二に見分伝に曰近き所に伏して見るを
見分と云々心は教の押来る道筋の中にて深林
或竹の茂み谷陰の隠れ家を家村なとの
中にふして人数の押様其作法の善悪を見る
是を見分と号する也第三に忍伝曰教の内へ
交て見るを忍と云云つは敵の人数の内に紛れ
押来ル軍勢にひとしく仕りて道々の作法陣陣
備押或家中の御なり申事等を具に聞是を
忍と云なり右の三を後の三者と号して放押
向と聞は早く此三者を用てうたかひなきやうに
敵の様子を聞届其事をはかり知へきか為なり
委細は大概付候の巻に記み
一人質を可取作法五ケ条之事
一家本諸侍の人質を取てうたかひなく弓矢を可取事
私云往古より約束を定家中の心替逆心なから
しめん為には神宴を證して起請誓言の盟を
成事有之雖然未前の罰を不鑑当来の利
潤を以其約を有事人俗の私なりといへとも
世間皆めひ故に人質と号して其者の妻子
親類を以我身の質に納めしめ二心なさを
明にし人のうたかひをやむへきか為なり凡妻子
を愛し父母を思ふか故に身の栄花を極めん
ことをねかふ然るに是を捨て二心あらは後栄
更に期するに不足と存する是人々の心也故に
家中に於てうたかわしき者は不及申縦は
うたかはしからさる者なり共不残人質を取て
人のうたかひを散し弥其士卒の志をかたく
せしむる是古今の通法なり去程に家中
諸侍の人質を可取と云也
二地下人の人質可取事
私云地下の者の人質を不取時には地下人数に
内通を致する一揆悪逆なとを致事も可有之
地下人数に心を通すれは国中の大事成か
故に先地下の者の人質を可取と云也しかるに
其取作法有之在家の者の人質を取ては
所の庄屋名主に預ケ庄屋名主の人質を
取ては其所の代官か又は堺目の城々又は
大将の居城へか入め斯仕るに於ては在家更に
うたかひなき物なり故に地下人の人質を
可取と云也
又曰地下人の人質の事地下人の内にて不残
取時は人数多きか故其所にて口をきく人の
ひたる者才智弁舌才覚ゆゝしき者富有の
百姓なとの人質を可取此人質を能これは
其下〳〵の小百姓は不残手に付ものなりと云り
三人賃並所の事
私曰人質並所と云は縦は堺目の城下の町人なとの
人質を取ては境目の城に篭め置へし本城城下
の地下人の人質をは本城の内に可籠置と云
是通法なりといへ共当流に不用之境目の城
其外取出かき上つなきことき端成には人質を
不置物也端城は大かた要害浅まにして人質なと
籠置へき郭まれなる物也縦有之と云共本城
いまた不落に端城落る事あらは其内の人質
用にたゝすめ此の損有か故に四方の人質ふ
残かり集め一所に置をよしとす但其様子に
一就事なれは口伝を受へし
四人質部の事
私曰城内人質の有所あしき時には籠城堅固
ならさる物なれは大将の居城或一二部取侍
大将他国へ働き入たる時地下侍の人質を
こめ置には城に人質郭と云を取事有み也
城制に記之か故爰には略之
五人質の事外近き所に不可置事
私曰是亦人質可置心持なり城制に出之
一鼓押向時味方の大将御心定三ケ条之事
一一数我国へ押寄するときかは敵味方の国堺に於て
無二の一戦を可仕と兼て可致心定事
私曰身方小勢なるか故に放大軍を以て押入共
又は味方大軍なりといへ共敵の弓矢剛強にして
能と我国へ押入るゝ事有共必城をはなるゝ事
はなかにして無二無三の一戦を可遂いふ心は
大軍を城下へ引請城を四方より取かこまるゝ
に於ては二度運を開と云事まれ成へし
是一大軍にて場よしの一戦を仕事不叶城へ
とぢ籠ル程ならは末々と云共堅固に城を持事は
不可叶是二城利の堅固をたのみて始終の
積をふ仕は弓矢に遠き慮なきか故なり
是三城に籠りて城を堅固に持と場よしにて
一戦を致すとは合戦も仕よし是四部の働
入時に他の国境防戦の場所を見定是にて
一戦仕り若敗軍に於ては又城根にて一戦と
二重にならしを可仕是五部は他国味方は自国に
ての合戦なれは味方所の様子に従て種々の
謀計を用るに利おほからん是六如此の徳あるか
故必定自他の国境に於て可遂一戦とは云也
建武二年新田義貞為退治尊氏鎌倉へ下向の
時高氏方の諸大将尊氏をは鎌倉に留置上杉
入道道勤細川和氏佐々木入道道誉等左馬頭
直義を大将にて数万の軍勢を引卒し敵に
難所を起しめさる已前に伊豆駿河の辺へ打出
可相支と評定し参河の矢矧迄五日路を進み出て
相戦尤矢矧鷺坂手越河原の合戦には高民
方雖為敗軍箱根竹の下両所の切所に而官軍
尽く討負終に上方迄敗北す是時関東勢
居なから大軍を鎌倉迄引かけ国境無二の防
戦なくんはいかんそ高氏全き勝利を可得哉
又親応に播州小清水合戦の時高師直同師泰雄
為大軍僅の小城松岡の城を頼にし石堂中務大輔
畠山阿波守と平場の一戦をは不遂我も〳〵と
込入て少も可働地もなく詰りける故終に
尽く落失たりと云々め此事は敵の気其強弱
を不知かゆへなり条々口伝を受へし
徳早
左傳曰天子守在四夷天子早
守在諸侯
也
也
諸侯守在四郎諸侯早守在四竟結其四援
民狎其野三務成功無内憂而又無外懼国
馬用城昔梁伯溝其公宮而民潰云云
二部大軍にて我国へ乱入に一戦遅々仕らは味方に
逆心のもの有へし可有遠慮事
私曰身方の国地へ敎働入たる時国境に於て
無二の一戦を遅々致さはみかたの弓矢は次第に
気おくれ敵はみかたを弱敷なりと其志強大に
成ゆへに味方の国地に於て心臆せる者は縁に
依て内通を仕る故或逆心無道を構てみかたの
弱りを仕出事有之一人如此時は其事繁多に
及て五人十人に成其後は家中皆身かまへに懸りて
手堅キ勝負難叶者也此所を分別遠慮有て
可被定御心なり
三時に依故に依て熊と国境の一戦を不仕事も有之也
口伝を受へし
私曰是は兵法の秘事なれは口伝残之
防戦武功十七ヶ条之事
一敦我国へ可働入に極らは四方に堅く関所を可構事
私曰数已に味方の国地へ可働入と云実説を三者
を用て無疑やうに具に聞届て後四方の道筋
放地にかたよりて往来可有所々或前後を開切
地形に堅固に関所を構置て往来出入の者を
察し敵の問者を入へからす言つは敵ゟひそかに
五間を用て未働来已前ゟ味方の内に内通を
仕る者或通り右飯伏の士を招事可有之如此の
間者は或商人に出立或町人地下人猿引さゝ
摺の類に身をやつして其国へ来る物也然に其
大将不心付して関所をも不仕往来をも不知候而
味方の弱りを仕出す事も有物なれは益日より
め斯の所に心を付割符を定無疑家老に
内談をいたし他国ゟ其国へ往来仕る者をは
割符を出して疑をはらすことく仕る時は更に
一疑後闇き事不叶物也此故に如此云なり
兵法曰政挙之日夷關折符無通其使勵於
廟廊之上介誅其事敵人開闔必亜入之先
其所愛微与之期践墨随敵外決戦事
二堺目の城と本城と間遠き時には取出を可取事
私云自国の境に於て一戦を致時境目の城の間
遠けれは急に加勢後詰仕る事不叶して不覚の
おくれを取事有又境目の城落る歟加勢後詰
敗軍して人数をあくるに其間をけれは危かる
へし去程に間遠くは其間に取出を築き音勢或
加勢の兵を籠置本城境目の城と相図の約束を
定並若堺目敗軍に於ては其城の人数を以て
全く本城へか引取と云義を兼て定可置かひ
事前方ふつ付は急に望んては仕られさる
事成へし
三地形其様子を見切可仕改事
私云地形は本より生れ付たる所にして是を仕り
改むる事は不可叶と云共人夫少々用るに於ては
又味方の利害と成所有物也兼而より心を付て
故に成味方に成様子を見切て所々を可仕改
譬は敦人数をかくすへき木立あらは切払ひ放の
可奪見切場をは地形を引て平陸とし道に
さゝわりなくは堀溝を付味方伏言を可置所には
竹木なくは是をうへて所をしくらませ散より
可見切所の間には竹木を植て是をさへきり
敵を可見切の間にさゝわる竹木あらは是を切払
所々にうたかわしき地形を致皆是敵の害を
なし味方の利をなすの法也め此の事諸事に
心を付るに於ては地形又は地形又は地形又は
合戦勝負の便とならさる事不可有之爰
には其万分の一をいふのみおして知之時は言外
の事可為多端歟
四我国へ放働入時忍を入て放驕る歟味方をいやしむる歟
其外敵の備陣取の様子に至迄可見計事
私曰押入敵は必驕安し子細は押入るゝ味方
小勢死或近辺に親類縁者の加勢後詰を可仕
もの無之故歟或大軍なれとも弱散の故成へし
押入敵は大軍歟剛散歟の両様成へし爰を以敵
こなたを侮りおもひ一旦に攻ついやすへきと一片に
心を留め始終を不考内談を不遂且四方の集り
勢なり押入るゝ味方は士卒憤りを含み幾重
にも内談をして小勢也と云共其志必一決し
其上主戦にして仕に使あり是容と主と其合戦
勝負唇然たれは兼て忍を用ひ敵の奢る歟
おこらは味方を賤しむへし此所を考其上に忍の
申ことく殿の備陣取備押に至迄を積り忍は敵
おこるといへとも備の作法行列正かと事を合せて
其首尾を見届夫に相応して弓矢を可取と
いふ義なり
昔楠正成赤坂千剱破の両所に篭りける時ひ
そかに忍を付て寄手の楠僅の小勢を以籠
城有けるを侮賤しめ士卒皆驕を専に仕
たる様子を具に聞届て切々勝利を得たる事
是皆忍を用てめ此也
五智浅き将には長取合可仕智深き将には速に
勝負を可決事
私曰寄手の大将智恵浅く万事をひとへかわに
分別し遠き慮無之時は弓矢をながく取合者也
兵法曰兵聞拙速未観攻之久也といへり云つは
兵法の道譬手段不首尾なりといへとも速に
勝を決すれは図にあたる事有謀計の巧
成事多しと云共久敷時は其内に邪魔出来
仕る事有之物なり去程に奇手知浅くは
長陣を張てみかたの国地に居程次第に士卒
に惰気出来て不意多く成行者也故に長取合
を可仕と云也又其将智恵深して思案工夫によく
徹したるに於ては其図を見切すみやかに
一戦若味方地に長陣をはらせ置は其内敵
計策を用て裏切返忠の者出来る事有
へし然に於ては後道味方の敗軍疑ふ可
有之此故に智深き将には長取合を不仕もの也
但又一様には云尽しうし難し口伝を受へし
六大敵切所を越長陣をはらば味方大に勝吉事也必其
卿談をもちひて敵の様子をはかり夜軍に可仕事
一私曰大数也といへ共切所を多く越早速合戦を不遂
して長陣をはる時は味方大吉事也子細は縦は
敵大軍にして其将ゆゝ夏共兵外に久しく陣
すれは士卒大につかれ鋭気次第に衰へて怠り
日々に出来へし是一敦自国の費広大也是二
長陣の内には味方に勝をゑらるゝ事其図多かる
へし是三久敷陣すれは将も女卒も合戦に
怠り酒宴遊興を事として敗軍の基たり
是四長陣の内には必内わに云事出来する
物なり是五大概め此の損あるか故に大軍切所を
を越長陣に於ては恩を入士卒の怠りを考其
国郷談の問者を用ひ能聞届て後に夜軍
を可仕掛必定不得勝利と云事なき物也
兵法曰勝久則鈍兵挫銃攻城則力屈矣久
暴師則国用不足夫鈍兵挫銃屈力殫貨則
諸侯乗其弊而起雖有智者不能善其後矣
七山のあかりおり河越合戦の事
私曰是は山戦河戦に出之
八地下かまりの事
私曰是亦伏戦の巻に出み
九守族相図のはたを用て廻し備の武略を可致事
私曰大軍に我居館へ押詰られ無二の防戦を可遂
所存に於ては齢を證據に致し相図の族を拵へ
小人数を以て大軍を切崩し其利を成事有是は
山林に依或在家古屋敷なとをかた取夫に
たより廻し備を用地下かまり或は竹鑓紙小旗
なとを致して敵の気を奪ひ利を得る事有之也
くわしくは伏戦山戦等の巻に出み
十見せ施の武略を可用事
侍に曰童子老人に作り於山中狩人に弓鉄炮口伝
私曰見せせせとは味方の人数小勢成時歟或味方
忽手合戦を持て危く見ゆる時或山林の中或
敵間を遠のけて此軍勢をいたし敵の気を奪
事有之云つは地下人の内にて十五以上七拾以下の
者を撰是に竹鑓紙小旗をもたせ山中の猟人に
弓鉄炮をあたへ候の将を申付味方備の後に
置時は数しまりの備かと疑て合戦不仕もの也
但是は見せせを可出しほ合数間なと相すれは
其手段悪し此故に可謹なり
四条純手合戦の時四条隆資和泉和泉紀伊両国の
野伏二万余人引具し色〳〵の旗を手〳〵に指上ケ
飯盛山へ向ひあい大旗小旗両一揆を禁へおろさで
楠を四条略へ寄させんか為の武略なりける
是等を見せせと云なり
十一我無心持はあひしらふ事なかれ相しらわるゝ事なかれ
私曰味方に子細有て教を熊とあいしらひなふる
事是は豫計有て役事なれは勿論也又数味方
をあやつりあいしらふ共夫に従て味方利可有
との所存有之はなふられて不苦也め此の心持
子細もなくしては敵をあいしらふ事も非也又故に
あいしらわるゝ事も非なり是は其心持端に
わたりて一様に非す大将工夫可有事也
十二かくれゆひを可仕事
侍曰かくれあそひを仕るには堺目の城能縄張をして
無二心侍の正義正道成をゑらみ可籠置此城は五を
ちゝめて三つ三つをちゝめて一つ口伝
私曰隠れ遊ひと云は敦我国へ働き入先味方の
堺目の城を可攻其時本城ゟ後詰を改て此武略を
用事有之云心は味方の大軍を以て敵国へ後詰
一可仕と云取沙汰を作らせて後自国の本城を
五里或十里計可働出然らは数定めて城を巻
ほくし後詰の味方へかゝるへし其時は軽く味方を
引取本城へか引入め此仕る事二三度に及は敵必
味方後詰堅固に仕事不可叶重て又後詰と
云共最前のことくたるへし相かまへて掛ル事
なかれと詮義有へし其様子を忍を入て具に
聞届味方を賤しめ驕を計て此度は是非無二の
一戦と相定め首尾をとゝのへならしを仕可働入
一鼓出は又か引取放侮て不出合は能図を見合せて
不意に可働入め此時は敵未戦已前に士卒途に
つかれおのつから一労是をかくれゆと云なり然に
かくれ遊を仕るには境目の城を堅固に縄張し
其城に籠置侍大将無二つ主君の御為を大節に
存し能弓矢の正義正道に徹したる者を
籠丁置若此大将二心あらは謀不可調弓矢の
理にふれは城を持かためて首尾図に合する事
不可叶故に如斯云なり
五をちゝめて三三をちゝめて一と云は五百蔵並へき
城には三百三百丁蔵置所には百籠並ことくに
城を小詰に可取と云事也
又曰五万籠へき城なれ共三百三百籠へき城なれ
共百にて籠りても堅固に城を持かたむへき
為なれはは此の縄張を用る共いへり委細
口伝を受へし
兵法曰偽一師至彼必皆出彼出則歸彼歸
則出師必道敝ト云々首北条氏康武州川越
に於て此手段を設給へり委細は夜戦の巻に
出之か故爰には不記之
十三枚のはたらき様にて遠ゝゑの事
私兵是は放働間敷所へ働に於ては遠く慮り
て其様子を考手立にのせられさることく
可仕と云事也
天文廿三年上杉輝虎一万三千の軍勢を卒して
犀川を打越信州筑摩川を左に見越後ゟはる
かに隔たりたる筑摩川の上虚空蔵山の城へ働キ
鼠宿迄焼働仕られける甲州勢を跡にいたされ
か此の働天の与る所也と悦て已に甲州衆跡ゟ
押詰一騎も不残可討取といさみけるを小場山城守
と云武功の足軽大将馬場美濃守を以て信玄へ
申上て制しけるは輝虎無類の名将にして今働
間敷所へ深働入事子細有へし先以御遠慮可有
之と申けるか故信玄其義に同し給ふ所に輝虎押
不行して中途ゟ引取其時馬場美濃守道に同心を付置
故地へ忍行者を生捕て其様子を尋問に武田勢
信州先方衆かくかんし余里布下和田此等輝虎へ
一内通して輝虎虚空蔵山へ働入らるゝに於ては
定て信玄跡を取切可給しからは我等其跡にて旗を
あけ前後ゟ武田勢取包一時に勝負を可決と云相図
を仕ける処に首尾相違してけると云の内通の使者
なりけると云々是名将にて働間敷所を不遠慮
のことく見せて働入熊と敵を引かけ可打の謀計也
是を敬の働様にて可有遠慮と云也
一十四歳の働様にてかさねて又可働をしる事
私云敎我国へ押入て合戦を遂る程にて手かたく
勝負を不決可仕事を仕残し可政所を不致して
引取事有之是引取て休息可仕候為なり
又敵強きか故に先手かたく引取重て無二の一戦
を可仕と存し引取事も可有故に如此云也
一十五散の様子に依て早々引取放長陣を張散見分の事
私云敵の様子に依と云は敵働入て付城をも不能等
白城をも不取小荷駄すくなして急に合戦
仕りかけは此数早々可引取と知へし押寄ると
ひとしく付城を構へ陣城をきひしくし陣屋
に念を入急に戦を不仕掛に於ては此敵必長陣と
知へしめ此に心を付て夫に応して手段を
可役か為なり
十六疑心を去へき事
伝に曰弱散の国へ小人数にて働入相戦も別放我国へ
責入るに味方小勢にて防戦を遂るも皆武略の
よき手段なり其能手立と云は大将一人の可被
定心なり心を定ると云はうたかふ心なかれと云
事也条々口伝
私云是は口伝重々有事也
十七故我国へ攻入らは諸勢付たる夜夜軍を可仕掛事
一私云是は夜戦の巻に出之
防戦場所五ヶ条之事
一勢揃の場の事
侍云大軍は必勢揃の場を定る也三分一或半是を
懸て可戦事
一私曰大軍は勢揃の場と云事有言心は譬は東国の
大名西国へ働入に其下の大名東国に有之分は
直に御大将の供奉を仕りて上洛可仕北国中国
西国なとに有之於下の衆は国地より直に放地へ
可罷向其時関東より上る軍勢も北国中国四
国ゟ馳向大名もいつくにて待合其所に於て
惣軍勢一所に集り可罷向と云の場所是を勢
一構の場と云なり大軍には定て其場所ある
物なれは此場をかねてより考其所にて能要害
の所に人数をかくし番勢を置其人数三分一
或は十万の軍勢五万計馳付たると云時分
合戦を可仕掛也是三分一或半をうつの法也
三ヶ一は不及申縦半龍着たりと云共未軍勢を
待揃へきと存る気是有か故合戦心にそま
さる者也故に如此言なり
又曰大軍計に不限味方の城下或国堺にて押寄
是又勢揃の場と云へし
たる人数を揃へ大手搦手へ手配手分を致
二おり付合戦
私曰おり付合戦と云は敵の軍勢已に味方の国境へ
押入て軍勢おち付士卒休息を成へき所を
恩を入目付を用て参聞届其様子を見はかり
兼るよりひそりに在家森林なとの内に軍勢
を隠し置散の来るとひとしく合戦を仕かくる
是をおり付合戦と云也敵槌剛散也と云とも
地形不案内にして見途をうち我国へ働き入
おち付たると存て其きさし怠る事おり付に
有之物也子細は未数国へ不働入内は士卒きあふ
物也已に味方国城へおち付ては彼所の様子をも
不知いつくに教可有も不知と其心うたかひ多し
是一長途のつかれ道にては不出国地へ往付ては
次第に怠りつかれ出来もの也是二おち付たると
存する故に心安堵して油断有之是三皆是
打るへき時節しほ合なれは此節合戦を
仕懸へしと云也
又曰おり付と云は国城計に不限国境ゟ押入て
味方城下へ初て押寄たる時節是をもおり付と
云なりめ此事は必一様に不可心得と云り
三数味方の国へ攻入陣取所を可考
私云地形はおほふて是をかくす事不叶見る時は
必しる爰を以兼而より敵我国へ押入て可陣取
所はいつくか成と云事を考へ積りその時いづくゟ
人数を出して数を追拂へしと云の武略を可
設なり云心は陳取時には離兵入乱れ陣具諸道
くを取みたし花其備鳴わたる物なり敵
敗軍の時節なれは此場を可討と云なり
四散の備の備の押来る場に於て其備の間を考施る
翻乱する所を可打事
私曰敵の我国へ可押入道筋并城下へおり付の
場より押寄る時其備押あしくして或二行に
押行歟或備を畳て押入と云共其作法の
みたりなる時旌旗龍乱としてその備もめわけ
もなくなるこゑきこえ人馬共にさわかば逢て
可討之なり不勝と云事なし備の間を可考と
云は二行に押来る備は敵に逢て急に
人数を設る時一二の間遠きものなり一二の間
遠けれは陰陽の合戦を持事不叶物也又備を
畳ておす共其間の様子を考右も左もす
くふ事ならす前も後も救ふ事不叶是備
問に徳事なれはめひ云なり
五三の場所の事
私云三の場所と云は第一に陣取場第二備之場
第三合戦の場右之三色の場所をかねて可
心付と云義なり口伝
大勢小勢を不論不意に懸て可勿崩散廿四ケ条之事
一疾風甚雨大寒の時分風雨の利に背き切所険難
を不憚押来散之事
兵法曰疾風大寒此以隆冬盛寒興師者也
時方盛寒驅士卒遠渉不習水土而敗於周
瑜之時也加以卑興寤迂割氷済水不畏難
難則其士卒必労故可與戰
又曰大風大雨者所以搏前擒後也注大風
甚雨則天地晦冥之際敵人必不能相乃故
可以搏前而擒後也魏大武因風雨外征赫
連太宗因天雨甚以先突厥此因風雨而臥
代人也
二敵の人数に新手始てかり未手分手配なき所を
可討事
兵法曰敵人新集可打注此則因其始至而
撃之也陳慶之克魏也嘗以未集而勝之矣
三盛夏亥天の時分透もなく走り来リ遠路を押来ル故の事
兵法曰盛夏炎熱暴興無間行駆飢渇務於
取遠往此外盛夏之際而興師也況以図興
無間行駆飢渇務於取遠則士卒火労百
四陣をはる事久敷して粮米漸尽薪畠すくなく
軍にたすけの勢なくして不得止して又退かぬる
敵の事
兵法曰師既淹久粮食無有百姓怒怨妖祥
数起上不能止
又曰軍資既竭薪艸既募天多陰雨欲掠無
所誰師既淹久根食無有其老師費財可知
矣加之百姓怨怒而下無以得人之心敢詳
数起而上無以当天之意為之上者有所不
能知此不敗何為其可與戰也必矣軍資既
竭則無以給軍食薪舅既寡則無外給樵蘓
如外天多陰雨欲掠無所故可與戰
五人馬共に長途のつかれをいとわんとし末兵粮を用さる
所を可打事
兵法曰人馬未食可打則因其未修備而打
之也
六堂とへは兵粮をつかふ共未備を不設時は可整事
兵法曰既食未設備可打此如羅之役楚師
亂次以濟而爲羅所敗是也
七軍勢不多水地不利して或道を遠く来り或日暮に及て士卒
してつかれ甲をぬき鞍をおろして休せんとする敵の事
兵法曰徒不衆水地不利人馬疾疫四鄰不
至道遠日暮士衆労懼倦而未食解甲而息
注師衆不多則其兵寡也水地不利則不得
地利也人馬疾疫則失時也四鄰不至則無
援也云云
八天地の利にさかひ其時を失する敵の事
兵法曰天時不順可打地利不得可撃
九士卒しは〳〵怠り将いましめす兵ふ守敵の事
兵法曰不戒則無備者也故可撃李靖之討
蕭銑以其無備也
十将の威軽くして士卒軍法を不用陣取堅からす
三軍駭て備なりわたる敵の事
兵法曰将薄吏輕士卒不固三軍教驚師徒
無助法将薄吏輕士卒不固此則上不能以
制下也故三軍数驚則其心必疑師徒無助
則其勢必孤故又可撃
十一士卒しは〳〵顧て兵近む心無之は可撃之事
兵法曰兵馬数顧一可打十云云
十二陣所いまた不定行列不宜或坂を行けわしきを
しのいて半かくれ半出たる故の事
兵法曰陳而未定舎而未定舎而未畢行後半隱
半出往陳必欲其定今而未定舎必欲其畢
今而舎未畢行山阪渉險阻半隠半出其師
不相続也是又可撃
十三人数の行列乱て上下混雑し者頭物奉行しきりに
下知を加へは可撃之事
兵法曰乱行可撃注乱行則無統云云
一古放人初て我国へ来る時土卒心定らさるを可軽事
同同十十日其法曰敵人遠來新至可撃
十五族於はんらんし陰陽の備なく一重かわにしたる敵の事
兵法曰敵人之来蕩々無慮則其軍為安進
也旌旗煩乱則其衆為無統也
十六数のおし入所切所成歟或道狭き歟或所にふけ池等
有て敵の人馬おそるゝ体あるを討事
兵法曰阻難狹路可撃
十七士卒四方に奔走して不暇を可撃事
兵法曰不暇則人煩故可撃
十八部の押入所切所にして長途をうち士恋つかるれとも
猶すゝみ行事不息散を可存候事
兵法曰渉長路則人困故可討
十九備尊御わき女卒そゝろに立て四方に目を顕教を可む候事
兵法曰驚駭則無戦心故因其驚駭而撃之
則易雖一可打十
廿備をすゝめんとすれは士卒臆して不進退かんこすれは
又衆義まち〳〵にしてあへて不退散の事
兵法曰三軍白々欲前不能欲去不敢以半
撃倍百戦不危
廿一将と士卒と不和は可撃之事
兵法曰将離士卒可撃
廿二敵の軍勢つかれ草臥て味方の人数は安んし
不労は可打事
兵法曰疲労則倦故可打
廿三人数小勢にして備静ならは可打之事
兵法曰凡戰撃其微静避其強静注微而静
則急惰而無備非眞静也故撃之若強而静
則法令明士卒服此員静也故避之
廿四歳の士卒大におそるゝを可数手事
注
兵法曰撃其大懼避其小懼注大懼則一軍一
悉懼故可撃小懼則必知謹備故避之
六韜云心怖可撃
敵の引取をくひとむへき作法七ヶ条之事
一あひしらい勢の事
私云あひしらひ勢と云は或教を引出さん為歟或
数をあいしらい日暮に及はしめんとおもふ歟或
引取放をあいしらふ歟或味方の筒勢を待時に
設をあいしらふ皆是をあいしらい勢と云なり
此軍勢は大軍にては軽く進退仕り悪し此故に
或二手或三手計にて備て押へつかけつ又戦を
もたすあいしらふなり云心はあいしらい勢は
直にかゝつて合戦を持勢にあらす一二三の備を
立敵引んとせは一軍を進て是を喰留へし
敵かゝらんとせは則備を軽くあけて二軍に
戦を軽く持せ其中に先軍の引たる士卒を
立直して三番に備へ放又引んとせは又備を
進てしとふ其しほ合のみたれさることく幾度も
可致其内に味方の筒勢続左手段の首尾調は
則合戦を可仕なりめ此進退軽きか故大軍
を以は自由に致されされされされさ
二部に可付心持之事
私兵部に付心持と云は喰とめ敵に付時は戦を不持
して教のかんとせはかゝり敵かへさは留りて道に
程をへさせ敵をつからかして勝を得へし必
一旦に勝負不可仕なり
三付時合戦を持へきしほ合の事
私云是は口伝なれは委細残之
四送り付にはけいきはかりに可仕事
私曰送り付に付と云は敵の引取を必定合戦を
可持にはあらすわさとけいき計に可付けいきに
付には荒く敵をあてゝ軽く引取もの也引取て
敵の族先見ゆる内は備を不乱もの也
一五他国勢地形不案内なるには村在家ゟあそこ
爰へ出て可付事
六部備不退は不可付事
私曰前後の備厚して後備しまりをは不退前
脇計を引は備を崩して不可追戦を持散也
餌兵勿食ト云是なり
十一
七二筋三筋に退散一所に集らは戦を持敵也不可付事
私曰味方に急につけられて一所に集る教也
かならす不可附と云々
二月廿一日
狩田
戦律第五
一兵法神武雄備集戦律第五守城上
〇
兵法神武雄備集戰律第五
守城上目録
一籠城の大将兼て丁遠慮六ヶ條之事
一籠城の大将兼而可存十八ヶ条之事
一城を寺の作法武功廿七ヶ条之事
兵法神武雄備集戰律第五
守城上又号守戦
籠城の大将兼て可遠慮六ヶ条之事
一籠城を遂て大軍を引請るに於ては無事に不可致和談に及時は
蔵蔵城の方負たるへし一尋将者は兼て此所を可存究事
私曰守ル者は其きさし陰にかくれ攻ル者は其勢陽に開く陰に
閉ル者は人にかこまれ陽にひらく者は人を開むかこまなしと
かこむと其機可為各別かこまるゝ共其将知謀に依て
一奇手を大に脳す地利の要害をかまへ堅固の泥地を便と
して是を守れは也地利の安害を捨て外に徳を求めんと
せはいかんそ勝利を得へけん故に国持たる主将城に籠[ル]に於ては
必無事を不可仕和談になれは城主の利少きとの也爰を分別
致し心を一定に決して籠城可然と云義なり
二至終篭城を不叶遂事畢而可為降参奥意あらは前方可従於下事
私公心不定時には士卒不調士卒不調時はいかんそ堅固に籠
城を可遂哉兼而城にこもる者奇手急に責城の運
開きかたくんは降参仕へしと所存をかたむるに於ては
諸兵尽く信実の忠を尽したる働不可有爰
を以めね云なり
三篭城して大軍にまりなゝ上は負は必可切腹に可思定事
兵法曰不果則畏何介殺敵云云あらかしめ
かひの所存をきわむれは其部に重て心不動
中くすゝしきものなり
一四城を壱事五里三里にして堅固に防戦を可遂と
いふ奥意を兼て可定事
私曰大軍を引請て篭城可仕大将運を開事希也
たま〳〵運を開く事有共或近国の味方を以後
詰を請其力に依て役も有或降参を遂て於下
となり或和談を以無事に成事多し然共
良将城に篭る時は謀計をめくらす事其術品々
あるへけれは必城に籠るの将運不開共不可言也
去程に兼てより内談を調城をはなるゝ事五里三里
にして要害の場所を見立敵を不意に引かけ必定
無二無三に一戦の勝負を可決若此戦利不有して
於敗軍は則其軍兵を城へ入て又地の利に依て
堅固の戦を可遂しからは鼓を二度堅固につからかし
所々につかれしめて重而の合戦の利と成術有へし
と云事を兼て可思定となり
五篭城の大将は城を堅固に持計をよしとせさる事
私曰城中に然る兵士は守る事を好て戦事を不好
守るは安く戦は労るか故なり御れは篭城仕
ては城を堅く持計を吉と云には非す守ルと云共
時節生時は兵を外に出して一戦の利を可得と
云事を常々心に不可忘
兵法曰守禦己得当出奇用誕介戰代守云云
尉繚子曰不制於地
六籠城して大軍を引請可遂防戦様は大軍我国へ入
防戦にひとしき事
私曰防戦の義別書に記みか故に爰には略み
籠城の大将兼て可存知十八ヶ条之事
一城内虎口〳〵堅く番を申付外ゟ入所の非常の商人
勧進修行者出家町人を不可入事
私曰城に可籠所存相極り敵方へ其聞之有て後には
一敵謀計を廻らし無二心知謀の勇士を他国へ
往来の商人勧進修行者なとの体に出立とて身
方の国地へ差越国の様子所の案内を聞或城内へ
入て数の様子を見する事も有物なり城主弓
矢の法に不達時はめ此事は不達して敵の手立
にのせらるゝ義古今其様多き事なり
元弘二年四月楠正成赤坂城を可攻取所存有みて
恩地左近太郎を潜に忍に交て遣す恩地元来智勇
共に備りたる者なれは人社見知らめと思ひ古我
領内に猿を廻ヌ八郎大夫と云者あるに猿をひかせ
こは歩に成黒米粥なと取入たる物を荷り髭をそり
捨て衣布のわけも見えさるをつゞり着て菅の
小笠に蓑かたけ笠引込て彼猿廻しに付て白昼に
城中へ入爰かしこにて猿を廻す程に城内の構
人数の分限を右様に見済して帰りけると云々めひ
の忍ひを入られて城の様子をはからるゝ事
将の愚なるに依事なり
二敦来て可見切地形あらは公を引間に竹木を植る事有之へし
私曰放来て必爰を見切所と定城中を見おろす
へき歟又は陳取なとをも可仕よき地の形粧にし
てしかも高山絶頂に非んは人夫少々用て地形の
ひかるへきに於ては損徳を積り兼てゟ人夫の
新衆を出し公を引かせ地形をさゝへへしか此
事は一片に計不可取也間に竹木を植ると云は城の
外に見切所有て其地形を引事も不叶それへ
登て見れは此郭の中見ゆるか故に成の為
うかさきと存る所をは城内に竹木を植屋敷
を割与へて家を造り是をしとむへし
是又兼て可心付事共也
三御わり有て内ゟ見切られ。さ候所の木立を可伐払事
私云城内の高みより見切に竹木の高みさゝわりて
先を見る事不叶所ある物なり城内ゟ見切事不叶は
一旁手是を便として兵を隠す物成かに兼て
見積さ様の所の竹木の高みをは可除み也
四城外五町十町の間に有竹木をは不残丁切払事
私曰城内の高みゟ見隠す所は不及申城の外屏向
土居端堀際堀向の召城なとに竹木多く可有之
如此所兼て心を付可切払云心は寄手竹木を取て
陳具とし或是を楯に致して仕奇を仕る事有之
或又堀際屏下へ寄手人数をくりかゝる共是を
かた取て乗かくへし又は城内の矢窓ゟ打出し
射出す弓鉄砲是を除んとする時は僅の違なれ共
先の目当大に違物なり殊に石弓逆茂木を落共
此竹木にさゝわつて心の侭成事なしかひ損徳を
考て外の竹木を可切払と云なり
昔或大将籠城してける時寄手一度にかつき連て
城の堀際へ寄ル時城中ゟ射手を勝り是を射漂
泊せしめんとす然に此城堀際へ付て小篠藪一村
有けるを寄手楯に取て是にかい楯をつき
並集り居ける故に射手共手をつかねせん方
なかりけると云々僅の竹藪なりと云共敵は
徳多ク味方は損多し是皆城主の兼て心
付と不付とに依へし
五城外敵の用水たるへき井なとには不浄を可投入事
私曰水大一日なき時には人の力尽気労す縦有之と
一共陣屋ゟ間を隔たる所遠き時には士卒
渇す然者とて急に陣々に井を掘水をたゝへんも
早速用水とは難成かるへし爰を以放来て
用水とすへき所陣屋を掛へき処ちかき井水
には不浄塵を入て水急に用水たらさることく
に可仕なり
古人云城外の水には鶴毒を入へし是不浄
塵をふ入して清水のことく見せ飲み時は則
死することくせり去共あなかちに鶴毒を入お
かんも却而味方の損可有歟兵法曰凡井
中有泉皆投毒薬云云
六城外に有所の八木塩草薪木畳薦等不残城内に可入事
私曰兵法曰至木石磚瓦英畠饌糧畜牧与
居民什器盡徙入城内徒不逮者焚之云云云
云心は城外に残所の民間在家なとの畳こもまて
尽く城中へ可入子細は是を捨置時には皆設の
用具と成城に有之時は急の時古畳古こもに
火を付て風上より下へ投おろし或不浄を包て
敵方へ投入るゝことき徳多し若取入る事不叶
時は一所に積て是を可焼なり
七くす屋并家々の筧屏等の事は別巻に出之か故に
爰には不記み
八城外近き田地あへ不残水を丁掛事
一私曰城下足場悪敷時には熊引自由なし浜陣屋を
懸城を攻共其障りたからしめんか為なり去程に
城外の田地等へも不残水を掛入足入を出来せしめ
熊と足懸りの場を仕所々に田切渥なとの有
ことく故に見せ陣屋を掛備を可役所に度を
失しめんか為也是又田地等に不限道をたち堀
切を入て往来を悩すことく致とは城内便と成て
敵の損と成へきか故兼て心を可付なり
延元二年名越尾張守高経越前河合庄足羽の城に
一備籠けるを新田義貞三万余の兵を以て可被攻
企を聞て高経僅に三百騎にて此かこみを得は
千に一も勝事を不可得只偏に打死を志て
城をかたくするより外の道や可有とて深田に
わたと水をかけ入馬の足も立ぬやうに拵足入を
設て其内に七の城を拵へ放攻働は互に力を合て
後へ廻りあふやうに構たると云々其所に依て
用る武略一様に有へからす可心付なり
九馬を多くふ入ものなる事
私曰籠城の時馬を多く城内へ入置事兼而城主可
心付事也城へ不入前に国境の広場に於て一戦を
遂るには馬なくてはかけ引ふり由といへ共既に城
中へ入ては防戦まれ也尤小口〳〵に於て小迫合有之
といへ共是又馬を用るに不及太程に馬を多く不
可入立根用水の費夥し但其分限に相応
して曽而不可入と云にはあらす平場かけ合の
合戦と同意に不可心得と云儀なり
又曰兵粮に詰りたる時馬を食とする事可有也
然者入て不苦といへり是又良将の不好事也
馬に兵粮をついやして又馬を食するは大成弐度
一遠慮と云批判可有之
源義貞金崎籠城の時城中の兵一千余人同馬
百三拾余疋米弐千石余大豆八百余石篭置是に而は
十月の始ゟ四五月迄粮は有なんと積りしに十月
の末より米粮手薄く成て正月の末には狼忽に
つき次第〳〵に馬を殺し食とす終に落城し
けりと云々着食を以馬にあたへす馬を多く不入は
かくは有ましきと心有人は兵あへりとそ
十城内に於て縦は非番たりと云共不帯甲冑不持
兵具而不可往来事
私曰兵はつゝしむを以勝とす点を以負とす将僅に
怠れは士卒大に油断有此故にめひ可相謹也
十一城内にて諸手俄に騒く事不有之かごとく可致仕法
私曰古卒俄に御わく時は其城必危し故にさわかさる
ことく可仕と云なり其作法口伝残之
十三敵方ゟ内通の者を招過分の恩賞可宛行なと云事
可有之候様の事慥成証文於有之は潜に大将へ可
申通しからは本意の砌其一倍を可宛行と兼日に
法を可相定事
私曰裏かへり逆心を致し敵へ内通返忠を致と
云は其源皆欲より出る事也去程に給ひの法を
急度可相定なり
十三諸手の内天文軍気を能弁へ知たる兵有之は将へ
可申達事
私曰天文を以て吉日良辰を考軍気を以て
合戦の吉凶を未顕に察することく成兵有之は
早将へ可申達必吉凶を諸軍と談せしむへからす
其人に依て妖怪怪異を言て人の心を惑し
城のよわりを仕出す事多し故にかたく可禁
其説人と語らしむへからす将其人の気量を
察し或用或可捨之と云心なり
兵法曰凡有撓星気術数之人悉収隷官府
不得與他人竊語乃禁論説怪異外惑衆心云々
十四水はしき同消者の鉄砲楯所々に可有之事
私云敎火箭を用て焼之事可有之か為兼て
め此の用意をすへしと云なり
十五城内火事の時の作法兼て可申付事
私云城内の火事と云は敵の火矢を留かねて焼立
事有之尤陣内の自火は或寄手よりの類火なと
有之如此節は数必城下へ急に付て俄責に役事可
有之故に持口の衆少も備を不乱能堅守火をは
遊言を用て可消之別手削陣必欠合へからす是一
声を立る事なかれ是二人多く屋の上へ不可登外ゟ
うたるゝものなり是三たとへ数へ内通の者有て
如此致共城内さわがすんは危事不可有是四焼る
所の前後にしまりの備有て往来の者をかたむへし
是五焼分所の小屋の人数は兼而定る所の集り所に
可徳是六焼る所数近くならは別軍を以て持口を
かたむへし是七此外火攻に出之何茂兵法の大事
なれは外に洩す事なかれ
十六米粮塩噌炭薪いつれも奉行を以所を定勝手
次第可渡候事
私曰奉行を用ひ郭の勝手成所に場を定目付
横目を加て渡之事古法を可相守也
十七門をひしき宜きことく兼て可遠慮事
私曰士卒門際へかたく付て跡に筒勢有之は
急成時に門ひらきにくき物なり故に兼てより
作頭を不乱門ひらき宜きことく可仕也門の作法は
城制に出之
十八当座には生木を以屏柵に可仕事
私曰生には其性新敷して用るに強し故に或屏の
下地或柵木なとに可用心得干要れり
籠城仕て城を守る武功廿七ヶ条之事
一兵粮
私曰兵粮不如意にしては堅固に篭城可仕様なし
爰を以第一に是を挙るなり
二用水
私曰用水の事兵粮についで大節とす平城には用
水沢山成物なりと云共又塵落不浄隠し流
水槽なとを用て猶水を丈夫にすへし殊に山城には
水不足成か故に水のたんぬいたすることく可仕然に
山には其地形に依て深山幽谷に称する水も可有之
其若の下より滴ル水も有物なり左様の水は
一日一夜に何程したゝると云事を考て誠に籠
人数に依て有余不足を可積必外の用水を
嫌ふなり麓に有之用水は縄張を用ひて山へ
山へ取事有之其上水不足の城并山城にては一人に
水壱升を用て用水とすへし一日壱升にては
少不足あるへけれは十人組五人組を致水を可
渡是にて一日の用水をよしとす山城へは水舟
を作り水をたゝへ筧を以天水を待何茂底を
真土にてぬるへし水の性不可損か為なり
楠正成千破剣に篭城の時米を洗たる水にて手足を
洗り其水を馬に飼又は舟に雑水を溜て火矢を可
消と法を出せり諸事如此可心付事也
三弓鉄砲玉薬一二之部勝手宜所に丈夫に可詰置事
私曰凡遠をうつには鉄砲進を射には弓と定置事
古法なり遠を防かされは敦おとすにたらす近を
不守は急を防に便なし爰を以弓鉄砲を本
二三の郭勝手宜き所を見立可置也是手つかひ
を肝要とする也城持は不断鉄を数千斤置て
矢の根をうたせ塩硝雄黄を詰灰をやかせ
鉛を数千斤たくわへて並是篭城堅固の
為の用意なり
四さまを飾ル事
私曰矢窓をかさると云は城外の寄手は城内を見切て
鉄炮を放事不自由か故にさまに目を付てさまゟ
見えたる人影をうつしかれはとて御まを不断
閉ては不被置か故に縦はさまを開て置共外ゟ
見えするさることく拵ル是を失窓を飾ると云なり
其法さまを去事一間にして竹木を茂く植る類
或さまを覆ひて竹木の枝葉かたし可置め此時は
外より見えすかさる物なりと云々
五屏をかさる事
私云是は矢窓を飾ると云には各別なり守則有
余と云て城に籠ては寄手に城内美々敷諸事
沢山なりと云ことくけいきを見すれは奇手気
おくるゝ物なりされは城内屏裏を請取て
守護仕所の武士共面々の小験於を屏をすこし
退て飾る是を屏を飾る共城を飾る共云也
但城に依大将の心持に依てかさらさる事
も可有之口伝
大城廻りの橋引ふ引事
私曰城内より寄手の陣へ出る所の虎口にある
橋を引とふ引と其心持有縦此に口縄張あしく
て内より人数を出すに其様可有歟或故急に
付たる時左右に横矢の払もなく可破と存
小口の橋をは可引なり但又其小口の大将心持に
可有事也或又左右の横矢丈夫にして敵縦門
際へ付共払に便宜歟或夜打夜軍を可仕歟
或木戸を開て突出寄手を可払所存有之は不可
引と云又曰いつれの小口の橋をも不可引子細は
城ゟ突て出度事其しほ合切々可有之是一
放城ゟ味方出へきと存せは慎事ふかし日夜
慎時は又怠りも可有之故に其節夜討可然
是二籠城こに陰なり橋を引小口を留れは
陰の陰なり是三小口橋あれは故小口を志して
四月廿一日より乗んとせす是四出入共に心にまかす是五
此徳多きか故不可引と云なり
七人に物いわすへからさる事
私曰城内しつまる時は寄手便を得て謀を設る事
不可有往古より城内志つまりて城主利を得たる
事多し第一に物こし高からされは城内伺れす
第二に言説外に聞ゆれは内の作法却てしらる
へし第三に城内しつまれは寄手図一旦に城へ
付別の手段をも不設もやすく取事有之
如此徳あるか故なり
八寄手城を巻時士卒をさわかすへからさる事
私曰城下へ敵押寄たる時に士卒さわく時は未
国にあたらさるに城ゟ突て出散にきほひをとら
るゝ事有之或又弓漬炮を放て費をなす事も
有之是皆篭城の最初後道の分別も無之して
放珍らしく事をなすか故也爰を以兼てゟ大将其
作法を定め置て放城下へ付たる共必城中少も
さわかす敵の様子を可伺若敬に是に利を得て
心はやり法を背いて一旦に屏裏へつかんと色めく
歟或城を侮て作す猥かわしく寄るとひとしく
備をも不設或兵粮をつかひ陣屋をかけて其体
懈らは其様子を能々考て其故に早く其変に
応するの謀を可役必奥意を不定若者共の
心の侭成働を致さすへからす
九軍兵を走り廻らすへからさる事
私云城内を往来仕る軍は足早成を嫌へり
第一に持口をかたむる所の備脇ゟ破立て如此なるかと
云疑有之第二に人足いそかしけれは女童の類
并心臆せる軍兵気を失物也第三に外ゟ見え
すく歟又は城中に聞えて放是を察する事
有之如此の損徳を考へし
十人質可置心持之事
私云城内に籠る所の兵の人質として妻条親類
縁者を城に置事有之さ様の時には城の内にても
外へ遠き所尤内の往来にさゝわらさる所の様を
見繕て一所に篭置へし人質を可預者は能武士
の無二心大将のしたしき者を心安丁付置若内の
は外へ心を通して妻子を盗出さんとする歟或
士卒妻子の方へ切々往来仕る歟なとゝ言事を
見届て是を改へし必定此城落は則差殺して
壱人も外へ不出ことく可仕是城内に人質を置
法也人質不慥る国の大事を不可談謀外へ
洩て大にあしゝと云なり
又曰其城の様子に依て城内へ女を不入妻子等の
人質を城の外別所によき所を見すまし無二心
兵を指添て並物也是是良将にあらすんは設け
かたき事也
楠正成元弘に赤坂千破剱に籠城致ける時
軍勢共の妻子をは賀名生の奥観心寺と云て
拳を通る山伏ならては人居無之所に軍勢一
千余騎を相添深く忍て並舎弟七郎正氏和田
三郎忍地左衛門志貴右衛門沢辺五郎等を置て是を
一令守護と云り
十一所に依て大かまりの武略を可用事
私云大かまりと云は寄手懸る城へ押寄ると云事を前方
より忍目付等の間者を入具に其様子を聞届城を去
事十五町廿町を隔てゝ究竟の要害有之て人数
を隠し可置場所を見立城内と相図約束を定置
一敵の不寄来方ゟ能馬武者に足軽の兵少々指加へ
隠し置是を大かまりと云然るに寄手是をは
夢にも不知押寄とひとしく近辺に陣を取人数を
進め一片に城を攻落さんと計気を励メ時分
しほ合を相図にて大かまりに通し一時に数の跡に
突て可出寄手是を見てすはや後詰の兵哉と
前陣しは〳〵跡を顧て士卒漸乱るゝ所を城ゟ
木戸を払て突て可出しからは寄手前後に度を
失ひて必敗軍すへし是を大かまりの武略と
云也しかはあれと所に要害無之時は難用武略也
楠正成赤坂に篭城の時正成兼て謀をとらし究
竟の射手を勝り二百余騎城に篭昼三百余騎
一舎弟七郎和田五郎を大将として餘所の山に隠し
置たり寄手是を不知心を一片に取て只一操に
もみ落さんと同時に皆四方の切岸の下迄着たり
けるを櫓のさま屏裏ゟ指詰引詰鏃をさゝへて射
ける間寄手少攻あくみて暫ためしふ所を以前に
隠置たる所の和田楠三百余騎閣の声をあけて
奇手の後より雲霞のことく押寄る音手驚て陣
をなしかね猶予する所へ又中より三の木戸を開て
弐百余人打て出散々に射ける間寄手大勢なりと
いへ共前後の設にかけ立られ終に敗軍す是を
大かまりの武略と云へし
十二城の小口〳〵に相図の旗を立置へき事
礼曰虎口〳〵持口毎よかねて相図の約束を定たる
旗を可立置但地形卑下にして四方ゟ見切事不叶
ことく成所には不可立置本城は不及申居〳〵ゟ慥に
可見切櫓等に証拠於を立置寄手急に攻る歟
或其持口に違変の子細有歟或其縄張の様子に
依て此小口破な候時は此手を守軍勢引かぬへき
所なとに右の約束を致置本陣へ告て加勢を請
人数をくり出すに其疑さらに無之如く可致
兵法曰毎将各設四表賊来近顰一表賊至
城則挙二表賊登城則挙三表賊挙女墻則
奉四表夜則加燭於表上虞候戦隊視挙表
処急援云云
十三本城に四方へ相図の施有口伝秘事なれは口伝残之
一両城外の四方を伺ふ処可有事
私曰わさと城中に土居を高く築て其上に登ル
時は城外の寄手の様子を不残伺ふる或櫓柄構
を高くして四方さゝわりなく見切を役所可有物也
十五指物をさゝすへからさる事
私曰城に篭る者も所に依て相印の為指物を
さす事有之然共城の様子に依て屏裏なとを
往来致し土居早き所なとを往行役には指物
外へ見ゆへししからは敦是をはかりて鉄炮なとを放ツ
事も可有其上人の往来の様子外へ見ゆれは
城内の働き見えけあしゝ此故に笠印袖験計を
付なり但城外へ出て働くには各別たるへし
真所々に石灰不浄こぬかなとの類か為用意事
云心は篭城のは具弓鉄砲にしくはなし然共又弓
鉄砲不被用時節有物なり子細は五間拾間廿間の
内外にては数を間近くねらいて可打之已に
五間より内にては数間近く成か故に弓鉄炮うろ
たへ打にしてあたりかぬへし其上足軽も
屏下へ急に付たる時兵を拂には不叶か故に
さ様の時灰を器に入或粉糠に火を付風に
随て発する也屏下の兵少も上を見上る事
不叶四方朦朧として見分かたし其時屏
扣へにとて石をかゝへ目の下に見おろして可打
利を不得と云事なし或不浄を桧杓に汲て
おかしかけ火を下へゆきなと致す時は放屏を
乗事ふけ也
楠正成赤坂にて熱湯を汲て軍兵にかけ砂を煮て
放へまけりと云々爰を以放手をやき足をこがし
鎧の透間ゟ肌に入て身を悩せりと云々其品替れ
りと立設る所の謀計は其術一なり
武書大全曰如賊已向城壮士皆援立牌以
自障城上以総旗誕為颱使敵人仰堅城上
即順風吹◆糠粃石灰味其眼目次用金斗
猛火油漉投之放弓弩火毬火鷂火箭射之
以糞砲汚砕石打之云云
十七外ゟ見こまば可為堀内道事
私云城外ゟ見込所有之は或地形を引或堀内
道を付へし其法城制の巻に出之
十八虎足付故横矢の払様可有之事
云心は故小口へ付て一度に城へ乗込んと惣勢を
招かは花小口へ付たる敵をは持口の衆に防かせて
左右の横郭ゟか或升形ゟ歟筒勢の績を丁打切
子細は虎口へ付所の兵士は僅也其上其兵を五拾
三拾打たり共跡ゟ続勢大軍にて一揆にもみ入は
其口不破と云事なし爰を以跡をしきる時は小口へ
付たる兵少計にては虎口不破もの也
一十九夜中に虎足付敵を払へき様の事
私曰夜中にひそかに虎足放付事有之左様の時必
門をたやすく不可開花付入可有此故に投続松を
沢山外へ投出し敵の様子左右のさまゟ見すかして
積矢を可用たとへ内ゟ出て迫合有之とも
なけ続松可然なり
又曰遠くへなくる投松明には石突をして向へ
なけて立ことく致事も有之又は常の続松を
いくつも投る事も有之なり
廿城内忠節志幼の手柄走廻り有之武士には当座の
引出物可有之事
一私曰昔新田義貞越前金崎に篭城の時家子即等
の内にて抜出たる右を仕勝たる走廻り仕る者
あれは運を開き本意を遂てこそ此賞をは
施さめとて上下共に其品に相応せる当座の
引出物はなかりけると云々凡人の忠を尽し功を
一月十五月は名と云は名と利との二つに不造名を以是を
恥しめ利を以導かは上下共に懈る事は不可有
義貞本意を遂てこそといへる事御も可有
事なれともいつを期と究むへからさる篭成に
め此の下知にては兵の心可屈忠を尽さんといふ
志も可怠爰を以当座に其品応したる引出物
何に不依是を充行て其上中下の品に相応せし
むれは其けいさむものなり
廿一引出物之儀金銀太刀等可為勿論事
私曰楠正成千破剣に籠城の時自身夜廻りを仕
りて書を不怠者には米をあたへて賞之下
部には壱升弐升三升家子即等には五升壱斗を
附与ヲ是を酒代と号すと云々楠は中古の名将
たりと云共如此失あり可心付事也凡篭城の時は
僅も米粮の不減ことくいたつら成費に不成様に
一仕る義干要なり金銀の類太刀刀なとは籠城の
大将詰りて用に不立籠別所の諸兵は是を得て
悦事米を得たるとひとしからす可致喜悦兵
根を沢山なりと存すれは喰ましき時も食を
過し上戸は酒を多く作りて酒興を催す物也
如此の損なからしめんか為にかく云也
廿一月廿一日芝散金堀を入て可聞事
私曰山城には所に依て寄手金堀を入て土
居を握崩す事可有也或はひそかに忍て金堀を
遠前ゟ入せなと致事有之是山城にての事也
一教土居を掘崩さは鉄砲の薬を黒に入て火箭を
射かけ或ほうろく火箭なとを可用又忍の
一金堀へは城中よりも間堀を入て金堀の丁入
所の様子を聞せ金堀来る所あらは鉄砲の薬を
埋て火を付是を可令刎散也
兵法曰賊為地道来攻則為地聴候其来方
穿共攻之以霹靂大毬雑兵等害之賊附高
穴城則縋遊火箱灼之云云
廿三埋草払様之事
私曰埋草を払事山城のから堀には城ゟ穴を堀て
鉄炮楯をいたし埋草を可取其上埋草多く入時は
油を水はじきにてさくりかけ続松を投込
是を可焼平城の埋草も水際をはなれて
後は火箭投松明ほうろく火矢なとを入て
是を焼払へし
兵法曰賊若填壕則為火薬鞭箭以射焚其
一勿菜機械云々
廿四代年可払武功之事
私曰奇手竹把を急に城際へ付んとせは城内ゟ
足軽の兵を出し馬上の軍兵少々指添竹把払
を以上の手柄と定め若殿是を払はせしと
人数を出さは別兵を以是を押へ竹枕不残引捨
しむへし是を竹把崩メ役人と可号能々可受口伝
今川氏真家に岡部右衛門と云者武功の弓取にて武田
信玄駿州江発向の時武田方穴山手へ竹地崩と
云役人を出して是を崩させたりと云々
一今案竹把崩と云事籠城の方縦一把崩たりと云共
城ゟ竹把を崩たりと云時は其蔵大につよし爰を以
竹把崩役人は刀脇指をさゝせすして可押出是又心を
一偏に致さしめんか為也給ひ事万事に心得有へし
廿五人敷籠城には人の気を損する物也
私土城に役詰のたすけもなく外ゟの援無之時は寄手は
日々に強く成城内は軍勢次第〳〵に心労れけおくれてはか〳〵敷
一合戦なと仕る事一度もならず縦は戦と云共千に一も
理なき物也城内め此時はひそかに敵方へ内通仕る者
出来して必定其成計策の為に取ひしかるゝ物也
大将かねてめひ事共を考人数の気根をはかり
士卒いまた退屋不仕内に放の費を見て一戦を遂無二
無三の働を致さは立所に利を得る事有へしめ此図を
はづしていつ迄共無之籠居城の落ルを待て
有之は大成あやまり也
新田義貞越前金崎に籠城し立杉の壱日を待て
終に本意を遂る一戦もなく終に落城せるか
ことし将の工夫可有所なり
其城中ゟ人数を出時分の事
私云云心は城中ゟ突て可出時分第一に放のおり付
第二に放二行に城際迄押来る時分第三に城内
大事のまきれ第四に数の怠る時第五に放小足
付たる時左右より弓鉄炮を以打立て足並しとろ
成時第六に責あくみてしは〳〵後をかへり
見る時第七に敵の備ゆへなくもむる時大概
め此猶口伝を受へし
廿七月十六年を仕懸へき時分の事
私云夜戦に出か故爰には略之
十一月廿一日
二月廿一日
狩り
守城下
同同兵法神武雄備集
守城下三十二
〆
同同兵法神武雄備集戰律第五
守城下付糧道目録
一篭城の大将備定手配拾ケ条事
一矢窓へ人数を配作法六ヶ条事
一城内番の仕やう拾三ケ条事
一兵粮の作法拾三ヶ条事
一兵粮武功拾三ヶ条事
一城持不断可心附拾五ヶ條事
イ
兵法神武雄備集戦律五
守城下又号守戦
籠城の将備定手配拾ケ条事
一籠城の座備作法之事
私云座備と云は平場の一戦に用もと云共其品を
かゆる時は城内なりと云共其心根なきに非す
云心は大将軍は本城に備を設て四方を下知し
四方八面に近習の備外様の軍兵を設け釣合を
以備を組大手搦手に前後の備を置一二三の
郭小口〳〵に左右の陣をはらしめ勝負の利を
かねて内談致し申付る是を座備と云なり其
作法不相応に似りと云共座備の法を不用して
前後左右を配り備を定る時は本理に不叶か故に
かひいへり弥口伝を受へし
二備いつれも一二陰陽の心得可有事
私曰持口をかたむる所の備一組切に一二陰陽の心持
なき時は勝負一様にして手厚き合戦を持事
ふけ物なり子細は鼓若小口に於て合戦迫合を
致事可有之其時節寄手小口ゟ内へ直に付入を
致事まゝ多し其節二の手の勝負なけれは
必其小口破るゝ事有之爰を以一二陰陽を致し
放陽ならは味方陰を用ひ敵陰ならは身方陽を用て
一合戦を丈夫に持勝利を全く得る是を三陪陽の心持と
云也其法は戦法に記り故爰には略之
三正兵奇矣可有之事
私曰正兵奇兵と云は正兵は備を正しくして勝負の
利を守り奇兵は偽を設て設を手引其利に
応して設をはかるか故に実を設虚を打の頃也
前後左右共に作法を調へ我請取所の殿所持口を
堅く守り其手を教に敗られす数に乗取れさる
ことく致し慎む是を正兵の法と云ある時は
兵を外に出して其費を討或時は敵を手引て勝を
全くし利而誘之乱而取之の術千変万化れる
是を奇兵とす守処ことにめ此の法を設されは
必誤り有へし故にかくいへり
一四しまりの備あるへき事
私云於本本城に於てしまりの備を設ル事は勿論
有之て諸手のしまりと可成又一方〳〵の持口に於て
も此備を定不意を慎み不虞を備へ堅固に其持口を
かため役所を守る是をしまりの備あるへしと云なり
五遊兵の事口伝
私公是をうき武者と云諸手の持口に於て数急に
攻る時加勢の為又は持口不堅固にして漸敗れぬ
へき時の荒手或手配の外に様子随て夜討
夜軍なと可仕所存有之は持口の備を外へ出しては
跡心えなき時なとには遊兵を用る事も有之
尤備をくりかへる共諸事に其德有之か故に
是を用なり猶可受口伝事なり
六籠城の備作法の事
私曰備の作法と云は第一に足軽を矢窓へ配り
心作法教を可令防第二に武者持鑓を携て屏
裏式屏をしさりて鑓長になり勝負を決すへき
為に備を可設第三に於是は役所に於て面々の
印なれは小高き所にあけ置相図約束を可定
其陣其大将の旗の外は於歌有口伝第四に
馬上の兵一人も不可有但者頭物奉行なとは
可為馬上常の兵は歩立て可往来第五に弓
鉄炮の外に屏裏に急に付たる敵をは石灰
なとを以て是を打事有但是は足軽なとは
しほ合を見る事ならさるゆへ武者可勤之
是又遠近に依て防くの法也
一七役所〳〵に旗本よりの目付検使あるへき事
私曰城内の兵疑有時は城御国に難持故に益日ゟ
城主其釣合を考持口の侍二心なからしめ忠節を
動させ殊に我意の働なきことく旗本よりの目付
倹使を一手〳〵に指添置諸事の相談を改させ
うたかひ更に無之様に可仕是干要なり
八備をくりかへへき作法の事
私曰往古籠城の作法を聞に兼日ゟ面々の役所を
定置陣中始終一つ役所計請取て其将口をかた
むと云々当流には不用之子細はあらかしめ持口定る
時には大手を請て守る者は女卒常に労し昼夜の
わきまへなく寄手を防か故人木石にあらす必
可懈是一怠る時は油断有て役所を守事不正
是二搦手式別所の持口をかためて心安き者は
常に供するか故に猶怠り有之是三役所常〳〵
同しき時には其将気あらたまらす手段不可有
是四数方へ内通の味方可有之是五此ことく成損
多し爰を以城主先所々の持口役所を前方ゟ
考て後毎日前後さ右の備を繰替へし縦は
毎日替らす共或五日三日と其持口の日数を定め一手
宛繰替へしめ此時は今日大手をかためたる大将明日は
搦手へ移り今日迄搦手を守れる大将明日は
追手へ出前後左右共にめ此備を繰替へしかゝる時は
或佚し或労し其気勇其心改りて懈怠退
屋の事なし是日月の昼夜をてらし四時のかわる〳〵
運行して一日も滞らさるかことく成ゆへ逆心を企二心を
合味方あり共外之内通の相図相応すへからす然共
此作法あしき時には却而備御たつ事有之故第一
城の所々に鐘鼓を置昼夜の刻限をうたせ時刻
の約束を以繰替へし諸手必一度に役事なかれ
今日は大手明日は搦手と一手切に則限に応して
丁知之第二に遊兵を用て其小口へ備しめ不意を
慎み其跡にて備を繰替へし第三に一手〳〵に
しまりの備を用堅固に致て繰替へし以上毎
口伝可受之
九老少の兵役所守らせ様之事
私曰守事はかたく攻事は易し云つは守にはい
つくより殿の恩の可入も不知故いつくもけけ
を致して心是に屈す攻る者は心陽にして敵を
とりひしかんとす故にけいたみて安し爰を以
持口怠りて或恩を入或城を敗らるゝ事多し
去程に老少の人に依て備を配る共心持可有
第一年若きしは陽気盛にして眠多し晩年に
及ては陰気長するか故眠すくなし四拾以上六拾
已下を撰て一備の内に少々交へ交へ置へし第二に老人
計を一備とし数間遠く城堅固の方へ可置走不意
を慎也第三に晩年に及へる者は前方数度の事を
も見聞して万事に其功多し爰を以縦敵遠き
所に置共心ふ恨若き者は気早にして数遠き所を
嫌事有へし第四に年寄ては力業歩立早業
難叶物なれは六拾已下四拾以上をは一組とし相応の
義可申付第五に廿以下拾五以上を一組とし夫に
相応の事可申付如此それ〳〵に心を付る時は城内に
不入の寡く其費なし
兵法曰籍民壮男為一軍以充防人壮女為
一軍介隷雑役老弱為一軍以供飲飼放牧
樵林三軍母得、相撲恐生奸邪
十壮男壮女を一所に不可置事
私曰女を城中へ入る事大に嫌之然と云共に入して
不叶事有之爰を以男女を一所に不可置と云也凡
人の可慎事色欲に不過色欲みたりなれは必
家に煩有是一色に愛着而図をはつす事多し
是二万事に怠り有是三謀すゝなく作法みたり
成是四人の心をまとわす是五女にひかれて生を
全くせん事を願ふも多し是六夜数を守ル事なし
是七殊に毒愛の為には餘命を求すましき事を
する事有是八其上女は心臆して恥を不顧我
愛するしには義をとて命をなからへしめん事を
思ふものなれは敵へ通り忠をすゝむる事有是九
女にたはかられて大節の謀をもらし外へ是を
しらしむる事古今多し是十如此の損あるかな
陣城共に女を禁する事有之也去程に壮男壮女を
一所に不可置と云なり
矢窓へ人数を配る作法六ケ条之事
一壱間に三人宛可相配事
一私曰さまへ人数を献ル事其虎口の堅固と不堅固に
依事なりと云共大概古法に記す所壱間に
三人の積なり是は矢窓ある所も無之処も三尺に
人壱人宛合て弐人残御壱人は警固かけかへの為に用之
二矢窓一ツに人三人宛可相配事
私云是はさま壱間に足軽弐人警固の武士一人
以上三人なり子細は壱人は矢窓をかため壱人は
屏下に居放急に屏面へ付は或石を以打逆茂
木を切て放て放をいたましむるか故に用之又は
足軽のかけ替にも用み壱人のけいこは足軽を引
廻し下知をかく差図を致て故なく弓鉄炮を
放たしめましきか為にめ此是其大法なり
三弓鉄砲配様の事
私曰弓鉄砲入交て可用之弓は近き勝負なり
鉄炮は遠きせうふなり弓は矢をつく事早く漬
炮は玉薬を廻間遅し去程に入交へて可配二ツ
共に可用か為なり近代は専鉄炮のみを用て弓を捨る
事是又偏にして不可然なり弓鉄砲共に用られ
さる時石を投灰をまく事有是は前に其ことはりを
出か故に爰には残之而已
一四遠矢大筒其遠慮可有事
私曰弓鉄炮共に矢玉薬故なく数捨る事
大成誤にして其費多し此故に必あたるへき
図に於ては可放之と下知仕へし遠矢なと不可射但
武略の子細有之は各別之義なり又大筒は所に依て
用之義も有之玉薬大切の時分大なる徳無々して
放ち捨へからす可有遠慮事也
五鼓惣鉄炮をつるへたり共城よりはつるへ御日もの也口伝
私曰敦押寄るとひとしく先押詰て先足軽を
かけ諸手より惣鉄砲をつるふる事有之是は
城中ゟ定て又つるへかへす事可有しかしは玉薬
をついやさせんか為なり是一城の持口の厚薄
を可知か為なり是二敵わさと謀計を廻して
四方ゟ可攻入体を示し弱手ゟ不意に可攻入の基
謀かも不知是三か此味方を伺ふ手段多けれは籠
城の大将遠慮致し能々可心付事なり
六一二を捨て十を撃事
私曰是は秘事なれは口伝を受へし
城内番の仕様拾三ケ条之事
一虎口切に番を可仕事
私曰城内に書を仕る事作法あしけれは寄手忍を
入て様子を伺ふ事多しそれに応して夜軍を
仕かけ其計策設る事も有之爰を以一小口〳〵に
面々の請取たる侍大将衆小口切に番を可仕小口
切と云は我持口の前後者右詰り〳〵に責を置相詞
相印を定め自餘の持口衆を往還せしむへからす
子細有て往来仕る事あらは詳に其意趣を大
将衆ゟことわり割符を以て数味方の証拠として
非常の者を可改給ひ僉議を仕れは壱人なりと
一云共非常の人往来仕る事なし是を虎口切に
番を可仕と云なり
二相詞相詞相印等無疑可申付事
一私曰合詞の義一手〳〵に於ていひよき詞を作りて
夜々に可改相験の義是又笠印袖験三巻等を以
一可究其法如常
三張番拾冊の事
一礼曰張番の事是は人遠き所虎口をはなれたる
屏を去土居際をのひて可有之非常のもの往
来ては相詞を以是をとかむへし捨篝の事是は
人居すくなき所或土居の下なとに廿間計隔てゝ
是を焼四方のあかりを可用篝ある所には番なく
共人の往来見ゆへけれは捨篝より廿間三拾間
をしさつて番の兵を置相詞にて人を改め
往来を可見
又曰所に依篝を不焼事も可有之子細は城内にかゝり
たかなれは内ありきか故人居の様子見ゆるものなれは
外より忍入事やすしと云々猶か受口伝
一四忍可付所可心付事
私曰謀洩る時には事不調而設る所の権謀更に
不首尾故忍の可付所を可心付と云第一に其城の
堅固の要害ある所を可慎云心は所の堅固成時は
守者不厳重して必懈ル第二に虎口の間遠き所
一心は小口を守者慎て外は怠有第三に城内
家作無之所に忍つくもの也第四に山城は立堀
平城は水道に心を可付成忍入もの也第五に風雨
の夜は大概め此に心を付時は忍入事なし
猶城制に出み
五屏裏武者是に雁木重坂等の外は虎落可有之事
私曰雁木重坂等をは屏裏をかたむる兵士往来
あるか故に忍入共不可通此外の道なき所には屏
裏に虎落を結人の往来なきかことく致し其下に
はり番を置て可咎往来と云儀なり
六平城は水堀山城は韓堀等にむしろこもの類うか
まは可心付事
私云忍の者平城にて水堀を越る時は水練して忍に付
水中に昼居て放味方の方へ往来ならす爰を以水中に
居息を致されはふけ故或こもむしろをうかへ其下へ
面を指出して息継居もの也山城にて金堀をいれ
地の底を掘てから堀なとより忍入事有是を筵
こもを捨置たる体に見せて其穴におほひ置て
夜は夫ゟ往来仕る事有故にか様の義に可心付
と云也かゝる事は一様にあらすと云共将の心を付て
考へは故にいつはらるゝ事不可有
七夜廻りの事
私曰是又一手〳〵にて或一時替り或半時替りに屏
裏屏下堀際三所を五人三人計連立て夜廻
丁仕壱又非常の者を可禁か為なり
八一手〳〵の内ゟ横目目付を以城より落行者あるかと
公義を可改事
私兵篭城の以前より城内に人すくなき時は兼而の
事なれは不苦軍半にして壱人と云共城ゟ走り
落行者有之時は残る所の軍勢大に力を落[もの也
是一の損心弱き懐とかひなる時は心制成武士も
心少はおくるゝ者也是二の損奇手の内ゟ内通入安し
是三の損設城内へ内通あるゆへかと諸軍氣おそ
なへし是や此外にも又所縁有て内通に合もの
あるらもと諸卒の気うたかひ有是五落人あれは
城外はきほひ内は心おくるへし是六内の謀外へ
洩る是七め此なる様を始として其様品多し爰を以
目付横目を出し可落行と有之時は是をとり
子にして其手の大将へ可申通なり
九股続松を以て可見城下事
私曰屏裏に持口の足軽侍雛有之城の屏面へ散
窃に付て城中へ忍入んと致も不知犬走へ敵
付て味方の様子を伺ふもいふかしきか故に擲続松
と号して続松を十文字に結四方に火を付中を
結てひかへを付屏下へ投出して可見疑無之
見ゆるものなり但是は続松をいたしたる所よりは
見えさるもの也投させて脇ゟ可見えと云々
ひかへの綱は細引成くたりを可用也
一同続松の図
四日
三十一
□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□
一十ひそかにくけ道を拵置夜は外へ出て見る事可有
私曰是又右同前の心持なり平城には切戸屏隠し
小口を用ひ山城には屏下の土居に此方より
犬走へくけ道を拵夜はひそかに出て見る物也
又は屏の内より続松を投させそれよりつらを指
出して見れは屏面不残見ゆる物也大方は山城に
用之委は城制巻に出み
十一往来の者壱人を可嫌或弐人三人計にて可打通事
私曰是は蜜事を外へ洩さす又内ゟ内通を外へ致
さすましき為也能々口伝を可受なり
▼
昔楠正成千破剱の城に楯篭ける時八百余の算士也けるを
夜の番二百人を二ツに分百人をは酉下刻ゟ子刻迄
四刻の間役所に也五人拾人宛矢倉ことに指遣す子の
下刻ゟ卯刻迄又四刻の間然る百人を指遣し役所〳〵の
右の番をかへて先の音を休め又次の夜は酉の下刻ゟ
前の暁の番衆子の下刻迄勤之夜廻り如常城
には権鎧を十二時つかせ則限を示し追手搦手
二口ゟ城戸をふね二の門に篝をたかせ番の兵二拾人は
一角の衆屏を去事廿余間二時にして是を替ら
しむ廿人の内弐人は弐拾人の篝衆暁に及て
眠時忍の立通る物なれは其時四方を見廻め是を雁使と
号せり又廻り番を六拾人定て六拾人は拾人を一組
とし毎夜六度七度風雨の夜は十度に及て
屏のからを廻る続松一ツ二ツともして卅間四
拾間先に立て行御陣御用心とよはわり役所の
奇衆懈りの有無を見る車続松を投出して外を
見歳も自身毎夜三四度程はすくれたる即迹
十人引具し松明を二つ燃させ役所〳〵に行音の
兵に心をかへ怠りあしは断にこそ侍れ数日の方御さん
なれと云て更に是を怒らす懈無之時は引出物をし
て通りける故に是を面白として自余の兵も怠ら
す正成終に打とけて寐たる事なく非番の
は無子細して夜廻りを禁す正成は宿所に至る
時其殿と呼に早く答へしをよしとす故に非
番の者少々夜寐はなし又門を出入は下部なれは
出は尤なり入は番の兵必いつくへと問名字をいへは
其侍を呼出して渡す文有と云共其侭通メ事
なしと云々良将の作法准拠而可知之
十二一手〳〵の大将ひそかに微行而諸侍の様子番の音の音の
苦思を可見事
十一
私云昼は勿論の事縦夜に入と云共潜に諸士の持口の
場迄行其様子を察すへし番の音の者あらは
大将ひそかに是を近付若横目目付の衆見出して
申上たるに於ては法に行はされはふ叶間様を
出して勤よと言葉を和せて教訓し能守者
には恩賞を施しなと致せは諸士尽く気いさみて
偏に是を可動但本城主微行の様子はかたく
禁之但又所に依へし
十三城内時分を知ル鐘太鼓可有事
私曰刻限をしらされは万事に其損多し
図云
廿
一七
〇〇〇〇
五〇〇〇
CDDO
十一月
一兵粮之作法拾三ヶ条之事
十一
一兵粮合の事
私曰本城の外には必来念を不可立外の舎は数の念也
本城の内なりと云共屏際并家居遥くして外ゟ
火失なとの如来所或米倉とおもひ掛さる所に可仕
是莱倉の有所古法のことくすへし
又曰枢を御して地の底へ掘入る事有共いへりされ共
是は常に不可用但城内舎七まき所ならは倉の四方の
下石垣に致し尤地下湿気なく拵其内に大枢
を拵入置事は有之と見えたり
二兵粮置様之事
一私曰籾にて並時は土早くふ付といへり是一
干飯に致し能日にさらし色々に染盃時は
軽くして損せす百人可養を二百人養ふといへり
是二常の米は不断三年に一度宛は可入替
年経れは米損し安く出入事早し是三
米を舂て置事不可有性損し安し不舂して
ふけ時は糠なから其侭振はすに可置と云々是は
稲穂なから積入て昼時は又不損といへり是五
如此可心付なり
三米根丁入積りの事
十一
私白篭城の時米丁入積りは大概こもる者に五増
倍多く入るゝ物なり糧尽る時は守成堅固ならす
其上かては積ゟおほく入物成る故なり千に
五六千と云古来ゟ積りなり
四兵粮あてかいの事
法に曰黒米壱人に一日壱升なり兵心は朝弐合昼弐合
夕弐合夜弐合残る弐合をふ時の合とす城中の
兵士口に合たゆる時は合戦力のことくならす
つかるゝ者也賤しき者は食すくなきときは
城を去事有へし其上急にあたつて食を俄に
Q
かしかんとすれは重戦の図をはづす事有へし
爰を以弐合宛はいつも食を炊置て夕の食を
朝食ひ朝の食を夕に喰ことく役へし不時の食と
云は時に依て敵急に攻至り大成迫合有て兵士
走り廻りはけしき事あらん左様の時殊に食を
以て力とする也或曰八合を以一日の食とし外に
壱合を与へて不時の合とすへしと云々
五兵粮渡し様の事
一九月夕口の合を不可とは狼積りゟ早く減する
者也此故に三日五日計にて扶持方を渡す十日
廿日の合を一度に渡[リ]その故は第一上戸は
酒に造りて吉と云共僅に三五日の食の内を以
造るか故にすくなく造言已に十日の含あれは
明るはとあらんもかくあらんも不知とて先当座の
楽にふけり酒多く造る故食必一日二日を減ヌ是一
米沢山なれは無遠慮なる愚兵は食を過し食を
むさと致事有是二禁制なりと云て美物を
不承と云共隣陣の衆集り酒宴遊興を催事
多し三日五日の食を与れは此損なし是三めひの
断に任せ其時宜に従て可設之事
Q
六味噌塩の事
私曰五人組十人組にして可渡之大方十人に味噌
弐合塩壱合なり是を一日の食に与ゆへしと也
昔或名将味噌を碁盤の上高サ壱寸に堅くたゝき
付三百六拾に是をたちて渡されけるとそ大軍へ
渡にはめ此すひを以是を切渡[ヲをよしとす
七干魚干菜海草塩魚塩鳥木の葉の若葉又は
一果等別而可相貯事
私曰篭城の時の様子め斯に心を付されは万事不
如意なりといへり木の葉はむして後日にさらし
是を可置此外城内にも野菜沢山に作るへし
八兵粮の内別而餅米おほかるへし
一私曰是は餅米は食を不消もの成か故なりと云々
九一汁一菜の外堅く可停止事
私曰ふ断の食は一汁一菜なりされ共籠城の時は
士卒の気屈するか故に非番の者はより〳〵参会
を致し四方山の物語心の行侭に致て気を伸る
事有せ様の節も有合する汁菜の外珍物を
不可好一汁二三菜たるへし但食は面々に持寄へし
必酒不可長古人の曰酒一返一盃をほとこす濁酒は
二盃不可過三盃と云々め此時は参言に食減
する事なし
昔新田義貞越前金崎に篭城の時は夜々に
釣舟を出し糸をとらせて珎物を求め某か役
所へ御入有て浦の景山の体を御覧候へなと云て
酒肴を用意し大将をなくさめける故下々迄
寄合〳〵景酒を翫ひ狼のつくるをしらさり
けるとそ可慎事共也
十酒の事大に禁之但上戸は面々の扶持の内にて少宛
造て酒を可設事なり
十一堺の城には後詰を待かゆへ五十日百日の兵粮を
可致用意事
十二兵粮はおほく共女卒にすくなきを一示兵粮沢山成を
たのむときは其損多き事
十二兵粮可渡場所持口勝手の方に二三ヶ所場を定め
奉行并目付を以て是を改可相渡事
一兵粮武功拾ヶ条之事
一一丸を喰て一日をすくす薬方の事
私曰堅魚節野老糯米右三色を等分に
致し大丸とし人に依て一丸或二三丸をあたゆ
れは一日を心安可経といへり
又法に曰人参五両糯米麦粉各三両右を七粒に
丸して一粒を一日に眼すへし不労時は腹
ふくるへしと云々
二塩の持様の事
私曰塩三卯を以水鍋の中にいれす炭火を以
焼之時は則堅く成て不消壱人是を以五十日の
場に用てたんぬへし神更夏炎天の時分是を
持て遠行に利有とそ
又曰籠城には別而塩をやきかへして可置軽く
して多並に濾有
三酢の事
千五百五十四年を多く致置て用之なり
法に曰布壱尺に壱升の酢をひたし取出して
かわかして又酢にひてゝ無尽酢のなく成迄ほし
付へし酢の無之時分壱寸四方宛切みて可食と云々
又曰小麦の粉むし餅に致し是に酢壱升をひたし
ほしさらして用み大サ桔桐子のことくにして是を
一日に売用と云り
一四山中なとにては松の皮を取十斤に米五合をかへ煮てて
半斤を合すれは一人の一日の食にあたるといへり
五急に渇したる時は油麻三拾粒を服すれはやむといへり
六斗壱匹は五拾人の食にあたる馬壱疋是又五十人の
食にあたるへし但是は一日の義なり
七米塩積の事
太白陰経曰壱万弐千五百人を一軍とす人毎に
一日の食弐升に定め一月に六斗一年に七石弐斗
一軍の兵粮一日に弐百五拾石一月に七千五百石
一年に九万石
同曰塩は一日に壱人半合をあたゆ一月に壱升五合
一年に一年に一年に一年に一年に一年一日に六石弐斗五升一月に
百八拾七石五斗一年に弐千弐百五拾石
私曰米は黒米なりつゝさへりに可有か此古法を
以て可考か為繁多に及といへ共注之
八急成時一夜に味噌をなす法の事
私曰俄に致味噌は大豆をむして是を呑てあたゝか
成に是をまろめて下のあたゝむへき所に置
上にこも筵をかけて暖に致せは翌日心味有
其時塩を入ましゆと云々但一度におほくは致へ
からす損しやすし
九鍋無之時食認様之事
神社会御社社会社の所に於て小荷駄いまたふ着ことき
時用之其法下に塵あくたをあつめ火を入て
是をふすへ上に塩俵を水に入て敷其上に
かし米を並米の上へ新しきこもを弐三枚
水を打てかけ上ゟ火に随て水を打へしと云々
十味噌大豆を無鍋してかしくへき様の事
作法右に同し爰を以これをしるます
如斯大法は尤古法に出立といへ共其わさ必と定
難ししかあれはとて不注も事足らさるに
似たれは筆に伺せて如此記置畢用捨時に
随ふへき事共なり
城持不断可心付拾五ケ条之事
一蓑笠の類沢山に用意あるへき事
私曰此二色沢山ならされは篭城の時分雨雪逢て
是をいとふ事不叶殊に屏うらへ付人数さまを守と
云共持口の衆も此用具なけれは事を欠へし
不入時は薪に用みて又其徳有
二普請の道具いか程も可有用意事
私曰俄に屏をかけ土居を築共或堀を掘柵を付
なとするに手をつかさることく可致か為也九字がき
五行がきなと云古法是なり壁下地なと柵なと
も一間計程に兼て結置者也と云々
三物を結には火縄道具は鉛成へき事
私曰少の事也と云共城持は心を付る事肝要也
物を結には丸打木綿を以結蔵城時は大縄に
成ことく可仕木綿火縄は火を持物也但にほひ
遠く聞ゆる物也器は何茂鉛錫の類を以拵置
玉に可鋳用意を成ことくに其心を可付と云義也
四植る木は食物たるへき事
私曰木を植る共若葉を取て食すへき木を植へし
用に立にくき物を植へからすと云り
五紙の用意有へき事
一私曰冬の篭城には紙衣を作りて着み也又は紙
小旗の類にも用み其外徳多し
六練布木綿の類沢山たるへき事
私曰指物小旗衣類諸卒に笠印袖繪を致
とも其徳おほし
七胡麻榧一切のこのみを以油をとらせ置へし
八不入物も城持は不断用意可仕事
ト
九石大小共に不断可有之事
私曰至て小石は城に不可置壱人持尤なり
一十城内に鍛冶番匠走あるへき事付漆塗可置之事
是は兵具を拵矢の根を摺損したるをぬるへきか
為也尤外ゟ打崩されたる櫓屏を結ふにもよし
十一青木葉沢山成へし
十二から竹にか竹等の藪有へき事
私云旗竿指物竿にも用之又は矢の箆にも
是を致し竹鑓の用意もあるへし
十三水の流溝落にしきりを致しこみを溜置へき事
十四鍋釜の類沢山なるへき事
十五持橘金楯丁楯并松明胴の火付竹なと可成
沢山事
む
八
□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□
}
同盟
戦律第六
寡戦
同同兵法神武雄備集
二
兵法神武雄備集戦律第六
寛政十二日
一郡縣を領知する侍大将可相知五ヶ条之事
一小身の大将弓矢取やう拾四ケ条之事
一雑兵壱万の人数共備手配手分六ケ条之事
一三段の備作法七ヶ条之事
一小備に武功七ヶ条之事
一小身弓矢取様極意之事
兵法神武雄備集戦律六
寡戦
郡県を領知する侍大将可相知五ヶ条之事
私云伝大将と云義武者分出之国内郡郷一二郡斗
を支配る人数千計を持ものは其人其時節に依て
人をたよりと七次共一人して立身可有之なり
人の於下に成他国の加勢を請一族を以合戦仕る
事不叶人は主人あるかゆへ万事其人の下知を
一守壱人の分別を以立身をたつるには作法不宜は
おもふまゝに手ひろかるへからす故に其人可知事
共を五ケ条挙之
一其大将軍勢をわかつの法を可知縦は千騎を持大将は
五十騎一備に手分する時は廿備たるへし如此其法を
正くして可携弓箭事
私云人数をわかつと云には色々其口伝古実有之
委備巻に出之云心は千の人数を一軍に致したる
備と千を五十宛廿余に作りたる備とは何とはととはとも
としき人数なれ共其損徳は各別也㐧一千の人数
を一手に致して合戦を持に鼓先一備を出して
是と戦しむへし人数の対揚雛不足千の人数
我意地ましに進て敵と戦んと存せは跡に留て
後軍を守へき所存なきか故に惣軍相進んて
足軽の弓鉄砲千あらは千二手なから皆数捨矢位
過半可尽第二に一番合戦には大軍の方必定勝利
疑なかるへし然共強きは先に進み弱は跡へ退
入乱れたる所へ新手の軍勢押寄て一操もまは
大軍の方足軽かち者は過半矢種を尽し武士は
かけ引に草臥て最初のことく成へからす是弐番
備にて大方数の軍勢危し第三に又一備同時
同場へ入替て無二無三にたゝかわは武者も過半
は負に近かるへし第四に又新手の味方を以
入替へし第五に五拾の備三ヶ一前左右より横に
かゝつて奇正陰陽にひらき合は必定放敗軍第
六に残而三備全く後軍を待て地陣を張は縦其内ニ
志有勇将有共是に不可逢是軍勢ひとしきと云共
用捨法に叶されは其勝負掌を見るかことし爰を以
人数をわかつへしと云其上わけたる大軍は結にも
組にもよろしくして人数変に応す必五十騎に
不可限と云共備は五に起るか故五十騎を以法とす委
細は備法巻に記か故に爰には略之
二他国へ働き入時は先一族の内にて無二の志ある侍大将を
一両人撰て留守居に申付右備の内二三備足軽同心
共に差添並預置所の城は陰に縄張して諸侍諸奉
公人の人質を篭て後手堅く弓矢を可取事
私云人に勝ん事を求る者は先我人に可負の非を
可改故に我国を堅固にして後に人の国へ可働入也
我一族の内と云は大将の弟歟舅歟伯父歟甥歟
何れに心安被存侍大将を二頭三頭計足軽共に
差添て可預一両人と云は其留守居心安くは一人にても
不苦と云共跡の疑を明さんか為には釣合を考て
両人申付るなり故如此云なり
城を陰に縄張すると云は城内ゟ外へ備を出す事も
致かたく敵働入事もなりかたき処多く堅固の所
有て必急不可落城是を陰の城と云也小身の大将
留守居も丈夫に残し置事不可叶城小口共に陰に
して深く楯篭る時は内外共に出入不成ことく可
取立是を陰に縄張を致したる城と云也
又曰其大将の覚悟其国の様子に依て地の形粧堅固
成所を見立て陰に縄張を致し城を小詰に取立
並事有是は若敦国深く働入へき節に諸侍の
人質を取此城に籠置堅固の侍を尊居に置て
働出る事有是をも陰の城と云なるへし
諸士諸奉公人の人質を取てと云は地下人の中
にてもあやう〳〵存するものをは皆人質を取へし
まして城中に籠る所の者或他国へ働入たる者の
妻子親類を取て城内敵遠所に置へし是疑を
払さんか為也作法は別巻に出す
三千宮の備には旗本と云有へからす其大将武者奉行の
ことくに致我旗本を陽の備になすへし
私兵大軍は小軍の格を不可為小勢は大軍の格を
不可用故に小を以大をうつ事は弓矢を堅固に取
九迄の軍勢を設て一軍破る時は二軍を以入替二
軍打れは三軍入替へしと相定事是を不用
旗本と云事なくとは九ツ迄の備を用には
旗本と号る不動備有小軍に旗本と云事別に
致事なりにくきか故に旗本をも陽の備に仕る也
陽の備と云は旗本を働きの備に定め何時も
二の手に差続て勝負を仕る是を陽の備と云
陽は働か故也尚以可受口伝
四強く弓矢を可捕しかれ共敵を切崩に無理成事をなす
と云にはあらす能遠慮て少無怪可思謀事
一私云強く弓矢を可取と云は旗本を陽の備に仕[リ]
二の手に是を致して何時も旗本にて二番の
勝負を可遂と心を定め無二無三の格を用て勝を
こなたに取事也如此可取弓矢と云は可勝の理を
見す剛散弱敵の品をもかへりみす無理にかゝつて
戦へと云かことし然るにはあらす能遠慮て損徳を
積り此損有共此徳大成と云ことく積りて可相戦也
是は邪義に至らん事をつゝしむなり
五純剛にして無理働をせは多からぬ人数をうたせ
らし
重て合戦不可叶事
私兵少敵の是は大敵の擒也と云り多からぬ人を以て
偏に剛強に計弓矢を捕らは無理多かるへし爰に
て負かしこに敗北し自然とつかれて翼を折たる鳥
のことく成行へし此断を分別して其宜に応して弓矢を
可取なり兵法曰純剛強其国必亡云云
一小身の大将弓矢取様拾四ケ条之事
一人数小勢の時は進退共に口伝有之
私云人数小勢なる時には進も退も御侍心持有之
云心は進むと云共手ねはくして人数を丁寧に
可致と所存を極れは其内に放又手段の可有も
しらす退事も速かならさる時は或狼道を断し
或可帰道を取切か故必あやうき事有へし故に進て
戦事速にして敵是を防に手段なきことく退と
云共とくして敵是を追に不及かことく致是を進退
の口伝と云なり大軍は人数の大勢なれは掛る
事も引事も大切にしてふに由小勢は其
自由可宜か故也尚口伝
二山に付口伝
私云山に付と云は小勢の兵士を卒して他国へ働
入に場よしにしてきら〳〵成所に備を設陣を営
する時は大軍の方に見切られ人数の多少をつふ
さに見透か故敵にきをひ付て合戦仕り悪し
此故に山林の険阻をかた取竹木の茂みを便として
備をも陣をも設る時には見する御家ゝ損なし
爰を以山に付と云なり
武田信玄家小山田兵衛尉信藤武州八王寺地衆と
合戦の時益より忍を用ひ昼は山に隠しすみ
取紙の割符を以跡へ告夜は勿論かへりて告年
月絵図に役合戦可仕所々を考済して後弐百騎
余りの人数弐百騎を四拾騎宛五備に作り余をは
諸役者に致し手配を以旗本を八わ寺の山上へ押上
足軽を掛ル敵是に依て山際へ寄たる時山の右の方へ
先衆を一備出し足軽せり合を始る敵是を周章て
始の山の上成信茂か旗本へ打かく敷足軽も有又向
たる甲州勢へ打かくるも有て両方へ手遣仕ゆへ
足軽のわさ成かねて鉄炮薬もろくにつく事まれ
成ゆへ甲州勢へあたる事すくなしかゝる所へ又
一備を甲州の右八王寺衆の左の方へ山際に付て
逸〳〵と思るを見て八王寺衆跡へ向ふへきと人数を
わけんこすれ共元来兵法とゝのほらす三百五十騎
一つに成て下知もとをらす備混乱の時分を見切小山田
山の上ゟ見て三番目の我先衆を味方の左の方の沢へ
おろし数の右の方へ無二無三に弓銕炮を始て切
崩す此時に小山田旗本の旗を振とひとしく廻り
たる小山田衆ときの声を作り八王寺衆の跡ゟ掛るを
見て教こと〳〵く敗軍致せり是永禄十二年十月
一日小山田廿七歳の時なり
又元亀元年十二月廿八日東美濃岩村にて秋山
伯耆守晴近東三河衆三百余東美濃衆三百余騎
都合四千計を晴近弐百五十騎雑言千四百計を
五十騎五備に仕伯耆守旗本を以設の右の方へ
山よりおろして無二にかゝつて切崩伯耆守先衆
へは惣かゝり殊に東美濃明智の城主遠山
民部入道宗叔父子を打取たりと云り
め此の手段皆小勢を以山をたよりとし武略を
設て設を打たる武功なり
三引取にも可然山事
私曰引取時にも山手に付て可引取山手に付て
引時は放縦は長追を可仕存すると云共山には
堅固の要害多して人の疑多かゆへ放是に付て
難成此徳を以山に付て可引取と云也妻は山戦に出之
一回無二の格心持口伝之事
私云無二の格と云は能敎を見切小利を捨大なる
勝可有之所を考て無二無三に懸て合戦を遂
必死則生の道理を可用
又曰無二の格と云は敦大軍を以き所にも備を設
たりと云共其備の内にして干要の所は一陣に
不可過然れは別軍に其戦ひを致不遂干要成
陣へ懸つて是を切崩さは一陣破て残党不全の
道理なれは大に勝事有へし是を無二の格と云
亦曰合戦計に不限其身小身にして身に掛たる
近きものもなくしかも立身を好者は姫は人の云
付さる事を情出し致み大利あらん事を見ては
身をあやうく致事也と云共若仕得れは是也
仕りそこなふと云共又別事なしと立ることき
極て大切の大事をもかへり見す致さゝれは
一度に立身の功なり難し又大身にして此身を
大切に守り一身若あやうけれは大節皆無に
なると有時は必自然と立身を心懸へし功を
一旦になさんとすれは仕損したる時大に悪し
兵法に所用又如此しかはあれと兵ひの大事なれは
自證自悟而可なり
五見え帰見せ於武略の事
私云兵法の道は詭誹を用て勝をなす事有
大軍も小勢も敵を偽り手たてを設て全く勝を
うることく可仕されは用而示之不用近而示之遠
といへり故に熊と見せ勢を作り人数のかさを
みせるを以放に多勢をなし其耳目を驚して
勝を取事第一の武略なり皆是奇道を以致の兵
法也みせ於見せ給ん給らせせの義参別巻に出み
六軽く打て軽く留る事
私曰此法は大軍にも用之といへ共殊更我小勢に而
鼓をはかきには軽く打軽く留らされは不覚の
おくれを取事有み爰を以め此云なり
七陰陽七陰陰要害の地をたすけと成へき事
兵法曰山林険阻以少所以撃衆也云云
八少はかゝつてね手に利有大は陰にして利あり
私兵是は所に依放に依へし口伝重々有之
九小備には武者奉行有へからさる事
私共其身小身にして人数百二百三百騎計を持大将には
武者奉行と云事なし故に自身備のうちを乗
めくりて士卒の進退を下知し甲乙を考殿に応
したる手段を可設殊更旗本ゟ祖を預り番頭役
なとを勤る侍大将は猶以此心得勿論なり爰を以
小備には武者奉行と云事なく自身乗廻りてかけ
引の下知を致へしと云なり
十小勢出立の事
私公引卒する所の人数小勢なる時には其出立も
将の心得有へき事也子細は人数大軍なる時は
敵に小勢と見せて合戦を可仕爰を以大軍
施すくなく小勢は旗を多くすと云り旗は備
の人数其大小に相応して有之物なれは是
を以人数の多少をはかる事古法なり爰
を以かくいへるなり
兵法曰誤敵於多方云云
昔或名将他国へ働入給ふ時に教国の城にて有
なからいまた敵間は遠かりける其在家を押通
給とて此御大将をきゝかけに四方の者こそつて
軍勢を見物す敵ゟもまた目付抔こときの者
交りありきて在家に充満し道路にさまよふて
此人数を見物す然るに御大将日比に替り俄に
旗をすき鑓を横たへ足軽長柄馬上旗共に
入乱れ前後左右透間もなく打て少も作法
をとゝのへす剰在家に乱入し道具を奪取
或は道路の者に横逆る一同に押通り給ける故
見物の貴賤男女是に騒動し人数の多少何
の押様をもふみ身の用心を成内に備ははるかに
押隔たりぬると云〻後に是を功者衆考けるに
是は人数小軍成かゆへわさと作法を乱し混乱
せしめて一度に押通りけるにやこそ其子細は
給ひに押乱して行時は小勢も大軍のことく
見ゆる者也と云々人数小勢成時は万事に付て
め此心根あらすと云事なし
十一放ゟ四方をかこまれたる時引取にたよりある法の事
私云部地深く働き入若狼道をたゝれ殊に四方ゟ
取かこまれたる是を究兵と云いふ心は進んとするに
便なく退んとするに其道なししかれはとて
久敷陣すれは猶うたれ安し故にめひ成所にては
士卒の志を一ツにして殿の様子を見切或日暮或朝
霧深き内に一手に成て相進み戦ふ是を
其法とす但速なれは利あり久しき時は其
兵用かたし重々口伝有
十二手をわくるとわけさると数に依事
私云是は兵法の大事にして万事に応したる
道理あり縦は人数を分備を幾手にも致を
よしといへとも又数に依て多くわくる時は手数
餘多成り故四方すくなく下知もとをらす約束合図
も不相通而又損と成事あるゆへに
孫武曰備前則後寡備後副術寡備左副右
寡備右副左寡無所不備則無所不寡
貞和四年十一月山名時氏細川顕氏両大将にて楠
帯刀正行か摂州住吉天王寺に居たる所へ押寄る
細川は三手に成て搦手へまわる山名は大手住吉に
陣を張山名兼て手分をし赤松範貞に津国
播磨両国の勢を指添て浜の手に備を設けしむ
土岐周斎坊明智兵庫助佐々木四郎左衛門安部野東西
両所に陣を張山名時氏舎弟参河守は瓜生野に陣を
張細川顕氏は本陣をはなれすして天王寺に備たり
一正行兼て其手配を聞届五手にわけたる
人数二千余を一手に集め大手の大将時氏かひかへ
たる爪生野へ討て出散々に戦時氏已に疵を
かふふり本陣をさして引退楠是に気を得て
追懸〳〵攻ける故惣手一度に破れ其夜に京都へ
逃上りけると云々
十三先達て数をうつに利ある事
兵法曰先則制人と云是也数に先をしかけられ
御日前に進て其ふ意を打へし奇手のよせ
らるゝ武略同意なり
正深入して引取の作法曰敵に付へき作法之事
一私云品この習あり別巻に出之
雑兵壱万の人数廿余手分手配六ケ条之事
一三千は持城留守居に可置事
二先衆十備合て三千なり但一備三百宛の積なり
三三百宛の備二合て六百小荷駄奉行也
一四百の備一手しまりの備なるへき事
五しまりの備小荷駄奉行已上三手は勝て後にしまり
の備なる事
私云一万と云は雑言の積を以云なり此故に或三
百宛の備或五百四百の備と云り大軍にしまりの
備を丈夫に残して始終の勝を全く仕るといへとも
小人数成か故四百の備一ツを以見物の備とし小荷
駄奉行二備是もまた敵とはたへを合する備に非す此三備
を以御固に人数をあくる共又敵の別軍をおさゆるにも用み也
但五百宛也
是を以賜備にも用之也
六於本組六個は合て人数三千也但五万宛也是を以賜備にも用之也
私云小勢には脇備於本と云事無之といへ共所に依
敵に依て用之事も有か故にめひ云也
一右六ヶ条一万の人数数に逢時の備定手配手分
古法にいふ所め此口伝
備三段之図
一小教に逢備法之事
先
三百
先
三百
右一
脇五百右二
右二
五百
先
同
先
同
同
先同
先
司
先
同
先
同
旗本組
四百
前陳五百旗本五百殿四百
五百
左二
五百
左
三百
小荷駄奉行
小荷駄奉行
三百
一弐万の敵に逢備立之事
先三百
先同
三百
五百
五百
同
五百
五百艘四百
同
七
同
五百
五百
旗本ヲ二手ニワケテ一手ヲ
別手ニイタシタルナリ
二十二
三百
三三万の故に合備立之事
同
三百
先
同
五百
五百
同五百五百五百
同
五百
殿四百
同
同
五百
□五百五百
同
同
同
後
三百
百後
三段の備作法七ヶ条之事
一小殿に逢時はいつれも一二陰陽の心持あるへき事
私云味方の人数たとへすくなしと云共数ゟ多き時には
大軍の小勢へ合ことく弓矢の格を捕へし爰を以一
二陰陽を設設に応して勝をか致是我と対揚の
敵にも亦此格を用て備も兵法も是に従へし
二弐万の殿に逢共先備の陰陽を可持或文一重かわしも
可用所に依へし
私云味方一倍の大軍の分にては弓矢の其取様
よろしくは勝利をうる事勿論也故に先衆
いつれも三奇正を用ひ一の備敗軍せは二の
手にて勝利を定むる事勿論也と云共故に依
所につて如此の法不被用時には一重かわに備を
立る事有へしたとへ一重かわに立る共心根は
一二を持陰陽を含て勝負を一へんに取へからす
一三万の数と戦ふ時には必定先衆一重かわたるへき事
私云味方二増倍の大軍と弓矢を取時には先衆不残
一重かわに立へし云心は二の手は旗本と定め無二
無三に一戦を可遂と所存を一重に定め先陣は悉く
別手を一手に組合二の手必旗本と致し勝を
一旦に可成か為に致是を無二の格と云へし
四大敵に逢時は旗本は皆象棋頭備成へき事
私兵弐万の敵三万の敵に逢時は何も旗本組を
将棋頭に立へし象棋頭と云は一軍先に陣して
二三の勢左右に列をなす其形三角にてする
どなれは縦は象棊の駒頭の如しと云心を以かく云也
又曰三角は火の正体陽の気にして進むにたり
敵是を防共其勢とくして防かたからんか故此
心を表して如此云なり委細口伝有之
五旗本三千は千五百宛二ツに分て一手を別手にして是
又陰陽の備有へし但陽は必陽口伝
私云旗本組六備五百一備成かゆへ合て三千なり
此を象秦頭に立て三手宛二手成か故千五百
宛二軍に分つなり一手を別手に致と云は旗本
但六個は一手也といへ共千五百宛二軍に分ツを以
一手の別手とするなり
陰陽の備有へし但陽は必陽と云は右の旗本組
六備先一手三軍是を陽の備とす後一手三軍
是を陰の備と定むるなりめ此致して一の先衆
放と戦時其入合に依て二の手を施本三軍に