拙速百首解 一・二・四
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- 大野武範解
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- 大野武範解
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- 日本語
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- セツソクヒャクシュカイ
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- 東北大学
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拙速百首解一
一拙速百首解一
4337
一之巻
拙速百首
大林吉規自詠
大埜式範註解
一
くろがねの火筒の稽古善悪を
わさにためして能工夫せよ
くろがねの火筒とは銕砲の惣名也
一漬にてもからかねにても其差別に意
なし火筒とは則鉄砲也稽古とは何
一業にても修考の道を云武範云惣て
鉄砲には稽古とはいわぬ義理也稽古
の文字書経に出て稽古[リ]と云事なれは
一鉄砲は百年来の物なれは唯今大筒の
己の時なり可稽古由有事なし中
華の書に鉄砲の稽古を演試といふは
此故なるへし然は今を以て後世の稽
になる様に日夜朝暮淡砲の業を
鍛錬工夫して業を打出す事也其
一証拠にハ予か幼少の時は百目を大筒
の至極として昼夜に鍛錬したれとも
唯今は鎌倉の仏場所え出て
目四
同
公儀の御筒三百目五百目壱貫目弐貫
但シ井上左太夫者五貫目迄大埜宇右衛門者弐貫目
迄其余ノ打手者皆一貫目迄ニテ二貫目ニ至ル
人壱人
茂無之
壱人迄を打たればむかしの百目限の
一億試とは各別の事也況や昔は火矣
と云物有事なし只今二貫目迄の
火箭は式範全く自分の胃中ゟ其筒
々の岩量を考出しを如此故に先百目
の筒の自由して手に容る事此術の
根本也故に先人吉規識の火筒の稽古
善悪を業にためせと有之業にためす
とは先大横百目筒に地薬を込て玉
にても火矢にても混と打て見る事
千麦万化数を重て見れば筒の方
より業を教るなり此業を重て筒に
習て其味ひを心にて工夫する事也
師伝計りては中度はぬ事也され
ばよき師伝を得ざれは工夫の資
なし師伝は種也我心は田畠也よく喪
ひを施せは昔無之物をも自然と土
地に生る事也況や造化の神物共云
べき陝砲といへとも既に天より豊臣
公には純に不授して
権現様に投け玉へり是其人の徳に
よる事如此
一
寸尺のふとみ細みのかる重み
よき程をしる事そ肝要
一当流の百目筒寸中弐尺と云物是
よき程の肝要となく鉄砲と云ふ物
は其重みを以て質とすれはかるさ
重さを以第一とする事也かるさ重さは
寸尺に有之ハ寸尺軽重を知を以此
業の大極とする也聖人の教に中
一庸と云事有此中庸をはなれて天
地の間の事悉く立事不能後記の
業は筒の寸尺の中庸を知を肝要
とすす天重さ中庸をはなれては制
一敵の薬を不レ受戦陣攻守の場所相
応に敵を砕く力を不レ備は鉄砲にある
す只識にて作りたる所の筒の如し
今の時大筒の抱打と云物有て壱貫
目五百目抔の筒を以抱て頬に付て
打と云物有其筒の重さを問へは
長サハ弐尺余にして重き拾三貫目
抔と云此筒を十五間に的を立て頬
につけて打時壱貫目の玉ふら〳〵と
鞠の飛様に十五間に至て角板に
中りてやうやくに貫る若人梁の
前に有之扇を以ても其玉を打落
すへし是何の用そや名は壱貫目の
一筒にて徳は三匁五分の業にも劣れり
是愚人を欺の尤もの也其余の鉄砲
皆大旨如比其中庸を失ひて長短軽
重の節を失ふ物皆軍用に益無き
のみに非す味方の害を始事甚シ故に
寸天乾重を知を以て此業の大極とする
事如斯必しも爰に心を用ひて此
一業を学へし柳壱貫めの筒にて寸
尺軽重を得て中庸に称たる物は
玉一ツを以て三軍の陣を打砕き一城
を打落し船中にてはいか成襟艦を
も海中に打沈め六軍の勝を取事
掌握に在扨其筒の寸尺軽重はと云
時尺は三尺より壱丈はかり迄にも至り
重サハ百五拾貫めより千貫にも至る
へし是を最上至極の神流神器とも
謂ツへし此中庸を得たる筒と不
得筒との各別なる事如此百目にて
は二尺より三尺に至へし重サは拾三
三
貫目より十六七貫目にも至へし
一早打のさし矢の勢をよく極め
勝を取へきかね桐をしき
早打のさし矢とは玉の術の百目及
三拾目の六具台に極る也是当流の
一極意也大概飛流の百目筒にて壱尺
六寸の目当間にて七八町にては前目
当に七八分計の銃尺をかけて七町
六丁五丁四丁三丁二丁一町と引さけ
て早打を以て敵を微塵にする事
なり此所を平生に打究置て必勝
の勝をとれといふ事此七町より一町
迄次第に迫る所を銃尺に口伝の秘
蜜有て敵を砕く業を早打のさし
一矢の勢とはいふ也尤百目以上は攻守の
一器掛とて戦陣に純には用ひかたく
早打にはならねとも其人相応に早く
玉を打出す事其身の鍛錬に有へし
此一打を至極大事の習とする也鍛ハ
壱貫目にて十五丁五百目ならは十一
二町三百目ならは十町内外二百目ならは十町内外二百目ならは十町内外二百目ならは十町内外二百目ならは十町内外二百目ならは十町内外二百目ならは十町内外二百目ならは十町内外二百目ならは十町内外二百目ならは十町
うは八九町此段を命中の段と云とかく
関町より三ツ折にして大概一ツ分を
さし矢命中の段と心得二段目を中
一断断断断断断断断断断断三十三段目を権の段極位を関町と
同
心得へし
一山城に大筒小筒石火矢の備所に得失そ有
一山城に道具を備置事尤大事也何時も
直に打出す様に平生心がくへし不便
利の所に重道具を置ては急成時役に
立ぬのみならす邪魔になりて害をゐべし
心得第一也就中石火矢の大物を高き所
の本丸抔に置事努々不可有麓の平地
一利無双なる所に仕懸置て只一矢にて
五千も一万もの人馬を将基倒しに打倒
る事は平地の地勢を授て常々の心掛に
在万事の道具の配り方鉄砲に准して
知べし
杉々に仕懸の安きむつかしき
その善悪をわけて見るへし
一鉄炮のしかけに様々無量の事有最初
より当流を見たる人は鉄砲のしかけ
易き事の様なれとも是は先人吉規七
一流の奥儀を究て諸流の煩しきを
取除て唯戦場の利用を専として
究置たれは当流の弟子衆外のむつ
かしき業をしらねは皆大筒え当流
の様なる物とはかり思はるれ共中々左様
の事にて無之大明の兵書を見て大筒
一仕懸の業に忙果たる次第其外鉄砲の
業に躬を抛たる戚南塘る事蹟共に而
可被考偖又まちかき日本の今世にていわ
む斎藤新蔵は天下に名高き者なれ共
尾多ニ而予に謂て曰貴丈には摺台を不
被用只膚筒を地に置て大矢玉共被
打事是自得流の骨法なる故なれ共
筒を純地に付て打と斗思召ては違
ふ事有へしと云けるにより我等答て
一曰是我流義也鉄砲を手に握る程の
者我流儀に非太刀を打ん事天下に
不覚貴殿先入之見識いまた其迷
を不暁鉄砲の摺台は鉄砲の大病也
是より後自他の筒を打つけして
暁る事も有へしといひけれは新蔵不
服扨尾多を出て江戸に来り我と互に
御籏本に有て予か大物拝借して火
矢玉を打を見て其外の打手共新蔵
を初として御筒を拝借して御場所
に出て打時果して御筒と云物に統て台
有事なし悉皆はたる筒を御借有之
一就中井上流の大筒一挺も台有物無之
其臺無の筒を我は勝手に任て打を
見て新蔵も不及是非はたか筒を申
請て打けれハ元来台にて打覚たれば
はだか筒にて一放もおもふ所へ不行一時
我新蔵に向て台無の筒今は手に入
たるかと云けれは新蔵声のことくにして
答る事なし台を頼て打程しかけ
のまよひ重過して玉思所へ行ぬ物也
是仕掛の根本鉄砲の大極をしらぬ故也
又曰予浪人の時佐々木勘三郎と同道
にて鎌倉へ出ける時三百目御筒を拝借
セリ筒斗の重サ凡四拾〆目此御筒は後
に竹橋の御蔵に有之を見しに何流
にて何方より蔵りたる鉄砲にや様て
百挺各摺台を添て有之摺台の重サ
各弐拾〆目筒にはめては七拾貫目に及
勘三郎右七拾〆目の物を鎌倉え持参
致案に渡しけるに載謂けるは七拾〆
めの運送は近比御太儀千万也され共我は
一鉄砲さへ有之ハ台ハ無用の長物なる
により入用に無之其元え被置よと謂て
御筒計請取業相勤たり
此度の業此御筒
一に就て数ヶ条の珍
説有之尤大事の説とも鉄砲の修行其中にあれ
は爰に記したけれども事長けれは異之別縁に載て
諸道具の筒に付たる品くの利方を常に
六
工夫有へし
一鉄砲に付たる諸道具不残戦場の利
用を工夫する事肝要也此段鉄砲を
習得て手に容ては戦場の業を盛
夜に工夫する事第一也たとへ火矢玉の両
方を能打覚とも戦場の道理を弁へ
されは高名を究かたし爰を以て幽流
は軍術に達するを以第一の事とす予
一幼少より鉄砲軍法の二ツに骨を折工
夫しける故竟に七十歳に及て心虚の
病を請て健志の症を煩といへとも病
中更に軍術鉄砲の業を忘るゝ事
なしされ共手足不便利になりて
手自火矢玉の術細工より事に段
むの際心計にて可有之事無念至
一極老涙難圧筆耕の内涙数行に
下る壮年の人々油断不可有扨筒に
つき諸道具胴卵早合口薬入の類或
は玉薬箱大身小身共戦場野陣様
討夜かけ火縄のなゐ様同製法雨
中の用心識火縄の拵様第一胴薬
の合せ様折々品々麻がらに換用へき
也と云事皆々平生静謐の時の用心
に七有之唯一挺の鉄砲火矢屋の鉄砲火矢玉の鉄砲火矢玉の二ツ
を打覚ても右品々の業共に不精
は事に臨んて功を立がたかるべし
況や今の打手と云ふもの玉は打共
火箭は我家にあらす抔と云を自慢
七
に覚へたり浅間し
騎馬筒の業のはたらきよく知て
習わん時は軍にそ勝
此歌かくれたる所なく能聞へたる様
なれとも深く吟味して見れは風情
言外に余れり吉規風雅の道には
達せされとも面白きてにはなり是
大器の道に長し頗兵法にうとからぬ
より自他の妙所なるへし哥と云ふ物
は一字を以て無量の意味を含む物也
此哥しれた事を云述へたる先一ツの
不審なるへし騎馬筒といふ物当流の
極意にてよく知りてと云物歌の要なり
一定家の説に哥よまん人もなし唯よく
よむ事の難きになん侍と有之能
知てと云所に気を付へし又云軍にぞ
勝と云その字亦第一の要なり是等
の所風雅の道に近しと可謂蓋騎馬
筒とは百目三拾目の早打を云也此二段
の筒の打方は大切なる物故容用に
軽士には伝ふべからすされはこそ残筒
といへり
八
常くに揃るすゝへるかねあひと
いふ言の葉の勝身とはなる
是は足軽を用る陣兵の要術を詠し
たる哥也持るとは小筒は揃て中り試を
打究上何十番中何十番下何十番
と火蓋の上に真字にて慥に切付置
へし此中り様の打様百挺共至極念
を入るゝ時ハ足軽大将の骨折鉄砲
鍛冶も大勢打手も大勢吟味の
仕方幾重にも有て殊外むつかしき
事なり扨又足軽何百人にても平生
一鍛錬の次第是又足軽大将の表役に
て組子共を鐙身の心になし復中ゟ
戦場の心を不忘立折敷居矯臥矯蹲
一同医師医師医其外前後左右
の打方手次自由自在を打習はせ上
中下三段の位を定め帳面に記置彼
三段の鉄砲を上の打手に上の筒中の
打手に中の筒下の打手に下の筒と
配当して渡之平生の鍛錬を励する
に去年迄の下の筒を請取しか今年は
上の筒を被渡たり褒美の品も筒に准し
たれは筒を頭とに恥をあたへしとすれ
ば組子の内に最上の上手も出来足軽天
将の勤方にも親族有之鉄砲鍛冶迄も
面目有に似たり是を揃ると云也扨戦場
に隔み大事の場に至る時足軽大将たる
者件の帳面を取出して上の打手
何人中の打手何人とすくり出し其
方共は我の紐子の内にて平生人に
名を知られたる者共也故に今度大事
の場に臨む故何某々をすくり出したり
一乗後に在て能見るぞ随分命の限
り手柄を顕すべし尤功の次第を以案
申立て重く賞し士に取立へし八幡
大菩薩も照覧ましませ此詞を食べ
からすと誓ふへし是をすくりと云
かね桐とは小筒及拾匁迄は一町二町位
にても鹿矢倉の段にては土手といへ
とも慥ならさる物也地矢倉とて六十
間に至らねば見たる所に至不至故に
六十間を最初の矩と云へし夫ゟ四十間
三十間を二の矩と云へしそれより二十
間十五間を終りの矩と云べし十間に
至れば長柄交書て稠き打合始る
是ゟ鎗脇の鉄砲至極の場也此場
をぬけて士鎗あり爰にて一番二番の
鑓脇を鉄砲を以て詰る足軽は尤傑
出の者なれば必馬を授へし此二三場の
かね相を知る足軽大将は是又一陣
の傑出なりかね合の事精く奥に
述へし不肖武範幼弱より兵法に
志様々の事を講究せしにいつれの
師に尋ても小筒の打せ様小筒最初
の矩の事さだかならず先人吉規は百
目三拾目の早打の短を専らにして
拾匁筒の打方に左程に精しからず
然共拾匁の秘伝火夫雑木を以て
作りて八町迄打せたる事は誠に鉄
一砲の神明とも云へし然に武範大坂
に住する事十条年の内公儀の同心
御譜代数十人弟子と成て小筒を学ひ
けるに小筒にては早打に便利ならす
其上勢ひ微少にして用少し拾匁筒
は小筒に対して見れば余程重くし
て業もするとなれば打にくかるへしと
世の人思へり然とも其業至て容易
にして三匁五分よりも打易して能
中り小児と云共難しとせす世の人
是を不知此事に至て秘すへし爰に
於て右の同心共に拾匁を教へ早打
の手次を付て為打遣るに一肩二十枚
迄容易に打得たり是は玉の厚相を
能知て如此玉相の肝要をしらざれ
ば鉄砲の業千変万化の術を尽得事
難し然は我は拾匁筒を以し敵には
三匁五分の世間筒を以する時は敵の
千枚味方の百挺を以容易に百数百
勝と知へし扨又右矩相の事件嘉兵衛
門尉資友と云達人先人吉規に契固
して定置たる良法なれ共男ゆゑ武蔵
に至て様々と吟味し香物成資同始
資及吉規晩年に至て益講究する
に兎角熟く決着せす爰に於て或範
晩年に及て思ひ鬼神に踰て竟に
一時に髣髴として此場を得て此場を得て六十間を
以て最初の矩とする物ハ地矢倉の明験
を以て如比四十間三十間は益慥なるを以二の
矩とし二十間十五間は人には不外謂を以
天終の矩とす戦国の時十五間を以て人
の身の幅八寸に不外レ訳を以て十五間に
八寸と御定の事至極の道理不動参河
の御家法にあらすや深く感得すへし
是矩相の中庸なり中庸とは遠きは二
十間近きは十間の中庸たり弐籠かね相
の事にくるしみ発揮する事六十年
の後に至て如此但シ爰に説有渡部綱
が曰なき名そと人にはいひて過な
まし心の問はいかゞ答むと詠しける
事を武範か心像に思出して武のり
に向て問て曰凡昔より正兵の手先に
て小筒を初たる説は二三町といふ事世間
の通説也然に足下自専に六十間より
可初と云説を立て六十間を最初の
一矩と定められし事耳心に及かたし
世の人なほ信用すべからす精其弁
を為し天明験を示し給へと云武野
心に向て答て曰諸光達の説に二三
丁より小筒を始ると云事我甚た是
を然とせす故に諸先生に向て我此
論を為たる事数回にして膽を張り
肝を砕くといへとも竟に未決素意益
未止然に諸先生今は悉く謝世して此
世に在る事なし爰におゐて武範諸
先生の霊母悲嘆し鬼神に告て其
場を求る事五十年にして竟に
得たり是多年大筒に骨折て
小筒を疎にしたるといふにはあらす昼夜
大筒に骨を砕けは小筒に難及故也され
は世の人小筒を二三丁よりとはすと云事
甚いはれなし是に筒をもよく識たる
人世に無之給也凡小筒を二三丁にて
常人に打せて玉十ヲ打て二ツ斗も中る
ハよき中り也是皆偶中也均てハ多く
不中して皆無たし故に我思へらく
二三町にて打時ハ悉く空手浪発也
敵は精出して三町より二町迄六十間
の間火水に成て打又二町より一町迄
の間六十間なれば打初たる三町ゟは
二町の百二十間也百二十間也百二十間也百二十間の間早古に
て打たる時いかに遅くても十枚宛は
か打十枚打は筒十分によこれて一
放もうてす鉄砲既に棒と成て未熟
の足軽は鉄砲を捨るも多く今は敵の
一鉄砲一挺も用に不立忙果たる所を味方
はすくりたる足軽に持たる鉄砲を持し
せ頭後に在て節を制し何某こゝと
詞をかけ一面に折敷せ敵を毛付して
打する時至一ツも他文はなし然るに統
ての鉄砲と云物三丁二丁は慶矢倉と云
物を用れは敵の鉄砲皆空手浪発也
然るに味方の鉄砲六十間よりは平目宛
に敵を引のせて能打は必はづれぬ道
理有四十間三十間は先ツ目当を見出し
一猶慥也二十間十五間百五百百十一一
にて二人をもつなくへし三町二町の間
にて敵に玉薬を捨させ鉄砲を棒と物
させ火水になして労かし六十間に至る
時は敵の鉄砲一挺も不活足軽皆空手
なる所を見済し置かけて打する時
は必定此場にて敵を打崩す事掌握
に有此道理を以て平目当地矢倉の
六十間を最初の矩としたり惣而飛道
具の勝と云物手詰にならされは其
利なし故に
一東照権現様の御軍法に十五間にて
人の身の幅八寸を以て命中の場と
御定被遊たり此謂レを以六十間を最
初の矩と定十五間を終りの矩と定
たり是全郡生が自寿にあらす此道
理を諸人の信用せぬが手前の備足土土土土土土土土土土土土土土土土土土土土土土土土土土土土土土土土土土土土土土土土土土土土土土土土土のの土土土土土土土土土の土土土土土土土土土土土土土土土土土土土土土土土土
一焼の至也といへは武のりか心初る信服して
復ものいふ事なし武籠贅言に曰大筒
の矩の哥本書に疎なり持るすぐる
と云事は仲嘉右衛門平生の常言なる
よし先人吉規式のりに離れり百日玉
の早打団矢倉の工夫も加右衛門資友の
作なる時は嘉右衛門と去人は鉄砲の神
明なる事疑なし然るに小筒の粉る
勝ると云事も資友の常言なる時
は兵法にも上達有し事論迄もなく
然に大筒の段に矩合の事誠略なる
は恐くは両先生の兵法爰に不至の夫
念なるへし式範苟も両先生の浩徳に
浴して鍛錬筆を重ね古希の齢に
向として拙述百首の註解を為して
自専ニ小筒のかね合事を決着して
大筒の場の場の矩相の事疎略なるを覚
ゆるといへとも健意諸忘の病患し
きりに懶てまつ此時は草をさし
置ぬ他日病の隙を窺て筍を耕
すへし
也
御城攻に焼落す社大事なき火矢の打様有と知るへし
夫火矢は城を焼落すの術也如何様の堅城感
陽宮にても唯一時焼落事掌握に在万一
尋常の人浅聞といへとも信用すべからず
信用せんが辻方の勝手也され共此術に
至て火矢の妙所を究めねば妄りに口外
すへからすたとへは嶋原の賊のごとき物出
来る時上より急度被仰付時即時に御
請を申上速に其場に至り時日を極即
時に焼落すにあらされハ以前の出言相
違する也以前の詞相違してハ生てハ居
がたし是却る時功を立むと欲して鎧
を蒙り毛を吹て瑾を求たる物なれは
能々分別して言を出すへし分別して
言を出す事は己か業に在然るに此業の
次第は至て秘事にて容易には述かたし
いか程火矢玉の術には達するといへとも
其法の極意に疎くしては努く及がたし
故に当流の凶段に於てハ吉規生涯免
したる弟子壱人として有事なく
唯予か独兵法を好か故に此一段精く
相伝を得て後年に至り益潤飾して
心中に蔵したり流義一大事の神密
努く其人にあらされは免法へからす
火矢の用ひ様二段有
一一つからかし打様の事
一即時に焼落す打様の事
右の二様は敵の様子次第にて用ゆる事也
降参すれば命を助る時はつからかし
打を用る也嶋原の賊のことき必誅の賊
なる時は即時に焼落すへし先ツつから
かし打様とは毎日毎夜昼夜暫時の間
もなく火矢を二本三本ツゝ方角を違
て打込時しかも大小の火矢にて何方へ
何時可来も難計城中寸刻も油断する
事ならす労れ果る也如洗して半月か
一月を経る時は城中生たる心地なく病
入事也此時に至て計策を用ひ扱
ひを入るか或は手ひとく一揆攻るかする
時は即時に此城降参すべし又即時
に焼落す打様ハ最初より火矢壱本も
不打城の要害の堅固の地より本丸に
近き方の町間を見定火矢を仕懸場
所の楯に用る築山を築せ鉄砲大筒を
何十挺も仕懸百め以上の筒には三本文
五本矢拾本二十本と雑木の火箭を
作りため或は大火矢竹砲礫拾匁筒には
日比作り溜たる雑木及竹火矢を仕を
る其仕懸は何十挺にても壱ヶ所のきつか
けを以て如何程も仕懸る秘蜜あり
此術当流
一町間は何十挺にても同町と定
の秘要
何百挺にても一様に仕掛と云事他流の及ぬ事は他流は筒
一壱挺毎に矢倉の位変れは数十挺を一挺のことく筒を
仕懸る事は神明といへとも不能事也況や火夫といふ物
一雑木にあらすして五本共作溜る事是又人作
の及所にあらす故に雑木の火矢を以て神明の数
へ給ふ業として深く吉規是を信仰せしは理也
天気を見立悉く仕かけて少風の吹夜を
待てわたし火に而相図の時刻を待一度
に火矢を打込時五本拾本こそ防く術も
有けれ凡火矢百本に及時は五拾本日
一三十本[ニ]各所に焼付すといふ事不可有
五十本三十本各所に鶴付時は更に防く
術ふて有即時に落城疑ひなし此術必
勝即功の術也然に世の蒙人思へらく二十
一余町の遠町にて一本の火矢を頼て敵
を焼へしと思ふハ至て愚人の所名也両人の所名也当
流ハ遠町を不好五六町の場を以命中
の場と定めて火矢の数は数百本を頼と
する事也兵の道は定石万金の場に
あらされハ猶かたし故に当流ハ一人の
上手を木頼して平生雑木の火矢の十
百人もなべて作り易物を頼事此故を
以也此術他流の人五本三本ハ作るといへ
とも仕懸の妙用をしらされハ及事なし
当流の雑木火矢と云ふ物殊神明の
術也貴むへし仰くべし又曰蒙人謂
へし当流の火箭の定石の六七町迄敵寄
付べからずして又寄事も難かるべしと
是兵法を知されば不審前也六七町は
云に不及城の真際上に至る仕寄の妙用
あり是大筒の極意神密の旨に精
しからされは臻り或事不能尤此術
取究たる神秘なれは口伝の至極に
して筆には及難し
一対陣の敵の備を打崩すその汐相に大事社
あれ
先対陣の時ハ味方は必待合戦と心得べし
相懸りにてハ大筒の自由不便利也尤是は
戦陣攻守
戦陣とは平原の合戦を云攻守とは
城攻籠城を去筒にも戦陣の位方攻
寺の位有奇手の業にも戦陣の業有攻守の業有先
此二段の訳を知たる軍法者流もなく鉄砲者流もなし
然は二流の輩俱に番椒丸吾の者共也此二段を詳にして
の上の事也其巨細なる事は今爰に筆耕し難し
熟学をtて朋暁
様々の習有大軍の時
して通達有べし
待合戦にするならは冬夕長篠の戦法
を用へし小筒にて柵に搬て敵を欺か
れければ甲斐の群雄数十輩悉く三匁
五分筒の為に討死せり今世柵も丈夫
にして夫に土俵をもたせ百目筒を
分布する時ハ凡筒十挺を以て十万
の敵を砕く事は誠に殿を以卵を砕き
熱湯を以雪の上に濺かことし又掛の時
はたとへ謙信の車かゝりといへとも一挺
の百目筒を以て一万三千人を杭にすべし
此時の町間の工夫有へし此出ゝり様も車
かゝりなるへし千変[リ]万他陣法の徳の極
致車かゝりの術に出す此時秘極星矢
一倉の業神台口伝
十一
大将の稽古といふは火矢の蝶
戦陣攻撃攻撃攻撃攻撃攻撃攻撃攻撃攻撃攻撃攻撃攻撃攻撃
大将といふ名目之事唐大和にての相違
日本にても古今の差別にての相違有
故に今世日本にての俗称を以ていへは
諸侯は皆大将といふべし此人は必火器
の業を聞届て其用法を専にしる事
第一也戦陣攻守とて合戦の場所にて
戦陣とは野合の合
一火器の用法の差別有
戦をいふ攻守とは
一城攻籠城を云船軍は攻守に属す
此四ツの場所の用法守大将の先務也
惣而の武芸
の修為大将の習方家老番頭の習方事
の習方に心得有へし是兵法の根本共
云へし今世皆混雑して心得違有之様也
心得給へし武芸中の内にても火器は
各別の大業也此謀究なき時は事に臨む
て決て行るへからす然る時は勝敗は稀に
不及
十二
火器の業近きに勝は有ものを
遠町好む事そあやまり
惣而飛道具といふ物皆〳〵手詰の場に
至て勝負極る然るを遠き所を頼は
武士の本意にあらす就中火器は近き
に利有遠きに害有常人の心術とは
達人の心弁別也故に当流は近き町を以
一肝要とす尤当流の火矢は一町半町の
所狭き屋敷の内にても自由に打之是
諸流の及はぬ所也此業火矢の極所也
謂意もなし
十三
遠町は海川山のへだゝりて
よるによられぬ術のならはし
此哥表の通りにて更に別意はなら
れとも意味深長にして筆の及ふ所
にあらす
十四日
物陰の敵を払ふは火矢の業
山岳射越遠近の程
此哥火箭の極意を云也火矢は矢倉を
極て薬を以飛する流義なるを以高
山のあなたに敵陣営を為して居る時
鉄砲にて打拂度思へ共高山間に在
て難打時山の高さをつもり矢倉を上
け薬の力を増て敵の頂上に打上て
夫ゟ敵の陣中につるへおとしにおとし
懸て其所に陣を告せぬ術也是当流の
妙所是をおとしと云講究すへし
十五
雑木火矢軽夫秘伝矢能習ひ
一鉄羽の火矢に用はすくなし
先人吉規七流の鉄砲悉免許を得て見
たる時悉皆鉄羽の火矢也吉規細工の
器用を尽して製して見たる時如何
様の精力にても鉄物の火矢を以堅城を
焼落といふ街心に落す猶干此昼夜心
を尽して堅木板羽を作り始め打て
見たる時心少安むし扨は頼所有とは
思へとも未心自得の場に不至竹矢を作
り握仕懸にて打たれとも矢は容易に
出来ても仕懸軍用の捷縫にあらすと
して心を砕く所に時なるかな和多
郡山に至り元禄六年の年始て雑木
板羽を作りて打たる時果して心に
四月十一年の輩に大勢為打たる時益心
に叶ひ自由自在を得て城を即時に
焼落すべき工夫も忽に成就したり
され共其城攻の手段に於ては他の
弟子に伝へす唯雑木火矢の修錬を以立
従弟子に修為せしむ上足の弟子十三
町を以関町として一本も未十四町にも至物
有事なし不肖武のり宝永五戊子年四月
十五日十七町にて雑木栂の文五本にて
五本悉く皆幕入星入町着別紙に在
此時代の前後十六町迄も五本揃て打着
たる者我の外壱人も無之其後郡山の
家程なく廃しけれは十七町を打たる者
宝永五
式のりが外には一式有之事なし宝紙
年四月
十五日当流にて十七町の雑木を打田聞へければ郡山
中の打手共見物山に雲霞のごとく群集す国法
に十町以上を打時は大目付一人矢先に出場す其日は
松井宇太夫と云もの出場は于時武術沖之丞と云ふ
一者是も宇太夫同役にてしかも鉄砲の師役佐五右衛門と
両都の高名なる者也しか宇壱夫に向て云けるは今
日は自得流にて名誉なる火矢の業有之由なれは何
卒業を矢先へ出し給るへしと云へば宇太夫か曰足
下はそれ者也葉は其徒に非すさのみ懇望にもあらす
一殿に足下其場へ可被出と云て沖之丞を代りに出し
けり文光は大梵左五右衛門武崎沖之丞両人の達人
其外矢場奉行両人姓名ハ朱念しけり其外の
見物市のことし尤晴あまし打手は大壁数右衛門同角左
右衛門林六兵衛都合三人也其外の打手は雑木十七町
と云に驚き惣て橋も不出匂坂惣内三坂六左衛門味岡甚
内も不出扨時刻になりけれは一番に大禁数右衛門か
麾を止たり見物かたづを呑たる時即打出す其矢
少前切にて十三間之越に至る即前に而十三間之越
星入の麾を合す横使各感服す二番に大野角左衛門
麾を上て打出す其文即微塵に砕て行衛不知
暫時して矢がらを索出しけるを見れは薬付の際
ゟ茶筌のことく成て揺切たり当流にて火矢の損たる
を今日見初たり三番林六兵衛麾を上て打出す其文
一羽落て御防山に落るされ共砕て俊慶に不成斯り
けれは角右衛門六兵衛共に大きに赤面覆入して詞も
なく幕の外へ出て麦畠の溝へ平臥して口惜〳〵
と云ふ声のみにて外に物云事更になし惣而三人共に
大矢五本宛持参し都合十五本也数右衛門五本に而五
本なから幕入星入也外之両人は壱本も不着多くは
失損たり両人の打手甚不快矢先に而は吉規以の外
不機嫌なり時に武衛沖之丞云けるは数右衛門殿の夫は
一弥雑木二而御座候哉十七町ハ堅木といへとも五本にて
一五本皆着の事は他流にていつれの国にても不及承呪
や当国の中に於てをやと殊外不審なる顔色也
其外の見物大勢の打手共皆雷内していふかる
其時吉規侍団兵衛と云者に向ひ牧右衛門か矢五本
共に揚て来へしと申付る団兵衛畏り五本の矢を
一不残土より抜出し薬付より根迄を落屋に包み
〽同草和夕の河原に南方の堤に茂屋と云猪の木似る小木
一生茂れに火矢を此木の茂屋に包人に蔵す事其
時の玉谷たり先文を以来たる
時の国俗たり此故を以団兵衛茂屋を以火矢を包持
来迄持参す吉規勧天中座して検使十間計をへたて
て小刀を以て小口の紙を剥取筈を鰹節をかく様にして
一其前屑と小口を張たる紙を扇の上に載て大目付沖
之丞か前に出す沖之丞是を不審にするに其削屑栂の
木也其時分雑木の遠丁は当流に栂の木を用其時
沖之丞佐五右衛門向ひ扨々肝をつふしたる牧右衛門殿
の御手際可なと感得し矢場奉行両人に舟之其
外見物の打手共に来て其削屑と小口を張たる姓
各有之紙は杜奉へ可被下楽の弟子共へ見せ申度と
云て懇に懐中したり吉規帰宅して武範を呼
出し自分の振塵を与へて後年の証とす武装
是を自記すへき事にはあらされ共後手に至りて
一此業を修行せん人の励勉給はん標的の患に如斯
足軽火矢
其外軽失
の事なり
一秘伝交抱矢を以て
平生是を打尽したるに抱矢と云
物の能是又筆に尽しがたし此火矢共
を武のり常に講究して竟に鎌倉に
於て壱〆めの御筒を以て壱〆めの抱矢
の早打を致て町着を上挽に入るかく
其火矢を有徳院様の上覧に備たり
抱文の業にあらざれば火矢の早打の
一業難成武範三百目筒を以て矢数
一拾壱本於房夕此術を興行せしに初
矢の焼仕廻ぬ内に拾本の火矢を打仕
廻たり尾多の数百輩皆能知之至に今
称美す統て上覧四度に及其次第
共追々興に可記尤流義の規模何事か
加レ之事有レ之事有也尤抱火矢と云物純一に
雑木を以ては作らぬとも畢竟は雑木板
羽の徳を以いたしたる術なれは兎角雑
木の徳たる事難レ是レ筆紙夫ゟ以来諸国
にも聞及諸流に雑木を似するといへとも
其不及事昊天の材也就中此抱火矢は
一細工の妙所を究されば火矢作かたし
拾又鉄羽火矢と云物の難事をしら
ざれば板羽の貴き事不知爰に其鉄羽
のかたき事を一つ二つ揚て初心の人の心を
驚すへし然るに鉄羽火矢の難事を
云時随分其材を撰ひ熊野樫及日向土
一佐より出る上々の木を以是を製木といた
し鎗の柄のことく裂たる物を以て下地を
削立真を取羽溝を三筋彫て胴鉄
を三所に入皆々溝を彫て鉄羽一枚に三
所穴を明て此溝に彫込胴鉄を廻し其
胴鉄にも穴を明て頭巻の鋲釘をし
けく打て作により鉄羽の火矢壱本を
一ヶ月もかゝらねは作り果す事不能
第一其村堅くして隣のことし下地を
削り羽を付るに最上の細工人といへ
とも廿日計も日を経年は一本の下地を
一だに作る事不能况や尋常の細工に
ては企及にも不至皆半達にして止
志返す人多かりけりけりかて其村甚高
直にして微禄の人難及羽といへとも壱
本分の三枚を鍛冶に命て鍛冶に命て鍛すれば
一本分の三枚にて金三百疋壱両ゟ下
直にては不作之始終に一本の費用金
弐両の内にては出来す此火矢を数本
俳諧俳書是を打尽事は大禄の人
にあらされは難及况や此火災打度毎に
悉く砕て彼鉄羽共に微塵に成て
飛事也此費をも不厭昔の人は是を習
得たるも多かりけり去程に依田佐助云
二十二年四月十一月に月に打放て向
へ至り焼る論には不及此方の鉄砲の筒
口を審事を肝要と致す物と存候は
私共の火矢は十度は十枚共に筒口にて
砕故先鉄砲の薬口を早吟味仕候と申
候由浅見半九郎式範へ咄申候統ての
火交と申物帳物は如比然るに又其利
一一用雑木に劣る事百段も雑木に劣る事百段も雑木に不及
然る時は雑木板羽の利器たる事筆
舌の限りにあらす先板羽の火矢は壱本
を上手に作れは念入て一日には易其費
用をいへは金壱両を以て雑木板羽様
一本は誂へし軍用の利を云時は十全百勝
湯也然時は先人吉規か功尤称すへし
爰に雑木の利用一条を挙て門人の勉強に
備ふへし是も寛永年中の事也吉規が門
一人三坂六左衛門某と云者有其比年齢二十
八九歳にて式のりには少し先輩也しか
大筒火矢の業に尤器用也然共上手の場に
ハ不至匂坂惣内及我等ハ難及共第一早
細工に而如何様の事におしかけてもあくまん
男なりしか式時同僚に向て云けるは
一我は一日の内に百目の雑木火夫拾本作り
て不残日の暮ぬ内に打仕廻へしと云に
より座中の相弟子大きに不信いかに
其方早細工にても十本の火矢を作り
立る計も一日には不可及況やそれを不残
日中に悉く打仕廻べしとは唯口に任て
被申たる迄にて手に取は罷成間敷と云
ける時六左衛門詞を放て我腕に覚なく
して此詞を出さんやと云て同僚と甚争
ひ然は日を定て作り可打とて刻限
は六ツより六ツ迄と定比は四月の事にて
長日とはいへとも中々別人の分別に及
一細工の法式の定村は櫟木の
事にてそなし
一九ツ割墨を壱寸五分にかけて
挽割四角なる物の長サ弐間なるに火矢の長サ二尺三寸
なるを五本もり付る是は其頃の定法にて平生如此末じ
て用ひ来るを其侭にて不挽切に町場へ持参す焼薬
へ前日より定信の斤目指包かけ方天指置強は堅木の古
弦を用ると定む打薬の両目は定法の通り六町の薬日を十匁
放分かけ分て指置と定む粘ハ前日より陣置と定細
工道是は道具築一つの外他の
偖其日に成ぬれは
道具を堅く不用と定む
夜半の子の刻に起て唯壱人道具箱と
彼九ッ割の村壱本とを僕共に為持て
打小屋に至相弟子に案内すれは本より約
来の事なれバ何も同志若約の場に集居
るに同志壱人も小屋の内に入る事を不許
勿論細工の番体仮初にも余人に不レ香レ見意
家僕の類は一町も他の所へ退て近付事を
一不許村共と同名角右衛門は制外なれば
一不レ防仏之武のり猶ハ小屋の内に在て外に
一ゟは角左衛門来て難通用事を内外より
弁レ之立喰ハ握食を自ラ腰に付たれハ他の
煩なし偖六左衛門は件の村を前に横たへ置
鋸を右の手に持城の六日を打を待居たり
既にして六ツの太鼓をドント打と一調子に
一鋸を以て五本の火矢を挽切夫ゟの次第は
大密事なれハ難及草式範ハ兼而より其
一細工の次第を工夫したれは扨は案の業と
符合したると思はるゝ事も多し角右衛門
は不及外の弟子共に後日に其細工の
奇功を尋いわせても皆不中理りなる哉
其功巧中々凡慮の及御ん業共也然まに
一天気曇りて雨天に見へけるにゟ梨角
右衛門と談して天曇り雨天に属するはし坂
か不運也不及是非細工の次第は尤秀逸也
是を助すんは不可有と云て遽に炭火を堤
の上に積て其廻りに火矢を土に突立て乾
定細工の奇巧を補ひ助く吉規も来て其
一功を称豆しけるに羽を付一篇張たる時
雨院に降出たり七ツを打時拾本の火文
皆成就しけり天場奉行其日は星野村伝
左衛門と云大小姓出場して称美す同志
大勢来て百目筒十挺揃て三坂に渡
す六左衛門か仕懸の次第是又群を出たり
六町に幕を立る事は前日よりの定なれ
は十本の火矢十挺の筒に仕懸並へて渡
火を以て一度に火を指す甚手廻し残所
一文になし十本の火八本幕入弐本は
越文に至る矢場奉行以下見物の輩
皆肝を落しけり
壱文巻畢
荷出3
拙速百首解二
一拙速百首解二
4337
弐之巻
展記
附たり此序に三坂か笹用の一事を語るへし
一是全く贅言にあらす皆後進の励の為に
老筆を費す者也是又兵法得意の旨も
其中に有之ことなれはなをさりのことにあらす
能々得意有へし今の世児童者たた
むれを以兵法の名をぬすむ輩も有之事
を吉規深くいましめて平生相図の火に
絹なとを空に打上ることを大にいましめ
て是を武芸中の賊人と名付たり一時本多
能州忠常様人の家老共を呼て申けるは
我家は当代流行の火器を貴む事世に
一起たり故に名人上手輩多く出来れり
此器物を戦場に用る仕方は我等平生心
一然テ昼夜食を終るの隙も公法に質し
一合而工夫を以家常茶飯とせり定而藩
老の面々も我等の心を推察して其心
掛有へきこと勿論なれは我家に今十二流
の鉄砲の師範あり今四方いつれの国にも
せよ事あるといわむ時
一持年家の御先掛して一番に功を立る心法
なくては平生用心の甲斐なし然る時は大
一筒鉄砲は第一番の兵器也其術共の仕方の
いかむといふことを明細に弁へしらすしては叶
ふへからす其業共の巨細の分野を何も
明察有之哉否哉と相尋けるに拾人
の輩さして覚悟の次第とも精しかゝす
其時忠常向我平生多くの費用をふ
厭此業を講究させしに各不覚悟の体
は忠儀とはいひ難し心を用ひて時々吟味
すへし我復其旨を聞事あるへし必し
も懈るへからすと命令す於是藩老の面々
夢の覚たる心地して当流の外のいゑ〳〵
を探索して立けるに忠常復命して
此ことを問ふときに藩老の面々一ツ書に
して指出す忠常の心に応すして曰
一鉄砲のいゑ〳〵の業は我予を識れり我
其業を向ふにはあらす戦場の處方其
用法の如何といふ所に有とて掛媒好
からすして復曰書付の次第十一流の業
計りを吟味して自得流の業を遺す
と如何其時家老の輩申けるは自得
一流大壁佐五右衛門業の事は御前の御流儀
にて平生明細に御存知の事に御座候に付
我々共今更不遠慮に相尋可申様無御座候
由を申戻る其時忠常復曰我等佐五
右衛門弟子なるにより其遠慮は尤なれ
とも人には銘々の才智有者なれは必
しも我智を頼むへからす我等如何程
自得流を信仰すれハとて其方共の心術
計り難し兎角異見の宜敷に随ふへし
我佐五右衛門流儀のみ用ひて外の流
紙を捨るならは外の十一流を悉く制
禁すへし夫は甚鋪悪事也衆芸を不捨
用ひて衆芸力を同ふして大敵に勝返し
我佐五右衛門流民を聞而業を習はむ昔也十
一流の業すへて難習又混して習合す
へからす大事に臨むて可用せは十一統
は十五流にても皆押ならして用に可立
然時はとの流はとの流はとの業此流は此業といふ
ことの趣を知すしては変に臨むて制を
一下はへらす佐五右衛門流儀吟味のこと遠慮
及はす業の秘蜜を押ゑて聞むといふ事
にはあらす業の秘事なることは神文なく
て等閑の人に示すへきにあらす其方
共といゑとも火矢の作り方を習ふべし
とはおもふへからす其業の大臣戦場の
処方はいかゞといふの次第のこと也と精しく
申付けれは各承知して奉畏とて退出
しけり候僧佐五右衛門に向ひ其段申述けれは
吉規が曰戦場の次第御尋に随ひ可申
上に而候此方よりは正申上と答ゑけれは
其時各申様他流にのろしと云をあり竟
に御流義には不承及と尋けるにより
吉親曰のろしとは煙を室へ上ケ申事
言候哉又火を上ることに候哉と申けれは松
一野又左衛門と云家老申候類は火を上ケ申
事にて候と云吉規復答けるはのろし
とは唐の書に狼煙と書申たるを日
本にてのろしと訓し申由存及候此術
の煙を空へ上候事は左も有へし業も
覚申候が火を上ケ候業は然るへからすかと
覚し其子細はすへて火業は機巧を用
類ものにて年の相図と申ものは其相図
一ツにて五千三百五百三十五匁に裏切する
といふか或は向の山を廻りて敵の右の方
より壱度にかゝるといふか所詮三軍の
力を一ツに合する為の相図にて候に無覚
一ツの火を空へ上るを頼にいたしたる
時若万一過行て壱ツの火を空へ打上へ打上へ打上へ打上へ打上へ
きからくり違ふ時は三軍一度に其節を
失ひ忽一敗地に堕て惣敗軍競ふへ
からす故に火を用ひて相図を致事は
大きに兵法には嫌ふ事にて御座候由故
に往古より金鼓龍旗は三軍の耳目
と申て寂然として目に見ると耳に
聞との弐つを以ての万金の術を相図
には用ひ来り候今時の相図の火と申
事は全兵法不鍛錬の人の申出した
る事ニて候由承及申候因茲拙左の流
儀には相図の火を用ひ不申候唯相
図には金太鼓樵馬印の類の慥なる
物を用候と答候時十人の者共黙ことして
復物云ふをなし其時蒲生帯刀と申者謂テ曰
唯今の弁説図ることなり併他流には専に
致す事なれは定テ御流儀にも備はり可
有之は勿論なるへしと申けるにより吉
魂曰光急労を先といたし無用のこまは身
子共に答て教へ不申候其急務といたす火
矢の業数百人の弟子供の内にていまた皆
済致さねは無用の贅術を教ひて申暇無
御座候併世上おゐて火を以いたすほとの
ことは未熟の弟子共にても皆覚悟をいたし
可罷在候事珍しからす候と答怠ける時十人
口を揃へてしからは其術いつ幾日の夜興行
可有歟と申に付何時も御届次第と請合吉規
宅に帰る其段能州破聞及当流に於て
珍敷をなれは城中の櫓より見物すへしとて
家老番頭物頭迄不残登城に及けり然るに
吉規ハ帰宅するとひとしく兎許の弟子
句坂惣内味岡甚内三坂六左衛門大野角右衛門
角右衛門は吉規か養子成共業
大野牧右衛門
五人の者
たきとす牧右衛門宇右衛門武のりが襲
を私番へ呼寄今日家老の面々如此を越
被申により免許の弟子は是程の儀は
皆く覚悟いたし可罷在を勿論に御座候
といゝたる時しからはいつ幾日の夜御城より
一壮観すへし殿えも其段可申上置と
申されしにより御聖次第と請合罷帰れ
り各是或のことは最易のこと也早速帰
宅有て作り可被申と申たる時竟に夢
にも不聞及事なれは惣内甚内角右衛門
ニは早速に不請合いかゝ可有之哉工夫致
作り見申へしと難渋しける時三坂は少
も難渋せすして申けるは此度諸流の鉄
地吟味の事珍しきことなと尋も有りと
存たれは思ひの外なる事ともなり尤藩
一老衆いつれも兵法の資を承り及はねは
寄らしき尋も無之先生には嘸残念
可被思召候併先年高野騒動の時の手際
をいつれも被存たれハ各別の尋も無之も
尤当流の規模たり先早々帰番致上火二
一三本も作り可申とて帰番したり扨其日に
至て上火三本迄作り上ケけるに外の者共
は漸々壱本宛作りて其日の間を合せ
たり三坂は三本共に各別の手際なり
吉規我等か工夫は牧右衛門え可告作とて
我等武範に命して其日半日の内に
一先作ける扨其日の七ツ時より仕掛て酉
の中刻に至て都合火の中刻に至て都合火
たりけり尤其次第目録に顕し能義の
前え差出しけるに其様投城中の矢倉より
も相図挑燈を出して礼謝におよひけり
勿論一本一本一本に名義有て後代に至て
手本と致けるに吉規か工夫して予作
らせけるは就中各別の壮観なりとて能
公忠常自分名義を給側に仕ひ奉る
侍に牧野甚右衛門と云者を以吉規工夫して
牧右衛門作りける火矢を昇降星と名付
へしと命す因茲後年昇降星を以揚
火矢の手本とはしたりけり三坂六左衛門が
此術に達者なりし事如此郡山の本多
一家廃して後松平主殿頭に仕ひて火
一番を以て帰けるが数に物存して其子
を三坂六左衛門と号して家業を請継たり
と云其術父に似さる也有哉を不知
十六
一抱打ものゝ具しめて障は
一唯肝要は早うちそかし
抱打と云もの六具を堅めて障所多し
誠の用にはたちかたしされとも其家の
それ者無体に血気にまりせて打方是
あるといふて素人を欺き弟子に誇る
といへともゆめく信用すへからす第一
一鉄砲といふものは櫓の活動を以て遠迫
一を自由して最中のみ也此物の活動
する事抱打におゐて難レ成けれは人の
目のつふれたるにひとしく第二には鼻
を冠りて忍緒にかまひ発手につかへ其外
所々に支てすはたの時とは大きに身体
自由ならすとふき慮りこそ不可有され
とも是ほとのちかき一身の振舞に響き
上は三軍の成敗の事犯うちの輩を論
するには不足我流義の早打共は百目
の神權治巧は伴資友の神巧に成就し
三拾目六具堂は先人吉規の三十年の
精巧に成就したりことも愚や一朝一夕の
故にあらす信仰あるへし
十七
火矢は圓く玉はけ堂にて勝利あり
玉のおとしはなにのやうそや
一火矢は白くとす気なり玉は方とは方とは方とは方とは方とは方とは
此道理自然とそれはれり然共諸流
是を知すたとへ知といへとも術に於て
是をする事不能夫を委鋪いふ時
一火矢は矢とは矢倉を以おとしかけて
落る所にて燃付焼落るものなり玉
は方とは薬を以かけわたし支直に人
一数の屯を幾段も打透して陣をたて
させぬもの也然るに他流の玉業を見
れは当流の火矢のことく矢倉を以高く打
あけてそろりと敵陣におとしかくるは
なにことそやといふなり勿論流義のことく薬
を存分に込ては仕懸の術も知されは仕
掛微塵になりて打事不能兎角効め
て無理をしてなりとも達人に降伏
せぬを以是としたる土は抱打の小人故也
大めつうして様子の替類火矢たまも
実なきときは用ゆへからす
大矢玉の名別方亦自然の術の術の術の
外各別にやうす有なといふは皆
欺きなり兵法を以弁すへし
十九
しなしの薬の薬の薬の薬の薬の薬の薬の薬の薬の薬の薬の薬の薬
其勢ひは多少さしひき
しな〳〵の薬の能とは塩硝は昇て
専なるもの硫黄は発して保つ
もの灰は二物を助て決断を主と
す此能をよく知て鉄砲の薬を詞
合して其種を考てさしひきして
功を為といふ歌なり大将軍の人をつ
かふも此道理に同然なり近世の名将
武田信玄を以謂時位玄はなり鉄砲の
功を巻つるは火なり火といへともし物の
一雁下なきときはかうを難立三物の属
下は武田の四老臣なり塩硝は馬場美
濃守高坂弾正山県三郎兵衛内藤修理
一也此四老臣にりて百戦万勝不疑者也
硫黄は武者奉行加藤駿河守上原随翁
軒の類也灰は足軽大将の傑山々山寺勘
助多田淡路守等也類也信玄は大僧正
に任して大納言に准したれハ諸太夫を
仕われたりされとも其任大勢有レ之は僭
上なるへし
其人々の器量を能知りて権を以切
を蒙たる者なり真其ことく三物の
能を知わけて薬を調合して違近の
権をはかり信玄の百戦百勝せられた
るやうに大筒をも小筒をも自由
する事全く権の一ツにあると知る
へし
二十
上中下三いろに別て合薬し
筒に尋て工夫あるへし
此薬は上とは強きことの上なり中とは
強き事の中なり下とは随分柔弱の
弱くすりなり此三路の力を知て扨込
て打時は上は如此中は如此下は如此と
明察していかほとにても込て打時矢
一倉を極めて矢を飛すれハ其薬の力
ほとならては不行扨は薬の分業次
弟は心の侭に飛をを知へし然共
夫す矢細工の至極を尽しつるの塩
梅を能細工しての上のことなり此歌の
決着の意は兎角薬の合せやうを能
一鍛錬せよといふこと也白塩硝の極上硫
黄も灰もかたのことく吟味をとけて至
極強き薬方をあわせても弱薬に
出来る事もあれは一筋に方をも頼
難しさゝは方にも抱りがたしと
いはゝなにを以薬を合すへし第一薬
を合するには権事を第一の勉とす
一杵かすをおほく当て細末を極意と
する事なるを以先上中下三色に分て薬
の三段力を明察して筒に向て尋問へし
といふなり千変万化薬の勢を審にせよ
といふ事なりしかるに唯今の打手三物の
功能をも不レ知灰の焼やうをもしらす薬
す黒き物と計心得て火を指はほんと
いふものみ覚ひて鉄砲を打覚へては
事に臨み変に処する時之をいかむ
薬をひさく買人も武蔵国の八王寺
大和の国の五條ならては住せすそれも
敵の為に接となりたらはいかゝすへき
一物鉄砲薬の大切なる事此一事を以明
察あるへし左に記之
一権現様の御軍法に鉄砲薬の御鍛錬の
法にいわく抑大坂に鴫野といふ地あり
一御城の丑寅に逢て御本丸よりさし
渡し僅に四五町はかり此処に御城番
の下屋敷あり于時享保年中なり此時
戸田大隅守忠園御城番たり此屋鋪
は公儀の御陰硝硝場なれは尤其恐
厳重にて此所にて火矢の稽古いかんあ
有哉とのこと至極尤なり拙者には少も
御気遣被成間敷候尋常の打手は
勿論やしき内にて火矢打申事共
孝もよらぬ事なれ共そこか幽流に
て御座候火夫ならはこそ恐れも有也
口礼火矢にてはあらす木矢にて候と
いふて火をさゝす常に為打し勝
るに其比は
有徳院様の御治世の初にて御先代
により御城内に御貯の鉄砲薬皆々
腐解て砂糖のしみのことく成たる物
いかほとゝいふ分量を知らすそれを淀
河の水にて硫黄と灰を洗流し塩硝は
かりを御取上夫を釜に入れて御煮なし
をさせ被遊夫を又正真の薬に御合為
直被遊こと毎日日毎に人足二百人薪
一二拾掛充是を一年三百六十日日毎に
怠たらす被仰付たる事既に七年の間也
然るに其塩硝に二物をいれて弐百人の
人足丁ゑを揃ゑ朝卯の刻より晩の
への刻に至て杵の音寸刻も不レ止此節
制の拍子は太鼓を以御比トン〳〵ドンドン
ミドン〳〵ト太鼓の音緩時は杵の音緩
し太鼓の音急なる時は杵の音速なり
此太鼓を以節制と被遊て鉄砲薬を御
合せさせ被遊たる事は
一権現様の御遺法也此御作法御入
代目の
一有徳院様に至りてはしめて行る
事斯のことしもし此太鼓の拍子に
一杵の音不相応一時は鉄砲の熟未熟也
其精熟の権度を御鉢験被遊たる
権現様の神慮を奉レ感も愚なり
扨其遺法の絶たるを御継被遊慶たる
を御興し被成し
有徳院様の御懿範も亦
権現院様に御亜被遊し事尤難有
し是を以武門の澤に浴する人心を
用ひすんはあるへからす然るに軽き家
人の輩其職に在なから鉄砲薬の製法
を侮り軽しめ穢物のことく待し其
所に近付ことも戒しめ貶し手に候書
籍を携ひ学問の名に登る学問は家
業を廃し武を忘るゝを旨とするかあや
しむへし是を以鉄砲者流は云におよ
はす胴薬の製法を貶し侮るへからす
廿一
自侮りて後に人に侮らる
しなはくる三つの見やうのいきおひ震
くすりの力先習ふへし
品分るとは上中下三段の事也此三段
を計知りて先薬の力の如斯といふ事
を知へし此計知りやうすたとへは唯今
調合したる薬ニても又は外より来
る薬にても幾いろも一いろ元に壱匁宛
包わけ扨火なわも火を付随分火光
を調へ能吹はらいて壱匁包分たる
薬をは何板にても板の面をつくしら
け壱尺五寸四方はかりに挽切其板の
一正中に壱匁元の薬なれは濃茶一貼
ほとなるを正中に盛立其上に口薬を
小筒一枚はかりをちよつと並火縄の
火を能ふきはらひ火を付れははつと
立此立やうの勢を見て上中下の知る也
幾度も如斯して試心を静めて
此位との位といふことを体験するなり
扨其薬をいかほとにても込町を打て
幾町はいかほとにてはいか程ゆき
たるそと知るなり是は度々如此
して見れは自然と上中下か合点
ゆく也右いたの上にくすりを盛立
る事壱匁よりおほくはせぬこと也
火をさす時其当りに薬はなきかと念
を入へしもし羽薬是あらす思の外
一火飛行てうつるをあり然る時は夫ゟ
大火におよふことあり心得へし此見や
うを能見習ふ事終為の一ツなり薬
の上中下の内にさま〳〵の勢ひありて
強弱の品々あることなり唯今筆に
およひかたし爰を以て薬のちから
光習ふへしと云也
廿二
一込あきて一銭充におのつから
うては薬と筒そおし遊類
此哥の表のことし外に隠れたる所
なし併うたといふものはうら表
ありて表にあらわれたる通にて内
にふくみたる意なきやうなれとも金
くは又左にもあらす深く吟味すれは無
量の心舎か哥なり込あけてめつたに
打時は自然と自得の場に至るとば
かり心得ては又違ふところあるへし
廿三
深くきんみし給ふへし
一鉄砲は人の心とおなし事
千はりうてとも一つならねは
鉄砲は人面人の心のことし百挺千挺
悉く一やうならす故に先薬の力量
を知て問薬を以筒の心を操り知る
へし
享保の初年堺七堂の浜に於て堺の鉄砲也
山田五兵衛か所持行百五拾目の筒惣長サ
弐尺二寸巣中二尺壱寸重サ二十貫目許尤好キ筒なり
此筒竟に壱度も不残此時初布見たる筒なれは寸中
の塩梅をも不知捻さゑ抜されば壁の有無も不知唯上愚
計の頼にて慥に無理ならは関町二十五町七匁丸筒と
落着したるハ以外の大胆なり依之二十五町を可打と
一定む況や玉町はかりにてもなし火矢は陸木板羽也
けれども二三年已前に作りおきたる火矢なれは他流
にて鉄羽壱番時に作りたる火矢にても百五十目筒
にて二十五町は思ひもよらぬ事なれは跡を知たる者は
一大きにあやふみけり于時斎藤新蔵父子共に浪
一人にて大坂のほとり今宮といふ所に町宅して有ける
か此父子に向て武のり云けるは此頃年堺にて町を
打事始り萩野六兵衛か弟子とも度々玉町を
打たる由しかるに町縄に船して二十五町を二十三
町の地に立て打よし風聞す各存知之通関町といふ
ものは着にくき物故二尺三尺の争有之事なれは各
御父子此所に被に居合一社幸ひなれ貴殿父子に町縄を
引せ打可申候立合而町縄を引麾をも御振り可給と頼
之候礼ハ父子及異義町縄を引始終を取持可申と快く
一請合偖其日に成り天我等弟子をつれて堺へゆくに
新蔵が宅今宮へ立寄ければ新蔵一巻の書を持出
一我等に示して云けるは今度足下初而堺に於て
町を御家人の弟子衆に被為打に竟に試もせぬ百
五十目の筒を以二十五町を被打由何とも揃奉はふ
得其意先年元禄六年の年郡山の鯖田と云地に
おゐて拙者の師範武衛沖之丞と我等二百目の
流儀の筒を以二十五町を打けるに数日の間玉かす
一六十斗打たるに玉壱ツも不着あきれ果たる斗也
一分其時打さらしの帳面是に有とて差出す火矢
此春は本より自等の帳面是に有とて差出す火矢
のことは本より自得流達人なれは自他の異見に
不可及玉の事は武衛流も亦さのみ人に譲るへから
一須我等の異見にもしたかひ給へかし或徳流にて
しかも師第にて手筒を以数十枚の内玉壱ツもふ
着然を足下此度百五十目の他流の筒の壱度もふ
識物を以て二十五町を可打と決断して是非とも
一火矢玉ともに今日可打と有之所におゐて拙をは
心に不落是非とも理を外に曲て二十三町に的幕
を立て給るへし自得流武濤流流義は替れとも
同し郡山の同僚なれは拙者は同流と存る也依之
如此諫言を申と涙を流し異見をいふ両人の弟子
は師範の手際を見たることはなし新蔵は柴に十二
の手増にて老名高き者なれは新蔵殿の御異見
御尤千万御許容あれといふ我等いわく新蔵異風
の達人我等は年も若くて鉄砲も若し朋友の信
を以身持の瑾を異見あらは降参すへしされとも
を以身持の理を異見あらは降参すへしされとも
流義の勝劣の別るゝ所に於ては詞を不爰百五
十目筒にて二十五町と決断して大坂御城代御城番
江先達書付を以其上したれは今日に至いかて改
変ずへき百五拾目筒にて二十五町と決断のことは筒
の注文を以然墨尤無拠にあらす若薬中に瑾有
て火矢難渋する時は我等のふ途といふ物也全く
是筒の科にして我等の罪にあらす玉打のごとは
少々痘にもかまひなし筒さへ裂ねはさのみ気
を打へからす先年の新蔵殿の異見を不受は我
せそりへからす老年の新蔵殿の異見をふれは我
等の主意有と心の不至所なり申出したる詞を変
しては流義の礎也処御異見御無用といゝ捨て座を
立新蔵父子を建て弟子両人を先に遣し堺七堂
の浜にそ至りける斯りけれは堺の鉄砲やとも
には山田五兵衛を始として榎並屋太兵衛籠也与惣
右衛門抔来りと町を打事を賀す植その弟子共も
不残大坂より来りて町縄を引事を模議す斎藤十郎
太夫に縄の先口をとらせ新蔵に本口をとらせ我等は
中取して引取堤の中程に来りて新蔵か同堺の浜
に而大筒を打たる事六七十年も中絶せしを斎荻羅
六兵衛大坂に有りて弟子を取中絶したる町場を再興
して段々弟子に打せたれは萩野は堺の町場にて
は中興の開山なり然るに荻野が二十三町二十五町の的幕
一場住吉大明神の鳥居の在所に大方は相当れり依之
場住吉大明神の鳥居の在所に大方は相当れり依之
明神の社壇を恐れて鳥居より西の海中の沖中に
一的幕を立る故に彼流にて町を打には春三月の
朔日より同十五日迄を限り鳥居ゟ西海中の沖中淡路
島の方に的幕を立来れり故に舟に乗り町縄を
引たる由然るに足下今日舟の用意無之こと如何定下
今日の的幕場ハ如何と云我等答て曰最前よりて
方父子町縄の本末を取て土手の上を北に被レ行は何
を目当として引たるぞ凡堺の町場にて大筒を
打者の的幕場は鳥居の辺りと云事は竹馬の童も
知りたる事故貴殿父子に対してまんざらの素
人の様に的幕場の事は最初に不及縄を引初る時堤
の上を北をさして被レ行にゟ目当は鳥居の地を合点
と我は何心なき所に俄に可笑事を被申もの哉曽而其
心に不及萩野を堺にて町を打事の中興と云は左も有へ
し然るに荻野が鉄砲は声ならでは打事ならぬと云は近頃
不自由な手鉄砲也春は大汐にて三月朔日ゟ同十五日迄は
海干る事夥敷住居の潰淡路島の間畠の如く汐干子
により其節を待て大筒を打と彼が弟子共の高名
貌にいふ事を貴殿も夫に雷同して尤成事と思ふる
梨は堺の演はいふに不及何国の浦にても春夏秋冬
共に野二而も山二而も川に而も海に而も打べし極りたる場
一処に而真直に可遣子的幕を立置て五町も三町も横
には遣すへからす併上手の上にも斜に少行をきるゝと
名付たりそれは自然の事也其きるゝを恐れて初め
一名付たりそれは自然の事也其さるゝを恐れて初め
より法を曲て的を横にハ立かたし萩野が横に幕を
立たるに随つて安中に初幕を立る事は住吉大明神
立たるに随つて海中に的幕を立る事は住吉大野郡
も照覧あれ宇右衛門に於ては不レ可レ為と調を放つ新蔵
一種も不破損らに争ふ念等曰鳥居の在所往古よりの的
幕場といふ事は日本国中知旧れたる事也今更改む
へからす萩野が邪法に貴殿は随ひて自分に彼打
時は勝手にせらるべし宇右衛門に於ては左様の邪法
には随ふへからすと詞を決す其時新蔵しからは今度
貴殿の業に預りかたしと云宇右衛門節天曰貴殿ハ扨恋談
一殿の諌にても加様の非法に随はぬが棄の立派也と云て
新蔵に引別れ堤の上を一文字に町縄を引せ鳥居の真
際に的幕を立たり双方の弟子大勢中に入て取扱ひ
一新蔵も復ひ来りて案に降参し娘終を取持けれ共
一数度の諫言に一度も我隠されバ始終不機嫌にて
渋々として顔色更に和せす扨町を打に至て十郎太夫は
障有て帰番しけり新蔵は矢先に至て麾を振て
有けるが矢先には当流に而林六弥六郎殿に白坂斧右衛門脇
が実方に而衆のし新蔵が弟子には梶尾元三郎左衛門長尾隼人
此源介は町分加流失此源介は町介此源介は町人砂村三右衛門此方始は川村
一人にて地理の事に無し故に此事
一人にて地位の事に無し故に此事に預る其外大勢大勢矢先に至る
時に新蔵矢光の者にむかつていひけるは先一度も不
試筒を以二十五町と決断しけるハ宇右衛門が一生の不覚
ならむ其上幕の立場も先規に不随乗の異見を一言も
取上す重畳の越度ならむ百五十目の玉此辺りに来
らは新蔵鉄砲を止べし皆々見給へ玉壱ツも来るまじ
幕の根に休息して昼復して居られと立て居た
る所に一番の玉六町下ルと注進す両人の弟子色青く
成て扨こそ新蔵殿の異見的中せりとさゝやく時に京
成て扨こそ新蔵殿の異見的中せりとさゝやく時に乗
一心中に競ひ有六町下ル筈ハなし只今の玉三町余か四町
下るべし六町下りてハ二の玉の術窮る如何せんと心中
不平なる所に二度目の注を只今の玉六町下ルと申たる
は此方の見違也。前ぎれにて四町下り海に入たれども
遠干潟なれは玉の着たる所に印を立たりと委細に
注進す其注進す其注をのもの大音にて斯いへば枕せか敵手の
荻野か弟子共其日の検使松平大蔵少輔殿の与力又は
用人に而能是を聞届れバ他流のことく町着に虚妄も妙
かたく然る所に新蔵方より鼻紙を幅五分はかりに
一切薬弐匁程も御増可被成候哉与自等に書付こよりに
捻り人足の者に麦持越けり両人の弟子案に是を舟
し秤を取新蔵殿の異見の通りに可有成哉と云察大
に罵て云其方共ハ新蔵か弟子か葉等に向つて度々
春見をいひたるだに慮外成るに其身神明に而も不
可有薬の地薬をもしらずして加減の薬の差図は何事
ば月流にもあらばさも有べし他流に在なから法外千
万の曲者言語迄断也と怠て前の三拾壱匁に一拝様
万の曲者云語造断也と悉て前の三拾壱匁に一秤様
五匁かふべしと命す矢倉も奪の心にて尺に六寸
を用ひたり是も当流の常人ならば関町なれば八寸の
一常法を用ゆへし扨二の玉の麾を揚て打出す其
玉幕通り十三間の越をに着新蔵及其外折を潰
玉幕通り十三間の越をに着新蔵及其外肝を潰
す就中新蔵は慥に玉ども此辺りに来る間敷とな
まじゐの功者頼しければ其狼狽いはむ形なし
新蔵麾をふりかたけて東の方堤下の畠を一文字
一に社檀のかたの松原の内ににげ込扨々驚たる手際かな
一二百目筒にてもあらばこそしかも壱尺もきれずして
幕返雖もみ十餘間の打越と云事は類希なる事
共也と感して且いひけるは是は定て天然のまざれ
玉なるべしと云所に又麾を揚て打出す其玉幕並
二万の前に着其時新蔵弥新蔵弥肝を落しまぐれに
てはなかりけりと云て早速応諾之麾幕並弐間の
一後なれば則的幕を麾を以是をたゝく砂村三右衛門
七十三才に而二番の玉幕通り十三間越したるを目の
上にさし上二十五町を尊のことくかけ来り委に向つ
て云様長尾三郎左衛門殿岩崎山側の家臣長尾隼人
八百五十日玉の二十五町に来るは瘧も落神雷の守りにも
罷成候へは私へ拝領被仰付被下候得かしと被仰付候と云に
より大事の玉なきど今の口上と三右衛門が七十三銭に而
二十五町を鳥のことく欠来るに対して長尾氏に参らす
一馬と云て三右衛門へ授けりかゝりけれは両人の弟子乞を
直し堺の鉄砲屋共悦ひの為に参りたりとて酒肴を
持せて大勢来り両人の弟子一盃機嫌になり此
跡につゞきて玉数を御うたせて首やと云武のり曰無用に
候関町と云物は玉三ツより上はうたぬもの也と云て玉町
を止たりけり抑玉町の事は委細に当流に不伝子細
火失を以当流の置務とすれば火矢の妙所をだに極
むれば玉は其中に在と先人吉規定置たるは畢竟火夫
に弟子衆の心を専に用ひさせむ先の微意也其心至
て深しとて謂しかるに先人去規三十六年以前享保
元年丙申歳七十八才二而和多郡山大職冠の邑に物
故す法号を自得院規学了紹居士と号すしかるに
極本の不肖玉町の金偏せざるに煩ふ素より算術
に疎し此事にも自得院拙者をあはれみて昼夜算
術の業を庭訓すといへとも天性此術不器用にし
て朝に学ひて夕に忘るゝ然れとも兵法を好む事
諸第より驚くして是を以て先人の気に入て大
事の事共を我に免したり就中混破子の伝を
念頃に我に傳ふ我此術を以笑術に替て工夫の助
として多く深々微妙の場を発揮す混破子の神
妙なる事言筆の及所にあらすしかるに今度楽の
薬積り二十五町を四十六匁と積り四町を引て三拾壱匁
込たるにより四町下れば四拾六匁に而二十五町的中と積
たるもの也新蔵が心には垂十分の薬を込めたりと合
一点したり浅間敷打手也我若十分の薬を込若打下
一ケたる時如何すべき薬多くて下りたるや少して下
りたるやの両端程知故に初玉一枚を捨物にして
四町分を引三拾壱匁に而二十一町に至れバ四拾六匁に而
二十五町的中ぞと積る是を問薬と云物なるべしと
我等三十年の工夫にて竟に発揮す地薬計にて
二軒は二軒は蔵三軒の末の段を権の段を権の段と禁名付此権
の段の薬を増す事名将の権度のことし鉄砲の
各将にあらざれば関町打付がたし関町のむつ
かしきと云は薬多過れば下る少々ても下る今
三附湯を用むとする病人に人参多ても死す
少なくても死す中庸の剤を度て病人の性命
を助るも亦是に同し故に医は猶レ兵ノと云て名
一羽名医名人其謀事其旨同一機にして別段の
趣向有事なし先人吉規概に是を不伝は自
得を談てしかり故に是を不破事を不限して却
而其志の深を感して竟に工夫成就したるは先
人自ら伝へたるよりも身神に入事深し故に一子
といへとも不伝の大事とす去ども極陋一子なく
して風燭の夕に近き事を暁間故に志深きすへ
遺物の心当に寒中不レ厭筆を耕すもの也
一是は全く贅言なれども止事を得ずして申也某
一藤新蔵此時予に約束しけるは今度貴殿の大
事の町を遊はすに付我町縄を引矢見え参り麾
をふり御取持にたりしかる上は我又大切の町を
可レ打時は貴殿御立合可被下事勿論なるべしと云
一拙者答て曰其段は約束に不及朋友素より信を
以侍すいか程の障り有りても主衆にあらずんば
必其事に預らずんば有べからず心安かれと応
必其事に預らずれば有べからす心安かれと応
談す偖其年武のりは尾州に至る是は弟子大勢有
て招待する故也新蔵父子も是を羨むといへども
招待する人なけれは行事不能宇右衛門是を聞て
一翌年大坂へ戻りせし時新蔵をつれて尾多に
至り式のり星野勘左衛門に會て新蔵引請の事
を頼む勘左衛門許容して其翌年新蔵父子
及ひ杉野八太夫噺并三人連て尾歩に来りて鉄砲を
一指南す新蔵父子は頬付の上手也と人皆聞及し
に仕懸の火矢をも教へけるに尾州は諸国に勝れて
一打手数百人有て目の肌たる所なれは新蔵父子
及甥迄も来りて仕かけの火矢をも指南するよ
し多芸の人には上手は希なるもの也新蔵が
矢ぶりを功者の評判に雑木の二乃切レ也宇右衛門
とは一ツ口には謂がたし加レ之尾州は元来稲番一爰が
一創業の国なれば武芸好まの成瀬隼人を先として
さのみ抱打を信仰せず其上新蔵は仕かけの遠
一町不得手なるよし大筒といふものは仕かけてこそ
一城をも一放に打崩し朦艦をも一ツの玉にて
底のみくずとは教べけれ大筒の肝心とする仕かけ
の業に精しからされは所には不足もの也と口々
に風聞す星野勘左衛門是を聞て無念に思ひ新蔵
に斯と告る新蔵元来我慢放逸の者なれはさら
ば遠町を打て人口をふさぐべしとと手筒の三百目
筒寸中長サ二尺七寸重サ四拾貫目余随分存分の
最上の筒を以二十五町を打べしと定む尾州は源
一藪公之御定にて六尺五寸の町縄の御定にて尾
歩の廿五町は他国の廿七町余にも当るか蔵共三百
目の手筒に而は最心易キ町也しかれども廿余町
に至りては日本国中何れの国に而何程の筒にて
もさのみは心安く打得かたし然共某思慮
新蔵程の者いかで是式の町を難とすへしなと
思ひけるに新蔵禁宅に来りて云口事は此新蔵
を尾州にて遠町は行打まじと云故にいつ幾日
自分の三百目筒を以二十五町をつけて見せ申
べし堺にて御約束申たるごとく貴殿御立合可被下
と申により乗申けるは三百目廿五町は貴殿打て
見すべしなとく高名らしく云には不及町也况や
手筒に薬なし手高に手綱なしとたとへに
もいへはせめて三十町ならは柴立合べし袋の流
一儀にては三百目筒にて廿五町位は遠町といわず
一番地にて貴殿ハ遠町不得手なりと云を以遠町
を打て口を塞くべしとあるは尤なり然時は三
十町七籠凡鉄砲の位に依て遠町の名目定る事
は流儀依て不同ハ有べけれ共通して三百目玉を
以三十町と云事は大概何流にても関町とは云也五町
の難きを恐れて三十町に的を不立廿五町に幕を
立たるは玉着ても悪口を塞くに不足弥悪各増補
すべし無垢に不レ着時ハ却て心ゆかし是貴殿が
湯物の見切の場也然るに三百目筒を以等五町を遠
一町と匐たらは不打先に名を汚すべし三十町に
酒を立て若玉難渋せば一放二枚を培物にして三ツ
目の玉より五ツまて二つか三つ側示入ならば尾州
の人に口を塞がすへし惣而関町は禁の流にては玉
三つ四ツの定也貴殿が流にても大方如此なるべし五ツの玉
二つ三つ着は三十町の関町にて日本国にて誰も千下
とは申まし大場にて関町を打事は人の師をする
ものゝ名を呑む所也玉若一ツ難渋する時は諸四ツ
の余慶有り是積善の場也必流義を不立して
誠に相談可有我明文の信を失ふへからすと実の
道を以諫けれ共新蔵が血気くしけて異見に
不従されは無是非其分にて止ぬ扨案云弥廿五町
にても十郎太夫が演試と名付て出られよ梨も出
て其事に預るべし幾日の何時に打て被申哉と云
一時新蔵か曰いへ幾日昼九ッ時より可罷出矢田河原
昼迄は風強し風の静を待て昼過時ゟ可罷出四時
過河原へ御出可給と云により稽曰三百目にて二十五
町最前ゟ申通りむづかしき町に木有火矢は風に
少はまくれ共玉の近町風の嫌ひなし早朝より
打れても少も気遣不可有されども念を入らるゝ
事用心にしく事不可有は得其意たりと約束
して新蔵は帰宅したりけり我弟子衆へ其段
申伝へ用心して朝六過ゟ出宅して矢田河原
に至る同伴には毛利主殿近松彦之進原喜右衛門
宮崎喜介神野助左衛門都合五人皆々案の第
子也扨河原に着して堤通りをつたひ新蔵が小屋
場に至内へは遠慮にて不入小屋尻に至り新蔵父子
に案内すれば新蔵は矢先と云て十郎太夫出天様数
し遠町打仕廻たりと云楽興覚て町着はと問へは
慥に不答聖合点して強て不沛側によりて野本
次郎兵衛新雁に向て町着はと問へば是も胡乱なる返
答也夫ゟ弟子衆と同伴して新蔵にて会と云て堤の
上を矢先に行に堤の上押分られす見物の武士稲荷
竹林のことく其内に相知れる人々しかも打手多く
群集す弟子衆口々に赤斎梶州の国法的隣より敬
今社の神社に作り東に右に門御路は倒れふりたるかと問は禁共
一夜の内より来天初玉より始終を見たるに一枚も
赤麾を不見と口々に答ふ扨は一ッも不着けりと皆々
同音に笑ふ新蔵是より大に勢ひ失ひ頓而尾少
を立去けり右之説は贅言に近くしかも人の非を
揚る事なれは謂ぬを道とはすへけれ共禁は朋
友の好みを思ひ殊に流義さへ違ひ共同し伎芸の
一友なれば随分信実を尽し尾州の居留の事迄
も身を入て取計けるに新蔵は尾州を去て江戸へ
早ク来り十郎太夫被召出て後に薬は来りけるに楽
虚名を以大嶋故心さ松下専介殿格別の懇意と
云を以梅者を深くねたみ様々と功言を以拙者をいひ
疑し拙者江戸に滞留せさる様に妨をなしけるは其藝
術の底迄も思ひやられてあはれ也依之薬も新蔵に
敵対して二貫目の御筒を拝借して五本矢を打て
其矢共無二比類一
一上覧を経て其余都合の
上覧四度に及凡於江戸に二貫目の御筒を打たる
一者は井上左太夫の外に松は壱人也他流共の義之
一奇最新蔵が生涯の意恨とは成たる者なり
廿四
薬込其筒々にかはりありありあつ
一工夫細かに試てしれ
是は同し百目同し三百目と玉目は同
し物にて長短軽重の品によりて筒毎
に薬込替れり同し百目なればと打
まかせて等閑に思ふへからす先定れ
る大法の込を込て試るべし吟味の品々
一次の哥にゆつる
廿五
一長みしか筒のふ去るとふけさると
込の違ひは古ものとしれ
筒の長短は勿論其筒のふけたるとふけ
さるとにて込の違ひ大きにかわるもの也先
大法長筒ハ込多く短筒ハ込少し是も中
天極長極短にてうらはらに込違ふ事
も有兎角其筒々によりて薬ちがふもの
と合点有へし但し小筒には各別の相違
なし差ふと云は大筒の事也殊更古き
筒にて巣中及火穴大きに広かりたる
筒は各別に薬込に差ひ有と知べし
廿六
城攻に捨鉄砲の大利には
木筒わら薯秘伝矢の業
此捨鉄砲と云物全く吉規か工夫なり
武範注して曰此於鉄砲の業は唐土の書に載たる地盛式
の事也然るに地雷の事漢土の書に載たる其功甚た枯
なし近頃不審也漢出は聖人の国にして御徒の巧芸の業に拙
き事如何三国志に孔明が秘器たる由を載たりと云人有戦
三国志を不見兎角漢土の人は賢き先輩の名をかりて各
一別に虚龍をつく事甚上手也。先以三国の時鉄砲薬の有たる
もいぶかし広博物志に銃は大公の作る所と載たりと云人
あれども三国に鉄砲薬の有へき事も知がたし兎角淡
土の書妄りに信しかたゑ見識を立て撰ひ見るへし諸音
孔明が名登信るに足らす大明の兵書に鉄砲大筒の
業に至りては東夷日体施し西洋南蛮禅浄瑠璃二ツ共に死
其術を能して中国不レ及と記したる事尤卓見也我
今それかの説を考て西洋南蛮中国には勝れとも日本
に不及事甚遠し然るに孔明を以来朝以来此人を信
る事神明のことし就中采儒王佐の才を免し下り
て巧芸に至りては八陣及木牛流馬地雷式使大隅
人一ヲ製上麺類一ヲ一ツ之術等皆是造二後世ニ好事の者流の造言
する所にして信する所にして信するに載たる地雷式
等尤笑ふにも足らす抑又日本にて地雷の沙汰未聞之たと
へ此術を常と云人有と云人有とも我は不レ信其子細は大矢の妙人を
不究ニハ不及業也吉規存生之時其術の大段を聞得て
より我既に四十年の工夫今爰に記す抑城攻に寄手
を鏖にする術此術に及は不可有先人吉規は一生涯の
内抱火矢秘伝矢を大事の術にして寝ても覚ても覚ても覚ても覚ても覚ても
加様の業の実を工夫して予に伝へたるにより予も亦其
心を察して兎角秘伝矢抱矢をくどく講究せし事也
志の人是等の業を実心に認て講究有之一度の大事
一に至て時功を立んと思ふ人は実の英雄と云へし捨珠
砲とは城に籠り大敵を受て寄手を大勢一挙に打殺
して運を開く術也大敵四方に攻寄て大将軍陣を
一営する土地か又は寄手の大勢一所に集るへき土地を見
一定て地を井字のことし幾重も地穿て深さは三里も縦横
に水道を付俄面に水の用心を能して木筒を多く拵へ或は
備前焼の壺なとを多く寄て其壺と木筒とに焼薬
胸薬を沢山に入て随分堅く舂かため其上に材木土石
を重ね敷て其木筒と壷との内に胴薬刎薬を路火
の便よきやうに通じを付其路火を地上に出し置其上
にわら薔の家を作りかけ多く枯たる茅薄わらの
類を取散し敵の気のつかぬやうに外の用心に拵置たる
幸に近み苦し音の音のつかぬやうに外の用心に拵置たる
一体にもてなし蒸顔其所に群集したる時抱夫秘伝矢
の上手共をゑらひ町間をなりたけ近くして或置一度に
一我傳矢抱矢をくりかけ一時に敵の人馬を鏖にすへし是
百発百中の術也此業は砲礫火矢に達せざれは悉く落
火の火移りの塩梅手に入かたし故に当流には火矢上
達の上には砲礫火矢の業にも達せざれは達人とは謂
一かたし当流の火業凡慮を抜たる事如斯唐人共
の細工漢土の書に見へたる干遠さ諸葛亮が手際にも
木牛流馬木偶製麺の不細工を以ては倭人には敵対成
かたし後光一跡の八陣の説も拙者の国恩録に弁するが
ことく善又倭人の砲礫打なと此説を聞て夫は最心安き
業なとくいふとも秘伝夫の術を知らざれば及事かたし
一足軽火矢竹火矢ともに此業の低為なりとなく大き成火
矢は小き火矢には利用逢に劣れり抑秘伝大矢杉度の玉
変なる事語るへし予武のりは藪の内に入て生竹を伐
取一日の内に拾匁の秘伝矢を五本も三本も拵へて六町迄如何
一程も試み置たり外の弟子共は軍用に心なく如此の用心
無れは皆々夢にて打過たり右に三坂が早細工の体りを
一載たり其類なれは爰に乗の紐前一段を語べし是
等の術を熱く味ひ用に違へき事を肝要にせらるべし
世上の庸人の好む空に火矢を打上るの類伝聞さへ涙
消し或時吉規我に向つて曰牧右衛門尉衛衛
一株とは拾匁の秘伝失を信仰して多く修
一為し生竹の矢をも作り覚たるよし尤
一頼母敷心掛なり拾匁の生竹矢一日にいか
一程出来可申哉是ハ六左衛門が早細工よりも
其功尤勝るへしと申に付禁申候而は一日
之内六日より六ツ迄ニ弐拾本作りて皆打拂
ふべしと云ければ吉規曰若此業を致し
得たらば勝れたる業なるへし夫を如何と
云に三坂は雑木の九ツ割の二間物の材木
の煩ひ有其方は竹藪の内に伏兵と成て
一伏属と一物を不レ携鋸小刀斗に而生竹火
一文弐拾本即時に作りて其日の内に打出
さは敵陣に燃付所の功は百目雑木火矢
よりも生竹火矢の拾匁は燃付に手早く
して其功百目に十倍すべし敏々其術を
施すへしと有により我等廿二三歳の春の
ことなりしが血気盛むの頃なれば心得
たりとて四月十三日朝干の刻より竹藪
の内に至り城の六ツを打を打を打を相図に唯今
竹伐申と断り扨作置かゝりける法に向
さし渡し拾匁筒の巣にたやすく入て申程の所を見計ひ
一二拾本見立て印を付置粘ハ前日より能圧録して
持参苧をもよく前日より分て茲に臨み手間のいら
ぬ様に拵置羽は火打羽とて鳶尾の無物を三々が六十枚
削里一篇美濃紙に而罷置焼末は袋二拾作りて各量
一目をかけわけて容レ薬ツて口を棚にて封し愈根は捻木
を丸みさし渡九分に削り置壱本々の墨を付置其
外煩ひなし勿論弦は三坂が時の法を用ひ古き弦を用是
も二三が六十本各三本かゝ握り置藪は幕にて囲ひ送人を
不入弟子壱人も不入細工之体一式見せす吉規も不束角
一右衛門も不来昼食は握り食に塩を付たる計也殊の外精
を出しける程に京の中刻に至りて火矢様八本成就し
遣し其段同門の用達之を見て最早手際ハしれ
たり若極晩に至りてはいかゝなり十八本限り壱打
一彼レ申亡然といひけれ共耳にも不レ入廿本の火矢七ツ八
分に悉く作り仕廻鉄砲二十挺同門大勢かゝり薬を
込五町に幕を出し立けるを片はしゟ筒を取て立
放しにて打仕廻けるにいまた六ツを不レ打けり各皆
箒入にて星入は無之生竹の火矢壱本も不消悉く
幕入に打着たり吉規を始同門数十人皆々我を折
けり其後皆此業を興行すべしと企ける者もありた
れとも平生小紐工の鍛錬工夫なきにより退屈して中途
に止ける者二三人も有て是は三坂が早細工の翌年の事也外
の弟子は細工の次第不鍛錬なるにより尋常の作り方に而
作りかゝり退屈して山たり中々尋常の作り方に而は生
竹の秘伝失十本も出来ず是平生の心かげにて細工の
品業を工夫せし故也是は我伝矢と云物の内に早業の作り
方篭れり畢竟吉規が一代の用心矢細工を容易にして
軽き業を第一として火の向ふに燃付所ばかりに心を用
ひたる故怪火足軽火矢等を以て節用の物としたり素
人は一圓是を面白からされは平生是を余所に見て公
法の実に心なけれは器用の人も爰に至らず公法に心を
用ひむ人等閑に見過べからす志の人後世に至て鍛錬
工夫の告にかくのことし
右之日矢先に中井主水と云公儀の御大工頭の知行所有
てしかも立山にて小松原多く茂れり其根に高薄茂り
て有之火矢の的幕より二三十間斗隔れり然るに少
く風立けるが壱本の火矢少後ぎれ直し草に燃付け
るが程なく件の高薄に燃付大きに火の手を上けれとも
交廻しの人竹矢の業に心を移して消ざりけるに件
の小松原に燃込並木片はしゟ焼失したり時に矢廻
の下人侍もかけつけけれども中々生松に燃付いか程
に打消ても不消其内に数十本の大松に燃わたりて
手に余り人近付事ならす見物して居ける内に其
山壱万坪はかり片時の内に灰燼となれり此段を能州へ
申けれは能登守打わらひ中井主水の方え使者を遣し
家来共火矢を修行致とて如此何共令迷惑候已後迚も無心
元土地替を致し替地は所望に任すべしと有に付主水早速
一致承知和多の亡然所に而替地を請取其後は無遠慮淡試しける
に彼山後にはげ山となりて永く鉄砲場とぞ成にける松
山の薄など交りたる所には火矢を遠慮有べし生松に燃
付ては水に而は不腐手に余り根本より伐倒さねば火消
かたし多く数拾本に焼付ては枝葉の茂りたるに燃わたり
一中々其辺に大勢の人壱人も近付がたしあきれ果たる
計なり必遠
慮有へし
此序に今一説有是も全く秘
伝矢より起りたれバ返す〳〵も秘伝
一禄元禄元禄元禄元禄元禄元禄元禄元禄元禄元禄元禄元禄元禄元禄元禄元禄元禄元禄元禄元禄元禄元禄元禄元禄元禄元禄元禄元禄元禄元禄元禄元禄元禄元禄元禄元禄元禄元禄元禄元禄元禄元禄元禄元禄元禄元禄元禄元禄元禄
矢を信仰有べし
有むとす其次第は高野の僧
徒に聖流行人流とて二派に割れり此二派の僧徒両方に
別れて互に冠讐となり既に合戦に及むとす此事関
東に達して御籏本よりも追々に
上使を被還紀夕殿に御下知有之事夥敷騒動なり
其事の娘終落着の次第は我等は幼少の時なれバ委細
は不知之其最初紀州に被仰付高野山を攻討るへき
勢ひに聞へけれは本多野多忠平同能州忠常武を張
事諸候に趣たり先人吉規は野多能州二代に仕へて
倶に火器兵法の師範たれば窃に父子より令命の旨有
て高野山を焼討にすべし随分事を神察して
父子といへとも不レ可レ法事発覚せざる内は藩老の者に
もかたく知すべからす凡事の不成は事の泄るゝより
変ると堅く神文を以て命定古規命を奉り慎る人に
不證弟子の上手をすぐり拾匁の雑木火矢を作ら
しむ蒔の前後に大方雑木の火矢始れり去ともいまだ
一上達の人少し秘伝の生竹火矢は十四年と過て拙
者武のり創始之ソ高野のこと萌す前方に本多野州同能
州窃に忍びの者を高野山に遣す其人品を審かにする
に男振諸人にすくれて長短く見苦けれとも天性機
一知にさとく伶利にして沈勇也さし当る発明も
知にさとく俗利にして沈勇也さし来る発明も
双ふ人なし六十六部の日本回国と称し味方に事を告
るには計策文の隠語を拵へて事を豫めして高野
山に至り数日滞留して高野山の分間の絵図堂塔伽
藍の有様を明細に窺得て帰国し其地理を語るに百
目已上の鉄砲運送成かたしと決断す吉規平生の工
夫火矢毛杉舟筒軽くして三匁五分の小筒にひとし
業は何百目の大筒にも超て雑木を以て八町迄掌を
抜がことし其燈る事大矢にひとし凡此術を以高
野山を焼む事掌の内に有として弟子の内の細工に
一秀たる者三四人をゑらひ多く拾匁の秘伝矢を作らし
む弦の塩梅わ下細工の至極を尽して作り立扨孫平次
が差図に任せ町間を五町と定右之弟子四人我と俱に五
一人五挺の筒を一様に揃へて五人一度に放す時五本の火
一文五本共ニ星入からされバ其日の講を果さす如此に講
究し百数百中の芸を尽し女勝の業を掌に振り扨
其節の様子次第道もなき巌石嶮岨を峰登り兎角他
人に先をさせじと心をらたより其用心草具足或着籠
を有し後藤尚嘉彦英を背後にわつそくにかけ火矢
を着し拾匁筒壱挺を背後にわつそくにかけ火矢
一三本宛竹藪に盛り弦と玉薬をは胴卵に入腰につけ
左右の手にては巌石に取付枯木を挙て登る様にな
一度したり僅に主従二十人計に不過鎗壱本宛持せ
鉄砲は其期に至つては銘〻わつそくにかけ弦玉薬
は腰に有れば外の煩ひなし火矢惣数二十本と定
同二十本の火矢三五十五本銘々竹護に盛りて腰後
にあれば五本余子を余慶の従者に持すべしと支度は
偖吉親竊に父子へ申すは定而高野山の悪僧共難所
に於て防べし鉄砲は小筒の外求様不可有大筒不有事
決せり乍去数千人の僧徒の内武士の同心者有べし若大筒
に達して平生無之大筒を即時に鋳立玉薬を多く貯へあ
申も斗かたし察するに大筒鋳立申に於ては拙臣吉
観僧の内に有らば地金は自由自在堂塔加藍のかなもの
一金燈籠を以て貫目の大筒いか程も即時に鋳立可申
嶋原の百姓とも兵を握る者壱万人計にして寄手の
歴々十六万人の内半分計小筒を以打殺し申たり
今度の高野の坊主鳥島の城に長嶌守
今度の高野の坊主は嶋原の賊にて増御人数攻入と聞は
定御難所に出て坊主は嶋原の財にて増御人数攻入と聞は
定分難所に出て防戦するよりも先所々の橋を引山
を切貫大軍の登る事のならぬやうに拵可申然時は柿
の支度なくては不可叶堀口百間も有之地面より底迄
十丈二十丈も有之時ハ柱を立る事難叶如斯難所の
御工夫可有事勿論に候と云時野野野多能多も聞之て其
柿の事は平生心にかゝりたれ共未我々其慥なる明験
に不及先本堂焼討の事は其方が日比の手並にて落着
安堵せり此機柿の事も余人が巧には不可及土皮孫平次
も帰国せし事なれは此工夫をも又々両人を頼む処
也と有るにより両人十日の内に工夫して其段を窃かに
披露す此工夫吉親が工夫至極の沙汰の沙汰を窃かは
披露す此工夫吉規が工夫至極の妙術神明といへ共
及事かたし子細ハ孫平次が工夫も凡人の難及事なから
吉親には難及吉規が術に曰堀口百間百間の空を水に
均し其中央ゟ堀の底迄釣瓶落しも百間の時其中央
一左右共に柱は及かたし加様の所を即時に丈夫なる
十字恐誤
橋を懸勿論人数いか程も渡し申事自由自在也其
柿を営する時向ふより石火矢を以平目当にて打
払ふへし此段か至極の難事也誰人も柿はかくへし向ふ
の石火矢の防方不可有極臣吉規は先柿は二段の事に
}
いたして向ふの石火矢の防を工夫して後柿の段には
なれり先最初より此方に石火矢を丈夫に仕懸て彼が
動くを見て放レ之悉く向ふを微塵に打砕き全体向ふ
に人を不立様にせざれば此方の柿熟く成就し
がたし此段が一大事其石火矢の仕懸様に重畳神密の
一秘事有抑今度の高野坊主の賊は石火矢有まし
くとは落着しかたし若有たる時は如何すへき凡兵法と
申物は彼が常へからざる事を不頼して我か致所有事を
可頼堀口は百間にもせよ弐百間にもをよ石火矢の平日番
に載られ左らは人馬は何百人に而も将碁倒と云は愚か
熏皆粉に成て堀の底の埋艸となるべしと申ければ
野多父子扨こそ我々葉のごとく左五右衛門殿に工夫致
置たるこそ頼母しけれとて其柿の組様を俄に五
百畳斗も敷ける大広間を忽に四方を板を以高サ
十丈計に箱をさじたるやうに四方と空とを囲ひ其内
に堀切を拵底と左右とを薬研の勢ひに作り忽に彼
柿をかけさせ向ふに石火矢の仕かけを儲け矢倉の吟味
を告し平目当にて我軍を粉に為べき業を尽し
め彼を致て彼に致されずの明験を掌握して高野
の変を待けれ共高野山の賊僧とも分別を直し
の変を待けれ共高野山の財僧とも分別を直し
騒動には及はされ共純一に上意の旨には不レ従依
之御下知に不レ従悪僧我人餘にも及しを召捕て造流
に被仰付たとへは明照院をは八兵衛明月院をは五兵衛と
名付て西国の大名に被仰付五嶋平戸の辺に御流れ成
て高野山静謐に治り復ひ再発せさりけり是其実
て高野山静謐に治り復ひ再発せさりけり是其実
事には至らざれとも兵法の講究に至ては孫子か
実を論ずるよりも其精しき事如此本多能財父子
一平生の式備に於る其実を得る盛比是も全く秘
伝火矢の実事容易の業より出たれは贅言を不厭
後年の工夫の種として書付事如此
廿七
大小の筒の厚薄脇火皿
一上火皿にて越下り有
大小の鉄砲脇火皿を当流是を用ひて
上火皿を簡分不用尤立消する事も
上火皿に多し火気は昇るものゆへ脇
火皿にてハ立消なしあやまつて火皿
に立消すれば壱本の火矢空敷焼捨
る大火矢数火矢立消せさるやうに心を
べし火口紙火口の製法次第にて立消す
廿八
る事なし其外上火皿利用すくなし
玉相の品々により込かわる一方ならんゐるひ有物
是を望相と云玉衣の塩梅に折廻しなら
しと云て紙を一篇きせては巣口に差込
又きせては差込三篇五篇六篇といか程も
くわゆる迄差込しつくりとくわゆる
やうにするをならしと云折廻しとは紙
を重ねて玉にくるりと引廻し巣口
に差込見る時是はならしより紙数少シ
故にならしにては八篇打廻しにて六篇
一抔と心覚に定る如此せされバ此加減口に
ては云がたし其外壱貫目位に至る時は厘
一桐も莫太にて紙数斗にては早業の間
に不レ各故に古き布木綿抔にては唯幾
一篇と定式は木綿壱篇に紙二枚三枚
抔と定る也百目早打の金相ならし
にて四篇五篇位又拾五枚も可レ打と思ふ
時は五篇六篇位にもする也兎角此金
相せゆるくするが至極の秘事也諸流
に露斗もしらぬ事也是は軽き事の
様にて至極の神秘也子細ハ此玉相の
しつくりとしたる所にて玉能行と心得
たるより此所に泥也しつくりとしたる所
にて却而不行也随分ゆるくしたる所
に而能飛也遠近共に如此此段も自得せ
されば手に不レ入能々鍛錬から成諸流
の玉町関町に臨む時は玉しんこのごとく
なるは彼しつくり故なると心得給べし
此段枚は筆に任する業にてなし口伝
にても返々も伝ん秘事也諸流の玉町
廿九
着ぬハ此所をしらぬ故也神巻之
我業をよきと思わぬ武士ぞ
人に勝るゝ人と成べし
三十
此哥注するに不及歌の面の如し
火の業の習といふハ二ツ三ツ
残り七ツは筒に問ふべし
此哥至極の道理注するに不及武芸
に不限何芸に而も如此兎角自分の胸
中より取出されば役に不立と心得給ふ
べし
廿一
一強弱き薬の加わり有事を
問を定て試みてしれ
問を五間拾間十五間其外いか程に而も定
而薬を幾品も同し量目に懸分て的
に板を立て其板の貫たる所の力をはか
りて此薬を何程強しよりしと立所
に知べし
廿二
玉火矢と散矢の業は同し事
場所により用ひ有べし
玉火矢とは砲礫火矢の事也散矢とは
一文化礫の事也玉火矢は鉛にてかわを
拵内に焼薬を詰て打出す散矢は竹の
筒に焼薬を詰て打出す火のちり様
も同前也去共玉火矢はきるゝ事多し
きるゝとは斜に飛行也是圓き物の大
きなる物故也矢ほうろくは長くして
羽を付たる故にきるゝ事なし玉火
矢は昔ゟ有之矢砲磔は先人吉規が工
夫也乍去玉の開く事は玉火矢の方能
開く也子細は鉛は堅鮫なる物故割
薬の分量に随ひ鉛のかわ大きに雷
発して其音もすさまして其辺り
の物を打砕く勢ひも矢砲礫よりは
強く此二ツの物は敵の営中と船中に打
込て大きに敵狼狽すへき物也同品
卅三
にて有之事を断り知たる哥也
持筒に軽み重みも寸尺も
其人々の国にそよる
一是は小筒の事也軽み重み重り重み篭り旁其
人々の好みに有顔毛き人は菴り深し
短き人は焼り浅し然るに流義に寄
一当流の注文は如比と定て其人々の
廿四
勝手に不レ合道具を無理に責用ひる
事は柱に膠と申て当流には嫌ひ申候
番筒は定れる所有なれば
一中庸を取事そ肝要
兎角千変万他中庸を以極意とす
廿五
一番筒二尺五寸是中庸也
一明卯の製に社利方あれ
分切たてはあしきとぞいふ
銅卵の製法諸流に分切立を用ひ尤
不宜只為流の胴乱至極を究たる者
也分切立は早合を胴卵の巣に戻す
事ならんもの也敵向ふに在敵を的に
して早合を込其早合を腰なる胴乱
の巣に戻す事難成により嶋原の
一時足軽共悉く早合を捨たるよし申
伝る也御心得可有故に武のり拾匁を
肝要とする事は拾匁は袋薬にして
打時一枚も立消せす二十枚まて打
共立消する事なし小筒は巣中に
余慶なき物ゆへ袋薬にならず此段
を予式のり大坂にて講究したり
小筒の袋薬になりにくき事を数々
大坂にて試み置たり返す〳〵も拾匁
至能なる事挙て云うたし
卅六
騎馬筒の目当矢倉に秘事そ有
たゝみ矢倉そ早打によき
畳矢倉の伝柳秘事の相伝なり
尤筍には及かたし
二之巻畢
狩川
拙速百首解四
一拙速百首解四
四之巻
夜討には火を隠す社大事なき
一敵にしられぬ事そ肝要
同断
式のりか工夫に火縄筒有手前計見へて
敵付に見へぬに心得有へし夜討には
忍ふ物故敵に火を見認られぬ手立第
一なり
夜の目当常に稽古を能仕おけ
急なるときはちかふもの也
むかふに桃燈をさけて稽古すへし
仕懸の術ハ昼敵陣を下墨置て其
きつかけを合すれははつれぬ事也き
つかけは三ヶ所を一ツに見渡なり敵陣
の火と手前二ヶ所は時に取ての才覚
なり但シ是も線香の類の像に燃する
らぬ火類を用ゆへし焼薬の類工夫有
へし
船に荷物積様に社次第あれ
左右を明て中に積へし
左右は水主共在て船をおせは左右
を明置中に積へしと関へたり船軍
には諸役人の居所に聢と乗組て後荷
物を積へし鉄炮大筒は重きもの也諸
役人は乗組せて後大筒を配るへし大筒
を乗せてかたむく時は大筒の勝手に住
せて荷物及人を配るへし是第一の心得は
あり
からかいを一問〳〵にしきりつゝ
一蝶番にて垣立は橋
からかいとは船を横に仕切たる一間
との堺の板なり如此仕切て穂の人
一艦へいです艫の人福に不移レ右す右
左は左りと定て垣立を蝶番にして
敵船に乗移次第向ふに垣立を打
渡しすまるを打懸く垣立の橋
の動かぬ様にかためて一同にはら〳〵
と乗移類へし
一矢目塞ぐちやんや鉛に槙はだと
鍛釘の役持楯の陰
一矢目塞くちやんやなまり槙はたは
一歓大筒にて此方の船を打貫たる
一矢目を早くふさかねば忽水垂となる
故大工を楯陰に伏置て其矢目を
早速に基がするなり穴に鉛を打
込にはたを込其透にちやんを流し込と
きはあかの入事を即める是第一
の時なり当代にては土俵を丈夫に
して其かげに此役人を置へし書
野高来亀昨代ニは大筒無シ当代
は大筒と云物有此工夫第一の事也
昔文録時代に野当来るゆと云者
一四国に在て海賊の長本たり
一大明に渡りて中華の所々を侵掠た
る曲者なり此余類を多く毛利元就
黒田如水の家に在り先人余拙者も
一船年の術は右野る也東嶋か伝を粗
聞及へりさせる事更になし宜な
るかな賊の流義なれはなり
一根引竹船の胴突はしらかし
一短につくるを専一とせよ
三年竹の五六寸廻りなるを根引竹
にして根の節を削り尖かし火に
てこがし油をぬり四五国計にして
緒を付大力の船足軽に持せて
一敵世の初腹を投突にする時即
穴明てある込入大船は水船と
なり小船は乗沈むへし矩に着る
と云は敵船に乗付左右を平付に
せず矩に真直につくるへし艦の
所に鑰かけの役人有て論を歓船
にかけて我舟の平付にならぬ様
にする也如比付る時は我舟を歓船
より制に便なし亦惣乗の時は
此方の航を敵船へひた〳〵と付て
垣立を橋として乗込へし
一石火矢の船は小早に長蔀
車掛りを専一に勢よ
一石火交舟は二艘組にして車懸り
を専一とすへし逆廻りに舟を押廻
せは玉を打出すに便よし石漕の平
一太に長蔀一艘に石火矢壱挺と心得へし
一長節とは舟の上を苫にて葺所
を平等に厚板にて包み小筒中
車かうと
筒のぬ事ぬ様に拵ふべし平かうと
いふ事なれ共車をりの実説体認の事覚束なし子
細は謀信の川中島の陣勢を信玄の名付られしに
初て此説はしまれり是ハ信玄の時に取て各付之通
し事也信玄謙信の平生の陣勢悉皆車かゝりの術
にあらすといふ事なしされとも二手組といふ所に大事
の説有二手組にあらされは車懸りの名義の詮立
かたし其一隊の内の人数乃廻し方信玄数謙信
の廻し方にあそれは合戦奇正の業身に肱を問ひ
肱の指を使ふことく自由に廻らす其一隊の自由成物
にあらされは二隣を並せて一隊のとし一人の身のこ
く自由ならす陰陽奇正の妙用神変奇特の陣法
也此術を二艘組て石火矢二挺を以て番休すると
きは実に是神明の術なり能々鍛練工夫有へし我
心に自得せされは皆外より礫するものにて付や
比ば
なり
一船矢倉屏風の楯紙用ゆべし
是大将の居所としれ
一鉄の屏風の楯を野草来嶋の流民にて
用ひたり其時は小筒の時分なり唯今は
三十目筒にてもいか成織の楯ニ而も微塵
になるへし猶長大の重楯を用ひたり
とも百目五十目にては猶粉になるへし
其上の重楯は船中不便利にて取扱ひ
かたしたとへ備る事を得たりとも百
目以上の物を用る時は楯は勿論いか
成ル艦艦にても其船とともに併て皆
微塵にすへし故に是を無敵大将軍
と称す依之益何廉に工夫すへし
一糠俵兵粮薪其外も有に任せて楯
に用ひよ
此哥面のことくされとも皆小筒の時の沙汰
なり大筒の輪に不及今神明の巧を用ひ
ても大筒と云物には楯は無之者也然レ此
上の工夫大きに有之事なり
一舟を打玉拵へに大事あり
一裂破るゝを肝要にせよ
舟を打玉拵の事尤秘事なり鉛を
棒に削てたとへは堅木にて火矢の弦
を削る様にして其玉目に応し少シ
長めに挽切て用ゆへし倭船は板を
しほらせて作りたる所此所の舟の
痛所を察して右の玉にて近く仕寄
平目当に載せて打時即船裂破れ
て立所に水舟と来る事うたかひなし
火矢の弦を銘にて拵へたるものことく
如此すれは尤町間遠くては玉行乱
なるへし故に平目当か亦は前目当に
一僅成る蜜矢倉をかき申て至極のさし矢
式範か曰至極の
にて打は外るゝ事なし
朦艦又は南蛮の
大軍船
一荒丹是を可打工夫の一条爰に在予年来心を尽せり
先年松下専介殿蒙二
同四十一ヶ所
一月十一日
上に一里を以て
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焼酎二斗五斗七合
なる事○またを我等か暇に司主婦を作初打加せるより忙に。工夫者有りそれ南蛮船は
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廿一日廿十日
十月十一日
一有徳院様之上意つ長崎ゟ南蛮船の損したる板を取寄
られ大玉を以て打せて試られし事有遣る由屋代
要人拙者へ物語有拙者か曰それは
上意の事なれハ是非の論ハ申上かたし松臣数年
此事を工夫いたし決定して罷在街は壱貫目の大矢
を作初打初せるより慥に工夫着けりそれ南蛮船は
一能鮫なる板を多く寄せぎ立其合を目にちやん
一を流し込たる物故いか成大玉を以て打といへとも
玉たけ穴の明たる分にてさのみ舟痛み不申早速夫
目を塞き申せば舟即本腹いたし候拙せは三貫目
位の大玉の御筒長サ壱丈も有之を拝借いたしたらは
一堅木の矢の長サ八九尺にも作り根をずんど切にして
鉄を以て張り鉄砲を付て随分蛮船に近く仕寄
し三四丁計にて大方平目番に見込程にて大方平目番に見込程にて寒
工夫所なり
船の只中を打時百発百中外るゝ事なし特に香船不散
不賢を以て至利とせり夫を如何といふにたとへは此矢
の力千人権の稠突を横より陶鐘の鐘木の勢ひのこと
くかけたる物なれは悉船の貴く釘はなれして
忽海中に打沈む事掌握に在此舟貫ては楽しみ
一なしといひけれは屋代氏大キに信天しみ実に是神明
の街と云へし貴殿の壱貫目の矢の業を見て成程信
一仰限りなし松下氏干今存命ならずかなとそも申
ける
石火矢の仕掛様〳〵車台
おしみ綱にて心得てうて
車台ハ至極桁なるもの也少元の句倍
の補は後に土俵を助る也筒伏遣る
を少充手子にて上下するは桔桙の勢
ひなればなり筒の胴腹の左右に
丸き贅の棹出て是にて上下する也
吉規は長崎にて打て勿論木図に
極節
所持したり
一自模し置て爾今
然るに正信の石火矢は筑前の打手
の外には見たる事も有へからすされ共
一今世七十年来筑前より火を入たる
沙汰をも不聞之七十年以前之町
扨うかくと
着共極郎方に持伝たり御
一筆を耕して
肝要の事を書おとしたりおしみ綱と云事は臺の左
右の衝の出たるに穴を明て筒をしばりたる網を
一南蛮船ト云物長サ五十間六十間海上ニ高ク
浮出タル処二十間海底ニ沈ミタル処三十間
計然時ハ大筒ニテ誠法打ニ唐人流ニ打ト
虫外れす事也享保年中西国の沖漂流ノ
異船小倉ヨリ乗取タル船長サ四十八間横
一幅廿五間余其船ニ小沢元右衛門乗テ見
タル時悉皆小山ノ如シ是ヲ打タルキ一式
一押当ニテ矢倉ノ分別ハ曽テ無之ト云ハ
七
十一
其能程すさらする為のおしみ綱也おしむといふ
一詞意をむかへて合点有へし公儀には大坂の御城に多し
し此筒を見たる事もなく大筒といふもの耳にも聞
ぬ人計御城中に在て無心元事とも也
先年此段御目付衆江申述置たり
二三間も長クしてたくりて置ねば筒めつたに後座な
一石火矢を舟に積には歩行板
ころはかしにて網手子をせよ
一歩行板を渡しころはかしの村を
敷綱手子を用る事勿論なり公儀
にてハ御作事人足といふもの大工ニも
増りてケ様の事に精し只今御旗
一本の御作事人足は鉄砲大筒の仕懸
ケは不及云に遠路を運送し橋舟
なとの所にて大筒を取なやむ事
藤沢の枝村に艶沼と
一打手よりも功者なり
いふ所有此所に極郎宇
右衛門か定宿有候事六左衛門と云百姓郷中にての大百姓故居
宅尤広し故に禁の大業に相応せりとて六左衛門を
八
定宿とせり其村の名主を三左衛門と云比者鎌倉の大筒初
りてより以来玉見矢見の御役義を蒙りて数十人の
打手とも初メハ毎年鎌倉へ罷出て打事なれハ毎年
〳〵昼夜ともに三左衛門打手の宿所に来り御場所に罷
出る事なれハ玉見矢見の功者上手に罷成て鉄砲の
火音を聞て只今の玉は越可申下り可申只今の矢は切
可申前切ㇾ後切レ迄を中さめに聞て云事唯掌を指かことし
一鎌倉の御場所はしまらぬ内は舟橋に御場所あり五井
権蔵と申者初めは極節宇右衛門か弟子にて其初大坂に
て小筒の弟子に成竟に大筒といふもの見たる事も
これなき者なり大坂に於て小筒の弟子に成たる故
には当地にて初めて松布専介殿より被撰出御場
所江罷出る事を置うらやみいか様の借りを行ても御家
人の数に入はやと思ひ立葉の初て罷出る時の供を願ひ
弟子の内に御入可給と様々願ひ遣るによりて人には
一乏し匂坂惣内五井権蔵非人の術川岸蔦右衛門殿
是は子親の弟子の中にて左衛門は木軒の男なり芦門右衛門ハ戸田大隅守殿
の浪人至極十度の早き外火気の上手されとも
の浪人至極十匁の早打に長し大坂に而十匁の火矢
玉に長し就中馬を能のり勝れたる強剛者也因而
一鎌倉えも召連レたり五井権蔵匂坂惣内初極節弟子
一ニて召達たるにより松下殿も目見へを被免たり然所に
松下殿へ彼者願ひけるハ拙者も一分に御場所江罷出たき
由願ひけり松下殿立服せられ宇右御門弟子なる以大業な
れハ手伝なくてハ叶ましとて幸右衛門か供に召連候得
と申付たり権蔵何の功有て一分に権使を願ひける也と
て夫ゟ宇右衛門手伝頭にも召連間敷由可申付屋代要人
殿にも重畳畳其段被申渡けり大島古心さ江も陸蔵出入
殿にも重畳畳其段被申渡けり大島古心さ江も権蔵出入
しけるか古心老此段被聞及出入無用と可申付其身五升
一藤九郎と云者是は父の業を継て学文の功有とて光
達而大島古心さの取持候て南部殿に三十口の月俸
にて被召抱是も古心さの薩を以如此是より五井藤斧
も大島氏不和になられけるは権蔵か不是故如斯
其比松下大嶌両家は権門の勢ひにも起て時をほかま
けれは権蔵其機会を失ひ遣り然類に彼者機智
に健くして時を伺ひけるに十八年已前寅八年松下氏
一死去せられけるを幸として搦手より忍入拙者宇右衛門
同流の打手にて有之由を触流し白坂惣内吉規か免状
を持たるを欺ひて買取様々と儲を行ひ有馬兵庫殿
江出入して拙節か噂弥方もなき悪名をいひ立けるを安
冨軍八跡へ廻り宇右衛門か噂悪名を立申たる者は五井
記内と申浪人者則宇右衛門か弟子に而拙者と相弟子にて
一御座候松下専介殿大嶋古心老江も御寄不被成候其者
の心術は偽を構へ師範たる者の悪名越権門にふれ流
し己か立身の本手に仕候事言語道断の比興ものに
て御座候と苦々敷行之取次の者は安部丈左衛門と申
者也如此の悪人も搦手ゟ忍ひ入大番組の与力に罷
成候が鉄砲申立候而大番江被召出候事方角違の立身
よと小笠原石見守殿御不審二而候其後段々佐を行ひ
一組督をいたし御先手へ参候故鎌倉江罷出候様二罷成
候時己か心に引合其人を疑ひに而鎌倉に而町を打
候に艶沼の三左衛門は大野宇右衛門か矢見いたし別而心易
かるへし然ル時は三左衛門いか様の異心可有とも知り
かたしとやおもひけん船橋より矢見の者を雇召連謀
一倉へ罷出けるに三左衛門権蔵か宿へ行権蔵江申遣
一流は鎌倉に而大筒を御打可被成に他所ゟ矢見の人を被
一達候事事の鉄たる御事に候御当地に而の矢見の義は
拙者三左衛門蒙仰御扶持越頂戴仕候其上他所の人を
於可被召連者御縁者の証人には罷成申間敷候哉大
野宇右衛門殿の堺といふ所にて町を植したるは味付の
証人にならずとおふせられ候而斎藤新蔵同十郎太夫
江町縄を御頼被成候と承及候是社打手の本意にて可
有御座哉と申遣る時権蔵一言も不得揚候即三左
衛門拙者江申聞候扨権蔵町を打候日になり三左衛門は
本より役人なれは一番に御場所江罷出遣るに権
蔵る雇の矢見も出遣るに三左衛門は居たる所江不孝
して人足ともに申付只今の矢前に切れたり後へ切
たり此矢音にては着ましと矢毎に一月に指図をし
たりけるに壱本も不違悉皆三左衛門か口上の通り
に矢共飛遣れハ船橋より来ル矢見之者三左衛門江降参し
て責て拙者江壱本八可被下舟橋ゟはる〳〵参矢壱本も揚不
申候而は拙者今日の一分立不申とさま〳〵詫けるにより火
一文壱本
一矢壱本は其方の揚堂子分にして取らすへしといひ事
矢壱本其者に取らせけるよし三左衛門扶左衛門扶太ひ扨々
心地よき事に而候侍の道に違ひたる人ニは如此にあひ
しらひ剰其人に雇れ来るぬ原迄も如斯に思ひし
うせ本野水至りに候と後年にいたり三左衛門拙者え
物語いたし候雑説に申せく否よりも馴よと
申候三左衛門か矢見の次第手に入たる事如此
一絆舟左右を打に大事有
三つの碇の口伝第一
見はつなぎ舟より向ふの左右を打事
なり此方は碇をおろして動かすに
居て三ツの碇にて此方の舟を自由す
るといふ事なり三ツの碇は本碇は其侭
にて置て左右の張碇にて舟の艫を
右へ廻し左へ廻すなり船以杣殿に示合て
惣而舟岸する人は平生舟に乗
舟を自由すへし
て手足便利を習ふべし
陸に而いか程心利たる人も舟に乗とひとしく手足自
由ならす身を動かす事ならぬもの也此所を含点し
一年舟に乗つけて工夫須へし右に申たる佐々木勘三郎
舟打と号して鎌倉に参たる時船頭はといへは右の
鶴沼三左衛門なり三左衛門分下知せ年ハ抱に而引金を引
事ならず惣而の弟子六七人是は舟に乗とひとしく
一砕たるにより船中にたまらす皆陸へ上り復び舟に
不乗え魚耀たる舟打かなと物語しけり何事も
うかくと暮したる侍ひの根性皆如此おかしき事
かなと士外の者に見限られ無面目とも不思浮世丁
そ不審
なれ
大筒の目付といふは水際の
四五間前を星と見るへし
是は水鳥を打て見て合点すへし手鳥
を打時三四寸も前を星と見て打は水鳥
の胴中を打貫事なり只中を打むとね
らゐたれば極て越なり水気かけて
打事習也其ことく舟の胴中を打貫事
八町間次第にて五間も三間も三間も三間も三間も三間も三間も三間も三間も壱間
も其舟の大小高下にて積りて積りて積りて打へし
乗組の役々は皆其所
一壱手のかしら下知を背くな
前にいふことく大筒の勝手にまかせて
乗組事勿論也其外前の説のことし
舟にては波の大事といふことを
能習得て打ははつれじ
浪の大事の事此方の舟波に随ひ浮
渋無位有敵船も亦同事なり此所を
工夫して両方の高下を念得して
引金を引火を指へし兎角是は度々
舟に乗て打付されは心元なし口伝
はかりにては根済のせぬ場なり能々
一鍛練有度所なり兎角舟にては下る
迄は好へし越時は外るゝなるへし
此所度々手に入らねは慥に云かたし
所詮度々打馴たるに及事なし
小筒をはすくり桁へて人々に
楯の陰より他矢うたすな
一右の前外に口伝なし梅類勝るの説
前篇に注すことし
一歓船に誰につくるといふ事そ
大事の上の習ひなりけり
一矩に付るといふ事前に云かことし此術
仕損すれ共手前の舟に災有故に大事
の習ひと云此段先人の説を忘れを忘脚したり
持病の健志の不当なるへし候様の事
は鉄砲の業には侍らぬ事なれは忘ても
大罪にはあらすと宥恕ありて舟頭に
探索あるへし
塵舟の帆をあけはし類其時は
一地火矢にて焼てにてにてにてにて
吉観か説に異国の舟は帆を以進退
す故に帆を焼るゝ時は羽ぬけ鳥のこと
しと云々式範の曰此光人は至極
の火矢の妙所に至さる人は無覚束定
石の業に謂かたし故に先人抱火矢
を以生涯抄節に庭訓したり故に
愚も亦是を等閑にせす随分勉た
れとも殊外六ヶ敷物にて数十人の弟子
打得たる人さまて無之面白くなき故
吉規は筑前に在し時舟を海に浮へてし
かも母をはしらせて我も舟に乗りて三
信する人徹し
一人にて打たるよし老母なれは此方も近もに舟を流せて打
為よし三人銘々の工夫の失有之伊節嘉右衛門阿部孫太夫
一大野佐五右衛門の三人なり何も名人ともなり但藤太夫は
後に佐五右衛門弟子になりたり其矢の作㐧三人ともに
違怠りされとも心用ひたる所は同事なり極布に合
其矢の形状損し置て所持したり
鉄炮はなにの為とや思ふらむ
敵に勝利の進ひとつなり
古規云諸流の戯炮皆々遊山既水の
一様に心得て用前の吟味を為人甚希
なり故に巻軸に至て町人夢を驚
して苦口の歌なり心得給へし
一極速百首和歓後に書
予いと事なき時父兄に随而軍者流の老
成人兵書を説せるを聞しに兵者植し
てすみやかなるを聞いまた折の久しき
を観すといひて孫子か十三篇上策より
出て下策に至りて火攻をあらはす拙
くして速可成を貴ふ時は下策を用
ひてはやく勝利あるをよしとす一篇
のうち則拙達のはかりこと有といへる
を列座の人々皆頭を傾てふかく感し
たるを耳にとめてわれ成長の後は
かならす火攻の業を習むと何となる志
し侍る弱冠に至りて馬をはせ釼を
一識るといゑとも素意のやむことなく
月日を送りしに果して師伝の宜鋪
一授を得て此火矢一流の用所を学ふ
工夫年をかさねて聊自得の業を貫通
せり本より文に疎く書にくらけれは
老境遺忘の事のみ多からんとおもひ出
し折節筆にまかせて百首の歌を言
をつらねて此術しれらむ輩にしめせん
とそこはかとなく書付侍る
元禄三つのゑさるのとし
陽復の月南至の日
大梵氏吉規記之
〆