關取名勝圖繪

creator
歌川豐國畫
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2026-08-17T19:23:14.114Z
updated_at
2026-08-17T19:23:14.114Z
field_notes
場所: 江戸
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CC0
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歌川豐國畫
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日本語
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本屋又助
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セキトリメイショウズエ
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東北大学
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2025-11-13T05:29:50Z
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10010000001681
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2026-08-28T18:53:25.651810+00:00
関取名勝図絵龍 狩 第10 24333 由 泰 関所 名勝図絵 立川専馬撰 歌川豊国画 ひと日阿武の松めし合手助手の人々を 冬母なひてわか庵に来れるにやかて立川 のうし類川のあるし猶恩堂さへいさなひ て来ませりはから水も雷名のうしのかく つとひたまふはうへなきさむにこそあれ とて飛とつらに居ならひて海うち召つゝ 此座にあらむか義孝は兄弟のおもひを なけりなといひてともにかたらひつた恩堂 のあるしいひ告るは君達も知らせ給ふことく 春の頃に出せし金剛伝はいみしきあたりを なして数計なく出て目覚るま伝におほえ 候そいて也此歯に居ます最手曲手のうし 達はさこなりかみつかたの角力人字もらす ことなく例の立川孔川あうしの筆をもて 関取名所図会と上書なしたる摺巻をものして よとあるに筵につらなる人々の御里こは よくも思ひ立たまふ物かなとせよかくせよ とてはてはおのれに序をさへ書事とは 立川うしの飛ため真にすゝめたまふて 解りにいなまむはこをこの業めなき口縄 のものにおそれぬきまをなしむゝめくら めつぶう向ふみすおしのつるさに跡へは 引す先初切の飛入に筆をヒツキル事 しかき 魚市の町に住 野田舎のゆ イケツキ 生月鯨太左衛門 肥前国平戸 の産身の丈 七尺五五 重サ四十 五貫目当 辰十八歳 大坂は小野川 嘉平次江戸は 玉垣 門人也 元禄の頃鬼勝 象之助 身の丈 七尺八寸 又明和 年中に 釈迦ヶ嶽 雲右衛門身の 丈七尺四寸五分 寛永元甲子 年勧進相撲 開基より 天保の 今に至る まで七尺 に余る大 男右三人の 外になし古今の力士 といふべし 生属は 古今の 力士 世の中に に 並ぶかた なき 男なり 男なり けり 大相鞘 撲場 所之 画図 □□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□ 板元山 畳加田 太皷櫓 桟敷加田 筆頭宮 中政ノ関 間加田 桟敷色獄 土俵山 中改ノ関 八幡ノ幣五 筆脇社 面白井 中売ノ里 おやく山 大札場 新札場 千里数 土間 宇里 行司部谷 木戸関 剣山 剣山は阿州第一の 一高山にして竹山の つゞき也峠には阿武松 あり鳴門を見おろす 景色よし沖中に 岩あり大船是に 一当ればたちまち くだけるなり人々 おそれて鰐石と 味べり 第一 武隈の松は古今の 大木也河武松にならふ と云はるかに勇山 見ゆる麓には小柳 多し左に手柄山 湖東山見ゆる 都御幸野に 有し を東 都へ根越せし 松なりといふ 武隈 越後国 和田の浦の浜 つゝきに有り 鏡岩とて人の 面をうつすによく うはるといへりいにしへ 虎家谷より出し 小石のよく大石とは なりぬ雷の社 かたはらにあり 鏡岩 斎 小柳は今阿州に あり古今の大 木也太サ三人 にて廻ず 小柳 餘れりと 言ふ左りに 緑松多し 阿武松の 種なりと いへり □□□□□□ 友綱の社は日向の国 荒木野に有り神代の 手柄山」 むかし岩ノ戸 開けて後千田川 といふ大河より といふ大河より 出しと言ふ社は 玉垣の内に 有 そたはらてふ 小田原蝶と云 てふ舞遊ぶ ことあり むかふは播州 一姫路より浦風 吹つみ所にて 待乳山兜山 を打越して 一段高く見ゆ るを手柄山 と云 友綱 相生の松は 播州高砂 の浦に有り 浦風に生 相生 立し 松なり いにしへ 国分の 塚有 いふ 境川の 流に そふ 千代ケ嶽 千代ヶ嶽 向ふに見 ゆる麓に いろは野 あり 戸々の浦へ 出る近道 あり峰に 雷の社 あり 関の戸は 仙台にあり 蓬ヶ関と いふ左りに 藤川 有り 御所 浦へ 落る 早瀬也 関の戸 要石 要石は古へ 都御幸野に 有りしと云 今東都に有 阿武松のうた 八郎に 立つ 秀山の林 都川をへだ てし古城の 跡なり名 将の 縄張と 云ふ 繩張 頂 常山は羽州の名山也 左りに鶴ケ嶽有り雷鳴 出んとする時砂を吹上る 事おひたゝし人々是を 鶴ヶ嶽の空珠巻と云ふ 雲州雲早山の頂なり 見わたせば鼓ヶ滝 沖ノ島まで見ゆる 伊勢の海に有とぞ 常山 音羽山は都第一の景山也 左りに栂の峯有り 照渡りたる日には伊吹嶋 象ケ鼻苫ケ嶋十万ノ海 まで見ゆる 阿州の方に当つて雲早山 見ゆる左りに矢筈山 有り大坂湊境川迄 見ゆると言ふ 雲早山 音羽山 白山は尾 州蔦郡に有 はるかに高砂 の南尾上の童 の浦尾上の鐘 林下には 和田ヶ原 あり 尾上 太孝山は 越中冨山の つゞきなり 峠に二本松 あり 太孝山 武蔵野 桂野 桂野は武蔵野の つゝきなり桂野には 月見山あり武蔵野 には神田川あり 武蔵川の川下 なり 此所は関谷野の末にして 五十嵐つよき故浪の音 高し丸亀といふ亀すむ 葛磯ヶ濱といふ所より 勇獅子といふ獣雷に 附て飛出此所を渡りし ゆゑ今浪渡りといふ 浪渡 2017 弘化二乙巳蝋月二巻之内 東武ゟ到来 吉田安之助主 関所名勝岡絵虎 狩 二巻之内 越ノ海より はるかに 三つ嶋見ゆる 左りに書写ヶ嶽 あり昔大童子 出し山なり 今神に祭り 社玉垣の 内にあり 右りに 千田川 みゆる 千田川 黒雲 肥後国高瀬の里梅ヶ枝の社有常に 此上に黒雲立覆ひ浦風に なびくと云ふ 三つ鱗 日向国橘の音の瀬に 途許の社といふは神代の 古跡にして玉垣の内に神 一龍の鱗三枚を神体と する神有是を三ツ鱗の 社といふ 肥後国雲生嶽は 高根山につゞきし 高山也多く真鶴 住と云ふ林下に 濃錦里有り 一佐渡ヶ嶽は稲妻 の光り多き山なり はるかに松の浦 見ゆる 君ヶ嶽は信州 松代に有り 此峯より落る 瀧の水終に境川の 流に入るといへり 君ケ嶽 □□□□□□□□ 佐渡ケ嶽 雲生嶽 常盤山は肥前に有り松の木 多し神木は玉垣の内に有 はるかに箕嶋鷲ケ濱 を見おろす高山也 柏戸は両国の関也 門内に大なる柏有り 依て柏戸と云むよし 伊勢海に住し琥猫又と 成て荒飛に狭布里へ 出て今此柏戸の 関にとゝまる 瀧の音は筑 羽山の山崎ゟ 落る 瀧也東関の 古跡有 とぞ 常盤山 柏戸 滝ノ音 宮城野に生立し荒馬舟橋を 一文字に渡て南部の 国に至る古今の 上馬成りと云 黒柳は筑 前の遠山に 有り追手風に なびきて 今大木 なり 荒馬 黒柳 二 向ふに 桐山有り 榊山の つゞきに して 獅子 一ヶ嶽の西 なり此所ゟ 荒井崎 見ゆる 豊前ノ国乙女川の 一堤にある御用木は 玉垣の内に有り左りに 如意ケ嶽四明ヶ嶽 見ゆる景地なり 川下に玉ケ橋有り 神代のまゝ成りといふ 今は玉垣を ゆひ廻して人の 渡りを不許 御用木 玉ケ橋 桐山 猪名川の水上は 高瀬川といへり 左りに関谷野 といふ原あり 浦風に吹おく られて瀬あし の早き流也 此川つゞきに 昔大蛇の ぬけ出し跡 とて大蛇瀉 と云し所有しが 今は宮城野 郡に属 して 千年川と いふ大河に なれり 一 千年川 猪名川 岩見潟は 秀か山の梺の 浜にありはるかに 北山見ゆる 神代のむかし 天津風吹起り し時此岩立し となり綴りて 立神と うやまひ 今秀山に うつす 秀ノ山 不知火は肥後国筑紫に有り戸立野濃弥里 見ゆる沖中に黒雲起る時は 汐道白く成りて川の如し 是を白川と 云浜辺に □□□□□□□□ 横綱の 社有り祭礼 春秋晴天 十日湊の 群集 なす事おびたらし 不知火 土俵山 頂に野見宿称の宮有り開山明石志賀之助晴天 一六日の開基寛永元子歳なり暫く中絶す 一中昔開山雷権太夫晴天八日の開基なり安永七辰 一歳より祭礼十日と成る山の高さ三尺余廻り三間 四方なり俵をもつて困レ之 四季の柱 四方の角に有り四色の絹をもつてまく東西に役柱 筆頭の宮筆脇の宮有り 四神の社 四方の躍口の土俵を祭る右は青龍左は白虎前は 朱孔雀後は玄亀也残る十二俵は子より亥の十二 支を祭る 三役の社 役柱に安置す上に八幡の幣を立弓の宮矢の宮矢の宮矢の宮 一弦の宮なり今は扇を以て矢にかへる 二十八宿の宮 柱より柱まて七俵ツゝ四方合せて二十八俵を星に乗 なり力水の井土俵山の梺にあり化粧紙の雪 土俵山裏の方にふりつもりて雪の如く力神を安置す 桟敷ケ嶽 見物山をなして勝角力に衣類の花をちらす手を打 悦ひの声をあげること雷の如し 土間の海 一桟敷ケ嶽の麓より土俵山の梺迄一面の海なり見 物浪を打也大入の時は大波一面に打事おびたゝし 本中鳥むらかり出て是をせいす 仕度部谷 桟敷ヶ嶽の後の方に有関鳥集りゐる谷なり 中売村 此村の人々手ぬぐひにてたすきを掛け人の肩を 踏て商ひをなす 名物 弁当すし酒するめかまぼこくだもの 板木部谷 帳元山の麓にあり一名三河谷と云ふ板木の桜多し 前鳥むらかりて勝負漬をあらそふ 名物 番漬勝負漬 行司溜里 土俵山の梺にあり此里人惣上下にて出勤ス 名物 差切りの団扇見切の水入いたみの眼鏡立込の袷 上屋の足袋下屋の中ぬき 相撲溜里名物まとふ梨ひき桐 土俵山の東西にありすまひ鳥勝木に集居る里也 しこ踏石塵手洗立合の辻何れも古跡なり ○畳加田土間加田桟敷加田太皷加田 此田のくろにはたら木多く繁る也呑多蝋といふ 蝋燭を商ふ者多し 木戸の関 御役山の麓に建し関也堅固にして切手なきもの 一壱人も通す事なし組頭其外年寄出役なり 裏木戸出ばかりをゆるす関にて壱人役也 大札場 毎朝桟敷方土間方へ切手を出す役所也年寄帳元 出勤晴天札持来る者は此所にて切手と替通用す 新札場 諸見物此所にて切手を買取りて木戸の関を通る 出役年寄なり 太皷櫓 毎朝正七ツ時より打初め夕七つ時に終る天下泰平国 一土安全と打也禁に庵あり取組の札を出す 五柄太皷 初日前日に町々へ出る也江戸太鼓深川太鼓 品川太鼓浅草太鼓四ッ谷太鼓なり 稽古堂 一相撲年寄の家々に在り関鳥前鳥迄毎朝群り集 て修行す 一本尊八幡大菩薩也真中成る砂山の頂に幣を立置 清めの塩力の水むらかる鳥是をいたゝく あせの水わき出る事おびたゝし 一張合井面白井 火の出る事あり 談洲楼 撰者 立川焉馬出 国貞改 一陽斎豊國 画工 同一陽齋豊國 相撲名所図会 二編 近刻 立川焉馬編 當世 金剛傳全二冊 国貞改 相撲 歌川豊國画 当世相撲東西一百人の肖像をあら はし各生国師匠の名よりして是迄 の改名をくはしくあげ又末に金扇 一等をこと〴〵く生写しになして 聊かたがふ事なし相撲好きの君子 かならずしも見すんばあるべからざる冊子也 古今 此冊子は古今俳諧の秀句を種にせし新作の落しはなし 落しはなし にて元ゟ勧善懲悪のをしへにちかく幼童の眠気 秀句 新刻画入一冊 を覚すに妙也禁句さし合なくて御年玉にも相成面白き本也 教訓 画入 此書は忠孝をはじめとして専ら童子のをしへとなる へき文字を千文につゝり一々講釈を加へたる絵入 幼稚千字文 中本一冊 の小冊なり稚き輩常に熟覧して有益広大なるべし いろ は引 俳字袋 小本二冊 俳諧にもちふへき文字をいろは分になし 一々去きらひをくはへたれは俳席なくに 懐中して至極重宝の書なり 南伝馬町壱丁目 天保十四癸卯十二月稿成 同甲辰三月発行 頂恩堂本屋又助梓 一 一二十一 …………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………