鞆考

creator
渡邊勝延
created_at
2026-08-17T19:23:21.504Z
updated_at
2026-08-17T19:23:21.504Z
field_rights
CC0
field_creator
渡邊勝延
field_language
日本語
field_has_image
true
field_identifier
10010000001961
field_ocr_status
completed
field_title_yomi
トモコウ
field_attribution
東北大学
field_oai_datestamp
2025-11-13T06:53:52Z
field_oai_identifier
10010000001961
field_ocr_updated_at
2026-08-28T18:53:25.651810+00:00
狩仙樹1 麺考全 鞆考 第文紀表 同十二号 狩野亭吉氏藤蔵画一 「裾垣 阿波渡辺勝延述 一鞆といへるものゝ廃れたる事いと久しきによりて今は其 製造たにさたかならさるは惜らしき事也さるは博識と聞え たる新井白石先生の軍器考にも其説詳悉ならす又木居 宣長ク古事記伝ニも竹麺麺ハ大神宮式神実中ニ鞆二十四牧と云〻 師云鞆は射るニ左臂ニ着る物ニして形は吉部秘訓抄にも見え 猶此物の事谷川氏 着たる様は古画に見ゆと云り さて此は何 書記註にも委く云り の料に着るものそと云に古歌なとにも鞆にはみな音を云るを 思へは此物に弓弦の觸て鳴る音を高からしめむためなり音を 然るを師は袂をおさへ 以て威すことかの鳴鏑なともおなし 弓弦を避る物也故に弦の あたる音ある也と云れつる己もさきにはさることゝおもひしを後によく おもへは然にはあらすあらすあらすちかきころ伊勢貞夫めなりといへり其 考ニ或以為勤者避弦之其也是本千和名抄雑字注者而非也 夫弦觸脱者拙射之一癖也何有設其其乎といへり誠ニたる事也 云竹ハ 借字にて書紀の字の如く高の意にして鳴音の高きを 一物の能を略くは いふなり抑勒は音物の省りたる名にて 作物所をツクモ トコロといふ類又於を 竹鞆は高音物なりといへれとこはみな麺と 略くはつねなり いふ名義につきて論へる説なれは委く其物の用を明了たるもの にはあらす故勝延深考に全く勤は音をあらしむる而已の用には あらて甚異なる謂ありとおほえたり其は我亡友伊吹貫夫弓馬の 術に志篤くはた其道々に就てはいみしく古風を慕ふ一癖ありて 許多の古器古製のものを輯集して博く新古の得失を論する 事を好みたりしか既に此鞆の事をも前に引用る貞丈先生の説を 語ひて終にこれかれの古書に徴々し京都なる某にあとらへて其 物を製造しめたるそ真に古世のおもかけおほえて珍重かりける より主人も某も甚く歓喜てものせし故後々は其主人書屋の号 をさへ鞆の屋となむつけたりける故時〻は其を臂にとりつけて 射試なとしつゝ何事の上にぬ復古の時至れるかな船とさゝめきた りしはや今はむかしになりきおのれもそのころ貫夫かつくらせたるを 模造して以降射試来れるを誠やもの開拓の運しるしこのころ 其用るさまをおもへはさきに貫夫等とかたらひませし事はみな あらぬひか事にてありけり其は此鞆の着所よ往時に貫天かもの せしは櫓紳家竹屋君の伝へ給へるなりとて疵の半よりあなた 脈所を除て着る故弓弦鞆に塞られて天勢を妨る事あれは 風と不審く思ひなりぬるそ此考の出来はしめなりける抑善射る 者は射放ちて後矢等の弦を別るゝ事遅し故ニ能く矢を逐 て疾く未熟なるものは矢善弦を離るゝ事速し故に矢逐は 鈍くして疾からす是はさたかには見分き難けれともよく心を つけて見れは自然筈を分るゝに工拙の妙ある事は言ふ更なりされは 善射者といへと如弦鞆に塞られなは天勢こゝに消亡して其功忽 一然に失むとと顕然なれは音あらしめむとて其用を断ん事は かけてもあるるしくいた上世神武道の隆盛なりし世〻さやうの 一贅事すへきにあらねは此一事を以て女腕の羊に着る事の非なる よしは灼然也けりされは鞆は何の用に設けし具ならひといふに 上世は今世とはちかひ木弓を用なし事なれは木弓を射候には 此具なくてかなはさるものとおほえたり其は木弓の性今の弓 とは違ひて上弦やすみやすきものなる故蛮口弱〻とおほえて 湾に随ひ弓力いよし勁く驚終りてのちは暫時も猶予かたき ほとのものなれは矢を逐ふこと今の弓に懸隔せるといいへる也 されとえ来上弦やすみやすき所より射放ては弓力あるりて 大拇の際を打か故にかねて鞆を着置て弦に打ると如害なから 善射者矢筈の分れも遅き者は しめむとせしもの也既に貞丈。先生も腕を打は拙射の一癖 なりといひ方今の射術家おほむね其説の如くなれともこれらは畢竟 平生用ゐる普通の弓の上にていふ説なれは謡ひかたし今の弓は 上弦強きもの故に彎口も又甚強く且射放ちての後も大拇の 辺を打事なく直に外面へ転旋する程の拍子あれは木弓と日を もとより今の弓にて腕をうつは拙 一同して論ふへからさる事辨知すへしは 射の一癖なれと木弓にては非らす これは鞠は木弓に而已用ありて今の弓には用なきより中古以来 木弓の廃するに従ひ鞆も亦自然に棄れたるものとそおほゆる故 おのれは峯の方へつめて着け弦の餘勢にて大拇の辺をうつを 避る料の具とはおもひさためたるなり加茂真渕も弦を避るとまては 云れしかと世木弓ニ用ゐへきものにして利用を考るう及はさり〳〵は さるものにて袂をおさへ云云なといへるはいまたしき説ありけり然るは 年中行事絵巻にも鞆を着たる人の肩を脱たる図あれは古の 人も袂をおそふる料にをさりし事は明らかならすやさてこの鞆に 音あらしむるはいかなる事そといふにこはもと弦を避る料の ものなから其を堅剛なる質のものものものものもて製りたるむに 且切るゝ害あるのみならす弓材の上にも妨多かれは茶皮もても のしまた中をは空虚に設けなともしてすへて弦をいたはれるものと きこま然るを上の如く中を空虚に設けたる故おのつから弦の それに当れは鳴音もあるより鞆の音といふ事古歌の上に見え たるにて鳴鏑の如くはじめより音あらしめひとておこれるものには 非るへしされは元来は音のありなしみあゝはりたるものにはあらて 弦を避る具とおもひさたむへきなり友人池邉真榛云鞆は止と 伝に竹鞠を高音物也といへるいかゝあらん竹鞠はは 登麻理 いふ義にて弦止の意也 なほ高鞆にて鞆の形の高きをいふなるへし。 の麻理を約れは美となるを其美を毛に転したる例にて船の泊を 鞆と 備後の鞆本国の鞆なとみに鞆と書るは借字にて泊の義なるへし又 舟の艫をトモといふも留の義ときこ由但しこれは今行ツマリといひ 行トマリとめいふ留にて上の泊の意にはあらねとなほ泊も いふもあれは弦を 舟をはつる所にて止る意なる事はみなおなしきなり 一止らす料のもの也と云るは実地を得たる説といふへしそもゝ数百年 来廃棄して凡俗人は鞆といふものをさへに知らざる如多かるを今 かく考得たるは全昇平の御恩澤に武道日に異に栄行く皇神の 御恩頼と七友貫夫り先入の功にして更に予か管見に出たるには あらすなむ 安政二年九月 1907