鸚鵡録
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- 巖碕徹之亟述
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鸚鵡録
乾
狩衣
3223h
狩野博士集書
初め為はりし序歌写
岩崎何かしは其姓温厚富実にして土見るみちにもかしにく
また青木重徳の門に入て釼術の一枝に志深くこゝ良年目
にみかき雪にねるの功積り〳〵て一進一退其の規矩に叶事
を得たり師の教の久しからぬを慕ひ猶子孫にもつたへまほしと
をのか得しと等家をねもころにかはしるし壱ツの巻となし鵲
鵡となむ名つけまた弓矢の道にて小勇の働らさまをあま
たの外より昔の跡をいりいてしも数巻に至りぬ治れる世に
も武を廿寿れとたは素よりの事にしあれとかくもつまらに
集なし侍るは志の深厚なるいとかふはしく下それて
国家の益友ともいひつ過し昔八予も重徳の門に入て其に切琢
との功をあらそひし友せちなれは左のことわけをかいつけてよと
乞物なれは辞するも本意なら壽と其望をまかせらか
上南舞
正衡
教を久もとつくか水を
くれ竹の
子の子の末も
わするなよ入
岩崎舎徒之其性温石子御馬実にしてふみ見る道にもさとくまし
青木重徳にしたかひて剣術の一枝に思ひをこゝわしちからを
尽してにしもの年比月に磨き雪に練るの功積りて終に
一近一退その規矩に叶ふ事を得たりけるかくて師の教の正しき
を仰きてをのか学ひ得わる等とゝもせねもころに書付しるし
一ツのとち文となして鸚鵡鯨となん名つけたりする又已矣
の道に申獨立ての働をも心得となすへき昔の跡ともを其す
ちのふふても見るづいてにゑりいてをるもいつしく数の巻となり
ぬとりいてや始れる世にも此道を忘れするは武士のならひにそ
あれと斯つはらに集なしつるも志の深く厚きよりのわさと
いひ寄併しをのれも着かりし時は重徳に与りて共に切縁の
功をあらそひし友なれ共このことわり出討てたどこふ事頻
なれハしひていなむも昔の志を忘れたるに似たれハ其望み
に任せて拙き言の葉をかく奉舞
服部石見正衡
世々かけて本つくかゐを
呉竹能
子の子の孝徳も
ならへとそ
おも婦
天保三年辰端月日
右は正衡君より後日書改め賜はりし序歌なり
初賜はりしは刀筐中に蔵し子孫につとふ此席と大同
小異なり
に親炙し教督鞭策を受ぬれとも凡腸至愚にして一毫一練も
得る所なく先師にき共れ奉りぬる今将臍を噛むに益なく
至限極怨言上に述難し先師御指館役微しく激する故有て
竟に漸然廃棄擲絶しぬるは諺に惜むへく且歎すべし
これ道を信するの蓄からす志貫透せされはなり然るに今
鄙見を挟持し管識を固守し妄に評論批議するは分を
揣らわたの甚しき僭踰の罪世の譏潮遁れ難させ知る鄙
言所謂畑水練紙上之空禪具眼の徒これを観は忍山に捧
腹大場すへし留るに強弁喧路不止者ハ先師道高足弟
子石原兵右衛門山内又十郎両士在命中多年耳提面余を
得し容論に不手き且左吾我年逗惚の時に当り勇夫烈士事二
遭遇経歴之事蹟且値武以降釼弓銃術を以て世に鳴り名を
一得々達士高手の事実談論を熟読詳味尋思考究す
るに師言皆総合しぬれは師言之信我を欺かさるを信哉
て心腹す因て師に厚き鄙懐を交へ苦見を陳述す敢而私論
陋説を過ねずるにあらす妙境興旨に暁達せし良師且
に門生を引論教諭する町寧及復歳月を果ぬるも猶其
旨趣を自得し流を給く人世に稀なり況や予か如き庸は
識蠢頭応事接物之際微小之事といへ共少し久常に
異なる事之逢ひは胸忽驚悸し心浮立眼響み彼に操奪
せられ常度を失するに至る天下の棄人至愚の辨劣因より、
糟粕にして採に足らすといへ共論議中其理を得童蒙
講習の微補と成言あらは師恩の万か一を報るに応幾
んと知己之実友同門親友に潜に正し宿疑を質正し予
の子孫修武の裨益とならは泉下に躊躍すへし忌諱には
触る語多端あれは其人に非すんは示すべからす当時此
書を見ん人五言のふ倫文字の蕪拙を論安す微志の成
所を察せは多幸而己
一剣鎗射砲坐抽刀奉法御馬術其余隊小至微の由芸通
一枚至る迄本来定形有にあらす形状を製し教ル者ハ皆入し
為にして階梯也釼術の一芸を以て云んに己が本藩の美に而も
六七流有韃案前後一御内なし門戸を建る流名を算
へは幾何縁名有ん武芸に伝に載る処其余予か書中
に予見当りし流名左の如し
神道流ヲ微塵流有馬流天道流
富田流中條流一放流長谷川流
鐘捲流一刀流小野流満口流
神陰流愛渕陰流新陰流区田陰流
柳生流
柳生流心貫流庄田流奥山念流
和漢三才図
絵東軍作
東軍流
東軍流自源流政名流八京流
頸軍尚一本
佐藤
当新流吉岡流鞍馬流諏訪流
一宮流一伝流片山流戸田流
丹石流山科流朴田流鏡中流
行流陰流梶流願流
源流鏡智流克巳流小夫伝新陰
四天流念首座流念流
以上流谷総計四十七皆其形異にして千彙万熊成一し然るに
我講慣する衆義者己を崇信累御し他流を下視軽蔑
或ハ速識するは柔螺側之営見守様之陋識捧腹すへし
流浪多端といへとも究竟する処其理一にして異ならすと黄
口乳臭輩老成人の口は似せし高久理窟を講すれと如し
何そ其一にして異ならわる所以を評知すべき老師猶一成
所以を会得し門生を導し人を聞す况や児輩をや余嘗
て窃に思ふ枝葉の理窟は都而援排擲棄し先る天地
問一取粟流行し返する然る所以を講客すへし天人本一揆
にして人は小天地也造化の流行し無尽蔵明る所以然き
討論尋訳し久して見る所あらハ曲藝の奥薩不見たよ
其裡に貫徹すへて剣術弓砲等の技術固より小術と
いへとも玉性亦其中に包富し深味有て陰態之気養小
一俗称外記難波柳原遠州に
稗と成通し漢香長沼氏広教
后早三左衛門従房之戦功有之大也
著述の兵学録染、心臓篇云武芸者養気之輔也、筑前
和佐大は城門を排キ一人にて千人の又
又曰人能養
高則使大瞻壮
敵ハ可防トイヘル類心ニ丈夫アレハナリ
成這筋勇義、則雖未応戦、其心勇決無疑憚、或未
於疑嫉者、養之不充、恐臨事不得果敢、勇不配於戦
則唯属於血気夫唯強狼而無義故趨理避害御無謝
用耻盗、云々此語武之従朝夕服府日水通きの格言也
抑武術は本穀伐之業にして人倫日用之道理を講習す
るとは変別なり唯気の盈虚消濁を専要に工夫を
下スへて諸芸業より入へしと室場巣翁雑話中に書
れしは不易之嘉言也然れとも事止に而已心力を尽すとも
気上におゐて心を潜め思惟し先覚に質疑し且暮省察
涵養せされは労して験功を得る遅し気清明にして空
碍因執せす無一物なる譬は大虚一点の微翳なく空に
如たるか如し又流水の日夜間断なく流行し已す鍼の如さ
織陣といへとも本其際に微し添流し土堀にを決潰するに
至る或は激流洪涛に至ては大石をも漂流し大木を下
根抜き橋々山を懐ぬ陵に衰り高山喬嶽をも踰越
すへきの猛勢望むへくして近くへからす至柔中
に至剛存するの水興里大成はなし敵に因より勅化は
勝を制する国東一般事理一致手に得心に応ずるの
妙用亦如斯故に我念首座流極意を流水の仰と号
す語曰勝敗無常形変化在呼吸吁旨哉、
一初学の儕其先務を論歩は激烈壮猛の勇気を悩
養省察し業事に試むへし日訣気象慄然頭髪
逆に翌る程に英気鋭とに熾なれは余か如き柔軟短
小の矮夫といへとも釈迦か嶽雷電如きの強勇力の大津子
にあふとも我長ヶ遥に葛大に覚ゆるなり○談是無他気
の充塞する処盃輛に所謂洪然之三木にして至大至別
の一端なり気の貫徹する也如斯禅に所謂不思善不思
然又応所注、而生其心、我儒所謂、寂然不動、感而通通、
するの極妙も是より馴致すへし妙手に至ては蚊ねひと思
はこれとも可撃間隙有は足自ら進みて撃込又引受へし又引受へ
きと索めされども引受に図に当れは自すから引占め敵
を致し釜作進退疾徐後急撃突貌連左右順逆各
其節に中る自然にして安排措置之私意に渉らす此味
七因より言語の及ふ所にあらす意を以て会得すべし
一前件に論する激烈勇猛の気を涵養勢ひと欲せは相惣ね
相衝を専らとすへし是手を下江の軽捷是より近きはなし
或人嘲り詰り云相殺ね相突を事と前は何そ必しも精を
売し力を労し積暴の日力を用ゆへき必竟全情を
欲すれはこそ日稽古等致し神を励しいろを尽し積成
筋骨を労懲する也と予云不然全勝の本より期待願
欲するところこへ共我全く勝んと欲すれは彼亦屓きしと
争ふ我に両眼両手あれは彼又二眼双手あり自然に
勝を求る之工夫を下すれすし御徒に力を以て金勝を
争ふ是高蝋輪清潔ならすと而替打鬱突することも
なり相打相交本より容易になる物にあらす故如何んとな
れは我打んとすに倉起れは打んとする機先著す敵其
幾を察し防禦されはわれ快く打事を得す突ひと
すれは突ひとする幾また歎き敵其幾を悟り怖れは
快く突事を得す事に皆然り是古今の人困少惑い如何
何ん共する事能はさる所此難関を通透する事甚たい難
し故に心無一物にして私意妄念の雑慮なく流水の如き
自然よりして敵に応するにあらされは快く相突打成へか
らず心能相突相打成程之心術ならは業は平生大抵に練
熟に置事なれは敵の業に自然と応し変化自在にして
全勝は不見して得らるへし日様假令は途上手を懐にし
ひ時に当り偶然躓き転んに不思不知殪し方へ手を投出し
し身を眼前へ唐突物来り遁れは不思不知目を閉チ手を
以て掩ひ禦き又屏風襖の類ふと倒れは左は左右左右
之手を以て抑ゆるか如し是等之事は平日是とても修行前
されとも過不及なしに自然の底劣らるゝものは心此一物にして
安排布置に干渉せされはなり然に平居溝習討論する
武術に至て却而万変に応歩られせるものは気滞り敵
に致され方を以て勝敗をあして此自然に住歩さる故也又事
馬犬猫之畜類陸地に生を得るもの水練の業を修めされ
共衆中へ逃入れは自々溺流す是気に執滞無れは也水凍無
人といへはゝ気に滞なく平気虚い夷然たる勇士は水中に陥る
とも暫時水底を潜行せらるへし加藤左衛門嘉明家士佃
治勘兵衛は武功勝れし烈大夫なり朝鮮の役に治郎兵衛
敵船へ下飛移らんと思ひ肩に太刀を舟端に突立飛行けるか
大兵大刀の男故重札の鎧二領重ね着せし故に身なし重より
けん海中へつ座けり元来水不案内成勇士ないはは落るとい寺し両
引手に而雑刀を握りしかみ付すくみて沈みけり暫有て何うしり
らす両足地につく其時目を開き見れは朧月夜の如く成鉢打開
さたる所なり扨地形の平良かさく目の及ふ所砂浜の如く見
へたる長刀に元付すくみて有しか少し両足を挙て見れは此屋かしと
上る事箭を突め如し治郎兵衛初の如く目を塞き薙刀にしか
に付てあたりける暫有て甲の天色クハタリト當ク九里是にて気
かつる是は合点の行ぬ事船の底こあんとへ当りはせぬかと思
ひ片足を述て操り廻しけれ共如何様私底禁不に思はるゝ故に
此段に捨て捜り傾て舟脇へ面を出しけれは船中の又々敵可味
方かしらね共鎗や熊手なんと一覚延助市上けり其時治郎
兵衛瀬舟へ飛乗たる処朝朝の船成けれは是は是は
とみらひ彼大長刀を振廻し難倒しける程に船中大に騒き
戦ふ者なく軽く乗取りけるとなり治郎兵衛物語に譲に
水心有て弱き歩行候ハし落し時早速突殺さるへし雖迄
水不案内故海中へ落るとひとしく無性に成けるに因て前後
一滴も水を呑す耳へも鼻も水は入らす上りし時も自然に任せて
是又江滞浮み候也と思ふ也然は一向に水を知らぬとて苦労可
出ん邦物語
致古文にあらすと物語にせしと也
に出ス
候是自然に任せ安排私意
○に出ス、
を不用之意味甚助自し併治郎兵衛か曠勇死して具似をす
るは所謂鵜の者はいまる島に而大に水を呑終に死すし次第郎
安徳か免れしは天幸といへ共畢竟海中へ陥りし時如心を動か
さす気平か成し故ならん右之むかし語にて自然に任すと仍
意に陣にとの差ひ察すへし此理や達者と論在し庸士
と論小難し相打相突を大暑の事とするは勝負の理に聞く
心術に原かたよの陋識卑論其に武術を許に而に足す
一当時業達者之翫称之試合高多と褒賞は却からるく徒生死
の実地に臨は恐くなる我唄栗眼くらみ育斬瞽衝成通し
或は云其證如何答云古昔実地を号み勇士烈夫の物語を
聞にあらされは予か言に疑有む今一二条を挙示せん兵法要
一鎌直解云鎗の逢ふ時は多くは晴天成事なし候て多くの
諸士死亡の時成か故といへ共曇る土節も又晴るゝ時も有へし
然るを晴天なしと云は接戦の地陣気と畜調とたち日を覆
ひて曇るか如し又生死の地暖動く者は眼闇にして日雲もの
如く見ゆるといへり明良続篇云朝鮮の役文録二年正
月六日立花左近将監宗茂三千に足する小勢に而三十万
にあまれる大敵を一手を以て破る其戦の烈しと思ひやたべし
し此戦卯の時に始り巳の早刻に終れり写茂暫ら入雨の
後守諸志州被仕ふ
申ハ何も働
息を休めて扣らるゝに時天野源左衛門
武功の勇士なり
前にて御座候是に築飯を以て御進るまし候やといへは何れも巧者
の脇無望もゝ出宗義是を聞て持参立しと旨故小野和泉
和泉ハ立花なり一老二ア日又七つ之内七本
本所試をして進良勢候一と差
之鎗柱と称せうれし程の人なり
喰ひ少しも此障当の如く食まらる。源左衛門も一ツ、取て喰ひ
心とすをもくはれすしも卒に棄たり此時宗戒二十五歳其器
是の哥本常ならぬを人皆感歎すといへり
御建の義を手懸といふ後に立尤左近将監と弾す此宗も弱年之時立花道
雪之許へ遊ひに行けふ時科人を送霊前市申に付討せけり不二迄の変なれは千熊如
何思召るやと道宣手を入て見るに聊難動せす
おせしを和泉丸飯を可取て喰ふたり宗栽ハ丸飯を乞ひ飛
式政茗話云大友宗
鱗川第之次高橋
右之二條を詳味せは
依之道官千熊か大夫夫堂るへしと成て輩子とすといへり
十
帰り列述軍騎須知略に記載せし
一余の言の妾ならさるを知るへしい
山中鹿之助野々口丹波に告遣せし三
仮令業は劣り下るいも瞻気定り競怖之閑思雑
条参考
すへし
慮なしは死生存亡の太郎に臨むとも従容自若敵の動静
虚実自ら炳然たらむ如斯之人に逢ひは当時所謂達者一編
之壮士恐らくは危からむ死地に陥ては平素演武場二而試
るとは雲壌万里の熱絶と見内一声之間一瞬息之間二而
頭足所を異にす毫釐之疑慮得失の雑念潜伏せハ
一暖気揺奪せられ彼に致され一刀両断の清き暗負をな
す事を得懸か得す生死の街に至ては平居講武の心得
と懸絶する證をそのむ浅野公家士堀部安平は英武忠勇
の武士なり同堀内源左衛門とて生国加州之人剣術之辺入なり
安兵衛正儀の門大也安兵衛は元溝口家浪人にて深年衛養子
となる始め新五郎と称す溝口家浪人致東都へ於御旗本
稲生七郎右衛門殿へ申小性に出る其節松平左京大夫殿家士菅
銀六郎左衛門と云武士少々采学有之新五郎程あるに依へ此
六郎左衛門に素談指南に預る然る然候所左京大夫殿家来
の坊主も六郎左衛門門人たり行成事を以て六郎左衛門異見
申聞しに坊主腹立六郎左衛門へ果し状を贈る依て六郎
左衛門高田の馬場へ入る此事新五郎聞と均しく主人七郎右
衛門へ暇を乞受高田馬場へ駈ケ来る時既に六郎左衛門坊
主の先を切結に新五郎と坊主ときり結ふ彼坊主剱術心懸
有りかしにゝ働く計五郎是節不鍛練といへとも一二流も稽古
致し居しに中々切られて乗遠く成様に五月闇みける様に
布し、其節新五郎是は口一幡楽変惣に切て流込さる故に
一念に圧をなじ声二ツと思ひ踏込て打かくれハ彼坊主前正
置廻りは帯を取ける故懐に入れ小鼻紙より水のかはライ
とおほかれは帯ひろびに成り敗亡する所を新五郎其侭
踏込重ねて切殺しけるとそ予案するに負二ツと思ひ
踏込て切あくる所帯を切しと有を見れは降き外れに切
下しと見ゆ初心の間は打込太刀引太刀の見分定からす
育打になり多分は切先にて切逢ふ或は土を切る者ありと申
最家烈声輩武具迷に切先二而一ツト切に戦ひしと也流石新五郎
丈ケ有て気遠く目くらむ様に有しに是は平日の覚語と相違せ
しと思ひ扨必死に成踏込んて真二ツと切込し也然るに漸隣先
外レニ帯を切下し位也故に予此書中しば〳〵英気虚恵の事
を弁論し止さる者は後世拙師輩此道にくらく唯枝葉の行
状に抱抱するを患ふれは也実際に膓ては如何様成者そと尋
沢考索の工丈なく只小業を要じ一ツに切を専り学輩
新五郎如き入に逢ひは彼坊主たらさるは鮮成べし堀部氏
天資忠勇師の危難を聞と均しく即時に暇を乞ひ駈付
る様の清潔英武なれ共未壮年にして練心胆の工夫至らさる
にや巡逡退縮を免かれす然るに天賦義勇の壮士故接刃之
同日惜と心付必死に踏込れしは洵に成尚すへし故に武術は
一膽の大小練否にあり業の工夫は主にあらす気に執滞なく
業に不拘泥清く松月流水の如くならず敵の動静虚実不
求して自然に嫁かに全勝は期すへとからわといへせり相学
相突は本手へし相打打突を大夫に成へき程の腹な
らは全勝は不期して自ら其中に得るに得ると漸と愛ると避
とニ有幾何の所作入へしき勝負過不決者ハ多分迄二踏ミ
込其外しにヘツリ切委縮する故なり寿分〳〵と進みやくひ
声の下より敵の緯本へ我歌を衝込敵の跨下へ左是を潜込な
うら草摺を巻下揚或は陰嚢を治定と挑ひ臍下より鳩尾
一ツガ〳〵と突貫くへしと、本宝涵養等、是初学第一の先務也
一単騎須知略後彫謀壮烈部を熟読し古人の実跡を
深く味ひ心を清めは久しは会得為し唯憾らくは少年輩
形状に抱泥し容止華法を専ら慣習先入主となり余か言
を信する人少なき古又を業は大凡縦横に振廻す程にさえあ
らは可雇暖の定否を朝夕研究磨職すへし此輩此形にて
必定勝つといふ良状有事を未聞す極至に至らんと願欲し
せは茲に良方有養子曰、思レ之恩之、又重思レ之、思之不レ通鬼
神将一奥之ト又程子曰、陽和発処、金石亦透、誠心一到、何事不
成又聖語、学而不思則罔候右三言者学者手を下が良
煩也慶長十五年台徳院殿三州田原御将之時安藤
治右衛門正次供奉大猪を鎗に而突とめ其穂先岩屋に
立上覧に思岩窟之鎗に号歩らるゝとそ漬の李広
虎と見て討し矢石に立しも同日之談和浦一轍なり精誠の
貫徹する所何ぞ堀ん程子之言信哉心を潜め思を覃
し工夫を下すへし抑思念積累せは遅速はありとも必一旦
一豁女之妙境に悟入すへし故に我首座縁を念首座と號
するものは良に有以哉思念積累之切により志を達まし
功語を説ん後柏原院之御宇に当て宗代といへる連歌師あり元
紀州下産也世を遁れて杖笠を友として一生行輔廻国す其頃天
下大に預れ日本一洲之内悉掻し然共宗祇とたに名乗家は行老
くにて奔走し聊障をなさず是其徳に至れる也始宗祖三十
歳計し時兼哉か許へ行連歎の風情を窺分に兼哉云貴殿
の歳は何程そや答云三十歳に及ふ兼哉重下く云惜哉貴
所十ヶ年闌たり二十ならは我引廻して名人になさん此通二十一年
功地積ぬは至難し、今年三十歳なとは余来無覚束帰分
我類といふ宗帳又亦勝八道に至るへトと云兼哉其意趣し
如何にと同宗禄云十年昼夜動息は二十年に当者と兼越
十四日
一大に感して道に至るの器量也四名を著すべし我及小所にあらすと
云夫ゟ宗祇心を厭し兼哉に随而昼夜十年弟朝身へ天下に名
を祀り文亀二年東国修行之時箱根之湯本に而他ス行事
八十二歳なり難におり又云日蓮未初学之時建久寺間山大学和に
八十二歳なり
遺に出ス
尚は其徳も勝れなれは日連親之みて随心しけるか或時日連雨
包を命寄よる右禅師く向へて斯々の事也我行力に而雨降れや
と申けれは揺身だにして一途に祈らんに行法廿二分かるへに根原
しと答ふ日連も始めて残りに其支に戻り一七日前食とお一宜
にとち篭り、命を掛て祈り、若雨を祷り侍り得すは立処に死
習んと念しけれは卑に感応卿を得けるとぞるとぞ。都鄙其行法を
払ける壇を下りて直に者禅師至て其禅師を尋しに一室に
入て水申故斯々と語りけれは恰に立出けるに候是も七日断食して
行法を致し給へる故日連は根子を尋けれは御身は雨乞の命を
受どれは命に替て祷らんは更なり我は命を不知を必哉百姓の
然屋救北は宇宙に至るは孝等閑に存心御身の行力き雨を覚
得んえ共若乞不得時之為ないは我もと有レは日連も生涯右禅
耳袋
師之徳を感歎せしとかや耳にな
にやり
又云本因坊或日碁会にて碁
を囲みけるに未微弱之者に逢て碁力強きの其席の者彼
者に勝者なし何卒本国坊と手合聞んと申けれは辞かるに
不及相手なしけるに其事段中々可言様なく段々打交せしに
兎角本因坊一二目の負といづぬ色々工夫しけれ共其身も三目
まけと思ひぬる故背薬うる葉粉抔呑込し雪隠にそ立にけ
而跡に而外し者も台面抔にて評し噺しけるに本因坊余り雪
隠に長き故親友霊隠に行窺ひしに一心不乱に考居る処
成しる軈て席へ立帰り打しに始一二月も頂と見らしか打上ては
本因坊一日の勝□しか扨は碁之智恵はすさましきゆへ哉
とて本因方も称歎せしか能々心を付ケ労練せしにや無程
本周防身早かりける其機に心を尽し斯も可在物也と餌
又云松平利隆の家士石愚忠右衛門は御に於ても妙を極む
若かりし時馬之道へ名さ聞へたひ給へと深く観音の力をた
一のみ祈願を起し刀の把に悦を掛け其端を手綱の如く左右へと
之手に取て丑の時参りを始む行程往還四里也斯する事
三年烈風大雨といへ共一夜も不怠又佐貫又四郎と志を同前
昼は卯ゟ面に至る迄御馬之事而已学習して精力を尽す
粉寐る時は仰伏て岡を合せ打破て、澄とし、帯に綿を互に
執て鞭とし其滞を臨練す遂に其比天下に名を顕はし
たり高場の末の隍際二三尺前横に地を限く強馬を
諸談に鞭を添て理際の地を限りたる処迄駈付馬の前足
の啼を揃へひしと駐むるに程まらすといふとなし一年武州
之供しき帰岨路を登るに信濃の諏の諏訪にて百年
已来の強馬有右黒所望しけれは口付六人に而眼光り息荒
き躍らせて牽来ル石黒騎みて口を放さしむ口付此の馬の口
を放しと乗たる者なしとて不敢故不黒若駈出して不肖は馬
の濱を與へんと云さらはとて放馬之形気穏になれは馬立
寄て見る事町之横筋へ乗入て不出されは丁おてひかられとて
馬主も口取も走り行は静に輪をかけしさり口を引居たり
馬は人の乗に極りたる理有龍にてもあれ馬と名の付て
らんを乗ぬと云事や有とて町中に引向て騎之にたるき馬の
如く自由をなす或時三十銭の種か島を打場には石黒り友
馬に乗に其響きに驚きて駈出し荒く成て乗られ寿石
一黒即騎之へ近く乗よせ種り鳴を打しむるに地道の足並も替ら
するき駕離の鞭打共働かぬを乗に挟たる輻消たる鐙のし
不動して競懸りムラツキ十分に奔駕し強馬を和らけて乗ル者
のなし
武将感
三将監
予以為吁宗祇豪邁我連歌は縁の如き固より小
状に出る
道といへとも志起せ如尚すへし且法則とするに足れり日連大学
禅師本因坊三人の如き異端曲芸之徒といへとも其職に死力を
尽し石黒甚左衛門御馬術に志を励まし三年之久一日の懈怠
なく終に雷名を当時に顕す四子の烈操岐節我輩其志き法
とし文武二業に精神を城属務は何そ至らす事を憂ん唯
久しき持ち志気の立さも是古今天下之通患也管子程子
我を歎かさといふへし吾人は忿徳に堪す血を吐き罷背し歎歴史に
に間々見ゆれは本困へ防一旦に動く神気を労満心し命を縮め
しは計るへとからす其女の有無虚実は姑く置而論台誰其職
に志を尽し等未衣之業を恥かしめさるを称する而也
一嘗て聞悪馬あり歸喫し近つく事を得す僧一休我残て見勢
んをてする〳〵と進みひらりと綺しに恩馬夷然として秣喰ひねる
逢歸國せわりしと口碑に傳ふ虚実は祥にせすといへ共理にお
ゐては左も有へし案門之徒固より御術を可知にあらす不思善等
悪禅理に悟入せし高僧なれは御術家に所謂鞍上三人鞍下
無馬彼我相忘るゝの玄妙に自ら符するなるへし是前件に
論せし気に滞なき流水の如く微疑隕惧なく馬に少しも争に
念慮なけれは彼も亦我に敵するの害念崩さす妄帖にして驚逸
跳梁せさもなるへし鳳漢和尚は天台の碩学也本朝よふ華厳宗
を計建し人にて法華怪輩も鳳津より譲るゝ事に成る
と我しに本僧は一人にあり、其天は我あり残る事人は天下之儀を命
せて我半人の分に当るへしといへるねの人世か程の学匠成しかむし
神之心法之事は会得せたりしにや甲斐の祖鏡といふ人に逢
れしとき祖鏡は一文不知し又なれ共禅家に名高き知識にて心談
不双之大也鳳潭之来られしと聞て祖鏡急き出て御前面にそん
年来五十一日度思ひ待る左又あり法華経に龍女成滞して摩
厄珠を倒へ奉りし事あり其摩珠毛の大きそは如何程有及や
と同れけれは風障も疑し而暫返答無りしあは祖院挙を握り
答少しナドカ療毛殊の大きさは是程にも有ると答ひられさる
差出しナドガ磨毛珠の大きさは是程にも有ると考ひられさる
愚なりとて和尚の天窓を漬けて三匁打けれは鳳凰生涯のほし
覚かはかりの事はなかりしと語られけるとそ
禅家にて畢竟心頭無物にして死生に心を小留気満る滞
なけれは宇宙の間に畏怖まへき者なし自然に任して人事に心を
苦しめず何そ博識官聞を求めん相今に渉捕する多けれは
却而安政の惑を生し禅学に害有不知の愈れるに如スとすた
ならん故に以心伝心不立文字抔と教と見ゆ唯活伽趺坐精
を懲し神を澄し心順を諫り生死に心を煩はさす飄我として富貴
利害の名門を出脱歩んと願欲する程の事と思はる諸武芸玄
妙之場を自得すると称すも其事は異こといへ共心術は甚禅
理に類す故に自古高手違入多くは禅僧に就き疑を質し
惑を解積疑氷釈に至ては果しては付契を合すかぬし国に
初の時に当り武人十ヶ七は文盲にして文学を知るは僧侶の
事と暫し故諸縁矢状凡可と称さる者多く浮屠氏の手を
借る者也禅理を以て武術鍛練の禅とするの可也倫理綱を
常修身斎家治国平天下の理を説くは寔に牽強伝会
の事多して甚其害有兵家者流亦然り是亦弁折痛
押せんは有へからす
場合
初五間或は四間或
う云
一初学輩講習入べき先務は款間也
実トハ気ノ盈テ慄然トシテ
何トナク容易ニ打打シカタリ犯ス
三間にて敵と相対する時既に虚実有に
ヘカラサル幣有ヲ云虚トハ是ニ反オシタハミ提ケシ木カ或ハシ中
彼我徐々
ナリフラリトナリ身躰シノカス臍下シマラスウキ立タルヲ云口トハ
と相進み或は一方スル〳〵と相進み廻り一間半或は一間近く通り
逸々白眼合て相窺ひ打出し兼而是初学士の常事予虚実
見ゆへきにあらす必竟相気に成り勝負を惜み歌の打突何れへ
来るへき哉と進み兼る也されは進むとも引付るとも敵に致され
する様に実地理と臍下を引召しる口伝一つ二つと心宛に覚悟し
を極め見込甚正之志を直にし屏手を大手足永体御外
以二枚入」突込勝負判然たらむ、事を欲すへし左伝曹副之語て夫
戦者勇気也と此一句簡而尽矣講武之徒熟覧詳味して予り
言の妾あらわるを悟るへし膽を帳り見込を正にし志を直にし鉄
石も違れ砕けよと一刀両断を志し毀手刺する毫毛間に如何成訳
とは弁せぬ共何となく怪然として、分明ならず、精神閣武老甚
物正此所に心付工夫を下す程の修行に至れは寔に頼母踊事
といふへし夫ゟ一度工夫積り精神の古り端しくならぬ敵の動
静虚実自ら膿然たらむ此位は分り難し心腹ひらけ膽動
揺勢されは打のし突込太刀疾速に覚らす由とりあた者也と
敵の太刀何か速のの根に而世話て覚ゆるは敵に致さるゝ故也
と山内又十郎吉喩ありし如何にも然あらんと覚ゆ也疾速に覚え
すゆとりある故に敵の業に応し勝を制す敵と打合水問ひ
よりとする毫毛間に何となく眼然として急通昇す余裕あり
是精神之位にして即真実実光妾又思無邪又孔恥手の七十に
聖語を修り武術之奥
して矩を越さる之位あり
旨を喩スのみ余傚之
間雑之妄急
有れは気純一ならす故に敵の表裏に合ひ忽浮立役使
せらるゝ也純一なれは変化は不求しめ自然に応決らるゝ也
見込端よく志慮能一といふに深味有紙上に述難之口え悪
鋪心得れは客気に役使せられ打込突込之業一本二本二本二本は
二本に而業尽死物となり活潑之地の運用を為るを得す此位
其難之所謂人恩の買ともいふへし抑場合は勝負の判るゝ死生
存亡の機関なれは最深思熟慮切に磨滓すべし
一真田増養編集明良洪範中に云勝負は中略正しけれは勝と名
人代言葉信ス殿下申候是ハ中正にも右に出寄共
寄下候処是有上之処下ニ而も其中是ハ心兼一致哉
を心容れす此処勝負物肝要なり中墨は其場其人に有て兼て
舎従三中巻云々の言確論と云へし自得する処あるにあら
一さす処東心かなり会様云中者云々の言確論と云へし自得たる処あるにあら
されば此言を発する事を得する思子所謂中の字の意
味と同し浅深高下の差等有と
いへ共其旨趣一也熟考にへし
鎗の名人木下淡路守無刀ニ申剣術の名人に
負て妙を得られしとなり。又山本嘉兵衛勝行松平信左衛門藤田内
膳宗輔等の度人寄合て批判しけるは鎗は只らき短かに取て突
二字
出入へし矢よりも早きに勝有り
同輩之鑰にては入身に勝有之
略く
語りしき密に聞たる人有又申村三郎左衛門は釼術共に上太刀に利
有といへり場所にて下ならはひきゝ方に付てよし勝負水下の方に勝
多し絵の穂太刀影も上よりは来るは見易く下ゟ出るは見へま下より
登る者以上太力に付候上ゟ来るは自然と下大方に成者也と門人に
語かしとそ何れも名人の評にして至極の妙年に非まんハ工夫に及すと
言し又云藝を学ふ者先腰を直心を臍の下に流よといへり又云
心を臍の下へ置点とするは其心即其処に止て働く、其処を染す心一方に
出る時ハ九分の用ハ闕也十方に不置時ハ十方ニ存ト共無念無心を以
下手の入と識念を用ひ器の入時は図を用ふ是兵衛の極意即
存心の形に似たる者也理に。此窮藝は熟するに依て。斯れ玉る博々学び
深島へひ能弁ひ習ひ変熟喩は自分事限一致の妙を得ん又云弓物
太刀絵な止水流水水路有明鏡月影の位を本とし一乗に気本に
海と云其外眼中に心を付ケ、其機を見える、兵兵之拝露なり、右
明良洪範の言味ひあり思をいたすへし
一彼我逸に進み場合既に迫り一歩落るは速に中も場合有或は彼一
歩引に不進を我より場合を破り強而打出せは敵却而上太刀に成場
合有敵上太刀に成を合点し体を十分に踏の際に上より敵の天窓或
は西部へ切先下りに切込或は突込或は引受左右小手を切り或は胴
を切りはらへ腰を薙さ或は敵者は向を打を我下段も構へ手足
身体トタンニ左或は右へ達さま胴腹へ突込或は脇つ内へ切込等の業皆
一勿両断の上日趣にて前條之海弁する気純一にして治済の運用をと
なす妙所也故に思慮純一にて銕壁岩石をも撃突摧破まんと
欲する猛烈動悍身体に充救し敵を見る嬰児肌勝の如く成より
して自然に心気融和し能判けれは二三本にて幡屓決すへし然りと
いへ共彼我業の親否穣の大小其時之気象に清濁差悪或は
時運を得ると失ふとの差等あれは一を執て豫め概論すへる事
らす天正之頃常陸之国江戸崎といふ処に諸国一羽といふ剣術
り達人有古の飯篠入道長威にも劣る存よらすと言習す土
子泥之助岩間小熊根峯児角と云て名を得たる弟子三人有
諸国重病に似も存命不定に兎角病人を見棄遂電す両人共
身貧しけれは刀脇制を活却し、一衣迄も代かへ、医術を尽し三年看
病すとへ共諸国終に死す彼兎角相州小田原に来る天下無双の
名入といひ習す此者長高く髪は山伏之如く眼に角有て物すこく、
微塵流と名付弟子共多かりけり、其後武州江戸水来川て大
小名に弟子多く有。然に常州の相弟子両人此由を聞て是非る
江戸え行免角を可打其上師之流を理々微塵流と号し伝る
支体も草の影にて、正ツや悪しとおほすらひ天四村不可遁太刀
にて打殺し兎角可片を路頃に晒し懐を与ふ一し。但彼壱人を二
人して打ては。世の聞もふされ。鬮を取り閨に当り江戸え行。扨々
小熊は。御城の大手大橋の元に札を建る。其趣有兵法望の
人からは勝負を決すへし。師神の約を定ゆへし。文禄二年九月十五日
日本興双岩間小純一とおわり。兎角か弟子数百人。此札を見て。天下に
晴れなき覚角。江戸に有を知て建るか。知らて連たり。唯小熊を
寄合て打殺上んと詈る。兔角やりて唯一打に打殺し。諸人に見せ
んと放言し。奉行所へ此義を申上ツ刻大橋へ出たり。奉行衆橋
の両方に。弓鎗を以て警固し両人の大刀脇差を預る奴両人橋
の東西へ出る兎角は木刀を六角に太く長く作り続にて筋
金を渡し所々に腕を居へ提出る小熊は常の木刀を持出ル両
方ゟ進ミ懸て打両之木刀ハタト打合楽ニ推かと見えしか小
熊兎角を橋桁へ推付片足を取て河へかつはと落したり小熊は
角力上手と聞えしか此度の仕合に出たりと皆又沙汰す兎角
は夫ゟ通電す小熊天下に名を揚たり愚老見物をしり此人群
集故慥には見えさりけり侍衆沙汰しけるは此者共の戦を見る
に木刀を脇に提ケ両方走り懸つてハタト打合たる計也両人様ニ
の太刀を知るといへ共極意に至ては五尺の所を目当にして切ゟ
外の太刀はなしと知れたり昔下総国香取れ家原ト伝といふ
兵法者あり是奇代の名入末代に於てツト伝り一ツの大刀ト云習て
せりといへハ大刀の名な様々有といへ共極る処は一刀と知れたり但之
一刀といふと云共稽古無しては本分の位に至り難し兎角も小熊
も名人たるに依而目かねの寸尺少しも外れず両方の太刀中に而ハタト
当て其木刀にほれさるに奇特也勝負の習ひ一方勝一病負唯
一運命之之薄ににたえたりされ共兎角橋桁え推付られし
は小熊に勇力おとりし故也と申けれは爰に黒沢右兵衛助と云又
其節我奉行之中上橋桁に有て勝負を慥に見とり小熊はとく
来て西より出て兎角は東より向小処に我近処に高山豊後
守と云老士有しに未勝負無以前スハ魚陶広たり〳〵と二声
先味有
申勢しを不審におもひ其後其言禁を尋ね候に豊後守
と云るハ小熊右に木刀を持左之手に而頭を掛めに兎角と
言葉を掛る兎角されはと云て月にひけを撫たり是にて高下の
験著れたり其上兎角御城江向て釼を振り巣ふの勝身を得ん是
運命之尽る前表也然るに兎角は大男の大力たる故に小熊を悔
りて只一打ど上段にわかるへたり小路は小男二も無力なれ共切者成故相
打してはふて叶と即妙に機転し下段に持つ如案兎角一打と打処
に小熊磯と受留橋押え推付候橋桁腰より下にあれハ河へ逆様
を落たり凡て兎角強力を頬にし是非の進退を弁えす是血気
の勇士といひて本意に蔵す小熊谷敵強く驕通廿軒驕らす変
動無常困敵狩化すといへる三畧之言葉小懸り兵法に於て当
北条九代記武藤原伝之両出に
れりと申されしと云々
詳に載す爰に其大略をかけるのみ
予以為北条
九代記は当時世間流布之真顕大閤記漢田三代記等之如き
婦女児輩老婆娑婆心翁の耳目を始しめん為文飾多き偽作の
書とたに異也何にも実録にして当時戦国の形勢想見するに
足れり抑我闘紛擾之時にあたり釼術を以て世に伝り武者修
行と候ちし諸邦辺経し鍛錬する壮士少しと歩す然るに弓馬
桧眉小大刀片類を以て名を発し門戸を建詣国武者修行する
徒劇術者流に如さもに似たり予謗見諛聞故雑記申見当ら
ぬなるべし博古の人に閉門多く欲する処也抑木槌或は真剣
ニ而誠会之勝負を決而烈士其大刀筋之業何きの書にも麁
漏にして精詳ならず記者剣術に拙き故か巣崎須知略に記
出火宮本武蔵佐々木岸柳真剣之勝負前件に迫る小
熊兎角木刀の試会少し其面数を見るに是れの小魁は何様達し
手と見ゆる也武蔵小屋の二条を開く考ひ詳に呼ひは剱術の大旨に
に巡通すへし後世仍造の仕合とは遥に別也小懸下段に構へするしこと
進み交角上晴子のまへ小熊の奥向を一打と打返しハ陰陽奇敵に
より転化するの業といふへし小熊小男子且無力故不相叶と思ひ機
を転し下段に構ひしとの代記に記せるそ恐くは釼術本源の至理
に達勢し人の論に非らす如何となれは敵場に仕懸る故我陰にかまへ
引受或は敵情に来れは我陽に応する是陰陽斎正の術なり
陰に構ふれば上く始中終陰にて打勝陽に遊ゆれはとて始裏終に
陽にて勝を制する者に非らす陰変し陽となり陽変して
陰となり故に陽中之陰陰中之陽とて敵に因り転化する是を
きも妙手と又同之衆人にても平常之業の中に長短有一し陰に仕
惣而方得手成者も有陽に仕懸る方得手成者も有り一を取て
概論すからす兔角小熊有力無少之事を五代記に述るは惣ら
くは通論にあらす極処を得るに至申力の有無により勝劣有り
にあらす口え有力無力により勝劣を論するは畢見にして剣術を
知れる人にあらす明陽奇正転化之理は唯釼鎗の手勝とす
るにならす凡百の武芸皆然り又云喧嘩口論にも果し状を付
斬合ふ者大凡ハ理有劣勝無理を言懸候方負る者也と古人言
り免角疑ひ小熱に濂るとも師恩に倍きし冥罰有て心気満
す故に末戦に及あわる先き気偏へ志歎共是か負根者小也小熊は師
恩を重心し本に背かす信義胸次に充塞し満軽欠闕すれは未
戦して既に勝有況んや小熊元来彼に勝るをや
一初学輩多くは打込太刀手足身体支離す支融とハツカへハアレニテ
云カ如シヲヨヒコシニナリ手ハカリノヒ尻手ノシマラス
支雑とハツカヘハナレニテ
俗ニ云アワクスルナトト
両泉之陣地ニ落著ス臍下シマラサルヲ云
手足身体練熟之数干
突去るに安らこれは中り弱く斬れ浅かるべし古昔戦争代
に当り真甲を斬割候抔言伝ふる実話なく有烈士執る処処良
剣にて易量強動なり事も可有なんと精神尖く英気充徹し
手の裡易直しる故にも困るへし当時少年輩試業に見込帰
しからす真間を打にも初ゟ二三の返し太刀を心に持居故説気不也
一満声刺弱獣也口え厳石銕内も捲き破り天窓より肛門迄梨
子割に切込呉んと志し或は突入しは鎌本まて貫き穴牙のと欲し或は
敵の跨本へ片足踏込我巧を敵の臂本迠押左手にて敵の
帯を捉ひ右之手に布陰嚢を都かみ挫かひと思ふ程に勇気
動烈なら入精神手足一致し中り烈敷突込深く自然之勝共ゟ
得へし切ルに流水により枝を切禁を刈れは敵自ら撓み根本持死事
或は働を付ひため斬込を浅く膓を残し二三の返しを強く抔と
散る一程有に似たりといへ共巡らくは卑陋の俗にして後世流郡井
御讃談しからしむ処ならむ只予甞屡歎慨し説破すれ共然りとし
思惟する人稀也浮憾むる処也工夫を下し勇夫烈士腹を貫穿
せられなから捨せ手繰り手元まて来り或は深疵を負いても屈撓せす
一当の敵を収発せし類古昔少しとせす然るを今崎を残し二三の返し
を持せ枝をそり葉を刈り根本を倒スへし抔教導する兵勇士の本意
を失せる卑法の器教也今其澄をこみ條挙ケ示さん詳成事は
軍騎須前略を読て知べし細川越中守忠興家士米田助右衛門
弓し本城主一色左兵衛義有士真下梶之助と渡り合けるに米
田が蔭に通さ如前国鯰の楠を瓦構り来る
かなに御州たへ振捨けれは、唯倒れて首をとよれしとことは一反程の間血に
細川宗
すみれしとぞ
まみれしとぞ麹川崎又嶋原の役に宇田左馬之助鎗に而敵を突
敵菩絵を手構る故其鎗を垂等こまに突屋敷けれは敵似れぬ
三賊路河田摂津守を上杉景勝放し打にせらるゝとて道江山城守藤
田能登守を以て取呼寄摂津守無何心小脇差計二而白川江下り
拳変を向より五人後本人取巻諸意也とて誠を想け宝用九
左衛門と云者一番に進みて河田からねの肩先を深らと。深良と、非割る所
に怖れながら飛懸つら出玉目が真額を眺迄二ツに竹割に残る
者無透間惣之打留るといへ共望川即時戦に死す其外名負三
名は
河田三ヶ処手負て痩
人時に一人は浮手にも翌日死す然に一人略河田三ヶ処手負て痩
れたれ仕是迄とい思ひけん踏込と一人と無手と組捨一と刺殺
管次
右に述る三條を
し其肥をやまへて打れけり無類別強之働也難執右に述る三條を
熊彦勢は予り言の妾誕傲論ならさるを知るへし入るや昌泰年
久と文物盛にして我本藩文武之業愈益職に武術講習する壮士
少しとせん然るに文学武業其に旧習に沈溺し俗見に陥り早
きにあんし積歳の競惑を聴き拂ひ中興せんと欲すた良師
此ハ長大息すへし
一前件に論する枝葉を刈根本を僵すも或は勝を残し取る等
の教其言葉異あれとも畢竟一也切込を浅くするとの事は
勝を残ス也幡を残す者は手のうちの返しを疾くし二三の返し
を為し枝葉を去り根本を僵せしめひとの事ならむ此俗倫
は本初学輩習業之間初本に打込を仰し烈敷と道すへは
一本は一本二本は二本きりにて業尽き活発の運用をあさぬ
故継横に運動なさしゆへき為ならむ夫を談り心得て枝葉をし
芟り根を倒す是我流法也と修二身国守之子弟を導は所
謂音導衆育にて叮嚀之甚なり是昇平皷腹之世代衣
撃の仕合を専らかし古昔物師の実話を聞す席上の空話
より私意妄作を以て誨ひ流祖の本旨を失ひ謬る成給へし
後彫録軍綺須知署に奉る古人の実跡を反復熟統
一評味尋駅務は其件を廃るへし鋭烈に導くたり思ひ切
一勝負間に心を留す数手込事容易にならず況や勝を残し
枝葉を芟り根本を獲す等の卑陋恒怯之論にて教育
一鞭督鞭策せは豈能白刃を提る時に当り一刀両断之潔き也
別れを為之得へけひ平素教場に於ては可也生死の衢に臨ては大
害有へし早う言を流祖泉下に聞は莞爾顕すへし
一甲冑を帯しては素肌と違ひ訴処少なき者也と我国の老兵
言賤せり実に然り故に手の裡易直に刃方平らかに中らされ
は辷り反れと切れ洩しされは平居或は木刀にて素撃し手
裡を竪横に試むへし小袋は円く至て軽き物にて刃方背
方の美別詳明ならす手裡迫らは自ら無理もあらひ軽き袋
を以て上下左右縦横に双手刺衝突するとは白刃は大に異にして
ひらくしぶくそり有物故風遠食に収立様恣に運用し
難く手裡称しれひらに叩き抔する未熟不鍛練にては辟言
へ天国安綱如き利刀良剣にて切とも切れ浅草かるべし当時盛年草
手裏の講突有を申す是袋打を而迄事とし心付さるの弊
成へし且太刀筋を塗味するには御袋打にては詳明ならぬ処有榊
生但州一諸侯の許に悪袋打の試合せらせにひれしは但州の天窓へ
当り先共但州是ニ而勝有と容れ之を相手承知せす是非
自刃にて試度と云但州再三利害を説き示諭せられけれ共ゝ
一相手合点発す強て所望せしかは不得止事然ら口とて初の
下よく打込れしに相ねの真額へ二ツに割付即死せしといへに同話
有是にて袋打と薬剣もの太刀理異なるを会得すへし
袋打はシナヘコム故中るましき処へ申り入るましき処べシナ人
コムシ是により是を見れハ太刀程を穿鑿するは木刀ニて試む方白
刃に近き処有すれと木剱にて試るに及ては子の親類残し置事承聞
互に疵を蒙り危き故田より十分に打込突逃し成難き患有
平日籠衣少のみ事とする人は木刀にて手裡を戦し打込左又は大
樞め脩業にては及ひ難し平常素朴或は土壇を打習ひ老練
するに有されは気分十分に発し手ノ程を控ひ残す事は場の難
し居合は白刃手裡を試る為に大裨益あれは必ず与ふへし我
改有家
本藩中嶋八郎兵衛
なる又富田流の妙手返し由今の
断絶頭
戸倉庄八父惣左衛門と云しは右中嶋氏晩年の門弟也惣左
衛門師藩中伝授の篠は刃引にて太刀筋試して山内子余に語
られし真備日詳にせす追而戸倉家へ賢すへし是等ハ手程に残り
恋の上なじては追ひ難き古又成へし戸田流予幼動の比迄仕籠
打のを合計りこと聞しに今の諸生引立の為識会評助とも公誠
の時は木刀にて数本違小面内にて仕合なし中古天下の雷名を
一頸屋之達人伊藤一刀斎並高本子小野次郎左衛門両衆共本
来仕合なしと云り戦国の時は勿論勝因の始め剰枝を以て世に咄
り武者補行と号し諸邦の聞えし人を訪尋し経歴する徒真
剱或は木刀にて試合之当世の如く袋を捲ケ曲を懸る等の事
拝稀也と思はた独り我首座縁戸田流而已御袋打の誠合無面
已に有すシ夫打の試合無は古風也当時少壮輩如何なれは旅
一打の試合無と誰輩共御人を聞す仕合此を測り痛さ目に逢哉残り
構成流儀也抔と嘲り卑視軽賤するは実に婦女児子の愚見大
喙を発すべし上州高崎城下に数世在住し門戸を建る剱枝有
念流に焼は木力にて明業と力我有座流に似たる事事をおも
一念流元祖相馬四郎義元入道
傳来十六代樋口十郎兵衛源定綱
右十郎兵衛姉婿樋口十郎左衛門と云者前田大和守殿の家士の
少し
高崎城下より
〽右之話ハ上州群馬郡佐野村以
手道斗り也とは
之内新堀之庄政兵
衛と云者予当時待対翌年半歳抔召々使も僕の談也虚実
は詳にせす又政兵衛の話に入急流は鉄の輪を頭へ纏ひ及子蛙声も
此話ハ予左演武場の前を通り之節
我首座流に彷髴たりと云きは
首座流の懸声を聞予に告しや然也
に相成民は我先師重徳君と
我本藩小森九郎右衛門
在府の頃
相門にて伝授済しんなり
上州より樋口何某東都に道場を建居たりし砌小森氏樋口方
に訪ひ太刀筋所望見られしを聞り其詳成事は知らす御機
本藩
木忠は隆春
の饗応の纂輯せられし戎政茗話曰予幼年
之士
之時応母之物語に念流といふ釼術之家にては兵衛を平
法
港と云唱ふ平之字は横の四画に竪の一昼を貫く也是は敵
の業を横に見て己賢に是を貫く意也とそ丹波国柏原
初勘左衛門
織田近江守様家士加納銀左衛門
一兵士我本藩
六し由
羽加井戸左衛門
重徳君の門弟
時に在江戸
方へ尋訪せ之事有て相識之由銀左
衛門門生多々龍斎と云者文政十三年庚寅春三月廿八日同流の
一因により原田理兵衛ニ養ニ門方へ誂来り我流の形状懇望せし故
森伸助相手にて理兵衛業をなし見労しに甚感歎せしよし
向方の形状を問しに我藩の形とは大に違へりと抔也
一本藩青木家二代目七兵衛君弟後藤岡浪んし恵武に居住
有之其時織田家藩士伝授有て彼藩にも首座流伝けりもや
御当家青木氏より外藩士江伝授勢高れし事は未聞すと今之
又内は重徳君
青木又内語られき
の長子也
え銀左衛門方に伝はりし目録伝書
御当時青木家伝授之巻とは相違なり彼に伝はりしは昔時不申
喬君より伝来の目録伝達にして当時の伝書は二代目の七兵衛
君政見作られ候由銀左衛門方に伝はりしは目録伝書のみ給て免る
許允可の面伝はなし免許印可の巻は二代目七兵衛若製造
し門生へ伝へしれぬ中に就き元可の巻は上古村又右衛門宣竪縄
大間伝へられし計りにて外には伝授女なきよし是亦当亦内話也
一初学輩勝頂判るしと先り安院し気浚ひ勝ても負にも
初立向ひし壮気を失同する様に心へし大小合戦其勝て胃の
緒を立めよと古人の訓誡深味あり単騎正又一人に敵す小薮をと
いへ共皆然り勝て緒を〆されは負を生す負て渚を〆されは返
まけを生す今日人事に就き論勢は吉凶禍福盛衰得失栄に
枯竹院辺に倚伏を為す天地之間造他之理亦然り春夏秋冬画に
其根を為す事異なれ共理は全之深く察す兼之表は裏試合其
十本亥一本十本一本と始申終一貫し気焼み後まさる様にの心に
一心懸講習易寺本然り是初学少年第一の先務也
一或人嘗て云転しの業は相寸の太刀に比すれは優れりと予云小然
短刀にて判れ能優れる道理必然あら仕一向長支太刀の余業
を廃し転りばしの業而已古叉して可也理上より論すれは短取長に
劣る筈に短刀にて別れ善く覚ゆるは他なし兼盈て進み馴れ
しき故自ら清く判なし也相方を提け向ひは相気被成り気執
滞し業に抱抗し英気不盈故に数本度きあふと其判れ
三十四
助所にからす其創短刀により得失濃劣を論するは本に通勢事
るの旱見愚論也此一事にても死地に臨みては勇力決果敢の壮
気熾んなるに非されは勝を得難きを識得すへし短刀は長
剣に勝れりと思ふは酸は和漢共四方分裂英雄割拠の秋
に当り署兵を以て多兵を破りし蹟を見て小野却て大概に
優れりと思ふか如し方券兵を師ひ多兵に対すれは将卒必死
に陥り上下一致す故に勢ひ猛烈に謀略鎮密なれは能大欲
残さも制し破る謝安か符堅を破り浅田侯の入うつ此に幡可
如し多兵を以て寡に対すれは初より経忽腹易の心有て
博士一和せす画策顕漏なれは敗績に至る是月然の勢は
して多勢寡卒に劣るに非す春は因より衰に敵するからす弱は
因より強に敵す南からす大小長短皆然り古今不易の定理也豈
徒長創短刀に於る而已南良麗
一初学生浜武堂に於て数十本試合する共初本を尤欽み肝要
忌得兼て譬は九十九本勝も初本負は本意無るへし九十
九本屓而共初本勝は妨ケなし射乾亦然り
一少壮之徒猛烈次穀の志気を基本とするは勿論の事なから
大概に脩続勢は菜を以て剛を制するは地位に工夫を下す
へし柔能制刻の至理に工夫を不用しては心気融通し
自然の勝を制するの妙用に詰り難し
一青眼の業は至静至菜の姿にて治りとも位を表したる業也
其国綿玉菜之治まれる処へ仕懸るは其姿に応ししかしと
駿河論三流様越前守
に表といふち又を
付て是を足哉
こせり尤太刀の取き
一捌き足場様等
を習はすへき為は
静に追止し彼我一寄通れ候違に左右の手或は胸或候面江中迄
際して勝矢を以て勝負利にて畢竟の所作位を
表したる業にて孫武子所謂始如處女終女終女路如路女路如路如路如路如終如
き業也尓に青眼にかまへ仕懸ても詰る処彼我変化し
也といへとも馬には
潰戸害有至極
し場合に立すふ
奇正無て仕勝負毀し難しと云共同位ならは相突相打より
申候
て却て都まに成
古文多し扨太刀
外はなし二三層も優劣有は劣りし方青眼に構ひな候却て敵
の数万多して色
に打ひしめ過し夫ゟは一向に真向に出はし敵の天窓より肛門迄
高六文甚三十五文甚三十五人
つはかへ也わ丁□ん
は一ツにせんとの思ひ込に而打込幸にして余裕有て間隙を見候
真実の士の老
子有大す早石一
返ス刀にて横腹或は脇壺或は肩先ゟ斜に乳下或は小手を切下
阿成事也是
等の刀法は平町
ける方丈夫なる通に青眼は先タ悪角の位にて逸に打へき
日の用に立さる
のみならず津
用には殊更
西陣陣を見す依て敵の動静虚実を見る姿の業也静を以て
用には立難し
都市武蔵殿
動を制之後を以て先とするは諸流業の形状同微一般也仮令
八軍中の事
を要にあは
べき事也又云
互に指わし左衛門
武田家兵を用ひ戦を為す持重を以て主とし間を覘ひ敵
を制する如し甲越の戦にて察すへし上杉家多く仕懸武し
同士は居合
手陣の方衛門
田家ハ多く引請戦小是各長する処といへとも仕懸る方御み
利有事云
子藤籠居合
ありしも
幸主太刀打上
多し申越両将の音に用る倭劣亦見へきの一端也何れか流
手と出合さま
合の方未ぬ
かす太刀打つ
かれ太刀打つ
方百二も
負へからずほ
合の方未何も表の業はなれば
も表の業は静なり形状にて敵を打せ突せて其業に応し
勝を劫す是後を以て先れするなり裏の業は多は我ゟ
功者は板身
よりも金津
仕懸転れは尤烈敷動き者は教導の次第也先々の先有にあらされは後
手練の人の
刀よやの内に
の先は得難しむまみの業は表の静なるに有り実際に至ては転し
伯を甚だ
思ひ有之者有之
の烈しきに有り思惟考索すへし
可笑知也
同百五十一日
かゝり
一流派により一様ならす転して下段に構へ烈敷進み中間界にて
者の名に
上るす
引受返す太刀にて二ノ目の勝を主とし教而あり引受かは固より
欠散する処にあらず族により己む事を得たるなり又引提ス〳〵
を進み中る界にて踏違ひ避きまに片手打に敵の真向肩先
え切込有是甚美其弊は強く切込んと欲す旨より太刀を起す
深し故に其振挙る頭江打込れ或は間合詰られは小手を打ひしか
る打挫かれさるは敵の未熟にて我幸也進止順逆彼我相逢不有
敵我真向を打破り一揆と打込堺トタンテ手足身体錬熟し我面部へ
中り太刀とすりはらへも避きまに右足踏込なより肩或は面部へ
スリコミ切にせは少年を切れ打挫かるゝ弊なかるへし摺込斬わせ
此乳下迄深く切下る事はならされ共其勝全し斬込の深浅は
手の裡の熊否に預家は預り量り難し我本藩の士松平平
左一郎鎗術に達せし人成に敵手かじ面部を突込鎗を左の方
へ少し避るに定り候前に垂れて肩衣の間へ入りしと言伝小剣鎗
の業異なりといへ共之道理は一般也能々縄忍すへし
一少年輩を教示するは手の裡勤を主とし晩も拳手も送れ
鉄ても恐ても砕け上挫けよと打込すへし習熟に至て仕手の裡
知らき枯れ軽く打様に見ゆるもサへ玉へにて怖る也是は積累自然
之族にして索て得へきに非られ凡て鼓導之方ハ疎より精に浅
より深き御道すき理穴屋々高上に至らさる心得有一之等を踰へ
提撕する后年其弊少しと勢す扨其人の荷識練否哉したかひ
進退抑揚する是帰たり世話する人の職分也当時帰八軒たる
人能如斯也下候
一剣鎗等の武術教場にて演武し若屋口を杜ち歯を切は過し
唇開き歯を〆されは臍下占らす然一声はホイトウホウ様いふは
皆抜声に近し殺と臍下より激して発すへし兵士要務に云事
場を走り山坂険難を止る時口を開て行は息早く切るゝ者也と
予以為平常歩行之時其余人と対話する節或は閉居之時凡て歯を聞
き語らぬ様に心懸べし歯をとぢ口を結ひ居れは自ら元気内に充実
し臍下しまり不慮之物音或は火急之事砕に来るとも驚悸する
薄し不図したる事に思けす物に驚く由臍下上野になり居る故也異
治を昏に預め覚悟之居れ由気概有嬰児は涕泣を発せす此堪
〽而也火矢には大人といへサヒツクト駭くハ是是慢怪能故也生き身に直に火
を黙するも驚るこるに物の音を或は僅か火事に驚天する日臍下
上釣り浮立居れはなり是にて平常の事夫々得奢す兼し
一百鍛千練の脩業有ても積異歳月の工夫なけれは妙所を得難し
或は云里年之循業有も工夫を下めされは虚奥窺ひ難き所以
其詳成を聞む答田心術鍛錬之工夫を下さられは業達者に至る共壮
歳一旦の事にして空気稍衰憊し精神肝滅すれは年々其に業下り
盛年輩に打込れ致き立高是疎鍛の工夫なき眼験的徴なら
すや姫は小有司或は商売輩日々夜く筆を把り写を出し老に
至而迄怠らされとも善国能筆に至りし例を聞す或は朝昼暮一日
之間断あく飯食酔陋し或は日々歩行之或は衣を著祥羽織を腹
之或ハ昼夜人交除之間応答聘昨々或ハ時々寒喧世間の
雑話すれと心を用ひされは壮ゟ老に至る迄此れ是等之人に上事
名人に成し事も亦未聞及す此等にて心術の工夫無れは妙境に進
難く死生存亡の大節に暗忌を動さす泰然自若平素に異
なきすの位会得の難きを知るへし
一或日伝持済と称せし壮士僕の無礼を怒り手討せしきれも左迄
見事に聞えす扨公へ右之趣を曲折申達先とて届書を記すを記先と
筆を取ぬれと手願ひ出得さりし会集人之中代書せしと先年
怪名忌所
市に窃に語る人ありき
○真偽詳にせて無滞打除し墨
ほれは記さす
刻も過ぬるに猶心気穏ならず胸次動徘之手震に此一事にて
も実地に臨ては眼闇み盲打になり平居覚悟とは大逗庭する
を禁す通し
〇一小睦弱劣予か如きも志を励し努めは生得の大勇者事を処
の間泰然心を動さぐるには不可及といへ共又能大八郎に臨み武
夜は辱とめまし嗜の武篇は自らの武篇に優ると神祖と怖し
ときく或戦に烈祖久世三四郎坂部三十郎せして竹儀たよしむ
坂部け目若として常に異ならす意気揚々たり久世は是に衣
とも勢御の士耳談誠にしを聞召坂部は天姿剛果敵を屑と
せす久世は大切之外候万一誤らは一軍之勝負此一挙に有と敬
法の心より色常に異なりされと今見よ三四郎は敵地に深く
乗込虚実見極め来先と被仰しか果して然り下そ此を以て考
ふるに膽の大小によらす志の石子蒔深浅により又紙大事に倚ると
案すへし
一一当世有士之徒膽太之業敏捷に筋骨逞しく人物少しとせす尋るにせし
に良師匱敷平生し教方枝義の事とも慮疑問を質正する人有も先師
ゟ傳流如此と卑下の陋識を以て導き門生之義益長短を識別し抑
揚進退する事不能凡百の声又先師ゟの伝来と口授之少しも末
流の弊有に心付す又少して疑を容れす故に門生の墳排を啓発する
事を得す二三子も災状開伝の黄巻許可を受めれは自分満りとし
恬然小成に安し終る豈慨歎すへきに非すや所謂委而不実之類
や其罪誰れには帰せん此海内一流之流弊豈我藩本而已な
らひや我先師重徳君茲に見る処有りて憤然大番発之果
年積月之切により終に不惑之齢に至り愚且稔の疑慮宿惑一旦
一水解漸減し往古ゟの流弊を一洒し首座流中興之雨ふ可仰
可称吁豪傑哉
維時
天保六年乙未晩夏強疾繕字
鸚鵡参琴
附尾捌弓
乙未抄夏上澣起笋上笋起草
初種下浣草木成
足立氏
鸚鵡録
3223"
並型
狩野博士集書
鸚鵡錄中
初北條家へ仕へ磯崎かか云守と称す難波御又
一我首座流鼻祖青木雪喬君へ
後青木七郎と号す
一松平三左衛門殿に属し戦残有と云伝ふ示後我大鏡殿美濃
大垣の守りたりし時釼術を以て奉仕て公子定弘器に釼術を授く公子
資稟英明敏捷にまし〳〵御齢僅に十六歳之頃既に区奥に詣り
故有御家を去り
著述之勢桑見聞諸に記し
雨ひぬと本藩山本七大夫
一他邦に仕ふ
十一邦に仕小
ぬ青木家蔵に公子青眼之業術工夫の書有と予未見す高邁
卓越之見なしと先師御物語有しと石原兵左衛門印に談しられし
抑玄商如何成又登いふ事を詳に替す師授有しや又戦争紛擾
の時節は師伝計過家之流を制造有しや否やきやき不知未随仕
前大坂辺に宿居せられし時にや或夜竈を立入しに左手に行燈を
一提けおこれしに竪臼の陰が駆出頬を斬しに抽撃手に盗を切留給ふ
燈火消さりし夫ゟ頬斬七兵衛と自共名有しと口碑に書伴ふ信偽は
未審にせす抑我念首座流他家と具にして表裏の袋打の
試食なく唯左右の留上段の打込左右の青眼布已な利業に左右
を刎つ者波運用に達者を付させん為なれため究竟は三本也
此三本左に馳石磨逃練すれ婆敵とり如何様に仕懸共万斐に応
せらるゝ譬は大学の三綱領の如し是諸流に卓越超薀する所
以な現然といへ共指愁考練せされは繁刺衝突坐之進退左右
疾徐等し運用活溪の働あく敵に駭きひしかれ突込れ左右之手
を離れ一本も全く打出す事能はするの大弊有是他流に誹噺を免れ
ぬ所なり我常上之大能々禅思考索すべし此旨窃に論す諸流にも表
と称し裏に帰し段取りをなし業の形状数十本製造し教悔すれ
と多くは害止華法に近く実用に遠し惣ては未流の弊も錯禳洞
消し祖師の大音実趣を取失ひし有ん歟剣術論云世上に甚拙き
流義も無にあらず必一流を建るとて名人斗も無と見えたり古き流
此間二三
も有ましけれ共
字かく
義にもよろしからぬ事まゝあり此等の元祖のい
後ニ大臣又之処取失ひしに心得ぬ事共甚多しと云々抑業也
形状多端々製造せし物は警刹縦横脇艫追進退疾除左右前
後尾仲併御勘と隠歎題伏順逆遠遠辺親手込の過不及連勤
二
作用に力を付ん有なるへし然れ共業数驚様なれは却而疑惑を生
し根原に厚き近き患ひ三ツにあらす諸流の祖首時間練千段之済
一歴刻苦積歳累月の功より一旦語然得る処有て一家の流名を創
辛ぬれば春識には必ふ事下明晴有れは心術の造諸に深浅有るへし
造防に洋浅あれて業の形状に工拙なしといふへにからす諸の形状は
皆初尊輩を導く階梯にして玄妙薀異は形容に英手すへとの
らす本体之至理極妙は言語指上の暁喩すへしきにあらす流浪
により根原を自得するに遅速有れは尤択小へ候き事已混祖は皆
卓見高識出類抜世十の才器有之妙手なれは人自ら心腹奉戴
一徒弟中に伝流を続き我識見をかへ増益加減し我此辺以て流石
とし世に鳴る小野家小夫家抔と号する類ひ古苦少しとせす末流に近
ては縁派の高下工拙を論せす多くは本原を失し枝葉を事とするに
梅師なれ婆其門生も亦碌々たる痛手多く祖縁を発揮せんと
憤激研突する英武の士世に稀成は誠に浩斂すへし篤芸皆然り
同一徹の大患也書典を博し読み和漢の事蹟に浅猟するは博
士たらんか為には非らず倫理綱常を明し迷葉の道を践復し非
常に処し得人つ時勢に通光可為なれ共叔世に及ては詩賦文章
記誦訓話の末技に脩身精力を労し己の職分の武術は講習
せす優々日を度り文弱に初め蕩し花鳥風月の文雅を一寺
一尚○事とし武門の本意を失還し書を読こる人を俗客と荒視
三
怪賤し口給を以て又に当り満脛の驕慢にして名利を計る俗士
より甚しき其悪風世に播布し多くの蒙生を財賊するの腐
儒古今少しとせす聖学すら浅季に造んては其大弊海害
猶若此説んや聖学に比すれは大海の一滴泰山の丘垣大隅の堂
火にも及はわる微芸曲枝なれ婆其源を損水末を事とすとも何
そ深く怪むに足らむ吁
一試合なね組は敵書手也共業を控ず十分に発すれは何成弱劣成
敵也共厭心避一きにあらず当時公試相手組に不相応哉
あれハ不足たてを述或は虚動を構へ師を照望する人間御有り
と聞是大成心得違ひ笑ふへし我相手に不足と思はし於公職
高
一試場十分敵伏せ突伏せ我手繰之手並を顕して可也慥に勝べき程
の手練もなく唯年功或は伝授の前後平日出精不出精候寺の次第
を論し奢るは何事そや志趣の汗下棒腹すへし木刀業は手の裡
々残し打込突外しする事故打太刀不鍛練なれは其又の手の裡戻
まらす場合遠近き弁せす或は廻り過き或は打太刀もたれ或は
一直に出す或は鈍く或は遅く太過不及を免れする故に敵の遅鈍間に
抜刀に分勢業をなさられは縁義の形状をなこす形状を離て業
き為ずに及んては彼我共々に危き故我業の位丈を発露する事
不残打太刀の未練に働ひ応し形状斗を漸く真似めた故遣ひ方
の人甚迷惑す故に木刀縁は打太刀を可構事也是袋打の誠
合に異なる処なり
一或云射藝は剱術等の術に比すれは難し如何なれは舂不宿有
て如何礼力を労し思ひを尽すとも不器用成人は妙手に至り難
し又半途にして早気等種々の癖生し初学の下手に戻る人世間
少しとせず扨陰之術は器不審に拘らず暖定まれは用を為す
村の難さもめあらす予云不然剣鯰の術睦定り心動らす敵
と相突打をなさは武夫の本意立つ是極処に至る根本也不
舂用成者積田国の功により膽は定るべし必高手にぞ至に難
し剣鎗之術左右近退撃刺納練衝笑県関疾除順逆
士其業細密なれは質の利銚にりて業に精粗巧拙興兼
、
は事理一般手に得心に応する神妙不側の玄奥妙境に到るは天
姿の美に干預する処にして瞻定り心動かぬ面已にて必しも高手
には造り難し射術亦然る戦国之勇士敵の鎗我挙に中間迄
引付置射放せは外れなしといへる是射術の根本にして此天夫は
膽居りて後高手子進むべし十五間二十間にて二本も三本も寄
接早に射るを些くは村の本意とするには非ず我神国原
平の時に当り本間孫四郎か海鳥を討上月十市朝村か樹
精の小島を生あから村々取り真田興市り海中へ乗込紅扇
の穀を射後世に至り池田三左衛門輝政の家士伊左衛門輝次の
一番を射貫き松平主殿助伊忠可士石原十助一ノ矢敵に中
り其敵未馬ゟ落さる内二ノ箭を放て討殺し又遠州浜名の
降士本多忠勝に属せし大屋金太夫諸将五疋矢を望みけれ
は浜谷の城内ゟ津之崎大明神に至り三四十斗り根矢を以て
的に中て或は酒井左衛門尉忠次か士宮藤甚太夫の箭にて山
県ヶ勇士魁出するを前輪の上ゟ後輪迄一射過し其跡に
進み有武士を二ノ前にて射落す如き達者妙年に至て口百歩
之外にして百発百中命中之絶妙に至れる人少しとせず是等
は畢竟稟賦に関係する処学て必能すべき処にあらず早気
或ハ種々の癖出る其源ハ精神定まらす彼に致す申故也
気象慄然として敵を致し我弓手の拳に敵の鎗中留左期
とし放ち斃さんとす丈夫居らハ癖ハ自ら正し釼鯰共敵に致され
早く打出し或は早く突出し或は遅く或は銘々其節を失し過不及
あらば敵必上太刀上絵に成て我を制左へし射者朝も刺舅様衝突
県同心士作進退疾徐後急左右順逆敵間の遠迫等秘密之
業なく唯己か手足身体を正ふして引満し敵を引付朋秡勘筋筋
喉噫尊を討畳くのみにて変化の運動太郎討外し前は相を擲
も大刀打或ハ組打勝負も成べし釼鎗は切合突合に至てハ一ノ
五十才
呼吸一瞬息の間に勝負決し首足処を異にす射に駭れ中釼
鎗却而難しといふへし何そ易しと云ん難易を論するは芸術の
理に達する人にあらす己れ討術に心を苦しめ其難きを知を
以て他を易しいて評するは井蛙の容見其を取て其二を知らすも
は井蛙の管見其を取て其二を知らする
旱論笑ふへし抑戦国に用るは皆根矢辺今人用る権之実神
頭抔有や否や恐くは立処に射殺には至らし当時根沢の小釣合
成矢にも折々試る人有や平居備し得る重き根矢或は滋茂のた
しぶけれ一門にて有致言の時遽に村は平日明府にて白木のしんを
用ひ中り能き村手も外に且矢利あしの間へし公試の時矢状元
可流の備多く外なくハ腫動き精心不定の明証なり免許皆
伝の印何かに専初学輩東矢中りを偶中と下知すれ共未
は誤也最偏中にて定中にはあらされ共中否に深く執泥せし
ることり申而も有之事の定中日は云難けれ共先聊先輩尊戴
せ候事之入外にハ遥に優被召や炮術亦然り弓箭取回し築作
逢退客正観美は戦場にて入用まし敵に向に有らは免伝印可
も不論中りさへすれは弓矢二取気の本意こふへしされと初学中之
り而已に心を投し手足身体を審固にすたの講習を専要とせ
されは上手に進み難けれは平常の稽古は格別也実地に臨ては不中
其村の益あし船は釼を執り鎗を提け敵も向ひ薄手も負せす
これ金負るか如し平生の客止華法は実際に至ては無用の長
物に近からん予射芸の事に於ては誠に闇し村術精練の徒に
質すへし予妹聟岡田平右衛門日置流の村芸師範成し
射術近来我藩にて上手と呼れぬるは又々の知れる処し帝少時
門に入しの共数月ならずしも廃絶しぬ亦後房州佐間陣屋定
扶被命し故討の精功其詳成事は知らすといへ共当時口碑
に存すける事二三條も有り左に掲け子孫に諭く我
守国院殿天明七丁未年四月十三日出精之者七人御庭談別願刻
同殿市
渡の矢場にて弓術御覧被遊候其節御近士哉御意被遊候
多く心能土し者之内一寸の時十本就申候て一本慥に申り居
御座候やと御意被遊候処御近士村申候者御座候間敷之旨
申上候得共又御意被遊候は平右衛門は村様被と御意被遊
候処平右衛門も仕間鋪とし御近士申上候由右之趣山不崎但寛
程へ申聞候へは一寸の的矢場へ懸る処も見え不申候故村申間
一同頭え保右之趣平右衛門は討様うとの御意之趣難有奉存候間
翌十四日稽古場へ罷出一寸の的可仕と存候堂古仕候処東
失仕候尤甲中りの処同し矢坪へ乙中り申候関川平馬矢取塚
に被居候故甲矢かり不申右之穴へこ中り御余り珍敷事故明并
右之趣認置候
右之節出合居候面々
広瀬庄蔵若村直之丞佐藤右之者
幷川平馬川越小三治成合平三郎
入江馬三郎福嶋勇蔵
右之衆皆々見物被致し
一
右者平右衛門同六手は一寸的に嫡子孫に彫されじ書面
此侭一字も増減せす度に筆記す予謂暑田三郎
右衛門所蔵なり
▢一奥州白川桜之馬場とて数百間の隙地有茲にて藩中之壮士達
胸初旨左勢し大父也平右衛門門生申杉山正五郎本藩明山八蔵
弟当時幕府之士
こへる壮士平右衛門被直射有之平右衛門弓は弱く政五郎弓ハ強く
て笠敷放ツに平右衛門矢は疾く引き政五郎矢は後ね且平
右衛門放て奴心前初めは平らかに行き的前数十歩前には矢先
漸く揚り袋を取り政五郎矢ハ始め候繰りて放心故時前数十
間前ゟ矢先稍も落下りしとて弓精の巧拙中日の強弱悲
像すべし
一公致に我先師重徳君拝見に出られし其時の門言葉に平右
一三つ手前之術二本見度面已其餘は見るに足らすといはれし又車
右衛門も射ね且傍観左る者数十人真一とも我射術を見に沽眼
の人は唯惣右衛門壱人のみ其附は畏るゝに不足と云れし公試得
平右衛門討し業を評して甲矢は斯有し故中りし乙矢ハ斯有りし
故外れしと云れしれ平右衛門胸臆に敵名もしとそ重徳君
討術る枯を厲まされし人ならは斯も有へきに不明練にて評
せらるゝに平右衛門胸中に惚合申は奇といふへし我学に術猶
他人の上を明日には剛別論し難きに斯有しは実に釼術熟練
にて心の眼梵勢し故成へして怖亦可称其術の高きも亦想量
するに足れり呼
一平右衛門射に精功成如是也之如共未心術微微冠の工夫心瞻の定静及
はよりし処有しや重徳君と武術論義に至りては先師の怪我
一慄然たる法気に励土倒され玉ひぬとおもに事有き
一予属者或人の剣術近来長進せりと称するを聞る人言留は
〽理窟は用なしと言しまし言を他に心底を読せさりし余嘗て
思ふ道理高上手なる人事理一致せさに趙括か如き父の硝奢
之誤難し得ぬ程の兵理精詳成りしも用を為さる而已に
あらす身を亡し趙国の禍を遺す入有れは誹議するも一理なき
にあらす然れ共今昌平之久鋪老弱何れも実地を踏されは利害
得失を講究し演武堂にて誠るより
実地に臨み万人に卓越する人古今少しと勢す諸葛武侯南場
の野に耕隠逸せしに先主三敵の辱さか感し草盧を出粋に
将帥の大任に就て其初草盧に在し時已に天下を鼎足する廿画一
策ありす卑して其志の如く大切を成せり又韓信跨下の汚辱を
悲せしも大志有れはなり漢王に登庸せられぬれは果して其勢破
竹の如く漬王を助事纔に楚王を減し群雁を倒し漬家四万は
年之基堂を建つ三傑中の一人と称せらる二子其始め兵
を用へ軍を行るの試を為し而后仕ふるにあらす武術亦先より
平素練腫の酒巻深きより事に臨み潔き別れを約ス何也
そ疑凡嶌原の役難波陣に出し老輩生残しも僅の事あり
戦国を去る未遠五郎さりし故風気も壮烈と思ひなから初
上陣にて戦功有し人少しと存す然れは今昌泰鼓腹の世といへ
廿二年日の養により大節に臨み人に勝れし績を為ス人なしと
いふ屋からす概て席上の空論庄益と損捕するは甚悲
り抑道を自得するは売書の時に非ずして典籍を離れ読さ
時は在と先哲いへり諸芸亦然り夜中蓐内或は厠抔心気
穏に静成時澄志凝心勢は偶然解する事有唯浜武堂に
於て講習れ時而巳剃害得失を講究し平居朝望暮
精神を潜め高又は積威の稽古に筋力を労す共至極之域に
至り難しと知るべし
我本藩三輪氏家司中出馬八郎兵衛家蔵に裏祖八郎
今の八郎兵衛
兵衛
祖父なり
画像一幀有剣を右の頬際へ直立に構へし
形にて白髪老小羽甚異相也虫工は松波林左衛門とそ画上
に隆造寺氏真筆の歌を貼せり其歌に
入雲剣
我家の入雲剣を人とはし松に嵐の音つれを曳け
水月
業も勢生時打ぬ小太刀の移りつゝ影も形もなき人そかけ
古歌
ほ良ぬ計のたまらぬ水に影さして影も形も無人そ彼
古歌
浮草をかきわけ見れは峯の月爰に有とは誰か知らまし
先並様のことのは扨々おりしく御座候御笑之
富田縁の印可極意となる太刀ハ墨絵に出し松風の音
正月二日
龍造寺久弥隆安花押有
一兵衛御心の御修行如何定に入雲剣は御合呉参申候也水月ハ御
手に入申候や下抄余り浪入の家敷にきかせ口上書の哥とやら
む申様成事せ申候を御覧に入候尤左歌も出進せ申候且又もの
一
御推量被成富田縁の根元御文及明可被成候
画像裡書
一中島八郎兵衛受二富田流之兵法ヲ於龍造寺久弥政人ニ以テ
畢テ二兵法之奇正ヲ一数二年于茲ニ一数加フ一工夫ヲ一ヲ晨夕不レ怠一旦露出一
貫二通得其直指ヲ一不学見二手之衆レ之足之陥レ之覚二此術之出一
于自然於ニ於レ是
先生投二興富田流之奥義ヲ一也然後中嶌家有故継録絶而
富田流之秘書伝二我家ニ一自レ今以還若欲レ得二妙理ヲ者至二優
游涵泳之久ニ一自然得二此妙理ヲ一勉ヲレ施シテ勿半途而療一可也。
此裏書本無伝点
須田四兵衛政重
童蒙の為傭訓を加へ
紅大代辞
舎従云八郎兵衛剣術を以我藩共援興せられし初めは兵
此人は元本
藤氏先祖玄蕃
藤氏先祖玄蕃越後本末本多侯に亡居し砌八郎八郎兵衛の妙に
多侯家士
手を占知し故兵藤家御養子に来られし後肉旋有しより始て
富田様釼術達成事人々知り門弟に成りし気也其時代国
老の面々多くは富田流へ入門せしと口碑に随ふ中島氏枝芸に
衝はとるの情操可貴可則下に挙し竜造寺の俗積数を
熟読せば二子の人と成其情操を想像するに足れり
一中島氏門生中流ぎ給いしは兵藤当六小出善之進二手のよ
し二子七ツに先生に先達而物故せり終に臨み面子共先醒の
穣を枕せし実を賜り師弟之間其親き文子の如し浮世の政て
道ふへきにあらすと山内又十郎直話なり
一鷲寺中島二士共大和郡山本多侯浪士也新造寺氏ハ本多家
今日八郎兵衛
中島氏は如何程
□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□
ニ而老職を被殺殺せしねの身分のよし
の身分成しや審らかならす本藩奉仕の始は歩行士後に士州た
り龍造寺浪人数常州鹿嶋大船津に有り其後吉野大峯
山に隠遁し江上勝国と称す山居後其終る処を知らすと云伝
是又のうめ八郎兵衛
一ヶ所
ふものぎりなり
龍造寺式中嶌氏へ被贈し俗読七通
一新春之御慶不可有之郡候貴様弥御堅構被為候趣越歳
目出度と存候於爰元下拙諸事致か年候間御心易思召可被下
候且又当春ハ此銀其表へ罷出可仕と奉存候間御世話頼入候
其節寄面可得御意之剣術就者古場等の出来候様所に罷
出可申上奉存候彼是及延引候も一時も厚くと尋立申候相替
儀私御座候以年始之御積可申入如斯御座候恐惶謹言
一筆啓上いたし候貴様御堅固二被成御勤仕珍重奉存候私儀
無事二罷在候御覚意易思召可被下且又貴様候ハ市を抔も
付申候を越承度奉存候拙者限人改し難数金六斗拝領
仕只今ハ壱銭も無之候得共去ル百姓ニ男気有之負之負ハ
得共と養罷在候少々存より有之吉野大小筒山の近辺江山
答仕候明暮兵衛の工丈仕心清く罷在候山居も能程に致し江
一戸表江罷出可申と奉存候併路銭も無之候得共諸道具
也菩払ひ申候可罷出可申と奉存候其表之如飯料無御座候得
共誰迄共一飯の恐可人に申請兼中筆手中を取立可申と奉
一存候か様に貧敷成候へ共元気は落し不申候中々売買抔致
卜一日を送る所存無御座候私にはゝ浪人の弟子中取立片付の
申と思ひ入る近月の内に下り可申候間貴面可申候併貴面之
節はこし哉と思召候哉と申寄罷在候形は乞食心は黄金之分御
一座候山居之内工夫とも有之少々兵衛ハ眼明き申候哉と云
申候松本氏被参候ハヽ少々宛も御咄可被下候浪人致益所
四十四
に武芸妓物に罷成候飯料此ではゝ武芸才食に致下
難有可申と存候弟子中江も宜く貴面被成候ハヽ御申可被下候
乍六六ヶ敷此書状共御届可被下奉頼候拙者名を改め江
上勝囲と申候併又久沢岻事も可在之是願已願左事々候
座候猶朝後喜之時候恐惶謹言
一四月廿日江上勝国花押
中島八郎兵衛様人々御中
追加兵学御修行可被成候追付罷下り吟味可仕天狗抄持参
可被存候扨々諸人乍難義楽千万に候山居致候得共給物ハ
大分御座候蕨うどを飯料にいたし近在之者共歩赤豆抔
呉候へは飯料はたゝ有之心の侭に暮し面白き事なから其表
へも出可申と奉存候有は喰無は不喰扨々命は有物に而御座候也
貴面〳〵
私愚歌口上同然
敵もなし我身もなしに業もなし本来空の水の流れに
私等一日の並布し
あれは喰ハ此処は急れす其侭に来るに任せて身を送ると
御覧役火中〳〵
一筆致啓上候先以貴様御装置可被成候御勤仕珍重奉存候
私無事之事申候定而兵法弟子餘程御仕立被成候人も
可有之と御頼母敷存候伊左衛門殿頼母殿様へ拙者義も五月十四日十四日十四月十四日
八日に発足可致を奉存候其節煮面申前々可申上候道
中十四日程ニ而可参候江戸表の沙汰如何武芸は未捨候哉貧
人の身扨々数日の音し方此心元事ニ御座候無礼弟子申
貴面と悦事御座候恐惶謹言有之
壬四月十四日龍造寺久弥石乗花押
中島八郎兵衛様ニ人々御中
尚之弟子巾貴面之者へ御物語宣頼の事
一筆致啓上候先以弥御堅固被成候勢珍重奉存候私義
先月十九日江戸表へ著致し三四日逼留仕り伊左衛門殿久
一番に致面談之兵法も見物致し候伊左衛門殿には殊之外悉敷成り
前々の形無御座候久器は少々上達致し御歟と相見へ申候且又貴
様越中守様御迎ひに御国元へ御出しめ承り候間得貴由不申
扨々御残多奉存候万之御咄し申度事山々御座候私義は常
時無之時
州鹿嶋大船津と申処の在々引込罷在候浪入武芸入用無之時
節に江戸に罷在候而差不能事も有之間鋪は殊に世上軽量伝
の世の中我等は国様成不調法成男猶更御大名方に御入用三て
之我等。気質如は当世に入らす兎角在所へ引込候却百性能
八匁存候引籠申候隙を見合其表へ遊出候ハゝ通留致し貴面
可申候余程乞食仕寄申候若干ニ一ツも私ケ様成入用無之武士
御物数寄々被成候抱被遊度抔被思召失名聞出し被成候知行望ハ
無之御しらせから下々乞食に仕寄たる男免の下奉公可致候
御聞立入頼そんし候併旦那吟味致し申候其由貴面心縁頃
第二御座候何卒餓死不申候様にと存候今度は貴面申色々
咄し可申と存候処不及力得貴面不申残多く在所へ罷越申候
貴様も御息弟御勤相成候私も随分無事二罷在一度は貴面
可申候猶近々以書状可申述候恐惶謹言
一九月五日龍造寺久弥名楽花押
中蔦八郎三衛様人々御中
一尚之條左衛門殿江宜頼入候弟子御両人中に貴面中に
大慶存候幸八殿には道中に予得御意候
一九月廿八日曇数十月廿二日に相達し物見候先以向暑之気之気候得共
弥内堅固に御勤仕被成珍重奉存候私義罷在候間可被御心易
候江戸表へ罷越候時分間違不得御意残念奉存候将又何卒
江戸表へ罷在弟子申取立流儀広免申度そんし候得共へ今日
故罷出候ても一日の飯掛無之屋賃抔払ひ申貯無之御座候
雑散の時分男気おし金子も揃不申離散いたし剰へ世上り
の人志違ひ少しの経営不仕吉野天峯山の麓へ引篭に候間貯
二銭も無之候庚申の伯父を目当に罷越一日を送り申候中々
急には江戸表への得罷出申間敷候何卒又旗本衆の中の一
飯為給無台の側に被下差置武芸等御稽古共可被遊抔と有之御
方様有之候ハヽ御世話から下候此方二而ハ皆々百姓計二部中々武
芸致し候者無之く朝暮最敷暮し申候常州鹿嶋大船
津と申処にて御座候能手筋に而武芸の縁行は御方御座候
はし罷出申度そやし候か様に不如意に罷成候得共中々騒宮仕
所存武御座候未ニ而無是非之者ハ存寄相定申候江戸表
へ罷出候程の貯水度願事は先達申入候天狗抄持参致
候得共貴様留守故不表衆へ持参いたし江戸表へ罷出候ハヽ抔之
参致し可達候猶期後寄之時ハ恐惶謹言
龍造寺久弥正家花押
中嶌八郎兵衛様人々御中
尚々貴様なる兵衛に而御歩様勤被申候而は扨々軽き下々御座候
軽く成共兵法申立候歟但田所々部家中指南様被致候様ニ而
可被成候峯右衛免さへ兵法指南致候由さて〳〵乗続き男
にて御座候世上目の明たる人も無之候や弟子被成人のおかしさ扨
御咎右衛門免併手柄者ニ而御座候乍然縁義ニ疵を付可申
哉二気之毒にそんじ候承候へは文盲成書物等拵へ此勝太
有様工夫とも散候よし扨々気の毒に存候御面談りはゝ何日共見
相成候十二軒七色抔は申ニ習候間之間共へ手に入兼申候見図
候とて書付抔ニ而数々を乗遣手万師は針弟ゟは平以助と
十八
申譬有しく一丈かけを吠れは万丈静耳を吠ると云扨々可恐
事ニ候跡もなき声共を指車大に入を惑す事扨々
流義の疵と申旁集遣恐入候事ニ御座候御由談候ハヽ
此間三日
此段御申候て長門様へ参り被成共候此段
屋敷し様ニから
字不審
あら
一暑風甚浦御座候弥御旧可相成御勤仕珍重奉存候私筆無事
ニ罷在候且又先比兵衛の一義申遣候様相届申候哉本多時之助
様御屋敷芝木九郎兵衛方へ願遣候大切之二御座候間此心元
候相届候哉承り度々又松平伊左衛殿居村稲貴様出状之内へ入迚
之御届被下候哉是も兵法之事ニ御座候私義も五六月の比ニハ其表
へ罷出可申と存候処餓銭に等まり殊に同道に面々差合有候其上私
之秘蔵之弟武之丞相果彼是延引致し七八月の内には兎角可参候
間貴面可申候弟子衆へも宜類のゝ尤組合何の経営も不仕未
大峯山に引塞り山居仕り兵法の本儀心を積り居申候扨て面
白き事世上の申よひと兵法又我申よひ今少し同明くれと
足申候是目不明故り近付貴面恐惶謹言
龍造寺久源実名花神
月十一日
中島八郎兵衛様久々様申
以上文政十二年丑三月十六日本藩三輪権右衛門家司
中島八郎兵衛方へ問訊し懇望披閲す後日門生大森
十九
一寅情より漢写し世久ぬ草写なか魯魚島の謬誤
少からす故に前持の文意を参互考計し事ぬれと
猶審ならさる処あり模後に中山馬家へ再訂正
すべし
晴天保六年乙未六月強病書
鳥島録
一武器中大小の佩刀は瞬間を離れす躬を綴る重器なれは他器の
比すへきに非らす貴賤殊に心を用ひ可遜なり我公家武事にて
て別而御教導厚き故末々の怪卒に至る迄佩刀に念を入れ心を
一用る近国尾勢の大藩をいへども風気柔懦にて我本藩武猛異
烈の壮気熾んなるには忍はぬけき至敵何事か是にかへ然れとも上下
貴賤夥しき人なれは中には気節の志薄く不心懸成偏庄々非らす
朝応の禄を受る又徴録の平士と同く或は却而麁粗に見ゆるも
一同之有或は公私共一本刀或は疎刀作りの麁製成を芸袋袋袋袋袋を
細雨に橘や硯を用ひ或は黒鮫に垢つけし黒米栖に栖袋を
二十
用る有橘糸価幾何そ五年七年目に巻ける何の難き事な
あらひ平居番物飯食家居妻孥饗応御贈答の冗費を少し
く省き間に勢は年々も備復せらるへし雨降候は細雨と
いひも柄袋を懸る物と心得るにや腹を抱へて笑ふへし甚雨とし
いへとも烈風に有されは全濡には至らし願は大雨烈風と心とも
一擲覆用ひさる丁そ手堅き様に見る事ならん不虞の時一分一声
迄共後をとられ人に先せ越へき心懸第一也不虞急遽の時柄
嚢の有無により格別の先後擾歩有に非らす唯平日の心懸
に有といへとも楠袋無に比勢は丈夫のほれなしとはいふへからす
旅中用ゆれも倉粋取合せの戒心有へし又佩刀に差替も申
中身柄鞘等之制丁寧に割し正月五筋達或は晴れの時而迄用ひ平生候
麁粗の佩刀を帯する十常に十八也又韃剥落し擂糸下緒等据付
こひしも快然様を勢さる者は假令申身正宗天国如き上作にて不残
錆とも外製麁悪なれは中身も定而鈍力にて請はひと下墨に
逢ひ且商賈輩手軽悔せたる無益の黄白を外製に黄
し米傍亭は固より不可也といへとも中身を請させす鞘制す
柄糸下結垢つかす鮫塵埃に汚さゝる程の事は嗜土にて能すべし
是衣服居室を華麗にし人に伐る婦女児事の鄙態陋習とは
遊妊の事也微禄寒貧か健に至ては心に任せす苟も相応の
一倖録賜る又己を省に嗜むへし平日の雑費を省略し積
熾心懸なつや誰とても可也の大小は所蔵せら通し予固より徴録にして
且貧あれは未利力の心に応なしを得す遺憾のとなす我子孫
前件云々の言を忘れず我素志を継結し穴雑の費を簡省し
多年心懸佩刀中身を始め凡百の武器漸々に直し抑不虞の
兵変はいつ到来すとも難量平日に夜々の事正月五郎ゟ其餘
晴れの日は希有の事あれは変廿又は平日に有と心得嗜むへし自然
不虞の事に逢小時秘蔵の利刀に而一刀両断の能せも試みは外
見も能るへし古〆り一日齢を保つ人稀なり我人大凡壱万八千生涯
長短の方脩復をかふるも幾回そ衣服屋舎の渓茸移るは心
を用ひ人に誇るの心懸あれと武門樞要の器に至ては浅壊し或は
鑓刀義も着倒せさるは不知難の甚しき失笑すべし甲冑或は佩剣
の傍り縁頃目貫譚小柄等候井等目にたつねの美麗に金銀を
鏤めるは時により害を招く心得有へき事と古入驚き朱了実に
然り昔天正中明智光秀逆謀を企高織田信長信忠父子越
本能寺二條の城に於て弑せし時我烈祖摂州堺辺ゟ伊
賀越を経て御帰国遊ける御途中権々の御艱難難後人の知る所也
其節甲州の穴山梅雪供奉し上落しける被乱を聞御暇
を申北近江高嶋の辺へ懸り美濃信濃を除く甲州に帰り
古き者せを語らひ一揆を起さんとや思ひけん彼道を通行処に
新し一揆起りしに高島辺の土冠穴山の銀製の大小刀を目に
二十二
然遂に梅雪を打取しとそ先寄も山崎合戦豊公に砕けれ小栖
栗といふ処みて野武士の為に討れし穴山は華麗の佩刀故打れ光
ものは日に立甲冑を帯せし故平人ならすと物色なられ竹陰
にて藪越に突殺されしとそ明智八銭逆の大罪を犯せし賊
達なれは天誅を免かるゝ事を得す終に誅滅に就たさんなれば
常人に外す詩師に物通せられしは華麗の甲冑故也今川義
取織田信長の為に桶杖にて討れしも美麗の物具故也織田
公風雨晦冥に乗し義元中柱の後の山の根を推回し絵より
掩襲す騎兵して義元の中収立積に乗破望突崩す今川
方ハ不意を献衣はん上下せた駒守櫓周章し鎗を取に明なく
一労太刀打也織田方は鎗を揃て突たてし故真先に進みし者共枕を並へ
一打死す義元は、胸白の綱に金しる八龍を打巻る、百枚甲を致り赤紙の
錦の陣羽織を着ふたり川重代の二尺八寸松倉浦の太刀に一尺八寸大左
知字の脇差を帯じ青の馬の五十計に成るに金覆輪の鞍を置に
組の鞦懸に乗れける故美々敷遠眼にも是丁そ大将哉と思はぬ者
おし四方藩院者にも目に懸ず何方迄も遁さしと信長方互に先
姓名略共明良
を争ひ近物丁故十二人怪我男共用言迄て取て返し戦ひけれ共歩
を争ひ追然丁故十二人
洪範に詳なり
立成上戦には寝れたり皆々討死し義元一騎にあらんしを佐部
一小平太一番了追付詞を懸近寄しに一残元心得たりと馬を引返され
し所を馳寄て朱柄か長身の絵を以る義元の弓手の脇股を
二十三
したゝがに突ける井囲ゆる綿将前れは少しもひるます太刀を抽て服部か銭
の桶を切折り。即雨ゟ下り、去る小平太鎗を棄て馳並て組んと替し処を抽
設たる太刀を以て払ひ切にせられしに太刀先下りて小平太郎膝口を切付給
ふ輩太たまらす居居に倒れあはや討れぬと見丁処に毛利新介すきな
く横倉ゟ馳来り無ねと組しに」義元初め脇復服部か鎗に而手負け
る侭新介終に組勝て義元を討取しと也関々原の役前上杉景勝
方と伊達政宗福嶋か戦松川川中に而岡野左内々太刀打のとき政
宗危難を免れしは麁相の甲冑を帯しけれは大将を見受せりと也
是ニ而其得失を悟るへし抑佩刀膝元近く気遣ひ此処に置時ハ
華麗成も無妨に似たりといたゝ手遠に置時は目貫小柄等縁
頭はてなれは結人といへとも目を付奸悪の徒の為に窃に取りての恐此に非ず
縁頭目貫小柄笄等彫刻奇成も金銀の光り少なれは奸人も目を付
寄と知る一し扨亦平日用さゝ大小刀多くは此草は用に収置梅糸汚れすれ
は自ら巻模もなす数手経る故疫京になり強く握り振廻さま恐
は菱極む厚く心を用ひは五年或は六年目毎には必す巻替然るへし
第一目釘前に心を用ふへし譬正宗貞宗天国行安なき利
刀良剣ニ而も目釘或ハ折れ或ハ抜てハ用を為す包丁鉋ニも劣れり
当時宝師不詮索にて見分能製ける而已ならす士之者不案内故
万支鞠師に任せ置故栖掛入之時月釘穴細く明け或は中心元ゟ栖
木穴細布也桜木穴中谷より少なれハ深く振廻せは風入すみ揺くべし
通例ゟ改て中心穴少く太く明度埋め樋木穴之分麓相違無様制衣
皮付之方郷
壱丁目釘竹貫くには皮付之方を縄の方へ向け打へし候条
之方へ向け打是
予は臆見也利害得失如何
者へき識者へ質正すへし
或書に目計貫は松脂煮可用と有り試み
用へし赤井悪右衛門云如何程薄き端二而も銭二而足有ハ切落候
といふ古又なし厚き譯にても無地之渓は強く切当れは目釘の
一たまりもし又目釘銀けれは刀錐本ゟ曲なり折るく也と悪右之門ハ
常に大成隙のすあし有を用ふるとこそ強さに強きあやり
て砕る道理成一し譯に当るは十度に壱度中るか申らぬ者也当
り其時の為なれは少き薄き鰻のすかしある地鍔の鍛善を悪
よとい丁又大河内氏か著と不伝妙集ニ其目外は二処に打て漆気
以て盗込み雨の入等にすべし革目釘は一円用に玄する者也といへり吉良は
上野介殿家来小林平八刀を拵ひ頼るとて浅野殿には家来大勢故
一度は何事そ可有とて刀三所目釘に申付し迄一り目釘は刀の樋要
第一之図子は別而入念を入候能々穿鑿する事也弾と縁と縁之間
少しも間隙有ては是又強く振廻さけ忽ち日釘穴後少竹折るゝに
飛懸し可慎亦赤穂義人復執之夜平打之木綿之緒に而柄々
著問を巻し切柄の心にて手之裡能るへしと忠信秘活録に見ゆ
又高原之役山川惣右衛門兼而打死し覚悟にて大小の栖を艾う縄
に而登し古人時代異子いせし志士の志同し事に感せらる縁頭目
貫等自然之時目立ん事を恐れは右に傚ひ采成木綿之類を
二十五
裁製し栖之菱の間を差廻し鮫の塗鮫利方と古より云傳小小
に然り不手入にて塵埃入り見苦し日々心を用ひ払ひ掩止し是又
平自嗜之一也白鮫とても裏を渋すかす下地を懐候ほつけ用ひ
はしえて弱とも成まし塗鮫にても当世の如く下地を添してつけ又
上ゟも冷せは極上たるへし微録貧窶成健は肴岐せは蛟はららせ
にせは大丈夫也外能鮫は永久に伝ひ高価に登むる為下地をし
糊付けにして襯美を事とする是昌平久浦繁習実に不
別に陣刀を製し拵ひ置んは格別平姓
心懸といふへし
一当世風にては四五度
重貧か健兼而覚悟無也は有而とならず
も雨に逢ひ日に乾き前は下ゟ離れ浮き立難義成るへし若し
一きは何巻に而も好次第さして優劣御約有まし只巻師の工拙に
念を入れ輝ひへし是亦目釘竹に次き第一之物也糸は紺糸花色の類五
折々巻けるは四分
あよしたからい
○橘頭は深く製し柚木に引通し鮫は縁下まて
分糸然るへし
三分に而も苦しからす
然る様にす丁栖は我常手に握り細き方利有少し細きとあもには握り力至
て大夫也敵に勤て敲きひしかれ又極寒に主実にも堪る也是予多事
教場にて試みし事なれは必疑ふへからす柚木之周囲太き細きにて格
別之得失有に非す唯我常に合せせ少し細き方に製して可也鞘
は必鐺を付へし尻居にとふと雖し或は横に倒れ転ひても忽破裂暫く
鯉口にも薄銅を着せ鞘の胴中を二三ヶ処に鹿蕪レる或は細糸にほ巻
塗佃し鞘の内金は泊みて塗置は雨湿を折ひ鋳せ防き血津まり暫
すと談海に見ゆ又或書に室の内隣にて塗置は清を生せすといふ
二十六
□□□□□□□
中国なり恰好は振廻し我手心能を求むし釣合の善悪にて得失有し
尤択すへしなり能の比なるは奢り勤し朝鮮役にかへ陣清正軍兵の
敵を切あかみたる時清正馬上まて幾人切優し申候哉算ひ見よと
ふしに刀の直成とては当り弱くしに敵仆れず楚りたるにては切すとい
へ共倒れぬはなしと武功雑記に云り中身の長短は其人の流法且に疎
武具要説に
一覚悟に依へし造に得失利害あり一を執て論定したして戦
甲州氏切の諸
一将長短利害の
論委し実考すへし
御家原卜伝云刀は人の長けによりて差物也臍之上弾之越
刀をさし此者也といへり予嘗て試るに臍上を越す目は帯をぬけ離れ
難し其外害有や考爰すべし壮年輩客気に犯され腕に脇い
ぬ長剣を佩小人より一ツ為云勝負は心倒の精粗薬術の練公は心慣
の大小定否に有て長短に預けにあらす一尺五寸の短刀にて三尺の長剛と
一相打に成るは故人説り長短の優劣利害得失其人に非にして妄に弁
済役べは争論を改ての害有り可慎松平築前守忠之云武具之
長短条重は其力量に随ふべし又其ぬむ処によれりか寝清正は壮
力之人也重鎧を重ね厚く寸延わる刀を差し腰にも色々の軍用之物
付られし加藤兵衛門ハ小男にて力もなし革具足を著二尺一寸細き刀にて
成程手軽き出立也俱に武将之名を得けれたれは外量よる通小屋迄
処也信州之赤井悪右衛門ハ走り者を追懸長く重き刀ニて追懸て左之
肩先ゟ右之高股逃切付たり赤井ハ然も人並ゟ力も此者也謙信
家の中村但馬は張貫之鎧細柄の絵度々の高名して終にさせる手
も不負中村は大男にて力量は直通りに越たる者也是好む処によりの理
也然れ共我心に覚悟無しては不可也我思ひ入れに妙有陰刀駆動
自己の信を本とす古入の物語を聞て是を喩ると砕玉話に見め忠之
一の言不易の確論なり
隆
一我本藩茂木忠は降著筆記刀剣利害得失之弁只単綿
一心得之論我輩益を得る鮮少ならす依而全文を下に記共
一刀被下緒人により錦降迄巻付置者不定やとそ着候枝付鯉口際
崩れかゝれは身に纏ふて抽悪く如きなり心得有へき事とそ
一同栗形より鞘尻之方へ長く巻置者有り是又小宜延たる目抔抜
時帯之内一もせめこむ程にせされは抜ぬ者なり可心得
一同平日下か置者何も是等大勢会義席にて一所に置時我刀之下緒之
上へ餘金刀を置たる時急に追取刀にき立川左又抔有時人の刀をばわら
くといはせは私仕付の至し所詮栗形之跡先へ巻駭生度也尤解
事有時いと早く觧ケ安き様に心得へし
舎従案之業形之上下五巻き解ケあき様に結ひ可置と云家一理
有愚考には矢張平日之如く下ケ年も心得あらは害無るへし如何
なれは刀之長短によらすに居合不鍛練の徒は急速念卒之時に
当ては帯之内へ栗形を突込程にせされは快く抽者難し去り
は栗形の間に少しにても障る物無れは丈夫早く鯉口を離るゝ道
理也殊に上下等の袴服著せし時は平日ゟ帯も〆り早く抽難
二十八
き患有自然抽進する前有餘あらは下緒を以て帯下ゟ鯉口へ可
本鞘をくるかとを達奉た宣悦け洛せる様に有し又云補又会
合之席にては下緒を仮に栗形之上下へ一寸巻置は自然不虞
之変事有て急に刀を取に人之刀にから打付の患なし左ゟ下
緒と称し巻緒天云にされは常体に下ケ置も平素覚悟あ
らは何の害有は暫愚考を記し識者の訂正を俟つて
一予覚て三十年計も以前迄は大北の留としは今時之様に抽象而も不断
留置さる也近頃は色々の緒を以て留其上に限し小き諸〆を以鍔
懸留たる体を傍々横に思ふ体也尤古来も馬様乗候事に候時ハ留く
る也当時之人は此嗜に短き脇差など鞘走らかし怪我誤たるを
見て蜂入迄恐れをなしで多く不断留置事なり左人は短き縁差抔に
ても鞘立らぬ様に響能差等なしたる也或ハ長き大小にても秘報物に
一当らぬ様に背差わり或は白茶類之糸白茶からし茶巻等の
栖をむさとよこさぬ様に嗜みさしたり
一夜分焼遠く闇き所或ハ日暮之比様里鮫に黒糸巻の砌黒下緒也
一脇差巻之鋪合せ縁の上に共なりに置時は急に見付悪き物也
一心得給べし畳の上に置し縁を縁との上に置へからす
一高貴父之前へ五ツ時は脇差を下緒に而賢而ひる事也是しよと
留め同人へ候様に召留也陪臣御老中方へ御内書御奉書様御渡
の時請方に出し時決而右之通にする也我々同輩の人と別話す事
二十九
時抔に而も不囲誤て鞘走り通しは別話する又へ不調法御免といふへ
事共又也挨拶無しには有ましき事なり
一雨天之節合羽桐油抔重ね着たる時変事あら候長き刀を抜
とも及ぬ事也早く脇差に而も抜面丁損之節は最実也早きり誰
一十五文
一闇夜不審しき処と思ふ時は刀の鯉口少しくつろけ気味に致し鯉
一口際に手を懸け歩行へし同席之内口論抔有て抜とすへきやと思
一小時ハ何そ乱腹の類ニも早く打分留る心得有へし
一帯を固く差上下抔着用之時は抜悪き者也此時は我腹を強く内
すほめると思ふゆ事へ道理にて抜能なり
一人之帯共る腰物を一覧する事有時此方の称物祓出し先方へ渡ス
心に出し置見る者也扨平日も我抜たる刀脇差入に鞘へ納めさせ
自身鞘へ納へし人之祓たる時も其通りに入に眺めさすへし抜て初
めぬは不吉成事を古来より此通にする事也
一小栖笄を縁かけもなし置事大方何れも同し事なりて横に出る也
有ては抜ひとして上手に握り抔なる時笄杓は剃し而さしからに
有之抜悪き者也呉々も心得有一し
一古人は指料之外に一通も指者有之類入つ時々幾通も数多くは持ぬと
見代たり今は小身亭士も是非は二通りハ抔御人により三通舟通
も物なり此内何れは心に叶ふてよしいつれはよからぬといふ事は感召
三十
・
也左様にすききらひ有から指料にしては其丹之精神不徹して変事
の用にたゝめ也然は幾通りあらすとも差合たるは勿論の事也若別に
心得有て其時俄に及んと思ふ時は何れを用んと工夫を凝共事有へし
此時之取様余工夫ハとかく近来拵て栖之しまり能其外鍛日釘等も
新敷を用ゆへき類古き物ハ漆気糊気糊気共に薄きなり糸も古き
は弱き也右之心得可然とおもは別
一鞘の内をさつを湊に而拭ひ置時は血まりせぬ者也といて研ハ古人多く
中研を用ゆ御先代抔御差札にても中研多し
一先年小笠原家之御腰物を拝見致したる時に御鞘の鯉
口ゟ六七分計下峯之方に少し路釘之頭柱程之御指により
あり是は追取て早く知り易き為也こそふ平思小左様王もあな故少らす弾を
出しくくらけて抜時左之手の人指向ひ之力に為へき為の料成へしと思る
一鯉口に霧起より五分つまり抔と云事は五分埋まりといふ事は五分斗り
ゟ少しつまり心持也是はよし二分程まつきるは鞘走り易し五分津よりとすへし
左様無とも入懸合七目離水如様にすべし二枚潮なしハ上はあらき横やす
りよし精走らすみかきは鞘走り易し事ゆへからす
一脇差の鐺は円くすなき事本藩也候是は左の手斗追取て不可用刀之鐺
ハ方にする事是亦古実たるべし大小の諸方図にして陽中の陰陽
中の朝を象る様いふ事成通し尚識者に問ふ角に
一白鮫は大雨の節棚気離れ不宜塗鮫よしと古人いへり柚木柚木よしと
云事もあり柏木実ハ流にて合せ柚木鮫下平苧にて巻事本式る処共
入時ハ申付ても職又共へハ畏ても実ハセぬ事也別而陳刀ハ念入拵うな
らは必左様にすべし縁も打貫迄不可申含めなしさよし鮫も縁の
下かけにかなし
一古人多く身のむねを丸くする丸家といひ真の宗といふとそ抜によし
称多仕を合せ或ハ身の曲を取候棟ねね事致合せず紙の事別記に
あり隠しね雨げ刃の為あしく必不可用二三分送り紙へ中る様に合
せむへし
一竿は割等迄ふものは後の製歟養儀とそ
一鞘の内に金子仕込たるものあり必不可申甚実多し
一当日専々流行する銀の太刀拵迄不知今太平の時新世少も変事あれし
は用ひされぬ者也古来実に逢ひし人多し心得取り鑓長刀の金具
とも同様也若世変にか違ひ心に懸る事あらは早速烟にてふすべ早く
して隠すべし
一太刀の猿手に腕貫に付る事あり是は馬に乗時口にくわひて
京へき為も借家
一他人差料の腰物を所望して不見事是は熊森疵疵等あり又ハ奉るも
宜しからねとも業物の覧有て指も有へし先祖より抔伝ひか譲も有へし
又は止事を得す請たる侭にて指居るもあり然れ共其滞委細に
一難述他見を厭心も有へきなれは必好て見るへからず見ける格別也
一先祖ゟ持伝ひたく指料のう更髪に取とからす切ぬ時は先祖ゟ不吟
味の物指し事と他人の思はん処も恥か敷其も是迄不吟味と云うへ
し所証ためし見さる古又也又之業も指人の執神江は必利力と成
べし
一目貫迄小物ハ往昔は同如斯折釘の積にして栖之表裡ゟ日釘
穴ゟ打通し其上へ糸を巻魚とものあり其後便利に任せ別に目釘
き打柄之はめはつし自由にしる者也夫ゟ此目貫と云物は文
時の様に成たる也尤手の内の心抔も有事なれ共今は其事災
に成たる也為博識者暫爰に記并是ハ公儀御太刀師松村
弥三郎直話也
一元禄年中浅野家義士吉良家へ夜討に入わる時多分は大小の柄を別
に細さ糸を以てくなり〳〵と巻たりとの一話有手の内の為也
一事に逢ふへき時は目釘をぬらすといふ事有唾手といふ事邪にも
有事こねの内に唾を吐懸て力業に取るゆる事也其めして栖の糸鮫
をしめらして可用事なり
一一譚に女使輪取事不宜となし然中厚き女復輪取交不宜人と打合時
薩州れは我挙へ懸りてかせる成り其難義成もかありとて先年我
伯父脇美之覆輪之事諭ぞ石子へ取たる也しか落馬しと時其
はつみにて外れも事有強く打合せは必外る事有事有へし又表裏に三四
分浮くか小せたる者有間敷古人の指料にも見た事也
一郎三所目釘源左衛門も三所目釘に製せしとあれハいつれり利方あらん
并案源左衛門三所目た釘を打し候平生の
識者に質有し
刀にあらす大太刀故か事なれは左もあるべし
又云秋濃田面に云浅野俊義士奥田様大夫釼術之運人にて堀
内源左衛門正春か高弟也堀部安兵衛も同門也其流義之長柄
刀とて下坂に鍛えさせ三尺三寸五分の大刀にてなくり立しとなし此大剣に
之長サ其人之器重に応しわる寸尺は不定也安兵衛刀是も下坂
一覧
一説
に為打二尺五寸
三尺
之云々同義士中不破数右衛門月も三尺余と云
一又云正徳享保比迄勤仕仕せし大御番酒井紀伊守組与力岡男右之
つま焼
盤喬
と云る八十餘歳の老一羽大石氏事実覚書に云堀内印左し
門流義し大太刀と云ハ身の長二尺五寸柄長五寸身ハ常の力二不相
一者は但大鉢先にして鍔をかげ目釘三品に打長刀の如く也右長短は其
人の宿量に随ひ候由堀部安兵衛源左衛門門第にて大太刀の法終棟
たるに依而江戸神田に住せし鍛冶濶平に申に付製し候右之道具
知因にも預置〳〵て夜討の夜執家之前にて渡せしを持之
一音慶安申逆賊丸橋忠源と云者公備へ共執札左夜其処へ御役人
仕懸火事と呼はり其騒きに推込捕たるに忠弥起上り脇差の下緒を
口に喰へ帯を〆われ殿へ一番之者捕へかたるを強く当て斃る其次追々無
透間取付捕へ繰出候義共由此急事に下緒を口に喰へたる切者の仕方為
心得記置
一昔短き脇差さしたらん公所之隠所にて談て取落し及難義しか彼是
三十五
致し内々にて他人の脇差を借りて其場の間を合せ事は済わる也其後世話致
たる人の口ゟ如何致したるか洩と及略罪打果たること云へ話もあり雪隠
へ行用弁之時ハ長短によらす脇差のなりを返しる考たもか宜し鞘走
らさる者也舟抔へ乗下りの時も右同断
舎従前旅中賃馬に乗り下りする時も此心得有へし
一独旅又は少々人数なれ候共餘り候節大小下緒之面端を結候左右之
脇に置其上之蒲団を置鋪懸外ゟ見へたる様にして其上へ臥り可申
若鱗付駕鼻は是は槻本横に垂かゝり結へ小紐之如く成物を通し其
端右之面脇之下緒へくゝり付其上へ鋪物を敷臥り可申候旱業は
手遅き事も可有候得共盗難を逃れし斗也外の品を違ひ刀脇
手元を盗候而は難立拙者ハ旅ニ而いつも右之通致来之老者迄承り置候事
申上宿香之節も右之模様を以鋪物之下へ入臥り申ハ用心ハ臆病に
せよと有之軍師の被申上るも宣哉熊名左太夫ハ片山流之居合達
人々而いるも自宅二而両腰共夜着之内入抱寝候由水伝之新刃
之方は年を経候得共能ねれ刃味よしと申され心由
右一ケ條茂木氏伯父永井信家清右衛門松十郎兵衛と十人附
紙御座候を爰に記す
一金勢にもよるへき事なれ共二尺七八寸之刀抜し時諸之方に何そつきへ
て祓悪きもの也仮初にも心を可付也
一刀之小尻は急に角立不申候様舟底抔之様に少しのみ有之候て
一宜し少しの事にても急を角立候得は畳に而もやかひ障り候由切者中と
一大小の下緒の利用せん知れ共之上と云れさる也又広く知れいるもまれなりも折節
は疑ひ問に人も間々ありき其徳挙て数入難し近くいまた平時火事所二分
働時解てたす死みも致し度事も有へし怪敷山議様へ行懸る時此道
には盗賊或ハ狼火抔人を害せんとするもの抔有之と云道へ行懸く候
能心得て大小共腕貫しめ可有之事扨ハ闇夜又ハ片側深き居道
様へ着如何様之者に逢ひ切結ひ抔する時取落しても闇き道と
いひ或は深き谷抔へ取落しては再御用に備ひ難し此所を考ひ初ゟ取
落さぬ心得すべし段ひ取落しとり共長く押分ぬ心得道通し其外船
上河中山之陰道細道抔を除心時に若や刀剣の業をなしいへき気
さしもあらは心得て曠貫する心得有へし差懸り一剱の心当なくは大小刀の
降指大の御手成へし扨亦大事に臨見て弓鉄砲之わさにせんとする
能細へなくは刀の下緒をも可用往昔元弘に陶山小山小置を夜討
せし時夜中嶮岨を這より時武具甲冑を背負しと云事なり
又天正之比鳶巣夜討の時も松山嶮岨を越るに人々武具を背
負す書事有是等之時若所用にも可宛歟扨平日とも勝商
之時途中にて手綱にても腹帯にもき打て難義の時力の下緒を
取出し結ひても当座の間を合すべし扨は敵陣へ忍入抔云時
塀垣を越るに刀の下緒の一方を鞘に能結ひ留め一方を我常に
右と結ひ付塀にもたて可け鍔を踏へて塀上へ登り又刀を引上て
向の方へ落し塀にも立かけ鍔を踏ひ下に抔云請もあり或ハ差懸り
江狼藉の者在又ハ乱心者抔立固め置ニも縄あくは下緒ニても不得
ハ志志懐申
すへき事也
止事とて甚め置へき事下緒にて人を伝ると云法も有之也組に
且又左席記共短以同ハ勿論大筒ニも脇貫と云
但早渕
と云物
事は不聞弓道に而は先は小聞聞事の義経八島も磯々ほ弓流候と云
事あり心得て有事歟若無拠事ニて我大小の下結抜遣すいし
其跡はなを二而も太くひ残り少し下緒の形拵へて可置下緒なき
一大小さにぬ身の過小且さめも落しといぬ心得有へし色々北困多し
大小共下緒は太めに立木か成強き糸にて三四寸も長く致して置也
一右之通の所用なれは下緒古くなりしとめ際痛み弱りたらは心を付
置取替へし丸打認も心次第たるべし丸打認之先を組合せ年は栗
形鶴目も丸く古へし打組の先を組合せ房抔付る事所用のなかた
へかじ古き武士には葦下緒に致し金に而だびたるみたり朱塗抔も也
見る事も有坪井氏か有識の書に鎌倉以昇と云事ありき此し
訳未得不聞残念なり
一昼夜案する降緒丸打組よりは平打組然るへし且シ戸打或
は駿河村抔見分宜しされ共雨か濡れ且年を経ても等は
がらず甲斐の口は高価故見事なれ共初ゟ等はく些雨に
濡れ或は一両年も溢れはこはごとり中之物を縛り或は結小
事威難し見分に均らず柔らり成シケ打の下緒を六七寸
三十八
も長く誹ひ打用ふべし有合の品にて仕通例の寸尺ニて長き
はおし
一陳中大刀大小帯する時下緒帯からみする伝あり
一一栖鞘木の事栖冬修覆之度々に性宜き強き木に而軒敷床
し直シとて御卒にかたもすへし尤殿下平巻細きはり金にて
一も巻て牢鮫も染付本式也鮫縁の下迄かけ候事是又宜し鞘ハ内に
当り押て身に鋳ふ残出ぬ万代は古きかよし本もかれあたりも出来
す古き木を用髪模と云物今さして所用少きか古の人は今の如く
髪を短く月代そりたる様云事事なく婦人の如く直に有しとおく直に有しとおく直に有しとお
一冑を着する時ハ彼部友を打乱しく互くと差上ケ其上へ冑を着す
カ頭へ承ケ心よし扨冑を繕ふて貴人の前へ出る様の時ハ彼髪を今
の婦人の権巻にする抔云様にする也以弁かんざしの名号後世取違
ひたるりのみの髪掩の婦人の髪抜也今の髪指は髪掻共可申哉は是を
取違ひ唱違ひ多き事也假へは挑燈の如く途中持歩行ゟ一手は候
堤也竺に置へきは排燈成へし扨又髪掻に一ツの所用有は法師
首持取番に可付にも丸き物にて可洗様なし其時髪掻き抜出し
其首の口より喉へさしに云き夫は縄き付て雷の取付に可附候哉
一昔享保之末の頃京都町住の浪人を外の浪入亭迄趣有り或夜其
一町へ来り夜隣外ゟ帰るを待伏して打課も立退より御吟味の上
其相手知様へや四五日過て捕へられたり然る処右之趣人貧窮
三十九
の者にゝや朝夕難渋致し大小の切羽鍛抔金銀の附さるを剃し
売払ひ脇差斗にて有之候を捕たり御吟味の上罪状有のまゝに
申上下ね入に荷付然るに其時脇差斗にて刀差不申候故切
腹の体には不相成哉首を打れしといふ一話聞き箪士のぬ様の
事有共大小離し申間敷事也
一又右同時の頃か丹州亀山城下に而夜中人を討て立退者有之
其功けれし者の妻の妻甲斐〳〵敷者にて長押の上に懸置し
一長刀を然こんとしけれ共ゝ高くて手届さかねたるを飛付漸
く鞘をはつかし追懸後ゟ突たれ共彼者足早に逃去しに曲立
町行と或家の前を流るゝ水を呑其処にて即死したると也陰長
刀高め惣置通あらす然れ共左様に卑くも平生懸置難き者なり故
に予は鎗長刀を懸外する器物を拵へ鑓の下に平生懸置なり
〽舎徒案すかに手負には水を呑しむる事大事也凡如何様の事
にて手負あらふもか紋て呑へからす深手負ぬれは必咽乾く者
と見ゆ故に左より手疵を負ひ水を呑て立所に死に至る人有恐
因みにいふ人を刺殺に刀を抜と即声を発す抜され由の急に在し
を発せさる者也といふ事又云楽心様にて腹に刀を突立んに急に
奪衆は其侭倒死す抜されは急に死せんと聞けり然るや否
や是等の事心得居へき事共也天文十六年広忠若上和田
の松平三左衛門忠倫織田信秀に興する事を憤り給ひい見
一平三宿ノ重忠に命し忠倫を刺しむ山脇差を以忠倫を刺捨には
して帰るへし岩脇義を携ひ帰んとせは汝亦危しと命せらる重
忠命を蒙共城中に忍入忠儀か寝室を窺成忠倫熟睦し
けれは是を突事数ヶ度脇差を惜へて是を携ひ且忠倫かへ
帯刀平安城長吉を捕へて城を出重忠其さす処の脇差を携
へ移る故果して其跡にて三左衛門声を以共即従者馳来り刑客
を逐小危して逃れ帰れりといふ敵を刺棄もして帰る時は其短刀
に何某剃棄の刻といふ札を付るものなりと持て
一大小刀鎗長刀等金具に銀を髪ゝ遣ひたるもの若世上一変し一
揆等起たり騒敷時は銀具を不足抔丁珍具はすゝける物にてふ
有ては色けるもの也金は左様の事難成用捨可有者也すゝけもの
生之草木抔火に焚ふすへへし可有心得事也
一大小刀柵は中砥にすべし清砥にすへからす赤穂戦人吉田忠左衛門原惣に
右衛門初多く大小共研ハ中根を用へしとと以て伊勢太神宮の御神室
一は清破州宮は中極也と
以下二條は茂木雖居候編集戎政茗話中抄録
一松平大学頭頼貞君の御差料御大小共三分通り程ね雨ぞ
合せ置せらむし必隠しねたばは刃の為あしく不可用少々
一南嶺子に云刀剣のねまば分すといふ字様々に書人あれとも一
の字を可用追喜兵庫寮の式に太刀を造る一の細を載せ含棄して
公事あり来は字書地世執也と任じてねたは及るを略してねだ
一はとよみ来れりとそ
一刃剣紙物の事若輩の武士覚悟れ悟すへし連歌誹諧乱舞盤上の
一芸抔と違ひ武事の万也人々聞談するにも不有広の損移は
口惜き事也屏物の道には生かほけ衣明切の仕懸様其外高明三ツ
〽胴丁明二ノ明細腰両車片車脇毛雁金骨する付大岩袋上
立下立踊趣皆仕通様有或篇股は胴御何れに当り脇は何れも
一胴に当る抔と云事あり桶すへは紙を当て切と云事有り又頭
し試には鉢巻立割立割は歯を抜と云事有鎗は頭の米噛を
一実事也頭を押め留竹に仕様有切栖に仕様有鎗の柄にも仕様并
有上段に仕様有之是雨中の上段仕様有何れと何者に憑て可心懸又
岩筋不燃る切と云は左の肩ゟ右の脇へ切たるをいふ右の肩分丸の脇
へきりたるは逆の器器といふ
○一新身の刀剣鎗長刀共に砂打といふ事を数万に及ふ程致たる迄
却ては用に不立けり也是又能可心得且古今刀制作人の能不能其
業の説能能潮疎すへし是又武士の最一也
一古今武家の家にて跡に忌とするものは鯉の炙膾にケンヲ不時盛
をうつひけにしてひす香物を三り切付る等也具切腹人へ出す膳
聾式古実也故に平生禁之古来下入き教には鯨の炙物を食し
むるに依て是又武士の家にて取扱ふ事を忌とそかゝ如斯の事迄も能
四十二
し心を可付て永翁屋生の日常に散られき
以上茂木隆春筆記
一親敷人我佩刀を見ん事を望は一応は観るに不足とて辞再
応然由あらは鞘なから栖頭を先にし出すへとめめ福利刀に
も我より街ひケ間敷自負して観有かけす或は彼より親よと
鞘屋よらひさは我脇差の柄の方を彼り膝頭の方へ差出置扨
押戴き人を我左になし膝を石の方へ片寄せ横だへ右之手にて
祓扨左之手に移し熟観し是は天晴の御刀或は手丈夫なる
拵一或は釣合恰好よき抔と褒賞し見事抔は云間敷事なり
扨右之手に移し本の如く慎め玉ひき栖頭を先へ為し膝を初め
の如くなし戻すへし若彼初め鞠より祓出し渡さに左かねに受取
の手へ移し熟覧し其侭に出有丁彼をも鞘に納めしむへし抜て不収の
は不詳と古人云り又疵有或ハ反り恰好駒合等都而寄有共追込候
間然すへらす又言き飾り過賞有から内相応成挨拶有し他り
荷物と違ひ人の春料刀剣の事に至ては応答最慎直し此一條予
は臆断愚考なれは刀倒き観るへき礼に適少へきや否や詳にせず
礼衰の古実に達せり人に就き質問すべし
一諸有司は目分〳〵の詰所或は休息所有力の置処定り有り御大
同様大勢出仕の節は殊の外混雑にて諸士の佩刀唐紙或は障子
際に世の如くに重り礼を知らせる人は刀の上を跨き越飛越る
四十三
等の病漢有万一大事変事共いはゝ如何斗の騒劇ならひ中二我
佩刀急に探り得る事入難かるへし依て申何も少し手遠き場所
にても人の刀多く置さた処を択ひ下緒を縦に弾の上へかじみ措置に
也何方へ出ても又多き処にては此心得怠るへからす
一或人云上巻剣術の事理論弁せし内に所々口授と書せるは何そ也
予曰曰召と書せるものハ言論指上に喩し難き故不得上事の
言也円諸流伝書等に深味高理ならぬ事を秘し口伝の秘訣
のと異床敷記し俗士を訛惑する鄙態に傚ふに非す業を
直に為し示すに非されは弁明し難きを以也豈世の兵家者に
流武術者流浅劣成事を秘し惜むの頻に働はんとや
〽伊勢素他貞丈り著述四季の草に云秘事と云に五図附其道
を重く先為に軽々敷恨く不伝秘する有り二ツには物の師たる
人其弟手の業を覘ひて秘事を伝へたり共其秘事未用
に立ましけれは上連の期を待て秘する事有三ツニはさしても此
事なれ共我に伝へたる人の厳敷禁して他に洩す声勿れと
云たるを背き難くて心外す秘する事有四りには人に物百れ
さるに我も知らぬそ不知と云ん事の口惜さに秘事也と云ふ事
教育五日には礼物を可取か為に拙事也々指上隠し候筈
価を持て活る秘有り近目の秘事も間ゝ有と云々
〽上泉武屋寺秀綱新陰流の説に曰我兵法の仕覚る処し
は其者の志を不見届内ハ一子にも相付不可有事有事て兄弟を
かきり如何程親敷中也せ候はらせぬ処兵法の極こね也何
時何者も我敵に成先も小知然る時は心の奥を打明して相伝
たらは我重宝は却而人の宝と可成なれは其心得可有之事
也大躰の教にハ能所一ツも知らせぬ所第一也惣しき兵法の道に
ては今迷はする分州兵法の極意とする処也敢は外に敵を
求ると知といふ
舎従云安斎首秘事に至り條の事有を説れし其理固り
然り我間然する処所上泉秀橋の言は愚論排外有之
是等の陋説を問尊信従する輩後世解とせし故育録或は
開伝等の許可状を得れは其煙を以敵に勝るゝ者とあらふ
病輩有失笑遊服すへし其人に非して妄に伝ふるは因に非し
といへとも伝権すれは自然其又我仇に成時我屓へきやと埋怖
し容易心の底を叩き不苦伝と云るハ何の理そ凡其師義の
間は親睦誠実にて猜疑先事を欲す我誠意を以教
海涵養習は喪心の人に非すんは彼是我に背き敵するか狸
あらんや凡万五蛮人には長短有我長取る業を以鞭策散
腎淳二而も一朝一夕に自得し用立者に非左乳門七十
子の徒一貫の理を聞唯々と言下に目得し疑無は曽子
壱人也一を聞二を知明敏子貢の如き猶被仰し忽難恥王
学剣術其道の高卑事の大小同日の謬に非す雲壌万
里の懸託とい一サ凡師とも者公の心を以暁し散るめ武士
の本意也士たる者同輩を教授するは先覚後寛の違ひ
あれは也商賈輩ならは伝ふは国より此用の事なんは秘
するといふ事も有へし武士の武士を教喩するに秘して憎むと
いふ事なんの有へき伊勢氏の所謂五ケの秘事申第二の
事第三の如きは不得止事役にて不伝事あるへし己れ独
合真し他に伝ふるを吝惜するには非す且兵法の道は人を
しも迷せしむなか極意殺事は外に敵を求る也と呼是何の
理そ師弟猶親子の如し諄々教喩するも其旨に達る
難し然馬に今又をして迷はせ分別せ候といへるは市府の甚敷
に非すや己れ立ん事を欲しは先人を立ち己れ達せん事
を欲しては先人を達せん事を願ふ是仁人君子の心也賊近く
取て譬る仁の方也我重宝宝八人の重宝に承らん事才無
るゝ卑快心義は初ゟ人の師わらせるへし師たる之職は人の恩
を解き略々たらしむるに有免状皆他心寺の許可状ハ見届
高心屋あらは仮令輩は上達す共不伝古又は流義を重
人も金生事理の上に付其又の位に随ひ抑揚迄退
は心底を注き赤心を以散導して可也是師とも者の本
意といふべし
一千日の心懸を以一日の用にて立と思ひ詰りか真の心懸也と善士要
一務に云り此言や左今不易の確言也凡士たる者予り如き小官卑
職といへ共書を読武を講し博く古今の事蹟に渉猟するは
何か為は大にして君の徳を輔十国を守り小にして已を修の躬を
一杵き忠信孝子の事を欲する而己若時運通塞にして世に
に遇すては独り身き美し善価を待而已用捨は上に有り我預る
処非すれは光りを韜み塵に同し身を潜め跡を隠し命分にあ
んすへし豈に技微能有に衒ひ喋々世間の庸徒を誑惑すへて
んや平日心懸有も急遽倉皇の時に臨めては暖動き暮子供輩
の究理は蔽なれ處置其方を失ふは庸情之常也然に絶而疎心得
膽の工夫なく古を師とするの心懸なき駕質輩一旦後急倉
一卒の間生存亡の大筋に暗心ては如何そ辺迄退縮股栗戦慄
身を補し先祖を辱しめさらんや今昌平の久教酔飽戦腹し
動もすれは家門の費に奉りぬるも実に君恩の洪澤太平の化に
併する難有盛代と云へし名門右族の徒ゟ以下凡西辺を帯する
一怪卒に至迄兵士要務に云る確言き日夜慢有し武ねき
職さしと心通第一也
一戦国勇烈壮猛の士実地を踏し事続物語を規矩とする是武
術講習の大輔洪益也虚悟空譚ハ蒙生を啓発策励三難
し今時盛年輩武を右にし文に闇く古昔の事実に疎き侍
の為諸書を抜萃構要し後彫録軍騎須智界と号共古彫
録申壮烈部并に須智界に挙し人物何れも皆妙手運入銕
一肝石腸の勇士壮夫或之積年累日の刻苦津磨より得る処の
曹なれは是等を標則期待し心を潜め深く味ひ身に推当し且
夕魚解艸業を修し工夫を下さ口久して得る処あり予の言の
妾死りさるを喩り多年の千幾万心頓に水解有へし予か如き塞
一劣醤法之士といへ共志をくたしめ恩を雪汁死に至迄無内列芙
を凝さは終には天社を妙用の一斑窺ひ喩る御又あらん況や次間稟等
高久義成人をや唯恨らくは予気暁薄く思ひ不売中途にし
廃圧する事を孔聖の御息業は往古来今又比倫なき
天聖玉徳天地日月に等しき御事あれは諸の門大其広大無涯さ
仰き祟之供従すべき心相成に夫子猶莫我知也哉の御嘆息あり
又二三子以吉為徳平我庄汝隠世云々又傍而後言云々と宣へ
り凡百の事他に侵せられて后言に非されは人信従せす予か如き
因り蘇劣頭愚信せらるへき微枝小徳死れ共口を口を心持み舌を
結ひ緘黙すべき又成に剣術一条につき華蛙の陋具を固ぐ取り
論しわす葛識の人胡盧持腹すへきを知といへ共本太方の一老子
に示すべき為に記すに非ず唯我子孫譲武の裨益とも互いかしと
拙論を飲みす。器を建る而已容止草法の末状に抱泥せす本松
如何と尋思討論する又在て此書に志を潜む人あらん一面の誠無
も実に知れといへし当世の謬弊誹児を賑様探沈木枯し薮恋を弁州暁先
先ぬ重論か重服を厭す世の忌諱に触れ犯し教言を吐出する多
し并川天氏先生言る有物祖染亦一世の雄傑也然るに人皆知れる事
を忘れ供知なりとし論して已す是難成処也と云より此書も武を推す事
ねの人誰か弁せはらん然竹患者も一時鉛刀の一割といふ声も不れは独り
一知れる顔に元然論弁す身を揚りたるの至り尤に傚ふにて一餐に供召通し
鸚鵡殊小雑の島と予か鄙言雑具論も又只指上の空論儀にて事有
一の末に勝杣執泥之臨然非釈たるを得ざるは即鸚鵡に非すや因亭
豊武録と号すと云爾
紺陀
天保六龍舎乙未夏六月念三日強病儀写
巌崎象聖軒
昭、七・三、廿五四、
一