檀林巡路記

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不明
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場所: 江戸
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和泉屋新八
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ダンリンジュンロキ
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東北大学
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ジョウドダンリンジュンロキ
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狩猟 浄土 巡路記全 檀林 ▽労業幅開開会を 以テ購入セル間関博士 飛脚 むかし東照おほみ神の観替 国浅満誉大僧正におほせて算 の東に十あさりはの檀林といふ を半させ給ひ浄家の名匠を もろしの国よりめさせたさひ 住職せしめ給ひしより世々積徳 累功の僧をえらはるゝことはなり ぬそもしたん林は宗門紅通 の官制鎮護国家の霊場な るへしこゝに駿山北渓の摂門 上人文政三とせむ月のころかの 二九花山々をめくり本尊に ぬかつき山主にたいめせられ しそのおりの道のついて 大ぜす をしるしそゝめて順路記 となつけられた李さるを こたひ桜木にえらせかち のかみに次らせしをみれは。 いまよりのちこの跡をおはん こゝろさしある人のために おほろけならぬしをりなら ましといふことをみなもとの 弘賢あくるとしの夏月のなの うのも洗筆をさしぬらて 侍り 檀林巡路記 三禄山広慶慶慶慶慶慶慶慶慶慶慶慶慶慶慶慶慶慶慶慶慶慶慶慶慶 ○第一番 寺領 開山大蓮社酉譽上人聖聰大和尚明徳四年 起立上人は千葉介平氏胤の男母は新田左中 将源義貞朝臣の女也其より始は真言宗に て三十四代目にて浄土宗に改められしとそ 応永中叢林となり第十二世中興観智 国師の代慶長七年十八檀林御建立の時 首座と定らる国師は平山武者所季重の末 葉由木左衛門尉日奉利重の男なり 本堂千畳敷本尊阿弥陀如来恵僧都作 六十六 護国殿黒本尊奥の院と云本堂の後一 畳敷 開山堂当山代々歴代上人大僧正を安置 大人わり 同廓山上人勧 熊野祠本堂の右にあり一山の総鎮守なり此 請せらる 鐘關東第一の洪鐘なり歷天上人の代鋳之 一切經藏宋元朝鮮の三大蔵日本無雙なり 此外参詣所地中にてめくり所々 本堂ゟ始大門へ 帰順左 不動明王堂広度院 本真言宗の時の本尊なり故に別堂に安置 善光寺如来常照院中 とも云 俗にあかん堂 火防地蔵菩薩花岳院中別堂あり 鍬形観音堂恭敬院の本尊 秋葉社神明谷福聚院の地中 鼠袋大黒天貞松院安置 幸社稲荷社三嶋中谷の隅 勢至堂月界院中 淡島社源流院中 車折社盤蓮社中 加封稲荷社新切通冨士見坂上 かさもり稲荷社通元院中 出世辨才天社白蓮池島ニ此外三社有 子聖 焼失の後宝珠院に合せらる もと清林院とて林照院の向今柳茶屋の所也 此堂に薬師如来閻魔法王閤殿 圓光大師妙定院中 一番 関東廿五拝の第 豊祈稲荷社山下東谷隅 茅野天満宮山下谷林松院ニ安置 熊野本地堂山下谷瑞花院 飯倉天満宮天神谷ニ有宝松院持 了誉上人堂新谷酉蓮社 産千代稲荷社観智院の地の続後 御別当所 大人する 宝松院 恵眼院 真乗院 瑞蓮院 最勝院 瑞蓮院通元院最勝院 佛心院 佛心院安立院岳蓮社 松蓮社 松蓮社鑑蓮社 別院 心光院 惠照院妙定院清光寺 福聚院酉蓮社安蓮社 宝珠院清林院一經院 心光院は赤羽外境内たり然とも山内の別 院なり当院におたけ大日如来安置 坊中 常照院 観智院 廣度院觀智院常照院 瑞花院天光院源興院 雲晴院 常行院 雲晴院 源流院 安養院 浄運院 花岳院 威徳院 月界院 光学院 池徳院 月窓院池徳院光学院 貞松院源法院源寿院 徳水院隆崇院天養院 林松院良源院花陽院 昌泉院瑞善院清光院 七十余丁 所化方學寮八十二宇 六十余軒 享保中迄百 月行事十二僧一文字席三十八人 扇間三十六僧縁輪六十四人 以上三席百五十僧 大衆凡三千人実ニ本朝霊山会上也 山内名所 極樂橋圓山觀音山 たんまん 鏡井 地蔵山翠柳井鏡井 櫻井彩文井躅躑路 白蓮池望富坂黄鳥井 夕日桜朝暉梅 此外略之 八景十二境廿四勝三十六奇あり 略す 三門ハ二季彼岸中日正七の十六日に開く 正月御忌廿四日廿五日は大会なり廿五日山内 の外府内知恩院末の寺院出勤す 七月十七八両日ハ開山上人の忌大法会十八日 には府内御當山の末寺出勤近年中興国師 敎譽大僧正 の風輦を本堂え招厳会あり 御代より 大門御成御門柵門涅楽門い つれも七ツ時過参請往来を禁す 右之外悉略之 御成門を出。二番への道。愛宕前○青松寺曹洞 宗江戸三ヶ寺也○愛宕山真福寺新義真言 宗。江戸四ヶ寺。直院家。寺領百石。寛永の始 俊賀贈僧正。愛宕山を勧請す◯北隣円 福寺。是また院家同宗。江戸四ヶ寺寺領百石。 本尊薬師如来◯是より左横丁一丁余 光明山和合院天徳寺 開山称念上人。天文年中。開起寺領合百石。 余もと天智庵と云。本尊阿弥陀如来 ○尾州家越前家其外諸侯檀家多し 地中 別院 永寿寺 永寿寺不断院和合院 淨閑院榮閑院長元院 摂取院 知学院 長谷院 六人百人 随養院知相院浄本院 光學院教授院 うら門を出虎御門を入○霞關○麹町三丁 目谷○牛込御門を出○諏訪町より 無量山寿経寺伝通院 開山酉蓮社了誉上人聖問大和尚応永年 中開基。始の地は極楽水宗慶寺なり。伝通 院殿掩粧の御時。今の地へ移さる。上人は智行 兼備著述尤多く。浄土宗白旗流の中興と称 し。また三ヶ月上人とも号す。白石志摩守義元 の嫡男なり 御蔵 寺領合八百七十石 米共 米共 本堂南向。中興廓山上人再興より三四度 回禄今は御仮殿なり 絲條奇垂 堂前の古櫻樹あり 中門 銅芸 彫柱 開山堂 鐘楼堂開山堂 経蔵大仏堂鎮守社 記蔵主稲荷大黒天 大方丈 長廊下の 向にあり 當山の庭は。地廣く池深くして。竒草佳木 を植幽勝の境景なり 縁受院 別院 處静院淨臺院法藏院 景久院慈眼院瑞真院 坊中 真珠院見樹院昌林院 所化寮 西谷東ハ合合十六軒往世六十余宇有しと云 此外略之 大門を出左へ水戸家横町角に 番外 西岸寺 元祖大師鏡の御影あり。拝礼すへし 春日町より。本郷五丁目へ出。湯島切通し。天澤 妙心寺派 真言新 山麟松院 の前より根生院は 寺領三百石 義寺領 石の坂より池の端へ出。上野広小路山下通り。 下谷広徳寺太宗寺の横町を北へ入一丁余 ○第三番 神田山新智恩寺幡随意院 開山智譽幡随意上人慶長中開基。此上人 諸国の寺院を開基甚多し。後本山智恩寺に 住せられし故。当山の寺号とす。寺領五十石 本堂十五間南向。近世了碩上人は。一代紫衣を着 せられ。谷中に法住寺新幡随院を開興せらる。 開山上人の道徳化益凡人のはかる所にあらず。 王譽妙龍。龍譽高天と云大龍神を利益し。き 後紀州 りしたん対治の命にて九州へ下向あり。酸 万松寺 遷化伝記世に多ければ。こゝに略する 開山堂 にあり 中門の左 鎮守熊野宮 鐘楼堂 卵塔場入口に 妙龍水 有碑銘立之 坊中 智白院惠眼院源良院 正龍院向旭院 一学察文政三年五月改 靈慙寮圓成寮法珠寮 亮雄寮典鏡寮霊音寮 了賢寮戒珠寮 此外略す 一向宗 うら門を出。報恩寺 の前より新堀の 東派 橋をわたり本願寺うしろ通り一丁余 番外 田島山快楽院誓願寺 開山東譽魯水上人。小田原にて開基ありしを。 元和中引移す 常憲院殿御時両度成らせられ。桂昌院殿御 菩提所と定させ。寺領四百石御寄附の上。常 紫衣となる。本堂度々焼失す。 四面 今十二間 南向本 四面 尊齒吹阿弥陀如来 中門鐘楼堂鎮守社 地蔵堂経蔵 別院安養寺快樂院 安養寺は元禄年中御建立。寺領百石畑 四百石の 内なり 今は宮津侯本庄氏両家にて修復せらる 塔頭 仮宿院 宗周院 迎接院 徳寿院 徳性院 院徳寿院一 徳性院徳寿院西慶院 九品院本性院受用院 長安院林宗院称名院 近年後藤氏 仁寿院宝松院 絶家後廃絶 此外略之 浅草通り御蔵前榧寺より八幡宮の南 番外 東光山西福寺 開山貞誉了伝上人。駿府に開基引移寺領 百石。本堂凡三四度焼亡文化後いまだ再興 なし 東照宮御宮御宮 鐘楼四方に門あり 坊中 十人同人 存心院 智光院 林宗院 真行院 法林院林照院真行院 長応院源崇院 両国橋を渡り。廻向院 番外 国豊山廻向院 明暦三年正月の大火。本郷丸山本妙寺より 出火にて。十万八千人余焼亡の者。菩提のため建 立し増上寺貴屋大和尚導師とし。小石川智 香寺信譽上人を住持せしめ。別行常念仏の 大道場となれり。此外寺中のわけなどは。諸人 の見聞する所ゆへ。こゝに略す 盲人 より籾蔵より籾蔵につき東へ廻り 一ツ目辨天前 総録所 高橋をわたり二丁 番外 一当知山重願院本誓寺 文亀元年。曜譽信公上人。相州小田原にて開 起ニ六代貞蓮社大誉文賀上人の時。英勝院 尼の願にて。文禄四年。江戸八代洲河岸へ うつされ。慶長中馬喰町上寺町へ轉じ。天和 三年今の地にうつる。馬喰町にては。朝鮮使の 旅館となれること数度なり。寺領三十石 観音堂稲荷社石地蔵堂 塔頭 法雲院常照院勝徳院 江月院齢閑院浄澄院 正応院称名院清心院 ○第四番道本山東海院霊巖寺 開山檀蓮社雄誉松風霊巌上人寛永元年。 今の霊岩島海中の洲。蘆原の所へ地をきづき。 大人用人 開基職務上人生実に住し。凡寺院起立二十 余ヶ所。後総本山花頂山に入院あり。三世珂山 上人の弟子。珂碩上人は。奥沢九品佛の開山 なり。本堂凡三四度焼失。近き頃も十八間四方 なり。其後又二度回禄す今 講法堂圓光大師堂稲荷社 鎮守熊野祠開山堂柳稲荷社 大地蔵尊六親勢至堂地蔵堂 放生池日月井 別院 雄松院濟生院長専院 坊中正覺院淨閑院 安養院開善院榮壽院 深照院 松林院深照院成等院 濟來院 広閑院 八庵 霊光庵見松庵潮江庵 吟松庵清澄庵臨海庵 所化寮 柳谷櫻谷錦谷等に凡四十六字往古 八九十宇もありて大衆一千三百人まて結 一集せしことあり今も千数にちかし 此外略之 うち門を出藪の内右 番外 龍徳山光嚴寺雲光院 開山還蓮社往譽上人信入潮谷大和尚。慶長 十六年。開起住すること十二年。後京黒谷金戒光明 寺に轉せらる。雲光院殿一位尼公。馬喰町にて 八千余坪を。公へ奏達の上。起立ありしなり 大人用人 毛利長門守秀就福島左衛門大夫正則 鍋島信濃守勝茂台命により築之 此時勅額 二品 一品 親王 元地は今の郡は 良恕 御筆 を賜れり。明暦三年。 代やしきなり 岩井 町へ轉せられ。又天和二年十二月廿八日の火災 後翌年此地へ移さる。寺領五十石 塔頭法龍院浄徳院 仙龍院傳壽院清心院 慈法院清光院浄心院 正覺院良正院 右ハ当今廃絶 浄慶院照光院龍光院 一言院常龍院樹光院 長源院養樹院専受院 うら門を出東となり 日照山専求院法禅寺 番外 開山長蓮社心阿上人。文禄二年八代洲河岸に 起立。次に馬喰町上寺町へ移り。天和中本郷大 円寺よりの火災に焼失。後此地へ轉せらる 塔頭 宗心院蓮乗院玉樹院 専求院貞照院此五院今廃絶 常照院南龍院良信院 専修院 門を出。一丁左へ廻り扇橋へ出。是より報恩寺 橋をわたり 旧蓮宗 触頭 北へ半町余 ○第五番 常在山二尊教院霊山寺 慶長六年。念道社専譽大潮上人。駿河台に 草創あり。同十一年寺領五十石を賜ふ。同十七年 檀林へ加入られ。学寮三十余宇を建賜はる。寛 永三年。湯島に移され。其後中絶。七世中興明 譽廓塋上人。貞享三年六月入院。元禄二年二月 此地に移され。更に檀林を再興あり 本堂 二尊を 安置 閻魔堂地蔵堂 観音堂鐘楼開山堂 大悲閣鎮守社 別院 照満院西接院 照満院ハ知恩院三十六世真如院法親王 尊空大和尚の尊牌所なり 伏見宮 御子 塔頭良徳院龍興院 徳寿院霊性院 是までは御府内ゆへ。地名等くはしくのせす 以下は村次順路委出す 寺を出亀井戸村天神前○六目村○逆井渡 是を中 川と云 ○西小松川村○新町より右へ○東小松川 今江 ○西一の江 渡有 今江 ○前野村○堀江渡を渡にて にて も此所にてわたり ても同しことなり ○此川刀根川なり。一條むかひは行 是まて江戸 徳なり より三里 茶屋あり宿よし 行徳より 舟橋へ二里八丁 宿はづれ。左に徳願寺。御朱印十石。海岩山普 光院と云。開山円譽不残上人。慶長三年開基。 鴻巣勝願寺末なり○妙典村○田尻村○兵庫 新田◯此辺。海邉景色よし◯はらき◯二俣 ○海神 此所にて市川よりの 道と一ッになる ○船橋町中右横丁 本所霊山 に浄勝寺御朱印十石中興大超上人 寺開山なり 舟橋より十 狭見川へ二里八丁 町のつきあたりに大神宮あり。御朱印五十石。神 主富上総介と云。此下にて。左右に分る。左は 成田山不動尊道。右房州海道なり。右へ廻り○ 矢づ村○くゞ田村○鷺沼村○馬加り村此村は 昔馬加り陸奥守居城の跡なり○次にけみ川 けみ川より のぶとへ二里道ちかし 海ばた道ゆへ景色よし。安房上総の山々南の 方にくまどり。左に村々あり。砂地ゆへ馬にのりて よし○いなけ村此所に浅間の社。小高き所に 在て。海中に鳥居をたてり○黒砂村 登戸より 生実へ一里半 のぶとより左へ行は千葉なり。右海ばた道。安 房海道なり○寒川村○今井村○仙瑞村○ ごたほ村○そが野のてまへより左へ入大岩寺道有 ○第六番 龍澤山玄忠院大巖寺 開山磨蓮社道譽上人貞把大和尚。寺領百石。 永禄三年。原式部大輔平胤榮建立す。原は 千葉の一門にて殊に大家なり。内室を龍澤 禪尼と名く。當山はもと原氏の別館也。又生実 御所も帰敬まし〳〵。下馬禁札を下さる。原 今長源 寺と 氏は後当国臼井城にうつりて新大岩寺 寺と 云を起立あり。當山は松林老竹境外深く絶 勝の梵刹なり 本尊慈覚大師作内佛本尊等等霊宝多し 本堂鐘楼堂方丈 山門 釈迦三尊 十六羅漢 鎮守社 三ヶ所 表裏門 二ヶ所何れも 下馬札 右之外略之 表門より生実まて八丁森川出羽守たてあり 大人同人 六人わん十二 うら門より千葉へ出 大岩寺より 千葉へ一里半 畑道多し。凡廿八丁にて千葉寺観世音。坂東札 所なり。此寺は増上寺開山酉誉上人。真言宗にて 剃髪し給ひし古跡なり。坂上まて二丁。当村を 千葉寺村と云。是より千葉へ八丁 千葉より のぶとへ六丁 當所。妙見寺。真言宗寺領二百石。西となり阿 毘盧山。大日寺密乗院は。天平宝字元酉年。仁 性菩薩の開起なり。千葉家十六代の石碑 あり。大日堂。奉納六字名號は。弘法大師の筆なり。 左に薬師堂あり のふとより 船橋まて前に出同し 舟橋より 松戸へ二里半 船橋の 海神村 つゞき ○より右へ行西海神村○下宿村 ○中山村右に正中山法華寺。日蓮宗一派乃本 山なり。本堂五重塔。経蔵祈祷堂等あり○ 鬼越村○平田村○是より右へ入まゝ山へ迴る○真 間山弘法寺。二王門。十羅刹女堂。鬼子母神堂 あり。日蓮宗継橋は。門の前にあり十回此所本道 を行ば。市川へ出。弘法寺を通りぬけ。すぐに総寧寺 へ出てよし。国府臺。安国山。総寧寺。曹洞宗。關 東三ヶ寺の随一なり。開山通玄寂靈禪師。境内 六万九千六百坪余。里見氏。生實御所と共に出 ○寺より案内 張し。北条氏と。対戦せし古跡なり。 を乞へし 門 の中程より。うち門を出。畑道を通り。八功村。松戸 宿。渡の東の方へ出る。則ち關所は先へ出 松戸より 小金へ一里廿八丁 たんりん 此所江戸より水戸への本海道なり○本村○根 本村○竹か花村○花島村○本郷村○新作村○ 中根村馬橋村に。不動尊万満寺真二言宗少 し坂道などあり ○第七番 佛法山一乘院東漸寺 開山行蓮社経誉上人愚庭運公大和尚寺領 五十石。天正中。城主高木修理亮胤則。同胤辰秋 口村に今古城跡あ り十二万石余領ト云 檀那にて。創立せり 本堂 本尊 安阿弥作 元祖堂大師香衣尊像法蓮信空竹 鎮守堂楼門総門 地中 学寮もありすべて 此外ハ略す 浄嘉院崇志庵憲梅軒 小金よ あびこへ三里九丁 町のはづれに。牛頭天王社あり。左へ入口。平賀本土寺。 日蓮宗の本寺へ八丁〇こへ内村○新家村○向小 金村○新木戸○是より原廿八丁あり。此原は。安 房よりつゞきて。長さ四十里に近しとぞ。横は 所によりて広狭あり。千葉より岩富の所に ては。六里其外不定なり。なすの原。相模原。ひたち 原。桔梗原などを。合すとも及がたし。牧馬第一の 地なるへし。遠近松原村立て。春草萌生。左に 日光街道有○栖村右に稲荷社あり○あは塚村 ○ねど村。此邉右に手が沼。見ゆる三四里四方の沼と云 安孫子より とり手へ一里半 此宿より江戸崎へ左右の道あり。宿次の順により。 とり手へかゝも芝崎村小坂三ツあり。右に成田道銚 ちんせ 子道あり○青山村○川渡 四文ツヽ わたれば大鹿新 是壇 町なり。此町左の方に。弘経寺あり。寺領五十石提林 あらず浄土宗 藤代へ二里 町よし賑はしきこと。江戸をはなれて第一なり○吉 田村○小泉村○米田村○谷中村 ふぢしろより 龍ヶ崎へ二里 近きころ。八才の女。男なくして子を産し家有○ 宮和田村○小海川渡十二○小通り村○川原代村○ りうか崎より 根本へ二里 入口に。薬師堂。次に牛頭天王社あり。町は仙臺領 なり。町長し。はづれより左へ入○大どく村○矢代村 ○長峯村○半田村○からざ村○塗戸村○此辺丁ひ らけ村つゞきなり 根もとより 江戸崎へ二里 村より二筋道あり。左の方すこし高き所へわかれ。君 山村○松山村○此所より。江戸崎への本道あれども。 山路松原つゞきにて。道わかちがたしと。聞へければ 少し廻りなれども。村つゞきへ行。羽賀村○村田村 ○此邉能きゝ行べし。天王の社の先。又左右道有。 右本道。左新道とあり。新道をゆきてよし工夫 て ○第八番正定山智光院大念寺 開山聖蓮社源誉上人慶岩大和尚は。西国惟任 修理亮知光の三男なり。後關東へくだり。観智 國師の弟子と成。慶長中。當山を開く。寺領五十石 本堂本尊聖徳太子の作 樓門總門下馬裏門 閻魔堂開山堂荒神堂 三社殿地蔵堂天満宮 此外略之往世学寮十一宇ありといふ 当所町名○南大宿町ニ○大宿荒町ニ○戸張町ニ 西町不動院門前ニ○下新町○上新町ニ○横町 ○根町○切通○西丁二○浜町○本町○不動院は天 台宗八ヶ檀林の内。寺領百五十石。南光坊慈眼 大師の住せられし寺なり○又済家禅寺に 石五百羅漢あり 江戸さきより 土浦へ五里 大塚村○君島か原。凡一里余。右に西方寺。君 島村○追原村○高久村○右に湖見ゆる○不動 堂有。これより右に。掛馬道あり○二宮社○青宿 村○あみ村○岩田村右に。宝泉寺。左に天王社 有○高津村。つきあたりは愛宕山なり。此辺仙 台領と。土浦領となり 土浦より 稲吉へ二里 入口に長サ三十六間。錢がめ橋と云有○大丁○次に すのこ橋○だ宿○中しよ丁◯桜橋○本町○中町 田丁○横丁○城は左に在り。土屋相模守。九万五千石 ○まなべ村○中ぬき村○清水村西に筑波山 か被山などつゞきて近く見ゆる いなよしより 府中へ一里卅丁 香取社○つち田村○左に弥陀堂右に観音寺○ 市川村○橋あり 府中より 竹原へ一里九丁 昔多氣大掾と云。大名の城なり。今は水戸家の 分流。松平播磨守たてと成〇二万石町長しつき あたり千手院真言宗。御朱印十五石○夫より どんわん 大人壱人 右へ廻るなめりか村。右に光謙天皇宮。すこし先に 道鏡社あり 竹原より 片倉へ一里八丁 宿出はづれより。松並木なり○古内村○村毎に南 につくば山かは山近くみゆる。東北山なし。又村毎 に空家多く。人数年〻減ぜりと云 かたくらより 小幡へ一里五丁 古和田村○稲荷社○西郷寺村 をばたより 長岡へ一里半 山遠くして平地なり。荒村茅家の鶏犬まれ なり。人の手ぶりはるかに。かはりて言語又ことなり。 此辺より。湊への近道ありと云ふ 長岡より 水戸ヘ二里 御城下入口。左に薬王院。天台宗。關東八ヶ檀林 の内◯二宮前より橋を渡り○左に清岩寺瓜 連末◯御城は。左にみゆる。是より上町下町と分る。 右の方下町へ馬を継。町の末。右に湊道あり。湊 一向 は。先府君の連枝入 宗 は船つきにして。願入寺 らせられしと云。寺領三百石。如信の開基にて。 境内に。うかれ女のゆるしありとて。繁茂せり とぞ。府より二里。当国第一の輻輳の地なりと 云。左へ廻り。岩城街道を行 水戸より 枝川へ一里 是より常福寺へ道二筋有。上町下町通り也。 今は下町を行。町を出はなれ。川を舟にてわたれ ば。枝川宿なり 枝川より 田彦へ一里半 少し坂あり どし たべりづ 田ひこより 向山常福寺へ一里半 「十七 宿の末。右は岩城相馬の街道。左は太田への道 なり。左へ行松並木長し○境村○横堀村○り 禅宗 ん松院 卅石 ○毘盧舎那寺等右にあり ○九番之内 草地山浄鑑院常福寺 是より 二里 檀林所は。瓜連にあり。 づ然ども貫主在山所 化ともに当所にありて。瓜連は院代持也。殊に水戸 家御菩提所として。末山の支配まて。当所より 出れは。両所なりといへ共。別出す。當山御建立は。 天和年中なり。瓜連世清譽林昨上人を開山と す。常紫衣の綸旨も此上人代なり。源黄門義公。 當山を永世の御菩提所と。定させらる故に。瓜連 の山主引移。彼方は院代持とす 入口。吉水より黒門まて。百五十間程。夫より下乗橋 迠百間程。又唐門迄四十間程。是より山門迄百間 是迄道幅八九間ツヽ より御佛殿まて。三十三間。 余。山門 左右總松林なり 翠松喬木一様に茂りて。梵閣諸堂。翠色の 中に高し 本堂文化焼失後いまた再建なし 法堂 九間半 七間半 本尊釈迦如来 五間半 牌堂 三間半 三間半 鐘楼堂鼓楼堂 勅額鎮守熊野本宮尹殿三明 三門 鳥居 唐門辨天堂真龍五社 大方丈小方丈庫裏 下乗札下馬札外廊下 寺領国主より。円成寺當山。共合四百七十石也。寺 宝多し○所化寮廿宇程益 常福寺より 額田へ十八丁 一向 宗 仙入寺 ぬかだ宿よし。右に阿弥陀寺 時宗 世石 引接寺 常福 寺末 此所は。額田久兵衛尉城跡なり。是 より古跡めくりなり。もし其志なきは。常福寺より。 直に瓜連へ行べし ぬかたより 太田へ一里半 渡川橋○川合村○磯辺村○此辺田畑つゞき道 よし。右の方一里程向に。真弓大權現の山見ゆる。 其山皆白石なりと云。太田入口。右に白鳥山梅照院 北野寺あり。本尊十一面観音。菅公の作と云。 鐘銘あり 太田より 瑞龍山へ一里半 太田法然寺は。蓮勝永慶上人の舊跡にて。上人 の像塔ともにあり。是瓜連開山了実上人の師 なり。樓門に時の鐘。本堂七間四方。外に観音堂 あり。太田町東西ありて繁榮す。鎮守八幡宮 の前より。右へ坂を下り。又道わけ有。右は棚倉道。 左瑞龍山道○小野村○右に白雲山旗桜禅寺 有。大桜三株有。康平年中。源頼義朝臣。興 州より帰陳の時。旗竿を此地に立しと云。康安 年中。佐竹義篤一宇を立。大澤山瑞龍院と 云。月山枢禅師を開山とす。正保元申年。府君 源成公。旗立古桜下に。今の寺を建給へり○ 瑞竜村の山は。水戸家御代々を葬する墳所也 右に長尾玄龍の屋敷有。御廟所拜見は。國 人拝礼を顧へる時ゆるしあり。總門の下に御 廟番詰居る。内々拝礼頼むへし。たゝし御廟塚 拝見の心なきものは。太田より此所へ来るに及ばず。 是より太田まてかへる也。又太田へかへらずして。行んと 大んわづ 思はじ。瑞龍村より右へ入。增井村正宗寺へ廻る べし。是佐竹氏代々の菩提所として。大伽藍 の禅寺なり。夫より稲木ときくへし 瑞龍より いな木へ二里 小野村に白さき大明神社あり。太田へかへり。八幡 宮の所より。右へ入。山の寺へ出る。此所は義公の閑居 し玉ひし地なり。文化の末。焼失跡御建立あり。 是より山づたひ。久昌寺へ出る。当山は本国寺一派 の觸頭。黄門義公御建立。母公久昌院殿の御 菩提所と定させらる。太田より是まて二十町。学 寮は寺より。四五町山中にあり。本堂町法堂 卅三学寮拝摩訶行庵役者なり いなけより 天神林へ十丁 三門總門を出。二三丁にて天神社あり。次に佐竹 寺二王門妙福山と云。観音は。板東札所也鐘銘に。 寛和二年。帝叡願によりて。玄財僧正開創し。十一 面観音を安置す。天文中焼亡。省尭法印代 源義公助発再興ありと云 天神林より 川島へ三十丁 大里神社。赤城明神社。右にあり。此間に渡有。 番外 常不輕山荘嚴院高仙寺 八間 瓜連三世。明誉了智上人起立。本堂 四方 堂の傍 に三の洞あり。窟内六。阿弥陀三尊。聖問上人佐 竹氏の合戦に。爪連久慈の。士庶多く。逃去時。此所へ 至り。直牒を著述の時。常不軽菩薩形を現し。 筆頭を照給ふゆへ。阿弥山を改号す。夫より前願行上 人。此所へ来りてひしけりともいふ。縁起別にあり。田 園十三石。国主より除地を玉へり 大人同人 川さきより 上岩瀬へ十八丁 番外 御城山 誕生寺 了譽上人誕生地ゆへ本尊とす。本堂社 六間 四方 ハ問川 別に弥 陀堂 二間半 四方 右にあり。此地もと城にして。了譽上 人の父。白石志摩守義元居城なり。はじめ光明 寺と云。黄門義公今名に。改られ除地七石余を 賜へり 上岩せより 瓜連へせ丁 ○九番之内 ○九番之内草地山常福寺 開山常阿了実上人。延文三戌年起立。門前に白 蓮塚あり。大檀那太田城主佐竹左馬頭義篤。法名 春山浄喜大居士なり。當寺領御朱印百石。總門 より二丁余 十二間 四方 四方 本堂 弥陀仏 中央文珠尊左了 本地堂 誉公右了實公 三門中門鐘堂 総門 前ニ下馬 札有 裏門 藩老山野辺氏歴世碑有此外略す 當山檀林の内なりといへとも。貫主向山に住せらる。 故に院代法務を司どる。外は前に出 塩子へ五里 磯辺村○志津村より志津大明神祭神ちから 雄の尊なり。社領百五十石。神楽殿拜殿。石坂の右 に神主斉藤式部の宅あり○下江戸村○向山村 ○舟渡あり○石塚村宿よし。水戸より烏山への本 道なり。宿中右に金剛院慎言次に佐久山薬師 寺あり。寺領三十石釈台天文丁未。領主。辰寿丸 三重塔。愛宕社 祈願所として。鋳鐘。本堂四十三重社 あり。中門右にくり有。大門より通ぬけ○青山村。 青山大明神。当国廿八社内なり。かさの宮。しづ大 明神は是より分社と云◯小坂村○下古内村○上 古内村○小かち村。此所に。水戸より笠間への道あり ○監子村。凡一里程の長き村なり。右に觀音への 道。十八丁。所より案内を乞べし。是まで瓜連より石 塚の外。食物なし。山は深からずといへとも。他国の 往来希なる故。至て幽寂の道。食物用意すべし しほ子大沢へ四里但し此戌木へ行は五里半余 村をすぐに行は。下野国茂木へ出る。是本道なり。予 は是より極ちる道を行○塩子村はづれより新 本道の坂あ 細道を左へ入半道余。下 道ときゝべし。 かり初の手前へ かり初の手前 野国あいだ村に出。山中の里。食物なし。是より又山 路にかゝる。坂八丁程家なし。此辺よく〳〵きくべし。凡 江戸を出しより。此辺を第一の嶮難所とす。深幽 の僻地雲水遠近に見へて。村落遠し。往客袖 希にして。鶏犬かたちを見ず。まれに樵夫商人に逢 て。方角をとふ時。東西空翠の山林をさす。たま〳〵 村翁里子に道路をきけば。南北遥隔の孤村をし めす。凡下野常陸両国は。他国の入客少し。地所 不毛にひとし。人。子を生に。多に至れば。是をまびく と名け。赤子を殺す。近世官より厳敷仰ありて。扶 持をたまはり。其悪を罸し給へり。故に常野の 間。村衰田荒多し。土浦を越て後。今日に至まで。 町つゞきをのけ。村々にては。土蔵あるを見ず。村中に 数家は。人すまずして。空草深し○熊田村○小山 村○明神の所へ出る時。茂木への道中をすぐに。又 山をこへ。真福地村に出。是より大沢へ一里余と云。 真福地村より。又小き山を越れは。大澤なり ごしやす 大人 番外 大澤山虎渓院円通寺 開山良榮理本上人は。名越流の高徳也。応永九年 船橋郷にて起立の時。大澤八郎左衛門尉。山林田 園を寄附し。十世中興良迦性海上人の代増子城 主。増子右衛門尉紀勝清。大檀那として。勅願所 となし。寺領田園附し。此所へうつす。上人は増子氏 の家老加藤玄蕃允の弟故なり。是より大に宗 風をふるひ。大檀林となる。所化集り法問講釈夏冬 断絶なし。故に本所霊山寺檀林中絶の内は。当 山を替て。其員に加入あり。其後替るといへども。今も 十八ヶ山にひとしく。縁山に寄託せること。白旗流に 同し。寺領六十石往年焼亡後。再興漸〻にあり。末 寺凡合二百五十余 十二間 本堂 四方 経蔵 方丈 鐘楼堂総門下馬札裏門 観音堂学寮十半 大澤より 真岡へ三里 表門を出。林の中を越○石岡村○中村○星の宮○ 此所に○喜連川への道有○次に原○鶴田村○東松 村○若田村○東郷村○橋の右に。大崎大權現。荒 かし大明神宮有 真岡より くけ田へ二里八丁 真岡宿繁花なり。入口。右に長蓮寺 寺領」 時宗。又 十二石 般若寺 寺領 十五石 天台宗。薬師堂をも兼帯す。此所 宇都宮への通りなり。是より八木岡村○石島村○く げた村と行べきなり。今は高田山へ参詣のため。宿中を 左へ越○西沼村○物井村○横町村○を過。原にかゝ 凡八丁 聞見ゆる。高田山ハ。嘉禄三 れば高田山の松原 四方程 六間 十三問 向に弥陀堂。 四方 四方 年。親鸞上人建立。本堂は 樓門二間半。総門の右に。寝釈迦堂庫裏有。 門前禁札は。天正十二年六月廿六日所建也。いせ一身 田兼帯。門跡一代一度。参詣有と云◯次に原十 丁余○桑の川村○阿部品村○くけだ村に。禪宗 芳全寺三拾石大地 結城ヘ三里 三丁程にて。谷田貝宿。此所はうつの宮への街道 町よし。大澤より真岡に至る。此所にて食物す べし。すべて真岡より。不自由なし。村つゞき山 なし。此町の中をきりて。西へ入○さかい村○笹山村 ○えづら村○中島村○渡し有。いづれも所の者に 道を問ざれば。遠近の損あり。是本街道にあらざれは也。 ○第十番 寿亀山松樹院弘経寺 開山団誉存把上人は。本飯沼弘経寺の八世也。多 賀谷修理大夫と。北条氏直合戦の時。寺を北条 の為に。焼れしかは。大檀那多賀谷氏の請にて。 下妻へうつられしかは。心に叶はずとて中島村に。庵 を結居られし時。結城中納言秀康卿。長女卒 去の時。道寸師に招かれ。其跡にて当寺を建立 下されし時に。もとの寺山号を用ひられ。かの方を引 移されし也。寺領五十石。霊宝多き中。貉聖教 有。当山いまだ飯沼に有し日。良正と所化有。二 世了暁上人の時。修ク学辨舌熟学。凡人の及ぶ 所にあらず。後異形顕れ。立退時残せし。聖教 なり。山主一代一度。拝せらる 開山堂 本堂本尊恵心作 三間 五間半 小方丈 大方丈 観音堂順礼尊安置 庫裏 観音堂順礼尊安置大方丈 鎮守三ヶ所 熊野秋 葉稲荷 三門宝冠釈迦 南都大仏五十 鐘樓堂地蔵石佛大佛社 分一釈迦像也 表門 結城家大手門なりと云今に紋所六ツ紋にしく 葵桐沢瀉左巴酸漿かぶ大根を附有之 もと十二 裏門くり門学寮 軒あり 禅宗 当所に結城山安穏寺は 五十石 ○天女山光顯寺 石是結城代々菩提所なり。又十丁余にて。乗 国寺 禅宗 五十石 あり。城主水野日向守一万八千石こ 五十石 の所紬名物 結城より 船玉へ一里 是より飯沼へ近道有といへども。田畑の中。わかちかた し。故に本道をしるす。永横丁通り○小森村○ 久保田河岸。此所にて鬼怒川を船にてわたる 船玉より 下妻へ三里 泊やあり○上野村○関本村○原あり○江村 下つまより 宗道へ十八丁 町合に。金佛大日如来二躰あり○井上内膳正 たて有石万町二通有 石下へ一里半 町にはあらねど家よし。此辺川ばたつゞき いしげより 飯沼へ三里 大法村○み坂村○花島の渡よりきぬ川を。又西へわ たる○横そね村○羽生村○法蔵寺は累が寺なり。 石碑。松譽不生妙繁信女。理屋松貞信女。單到 直入童子と有○すこし先に。かさ阿弥陀有。是い かなる病にても。かさなりとて。願を立れば。利益あり とて毎日こもり人あり ○第十番寿亀山天樹院弘経寺 開山歎譽良肇上人。應永年中。開基。上人ハ。名越 右馬允孫なり。其比大檀那。羽生彦八郎経貞。渡 邉豊前守吉定を始め。助力起立あり。その後多賀 谷氏陣所となりて。北條氏の為に。焼亡せしを照 譽了學上人。再興せらる此時東丸天樹院殿 御菩提所と定られ。寺領百石。御寄附。又永紫 衣仰付らる 本堂 十二間 金御紋付 大方丈小方丈 六間半公主 乃草牌所也 庫裏鐘楼堂御珠殿 薬師堂開山堂鎮守社并拝西 并拝殿 中門 此所に下 馬札有 坊中三ヶ院学寮製 数宇 總門名塚山より。北へ入。中門まて凡十八丁。此内八丁 に五佛堂あり。淨國院と云。又一丁めに地蔵堂 あり。遊岳庵と云。又三丁に常念佛堂称名院義。 又一丁北に袈裟かけ楓葉有。又一丁東松原の中に 愛宕山有。此社の向西に雷電社あり。此所横曽 根村境なり 飯沼より 長や川渡有リ三里 門前より右。虎嘯山○大江村○ねこさね村○此邉 むかしは皆沼なり。百年前より。新田となると云○神山 村○ひた村○長や川二里渡有。是まで道しれがたし。 村々入口。其外にて能聞べし 長やより 金の井へ一里半 荒ちか村○岡田村○此辺より。宝珠花への道あり。 すへてとね川つゞき流れゆへ。渡しすこしたかへば 道損あり。能村々の次第を。きゝたつぬべし 一金の井より かすかべ二里 渡しをこへ。左へ三丁程。又右へ廻る○小たいら村○ かなざき村。此所に茶やなどあり○上柳村○八丁目村 次に。かすかべの北のわかれへ出る。此所にて關宿通日 光街道と一ツになる 糟壁上 岩付へ一里半 慈恩寺へ廻れハ 半道余遠し 橋の南より。右へまはる○袋村○中曽根村○矢島村 ○此所より慈恩寺へ参詣道わかる。慈恩寺は天台宗。 坂東観世音順礼札所。本堂二王門。其外諸堂 多し。左に学頭の寺有○表慈恩寺村より岩付へ 入。入口に橋あり。左に城有。城主大岡主膳正。二万石。 宿中左に浄安寺。縁山五世了聞上人開起。御朱 印六十二石。又弥勒寺。大龍寺。其外寺院古跡多 し。次に加倉村 佛眼山英隆院淨國寺 ○第十二番 開山總誉清岩上人。鴻巣より。當所戚主太田氏 房の請によりて。天正十五年。當山を開基。御朱印五 十石。其後阿部備中守菩提所と定。萬治二年正 月。飛騨守。正保二年閏五月。内室正壽院共に 葬あり○仏眼舎利忌。毎年二月十五日法会 本堂 銅瓦十 三間 本尊阿弥陀佛安阿弥作 大方丈庫裏鐘楼堂 開山堂鎮守殿佛眼舎利堂 坊中 中門総門あり 学寮 其外悉略之 岩付よ 鴻巣へ三里 加倉より。田畑の道を右にとり○深作村○丸ヶ崎 村○瓦吹村○原市村○二ツ宮村○上揚尾村是より 中仙道の通へ出 天照山良忠院勝願寺 ○第十三番 開山勅謚記主禪師然阿上人良忠大和尚なり。禅 師始。執權北条武蔵守平經時朝臣の請により て。蓮華寺を鎌倉に開基ありし時。当国箕 田郷を寺領に寄附せらる。東蟹其後師領地 に下り。普く念仏を弘通せられ。当所松岡に一 宇を草創有て。始の宗法相の師範たりし。 勝願院良邉僧都。報恩をもかね寺号とせらる。 夫より數百年遁世の先哲祖跡を仰き。雨露の 荒廃を凌きけるを。総誉清岩上人。天正中此 地に引移起興せられし時。岩付太田十郎氏房 の請により。かの地浄国寺を草創有て。当山 を高弟円誉不残上人に。譲與せられしかば。残 公は常に 神祖の御帰依も他にことにて。遂に再中興の職 にすゝみ。紫衣を賜れり。境内五万三千坪余。老杉 直画立梵閣をかこみ。翠影交接行客をへだつ。 領三十石。牧野家伊奈氏等の墓あり 寛永十五寅年 本堂 日誉上人再興 本尊弥陀三尊 鐘楼 文応永乙亥七月鋳所にしく結城中務大輔法名聖潮 令嗣弾正少弼基光の寄附結城正受庵の鐘をかく 金間 大方丈 御紋 小方丈 銀間 御紋 獅子廊下何れも中納言秀康卿の殿を賜りし也 二王門開山堂此左右皆筋築地塀 下馬札 総門下馬丸に栴檀林の額をかく是より門を入る こと三つなり こと三ツなり地蔵堂別院学寮坊 中有略之 かうのすより 忍行田へ三里 かうのす○箕田村。此所右に吹張山観音堂有。 渡邉源次網の守本尊と云○追分より右へわかる 此節○みつき川づら村○とび新田村○つゝむね村 ○右埼玉道有左へわかれ○ひの上村天神社有○ 下忍さま○荒町○中丁○下町城は左へ入城主阿部 真言宗 銕丸砂万當所に遍照院と 三十石 清林寺 下三十石 禅宗 千石川 禅宗 三十石・ 長教寺禅 長教寺 大長寺坊等の大寺有○此所毎 三十石 月一六に市たつ をしより 新郷へ二里 町を出はづれ桜馬場○をみ村。右に真観寺鎮 五石○荒木村○荒木村。天神社有○住吉村 しんごうより 舘林へ二里 町あしく○別所河岸に。御聞所有。女人を禁ぜ らる。荒木よりすかへかゝれば。關にかゝらず。道ここに 近し。利根川を舟にて渡れば。川俣宿。茶屋多し ○大讃岐村○矢島村○青柳村○子桑原村○新 宿村。次に館林江戸口也。城を尾引の城と云。城主松 平右近将監當所名。荒方ハ。谷越丁。足利丁。大宿 丁。紺屋丁。新丁。立丁。材木丁づかは丁。かち丁。連雀丁。 肴丁。片丁等なり。此内に愛宕山別當興藏 ○聖天社など有。この地 院○舘林山長福寺時○聖天社など有。この地 より。東北の方へ半道に。つゝじが池有。幡随上人 龍神済渡の霊境なり。其北に巨法山善長寺 り。 あり あり 禅 井文六郎開基なり 宗 宗 ○第十四番終南山見松院善導寺 始當所。土橋村に有て。建治年中。白旗流祖寂 恵良暁上人開創なりしかど。星霜移り退転 にひとしかりしを。幡随上人つゝじが池にて。龍神を 降伏教化ありしかば。再び叢林となりしを。慶 長年中城主榊原式部大輔康政。大檀那として 興隆あり。今も北条氏照禁制。山角紀伊守下知状 等。寺宝にあり。御朱印百石 本堂 本尊弥陀ハ由良信濃守源国繁願仏なり 天正十七丑年八月法印能源の記あり 開山堂庫裏三門 三門の前に有 不動堂 常に参詣多し 両所共に下 表裏門 馬札を立 榊原家松平家廟塔此外寺中あり略之 たて林よし 石打へ二里 太田口より。畑道をたどり。松林を越○高根村○ 是より右は。足利道左へわかれ行。諸所へ分道あり。 多くは。右足利道下野道なり○つゝら村。天満宮 有是より。右へ道をとる。左は中野 石うちより 太田へ二里半 茶屋 ○明塚村○新島村○新島村○新島村○新島村。次 あり 八重笠村○龍舞村 に太田なり。宿長し。毎月三八に市たつ。日光例幣 使道。高崎よりわかれ来れる。海道なり 義重山新田寺大光院 ○第十五番 下馬札 開山 大門より十八丁入。下馬橋まで十丁余。下馬本開山 然誉呑龍大和尚。則ち観智国師の高弟也。抑 当院は。慶長の始。御曩祖新田大炊助義重御菩 提所の。古跡たるによりて。国師并両使を差添。御 尋究の上。開創させられ。鎮守府将軍を贈らせ。 龍公を開山第一祖と定め。紫衣を賜り。山林 田園。三百石を御寄附の上。諸堂を建立なし たまへる霊境なれは。御当家御先祖御菩提 の第一と。謂へきものなり 本堂 東南向十六 間四方 鐘楼 御神殿鐘楼 開山堂 龍公の霊験多しとて 平日参詣羣集す 庫裏其外 大坂落城の日此門落成 中門 せしかは吉祥門と称す 義重公廟墓 石玉垣 石燈籠 此外略之 太田より 熊谷ヘ六里 町中を南へ入。田畑の中道を越○飯田村○飯塚 村○矢島村○高橋村○古戸村にて利根川を 舟にてわたる。上野武蔵の國ざかひなり。此所西北 に。赤城山。浅間山。妙義山。西南に。秩父の峰〻 遥につらなり。蒼色翠岱奇状風色雲霧断 烟くまどり見へて。一瞬のうち。一時の景にこも りて。詩客は吟賦に意をわすれ。歌人は詠語 に筆をたゝんか。況や南東の地。田畑ひらけ茅 屋の軒の松。荒村の鶏犬に至まで。眺望を 添ずと云ことなし○めぬま村。右に聖天堂 あり。彫工巧をきわめ。花柱象鼻。近郷の壮 観なり。門前茶屋商家多し○弥藤村○ 上根村○西村○下奈良村すべて此辺田中の 條路。遠寺の鐘を。数里にちかづけきゝ。雪朝 の幽景。遥におもひやらるゝ風色なり○柿沼 村○肥塚村○次に熊谷横町へ出。門前町欲 寺の大通よりすこし左 番外 蓮生山熊谷寺 次郎直實。初三百丁を領し。私黨の旗頭と なりし後。右大将家に随ひ。宇治一谷を始。 当時の九万石に あたる此内二万石 武功多かりしかば。父子合九千町は ハ直家一 乃領 を領せしかど。宿縁の催所か。元祖大師 に帰依し。剃度入道し。一心称名の行者と成 東国に念仏を弘通し。宇都宮頼綱をはじめ。 大名をも勸諭有しかば。大師も坂東の阿弥陀 仏蓮生法力大法師と。めされしとぞ。当寺は。そ のかみ大手成しに。庵を結び。子孫へも念佛を遺 大きる 状に書あたへし。旧地なりしかぞ。世〻の戦に 荒廃せしを。慶長年中幡随上人。再び里民を さとし。旧主の恩光をのべ。専修の功深きを 説示されしかば。遂に一浄刹となれり。其後 東照宮にも入御まし〳〵。寺領三十石外に祠堂 金などたまひけり 南向 本堂 十五間 本尊の西に安置せる蓮生の 像は自作なり開帳料百銅 本堂の 西隅有 △蓮生敦盛乃石碑 地蔵堂 八閻魔堂鐘楼堂總門 熊谷 鳥居熊谷 弥三 燈籠 中門稲荷社本社拜殿 左衛門稲荷と云霊験いち じるきとて毎日参詣多し 毎月二七市たつ○大門をすぐに南の横町へ 入る。是往古鎌倉より。上野下野への本道なり 熊谷より 松山へ三里 此川江戸両 ○村岡村○上恩田村○ 荒川を渡り 国の川上なり 和田村○上岡村○此所に妙安寺雑馬頭観音 平生参詣多し 堂あり 此邉。諸所より秩父觀音 門前茶屋あり への道有。凡三四里と云。ゆへに山遠からずして。 積翠ちかくうかひ村ちかくつゞきて。茅屋烟を たつ○兜山村○平村次に。松山なり。宿より右へ 五六町入。箭弓稲荷社有。近年靈驗有とて。 近村遠里江戸までも。月参多し。門前茶屋 多くならぶ。通ぬけ宿のはてへ出る。天王社○氷 川社など有 松山より 紅草へ三里 右ハ野中 右ハ野中 道を左へとる 道といふ 道といふ 柏崎村○古氷村○友田村 ○南戸守村○中山村○此邉田畑交りつゝき。青梅 秩父甲斐などへの関道あり○次に江草村 大人わる 江くさより 川越へ二里 福田村○あじろ村○しだり村○宿領村○下五ヶ 村。次に下町より。北町とつゞき城下へ入○高沢丁。 西大手丁。江戸丁○城主松平大和守 ○第十六番孤峯山宝池院蓮聲寺 大道寺駿河守政繁。母寶池院蓮譽大姉。菩 提のため。政繁開基す。聞山感譽存貞大和 尚。則山角氏の子。政繁の従弟。是観智国師 の師範なり。故に開創の時は。そこばくの地を よせられしかと。豊太閤。北条家征伐の後は。い さゝかの。寺領をのこされけるを 大神君御朱印に改め賜へりされど豊公も寺 門の由緒を聞届。禁札を下さる。北條家。大道 寺氏。山角氏の寄附あまたありしかと。宝永 四亥三月。享保二酉十二月。安永三午十二月。と數度 の回禄に灰燼し。当今伝ふるものまれなり 度〻焼失当時堂ハ 本堂 廿二世就誉上人再建 鐘 同断 十五世称誉上人代立 地蔵堂閻魔堂五智堂 熊野官秋葉社辨天堂 加祐稲荷社中門総門下馬札 坊中学寮有。こゝに略す 川越より 八王子へ九里余 町を南西へ出はなれ。原道二里半程あり。次に 是まて ○一本木村○此 入間川舟渡○扇町屋村 三里 所江戸より青梅への海道なり此西に大嶽山 有二里の箱根崎村 有二里○箱根崎村心理はへ島村二野○さ入村○ お崎村○次に渡有り。是玉川の上水なり。次に 八王子。西北の横丁へ入 だんまん ○第十七番觀池山往生院大善寺 開山讃譽牛秀大和尚。はしめ瀧山村に開起 あり。天正十八年。北條陸奥守平氏照。没落の 後。此地へ引うつす。故に古名によりて。当山の地 名とす。瀧山村は。是より二里西北の方なり○ 寺領十石。後に新境内を賜れり○津戸三郎為 守墓所あり秀師は立川能登守子なり 本堂 東向十三 間四方 方丈庫裏 観音堂鎮守社 樓門上に鐘をかく観音堂鎮守社 南北の二寮其外略之 御朱印 十石余 大門のむかひに。極楽寺有りば ○八王子。横 山宿。八幡宿。など合せ三千軒余と云○甲府迠 第一繁華地。毎月三八に市たつ○是より鎌 倉へ道二ツ。藤沢戸塚いづれへ出ともよし 八王子より 片倉へ一里 かたくらより 打越へ半里坂ぢゝ うちこしより 小山へ一里 小山より 小山田へ半里 小山だより 木曽ヘ二里 木そより 原町田へ二里 原町田より づるよへ一里 つるまより 長ごへ三里 原丁田より 二ツ橋へ二里半 二つはしより あくわへ一里 てうごより 藤沢ヘ二里 あくわより 戸塚へ一里 戸塚へ出ば。鎌倉へ三里。本道なり。藤沢へ出れ ば。江の島へ廻りてよし○今藤沢の巡路を記 す。藤澤山清浄光寺は。元祖大師四世。西山国 師高弟。聖達上人の上足。一邊上人を。遊行十二 派の祖とす。其弟子他阿真教上人の開基。縷 たんわん 本寺なり。寺領百石。本堂。方丈。二王門。其外大 厦。高樓。當國第一の靈地なり。小栗堂。其外名 所多し◯門前の川にそひ南東へ入江の島へ 一里。江の島辨才天。諸人の常に参詣所ゆへ。笑 に記さず。夫より鎌倉へ二里。かまくらも又人の知 ところにて。諸書に出れば。こゝに略す。七里浜切 打つたひ稲村より切通をこへ。長谷寺観音堂 御朱印地 下馬札立 下馬札立 前へ出。別当慈照院。慈眼院。 光明寺 末なり。次に大佛清浄泉寺。高徳院は。關卅 三ヶ国。總国分寺なり。是も光明寺客末なり。 ゆいが浜づたひ十八丁なり。本堂の屋根。うし ろの山ちかく見ゆる 天照山蓮華院光明寺 ○第十八番 開山勅謚記主禅師は。後嵯峨院深草院の戒 師なり。時の執權北條左近将監平経時。初め 佐介谷にたて。蓮花寺と名く。後光明大師の 出現竒瑞によりて。寺号を改め。方丈を蓮花院 と称す。八世観譽祐崇上人の時。永世紫衣を 賜り。十夜の法要を。洛陽真如堂真正極楽 寺よりうつすべきの。綸言を賜へり。修する所の 引接。弥陀経念仏は。慈覚大師の将来なり。近 来観徹上人十夜を中興せられしより。本朝無 二の。大法会となる○凡当山は六派の根元地たる ゆへに。数百歳を経といへども。宝庫水火の愁沈 に至らずして。其儘什器の残れるは。実に規 光と謂べし 西向十三間四面 本堂 記主禅師を安置 同し並び十二間四方此 堂にて常念仏修行 弥陀堂 大方丈小方丈庫裏 ごし 大人わん 三門 勅額 天照山 祈祷堂額辨天堂 経藏鐘楼一 所鋳 ▲経藏 元弘中 総門 千手院蓮乗院学寮数宇 此外。岩穴の上に。地蔵尊を安置す。又宝庫は 山の半腹に立。うしろの山を。天照山と名く 龍燈松あり○内藤氏延岡侯湯長井侯の 墓所。南の方にならぶ 寺を出八幡宮まて十八丁。これより戸塚へ出れば 三里。東海道なり。建長寺。円覚寺。等の大 伽藍を拝参すべし。もし金沢に廻らんとせば。 朝比奈の切通ときくへし。杉本觀音浄智 寺などに詣べし。金澤へ二里。瀬戸明神の前 より。能見堂にかゝり。坂を登り。称名寺を。右に とりて。程ヶ谷まで四里余。程ヶ谷宿へ出 れば。東海道にて。江戸日本橋まて。六里余 或。此記によりて拝参をまく。予に問て。寺の 大小いかゞと云。予。示云。夫我宗は。もとより沙女 婆をかりの宿りと教へて。専ら西刹の浄土 を求む。祖徳皆其志に住し。他の禪台言な どの宗のごとく。伽藍を美景につくり。山を絶 勝に撰ひて。寂光の淨土と即するに異也 われらが愚盲無智短才のまゝ。本願名號に すがりて。念佛の功をかさね。臨終に紫全の蓮 台に。託生すべきを教導せる。知識の建開なれ ば。他宗の美園をもつく。厭欣の宗風に。混 ずる事なかるべし。云云 詠哥をとなふる時の廻向文 光明遍照十方世界 此文をとなへ 念仏を五十 一・・ 大んりん 念仏衆生摂取不捨返となふべし 次ニ 先祖代々一切精霊速証菩提 次ニ 両親眷属二世安楽及見聞覚知 有縁無縁法界一切衆生平等利益 次に 極重悪人無他方便唯称弥陀得生極楽 次ニ 願以此功徳平等施一切 同発菩提心往生安楽国 もしおいづるをもちひんとおもはゞ 年号月日同行何人 天下和順 奉順拜関東十八檀林爲二世安樂 国豊民安 国所地名名誰 又しよいつゞらを負ゆかばうしろの札 天下和順年号月日 奉順拝浄土霊場檀林関東十八ヶ所二世安楽欣 國豊民安何州何郡何村誰名 心得の事 一十八ヶ所の外にても大地の寺へまいりては 十念をねかひ寺主を拝すべし 一梅干塩手ぬくひたび扇はなかみ やたてなどは用意すべし 一船渡あらは其心にて川手まへにてやすむ たんまん べからすとまりも其こゝろへあるべし 一在郷の道にてしれにくき時は前夜のとより にてきゝあはせ一村〳〵にてまよひ道のあり なしときゝべしさなき時は道にそんあり 一道中にては心をやはらけ同行たがひにけんくわ 又ははら立なとすへからず道すからいかやうなる 事ありともやすらかに心えとかく念仏日 一課を第一とせば万事さはりもあるへからす 右の外其身の分限に応し用心すへし 心におもひ念仏増進の心え 抑。われら生々世々。生死の海に沈み。夢の世の 中にありなから。人をうらみ悪事をかさね。五戒 十戒をたもつ事もなく。いつはりをいひ。物の命を とり。人のものをほしがり。よきをねたみ。あし きをあなづり。たからをむさぼり。色を愛して。少しも 善事をなす事あれば。まん心を起せり。今この 檀林をめぐり。其本尊に罪障をさんけし。道 にてとなふる念仏をもて。滅罪生善の一助とす。 さすれはつらさをもしのび。心を柔和にもち。善悪 をおもはずして。唯名号をとなへ。浄土往生の 為にせんと一心に帰命し二世ともに弥陀に まかせ奉らんと。三心を具足し四恩を報し 五々の菩薩の来迎にあづかり。六道をはなれ。 七宝の国にて。八徳池の九品蓮上に。十方の 仏を見奉らんにおもひ念仏すべし。 緑山北渓 在心室藏 ぐし◯ 大 13809 ふつし 弘所芝神明前和泉屋新八 の一冊子 士の筆眼を 一二十一一二二七一一一二 □□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□