水鏡註目無草
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- 一休宗純
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- 場所: 皇都
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- 一休宗純
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- 日本語
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- 丸屋市兵衞
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- ミズカガミノチュウメナシグサ
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- 東北大学
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- メナシグサ : イッキュウミズカガミチュウ
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目なし草
宿川丁
一休水鏡注
目なし草
以テ購入セル
外馬事吉原村諸
水鏡注目無草序
十四丁目
此一巻は一休和尚の法語水鏡なり其
本意を尋ぬるに人々生得の平常の身
心にて其まゝ善事を知しめんか為也二百
年以来世にもてけうずるといへども其心の
まことをしる人まれ也我こゝろみにこれを
いはん百なり千なりもと是夕顔またある
人富士の山を画て一休和尚へ讃を請則
巨なし
山のくまどりに墨の土ぼ〳〵付たるを見て
筆を凌ていはくぶつ〳〵と五ッ六ツ六ツ我もまた
不レ知と也何をか五ッといひ何をか六つといふ
三世の諸仏も是より出世界衆生も是より
おこる一休和尚も是をしめすに不知といふ
不知といふも鈍レ賢知といふも賢鈍けん〳〵
どん〳〵なるも更にあたらず何れの処に
向て口を。手かんこれは是百なりとせんか又
夕顔とせんかたゞひよんなる事をいふて人々
のめをさまさんがため也此文はづかのかな書
なれ共理をきはめ性をつくしその道の
たかき事九天の上にあまり其心の深き事
九地の下に過たり儒釈道の三つの教も
いたる処はみな此うちを出ず一休和尚唯
一言にいひ尽し給ふ此文に註をくはふる事
大海をほさんとするより猶かたしたゞ青天
に雲を起すがごとし然共みな人たちの此文
を見て邪見外道の思ひをなしと直にいき
仏となる教の文の心を不知人々むなしく
うれへとなさんことのあさましさに心の行
はし〳〵かき付れ共其理なを違してこまや
かならずいよ〳〵又人の邪見をなさん事を
恐る此文を水鏡と名付る事は所謂人々
の生れながらに正路なる事をたとへて以て
いふ也ゆへはいかなれば水にさだまるかたち
なうしてしかもうつはものゝしな〳〵によく
応じてかたちをあらはす人の心もその
ごとくさだする住所なうしてしかもその
こと〳〵に能応じて住せぬ所もなしゆへ
に此意を得たる人はつねに水の如くにして
あまらずすくなからず物に能応してあと
なし又鏡に色なうして品々の色をうつ
因なし
すしかも其色は鏡にして更に色にてはなし
心も其如く思ひなうして様〳〵の事を
一分別するしかも其分別は則本心にして更
に思ひにてはなし迷の人は心の鏡を見ずし
て色と思ひとを見るゆへに百千万の只
ひ有てつねに苦みやむことなし頓に心の鏡
一を見得すれば千塵万境直に鏡にして塵
一境二つなく永く生死を離て更にさまたげ
なし此故に心を水鏡にたとふる也諸人かく
のごとく修行して安楽になれとの事なり
こゝをもつて此文を水鏡と名付たり此巻
一のうちに仏性とも菩提とも不レ説かへつて夜
一熱を謗給ふ事のいかんなればもとより自性
はひとりほがらかにして取事を得ずすつる
ことを得ざる也かくのごとくなる事をしらす学
人おほくあやまりて勺をとめ名をとむしを
こと葉は似たりといへ共内心はあくまで五逆十
悪不忠不孝の思ひやむ時なしみなこれ
法病によるが故也一休和尚人の法にまどはん事を恐て
不レ説へつて仏法くさき事を謗給ふ也因レ茲此文を
世に狂がるやうに思ひて肝要の法病をすくふ事をば
かつて不知也伝聞昔善星十二分教を解すれ
共非なる則生身に地獄に陥龍女下品下愚なり
といへ共是なる則立処に成仏す何をか是とし
何をか非となす妙道を見を是となし不見を札となす価
仏道の教果ことばは替といへ共迷妄をすくふ意趣は用一也
然時は一休和尚の釈迦を謗給ふも末学の法病を
すくはんためなれば此方便も亦よそならずこれ
をいはんとすれば本意にたがひいはざれば
又理にそむく此ことはりを見きかん人のわらひ
ぐさのたねにもとこしをれをつゞりてかく
いふ也もし人々此哥の心をしらば文の
なし
まことをも見らるべし
世の中はしろくろあかくうつりゆく
かゝみひとつはもとの身にして
山はあをく水はなかれてしろけれと
そのまゝもとの色にぞ有ける
此うたを見んと思はゞ耳にみて
目にてよろつの聲を聞べし
水鏡注目無草上
四十四
きみがちとせをへんことも
あまつをとめのはごろもよなふ
きみとは諸人なりいふこゝろはたうの
げんそう皇帝の御代にこうゑんといふ
一人じゆつをなして目の前にくうでんろう
よくをなしをとめをくだして羽衣の
国なり
きよくをなさしむげんそうけうにたえたり
しば〳〵もなくきえうせぬとふるき文にみへ
たりしからは千とせをふる共夢のことくにきへ
一んとの事かまた四十里四方の石をはごろも
にてなでつくすといふ効石のたとへあれば
ひさしき事か見る人の心にまかすべし
ばんぜいましませいはふがうへ
注
此ふみをよく見てながく生死をはなれて不
老不死の身となれとなり
我見ても久しくなりぬ住よし
のきしのひめ松いく世経ぬらん
われとは大明神なり住吉のきしとは苦し
みをはなれたる彼岸をいふなりひめまつ
とはみやびやかにしていつもかはらぬときはの
見どりの松なりいふこゝろは天地のいまたはじ
まらぬさきの神代のとき大明神かのきしの姫
まつを見てかくよめり此神代の時といふは
蛙なり
つねに私なき心胸也ひめ松といふも人々
ぐそくの本智也松はみさほにて四時しぼ
まぬ物なるゆへにたとへてかくいふなり今
も身をひめ松になし得れば不生不滅に
して変ずる色なく苦ながくはなれて
彼岸にいたりて安楽なるべし諸人此こと
はりをしりてひめ春になれとの事也大明神
とは文字におほきにあきしかなるかみとかく
神とは心なりくらきまよひの人をあきらか
にする神也又一説にひめ松が変して大明神
となりて。此歌をえいぜしともありこれを
しらせんためこの古歌をひき給ふ也
目なしどち〳〵
注
目なしとは人々具足の自性也自性もと
よろつの見をはなるゝがゆへにかくなづけたり
もし仏を見法を見心を見有を見無を見
一本を見末を見すべてなにゝても一みぢんと
ほとも見る事あらば目ありにして目なし
にてはなし本より名もなく方かく所も
国なり
なくしかも天地にさきたち万物に遠くれて
古今来変滅なく色かたちならして千
の色万のかたちにあらはる是世界国土の
ありとあらゆるものゝ本源也これをかり
に名付て目なし共仏共真如共あみた共
一観音とも本心とも本智とも自性共云
これをしるを仏になる人共さとりの人共
いふなり釈迦一代の経文もみな此目なし
とのゝ事を人々にしらせんがためなり
一楞厳経に阿那律陀無レ目而見と説給ふ又
同経曰阿那律陀白佛言我不因レ眼観二見十方
精真洞然如レ観二掌呈一如来印レ我成二阿羅漢一云云
一佛六圓通をとき給ふ是其一つなりこれによつて
此註を目なし草とは名付たりどち〳〵とは
たつぬることばなり
こゑについてましませ
よろづの音聲を聞ものは何ものそとあけ
くれすてをかすたつねなはつゐに目なしに
尋ねあふべしかくのことくしてたつねあひ
四十一
たる人を観音共名付たり観音とは文字
にをとをくはんずるとよむ観音円通の門
とて廿五のほさつの中に第一のぼさつとは
するなり
そも〳〵みな人たちの悟とやらん
いふことを悟る習はじめに父母も
なきとつと以前の我身は
何ものぞいへきかんと云
ちゝはゝとは天地のことをいふとつといせんとは
我心の有とも無とも天共地共我共人とも
何共少もわからぬさきといふことなり生れぬ
さきとばかり思ふべからずもし生れぬさきと
思はゝ千とせに及ふ共しるべからずわが今まで
なき心の何そおこる也おこらぬさきには其おより
たる心はいかやうになつてゐたそとかくの
ことくこゝをもつてしらは生れぬさきをもしる
べし
何としてしらぬことか申さるべく候や
只へんてつもなきものなりと思べし
しらぬことゝはすなはち目なしの事也
目なしはよろづのものにはなれたればへん
てつもなきと也是目なしをいひあらは
さんがため也然共ひとへに又しらずしてなき
と云にはあらすたゝ有共無共おもへばはや
へんてつが有ぞ
たとへは吉野初瀬の花もみぢ
いろ〳〵に咲てちりて又もとの
根にかへるがごとし
わが心の色〳〵におこり又なくなる事を
たとへたり其心のおこり又さる所をよく
しるべし色〳〵に心かおこりさるは何ものか
するそと急々にまなこを付て見るべし
それこそ則目なしよ花も其ごとくさきてちり
てなくなるなり花のさく時是何のしさい
ぞちる時是何のしさいぞなくなるは是何の
しさいそとしらせんがためなり花を見て
花の心をしらんとせばおほきに棒をあげ
て月をうたんとするがごとくよつてもつかぬ
ことなりわが心のうちにて花の心をも天地
の心をもあきらかにしるなり其證拠には暦
に四時のうつり月日のはこび日しよく月しよくし
まで分盤もたがはざる也いにしへの聖人
なればとて天の外地の外まてめぐりあり
きて見るにはあらずたゞ我心の絵図を
見てしるし出すなり其たがはざる事を
もつてしるべし
本来もなきいにしへの我なれは
死行かたもなにもかもなし
いにしへも今もかはらぬわれなれば
目なり
われといふべきことのはもなし
世の中のよめがしうとにはやなれは
人もほとけになるはほどなし
たつなみもたゝぬもおなじ水なれは
一人もほとけになりやすきかな
ゆく水にかずかくよりもはかなきは
仏をたのむ人の後の世
いしのひの火よりもはやき仏めを
たのむとなどかおひやつくべき
とへばいふとはねばいはぬ達磨との
心のうちになにかあるべき
へつの事なきそといふもはやそむ〳〵
つゐにいひえぬたるま一休
こそをつき地獄に落る物ならば
なきことつくるしやかいかゝせん
しやかとのゝ心はきやうになき物を
たこりをとりてぢごくにそいる
世の中の人のこゝろの仏なれば
しやかやあみたのはれわたす哉
しらざるはほとけも人もおなじこと
さてこそ人のまよひこそすれ
極楽も地こくもしらぬ思ひてに
生れぬさきのものとなるべし
ごくらくもぢごくもしらぬこゝろめを
とりえてけふぞもとの身となる
人死るといなややきもしうつみ
もしのけてなくなると思へば又も
なくならすしてたましゐといふ
もの来世とやらんへゆきあらおそ
ろしやゑんまわうが手にわたり
なばしやばにてつくる罪をくろ
がねの帳に付てをき見に見せ
て是ほどの罪人也かしやく
せよといふとき
ゑんまわうといふは目なしとのゝ第一
のしんかなり少もわたくしなうしてよく
善悪をあらためわかつなりよきことをな
せばよきこときたり又あしきことをなせは
あしきこときたる也はやくかをそくか其
むくひかたちにかけのしたがふがごとく毛頭
〇丁
もゆるさすつゐに来らすといふことなし
是をくろかねの帳といふ是春なはち人々
の身にそなはりたる因果れきぜんの道
理これを名づけてゑんまわうといふ也
五色の鬼とのか請取て舂にて
つきころして又みにてひて人
の体になしてしやばにて罪の
おもきほとかしやくすと云
五しきの鬼とは五蘊也是も目なし
とのゝけんぞくなり常に私有ていたつら
もの也かしやくとは我心に目なしといふ
主人のあるをば夢にもしらず下人のいた
つらものをたのむによつてよしあし何か
とうたかひかなしみよろこひはらたちなと
するゆへに其悪か彼くろかねの帳につくる
かことてきかとありてあしきことのみ来る也
是か則かしやくなりたゞおほくの人この
いたつらものゝ下人をたのむによつて苦し
みをする也たのむとは五うんをわれと
するをいふなりたゝ主への目なしとのを
しらさるゆへなり
又さるものゝいふはどくやくへんじ
てくすりとなるなればつみの
おもきは仏にやならん
いふこゝろは目なしとのにあふたる人は我
則目なしなりとしるこれを仏になる
人といふなりその人は経念仏難行なと
もなさず何の思ひもなき也経念仏なと
すこしも心にかけぬゆへ。に罪のおもきは仏
にやならんといふらんりんさい大師の云
一造二五無間業一方得二解脱一と云々五むけんの
ごふとは父をころし母をころし仏の身
より血をいたし和合僧をやぶり経像を
やく是をいふなり父母とは天地有無也
ころすとは取さるをいふ仏も経像も共に
ころしてとらざる也解脱とは一切の迷を
くをさけはなるゝをいふなりいふ心は修行
の人仏をもとめ衆生をきらひ有むにかゝ
はるうちはいまだまよひ也それをみなころし
はてゝとらざる人を仏に成と説給ふ
なりゆへに罪のおもきはほとけにや
ならんといふなり
つくりをく罪のしゆみ程有ならば
ゑんまのちやうにつけ処なし
ほとけをも鬼をもころす悪人は
ゑんまわうとてゆるすべきかは
よく物をあんするに地獄も遠
からず鬼といふは瞿曇也一代
蔵経はみな人間をいためん
が為なりあらにくの釈迦との
や色〳〵のこそをついて置て
ぢごくも身心にありくどんは釈迦のかへ
名なり釈迦いろ〳〵の経を説をかるゝゆへ
におほくの人々其経の文字の道理の如
くに心得まよふがゆへに地獄の苦を受る也
それをたがとへばよしなのとはず語や
いふこゝろは一休しやかをたらふくしかれ共
我もまたそてもないことをいふたと也なせに
なれば経のもんじの心を以てまよひをしら
すは何をもつて此あることをしらんや八万
一余経千差義別なりといへども見聞覚知
の四つを出す其四つのうへに置てながく
四つをはなれたるを経の文字の心といふ
なり一休和尚経をそしり給ふは人々に
もんしのことく義をとりてみだかにふん
べつさせましきがためなりしかるに一かうに
しなし
経をすて見聞覚知の外に仏をもと
めば是すなはち邪見外道なり人の
邪見をおこさんことを恐れて又一休和尚
みつからよしなのとはすかたりやとのたまふ
なり釈迦をしかりてせんもなきことをいふ
たとなり見すや法華経にいはく舎利弗
云何名諸仏世尊唯以一大事因縁故出現
於世二諸佛世尊欲令衆生開二佛知見一使二佛知見一使
一清浄一故出二現於世一云々知見とは見聞覚知
なりこゝにりやくして聞覚をとかず関とは
見聞覚知をすなはち仏の光影なりとしる
をいふなりしかれは見聞覚知の四つは一代
蔵経の要文なりこれをのぞいてべつに
修道なし猶ひらくとはたとへはまよひの人は
あしき夢を見てくるしみかなしむが如し
そればかたもなき事なりと人のいへとも
きゝいれすもしまたきゝしりがほにして
いふわれ今頓にゆめさめてくらきにともし
ひを得がごとく万法あきらかに見るといふそれは
もいまたねことにてゆめなりよく夢のさめ
しなし
扉なし
ぬる人のいふは我はしめよりねむらざれは
ゆめなしなんのさむるといふ事かあらん
其ごとく生得まよひなきをしるのみにし
てかつて得る事なしかくのことくなるを仏
知見をひらくといふなりまよひの人は見
聞覚知をはなるゝといへば一かうにすてゝ
外をもとむはなれすといへばまたとつて
みたりに分別する今こゝにこゝろみにとらず
すてずのことをいふゆめのうちの人よく
きけたゝ榎の木でつくるつちぢさうか
ねことをいふを見よゑいさら〳〵のくるま
のをとに目をさませ
釈迦出山語にいはく
出山とはせそん山に入六年端座工夫熟
して明星を見て元来まよひなきことを
さとりて山をいで給ふをいふなり
一仏成道
一たび見聞覚知を自性のひかりなり
同所
としり得れば万法帰レ一一もまたまたまたまもらずかく
のごとくなるを仏の妙道を成就すといふゆへ
に成道といふ又仏の知見を写ともいふまた
目なしになる人ともいふなり
観二見法界一草木国土悉皆成佛
いふ心は釈迦目なしとのとなり得て天地万法を
観じみればこと〳〵くみな目なしとの也と説給ふ
草木さへ仏になるとなれば人
間は云に及ばずむかし〳〵あつた
と釈迦阿弥陀もみな仏じや
といふたとしたがうそをつかれ
たとなふ
いふこゝろは釈迦目なしのことをくらにしら
せんとてあれにたとへこれによそへて色
納蔵し
母なり
〳〵さま〳〵にいはれたれとも見まく人其
心をしらずしてことばの義理ばかりをとる
によつて一ことはも目なしとのにいひあてら
れざればみなうそなりまたあるものゝいふ
はうそをいはずば仏とはせしとなり方便
のうそはみな実なるがゆへなり
うたふもまふものりの聲
さればとてことばをひとへにきらふにもあら
一ず風の聲水の音までもみな目なしを
あらはすなり人のことばとてなどべつなら
んそのほか身にふれ目に見耳にきくなとの
こと天地月日うみ山にいたるまてひとつと
してのりのこゑにてなきものさら〳〵
なしゆへにうたふもまふものりのこゑと也
柳はみどり尤はくれなゐ
いふこゝろは目なしとのひとりにてよく
それ〳〵しな〳〵にわかるみ也自由なる
にさと也もしわからずして一めんならば
同同
目なしとはせしせんあくなくしてよく
せんあくをわかち万の物にはなれて万物
とともなひ分別なうしてよく分別し
見きかずしてよく見きて是何のゆへな
れば目なしとのゝ生国無住の国の人なれば也
あら面白の春のけしきや〳〵
目なしとのゝけしきおもしろきとなり何の
こゝろもなきなり
水鏡注目無草下
本来生死をはなれたる身
なれは来る所もなく去処
もなし三世不可得也
註
三世とは心のいまたおこらぬ処を未来
といふおこつた心を現世といふなくなつた
同断
心を過去といふこれを三世といふ不可得とは
もんじに得べからすとよむ心の一つおこらぬ
さきを見るに何共しらず又おこつた心もお
こらぬさきの心なり又なくなつた心もおこ
つた時の心とおなじ事なりたら三心とも
にしらぬ心なりこれを不可得といふなり
いふこゝろは三世ともにしるともしらぬとも何
ともおもひはからぬ不可得の心のかはらぬ
心なりこれを目なしといふなり三世たゝ
一身となるかゆへに生死もなく本来今も
なく来るところもなく去処もなし
混沌のいづく共なくいでぬれば
混沌とは天地いまだ分ざる時也是則識前の
心胸也此むねをもつて平常つかひ用る也是
を混沌のいづくともなくいつるといふ也
父母未生いぜん本来もなく
ゆめ〳〵仏法とやらんいふ
事もしらす何にならんと
あんずべからずたゞ何事も
しらぬ心か仏なり其仏と
いふものは有にもあらす無
にもあらすさとりぬれは
有とも無共しらぬこと也
一切八万余経を見るに仏
にならん心はすこしもな
しとかくふるこよみなとゝ
おなし事なり
なり
いふところの混沌の一歩を得れば未生以前
一本来もなくゆめ〳〵仏法といふ事もしら
すたゝやすらかにして独しづか也こゝに
いたりて一代蔵経をみなたはことの日記
なり故にふるごよみなとゝ同し事なり
と説給ふなり
はしなうて雲の空へはあかる共
くとんの経をたのまれはせす
きやうを見てそのせんあくをとりぬれは
せんあくともにあくにこそなれ
しやかといふいたつらものが世に出て
おほくの人をまよはする哉
人はみなたうりをのみにきくものを
いはれぬしやかのけうけなりけり
是は是非は忙にしてをき
生は生死は死亡は花水は
水草は草土は土
千境万物名をかへかたちをあらため出き
たるといへ共頭々当体是にして是の
道理なしゆへに生は生死は死花は花水
は水草は草土は土にしてかつて不譲けし
ほともあちはひあらば是仏になる人なる
べし一休和尚は何にもならぬ人なるか
ゆへに是は是非は非と説給ふなり是人々生一
得の平常左右のところ也一休和尚のみ
にもかぎらず誰かかくのごとくならさるもの
有やしりぞいて我常を返照して見て
さらにうたがふ事なかれ
雨あられ雪や氷とへだつらん
とくれば同したに川の水
あめあられ雪やこほりを其まゝに
水としるこそとくるなりけれ
我は是何ものぞ何ものぞと
つちやうよりしりまてさ
くるべしさぐるともさぐら
れぬ処はわれなり
注
我とはこの迷の身心をいふなりさくると
は此身心は何ものぞと根源をさくりきはむる
をいふ也づちやうとは上諸仏也しりとは下
一衆生世界也いふこゝろは此色身すなはち
諸仏衆生世界なりちかくさくりて見れは
さぐらぬさきには色身の有とも無共無共しら
すたゝ木のきれなとのことく也そこにてあつ
しつりたしとちきに境におうじ事を弁
してみぢんはかりもさまたけなしこれ
さくらぬところなりそれか則平常の身心
本性の我なりとたゝしくしるこれを
日一
名付て目なしどのといふなりこのゆへに
さくる共さぐられぬ処は我也といひ給ふ
也もとより色身のみにもあらずたとへは
色身は揃の根なり万法はえだ薬なり本
たつて末ならすといふ事なしゆへにまつ
色身をいふ也心経にいはく色即是空
一空即是色受想行識亦復如レ是云々色
とは色身なり空とは本智也即とはその
まゝなり受想行識は幻心也いふこゝろは身
心ともにそのまゝとりもなをさず本智也
と説給ふなり古人これを心経の要路と云
なり是すなはちさくるともさくられぬ処
は我なりといふ語と同一言なり
心とはいかなる物をいふやらん
すみゑにかきし松風の音
ふたつなきものとなりえて一もなし
すみゑの風のさてもすゝしき
死ぬれは空々としてある
やらんまた〳〵はう〳〵とし
てなきやらん
死ぬれはとはまことに死ぬるにはあらす
目なしとのにあへはよろつなすことおもふ
こといろかたちをとこゑこと〳〵くみな目
なしとのゝわさにて少も心なきなり
心なきかゆへに死ぬといふなり目なしに
よくなり得ればこゝもかしこもみな目
なしにて分て目なしといふへきかた
もなしゆへにあるやらんなきやらん
といふなり一かうにしらぬことにていふ
にはあらす
ありのみもなしもひとつの木のみにて
くうにふたつのあちはひはなし
ありなしとなに名をかへて思ふらん
見れはひとつのこのみなりけり
をのれさへあつけはらはぬ不動めが
あくまがうぶく無用なりけり
あやまりてふとうをよきと思ふなよ
そのこゝろこそあくまとはなれ
なきあとのかたみに石がなるならは
五りんの代に茶うすきれかし
人はたゝ五たい五りんにばかさるゝ
五つをきりてりんのみにせよ
あさ露は消残ても有ぬへし
たれか此世に残りはつべき
いなつまのかけにさきたつ身をしれば
今見るわれにあふ事もなし
ほらぬ井にたまらぬ水の浪たちて
かけもかたちもなき人ぞくむ
うそをつきうそとしらするうそこそは
これぞまことのあかまことかな
目には見て手にはとられぬ月のうちの
かつらのことききみにそ有ける
とれは得すすきてはやきは矢のことく
ひきかへし見よゆみはりの月
万ほうを見る人ことののどかはき
おもはで水を一くちにのむ
四つのうみたゝ一くちにのみつくし
今そしらるゝものゝあぢはひ
釈迦きんかいの所にまかせて
仏になるといふしるしなし
とかく不明なり死すれば我
もなし人もなししやかも
みたも見れはもとは人の性
をうけつゝ地ごくにぞ入
きんかいとは色々の法をたてさま〳〵
の行法戒行などする事なり死すれ
はとはさとれはといふ事也ゆへに我もなし
人もなしとなりいふこゝろはさとりとのち
きんかいの法を見ればそでもない事也
しやかみだももとは目なしとのになかえす
して色〳〵のきんかいをして地ごくに入
といふなりたら人々にもんしをとり苦行
なとさせましきがためにかくいひたまふ
なり
夜もすから仏の道をたつぬれば
わが心にぞたつね入ける
いかなればたづね〳〵ておく山の
みちなきかたにやすくいるらん
思ひいれば人も我身もよそならず
こゝろの外に心なけれは
かへりつゝまたたち帰りよく見れば
おもふこゝろもその心かな
心とてけには心はなきものを
さとるはなにの悟なるらん
さとらぬもさとるもおなしまよひ也
さとらぬさきをさとりとぞいふ
何事もむなしき夢と聞物を
さめぬ心をなげきつる哉
さめぬればさめぬさきこそさめつるに
さめぬこゝろのなどゆめならん
我法をいはでもいらぬはるの花も
ひらけてちりて土とこそなれ
はるくれはさきちる花もとくのりを
きかぬは人のあるゆへぞかし
此本歌は文のをはりのことば也仏の常楽
我浄をよめり是一巻の湯通なり我とは
一我浄なり法とは常楽なり奇の心はこゝも
かしこもわか法なるゆへにいはてもいらぬと
なり春の花のひらくもちるもつちとなる
もみな常楽現前の処をいふなり
一右文の畢竟はたゝ生れつきをたゞし
くしれとの事なり是をしるには第一
妄心の業痛をのぞくべしもじのそかん
と思はゞまつ其妄心の在所をよく
しり般若の智剱をもつてそこをはら
つてつくすべし是業病を治するの妙
術なりかくのごとくならざれば歴劫にも生
得をしることなしゆへにまた此たはことを
いふなり扨其妄心といふは本より人々
胸のうちに毫盤も心なくつねに般若
の本智を以てちきに見聞覚知にして
つゐに変ずることなしこれをしるを菩薩
の人といふ迷の人はこれをしらすゆへなく
見聞覚知の四つをとめて我心となして
思ひはたらき立居につせて何事もわが
わざなりと思ひまことに我有心ありと
おもふがゆへに是を衆生の妄心とはいふ也
此妄心によりて三毒も四相も八万四千の
煩悩も是よりおこり種々のあしき事の
みきたりくるしひわさはひやむ時なし
同十一日
一円覚経にいはく安認二四大ト為二自身相六
塵縁影為二自心相一譬如二彼病目見二空中
華及第二月一善男子空実無レ華病
者妄気なりと云々四大とは地水火風也
六塵とは色聲香味触法との六つを
見聞覚知の四つとなす病目とは迷ひの
人にたとふる也空とはこくう也いふ心は此
身を我となし見きゝ覚へしるの四つを
我心となすたとへば目を病ものは必空に
花のあるがことくに色々に見ゆる也又目を
ひねりて見れはそらの月か二つに見ゆる
なり本より空のうちに花もなく二つの
月もなし目の病のゆへになきことを有
と見る也其ごとく妄心の病有かゆへにあと
かたもなき身心を有と思ふ其なき事を
たしかにたとへを以てときしらしめ給ふ也
すでに仏なしと説給へ共迷の人は目の前に
身心有と見るゆへにきけ共しんせさるなり
まことに身心なき事を見んと思はゞ般若
を行ずべし何か是般若の行といふ心経に
いはく観自在菩薩行深収若波羅密
多時照二見五蘊皆空一度一切。苦厄一切。苦厄一云々観
自在とは文字にみづからあることをあきら
かに見るとよむ菩薩とはさとる人なり深
とは妙也般若は智恵也智は本智也恵は
見聞覚知也はらみつとは彼岸に至る也
五蘊とは身心の二つ也空とは真空本智
なり度とは迷をぬけはなるゝ也いふ心は自
にあるちゑを修行して信心きはまる時端
的ふしぎに億劫の無明を尽し妙に生
滅をはなるこれ深般若によるがゆへに身心
其まゝ本智也として得て更にうたがはず
然共我有心有と思ひなれたる習気つき
かたければつねに因地によりて如法に長
養すべしもし日久敷年久しく懈怠
なくつとめ行せば必天地万法一片地にし
て又一へんの思ひもなく全体生つきの
まゝの我にてなかく三世を離て凡聖を
かるべし是を彼岸へ至る人といふ也此時
見は此文の哥に本来もなきいにしへの我
なれば死ゆくかたも何もかもなし又同文に
是は是非は慥にして置生は生死は死亡は
花水は水草は草土は土といふ事を知べし
はじめには水鏡をとひてよく物におうじて
跡なく色々の物をうつし二つなき事を
いふ今こゝにには何もかも見ず鏡となして
繊毫も見ざることをいふ也此二つの理
別くか又同し事か智音の人あらは見るべし
いまだ明ならずばはやく一大事をきはむべし
時は人をまつ物かは人の命はたけき川水
の潟行がことし少もかつてとゝまらず過て
又かへる事なし各はやく般若を修行し
妄心をのぞき目なしの本智に帰して彼岸
にいたらば永く安楽なるべし自身の事に
もあらすすでに妄心を除ば我なし我なけれ
ば我を愛せずとせざれば私なし私なきの
一法は後世のみにかきらす天下の大本万世の一
達道也家を守り国を治ん人は是をしら
ずんば有べからず況や民を新にする人におい
てをやこの迷をのぞかずして五常五倫の道
を学五戒十戒ないし五百戒をたもちたと
ひ万巻の書を諳じ孔子の行跡をうつし
仏の徳に似たりといふ共みな我相人欲の私
の法也こゝに至らずして分別功能を以て
十一日
よくせんと思はゞたゞ瓦をといで鏡となさん
とするかごとく万刧をふる共成就すべからず
古人のいはく絵にかける餅飢をたすけずと
いふも此ことはりなりもし後生ちからある人
般若の智劔をとつて世の善悪をたゞし
此水鏡にうつしもちさりて正道をばた
すけ邪道をやぶり貴賤をえらはすこれへ
の人をすくひ貧賤をあはなみ国家安全
の治法をひろめは一休和尚の衆生をすくふ
の本意をあらはし又仏恩を報ずるに何
事かこれにまさらん今此巻の奥にしる
しをき露はかりの法恩を報ぜんかとよし
なきことをかきつけ侍るまことに蛇に足を
つくるがごとくなり生れつきの法には一字
一句をかるべからずたとへば水は冷なることを
ならはずしてをのづから冷也火は暖成
ことをならはずしてをのづからあたゝか也
人もまた其ごとく妄心なき事を習はず
して堂にをのづから妄心なき也けし
はかりもならひなす事あらは生つき
の法にあらず見る人よく〳〵これを
おもへ〳〵
目なし草巻終
石弐
門地奥御門
御直作此書は前に註釈ありといへ共童蒙の解がたき文字には
一休目なし草
全四冊
父王四冊両点をくはへ図画をまじへ女はらべまてもさとしやすらしむ
此書も一休和尚御直作の法語にして間々に
同がい骨全一冊
一絵をくはへ悟道をさとしやすからしむ
此書は一休和尚清語にして凡俗のために
同幼艸全四冊
悟道のちかみちにしひらかな絵入の本なり
延宝三巳卯年九月吉日一
文化二巳丑年五月再刻
皇都書林堀川通信州
松原通徳小路東江入町
大坂屋又三郎
合
一軽井通五条上ル甲
一
伊豫屋佐右衛門
千枚合
通七条下ル田丁
板
丸屋市兵衛
大屋市六郎