贈圓光大師号繪詞

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釋義山
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2026-08-17T19:23:15.277Z
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釋義山
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ゾウエンコウダイシゴウエコトバ
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東北大学
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2026-08-28T18:53:25.651810+00:00
宿内部 贈図光大師号絵詞全 長国入セル間隔十一 贈図光大師号絵詞上 いにしへの聖の御代の政をこなはれて天の下和ぎ順ひ一 国豊に民安くして万の道を捨させ給はず阿耨国尋 三藐三菩提の仏の道までも興させたまふこそたりと けれ中についても浄土の法門はかけまくもかしこき 東照神君の護りおぼしける御めぐみの末にやいと近き 比も法要を聞召連僧宮を進めさせ給ひて忝き事おほかり されは高きも賤しきも吉水の流をくら遠きも近きも 大谷の秋風になびきて此宗に入ものはをのづから二世の 安楽なる事を悦び此時にあへるものは猶君が代の 久しからんことをねがへりしかはあれども高祖法然 上人の示霞より以来あらたまの年を重て四百八十 餘回いまだ大師の嘉号を賜らず是なん我宗の遺 滅なりける彼の御在世のむかしは隠遁の御身として 官寺富貴の花の袂を叡峰の浮る雲にいとひ圓戒教 受の法の衣を玉泉の清き流にそゝぎてひたすゝ専 修の法問をのみ旨とし給ひしに心閑なる田鶴のこゑ をのづから雲井にきこゑて高倉天皇紫宸に請じて一 一宗圓戒を受ざせ給へり後白河法里後鳥羽院も同 勅請ありて御受戒まし〳〵き法皇はこよなき御帰 依のあまり御所法経を修したまひける時ことに勅し て先達になん定させ給ひければうや〳〵しき玉座に 対し奉り三井山門の官僧達の上にぞ座し給ひけり 道徳のやんごとなきいみじきしるしかくなん侍しよし 今におひては世くだり人おろかにして漸々道政の 逸群なりしをも忘れ高尚の清風をしたふものも希也 此時にあたつて大師の巣号を賜らましかは名に つきて実を尋ぬる人はをのづから在世の高徳をあふぎ 人によつておもくする輩はます〳〵遺教の色益を感じ 又なき宗門の光輝にして利生の方便なるべしと睦月中の 八日に九重の雲の上より花の頂の法の鑑まで勤たちへ て圓光大師の号をたまはりければ道俗男女の相悦ぶへ ことかぎりなし齢戯今年いかなるとしぞ法運のたちへ かへる春にあへり我等また何の幸ぞ利物の偏にます 法を得たり抑四輩勧喜の念いづちにかさらん一宗弘 通の切なんぞ空しからんしかしながら御祈祷の宮福茂 つゝ寶作延長にして和田のはらの風も治里武運長 久して秋津島の松もさかへ御法のともしびも光を伝へ て幾万代の意をかさねんもしほ草のかくばかり目出度 盛事なるを浜千鳥の跡なく忘なんは本意なかるべけれ ば後の世の鏡にも残し給はんとの仰を蒙り色もなき 言の葉をつゞりてその始末をしるし侍るに又報恩寺 古間に命じて有つる事相をゑかゝしめたまへり是を護 法の御こゝろざしならんかし 本山当代白誉大和尚ある時高祖の大師号の事をおぼし めしたちて玉ぼこの道ある御代に葵草心のつまに 懸ぬ日もなくあはれ奏聞をとけばやとの◦◦おぼしつれ共 高祖の冥慮測りがたければその違順を知らんがために 九 御影前におひて至心に精禱し三度の鬮を取給に おなじく順ずといふ闇なり扨はまめやかなる祖きにも 扶宗の方便とおぼすなるべしとて柴戸のあけ薬是を 三宝にも祈せいし給へり 元禄八歳の孝入院の慶賀申さんとて江府へ参向有し 時しば〳〵城中へ召れ御よそほひうるはしく打むかはせ たまひて金銭の織物など賜り難有仰ことまし〳〵 けりまことに賢を崇めあらはす御代に逢て遠きを 追ひ勲を賞ずる御政を仰ざ給ふにも高祖の黴号を 得んこと今の御代にあらずは又いつる期せんやと悦び ごゝ路にして増上寺貞誉大僧正に此趣きこまやかに かたらひたまひければ僧正も随喜なゝめならずしく心よく うけひき給へりさは有ながらかゝる大事の願ひなるを 事の序に申いでんは軽忽のおそれあれば此たびは もだして帰り侍ん僧正いかにもはからひ給て好時節 を告たまはん日ことさらにこそ下り侍らめとおほなく ちぎりおきたまへり又黴号にもはづまじき高祖の道 跡なるをあらしめ詳に台軍にも入たてまつらんとて むかし畠山功徳院の舜昌法印勤をうけたまはりて避 集せられし四十八巻の震趣の御伝に大和尚の要をこつて 述作ありし漢字の略記二巻を添て柳沢出羽守保明朝臣 の亭に送らるかく万の首尾よろしくて帰落し給にけり 翌年七月廿七日に大僧正保明朝臣に謁して諡号の事 念比にものし給ひけり又御法の苑に春を回す時に逢て 都鄙の門徒もおしなへて巣号を怖望したてまつる などかず〳〵言聞にも達しけらし畢てより高祖 の徳行きこしめし及ばれしうへに彼勤集の御伝のいと 目出度つまびらかなるに御しんかんを増せ給へるにや 元禄九年十月六日江城よりして大僧正をめして御自 贈大師号の事ねんばつに仰出させ給へり此御事よと 京都へも奉書到来し同十二日に大工小笠原佐渡守 長好朝臣の庁におゐて本寺大和尚に通達せられ侍 奏の許へも達し給ふ少井滝川丹後守利庵居士水野 備前守勝直居士と会合ありて丁寧に進止し給けり 去程に諡号の尊賀申さんとてくさ〴〵の越り物を調へ 常称院九保を専使として関東へそつかはされける霜月朔日に 夫僧登城して和尚の感喜の旨を画しけるにまのあた り御前に召れ御喜色の御事にてまし〳〵けり同 三日に本山への奉書出て使僧に時服を下し給ひき 御母宝大禅定尼公へ献上の物を捧て慶賀を申けるに 殊によろこび思めして黄金そこぼく御影前に送らせ たまふ使僧にも南鐐などを給はせけりそれより所々 尊賀の礼蔵を致して帰京せられぬ 久方の月の都にはなをかくれなき高祖の盛徳なれば 贈号の御事にいさゝか異論もなくまして関左よりの 御執奏なれは本寺の上表にも及ずしく期儀すでに さだまりにけり近衛関白台照公いと急比に物し給ふ 伝奏は柳原栄大納言資広郷正親町前大納言公通卿 上郷は松木権大納言宗顕卿職事は日野左少弁輝光卿 勅書作進唐橋侍従大内記在隆卿 勅使は伏原少納言宣通朝臣仰日は元禄十歳正月十八日 とぞ聞えし是みな伝教大師慈覚大師などのむかしの 佳例になぞらへ給ふとなり 贈号の勅使正月十八日知恩境へ来臨ときこへしかば洛 中の貴賤ひたすし心ひはやりて誰も其日をはるの花 まれに咲てふ珍らしさに辺土隣国の者も聞つたへて 見物のため結縁のため心あるも心なきも我も〳〵と丈度 しつゝ淀の河瀬も所せく月の夜舟にみなれ棹さし てのぼり来るもあり相坂山のはげしきに駒を早めて 登るもあり所々に宿をさだめて其日を待かけたれば海中 のにぎはひ近隣のさいはひとぞ見へたる大かた此ころは 空はさえかへりて霞もやらずたゞ雷気にくもりけるが十八 日には真葛原の風もさはがず白川の氷もうちとけぬ べく長閑なりければ知恩地まうでとて暁のかねと共に 洛中洛外より燭をとつて出たつ人雲霞のごとししかるべき は乗物にのり人あまたしたがへて幕筵などもたせたり あやしき者は足引つゝみ笠うちたれていとゝ鳩のつえに すがりてあゆむ老翁もあり童の手を引わりなく参る 女人もあり貴賤群集し僧俗袖をつらねて道もせき あへずぞ有けり三条京極のあたりより勅使見物の ためとて家ごとに簾をかけ祭礼をまつがごとくのゝしり ゐたり本寺門前の大路より砂をしき水をそゝぎ茎を探せ まちいたり門内には酒肆茶店のきをならべ商客優人 地をあらそひて入満たれば見物の諸人足を立かねたり 先求院には勅使宿坊と書たる札をたてゝ爰より 方丈の前まで竹垣をゆいて道をさかふその左右に見物の 諸人ひまなくなみいたり三門の東より唐門の内まで 徳道をしき左右に宝幢を建て糸幡庭幡の色々をかけ たり御影堂のまへに手水の具を置れたり勅使の 用なるべし布衣着たるもの其そばに見物さて堂上に昇て みれば外陣より内陣に至るまで緋の氈をのべたり中央に あざやかなる畳一ひら仮初にしきたるは勅使の座成けり 東の方に大和尚の座として畳一帖をしけりまたいさゝか たつみの方に引て薫誉和尚の座をまうて酒弥塩の 前の机に大なる花瓶一双をおきて見あぐるばかり なる松の枝をさしたり池の坊なにがしの所為なりとて 人みな入興せり壇上には縁前の帳を八字にかゝげて香油 挑燭百味五薬からのやまとの万の倶具をつらね僧慢 をはり頼幡をかけて花髪盛茎夢をつくせり又牡丹 芍薬やうの色々の作花をつらね梅極鶏舌などさま〳〵の かう木を焼たれば極楽浄土のうへきの下にあそぶかと うたがはれ衆香世界の台の上に至るかとあやまつ東西の つきがねにはすだれあをやかにかけわたしく内に男女の 透影もみゆさす竹の大宮人などのしのびて詣で給へる なるめりそくたき物のにほひも凡ならずきこへたり北の 方より出て四方をのぞめば飛楼踊殿ところせくいらかを ならべてたてつゞけり三解脱門御影老客殿集会堂尉 経蔵鐘楼僧坊鎮守の宮東照神君の御影所まで祭 高広のかまへにて荘厳美麗をつくしたれば祇園精舎の 輪興もかくやらんとぞおぼえたり東の方を見あぐれば台 来の仏殿勢正室一心院の軒端までかすみの中にて 見へわたるその名も高き花頂山いづる朝日も長閑にて 瓦の上の松をふくかぜも枝をならさぬ御代なれは仏も 道もひろまりてゆきかふ人も大谷の寺の庭なる梢を つたふ鶯のはつねをけふはをのづから念仏衆生の声をそべ げにおもしろきけしきかなはるかに庭上を見やればさしも 広き境内なるに参詣の諸人ずきまもなくなみ居て さむしき穂のべてましはり坐せり其風情さま〴〵也 すべて男女老少僧俗貴賤堂上より庭外に至るまで 竹筆のごとく充満して儀式をそしとのゝしりゐたり けり辰の刻にもなれば堅固の若党等はしりまはりて 雑人をはらひ行路を聞く其間に本寺末寺の僧俗 こと〴〵く集会堂につどひ位次にまかせて列座せり 法命すでに催し衆徒入台と見へしかば参詣の諸人 をのづから座を定てゐたりける時に大内の楽人備前 守多忠胤左兵衛尉安部季期。志摩守狛近詮左兵衛尉忠 部季武左兵衛尉豊原長秋右衛尉大秦広庄左近衛将曹 多忠武左衛門尉大神景村左衛門尉大秦兼陣右近衛将監 宿近任左近衛将監豊原庸秋左兵衛尉大秦廣雄ニ已上 十二人烏帽子直垂を着して檀前に俊ず大和尚唐門 よりすゝみ出させ給へは乱声を奏する事時をうつす 聴聞の貴賎まづ感信をもよふしにけり雑色二人左右に すゝんで警衛す最前に行者片山但馬あたりを授て 出たり次に素襖着たるさふらひ十二人左右に行列す 其次に若党を左右に立て容顔びれいなる小結の小童子 四人二行にすゝむ其頃に善党を左右に立てうるはしき大童 子二人ならびいづ次に清げなる中童子二人左右に ならぶいづれも装束は綾羅をかざりて金銀の作花をかだし とせり其次に天冠の童子二人金色のつたをさゝげて 出たり次に着党を左右に立てさゝやかなる童子一人 災をふくんであゆみ出たるも愛敬つきてみゆ色々のかざじの 花は金襴の袖にかへす天人の影向もかくやらんとぞ覚へたり 浩玄院直弁は祝草箱の伎油林院感歴は。香盆の役其頃 に役者九勝院玄沙西堂忠岸院方嶺西堂信徳院長秀 西堂。常称院九保西堂。黒衣のうへに衆色の福田衣を着して 左右に歩行す次に布症着たるさふらひ両人左右に行 列すさて其次に丈室大和尚はなやかなる沙願に深紫の 直綴をかさね御袈裟には江城にしてたまはりし草地に 菊花亀甲をおりまじへたり金襴の僧伽梨衣を着して 萌黄地のきんらんの尼師壇に的躁たる水精の念じゆを かけ絆紗の帽子をいたゞき頼絹の沓をはき如意たゞしく もつてしづかに莚道の上にあゆみおさせ給へりその有様 あたりもかゝやくばかりなれば参詣の諸人手をつくりて 額にあて拝むもことはりなり白張着たるもの照傘をさじ かく布心のさふらひ左右に随ひゆく次に香衣の伴僧 二人左に超土寺明長老右に西光寺穏長老次にかさくつ 草鞋もちたる者三人相ならべり左右は白張中なるは 一退紅を着す次に六伎の師左右に行列替らるいはゆる 善導寺顕長老浄運院軍長老勝貞寺随長老超勝院 信長老勝岩院透長老西図寺随長老おの〳〵鮮なる法衣を 着し扈従よそほひ厳重なり次に行者片山伊与 速水筑後東西にならぶ次に洛中洛外諸寺の長老西 堂われおとらじといろ〳〵の衣におもひ〳〵の蓮花眼を着し 橋次に任て二行に列を引其後は当山他山の侍凡僧一同 に黒心を着し左右に列て方丈よりさゝへたり彼群馬の 切利を辞し給ふ日葵沙の大衆に牽遠せられて祇園に かへらせ給ひけん粧もかくやとめてたくぞ覚へ侍る最末 には警固の青侍若干人二行に相随べり扨大和尚より はじめておの〳〵御影堂の正面の階よりのぼつて低 預合衆して次第に着座す童子已下布衣のものまで 大和尚の後に一列に産せり時金戒光明寺薫瘡和尚も 参向し鎮守坂の上より歩行せられ香尤黒衣の侍者 宝尤白丁の短者など行者を先に立て入堂し大和尚 に揖して着座し給ふすべて都鄙出仕の僧侶一千餘 人さしも唐太の童内に充満してぞ見へたりけり参 詣の道俗は未明よりもうでゝ内外陣のかたつかたに つどひつゝまちゐたりけり 繪一 贈貧光大師号絵詞中 勅使は辰の刻ばかりに先求院まで参入ありて巳の刻 になん参堂し給ふさしもはれ〳〵しき大会なれば心 ことに出立たまへるならし行粧をとゝのへて左右に例を引 もつ雑色二人左右にすゝむ先求院心了案内者として先 引せらる最前に素禎着たる侍六人左右に行列す頃に 白張着たる者六人二行にすゝむ次に品木の雑色二人 左右につらなる装束ことやうにしてもの〳〵しくみへたり 次に布直衣の者二人一行にすゝむ此次に勅使の興 出ぬ駕よ丁もはなやかに出立たり市石のさむらひ 六人その左右に立ならぶ次に白銀着たる沓持傘持を めしぐす次に史生備後目宗岡信行源縁の絶に かふりを着して覧筥をさゝぐ頃に召使播磨目宗 岡房行同じ衣冠にて行列すをの〳〵布心の侍一人 白張の沓持笠持を相くせり次に穴部重源右衛門 重房布直垂を着し白張着たる布待笠持を左右に したがへてぞすゝみける道俗数千人そのあとに巡附 儀式見んとて足を空にして行ぬ 絵二 既にさきおふ声しければ楽人やがて胡飲酒を奏す 玉笛のこゑのうちには諸天も来領し蛮鼓の砦の間 には罪神も感動するかとぞ覚へし勅使は三門の下より 手興にうつりて進給ふ此こしをは刀者の法師十人 浄衣を着して舁まはらせたり 絵三 さて。庭道よりおりたちて歩行なり勅使の会の 装束をみれば黒くつやゝかなる後に輪無を織たる縫 様の躯を着し赤大口に白妙の衣袴石帯より太刀 平緒にいたるまで清らをつくし白きひらきぬの裾 長くまかせ笏たゞしく乗てしづかにすゝみたまふ冠 際よりねり出しるゝ臂持やんごとなく見へしかば見物 の貴賤称美せずといふことなし大和尚階下におりて 揮し給ふ勅使も善揮し給ひけり黒公も大和尚も 随て出たまへり 絵四 勅使は有し阿仙桶にのぞみて手洗ひ口すゝぎて衣冠 つくろひ太刀を撒し正面の階よりのぼりてす〳〵 同陣に入たまふほど簾中簾外さゞめきたちてあから めもせずまぼりゐたり扨御影前に向て曲彰して 畳につき給ふ史生勤書の覧筥をさゝけ机の上に のせて勅使の前におき階下に帰て召使と同しく西 面して創立すとばかり有て宣通朝臣うや〳〵しく 勅書をひろげて読たまへり此時大和尚よりはじめて 大衆みな平伏せり堂上堂下の諸人一同に耳を倒て 聴聞す其詞勅正法興佛法一比等内外貴章 朝家同二釈家一定レ律都鄙仰二興盛一浄土関宗源雲上 人先究二聖道之教一冠浄土之宗務二弥陀誓願胸 次一感二善導提擬頼定中一観宝樹一照二妙レ境一内證益明ニ 歩金蓮現雪充塞因忽茲即足肉身如来何 疑二勢至権跡一三朝帝師徳重一于当時四海良導 行應一于末代一皇化廣布二卒土法要永傳二普 天狗謙魏圓光大師干時元禄十丁丑年正月十八日 読おはり給へば大和尚も勧喜の涙に紫の袖をひたし たまふ別座の衆僧も参詣の男女もみな洛喜の泪に むせび身の毛もよたちて貴くぞおぼえけり時に大和尚 座より立て勅書を頂戴し給ふ常称院保西堂是を 柳筥にのせて御影前にそなへらる大和尚感喜にたへずして 手づから店織の被物一重を取て勅儀にまいらせらる 助夫これを受て肩にうちかけしばらくありて古使に さづけらる史生には庭上において保院栄玄是を取て 平絹の給一重をたまふ召使には行者但馬とりて国絹 三疋をたぶ使には末寺の行者能登取て国約二疋をたふ おの〳〵かたにかけて拝すさて勅使本路を経て退出し給 程酒胡子を奏す大和尚階下までおくり給ふ薫公も 随て出たまふおりしも皓雪浜紛としてかゝりければ 勅使は雨傘をさゝせてねり行たまふいと興ありてぞ 見へしすでに方丈に入たまひぬれば雲はなごりなく はれにけりさしもうらゝかなる空に片雲そひきて 六花のひるがへるは虚空諸天人当面珍妙花の嘉瑞中へ とぞ人みなかんじあへりけり 絵五 大和尚頓て御影前にすゝ見一弁の香をたきて三礼し たまふ次に薫和尚当寺門中の座二人六師の長老名 すゝみ出て礼をなして退座せりかゝるときに楽人賀 殿を奏す大和尚礼盤にのぼりてまづ祝辞をぞ唱給ふ 奉レ為今上皇帝徳斎二舜香一化同二尭湯一金図必 枯香 長野寿万歳 ふうぐんくらゐちんしさんせんをれいいのぐにあらたに。ちんふりおよぶものに 奉レ為征夷大将軍位鎮二山川雲威日新仁風及レ物 国豊民安与二天地一同一其悠久福海源源廣兵衛 拾香 奉レ為関白殿下満朔朱紫忠義堅貞永休無為 聖化一君臣合体鶴齢千秋二枯香 次に三下磬子を鳴して一通の祭文を読たまふ其詞 維丁丑元禄十年孟春十有八日釈氏秀道 殿昭告二干 開山図光大師之真前恭惟 大師智件二日月二徳配一乾坤一編一三蔵之霊文究一諸宗 之渕源圓戒稟承之正統浄土開創之元祖也伝 浄土之秘頤頼定中一発二得念仏三昧一聖境無凝極薬一 依レ正随意現然深起世之願高遠監二于時浅草 提念二仏一門一啓二発群生一之正位一業根於火坑一一 蓮種於宝地二化浴二恒沙之刹一切被一微塵之刧一聖公一 弥陀之直臣勢至之儀身噂嗟浄家之棟梁也蓋 有二宇切紗道一者必有二感応二襯二蓮花於足下数金光 頭上勢至一至二伴道普賢現于道場諸神法律法律律律律律律律律律律律律律律 類信眼是其一代化儀之概略也且至自燈之蘊 興利他之祥異非一山臺海墨所三丁一能形容一也必レ茲 三朝之天子謁為授戒之師一。一時之名納尊執二第 子礼二古今之聖賢競無レ不二皈敗 大檀那征夷大将軍景二仰道風茲奏二冊坪一 今上皇帝将蒸二宸徳一以遣二勅使一謚二圓光大師之号 雖二其盛徳也白風蕩之仏日餅紅霞偏呈瑞法花 重回レ春四衆歓呼声震二山谷一万世栄福光弥二天地 某生二清稀之世一斯レ値二未曽有之嘉運一乃歴一宗之梵 紹二太聞一念仏誦経之勝会献花茶巣之清供卿卿領 奉レ醐二洪恩之万一一身不一動揺二遍至一十方一伏惟霊 一鑑照此寸舟尚鷲本山知恩院大谷寺住持沙門白誉 秀道謹誌と文々に嘆徳のれいしを臆句々に超忍の 素懐を述られしかば聴聞の緇素随喜せずと云ことなし 次に誰耶四奉請をとなへ大衆同音に弥陀経を誦す 処世界の梵唄念仏の回向もさらにたうとくよて覚けれ 事はてぬれば大和尚よりはじめておの〳〵うしろの 廊をわたりて集会堂に入給ふ此時武徳楽をそうす 法衣の粧ひ日にかゝやき伎楽の声雲をとゞめ目出たし といふもおろかなり 絵詞下 方丈には後羅の壁代をはり金銀の屏風をしつらひ 席上に月支の衆香をたき壁間に支那の名昼を かけたり勅使はひがしの方大和尚はにしの方に対座し たまひて三献の儀式あり布衣の官人倍膳を勤むさて □□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□ } □□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□ □□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□ □□□□□□□□ 大和尚は勅使来領の儀式無為におこなはるゝよしを 達せんとて伝奏の事大書の庁に至り給ふ宣通朝 臣小方丈に入たまひぬれば侍者茶をつたへ童子膳を 持て和漢の珍物をつらね山海の滋味をとゝのへいかめしき 饗応をつくせり此間に大衆にも集会堂にして饗膳を たまふかゝる程にうららなる日かけを勝時に及ければ 置通朝臣は勅使門より出て宿坊にかへりたまふ乗輿 行列はじめのごとし諸僧送て堂前にいたりぬ 絵六 群集の道俗堂内にすゝんで金銀米銭さま〴〵物なげかけ そこばくの棒物を山のごとくつみあげたり大和尚すなはち 仮号の四字を大書して御影前に建たまへるを我も〳〵と拝 よろこひ南無圓光大師と新にうち唱て礼しのゝしり 堂上庭前の数万人異口同音に高色に念仏しければ山は ひゞき谷もどよみて心なる他歌の人もそゞろに念仏し あやしのしづ山賤も随喜のたもとをしぼりて無治の罪 障も剃耶に消滅し左品の業因も端的に決定せんと覚 たり勢至井難思儀かゝるためしぞありがたき威光義 照無辺際げに圓かなる光かなかくて日もくれにければ 面々に松明をふりたて提燈もたせてらうかわしく過かに 雨天もかゝやき地もとゞろくはかりなり定に一字の眉目 天下の壮観上台にも末代にも有がたき盛事なりけり 当年御忌の法用は例よりも厳重におこなはれ京夷の 海衆相交りてつとめければ緇白ともに勇ありて参詣の 人昼夜に群をなせり大和尚の威喜なゝめならず寂号 のために諸国の長老参寺の衆僧を集会堂にまねきて 香飯をほどこし勧書を拝覧せしめ給ふすなはち唐 実は在隆朝臣所労の中なれば 同し菅家にて薬原氏大輔 橋大内記在隆朝臣の作進とかや 長義朝臣の草なり黄なる紙に 書後旬朔の十八の両字は忝も みづかし清書せられたり 今上帝御昼なりやがで金銀珠玉をかざりてはなやかに 旅称し給へりひそかに古来鑑号の勅書に授するにかく ばかり応益の称讃を見侍らず文章さへ秀逸なりとぞ さて正月廿七日に忠岸院万領をつかはして今度の首尾を 江城へ申させ給へり勅書の写しもまいらせられ候 御随喜の程をしはかり奉りなん 二月朔日巳の刻諡号奏慶のために大和尚参同し給へ その行列厳重也たてまつり物巻数後紙金銀いろ〳〵を つらねたまふ日野左少弁輝光朝臣是を奏せられ 主上は清涼殿に出御小葵織たる白き御引直しに 赤き御はかまを召れ虚感の御気色もかたじけなく拝れ させ給ふ公卿殿上人も済々として祖俊せらる祈らましと 祝延して退出し内侍所の寶前にまうでちはや振かぐらへ をまいらせて天下安全の祈祷をなし給ふ次に院参の儀 大略先のごとしそれより女境の御所准后の御所へも参り 給ふ扨関白殿下勅使上郷大内記伝奏の許京尹の庁 すべて此度の事に預りし公家武家残らずめぐりたまふ 進物もくさ〳〵いかめしき事なりけり 絵七 さりければ幾内近国の末寺東国西国の末派聞及 に随てをの〳〵上洛して香料を御影前に献じ慶賀を 丈室にいたす尾張大納言光友卿はことに御歴代の菩躅を したはせ給ふとなんたのもしき宗門の金場にて物し給ふが 大師号の事御随喜のあまり我資の金を御影前にぞ おくらせ給ひけり其外公家武家士農工商のともがらに 至るまで大師を信じ怠仏を行する者はみな随分の供 具をさゝげて参詣せりしかのみならず西山禅林寺の宗 近貞福誓願の寺主遠近他宗の僧俗さへ慶賀のために 来りければ境内もにぎはひて門前に市をなしけり勤書 すでに披露しければ辰転してきそひうつしける程に 洛陽の紙もたつとく童男童女も口号とせり又大和尚 感激のあまりにや大師行状の楽をとつて漢字の略伝 一巻を直し梓にちりばめて都鄙の僧侶に頒らほどこし たまふ是によつて在世の高行も滅後の遺徳も。ます〳〵 世にあらはれて勅書の讃詞も大師の黴号も人いよ〳〵 信伏せりおほよそ西方をねがひし仏を引するものはこと さらに尊影をうつしあるは本山より印絶し給ふたる 像を請じて修善し奉り大師講と称じて同行あつまり て高声念仏せり諸国にも相伝へて寺ごとに慶賀の法 事を修し艱恩のつとめをぞ致せるゑじて此たびの儀を みるものこと〴〵く大和尚の徳を仰ぎ福悪の両根を慮 て大師の内證にかなひたまへりとて宗門をあらため十念 をうけつゝ偏執の情をひるがへしけりそも〳〵わが大和尚 と申は武州増上寺本誉荷白和尚の高弟浄土宗門 の法燈にして智道備の尊宿なれば公武の服崇も 他に異なり世に未曽有の大願の當代にしもまとせし ことは天龍八部讃念のちから諸天善神納受のゆへなる べし嗚呼仏法の繁昌大平の餘標めてたくも侍る哉 贈圓光大師号絵詞下終 位暑姓名 須慮 伝奏柳原正二位前大納言様原朝臣 公通 正新町従二位前大納言藤原朝臣 同一通一組合 宣通 勅使伏原従四位下少納言清原朝臣 上郷松木正三位行権大納言藤原朝臣宗碩 職事日野正五位上行左少弁兼左衛門権佐藤朝輝光 勧書作進唐橋正五位下行侍従惣文重博士大内記菅原矩在隆 □□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□ 宝永八辛卯歳正月吉日 弐二六 ワヤウヤ 一、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、〇〇