子寶勇士苧(鶴屋板黒本集第四三册)

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鳥居清經畫
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2026-08-17T19:23:17.920Z
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2026-08-17T19:23:17.920Z
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鳥居清經畫
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コダカラユウシノミバエ
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東北大学
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2025-12-02T15:04:10Z
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2026-08-28T18:53:25.651810+00:00
特別 安永七年 桂子作 勇士学 子実画 右衛門太郎嫁梓 原田次郎 安永七丁 筆累解脱絹川 延宝暦の 〇 三十一 十一 八月四日 □□ 海のらいくわら のかしんわた なべのつなは 一子なきを よくなけき しゆみの 四天へ 心すをうけなへし たんじやうをねがふつ たんけいして七 □□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□ まつみくわ 同 同 いかになん ぢら一子をもめん とのねりいにまかせ 女ほうこれ竹がへ たいないに四 人のなんしを よづくる四天 ことなかは ふうふゆめ さめて ゆりのつげを かたりあふ 中世文庫 四十 同 同四日 □□□□ はや十つき および玉の ようなる なんし四人 たんじやうする ほうゆふきんとき 生みつすへたけの女 □□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□ いふとは上るり 四ツこといふはこれば でもきてましたか これざりで ごさりませよ なべきんに ねかふてわたし が一くつゝやうしの してそたてゝみたい 廿日朝より四日にてもかりて のらは山のらの 異王人のすい一わたたかかつなとうじのらせう もんへきんさつをたてあつ〳〵きのかいなをさりし ことじぢよのよくしれること〳〵なればそのつまひらかなる ことをこゝにはぶく こ□□□□□□□□□□□□□□□□□□□ らいうん こゝにう大じん のいへともの □す□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□ □□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□ にてたがいにいであつ うたり給ふ□□□もの わうじことつるひめにほの じにてゐたり このていを みてやき かける ひさし なにさ さへかはれ ならで かわせ て 下さん すなへ ひさし さんはしみ〳〵 さだみつほむすめさうしの わゝなべが一たしにこゝろをよろす すへたけがぢなん うとへの五郎すへ はる御くも こしもとしゆ とりもつ □□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□ 山ぐものわらふしもへかんかんかひかせきも ひきたてんとせしゆへよりのぶ公さかへ給ふすでに あやうかりしをわたうつや ゆるせ 子ども 山くもの わきの こなこつはいにふみ つのものどもをこなこつはいに あらせばいのちから〳〵 にけかへる 山ぐもでもやみくも でもたにまらぬぞへあのす うじさま かはぐ つるきたんけ おにづか入道らいうん さん〳〵のめにあふ □□□□ さうしな せうのこ ごさかり上 さか田の人に時おやうしむすこ 人主事てがいのうさぎ山へにげ ゆくをおいかけ山をゝふかく おいうけ御ふかみに 大わらはに なつておふかみを □□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□ さてすさまじい ちからだてんこ □□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□ や いを 両ごくへ なしくも大の さまりだが きみのわるい 山だまた なんで ぞくら わかだんな さろ〳〵はやう おかへり〳〵 こたがらに とゝかにふらのほらせうは一子いづみの くわんじやせきはるをよりのぶへ た□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□ もゝのやう〴〵たるてのは しん〳〵たるといふこのと こゝにとつ〴〵と いへをつの でしよくぶんをたいせつにな すのこゝろならんかぶしは 文武の両どうに心を おるすべからず町人 はしよくぶんをたつね に南時は 昔りべし としき のにはし □□□□の おゝかたへ すべたけが とはた□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□ 二なんすへ たけ事し 金平が大てくら ゆへ四天王の人も とのよろくびに とやへ大さめの をはじめもん どはあらず なかしにして 翌政十年大臣を たの□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□ またるべ よろはひのおひ かなづるへはもの □□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□ もあるなりの しゆゑんかな なにそのちうは雪の 腰□ひろつなげ けとな よりのぶみたいと なりよつはびの 家数日も濡れるに曰く □□□□□□ゐの かせうも らんやかよの らすらの □□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□也□□□□□□□也□也也□□□□也□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□ きんだれをして大うち 人なりらいかわう へ□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□ したがつてゐる といふて 後 いづみの くわれじや おのことりける ふの つころなり しよつてほうへ とやうをひとり のゆか めやしい つゝ とゝに三田の 源太がおばといつわり 源太郎おばといへ かうかけ山のあつきよりのふを うしなちんと きたる □□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□ みたの海は けんどが ゆつして くださり □□□□□□□□□ うかけ山のあつきより給ふらのくめに を□□□□□□□□□□□□□の 小次郎にみあらわされむなしの いまこのすいきたつはわがたつはわがたいせし。 たちきみよりあづかり奉り ひだけるのめいけんなくまがり ぶくのめいけんのとくつるぎ いかねちてさつばつのき もおもりける あま けしやう のありと いふしらせ はて おもしろの ありさましや あつきのやあれいより いふにみあらい□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□ またとり たちさりける さてこに〳〵かく あらんとおもひじゆへ さいせんよりこれなる いつみのくわんじやま 源氏しうだいのたい させやく □□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□ □□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□ 一すぎしこちらい すきしこちらい しあつきのせいなる しあつきのせいなん □あらはされたる久しくちをしやなあの やわうにたいちされ ちけんのとくにて しあつきのせいなる おのれ ひをそしき こゝにその源太ひろつなはらいくわうの あんぎをうけあふみのかたゝのうらに まつしたら こんや くふに 大阪 一月廿六日十一月廿四日廿五日廿六月廿五日地震動するにて □□ みたの源 太がはる かはりの おとみて の八郎とも つなあに せかめにほれ てくどく はたの娘答 此はいりあみをこのみ まい日〳〵なかりに いでけり女ほう へん □□□□□□□□□□□□□□□□□□□□ なに いや まきき ぬとてう くしいぼつとりもの又一子に五兵衛 とてひそうごありけり あつきの □□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□ これなびき なさいなにを きよろ〳〵しあけて ぞこうなくれ〳〵 これはどうしく □□□ あるをりなますし などをとりあつ あこしらへろとて あやまりて ふりあぐる てのしたへ ほうてうをおそらが のんどへだそしかは ついにはかなくなるぞ ぜひもなき ひろ かはがりより立 かへりし所に ひそうこけがし てついにしにける ゆへかならむされは せつしやうをこの む人はそのこ そだちかたしと いやり 後 □□□□□□□□ たびのしゆげんしや ひろつならどう してこゝへきたり かはいや 十一日 風 ぐつ 鬼 はてきのどく なこんだほんに □□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□ あわせた 藥は一 みてさ の八郎 ともつなは あにひろいなへ 申わけなくその うへみちならぬ ふぎをせしことを おもひつゞけはかをかの ほうてうにてきつて はせけり ひろつな しよせうの てうへおしき おとゝをも そ其時は。其神を語る事なり。大地震といふ人婦人婦人数 あた さきたつる 十一十一 をへんじともつなにみちならぬふぎをすゝめほうてう にてがこくにがいのちをうしないしもわがまじゆつだいへ 女房なげものおりからさいせんより □□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□ □□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□ うでをも何くひさいなみわれはそ はいばらきこうじなりわこなべが いちそくにたゝりをなさんとすがた いちそくにたゝりをなさんとすがた とのしり くもに□□□□□ □□□□ □□□ ならい こへに おそろしい かうふけの おにだとな われも わた なるが 下部卿□家来□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□ めにもの 鎗 □□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□ 大和漢の説の記 おまへさんのようないらしらしの かたがわつちや うねめのほなぎ 采女郎 しみ〳〵すきん したよ 山くものわうじ さる此五のいけの へんをとをりたまひしふ いとよつくゝき二八あまりの むすめせんたくしてゐけり をなからざるには、戯婦人の御誉御誉御座候事を以て 山くものわらしは てのほるいんよくの ふかきんゆへやかたへ いともなひてうあい せんとのたそふ てもうつくしい玉屋の みやとといふかほじや ひさらい もの□□□□□□□□□□□□□□□□□□ ぼれた といつはさつま いものやう なつのが はへたの さるきはの いけの女 うか うち □□□□ ともない 玉ひしがたちやち おそろしきすがた とあらわれ山ぐものわうし のくびひそくくひひもろ 十一月 浅草 □□□ とう かけ山 の□□ せいなり これで てうと 三ばいふらを あんほん たんの 鳥居清経画 なし またの源太らい うんをいけざり よりもふへき きんをねが よりのぶ らのくちう へ申おろ つなか そのたちよりが かうかけ山へ はつかうしついに あつき け給ふで めでた けれ 桂子作