伍太力菩薩
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- 不明
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- 2026-08-17T19:23:18.241Z
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- 場所: [江戸]
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- 不明
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- 日本語
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- うろこかたや孫兵衞
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- ゴダイリキボサツ
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- 東北大学
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- スミヨシゴダイリキボサツ
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- 2026-08-28T18:53:25.651810+00:00
書名
伍太力菩薩
申
月
年館
究令図
学月附
刊
所蔵者
管理番号
資料番号
撮影
東宇
仙令
置車
一百五十九日
特別
NTTT
吉
住
ごだいりき外さつのほんぢ大傳馬
五十九月五十一日
つそしやくしのゆひなむき檜大夫三町目
一伍太力菩薩
==
初段
いテサー
しておしてしたがいい
扨是はすそれとみいづか二世の聖也入命なはめにのそんではあへて身にしやがのするへ後に世てたすけ
有之候かいつてものかいか
にはかいとせよじひかに過たる事は更になし其にせつ列住吉兵衛をうつたかくもしかてもしを
くわれ尋本郷中に本物七十八世二条の滝の段今かよいづみ河内のゑゆごしのへをはまなの左衛しはし
高とて弓取一人なわしま寸文五千その秋しわなへならせ給いしかわすれかたるへの姫君有生ねんは十五
さひやうがんとすかはしく花ともみちこも月雪もたとへときに及はねばねばいつやときはの夜かえしのは過まへ
すふせいにてはどりのあさに分つゝち上てうあいかきのなし扨又身のしつけんには何せの形ア二折る成ほ
たんご尺度ながをのげんで立はつ同一郎しち過ていつれもなくらぬ言は右をしゆどじゆごし奉れはのれたく
さ木毛なかりける此処方元年五月初めつ事成に道たる跡屋根は家は家前迄住吉の御ゆうへをはへゐせる
幸良ふいき長しれやもいとゞ住吉にたんけいせんまめふんやういせよそ仰けの春て候へろしの行いつ軒やかす
住名さしてそ参らて波前になれはあら有子の宮立や此御神へ申はそもしんやう重うそうそうそうしんで
つ有し折かたす舟のへききへあらはれてぎやくこをたのち有しゆへ扨こそうぐうぐうぐうの時にこ
やゐを召そとつゝをやつゝをうわつくをの歌に社をそへ作吉四祐兵衛人くわでう有されはわやのゆご
神そやぶうん長久あんせんすよらせ給へはてそれそれ具常高は田のみなのさせ給ひけの見の児の沢をはれ
やかすさかい高涙の遊女女共いとしほらして立出てさなへ取みなみすかさのくつれやかりはゆくふりてをかへしうたく
たの魚えるなきしつのわざまは思へはうゆは田のこのもの也、そちはやふく神の御少にそなん也事ぶに度も也也
もりえたん正
なかをけんは
一はまなの左衛門道高一
小嶋親親記記記記記記記記記記記記
津もしやく
一のせ形部
□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□
女ト
はるちか
さみくれの水はじかす水汐を守の浪をはうさくきのきほのなく姫の月のはれ遠きてかたふふうへはさふ
とめの幾三郎へするほさき寸ほぞんかけたの初ひこそがりやうびんかすならすあほもろやめてたやと
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二刀つゝけくますたとを寸左門あわてゝ先でほきいぜんゟこかけにていさひ見とゝけ候かとかふいわれあきやく
かないかて衆のかさん太方ひんかいてにてかろすいさん也こわしややましまたけて切むすひ火花をちらしてせの
あひしかさもんさんや討に死小桜か袂に足を引かけかけおとせふすおこしそ打太刀にくつに成てそがせ
に弓かく所へけんばば娘者の御向て一人来りしか此由を見つるわす事をたらすす給ふにそ家子のあたし
迄をしの打つてちやうどうつ二打三打たがひしかきば本が太刀とす一子は打ねの思ひ切たる事なれなれなくは
くなきたらんさしそのほんんんといと笛をも見すしてやけて行みたなしづくへのかさんとふるとこになつかけし
にたん公か有たう天跡ゟ来の一かけなたてむつまくむ。さんでにつくいやつやうにかにかにかへすみ力に住て
なけけれはふらんに成てうせにけにけり其ひまにたんどは斯るしれすにものげんげん也はゐかれの眼に泪をなしと
桜原は門かしかへそ爪かしひめ君しゆしけの我やをさしてそかへりける方はるか心のうつむねんなうとも
中へ申斗いなかつけり
四たんめ
みす長をのげんを立方はひあ者の御供置きぬき家やきましかますめためを入合てなへと外つきはなし
けんで心をかしつめほせす何せ順部はかんきゆへ行もしれかくん候君はこのなんごく御しゆつらんの御るすにた
人ごりあ逆をたれはくつめ申へき迄かつはけんぞくなほけれは度にいくらせ給ふ由爰のましよせん夜へ
上らせ給へつゝ段なうち三鷹の大臣殿を御頼一々次第をそうゑ有死んしめをやつたきに給へ給へ給へよい
しめつ波のり物にの事束しせて給ふによぎれて宿所を出替をさしてそよのける殿程にたん正は姫者〳〵
取うしなん断方を通す立その御供地都へ上の丞下の聞て手の宿餘たかのものとより有かけぬにて
あへのが原に待けめるすはや引そとなつ丸まへけんでなくろぎうそくがあしくかゝてけがすなすなまでもひん故
いてひめ元の御こしに立そへはたん上大なんあけ森本きんなれす有命おしくは姫意をすて立ためへとぞけ
ける定めしたのしがみをなし扨はもり本たん正めかねなみは定てけすめんになたんになたんととひそりまつた
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を立心なれたといことあゆまのふ女を忍ふたひなれはすけの小かさに竹のつへまた夜ふくも有時の月
をよすかに五出て袖の方はそなたかせ松のはまになさむれこすへをわたる村かもめいそうつ浪ふなざろきて
とひつれたちて給へねに分すその夢やさりゐらん泪はまとよやさま長さすがなれにし所にて跡住右の神が
きやねがいとかけて心しめなわよくいやとしるこそこものほそやふみいけてとをことほのゝつやか思ふ
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あらんへ出すへば小てうのねふれつはうきか内にもしほしやうしほうにやつか石のみせに世に書に町つれ
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なし四天王寺のねの数庄河善常のひぎには毛の丁がたちちめればねはあへま成物を思ひしらすとまは
かてにあたしへそわめしき有する山のあなく成大口のきしにやそのしてともひとけないそま山おろすあらしのも
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かんせぬとのこそなかりけれ
五たんめ
わねよす薬に口ににかく忠言国にさかふ事はあせ形やう身のこと久き石の御かんき差承ていつこの国をなく
れなきたのさとすゑん有て草のいほのをもむすひなや子三人そのゐてせんだ泪也消火諸共にいひしき月をへ
なくりけり古やうぎのみとをからねはへんどう西運故ひめえ行りしれさる由ものかの聞ゟみはしなしたる
よの中かな家御ふしんの身なら迄よそのさんなな衣臣の礼をしらねずにへゆへ其上かれに出たるとけへん一
こめかいさなれば先早へ立帰ん心めを打てすてすてひめの給へを尋給へとは思へ共女も毛をしめならせへ
共に行ん書したいなんなさなき有と有なれば立てますいにあかせんひそかに出んましあんて日迄これとこんないへ
に女もそとへ出たるをよき折かたまへ毎にとまへ置置し足かへ火すぬきの数に生行いつくへ何せ給ふ
らん母すとましまたねに何たて聞て或給ふぞやう処を立つれさせ給ふに泪上みてぞ申候誰部此由見るがへ
とな道の也云ながらくぬぬんやうねすぢかきあたり粉そとよ母もた分帰しか事して母かこね同はれ
こそへぼる事ながれなまなしやかすなすをせよさもあり也何にてとりのみつけを忽させん飛みすさなたむ
れいめはあとなく悦てみきにて有なやうつくしき人形を餘たとゝの人給はれどみぞとを望たる祝しんしんしんしんしんしんしんしんしんしんしんしんしん
う也さする父かに程有やりてくかへんさらんとて立出し時におもさともさと給つたけらはかまをや侍の花おも
さなき名を捨置てくれに及へてけしからぬいづへあせ給ふらんおほつかなしとそろ形見やさするせん又よろ
一今は何をかつむへきたき事あふ刻のゑびすきいぢの下向の下向の頃たんとぎやあやもくも立てひめ三言
をかいうしなひなれにくみせぬほへほと見いをはなきわつまば給てあら様むもれものものものもんかた此かにしな
からゑへふらうのげきしんやとなどあんかんに我へきやくにへ立とへねうい有ん心を打てすて思ゆび給くは有にも思ひ
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をかたふけら〽はいす有かたしは中〳〵申失なかのけり
一右并本は武蔵権太夫直伝之正事
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正月辰日
大伝馬三町同
うろこかたや孫兵衛
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