鯛屋貞柳歳旦[ビラキ]

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菅專助等
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タイヤテイリュウサイタンビラキ
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三百七拾八番 鯛屋貞柳歳且図 水井文庫 雷雨共 茗荷 九月十一月二日 鯛屋貞柳歳且閣 一四八升荒唱開会を 一座本豊竹此吉 壱冊目 群督図書。 中 千代の初めの一踊り。松は松坂越たへ松坂こへたヤウサウサン 浦のはアリア〳〵さつたヨイヤサとためく都も大湊泉州場 に一構へ入江殿の上屋敷けふ七夕の御嘉例之家中 の男女打交つ。踊レぬね拍子かけの声も。さも微つく 聞へける館の主大炊殿住吉社参御下向を の声に立出る奥家老浅香十内。出迎ふ間もなく 御帰館のお傍放れぬお気に入出入○町人朝屋正九輔 其外吾彦伊之丞源勇助御供にて廣書院にそ入丞 大炊殿御機嫌能誰々も供太義別して礼いふ正五郎七つ が影て道々も。能楽しみの狂哥の友取訳て面白は難波 屋が笠松にて。降す共先。笠松と東へり見て。立寄人は 我折さかいで。 鯛屋壱 よりは殿様の。笠松と叶ば座敷へきかけて。難波とも有五哥 て見ん誠に是こそ当意即妙が是は近頃知かい家業 の為に来た者を引連歩行て。吟草臥つみ丞は正九郎を 次へ伴ひし献進め。勝手次第に休足させた。けふの礼にはの をかな幸爰に立明のあかつきながらけ色の羽織を脱ぬ 御手づから差出給へば正九郎と有難しと押戴き尊意に任せ 早か暇御酒はお次で唯一盞夫から直にお屋敷廻りと羽織行 手に差上て。常色の羽織をわが引かけて欲の彫又酒を呑 て御前を立ゆれば。吾君も御前に立て入十内御前にわし給へ 例年御嘉州相変らず家中の男女打交はつ実庭にて踊り の催ふ一後室殿にも奥書院にて御上覧殿様にも御入御覧 も且はお笑ひ草申候事。実も〳〵七夕の嘉州相変らぬが 家の吉かつ。夫に付両人へ申渡す其子細八十内が所持つ刀二 字国俊文なる勇助懇望すれ共金主人多き刀故他此酒執 鯛屋式 も有んかと。辞退致すも尤ながら。武士の身は。地強く。聊 の事より起り不和とならんもいゝなれば。無寿の清勇助十 内が根宿と要合せ参引出とて二字国俊使に添て送る時 勇助が金も叶ひけひ。日頃入魂に一家の給ひ。此大炊が嫌約せん と仰に勇助頭をさける有難き御衣留る年来印也二郎。内俊力レ 請而悦びに又悦びを重ぬる婚礼此身の大慶是に至廿十 内殿の忠左衛門尉は。何ば扨〳〵殿れの仰と申。嘉がらの湊氏十内大 過た夏年。お望の享国俊引出物に貴殿へ譲れ罪人の浦賂 よも有まいふつかな娘なれど御面別頼み存る是は〳〵御挨拶活納 のしるしは拙者が重代備前長船麁抹ながら御肴料以後は東に 一家○宮は是も偏に殿○厚に有難き仕合せと双方度に お請○名谷御早速○承知悦ばしい此趣きをお聞有ばか後爰 にも御備足皆々奥へと座を立あへば浅香津も御跡に引添候 〽てこそ入に烏朝を伺ひ殿染忍には気物栄の句の襖 ケ口十一丁 押向小手根江首尾をば家原半九郎男だかつの優安人目 を互に済縁先去迚はいと嗜めや最前も奥座敷で。冬の 目つきや仕かた後室へは大やうでも。四角四面八十内殿びよつと 目にからふかと。奥庭の踊るより。胸のおどりがまだ。藤お森の 法度を知ながら。忍びあふ二人かふ義。若顕はれたつち安軍問度 忽に首はころりなふいやうろたいややとすり連袖をじつとぬをがめて 有〳〵。餘○人百人の人よりお尋へが見てゞ有べかと。お前があぶく〳〵と 気魚さんすがにくゝしい縁が因子か知ね共我逢初だ恋中の帯共へ 宛を忍び寝を包むたけはと思老度重りて人の目に名もかいへば夫 限の命もお前ゆへならば無や惜い者は心に。侍たてゝ臆病なく しやんすは兵衛門一露堂程もないらとこへば聞へぬ腹が立あた調歌 なとすかり付帳浦ぞ丁行なけれアゞこれ声が高いしんにいや行得 先にもたつた度お霜と仮寐は当座して。戯れ今も御前でなるを聞へ。 殿御門お採物で勇助殿へ吉弓親のねた夫の有身。不不不実父の悪 名遁れて。おゐが事はめざり〳〵二世とかわたてそなしてつげ。外へる。 五敷病なやつめと引告てかくれはやつこりとてつや真考に一 れ善左衛門様の蔵しつかゝみたゝ抔打心いとひいつかに飛へおあげの御 て爰に日海目にて大蔵とて額を付けて微なき七歩に繁めに。忽ちに 余り半九郎九がれば赤山は前から爰にかたでもなし居んてもなし。そんでもなし 後出殿の後に。帝でもなし。居んても立つは難が。爰いをぶくしてしてそれで苦 も居んでもなし居しても必じやなりそんや事か合や都合兵太郎実に地入仕 地蔵のたかせ立つて御所もおほゑと行をからんしかりける お前の母御住へつつるとかまとが内緒で寄ねどうね。かはすといふといとも〳〵 徳はいやゆごとや人の縁穴に心中へ大都ゆ又は大納も西様も西 繰戸渡いたねではあらん。おかし。男恋の言寺じやつと夫は皆内諸事 〽おんで勇助御門約束はお前門前に十内様表田の長い将来其心方も まださぬに。及御呼はり煮なさんし命されて初くこなれ。いふにこそあいな なが果さはや。悪の跡でも。落ひつとは。そも外嫁入する気する気なる。心る 鯛屋五 おほしやうを生や何時も前の心や心は忽の 守殿引出しいやし寧る夫有のやがらへ○○〵半九郎の雷生健に思ひ 請けるもか辺穢はしと仮藤及紛れ抔やければしそ寄ゑんす残也。何はやきの 覚へのあろはこへお前かどのかとつのめぐる梅桜中に雄松の半九郎よ人よふ 居万身に冷河打も奥有けりお婢は後宝屋のかければす。おろ殿にいやと引立 宅沢間ゟ手常め〳〵広間諸門役人中竹内諸介護大迄仕条かど其家 呼立つて是非もなく渡つ相図を喚ぎ合残てければ。陣も倶に。外国の方を曳 一敷れり。ころで奥はぬ。大きにもつくに。近殿にに説ても。われば。 い意にて懸り。熊太門をと附近し逃入所々後ろ地にむごいそよ〳〵。奥州路 由我等も定でいと〳〵。。法師亦皇じやか念は。権酒の百六尺やうさし 酒をまやくしばくじやう〳〵に振放しろろはいといやいなくやいなく 穢ある上いいやしいど逃行を猶引出し思ふ打込んといふが敵を恥とぞ思ふとて少しを明 さにや動にしやせぬと蛇村騒死し逃込一間未かる勇助目に任なき津家女十郎 去てややと引た又顔見て暫回目に御息もまめ顔ゆへ敷風情吉 鯛屋六 彦氏も別る是にごじめて随つて随しに熱も興にて入る物致し酒と存し酒と感じても根 がふ夜用は此男助どかで御指面下されありて後酒四百石さんざやさんだてうさし酒は。 □□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□ 国まへの内辺のやける通目ゟ潰れのの跡にもふべとなし迄しめて屋敷へ立帰る 伊藤はしこや正や藤腹女が企介がらにて手能と記る事は所なく小案 の男かとに落ちる以前のごとにて見改め十内が娘をおとのが生有がづつ此形 請し玉と慎愛の間敷登来かるぬが申候が申出事 敵の手の御帰帰や侍夫くんへ一討。眼平右守方の伴意が手をかねをおついでも。半次郎を 自然たするは。故に部屋堂の霊神将衆は皆は夫を越官に仕まで包の丸に と書をぬしごしきやが仲間宅内かる程類いそんをねたますかしてこつしてといち や斯や彼神盗はせて手に入左衛門左衛門は下郎つくぜろはれては此事は と宅内かに金はをしれ呑めせて〇儀のかそりくがつてお家の善権所妙に方へ 一並はし或は後難を防ぐ術所に此度殿家内配所一国高橋介ゟ右同一幡所 金に付。諸頭門使者或居長をするには参兵が弟源三をは。則記前守様成 鯛屋七 の原屋敷を勤めからぬ。がれを以て裁。女は渡の段になると春直になしと めんほと。騎失へした科は半九郎。板は空の物。細六流々仕上を見よさんとにつける ゑは武州文致もこだしてがつく。こしいまんでいすば仕やうはま〳〵。やか三百両。 歩していめてあざも是も何ぞの役に立る。其上夜所半分は除にあるべあらず。 たは貝の浦やきぐさぶれぬふ身に迷ひはい爰に恐れたんが出す所引 捕喰るに有すもなづしし。彼等は仲屋へやごと追いは〳〵人を損じ人を損じ ○霞を張けて小便互に忍び改築に其衣も。普述て奥は潤して奥は潤して奥は潤し 龍田川の大の川金田の泉瀬道べしとね幡くねに及び天保相図云々致 半の間でうと能門蔵や門中に残たさいれはいか 今夜暮のと人東に度つお客松保守様また戯れて廊下に名と打連着やしの方 家の関や備仁吉元に成者見付た物なき身に帰けし後爰のやなはやないやないややい かやし様に伴之丞探かねばかねばがらんじめぐることしとおづ能損て遁ることこと しより際ば書院向み様に引火が多く御忠可有之義者者前は皆々出合と呼はるにて 一嫡左衛々に独農屋敷は昼を欺きの事な斯としふに目向院丁内連名前へは 鯛八 水はしく。郡代お染。法心を背ふ或ひへ飛出したる相人は生きときにしまへ共。 御成役なされず。次政道が五十内今の今のとないと同時に持て参つたか わんぐんは源を渡し顔を。かな○法名を知なるか。か目を掠めたふたり。いふが。いな 料はい此度へいを御成敗敗願ひ上ませ〳〵と覚悟門詞に後宝物は直悟る故中十 内も何と出す詞なくしぼるゝ花草詣物前近ゝ男んで作癒物をふして くろいとひやうに貯ふても。新立つたへ立の成。故がんじ半九曲も引出して侍る者 手先侍れる役家半九郎九郎を相手上聴な記数有てい者なが日頃実外 内殿姉はしやかは尤ながら。半九郎に違。ひないと申。則此肩衣あは暖の也 身が手に残や後日○託授後式卿にも御読有と差出せばねにおび 是は託機にならぬと立なやながら此内辺殿の定役頭に寄兼拝領致た家 中の者残ずにゑい林人な人ならばいふそのから誰なせやがよく。是は迷惑に方此住 文条をれとは近頃もつへお目私違ひ玉ふは深がふ毛の紅人は何と十内にきい村 いれて意をきてそんそんとび出た事の師かそでない殿は広間諸門家中の銘々。名衣 を残ず改め。我何時は拙者がふ念。此分。此分別何とかつとなことなりとなるにで 鯛屋九 後家御声く寺〳〵と広間詰の家中の者肩の肩者をはらず是はつと言つと答へ 一べつ間より。半九郎はゞ妙家中の諸士肩衣刎つける〳〵〳〵御用いかにと 畏る予忽しるふ義の證拠お気に人の者共故御賞を以ておばひ かなして性恵なつた家その計には喩へにいふほんの牛に経文なれど昔夜土 梵女の道下臨まざれに美女に戯れ既に其罪顕はるを。其座すぬ あふ諸侯の人〳〵あらず対の練を上らしの助けしは荻王の情恵を治は 〽小鮮を煮がことしとや。ゆるかせに執行が公の政道ぞとを思ふてふ義の語 義此座でせぬが家宗貴喚今宵は在す共か染が四ゟ白心すれば何時 ても智頼人是式の尊誓刀は更成とむこまやかに任わけて。こ驚けて。清兵蔵後 宣い所に詣つて伊藤し子が婦ぞ小気味よし千内も感入も感入て遠国寺 い御救習家中を両やみの御仁心と皆々敷に頭を下る半九郎お染は。半九郎お染に 肝にしみ込有かた渡やけ形こりぬ伴に応して此詮義の納りはならふゑの あり此肩衣はお染諸共半九郎のそいに預る詮義を遂よ。いやそいやそいや お捌さが違ゆたく給ひかつた半九郎殿へ相人の女をお領有は。其疑ひ 五半の由。此詮義を仕護也福慶のほかかへないされは何時に用捨もなく道 九十九年記にて目は須賀。誰が誰が誰も。其方へ用行ない。更都町へ下ぬると 二度の石屋敷に書ゆる。までかくやし〵屋敷へなれは一内地獄の 一入屋太夫共太夫ゟ長太夫与三郎様成一礼治度ゟ出火なたかたるの 泰平内は御諸道忠社の武内是が罪行同さらざるといふ事なり に野又は小染を預ける半五郎右衛門様地家老門様も深谷浅香氏内刻橋へて旅籠を 互に或礼何事も忘がいふ。古木の巻。長は勝綱の張引忘れて。その 弐冊目 建並ぶ行の丸も広小路家原半太郎が殿の内藤左衛門頭するも 預けとなりて恋人に逢嬉きも身の死せぬ物よび物よひ済ぬは が衣は落咄る也也迚果はいゑどももとい時にでや奥い見て陰襖つ 五時も行義落たぬ母位の郷立やかに立出て御家の押込云つるいはざればといふるのはざる のなそなしゆへる夫の目をに成然といふでも思へるも吉にせずとはらずとなつ る慰みを力を計る深切○詞にか染顔をするといふにて此程より此程より べかひ矢関賀髪ろし御家の法学を宥はし科お仕置て〇覚悟今の知れは 本来る。申上ます〳〵と行は詞もへもは。不能下城を超ぜつ声諸左之ゆる半又何 畳みとはつもしとやかに母人是には渡りか御心御用外じなじなしてより庄屋 敷お預け立宝堂の墨助殿の御家門肥前の屋寺橋家久河堂に て諸御門役人富居隼人則大坂川口上へ暫君松致されたれ右門野将参 致せと用人中門御内之と共に心胸の任いいが娘にて 落ゆる也鍵行は此位つい感任て何角の用意。てなたは爰で預けん。いふ義 の詮義を。ウハ深雨。白。しい。言だいしも。定めてたんと名を心物。合。人足かと詞 数いはぬが花の音に匂に音は。嘸どやげき。かしめ共皆々部殿へ跡に おほ頓て巡り村よしない私が惚たく危ひ所を後国左の。給政に預けれ 朝夕お顔は見て居れとお詞五す。子さんず。此身也。此身の悲しさせ鯨の母御つお 情でお傍へ寄るもけふ初め。迷いかにかいかへおかはいひはねど。月にからひや 斯と思ふて居たんとおもある。邪石私が死たなくなり。こんば。ころなが 気いう逆ふわいなと一筋に思び詰たる女の気ひ只実見へていろし其給ひ はひながらア〳〵お露は勇助殿へ言弓も殿門御表出にそふなにてもそなたを 返却に増き咲はせぬ。忍び道だ初める。死而は二人が兼ての者格冥速の 道もかして行ふと思ふと思ふがころしみと抱れは抱しめ成つきは行立ぬに思び音に 渡て忍の誠なる物もか須に来る人も。後にくと囁き合。孫は奥へ行る もなく勝ねと云へし書院先町人のぞどこやに競州朝屋見廊に腰がめて 今度は私義も今日大坂帰りますは。御暇乞やかめやかめやう参や訳はけるつか 館のもめ合家されは出屋敷へお願はお預けやう町家と違て武家方はなり何角に 討てがいゑ外なり。事ながらは度敷動い弟は。盗むべきはアゝ也が我も人口の い時はこゝめへりの弁へなく。後藤様と云かしかしからがが彼様左様大便合様々 ぬけへは敵をわける歟にも是はしかあり時に突か入て思ずかずかずかずかじと住所 なから逸定りも弁栄の謀友も見へて却した御手立候には襖押も何 気でみ侍夫折に孝正九郎殿へ出入て咄へいたいたいへはそぐは奥小鷹に 預るへにを付て。云此母に遠慮はぬにてとすゝ何やう何是はやしねかり歌屋 支へ出人も多い中外ならぬ心見ゆへいたし其役人の子をおながら絶いやと さけやみもおしなる夫に臥れより半九郎半九郎兵へを。同さきよと。あんて皆宿に も構はねはぜいにおしや〳〵と人の詞に恥のてすげなに見せるにても 有なくば黒木に立ぬ夫の道思ひやつてと計にてじつと寄添手をは。ぞふり。 これ顔このや入かりて興か覚る。御酒機嫌でもないそふなりアノアリアかけた 正九郎に。ソレ惚もねは法藤又但ば後家はお嫌ひろい中ごと花深い 上気の面に移るもなるひ四十に余る橘どりしんと〳〵の年月をにていつを 聾けんに推量してともつれ寄盛り過ても白菊の父寿は失ぬ風情間 損手を打ていた。日頃日頃強い住つ江屋。合只は以ぬと思へとでやけて。 をためし義理殿はおくの手九郎様。仁五刀の松介殿は二人を此正九郎めに頼ふ 計の心の心のこと推音したに迷ひはなけぞるやうと思ひ合を契む事故 ばねど私も天は此場て人にしれた質商売手代共が引負けるからめに成 ていへに仕合ややへの者が手を引でもふ神也に出る所をおこなされた手へきふ 図した事が御縁になり。段々との御深坂は世話役にに付た京を留笑 殿頭へつお出入ける向ひ○わね広く次弟に繁昌致す上又勢へ引越て 今私慢○雛殿まて。朝殿大和と受領致し。歴々に肩を喚而太面に成上心は。 皆半通の御新破。其かくの半の半の御堀様住住郷お為ながんにやんにやれ火夫様 か。今でもとんじておりまして。砂に町人なればせ。想ひはけべきやぬと都々あての 蛍程も加東浅そ我なる。其男気を知なり。女の涙の瀬ひも。けふに せまや君右大門何を改さい殿のより預り預堂の墨弥次郎様にて。惣て侍る しれず。此事へつか給へば。半九郎は江孫と笑ふためさめ給へ給ひやしく いふ○は半九郎やも露しきす若次盗を納め武内詫ていづていづといづくといづといふ 月日を送る中肥前門国方橋家ゟ右門神御堂にて請放の代表門 隼人来れ双に俄の当惑之夫お染がふ義○紀門前も死罪に極のぞ まては居ぬ気の半九郎とつたを頼んて屋敷馬浪科を此方に引受と心 一のを極めても。人の心の覚束なく疑ひ過たは受てとれね。といふとはえてと覗ふ アヽ勿体ないつおろしやります。事はもいものを思ふきの心を 太つと申て一人の粉めふ所ぬ故に勘政に勘致し公平以来とこに居るやう依るや 信やはこそ道理がすくず。頭口はかなる也をするといは汝に初め。初め。 共大門卿門罰が当つて悪い死て仕かゝゟかと悪業な程てたまたは親何 果其身を捨ても助だいと思召。おほ根を憚ながら思ひふつてぬ旅や涙かと ばれますと我身いつい事には交て千政の男に住つにもかは思ひいとゞ 頼儀安もなき折が御内定〇御用に付伊国の御出と詳が解が趣に止 九郎儀松ぶて次いまへ入間程つく式台より遠慮もなくおなく扨其後は 御近侍申さぬ少お見廻すばかつても角に間いない拙者を笑いの方 ○も。伊藤が美配致さにや何なこと埒う同心に移れて発明つる。迷 感心抔んでござる夫へは格別際がふ義の打人はしれましたり。并此間ゟ色々 と手をかへて尋ねますれど。今においてふ義の相人りしれぬ筈也。手桶へては れば我子なり也□□□からの御内鉄。□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□ 方左が屋敷に陣置殿の御前は忠左衛と申上は詮義も夫なり此品案は どふ有やとすゞ女若辺口車むさば乗藤利恵の住の江壁白村やさい で已所謂遁れぬ源が命のいだしいせめんなから譜代御恩の御主人を渡り とかは不思ふ義。申ゝそふかは何なるは尤なれ共。あすが日餘人の手に渡り教き責 谷にふきの犯人の人深く口ゟ白物致さば。半九郎殿へもととなかゐやつなが住つ 江殿爰がこなたのけも曽人ならず三人の命〳〵気。い妻と申そいか笑なと申そふを を思ふて此度別是非共預り帰るべく情ごうにやつ付ても急に依ても忽に供た突門仕 介母物六人に付て兼て孫兵衛出内鑑を以て預る材父を以て役目認め 半九郎が申談にあつやいお腹がつれぎやふか。御覧には似合ぬは似合ぬは御咎な されませとやり返いれておれておれることに有ても成ませぬかにそおほをぬてさね。 得いぐなければ是非がない。深白なふ義の詮義伊藤見物致さふ書計て出置 童の墨跡清左衛門使者らぬ只念の為に内見見残す。御持参立任の同殿と己が 盗人二壮の心のには込尼病神住の口気氏をかへいまたお仕者も御内見 と思ひも吉ぬヲ見せともなかれ様はやほぬ。奥の向頭辺少将満引すぬ 理事にお国は色は其侭てはまたれぬといふ間もなけし○長刀追の身損すれば 是吉井式衛門部の短いく日頃念者の半九郎殿よりやとはぬじおぞはさすにしるが 馬鹿倉の大津尾橋々六方へ敵をさるで上俄に追流する船はすからし浦藤備 しやつと消て七朝ある引違ふて小庄太寺橋家の御父者隼人の如今是地に立 一下都がしせに不寄の住の郷肥所の御使者隼人也。此屋敷心は心得ぬ。何分 せよはな申せ奉給ふへは相介母が直にと奥の間の間代にとつおいつおいつおいつ て入行へ早入来る故居隼人折目方なる袴肩衣行義行奉打なれば 夫を聞め出出向ひ遠速の所須谷方千万拙者義家原半九郎後は 同知下され迄挨拶すれ是はくにて罷在は御辺得るは今初やね前方へ 高橋殿敦賀有神堂の墨跡入い殿御仕合殿下し置れとい御略着に 依て左の一軸請仕への為推参致すと互の挨拶へ方より済ぬ心を何の江が 真都さけたる。箱根渡に付てしとやかに。故ござく此屋敷へ代々暫此御一門の 市橋家より。熊金五人の外聞へ。御請以下二りませと隼人の前に押出せ入役をとく〳〵 見改め聞しに勝る虚空門筆錦が。アゝらんび〳〵。春師慥に落ね致す。拙者が 役目は此一義。○相済ば長居三日夜か漸申上め修め。喜いに式礼こやくも夜札 こつく出行廊下口守橋家門使者誰なが有野之得たと住し江江に知られて 立間黛に立たる此隼人。詮義とは何が詮義が起し事絶し事衡の詮義。必然に 渡たれて守橋家御家門御家門聞存んじ隼人殿とは平悦右衛門相違 あい藤やう衣服の着やうを付きは討に討る街と見た目は遠にのあり仍て家かつ と見遁す句に恐ぬ大膽や義なる遠か目知る程拙者の者街でござりける 此度業者ののことぐれては彼間の名人類からずに無ながら此代物倚て申さ候の 〽さましの今墨流渡さずは手九郎が縄打て一誰義にて込にも及ぶといへて是 には朝やが有にし其の介を参りに供いずは法捕て家来には討火の将門とく 但寺佐主画物をも前でごとでこと小橋ふ岩やすんぼり程だ横はすり木綿布や 〇発す程令佐栗押下り従ひなく行ていね。元孝あつて天性の御城の 隼人が参は。請ひてゆや時は。生五郎のつおふくいふねそことをつして立やへは。其幼物 がふり故ナンそんなる長威河矢を知て説い盗賊と安○詞にわし九浦姫くいたるべして ○紛天□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□ 間に貝を詰てぞ聞居たる夫共御側にねをつかへ私は鯨をつとて和泉河内を徘徊 致す。盗賊でござりますとひではなれば。如しねはしぬ身○上。お屋敷へ出火の町へ 大坂瀬屋正右衛門真実の妙なん。前髪五〇時なり外馬かの草遊び其上乳 守の女郎に則深親父が何れは母右人陰なり陽なり。なり。甘い宛が此あつて 持す女房は瀧いかして寄も討す。あげはまだ内を我出かま狂ひい鍋が詰つて ひことした出京出も。身に募る宜根性訓深た女郎馬藤原卿で今六津浅衛門 一年の天地の悪切目に塩のゑむしむことは今怠がいても。役に発明つゑと身を 悔んで暮す中お願ひの虚空の虚行紛失として怖る或は皆戦の仕哉 並へ御深度致すがる近道何平仲平神天門と大恩とあなた方の御神度救ふが能 みつけ。夫を切に持左勘西の説致さんだんとつぶど通所も知を。兎角する中のの 墨母の紛夫が母上へぐれは手の御組組口にやいつめ○神義隼人と名じて参 たび其契物を衝弾や。我々此身に引懸やうどり遠いなつもどにて刃のさびへずと やらねばやらぬ此顔女に構がべねは○橋くれにもなふと思が身の心が聞つ。 が此夜ひ出入下さりして忽と欲と考とて必て命一つて投出た街ひ怪我 なるれねを聞て位つには錦の凧と孝行に其身を抜て手五郎と悦て下上る志し は置ぬ去なが。今にも毎年人殿お疑は出有はアイ。其気がひなひないに。藤 に大坂道川口にき伏して何の君もや刀に。ときすれそいがねにやけて肥所の御家来 隼人のてをはん〳〵親へは二度胸り。思案を考何半九郎母人たらばと震い刀是 待てと泣つやが染も土石左組り留れば。こと〳〵預り熊陸の直都勝 失べる越度の上記前の使者迄過させし御所へ申訳と留ても及いぬもの 一図双間ゑて正九郎三り寄て押込め。まあまあか何なされまでお知れのお命 給ふふに女に女にやつくのおほしね。夫を無になされますと夜にもけてござるや そんお二人なからは東なされて。やけすべし詮義は誰か致ますがテ両へは申上度 何事も私にお任せなさんとす遁れ無理に此場を納るは勝負ゆ衆命が別れて 禅経又の願見るかも曇日西日儀表長頓て詞なし或はまな迄御心得ざる まて私もフラム堵[リ]是そこな海ぬ前そ何も角も残ず。夜で皆けだにあ らゆるにゑが仕たういで流れする様になんへはばさけ。またといてからか是も何その 駒木のまたしも親いよ。他人の心見郎が大夫様の手の御門の芝の御門 御難義救ふけの仕軍禍も三年とや。ちやう殿ちのうて。信いにも給い中にも殿は 御家抱所の御家中隼人の数だかはいつれも勘音○錠おろさねば今日の冥加 が済ぬ五年代はせぬが。氏へ孫かも。この有事 入り候にて其身こて。盗人で柳果にずせめて其こいはしい人るにませ尋てくつかれと 一金二三匁渡渡殿にもん勢九十は膝をつも今更に骨方にこたる夜の条 此身の神が親女にかんせつなさまくに倒さへならぬに者の罪御救たれとす にて赤くひ付方法徳門卿親子は染も倶に。思ひやんやへる信儀にして れぬ秋雨を袖にくつゝも斯や人時も深に声しなき夜とて浅香丁内 とよろ和への条誰の次第襖上し壱ねはねは務の人々源を門能頼に 隠る間もなく命り役みなれば上庄に通り上使の趣則義に非ぞかけ 置る虚堂の墨跡物参門義通引故殿様甚聞抜忍び拙者に請取 まれと仰を蒙る士母の役と手詰の詞に人々又も見せ候事常也 内は傍公手ををんへのて隠さん殿給かつお預け有し蜜堂の墨行流れて 行方しれず御前への刀訳切腹御免下だらたる覚仕合恐と思ひ切たる覚悟 の願び母は程つけが如く。誅預りは此へ門江。殊に春期紛失を是と隠し 包みしは。お立を作る此ふんの科に〳〵越度は半九郎。切腹致すが申けと。 いふを打消浅香一内にて麁忽也半太郎殿お領分の墨跡は守橋の役者 隼人と伝は名前徹て帰ふがの下。キサお照し有な存でかるとに参るとに失べし。 の神今迄包み隠置は上を偽る越度なれども今日のたん也今も行らたは油断 計腹切辺に及ばぬく。夜前也大坂川口にて。何者左しはぬ曲者隼人をあつかれ 臣と只今医中家来が注を割符を合せず黴の盗賊五逃せば残念 なか一姓の立所六百匁也。手九郎殿は長門お暇。京大坂へも勝手に立越心 静に彼義が肝要必能気無用ぞ也是迚も一内が私の計ひなす汝と 〽ひられる後室の御仏直がたくくはきにと渡沢なるや十郎が深い様に人〳〵 は嘉渡にくれ居るがいや年を発し盛道を行き也此蝶をい絶れてお 引なされ十内が目五日にまねせ過覚悟の神見向もやず悠々と通に おりしも亥勢の内なしもよしと除右がに射きて夜突出て立切に此戸はア 狼狽也盗賊の本絶打て御前外御引は普弥の紛失を免迄隠せ申し半九郎門 越度を講するも関西也入給ひ御修復し油しる上表或は普跡を流おゝ せて逃たがよから食かけて桶ゑふにも折魚の身なも目窮早暮六何事も 目以らねば損なく御暇ひやいた半九郎殿屋敷に長居に所へしつか残りやし 悪火大郡内に寒慮は無用と他酒目向ひ給ひ給ひ給ひ共提携われず組つ外に 別れ御時も成ていた迚難は命まし人にたし程便りすくないめはいめはいとはい の順へは京の上にて引懸渡の藍正末門に神に神に瀧の殿の名め お前へは宮給への其中に一世とくせし立や申度にも別れ迚も隣迚も隣に承れば いてゐへいと人目も加女言に従ひ江守渡しやけるやい道道道理やがらふ義といふ事。 名が天祖で逃ぬ二人か合せよくか移残るべ御御監督は別ると八日を 並みにとすせきに正左衛門左衛門左衛門れては立まはし御滝のまた半九郎御命に かけてしつのと私が預かは。かなせ。折も良人にしれべし法には。京大坂を 致たへ袖を強敷兼て御吸来をお目て左屋が追討吉右衛門とうら〳〵お出火ひな た詞に感ずる士内がずんながら様い。其又帰殿泣で役内も済へ拙前もお 一腰組御屋敷おび○屋敷様の関西様東北条外の外御国内の札豆筋聖天 左衛門殿ふが此方に 情に人ぐも礼涙に奉自有んといて立て心得しかへる是が是がらず。別れに ならんに乗顔もやくと金に始めぬせぬやぬやぬらぬ敵心の声で寝もしはしの 別れ給は。出て大いつて御渡速の歩行天余右衛門もの禁加て詞も無之 れぬ親とはその恩礼迚見通り見する住の得此度なし渡れ私儀深く 打連てこそ入い付表の口に揺さつ南山の前へ帰此暗紛れに残れにお出し半九節 加んそんじやともおやしやる向ふへ東部へ都見るへ都付れかとかといるも 一万七騎に伊藤源兵衛殿ゟ近く明俊に宅外に宅外に成道もいふとくどの外にもいふと ろんでもおそしぶせいついな。まより先ては念や給は。かそむし様は深くて連ゆり 引くつても思ひを晴すべに寄たる也子九百枚を委くはふやとして任過人数夫は 爰に残り。為互に集ておめて。何さまがひ候女も。是にて。是に是に侍給への思ふを ぬかなき郡頭鳴く二人が後に鯨右衛門門共しらぬぐらまだ連裏の口へ身を呑 てこゆればひく門の戸の介命と。よし足何の足何の足何の足何の 貞応思び込主人か幸吉窺ふかぎやんとのほうや蝶太門腰の手なくひ抜 一輿三尺手拭ひぐる〳〵老僧の口は十内が。夢へ落て。お陣を埋帰まざれ 熊右衛門〳〵。重内弘此教へ。/へ頼侍此子。公事也。盗んでいんでとつさや扨。 立てやぬると伴之丞探り廻つて。ソレ。眼平つゝ合点と門の外詣路上へ 首尾住門口は。隠せし手幅差出すなり。次消間違ひ伴家損はずと行 三冊目 西天破焼失者様地直に金を敷速詫善光寺院こんとめ入河の御宮橋阿部屋 寺の門前母風も流れ秋○髪の事なる法の通光衛門御近延後宮司同院 一御仏跡はいつしや都道具の堀上られたり。千軒程も書けておくし内都堂 ○仏也仍て秋母に爰に発二かけ出火にて吉左住夫殿通りにも並木の名木 一命は盗善と首尾能仕○仮盛の御褒美の記て貴殿には繫道の臣の臣の御 赤く少々少々に出と申出すも別紙でなでといさんにて不浅香十内殿上舞男 の縁便気にはさいよしなく合程丁内といろ方仕合ぬ物恒々二字田屋門橋も藤 に聞んへば此故。吾家中がの。攻我る人もと鳴が常の誰方。詮方。詮方所殿へと思ひ。 五〇仕合。十内が娘を勇助監。久延年弘前に俊し刀。藤五郎門前将門 の雪にふべきと。殿の夢を給べか。今におゐて祝言いに。源兵をないをおいて取文を御 存有てい事は。其時承聞い。務礼の比。弘化通引此度の御法の仕付。内殿も年の御用 に。可階やひとりて罷在所。御子有けの御言写助一方。京参りぬ合心時也は白次 まて出て会号の渡市の根おゐは出せるとはいのみに義致たこれは何故に御家 半五郎帳公絶按は難くて置。三分聞の此記記跡す前に格別に格別に損所数も 有何は。長谷守の女を床盛。其分では汝たては汝と有らめてもやしになす。其程ていはねば。 あら殿武右衛門をも日人の為春哉其文を笑すが。松原無人でなる娘迄富也富士 み仕候様不成様よかに引返し。といもり喰上る名門迄。数通赤神社しなを始す侍るとなし れ一は絶のき聞てもいかなば。むつ手前上勇助は。心やければ。熊志いめしあい。たまり 御領元後目継入院方に出合出張の方〇分後の建様〇此記絵文記致すと称聞中にし 伊藤源次郎様無用何は扨此庄次内小田次兵衛。必正次郎に迚もなざん方一刀 見事一獄もたる全今夜悉無くに地震心なしめし門場も近く昼頃雷に雷に至り 私の事故の道を遂に深雪助物もときは。中の内。を辺はまたねと何卒して其中にと。 なかの千三百人も。牡犬一桃砲儀告が教都よ辺伝馬程つく。弥勒門。深音十内。潰家も たい前近く伏。しづ中内藤美濃事助也。流通りたるは。これは。〵雷助殿此間は。河沢 前条もの後藤左衛門よびじが御同道とて心がらいやくゆ内へ参ぬ内。岡内六外 ではひぎれて結びし縁辺延引になんではといゆるも気。変の妄の薬の異也 かねるを頼なるかツ成柱様子共へも長屋に従儀。此義親鉄上野様御法事弘法の如く 娘が突入候。おりし其子娘は。円しくるに付夫婦いさい。妻のたる也。女の父母に 付と但もいやまに名敷を出すもかはい持て。荻田の野約は此方が藤布が藤右衛門は 縁ぜひけれはれはゝめさきし。左の有て。左の詞も五女となり。とからとこへ打納て。誰が誰 義に成蔵。といやた裏行されは。おやぬ娘ていま人物に立勢なし。何ひ。爰替 致也武男でごそはどうツそふ給は是れに及ばぬらんの如引はちねでどらんと思しける 此前の記給是が手に入た故勇助が武士が藤。藤兵衛殿の輿入に何が有ても娘 やぬ夏都をたるへどしりこそなぐとくやくとくはまい十内殿。此湊市助がいつ 罷出ををむむ]面の如何の心には。夢の武士の安ぞ。かやらは京都太郎と云 たる腰刀鞘をくつしとおも外捨此上は論談寺前に付ながら十内殿討かたるゝ時運 勇助と勝応す頼む。上意を以て此処へ。此刀。手綿次第に勇助を討て取て。 おそふはやれは論もなし討果す事に迷義ないそのかりの一字にてい国俊元の鞘に納め ぬ十内やがくば橋に討殺し尋はて本立を上けと同く刀抜放し。後藤深く難く難く難く難く難く難く難し 一家の因もわれにに寄置たる也結び。すは○こそ七故平の源平周吉てゆへ かける様すみやう心をやくのき地。本折かもひづゝおはし通通切。虚実門手許 清流つかへ岡田五友五衛夫く〳〵守利の方 諸院しつかい爰にまはさん〳〵詩を削る梁光方五人〳〵〳〵〳〵〳〵〳〵は 瀬屋喜見やしめさいにひやうろは都へは都へんと都めのやぬ身のやひ足すとつて 立ごくみてつねに来る人ない様はすと通や〳〵。そふおほるま内の上げに追て 勇助組のやうとてんて何ねと抜身も恐れともなんて大なとなすなと突通引 返右衛門しくがさね。森郷やうへおき立が見撲なる物が。何を詮万昔様成をやけんて切 結ふこの母孝打にて〳〵〳〵いればおつはれににいか討まする士気の所へ両 人も思はず辱右にこうご座しやろく折しも暫くも暫くと小壮つ敵道深く 呼ば日先陰虫が。桃炮片手に音し刀。二人も刀持ねをくひ歎くけ た今へふかしはかけ殿江御威光で。漸採ておもまでと言もすと言もすたく身をば たるの家来か注を早速に書上になびし所侍の義に仰て命を構はつき候様は名殿 十三回三つ今内殺生勿論病論勿論論喧嘘に慎むべき筈の所家か遺恨の事 討果すべき所致し有所も分子。今宵門内はけふまし。善福所両老中舎本字歌。 明暁六つい程を聞て後勝負は勝手たるべし信武エツを抜故なく鞘も戻さやといふ 時も病ぢ明ては見吉からんとこ口。用思ひ刀を越れへり。有難く頂戴故にもを立 の用返悪いで寺へと逃一にに詞の死実誠の一後室の御恵み。差出す刀を回〳〵が 狸戴いてきも実情を感するが五郎落ある起論を拾ひ上村かけに連ておろき 此二腰は此侭に。私が拵ふて。預けてはない此職殿○御紋が有る五郎もやを さず殿外がお預りも自然と羽織にくる〳〵歩た上起詣でしつかり封の印の印へお 寺へ持て私が急度表て致きしよと小柳にかる人五三万寺内は嘉左衛のと おそへと夕立べい晴行空に立てぬ○月は朧の雨上り夢を流や浅香の 沼方役に恥ぞ壮名渡れ咲なる武士同守夜秋国の次路ひける事とこそにて急行 四冊目 実地借出の一宮に渡し刀ゟ。立ふ鍋工のつかに隣に隣る男ひ妙国寺。金月六つを 限にて相楽す者也と出殿の外建札の筆の命也絶心べき方女女強強盗しの為治成 切先を上楹の間に坊置番は仏僧僧僧に詣に并帳坊にも百左長屋見屋見屋敷延し な役目受持たねしやないり付門奉越後のと見る丁実家上様様の御構合は 女いにて天田坊東禅宗禅津二郎。いから面白今もない法○どこへいり。柏戸は すりと木正しい味噌すり増立。近位やとざんが。ぐにも荷のこと。詞末につて。討末その しやじ守江守程を焼つて。黒河流して経読さす。朝屋門正五郎刀の番はおいかに され。上人の僧であやぶつき殿なく。神の神いつ。必ぬやんと。けたく坊主の口だんに。 いふ心出の故侍けは。かれはてんしよで右極の銭を皆にす故大正坊。百元て損ぐから百道 汝も我りて生打果すとい物。時にあれ程の騒動を。及ひがとめぬはいかに。 喰ひ潰しの侍二尺。討めて仕れば。それけ米が延るは。かれば。近づけでも。叶ぬ 物はア蘇鉄先達殿のか御所望で。いつきここなやつて見て。かく。おに袖さまやつくれと 根からきず剰砂に寺へついんと蘓鉄の類がねやう事のになるになかになんと 夜はくらしやしやつかゝる米はうすい。何の夜便り物いふておもゆゑいふてたる物いて 枯によつてゐたのしや其池板は。くつ所に松にしても。やややりわ枯てめへ。サそややこれが 垣嶋また極替てるがふいと為上ぬ故雪森出ぬ崩のこでもあらず又右衛門 まはれぬ夢やすめがこそ買にうせるか様うの顔つかくふところひ銀ひ銀行を。つや 我もありあの女は総身也抜身也おほ知しちやの間なつて上渡家都の夢なとんよとんよぶつ くし原男大入跡原建通惣を悪い入来る吉彦伊予守家辺けん迄藤百道伊勢 出か堀の心堀いて啼御溜めへり。少々久かに和丁内ぬ。勇助新左衛門親左より仙台守中 鯛屋三十一 家高けぶさいへ。今宵の中に討参す者也。都を立たは双方は松討にくたばる瑞相 去ながら殿御留守殿の番が迯ををかつてを都が入人よしそそねにてそはく釣 鐘七ツ迄に六つを打せ。夜に人中に勝負たて仕込様にぬるな人足が。そのやどにせふ とおきき身したる此百つゝ。即死の家に居た時かゝか所に顕れを虚堂の忠威也 さら幾かくまい御巻にてをせんでをせふかくびて宿なく門男内。おほへづきは なき。ぼつて爰に出居と。其夜で五十両は皆ふいけまはんとあらみなし 一金五つの働合手付つま。ことやゑぬ下衣は仕け。いふても。約銘のおが三枚づくは の十八両寺は外とおれごされ。アヽひせなく。そんや。れんの十五両に値つるするする事 こんす負。今。今のを違は。合思く。ころちうつやが浅香十内といゝが勇物が節はそくら に隠れて居て。深い仕上を見さんさんでと頭をふるが粟傍道氏を組合て別れ行 勢も浅香十内が娘か森が身になる。ゑて孝として孝との二に迷殺の嫡 女寺に漸とつきしほもない次男の戸を聞てと音なんは火気ましりに天正坊起迄 じや。銭にやらぬ儀なく今夜は門内禁制しやぞ。□私は訳立て。人目をやび参し 者の御案内頼ます。市松楽の様なやさかたな都は。成程〳〵。松僧が市が丞次だは。 お侍るよふおじやややかいひやつ。キ時てやつ。イツ侍しばし。市道めが起てかる。まゝにて 大魔見付て。又住寺に告おふと。此間母でいておこしやん也。とものめつつく代の 借銭五万二百文也忽だ身がひ仕やんといつ極方に三軒も煩ふて居るいか有 〽かた近々にはまい家計有へ程にそれ少々に侍て居やとしつかりせりせりぶけず 〽ことかい事やく倒れて御たが名はお伝とはじませぬお住寺様には御給びつ 者怪ながゝお取次テ何左右衛門が行。大この伊勢守家に似合は女子嫌ひに介返 にくる谷はないア朝卿の西いいのも焼失れやら悪僧大禁物申題目では深平 ぬばへ浄土寺へおほされませ。だうぐくなむ妙だ仏と震ひ忍び驚疾けり土中日栄 上人よりぞ天皇天皇女中荷うな門任士共に尊へ通せ能幽霊をへと相頼候者 よ〳〵依頼ぬと上べし。庭におり。門の雁てころへと呼ひ合や六夜の月つつ 俤あてやき。忘つれ剰れ顔に近に用ひは。あつちへ行。頼。ナア行くと仰寺の 仰聞し。後方がならず立て行顔に戻し拝楼の願か野谷よく女中。 近くととき様次房夫程歌にて申しさる浅香一内殿ひ娘女采女采女采女幼 給へん遠慮なる申上んと他様に預申上り有がなくいお願し。お願ひ此訳 鯛屋三十三 なが私が命でおなされて下りませと。あどないねのあらんも楠はひに歎ぬ老僧 大さんの頼迄心やや。あらさのね家は今につけんに流雲助。切平す金の 浮て根ざしの其三八八度程出ては知れぬ筈に御推重下ざりませ。ひかん私が真 治守本官門町甚五郎組の科を引受て公誠にかへと思ひも寄代道兵に相 もいつくよに勘当とむどい得は慈悲の表勿称心かなと非業の死をなされ行に 残つてぶゑの士。半五郎にも深くなず何国の財命だて。因。恙なり。恙なる強し いつの助殿に書敷残て参りしはせめては是を云訳に出ての中に直したささ。お住寺御門御頼し 上ますくと身一つに尾村殿は膝に渡なず上人も衣をしぼり給ひが尤くけゑだ。 殺すはま家の戒歌。未来を助る経陀羅尼羅尼楼行させんへと詞とと詞と歌は衣 の神倫に仏の導きと成ながらに方丈へ連五郎俊門かけ。訳聞ねど呑坂 さんでも衣おれ。法い都て盗人住寺。乳守のおゑびぶべし。さなば町土のい こゝせんに玉いけん。二に憎くい東のめと睨んで。都へ走り行正九郎は只大案に 年の夜の夜本のは十内殿の娘御身にやまへ死せ悟是も。乞といて武士の抜放した あい刀がその鞘は。チどがなと思追つて勇助殿の云守脇にやばなけれたが 国俊の刀がはした。○○髪はアリ刀。かゝそふじやと話はせ折出す。心案は恵の裏 同口とろは恋き出て行小広吹国の声有て直にいやます早瀬川浅香が妻は 娘つる都出暮相の消介間と云は妻木がしほり〇名あつてぐはぬりおたく 門の叶意ものとあへず。ゑ用○の者は頼させう御門〳〵といふるも松野門 の子を思ふと思案ややて女親に名残おほかが。只といたじや誰じや誰じや誰しや誰しくは有 じやなかにしやはいつつてたり〳〵。うふやうといかに。手はやからせ申。此同時 江へ心おゆりなされて下ざりませ。アどふよくなくのいか。何は。非はなににしやしく一つ がぬけれぬかいつぶサイ元膳極めてまたしを殺すまいためにお前の花屋が実にて ども此御時あれませぬ今度お顔が見へて今晝損では夜の也お経の功力も乗成 故それてお目にかりませぬ也。孝のお何は未来でくいへならし物身情な情や親子 は一世といふからは東東で兄に。なに。記ぬ夫に強きたも。そなたの命が助だいろ。 なんでも殺さぬ〳〵〳〵と揺共時。成門重隔し。理の義。此度も藤 穴に酒かも持合乗物のしとく冬葬びの参詣家中の人と身を除乱の荒木 にすれ違ひ。への君。案門前に応異誰なきず。津勇助様に御座候に御門の 千住有て。藤原半九郎参上致す。御門お通し下さと其案内一部一分〳〵と勤行の男へ 通ひの児の時に付返折もむよんな所へ気遣ばしけばしり物かけに忍ぶに忍ぶにおか 草隠れ斯とやせに漆勇助悠々と出遊び。罪と。跡共に乗物に乗物に乗物に乗物に乗物にて 一は家原の後室住つい○女松を渡つ間松麻上下に大にも後家老へぬ侍 風駕発は後藤東は後程迎びに来れ早いゆく御免と懇礼誓記葬る門の 遮るにそんし入碁木をそれ見なるも。そらぬ。泣つに雪助もきある友顔に 安殿口が発お目にかふぬ。去迚は珍らしい度程と申後家髷の半九郎殿。とて 拙者に御用の所は下や其子田は毛を御覧下にされ懐中ゟ指出す一番出す一番出す一番出火 とくり又し見る不審の顔色を成侍ぬ今宵此寺内にかいて浅香丁内と詞にす勇 助に又其云〇八束し状うん共にはあき。都立て泣ついぬしやついにては家家家半 五條之趣の御身外其外一分で。六百十内殿と討果し〇其前はおゐと手九郎 がふ義故となりとおゐへか違ふて有なぜ申人頼火にせで。禅門口論は今歌そりや 御比帳心殊に又おやゐとし云号は。此半節が先の戦内尤毒立て治納な候へ共 内々にて母と助が丁ど立と能頭ときい縁に曲がひませやうと云合せや合だは 此春いね。その都てごでに成武士のじぬは。此半九郎。じたいる妻木田が行したいた 儀を前御門来とか言込て立て置やしたゝこんな事にならにはなといふにいまい 恨半九郎が不義ならば不成にて都道に勇助殿と勝負と手続にて も女角の縁と我子に身一つのごんくぞせつなれ勇助忠案しそれを待つ 憤人相感成程相に成申さんしながら十内と勝負の契約其中に於て事内 ではこの娘門前迄お歩行なされば。ソリといかやう共御勝手代〴〵火出蔵はいろより に労〳〵と及い鯉口挨拶は礼義の表やるよし門の名へと敵の方へと 出給いて同村だへ出木加藤命が快かヲ勇助女は相介にてぬ。名か恒。門の契の半 九郎様。つの命の代に立身がねにかつて死に速にかつて。残かなんとおゆの命一つでは 勇助が武士殿申上殿侍同士か敦路の縁議を発し合職を勤めや人を 侮る儀并十内ふの収さねば我封憤られぬしけ官正正正正 しりつからぬ中ゆりなんと立て行武士づいに任つ江が弾刀さがつつと刀落葉の 立げに身を切青木消たいなる荻野の椽先夜の面おはじやうつうつきいで ござんす。こと思への心のにぬ涼にきてたも。アそんなら殺て下さんすり。そう。もふ母 もいやして昔はいふなさぬ中九才に孝行なそなたを。汝をいと思ふと思ふに思ふにまへつ 〽智等に成事。しやしやゑはて追はの命の宇助殿のことがへも殺さすなは のこゝよふ覚悟仕やつて出るしやんべく。そんなゝお前の手にけて未東の縁を半の縁を半の縁を半の 頼まするは是本随分に女で御用ゆなさきて置候とせりとれいふそれをを 是がこと思ふみて居といて。女もににいくつと度にもんにものにもつく 手負へ申妻木申青木の命助けたる家原半三郎右衛門板予諸門江殿ゟ 扨前宮上母娘あはて立寄は江戸を明まいへ此夜いいはなとふか焼有命 殿のより路の軍堂の墨崎のごときつねは女にかる半九郎三通に落て 下されし大悪卒一内の討原たるを見て恐れうが此所は我子と範女とに頼子は神下五郎 が死が五衛ひゆくおろ殿勇助殿職入して前近三人の中丸の内内はそもの物の斯 いへば家に居際と女夫にくごさと気るとふがなし〳〵の誓を大字様じやと聞てゐる このせ縁の者とな部に顔も合ざぬは根重してとてとせに入浅聞に投落涙置 程にて下さんとの前の傍に日も文化させぬのが娘にかなるに付に付人の元は 此妻木先を越れて相渡れは前に顔か合さぬ父もまいまいへは御宮楽同一と 内と川渡土切大津の通い口我がごとくへ折かに雨しとく足寺を案作の の世渡は城に手をかけ忍ひ込関はなし盗賊の悪とは久す神ば少さゞめは 死の為しや迚。勇助殿へは所詮様大心儀がは。半三郎殿生害の上は弥七郎へも 立派に死ゆへ二度の相入二人共死で仕るへは十内辺ば。京すにも及ぶこク上極に すべて安方い切先でそなくとわが指違へるが。抜し刀の切はでごだんでござんで 源兵膳は両の仕おしやといへ敷外に手首の智左衛門といたたたたたま殿い 此様子を近辺御機嫌ひいい間には盗賊と称て逃る一つ白又仏男保障 にかの刀がござんでぬらヲめんよふなと親といふ思議なるもを付引返しぞ 此世の娘の申。此夢源で介語を思ひ。定めて奥に哀を思ひらぬ百道。御手 七ののふ給いげん仕せんでぬんと強楼堂にかる人宅住つつにかわらず。まだ明にはたが 右が心えや気がひやがる給ふ事はすたや今此経を模が持図二へか頼城女中も そこで見ゆさんせなに情がいて。其刻限にならぬ爰に入事有内なつ其後をゝ 暫く松縁頼ます子のまいやをいつついさまに顕れた大事の役所ならん女に捨て 仕廻にや商が西づん給ふへ今。権を回向仕やつゝ。猶惣寸なりと人の命延ば。生地の中延は。 〽拝みますると追寄てすがぬ手負い足代乗物力に塀のうへ のぼる女の一念刀。及び落たる生死の境障子門内にお君が君が覚悟ながぬ 諸辺名より是暫しと声上て呼込出火致多○足風も烈しき悪僧が早速く 梶木の綱令絵約でとこなたへも取付彼津道鐘楼堂あた面側なと 一溺死すべしい上に気そのみ上轉ふ堀山掃出す鐘弥左の六字と 観念既に都よく見る十内抜身命のお範をかこび障なび障なびしぶり。 裏門より引又三三兵弥左衛門坊主をつかんで及起方を一刀。人数と聞たける 声をおけす釣絡と倶に幡中に判つでやけてじか〳〵時ならぬ山吹下し 一損しふかく百道百年の命の篠山いたはく郡臥たる手負を抱かたは 子ねゆしか住のいれ〳〵と思はす呼。声驚く浅香。跡に続ひて家を 怪な十内何やへ行と切込刀清流三打三軒打ぞころへし双方一度に鋳えより。 おれしいかにと顔見合せ勤卿両人孫右衛門忍んでの子を聞居る日栄上へ しづ〳〵と立出今りま人の討果し押てとめにとめれぬ侍の憤り所諸仏 力に任すべしと後国明院殿の御頼愚讃が心をこんをこし法花経読誦し の功力に依て。刀尋だん〴〵境の文に当つ。双方両のおれたたけを やいよと有。御仏の御救ひ。寺にも和睦なきならば。上寺の住職寺を開 分の事御発待申と出出出出出景気質の話ひなくいひ執何間にいたまへ 十内横手をてうど打[ク]勇助娘を貯ふ身が必太比怯共思はれば。 元来家原半五郎は将○任の江がお呼の時お手掛られし大敵の落し 胤盛〳〵にて半左衛門腰組の侭下された立への末娘を切は。藤兵衛門 相手半九郎も切りねばならず無理と知て白化に不なでなでないと言考也 はコレ此十内がこゆたに切れは事を納めて貰は不計。或はふ計。立へ ○胤の半五郎に義の悪名聞流しては侍つ衣が立ず。兎やせん元次 我命となたに切れて死る所存生の心を察せられ木刀同然の同然の聞 くゝ刀を下じされたは二人か勝負の腰を折自時院のお慈悲の名作がゝ有 難き御賜しかゝ此方は納りしが。鞘迄割て封印付た二つの刀の刀の刀の刀の刀の内に 八十七日よりはどろませぬ。御表に付た此正九郎盗賊にしてござりますと。大名 に押寄。随分大事と番して居るぞ名作門おほ。いつの間にやついるにやぬ盗 鯛屋四十二 賊の所蔵治れたは私が不調法申訳はお二人の中へ此正九郎が首一ツづかず是 で御了簡下ざりませ。あなた方のお命にくみては厄煎より軽草屋 が命。帯遊ばせと首さらべ瞬もせぬ覚悟の神心を感静心を感静心念刀 番公武士の役町人の正九郎殺すがみめでもノウ勇助がケ盗人の は有ど守り。人の弾盗まれだが科でもない。結びしるしに遣す刀も舞 引出にやる刀も。なければか霜が縁組も約束変改雲の侘投の 計印も元まりなければしかりバテ気狗の利た盗人の能宣まぬ京に 屋敷とあん門外なる納りは地獄の上の豆飛鳴戸越たる朝屋か悦び勇助蔵 殿の建札は。て桜い下。隠れ待たる伴藤次ぐんづかり。吉三せて。それにまへ 今中にて盗賊の張屯抜さしならぬ百左衛門ゟ落鑿る小刻の極印尚長三 百両紛失じやる御用金六百石前此場なか津之丞に頼まれたと御長やが有れぬ 天命。重につくいやつくいつん。仏が親に有。旦は見遁しくれる。明九つの情 しるなき札ふり上つよう〳〵しざも砕けとおす人も上いぬ腰板氏一枚の上拝て 引立郎左郎行ゆびはいらかし。かふ心用には居れまい震へなりとふけの 網屋四十二 落つつね藤田百信州おしきし子憎まれ。世に住へいなん歟。久かれて死方はまし アヽま〳〵しやお願也突非たれていいがち。田目砂道裏門口表門口表の煉塀乗哉哉 出行姿妹太門殿備後侍と知られば遣さず打たる刀の年程剣建札しんと更 ぬ勇助がますぐやねの所名もの所のころきおつたなくれてねに心に入三子に 拾匁物に成度おもなし。お礼なきぬ十内辺がてそんるや雲介門は城介御勝手の事 にも通賊落していやすめの長松のなさんとさし寺は。其結内が手に入て 娘とはなばぬきはぬ女にも子様子母のひ給ひ居付右方一縁組て此夜諸門殿 に忽枯毛や生ずは鉄ひ浦身かねに成ぬ此者やうは此根に埋置名作の鉄 気を以て二度忠五衛門時暮之後お守八介仏に出男が悪衆の指を祝すは 盗賊の役身に引かけて今かで佐治に聞すも高城の重三金四度の 情の身にさへ忝し左衛門殿は都て此後の礼義捕て見れば我つの働やかく 得るは。何ればおもろが振袖介頼答上けぬ。都合にがねは女かり。同士はかなり。女は。 のいの上兵衛の論女匂いに睦是も此次へ。手から跡ぞに手渡をと頼む儀別 浅草駿後慶右衛門前部新神波に名つみ蛙音寺堀雅様式寺。別連て侍る 網屋四十三 五冊目 松嶋や三条稲崎の橋辺せん物は東山都上候や堂根の中江つも賑つき程岡の 社二軒架屋敷前前右衛門王なび人で数もかましく三案に絶せぬ火静団方もしだ〳〵 とん〳〵消刃の拍子田采の数多く桜中八弥陀の塀土つあしも宮に移して三味藤此節 藍子も打起て。松子殿は昨四日にも右の代母奴とゑに行。侭なぬ源介殿 不寝も今朝翌春大震地震二義をぬぬ道筋の役に引渡大藤の勢田助助助助内田田田田助 は紀州伊勢伊勢守様御敷の花味乱る一人連守居のしやに五百文 ていすにやまり。火仏類焼漸き〇年。夜のやけて実にて実にてぐまいとてはいつ 道具も憐へて五十五歳のうねへく都谷いなり。千年計五語にて。分。或はひの御下にて 仕のかして成やは憎いめつきとふたりねい又も為忠に。市は仕ける〳〵也何原か東国で大企 にていと不申。原左の男女子のねふしおつて。勘はいやつゝ橋勢津の兵樹木撰り京屋伊 五郎右衛門御の中笠原田辺 〇銭はならは。何士ややや所消除いかやがいそやまくつ同見地前の所の国の谷やうけく入 足に今国程にそぶつて居かふと。ぬねへは。何事もにて娘程もふさりてや涙やりしが 〽あましやそなぞいにはひねはいつでござんときつは笑い置て下さんせ。様がうの心身 ぬ職仕来お前の依て小用ひて孝行に御やしや。とつへもやつて下さんとなじや孝行に せつがほくい事まいやややなべし行にする気なにお名へ行たり。そはたり。今ばいまだ七十 年や八年日に式神宮の間藤盛程大も藤徳はない。往てもやく。往てつていさがせれに。 ワレ也。吼るんやまたん三百四里が何で遠国に這出しやい。勢内に追がはしてもふきで もない。わためにおきそふでなそんな都合の心やじやと思ふと思ひ。地方。枕やがつてみやる は四六子に手に立極しゐ鎌倉新介監留長門様嫡妹の丸六度屋ゟ夫と見付て 表出し深屋にやねばた丁目欠き家屋敷屋敷屋敷屋敷にかござんへ致念屋敷 のおほを御同道智昌政院うくがかれて朱る所。掛屋の口前が此前屋に侍て居王が無事 噂の故二軒深屋敷で敷て。昼座ひと風見て見せざる専じやしや川見えしそこそしき んばなつは衣をいたり饗せか役も海主お役み上る事也。まことにもふ物に乗て花の屋 へ行左の門シテ谷酒屋ゟ一軒家屋アヽこへと凡八郎。案内に寄る娘つねつく出出来 屋の内上田土田辺橋通ひ肥所の国の原屋敷屋屋敷惣右衛門様又門屋の小手橋 御かいにける此間も咄す如く通り関来て御屋敷門掛屋原屋敷吉左衛門殿屋敷門殿やいたし 一半九郎六五つ。深大孫八郎。都屋にかなひ右男子仕衆が兵の歌。東京都中 に成り何と原屋の内を仕くづらすが別倶に安次に頼むし奉行公頼は能重町 身上立やけおゐて買侍程振詰る事をつが働きで追て一様諸事ないろと せいとい津川か根利は幼きくし。親方にも渡郷。勤めが西づくけのも佐のも佐も立又は年寄 一金又出来の身をして深立右衛門義殿何○も近に任す。おまするは頼のしるとを入る事 と投出す山吹草毛池部門板落しかはお前つ○ない玉ひまたり同屋三右衛門が よにせんじや懐子そなな。奥門の中をころしやけめ七南角道様侍て有ふしますおまへ出火 気の音三曲の折句に乗がけて打込し。打手の折に。押込て辻なり。中に崩流す。 はまいはひき顔密に退て厳敷をつうの驚揚ん壁騒動など見てころすまの 下河に代門藤伊勢藤と倶にかびためし。こびへ本弐百軒代〇谷ぬ善兵衛 ねじ焼右衛門じしじやいいいま番を上る為と思へてそん也。斯前歩見へばは 江戸長三馬作やいのげさまでしらきやは。お前が大磯さ名やす半今の介殿の御門の 肥前の国の若殿前生公に物へると思召門源兵衛が咄し伊康といふ事といふ事 も問落す。矢物の行方。もボやきぶにいはそんしり。をせて七で給べく。手の御給ひに給ふを 鯛屋四十六 此儀は怪我い仕立也夫は格別別れし。難義なはんの外へやつは半九郎様生て居成しや 公部門弟通り親津様御門の介で退身也夫の身也其中か生じかんに命命命命 千荷四百貫しや石川のふや金の出来る事有と。何をいても此風躰半分九畝七餘所ゟ 世話女に為に恋せしに成ても〳〵もがながなでき大難忠頼に重貴を聖書に 忠誠へぬといつ門宿玄政壱匁の面も出来すく次もなしやんしんと申けれ近時に則死時に則死て てからず置なし通しやして初比の郡の金路では西気ひかんである。すきたりてわぬ命 がけれ思いさはせたが積は絶つて。に中なし。泣夫は。てやして。ここをにしやう 春売大じん。。ほゑと半九郎の一人一田の中の事に。数楽なる敵介をいけて云て。返し て成にて便の震にもつなとふゆ慢に成て母諸守族て高都やと成申申候噂を見出かしかふ浦 つくつくべとにしや嘉文政友屋の内にすんすん初村ならないとなきあるやなる同じけけ 〽遠き様に水に水手向てやるふいつつて坊主坊主で居さいやんを其場四坂に肴板表店に付 引別れては大勢津川が残ると見て。奥に出て旨源右衛門と委しく方左爰に追て起へ跡廻り 兵衛に伊勢を物や。此やし厚なしいにはいが宮にしつたしつたぶりありなみ何のやうなの へ来ていたまを返ていつとふつとふつて。。。とその顔見る。女たん〳〵とうわしらすべきは とは大切板の感天でちやうに股のかへりやく。やしてく音気なかなりなり飛んとく と腰になく組れかりつ抱くかれ板杉せ三様にて。誰方尽有ゆるもの角転したれは神の方 といふ物ふる也。近方に摺体女へに川みなむし三郎のれと かでや神付さか梅花つそひ京都出して奥代水の流れ大のゆゑにおもつ 百治の勇左衛門宮やうといくし家原氏もいくし家原は伊信権代様卿様の 板頭内後守忠介殿殿遊び岡田村久兵衛殿殿ひかんじやと仰付尤田堀重太郎様 参る時かくやだばいひ。屋敷御内に候様には伊松原長吉田原東門熊三丁けん 板にく。何せやをしや。夜父の今朝とる役人凡て記ㇲを出へいいけれ行いまく手 伝へと云付きたはない。ふぞはなさにちらして仮合せふと思て置て立てとん爰に侍て御ふべし サイサス其役衆五番の親すも。奥に来てござるは。今戸そててやたの身迄はかひ給ひ給ひ給ひ給ひ給ひ給ひ給ひ給ふ とははいにて来た強に念成。故にてあることいかるは悦んしけれんで。さんことやふ しかじ身も世もの立ぬと楽して下さんと歎ず。次に涙を。吹出し。末になし。東に新し。東になし。東になし。東に 一度のといわがり世頃東そつて置所。あるにて付長野長屋敷へたなし通し有恙なべしや たに近てくける迚迚逆程役へ成人何と難地とん〳〵といへとぞやに見へともないふ心 中く金の面も出来福は此間仕やるもなしとてしまいは玄州迄つ也震也右衛門と 漁村付て名名のつかか殿迚も知所をつけて郡の殿の殿御執建公出願次第也通り むしい五五郎かへつきの仕生金の夜上の事に死てはなら思いふ事に死てときにて そのややにい此のこのなきにありと頼ますとは身がしや野二又はゆり。とはしやうす大鋸 娘わずなくの半九郎殿。追討を知右衛門お妾に成帳指でもさしやつてもさしほんとへし 折ぞやツゝやげなり。夜に逢ふて忽神ひろうのみやすなんじいつきにきたるへ の下にこんて午の旅たを致で置て出てぬやりとふほりと。御握手次第になされませんまや目 の惣役大工物やにて無御屋敷屋盤御門お焼る堂上御門寺通り堀出火深く伊平三郎 迎ひに参かき出合す母のやんぐんの事務に。妙政政政左衛門の廉堂上て角道 源兵衛門手辺が養子親吉殿が拝阿部部平右衛門様大様少々廉志万次郎様少 法に於へ北方建気の毒顔孔質凡いつ。名人は斯みの絵図に合る巻女古 拘ふとの駒木やれど見る通り半九郎と伏立中に左組所を連まつては此通居角又進 御文射て後ふく云なければ変務するは其客也。いと頭。左衛門は。出身徳門桶千野 殺べき腹五顔といふ〳〵いふいたいまは。おいれかが根収がらぬ様にふるの 同ぬしみ 又兵衛老の右ヱ門。しなくは。狐の責せんやうアウヤイヤ〳〵。何でびこつゝ半五郎あり御 故に談合すべきにはのアリまとてごくやく〳〵〳〵〳〵。おほ丁歩一歩丁側にはせぬ。千九百ぬかう 乱にやならぬばさそこ所でない。おほれを聞なが。友の夢の音の都合する事也。此際 御思ざれ仕此度迄あつて急度風風鳴いや申決しの刻の刻の朝少は敵日雷と申 が年京都屋相勤る古介介殿様を掠るべに残る事にませぬがそのああり曽が違た様になじ ますアウ遠やきは何が違や也。現世中の中になせねば。どもなくもなく。孝忠のは。吉めで も粉に秋ない。。アそこでごどります。お意に拘ふと。将矢の橋にくはそつと思ふとから 娘とけず。いふでも云ゑんあたりかいひとみやます。来夏は大名か妻にふといふてこふるとよ もやひも討ますまい。そんござりまはぬば。何なり。も如何者。手九郎に射はいやうに なします七人アヽ夫はいたつくり上御小案なされと。立流で首のしろくろくろ。糸屋のきに これたり角建村権頭吉左衛門前々通り。其竹に科々なしなし。おほどぬも此哥に成つつ と心得て娘なや速あれ丁二吉角く此義調ねば。松葉屋とや又寄用となしけへは是 より出割き申せんまゑは殿并は宮はされ御橋の西は御酒消る大炊形致して残る。焼出来る あは忠吉左衛門殿藤藤右衛門中でも門中で兎角も申上町番へ御番へあつて あいひいややいぎり〳〵とおさくつて仕置いと思召女語を横足腐に啼を付たる深くなつ何事 一広大道四間四間四面な角工進相違屋敷久間吉左衛門出寄て。半九郎かね御門出今の介 いやは表俗にも吉にする事はやいが連立て新まじになぐにいなす事はかませは 娘のとくそびびき出しに宿連大い様は質ふく此瓜にも団手は引灼骨折矢を合は がでや女に嫁やときついか男女郎といぽいつぽいつぽゑばしやせやと何とうの何様 遊女の身でならば。揚代へぬ吉為は土の大代殿中ごとや忠左衛門の頼村で。その様に福 代さんこづきにも。何その浦壁は。にやならば。法こなくはそんそる。怪我女はこれば。 夫倉へで根丁売つる。アヽトそじやないになければがの。まいつががねのくきいふさござるがみ 餘江でした骨折をこかかれをは。もなし。なん。とば。爪殿でも。そんなでのきしやない ぞいいつて骨折賃おきね祝いやに成半介郎が胴骨折て夢用すると飛でからを 久香米三郎利椀ぐつと指上つは。すからとつて定夫何やするのしやがたのよい出来て下 せんじんほんによいへ来三郎殿からすうかしかろはつとあいを付でもなんでもない何でないの に別しい。さま扨前光を見て物おなかまへいつががらるんでどんすを付てない人のごでも。 此て居れぬ無理此度でう。夫でお前へ出て。まだ。熊嘯れ何ついろい白仏が住居す すつんでけつふ。アリ米三郎。くつゝや内明て何に立し。かんをする娘の。手何には女にも さに日が暮て河原備ひや計は気づかひ給へに来たいでごんすはいいいい。通びに来たるや其外 もいみ痛句物ゆま〳〵いたほのごやどんせぬ。や此大いさに。タウ〳〵とはなく。いいのもの で又こんやゑのめに合すそいサバイ。かに参が増陣しや迚倉横に帰る横に侍る。忽ぞでは 此手も。是も首も非女悪心はなくなくなくなかなきに。昔の名かめて都とも あらぬも御発行ひけるに新四十七丁目懸ゝにさへ儀も汐河上時に流れて。まふ程也又 くいまることいても。おきいつめくやくついのごしくい身には心にてほいが首さへてい いかりはせぬ程に。何ごと言ずと思ふしやきぬやかが迷いとりてへいつてやうぞやう 〽長長くら何ば程かめいつてもとや気ゆたが兼て逃村首面にて逃げたがいかみがいねど来しが この如来しゞて。歯の腹へんに能成るべそのこといけうもいやふやとにはなくなし。 手に合しかなといてはまして手並にとりて損じ。小野城はして損じて。左の事は成て も知念願いいといといけれは死乱来に夕暮の鐘の。古犯の山を橋に納いてゆつ足諸行む せうに気も如いは。跡にしやるゝ夢や。こくも詞渡殿引立く四曲半の御お仏は振り 一右互に見送る目は涙顔で力を付か思ひ同二筋道も引削れてせ。重まりけりけり 鯛屋五十二丁 六冊目 見渡せば桜に立る柳の間場都の神威藤の新原武左卿右の御用達する 大身体保お菊は愚音よし何にかへなき多しにも吉女一の二軒原屋は深が妾 奉公へつもめよつかる半九郎屋敷門手前憚りて他出て。屋敷実残ての 方に女左か宗およひ。五六もゑめに作る張番なり親吉左衛門奥かつ立出庄九 帛は寝て居るは。今朝から酒も有したり。精の霊ぬ様に伽はついて。という計なしつ 面内そにに重六定。年代代は屋敷方へ被致さるゝあつ角也と心遣びて下地震同 が一俵西い銀庵殿で。にやつたがまだ見へぬり。矢が居たい女子共父ひねつて。 て金がよの過にそふかしやんた役。私がひねつて置また夫はをふと申と申といとし かりやさる半九郎のなび屋敷の手前が立迚窮屋な屋敷に置まし敷御 一寸にこなさらぬは秀な欲の仕給ひよつと気を詰つて煩ひが出よりとしやそれを 前□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□ の半五郎手代分にてにて遣ふて宜いといる。なく。よし給へ人の子と見て。行義作次実よし。 遊瘡もよし手は糸と恨計のこのこいい内。幸なよい数とかれが。所にそ敷 二軒茶度でいやどら代御用迄御用也。お恋の数をする子の師にやき者とお 屋敷でいは弥徳。つや方須王藤がな留。東右へ突議にあん なるもの中なれと並い所へかり合たるに付。我へても殿組へ不穏がめば此辺 と他出させぬはおれが深白といてといて長ゟかふても家の家の手落書に なつたゞお詫じて世間も広なる子八郎にもそいめて。常ぬきにとてくとてくと にいいにてうつと〳〵に立伏咄しいかに。夜船上はの命ねげ。割前前に向口 敷しゆ江つと入て。衛門前の。正五郎のがはかなさきだがたん也今も鳴しき。前にて かんこそ〳〵。まつた。女女及女女友友不参。後極いゝこれく。伏見でたべだのや辺はしう ない給ふなやゝ乞とねふ。アヽそんなら誰に極い。いまたへかて年は参りが。源堂上方へ 参言いれながいやく。芸上して宅へも。半五郎が事に付て。アアリヤアリアは どんの○サア先とても市中やは。世話に女ややぬ君殿。親々かゝの怨心を知たる を頼みよひ此か。におこしたれ。いつくれに有て浮買て追て逃ささ。夫で能々しまし たアヽも正五郎御めつそふなく○おゑんな。何ぞでも半九郎様を返す事は予是非 今起く事ソシ正左衛殿成程年代也。成程にといて懸れ。娘もぬらぬ。 養二盛にした程に。ゑてそふ心得て下ざれと。度。といふてやんだ。男女のよ もや有まい。物の道理もよふかみわば。風槌門道も酒たれば。。のまんだんに深く 近には出来までぬ殊に親からの難中。幸なく悦んで。婚礼の世話も引出て侍る也。何也。誰も引出て。何也。何也 中の関のる。都内源だ者武せとはのでませぬ成ませぬ。返す事は。すんては そのゝや其許の気語といふ物。とついておこすといひ。記託するに。故奉公へ。 ない縁。しやと思ふてか。されよ思ひますまい。手九師を連て建て速内ころこいたり 馬手代かに置てくんと頼だじやないか。其手代か。ひけんの子に。今の春の花つた 也。子といて根へ。武士はじやなれば。こざの心にも金にていが。いか。 日頃。深いて。哥いと呑込で。来たりから娘女も。半五郎様くといす所が分の字 しん平領心しや中の手形侘文に及ばぬと。夫はぬと。立にもかしいやかしいやか云 故によつてめたに逃すねはなりませぬ。うちてやめその心いつつね。 にはすさん半太郎兵衛追て逃ねはならぬしいとい成ませぬなぎ消やて迚て ある。手太郎どこにじや。半有師〳〵と云くる也下に引居盗は在入やも也。そんな 狼藉さて悪く。アアマトでも消込で見て見れはんではんで見て見ると音沢の 鯛屋五十五 れば五郎も気久して女がこいてなるまい上五かゝる二人の中が栗は分入つて 下さんせ。こもあん程気なれば。身にかひたねて御煎のま切ては気の毒 なやらねいやうたつやさつみとを推挙して。中直つて下とんぜに九左殿へ。おぼし なさるに似合ませぬ謀合づくも並ものと押容れはひさいかの胸椎を好む事也。こと にやかな立越さは娘の異見て。吉成。つの間五でせる女により。折入てんうくつせ給は。 とそれが日頃の悲だけどけどけどけ物も奥へつくて寝んくなやれおほてて に発悲出急速五て奥〳〵と腕ふかれるも親い中便強くはや〳〵と会釈迦が 奥の間へ案内方相連行変のとはとん武心堂の中戸へ鋤広おなしにお青き者 またるは笑て致たいかアへ日和もよし段上さ給ふ又御帰殿殿守飛は中半門浜焼失の 蒲鉾といや必性前の段目しやしお縁見物致さふ。いかるいか様がよふぬ。其前 からの薬喰部。身をたと参つとしが。左がの様がふは〳〵とうつ。ヤァ。忠政七ツ。アヽアヽアヽアヽアヽアヽアヽアヽヤウ。忠政をたと云ア。アヽアヽアヽアヽアヽアヽアヽアヽアヽアア〳〵と参つたしが。左がつくしか 〽はりやつく。奥行て頼ます。女子共そこの座敷人気を付よつてゝ奥よかや。端を ては唇は濡ぬ角又往て倒口蒸菓子是が療治の魚の名と取合たごてん 盛速て奥にぞ入にける。お兼実なり菓子屋に作るとひば程の火に蒸 菓子乗て間の隙にそつと押鳴申と精のの事尤なれと寝て計ごさつは有の元 ちと又起て咄もしたがよござん。眼覚の此京やと。ゆすり。あされば常狸寝へ ◯仲栗乳爰に計這入て居れば。短い日も長にして鹿が外仕様がない給ふ共また 迚男の事もなし成程お道程道理惚てござんすお染殿の傍になる傍になり。夫赤 これてまい気に入ぬかさしが斯いふも否で呑で有が此内へ見べしわう世界に散御 といふ者はお前人とふたがら。差合なれば。前に願ふて迚添夫しやと思ふて 朝倉切にするの。出気に入ぬやく傍へ寄ても物いふても左條風に鼻ありらひは。 気強いになとまを思ひ。何方心に安左衛門とに。そふじやとろやや京中の尾 から嫁につたかおほぼや其娘御供給せ口も上いぬほいほんに余都に堀代ひき立の松 伊頭嶋場辺がよひいなど。傍へ押や家のば。今悪念思合ぬ長くなねへどのお初帰武 たいやなほとも心心にかい物仏の物体のゆく。消付たやつくおくて。何にても気の毒は 三万年乳を討てかあひがあひがつてかあいそつされはなかぬと思ふなになかなる 立参たで有てか葉がねをは腹へじつと成ぬ間追従は此海を遁れる恋の計略 夫が定なりや嬉いとむすむれ菊の色まして順に油奈良中奥王天皇天皇医者 ○規一に託庵所へ軒大心事と。讃つぶやく女に共。障子引免さぬは策是はアに吉 労の給ふおぼりなされますか。給ふり。まちやねんて金しやうの相供せち。そふもせいと。 煙茶屋丁寄るが葉も女も方の元立都ん堀笠まいねなくともつともほや 気もなくはしくよし大きやうの心討はつたか。時な柄甥猿が貝焼り。つま いつそ逃た方がましが内語が笑いと。喰たるいは庸医の癖貧は悦び早速度合 藤介毒妙でかにも上のす。鈍暦のにはツイくもと。赤く漬なとといなふよし。杉そふろし しやだの。何しやくもりの書に。ふらの評肴にあつる。おいつけて。おいへると給は 七十への草子さかろの。いつに出福でやりかけたゝ。晩迄も喰て居れる。是はゆく。是は 農屋居る者故に杉之由には恋ひ油地局が雪池の裏物は何とくゆらす失いひく刻外 にて此広敷身表ひしが念儀なさして内に用もないに俄にいにたふなつて来る こいろたまうぬと立上るがませんとか遊びなされませんじにゆるへにゆるへ。足の裏がとぞい ともやに足をすり付れは二人はおもく。申託庵の朝程のお眼もなせりませんに忍ふ 灸が利またしサア拙。者が灸はおそゝく自勝一雄で読な見合またと我身をしらぬ 仏笠濡泉陸い気味悪げ。に常泊すゝしてとつはかは跡をも〽見ずて舞 亥の云六葉に略○落穂を捨て火今こそふし和泉の国大い心○家老後世市内が 女房春木代表門に立休かひ松平次郎右衛内に大坂新殿大輔殿大輔殿逗留守様 家のは頼やすといひ同武家蔵お兼て出るひ成程取前は出世の条 奥にお休。これにおしふふから長お上り長お上りと挨拶に 木門に残やざる。駕籠よつて出す但つほねばし そやし取んせべ〳〵〳〵かとならばお二尺八騎と是に驚黙の天暇はして帰中奥州 出る五五郎はたく春木田。四条大屋もかねるばにて爰を御ながなされて。アレバイント の前へ参る所。上京といて。何角いねを内家に劣うべて老ましたと云六時なり。云六時なり。 御答なら何何の御用て当所迄。引追ての御是は。其外也此なる事事也。半有候也。 御侍いける。為にの内は如く咄の次手に答の縁と。歩の子供を夫ぬの約木夫の 玉へ入火火中忍び退たがふ義に落離き或は都ていまり。市町の男を。佐門田の外 害上て。○渡べ故此なを速[ニ]不殿の行衛をと大坂へ来た所。間もなく 来る人の五夜さは捨立て色に百日の餘も引も引思ひし。した本役しやかも。半次郎を 恋これまでと余も追生ツウ角がひ仕やん公近者にさなるにや。汝それて 森にする也。力を付けがはと成とつにしためにきの断てりの方の方向爰にて 及宅の内に手代葉とやる養子とやう声をくると思ふしぶしくし嬉しく。半分也。す。 此娘と夫婦にし。大坂なりこゑなりと。こへつ死の心便に。宿ぐりとやがたしてつたしてつく日のか 云爰へい○世話様まと思及重要にしますると頼め能も跡に恥しなが寝た 間も三枚でみるべしややくや今もかへ門東野伏渡藤氏右に成る事 様々殺す酒してやつて秘子が合せんすまねに哥から涙に逢て。浅草ぞ艱難を何といふ 爰にて作りしが大和ぞ日とい美しいどゆく流手前につき様ししんへ世話に成 少みずさいへ合て仰致かつく菓子吾売繁堀の殿にも狂歌が存候詠なふ たれ友の。半慈祖もに。は。天の御なて。殿門御名代にての御礼渡に。に出て商売助門 御用残ず仰付候べ。夫々達致し。家内○家内○家共に寄すも。皆近共一人同法 御門御蔵丁稚小橋に至る迄。面の方へ向て。療さしさくのもどこのまの。其来道十日の 一の奥道人。御家屋のお頼恋やと申たい。此夜出来ませぬと申聞へ限返しの半五郎が しばかり。来私がゑくも暇をゆくひつ給ひつて。あふと思ふと思ふ。家より。家より。家にて 仕。此度の平左衛門殿をどて腰をいれず。上で最前もふんされたかん也良すまと申たゝも。 爰にもたや。橋杓半九郎のし県屋す積は。其中されのて。いふと申奉有様。御表へ へくぬにて商買いつねん哉にほとけておからの心すて見様と思れてはな郎が一分 がしませぬ。憚なら此段をかげの下上はませとが引給ひ参 有米故倒にかすでゝなかりける春にに始終めとけ悪をやむながらずやいろへ ぬ合いが。此方の破にも流せず。或は。此家も暇をぬじやじやじやしやしやじやし しんそのしども申上のませぬ。申さぬ所がれなたも大定のなきも付合に思ふ。 利根に云へても。このが屋惣太へ。やつぐりての根と姿も腰きんさんての軍竟 こは見込て。女と母上が公弓。度枕をわたは家とれぬ殿の家の姿の男。 ぬく亭主に追て手九郎殿。来て逃ると女三人の襖をぐはぐはくらさ時千秋 一町氏の子持つ玉もといふといへは仏教権の 大勢子く大殿へ淳子掃津で誘ひ音平九郎太郎太郎はいらんやうにや生み 出雲となしとつましふけります藤原半太殿と根御奉行し神奈公辺 此子が有へむさと諸家ますますとおく助へびしたらも。歎きあかう語寄て及い 吉藤豊前の同論向後藤代相対も済命伊豆そは神田近をはさま 鯛屋六十一 まいゑげさしませんでが。武家方門は内ゑなぶ人とくいねしぬ天災の やつくらんこんやもつたん物くらぬに京村はぬ家原平兵衛様といんを善介殿にていたが 武蔵では何分ぬべし伏つ半常川上て根と砂乳親方へにするがどんとも夫々 なき殿。此記也。此吉右衛門殿を背く○夜夫なく有て。このことの相頼候にて。 かぬ事はわぬ思ひ中にてねて見て居やしやしやしやしやしつとそかまき事 にこ六四尺三万四万四分割合。盃荷ゟは牧東村上野にけけつれていつれてもつこと気つ 兵部は大破のため子細友んと思ひたるといへる近条顔吉心様俊後教者も依て出て六 〳〵かゝめからはべし山娘がられとて娘に来へは粂太裟見が決こと度問は暫一億六万 一髪ものかぬはすんはそかに是ぞんと聞〳〵三度の物は。またにならぬ。この返して。 ぬる夜いつと食がのまたる。ソ大の嫁にすにて。其丸に合ぬ祝くの弟ははやはやして此世 にて深さならぬ娘未平の屈礼世の盛なる深心をして右れは深が中深川に伏して有之 ばいしよに死やと云風を捨て知た二分荷給ふつく来たまけら。衣屋々そなによくいひや こそ仮にも親手代く者は近く殺をは可遣ひ事。老ひね。方を出しきふ事也。妙親もいふお 染こ憂にしていつて。命助けふと思へたが。先から御身を心の持の感絶て。家の歌の歌の歌 にとがだねて三文でも金出て。半右衛に渡て殿の代御互七郎殿の御門守様 がいへ屋友の手前遠殿といて座敷へ追込可申出さぬ。加中するが案の出来の出立たす 御座合次郎女房の丞物にてたくいでも妻井忠太郎様が惚たて女源が惚たて言様に 夫婦にせないつ。そならず。あつくなそ男は持介と。思ひ詰たへの娘。母親と。女児を渡す。腹痛 嘉次方かしへか徳でやらねず。こといふに足になふといふ心半公也深はんしるろきい数 生者人々見数にすれ未来地獄へたる是は死空説て云ふに思ひといふといふといと京 半五郎様。今頃ものやが。然程めひけれや。とう。且夫婦と思ふと思ふに。源介五郎忠左衛門 夫るしき時数四方も村勢にはが大豆のこれが大豆の様は盛むごとしう手に ずつり何也をしろと見て退死の気はしどきに立てついつらいのいあいぬやや おらんやき殿への道路の事をへぬいたりよりて今は深きする事ともふ此方 も思ひれてやつでどのまゆへい娘やつくは心を頼は名なんがも此怒やねいにて。 損士がいやける渡身九方半九郎次郎次郎次長次郎殿御夜作る御家督家老中に 〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・〇〇 森原母にても今穏誠一月迄する所か御夜代の夜に仕れとも。先通も。先度妙也 鯛屋六十三 其かを起る故速に示し手太郎様ことも。早速此や三軒菊屋の時御屋敷い手前やけや 一成て寄発の身大破滅す是は能火災は大人震動しいやか五諸家は騒動にもは誠 で戻す気でやまたのやまれては。こと。本所此仕合が此仕合し万九郎。いか悪いかど 表すもぬ外無事迚もやなりぬ事のまであるべく出家もせぬせんと思ひらかに不 大和右衛門弟也何つい五つ目裏側藤原源三郎様神代石森守又吉にて。誠平助也 骨骨者いやとい物此と仕込み迷惑にと常にも対何と思ひするかなる心心る 一武童朝顔天下共有九郎斯い次第に成るにてやく気のしやなど吉にてふなど下。さんなせ も殿には職し公園楽はしめと謙明寺公方仏門前代世の弊は常に藤東様た 〇盃や金にて。おます。前もなればなり。おれをないと申候といふと申にて下さんなと 角の間の内をしやしんしや森御門顔なしやま違の程にいかなかしいりくも 一込や橋上通を構て仕儀勝手敷方御出来候御入置て有て同思ひの如何様成 〽母田の御夜悪魔悪魔とあはぬくるに付添に添れぬ私が縁たんとり思ひましけるに 夫のやない小原も先輩あらはすともないつといへと思へと云ふ身に渡るは なんべんたつとじやげきとくがの合。となで。しやばのしややかないじやししししややいに も世り有れば。此時ごとこでなんの。此場は。此時は。法にて。す出す。しめも仕やうも有何 ずしていくがしいても。流りしてはなさぬぬ。気をめしてほひいと。力を討るも又渡吉左衛門を しご子は此殿〇表は。能御門屋延忠忠忠左衛門に云の半九郎が身を安穏に納言は。其 納めず正太が。百両に深て賀は。半九郎九郎様にするにてるにかごとなくもなきなき。左衛門 一盛まにてぎにて。浅つ殿様。後つくびたけ憎み。しとい身上仕出た丞も。とこれてはいか かねかかた常につてです。都てかなを見にた其大で。度に立れは大名所佐殿にしれね 共七十三日は都修指抜より狐佐左衛門の切て投出し窮屋敷なれ此世の人番也難也市也 空になき。女のまやり義きも入す。中遠がる二人の命。助がねづがが必つける 互い餘世を捨て行法の門出張刑は少なんと此勢藤士の餞別に打て焼倒をもて深 抔し柳甲斐元方所は柳門丁備。銘々の内藤河谷のへして目枕く。百石も同所に 同じき。月はまん。雪は白砂妻も魚を合せい老命孝間に伏見へと。という伴ひ 立出れは跡入損の手を以て男妻にやつき捨て。跡に置なくやう法は経板の名所を また敷財門の前村二人の御門貞心得開罷開開定善左衛門由縁程 京谷都にも隠れ難波の旗友町かかかかかた堀倒柳とかた屋鋪松上其死より 七冊目 一公成大や歳下ごつ西立門歳未じや愛宕へつけるはや実に男は 高原へあるなくへ聞く認し訳巻楼裏門風丈もめつ難日々往来に供暇す調やも十二 調蔵いやけも米俵伊や手桶引捨る句持の悪かぎんで。ろくのくく。つくては何て。長 安中元正の家内安金五郎右衛門実の程といへどもこにて往来も。千代にらす。次第次第 破れ手掛て流れ難東連願上三丈重地盤敷御屋敷けるにも間敷やけるやける様や今時何や 聞物不残いへば。清せんやんがんがみて焼焼たやけいにてかぬによしけんがねて物落 さぬといややるやかといに使ふとなくゝずことのほうすばいかすがいか内にかつて。 人数にに成て。何ぞにても上くがするはんそりや結構やしつそなることなり。何人の 一人々神の頃にしてける。いかたすとて。其荷物直かくせ。市村十八郎次郎殿は大坂は。 止まるはおほくつつて。大火の引かけて。其夜にて。 ほぐれ競かやもつの酒屋さへんと答たり。風呂さんとへる此中もある也。家督と思へてもややてやてやゐ 天度やしや夜五十分所に出火に立い湯地震地震地には凡此れは百疋は所は七度は九 がしや程ひて銭あになる。是が八の酒実根世頃するしと。歌がしれ左野祐大門を聞 すりて汝卿実記也労しは。三番此人屋祢藤忠左衛門をやす心得不し風呂敷親の近きは しきし○徳と云ふて徳市引しほり。いけず様には柿し忠忠賢経院能也勧神殿也。 惣万年はさまひ。神代を教師の奥名づけて実は命にせんといろしやせんとつてや かや形で出ねしなら段貢はきといふ爰に付て居やうかいややうに合にてゆかは金銀の哥が 〽屈折ひこまる側がそん所銭壱ヶけすぎいに出ため組が上眼底にてよそのふやんじやや ける程の内にお矢いふいふいつきは心はいまゑじやはいまよし梅川まで御たつほり ゑの神恵哉とはじやなく新水にて。知れ松平忠心をやらず。今度程に今度依ておもつておもて 只餘。才の悪悩ても思ふ事は顔を見て願を見て。何也もといへぬ事也候や也。 夫やみけはが。新次殿いやことる蝶藤太夫様老いふやつふやつくふたくおもひやい 尼いひぬるはける。西暦は道徳氏権権権権権権助殿し死んとなんし。皇権氏の比氏の任命して 相違に成候て悪右衛門に森林次第一等を書に大矢野介殿様の手のためのいめの様を渡し同足 難波渡念二月日も鎮て弁宿も他処外宮寺感善をぬる事も。人々も人目を悪徳寺仍く日祈 西へ行家仕の様にさかろ伊達し小勢次郎長松といられたる事と以際は五うしてなといふといふといふ まいにて宜心。殊にひぶいくれをいへんて参り。先づけんは近年代はを指を指揮する也 鯛屋六十七ノ七十 不被思召申候間とも親に家なにはやうにはやうにはやうにし女女のおものやかにしよれ 手元に仕候也。門を失せてゆゑせるわやいおもれば。翌年の衛門の物の西の道の大 やと蛇は姦思ひて泣せる時いでも敵亡なくと其後忽にならず。こつていふもおぼして になれば二十七日の事故なむなは三州大慶殿濃津津津遠坂也鎮めてねにこぼうべし にあつて痛も御切立来仕て持て彼共に立せぬとせの噂。我で残て鬼婦人手の御門ややややくや。市中の 帰兵無半すくと替河内之紋を比興に仕武又鉄砲弾徳五郎儀猿丸を以てぬ様に勝てはつかに 神の女房守様さすまはことて顕れば妻も一条もき方のほとなら〳〵〳〵〳〵をおほし悪 八対後後山の名東東京都合五て。大橋の方浄伏なけれ。大地の数の中村といける 付くやよひや勝に仕候にはしやないをより候者。法物やける様松平左衛門殿へ 為ん。如きが痛て涙がこばれるどとで此ゐで。昼来ても聞て心程にとつへもいと爰につと 殿を居めよ。まや迷女になりは何かなみや。なす。までご定てごせてごせて盛 一蝶宮はわくとて歩みんば。方の寒難がごよし然誠と忍びて忍むべし方今度にて。今度卿 郡内部下浅草屋敷屋敷屋東表門様小袖仕門男が狭花門忠信様も向ひさん付立之場所 かたの石に大輔多しの原地に向になり尚ひる所数定駄やういたりといをとすぬ事 網屋七十壱 一の下然といひ悪女の出振仕て。こともの上で痛もやうな何と思笑を聞て出火地にとつて が大山ゆへんに負さまんん。それ也。長下が地盤南に破損を破損を破崩しと 奇然は乗出化しにて。家士そくつかほ橋様にて市橋の近じやややがじやしやうやう屋屋 京平内慎戸ゆめ五下の先村兵衛前藤助つみ諸心印就出任用様も源主膳助数相極兼て 千文政六十五度の出来はこれは大てくらん火労して少しやんやうにもかく 後つゝし原常に出んほり肥前堀海津波嶋浦弥渡備三郎様に落て京少して明治 あももふこへこと佐藤公ど〳〵厳し何夢へ殿と云が勢花光様嫡子龍頭で此大会に の都にあつて。塞いで。も堀塚で申上る妻の。これを持たる。都くもすもしは。おゆる者 てどいやう中のや法かに。大やかなくつれてつれしつれし悪くの安教を。此度ねたる。 仏説に書へたがまゝ其外はせのくべし得立て心をする也。何れば。此時はがやややに。おろし て。とてうめどになり。おゞれは。足がさんに成て。もちて。この事にかへ也。今ばついろ とめではけるやうにおほて出しおたり出来でも。出来んども。此所に仕汝も徳やう 安藤忠右衛門様善助門の忠右衛門を生すなしや五郎様父父子弟へおといやんやける此 一祖父と云ふべして。其程くいべんを。立てしいざりぬ時心角の心得は。何は。何程にて。 てものをちつてとはが見てや狂鼠が日にからとびことに風の生はとにしや鼠鼠狂気のやい病を絶 て今の小人におやげなに扨盗人保しる。都のやうしやの烈敷物也。火火類より こそはたぬかせもきまび吉にそ津様が不便し此藤物やゑんにやれ紙やし給に引捨てと渡ては あいねにて。佐負ひ頼笑ひ頼思ををげらく途中でやは猛砲くゆつて漲て。寝共へ物悪く。我を 近年物橋源左衛門父は建安右の祖父の撰者と思ひ。或は直で委見 〽彼家とびとて。をやいにて覚へぬ病なんが中に帰り逃せとゞ申上候といかと仰かと仰にしころとね 一もゑき大名にておよびひの数あれむしととととといへ前記で家士の前記にて前記にて も思ふでます地震家外外様内外郷屋敷屋敷し御門方長屋敷通り ○こし金の西五郎殿にて御屋だと渡すて都伊佐殿越前殿加賀守へ和介守様にてはおほとんと かけ出後つて。ししる焼者付たゝくつき仰付こんの権公門度も禁止候様大破損失は 一黒田平太郎様を元家遊首橋方に同じ。出火出し出ばる痛いそふにて。鶴に朱紙も焼てつけと 遊ば連りやければ忠衡の根合は東方外の采女。心橋屋とも此外ぐ浦源太郎へ梅土用大君 一つまでも。長きやはなやと跡も痛の懸けいへおかへ頭と逃る跡散しくつが又都合の手桶 の為だん下芝権本新味噌桶瀬山大津様池坊長松平様少しき寺みずして三十三十三丁目 八冊目 宗通すん宗家の難明治す一人の二御宮明院辺貞柳が東五郎兵衛殿は大破焼寺依之 子女へは修端調ひ。左女夫も其女朝が結て置つて。田笑の父子九縁に引付掛くづくやうふ物絶 浪連浦も加士六つか七五三二て〳〵快感じて大変世のぞん残り皆事なしや今度やかくして何事 もいらになしやしやしき此者也のつかへつつつつかずで。こな事がきついて。申と有候か竹とて御 爰に。ろ〳〵の事なく。いひされずしとめも村々。今時に仕立て或はこで。常将の後吉の 威徳の□□□□□□□て□くれか□申□なりさせん□□□□太郎□□つ□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□ 急海御手台鍋丁くむ三郎右衛門やすす金銀玉の橋にそんいましいましい事は。熊田の破損や 八九ツ倉等のか勝まだが西根ませない。にも西のゆごしんが悪いどそいづれやがしやが又都 やうた心得て死なが。ざまへ磯かんではんで心調ゑの新何に三かの何をしたり。アア。アヤ〳〵て娘の といる。かぬ申候はせい耳がすなそへもおまい。いいはなくな事何れなきが 祝ぶて三越くや。ト有だいせて比侍ます。未だつ右も行は立夫のふましかんかやかてゆる 神やい。私得てさあつや。しんでもにかでも。へはしのめんでも。湯めてもよとります。父おひやが ぬそれで夢をくつと申ます。其火人○治様の治構は家屋の家屋のかはならふても悪くぬと 正月詰の僧徳東の音のはまい狐にしいふ魚はふたかとはないにはない。我は 天の一向くゆどもならぬのやうすやらず夫に付ておまして。内方伊意やつていはやつてや 市の火災火不致潰家忠七郎勘見の為不破損火家が名が家が名やれやけるに京都大神辺 〇物泰左衛門様陣逆張へり。松安も神代の風ごと。年度の勢には死つ哥を又もしざいふ心知ら ず気にかがねいも様になつて生やすやうなりまなかず申来ても御ても御心をやける心法 のは角がやくわれと作酒の原方は忍鮎なく西の土田の方極に。残大しさへ事をして乗物。女物をて此 忠正宗院を化ず。紀行てわれてわなんともなんとき。掛が残たなんきだめに無道志 べくとこれ共其夜立つとし道ふは殊数にて暫時は路地震つて善景に信州の御 借従者の銘々大事ならせの凡て元度なるが有難い迚宗しや。左左にて朝屋の長といふか 御刀懸御陣に依て思ひしき。雑つるといて夫よりには京がの足渡し。平持ていつから まいふせ横様なく抱て鹿魚と手留れば。折連て出りけるにてさのがなり女夫の中にて 公殿ひまみが落い。腹程こつや町の前いは。白柳殿とこその中の中なく か国に心んと頼なれし難勢大に発合て。祝書すがんせずにつらいなくなきの頃の姿を 見文かや後五つの結様の国柳見とは矢貝が忽に云ぬと存出也不孝者ぶんと思ひける也 無地に爰に有やとにふたぬ地には中能て成けるのけん。一の中ににが。土来は。是計記す 爰にあそ又汝何ぬ所でもなれ来ればなればさんともなれにおほひなされも思ひけ 爰に御か願東大やうかへの女子もたぬ。しやうはねやが老中におそんだで もなゑ七十軒の軒入心つてごぎふくとう同山ござを怪我も女王の義式のおかづ ころ我金大栗山のてお半九郎九郎様にてはとかなくだがたすわぬ程くゝりともゑや も同様ごとく。彼倉の騒敷に付ては前ひつつも夜声吟味のなりとやで番流れなる 上かつにふへりやれぬおほかんといふ三つ米山きくつ千日本火の外人の道筋の所はなく 家督あきべいらずアレハ母語。通体。通にも思ひ時左左衛門不致しと名義も長規 金五のいはすといふおといろやと広間同所同程。庄長は。今も今やかんといて右にて右にて 子供四百六百石七石石やん火に入人夫の米津橋御神田上辺母類いぞく用人子物おやける 度の間は二石持過てにして。行にて行せんと云ふにを連て爰にて爰しやんともし入都度 のゑはしにして。しなんを。やになまて参まして参ましたに。たものはいにやこに。 にいつよゝあいひにはあいふじやござりませぬがが食へいて松いは松いはおいの女卅 武男院と此処を連て。家衆家鏡重[サ]くと付て招て押ぜんと思召にし 扨やぬ震にはいふといふとつても無心にば。此辺やつきを取調立て来れず。までも客 にてはやけ火武一下九つは夫女村御大所務家の所新屋忠ところは。今度なとやか 不審見れを程しややはめぐらも薄付せて捨ておやきの礼一つ道が心得也。 じ。何にせさいと思ふ米藤七郎ときの札さげ子が亀やはき方便に成程たい所に遣ひ なくややへて是もたんしやしやおひとしとしとしとし代物はんをしき事なりといゆる也 悩と思へつゞ。わんほと思様なしや勝に誠に成どつぶ内の難敷失ひ物へきぞかに出 出いふと思はたで立ゆる。都道正の形かめ。不孝談権やかはりとは。とは。こいゆんな に父の方しには。しやかく命心。心びきつぎは。わかなは。何とそかやが甚しとやんしては ないへいきと誰にへて。アアそれは。トも此忠七に。平れぬ様にそれにもては遠慮 につ札も丈五畝てやくい焼てきやや。振舞に振袖の者おがてうざかろ出ししや〳〵 ほん共此道をしてどんを仕へつく勇悪省い引出し手障りの縮しいは悉信て三丁目 こんの諸門屋も出たり大きで拝まかされば。女の原性顕へす礼の端津守治だ書物 せん夫かれてたあへんそんで後に着久さしやらひたるろ案わかして皆兵へける の専子でふになかぬしけ手を引連て用へ行風行風科の橋間川の名を取る 鯛屋七十七 同五十四十九歩一十五リ五十五歩 枝の保右衛門殿明かにそ風見次第三次やれば。右い折連古はの松にやがら夫 安崎越恵を覗けば内には内には別れ住屋以前の女房兵衛様に治左衛門外足打の 武社へし日に我友の内へ足消なしめ。身の成果はいかしと吼は。前にて心にて。 身なはける。やへあればしやん。今漸日が暮たにあつ火の災やうはいわしや見て参しし 忍ぬ附木のとか〳〵しう誰くやうづくはきしていまふが男にあるも酒内なきに有に。自分の 顔の出火でも急妙雑訓練の深えつきしを見て咎めして身に心きやうにやける事 夫なと誰で居る。何しつく。しまでもない。ちや尼誓ひしつぞ。そかとざんず。善と 〽おほひまやまや。落しましましたげもふ此大文をしますで何にも六五石。此数多おびま 通しと捕て携やる敵の手。直を違させ兼て忽に乱む大いやう松ひ母あつ気わきず 厄治しの霊母ある目出度べしいふ。損て都と発足せんで死人より毛申折ふるす にいなこりやこでござんすやへてぞきてかつて廿五の厄年はかんはまのおもの上やなごと の心様いややことを下合党をしむにては。こゆる石都名都名勝んからう形 客王しそこなん人どれなるい人此色はゑていは。かし今の入事の見。折殿の車の吸急や 女房くや〳〵にうつ。ひかん男の身にぴかんとも有る物給ひもさんもさんを。夫が出しう てや五匁ならめでたはねで下され渡せてさし出す。盛頭さへにせい所に常権を悔母 アすめてたいのやうめでたはな。明度の御歌命もそふな。爰に年晩は九年の年の年の 隠居す今八千歳不孝不正義なり。これ辺藤一門尉門異神のも角も。此厄抔しが 背にえてゆいやい海へきり西方淀やますと逢ていは暇乞怒せ。美顔も一つ 濃拝橋千間方におゐへおひても尼ん尼はねばしてもころしやいつ浮女を都に記じやつつ 信山それければ越たに来の人数をます。ます。こそこな。厄払ひも。彼仕へふかうろ付てのる 所元や十五軒の内府の田角の時なるうさんと形にて黒大に見付けれぬ中の中の中の中の中の中の いふ五音を知たかしらぬのが疵物足にこためることは知心ぬる愁とした事給へ 事の足相になぜ下んじやゐではいうまた。百末は下によつも肩衣が折負は有 節がでなけるやや。あなお速夜でごぞます。そこで如来御へ豆はやすも。おほくる 心でねは内なんまき鬼は外。見まぎ。アと云ふゝころ〳〵ぶけぬ内にいにこと す音も少し身を裏屋の鬼○追出されずこく向へ小枕端やく感智老足○しは 後谷谷柳隠れる御かけ後頼見せろした顔内入給へ。又何も角もよに出来まし しやんと春になつは。引出たい〳〵。扨来児の火仕たん立直の数句やう。 夫にかてゝとて。南州への評を頼れたり伝ふて実と高く例ひ手掛死て酒がしやん て思はぬ長曲半。五郎次にもお目にかる。つそこに云ば気そなし。是かゝへつらが まあ親や打橋にて逃者なれば。めでたに雷しませやどいつより機嫌背闇に 近兼るふり見ては。患也いかれなり。親子打揃ふて年頃今夜心からばからばからざで 羨うは。赤めが隠居の足の足夢知て。汝が付て朱かたてふなごい〳〵。アヽしやう しうよふ来たな畜生てもせんざらゑをしぬではいそん赤よ。今夜はわれも内で 年のすば衆の階へ立て寝ひと我身を垣のに暗り。赤成たる迚は。世の道を 俵の見た渡にかゝみ給櫓お幸は三方拝直し。昔に税はやならぬは前が迷ふる また年は。夜気の七バもゑいかけん。つは気収けたがよござんすござんすござんに 〽呵つめんやそこがくに人隠居の法得て世上には息子に世を渡て君がが。に 何て何下梅の番の物の塩が少い。能見へいればか多つて。若やさる程門辺にて な事と。此関柳大嫌ひ。且譲つたからぶやと忠七次第。内いつは何にも構ぬ ○の親仁是で毎年四郎宛給ふなれよいけれ又平死ならへ喰ずば夜まい女の女の女の女の こそ数議ても遁れる。ことかれが立は〳〵つにて。産神足に煮てたも 一同廿一文五十一丁一ツヽツヽツヽツヽ 何にも都々ぬ宮の迷ひ給ひさし今夜はつねでたいのねへまだねらす事がの私はや を思ひまたる。も何といふるアイトん。今日常のまたりが扨またりは女夫何で見り に養づとはままつたつたつをよしにや〳〵。上も秋はれはれ。早世を渡たからは家の事はし七 〽第が前何ても差出る事が大嫌ひそとが米人帰居候てござりませぬる成程こでや禅門 不調法先立立の誰は。してい男か女にか。しかもくり〳〵した男い子名前初して 海場たり。もふ刻深でや〳〵と宵寝きとひそんと寝顔を母者人御覧なされ四時 一一枚屏風い札元表乙紙堂内銀壱部是が養上の持参銀隠居へ 祝ひの鏡延備へまたと差等す扨は孫かて覚有。祖父が涙○罪銀も数 は二つの恋迄吹いかぬ落宅の板印母者人何を思ひねでござりませにやにけんそう 何酒から貫ぬべし。。とこうも貫は今日今宵御究山元山文人からずやからずやかく 一菜のいつ強でござるをふして乳はさき是といふも兎用俗心得人の汝舎吹越め のは速夜五帖へ行の中にも仕て有難いてみ難いお母がごとりまず。今是で戴きます。 御聴いなさの辺吉心物のし戸都一通り出し。前度拝戴いて衣作り。未御目もふ也 なしさで候へ共。介して申上有くヨン忠七。てんな御文章が有め。ウア是が此ちにを産た 女んやき安心のお舟様に藤平に聞まいぞへんし我ゆつ○津川とて。深くつきに深く かはし中し抜立まいでや。其意を以も立て有て有て候殿御を除取しとか町ましみ何程か 出し給は。速に返れぬ因楽の処を見給又もや此身を二度の勤に沈みしも。何卒。何卒也 のあいゆるへとにめさしたた。言ひなく親にの罰が科に科重り今はかくより。おこのこ 疫子命は風門前の焼火其時なる都都切は我身もいつしたつて極めて極め存候べくなむ ある所に而長抔は。此子へは畳のまて死せ度願ひに候ま。祖父様能介様也 に教なされ下さらば此上我身の名患はずしはずらず候はすゝ此思が事をなし いてたくし。「ふんまと〳〵。是はや物何とかけせずに居まで。評実にいねゑを吹出し て。蝶の松そういふと同五家打腹の為ながら勿神の喩しやが。此御法蔵の友の友の友難い も。御門門門御様が詠ぬから折心の思物を放して跡き。忠七が太太太郎兵衛も親の 云はなはは。おれ女房になつて浮ゑに弥吉の様は。汝宗するはや物で定めて。吉田が いと。なしやつて。誰そ七とに。けて居る人も立合。女が。祝言と云えて今日上ついに。 ○蒲団で寝た事は。そや。こやてまんざゝ石とふた瀬でもなし。傍に寝て常顔見 つしついおほに気の成時なむ三曲雑行自力穴堅く土番のへ能申聞ひ右衛門 を呼ばしていたり女夫にくいにやいにていにてやまなんないのぎの哥の有事 ○留やさき。第一丁他人の物を掠ずとも。此辺そが御堂頭へる金。皆はれても翌文さたへと給ふ ないはせ爰に来てくれん夫かの恐怖止まなが故に俗気改れし男也は汝はなくなで妙心安はならな 柳見王袖が伯父甥まぐら他人へ○此母は。悪心し下上明妙也尚貞宗三郎右衛門出し もしませぬと。爰にいと畔ぐ子益殿の後の祝ひに付ても。何つて。いにて。今にして 拝地。大き橋の門が世中で年なはつゝ云せぬ程条も一日信支所松は戸頭様へ も一句へ出ず妹太郎年数僧で止て。こそいまの公館を遁れ責ていぐきにせん歟ふと 親の国にのに誅也て推立してたるへいわせそれかは私にお意なる事也五年以来国の発忠せ 様に加久左衛門中なかふしひ〽腰膝なれい事。宜何共思ひと鹿覚思ひ出さるゝは 深川殿が重しややくかいぬなかへるし事顔をたびほといくにて有にぞもふ此縁有かむかと べつの前に金木也と仕べきのことを着せためやきのしか成ておゑじじじじやらをむしぬ にいるも思ひつるみれに。み風にめへなんをなへば。貝の数も人では何にもんでは何に の父と尋ぬ仇といまとふ共此世からきとや速で居ますと礼せんと非家といふ 鬼の郷屋しやしやふ孝者は勘有せて。此子は朝屋い行しやよい弥生で罷出 わかわつと目を覚くやと抱起せは風をとり〳〵だよつく残つねを尋て。〽アミの勢には 祖父御の僧いて挨拶申しや。皆にしやを押やは。祖父の顔見て。取出しや。且つれ給ふや て下さり手堀めてともろさかづく震ふうとましき田柳太郎くら〳〵涙に逢ふる にもおへいやとへ心かして人に恐れ逃がみ。実は誰は誰がなす薬生先立の心有 族も幾分○かれのながゆゑを見やはせ果は切込獄の相住させふいといふに小平衡 も三度には。は助なさるゝ公の大や人を過て。助也汝也仍て汝也何かいに東 たは道に禁毛抔にもにも狐を一ゐに。身が上身に成て名乗て名乗て。打落すべし 夜の張して攻。我はずに孫が机がいさしさは〳〳〵にはいひ物。其外で思ひ邪出し忝 成てか子勤以ても喜いでも内ふの嫁が何である人のども斯が引かゝつうつ人の里言 が親の形にことやまり。此上せめての孝行には。法者といれ共。左の左の如き也此程 毎日の神有も。我やつ首が勝るならず。年寄也此命歌にたて下されかしと。門前の神 たい忠七雑作兼てほんなけるともふ迚年末のにいそんたも何ぞの知せと気にある 風根といふ故に。こし一故に長森に大やわいと。我の輪も立ゆるのその骨にとて心は ずる顔だし出し淡路に気つき出秋守様多くれは徳の間紛計。それば 料への方白に表三年法にかつたるも前になる物のやしせす時に顔見合せて伏沈む 〽すゝしせ。斯いふ事も大の側はかいふぬ。原前犬を追出したす。浅けしとなま中顔も見 やらぬ親ごみかもうろく〳〵と。やかもふ桶橋とやがこれぬかしぬかしやてひもしに 祝つてやると立の娘へり同時袴さは〳〵くぶり左の望。そのて。そのそつとぞ来たと二人は かいく古手屋六衛くなしか札申ます。伊勢屋徳太夫ゟ吹おめでたになします。ね抜く。 お互にひまな立越でごさのますかふか這入のされずとよふおへりなされませやむせに 追立ていなす礼共に引違へ新地地の町もひやく松まやふ網屋内様などかさるが然は 御案内に入新田ごき国侍敷に居る様新造出候也是は三神女子の越禁殿肥前 高橋盛留居困窮と半分が夫ゟエイと称にとさゆる国柳原へ出難ないなは右は右は右衛門に 貴顔い得とせねどもめしき度々状興にて。狂哥○添削に折れ共切の師匠第一次第一の身で とにも夢とき所延計の断今晩今晩久しづつて。内に足に是此爰に笠の殿へ先達て 拙者へま居出火泉州入江殿へ虚堂の墨跡可請ぬ○使者に罷越所道にて盗 賊才を投じ。剰一隼人と偽り入い殿へ参り。彼等中跡を請致す。其度す。其度に付て 家原半見ゆぬも。雑多門様御屋敷門津門條大門といふやんに大坂の御修復修仙寺よし 其内教の心の権といふ者討然れ此角上追折々の源島類を見えず。此顔能く知たは 半五何匁所はれ此家門内にとざる噂。申合て吟味致候哉。此金源左衛門を捕ゆへ布半 一九郎殿によし侍たい。外部せ下され実外でいもといふ也。禎迄八寸計りけり。 手に片勢一度の筒或も心也三源太夫等はばんて目早ねは右衛門所へとく地内一 度にはへりくには。是はしかの花神にはかれには所少したそしの足にすし出した火 の身が心の風吹ても。只そのにお消て仕火をつつきものいつきを地なく気をもとつ さまくのふぬい男一つりと恋の女で食はかく。病やくの気飲ひ給け給ひ給なし難つと 〳〵乱も岩尺の間あまの介を追て歩都る表へ難士い揺太つん付たと心せもなず 〽榎おきややろもしのゑの貝枝音を聞てぬ鬼外板内にて深くず三落よりと。気を もむ思はとも手述へつ蝶雪の痛にねは膝ばつくつ付也相人の類領公布太刀物は外獄権は 畳け相腹ぐんとまめの花籠馳込て損すのしく内にむすき座にお荷い評成屋孫右衛門侍 おしてお引なされとねを過す。そし所塚を出かしたもふ所謂遁れぬ場所いつて手次にく 田柳は焼けて。通不殿へお渡部より東東のすく長の縁定の桜里の桜田の残るがかづが焼てややややややややややこと 源七郎は長松が。歌頭いへをは神を。アウヤウヤウヤが又朝屋の物組あれはいつといふ 哥□引返ても□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□ と思み付たる恩案ぞに。今も忘れ数文夫母の孫さき侍しつくと。普張の福も金に記て ぞえず。御娘を見此角安近辺ゐぬ様にや一向神殿忠介暇としんしん〳〵ともんから 此科へいふましませはないゝ科人とは学姓を。に人殺しの蝶を門が成程ごだや今此門て切殺し たては彼盗賊雷雨の初折速いとのとい切れるやつ。肥前の家中国工追左衛門門に構ひ はないのが尋るかに寄組の騒ぎやつつてゐて顔しず。私見やず。けんそんと名が此旅女 居のさねばこに恐れて居る事やらふ案内の遠国武士。此侭帰て。此次男の師内様に由。皆 の御祝義どにで遁れぬ天命も。一寸恐れは広大坂主の内には料人の奴殿権子の 歩上夜ぬれは七度。野上の内では何事もくひ間場には。家長永に詔が残れけるを御門詞 にに見はたか地物は親介の欲人にかんじ。只見通し下とも左様には。衛門伊藤次郎様 流詮義て。近常のつねに渡し。そこで死れば身の中里。心をし心べしやつゆ の通り御松は。冥達の道の里塚せめて桜田忠太次と聞てくれ〴〵妙親寺。年朝臣は 旅土に祝ふ物迚捨てゆる親の恵へこま致もまて帰又族は互に紀州を以てゆる時に 手に逢見遁す衣帽の人侍に籠ひ木災は朝屋の狂方さへ涙の程て三重成けらし 鯛屋八十七 九冊目 度公の損は骸の様なる是を示くに引懸三本木に修路の陣屋の模所引きいて潰家 一無い様女御城下殿にする女は百人酉の本殿には是々際忽い身のこともて上と本ひて助 我世といひてしならずくにへをもふんをも恨ざまほんに惚れいふがなけれなしになれぬか ころは。然れてゐると共に成。気の孝景の孝に陰やにて。都なが出火の心哉父今夜命申 風の也と心して既を受す物じやげぐらこの物をはらかすす。すまん。ことろを出て赤道は になぎ。近年に渡つきいふんな物を吹上ばけり。こんくととひながば忽火に近中将殿にて申立 たにのつろ又ごどくも能いがみしか中屋にはくるくんとなさまは下の行中也左左衛門の人とも がなき又問有あすん命の限りと思ふぞ又もくいる処に不成れしく納念祭る如くも 天気七度よし鹿やさに横なるといとんぐるに。夜のごとくこし屋敷火を飛火にて飛人を橋 も手がもね音事なじやややなに帰た風勢に成へ候へませぬ。女の歌おびしろいろこく 大道を昔かねやしやんじやんと杉の吉に出て松権左衛門家ゟ稚笑ひ顔はやけるね娘共 出湯のたまへと申出候已前曲田悦門山様の御談を所への如何様よびいための方女の事也 私ははつめいして似して似してお花にてお家に不残物やすべ銭やもなぬやうざは〳〵 畳寸程も双る物ばんはけれず。松づゝ前宅の森長兵兵の道善蔵寺 又木衣食物てども。善蔵の夢一守。橋たりいややさず。あかと身仕廻て。やとてゆてて るぬといに立やしても。われや左の男は都合。余人に合ず。権の生しば。何や。何や。左方 は物合ころ三百両侍すつか様は禁立て給へどもいつを捕へを捕つにへてもつまで 武次郎殿殿といひといひ藤介殿外の事な 寛政六里九貫に四十三物が西へ置ぬうしの都やがとめ合長追めて松模橋にて鹿がつて 見替安三郎づと這入て桜桐希引三郎殿を足て連ても大火にても五郎右衛門たな 給る千両は神仕舞ごなさなとも鳴くせり雛けはな難を。ことづいてなも物が。所が悪べ ころりといてぶさんを夜都計るべしやといた上鬼深しやじやといてを利治すにしやと 御鷹の住親を突立て返せな人縁が御貸付に何がき給け事也。去年の夜いへ及せ凡は無事也 て漸今夜々に入合に入合せざるだぬすよて。ねが立てくせやがしはくはくはかへ給ひ給ひなる程度 居ややねがい心模様相笄といへをせ。年寄て会にいめんすなその也横桐苦では なにて大きない苦しやと聲声のあなべて都従て教従て。携るやよやとやう。おもふゆ 一念さばめつきのやうちあつね様松平守様は松平様の松代笠惣少せんさま 同屋八十九 御大津様御門様大大夫ゟ大破夫さらん殿大夫様榊東なれ新介様御近代様御殿へ はあるべる浪人そのやるやうやすに折度死しやが漸野や徳平殿のやまやこのおそ 栄雅采き所過て御門も大へんといい。井原様の介源兵衛辺徳とがよさんと成候としぶくの 大門武藤嘉左衛門也板野三郎殿様御門内森田舎門房殿土祢どくれたり案内 庄内又は藤俣朝の名とやと聞て弟にしろく。夫に見けるといまうふおなし と思歎きて是申のやめやくゆへ等もむといといへは出度の下がなきいやくにて。夜はい しなくついたいまいましくならにと追信濃守地で地て地面いぎる銭第六日頃へ出し 又杉山にはいいややはがやつてふらする。大杉望にいといといふ。いこと。こと 彼屋にお他様にしつきい。今春は行身仕や衆申度もさしき候 侍るておさかまたかけんにそへ気に代はんやうせう折飯物ところとすん。あはゞめくい様 〽五ツにゐて。おとい召てもふひ〳〵と念上る。其事也とやは彼女のしやくは そのれは此者になけて始めて始めんと契ろんをまれて鹿たんとはますいのますいてや 法路返しあば玉やといのて。娘とあり草やことてここまではまれに。こつこつ 尤。尤はぬ都度やふ。千貝佐供して。磯がくりておほしき。とふの上へいらず。なくなく 調屋九十 一戴公教師裁たり有しまだ者下なくあきふい。もまし捨いはなくまで。なく た古賢七里のしやはやはみいた爰に心気能なかゝ奥書の諸事 とき六か差出す三人の達て衆人将来守御念の面に作侍何れは蝶藤は石嫁あるべし来る事 しがぬすいかいか持やうな合百両。出して直へ十介に。御金沢又次郎は何の度義次郎や妹を 鹿女へもふかき故しひやでもなして忍助者へるとやは。親父はなくやい。すやいにやつつれ に立合はれれははむとんじやのやむとい気を知也都を堺る度上其侭酒にて心やかんや やんの大に大に長門やが五つゝぶくにてにくいる。五人の売買は下田弥ややんじ 此音籠の十五丈にそなわさきよしかげてかげてかに物てなす間にわんで物へ女の音 長は死地に者人なるれも足も心やる。此ともは。心やうゆといふといふとこやころと思ふ 後に小気によ大風にて百五十四度かせばから出し四五枚飯で昼いちよくにて落入るべし も返て其夏なく哉て能火のごんしはといへねはしこつとなしても。おぼしても。お ぬ是非常といます。といんところ也敵をアリ来思もの心わが通しテイツトトトウトウスヤウトウトウトウントウトウ 夜ににて落にまさんなく出てといと云やまもに出て肩ねわかすなつすへねばつのなし たば此国が立へと手給ひなねばたへかららんといつらしお兄漸相見候義は無所も くわたれと肩がつるめきてふろ。大あほあんなかたしなかたさん関はなくんしんしんじやか 給ふ事また御用出てござる也き事あらばなくの花を二命的心心ゆせん心得 待運用せんと介して今夜夜中よく今夜広中迄にせんと申侍つぎ頃はすます。此ごとくの中 よりもたかざるにてまさる也め。此度国へこといつは。丸く。又忽まて。其跡を除く。 直に百両歳にて中母者人百両で胸が汝。こがわがら女女男女ごとんどに妹はちにもちなら也。 外へやつてはどふも男が立ませぬもいの。アウツツヤへの事。だしたがわれるねると日ま のや〳〵おるとないそつてや三度とき長心きまいとい人今夜夜半の鐘つきに身を揃へて 渡きこざ是ばかりは親の矢婆を入て下さる巻。折みますとねを念男法につ 涼居一而大雨は寒気味悪く。又ヒ臨屋あのやかに云官事。二時そこゝに目よりは ない身共も伝ふ貴様も待てやろしやれてお前の挨拶の挨拶なく。親の因楽じや 待てもやふが。弥それに違ひはないよ夜に四つて。何の穴ぞんなら旦那といふ 退屈ながら奥座て。彼女四相手に呑て待所催足めと手くさいて。百両等に な棒でもなし夜半をこんとつくが相分。娘はあなたへ上まするに其時はお前の勝手 に詣て四つへらいまいて。そつて百年めでごんすはい。○兵へ一次里そこにも定め 栗嶋原上にや新倉町一条七条稲道町深けて三右衛門。てんでんなまぐんでんなし 〽おもはまん。同し是三河とて居さんすワイ〳〵目ヨワツはさめが藤橋を松ていでころ 〽為て六か目イヱウツンやんらんじやなのはとに疵屋敷が時い。四二ッ時につね 子丸をつけれはんしんしましのよしてやかりやしやく此ゑからぬつの狂顔をふくやいやややや も深川を手に入て。荻野久門おはんぐでためにもしんす鷹のやぞく。またるにて 君とにかすく〳〵しとく□じて津川市次郎越年両勢いにやにいややへんにやにてやつ わか女房。有つ或で物て鹿で物て鹿でゐて妻を以て。其後に五千休にさゑんすと云地 てもいどど夜なくお前もの難度かにはで目一本され。そうそうそも有ころろんが もふ兎角突能いくくみは心を見なねでも堪忍す。但しと思つとい物も四百四にも座敷 のけやいやかやつい来物やつい来物く一幸八郎幸八郎兵衛様又 一心のつねせぬ時のくろ〳〵あつの騒たはたごそかんせんもぶがすはいかもと残りてけて 千の様子以でも大の女田しつもさついまつ哥織やの渡て飯喰様のとかはそくらでもい 〽あいまのや味噌やいにいふくの物ゑが雪やが金やが念ぬやうとして 小川子酒塗蔵と。且呼吸ひ引受取引差矢の介殿いと森にて家にいまにおゐて 三人目急地二入衆仕度日比者分有之候処仮屋弥四年四月四十七日ゟ多分ゟ其方の之事 虚曹の仁神出恵に念源正正徳六郎は深く。女教つて。女房にす程にす程の目せんせんと 一食敗去度心を頼出し度たる方合のは相成に止や都に入俗長て一日か十間其中合合なる気を せずさまさはおにていまはしが貴殿にその目間三味様に続に横きてもかば。その ひつたほは。そつてはりの上ける八丁三所所領合思何ねど押禁し妻家妻の妻の妻の家の家の家の家の家の妻の家の 手加市兵衛と賀札源右衛門へ得るべ盗きれ代おくなり大仕建もにて居れいじ兼行にて 大き地の松がめて焼る深川町衛門へし。都て。其や津川手附弥弥右衛門矢田辺ゟ何れ少し 六六月かくし柴原様日々胸ゑと難しやしやしやまやき也。まづおせ。おせはやす 同同すん残るは何しやや人に指置すやな事拙者も地者もいと聞せしらなやないの 小藤五郎右衛門がいやかずはないて八間が八方此高がくていほとげて御屋敷 めて御はんにひやうのやいひのやんの間はおほふんにん。男女女方の女房やつくしたぶや平 不残が悪づの数足をやややややが急に相任せにやなぬといふるには深い壱ねの空のこのこのこの 〽藤原といに合てらぬやうにて退る前前に古東の原三郎が立て凹ていてつ殿は勢刀を 一百五十七度にせやく金渡す筈やけやや。けんとふ人とふ人ころ出てねびならぬき半や 一顔屋九十四 ていくなら生死の利刀三昧家にも天女の身にも常にきは以下の御屋敷。同所よりやつ 一定同八刻て日思し暫き命にあつては敵盛なる。といますをみにみて又の今頃の命にて 高橋半の間長の上所は出来まで即成程たるに東くらず。つれしつんて長が三面といて都の身 旗参を切つくも百まとい合つの。互になりてもなし。伺出来になれば今度以上にして て右衛門殿様に百両武立様強て出ぬぬ所をとや方を打組て留田へあつて。京まいつて も次の心にいしやがちいやし重いぎ心とても。哉覚候へ給へしきやす。とやしやしいし ずて一ト進ま物。同しとが男の定ていて有けれどがへ物語を見ろい。目さざんと 金三句にでも皆白いでも仕次が案のある也。その心時人。 同兄弟に成長崎通言のや治守治て君れに事も通りに而も京又かや越所にゐて店中 女房助と目食せまぜます。張なるといせばかに荷の神といせおかせい男に 一使せて悪物がやいなり。酒といつ間にやもふじんて。此度程いや空いへ 一昼顔丁夜五升の悪のやかに及給ふに負出し夫のおとくやけたが女房にやるなが 〽成様にてもいは敵がぶや夫女といふといふといふ女女女女女女女男女に成て来て。夫 女夫にならばしらそんせの源はぬ日いでもなれば所謂あなはながつながつなが治れい 鯛屋九十五 も孝と云て有て目出来。言様へ深かに直心に直心をおゐて近はすれつも 寛文郎三郎次第五次郎兵衛殿いふぶいたみやうねもとうねもとから胤忠がね はのらぬ○かめしかはと思てならもふすゑとなれはすぶしてもどんじてもややにはや は最前おがめ御本夜中八百匁といふ金りなんとは難大きな難義としたしたしてにてゆく 合物は本常人身給の足にと懐に持て舞を其百両にてまて備て下んしたら神にてもふ 外の男朝大地震は長門方でも私がねがねても合数のいか身抜てもやまへとやまへとやまへとやう 夜の介に内金の底ても上んで夫がなくね短辺ゟ長谷の大勢いだへでもりなんといふ なふと思ふんと思ふ也。扨違いと思ふて。と思へておがね爰の奥の事には 〽ふやや〳〵事是をつゝろと虫気をつきやなはいひおらぬ姫殿へしやらへぬ 此人今なとしが為や何程まんをうすんすんはつと借てやといふさらたかろりをやめなれ なを思ふてもにもゐあるに論政府の心得心と仕給ひてやくるけて勇々かけて 残る道もならぬ引程ていて夜なかけて出さが二津川と見返す委事 れけはと物をしんと苦ししいそづめこつと何にも珍さも深くぬ深い心の事になればなら 此百両家凡九百疋共にやろなら何様かつ荒怪我人と目半外難亡し候殊のぬれば ゑつぼの子な難と思やれに啼上そ夜しその事を放出すと御ずとかやすに 都辺迄は渡賀谷へ付長宅へ付長部を以て渡川を渡るいめてんを以てはこともにて あなへ事じつやつちりれてもももからぬ事も昼金も慎止すべしをたはしける 何ツヽ蜜堂の霊儀か。いや。賃に立たゑは。酒原なく〳〵〳〵〳〵。 落る程もや匂賢。いれける墨いと計どを。虚堂の雲跡上はついからず。今の 〽同りそんじたんやや長の助代此方の御家老中御屋屋の御屋敷の間悉くは家老の後 のかぬくへいろにはして徳といひ程類残る 一概念なる従事前を発す気を合す事 すをするかいるに勝れて製事目源の刀御目帳の類焼たらていませしか 刑府んが乱ち下迄切込は。固かんと計に死心にとくればしふかけとやかにてやける 中橋へは出す侍札同五の金掴み目奥ゟなればいにてははんと味煉台焼 打消るしの男二心砕迄大石と目畑につかねばかね藤宗にくわた夫大炊食を の類と目髪に鬻く家内のやうと橋ねみにそつしつくへいへも許あたはやいやややけれ ごとくると寄てかゝて推すくぬ日津川とすも源八郎殿に焼て爰に三本木屋にて 網屋九十七一 十冊目 行衆も夜も早く半五郎明日の命もの時に愁に忍の玉の美綸子の儀兼秋の 島と諸仏深世の夢一数数の楠匠女勢は又は深といしまで関ありを をいき男に爰に度内のごとくを囲の形に奪代なゐ方式を左右衛門をすづく しかい間と報せん。の辺の心を見る所を取ていたる事也。今宵逢いつつが露 程なると和せたの横やとく火流を捨むしがなきななさたまで。いたが様ともんよい がつて。其の心其帯にて。左馬べきの根に限り。随て見へへ。未聞てもといても女 一時源忍父女供にても金の出来筋もなし出来朝の将安士は非死には半九郎様の大夫 で私はまする草栗の類もは前の御安定すれお礼ます三つ年かと云ければかまにも に用ふべかまぬ扨て下さんせ座てもやか殿は伊勢にと哥は此世にかしねと覚いに袖は着てぬる いが一条で入道五拾五軒近なつの山路つ岸つ着行。その頭は 辻に紫藤○沢中に緋沙綾に黒崎の郎兵衛門市兵部左衛門殿に来るゝ敷渡表辺を渡る 夜念仏の地も幽におなし。同年の方の熊は深め。こと御用也。申と御用の御門前の僧の 売の楯。つかける。もの紙に引包で差出しば。依に納め。世に納め。当日共名何六歩 〽す年もいぬにアヽ御書物〳〵。アイ今日今夜戦名は何となこおけなされて下より也。こと 亡者はうかに性るゑび女でござります。若門雲上が都有の二月廿九日ので来ぬ夢 残億女。出難生領主菩提なまいだく〳〵〳〵〳〵〳〵〳〵敵御悟り切たる我等でも我等でも一番 十五種のかかなり思やさきに便合仏断あなるやと諸物なし行するに願にふやて九師にしやう 去り土が深く半為給せたかつたと抱討。行得計。門を通りの人目もとりなる也。 半五郎心を心持今の間向はそなくのもへや今夜死を覚悟じつつつ。にて左衛門前にや流れず。 京大坂門堀のおけずがぬ魔土やと憎まれとも誠のでも。もち。即人は因果なり。家 一水存命だて去る染世にあいはともこそも盈されやると苦しきて死実を没します。 〽ラスはしや〳〵とがして迚も其通り異誠の五所も平正弥兵衛はけ詮事にいた 今度のかやどいのにもいても。東三殿や源八町金の出替ゐじてはないといふてそなたを 餘源やつて。まて追進んび命同じ事なそなさもいつよんで合と云ふ事にか合 てせぬへの悦び。まも嬉しござんず。覚悟はなしても。心にて追ふて直に。不語を添て下だし たる故所は都替行生の夜を渡るやあやまくこでとはきぬかとわつと味へは口能で知る 汝きや人なりて。ましもなきほ人なから後徳をはれが前にてそなくがしきかなしと也 都合し思ひすもつと都にて云つに消て行線堂身も楽隆寺晃左とかなきより 姫路せつを来三郎納戸を出て六日苦ひ願はづと替る二人分つて。中になん。 ながらぬは愈勇気なるに分請合だ百両の金。夜半迄に持て方に違ひはせんづくつと 一時に早年まんへかねをかいそふにむた音馬にかすいか寸。何れは一時の間に 成もせし御覧にて給やと仰合てや夫にすがんく金が出来何時二を追てもう出て行太郎太郎た親を 扨ひくんと雨の今の風後やら京計日も照ても五夫生九郎いやいにもあつやく様ややややや ふ慮なきてなされて。おいにむささするといひ。さんを成したきの事をかやまでは。 今の大心は就て遁ぬ不及ひ。乱曲けて貴守やも済す又くつねたる事にたんく 必すといふ物。惣にさせんなんと思書のほと思て。しやあひ詞も心を。かひけことか こひやつてたもかれも四十にをい髭女房物。ならぬ身なれと。と要て尽すねのや。飯に 姑い中の五つもすくい物。久田源兵房しやと。そはくに気ねをさすがやきすがふべて。青ぐ 増して木の六十日。母治になふと刀にして命をやくが。逆な事に有てたもつは。おや 何とせふはひつし者をじや気を入直しつ半九郎と 何よし死を尽しいつ法の如何も藤安勝原今安倉忠公公義と罷出候をといふ 東三郎殿こゝで申上ぬにて近二人も道理の誠浅しまつゞ加茂川門殿橋藤右衛門がなく〳〵 二人かねをはてに立合せが行くましまし安しり女者へが見付ためまかつ。深く奥にゆるの に顔合さぬ方が立広半迄は物屋に又音信を聞すとし見れ大様にと引連て 三人背尺忍び行焼せの雉子夜や夜の丁第一切に包闇の夜を照す時がひ飛灯 焼き女房の口にて。左衛門奉頼さいに。深海の面は。此内でござるを。いまにて。 はほか内定しやがぬかぬわたづゝ焼やけるましく。扨藤原様道顕おけ 透せんとおろくはなくは朱三郎老はとまずとまつて出して追かしがしがらん を見まして此上もや私が悦びければなればなされは赤久和泉院なり。夫が。松平浪人の 身相応の五月も申て参つされといたい時間御賞服兼のかなに則れ思ひ給ひ給ひ給 まへ今では町家住居用屋のおほつの一とふなくはれでたとほんにて外つたるもゑはた 事はどりませぬに通ぜぬ立位の御家中思ひかけもない御対田神仏門引合せ涙が こぼれて立難ふ存ますと多災ひては打こほれ別条迚しほしい連合治部太殿に別 れ弟子なけれ行日もゑで三になる様やかへ夜生和泉いん所始義ないが幸ひかけ なし。人の丈重ねまで。気の気の堀弓も二夜のけれが半さに三度の様人しゆも形の中の根が 有ごのい様は連ても行れず。何国なりと言にに頼むしと。又はいふに引きぞの文を 帝十内殿といふ事なかへいへへの家老職といはいつも成〽アテ此内はたの所はいたの所を 〽ハ子前秋風れましてかゝきんくの仕せ。何の四音をは自にもつます。そんにもつた 公源といふ儀は。イ吉ではまかますれど私が娘明ツヽ夫は手。そなくに出たはわが仕合せん おも入て私○何と此入てたり気に是に是はへぬ心の心の年がかかなれ御出候つやつやり男 には震災にかやしまいかきなる道常のゐ昔のます夫いつて。私もいろいといおといふ死て もいひ。身今の娘をきといへし。向え家中家半次郎殿無害有ながる。源太郎様 支へなし給ひ帰しといふ依て自害と極めく覚順元といへば半九郎九郎殿は鹿と深い中故 に添に流れず死る娘所雇お染つねを切ね彼が命救れずと方を抱て給ひ て来は親兄弟衆も有のやば義は殿中の介を歎きにふつつふつつ。此ゑを思ひほして 貰ふと頼に来たまつ也。ほひもじば兄といふはそなた。地獄で後に逢たし。此度 ぞてやたの働きで。二人の中を帰てたも義き其中の娘女ば。殺すまいるに。先に成て ○その事及てたと聞入てとなさは中にはやんを捨て京瀬門物ふひとい涙ぞ 幾分諸山中ゟ来節吐物ついたる二分半職にすれ信念義理解物しき 二つに又源八と男づくにて義定の詞義理とくの趣責相ぢしをぬれは忠衛門主人の程み むそくとなる。慈心せん誠失禍難で拘打ひしく心地して。兎角し事も出べしが漸 に顔を上十五年ぶつせか目にかつたわんへつは。くぐござりませぬがねがねがねがねがねがねがねがねのやつ なはことおなわれて下じ申ぐ。夫も申弁。保門陣屋敷の有名見方様に添わら様に流れし 兼て先は相成。入義も人に夜と田舎いへが金百両持て来て。妹を表に世にといふ。 いづ半九郎様御本所辺迚も流れぬく覚悟し。か中やとする所よう丁うでなが 九郎のには家来問屋い源八源八郎殿家主に百両ひ金持てくるくる女六人残てこへ をわがや文にし方と受合て。死するたはごといごと同し事。五度以嫁数数百五ツ時ゟ 支まの夜の夜の事の夜のと者もちつと申者もちんを一切にやならぬ者陣を外へ やつ金はさへ人の命にいた事也。か東京に君が大臣が大んだといふた何也。今でも百五 ねのべれ。いつとれで娘が手九郎役汝七今まにも二人。けれなれずかれず。何れば。 者が久し長されけけばして打りなされて下下ますな恨みにとなれで共是あつは嬉し 願ひ上れ〳〵と畳に屋代頼にて心理分祖と聞きても出立やぬ武士の夢にて 所が尤なが。そいななきを聞仮くはこついの友理はかける也故のやかせの頼みの頼みの何と 手をいふなのは薬として故に間合手をゆくはこの命何ともねともねはれどもねば はかふのにはろにかせんかなかやまれ。百万いても同しねそにしつ〳〵と立出る諸路 へや貴尾物にこせやどついま奥殿大坂大坂はしは。何のものが立直は森平とおむやくし いふほて背いても思心地方づつて。なし。なし給へ。深半本文になれは司家に相守るる まためて居参我也と思ければ見合せの案内。此夜時死を覚悟ですをも運ず。これに 哥を畜生の内で加久保辺河門の軍数や。左ヱ門丸とと〳〵〳〵。おまし也。中であり上ま 一此ノアトヤ何もの事やといぶも焼の或は大地震の命にやうつぬぬから哥の哥なと合す をは初神ひとがてこま三訳をするも成。不残たる深く深く揺て深く揺ぬ時過て 誠心痛夜中の強い心心の心得仕きいきいきい今内をなれは来不可とにに不ごと入 噂何ゑともなひばか悦て悦で下ときやくべき虚酒あれて。が如きしと申さし。こはをいろ どこに。ウ四条の関屋に百五十両札も損で居れて多多多多女四百両ツトよりよりより 出す可申甚右衛門此合様へ入浄し辛右と不致程とやけ候と心成物と心見の方ゟ衛門と 気しなし爰が入つつゝの平物。そやすぬ顔て成どす故其食弥惣といふの方へ此勢の とせて敵心をもいまて逃ればればれはたるは。おや合院でも大心ながら平都くしむし 夫にいつとはやくなそのや様いやく約束やく焼身の代しやつき女のの事におい事 ころしぬしやしと来立ま殿吉迚は物兵へ百又誠兵衛でのわんしんやときの忠左衛今平 にも祇言に得る是はきびしたといふ名といふ名を。そしらやしらへへのれは。そいつる真実が 其外数の本外外火札でしや共はしま屋敷無無事候何のほどにいしにつて手介様もし切出て度故 一孝の心次守女教にも神竹村へやじやとやとやとに共打裂○能其にけつ材木手の木手の をもされ又参成し都方はらんといやうにあるがいへかやかしか金野村へかける。夫も人 か男女一根弾いねやさんとも此処に置々安七腰もしぼんそは女夫と弓遣て 沢辺を貫七丁目の御倉やけるせへじんはまなよいてやなんが女のれておほておほかは とる役人なき並にて損や金はない此合故にそあや。老貴重き所に行にて行にて都市は 水のや魚をゑびやは約束塗に未三郎殿へと手を捨て幾騎の将に喰いけにはかうと何也 浅いけいためしはいろく。酒やうりし来三郎が。伊藤山源氏氏で在にて真東の友幡仁家に 其金弐匁壱分割合より出しやとくやとじやうにてい方も。なす。こで見右を見物をもみ あせぬ信方も流も流介物しきなに思ひそやはなに置といせ事と告と告後は奥 女には我様庄三や敷成浦だゑん〳〵きの忠の忠明忠三郎右衛門殿が有之妹を買取 家内屋敷ややき合向て並ねる扨は雅重の野秋に及ひ此外川通なり南生郷屋敷様御屋敷いふ 大米く郎が同道同様伊勢守様江戸長は次堀通る様なる様御所上野丁外後飛や町辺にくり。 惣合打合物京にこんやあのことん出覚八郎源八郎左衛殿へ東京は御屋敷のおゐ者は成所へ 与へ申両金の手裏面御引引引引当りて弐千五郎殿へ同組一人惣右衛門へ出る後に都市へ 奥本行院持まだ百両に其本両三郎両。厳寺の敵延。即死亡。東辺にそふこそのそふとそふこ さんへの角式藤堀門丁内出げて見火寺表東吉東吉東迄いつけ。あとていつやまでもり其方が上 原はなきぬ様で。聞るのやが宅心もなきぬ。謀が色を。心懸りて。 ぞや名物語すべ○腰をはを渡の印を渡る小袖花に爰紫藤○紋杷の蔵とたなびのしそし なる也。妹は。女兵の男太郎太殿の胤道理太卿にしやう。ふやう。ふかみけに舟にて。竹竹の 願ひけて銀友へん。大武士の罪。此十内か根上なが。手太が国の同夜四夫も大笑の大笑の如斯 正同四払ひ合にて大炊身預る差出し出しぬ程也去も〳〵皆無成哉にて御出候所にて残りても 物ないはれば。能はやいて此書の等の事有。第五次第七五人の事を思へしといへし。 答一の岸源は矢木を用介母やす事実也こと也。こと。其心をいつたしへんべして出家の屋敷 安宅豊前記記しんじんいんしややはを忍びて。彼女そんゑびんじやり侍兼て云々奉行 「ヤサハリ 道行形見のきなぐ 欲せとすかつ引にせし御祓請すめ神の結びたる妹背一つ縁もしやう 甚東村領の迷友郷むも深がねがね門や原屋の御部とてなくは三条の橋 思ひ合たが身のふのゑ内新根う二世かけてしのつしなられ縄なりに切れぬゑ 源七十七んもれしが惚たが。大しの身と諸左に天妃とする故科心小松浦平 道大和楽町新ゆびしやとすれ後後髪弾三味院へ祇園町二階屋敷の内 に乱れて探経の歌ヲ回わた事なに付それはいふそいたる者でが去年のおほし物おほ 夕への屋敷踊をかこつけに忍び逢た○思ひ。生す祇置林の村勇門に出す ば父母の事思ひ出す。涙に道も見かどらず思ひ出せば。三夜に不思ひ。 一小袖道忘れず京都迄お傍に付添ゆつ言記記也。都久ぬからへ心の記念の記念の神 身に添てといか所と連立て連立て違い上で。んでの心に夫になる成人の辺 君にするが返いてもの孝行ぞやとより添て。抱付たる浅川使の塔 をやひたす。子明方か鳥部監の御寺を頼む朝詣で。つ天の音さへ 哀れけに。法蓮花経南蔵法蓮花経南無州六万九千三百八十 四文字を只此七子と唱入る夫はごかけに忍ふにも作るお染は闇ながらおお を聞べ左御つか身にしかはらぬ姫とせぬ程にも勝にも世てふり捨て侍る同じ 墨の袖うらなしましやとくもり声そふおつしやるもおろい姫どせおなこは誰も 給へやかひ。浮世は捨ても殿御せば股心はなれ共因果なきにかゝまれ て一生連そふ度御そば思ひ切たる黒髪○長は朱世の長は朱の世の髪をばいぬ歟 にと日親加へねふも深き罪なれど五逆の権堅は益如来就女も 成任す時は煩悩菩提と成ぞ親しなひむめ。法連大経南露法速左強 老ぐる人さへ迷ふなりおくやきつ道思ひゆすひゆ。すきならば恋の前にぞしやまと 込めてこでば得ゆるこげきげ出る半九郎も腹殿おほん位に有左左左左左左左左左左左左左左左左左衛門 爰あつなし梅楼盛の介はち子も我仇崩の難またに不便の姿のののに 転べは公謀も信儀夫も私がさする也。都てやいんと相限り。にやかしに専の谷追手 の人や未だによく京都ゑがんとねづけを以て栄種原をこや実やと立迷ふ 折かが鳴し平寺〳〵の鐘も權やみ夜はしくと鳥部山にで三重君にける 息をはかりに。十内東三郎伊藤を三寸錦引立て参り。下の事まままい半右四殿。此伊藤こそまごし の根元にて白皮へせたれ。久引て大津にて夜にて墨珠再び手にただれ。目出度何末の 悦ひ小蝶右衛門が一命は朝にかへても申と思ひき東三郎母もゑでもぬぎの吉が お染るは拙者が御わん青木五門実の御息女十内のお精にて。お前殿とか一人や半月についは 〇本寿妾内出たく御帰国と詰に悦ぶ折角都も仰付て何角も◯聞老後狂ひ 直に城へ御帰る難政の摂州京都門家の神社前の通お肴さや一首の松方の献上めて朝くきは やけれと原の膳家江方威すん堺に早聞いへと諸辺は。相速ゆる半久御おほり 寺都山の中中やとあつみにて。ゑびに彼女氏不勝手を出来るにはなして久しゆれ 群督図書 安永五丙申年 菅専助 若竹笛躬 作者 安田阿契 正月廿二日 一同近松半二 かり とも 右記曲以通俗為要故文字 有正有俗旦加文采節奏為 5745 正本云爾 元祖豊竹越前少様孫豊竹若大夫 高弟豊竹筑前少様 門人豊竹此大夫 二ノア 大津屋 大坂長堀白髪高迄 佐井治郎清用 江戸上 哥金兵衛版