歌舞妓十八番考 附不破伴左衞門せりふ
- creator
- 豐芥子
- created_at
- 2026-08-17T19:23:18.243Z
- updated_at
- 2026-08-17T19:23:18.243Z
- field_rights
- CC0
- field_creator
- 豐芥子
- field_language
- 日本語
- field_has_image
- true
- field_identifier
- 10010000015023
- field_ocr_status
- completed
- field_title_yomi
- カブキジュウハチバンコウ
- field_attribution
- 東北大学
- field_oai_datestamp
- 2025-12-02T15:06:52Z
- field_oai_identifier
- 10010000015023
- field_ocr_updated_at
- 2026-08-28T18:53:25.651810+00:00
将来
特別
歌舞妓十八番考豊芥子著
歌舞妓十八番考序
骨董舎雅楽
憂坂之記閣
此書は去ぬる天保十一庚子年弥生俳優七世の孫市川
三升先祖才牛歌舞の台にのほりしより伎藝の名誉
あらはせしは一百九十九餘の歳の家系瓢箪の蔓の
なかく繁茂し其寿として御ひいき厚き諸君子へ招
ものをものして呈配すこれを閲するに哥舞妓十八
番の家の芸てふ古き狂言を記せり余元より此道を
好むものからしれるは勿論不知をも考へて當推量
に書つけいまた全部もせさりしを我にひとしき癖
あるカシハ大人の小且久女拙きふての跡をねむこ
ろに摸写して余に叙文せよとせむ是まて己か耻を
深く文庫の中に収めおきしを今一丹世の中に出現
す明に嘉永と改たまる面へ塗つちのえ耻をヒツカ
ク申のとし文月の末に懸硯の禿筆てかくのことし
俳優の随市川の水の筋
清き流れはきよき影あり
豊芥子戯書す
(▽
寿十八番狂言目録
豊▽井恭馮郎副贈会ヲ
以テ購入セル竹澤博士
不破古鞘当之図元祖団十郎せりふ并評判記写
大坂佐渡嶋座に於て二代目団十郎大当り
鳴神元祖鳴神せりふ
并口上役人替名
不動元禄十六年分身不動狂言本写
助六愛護桜和曽我評判記の写
暫正徳五評判記并図元祖十牛哲之記
外良門松四天王外良うりの図
矢ノ根矢根五郎双六の図
景清大銀杏栄景清せりふ本表紙
関羽染画之写
七ツ面
象引
解脱
押戻シひばり山こがねのには鳥表紙
鎌髭
蛇柳
毛抜
勧進帳別に記す
姫
団十六日金之麾之内さし絵
已上
寿十八番歌舞妓狂言考
不破
延宝八庚申年市村座ニおゐて遊女論といふ狂言元祖市
川団十郎始て不破伴左衛門に扮作す名古屋山三郎に村山四郎次傾城
かつらき伊東小太夫是不破名古屋狂言の起原なり此狂言
大當りにて其年の内同狂言三度まで興行せしとぞ
団十郎時ニ
三十歳云々
扨伴左衛門に扮する衣装に雲に稲妻の模様を摺ぬ
是おた巻といふ俳書に載たり
稲妻の始まり見たり不破の関と云
荷葉の句にもとづきて団十郎自己の物好なるよし此事
「金の揮」
享保十三申年印本元禄
十年ゟ国十郎評判
其外伝書に見へたり亦
三升紋所も稲妻模様より工夫して定紋とせしと云々又印蔵
恵方男
する所の狂言本元禄十丁巳二月中村勘三郎に於て「大名類勢栖宿
参会名古屋一名古屋山三郎村山四郎次郎次郎けいせいかつしき荻野
沢之丞不破伴左衛門市川団十郎大切に鐘馗の霊此時才牛京都村山
平右衛門座より下り久々にて大当なり衣装には雲に百疋の
白髪伴左衛門
模様をつける其後同十二己卯中村座大名類前髪名古屋
葛城小夜嵐名古屋山三村山四郎次同小山三猿若山三郎太夫
かつらき岸田小才次不破伴作中村清五郎不破伴次郎中村半
次郎ゝ梅村歌門山中平九郎不破伴左衛門はんれ以入道市川園十郎此
白髪伴左衛門衣装にも稲妻の形なし是より後の事歟猶考ふへし
巻中年号なし何レ元禄年中の印本也
一四座役者絵尽
一菱川師重画一
不破伴左衛門せりぬ市川團十郎
これやこなたへ御免なされふず是はふはの伴左衛門おりぐらか大
じんか御たくせんこんど嶋原くるわの内でてつかちなへ事がてきした
小舞
はて小舞と有
客を貴してお敵
と言は其頃の廊
言葉なり
大門口からまかきが迄しろをにくろをのせきだてしやりそろ
りとひつゝれたほて。ろふかのかいでこまひかのをりんぼうと
大かつせんかはじまつたさればとんてきぬれのお大将心得
世の字のよろひ
ひきすりのかぶ
ときつくわん
ときつくわん
くわつなる
寛治
ヤツコ
官洞
その日のしやうぞくは。太刀かたなきのじによこたへ時のたいこを
うちつれこゑをはかりにあげやか座敷へおしよせたりしづ
まりかへつて音もせずことわり哉よき上郎まへにはおもはくの
介をひろげうしろにはよこばんのこたてをつきくろばみそろへ
てやかておなごへてうしかんなべとかたきのよせくりてきを待かけて
或はのみあいさしちがへたかおさへたひとつのめ一ッとは無名のからな。
龍門は二代目
ねめがおさしでござろうならば何ばいも〳〵りうもんの瀧は
団十郎様伊
に用ひたり才牛も用ひしや
参会名古屋
狂言之内
鞘当之図
さくら丸大吉
なこや山三四郎次
みき之丞国之丞
むめつかもん伝九郎
伴左衛門衣装
かゝに百足なり
不破伴左衛門団十郎
ふしのへ改之介
磯の米狂ひ或は
磯せりなと
磯め色こと
山さん云〻
ざゞんざうたふ
笑窪真首
一畳
のつしりと
いそそこぬけひしやくだんたうつくてうしをかたふけしつかと
つげよつたぞほとよりも是なましのこんで御ぜらぬ百しう
千ごいまんばちかげふ約束のさかもりはしけれ山さんさつと
ことさみせんのねこかよふそれめいくんは松をあひし楽天は
竹を友としねいわうはふえを吹そわらは琴を引とかや人の心は
一ツにあらす仏法あれは世法あり上郎あれはかいてもあり
柳はみどりはなつかけしくぼまくびにもりんぼうこんもんつく
りてやんごとなきみのかしはぎににはたのるごんでま御さ
れとのしよとだまつらかされてをとなげなややれおはりこしや
らう人は字こち〳〵たにも穴かんむりうしの馬のいんにや
うしにひかれてぜんこうじへまいかとごしやうぜんせいのしな
こそかわれなもあみだ仏仏ともし法ともしらまらいり
くるまゝにおもしろや今ぞよねめにつらみせたてだてな
喜之介は本売也
竹にはさみて
廓中を売歩行
小袖を喜之介がはん木にうつしゑの床とりてはみな
人のけふきげんよくしまばらを三すぢまち〳〵にぎ
あひて上屋もさかえかうし上郎太夫もとはんじやう
と
絵巻物に不破
ノ紋所角切角
ニ劔カタバミ
是元祖才牛始めて不破伴左衛門勤めし時のせりふ
にて文の内難解所多し又宝永年中の絵本に
二代目団十郎不破の衣裳に稲妻模様あり又不破名
尤廓の
古屋の絵巻物は烏を画かきしもありし尤府の元祖
団十郎此役より其名を四方へ発す是市川家第一の
元祖
狂言なるへし
元禄十五壬午年役者評判記以
外題不知
上上吉◎立役開山市川団十郎
東無双の名物男狂言の当り勝へてかぞへかたし諸芸
草履打は
是を始メト
スルカ
万能の内わけて御家の名代狂言不破伴左衛門にて名をあけ
たまへば是御家の狂言なり先評に七三殿の家の狂言とは
大きなるあやまり也そればかりかと思へば近年曽我五郎
十一度の大当り其故江戸中賞翫大かたならす年々の
役者附に江戸立役の開山と墨黒に書ての御褒美さぞ
御大慶諸芸立役の一通り此人計は仕残す事なし
然共男付りきみうちにて芸手つよく夫故戌年
京都にて市川の名代ほとほまれを取給はす今に
残り多し東へ下られ亥の初春狂言御家の伴左衛門
草履にて打れし新敷思ひ付より一入大当りして
一日もたる事なし下略
鳴神
貞享元甲子中村座大名題門松四天王鳴神上人大当り
才牛自作の狂言なり其後元禄十一寅九月萩野沢之丞
一世一代に付大名題
雲絶間
名残月
源平雷伝記
作者団十郎
一峯之上納左馬之丞といふ甲府様の
沢之丞御名をはゞかり沢之丞と改名
一澤之通御名をはゞかり沢之丞と改名に
なるかみ上人団十郎渡辺国綱九蔵同綱四郎次同女房雲のたへま
鳴神上人せりふしよき浄留璃四座役者絵巻より出す
出にけり去程に爰に嶋神上人は色にうき名のたつあらし身に
しみ〳〵と恋きぬにすみの衣をぬきかへてたのむ所のかみだいらぬ
かべりはてたよすゐしやうのじゆずをばすても今ははや六尺余り
の大たち銘は則むたい丸ひとそりそうして子の字にさしもつ
たいなくもふどうの尊たいあらなわにてしばりつゝどうなかつか
んで引かつき所はふかの山道やたき本さしてぞいそぎける程なく
たきになりしかばせきだんにつゝたつて見れはつるぎをふるの宮
たへずながるゝそのものをのおちくるたきはとう〳〵と岩にあたつて
くだくるはあらしにもみぢらつ花のゆきあゝいさきよやこゝでそ諸願
じやうじゆのいのかしるし小さかきばのゆふしてむすびて上人は
じゆずさう〳〵とおしもんですでにとき礼をてうふくす則
ふどに明王をば松の小えだにくゝりつけひとりいぶやきいふ
様はさちくそなたはむふんべつしやうばいならば法師めがたのむわけ
をばあけゐはぬ雲のたへまになかかみかずんてんどうとおとされて
こしほねぶんぬけづつうしてこしをなやすそなたをたのむ
とあ夏のだんの山ぬすみとつててに入しがさりとはなひかぬし御女
どうくどいたらよかんべいなあをふどう〳〵とぞせめにけるいや〳〵
御身はひらばかりまなこをみだしなりすさまじく見かけばあり
のそのふどうなんにしよつへけこめさはりつとたのまぬきくわい
中したるかうぶんをさつとひらきてよみあぐるそも〳〵おもんみれば
諸仏諸神さつたのほうべん和光のねかいをてらしめ給ふされば
鳴神謹んで申本ぐわんいのり奉るしいしゆといつぱ爰になり
つぢぶんじとて世にうろたへたるやせ男我おもわくのさまたげ
きやつが命とらずんばあしはら国や日の本の神仏もおかばこそ
かたはしよりたゝきだし我生ながら第六天三千げどうの
つかさとなつてときれたへるもろともに左右のわきにかいこみ
八まんならくにおち入てめくるくわたくのいんぐわのほどおもひ
しらせんたゞいまとはがみをなしてぞ立たりけるかの上人の
あら行こゝんまれなるあくそうやと皆かんぜぬものこそなかりける
鳴神
初役
父才牛七回忌に相勤る大名題は先例に任せ門松四天王とす其後廿三回追善
享保十一
丙午年
中村座にて大名領門松四天王第一ばん目鳴神上人をさな物語せりふあり
豊家蔵書こと
其後寛保二戌年大坂佐渡嶋座にて古今大海にて古今て古今大古今大古今て古今古古今大坂
長けれは略す
爰に摸写す
大坂
評
市川海老蔵
座附
口上
忰団十郎死去ニ付追善
口上之文
狂言口上
略之
口上之文
判
三の
かはり
きやうげん
ばんづけ
四
鳴神不動北山桜
大坂佐渡嶋長五郎座
五ばんつゞき
市川ゑび蔵仕候
第五番目
大切
役人かへ名の次第并二やく
じつあく
豊ひでかめら
八つるぎげんば
嵐七五郎
上上吉八つるぎげんば
上上吉
いもとまき衣
上上
内佐渡嶋幾五郎
上上いもとまき衣
くろくものわうし
かつら団之丞
上上吉
上上吉(
文やのとよひで
春風てかけ小いそカブ
げんば子もとめ
松山小式部
上上書げんば子もとめ九松山小式部
阪中村次郎三上上書
立岩友蔵
四夕嵐秀五郎
柴崎民之介上
上上上
□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□
春風かづらみんぶ
鳴神でしこくうんばう
みんぶ弟秀二郎
上上
上木村門之助丸ニ三保木つね六
も佐渡嶋長五郎上上
なるかみ上へでし
えうんばう
同三十五郎
同丸山下宇源太上上
おのゝはるかぜ
上上吉
一おのゝはるかぜ
越坂東豊三郎上上上上上上上上上上上上
遣ひてのやり持
同同年山本京四郎
休伝伝
ちゝぶあみだ二郎長久
上上画
上上
いもとにしきのまへ
大和川あらし上上
市川南千部江戸へ下り
死去仕候此人かわり也
市川金三郎
上上豊
上上吉
くものたへまの
めのとたきの
くめてら弾正
なる神上人
山下金作極上上下
四百四市川海老蔵
なる神ふどう
上上吉
上上
上上吉
くものたへま
つほねいくた
石原せ平
ころけ八郎
尾上菊五郎
坂田又十郎
山中十郎
安田蛙文
狂言作者
津打半十郎
右狂言大当りにて其後寛保三亥八月朔日より豊竹越後様芝
居にて外題久米仙人吉野桜五段読此操久米仙人五段目は市川
海老蔵鳴神上人尾上菊五郎雲のたへま相勤大入なせし故是を
操りになをし久米の王子花増と増補なし太夫元豊竹越前少様
内匠太夫駒太夫和佐太夫懸令にて相勤め古今大当り一ツ狂言を寛保三
亥八月より延享元子四月迄興行す作者は為永千蝶なり鳴神の仕打を
上留瑞に仕組大当りせしは海老蔵の誉といふべし
役者和歌水
寛保三年板江戸
「大坂芝居
酉の霜月朔日より佐渡嶋長五江座の顔見せ〽万国太平記」
事知り曰し
畑六郎左衛門時義と成外良売の出大当り極月十一日より〽八的勢曽我」
に十月。五日。二役不当り残念去なから戌の正月十六日より〽雷神不動
一
北山桜」の大当り粂寺僧正と鳴神上人の役大切に不動明王七月迄
の大入漸三月六日に江戸にて死去の市川団十郎殿聞忌にて一日の休日
七ツ面十八番ノ
内五ツアリ二ツ
不知
より外毎日の群集西国四国より悠々見物に登られ候は何れ名人の
一徳七月十五日より「星合栄景清」ニ則悪七兵衛景清と成左官の略
梶原の屋敷へ入込綸旨と平家の赤籏を取かへられ○大当り四番日頼朝
公を打んと面打大和の元興寺赤右衛門と名を替笑尉釣眼虚言箱
武悪黒髭の世面の形去りとは御上手中より上の見物の悦ひ大かた
ならす乍去下々は胡椒丸呑去とは残念八月廿六日より
「土佐次郎妹春鑑」土佐次郎評判よし上下共に端々まて悦ひましたが
二役百姓五六兵衛の思ひ入土佐二郎同前の四方髪当時出入芸に
第一骨を砕き身を入るゝ所なれば世話事に艶のあるを悦ばす
然れ共桟敷の御見物衆の悦ひ大かたならず九月十六日より
暇乞の狂言「東山殿旭扇」に二番目東山義政公の下エ様の役人伴の
字組の棟梁伴左衛門と成立髪村雲の模様の探への布子に
一腰指鼻捻を腰にさし諸役衆を先に立山名久国のたに
付て端掛りへならひ将監の後家おらんと義若丸を百杖打チ門前
払ひといゝ付るをせんきか足らぬといふて山崎権太夫か連来りし
贋義若丸顕はし久国に取立られなこや山三か相役不破伴左衛門と
名乗り上下大小を免され家督定めの談合に相役山三郎出家の思案
閣の一間へ上り障子をさし山節と詞をあらそひ山三に手を
負せ久国の熱心かけし玉照姫を殺し東山の家は此伴左衛門か
納むると悪事をいふ久国の悪事の底を顕はさせ一味のていに見せ
久国の盗懐中せし土家の宝を受取り山三郎も玉照姫も最早
起よと久国をあざむかるゝ忠義の実事去とはお上手〳〵とのかけ声
一幕の間静ならず三番目二役荒獅子男之介女房山科の兄さゝら
三八の役素天窓あほう鬢かつら弱者の出男之介方に預りし
義若丸を奪返さんとさられし妹をつれ男之介方へ来り男之介を
制からるゝ弱味噌の悪なる仕打今三ヶ津になき道外の御上手達ても
ねふつて見給ふ事もなるまじ何歌舞伎においても此後又と出まじき
御上手次ニ仁木弾正左衛門に打擲に合るゝ思ひ申候もくだ〳〵しかれとも
とふもし其後男之介の心服を聞取竹のひつそぎにて仁木を指いら
ぬき本心を顕はしかゝる乱世の時臆病者もあほうもなければならぬ
玄徳并孔明か謀じやとのはね上下万民喜ひの眉を披しきました
四番目唐士蜀の関雲長の掛地の抜画の姿となり馬にのり大髭を掛け
大刀鑓を振まはしふたひの働終に山名久国并権太夫を亡し給ふ
迄当り〳〵お暇とても未タ不定に仰られし故かねて十蔵座の
出勤菊五郎殿計りの江戸発足のいとま乞と存せしに残念に存し
ます十蔵殿極り番付を見てお名の見へませぬより何れも力を
落しました沢村長十郎以来是程の御上手は見ませぬと京大坂の
近々御登りを
まち外し
物語先御手柄
まち升
是上方勤の節評判記の写し也
不動
不動尊霊像其始不レ詳元禄十丁丑年五月中村座名題
工藤山中平九郎曽我五郎元祖市川団十郎
才牛倅市川九蔵
兵根元曽我」
一朝日奈中村伝九郎十郎村山四郎治
八歳にて初舞台なる此時山伏通力坊実は成田不動尊化身也
如此なれは父才牛勤められしなるへし其後同十六未四月大林田座
にて「成田山分身不動」の狂言に胎蔵界の不動に市川団十郎金剛
界不動市川九蔵なり是霊像の秘芸を九蔵へ相伝せしと云々
狂言の作は
三升屋
二、一
兵庫
市川団十郎なり
元祖市川団十郎本国下総国佐倉畠矢村住人也故小荒田山
新勝寺不動尊を信心し深く祈りて一子をまりけぬ是二代目
初名
団十郎となりぬる
是又成田山へ誓願をし開運を祈り
九蔵
しに御利益をかふむり伎芸諸人に秀でし稀ものと成俳
優の亀鑑とぞなりにけるされは尊前に奉納せし神鏡今に
あり去れは家名も成田屋といふ此役を勤るに恨ぶた
せはしく瞳をすへる事能はす仍て不動尊へ参詣し
我眼中の血をそゝき一七日誓をたてしに不思儀なる哉
誠の尊像に見まがうて眼中すごくしてひと見をすへ
る事時を移す正に精といふべしいさゝか仕打もなく
して見物を悦ばす事妙なるべし是偏に明王の加護
ならんか
予成田山分身不動の狂言本を蔵す役人替名と大切
不尊尊の画を写し次に出す
少将百夜車
蟷螂通小町
少将百夜車なりたさんぶんしんふどう
成田山分身不動
大狂言五番つゝき仕候
第一
なさけはつよき
おひのむらさめ
おとはくも井に
へたてゆくふね
第二
はなをのする
ひあふき
あらしをまねく
おゝうちわ
是
和国之聖王
是
すまの
まつ風
和国之玄宗
是
ありはらの
ゆきひら
第三
こひをよする
おもひをわくる
おもひをわくる
かたちつらゆき
すかたなかむら
第四
なみたを杖に
おひのしからみ
うらみをつゝむ
うこんかたもと
第五
みやうをあらはす
くうかいのふで
ちかひはかくる
とうよのくるま
和国之一角
是
大伴の
くろぬし
和国之天鼓
是
おゝともの
たきとう
和国之文珠セシム」
のゝ
小まち
一本に
五はんつゝき役附の次第
すゞき平吉
一きのつらゆき
高むら又四郎
ぶんやのやすひで高むら又四郎
はる川又八
一ものゝべのさくわんはる川又ハ
はなおかおくら
一とねりの助久竹はなおかおくら
太夫森田かん弥
一竹内ぶゆふみ介太夫森田か
小川助左衛門
一かん主ふがく小川助左衛門
市川竹之介
一むらさめ市川竹み介
一むらさめ
むら山四郎次
一中納言行平むら山四郎次
高しまとほの助
一うねめ
てきしま喜世二郎
一きぬがさしゆぜんてきしま喜世二郎
うた村十二郎
一まつかぜうた村十二郎
一まつかぜ
きねへ十郎兵衛
一まつかぜ母きねへ十郎兵衛
一まつかぜ母
一くわんばく近道
村山十郎次
一さだいべん村山十郎次
一とをるのおとゞ市川わかの丞
一とをるのおとゞ
一ふかくさのしやう〳〵多川庄左衛門
橋本金作
一ありはらのなりひら橋本金作
一おふやたべおにひで大とり九郎次
一おふやたべおにひで
一きせんほうしかなさわ平六
市川助十郎
一さるまる太夫市川助十郎
萩の沢之丞
一おのゝこまち萩の沢之丞
てきしまはつや
一妹さころもてきしまはつや
一株さころも
一大とものくろ主市川団十郎
一なでしこ
一小のよしとも
一うこんのないし
一同めのと夕ばへ
一大とものたきとう
一黒主の子
一浅香山多のもの助
一くにかい
一きやないよ小町
一鳥うしまつかせ
一下人とり助
一たいざうかいのふどう
一こんごうかいのふどう
岩井たもん
みやさき十四郎
松本勘太郎
いわ井辰三郎
座元坂東又九郎
すゞき三のすけ
市川若まつ
市川九蔵
萩の沢之丞
うた時十二朝一
うた村十二郎一本
さいこく谷助一
市川団十郎
市川九蔵
浄留璃太夫
さつまの様外記
ワキ
ワキ左平太
狂言作者
三舛屋
兵庫
市川團十郎
万歳
太夫森田勘弥
座元坂東又九郎
叶
干時元禄十六歳正本屋
亥四月吉祥日
小兵衛板
兵介
第五番目大切に此図あり
歌舞妓狂言類聚享保十八年市村座大名題
東海道温泉汲車に四尺不動目黒不動市川海老蔵杉梁
目白不動市川団十郎三升目赤大谷広次十町目黄市村羽
左衛
是等も珍らしき役わり故因テ爰にしるす
助六
正徳三癸巳四月木挽町山村座ニて初めて勤二花屋
形愛護桜」ニ花川戸助六二代目団十郎傾城揚巻玉沢
役者金之揮ニ云
林弥白酒売利兵衛生嶋新五郎其後同六申年正月中
扨申ノ正月狂言ハ式侍やわ
一らぎそが時むねにてかへ
名は介六也出はにから
かささしての身ふり
一江戸吉太夫上るうに合
一今丁町中にて此はちま
村座「式例和曽我」助六実は曽我五郎団十郎五業牡
丹之紋紫の鉢巻傘さしての出端江戸吉太夫上留り
ニて古今大当りなり此狂言の記は歌舞伎年代記及
きはすぎひころと聞
ヒ江戸紫ひゐきの鉢巻に詳なれは爰に畧す
太夫ぶしを専かたる也
役者色系図正徳四年午二月評判記ニ云
此時の揚巻は中村竹三郎
也いつとても当り也
云々
於江戸御ひひき二代男第一親市川より男きれいに諸人愛敬
あり何しても悪敷といふ評判なく草の影にて覚栄居士も
満足でござろう此人には補剤なのりませぬ附子などをつかひ
まして諸事あら事かきゝまする神田かぢ町より事初りお江戸
団十郎艾
神田鍛冶町
今はなし
浅草門跡前
今もあり
今もあり
大伝馬町三丁目に
あり但シ五袋
団十郎
天保十五年
佐久間町火事
よりなし
中端々迄いぶきもぐさを引かへて三ツ升の定紋を大に書付田舎迄
賞翫す所々には此人を人形にづくり兎に灸すへる所多し己の
三の替り太平記あいごの君の狂言にあけ是助六心中ある事
さつてぬれ事がゝりの男連於江戸八百八丁裏〻迄評判
其沙汰大当り今髪のゆいやう迄助六風とて若衆のゆ
わるゝは市川殿ほまれ丁略
是助六狂言初て勤し時の評判記なり
芝居晴小袖
正徳六甲卯年
一二ノ替り評判
享保
女乙
常ニ云立役の部
改元
左リ巻頭上上吉◎市川団十郎勘三郎座
ゐる〴〵こりや〳〵顔見せの評判記にも市川を巻頭にさて又此評判も巻
頭にたつるか是ては板がへしのことくおかしふないなぜ長嶋とのを
立ぬそどうだ〳〵命云まつてもらいましやう当春は市川とのをまだ
巻頭の上があらはとこまでも上て置たい妄量諸芸は申もおろか
心いきかおよそ役者中にはないぞすでに初の二月廿七日に勘三座
の大入いつ〳〵にすくれやれ市川か助六よ〳〵と諸見物出るを待かね
舞台へあかりはやう〳〵と芝居中の矢声東西〳〵段てはないと
半畳売り十五六人もすゝみ出見物の肩の上へあがりしづめ
んとせしらうせきのふるまひ八まんきかぬ気な見物はいよ〳〵
さわぎたつを或はつれ或は前後よりしつむれとも中〳〵はじめより
さわがしくなりしに団十郎はしがゝりの中程迄かけ出半畳共
しづまれ〳〵御見物様方へたいしなぜ慮外をはたしく扨御見物
様方へ申上ます只今半畳売めらが無礼仕りました段寄怪に存
しますれ共いつれも様方お宿にては置頭巾を遊はされ御家来を
あまた召つかわれますも又は御一人御暮しなさるゝにもせよ今日は
きばらしに勘三芝居の曽我に団十郎は例の助六を指込するはなどゝ
早朝より御出下され升段太夫元は申に及はす惣座中私に至まて
有かたふ存し計やい半畳共誰いゝ付て只今の為体だぞ太夫元
からいゝ付たか頭取のさしづか御見物のうそい望みなら奉公を引ぞ
皆さま御免下されませと芸をつとめぬ様子に見へしかは座中
より御尤〳〵とかく芸を長〳〵と同音に悦ふ其時広右衛門殿と
伝八殿か出られさりとはきけんなほして狂言をせられよと有し
より漸せりふにかゝられました去れは人の子ほとありて其種は
はつかしきもの也父団十郎か廿五年以前申年に男に増る女に
男子幕づくしといふ狂言に見物衆さわき立しに古市川の
名言にてしづめられし其時は此団十郎は五才なりしか自然と
しさい男
妙をつかれし事右座の巻頭無理でござるまいよ
其れは尤じやが芸切を以て座を定むるかよひ人形并まだのみ込の
ない事をいわるゝ芸州の至極に至りましたすてに当式例和曽我
に御家の助六大当り切落しのし中にぢんをはりよきふとん
つゝかさねさかおもたかのよろひに鏡を立つ袖ぬきかけ髪すき
の所江戸半太夫上当り小合はせ所作大当り元来髪すき曽我は廿八年
以前巳の年今の親半太夫か初て語りしなり芝居にては廿九年以前
山村にて十郎宮崎伝吉虎竹中庄太夫是花井あづま前の名之
五郎に親団十郎是より曽我きよ書世上専に仕まつかいつにても
十郎と虎の芸なるに此度けわい坂少将中村竹三郎相手に五すにての
髪すき元服曽我是はかわづ助五郎ちゑもきしやうも人たいも
前髪とつて助六と改め此度はおしはなしての紙子を着ての傾城哭
美男といふしこなしといひ風流とあら事と何成共致されぬと
本屋らしき
いふ事はないぞ
男いふ
さふともし紙子着ての傾城かひ京て
古坂田とお江戸で古七三と近年京大坂に着こなして当らるゝ
事はまれなを此度初めての紙子早く名人の果てに至られたぞ
人格云さてもきついほめやうでござかこなたはもし本やではないか
因ニ云
寛保元酉年三月
吉原仲の町へ初て
桜を植たり其初は
茶屋の家々にて鉢植
おこれに付て此団十郎殿紙子着て少将中村竹三殿に逢てくせつの時髭の急休
大谷広右衛門殿あざわらひ二才の分として紙にてのけいせいせい買おいてくれさ死
だ坂田藤十道中村七三郎天ケ下此二人斗りなるに三幅対にならふとやすてに
のもの少々椽側へ
ならへけるか年々に家の
前に極る事に成ける由
二人の紙子は京都本屋八文字自笑筆をふるふたおのれそれに対せんとや
かたはらいたいといわるゝ悪口を聞ても少しもあらるなしにお江戸なかに
それも家々の前へ板にて
ひゞかさる事はあつぱれ御手柄し云々
花たんの様に構へて
其中へ植し也やうやく
寛延の頃おひかと
覚へし
是をやはらき助こといふ後代々当時に至る迄此遺風なり此時三升
廿八才なり其後寛延二己巳春中村座「男文字曽我物語」に
右吉原老人朝話に出たり
如此あれば仲の町の真中へ
植しは寛延より初りし
なるへし
此書外
市川海老蔵六十二歳にてあけ巻瀬川菊次郎相勤め大当り此節新
吉原にて初めて桜を植し時にて芝居にてもその体を写し浄留り
名題を助六廓家桜作者藤本計文之今に此狂言には舞台
一洞房語園吉原大全
遊女関起原其外数
書出タリ
●北女閭
に桜を造わ事なり
一右助六ノ狂言いろ〳〵異説あり別記あれは爰に略す
暫しはらく
正徳四甲午年十一月中村座大名題万民大福帳二代
目市川団十郎鎌倉権五郎景政ニて初て角鬘素袍納
豆ゑぼし大太刀ニて出る初め也又しばらく〳〵と
三声呼事此時よりの吉例にて代々其外門第に至る
まて右の如し此時大福帳のせりふあり歌舞伎年代
記にしるせし故爰に略す
正徳五未正月
正本屋九兵衛板
役者返魂香ニいふ
上上吉市川団十郎勘三座
一煙の中に面影しはらく〳〵二代目の名物
今若年の日の出のあたり役者同し荒事も
上品なるいきかた顔に絵のくいらすいかに
してもよいゆきな芸なり当顔見せ狂言の
惣外題万民大福帳出されしは此人一人の
ほまれ亡父古市川家の大福帳御当地にてあて
られしのみならす其むかし京村山座へのほら
れし初狂言に朝ひなになつて大福帳大ふんの
当りとられし市川家の大福帳当顔見せも
父におとらぬあたりお手から〳〵
若衆中
より日
お役の
は鎌くらの権五郎素袍にてはしがゝりよりし
まて〳〵と詞をかけ景政かかけおきし
大福帳の絵馬に手を掛しは何やつぞと
山中屋とのつめ合は大出来のいひたてに
我又木挽丁から堺町へかよい帳とのおとし
あたりましたぞ諸見物へむかひ私は
はしがゝりよりまて〳〵と詞をかけ行あ
ればしばらく〳〵とはいはさりしにや又は
に出す評判記のさしゑに団節角かつらに
あらす思ふに上方製本ゆへに行とゞかざる
なるへし此後享保十三年印本金之揮にも
野都警慶の画見得たり
一説に元禄十丑春中村座参会名古屋の節
元祖才牛山中平九郎と大福帳を引合てせり
ふありと年代記に見へたり
一説に元禄十四年中村座万民大福帳暫あり
役者全書に見ゆ
一説に元禄十六未顔見せ市村座大名類源氏
十六帖に元祖才牛石山源太役にてしはらく
うげ山中平九郎是を暫の初めとするか
金の麾役者年代重宝記等に見得たり
木挽町に久しくおりましてこゝもとへは
十三年ぶりて参りました親共此芝居にて
星合十二段の狂言て当をとりましてござるそれ
より他所へ参り不慮に相はてまして私義は幼少
にて九蔵と申た時分此堺町は御目見仕りま
して永く木挽町に罷在り久ふりにて爰許へ
顔見世を仕りますいよし御ひゐきを頼み
上ヶ升扨是から皆様へ一ばんあれて御目に
かけませういつとても敵役のふんは私か手に
掛け玉子をつぶします如く。しやしとつぶし
ましてと宝物のしんしを取出しにつめ大
勢を手の下へくみしき其上へのつて大福帳
を持てちいさき扇を出しあふかるゝは手
大あたりし後に半三殿にむかひ武道の
こなしおちついて村山殿もおよばぬ所
おほくあつぱれ〳〵見事〳〵〳〵〳〵〳〵〳〵〳〵〳〵〳〵〳〵〳〵〳〵〳〵〳〵〳〵〳〵〳〵〳〵〳〵〳〵〳〵〳〵〳〵〳〵〳〵〳〵〳〵〳〵見事〳〵見事〳〵見事〳〵見事〳〵〳〵〳〵〳〵〳〵〳〵〳〵〳〵
御宗たけひろ
清宗たけひろに
大谷広右ヱ門
くろつかの
老女ニ
山中平九郎
かまくら椎五郎
市川団十郎
むねひら
中村三郎四郎
元年ゟ正
徳四年迄
二代目団十郎山村座より堺町へ十三年ふりにて程
相済此時暫の狂言相手山中平九郎は親園
十郎と狂言いたし候者ニて此たび引合口上にも十一
三年以前此中村座にてざんきりの九蔵めニ御厶り
升と団十郎壮年故あなどりて申ける扨平九郎松浦
五大力にて大福帳の額へ手をかけ候へは出候所二
は手をかけず夫故団十郎しばらくと声をかけず幕
の内に居候得ば楽屋より四五度人参り候得ども声
かけ候へば出申と床札に腰かけ半時計り居ける故
平九郎しやうこともないと額へ手を懸ける時しば
らく〳〵と声をかけながら出けり是にて格別強く
見へけると云々此事耳底集
李下商
光画
初め諸書に見得
たり
柏莚
目の角の丸きくまどりはもと三角に候宝生太夫の
所へ御客の取持に参り候処色々の面を御馳走に御
出し被成候ところていかんと大ひしと申面の目の
ふち筋ゆれて二筋御座候強く見え候ニ付翌日祭や
にて隈取をゆりて目のふちを致候さんじ悪く候故
急に中ゆれを直に丸くいたし候是廿一歳の時なり
今の隈取にて候
外良売
享保三戊戌年春森田座「若縁勢曽我」ニういらう売
せりふ自他にて早口弁舌瀧の如し大評判代々家の芸と
なれり同十一年春中村座「門松四天王」に相勤大当り
按するにういらう売の姿二度目迄はもぐさ売の
如く鉢巻す其後より浅黄頭巾袖なし羽織に七五
三飾りに海老の衣裳には宝尽しの模様あり今に
其姿なりまたがいらうの筋の上に少き箱あり己
前是もなきや小子蔵するところの門松四天王に
勤めし時のせりふの本あり其表紙をうつし次に
出すせりふはこと長ければ爰に略す
中村癰
門松田天王
第三番目
穴はま町
□□□□□□□
いが雪
外
三人
本小田原
ういちう
売
市川団十間せりふ
矢ノ根五郎
曽我十郎夢之告
沢村宗十郎
五郎矢ノ根とき
市川団十郎
享保十四己酉年春中村座大名題「扇恵方曽我」初めて
鏃五郎を勤め古今大当り大評判浄留璃は大薩摩主
上るり大薩摩主膳太夫
三絃料屋喜三郎
相州馬入川の上の
膳太夫相勤此狂は五月迄打つゞき座元矢の根とい
ふ土蔵をたつかと云々其後三度つとむ納の節は市
曽我中村亦五郎
硼物ノ井アリ
いつの頃より歟
三目
村座
五郎にてあらはれ市村亀蔵冨士太卿へ親の敵を討
五郎矢ノ根ノ井と
札を建たり是も
芝居のさかんなる
ゆへか
べしと矢ノ根を亀蔵にゆづり是柏莚一世一代の狂
言大入大当り扨享保十四大当りニて其形を人形に
つかもない名物も
あり江戸の花
可大
造り手遊ひ物鬻家の箱肴板の上に飾り五月兜人形
にも造りしよし僕其節出板せし市川海老蔵矢の根
右訥子ノ師ノ恩ニ
見へたり
五郎双六といふ双六を蔵す摸写して次に出す左の
如し
かねのこへなまあいだ
ぎわうきやうとて
ふり出シ
〽まかきに
つとふ
夕
かほ
の
花より
よる
よめす
かたり申候
ま
そかの五郎
ときむねは
大さつましゆせん太夫
さるほとにそがの五郎ときむねは
しほうにむかつてふとのつとなを
はるなかに
とをりけり
おもひとくな
ほもとくと
かよふそのみぞもゝちどり
ゑほうにむかつてふともつとう
からよんても
ながきよのとをの
ねふりの
みなめざめ
市川海老蔵
相勤
かい
鞨矢根五郎
もひ
まわり双六にて第壱ふり
出しより上りまて矢の
一根の文句にて作りし
ものなり画師の名
近藤
なしといへとも遅替
□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□
助五郎法教春
なるべし
近藤助五郎清太郎
丑十月
〽大さつましゆぜん
太夫御けい申入ますはや〳〵と忝ひ
ちといわひませうさよふに
いたしてはおりますまい
市川海老蔵矢の根五郎双六
景清
享保十七辛子八月秋中村座「大銀杏栄曽我」景清二代目
後三代目
十郎
団十郎娘人丸忰舛五郎
両人大当り是景清の起
原なるか此巳前ありし事未タ見当す猶丁尋
元文四己未年七月市村座「菊襲栄景清」柏莚
清牢破り大あたり
延享五戊辰春中村座「錫鍛鎧曽我」此時景清柏建二代
目酒子初代重忠大仏供養呼戻シの初り古今大当り
此節両人の仕内諸書に出て実説を末世に残す
此外代々勤来りし景清の当り狂言故何れか十八番
の内なるや知れかたし其道の達人に尋べし
大銀杏繁栄景清
第二番目
中村座
役者
名字
めいしよ
つくし
市川団十郎
京清
市川升太郎
人丸親子の対面は
さかい丁
中嶋屋伊左衛門
はんもと
景清
然るに享和二戌とし河原崎座に於て五代目白猿景
清にて牢破りの大当り是十八番の内として当時白
猿相勤
祐成
享保二
戌とし
大名類「初紋日扮飾曽我」工藤左衛門白猿
三津
五道
時宗男女蔵
因ニ云
同三月三日より
岩井半四郎追善狂言金剛坊男女蔵
岩井久米三郎相勤成徳坊三津五郎
結傚鹿子道成寺、
海老蔵源八兵衛にて五代目鍛蔵相勤是半四道
追善故に男女蔵衣裳借り六七日相勤筋隈荒事の
押戻し古今大当り是白猿舞台納なり
閔羽
元文二丁巳年河原崎座顔見世狂言「閏月二人景清」第
一番大結七関羽海老蔵張飛囲蔵相勤大当り次二湊え
絵の図をいたす
天明九酉年
立川焉馬作
江戸容気団十郎贔贔
といふ前文略す
かゝる乱世の時におくひやうものもあはうもなけ
れはならぬ玄徳并孔明かはかりことしやとのは手
四ばんめかけぢの関羽の霊像となり青龍刀をもつ
てのあら事もろこしの関羽もこれ程にはあるまい
日本一の役者の開山末世になる迄大評判大当りと云々
此狂言は寛保二九月大坂にていとまこひの狂言なり
如此なれは浪花にても古今大当りせしと見へたり
鳴神の条に大坂表にて勤めし
按するに十八番は此二ツの内なるべし
評判を出すあはせ見るべし
一正月十四月廿四日を不申候以上
不申候以上
御
同志川
丹外町
蛙
丹後加之丞
一近藤利兵衛
浅草氏
タイ半弐上
製紙
一麦三斗一歩一歩一斗七升弐合弐斗弐升弐合
一昨十一歩一歩
つ
⑦
⑤
七ツ面
元文五庚申年市村座春狂言名題「姿観隅田川」市川海
一書ニ元興寺トアリ
老蔵面打鹿児瀬赤左衛門
実ハ粟津六郎左衛門
となり浅黄頭巾の上へ
かけゑぼし素袍の下斗り桜の枝を肩にかけて出舞台の東の方に
面箱五ツヽならべあり吉田少将唐元羽左衛門少し所作あり野上の
班女玉沢才次郎に面をみせんと先ツ始めの箱をひらくと尉の
吉田小将
面に実に面と見得みな〳〵我を折たり又暫して桜姫御番
瀧川歌川に面を見せんと明し所今度は塩吹別して似たり其
姿はん女桜姫ひつと故互にねたみふかきこと盤若の如きと異見の
為に盤若の面を見せんと開し。凄い程似たりし其次は姥の
面仕舞はふあくの面なり是はすゝけ色にて口をくわつと開き
後四代目
し所久米平内兵衛松本幸四郎
団十郎
勅使太宰の熊主に村山
次郎右衛門と云中役者に悪事を相談し都鳥の一巻を盗取しを
出す所へ奥より足音する故人に見せじと海丸手に持し一巻
を後へ廻すと件の面巻物を引くわへて引取是はとふり返ると
面箱ハシヤント蓋かおり押ても引ても明ぬ所面白かりし五ツの
面とれも眉毛唇なと動きし故柏莚なりとしられたり此
面は前後共に只一度にて殊の外骨を折りしと云々其後大坂
表にて勤めし由
此狂言も前にいふ宝生太夫宅にて能の面あまた見せ
られし事あり夫よりの思ひ付なるべし
因にいふ
姿観隅田川
第一ばん目
中入
鎌田又八団十郎車尽しせりふあり
解脱
此年普請出来ニ付
此名題アリ
按する小宝暦十庚辰年五月市村座大名題「曽我万年桂」
第二番目「鏡入解脱衣」景清亡魂四代目市川団十郎相勤
長唄楓江富士田吉次郎名人大当りス
延享元甲子年二月中村座「大蛇解脱物語」ト云狂言ニ
市川海老蔵文学上人の役勤め大当り
此二章の内ならんか猶了尋
長
唄
冨士田吉治杵屋忠次郎
冨士田吉治
長七長五郎
木村源次郎
線
同岡田市十郎
杵屋忠次郎
杵屋五郎
西川信蔵
小つゞみ中野長七
一板小舟町
同武田忠蔵
加賀や勘右衛門
大つゞみ田中信五郎
元二丁目
そがまんねんばしら
曽我萬年柱
市村座
鐘入解脱衣
市川団十郎相勤申候
象引
年暦不詳何れの狂言なる哉
按ニ文化年中馬喰町四丁目江崎屋より昔の丹絵
といふ物を四五番出板す
ものか
古板をすりし
其中に団十郎
素袍の肌をぬき山中平九郎公家悪にて象を引合所あり
是家引の類かなをたつぬへしまた云
享保十八年漢土より大象を貢す其節象の事を出
して印刻するもの多し所謂「象志」〽馴家」〽同假名草紙」
〽家の落はなし」「象双六」夜すり如此流行せし故戯場にても
是形を作り狂言に遣ひしものと見へたり右象の書業蔵す
予蔵する所丹絵に象引あり京云江崎やより文化年中再板せし
物に立川焉馬翁書入あり其中に此図は江崎や吉左衛門
甲子は元年なり
三年は雨寅なり
一持伝へし古板昔は色丹青に彩色たり夫より延享三甲子年
春合せ形けの摺を初めしは江崎やか板元といふ是を見かに元禄
十四年巳正月中村座「傾城王照君」といふ狂言に山上源内左衛門
市川団十郎鈴鹿子山中平九郎
わさをきの氏神なれば千早振絵文鳥居の名も残りけり
立川淡洲楼七十七翁烏馬述
譲りものゝ衣装を
七代目
虫干やつはものともか汗の跡団十郎
六部
鎌髭
未見當
押シ戻シ
何れを始とすかは不詳鳴神道成寺其外怨霊の出る狂言に
小手脚当に腹巻大どてら三本太刀蓑竹笠高足駄をはき太き
竹を杖につき怨霊のあれたるを花道の中程より舞台へ押
もどす荒事すこしの事なれ共目さましき物にて市川流の
外に勤むる者なし
又草摺引の曽我五月朝日奈の如く引台といふ物に二人ならび
花道を引是を引道具といふよし又蓑笠なしに肌抜武者
袴に杖草鞋にて出るもあり杖は右同断也扨又次に出す〽雲雀山
金鶴ト名題道中五十三次伊勢参宮せりふ〽せりふは略す
表紙ニ今押戻レといふものに似たり故ニ其図をうつし出す
此ひばり山といふ狂言哥舞妓年代記はじめ戯場の書に
不見当故年号知らす
ひばり山
こかねのには鳥
道中
五十
三次
さかい丁
板元
中嶋屋
市川団十郎
伊勢参宮
えんだし
せりふ
攝
寛保二壬戌年春大坂佐渡嶋長五郎座にて二代目海老蔵
鳴神上人北山桜に鳴神上人と粂寺弾正ト二役
按するに久米寺弾正トいふ役者は元祖才牛より
あり但し毛抜の狂言は右を始とする哉
蛇柳
宝暦十三癸未年五月中村恋「百千鳥大磯流通」四代目
市川団十郎丹波助太郎にて道外役大当り後二三勝
のり移り鉄病の荒事浄留り大薩摩主膳太夫
高野山
蛇柳の仕内
上るり名題「夏柳鳥玉川」団十郎高野山蛇柳の仕内
大出来大当り〳〵
「中古戯場説」といふ
下河部庄司か娘のばうこんおんりやうにて高野
山捻岩丹波の助太郎といふ馬鹿大当りと云々
天保八丁酉三月市村座「裏表桜彩幕」第二はん日大坂上
城
なり
歌舞伎十八番の内
其古事を今こゝに
蝸牛の嫩打や
角ひらひ
割
花雲鐘入月市川九蔵相勤
元禄十二卯年七月十五日中村座大名題
甲賀三郎市川団十郎
元祖なり
「甲賀三郎
「同一心五界玉」第三番目一
鬼神退治
岩穴へ落されて五かい玉こと〴〵く
出岩の内屋敷となるめかけ岡之助とかやの内にてぬれの所へ
甲賀三郎娘となり小才治岸田は本妻也其一心娘にとりつき
娘五次小才治しよさを小役にて勤岡之助親囲
九蔵之
十郎三人のしつと大当り
右之章金之揮
享保十三己申年
正月板
享保十三丙申年通り石町板元奥村源六
近藤清春筆
見得たり
按ニ二代目同十郎いまた九蔵の時勤められし故海老蔵
一今の九蔵に勤させしものならん
一金之揮の画爰に写す
同年の甲賀三郎
心五界王
鬼神退治
七月十五日
手かけ
むすめくれ竹
九ぞう
三はん目ろうかの三郎
右十八番壽狂言外
坂田公ひら元祖奴荒事丹前に
元祖
君子
元祖
仕方浄瑠璃
忠孝
鐘馗元祖艾うり二代目和藤内二代目
二代目
源太広綱五代目切見世の狂云曽我五郎中村左星合雷曽我
十ばん切大当り
荒五郎茂兵衛四代目
是等皆市川家の狂言なるべし
当る興行
歌舞妓
十八番之内
勧進帳
十八未田之内苗代田三三文川
高
乍憚以口上書ヲ奉申上候
御町中様益御機嫌克被遊御屋忠悦至極奉存候随而
当春狂言殊之外御意ニ叶古今稀成ル大入大繁昌仕候儀唐元
一権之助并私義不及申上此度再勤仕候尾上菊五郎始惣座中
難有仕合奉存候分ケて申上候は私元祖ゟ伝来候歌舞妓十八番之内
安宅之関弁慶勧進帳之儀は元祖市川団十郎才牛初而相勤二代目
団十郎柏莚迄ハ相勤候得共其後打絶候故私多哉右之狂言心掛種々古き
書物等取集相調候処此節漸々調候に付幸元祖才生儀当年迄
百九十年に及候間代々相続之寿二百年之取越として右勧進帳之
相勤申候右勧進帳狂言之儀は外記様の物にて余り古代に相成候間
幸ひ杵屋六三郎義は私幼年ゟ之朋友此度一世一代として三味線手
事節付新たに致させ楼門五三桐と出半長右衛門間にて相
勤奉入御覧候誠に古代にて御意に叶ひ候義は有之間敷候得共
先祖之俤とし市川代々御贔屓之御餘光にて二百年来の
一御取立と被思召被仰合賑々敷御見物之程偏に奉希候以上
三月
市川海老蔵
慶安四年ゟ天保十一歳迄
百九十歳寿興行
番町
元祖市川團十郎才牛百九十歳の壽
歌舞妓十八番之内
常陸坊市蔵
一番車菊四郎
市川海老蔵
武蔵坊弁慶市川海老蔵
片岡八郎黒猿
伊勢三郎赤猿
勧進帳興行
番卒箱猿
駿河次郎海猿
番卒万作
判官義経
判官義経市川団十郎
冨樫九蔵
長
芳村伊三郎
三
一杵屋長次郎之清住長五郎
岡安君三郎小鼓大卿新三郎
岡安喜代七味
望月太左エ門
閔
唄
四
杵屋三五郎大鼓小泉長次郎
芳村金五郎孫
徳
一杵屋三次郎同大郷新する
岡安喜久三郎贔岡安喜代八据附西川扇蔵
一世一代
一杵屋六三郎
本舞台三間之間能舞堂日覆ゟ破風をおろし都て能掛りの飾り付
よろしく木なしにて静に幕明
ト頭取出て口上あつて引込ム次第を打あげおく病口ゟ九蔵に富樫烏帽子
素袍にて出る跡ゟ菊四郎箱猿万作何れも番卓にて出来り
九蔵ヶ様に候者は加賀の国安宅の湊に冨樫之何某にて候扨も頼朝
義経御中不和にならせ給ふにより判官どの主従作り山ぶし
となりて奥秀衡を御頼み御下のよし頼朝聞召及ばれ
国々に新関を建テ山伏をかたくゑらひ申せとの御事にて候
去ル間此所は某承りて山伏を留め申候今日も堅く申付ばや
と存じ候外にかた〳〵今日も山伏の御通りあらば答申候へ
十士章長つて候
ト九蔵毛氈の上へ住居士卒三人後口へ並ぶ
謡〽旅の衣はすゞかけの〳〵露けき袖やしほるらん〽時しも
ころは如月の〳〵十日の夜月の都を立出て
ト向ふゟ国十郎義経にて山伏の笈を脊負ひ金剛杖と笠を
持テ出木り花道を舞台の際まで行常陸坊の市蔵
片岡八郎黒猿伊勢三郎赤猿駿河次郎ノ海猿
武蔵坊弁慶市川海老蔵皆し山伏の姿にて
花道へ居並ぶ
〽是やこの行もかへるも別れてはしるもしらぬも逢坂の山
隠す霞ぞ春はゆかしける波路はるかに行く船の海津の
浦に着にける
団十郎イカニ弁慶只今旅人の申つるは安宅の湊に新開をすへ
山伏を撰とこそ申つれ
海老蔵言語同断の御事にて候ものかな扨は御下向をぞんじて立たる
一関にて候は一大事の御事にて候間みな〳〵心中の通り残らず
御申あらふするにて候
山代四人我しか心中には何程の事の候べき只打破りて御通りあれかしと存候
市蔵仰の如く此関一ヶ所打破つて御通りあらふするは安き事にて候へ
ども御行末の御大事にて候間只何事も無為の義然る
べうぞんずる
一囲剣も角も弁慶能きに斗らひ候へ
海
畏つて候
ト海老蔵みなしへ聞く
四人心得てござる
ト海老蔵先に四人の山伏ずつと跡より団十郎笠にて顔をかくし
〽イザ通らんと旅衣関のこなたに立かゝるトミなし本舞臺へ来り
九ノウ〳〵客僧達是は関にて候
海承り候是は南都東大寺ゟ大仏再興の為に国々へ客僧を
遣わされ候北陸道を此客僧承りて罷通り候先すゝめに御入候へ
九近頃殊殊勝に候勧進にも参らふずるにて候去りながら是は
山伏達に限りて留申図にて候
海そのいわれは
九さん候頼朝義経御中正和にならせ給ふにより判官どのは奥
秀衡を頼み玉ひ作り山伏と成つて御下向の由その聞へ候程に
新関をすへ山伏をかたく撰み申せとの事にて候去ル間
此関所をば其承りて山伏を留申候間壱人も通し申
間敷候
海
委細承り候それは作り山伏をこそ留よと仰せ出され候ひ
つらめ誠の山伏も留よと候か
九イヤきのふも三人切たる上は
海扨は切たる山伏は判官どのか
九あらむづかしや問答はむやく一人も返す間敷候
海扨我等も是にてちうせられ候べきか
九中〳〵の事
海玄店同断かゝるふ運なる処へ来りて候もの哉此上は力
及はぬ事イデ〳〵最期の勤をなさん
一ト海老蔵はじめみな〳〵下手へ座して念珠さらしともむ事
〽夫山伏といつばゑんのうばそくの行義をうけ即心即仏
の本体を爰にて打留たまわん事明王のせうらん計りがたふ
熊野権現の御罰あたらん事立所に於て疑ひ有べから
ずあびらかんけんと珠数さら〳〵と押もんだり
九近頃神殊勝にて候先に承り候は南都東大寺の勧進と仰せ
一此定めて勧進帳の御座なき事は候まじ勧進帳を遊され
候へ是にて聴聞申さふずるにて候
海十二勧進帳をよめとかや○ト驚く思入あり
心得申候
ト笈の内より巻物を取出し舞台真中にて是をよむ
〽元より勧進帳のあればこそ笈の内ゟ往来の巻物一巻
一取出し勧進帳と名づけつゝたからかにこそ読みあげけれ
海夫つらしおもんみれば大恩教主の秋の月はねらんの雲に隠れ
生死長夜のながき夢驚かすべき人もなし爰に中頃の御門
おはします御名をは聖武皇帝と名付奉もさいあいの婦人に
別れ恋慕やらがたく涕泣眼にあつてなみだ玉をつらぬく
思ひをせんろにひるがへし盧遮那佛を建立すかほどの
霊場絶なん事をかなしみて俊参坊張元諸国を勧進す
一紙羊銭奉財の輩は此世は無比帰命施主敬白
ト海老蔵読おはる
〽天もひゞけと読みあげたり
九
九猶又貴僧に問事あり修験の道はいかなる事を旨とする也
海□夫レ修験の法といつば胎蔵金剛の両部を旨とし嶮山悪所を
ふみ開き世の害を為す悪獣毒蛇を退治して現世愛愍の
慈悲をたれ或は難行苦行の功を積み悪霊亡魂を成仏
一得脱させ日月清明天下泰平の祈祷を修す故に内には
忍辱慈悲の徳を治め表は降魔の相をあらわし悪鬼
外道を成伏せり只神仏の両部にして百八の珠数に
佛道の利益をあらわす
九シテ又袈裟を身にまとひ仏徒の形にありなから額に載
く兜巾はいかに
海則チ兜巾篠掛は武士の甲冑に等しく腰には弥陀の利紐
を帯手には釈迦の金剛杖にて大地を切開き高山絶所を
縦横せり
九寺僧は錫杖を携るに山伏修験の金剛杖に五体をかたむか
そのいわれは
一事もおろかや金剛杖は天竺檀特山の神人阿羅は仙人の持シ
霊杖にて胎金両部の功徳をこめり釈尊未タ瞿曇沙弥
と申せし時阿羅々仙人に給仕して苦行し給ひ
やゝ功積り仙人その神力強勢をかんじ豊墨沙弥を更
て照普比丘と名付たり
九
シテ又修験に伝はりしは
海阿羅々仙人より照耆にさつくる金剛杖をか霊杖なれば
我か祖役の行者是を用ひて山野を経歴シ夫より世々
に是を伝ふ
九佛門にありなから帯せし分は只ものをおどさん料な
るや誠に害せん料なる也
是こそかゝしの弓に等しくおどしに佩の料ならず
一佛法王法に害をなす悪獣毒蛇はいふに及ばずたとへ
人間なればとて代をさまたげ仏法王法に敵す
る悪徒は一穀多生の利により忽ち切て捨る
なり
九目にさへぎり形あるものは切給ふべきがモレ無形の陰鬼
陽魔仏法王法に障碍をなさば何をもつて切た
まふや
海無形の陰鬼陽魔は九字真言を以て切断せんになんの
かたき事かあらん
九シテ山伏の出立ハ
海則チその身を不動明王の尊容をかたどるなり
九頭に戴くときんはいかに
海されば五智の宝冠にて十二因縁のひだをとりて是をいたゞく
九かけたる袈裟は
海九会曼陀羅のかきの篠掛
九足にまとひしはゞきはいかに
海胎蔵黑色のはゞきと称す
一九扨又八ツめのわらんじは
海八葉の蓮花を踏心なり
九出入るいきは
海あかんの二字を唱るなり
九抑も〳〵九字の真言とはいか成る義にや事の次第を問ひ申さん
海九字は大事の深秘にしてかたり難き事なれとも疑
念をはらさんその為に解聞せ申べし夫九字の真言
といつぱいはゆる臨兵闕者皆陣列在前の九字なり正に
切らんとする時はたゞしくたつて歯を叩く事三十六度右の
大指をもつてまづ四縦をゑがき後に五機を書その時
急々如律令と呪する時は五隠鬼煩脳免まつた悪魔
外道死霊生霊立所に亡ふる事霜に熱湯をそゝぐが
ごとし実に无品の無名を切る大利釼莫やの剱もなん
ぞしかん武門にも是を咒する時は敵に勝事疑ひなし
まだ此外に修験の道疑ひあらば尋に応じ答へ申さん
その徳広大無量なり肝にゑりつけ人にかたるな穴
かしこし大日本の神祇諸仏諸菩薩も照覧あれ百
拝敬首恐れみ〳〵つゝしんで申云云斯の通り
〽かんしんしてぞ見へにける
九十九かゝる尊き僧としらずとゞめたか事眼ありてなきが
如し我もすこしの施物を奉らん
ト卒子三人に言付白木の台に箱を乗せ赤地の錦の袋に
入たる鏡沙金一包ヲ乗せ海老蔵の前へ並べる
〽士卒か運ぶ白台に白綾袴一重加賀結あまた取揃へ
御前へこそ直しけり
海コハ有難き大旦那○
ト鏡一面沙金一袋押戴き懐中へ納メ外の台へ
こなし
外二台は道中荷物かさばり候へば御預ケ申べし
ト九蔵二ッの台を卒士に言付引取る事
九急ぎて御通り候へ
四人心得申て候
〽コハ嬉しやと山伏も〽しづ〳〵立て歩まれけり
ト海老蔵先に四人の山伏花道へ懸る団十郎跡につゞいて
行く此時士卒三人九蔵に聞く
九イカニそれなる強力こそとまり申べし
ト団十郎はアツト舞台の真中に居る海老蔵みな〳〵
舞台へ帰ル山伏四人刀の柄へ手を懸る
〽すわや我きみあやしむるは一期のふちん爰なりと
おの〳〵跡へたちかへる
海夫は何とて御留候ぞ
九アノ強力が人に似て候程に留申て候
海なんと人が人に似たるとは珍らしからぬ仰にて候
扨は誰に似て候ぞ
九判官どのに似たると申者の候程に落居の間留て候
海十二此強力が判官どのに似たると候や言語同断判官どのに似たる
強力め日高くは能登の国までさそふずると思ひしに此度
負て跡へさがればこそ人は怪しむれ此程もにくし〳〵
と思ひつるにイデもの見せん。
〽金剛杖をおつ取てさん〴〵にてうちやくす
ト金剛杖にて団十郎をさん〴〵に打事
猶此上にも御疑ひ候ば仰次第切捨んいかゞ仕候べき
十六十三人通りおらふ
〽通れとこそはのりしりぬ
海コリヤ
〽かた〴〵は何ゆへにか程賤しき強力を太刀刀を抜
給ふや目たれ魚の振舞おく病のいたりと皆山伏は打
刀抜かけて勇みかゝれる有さまはいかなる天魔鬼神も
恐れつべにぞ見へにける
九近頃誤つて候早〳〵御通り候へ我もしばらく休息な
さんかた〳〵来レ
十一章
士卒十三人
三人ハツ
〽士卒を引連れ関守は門の内へぞ入にけり
ト九蔵さきに士卒三人は入る海老蔵団十郎の手を
取り上座へ直し
海扨も只今は余りに難義に候ひし程に不思議の働らき
仕候是と申も我きもの御武運つきさせ給ふにより今弁慶
が杖にもあたらせ給ひぬるとぞんじ候アヽもつたいなし
〽ついに泣ぬ弁慶も一期の泪ぞしゆせうなる判官御手を
取り玉ひ
国イカニ弁慶扨は悪敷も心得ぬものかな只今の寄伝凡
恵のなす業にあらす只天の御加護とこそ思へ関の者ども
我をあやしめ生涯かきり有つる所にとかくのぜひをばもん
どうせずして只誠の下人の如くさんじ打て我を助くる
是弁慶が謀にあらず八幡の御詫宣かと思へば忝くぞ覚ゆる
然るに弓馬の家に生れ来て命を頼朝に奉りかばねは西海の
浪にしづめ山野海岸におきなし明す武士の
〽鎧にそひし袖枕かたしくひまも波の上ある時は船にうかひ風
波に身をまりせ又ある時は山せきの馬ていも見へぬ雪の中に
海すこしある夕なみの立くる音也須磨明石兔角
みとせの程もなく〳〵いたわしとしほれかゝりし
おにあざみ霜に露置〳〵計りなり
ト此内みな〳〵顔見合よろしくこなし海老蔵ふり事あつて
炭とく〳〵たいさん
一ト団十郎先に立四人の山伏跡ゟ海老蔵花道へ懸る
〽たがいに袖を引つれていざゝせたまへの折からに
ト九蔵士卒に吸筒二ッ盃を持せ出て来り
酒一こん参らせうずるにて候しばしく留り候へ
ト右の方の毛せんの上へ住う海老蔵はしめみな〳〵詞置
へ立戻る海老蔵真中に居る団十郎と山伏四人は
九ノウ〳〵いかに山伏達最前聊示申余り面目なく候程に麁
舞台の左の方へ並ぶ海老蔵士卒三人を相手にして
酒宴になり
〽実に〳〵是も心得たり人の情の盃を受て心をとら
むとかや〽今はむかしの語りくさ〽あらはづかしの我が心一度
まみへし女さへ〽迷の道の関越へて今又爰にこへかぬる
〽人目の閨のゆかせなや〽アヽさとられでそ〽浮世なれ〽面白
や山水にし盃をうかへては流にひかるゝ曲水の手まづさへぎる
袖ふれていざや舞をまわふよ
ト此内海老蔵士卒三人を相手にし二瓶の酒残らず呑
事終り酔たるこなしにて扇を開き男舞に成り
〽元より弁慶は三塔の遊僧舞延年の時の和歌〽なるは
瀧の水日はてるともたへずとふたりとく〳〵たてや
たつか弓の心ゆるすな関哥の人々
ト海老蔵扇の手面白く団十郎その外の山伏へ扇の手
にて早く落よと目へばせする仕打のふり団十すみな
花道へ懸る
〽蛇もてさらばとて教をおつ取かたに打かけ〽虎の尾をふみ
毒蛇の口をのがれたる心地して
ト九蔵舞台へ来る海老蔵牧を負ひ左右の手に金
一剛杖と笠を持て一礼して花道へかゝる
〽むつの国へぞくだりける
一ト九蔵は舞台の真中にシヤント立よろしく幕
一幕引付ると海老蔵花道へ六法にて引込ム留の木にてレヤキリ
天保十一年三月吉日
筆に
紙員十葉
千種万歳
寅十月
歌舞伎十八番
是は元禄暫なり
朝
象引鈴鹿の皇子山上源内左衛門
矢の根曽我五郎時宗
女房女
傲照日の神子横川古聖
鎌髭俵藤太秀卿相馬小次郎将門
鎌笠
蛇柳源賓僧都金剛空海
七つ面面打賀古世赤右衛門
押戻鎮西八郎為朝
押戻
不動不動明王の霊像矜羯羅童子剃多加童子
不動
餅
久米寺僧正
外良虎屋藤吉
外良
鮮脱上総七兵衛景清
解脱
景清牢破り悪七兵衛景清秩父庄司重忠
景清
関羽ノ道行寿帝公関羽
不破不破伴左衛門名古屋山三
助六揚巻の助六艶の意休
助六
鳴神鳴神上人黒雲坊白雲坊
鳴神
勧進帳武蔵坊弁慶当樫左衛門源の義経
新十八番
是は海老蔵大坂在中脚色たる狂言八代目団十郎
琴吹物語岡部六弥太
大坂へ登り帰後御土産狂言に相勤ム
虎之巻鬼一法眼
蓮生物語熊谷蓮生坊
蓮生問答全
伏見の大地震海老蔵追善に
桃山譚加藤清正
正九代目三升勤ム
九代目三升勤ム
支那譚吉備大臣
真田の打紐真田幸村
海老蔵相勤候
雨の鉢の木
是は天保之頃木挽町河原崎座にて
琵琶法師悪七兵衛景清
陣太鼓酒井左衛門尉
重盛諫言小松内大臣
6965
歌舞伎十八番考終
不破伴左衛門せりふ考
なきれふずは
これやこなたへ御免なきれふぞ
是はふはのつたゝつ
六方言葉也
御神楽
案するに其頃の方言なるへし其一二をいはゞ
おかぐらか大じんか御たくせん
廓中におかぐら蕎麦の名有或は火に水のかゝ
りて灰のたつを灰神楽と云ふ其心は舞歩行と云舞渡ると云舞上ると云
より出たるを也舞渡るは今云大手を振て歩行又はねりあるくなとのことなり
されは哥にもまた
浄瑠璃の文句にも
かの助六がまびわたりふせいなりける次第也
また長歌
吉原雀に
客は扇のかきねより初しんかあゆくまびわたり
なとくさ〳〵有舞とはいみ云意にて仕舞なと云は也一つの舞又はこぼれるなとをいみ
て灰神楽と云おかぐくそばは舞寄行て後喰ゆへの名の御神楽より出たる御託宣也
今もごたくを言なとゝいへり
こんど嶋原くるはの内でてつかちなへ事ができしたあにも
前にも言六方言ば
大門口からまがきがえ迄しろをにくろをのせきたでしやり
そろりとひつゝれたつてろふかのかはてこまひかのおりんぼう
と大がつせんがはじまつたさればどへてきぬれのお大将
こんてきは富敵にて富る客と言も也客をおてきと言は廊言は也古きふみに
おてき松尾の夕なぎに又はおもふおてきを待宵かの月なと諸公にけへたり
またぬれのお大将はたれもしたぬれ事とは歌舞妓狂言の文男の名なり
世の字は瀉世の略言なり
廟に遊ふを瀉せ給ひ或は
心得その日のしやうぞくは世の字のよろひ
浮世血瀉世小路は今も有音は瀉世袋瀉世首にかぞふるにいとまあらす又人の
一銘にも潟世住の助同渡平等有何れも今言当世風に云事也衣漿を鎧に
言なせしは今いふはでなかり或は伊達風と言をなり
ひさつりのかみに
未考追而可記
ひきすりのかふときつゝかんかづなる太刀かたな
寛酒はやつことよむ又は丹外なとによれる也元代年て種々の用の用捨るに
くわしく出たりまた長歌芝翫奴に
とあり足を
おなし
うたに
かんかつ出たち
ひざ迄あらはし
似たかにましたぞりんかつな
たる処本文の関をりへて知り給ふべし当時の新当のせりぬにも寛潤と云文句有
とは関木覚と言略言葉也ちなみにいふ帯をやのじに
きのじによこるへ
しめるといふは屋敷風と言やつし云は也
時のたいこをうちつれこゑをはかりにあげやか座敷へ
おしよせたりしづまりかへつて音もせすことはか哉よき上は
まへにおもはくの介をひろげうしろにはこはんのこたてを
つきくつばみそろへてやりておなこへてうしかんなへと
かたきのよせくるてきを待うけて或はのみあいたし
ちかへたるひとつのめ一ッとは無かつのからなよねめがおさし
磯底板
てござろうならは何ばいも〳〵りうもんの瀧はいそこぬけ
ひしやく
こよいふ永とは女房のことにて龍門の瀧は団十郎の替紋也又磯とは磯の米匂ひやへ
磯とは磯の米狂ひ或は
一磯せたり又磯の色事なと傾城禁猛気」作に移に見たり又唐
又底抜柄杓とは酒の
一殿ども尽ずと言にあたるされは磯底抜柄杓とは米狂ひと酒はあくもなしとなり
たんたゞつくてうしをかたふけしつかとつげよつたそほゝ
よりも是なま〳〵のこんて御さらぬ
□□□□