白猿狂歌集並發句集
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- 市川白猿
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- 2026-08-17T19:23:18.402Z
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- 2026-08-17T19:23:18.402Z
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- 場所: 江戸
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- 市川白猿
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- 日本語
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- 伊勢屋吉藏
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- ハクエンキョウカシュウ
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- 東北大学
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- 2026-08-28T18:53:25.651810+00:00
平里以内
大吉狐鼡
火平
市川白猿著
狩
白猿狂歌集全
并発句
并
発句
白猿狂歌集」
荒井泰信氏ノ寄附会ヲ
以テ購入セル首関博士
我そふりゆくとよみてしあら玉の
春のあしたよりいそかれふとか
いひけん年の暮に至るまて
散つもりゆく我ことの葉を筆の
はゝ木に書あつめしはあまくも
かゝるみやまにあらぬ片里にし
とをわするゝす貴美にそありける
されは此草子を友無猿とは
なつけ侍りぬ
白猿
白坂亭
白猿狂歌集
元日
おもふ事いはぬは腹ふくるゝわさなれは
九日貞稀の下の句にすかりて
かけよのつれなくみへし別より暁はかりよき物はなし
草も木もうゑぬ庭たにおのつから長閑さ花の春はきにけり
御慶の姿をよめる
上下の麻につるゝはもへきうら直なる御代の春の炎色
深川木場に住ける頃門弟惣三かすゑける
かゝみ餅を狐のとりけれは
春もきつねのひもまたで引もちは千代の鏡とつきたてぬらん
元日市村坐舞台にて
浅尾
あさおきてせかわか水をいはひそめとしの初にくめやくらます
この時同坐せるもの菊之丞半四郎為十郎
宗十郎なりやつかり団十郎といひける頃
門の暖簾に豆屋とかいて松茸うりならはいら
しやんせのふといへるうたはやりける時元日中村庵
舞台にて
万物の礼者の顔もまめやかに松竹たてゝはいらしやんせのふ
寅のとしの元日市村野にて
明ぬれは街道一の寅のとし雨も少しふり袖の君
小松引
景清も祝ふて二十余ねんなく栄花の春に小松引なり
としのはしめに
梅咲て鴬きなく我宿はふるきをもつてあらたまの春
むかし女しるへのもとにゆくとて紫色の小袖
をかりきしけれはよめる
春の野にわかむらさきのかり衣しちやの利あげ限しられす
ゐなか人はかくせちからきみやひをなんしける
初午
どん〳〵とかゝが茶みせのにさはふはばち利生ある神の初干
桜
ちるにさへめてたきものを桜花ましてさかりのほめやしそなき
幸四郎半四郎ともゝつともに浅草観世音へ
桜一樹たてまつるとて浜成かこゝろにて
花さかり大慈大悲の網のめに春風よけよのりの庭もせ
鼻のたかいは親ゆつりと我ことをうたふ唄の
はやりける頃庭のさくらを見て
とし毎に咲る桜よ是もまた親のゆつりの花にそ有ける
彼岸の入日に中車かもとへいひやりける
のしくらとうきよにひまなへび親仁つら出しすれは人がいやかる
春雨
春雨のよしや花にはつらくとも草のいほりのねこゝろはよし
弥生のはしめ薪水かもとをとむらふによのつと
めのいそかしきにやいつとても戻らでのみあり
けるかゝる桃さくらのさかりをも見すていた
つらにちらすことよとおもひて
世中はおしつけ樹をつるの丸それに坂東ひつこさぬとは
秋夜
輝牛といへる人鯉のあつものおくらんといひ
て出行ける後ほとすきぬれと便りなかり
けれは大黒屋七五郎か許へよみて遣しける
一二もし牛の角文十にまちわびてあらひもしとぞ我は覚ゆる
隠居してのちよめる
髪ゆはず月代刺ずゆあひせすぶせう不滅の佛とそなる
北風はけしけれは疝気おこり南風強けれは
頭痛を子やみ東風にはめまひをもよほし
西風のあらきをり〳〵は元気をふさきて
食事するにこゝろなし
北病気南は頭痛東風めまひ西くへないにそめいろの宿ひ
須彌山より高き父の恩はありかたけれとも身
の多病なるそかなしき
三升か定九郎の役をつとめける時赤良
大人よりうちませうてつほう雨の大あたり
むべも親仁のはなのたかさよと申こしたまひ
けるかへりことに
鉄砲の玉のひらきにおそれ入返哥の玉のことのはもなし
吉田幸哲老の木刀へ
無事は是貴人ときけば木脇差さして淳世に障なき身は
胸中不可止一物
死ぬことをしつてゐなから心めがやくにもたゝぬ苦労するなり
予か判の狂哥合に初花の歌をほめてぬき
書してつかはすついてにかつを○つくり
たるうつはの中へかの哥をかきつけおくるとて
一初花をはらにこめたる初鰹時にはんだいなくてさげ籠
ある人はらひものなりとて煙鍋を持来りけるに
直をきけはすこしたかまか原なれはもそつとまけてはらひ玉へや
卒都婆小町鍋の下を焚てゐる絵に
ことわりや火のもとにきをつけよるしさりとては又鍋か下とは
唐土にこそ富士より高き山はあれなと人のいふ
をきゝて
もろこしの五岳と富士の首引にいさしら雲をつなき合せて
いせのみやけにあさからたはこといふ物もとひて
参宮のみやけに貰ふあさからはあまつひつきのよいたはこび
予か景清のいでたちせる絵の扇に
一右幕下の御えほし首たまはらは是にまされる作善あらめや
大黒蛭子移録寿のかた慶子がかきたるを難
一波人よりおくりこして賛をせよとこはれ侍て
恵方より入来る福の神風や匂ひは梅の舟にはともあれ
布袋に
金山寺みそかしらすの楽は本来くふてねたりおきたり
子日のあくる日うしの御前の社頭につとひて
人〳〵丑の日の三升引といふ題を出して
狂歌よみけるに
はかりこめ三升にあまる御ひいきは一黒ろくす小歯違ふ
草庵に都さくらはなけれとも町人に新車
中車あり
一二輛なから女のひける車にて音は百里に五郎〳〵と
外郎うりの絵に
菊相の御紋御数免あるなれは壱分自慢のくすり商人
題しらす
水漏地より無漏地にかよふ内なから雨はともあれ風はいや〳〵
沈湘日夜貧窮をくるしむ
愁人の為しはらくもとゝまらす水の流れと質のなかれは
傾城の絵に
ゐのしゝのふすいな客はおみの為のべの錦の夜具の敷初
扇に物かきてよと黒山秀蔵か乞たるに
しはらくはこつちの株てごきるわいのふはそつちの家の狂言
釼術師の扇面に
うてばひらくはしへは風に身をかはす柳のしなへ梅の木刀
この鳥あふむのことく
言語を学ふ鳥也とか
三升か絵の音呼鳥の賛
身のほとは軽少なから鳳凰の口まねなともつかまつり候
三升か猿猴の月をとる絵に
下をみても及はぬことの多きよにすめる心の清き月かけ
三井か製したる関羽のおし絵に
仁と義と勇にかしこき其人は末の世まてのおし絵とそなる
三升か絵のなてしこに
世の中の親の心はおしなへてからもやまとも河原なはしこ
たからふねの絵
なかさよの遠めにみゆるよい玉は永久橋のおちよはろづ代
熊坂の絵に
参りたつ松のうへなる熊坂が大凪なたのうらゝかなばる
金看板安五郎といふ人のこへるなりとて坂
東善次が帋もてきたるに
がんはんに偽りなしや玉川の水にさらした男一疋
短慮なる人をいさむとてその人の扇にかき
つけしる
としふれは扇もかとのとるゝ也人のこゝろもかくそ水よき
畠山長政くまのへ奉納の燈籠なりとてふるく
より持つたへたるを彦三郎へゆつるとて
武者ぶりも坂東一の畠山文武あかるき灯籠のぬし
鬼の念仏する絵の衣の袖に朱もて舞を
かきて是に狂歌せよとしひてこふ人のあるに
今が最期寒念仏の声さけは春になるのもしはらく〳〵
甲府なる亀屋といへる芝居大あたり也けれは
ありかたき人の心のうら不二やはら〳〵きぬる甲斐はみへけり
同
物事の丸きお国へ四角なる三升の紋はおそれいり候
袋草子にいはゆるうけうたといふもの出して
一人にほこるものゝあるを見て
天地をうこかすほとのことなれはじゝんによみやれうけ歌はすな
福島の芝居繁昌なりけれは
こかね花さくときゝにしみちのくに一両日はたびねしにけり
貧をなけく人によみておくる
まつしくは貧きまゝになかしへよいつまでこゝにすみやはつへき
本所なる六阿弥陀堂へ奉納すとて
いゝたる心のちりをはきすつらのりはしんによの玉はもき哉
八月の頃人のもとより景清の千体仏といふ物
をもらひて
南無大応の事の観世音ほさつたまはる頃も月のかけ清
報おほかる人に戯れてつかはす
かけまもり肌身はなさぬしるし毒うははひ給ふに手観音
とておむかひこそほしけれといふ老女に
一おむかひが来たらなほしてやるかよし世に線香のあしん限は
三月七日赤良大人の母公の六十賀によみて
遣しける
としふれは松さへ杖をつくも髪七九六十三月七日
亀屋敷翰刺髪すときゝて
黒髪のたけなる松のさかやきをそらは千年亀や晩年
一世一度の名こり狂言すとて
身のほどをかへり三升のえひなれは腰をかゞめてひげ逃るなり
うへつかたならは紅うら召ころにわれはぬさけりそみうら衣装
をしまるゝ時ちりてこそ世の中の花も花なれ鼻か鼻なれ
女子のもとへ遣しける文の末に
よめやうとおもひなからも筆くせにかなつけてやる親心哉
都座をつとむる俳優の人〳〵予かかくれ家
をとひきたりける時
一隅田川ありやなしやのわび住居都の人にあふもはつかし
俳優をやめて後よめる
頬紅粉のつけもの掛は我顔の白うるりてはかく
狂哥堂のあるし人あまたつれたち来りて
しはらくのせりふといふ物書てよとおの〳〵
こひけるに
一枚はかんにん五粒相伝のせりふをかさの素袍大太刀
酒をやむるとて
三升に酒をゆへりて是よりはさるが餅なる名をやたてちん
はくはたくなといふ詞ばわさをきの道により
ゆゝしくいむことなから
世のわさをのかれいる身のはらこなしはくもはたくも苦にならぬ也
煎餅に寄て思ふこゝろをよめら
煎餅とおなし心のゝしと也のこあまい産れの身をやくしやとは
一三尺庵にて日蓮のかきたまひしまんたしを
をがみて此頃ちがひなひのまんなかといふ事はやりければ
ありかたき高祖日蓮聖人の自筆にちかひないのまんたち
ある人予か祖父栢筵のかきし一軸を持きたりて
正筆ならはきはめ書をせよといひけれは
市川に流れて来たるもゝとせのむかし〳〵の祖父かみつくき
狂歌集
終
白猿発句集四季混雑次第不図
え日やこの曙はさあいくら
あなうまし雑煮のはしの二程
七軒や口ほとは手のまはりかね
とそ酒やきり長桐の生えより
一万歳はきつゝなしみのせせ太夫
万歳や観世太夫にはゝからす
世をのかれて牛島といへる所に
すみかもとめたる事
たることをしるもよこしも若菜哉
氷きへて風新柳のけつりかけ
予か大おは余色の句に似申候
しかしんを梅のつあひ哉といへるあり
これにもとつきて
梅を申上候はしを折かな
松露ほり茯苓ほりの玄孫哉
出かはりや世に人おにはなきわかれ
えひ蔵も花見の坐ては七左衛門
鶏角力晴天桃花のせちえかな
医亭焉馬ぬし笑話の初会すと
きゝて申遣しける
いくちよも葉なしにしけれ梅の花
鞦剣はかたい国にもよらぬかな
品川の御寺を開帳有ける時紙にて
大仏の像をつくりて人に見せけれは
天佛の出来あひも有江戸の春
榧は玉木やはりかち栗はいつみやより
熨斗は団十郎よりもしたひてくひつみ
の台をいとなみめてたき春をむかへて
衣食住の子三人あり鼻の春
あるしなしとて春なわすれそ
御亭主は御慶のるすか梅の花
牛島へ引籠しとしの春
うくひすとの御しる人になりませう
五十の年玉ほこのみち芝と云ことを
宝引や結んて捨る老の縄
古人坂東彦三郎はわれと同年なりしか
かれかうゑ置ける山吹の花咲けれは
頓阿法師のしゑ置てし桜をみて
見るたひに袖こそぬるれさ九らはな
なみたのたねもうゑやおきけんと芦
運法師かよみたるなとおもひいてゝ
山吹のうつりゆくよや袖の露
猿ひきよさるほとの子を持なから
かひのやなにかしのふすまに路考か
ゑかきたる馬のかたあるを見て
管仲か腰弁当や花の雪
めしつかひたる男女のみそうことして
ありしかもろともに出ゆくを見て
あさつきをむすひそめたるいもせ哉
蝶になるはたらきもなし油挺
卯の花に此頃宿の来くろし
門人啼雀にしめす
あれにさへ上に下手ありせみの声
とへかしな。樹しのにほひに蝉のこゑ
矢の根五郎の絵の契
孝は百行ノ基万善ノ源也
万善のみなもとふかし五月雨
甲府本了院の誹諧の席にて
のりの鮓出けれは
みてらとて菩薩はかりそのりの鮓
あま酒や夏の部に入る不了簡
民のかまとは
にきはひの余興へ出し故やりかな
甲府の人〳〵予か助六にいてたちし
さまを額に書て七面堂へをさめけれは
へたの色も江戸紫や初茄子
初松魚釈迦より先へ生れけり
是も又七騎そろふや。はつ松魚
みつ。またを舟にてゆくに。大谷十町か
のりたる船と行こかひけれは
すゝみ船是もおなしく役者哉
葛水や老子孔子も舌つゝ美
くす水の配りたらぬをうらみ哉
商山の四皓の絵に
せや冷し先生二人公二人
文月や一葉を風のちらしかき
質くさの花も咲けりかし小袖
秋の空にかはらぬ星のいもせかな
七日雨ふりけれは
七夕や金生水のくされ縁
おはすての姥も念仏や盆の月
破れたる扇の野にすてあるをみた
王子へまうて侍りて
甲府より帰りて後ともなへる友
とちのもとへいひやりける
秋風のふくにつけても要〳〵
烟や日帰りなから物あはれ
声を出て侘しや籠のきり〳〵す
先祖の高名は我及ふ所にあらす
和哥によむは汝にあらすきり〳〵す
ねゝは寒しねるにはをしき夜寒哉
子路か負米も豊年のみつきなかへし
にしきする中に恥さる案山子かな
堺町の南側なるおくまりたる所に
住けるに隣家にあそへる人の燗台
たゝきてかしましくさわきのゝしる
を聞て
よし町のあなかま〳〵やけふの月
名月やはなし雀に夜はまくり
親もあり子もありなから鳴子引
稲荷山
茸かりやあつま男に京女郎
夕暮のむしろに残るあつさび
蕣や細工貧乏人たから
みのほとの秋は来にけり庭の露
うてたてせし男の老て心よわり
けんすみそめにさまかへたるをみて
かくなれはかれもあはれよ九月の蚊
たまたなの牛
鶏頭に茄子のかたな用ひんや
蓮の飯是もほさつのうてなかな
草の戸や露のいのちのおき所
いつれのおほん時にか秋草あまた
うゑ給ふける中に
やことなききはにはあらぬか女郎花
ほの〳〵とやみにもあかし柿のもと
いろ〳〵にゐてかしこまる寒さかな
一賊柳はしめて江戸へ下りて
ありかたや江戸絵の数に冬桂と
いひおこしける返事に
かほみせやとかくあらしはあてるもの
うせをると気かせき候や毎年母とし
門之助か墓にまうてゝ
いせえひのかたうてもけて手これぬ
壁こしに物いひかはすしくき一かな
十月やうへのに遊ふ女形
十月や戸塚の台の宗兵衛
素袍大太刀を忰にゆつりて
しはらくの世をのかれけり冬籠
おとなしい人に徳ありぬくめ鳥
なこり狂言の時門人寅蔵に出て
つかはしける
落葉するあとに秀よみねの松
かほみせや素袍水撃三千里
白猿と改名せし時
毛の三筋上手に足らす蓑寒し
孫をみやりて
金次郎こゝてあそへよ冬こもり
初雪や淀屋か障子おもひやる
らゑのある傾城淋し年の暮
貧
けふは人のもちつき唄や杵の青
福
大晦日時に花蠡なきにしも
歌のまそみち
みちのくへこかねもとめにまりてける
時白河さかひの明神の茶みせに
手枕してやすらひけるにあるしの
老女かこれまくらにときぬたの槌と
いふものをあたへけれは
けふこゝにきぬたまくらや秋の風
のういん法師のふることもおもひ
出られつゝみちをいそくこゝにてたま
たはこといふものをもとめて
世わたりやうきみに露の玉たはこ
四の時雨
世にふるもさしにしくれのやとりかな宗祇
世にふるもさらに宗祇のやとり哉はせを
よにふるもさらにはせをのやとり哉破笠
身のほとのしくれいとふや破笠白猿
文月の頃卿の島にゆくとて六郷と
いへる所にいこひて
是もまた茶めしに汗のほとひにけり
五十七になりける除夜
としの豆はらふくるゝわさと成にけり
八王子にてある人
景清と頭巾引あふ夜寒かな
と申ざれけれは
このくにとしもおなし武蔵野
四方和養子より
萍やふちにしつみし鯉のへら
と聞へけれは
はねて見せたる君かうらはら
したしうせる茶莚ぬし市中の
風はけしきをいとひてふりはへ
尋来りけるとき
武蔵野におき所なき露の身を
としめされけれは
しはしはむすへ艸の五百騎
白猿葭句集
終
白猿ひとりこと
このふみかくともなしにいつしか二巻斗
になりにたるを人にみすへき物にもあら
ねはふかくとりかくし置けるをいつのひまに
なにものかもちゆきけん行かたしらす
なくなりにたり今さら思ひいてつゝ書
つゞけんもはつらはしけれはそのまゝうち
おきぬるにこの頃ふらきほうくの中より
三ひら五ひらはかりとり出たるをこれ
をもすつへきにあらすとある人のしひて
此書の附録とはなしぬ
すゝめ給へるにまかせてをこかましけれと
○人のかりゆきけるにさらしの内にわかさとち
あまたつとひて酒くみかはしつゝどよみ興
してむつれあひゑつほにいりてあざれさ
さきゐたりやつかりつと入ぬれはいたくおと
ろきたるさまして俄にひざなほしえりつく
ろひまめたちたるものいひしらねまとひしつゝ
けうとけにそみへしいかてきにけるよとはし
たなきこゝちせられてとみにいとま申て帰り
ぬかゝるにつけても老はくらしき物とこそ
おもひつゝけられしか
○をりふしのうつりかはるにつけて小袖なん
とのま色さへむらさきのはやり行時にはくれ
なゐもおとしめがちにふぢいろの時めく頃には
もえきは古代なりなとおもふこそおろかな
れこれらはたゞをりにふれ時につけてうへり
かはりゆくかりそめことなるをしひてときに
おくれじとのこゝろつかひこそむづかしけれ
○その分限のほと〳〵をもしらて誰殿かれ殿
あるは何がし丈なとよびて声うちゆがめ
まきこゐするどく髭にくさげにほこ
らしきはおのれか身のいやしきをもしらぬ
をご人のふるまひにそ有けらし
○正直は一旦のえこにあらすといへとも終には
日月の隣を蒙らずとこゝろえたらん書
物事にたがふことはあらじかし
○ある者昼のみ来りて夜はとく帰りてまた
来ることなけれはやかて其名をわみとつけ
けり三輪をさかしまによひたるなり
○瀬井何かしある盲人の為ねふりするをみて
たはむれて法師は常に眼をねふりをる物
からなにとてかくいきたなきそといひけれは
盲人こたへてまなこ見へすとて眠らぬ物には
はらめる女のものくはて有なんやといひしは
頓智の返答なりき
○卯月の末つかた田中といふ所にて蛙合
戦といふものを見たり田の面に蛙あまた
あつまりて飛ちかひくひあふさましてこゑ
かまひすし里人のいへるは是は蛙のめをが
時をえてとつぐなるを何ものか合戦すとは
いひ出しけんとかたりきことわりさもある
へくおもはる
○武州金沢の能見堂は唐の西湖に似かよひ
たりとて某の宰相の君あつく賞美したま
へるよし堂を守る随岸坊物かたりせり
予おもふに此堂の名いにしへは能化堂とや
よひけむ地蔵院と号して堂のかたはらに
寒海の作の大石の地蔵尊安置まし
ませはなりのうけん堂とは後の人の樽な
まりてよひけんかひろまりたるならすや
○岸に遊ふ蛍はいさりの舟かとしほらし
きり〳〵頃の腸の細きは夏痩のまだなほら
ぬにや蝸牛のおのか舎を引ありくは貴なか
みやひをしたゝひぬるるまたみのむしの引つく
ろひしもみちはは錦をかさる古巣ならめ
といとをかし
○鳥居清信といへる絵師の祖父柏筵はつめ
を遠磨のかたにゑかきたるを人の持来りて
これに物かきてよといひけるに
如何祖父西来意庭前栢莚十
市川五祖はらの白猿書とかゝてつかはしぬ
○八月の頃子にはの人堺屋なかし予か祖父
の自筆の扇をみせらる其句に
冬山やのほりてみれはいろはにほ
と知るしあり此扇のうらに物かけとかそまいふ
ちりぬるを樹ゝのてからやか山のり
○あたしのゝ寄きゆる時なくとりへ女のけふり
立さしてのみすみはつるならひならはいかに
物の哀もなからんいのちなかきものをみるに
人はかりひさしきはなしとつれ〳〵草には
見へたれと雇は千年亀は万年といふを
思へは人よりもつるかめこそ齢まさりたれ
これ兼好がいつはりをかきしか左はらひが
うそつきしかいまた考へす
○めしつかふをのこのひるけくらふを一間にきゝ
ゐたるにひとりかいふやうすへて人間一生の
食物は天よりうけえて生るゝなれは大食す
れははやく其分量をくらひつくす故に
命みしかしつゝしむへしと云時にまた独か
いへるはいなさにはあらし命は食にありといへ
に大食してくらすこそ本意なれとかたみに
ふゝそひあへりこれなむつれ〳〵草に月
と露を哀れと論せしよりもいまひときは
まさりてみやひたるあらそひなり
○はせを翁の句に猿はしや蝶も有ける色ひ
上といへるあり此句なかにも感ことにふかし
虚をもにて実情を感せしむること凡人のわざ
ならず傾城にくらへたしむには高尾うす雲か
肩をやならふへけん
上にたつへしわさをきにとりては我祖父と
○雪中庵のぬしとやつかりとをわけて判を
こひたる誹諧の百負いつれもぬきいだし
たるゆたかはずてありしその句のまへの句
あかしできくも須磨の入相とありしに
ひだるさは主上をはしめ奉りとつけたり
これをぬきかきしてをはりに俳諧の士大
将悪筆兵衛景清とたはむれて書おくりぬ
〇春の頃人あつまりてされるよみけるにまづ
頭をこそとて子日とかきて壁におしけるを
日の字すこしく大きにかきたるを見そん
じてあるゐなか人の不審なるおもちし
てこはかしこくもはゞかり有題のさまにて
侍り子日といふ題にこそいかなる大学の衆
の書ていたし給ひけん是をよみかなへんには
論語にやよらまし中庸よりやとりいて
ましさえなきわれらが及ふへきにあらす
とてかしらうちふりて出ゆきけるうしろ其
一人どよみわらひあへりしとなら
白猿ひとりこと終
寛政丁巳春三月
十日亭両守家書
市川白猿者以俳優世其家凡梨園
子弟。不言生且丑浄無出於白猿之
右者。於其抄戯之妙也。世人所知。今
不贅焉性寡欲愛間静好倡誹諧狂
歌身居戯場之中。心在山水之間毎
有暇則諷花詠月造意之奇措辞之
妙無愧于世一ニ實ニ。實ニ足驚レ人矣。予移二テ居テ田
間七換星霜不見生亦久矣頃日邂
幼名幸蔵。長ノ称二幸四郎後稱一市川團
十郎晩稱二スルヿ。白猿ハ其表徳也丁巳
夏四月五老山人題于六株園
5五23
上野東叡山下
蔦屋重三郎
伊勢屋吉蔵求板