鄙通辭

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棹歌亭眞楫
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2026-08-17T19:23:18.403Z
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2026-08-17T19:23:18.403Z
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場所: 江戸
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棹歌亭眞楫
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日本語
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松本屋新八
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イナカツウジ
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東北大学
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2026-08-28T18:53:25.651810+00:00
愚万 都通解 方言 下愚 鄙通辞叙 荒井恭姫氏の 方言 一以テ購入セル第十一 唐土に父母と称するを本朝に父母と唱ふこれ 矢下の通称也されど其国により其地によりて 或は訛り又は鼻にかゝり其詞の長短漏濁 假名譴訛あるは其国の風俗にして原来言 ならわせる里言あり或はをのれと言誤れる 俗言あり或は其音腹中より出るあり唇 より出るあり是所謂地声上吟也腹中 より出るは其言重く唇より出るは其言軽 しまた清濁は等しきが中にもかたき有 和らぐ有疾あり鈍きありあるは言癖 あるは音譴あれどそは尽分解に遑非す 惟其大意難波の芦と伊勢の浜萩 といゝるたぐひものゝ名さへ同じからざる より其言の禁はひとしく聞えて其意 異なるの類をのすされど紀原下愚の 方言雑談をきくがまゝにしるすものから 十が七八は鄙俗の里言にして適古言に あたるは十小一二を過べからず此書に説 ところの方言例を是とし何を非なり といふにあらず惟国により地方によりて 里言の譴あるをそがまゝに記して仮令ば 関西にて爺壌と喚るを関東にて多煌 と言日よりして東西の邉鄙にいたりては 釜婢と唱ふるあれば箭聾と呼里あり 釜蛇といゝる国あれば蒼媽とおぼゆる地 あり近世幼稚に対して父あるは母なと いゝならわすのたぐひこれ其言は異に して其意一なりされば爺父母人と呼に 親父御袋といゝるも何ぞ異ならんその 言の禁同して其意ことなるものは 土方にて泥坊とよぶは関東の放 蕩人にて関東にて泥坊と呼は幾内辺の盗人也 伊勢路にて仕事師と呼は東国の盗賊なり 東都にて保傭といふを伊勢にては黒鍬と言 備前辺にて仕事師といゝるは東国の博徒と云 に同じ又肥前の五島辺にては兄をして舎兄と いゝ姉をして姉と言ひ奥陸中村領辺にては 兄を兄公といゝ母を母公といふとしかあれど 里言俗語は中人以下の雑談にして其国 其地尽との詞を言とにはあらず親子兄弟 すら言語一なることあたわず況也一国といふも 広輪に蟠て数里を隔るを也其言等しき こと有べからず同し奥州の中にても常陸界は 妻をして御方と呼或は女房と唱へ津軽辺 にては女房と呼と余国も是に推し給へと云爾 ものは 棹歌亭主人真楫 十二日 凡例 一此書は本文に諸国の方言を顕し傍に 一真字或は片仮名をもて其意を註釈すへ 一方言は紀原勧俗の里言俗語を宗として 一挙るが故に出所慥なるを撰に遑あらず 其雑俗を正するにいたりては心海の中 異なること有べからず 一諸国の里言を私に当て相通するあり こは五音の相通に拘らず惟其意の等 しきを相通とす 一諸国言の葉の本末に付仮名は其国 其地によりて大かたは癖あるもの也 一関西にて言葉の末にさかいといゝるは関東 のからに通ず・じやはだ。なは。ねに通す さうじやさかい さうだから 仮令 或は それでな 一の類也浪花にて それてね なよしといへるも東都のねに通ずそれでなき それでなも の類也都でふとついとしなどもへず翁は さいて 又さいてのたぐひ也詞のとまりは東海道の 中にても関より西は大かたづと留るが中も 一駿遠などはづ三州辺はづひ尾井辺はづや と留る背し両総房辺はなととまり又は ちうと留るあり当奥辺はさと留り奥羽 にいたりてちやアととめ北陸道の辺もさと雷 又ちうあり山陽道のうちも三備たたり て遣いと雷り播州辺はよと止め丹州など はやと為り四国の伊予辺はけにと留る 一類余は尽挙るに遑あらず 訣をよく 晴遊亭 聞ば 噺の あふむ石 みやこやひなと 譴る こと 茶 も ほうらいや亀右衛門 たづね来て 宿をかり寝の 夢を喰ふ ばゝ ばゝらふ町に つどふ 旅人 人 悼歌亭 真楫 秋葉山 月参 下谷玉香弐郎 月参上昇加賀 大山 森田橘橋中中二百番 あら そひも 酒に なり ては さしみ まて おなじ みに なる 跡の 上 なし かし さ 陰陽舎 山辺古人 } くだを まき へそを よる のよ 鯛 ことば 高調 子 にて 勝松山直 おれ はた ごや しまましわつき 清風亭 いさ子 朝もよひきの まよひ 嗽する けり 水は どちら の ほう らい 也 にて 勘勘亭 跡人一 欠S 下愚 一部通辞上 東都 棹歌亭真楫著 酒楼の酒陶ならで石に漱ぎ筏乗の昼寝 ならで流に枕するを旅行の風流とするは とんだ茶釜に毛唐人の珍文漢文にして 何か分らぬ言葉の多き飯店の二階に仮寝 の夢を喰ふなる獏樓街の木戸口を入るは 播州高砂辺より江戸けんぶつながらやしきの用をかねて下りたる天 つれ一人は四十くらい村おさなるべくをり色もめんの丸かつばこらは とふゆにしてせいうともに用らりかん也 これにてほかのせうぞくはわからず 揚やれ〳〵雨後で道 跡の一人は十八九ともをかねて のえどけんぶつふろしき が忽滑さかいゑらふ草臥をつた ヌカルカラ つゝみをかた にかける 〽「一なんじやしもう飯店へ来よつたさかいどな はたごやの男 よにくたびりやうとだんないわいの声にける。 もしく おめへさんがたアおとまんなせへませんか図宿るは とまるのなれどやあすうせいでは宿んわへ詞なんだ おめへがたア安いの高いのと言なさらずとはたご は御定りだるにじよさいもなくて。扨なんぞいわし どもは播磨じやさかい梅のきのぢよさいには遠はなへぞよ シテアなんぼぞいの□何程でもいゝ様に置なさるが と笑ながらみせ さきへこしをかけ いゝわな□そんならなんぼでもだんないかいも ると松五郎たらいにゆをとりて ●これ〳〵その烟管烟草入 いだす女きたりてつゝみをはこぶ をばおいてくだんせたばこが好じやさかいとつとまふ ちやアツともはなしともなへわい女圖これは大きにわたくし と笑ながら がわるふござへました ゆく 供ごくぼふめが とこごゑて笑 ながらいふ 〽獨これわしが脚餅と翳かけをこゝに 置さかいいつしよにしまふてくだんせよりはいくわし がしまいまするさかい捨湯海ておがんせ図そんなら わしやもふ二階へいぬるぞよ一囲はい〳〵かゝる折 奥州つがる辺の道行いづれもちくさ から一組の旅客は ばめもゑぎこらまんぢうほどのもんつ きく聞これさめんながこゝらさ宿るがよかんべい これも一人はとし頃にてつ 人はわかきおとこ也 君うらアなんでもゑゝ 加五郎笑 めらすのある所へとまるべいと思ふ姫 もレ〳〵 ながら いゝめらすがあるからおとまんなせへツ岡々どら 娘があるなら見せたがゑくは すとアなんのこつたに手袋のことかね囲おもふ だんべいと思つたアなにしるものかめらすとア娘の ことさ 松五郎まだしかとはわからね共 女のことならんと思ひ こう〳〵お梅どんく いゝながらかんざしで 掴アイなんだへと あの女こが御宿 まへがみをかき〳〵くる なせへとさツ固ムゝそんだらとまるべいがあれアはア 娘だアなへあつぱあだるな図ヲヤいやよあつ ばアとアおゝしのことだよ〽おめへそりやア どふしてしつて居なさる図アお飯なきの五九郎 どんが子唖の乞食がきたらね可愛さうにあつ はアだといゝやしき図あの男ア江戸在のもの じやアねへかへ梅アイこゝから四里ばかりさき だといゝやすが言葉はよつほどちげへやす閻笑 そんならおめへがぶにんさうだからてもなく唖と 見立られたもんだはアネチなどれそんなら口を 利やせうさあ〳〵おとまりなら御行李を とれいのごとく はこびやせう 二かいへはこぶ あしをあらい二かい 陣 たらア あがりながら たしか君はじぶんこゝへとまつたんべつけへ衆を タロウ ゑもん たしか蓬莱屋だんべいにもさい 亭主はうらいやかめ 〽イさやうでござりますそれはおなじみでよふ こそ月うらもむかしは馬口労をやつて此地の 馬市へもきたアものさもうやアツとなるから このうちよをわしれ申た亭をそんならあなた 南部辺でござへませう津いんにや津軽だけが 南部駒もいがへことてゝきたものさそんだから 馬市の御法度よめんとのしつているアさ第いち けんくわが御停止か馬のたりのひは安馬たり どこの町のほりでアならずな又馬喰丁でア とづによりはなし 馬に蹴られてもその人の損なし かゝるを亭主の あとの客あらやま ゆへはづして そりやアあなたはおくわしいもの でござへますのちほど御噺にあがりませうとなく おく へはいるおりから 八ツ夕 二かいにててそうつけ 〽バツタ〳〵といたながらだんばらだんばらだんばらだんばらだんばらだんばらだんばらだんばらご んくとかけあがり 甲州の商人 おほなさへましたはどちらでござへますへは 手にてまねぎ おこれ〳〵こつらだ〳〵□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□ 甲いやわしやア厠へいきたいがどちらかしれぬ と首をひねり ゆへ御きゝ申たい梅はイで てかんがへ 草屋へ御出る さへますとかへ甲アイそふでいす□コウうわやへは 馬具の御国なら大門通がよふごぜへますとさ それとも御制舛入ならば四日市がいゝと申ことで 甲あきれ ござります はて ヘイヽこの家にやア雪隠はなへ のかへ腹でも瀉ありにやア四日市までやられ立や〳〵 大へんだあはイそれでもこの町に革るいをたります 所はおぼへませんがちよつと聞てまいりませうと立 甲しら 引とめ なにおまへその革細工やじやアないでへす 大便所へいさでへと申ことさ物をや〳〵そんなら 雪隠のことかへその階子を下りて左りの方 と皃をありたして幾しかへるに入ちがふてに でござへますと つゝみをもつてくるはやどのむすめおたげ をやけしならねへいつそ顔が真赤だよ梅ヲ也 御客かへ阿紫とんだいゝ男だよ牡若が権八 といふものさはやくいつてごらんよしか虚言だよ 梅の玉わたくしア。曙山でなくつちやァにはゝをあら とおたけをよべ 〽甲おこれ〳〵びいぢやう〳〵 おこれ〳〵い ともきがつかず とまねがれてお行 おかしさをとらへて行 〽〽アれびいぢやう今のあんねへは こゝのおなかゐさんかへ聞いゝゑありアなかとは 申やせん梅と申ます匣[シ]や名をきくのでアなへ でいすァこゝの亭主のつれあひかといふことよ いゝすてうけ 匠ヲヤおかしい子へそふじやアござへませんよとおもゟおり からはぜんのむすこはらごをとんしと云大王ホイ 〽竹ごめんあそ いそいであがるひやうしにはたとつきあたりお竹 ばせ「スコこれはしたりおめへどこぞ痛やしなん だる竹イおわたくしはよふござへますがあなたどふ ぞなさへませんか「「ユイヱどふぞしねへのが残 とあがる一たいこの むすこは江戸生 なれどつかひすごしてかんどふされ今下総の左原にゐて 風雑となもりやつぱりひたちのいたこへかよふゆへに つまらずしのんでこゝにきたるはおふくろへ手をまわして 一しのぎつけやうといふつもりにて両ごくからつれのおやう をためんで状をおくりじぶんは さきへ宿をとりてまつやくそゝ也 物 ちやをもつ てきて あなたはやはり江戸 のうちでござへませうね〽〽鐘イヱどふして どちらへ円下総国イヱしもふさではござへませんおこ とばこしれます図正直はひたちさ図千をのこと 虚言でござへます常陸のあかたも宿て御出な さへますが言葉が鼻にかゝりへすもの国ツリヤ おめへひたちだつて奥州だつて所によるがに おいらア潮来だから下総の界だもの国そん ならまあそれにしてあのいたことは傾城しゆ のある所かへ風もちろんさ樋そんならうそかほ と茶だいをつえに んかおきゝ申ことがござへます入 つきすわる所を下から こづまをとり 音のせぬ松 お梅や〳〵団鉄たりをやどふせうねして知 せりばン おむめを 卅八 るをみ ゆびさして アンイヂクセウが下から呼れおつて ちつちまいせるわいあのわろとちかづき女房 かしらん〽様ないやらしらぬがあのわろはゑらふ とひそ〳〵はなすとなりさしきから声を 粋人しやぞよ かけるは大坂をかぶつてきたわかいもの 大 もしおまへがたも上方てごありませうなもし 掴はい〳〵わし共は播州でござりますがおまへには どこぞいの大わたしは浪花でごありますが さきほどよりおものごしをよふきいており ますればなすいほうしやことのごぐどふじや のといわんすさかいとんとまふなつかしうおぼへ ましてつひ御無礼を申ましたわへ図おまへには 浪花じやといわんすがとつと京談があるわへ これはゑらいものじやさやうにせいらゝにあふては いふてきかさんならぬわへよふきいてくだんせと也 とまふおまへがたをたらす気じやこんせんわへ わしや生れが断じやわへそれてなもし大坂 奉公にいんでおりましたわへそれでなもし おまへどろばうどもに昵がでげてなもし北の 新地へ空過につれていなれて一度いき二度いき いくにしたがふて面白なつてなもしよふ辛抱が ならいでいてこましたほどにつひ泊人に打こんどな おしいやまふ主人がぼやきくさらふとはゝじや人が 異見せうとなんのいのよふこらやうぞいたほどに〳〵 いつしゆるかよいつめたほどに金うる所もなふな つて婦人の衣裳をかるやらなんじややらやくなく たいじくわへ闇いやもふあの道ばかりはだんじ也 といめてむさんこをしせるものじやわいのわかいて りにどろぼうしてみにややくたへじやわへ大 それでなもしきびしうせいらくにあふたさかい どろばうしたことがあらわれてなァ居られぬ さかいつひかけおちをしてこましてなもし ぶらんさんで下りましたさかいこれからはもふ もふろくせうとまゝじやわいな猛なんのへのお まへだんないわへのわしじやとてわかいおりにや はなしにのりがきてうちやうてんと 大どろぼうじやわへなと也 なりこと一たいたびさきにて はなしのあふほどうれしきものなくわれをわすれてみなし あふことよのつね也しかるにこのとなりざしきにとまりには せたるはひたちのおふしうさかいの一くみにてさいぜんのつがらむんと よものものかたりしてありけきがたがひにめとめみあわせ めんくのにもつひきよせこしめまわりを さぐりひざたてなをし 〽箪モ三おまへさんがた 阿奴が話説ことをおきゝなすつたかこんにやア わるい宿へと申りましたわへ囲さればさあの わかぜアにしがどろぼうしたことをてがらさふに ぶちまけるがめんなが行李をだいずにしるが ゑしう〽〽ちらァこゝへきまあせずから阿奴ア はぐたもんだとみたがおどげたごどたちかいは しなへどろばうだアなァにかまふごたアごつせん どろぼうの居る宿へとまらずともほかへいぐが よふごすア聞さうぞども〳〵あのわかぜはなつき で人せみるから一くせあんべいと思つたアがいや づわれなへもへだうじアなんでもこんだ衆とひとつ 国もおんなじこつたからこんだしゆしだいだア 一闕すんだら東の旦那こゝの亭主をよんべいか な常さうさにへ津軽の方囲アイフこゝの亭主 とみな一所に にパツタヽ「イヽとかけ をよばァるがゑゝ 手をうつ 当いや女中はあいてにならぬ御亭主をださつ しやいあきもをなんぞ御気にさわりましたかへ さきほどわたくしが申き事でもおみゝにさ わりましたらごめんあそばせ闘はんにやゝ さらたァことだアなへ別の用だァ〳〵〽あは とへんな魚と してはしごを下る はかけをりこのよしをつぐる 四十四早〳〵〳〵 こといしめはうらいやかめゑもん なんぞてめへたちやア言葉でもわらいやしねへ かひたちの衆は正直なかわりにやア気が はやいからゆだんはならぬと階子を上る跡に お梅は風雅と鼻にかゝる癖をはなしたこと あれば胸にきつくりこたへて大きに苦労に なりなんでも松五郎をたのんでいゝくるめてもら 二かいにては立たりゐたり帯 わんと勝手へゆく しめ棗ぜにいれをめい〳〵にはさみ 大さわぎ にて ○画さてな亭主がおそへわへツ図まア とぶつ〳〵いつて いちどよび申べいか ゐる所へていしゆ 亀 しるぶき しながら あがこれは〳〵皆様ぶにんゆへに御かまへ申ません どなたかぞんじませんが私に御用がござへま すさうでござります団こつちでごす〳〵図へば 中ごしに 何御用でござへます なりていふ 図つゝたつて居でア わからなへこんだまづこゝへねまじつふれ牛を ヘイしなんとおつしやります からつしやれすまだへイなんとおつしやりますへ とそばに 一たゝみをゆびの 十四 一さきでつゝき 図さき下をゆびはこらで御意ゑませう図へけすばに 図いやほかのことでアごつせんがこのてやへがこん にやア宿をかへるつもりだから津軽が二人わつ らじが二人だ秦だいはらつて立申から勘定 しておくんなつしより「ヘイヽそりやノなぜでござ ります國なんでもゑゝまあだ飯アくわず それでも訳をおつしめて下さらいでは分り ません雷それア申シせん〳〵□なぜでご ざへますともやアわるいんにやアわるい人に 疵がつく事だおらが宿をかへればすむこと だ亀へ御人に疵がつくとおつしやつてはなんぞ 紛失でもいたしましたかついやさそのふんじつ のせぬうちに宿をとつかへ申さア 亭少し きにかゝり あなた のおつしやることでござりますがかやうに年久 くだい〳〵といたしき招牌をかけて御宿を ヲ蓬莱屋亀右衛門が宅で是までものゝ無 なつたことゝアアござりませぬその訳を承 にやア蓬莱屋の名代がすたりますは とすこし こは高に なりはぼねを くひ〆てゐる 台これ御亭主そふたにはらを たゝなへもんだいふまへと思つたがゆつてき かせべいおまへもせうちかしらなへがこの二階に どろぼうが居るからそれでやだアとゆつた のだ亀アイなにこのわかいにどろぼうがどふ してそりやア□どふしてだアかゐるにやアつ がひはなへ園ヘイヽそれはなんぞ佶としたせうこ でもごらふじましたか?せうこどころか自分 の口から飴をきつときゝ申たちくだとお もはゞ誰にでも聞がよふごすアほんに囲それア はァづほうだアござらなへあゝれに居る若者 がゆつた〳〵松五郎兵衛旦那何事でござへ ますわたくしがめへりやしきからまあ下へ御出 なせへませへだんだ松五郎かこのうちにどろ ばうがゐるとおつしやる松ヘイなにどろぼうへ ときもをつぶすかみがたのむれはさきほど 〽腹ないやらごつ也 よりこのさわぎをきけどもさらに心ゑす 放蕩 〳〵やかましいぞなア〽大さやうさなもしどろぼう などゝつぶやきゐる が人のさわりになりやせんわへとさいぜんよりとなり ざしきにつれのくるをまつてほち〳〵と一ぶしぢうをきく ゐたかふうがはみなまちがひの大さわぎをおかしくおもへ ゐたるがだん〳〵なりてきたるをきのどくにおもへ とんで出るとさきにてふづにゆきたる甲しうも出さたり ふたりともに 風もしまアみなさんしづかにしづかにし 中へはいる なさるがいゝおめいがたのさわぎなさるは皆 まちがへの八幡さまときて居やすで気 とへいき でしやれ かけてそこに すわり 一聞風風風風風関西の衆の話を東国の人がさく とまゝこんなまちげへがごぜへすのさ上方の 衆が敬蕩してつまらねへからかせをちを してきなすつたと話なすつたがありやアに こつちの放蕩といふことで子所のふうだから しかたがねへが又軍東の衆が盗賊と一所はア いやだといゝなさるもむりやアねへわけをしつて とてをこつてきゝと きげば可笑くてならねへも わろふそばから 甲 よふヲそふでいすとも〳〵言葉がかわると大きな 間違が出来るでいすすんでにわしが厠をきける 四日市をおしへたやうなものでいす亀ヘイそ れとア気がつきましなんだ上の御方の御咄 かへそれならとふからさわぎやアいたしまし なんだ関西と関東じやアどふらくとどろぎ このときひたちもつがる のまちぞへはまゝござへますと こぶしをのせてだん もひざのうへに握り まりできいてゐんさ共はわけをしらんさかい 何をごつや〳〵まぜかへし居ると思ふておつ たがこちのどろばうしをつた話だけじや わへこちらじやなにいゝおるかしらんは上方じや 女郎かふたり酒のんだり銭也金をとつ とむさんこにつかひおるものを放蕩といふり ますわへ囲おとれ〳〵おかみのしうそふゆふこと ならみなまちがつちよるわへ関東じやどろばう といふは盗賊のことでいす燐はてなもしそれは れる当フニ土方も関東もいるものかどろばう したといゝばなんでもどろぼうだアべらばうな風 時にみなさんまちげへのさわぎだからこりやア どつちらがわりいともいわれイせん難波の芦も いせのはま萩でに国〳〵所〳〵でこと葉は ちがうもんだからね腹をたつたもたゝせたゝ なくこれからきげんよく国々の咄をして 笑てしまつておくんなせへエア内の衆はかま わずと下へいつて膳のしたくでもしなさるが いゝちつと腹がきたの新地の妨人さわぎだ 太ァ御ゑらい〳〵〳〵団かふわかつてみちやアみなさん なんのへんてつもねへこつたにそれにつき わつちが関南と関東とのいゝくせのしれる 一歌を教へて上やせう とやたてを出し てみなかみにかく さかいからじやはだなもしねはぬるいく どろばうどふらくさ。いるさ。すなり これで大概わかりやす詞のわきに契図を つけてあげやすよくごらんなせへ丸図が土方角図 いちざこれをとりまいて わらいをせうじ があづまさなんとわかりやせうわ ナル御ド○国なるほどこりやアよふごぜへます そんだらどろばうとアどふらくだといふことで ごすよ〽さやうさヱア銭金をつかひすてゝせうばい にせいをださなんだりぬらりくらりするまゝ 事さね□それアおつけなまづがひだアハアヽアヽ 甲おこれ〳〵おかみがたの衆もこれへ御ゆへな旅は 道づれ世は幡じやこう打よりて宿りあわひ も他生の縁じや大さやうさなもし じややらしらんよふ取繕ふてつかはされ ちやつがるの御かたもそれでよいでいせう武部 わつちらア江戸なれねヱもんだからどろばう ときいてさわぎましたがそつちになんの こともなくア手を打ませう御たのん申ます 大わしやなんにもよふいわんさかい宜うたのみま するわいる風さアそれでちよいときまりやし はりま はい〳〵 た上の衆もこゝへお出なせへ葉はい〳〵 ときたりうしろの 〽おこれおまへさんがたア立て かたに立てゐる 居ちよすまぬマアこゝへしよんぢくならつしやれ 梅はいく亭主さアわつさりとひとつお打 と一同年乙 なすつて下さへませと をうつ音 シ尾バタヽ亀やれく なすつて下さへませとやま とふうがと甲しう これで安堵いたしました に礼をのべて 先御膳 がおそなわりましきから只今あげますぞへと 亭主 とみな〳〵風雅と 愛らともに下へおりる かうしらにれいをのべ ●このよな まちがへのあるといふもあづまの方のいゝなん すとふりみな旅なれぬさかいこのよな事じや わへ圃さうでいすとも〳〵みな江戸はじめてと いふもんだァからたがいに言葉がわかりましねへ こゝで酸も辛もぬけめのないトいふたらあなた とふうがに おひとりでいす 向ていふ おひとりでいすと わつちだつてなんにもわかつたことアござへせん 上方の音葉でいゝばやつぱりどろばうさま 一坐どつとアハ〻所へ下からだんばしごとんく しとかけあがるはやどのむすめ 竹三左衛門 の御かたが風雑さんとやら申御かたをたづねて 御かなせへました国ハイそりやアわたしだひろ しま薬鑵の鯨立といふ天窓の親父でご とかほをあかくして ざへませう子図イ玉なに ほゝゑみながら そんなら みながら 御通し申ませうるをり図書:図書:図書:図書:図書:図書: ことがある図ふりなんでごぜへますへ図まだ梗橋 〽いきなさるか□やなぎ橋とわへ団せいこにさ 哥ヲマあなたどふして御ぞんじだへとうへ 十二十二十二十二十二十二十二十二十二十二十二十二十二十二十二 といふはうそじつはおたけが させることがある さくらさうをつけたをみて云 なんでご ざりますとちかく国かの人のことよ〳〵とき〳〵 とはなしがあじになつてくることたび 人なぞアござりません のやどりにてもいろ男のとく也 かゝるとりからだんばしごどだり〳〵とあがるは下総左京 ざいの人にてもとふうがゝせわをしてさわらへおちつかせたる おやぢこんどゑどくよふじありていつしよにきたるがふうがはかん どふのみなればおやもとへゆく事かなわずおふくろへむらん のふみを雨ごくからこのおやぢにたのみて見世のものまで おくりし也おやぢはしごをあがりながら 〽アヽあんでもけふは風雅さんにとんだめに あわされだ夕これがらひとけんくわせなへばな とはらのたつた魚つき らぬ で上るとお竹きもをこぶしにげる ・風やれ〳〵いんきよさんご くろふでござへましたとんだ御ひまがいりま したに困あにおまへといふものもとんだてい とあたりの人 ほうをゆつて人にしやまさせたと にあいさつも なくそばへ さわる 風どふしなすつたへ〽閉どふしたどころ 人にやあしよせ研木にさせてほんにがふがにへて なるもんでアなへ国なぜてござへます〽ます だりてヱア磯吉といふは西川岸ぢうにありは しなへそして西海岸の大福屋といふは質 べじやアなくてやつぱり女郎屋だそれでも こゝへきたくらいだかりせめて名でも聞ふ と思つてきいてみだれば姉妓わきに磯崎 おやぢこんどゑどくよふじありていつしよにきたるがふうがはかん どふのみなればおやもとへゆく事かなわずおふくろへむらん のふみを雨ごくからこのおやぢにたのみて見世のものまで おくりし也おやぢはしごをあがりながら 〽アヽあんでもけふは風雅さんにとんだめに あわされだアこれがらひとけんくわせなへばな らぬ とはらのたつた貌つき で上るとお行きもをこぶしにげる 風やれ〳〵いんきよさんご くろふでござへましたとんだ御ひまがいりま したが困あにおまへといふものもとんだてつ とあたりの人 ほうをゆつて人にしやまさせたと にあいさつも なくそばへ さわる 風どふしなすつたへ閉どふしたどころ 人にやあしよせ研木にさせてほんにがふがにへて なるもんでアなへ国なぜてござへます〽ます だりてエア磯吉といふは西川岸ぢうにありは しなへそして西河岸の大福屋といふは質 べじやアなくてやつぱり女郎屋だそれでも こゝへきたくらいだかりせめて名でも聞ふ と思つてきいてみだれば姉妓わきに磯崎 といふ妓が有ばかり外にア似たア噺もなへ ぞへおまへはそのよふた虚言つきでアあるまへ ふうがは大きに と思つたわへ いぶかしく思い 〽風なぜへ磯吉アどふ ぞしやしなとかへ〽〽どふしたどこかそんな名は 西河岸ぢうにやアなへとゆわれたぞへ団ヘイン いまおめへ女郎やだといゝなすつたがどふせ わつちやア気がすまねへ㊄気が済なへも しら〴〵しい西川岸ぢうに質屋は一軒も なへばへ目どふもおめへの言なさるなアおか しいわへどふか女髭の西川岸の様に聞へ ます。□に〽〽ウヽあんでもおまへのゆわしやつたとふり 大門の通りをいつて横へすこしいぐとすぐ に西川岸さ大概しれたもんだアヽふら ふうがこれは とあきれはて 国すんならおめへよし原のにしがしへいき なすつたか〽︎そふさそして外に大門か有 かへ〽風わつちの申きなア大門じやアござへ せん大門通りき〽〽それだから大門通りをいつ て横へきれ申たア図イヱわつちやア大門通り といつて日本橋へ出なすつたらその横が西 河岸だと申やしな〽〽あんだと日本橋と日野や の二階で日本堤とゆりしやつたぞへそれ大門へ を通りにしがしへまがつて天福屋ときか しやれとゆふもんだがら西川岸中をたつねても ときせるのがんくび にてやみとさみを つゝいて 米風そりやア西河岸違だものないはづき そんたつておまへのいゝやうがわりいまづ見世が 格子づくりで子供の六七人も出て居ます べいがこの磯吉といふものアれふおしよくわきで 訳のわかるやつだから此文わたのむとゆわ とあごをさきへ出して下 しやつたろふがなそれは はをくひしばる 凡 きのとゝ がしそふに わとい ながら さやうしおそれだものだれだつて よし原へいくまへものる国そりやア間違だ からぜひもござへやせんエアおやすみなせへ〽〽ほん にいまへましいでがへみちよとあるづたり人に 嬲れたりこの年になるかこんなめにあつた ことアなへこの長い日かくれかァばか〳〵しいと ぐと〳〵いつて ゐる所へ宿の男 板 五十一 ともしびを みなさまとりこみまして もちきたり 大きに御膳がおそなわりました図まだ あかしがなふてもだん舟へわい〽イヽまふ暗く と下へ ほんにおきの おりる どくでごさへますエアごぜんでもあがれ国にまつて 當もし下総のおぢん。さまそれもこれもすこしの 齟齬からとんだことか出来るもんたアから 御了簡のウなさへ〽ヱアアまちがへだかちあじやう にしますべい腹は立ましなへが老人のあしよ をでかくむだ道をさせだアからたゞがふがにへ ます「」モシわしやないやらしらぬがかんにんのヲ さんせおまへの来よらぬうちもゑらふものが とはなしのなかへ 齟齬をつたわへ ぜんいづる そりやきたぞ みんなの腹は国性爺の幕明ときてゐるぜ咽に とぜんとならべると みな〳〵いそざまどい からでござへますかこりやア大きに てさに ならぶ 団なんでも今夜アミなさんむれとわけず にずづと一所にやらかしやせう大きくとれば 二階の中みな兄弟也だ囲さうでいすとも〳〵 燈火を真中へ出してまんまるになじぶが急ゝでい すは図なんじやし燈火をまんなかへ出しあり と立て灯杖をとつて ませうか かきたて これであかふなりをつた とあとへに ひく 大もし〳〵播磨さんおまへの跟の所に 膳がごありますぞへ囲なんじやしとのごろア せんがなふてちつちまいせるわへ ざにつゝ としやれなら 漫な るほど所かわれば品かわるでごすアわつちらが方 の踵といふを大坂のおかたが跟とゆわつよく て子〽ほうらが図でヲ躍といふてな国ぜんてへ聴 だけれど跟ともいふさうさねしたが東都でも 題といゝやす時にかゝとより願にしやせうとせん みなし飯をくひ 汁をすふ 大こりやおむしがよいさかい御汁ゟ うまへわい今頃はどつこでも豆腐と中板の ざく〳〵がきついほのじや盟なにおまへさんお汁 が中抜だアとおつしやるがわつちらが国でとア ならぬきと申のァ紙絹の草履のことで ごすがねへ大そりやおまへどつこてもへのしたが 上じやア供草履ともいふてなし又今ごろの 菜をばな中抜〳〵とよんな売ますわへゑらふ 生てある中を抜たもんじやさかいアハしわろふ らわろふ アに引風わつちやアこの平がいゝあんべいだはん へんにみつ葉ときちやア喰るとつさ子図もし たゞ今半平やらないやら人の名のやうにいわ 鮫 しやんしたるとりやのそふかのすり共にみつ茶 じやごんせんかへこゝじやな商人がみつ葉芹 〳〵いゝをるさかいみつ葉とせりかとみおり ますればたゞみつ案ばかりへのみつ葉とせりとは 品がちがふておるがどゆもんしやへ風さやうさに とわらつて雷王シ上方じやこれをのそふると申かへ なわつちらがはうでアさがばうのすりみと喰 鮫 ましたが○うらが国のさがじこれだアてめんな 名がわじかづくつがふなもさなんでもめそが 能から格別みしがむまいあればおしい事に 椀が新椀だアから濃くさいなもさ風なる ほど椀を御器といふは古言たさうさに図わし どもの国でもとなやうにいゝおりますわへ〽囲おこ れおまへさんがたア酒はどふでいすな雷さう やらしきげん さわつちもきがごすて困窮 なるほど をなとし 無言て聞てゐると言葉の違がでが心こか だわしがきく違もありそふなこどた酒と 聞ては吃がぐびくしてきましき小堀の生 笑に 諸白とかたい国幾におぢいさんそりやア下総 ばかりの晒落で他国の御方にやア通りやせん ぞへアハヽ困ムゝほんにうちに居た気ごとんだ ことをゆつたいやわしらが国まありじやア左兵 の伊能じやの小堀じやのといつちやアで大かい 造り酒屋がござるからさ圃いやわしか国の 鳴海屋などもいがいものでいす井筒ばかりも 十三回もあるでいすべい因なんぼいふてもそりやア 浪花じやわへまづ鴻の池なもし鹿島屋 じやことのかぞへられんはへ園にアそりやアとふで もまゝの紅葉いろに出るやつをだれのかれの と言ずと宵の中通りにわつちが買やせう 腹そふじやわるいさかい出銅にさんせ でごすとも〳〵さうなくては呑にくふごす第図 そんならどふでもいゝなんぞ肴を見はしろつ と下へをりて てもつて来てくんな図はい けふは 又きたり なんにもごさへませんから肴はとりに遣しませう かねとふぞなんでも内にあるもので早くして くれたがゑゝ圖ヲゝこれからわきへいふてやりおる あいだ飯くわいでまつて居られうかへあはい 真黒がこざへますばかりさ子帝それがゑい〳〵 国そんならそれとつくらせてくんな図もし〳〵 まぐろとはなんぞいの下おまへ真黒のらしら なへかへ㊃おこれ〳〵播磨さん蛸のことじや わる国はアヽわしやないやらと思ひおつた春へ 松五郎おむめ酒 さかな持いづる 〽コウ魚はあたらしいかへ取へけふ の生て居ます。君あの人もづはうつきだなふ こふたに切たものが生てゐべいはぐアござ へハイこれはと 与へ閻 笑くをりる 一編それ下総やらのおぢいさん おまへとしかさじやさかいはじめさんて下まづく 里なるほどとしうへだからおまへさんからがゑく でいすそれから須にのぼせるがゑいのさ図 わきをむいて おほみきあまたゝび。ぞんながれて 幡ずんながれるとはなんじやし図イヽなにこりやァ 源氏のことばさ子団なにいわんす源氏と 平家と言葉がちがいおりますかへわし どもの図まわりの一の谷といふはおまへ源氏 と平家の山がわかつて公であろと水じやろと 白いと赤がとつとわかりおりますが言葉の わかつておることはしらんわへ国幾分なにさ源 氏ものがたりのことばで子順盃といふこと さに〽脇はアヽはんなら平家物語にはどなやらし らんわへ〽〽アのがたりにやアさればその のちとゝにまたでいふはてひよんな言葉だア なもさたらにやアわからなへが虚言だア与へ このうち盃はしもふさりはじまりだん〳〵にいふ ツ器うらア かへ つぎへじゆへにまわる 縄よりみしを恨申こんだしゆは徳のりのまつ とさかつきをとらせ しやれそれでもづんぱいだ ばんしうへまわる □は とうけて一口 々これは にこれは冬者をくひなんじやしこりや真黒く いゝおるさかいなんじや雲と思ふていたら国のはつ じやわへ大わしもさやうみてじやはつのつくりみに 蓬莱の青みはきついもんじや○さやう〳〵 わし共のはうでも年中菜とも蓬莱とも いゝおりますが関東じやなゝといゝおりますか閻わつ ちらがはうでア不断草とゆいますに鬨そして 唐蓮菜ともいふが江戸でアなんと申か図こゝ じやアやつぱり蓮菜といゝやす 猪口につかふた間引胡蘿蔔がゑらふすき じやわへ園この葉にんじんのことかへそんなら おめへととりけへやせうわつちやアはだ菜大根 のしんづけが妙に藁わしやそなものはもつてあらん 香ノモノ わへ風土その霧のものゝことさ塩そんならお まへ尾張大こんじやがなさあし。せうにあがん〳〵 とふうがゝぜんの うつかせてやる大はてるまし浪蔵じやみやのまへ 大根と申ますわへ躍さやうじやげにきゝおり ましきわしやこのまびきにんじんじせことのむじん 草じやのといふものがすきうじやわいバン〽卅」あのわし はゆふべの豆がうまふてならぬわへな□なん じやへありや丹波豆じやうまふはないぞよバン供 舟いやらいゝおつたぞへがんくび豆やどいふたぞへ □□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□ いふたが笑ひおつたぞよ風そりやア雁喰豆 たろふが鬨をゝそふじ也〳〵わしや胴管のがん首 梅わらい のやうじやさかいいゝおるかと思ふたわへの ながら みな さまさんとおあがりなさへまし雷めんどふだ ろふ飯筒をとつちへ出さつしやへ掴イヱわたくしが よそつて上ます国うらずよそふといふのア やめることかしらなへばまだ喰申飯鉢を だしたがゑゝ椀のわれるほどねぢつけるア おたけお梅も汁の かよひしながら敷方ゟ握りしどもし手ありがすきじや さかい飯櫃をば出さんせよいほども喰をるわへ きうじのものしぢう 〽男わしや茶づけが好じやがちと わらいつゞけにて大さわぎ かひもちでいすのウ玉わしはこのやアわらか る飯がゑゝどふぞ飯篭のまん中を盛へ ともるおたけおむめがみゝに でつちじやの てくだされ梅はい〳〵 口をあてゝ矢川やのばつちじヤノ あるめへ しにゝ 下」何がおかしいな田舎おやぢだと思つ て幾いめさるな樋舟にあなたのことじやア ござへませんよ風きう湯をもつて来てくんな おたけ はいく といつしににたつて ゆかんとするをみて 下それみなさへをれと おむき 笑てもおらかむすこといふとふたりながら立 てさわぐは橘ヲゝおまへがたもあつかましい なたりの女はまこし きにさわり なぜでござへますへなにが あつかましうごさへますへ図なぜどつて やれ汁じやことのそな湯じやことのとて 「梅そりやアわたくしども。家業でござへますあつ ゝいゝまてゝつん〳〵と かましいことアござへませんとつ してゆをとめにゆく 輪 ふうがに むかい あのおなごはきつう朝けんな女 しやわへこち也あひそふいゝおればそれにない やら顔の色を替せるわへにおめいの気じも あいそふでもあつかましいといつちやアに面の かわのあつひといふことだからに〽そりや ゑらいまちがひじやわしやいそがしいといふこと とはなしてゐる じやわへの 所へ梅ゆをもつてくる ○かんにんさんせ〳〵 おたけおむめがみゝに口を わしがわるいわへ あてゝまちがへのわけをはなす 砂をや〳〵 そふかへ とふたりながら ころげて笑ふ 一同わし共は白湯はきらい おたけ ヲやゝなんとおつ だ茶釜をもつてくればゑし おむめ しやります とまたころげ くわろふ 一寝わしらには茶をくだ さへ圖はい〳〵 いれてくる とやくわんへちやを 寝てんどりどア おたけ こんな夫よ おむめ こんな夫よお契せや〳〵これをてんとりと かへ図これだアしこしつがふがまづこれさ悩ヲ口 けしあらねへ等は三二てんどりばいとりに名がいゝ云ばいと 大きにわらいく アハー ゆをのむ やれ〳〵おもしろいよりあひだこれからたばこにして とわらいながらに心をのみしまひ あせをふき〳〵ぜんをつきいだし おこれく はなしませうとざをくづすそのうちぜんもひける おまへさんがたそべつて咄すがゑゝでいす そべりませう〳〵闇なんじやおまへがたア飯台も ひきしまひおらぬうちから寝ると午になりせる ぞへはわしらがはうでアわらしでもみし喰てづき にア寝セ申さぬそれア牛になる〳〵国べこの みな〳〵アはゝゝと笑ふさい中 建たる蔵もなしかへ 石町のかねゴヲンヽひやうらぎ 一の音カツチヽ ヽ 終 11847 第 册 将 いなかつうじ 下愚 地 方言鄙通辞地 一、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、〇〇 下愚 解説鄙通辭下 東都 棹歌亭真楫著 有生者は必心あり有レ心ものはかならず思 ことあり思ふことの鳴て口より出る是を 声といゝ声の精きものこれを言といゝ 言を以て意を通ずこれを咄といふ雅俗 智愚の差別ともわかず金言雑談も 尽雑にして楽を同ふする飯店の交遊は 諸説にあらずして何也なんぞ噺にせへと とこはしらによりかゝりでやうじをつかひ 〽風雅サアなんでも ながらにこし笑てゐるはさいぜんのむすこ いゝお国のはなしが面白のさ当わつぢやア腹が くちくて咄もいせだ掴りし共はごくどふださか 咄せうにもよふしらんわへ国おめへそのどろばう とあつちのことばて しなすつた時の咄がいゝ わらいながらいふ 橋わし らがごくどかふつくしおつたのはみな大坂上さか さつき噺もつは北の新地じやことの新町 じやことの嶋の内じやのといふてさきの咄にかるかや せんわへ国どふりで大坂の衆と咄があふは づだにおめへ大坂はどつちらでこざへます因 はいわしや上町でごあります国上町とア 東横堀から東だつけに丸さやうさよふご ぞんじでごありますな図そんなら天満橋 の辺か子因こりやめうじやわへ天満路で ごありますわへ国マア此の新地でつくした といつちやアあの辺だらふと思ひ そしてあの曽根嵜しんちとアどこのことだに 噛そりやおまへ北の新地のことじやわへ団播 一磨には女郎かふ所はごつせんかねへ幡はりまじや といふておやまのかわれんことはなへわへマア このよな宿りにや飯盛といふてあるわへの匣 そのお崎がおもしろいでいせう〳〵〽ヱその咄を かたつてきかせたがゑゝわな国はりまで そんな所といふては高砂より少し東に 自家といふ所に播磨屋じやの大坂やじやの といふて宿屋がぜうにあるさかいこゝじやお なごをうるわへ太夫じやの婦人じせのとて ぎやうさんな名でそなけれおなごにかわりや せんわへ銭四百出たら日がな一日抱つめしや わへに囲それよりはおまへやがてになると瀧 野々すゞみがよいわへ円瀧野とはみつちの はうだに□こりや姫路領で高砂より六七 里はなれておゝつけな瀧があるわいのこゝで 鮎がとれお日さかい京よりも大坂よりも 鮎喰に来よりますわへ国そりやア風流 なところと見えやしき図この瀧のもとに 兵庫やじやのなんじやのといふて料理茶屋 がござりますが鮎の鮎や塩焼を出し ありますがとり立じやさかいゑらふうまへわへ それじやさかい鮎のとぶを見やうとて暑を なるとまふぐわつら〳〵いふて人が出おります わへ因瀧野ゝ鮎の寄たおりはとつとまふ かふてあるうきんちまほどじやわへ図みれ じやさかい夏になり出ると会鹿屋などは とつとまぜかへしおりわへな国そいつアめら だ子定て女もあるだらふに橘ヲゝたげをだい て髪結ふた女どもがないやらじう〳〵いふて ジヤウダン みなこしをぬかすわへの国そりやア藝者カに ○げいこ〳〵といゝありますがみな女郎じやわへ の「下」その芸者は大坂まわりからでもまわるだ らふなんし図なんのへおまへ自家の女郎が 来寄ますわへ爰より秋だけじやさかいば それじやといふて芸子といゝおるさかいざしきが 弐朱いつぽんづゝじやわへわへ□それアとはう もなく高いものだ四百の女臣めが弐朱一本 かへば噛そふじやさかいおまへまた抱ていねやうと すりやまた弐朱いつぽんでかわへナ図それでア 都合でア立歩と八百になるにへ遅さらさばか にたかへ立切半かゝるづうもんだ図ひときれ はんとはよふしらんわへ国ひときれが兵衛か半 が弐朱だアはさば□はアヽそれじやちがひせるぞへ ひたちやもの衆もそふいふてじやが弐朱いつぽん づゝじやさかい壱歩じやわへの国弐朱壱本とア 弐朱ト四百じやアねへかへ団なんのへのおまへ弐朱 銀兵ツを一ぽんといゝをるわへな団はアきこへた 一片の訛りと見えたアヽバイ卅」なんじやしごく どふいわんすな鉛と銀がいつしよにならふ かへ これにて一ぎ 下その瀧野とやどもわしが 大わらいアに 国まわりの向津の藤といふもんだナ聞きて さにあの藤部江戸にもめづらしいてに囲ヨて そりやどんな藤でいすな土花房が六尺 といふがそふなくつても五尺から下りますは臺 それアいたこのきんじよだと聞ましたつけ国さう さ潮香から二里たらずで左原のじつぎ向ふ さてんで向津といふぜに図ありやア香取の 向ふと云ことかに大それは長い蔵房でごあり ますなもし浪花にも藤名所はゑらふご ありますがまづ野田邑じやの稲荷山じやの 谷町藤の棚などゝいふては日本一じやろと 思ふておつたが余国にもゑらいのがごあります 千もし国そりやアおまへわしらが辺の藤は 江戸の虎が見物に下りますわなおまへてふど その時分に鹿島の躑躅がさくときて ゐるらおほつきな藤棚につがもなべこと短冊 風雅 がつくといつたもんでアなへこのむすこなども たんしやゝをつけたをおれがひいきだから貰て 置ました。 とこくらのふるくなつたみながみふくろからこより のついたまゝのたんざくせいだすみな〳〵あつとりまく ほわしらアにハそんなものア長れ申さん天どん ちとみせなんせよむ と手にとりいたゝいて 利根川の鯉ひく網をはるよりも なつにかゝりて咲か藤浪 大これはおもしろごありますわへ円トニそるやア云 年左原の北納菴也千万多などゝいつた時 に愚詠のだがおめへどふして持て居なさるへ おらアおまへをひゐきに思ふから藤棚の主 に貰て置たのさ天イヤもふ大坂などもゑらふ 流行でごあります風さうと見えて狂歌堂 で浪花連といふ詠草とおり〳〵見かせやした 時に狂顕のはなしじやアミなさんがおもしく ねへ団チアワつうら〳〵出来なへが水戸なんどは おそろし〳〵はやりまさア風なんと甲州など にやアめづらしいはなしも与へかに〽国あるでいす とも〳〵まづわしらが国は本が三升いりか ほかの国で四角な金は丸しほかで丸い 箸は四角ていすはほはてあじな所だアなく さそしてまだめじらしことはござないか 有でいすとも〳〵あじやうたァことがござり 申ㇲ画わしどもの方のならだ村といふ所に 温泉があるでいすが其むらに撰椰子の水が わいて村中の人が着類をその水でそめ るでいずは□はてきめうなことだに囲それに とはなしてゐるところへだん ばしこをさぐり〳〵上りて 又塩水も涌でいす くるはゑんしうさがらさいからぼつと出にて やじくたのんでごいりをするさとふ 按摩は 按摩がさんじやした御用はござらぬかのし 風ヲイあんまるひとつやらかして貰ふがマア咄さつ と思をそらへむけてなにか し」はいく にこり〳〵ひとりゑみしてゆる 揚わしもゑ らふ草臥ておるさかいたのまんならんがぜうに捻 おるかへヱンヲヽもまずとておまへ按摩とアおす なでるとからづへ上中はござしぬは皆上にもまず〳〵 欠S と一たい文字のわりくどきしたがる こともふじんのつねなり 「「「「」「「」「「「」「」」」「」」」」」」「」」」「」」」「」」」「」」」「」」」」」」「」」」」「「」」」」」」「」」」」」「」」」」」」」「」「」「」」」「」」」」」」「「」」」「」「「」」 わしやよふたのまんわへ国おこれはりまさんもまず とはもむといふことでいす通辞がなくてはわから ぬでいすに図はアヽさやうかへお江戸のことはよふ と笑ふあんまはつうじがなくては しらんアツゝ わからんといわれたるが少しむねにきて アンヘくわし とにが笑しつゝてを などは座頭人とて唐人だからのし もじくしてゐる 卅一おこれくあんまどんは遠見候か駿州でいすに はへわたしや遠州だがおまへは甲州ならづ 囲どふしてへ図そんならおまへはどふして囲なに もまづのならずのといつちよ言葉でしれるでいす。アン ヘイヽおまへの言葉もおこれのでいすのとおつしやつては とたにしのむきみと をくるり 甲州の外ア日本にアござらぬアふめさませ給り 〳〵うごうして笑ながらいへどつ 〽おこれあんまどんきさま たがへにきくりときてゐる也 が幾てもわしらが国じやア喰ふことア喰ふと云 いふぞへそつちの国の旅に喰ふことをくわず 呑事をのまびとアいわぬでいす「□」おまへのいわ しやることだが甲州じや笊のことをゐじやると云 がのしほかの国で膝行といふは足腰のたゝぬ 乞食のことでござるアそれにまだ屋といふを とはなのうへにあせを出して云と甲 しよんじくなれさアハヽ しうぐつとあつく也はないきあらく なりてきかぬきになることたがいのくにことばをわらわれるとせつ こむことよのへね也されど甲州とてもえんしうざかいはマはりのまず くわず也みる人 さつし給へ 囲そつちの国じやア泥亀のことをどふ つんといふがあれア唐韻りしらぬが大坂なら 道頓堀の見せ物とも思ふがどふつんとばかり でア唐人のねごとゝきてゐるわへアン」ありや魚 数蟲の鼈といふ字がどふがめとよむからその訛 ともきこへるがおまへの国じや尚唐人くした 言葉がござるはさ国おこれお坐頭何が〳〵 嫁のことをあんねへ〳〵といふが阿蘭陀 みたがいにわんごく ゆへことばのあなを のあんねへ湯があきれまさアかへことゞのあな しりてわるゝ いふものなり 国そつちの国じや名主どんなどて 勝手のせ話をさせる女のことを小番といふ たらふ何所の人が聞ても金だと思ふはばか 〳〵しいそれに付てひとつ噺があるでいすて わしがまへかたそつちの国へいつた時名主どの 御地頭さまから役人が下りてその時もこの 頃の様に雨がふりつゞいてなが逗留をなさ つて舟にが名主とのを呼出して御役人 のおつしやるにはさて此間中から小判とき らふ〳〵と思つて居たが勝手がしれぬゆへ きらずに置たがけふは是非ともきらねばなら ぬことが出来たから大儀ながら後にたのむぞ といふはてへきしぞひ出立するに 小つかいのぜにがなく也しゆへ也 名主どのは真育になつ てそれはまた小番がなんぞ不調法でも仕りまし たかばんじませぬが此節は月水ござりまして 小屋におりまするからどふぞ御ゆるし下されと このこやにゐるといふは玉ふうにてべつに ひれふしてねがふに やしきの内にちいさくこやをかけをき 月のさわりのときその女この内に 御役人いぶかしく思ひ ゐて出ず玉ぶけにはこのことなしと いや其方何と申ぞおれが金を切といふことじや とおつしやるにおりす〳〵とてこのこばんがおかね といふ女で尚く膽をつぶし恐入て沓を下り 村中寄合をつけてこばんのおかねをたゞし みれども不調法の覚もなしどふにもしかた がなくてその村の旦那寺の和尚さまを願 でこばんのかねが命乞したことがあるでいす はばか〳〵しい唐人国でいすア図これく 甲州しめつたなことをゆわつしやるな人のふり みて身ふりなをせとやらずおまへの国の詞が 唐人ならづへ余所の国の人には通辞がな 一 くてはわからぬから甲州のことを日本の人の しるうたがあるわさ 甲州は三升ますに四角箸 おこれお申しひゐぢよおなかゐ 娘 このうたが甲竹ことばだがみなさまそれますまへ 通辞をいたしませうまづびゐぢよりが娘おなかゐ がかみさままだこれが男なら阿蘭陀とも聞ふ がのし女のことだからはらんだ詞かもしらづへ 甲 ぐつとせつこみて 怠赤くひたい筋ばり 代ほんにこなたは眼はつぶれたが 口はつぶれなへでいすなめたとまけ出すわへ アン まつくろになつてはしをたてせうばいもうちわすれ めだまをくなり〳〵とまわしてひざをさすり〳〵これ娘 がつぶれやうとどふせうと遠州などは人間の 真似せして渡世がおくられる国ならづへ用 そして甲州はなんのまねとするへアジ」おまへがたの 国の人は水鳥のまねならずへ寒くなるとわし 共のはう也江戸などへ冬奉公とてわたりまき また夷になつて水鳥の帰るじぶんは国へかへら つへわしらが磯にかたをもむことせばおつべさいた 甲州大きにせつこみたちあがりて といわづやおまへ ざとふのそばにすわりまでにひと こふしもやりそふなアらさあんまも〽同 おこれどふ盲目 みがすへしてゐなをる 冬奉公の咄かは信州辺だいかに眼玉が無 とも耳の穴はあつて聞て置さうなものだアン」 きいて置ばこそよくしらづへ甲斐信濃はくつつい てゐずへ とたがひにいまやつかみつゝらんと おそろしきかほつきなれば 〽コウヽまあ しづかにし舟せへいゝやうが面白いと思つて聞へ てゐれば子供の口論のやうなことだどつちの 国がいしからといつたつておめへちのものじや とわらいしちや いやいやわしやめくらを あまめへしと にして引わける 相手にものいふ気はないでいすがあんまり 口が過日ていすから〽アン」わしも客人を相人にけん くわせうとて来ものかのしあちらががんこふにわる くおつしやるからさ回いつでもそんなものさ生ゑ へがおれは酔ぬ〳〵といふと同じことでたがいに 腹はたゝないのいふ気はねへのといふくらゐなら 口論にもならねへはづさにヒ囲舟におまへこれが どこの国だつてゑゝ言もいしこい鯛もある のさかへ因わたしやなんにもよふしらんが人の 心といふものはみな我能〳〵と思ふて居さかい かたみにぼやきくさるやうになるわへなそれ といふが云がゝりになるとおのれがわ給ふても まふひかん気になるものじやわへそこをかんにん すりやなんのこともなふなるてなもしまふ かたみにぼやきなんすなアンはへし 当不断くるゐとじやからせんくわなどこしらう 心じやなけれどのしまことのいゝがゝりで ござりまさが〽わしじやとてそふでいひはき 風そんなら中なとりに肩をめんだりもませ 〳 たりしなさるがいゝ大それがよふごあります とあんまの手をとりて甲しうのうしろにまわし〽 もよせる 甲しとにはだをぬがせてかたに手をおし付五ませる 甲 おこれ今のかたきうちに天窓などをめたと ぶちなさるなへアン肩くもんで左様の とやう〳〵わだんになりて ていねいにもみはじめる 心底ではござらぬア 大 もし風雅さんわしが国でならべて見た 狂類がごあります。御一直を題ますでごあります ◎厩聞いたしやせう宍もしこふでごあります 世の中はすべてうぬぼれ鏡にて われをあしきと見る人そなき 国ヨリウアおもしれい子天イマどふでごありませう なもしなんぼいたひても肥類はあづまの御身 が上手じやわし共はとんと口がおもふてなら ぬがなくし風[イ]どふいたしてさうしたわけ じやアござへませんなるほどこりやアいゝわへ 誰でも自分をわるいと見るものアねへのさ に放蕩するうちア廬直人が馬鹿の様に 見える子又辛抱して居りやァ却て放蕩 な人は見も嫌になるものさに万衣身持が 替るたびにやつぱり己がいゝと思ふがよの 人のつねさに回それは違ひなへばいす世の 中はたがひにうぬぼれを仕合てくらすでいす のさ〽アン」なるほど狂歌などが出来たらさぞ 面白からづへわしなどの方じやみな発句で ござりまさ第国江戸坐かへアン田舎はみに正 風体でござりまさアわし共の在所辺はみな 霜中菴社中でござるはのし図そんなら相 良辺かに団あの在でござりまさア国そんなら 城東都だらふがなんといふ所だへアンチアに 申てもしれません比木邑と申所でござりまさつ 国なに比木邑よりやアおいらが知た人が音 ぜへこれも徘噌好で千町といふ男だ〽ヘイヽ それはあなたどふして御ぞんじでござります のし団あの人も久しくこつちへ来て居た からにアンあれはおまへさん久しい庄やの家で ござりまさア団そんなことさうさ〽しばじくは眼に 桜なき桜哉といふ句が自慢であつた同じへ かの時はわし共もまだ国に居まして美五題で わたしは湯炎の句で六卵をとりましたわへ ヨウかぞろふとともに動しや風見草図なるず いゝ勺だに囲はいかいの咄はゑゝが手がおるすに なるでいす〽アンホアン〳〵好の道と申はこふ と口をとぢて いたしたものでござりまさア〳〵 せいだしてもむ おめへも よつほど好と見えた雪中菴の六卯はこつ ちらの波那細と云ものでめつたにアとれやせん よア三 へイとばかりいつて何かかんがへし もむははなぐわしと云がしれぬ故也 因もし風雑さん そちの先生の邸に目妙と青肉でおすのア 何とよみますかなもし図ありやア目妙といつ て七点さ子大裏徴が十点かなもし国さやう く囲もふゑくでいす〳〵アンはへくとず とばかりいつて せりしなくもみ とあせをふいてゐるこれはいかいのはなしで はへさよふなら ついながくもみすぎたる也にきの道このごとら わしもひとつやつてくだんせ図はへしどな たでござりますおさぐり図こくじやくおり うら宿の娘おたけちやわんをとりにきたり二かい中の太わん とぼんにのせぬきあしをしてあんまのそばによりちやわんを一ツ ざとふのはりの なかへいける アンコウだんだくがんこふなことを して人にうつけでんさせた に長右衛門さきおいためしだれだと。思つたらおたせ さんかわしが色娘さアツヽ図いやなに とうしろから にぎりこぶしで あたまをはるまねを すれどもあんまはしらず 御出へ団おいらアいや出しておくれ〽ワンイヱおまへ 出しておいでへ聞いや〳〵そんならよふごぜへますと おりてゆくとあんま立わんをだしてさな〳〵あげまてうし しととふくへころがひとおりあしくはしごの口らひくしやり亭 亭 ざとふひつくりしてすつぽんの 分だれだお竹じやアなへか おめみえのごとく首をひつこひ 凡 イヤこゝにあつたをしらづにつひおとしやしけ ざとふこれは〳〵 おもしありやこゝ よろしらござへます と小声に机をいふ の御料かなもしよい姫ごででごありますさだ めて御家さんもよい御容儀でごありませう によし国おめへなるほど生れが京だといゝ なすつたが言葉が花洛と浪花と行合の 早稲だわへ因こりやなんじやいりまじり じやといわんすかへ歌人のしやれてごあります わへ風哥人だか野人だかしれやせん大もし おとひ申たいことがあるがなもし〽」なんだる しりやせんがわつちやアなんにもしりやせんヨ天 あのなもしわたしや堂上がたのかゝれたを 色紙をもつて居るがなましはのこゝろが よふしれんわへ国わつちにやア尚しれめへけれ ど拝見いたしやせう大これでごありますと ちいさきこりのなかよりしきし 一まいとりいだしふうがにみせる 国ハアヽこれはけらこふ いたゞい なし てよむ しのふわけてうつほ柱にかくるひは 漏てふ水のくちや千からん 〽ヘイヽこれハ〳〵とばかりいつてよしの山だどふ云 ことかしれやせん大そふいふてはよふ給へわへ なうつほ柱といどんな柱かなゝもし風わつち もしらんがこりやアたしか夫木集の歌でござ ましたうつほは虚といふ心だといふことだが。 大はてなもし図宇津保柱といふは禁中の の樋のことでかるゝいゝばうけ筒といふ様 なかたちさに柱のごとくこしらへたる箱そふで ごぜへますそれをうつほ柱といゝこのかくる樋と いふが横にかせたる極でごぜへすとにあとはしる やせうこのてふはと云といふことなれどこゝは いゝながしのそふでたゞ漏水のくちやならん とみてもよしにどふもこりやアめん〳〵のかんがへもの さね〽〽イヽこりやありがたふごありますわしや京の 母じや人に大切にせいとてもらいおりましたが うつほ柱が得しれんごどふぞ〳〵思ふた念が とゞいたわへに国そりやアけつこふな御色紙だ そしてこりやアよつほどふるひ上代の色紙だ と大さわざだ大なぜてごあります〽四しつかり 金になるからさ〽大」こりや母じや人の譲ゞれた もんじやさかいはなしてはすみませんわへ図□ことな とよこそてをゆび さずとたから物だどれまちなせへとか にてつもりみて 立が七寸余だ子してみれば横も七寸くら ゐか子大さやうさなよし団何でも立り七寸七分 余といふが定家卿御代の寸方だといふ ことだかけふどそのくらゐに見えるから大切に しなせへ因ヘイはてなもしそりやありがてへ とにこ〳〵もので こへ ながめ〳〵しまう 〽〽痛このひやらしらんが たぐつてならんわへア」はへ何をあたぐりなさり ますへ独瘡がおこつたぜに団なるほどだん なは痰でござるはのし肩がゑらふはじづきより といふと 国ユウ何かくばつたはふでへんに薫ふでみなし ねこちんだるをおき上り じぶんしのぜんごをみる 五十六百七十一巻なくさい 〳〵掴ヲゝほんにやぐさいばよ〳〵あんまさん烟 艸のみやせんかへ〽アンイツつの間にのまずへ大 とみなくみれ共 こりやゑらふがんこくさいなまし さゝにしれず といわれ 因なんでも下総のおかたのはうじやわへて尋 て下総 がねてゐるを ゆりおこし 浦アヽこのぢいまはよくねぶつて居 眠 とひどゝ おこす 〽なんだがふげにせなぐさいぞや知 じぶんのすそへたばこの火玉おちて 下おれがねぶつて やけぬけてゐるをあわてゝもみけし 居るうへは火を落したと見えた間だれもか まへやしアさぬ〽そりやアおめへの吸からが 落たのだらふ〽下舟にわしやアさつきのんで とまた小言ぶつ〳〵いふと大坂 寝たくらゐだものを 立て下総がきせるのみやくをみて 〽これ申まだおまへの烟管が焼ごありますぞへ それにこれいせんのもえさしがごありますから おまへの吸なされたに違はごありませぬわへ 円なるほど上方役者はこまかに気がつくわへ いよ歌右衛門〽岡なんだこまかに気がつくとわらや 大きゝ火がついたのがいま〳〵しい、国おぢいざん 腹を立なさるにやけひろがゝるとてめごたい 舟にやけてめでたいとかばからしいやけまして □□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□ よい春があきれるァいま〳〵しい風焼てくやしき 玉箱升かへ下べらばうめ焼手の腕で横 ぞつぱうでもはられるなへ岡ごめん〳〵とわら ばんしうをもみしまへ アン ありをふき 〽サアおあとはござらぬかのし 国おいらもやつてもらうのだがまふおそゝなつ たからよしやせうアン」なにまだ遅くはござら ぬはやつと初更すぎならづへ円そんなしやつさ 貰ひやせうか子外になさる衆はなしか子 ヒ囲わつちなんぞアくすぐたくてやだアバン囲わし どもしこそぐつたふてよふもません図そんなら わつちだが皆さんかまわずに御休みなせへよ 下ムゝそふしおら部先へ寝ますべい らもごめんなづしよふせります は来てゐるかなもさ物来でおるどころかわし 共のこんさきから積んでありおつたわへどん と立て表の戸をひらき 空がしもげはしをらんる はちうへを月うげにみつけて 「アヽこりやいばら杜丹じやよふ花をもち おつた〽雷いばらぼたんとアどのやうたもんだ るへ風はらの花のことさ上方じやアいばら といゝやす国かたがたてなふてもこりや はばらへのふおまへも。狂類よみじやぜなが 嵐雪やらいふ江戸の人の句に むつかしき中に香もあり花茨 こなよな勺があればやはり茨てあらふがへ 図さうさ子すべて句につゞるには五文字に なるやうにいらやすからにつねの言葉と違ふ こともありやす廿一さうじやさかい上方の詞を 笑いなんすなうたや俳諧にやわし共のはう の言葉じやさかひアツヽ国おめへもやつはりそれが いわゆるうぬぼれかゞみさに播磨の言葉にも うたや句につかわれねへ言葉もありせすよ 腸してみりやなんぞいの図天窓てちまわす のごくどふめだのといつちやアうたにもよめねへ ゴクツテシ といふあるからば て子な 月よからすカアヽ 開こりやどふじや烏が鳴おる ぞへはアヽ月夜じやさかいふしぎなこともなへ わへ国 ふつとふきいだしてころげるとあんまはきもを つぶしどふぞなされましたかと引おこす いや 烏が孝とアきめうなことばたそんじや。営 や子規でもほへるといゝやせう子□こりや とつと心ないものゝいふことじやわへ書籍の はしでもよふみんものは鴬も時鳥も吼る といゝおるが百人一首だけみてもほとゝぎす ほへつるとありやせんさかい円さらでもごぜへ せううくひすやほとゝきすも吼るといわれちやア おかぜのねへものさに図イヤ何いふてもおまへにや 叶わんわへアツヽ〽団さういわれちやア一言もないとふ 新宿蕃椒の苗や東埔塞の苗だ「アン」なる ほど達者に御口だそのかぼちやで思ひ出 しましたがのし上方じやあぼちやといわづ げなのし図十二さうじやアあるめへ□□それは所に より人によりてあぼちやともいゝあります又 備前のはうじやさつまといゝありますわへ 図よりやア薩摩芋とまちげへそふなこと だに■そりやおまへさつま芋〳〵いふは東国 ばかりじやわへに上方辺はみな甘藷といゝ おるわへのしたが又豊前豊後のはうじや 唐の芋といしおるわへのワン」そふじやなんざる あつちのはうじやア蕃椒のことを木胡椒と いわづへ図わしもよふしらんがそふじやげな 国類もふよふごぜへす〳〵図はへく。つ 圖わしやまふいねるがあんまさんなんぼぢや 「ヱいくらでもよふござりまさア図それじや こまるわへ御当地はじめてぢやさかいアンはへ さやうなら羅漢文いたゞきませうふね」わ すなことはよふしらんが羅かんの数ほどく とあきれたるふぜい いふことかへ あんまはしらず とはいへど 〽アンさやう〳〵 もつとくれ そふなものと 思つてゐる 「□そりやとつと高いものじや五百 かへ ときもを つぶす アン法なにさ十六らかん文さ図 ハアさやうかへそりやわしが了簡のちがふたの じやらかんとられては尊者と思ひおつた蹴 をいだしてあんまの 手へのせてやる 〽図らかんじやなへぞへ門徒じや ぞへアン かたてにて いたゞき 〽ハアヽ廿四歳かへこれは〳〵 とえつぼにいりて とこれもぜにをやる は夕々ともんでしまふ 風御苦労〳〵 あんま手の内にてさ バアンもしだんなさんこりやおほふこざりまさア 国よししそんな家暮をいわずと取ておき なせへアンそれアありがたふござるはのし又明日 ともくないして まいらずへ皆さまさやうならはどをあかる 丸 あぶねへぜへ転子さるなアコトはへ〳〵このでい の勝手はよふしらづへあじことはござりませぬア と出て行あとにふうがはりま大坂 みな〳〵ねじたくする 風皆くたびれてゐる に 大さやうさなもしさあ から直に寝付たに大さやうさなもしさめ ぎよしんなれむ身に多外は今出た按磨の笛ヒイウ〻 よきかそばの風鈴テリンそばアイ〳〵イ砂糖だ 一んごよふござりますカにイ鉄棒の音リン也往来の 足音カらり犬の声ワント遠寺の鐘ゴラン也春風の 音ソヨヽ内には鼠の声チウ〳〵うへしたの臥息が 夜はしんくとふせわたり風雅をはじめいかなる 夢をかむすびけん春の夜の夢ばかりと思ふ うちに東雲をつぐる烏カア〳〵とさけび町々 の栴木山彦にひゞき早出の伝馬の鈴の 音供人荷持とうながす戸耳にはいりて 下総のおやぢアヽイキ 眼をさましたるは一 大あくびふたつみつすると 御 びを夜が明るわへ烏の声がする〽下」目をさま さしやつたかわしやアさつさからめがさめてしや ましきアーキア」もふみなとがついたらふ〽さつ きから雀がくぜるから夜明と見えた帯の ちやアあのはや〳〵から旅立があつて人足を 喙つたり馬めが鳴ので目をさましたアナモさ 下鳴よりア鈴の音か耳とつぶすやうだ図例 だか今朝の馬めアよく噺やがつたほともふ 夜は明申か閑今あける所たが独身の送り 膳を貰たやうで明かゝつて居て埒が明なへ 津うらアねぶひからまつと寝申とまた ヲヽみなさんはやう目が明ましたなもふ東じらみ じやわへな〽ドイヤイイヤアセセ虱じやそふでがふ しわらいながら げにくわれ申たは てをだしてかゝ 酒どりやもふなふ なつたか と表の戸をすこし なんじやへ東じらみの ひらいてきもをいぶし なんのじやなへわへとつと日輪がおあがりな された戸がよいさかい外のあかりがさゝんめ じやさかいまだあがふならぬ〳〵と思ひおつた さアミにさんおきさんせ〳〵大こりやうらりと ウシト 夜が明ました のびをし のびをし なにをめたとさわぐ でいすなつく とあゝび よふこりや五ツ頃でいす 外をみて 三十五 とむつくりおきるこのものおと下にきこえて 〽松みなさまおは 侍手たる松五郎きたり二かいの戸をひらく よふごぜへます団モウ五ツか子へ松イヱまだ石町 が聞へません□こくてふが聞へるとアどふ といふ ゆふ音だアなもさ〽ヘイ五ツでごぜへますおりから 心てふのかね ゴヲン〵困であれが石町でごぜへます酒あ へイと〽みな〳〵とを れアとらが国の鐘だアもさ図写 わらふ一ひらうれて おきるばんしうはもとよりおき たればかふしのまへにこしをかけてけふはまいてんきじや ぞよ咽さやうでごぜへますみなさまごぜんをめし あがつたら芝居か花見がよふごぜへます雷弓 ちらア花見にいぐも道がしれなへ囲そふでいす とも〳〵芝居みよふにも勝手がしれなへといや でいす〽ヘイ昼の内ちよつとなら私がおつれ申ませ也 が朝夕はどふもぼられません〽これそのむすこを おこして下さへみな越たのに白川鹿舟屋ア困 かへりがけに ゆりおごして んにんして寝かしてくれろ〳〵国どれおれが とやぐを引まくるとやう〳〵にめを おこそふか さましてひどいことをはなさるとおきる ほ起たと と引おこす 思つたらおらが若者も寝てゐる この時女ども きたりやぐをとり うたつける 一梅みなさん御嗽は下へいらしつて みなはへしとこどふ下へおりるとぼんの上 下さへませ に小さらへしほをのせかなだらへにゆをとり ことばにかなゆつぎ を出してある 同 かなゆつぎをみて ひとりえみし これがよんべのてん 夕都干や とそばへより 違 どりだアとそばへより いやつがふ〳〵アツヽ よくしみて 甲しうは とふづば ゆき下駄のせをふみきりやつこをふるやうなあしつきでやう 〳〵出てくるとつがるまつてゐてあとをかりるつもり 囲ずんこの緒がきれていかれなへでいす団おや ぶくりの緒がひつきれ申たかそれではいがれなへ これ〳〵雪隠木履の緒かきれ申候はへ とわらい〳〵きてこれヲみけ なんとおつしやりますへき さてはげたのことゝおもひて としやれて ときりやれ〳〵しゞこがはぜるやうだとへる 強 このうちみにしうがひすみて 常しゞこもきがつうい にうひにうひるつがるてふづばより ときもをつぶし 城これアうねのめんつだァなし 沢 てうがひしゆく 戸はゑじだアなもさかねのめんつぎなきみな ぬゆへさうさとばかり笑てゐるこの時さいぜんに 二かひのすみへはいつてにどねをしたるひた子鼻おきる はァみん なてふづをつかつたかねへ国々ア嗽をしてきなせへ と下へをり 御わつちやまだてふづをつかァ ヒ闕アイン めをこすり〳〵 なへからつかわせて下さへあはへ御手洗水かへ に□あらアまた寝たアうらてふづをつゝアなへ 梅江戸おうがひをなすつてのちに湯へ御出なさん ばいし子も咽きはやくてふづばちをこゝへもつて 来て下さへ掴ヲマけしからねへ手洗水鉢は石で ござへますから車力でもたのまなくつちやアこゝ迄は めへりやせんに関今つがるの人が金だといつたが そんなら石かへ掴はへなにかかねだ〳〵おはしや りましたは銅盥のことでござへますと鬨その かなだらいのことよ□わつちやアてふづばち とおつしやつたから雪隠のてふづばちかと ぞんじてのことさ子とわらい〳〵かなたゝいにゆび とりてれいのごとくいだす に「□このこと〳〵図ヲマヽわらつたばかりと ことうらがい跡 同断 磔 と二かいへあがらとはやさゝじも をかたしてくださへ すみてみな〳〵あんぎし花み にしやうのよし原がみたいのことさうだんさいちうおたけぼんにちや わんをのせ品川のしるしのやうにならべてちやの中へ梅に をいれて れてくる とひとつ 国さあみなさんおとりなせへとひとつ とる どふでも色男のどこへさきへれてくるわへ アはゝ とわらふおたけ少し アツヽ天しさやうさなもし 当サア かほをあかくしてにつこり とひとつ〳〵くばり 〳〵みなさま御とりなつしより てんでにもつてのんで ゐるおりからたらの路次にてなにか 高声にいしやうをばんし水ともきゝつけもしないやら 音がしおるぞへ雷なに其音はしなへばにへ うらで人の声がしますバン囲それじやさかい人 の音がしおるといふたのじや〽おやまたうらの 肴うりの越中屋とやらの夫婦けん。かだ とうらのまどをひらいて みてゐるとざちうの さふでかみさんの声がするより わかいものも立てみてゐるに 宇蔵おどれさたの限り うじのなかほどにて亭主 ロンハナイ たゞくさならんやつじやわへ團なんじやおどれ 宇蔵さおどれがたゞくさならんわへ□□□じや おどれア井筒のねきにゆくと唐津屋の方 ばかりながめおつてむたくしおつてかへらぬ このうじつやといふはせとものや 八 にてわかき男ゆへやきもち也は おつらは渡世に出いでは ならぬに早ふくさしめといわんことかおどれ 閨なんじやこれ宇蔵さくヘリおどれまらでもない 青草屋のおかつさまが茶を出たのをのまいで ノマズニ とはぎしみして かへらりやうかイヘリおどれい じだんだふむ 亭 にふ おどれがたゞくさならんをみへでいせふものか この頃はおどればんじがつま〳〵しとらんには 様子がなふては叶わぬ甚なんしやおどれも まじでもなへやつじやこの頃中おもわく ばかりいゝおると思ふたらなんでもなへこと をわめてそれほど苦労ならな陰門に 封じつけへ亭なにおどれすきなことをわ とさかなか めきおるづこしてこまへてとらすぞは ごのてんびん ぼうをとつてぶちのめさんとするとさいはたまらぬと思ひ 道つついの下の十のふとふるのこぎりをなげつけてにげる 事おどれさたのかぎりにくいやつど とてんびんぼうでなぐりた によふぶつつけたな をさんとするこのさわぎに さかなかごたをれてぐわら〳〵きんじよのものひ。さしいものだが すてゝ毛おかれまいとふせう〴〵に出てとりさへるとさい きがつよく なり 妾おどれまらてもないやつじや女房 とりは犬うつよりやすへわへおもわくばかり マキモチ とふりまわすてんびんばう いふて亭なんじやおどれ をかひくゞりひしつながやの びぜんやといふせとものうりていしゆ の手をおさへつけてとめる 痛これ〳〵越中どもじや の手をおさへつけてとめる いつでも女房どもが外へ出て帰りおるとけん くわじやその天秤棒どもが顔どもへあたつ てみさんせ大さわぎじやけいかんにんさんせとおさ へると さいはあぶなげ 〽妻さあおどれどふなとせへ〳〵 なしとおもひ とおさへるをふりはなす 〽どふするか今にみへし こといつたいこのびぜんと わが女房がわけがあると思つての 亭これかまふて下 ことなればなを〳〵とまらずふりはなす さるなあいつア畜生だから亭主にせんばび ふつつけるやうな馬鹿めだ□ちくせうの夫 じやからおどれもちくせうじやわへイヽおどれも 一とはがみをなし てにらむ 豊後 これもひとつ長屋の あをくさやなり こう越中屋 マヲヤ の御寮人なぜににぜはせいで何をしちよる テヲル とむりに引 たて行と にらめ やつじやおどれいまにみへづこ ぶつこわへてみせう豊こ」ころく早ふごんせく とひきわけるとふたりともに おづひこと〳〵に にてみながらわかれてしづまる こりや えつちうどもがおふこどもをとりおるけにほかし チラシ おつたかしらん蛸どもやつなしどもが外にちへ ておる ととりかたつけまがり のこぎりをみつけて こゝにまがり おつた鋸どもがあるがなんじやしらんが〽其丁 そりやあの気違がぶつつけたのじや とそれをれて うちへはへる そりやとんだことしやけい ふる ほどよくしくんだ狂言だきつい築地に鹿子 餅といふしうちだ図ホンニ芝居の様でござへまひ 国ニウまんだかに団アイ幕でござへますチヤキ窓 戸ひつしやり同モウ打出しだ此本は是切 ドヽンドシヽ 終 下愚 方言 鸚鵡石次編 近刻 完二冊 此場は右に顕はしたる国人等の江都名所一見 の滑稽西落を国言葉の雑談につゞり 尚初編にもれたる国々の方言を増加して つばらにのす つばらにのす通油皿 文化七年庚午初春村田治郎兵衛 糀町平河二丁目 角丸屋甚助 東都書肆 同所 松本屋新八 そりやあの気違がぶつつけたのじや痛 とそれをれて うちへはへる そりやとんだことしやけい 風ふる ほどよくしくんど狂言だきつい築地に鹿子 餅といふしうちだ図ホシニ芝居の様でござへます 風ニウまんだか子団アイ幕でござへますテやキ窓 戸びつしやり同五ヲ打出しだ此本は是切 乃ドシドンヽ 終 下愚 方言 鸚鵡石次編 近刻完二冊 此場は右に顕はしたる国人等の江都名所一見 の滑稽酒落を国言葉の雑談につゞり 尚初編にもれたる国々の方言を増加して つばらにのす通油早 文化七年庚午初春村田治郎兵衛 糀町平河二丁目 角丸屋甚助 東都書肆 同所 松本屋新八