婆心録

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松平定信樂翁
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2026-08-17T19:23:20.125Z
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2026-08-17T19:23:20.125Z
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場所: [書写地不明]
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CC0
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松平定信樂翁
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日本語
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[書写者不明]
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バシンロク
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東北大学
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2025-11-13T06:33:51Z
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10010000020763
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2026-08-28T18:53:25.651810+00:00
婆心録 婆心録 閑なるあまりにさま〳〵筆記なとまさくり けるかいとも有かたき仰ことのしるせるをみ奉る ことにいさゝかこゝにしるらぬ此上なほ此たくひの 書籍を披索して書たして子孫にしめさんと はかる也例のことまつたくせんとしては日月を のはしてしかも事も終らさる事もあるものな れはまつそのかたはしをしるして育言をかいつけ 是を子孫へあたふるものなりやんことなき給 こともあれは窓外にいたすへからさることをしめし 置ぬるものなり 文政丁亥十月八日 楽翁 東照宮上意のよし日本船と唐船と戦ふは鷹に鶴 をとらする心ならすは勝利あるましきそたとへは千 町の田地に鶴おほくこれあるとき是をとるへき為す 逸物のたるを千居もとめても鷹匠下手なれは鶴を とる事不け鷹匠上手なれはつね〳〵露をこしらへ肉を よくあてかひ所を定めて気と気との間を考へ見合調子 を以合する時は一居にて鶴を提事うたかひなきそ何 ほと逸物の鷹心剛なりとても鶴をは一分にてはとる事 ならさるそ唐船と日本船とは鶴と鷹との如く也日本 船なりほと心剛なりとてもかれに勝事かたかるへし かねて覚悟の可入処也 智徳篇中君臣言行録を引て載也 同上意の由三州の主たる時は近国に用心せしそ関は 州の主たる時は東海東山北陸三道の治乱をかんかいし そ又日本の主となりては諸国の治乱をきかするそ子 細は異国みたるゝに日本治たりとても油断するは東山 義政の茶湯大内義隆か学問今川氏真か歌道そ今は 異国も治平なれは日本のせいとそまて也もし異国乱るゝ 時には其時にあたつてよき武将をゑらひ九州におき異 国をおさへさすへし既に上古神 ̄ト皇后異国を退治の 後九州のうち筑後の国に武内大臣をさしをかれ異国 をおさへさせ給ふ是異国の王孫権日本をせめんと数万 の人数をいたす然れとも神功皇后三韓退治の やうす武内大臣九州に居政道の明白高大なる事を 謹曰政道明白高 聞て 一。日本の兵と戦ふとも勝利なからんと 大国武之基也 軍勢病にかゝりしとて異国の兵船半より帰帆す偏に 武内大臣筑紫に有し故也云々其後人皇八十九代 亀山院御宇文永年中鎌倉将軍七代目惟康執事時 宗代蒙古国北独起りて中華を治めえと号す日本 を洗へんと度も書管を送り使者を立けれと日本に て不受是に依て日本武勇こゝろみに兵船千艘渡て 九州の内を乱妨すれともはか〳〵敷一戦なく失たねつき し故千艘の舟無事に帰帆して日本の武威こさゝし よりおろかなりとて建治四年に蒙古兵船六万艘渡し 平戸五龍山に着岸す然ルに八月朔日大風吹て蒙古 か船こと〳〵く海中に吹流し生残る兵をは八方に散す 是ひとへに元の世祖弓箭に取ほこりたる故也文の千艘 の船を手いたくあてさるは日本弓箭のおくれ也是を 手いたくあては建治の兵船は渡海すましきそ右の大風 は頼みにならさるを此時良将をゑらひ九州に置て手 いたくあて与尤万里の海上二帆に来る油断する事な かれ兼而覚悟第一そ子細は身に灸をすると又ひとの 心得にて油断と由断せさるとよろつ考みよ秀吉朝 鮮未追討の時朝鮮過日武道の心得少しあらは木曽 判官を釜山浦に置日本勢を押へさせは朝鮮進盃む なしくなるへけれと朝鮮数年平治にて武勇悉く 取失ひ兼瓶美麗なりし故何の子細なく攻亡され たり秀吉かの葉菊なる事を内々聞弓箭に最ほ こりてのこと也惣而用心は太平の時なるをす善君庵と て異国太平なる時は日本よくせめ日本治平なる時は異国 よくせめ源氏太平なれは源氏を責るてたとへは隣家 の焼くるに此家の用心せさるは愚かなる事 同上 御遺訓にも有之武野 燭談にも略載之 江戸御城御要害に 将軍当城に居らるゝは東夷 同上意之由 付ての上意之内 押への為なれは是より奥のかたへ向ひての要害とあら は花の事也帝都の方はみかた地の夢なるに其かたへ 向ひて要害とあるは無益之事也 稽徳篇 大猷院様之御代也是は 黒田鍋嶋異国の押を被仰付候時は 土井大炊頭林大学頭同答也 黒船よりも明を御心許なく思召さる明は日本に近き国 也故に如此し長崎津内に是ある唐船ともは懐中の 毒蛇そ少しも油比はなるましきことゝ思召其上日本 中之事はたとへ戦かちても其一家のをくれ也異国の 押の夢よくすれは日本の墓なり要する時は日本之 恥辱なり是により長崎御番所はすくれて大切也と 上様にも思召さる誠明よりは日本を望たる事度々也 又朝鮮の報ひも如何と思召されかくのことし 同上 甲斐庄喜左衛門長崎奉行被仰付候時日本のうちにては 御当家御亡ひ他人天下を取ても是は御一分の恥斗也異 国へ日本の一寸なりとも遣しては日本の恥なり左候へは 大切のことなるに付随分油断仕間敷よし也 同上 すこし口きくものゝいふ異国船来るなと聞ことこ 何かと心をくたきぬるは小慮の故なるへしとさとりぬ いかになれは江戸の咽喉たる総房相州の間なとは 御三代のうち何かと御定めもあるへきに左もきこと さるはいかにも疑惑はれさるなといふものおほきか世に いふ御遺訓の如き難有へき御事とも書集めしも のをくり返拝閲したるに少しくその御趣意を うかゝひし心ちする既に上意にも木曽判官に而も 置つよくあてなはなとの御深意を伺ふこえより是は 御たとへにて文武兼備の人差おかれたるはもとより 論に不及事故武内の事をひかれ又良将をゑら ひてとも上意ありし也たとへは猛将か一人に而もを かれなはそれにても再ひ襲来る事有ましきの 御旨なりされは房総相州の海口枢要の地といへとも 申もおそれある 御武備の御膝元に大身に身それ〳〵の諸大名 邸を列して詰居ることなれは此上の御備に及もの あるへからされは其御定無之道理と伺れたりしかし それとてもそのことく異国船折々洋中に出没し時 には近港まて漂ひ来る事なとあらはいかゝあらん 其比漂流したる紅毛船ありしのみにて寡聞ゆへ にや聞も及はされはまつ今の如くはあらさりしと みれは御膝元の御備の外に御役なき事を伺ひしり たるなりといひぬ其余を何かといはゝ騎等の論に 及へけれはわか輩いふへき事にあらすされはとひも せす答もなし只々鷹鶴の御比喩まことに申上る にも不及奉感服事也尤唐船との給ふはあなか 古唐山に限りし御旨にはあらす唐国唐国を すへてのたまふことしるさて凡智のものらとや かくうへみぬ鷲の心にて只来尊とし我国強大 なるとに量浅陋の心より思ふか故に恋火術わか 大銃をもつて寄来るところの異船をは立ところに 打くたくへし雪うる所の長沼流の甲州流なとの軍 備にかつものあるへからすなとかつて敵をはかること をもせす外国はいつもかの文録朝鮮の軍のことく 日本の人かつへきものと心得万一襲来るとも聊 おそるゝにたらすといふ類は実に酔中の放言夢 中の狂言にていふにもたらぬ事也かの国は帯に 攻戦たみすして器械もをのつからくはしく場数 ものなれしものも少なかるましく殊に唐国は 兵卒は戦争の為にやしなひ置とか聞けはわかえ の上の兵語にては不及を可知なり鷹鶴の御比喩 よく〳〵姫齊し兵法火術はいふて不及軍船の 事よりして陣営配陣の事器械の上にても実地 をふみて研究し藩翰の御奉公をつとめ父祖の 名をくたさす御為を究すへきことを一日もわす れさるへしもとよりその軍学とても皆今日の 龍行にありて臣民よく服従するにあらされは かの政道明白 只々徒法にてかつて用にはたらさる也誠 高大の基なり 然るに軍戦の事は夢物語の様に心得今日は般楽 怠徹して曽てわか職分をおもはさる輩も少 なからさるやうになり聞は藩翰の職を何とか いはん葡梅干蝶の名有てもし実薄くはいかせん 上よりは昔よりかはる事なくあまたの封領代々賜 ひぬる上は只孝覚悟よりして虚名とするは御備を みつからかくにあたりて皆我身の上の罪也早々 此処に心附て志を改むへき也大筒はいかほと備 武器聊かくる事なしとて事すむとおもふは かの鷹鶴の御比喩にそむくものにしてか様なる 薄情の勤めいかて君恩に報しわか職にかなふ へからんまつ我形行より慎みつゝしみ万に私 なく正道を以て政事をとり行へは臣民服従せさる 事なし是軍法の基本也それよりして陣法 器械に及ふへき也わか身行正しけれはおのつ から奢侈に費すことなく諸有司も其心を 題する故に国用たるへき也もし又大費あり て国用不足ならは猶節倹をつとめ信夢を厚く なして国用を可足也皆この心ならは御代々の御 恩恵に対する勤ともいふへきなり左なくしては 兵の事をも論すへからす藩翰となりて兵の事 をも不可論にいたりては是を何とかいはむ鷹々 にあらすいかて鶴を得んたかの御手当十分なれ とも能せざるは誰の罪そやおもひみるへし文永の 頃武威のおとろへより建治の元兵も来りしとの 御事恐感あまり有事は申すも憚ある事なれ は只々感法するのみ既に文禄の比唐山の使を きかさるなとは今にくらふれは英断不動之 見識にて其比はいまた武をわすれし世にあ らされは上意已に如此なれは猶以恐懼戒 慎すへきことなるへし其時元世祖の日本を攻 同 しも秀古の朝鮮をせめしも皆弓箭に取ほ こりたるとの御諚実に奉感もあまり有事也 其外万里の海上一帆に来る油断する事なかれ とて灸の飛火の御比喩に而覚悟の有無を示 し給ふ実に武士たるものゝ頂上の碇計無此上 御垂戒奉感といはんも恐八斗やすへて用心は 太平の時なるそ異国太平なる時は異国より帰る の御容附 文永建治 身足也 秋并二朝鮮久々平治に而武勇 悉く取失ひ弟等弱美麗なりし故何の子細なく 攻ほろほされたり秀吉彼柔弱なる事を内ら 聞弓箭に取ほこりての事也との御諚也その比は 日本武威盛なり太平いく千年も打つゝく事なれは かの朝鮮の菊鶴美麗のよに似るましきともいひかた けれは御乗散の事とも割骨して可奉服庸也狭隘な る性のものは只今今日にやすんして与所の事しら さる故に海は只川の如く河は王河大川の如きと思ふ計 にて思慮も只目先の事をなしかつて遠慮遠謀二 及ふことは善なきことく心得る様になり敵はいつも其心得 文の如くして来るへしとおもふ輩もありて曽て広ク 考へ遠く慮らさる様に成行ては則上意の三河に ては近国関八州にては三道いま又云々の御深意奉 伺ては恐入るもいひつくしかたき事なるへし 十一 上意にも異国の事をさゝて油断するは大内今川 なとゝまて花され給ふなるかこゝに一つあやしき 事あり文化のはしめ比蝦夷の恵む島にてヲロ シヤの船人騒擾せしとき都下の人情大に騒動せ しかは己に至ての遠島の事曽て不か驚なと町 触ありしほとにさま〳〵浮説とも有し事なりき 近比又異国船相州の御備場近く来り或は浦賀え 来りし事なと有しかさせる浮説もなく人情尤 静か也又其後に至りいつ方の沖に見えしなといふ 事有ても密事の様に心得声高くはいはさる風に なれり都にてよし密事にするとも其浦くは近 領人数も出す事にて聊密事のあつかひにもな きをとかくに人前にては語を憚る一統の人情と なりし也猶考あるへけれはしゐて論するに及はす 只実二杞憂をいたくは実情にて尤臣子たるもの さあるへき事なるを求過たるたくひ事を好 む様にもとかむへけれともと把夏の情はあるへき 事也大切におもふ老父母を帯におもへは聊の感冒 なりとてよに事と思ふましき也寒温の不定につ ゐても何角とものしあしき病流行する時は其 邪気をよけ山嵐の気をもさけんとおもふへけれ 是人の至情也古より忠臣は孝子の門より出るといへは 老父母のいたつきをも心にかけさるものは何事にも 実情はあらさるへしされは是をいかてとかめむ されとも又浅はかに口外してかゝる事聞ゆかく あらはかくせんなと建護所置めく事迄も茶語 にいひさわく尤にくむへき事也如此浅はるにいふ ものは心中さしても思はす只わか方をてらはん 為にして実に御為をおもふにはあらさるものも 多かるへしかの君子は国を患ふるの心あるへく国を 愁ふるの語あるへからすといへるにして只心中に 御為をおもはゝりの一分にて少しも防禦なと 藩翰相応の心かけをなすに職分の当道也其 当りまつの志を運ふまての事也其大名の封領も それ〳〵おひたゝしく賜ふは何の故そや藩輪の御固 の為にして天下の御為也さるに諸侯の徒にほし ゐまゝに形行をなし放食暖衣し麦欲に適 する事のみを心として臣民の上をは曽て思はす かくてもわれは祖先何かしか鷹なりと人に高振 てわのまゝのふるまひをなし御奉公といふは朔 望登城なとのみの事と心得かたくひになりゆき なは祖先の罰はものかは御恩恵に対して何と 言へけむかゝる不肖の主人なれは是罰を得へし 其対顔さま〳〵の禍袂来り困窮弥増にいたり ても猶さとらすわか般楽の道は費をいとはす 家中の借米等もいやか上にし民に最事も猶つ くしあまつさく祖先の事をもおつそのにおもひ 血統の事さへ心を用ひさるやうになり行ては天にく み鬼うらみていかて其国を全くせんされとも 泰平の御代の御恵ゆへに西の柱はくちてはてゝも 臣民誰 心を云へ 大風なと吹さる内はさすかに昔の建方ゆへ にさしてくつれ倒れもせさるを金殿王堂泰山 の安き心にて般楽するたくひ是浅ましき事は 云へくもなし扨かくの如くの心にて下へは放蕩令に 背く事をとのめ上を奉する所疎なりといましむ 是かの令する所わのする所に反する故下陋はさら なり其外たるものも上に随ひて苟且にやすへし 曽て尽忠報国の心なしかくては上下とも 上意に宵き各職分にそむきて猶も長久なら んと思ふはいかりそや戦競いさゝかも有ましきに 猶も変家の見分よき上にもよくし尊き上 にも尊かれとてなにかとわか罪戻のますを恩 はん徒に市童のあはれをうけんの心はいかにそや 是その国家の為と思ふか国家の為ならさる事 をしらん夏瓜の為と思ふかわか身の為ならさる をしらすかゝる心にては 上意のいかにも可奉恐感事を心には微すましくや あらんさてよしやこゝにしる如きの不了簡の輩 ありとも必又是をそしるへからす只々わか身に 省みて慎み真実に 上を御大切に奉存御奉公精勤し家来をめくみ 政事を正くし万花美なることをはふき臣民 の手本なる事は聊のひまもわすれす必困窮の 内に而も武器備御閑の具一つもつくりたし藩翰の 職分之勤道具了心をつるする我輩の当道の つとめなりあしく得なは隣のやくるにも油断する やうになりては 上意に有ん事必せり物こゝにしるす御奉公精 勤といへと朔望登城の勤かくることなく参勤 交代の期を延縮勝手にせさる如きをいふに あらん是らは家臣たるものは智となくつとむる 事にて御奉公の一つのうちといふへき事にはあらす あしく心得なはそれさへ寒しとて怠るや うになりては俗にいふはしもかゝらぬ事なるへし かくいふとてもその職々のある 只篤実に御為を心得は 事なれは御為を奉存候には 只わか身をつゝしみ末にあることくなすへきみちを 御為をこゝろゑるとぞいふ 初めいふことく政道を正しくし臣民を撫育し 文武の道を厚心懸るを御為を心とするとも 精勤ともいふへき也我猿智恵に慢してわか 位にあらすしていらさる建講所置めく事を いふは実に育言にして還る御為ならさる也 能々慎み思ふへき也さて大名之通患智ある も愚なるも大凡一般の患一つあり一つは何そと なれは慢心也我まゝも此慢心より出る也幼時より 家来なとのそやし立て尤道理器用ひ明とい ひて阿痩するよりして舟にまさるものなきやう におもふ也是主人とても幼ときの中はあしき 友なれはおのつから正直也其心より真にかくと 心得みつから堅方豪雄の様に思ひ我封国より 勝る所なきと思ひ芸事をなすも皆極致 にかなひし様に思ひ夢にまさるものなきと おもふより是はきらひかれはせす人のこと葉 きくにたらすと皆わかまゝをよき事と 思ふ様になり行也この慢心に心つくを大名僧 身の第一番の手を下す処といふへし東 夷御押への神慮長崎奉行へ合せられし 御沙汰なと実に天下の天下たる御心より 出る御代々の上意只ら奉恐感といふも 恐入たる事也あまりの有かたさかに何かと猶又 いひつらぬれは踰等の罪にもひらくへけれは いはさるを以て子孫への教誡とするもの なり 文政十年十月廿六日楽翁識 廿六