陸奧紀行
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- 坂口員正畫
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- 日本語
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- 2026-08-28T18:53:25.651810+00:00
将
堀田町
特別
陸奥紀行
荒井恭源郎
以テ購入セル竹博士
錦製亭吉阮藤
陸奥紀行
明和むつの年あつまに侍りけるひみちのくの名所
人の名所
を見んとめしつるゝものひとりふたりしてさつきの
朔日雨いとうふるにしゝちいて侍りけるすみた何のほとり
を過て彼業原のかそうなくとをくもきにけるかなといひ
給ひしあつまもあとになを奥をさして行も心ほそ
きに風さへそいてさむけさはさえかつる春のそらの
さまなれは
雪をさへさそふはかりにふきくるもさむき五月の雨の夕風
のり物に雨つゝみすれは行かたも見えすいと物うし
やゝありて越ケ谷といふにやとる
二日よへより風いたく吹雨もなをしきりに聞へしか朝いつる
ころはすこしふりたゆみしかと雲ふかくしてけふも
なを風さむきに里のおの子のつふやくを聞はかみ
つけ下野なとは雪ふかゝるなとゝいひあへるさもあらん
きのふよりのさむきは身にたへかたかりしと思ひつゝろは
さとの行手にあまた卯花の咲けるを見て
さみたれの空たにさむき道のへもまことの雪とひとやむ
かららしてすこし日影もはれそむる夕つかた栗橋の
宿にとまりぬへ
三日いと心よく晴わたりしかいまた風のさむさ身にしみ
ぬきのふ里人のいひしにたかはて黒かみ山見やれ
は雪いとしろくつもなり
夏もなを雪いたゝきぬかねふれは黒かみ山も老やしつらむ
行〳〵は此あたりに思ひあといふありとひとのかたるを聞
て
分きつゝわれは都を思ひ川わたらぬ袖もぬれてひかたき
筑波山を見やりて馬にむちうちて行にほとゝき
すの鳴て過けれは
駒とめて聞は雲ゐに郭公声はかりして遠さかりゆく
小かね井なといへる水のきよに心をすましてく
るゝ頭うつの宮の駅につくやとのわらはへの蛍を
とりてなくさめにみよともて来りけれは
籠のうちにてらすほたるのかけめてゝしはしは旅のうさもなく
意候
うつの宮は柿本の尊霊を祭るとなんいふを聞て
しはしそ拝のうちほ
あふくそよ分るちさとの外まても尽ぬ言葉の道のひにを
四日朝たちいつるに青霜いとふかく四方におほひこと更寒
風身にしむは又雨を催すならんと心くるしく過るに
ほとなくはれいたりぬれはてる日のくまなきに夏とは
思ひぬれとやゝもすれはさむさむき風にまことのえとも
おもほへさりけれは
はるゝ日の光はさらに夏なから雲ふく風のたへぬもさ
白沢といふ殊は此ほと火災ありしよし一村は野と
なりし有様を見れはうき世の博奕もかくと思ひ
つゝけて
田は海とかはるならひか夢のまにさと一むらは野への立草
けふは絹川なといふをわたりあまた川〳〵を越て
大田原にやとりをもとむ
五日けらは端午なれは賤か軒は〳〵もあやめふくを見て
かゝる鄙まてもかはらぬ事を思ひて
けふといへはひなの長路の末まてもなへて軒は小あやめふく也
遊行柳なとなつけしあたりにきよき流れのいと涼
しけなるを見やりつゝ行〳〵て下野の国とみちの人
のさかいの山はふたつの御社ありさと人々とへは住吉
玉津嶋の御神なるよし住吉は下野にあり玉津島
みちのくにつくとなん此ふた神をこゝに祭るはゆへ
ありやととふにこたふるものなけれはそのまゝにふし
たみてさぬ此所しら川の関のあとなりと聞て
能因法師の都をは霞とゝもに立しかと秋かせぞ
ふくとよめるも思ひやられて
左郷は去年立いてぬ夏もはや半こへゆくしら河の関
道のひたりにしけりたる山あり是もしら川の関の
あとなりとなん今は関山といふよし所のものは二所
の関といへりむかしは陸奥へ入口に二ところ関を
とて置給ひしならんとかゝる是なん孝徳天皇
の御宇に諸国に関をすへ給ひし其最初とかや
かくて白川の城下にとまるけふは日高けれはそこ
こゝみめくりて阿武隈川にいたれは夕日も入ぬ
しらなみの音物すこし是か初るあふ隈川の水高くして
くれてやとりわかへりぬ
六日朝いつる頃くもうしかやかてはれわたりて須賀川と
いふ歌を出れは大職冠鎌足の御社ある森あり木々
ふかくしけれり所の人の盤瀬のもりとやらんいふよし
聞て
此頃の雨に春葉のいろはえもいはせの杜のかけそ木おかふ
郡山といふよりはるか行はいとゆたけき山のうへわ
ふりたる松一木ありあさか山なりと聞て
あさか山此山の井にやつれつるかけさへ見えて旅そものうき
あさかの沼も此あたりといへと道をいそく事ありて
立よらて過てあさか山あさかの浪は出羽の国にある
よしいまたみちのくのうちにて出羽の国わからさり
しさきよりの名所ならんとひとのかゝるを聞は
是もむへならんと思へと御たかなる事もしらねは
心にまとひぬきはあれと此所を安積の郡といへは
むかしよりこゝならんと心におもひて過く野原
あまた分てもと宮にあしをことく
七日くもりなからいてしに雨ふりいてゝくるしきに会津
といふ方のへなとゆきいとつかれりやかて少し
高さ小山に村々しけりたる内に精舎あり安達太良
山といふ額をかけたり是よりはるかにむかふの心
高年をあたゝらねといふとなん移しまを過こよひは
桑折といふにやとりとりぬ菊松原もちかしと
いへとたもしゐてふりけれは行もかたからんとてや
見ぬあすの事なと思ふになを両をやまさにさ
八日夜のほとに雨もやみて宿をいつれはほとなくはれ
わたれぬ藤田といふわきの高年よりしろかねほり
いたすよし此所にきはしきと人のかたるに御代の
めてたき事ともおほけなくもあふきぬ伊達の大木戸
なといふ跡を見やりてむかしの合戦の事なと
思ひいてぬやかて下紐の関の跡を過て道のひたり
右の樹々若葉蒼々としてみとりかきなりさか
しき道をめし下れはひとつの堂あり佐藤中心信
次信の妻夫のるすを此所にて守りしよし甲冑を
帯したる二人のかたち木にきさみ残したるもいと
あはれに見ゆはる〳〵と見ちのく分きつれは人の言
の花ふとふもこたふるもさらにきゝわかちかたきは見ぬ
唐士へも行けん心地しぬ仙洞の御製に都には
およひかたして旅にしていく国ふりを見あつむるにの
よませられしも思ひ出られて
はる〳〵とひなの旅路に聞わかぬ人の言葉首都には似ぬ
こよひは大川原に枕をとる
九日朝雲ふかくかさなる山を見れは都もいく千さは隔
けんといと心ほそきに行かふ人もなき野へを過
て
ことつてん便り。こと等なき古郷はいくへの雲の末にへたてゝ
館山といへるはふかくしけりて前にあら川なかれぬ此
あたりはかりの関ありし所となんき候て中田と
いふより少し行は道のかたはら小名とうの老女の住
し所とてひとつの社をたてとまつりぬ此老めのあゆ
文をはこひし紀の国熊野山を勧請せしもあたり
ちかき山にあるをふし拝みぬ老女みつはくみて歩行
なりかたくなりてより此処へ勧請して諸しと
なんかくて名とり川にいたる
なかれての末の代まても名こり川せゝの埋木うつもなす
今も埋れ木折〳〵はほり出すといへり長町といふよ
りつゝける町々を過仙台にやとりとりてけふは
日も高かりしか雨もそほちぬれは近きあたりも
見めくらすふしぬ
十日雨ふりみふらすみさたかならぬ日なれは立いてもせて
羇旅のつかれをやすむ夕つかたまやみて国の守の
居給ふまる葉か城を見めくりぬ大手の門の見かへ〳〵て
山はしとゝ蒼秘をかさねていと木ふかし此木立
まことに仙境のやうに覚え侍りぬ
仙人もこゝまん台か峯之よみしける春葉の陰そ木ふかき
は出羽の国へもつゝきぬるよし末をしらすといへり
相しれる人のもとへ立よれは盃なといてゝ千賀松島
なとのあそいを聞夕くれ宿にかへれはあるしなる人
のひとりふたりいさなひきてなくさめにと乱舞の
はやしものなとして興に入ぬや夜もふけ行は
また雨ふりいてぬ
十一日末の松山のかとへゆかんといひしに両いとふりて立いてんと
かたもなき空のけしきにたゝ枕をいとさて
ふしなれぬ旅のやとりは年月も心地する五月雨の空
日をふれは都も夢にみちのくのしのふもちすり五よまの空
十二日雨すこしやみぬと見えしかまた雲はれぬしのゝめん
郭公頻なり
見し夢のなこりをとひてほとゝきす暁ふかさ雲になく声
くるゝまてつれ〳〵なくさむかたもなく柱にそひて
ねふりを催すのみ
十三日明かたより雨やみ
三日明かたより雨やみしか又もふらんけしきなれとあまり
宿にもふし侘ぬれはけふはとかく出んとて先躑躅
か岡によきる末はさくらの馬場なとありて春を思ひ
やりぬ
春ならはさそなつゝしか岡ひろみつく桜の花もなかめん
野辺の西道を過て一村の中にいたれは沖の石と名つけ
し所をみるめ今に水たへたり是なん沖の井
なるよし立より見れはあたりに侍りける賎の男かい
へる道をこのむ人ならはあたりの名ところ書たるさらし
あり見せまいらせんまゝ一首よみてよといへりいと
心さしのほとかゝるひ草のはてにもあるよと感するに
たへて
名所にすめる身とてや沖の井の心ふかさも得てしらるゝ
此一首を沖の井の水を硯はししてゝかきつけやかぬ
末の松山を尋れは草堂のうしろなるこし
高き山に三昧のあるあたり松五もと六もとのみ残れし
落葉なとひろひて
おもなく身に年なみのこえぬまに又もきて見ん末の松やま
都しまといふを見る村のうちに石をたゝみえる所
なり小野小町の沖の井て身をやくよりも悲し
きは都しまへの別れなりけりとなん読しもこれならんと
打なかめはる〳〵行はのたの玉川にいえるわつかの流
れのみなれは
夏草にうつもれはてゝ今はたゝ名のみなかるゝのたの玉河
能因法師の夕されは塩風こしてとよみけるもむへ
なるかなすこし坂ををれは千賀のうらにいてぬ塩
かま残社に詣ぬいとはれわたれは心地よく船なと
むかふに籬か嶋も見えて
よそひてこゝより浦つたひ松しまへと棹をさせは
船よする籬か山鳥の末とをく見るめえならぬ千賀の浦浪
島〳〵は数もしられすさま〳〵に名つけし島とも凡八
百八嶋もあるよしえもいはぬけしき筆にも言のは
にも及はぬさまなりゆけはやかて松嶋も見えぬくるゝ頃
雄島に船さしよせてこゝより上りこゝかしこ見めくりて
くれにせまり松しまに宿をもとむ桜ありて登れは
月はれて海上にうかひ嶋〳〵見へ渡りて
たひのうさも忘れさけなとくみて
うき旅もわすれてむかふ松しまや雄嶋の浪にはる内景
山寺のねよとの鐘も聞わかて興に入ぬ
古日瑞巌寺をおかみめくりぬ伊達政宗公建立のよし
藪こん花をつくせりそれよりいてゝ五大堂といふを
見る此所へわたる橋ははなれたる島より島へつたせね
ゆへ橋柱もなくふたつまてこえ行は雲をわたる
心地して詣ぬ帰りてとをくより見れは虹を
見ることくにてけしきいはんかたなしけてなん
美津の小嶋といへは
塩風に雲はれ行て朝日さす美津の小嶋の見るめえならぬ
松嶋をいてゝ高城といふ浜辺は塩やのけふり
打なひくもめつらしはるかに山坂を越へ登山と
いふにのほる大仏寺といふにあないさせて思ふは
児のいてゝ折戸をひらけは庭に入て見わたす
けしき松しまの島〳〵手下とることしく絵にも
及はしあまり致景のおかしさに言の葉もなく
て時をうつしぬかくて山を下りてはか〳〵行は
石の巻のみなとにつくけふは山道をわけぬれは
つかれて盃とゝもに枕をかたふく
十五日みちのく山へ船にて行んといひしか朝のほとあめ
すこしふりいてやかて晴ぬれと海の上あし
かるへしと船人のいふにせんかとなくてけふはやみぬ
夕つかた相しれる人のきたり是より案内して
日和山といふを見せんと町をはなるれはやかて山へのほる
長浜なと見やりて絶景也山のふもとより川ふねに
棹さして行此ほとりは大なる船ともさし入ていと賑
はしきみなとなりみつゝこき行は川中の岩のある
ところ船せにとへは此所を石の巻となつけしも
是よりいへるとかたる見れは岩のめくりあまた水
のうつまくさまめつらしこゝより船を上りぬ此あたり
船わたしあり袖のわたりと聞て
心せよさうてもぬるゝ旅衣袖のわたりの柳の雫も
やとに帰りあすの船の事なときゝつるにあるにあるも
雨の催しあれはいかゝなれとはれなはいてんとそいひさ
十六日けふもくもりて船路あしかるへしとてそらのみ打
なかめて日をくらしぬ
十七日けふも船いてされは川を隔てむかふも湊といふ町の
かたはらに御所の入江といふを見めくりぬ後醍醐
天皇の第八の王子此所にしはし御住居ありし
所ゆへかくいふと里人のかゝるさる事もありし小や
十八日心よく晴ぬれとゝかく船はあしきよしいつまても
同し所に居んもせんなし陸よりの道をゆかん
と案内のものさしつれ松はら行み渡の万ふといふ
にいたる船の事こゝよりはいかゝと頼てけれは海上も
もよからんとてやかて船さしいつれは打のうえも
いはぬけしき見つゝ行漁船網引のさま山〳〵岩
ほは唐土の絵に見しことくいふはかりなし東は
一扶桑の外蒼海かきりなく見やりて
日の本のはてはなかめの末たへて雲と浪との奥の海面
相川といふ浜の蜑の苫郷に一夜をあかす
十九日山をすこし越れは山鳥といふ所ありみちのく山
むかふに見きて船にて渡るもし船むかふにあれは
こなたのつき鐘をならして呼ふ渡りは七八町も
あらんこき出れは大なる涛は山のことく立きたる
をのり越へ〳〵あまれる浪万丈の岩ほく打
よするは空もくもることくに立あかりてくたへる浪に
雪をふらしぬ大海かくあらんと思ひしよりはまさ
りておそろし船人わきけはけふはいとしつかなる
海なりあるゝ日はいふもさらなりとから鷺にすこし
は心もやすみぬわつかの渡りなれとも一時あまり
もかゝりてむかふにつく丁なたより見しにかはりて
渚の石玉をしけることくにして大なる嶋なり
廻れは四十余里もありとなんかくて弁才天の
宮にもしてぬ聖武皇帝の御宇に始てこかね
を此山よりさゝけしとかや是によりて家持皇
しき御代さかへん北々東なるみちのく山にこかね
図さくとよみ給ひしとなり今はなへて金花山
いへり其頃金ほり初し所は山のうし路にて二日
はかりもかゝりていと難路のよし此あたりは岩ほ
金色なりとなり
今もなを金の花の名に高きみちのく山の動きなき世は
此嶋別当のすめる給み人家はなしあないの人を
とのみ山上へ登るさかしきをしのきは道のかたはらに
岩の中よりわきいつる水いときよらかにして手に結
へは身のことしくこれなん金生水ならんと見つゝ
やう〳〵絶頭に攀登れは海上かきになく見え
白雲山根を廻て浪とあらそふさまなと見るも
めつらし業平のいとゝしく過行かたの恋しきに
うら山しくもかへる浪かなとよみ給ひしいせおはりの
海よりはあらきなみ路を見て
かへる浪をうらやみし世も身のうへに見るめかなしき貝ふ海の
一少し坂を下れは水毘石といふあり六角にして立たう
高さ十三尋計ありて清らかなりそここゝ見廻り
嶮岨をへて別当のかたへかへれは酒なとすゝめられ
ぬ風いてぬうちにといそきわたらを渡り相川に
帰りつく船に打のりくれわせまりてわたの葉に
つく松原をたとり〳〵夜も半の前に石の巻かへる
廿日船の事なと頼し人のもとへゆきて船路又は山の
さまものかたりしてかへれはやかて夕功なとめなり
廿一日ひさしく滞留しぬれは立いてともときし道を
行に両ふりいてゝぬれつゝたとる高城の浜戸屋
見やりて
さみたれや塩やかぬ日もうらの蛍のからき思ひに袖そぬれそふ
松嶋にかへりてとまる蚊の声さほふに蚊遣火焚て
かの声も遠さかりゆくたきそへて烟いふせぎやとのあく火
廿二日国の守の松しま眺望の亭を目見かさきといふ
に立たり内へ入て見廻りぬ太閤秀吉公山塔の
伏見にとて置したひし御殿を国主の先祖正宗公
拝領ありしとていと美麗なりやかて船にのり
松しまをこきいつれは又ふたひこん事もかたからん
と名こりありてふりかへり見つゝ行に船はなをとゝま
して行は
松しまや雄嶋の望みのかへり見る名こりもさらに遠されも
俊成卿の立かへり又もきて見む松しまや雄島の筆や
浪にあらすなとよみ給ひしもかゝたけしきさもあり
けんと思ひつゝほとなく千賀のうらにつきて行まゝ
につほの石ふみを見る
たて置て末の代まてもくちぬ名をこゝに残せるつほの石ふみ
此あたりの畑をほれは千とせ余もなれるむし
の多賀城の古風ありといふみそここゝうもちてわれ
残りとるを得たり
今もなを見るに珍らし千ゆへても軒のかはらの土に箕なて
十府のこゝ行こもは道のほとりすこしよきりて行は
いさか残れるに垣ゆひまはせり
今もなを残るもとひてしきしのふ跡もなのみのとふのすこも
おくの神道なとみやり宮城のゝ原を分れは萩の
わかはあまたしけれるを手折て
秋さかん心の花を家つとに手折若はのみやき野萩
玉田よこ野なとを過て申の半に仙台につく
廿三日金蔵山のかたへの道の事なといとせちに心をそ
へられし人のもとへ家つとなとおくり行てもの
かたりしてあすなんこゝを立いてんといふひひとなし
ふた日はいてまりてこゝかしこ見よあないせんといとせせ
なる言のは是も他生の縁はやらんいふならんも
袖をしほりて
立よりし一樹のかけのあさからぬ松本郷いつの契りなりけん
廿四日くもれぬれと立いてんときのふせちにいひし人のそと
へ立よりて名残をのこし立いつれはあなひなから
見送らんとともなひ出正宗公の霊屋なと拝み
恋路山を過はる〳〵と石階をのほりあたこ山に
もうつ仙台の人家目下に見へて又山を越れは
大手寺といふ精舎あり黄檗宗のよしくいれ
殊勝なるにこと更大地なりやかて広瀬川にいてぬれと
はや一里もきたらん見送り給ふも是まてについさ
帰り給へといふにさかなものに竹の葉のあらたなにて
携てきたりしよしなこりにとてなをせちなるな
すけくみつゝわかるゝもいとなこりありて
わすれしな今の名こりは別れつゝかへる東のほとはありとも
雨ふりいてゝのる駒もすますうへ松といへるを過し
てやとりを岩沼にもとむ
廿五日武隈の松は山石浪の宿のうちにありといふに分つゝ
みれはいまたさのみかねのふりたるさまにてもなく人に
とへはむしの木はかれて後にうへきりとむかし
ありし処ともちがひたりといへりむへなるかな能因法師
〽みちのくへ下り給ひし時武隈の松は此たひ跡もなし
千年をへてやわれはきにけんとよみ羽へはそのゝちうへし
木ならんと
尋きて見るもめつらし武斎の松はふた木の後の栄へを
相馬に例年さつきの此頃神馬かりの神とあるよし
きゝてよき折からなれはまからんと朝雨いたくふり
しか立いてゝ道をよせり馬に打のう行ほとは雲ふ
かくして行かたも見へさりき
行かたは道しる駒にまかせても心にたとる野へのしら雲
雨いとふりて間も小河も水溢れて行かひはいと深く
みなきりて動もすゝますやう〳〵たとり行てすこし
高さかたの田面を見れはさなへうへわたせしを見て
うへたてし千町のさなへはる〳〵となひきふしたるなりし
松はらを過るに雨あまりしゐてふりけれはしはし
木陰にたちよりて
ふる雨のをやむを松の下陰も木す浦の雫袖に物う云へ
くるゝす相馬の中村にやとをもうく
廿六日両しゐてふりけれは神馬かりの神わさもやみぬときゝ
いとのこりおゝくおもほえぬけふもふりくらせは道むゝち
の川々も橋落なんたゝ今日はとゝ奉りてよとさま〳〵
物かたうし越後の国の人なんとにも始て逢かよひし
ぬるゝるゝ頃宿のあるしのむすめ十とせあまりにたきに
小女ともいさなひきて袖をかへしまふもいとめつらし
く興しぬ
廿七日くもりなから立いつる山に分入れは人さともなくて
若はみとりかさねし峯かたはらにそひえ谷めくり
てふかく嶮路を馬にあせしてのほれは野高のすめる
原もはるかに見ゆなを山ふかく入て谷の松かけに猪
の子のふしたるを見て
音にのみ聞しを今そ松陰に見やるふす猪の床除らし
雲ふかくしてたもり〳〵草野といふ村につくいと
あはらやに一夜を明す
ねられぬそ旅は物うきさとの名の草の枕の一よはりも
廿八日空はれぬるけしき小野山もいと心よく見わたし
あまたといふにいたれは蚕あまた飼ふを見て飯野と
いふより谷へ下れは又あふ隈川の川上をいたる此程
の雨に水ましてきのふまてわたりやみしよしいたし
守かたりぬやかて棹さしていつれは水いとはやく山石
せにみなきり落ておそろしきさま也山〳〵をへて
二本松につく
廿九日朝やとのあるしあないしてあたちか原の黒塚に行て
見れは大なる岩あまたとりかさねとうむかし
は此あたりは人里もまれにてあふくる河のなかれをかまへ
て白浪のよう也旅人なんとなやませしとなん今は
民家もこゝかしき見えぬれといと物すこき所なり
彼重之かいもうと住けんとてかね壇のおにこもれりと
いふはまことかとはひやりし事も思ひいてゝかゝる所等も
侍けん事よとしはし立やすらひて
尋きてあたちか原の黒つかにこもりける世もおもふさひしさ
しらま弓のくわん音といへるを拝して行ほとにけふは
道ちかけれとめしつるゝもの本みやといふに立よりかた
らふ事ありといへは日高けれととまりぬ
卅日朝しはしふりしかやかてしきりにふりて雲はれ日かけ
はるゝけしきこゝろうれしく四方のなかめもことふ
りたる小はあらねと本わけさし道なれは駒にむち
うちいそきて失吹に枕をとる
六月朔日雨風さむきにけふは氷宝山さそさえぬらんと思ふ
ふも身小しみぬ那須野へも此宿よりよきれは日
高なから雨もいとふれは白川にやとりをさたむ
二日道をよきりなす野へと行風雨をさそひてさむく
山の原のみ行は谷川のなかれに至る
しけりあひて山心ねはそれと見へわかす春葉をはしる谷の川水
はる〳〵と分行は顧る跡は目も及はぬはかりの原也
山をすこし下袖はなすの里にて出湯あまたあるを
治て
音にのみ聞しをけふそ汲てしる那須のゝ奥のかる出湯は
殺生石といふにいたる五十年はかりこときに山くつ程て
今は小石とも落かさなりうつもれ見へわかねと人々して
此あたりは鳥獣立よれは死すとなんいときひしく
垣ゆひまはせり
後の世は何となす野にたてる石の主よあまたの罪を重じて
此さとにやとる
三日めつらしく快晴してなすのゝ原を分る平かにして
松たてうむかしはかきりなき原のよし今も末しられ
ぬさま也はる〳〵行て着いつゝわらやあり候へは今
此あたりにあまた村出来たりとなんなへての名を
狩野といふよしかたりき苦狐かりせし所ゆへ
かくいふとなり夕つかた夕立のけしきふり過しか
虹たちてはるゝけしきいとおかしくて
夕立の雨をさそへる雲まより虹見え初てはるゝ山もと
大田原にとまる
四日けふは道ちかく日高けれと安久津より川船にのらん
とやとりとりぬ
五日朝少しけりしかやかてはれて舟に打のり行は
水急流失をゐるよりもとくて十三里は夢の
ことく過て
さま〳〵にかはる詠もさらぬ目に御たらぬ計早せ行ふね
午の刻はからにくほたといふにつきて陸を行
〳〵てくるゝす境といふに足をやすむ
六日けふも舟にていてんといひしか朝のうちは出すといへは
陸を過て関宿の関をこゝみちろく海道のかす
かへといふにいてやかて越谷にとまる
七日けふはあつまのやとりにつくよと心いさめと思へは古
心はまたはるかなれはうれしき心のうちにも旅
の心やすまて
古郷を思へはとをきあつまにもかへる袖には錦かさらん
かくて浅草の観音開扉ありしかあすなん
かきりとて道すからあまた人つとへれは立よる事
さへかたくてはるかにふし拝みてひつしの
をはりはかりあつまの草堂につき侍りける
宣俊
華押
いはてしのふはといへるみちのくの
爰かしこ日をへて遊歩しける
あま堂名ところ坂口貞正に
絵かゝせ一巻となせる雅情ゆ
れのみは独具羅しとて
古郷人のつ冬に書つめし
ゆきまてにこ曽は
行てみぬ人の生めとや
もし保草心をよせて
かきつくしけ舞
春秋庵
華相
予尊師宣俊先生前年旅行の記此節
寛政八辰年季冬拝借書写之者也
良ト
開き不良
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粟
自是日本外
仙台辺ノ
流人嶋也
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同浦
}
仙台より塩かま松嶋
石巻金花山迄道
筋并に名所々之図
宿船宿等記之
塩かま
船宿相沢や仁右衛門
宿太田や与八
ある
松嶋同前藤
ひし太
右之巻
右之巻同おくのは
中町すゝきや
三十三丁
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七日
二里
本
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同二十一年
一ツ
石之巻
此内八百八嶋
針かしま
千賀浦
塩竃
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一里
戌二一
ヲシマ
木嶋
月み崎
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野田玉川
金五
同
金五分一
市川
坂かる
追分
都嶋
沖ノ
為
未ノ
同
冠川
南部伊予
部津軽肥前
七北辺
ツヽシガ国
スケ所
米ヤ四
同様
仙台
福田町
四日
ミやキ野
白
川
同
右
関
□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□
山
同
大
達
女
伊
伊勢
大
木
戸
え
くらわり坂
城
葉
青
仙
壱台
井
沖
□□□□□□□□
乃
申上候以上御奉行
山
ス
2
未
一
王
田
野
中ノ、
十一日
十一丁
塩竈
明神
千
賀
南
塩
社
電
早速
五十五日
雲
地
山
男
□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□
年ナル
兼
五十一冊
秀
院
松
右六
□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□
□□□□□□□□□
相撲
坂
□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□
女
十一
八
十
山岳
中
第二号二号号号号号号号号号号
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十一日
湊
巻
石
金
華
山
同七斗八升
石津
石
壷
擲
安
安定
原
黒
同二十一日
ます
生
石
廿九日
須
教
□□□□□□□□
11
こと
同
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御酒寄八幡
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さま
御本
13672
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以上
四才