品川神社富士山より海
- creator
- 不明
- created_at
- 2026-08-17T19:23:09.590Z
- updated_at
- 2026-08-17T19:23:09.590Z
- field_notes
- 場所: 東京都, 地理的位置: 日本国, ページ数: 1
- field_rights
- CC BY
- field_creator
- 不明
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- 日本語
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- 發行所芝新堀町卅六室田老樹齋
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- completed
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- シナガワジンジャ フジサン ヨリ ウミ
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- 東北大学
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- 2026-08-05T15:08:44Z
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- field_ocr_updated_at
- 2026-08-28T18:53:25.651810+00:00
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写真は品川神社富士山より海を
写す海面黒き處〓砲台場なり
むかしがいこくせんようもんおほした。
昔外国船の防問漸次多きに随ひ
をくがわはくぶかいぱうたてちくぞうかえい
徳川幕府海防の為め築道路水六
年の成功す今や斯る
砲台の説明は必ず一笑に附する
そのたうじほうだいでき
ならんも其当時砲台出来し時は
江戸士民は枕を高くして衰られ
だいは本を寺せん、さきはるが
しならん』金場の右漁船の先途
に房総の諸山富津の砲台は其方
面にあり今見渡す処此山より海
がんまですてうどんかつが会。よらほ
岸迄数丁人家織なるも享保年間
迄は此下海岸右一
よところかめのこまつつのいつつのいかし
丁余の処亀甲松は名木にて昔は
震の松と云浪の為に根を洗はれ
しと云』其先東海寺開山は択
庵和尚と云大根を楼と地で押潰
たる諸君御存じの香の物は此祖
尚の発明なり墓は白煉化製造
所辺にあり又其先に四季の樹木
花の眺ある妙華園あり』台場の
左遠き処深川洲崎二本の燈突は
木場の発電所其左月島佃島より
日本橋京橋京橋方面近く芝に入り高
仝日輪泉岳寺品川停車場は左方に見
○其上御殿所にで其上御殿山昔は櫻の名所光も
四季の風景に富めり詳綱は改正
老樹名鑑にあり
発行所之新堀町卅六室田老椹齋
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写真は品川神社富士山より海を
写す海面黒き處〓砲台場なり
むかしがいこくせんようもんおほした。
昔外国船の防問漸次多きに随ひ
をくがわはくぶかいぱうたてちくぞうかえい
徳川幕府海防の為め築道路水六
年の成功す今や斯る
砲台の説明は必ず一笑に附する
そのたうじほうだいでき
ならんも其当時砲台出来し時は
江戸士民は枕を高くして衰られ
だいは本を寺せん、さきはるが
しならん』金場の右漁船の先途
に房総の諸山富津の砲台は其方
面にあり今見渡す処此山より海
がんまですてうどんかつが会。よらほ
岸迄数丁人家織なるも享保年間
迄は此下海岸右一
よところかめのこまつつのいつつのいかし
丁余の処亀甲松は名木にて昔は
震の松と云浪の為に根を洗はれ
しと云』其先東海寺開山は択
庵和尚と云大根を楼と地で押潰
たる諸君御存じの香の物は此祖
尚の発明なり墓は白煉化製造
所辺にあり又其先に四季の樹木
花の眺ある妙華園あり』台場の
左遠き処深川洲崎二本の燈突は
木場の発電所其左月島佃島より
日本橋京橋京橋方面近く芝に入り高
仝日輪泉岳寺品川停車場は左方に見
○其上御殿所にで其上御殿山昔は櫻の名所光も
四季の風景に富めり詳綱は改正
老樹名鑑にあり
発行所之新堀町卅六室田老椹齋