講演:道徳、経済合一論(二)Union of Morality of Economy
- AI要約 (β)
- この文章は、孔子の教えについての解釈を述べています。特に「素子を喰らい水を飲み、地を曲げてこれを枕とす楽しみ又そのうちにあり」という論語の一節について、孔子が理想的な楽しみとして貧しい生活を推奨しているわけではないと説明しています。孔子は義に基づいた行動を重視し、不義に基づく富や成功を忌み嫌っていました。彼の教えは、義に反しない限りでの楽しみや幸福を追求することを示しており、風紀を偉しむのではなく、不義を避けることを強調しています。
- pid
- 3574644
- date
- 0000
- note
- 商品番号 : 15289, デジタル変換後ノイズ除去 : ノイズ除去なし, 講演
- year
- 0
- genre
- 講義、講演、演説
- creators
- Shibusawa(渋沢 栄一)[作詞], Shibusawa(渋沢 栄一)
- duration
- 166
- persName
- Shibusawa(渋沢 栄一)
- publisher
- ニッポノホン
私の巡法する功夫師の教訓は、決して作用のものではない。
論語に、素子を喰らい水を飲み、地を曲げてこれを枕とす楽しみ又そのうちにあり、とありますが、
突然これを聞くと、なるほど孔明風紀のことは、
孔子はとんとえに背ぬかのごとくに思われるかもしれませんが、
それは解釈が悪いので、楽しみ又そのうちにありの句に、
真相の意味があるのに、静かののであります。
聖人はその心、人事に押るをもって、歓喜嫉妬な生活のうちにも、
また大いなる楽しみがあると、返すべきであります。
決して素子を喰らい水を飲み、地を曲げてこれを枕とするを、
理想的の楽しみと成したのではないことは、もまたの一時でもわかります。
孔子は義に反したりは、これを得ましめておりますが、
義に合したりは、これを道徳に可能ものとしておることは、
風紀を偉しむの言葉は、皆不義の場合に限っておる、
のおるにみても明らかであります。
不義にして富勝立つときは、我において不運のごとしといえ、
富と立つときとは、これ人の欲するところなり、
その道をも手続してこれを売ればおらざるなりと言うたのは、
決して風紀を偉しんだのではなく、不義にしてこれを売ることを忌ましめたのであります。
また、白が青春を問うたときに、孔子は義をみて義を思うと答え、
また、君子に旧史ありの章にも、得るをみては義を思うといえ、
章が死のことを言うたときに、孔子のことをそのままに、
得るをみて義を思うと言うたのをみても、
何かのおたりは、孔子の行いとしてはずるところでないとしたのは明らかであります。