青年に告ぐ(二)
- 作詞・作曲・編曲・実演家
- (元拓務大臣)永井 柳太郎 閣下
- 製作者(レーベル)
- ビクター
- 歴史的音源ジャンル
- 講義、講演、演説
- 出版年月日
- 1936-01
- カテゴリ(AI 付与)
- 社会・思想
- キーワード(AI 付与)
- 国家, 青年, 革新, 思想, 制度
- 注記
- 商品番号 : 53685, デジタル変換後ノイズ除去 : ノイズ除去なし, 講演
国家もまた個人と等しく時代の変遷に伴うて思想上、制度上、普段の新陳代謝を怠る時は、ついに滅亡を免れないのである。
しかしこうして、この国家の新陳代謝に先駆し、時代作後の旧思想、旧制度を打破し、国家に新興国のはつらつたる生命を後折るものは、世界各国の歴史が実証するごとく、常にその国の新興勢力である青年であります。
青年をして革新の転職を遂げしめよ。青年を尊重することを知らざる社会は、自己の生命を尊重することを知らざる社会であります。
しかし同時に、青年自身もまた尊重に値する信念と人格との持ち主であらねばならぬ。
大正5年1月のことでありました。
時の総理大臣大熊重信公は、一夜指定に帰らんとする途中、何者かのために爆弾を投でられたのであります。
その爆弾は、二個とも公の自動車に命中したけれども、不思議に二個とも爆裂しないで、公は無事に帰邸されたのであります。
帰邸後、公は公然として私に言われた。
爆弾は二個とも強く自動車を撃ったに関わらず、内部の装置に異常があって、幸いにして爆発を免れた。これは天命なお大熊に損する証拠である。
自分はこの出来事によって決して勇気を疎走しないのみならず、かえって勇気百倍した。いよいよ戦わなくてはならんと言われたのであります。
一人大熊公のみならず、いやしくも自己の生存の真意義を自覚したる者は、生死をとするもその生存の真意義に徹底せんとする熱意を禁じ得ないであろう。
人間として生まれながら、その生存の真意義を反省自覚することなく、ただ物質のごとく存在し、物質のごとく日々を経過するに過ぎざる一生は、
たとえなおいまだ二、三十歳の僧侶を入れざるも、事実においてはトルストイのいわゆる一個の生ける屍に過ぎない、格納ごとき青年は青年と称するも青年の特権を放棄したるものであります。