評議会 昭和十三年 其一 コマ15

コマ
15
評議会 昭和十三年 其一
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2518
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の側において大學はどうなつたか。大學は時代に率先しつゝあるか、大學はこの時代の知的指導者となつてゐるか その資格をもつてゐるか。またそのやうなものとして承認されてゐるか、それともこれは時代のほかにとり殘され そしてそれは第二の敎權となりつゝあるか。』 『問題は單なる大學自治のそれに限らない、否、總長や教授の任免形式のごときことは末である。自由主義大學か ら全體主義大學へ、これが問題であり、この問題が解決されねばならぬ。 といふ如き論調が現はるゝに至つたのは、同じ『日本評論』八月號社説『知的動員の問題』に於ける現代インテリ渾 効論と共に注目すべき動向である。 『全體主義』云々といふのはフアツシヨ模倣の淺薄を露出してはをつても、變動する時潮への敏感反應は認むべき である。特にその際『教育の方針それ自身が根本的に變革されなければならない』といつてゐるのは核心に觸れ來つ たもので、『いのち』九月號に發表された東大法學部學生小田村貞二郎氏の『東大法學部に於ける講義と學生思想生 活』に注意を促したい。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 立つてゐる思想的學術的基礎に對する檢討から開始せらるべき問題であつて、單に國體不明徴敎授の進展問題や、 講座増設等の形式的學制改革の如きものによつて達成せらるべくもない問題である。』 といふ見地から、小田村氏が河合榮治郎、横田喜三郎、宮澤俊義、矢部貞治氏等の全く驚くべき講義内容を文字通り 白日の下に暴露しつゝ、生理心理的苦痛を覺えしむる公慣からの改革意志を以つて綴つた現東大法學部の現實無視視 國呪詛の誤謬反國體學風に對する學術的批判の言葉を、責任者當事者は勿論、一般朝野識者が虚心担懷に味ひ、それ ぞれその責任をとるべきを勸告したいのである。 三、帝大學閥の跋扈とその自由硏究抑壓 猶ほ前記『中央公論』の論文中に、三木氏が 『從來の學問及び藝術の歴史を見れば分る樣に、研究の自由を欲する者は屡々アカデミズムに反旗を飜したのであ る。現在に於いても大學の傳統主義が研究の自由を妨げてゐる例は尠くないのである。大學にどれほどまで自由精 神が生きてゐるか問題である。むしろアカデミズムに對する鬪爭のうちに自由精神があるかのやうである。かやう にして今日の革新時代において問題になるのは、大學における研究の自由であるよりもそのアカデアミツクな傳統 主義であると云ふこともできるであらう。』 といつてゐるのも事實の正しい指摘であつて、帝大教授らはその國家的地位名聲と社會的評判とにより出版書店から ジアナリズム言論機關までもその勢力圍に收め、その非學術的反國體思想を以て時代思潮を掩有して、眞の學術研究 とその自由なる發表とを阻害し排出し來つたことは顯著なる事實であつて、文部省の『精神學硏究奬勵』や『日本 諸學振興委員會』や外務省の『國際文化振興會』の如きもその實例に外ならぬのである。西洋に於いて、また自然科 學方面に於いてすらも、眞に劃期的な獨創的研究が屡々大學以外、また大學の學風に抗して民間から起つた歴史的事 實があるが、現日本の特に精神科學哲學方面には殊にこの傾向が著しいのであつて、眞實の意味に於ける『研題の白 田』を促進し澄溂たる自由精神を學界思想界に振興すためにこそ、現在の帝大の學風制度に對しては『改革といふが 如き言葉では表現し得ない程の根本的改革』が斷行せられなければならないのである。 また三木氏が該論文中に