雜説問答
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- 伊勢貞丈答
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- 場所: 江戸
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- 伊勢貞丈答
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- 日本語
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- 蔦屋吉藏
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- ゾウセツモンドウ
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- 東北大学
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狩衣服
一二四
田
□□□□□□□
雑説問答全
十一月十一日
一〇
雑説問答
一柴井恭唱院ノ司附会ヲ一
以テ購入セル竹関博士
荻野亭吉氏善蔵
一鯨波と申事は籠城へ押懸候節或は聯合のかけを以
の節最初にときの声を揚候由此儀心得大概之処并
声の揚様数三ヶ度に限り候哉勝ときには訳も有之
めし哉楊様心得御座候哉ときの声と申儀鯨波をは
しめ色々に書申候いつれを用可申候哉
一答城責野合に不寄合戦の初にときを作り候へは
敵もときを合候是合戦をすへきとの合図ニ而候敵にも
ときを合するは其段承り候との答にて候是互の礼にて
候と大将声を発してゑひ〳〵と被得者諸軍
勢あらと声を揚ケ候三度ときを作り候敵方も同事
ニて候勝ときは大将床机に腰をかけ凱陣の肴を出し右
に勝粟を取り瓦に扇を持ち扇をひしきてつかひ
なからゑい〳〵と被申候得ける諸軍勢あらと声を揚ケ候
是又三度ニて候今も世の諺に我理軍なる事を左前
をつかふと申は是より出たる事にて候拙者か家に覚
一悟候得は右之通に而候此外諸家の説色々かわりも有之候
一門共ケ様の事ハ流々の習有之候家の吉例等多く有之
候得はいつれをよしともあしくとも申間敷事に候
ときの声と云字鯨波とも鬨声共書申候何れも昔
より用ひ来り候得ける何れもよろしかるへし又
あらと声をあけるは大将の左の方ゟ楊初むる也右
より声をあけ初むる事を忌む也是は何れの家
にてもかわる間敷候
一矢さけひと申事は敵を射あて候節声を発し候哉
不当候とも声ひ発し候哉何と申声に御座候哉数
も有之候哉
答矢さけひとも矢こたへとも申候平家物語に頼政
のぬゑを討られし事を記したるに手こたへしてはたと
あたるゑたりやおうと矢さけひしてとあり得たりやは
箭さけひにあらすおうといふは矢さけひなり大平記に
佐用左衛門三郎か名越屋尾張守を射たる事を記したる
に胡篠を叩て矢呼をしとあり又夫木抄に信実の歌に
一道おほき那すのみかりの矢さまひにのかれぬ鹿の声そ
聞ゆると見へたり矢さけひは矢あたりたか時なしてはさ
市はつ候狩の時には頭をあおのわてあしと長く云也
是狩の矢さけひ也犬追物の時は頭の弓手へなしておうと
高く云也狩の矢さけひの事は多賀高志か狩詞記に
見ゆ犬追物の矢さけひの事は犬追物財手具足記といふ
書に見へたりあゝといふは狩にかきしおうといふは軍陣に
にも犬進物にも云也さま〳〵あれとも正説にあらす右
に記す処正説也
一矢こたへと申事は如何心得可申候哉
矢こたへと云は矢さけひの事と麗に右に記し候
一矢ふすまを作りて射ると申事は如何心得可申候哉
一答失ふすまと云は射手を数多並へて射させ候へは百千
の矢連に飛形恰もふすまを張手たる如くに見へ候故矢始
すまと申候
一馬いかたを組て川を渡すと申事如何心得可申哉尤甲
一冑弓箭を帯し馬上に而渡し候儀と存候歩卒はいかゝ
組合候哉
答馬いかたの事平家物語源平盛衰記大平記なとにも
有之古き事に而は馬達者成人は一騎渡し候佐々木高
綱同盛綱梶原景秀の歟其人に而は馬達者ならぬ輩は
馬いたを組て渡し候馬いかたの組やらは大坪入道道禅
か著せし雲霞集に云河を渡す事馬いかたを始て十疋
も廿疋も馬を立並へて長竿を鞍の前輪に渡し
て鞍にしかと〆付拾疋も廿疋も同し如くに討入る渡書は
馬のよわきはつよきにつれられて渡りて馬数同こと
くにわたし候へきよき程の大河も渡りすますなりしつ
めはともにしつみ渡れは一疋も不残渡さん為也同又竹
なとなけれは今の如く馬を立て人のむなかひをたかひに
取組〳〵十疋も廿疋も共に渡す也是も同し心得なり
と云み或伝に鯰を横たへ鞍の前輪にあてゝ騎馬の
一人各其鎗に手をかけ鞍に引付而渡すと云是前に云
ごとく竿を用ると同事也歩卒箕馬のあとに付而渡れ
は水勢よわくなる故渡りよき也右何れ甲冑をぬと事
は無之又鐙に庶を付て馬腹を鐙のはなれぬ様にすへし
と云又歩卒は孫楯を抜る緒ら以前後左右の草す
りを上へかき揚て胴へてり付て渡るへし袖をも付へ
からす足水にしとまぬ用意なり騎馬は泥障さすへ
からす又歩兵は浮袋を用ゆる事あり是水練を得さ
る人のする事也是等ハ常々試習弥せまほしき事也
一旗持候事兎角馬上の者にもたせき古代の定に而
今は歩卒におわせしまいつすゟ左様に成候哉兎角当
時ニ而もか北月負ニ帰し候哉
答召代は旗さしとて騎馬の士旗持は其旗は手長の
旗に而候馬上に而持候衆さのみ大なる物に而無之候歩卒の背に
負せし事は謙信信玄ゟの事と思はれ候古書に述
卒に旗負せ候事は不見候
一幡の製古風当時違可申候先流旗は幅何程長サ何程
と心得可申候哉尤当時はのほりはたと見へ申候是又幡長
ヲ何程と心得可申哉乳の数も同断旗にふうたひと申
者有之候哉
答召代の手長の旗古き物を見候に定りたる事も無之長
きも短きも広きも狭きもは古代は物にかゝわりたる事
なし時々心まりせにしたるにて候へしされとも大
体は一丈の内外二幡に而は三幡のも有之候後代ののほり
旗も康正二年畠山政長手永の旗に乳を付すし
めしなれは寸尺同断なるへし長短に随而乳数
多少有へし是も定法とては有へからす又ふうたひの
事政長の時風帯は有へからす後代人の好ム風帯
乳数を物にかたとり候事
付始しありへし未詳候
人の好みによりへし
一一はたと申字如何心得可申哉竹冠を付候は倭俗の字
本書ニ無之由旌旗幢幡等の字如何心得可申候哉
答はたの字多くは俗用に旗の字を用ひ候竹冠を
付りもの誤りは又幡の字なと用候幡は説のはたの総名
の字に候得は幡の字用候をよしとすへし唐土のは色々
製作多く候故旗旌奪祈施旗遊等の文字を以て
其品を分たる物ニ而かの品々の旗我国の物とす大に違候故我
国の旗の字に石の品々書開かたし石唐土の旗の品々
の図は詩経大金三才図会武備志に有之候御覧候はゝ
明にしれ可申候
〇一大馬印小馬印大纏小縄等の事大概如何心得可申候哉
答古代馬印纏抔は無之候是は旗の変したり物に而馬
一印の一名纔にては馬印は大将の印なり其印を見て人
に大将に付給ふ故人数をまとふ儀二而まといと申は馬
印は天文元亀の頃ゟ出来し成へし信長記甲陽軍に
鑑等に見へたり
一具太鼓鐘を鳴し候事大概何の時具を吹何の時太鼓
を打申候哉心得申度候甲州流謙信流吹様打様小定
御座候由上古近代の定如何御座候哉古代は用候哉
一答金穀の名日本記神后切皇記に見へ候得は上古ゟ
軍に金鼓用ひし事知られ候又軍法令に鼓鉦大角
小角見へけるは大宝養老の頃より虎に此物用ひら
返し事明也大角小角は吹物に而は是後世具を吹に同し
一源平盛衰記砥並山合戦の条に太鼓を打法螺を吹と
いふ事見へたり又範類類穀京入の条に源平水嶋合
戦の條にも太鼓の事見へたり扨何の時貝を吹何の時太鼓
を打何の時ハ鐘を打と云事是ハ元来定法無之事二而候
是は其大将の心得次第に合図を定め軍勢約束を堅く
して置て時に臨て兼而の約束の鳴物をならして人数
を遣ふ事に而ゝさせ一定なる事は無之候太鼓貝鐘三
留共に打積吹損工序破急三段あり是又兼而約束を
堅めて三段の打様吹様ニ而合図をする也今世軍者の教
成に定法あり是は甲州流の定法信玄家の合図の仕
方なり謙信流の定法は謙信の家の定法也是を学
ふ輩天下古今の定法如此と堅く泥み思ふは悪なり定
法と云事ハ無之大将と諸軍勢との約束次第なり
一貝は形見申候太鼓もわくに入せおひ申候を見申候鐘は
如何の形に御座候哉具太鼓の形古代の書にいり御座候哉
当時はいつ頃ゟ初り申候哉
一答釐は上召は軍防令に鉦と有之を義解に鉦は金鼓也
と注し穀は皮穀なりと註す其形製作不詳候後代の製
作の式は信玄臘信両家の流儀の式に而は是又天下の通
式といふ物にはあらす候是又大将の好候而いり様ニも有へき
事に候又後代のかねは喚鐘を用ひ候持行候には音竜頭に
棒を通し両人にて荷申候
一憤鼻褌の事上召当時之儀并当時手懸に極り候者
いつ頃の事に候哉具足着用の下にも先肌袴を用申哉
但先日の巻物に出候を用候哉
答犢鼻褌の事日本記神代の巻に火酢芥命の
事を記されし章兄着二価鼻一といふ事見へたれは神
代より此物あり和名抄にもあり年中行事の絵巻物に
朝廷相撲の節会に相撲人犢鼻褌はきたる図あり其
一禅短くして足の価鼻の穴に至るはり匁なり故憤鼻
禅と云なり和名はたうさぎ又はだばりまとも云手綱の
事は上古の書に見へす上古にもる何といひせんもしらす
あまりに立入たり物成故見へさるか手綱の事体源
抄に義家朝臣鑑着給ふ次第を記したる処に第へに
手綱第二に小袖と有又曽我物語にも相撲の事を書
たる条に着る物を抜手綱二筋よりて胴にまき付る
とあり按るに古は手綱をかきたる上にはだばかまを着
しけるなるへし鐘着か時にはたはかまをは略して手
綱計用ひしなるべし源平盛衰記高綱宇治川渡
の条に作り来か郎馬常陸の国の住人鹿嶋与へとて無
双の水絲あり鉄抜捨て肌袴かきと有是手綱は本より
かきたるくに禅を着したる様にきこゆ今の世のことく
手綱計用ゆる事何頃よりと云事詳ならす近代
ゑほふしすあふ常に着る事を略する風俗になりた
れは況やはたはりまは尚以て略する事に成しなる
へし
一馬面馬鐙は革を以て製し候由御伝承り候是を馬に懸
候儀戦度に用候哉懸候節御座候哉
一答馬鎧は上古より有之物に而候軍防令小具装とあり義解
に具装は馬甲也と註したり上古の製詳ならす近代は草
を以て製す中古は鰈を以て製したりともあり太平記
巻の二十二に畑六郎左衛門鎌の馬鎧懸て乗けるる見へたり
明徳記にも一色左京太夫金繰の馬鎧かけたる由見へたり
源平盛衰記には是[[]し鑓を可着とありて革とも
一録ともなし古草の製も有し故鯨とは立たるなるへし
一鎌倉年中行事に及合戦に前上馬鰈を懸る事前々
無之殊更供奉の時不可懸之綱歎を可然と見へたり是
戦場に臨て馬鑓を懸る事を云騎戦時且又歌陣に
馬物をして備を乱す時は必馬鎧を肴せつして叶ふ
へからす
一狼煙と申事如何心得可申候哉あけ時の儀も如何心
得可申候哉当時の狼煙はなにと申かたち色々有之様
に聞へ申候古代中世近代の儀如何且又いつ頃初り申候哉
答狼煙と云は昼の合図ニて候夜は烽を用申候是は道の
の程隔にたる処の味方へ告る合図也古は放煙といいしなり
軍防令に見へたり軍防令の放煙は艾菜生柴を求
め相和して煙を放つと有義解に藁は草の総名
也とあり上古は狼糞を交さりしと見へたり後には唐の
の法を伝へ来りて狼の糞を用ひしなるへし何の時代
より給ひといふ事詳ならす狼糞は煙を散らさる物故
是を生栄蘭等に交ゑて火を付れは煙集り散らすし
て高く立昇る故遠方まて見へて合図になる也近世又
々の仕懸ありて煙の中へ龍の形又は羽衣をあらわし玉
を上る類花火等類する製あり遠方ゟ其形明りに見
へ分かやいなや試されはよしとも悪しとも申難し
一狼煙は昼黒く見へ烽火は夜か赤く見ゆる也
一陳羽織と申事何様の物あれの時用申候ものに御座哉
一古代は沙汰有之候事に御座候哉いつ頃ゟ移り候哉大将軍
一着用の物に候ま承り候如何心得可申候哉
一答陳羽織は百代の事に不見候天文永禄抔の頃ゟ出来し
物歟東山殿の頃なと迄の書に曽て不見室町殿日記
に云
天文永録
得能便差下申候其許無異ニ御座候哉如何
比ノ日記也
心元なしは先日御誂の馬具大綱対象眼の鐙三指并
一具足羽織十調作申候何も〳〵念を入させ申候御請取可有
之候尚調重便之時候恐惶謹言
六月十三日
猶村市右衛門長高
右七日三好修理太夫義長江あつらへ物を調へ送りたる
一状也具足羽織は陣羽織也義長は天文永禄の比の人也
此頃専ら具足羽織は有し事知れたり扨此陣羽織の本
は具足羽織といひしなり按するに此羽織は甲冑をよろ
ひたる時よる用ましき物之其訳は鎧の上に着して音
一鎧の袖にてつきはりて不便利なるへし身を軽く出
立身には鯨帷子を寄し頭には鉄鉢又もる鯨頭巾を
若し小手すね当計に出立時に着する羽減なるへき
を今は鎧の上に着する物と心得るなり母衣指物なと
さして着すへからす前に云如く身を軽く出立女衣
指物もなくして夜討なとの時の為なるへし羽織の
文粉を以て其人を知る為目しかしに着する成へし
陣羽織の製さま〳〵あり古代無之物なれは何れび本
と定め難し多くは袖なし羽織にして後音腰より下
を割る也割めをほたんにしたるもあり是はほたへ
を懸て鎧抜たる時常の羽織に用ひ夜はかふりて寝
るへき為也大将も士も荷用すへき物なり製禁法式も
無之物なり
〇一物見の儀かまりかき物きゝ斤候なと色々申候由如何分ち可
一申候哉同しものに而色々上分候事不審の儀に御座候尤
古代より有之物に御座候哉いつ頃より初り申候哉
伊賀ノ
答物見と云は即外侯の事ニ而地形の嶮易敵の形勢虚
字み
日本記
孝徳天
皇紀に
見
一裏衆等を伺ひ見る役人を云かまりと云は即伏兵
の事に候かき物聞と云は問者の一種に而歌の秘する事を
かき出し聞出す役候而は甲越諸流の軍家に是等の習有
事有之候物名の名有古ゟ有之候
一一努労と申は古代有之よし如何の物に而いか様に射いり様の節用
申候哉一弾二矢弐三十筋も射出候様に覚申候如何に御座候哉
一此元いつ頃ゟと申事いつころより相止申候哉
一苦弩の字イシユミト訓候は誤りに而は石を弾候弓に而は
無之候和名抄には於保由美と訓り又和名抄二警ノ字和名以
之波之伎と有之是は弩とは別物に而は軍防令に発弩抛石に
と云事有之候抛石は右の務の事に而は弩は神功后皇の
製作し始玉ふよし本朝文粋に見へたり然れとも其製
或は詳ならす異国の弩は彼国の書に見へたれとも我国
の弩の圖はいまた見す一度に矢二三十筋発すると云事
聞及はすは此弊いつ頃ゟ捨れたるといふ事詳ならす源
平盛衰記太平記なとに石号に打遣かと有は弩にはあら
は石に記せし務又抛石の事のやうに聞ゆ務は和名
砂ふ四声字花を引て建テ二大木一ヲ置二石ツ其ノ上ニ一発メレ機ヲ以テ投ルニ敵ニ
也と有軍防令の抛石も義弁の趣同意之柱を立てから
くりを仕懸る石を抛る事を云なり
一一楯の事古代より有之物と見ゑ申候しかし何らくより初
り申候哉何にていか様にこしかへ申候哉絵草子に見へ
申候通ニ御座候哉是もてふ楯持楯の差別有之由後世
に成是も色々の品有之様に候
答楯は神代より有之し物に而は日本記神代巻旧事記古
事記召語拾遺抔にも見へ候天照大神天窟に入玉ひし
叶彦狭知神を作楯とすと云事旧事記に見へたり楯
の形上古の製詳ならす中古の形は絵草子なとに見へたる
か如く製作は樟木を以て作る然れとも厚サ五寸斗の
棒木は鉄砲に而打抜く椹板は鉄砲に而も打抜事叶はばと
試たる人の語りし畳楯又帖楯とも云はてふつかひをして
畳む様に作る掻楯と云は城の上に掻き並ふかを云指楯と
云は古は歩楯と云る和名抄には手指と訓し是もの楯の表
に物を付て持柄の頭するくる〳〵にすり也大平記にひしき
一楯と云は是はひしき竹間造りたる物か持楯に革を当故
る事も太平記に見へたり又竹たはと云物は竹を丸く朱ね
結ひてそれをかきならへて鉄砲を防く楯とす是信玄
の家にて作り始たる由申伝る也
〇一幕と申物召代より有之物と見へ申候餅いつころより初り候
一気陣屋にめくりに大幕入口には小幕をうつと申事如何
御座候哉小多くとは当時ののられんと申物に而候よし如何
答幕のはしめ詳ならす百事記応神記天皇記に惟
幕見たり上召ゟ有之物なり軍防令に紐布幕見たり上
古の幕の製甘尺等詳ならす中古以来の製式も区々也一
定なく大幕小幕といふ事未不知
御紙
幕ノ事周礼幕人ノ註曰在ナレカレ旁ニ云レ惟ト在ルレスレテ上ニ云レ幕皆一
以布為之矣説文曰惟幕ハ周製也矣
幕秘説云幕ニ有二三之名所一在ク云二水門破一右ヲ云云二風躰門一
中ヲ云二天文破一也幕ハ五ツ鼎ノ物也天布物見布中布勝布芝
打布ト云也乳数ハ男幕ハ二十八是レ二十八宿ヲ表ス但シ二十八ノ内二
十一目ノ乳ヲ二十目ノ所ニテ重ヌルコト也此ハ二十八宿ノ内牛宿ヲ
除ク故也即女幕ハ乳数三十六是三十六会ヲ表ス物見
ノ事男暮ハ七ツ女幕ハ九ツ也七曜九曜ヲ表スル也手綱ニ
ノ長サ五丈八尺也色ハ黒白青也三色ニ染ル也幕打詞ノ
車船幕ヲハ走ラカスト云葬礼幕ヲ張ト云敵ノ幕ヲ
引ト云味方ノ幕ヲ打ト云常例ニハ打納ル揚ルト云也タム
シホルハ禁言也惣テ幕ハ家々ノ相伝アリ習ナクシテハ
成カタキ事也ト云〻
〇一丸木の方は上世よりの品のよし当時の木升合造仕はもの
大かひいつころより初り申候哉原始承度御座候且又番
一時木竹合候分糸巻藤巻に仕候事大かいつ頃よりの事
に御座候哉六孫王の時よりと申事如何御座候哉
一善延喜式兵庫寮式弓造料物を載られたるに竹の事に
一屋の事は見へす候上古は木弓に而候事明には木竹合造の始
詳ならすは夫木抄に見へ候古歌
六帖題信実朝臣
一梓弓未たてとほすふ髪竹のはなれかたくもちきる
中かな是を以て竹を付し事近世の事にあらさるを
一知るへし六綿王前の外竹を付始め其後内竹を付しなと
云事一向正史実録に見へさる事也信するにたらす方
を糸に而も藤に而も遺事其始祥ならす延喜式なとには
見へす近衛の官人の持弓梓は白檀紙に而巻附の上下
は紫餅の糸に而巻由装束図式に見へたり吉部秘訓に
建久二団十二月了場始に用られし弓の図ありて黒塗
弓以二赤糸一巻レ之取柄上下百二金物一取柄以一黄櫨浮綿綾一瓜
スノ字
千カヱテ巻レ之と見へたり此外保元平治以下の物語に重
藤の弓節巻の弓其外巻弓の名見へたり糸ゟも藤に
而も巻事は木竹合たる号のに遍はなられさらしめん
為巻初たるへし
一躾形の書に一張弓八張弓九張弓なとにて色々常有の
一形の号を出し置候是は何の為に成り申候哉さして戦
場に用候事も見へ不申候天子の御弓と申事に候へ
共是以て聢と仕候證拠も訳り不申候蛇形弓なと申物も
右同断
答一張弓八張弓九張弓なと曽而上召中古之書に見へ
す候但三議一統の書に太平寺の名見えたる事にて探
り考るに八張間初めに出来て次に九張弓出来て後に
一張弓を拵へ出したるなるへし八張弓は神代の四号と云を
似せて作り出したかなるへし神代の四号と云は日本記神
代巻に弓の事四り見へたり天照太神執り給へる座陣
弓と云天雀彦に賜しを発向弓と云皇孫天降り給ふ
時諸部の神の執り給へるを護持号と云彦火に出見尊
の持玉ふを治世弓と云是を合て神代の四号と云也然とも
日本記旧事記古事記古語拾遺等にも座陣前以下
の四号名を見へす後世神道家に而私に名を作りたる者
也且大己貴命の生弓矢大弓召事記に見へたれは神代
の方は四方に限らぬ事也右の四号と云事なるを似せし
て後人八張歩と云事を拵へ出したるなるへし三議
一統の実検門に号をは太平号に拵へしと云事見へた
り然は八張歩は室町殿の始ころより出来し歟騒
太平弓ハ八
張弓の其一也
八張弓の名を立たるは何の為にしたると云事心得かたき
一事なり只神代四号の哥を似けて拵へたる迄の事なる
へし八張弓の説を作りてもたらすして重藤を九
昌に拵へて又是を九張弓と名付たり八張弓九張弓を
作りて其上に尚寄説を設て一張弓を拵へて是神代
の弓に而万弓祖也と妄説を作為したるもの也扨其一張
弓と云物の図を見るに外竹を赤くし内竹を黒く塗
上下の許の形を魚尾の形の如し紺上に三十六藤を巻
て地の三十六会にうたとり又大日経の三十六童にかた
とり竹下に廿八藤を巻天の廿八宿にかたとり又法華
経の廿八品にかたとる是をまんたら弓とも蛇腹弓とも
云悪魔降伏神弓なりと云て殊の外に宗敬する事
也是皆大妄説也たんたら弓蛇腹弓抔云名古代の書に
曽て見へさる事也ケ様の偽を以て拵たる旨の悪魔を
退へき理なし腹をたゝひて笑ふへき事也又一張弓
に一種の妄作あり其体藤も走さる前にして上下の弾
の形を龍の頭に割み作り舌を長く出してそれに強揚
を進る様に拵へて是神代の弓也とて大秘伝とす其石を
一蛇形弓と云也是大文盲なる事也声を竜の頭にしたら
は龍頭すれはゝ名付へきに蛇形弓と名付しは龍も蛇と
一同物と心得たるたわけ者の作為也と知かへき一向何の用
にも立ぬ苦也
一頼政卿の家伝に水破兵破雷上動なと申弓箭の事
一俗称仕候此儀如何心得可申哉古書に有之事に御座候哉
答源平盛衰記巻十六頼政鵲を射られし事を記
したる条に云十六差たる大中黒の矢の表に水破奇破
と云韻矢雷上動と云号を持勢たり水破と云矢は黒く
鷲の羽を以てはき兵破と云矢をす山鳥の羽にてはき
たりと云々石の弓矢共に何の故を以て其名を得たる事
一向知かたき事也惣てケ様の事推量の説は無益なる
事なれとも御慰の為に推量の説を左に記し候萩原
惣右衛門か推量小雷上動の弓は頼政藤なるへしといへり頼政
の好に而藤を巻し弓といふ心歟貞丈が推量には水破は水
羽なるへし黒鷲の羽を以てはきし矢也とあれは黒は
水色なれは水羽なかへし兵破は豹羽なりやし山鳥の羽
にてはきたる矢也といへは山鳥の尾はまたしなる文ある故豹
毛のまたらにたとへて豹羽と名付しなるへし紋を只々
にまたらに色取たるを豹文といふ類ならんか此矢秘蔵の矢
なりし故わさと名を寄一矢にしたる物ならんか水胴豹羽
の説湯桶訓なれとも訓と云もよみ様の処の品也堂上の
一名目に湯桶訓なるもあり
一一うす墨と申す紙古代有之候今は絶申候由元何紙に而いつ方
ゟ添出し候哉当時堂上に而口宣案なとに御用候紙うす
一墨と見へ申候当時のはいつ方ゟ出申候哉
答うす墨は宿紙と名付候反古を添返し候由紙屋川にて
漉し故紙屋紙とも申候うすくろき色なる故うす品紙
とも申候今は紙屋川に而は漆不申候由当時堂上に御用は
は昔の宿紙をまねて漉せられ商今はいつ方ゟ海成不
存候
此紙貞丈再考薄墨紙之始スキカヘシノ事東鑑巻四十八正
嘉二年二月十九日ノ条清和天皇御之東ノ御息所
一御恵慕悲歎之餘酒朝夕所レ被レ進之数百合
勅書被レ書二写若干天小乗経一、橘贈納言盧相草二御
願文載同七契恋蓮花偈西石詞入館字門ト云句一
薄墨色紙経二始例於此時一
▢一紙屋川の紙と申もの如何心得可申候哉当時は無之哉紙屋
川はいつ方に御座候哉
一曽紙屋川の紙郷に記し申は紙尾川は山城国北野の西
にあり北野の南に宿紙村にはいにしへ此村の者紙屋川
に而宿紙をすきけるとそ
一引合と申紙今のたんしと違ひ申候由いつ方ゟ出いつ次す
たり候哉いにしへ何に用申候氏たてしほのたんしを引合
と申事御座候由いつ発り候哉引合は何方ゟ出申候哉
答古代は引合は陸奥の国より出し由拙者か家記室町
殿時代の書には備中引合と有之又大引合小引合と有之
引合は目録なとを書状の表包抔にも用申は紙の体詳
ならすは目録などに用けへはあつき紙とと存はみちのくれ
かみのゑならぬ抔源治物語に侍るは当時の引合の事と
いへりと伊勢下総守貞頼寮を記し置候此紙室町殿の頃
迄有しは右の文にて知られたり其後は絶けるにや今は
京都に而しほのたんしを引合とて被用候よしある人申
侍りしたんしの一名を引合と心得るはあやまり也家伝
の旧記に大引合小引合大たるたんしと両用差別有
一たんしは大高の事の由大高小高の分如何出処いつ方
に候や是は古代より其名御座候哉いつ頃ゟ名見へ申候哉左
人し字如何申候哉大高の字も如何ニ而宜敷候哉
答たんしは檀紙と書申はまゆみの木のあま皮にて漉候由
と源氏物語にみちのくにのまみのかわと見へは是も奥
別より出し紙也今も奥州にて漉候横にしほある紙也
一古代よりある紙なり其初は詳ならす大高小高とは大き
市にたけにはたんしの大小をいふ詞なり只今大はん小は
人と云に同し
一一陸奥越はいつ頃よりすたり申候哉当時に而はいか様成紙ゟ
御座候半哉陸奥いつ方より出候哉
一養前の引合の条に記候通と当時京都ニ而小高の引合
の竪しほなるを引合とて被用候由古の引合もそれに
似たる物にてやけひけ人引合は弔みちのてのみにては
一杉原と申はいつ方ゟ出候哉庭訓に播磨と有之弥播磨
より出候哉当時ののり入の類と心得可申候哉
一答杉原ハ当時の厚きのり入に而候石の出処播磨ゟ今宵
処々より出候
〇一当時流布仕候奉書紙のり入美濃紙鳥の子程村く
らす紙なと申はいつ頃ゟ発向いたし候哉古代名見へ不申候
事に被存候殊に半紙と申号不分明に御座候
一答奉書と云紙の名室町殿の代迄は聞へす信長唐書抔
の代に奉書をかくべき料に添初しか詳ならす其外の紙
の事曽而始末不存候
〇一鳥首のつき申候太刀は当時も用有之武地下に而承聞無之
ものに而御座候三月のひな人形或は昔居人形等には見申候
一門とも何様の時何様人用ると申事分り不申は尤鳥首
はつか頭と見へ申候金銀等の金銀等の金物に御座候哉
一善鳥首の太刀は御鷹飼の者のはく太刀に而は江家次
第にも其外古記に見へ候其製作は太刀の柄頭に銀より
鴛鴦の頭を作りたる物にて刀剣異記に長秋記を行て其
文ニ云
太永四年正月十六日大政大臣大饗御鷹飼渡ル左近
府生下毛野敦利鳥頸剣注ニ云件ノ剱ハ顕季ノ剱
也而上皇賜装束次借召預給云々銀作為頸切螺
細剣無目貫絹云之班豕尻鞘入螺鈿釼と見へたり三
月のひな并戯場の木偶等今郷の形に鳥類の太刀をは
かせ候は甚あやまりにて候鷹飼なしてははき不申物には又
木備の公卿にはり遣候太刀の頭は鳳凰の頭の様に見へは
一彗を風にけ違たるにて候半歟重々の誤りては源平盛衰
記一記し矢嶋の戦の時伊勢三郎義盛か郎等大湖橋はと云
一者に鷲作の太刀を義経賜りしよし見へたり此鷲造りと
いふ物鳥類之太刀に殺ひて鷲の頭を作りたる物歟詳ならす
一けぬき形の太刀と申事承候是は如何心得可申候哉一
一説にけぬき形は不残銀作りのよし矢張そくたいの今
刀に而御座候得共帯にし候人品に定め有之様に承候
一答平ぬき形の太刀と申は衛府の太刀の事に而御座候革
緒の太刀ともけぬき形の太刀とも申候又平鞘の太刀とも
申候本名せる蒔絵の野剱と申候物にはけぬき形の太刀と
申ならわし候事はかの太刀の目貫の形古代のけぬきを二ッ
連はね候やうなる形故俗にけぬき形の太刀と申ならわ
し候古代鑷子図類聚雑要抄に見
ケ又キ形目貫図
不残銀作りなるをけぬき形の太刀と申は甚あやなりに
て候惣体銀作なるは白太刀と申て武太刀に而候束帯抔に
用ひ候物にては無之候毛抜形の太刀の図は装束図式
に見へ候
一かうが以は古代より有之候由小刀小柄は近世より発し申候由
さるに依て初代祐乗なと作にうふの小刀柄は無之候由当時
有之候は皆かうがい直しを小刀柄に仕候ものは左候つゝからかい
は何にさし置いつすゟ名見へ申候哉小刀は是も何にさし候
〇いつ頃より名見へ申候やからかいの字いつれを用可申候哉
答古き腰刀の図を見るに曽我五郎時宗の腰刀の図に落
一裏の方にからかいても小刀にてもさすへきみそ一も有差
表には何もなし是からかいさし也かうかい差事本也から
かい小刀二品を差事其始不詳されとも宝町の頃ゟ
伊勢下総守貞頼入道
既に差たる證有宗五大双紙付
一田公方様御
宗五大永八年に記たる書也
一鮫ノ皮也
腰物はさやぬにおとしつかかはとゝもしとこかね小尻つか
頭同前夫を黒く塗られ候のみ入柄口堂はしき同前御目
貫丸の内につふ桐焼付御かからかいしやくどふみゝ焼付又
ひの左右に御目貫の如くなる小き桐を焼付候桐八ッ有御か
うがい是を二三寸をきて金に而そぎつきにつら也御小刀
つかこがねくわん有云々右の宗五入道は東山殿ゟつかへ
し御供衆也公方様といひしは東山殿の事を云なるへ
し然れは其頃既にからかい小刀両品を差ける事明也
祐乗の作に小刀柄はなしからかい直しは物金もありと云事
心得かたしは後藤家譜を見るに祐乗永正九年壬申五月七
或説に普広院義教公様死の前に祐乗を獄に下されし
日卒七十八才とあり
と云は非なるへし永正九年七十八才といふを以てかそへ見れは
義教公様死の年嘉吉
元年は祐乗七十の時也
将軍代は義教義勝義政義尚義尹凡
六代を歴したり然其日宗五大双紙二見たる小刀祐乗か不作
事不可有是と心祐乗か様に小刀柄は無之と云は誤なるへ
しみかうかいと云字俗用には笄の字を用候へとも是はかん
さしと云字に而候間叶はすゝ髪をかく道具に而かつき髪掻と
書へきと文字の雅なしん事を求めは倭名抄取理レ髭屓の
李善
口通
俗ノ文所以理題員
謂之殿音雪
釈名云□□也尊也所以導標一鬢髪也或曰
樽長
標音歴
一和名加美賀岐
めと見へたりからかいはかみかきの転語也標髪
龍倭名抄に冠帽の具の部に入たる意を考へしゑほう
し罰を農る人は必此器を用ゆへき故也罰ゑほうしにて
頭の熱気鬱して頭のかゆくなる故かゆき処を掻き又鬢の
そゝけたるを掻おさむへき為に用る也行成卿か実方朝臣に
冠打落されし時守り力よりからかいぬき出してひ人かゝれ
し事称さめ物語に見へたるをも思ひ合すへし今の世
には常にゑほしかふる人もなけれはかうかいの用ひ方を
しらすさま〳〵外の用にたつ物のやうに云なすこそい
とおかしけれ
多賀氏常政
右三十二ヶ条問
伊勢氏貞丈
同答
物とへは人のまねいふから鳥の
とり処あきこたへなからん
明和八年辛卯八月廿九日伊勢平蔵貞丈書判
巻之二
一敵の中へ矢文を射入候事此度大概何様の身に付用候半哉
いつすゟ初に何の書に見へ初め申候哉矢文の矢はこしら
へ形違申候由何とやう致形違申候様に承り候何分承知仕度
事に御座候
一答矢文の事平家物語巻七にも見へ申候歌陣歌城へ
矢文を射入候事は身方の中歌方へ返り忠の者内通の為
に射入申候又敵ゟ身方え通り忠の者有之候様に取こしらへ
歌中の侍大将等の名あてにして敵の内通の状の返事
の文言に取こしうへ敵中へ射入て人にひろわせて錠を
一記させめ謀計の為に射る事も有之候或は蟇目の中へ状を
入れ或は矢に巻付上をのりにて付て用か事も有之候
法式とては無之候
〇一弓の弦はとき弦と申者戦場へ用申候のみにて塗弦と聞へ
申候常の法にて戦場へは用不申ものには幾石とさつるいつす
より初り何の書に見へ初め申候哉塗弦はつねには不用物
に候哉
一善塗弓に白弦をそ白木のちに塗弦をたる事古法ゟ武
田小笠原の古法に而は塗弦と関とは遠申候塗弦は唯ぬりたる
也関弦は陰を参る巻ひてその上を塗たるにて是は軍弓に
用候唯塗法をす騎射射時塗弓に用候節懸申は初りは不知候
一矢たはね解天正しくつ路布さしとり引詰矢を射申候
事矢倉等に而の取計ひと被存候矢多は年の事如何心得
可申候哉御門御路より此事申伝へ候や何の中に見へ初め
申候哉
答矢たはねとひて押くつろけと申事盛衰記太平
記心とに見へたり是は箙に矢をさして上の方をたはね置
也此矢にはねをとき矢抜出すを云とりすとも矢は抜かれ
かし得共とけは抜よく候これ矢多は禅の仕方は筆に而不
叶は矢水はねとく事矢倉の上のみに限らす候
一ときの声矢さけひ矢こたへ等の事此間の御答候而分明に
一御座候併此儀ともいつ頃ゟ初り何の中に初而見へ申候事に
御座候哉
一答ときの声矢さけひは平家物語等に見へ候其外の書抔
に有之いつころよりと申す初は不知
一此間の御答に而ときの声も勝ときも大将ゑい〳〵と被申ける
一諸軍勢一同におうと申候由左候ハヽ大将のゑい〳〵は壱人のこと
一ゑ故諸軍のおう計諸方へ聞へ候事と被存候右の大将は惣
軍の惣大将と心得申候一たい〳〵の将に候哉
答大将と申は惣大将の事に而候
▢一鎗之事先達て御伝授に而奉承知候得共尚又奉伺候鑓とほ
ことほ物に而候へとも柄の長きを屋うと申短きをほこと申す
も心得候へは其柄を長してやうと申初いつ頃よりの事に而
何の書にみへ初め候哉日本に而初め候ものと見へ申候鑓鯰の
字裏に而音いかゝの物にあてゝ用申候哉鑓鎗の字和字に
御座有間敷被存候如何鋒は唐和ともに古代より有之様に
一昨日本に而は神代にも鋒の事は有之候哉と覚申候如何
答古名はほこ新名はやりと申す百ヶ条の許に記候如くに而は
一長短に而ほこと云やりと云差別は不存候鋒は神代より
一有之事勿論にて唐の鯰も日本のすやりの如くにて鎗は
一俗字く不倫の槍の字あり弄槍の二字旧事記にホコトリと
ラム軍防令ニも弄槍の字アリ義解ニ槍ハ木両頸鋭者とア
り是は棒の両方の先をトカラセタル者と見へたりやりの類に
あらす
▢一水を渉申候浮悲と申すもの草にて製候へは出来申候夫を
用候へは水を不存者も水を渡り候曲承候此儀如何心得可
申哉いつ頃誰人の初め候事御座候哉古書にも出申候
事に御座候哉浮沓の形も定て定り候義在之事と
奉存候何ら覚悟仕度奉存候
一答浮沓の事古書に見へすゝ初り不存候浮沓色々拵
有之由ふくへをあみに入て用候にましたるは無之由承候
一旗のふらたひと申事此間の御答の趣には畠山政長
の時風帯は有へからすと御記し被成候政長の被始是は当
時の夜ほりはたと相見へ申は是はふうたひは矢張今の
一世五月小供のたてはのほうにかしらに流に小旗を付申
正代参候事ニ而御座候哉是をふうたいと申候哉当時昇旗
長の旗
風帯有
之候後三
の拵に流小旗附申候は一躰無之事ニ御座候哉当時昇
年ノ繪
巻物に見
ヘタリ
の事に候哉哉或人の申候旗の風帯と申すは流旗の頭に
左右に同毛の小きれの様成ものを附候事を申候とやら
是又例の妄説にや何らはつきりと覚語仕度奉存候
当時の昇に附は流はたをまねきと鳴申は事いり候に御座哉
善古代の手長の旗に風帯付る事有之哉拙者は不存候
昇に附候まねきも風帯とも申は人々の好ににて付け候事
人有之候
一旗兎角馬上の士もち候歟又歩卒背に負申候か此二
一兵究り申候事と相考へ候へは歩卒手にさゝ市もち候
と申候事は曽て無之事と相心得可申哉間々俗間の絵草
子に手に持候程有之不用事と心得可申候哉
答旗を歩行に而手に持候事不存候
〇一右之通に候得は旗竿は兎本弐間有餘のものとみ存候然るに
当時一又計有之旗竿を見申候是は如何に御座候哉但か
の短きはつき申候物よつかぬ処を草袋に入れたるにて
御座候哉
答旗竿の長さははたの大小により可申ははた竿をつき
かゝ様に致候事は不存候
一上さしの矢と申すは惣矢の内に候哉別と相心得可申候哉
たとへは廿四さし候へは上さし共ふ廿五に致し哉矢張上
さしともす廿四の内に御座候哉当時飾弓の真に上
さしは四ッ胴にはき矢の根も常の征矢と違はせ申は弥左様
に致候ものに候哉此矢戦初り候節矢渡しにかふしとて
射初め申候節此上さしを用候面是は大将軍の御矢に而左様
の事致候哉右大将の承候而候哉又訳も在之義かふし失
と申候へは矢にかふら根と申すもの幾陣頭の事に御
庄兵衛
答上さしは箙にたとへは廿四さしたるといふ時は廿四の内に而
御座候上さしは鏑矢を用候矢渡しと申す詞は無御座矢
入と申候矢入は先手の大将の射候事城に而も隙に而も同事
に以
一征矢の様一通の形は有之候さともかり股平かたにそかし我
かゝ根矢なと武具訓蒙図彙ならにあまたの形出申候と
覚申候此用大概何と心得可罷在候哉
答日本記にてそやと云はすく矢共心とすしなる根を云
かなり漢字に而征矢とかく心は何様の形に而も征矢に用る矢は
といふ心也そ屋はすく矢の転詰に而されは柳葉鳥吉の類
の直なるをそやと申はかりまたねは物を射さる為也平根
はすかし有とかり矢は沢潟の葉の葉のこと何を射ると云定
もなし射手の次第に而は
一戦場に而敵をうち首を取候而馬の四方手よつけ申候節何方
ゟ何方え穴をあけなわを通し候ものに御哉数多とりは
節の為すかりと申候而何之袋を用意致し夫え入しり
かひの組違なとへつけはと申事も承り候何れを覚悟
可仕哉且又召書に見へ候事も御座候哉
答古書には首をとつ付るとありつなき付候へはいつしも塩
手に付らるへし四処に付れは数も付らるへし付餘
自程沢山に首はとられ申間敷候あみに入る事古書に
見へすゝ首に縄通し候様百ヶ条の評に記文あみに入る
事人々の好次第なるへし
一戦場ゟ首をとり候へ共殊外いそかしく取計成兼節
一札をつけて打捨に置或はその首の口中江何にても心
覚の品を入置なと申候或は鼻をりき耳を切夫を持来る
なと承候是等の説古代も有之候事ニ而御座候哉
答首の代りに鼻をそく事はかねて大将の定による
へし又時に取て作終にする事もあるへし鼻のそぎ
様上口ひるをそき付て取也是は髷ヶ有て女のはなに紛
れぬ為也耳をそし事朝鮮を秀吉の攻させし時は
之通例には聞す候耳には男女の差別見分なき故也且又
一鼻を欠候事も古現に見へば甲信の戦の頃始るもの歟
一当時しんちうにてこしらへは草入としめり墨入の物を
一矢立の硯と申候事は箙の引出し入置候故申候旨俗称仕候
是も召事御座候哉箙の引出し付候は近来の事の様に
御伝承は左候へは永禄天正時分ゟの事にも御武
答し人ちらの懐中筆墨を矢立といふも箙の硯ゟ出候事
に付箙の引出しいつ頃よりと申事不存候但近代物と
存候此事百ヶ条に記す如くに候
〇一古代柵をたへこもり候と申事当時の城と同事の様等
相聞へ申候但柵と申をは如此誠と申す分けも有之候哉楓は
いつ頃ゟ用ひ初〆城はいつ頃ゟ用ひ初め申候哉当時は柵
の沙汰無是事に御座候哉
答城の初碑の始不知日本記神代紀に作城処を号[フ]曰フ
城田と見へかへはその頃既に誠有同孝徳記に準足
柵磐舟柵等の名見へたり釈日本記に兼方案之碑城
郭也と見へたり
石垣ヲ築キ塀ヲカケ厳密ニ作リタルヲ城ト云俄ニ土
テ高ク築キ上テ柵ヲフリテ城カマヱラシタルハカキアケ
ト云也然レトモ是モ地也差別ヲ云ハカキアケト云
一陣屋と申候は何の事も無之かりに毛いたし候内の小屋と
存候乍去是も召式の様成事在之候哉百代の書にも出
はし事に御座候哉当時の屋敷かすへにて御座候哉組少し
は法も在之ものに御座候哉
吉百年に陣屋と云事名目見へすゝ多くは大寺又は武家
一かし押入候宿候様に御存候陣に申候事は備立の事上陣
屋と申事甲信の茂なとび記る書にす見へ申候当世大
名の城なき由し在処の居館を陣屋といふは城ゟ無之故陣
屋とふなるへし四方に堀有之屋敷謡人の由及水は
一天倉之儀二重三重色々有之候四方と申も有之候哉五重な
地は天守といへ申候故惣して矢倉は城の何方〳〵になして
不叶処有之ものに免候哉矢倉と申事いつ頃の書に出物
め候義ニ御座候哉
答矢倉小四重は無之候軍書に四つ忌み候由天守は信長ゟ
始に而石垣二重其上櫓五重合て七重ありしと云将軍家
譜に見ゆ惣して矢倉の在処は不定は土地の形勢誠の
築き様によりへし候矢倉の始候不知候矢倉は矢瘡也
一矢を射へき座也痘の字クラトヨマサレも通用には倉の
字を用
一わたり矢倉ゆ事は当時諸所御門々の二度目に有之を
申候由承り候よかく仕候大矢倉の事に聞へ申候わたりと
申心いり候御座候哉高矢倉は石申候二重三重等の事
と被存候いかゝ矢倉の字櫓を用申候是又何とにて御座
候哉兎角矢防納め置射出し候より発り候名と承候
いかゝに御座候哉
答わたりと云は此所より彼処江及を云ふ詞し而長き心
也惣而内の門は多門共云俗図には矢倉の字を用ゆ稚
に書にす櫓の字也矢倉といふ訳前に記すこらし
〇一城に馬出しと申もの有之由承候江戸に而御城に馬出し
無之由承り候是はいつころより有之何の用意に成申候
一哉甲州流なとに用候由承り候古き事には無之様に
承り候いかゝ
答馬出しと云名古書に見へす候是は甲州家に而山木
勘助か始御座候城より人数を出すに出し能為城よ
り突て出る時の用意に而候よし
一弓力に一人ばり弐人ばり三人ばりなと申候其壱人はり
と申はいか成扣を申候哉但壱人ゟはりおほせる二人にて
はりおほせると申段取に候得はさして急度か様と申す
規定とは聞へ不申はいかゝ心得可申候哉
一答壱人はりと云名目無之候二人ばりは一人おしたわめ
一人つる進候三人はりは弐人おしたわめ一人弦懸る也たゝ
託る弓をはふ事也
〇一矢も十二束三ツ伏せなと申はみなその射手の手を以て
はり候事
答射手の手にてはかりは常人の矢尺その人の手にて
十三束二伏余程有之候十四束十五束と申は大男の矢束
を常の人の手にてはかり候而申事に候而は一束は四郎
を横に並へたる也
一矢の数十八さしたる廿四廿六さしたるなと有之候事は箙
の矢配の多少にてさして意味有之事にては無之候哉
但し是も諸有之候成数多少人々の物数寄に従ひ申哉
〽養発の大ににふへし
一矢を負ふにから高に負候と申事利方在之候哉
是は巌をさし候節致方に而も在之候哉巌尺延に候事を
自慢して十の事に候哉古書にも在之義
答かしら高に負ふと云事古書にも見へたりしこの矢
筈さがりに負なしといふ事も義経記に有箙の筈
を高く上たるをかしら高と云なるへし箙をあまり高
く負へは矢ぬき出しかたし能程あるへし
一よつ引て兵と射ると申事よつ引は能引に而御座候哉
一兵とはいつれの字を用ひて叶可申候哉古書にも見へ申
候ゝ事に候哉
答よつ行は能行なりひやうとは矢の飛行勢ひをいふ
也このことすは古書にも見ゆへ
一鎧直垂大将軍は必赤地の錦にかきり候事に御座候哉
惣而是はうらを付申ものに候屋夏冬にて違ひ申事有
之御義とかく大将軍は何色にても錦の直垂其以下は毛
々の直垂に而御座候哉至而軽き者は侍たり共直垂いかゝ
致候哉次第も御座候事と被存候錦の外地合いり候心得可
申候哉
答鐙直垂に表は無之は大将軍赤地の錦に限らす候
古書ゟ御考可被成候何色に而も錦に而は錦に而無之も用候
一軽卒は鎧直垂不着候侍は金ら人に而も綾に而も用候綿
は不用候銭抔も用は不定事に候
一かふとの銅に日根野と申は五枚に致し片方を見れは潰
方下り一同に上り不申候故利方有之と申は此義いかゝに御
座候哉田根野は信長公大閤の時代の日根野備中守
製作と申は此儀如何御座候哉太なから何の書に出候
と申慥成つかまへ処無御座候間分明に御座無御
一答日根野しころの事近代の物に而古書に無之物故不詳
はゝ日根野備中守作始と申事も不詳候此しころ殿
方をみれは潰方下り候由夫は田根野にかきらすしらつ
とじ糸ありきゆるきは何れも厄様に而ゝつ方上れは
片方にりたれはとてさのみ利方ありとも思はれすは
まんぢうしころなとのやうにふくらみなく直に重なり
てあるを世に曰根野鯛成と申ならはしことかく近世の
者はたしうに記したる書もなく世の申伝へのみにて候故
惣而詳ならす候
一一惣て鎧直垂の地合いりゝ心得可申候哉大将軍等は錦と
有之候其外は色は記し有之候得共地合の沙汰無之候古代共
卒迄も着申候時軽き女は何地に仕候哉至而下さまは直垂
に不及着し哉鐙直垂いつ頃より発り候ていつ頃ゟすたり
かし哉
一答初りもすたりも時代不知候其外前に見へたり
〇一征矢の羽にきりうと有之候は切ふと云事に御座候哉其
外筋きりふ大中黒うす兵高うすひやし石打抔申事
一各羽の事にて御座候とまし分明にわりに不申は此形武
興訓蒙図彙なみに出申候と存候何の書を用て覚る
けし哉尤右の羽は各わしにて御座候哉鶴山鳥ははき又は
小用候例見え申は鷹をす一白征矢に用不申候事に候哉
羽の事出候はいつ頃よりの書に有之候哉近代の戦記に
曽て見へ不申候事いかし心得可申候哉
答きりふを詞に古はきりうと唱申はウは文にてゝ
府等などの字は理に不叶候然れとも字は我に構はす
用来る色々の羽の文粉際限無之候間難記候武具訓蒙
図彙武用弁略なとの字たしかならすは古書には明に
矢にはらに何羽をも用候様に見へ候小笠原に而奉る法式有
の矢羽はすへてわしを本と致しとされはわしの羽
を真羽と申候又矢の羽に鷹と云は熊鷹也近代の茂記
には武者の装束を秀て不書か故との沙汰不見候惣て
近代の戦記の文は書やらつた無御とるは
一征矢器高におひ候と申事箙へ負候事と存候筈高と
申候は利方如何心得可申候哉
一答此事前に見へたり
一先達而窺申候八張弓九張弓或は一張弓なと申候弓は各名
有之ゝ其名或はその藤の名とふり小笠原家の書に有也
一由何に出候哉尤役にたらぬ事に候得共其法その色其石承
度ものに御座候但あまりをくり過可申候哉
一答八張弓の書に小笠原にても武田にも有之同事に而
候ゝ武用弁略にも有之候御覧候へは知れ申候
〇一共に重藤と申は此重藤に色々有之候由是は何の書に出
初申候哉藤江間辺に巻故重藤にて承之候義と存候只々
に心有之候事不審に御座候殊に附ゟ上藤数いや門下は
いくつと定望候由重藤の字滋藤と書申候事いかく
一養志予藤御つ頃始候哉不存候平家物語以下の古物語等
其名見へ申候木竹のはなれぬ為の用意にしけく藤を
尽し故し平藤と申候色々に藤の数ひ定て名を付九張
前立物は太平記に多く見へ申候
〇一上召は諸刃の釼の処中古以来つに成候由先諸刃は利
方うすきものに御座候哉中華は干今諸文と聞へ申候日本
に而つまにかはり候哉大概いつ頃ゟの事に御座候哉神代
抔屋はり諸刃を用申候様にきこへ申は諸刃なれは無匁と
相見へ申は神代の宝剱各諸匁にて有之事とと存候諸殿
の剱を以て戦場に出ける書に見へ不申候事とみるゝいかゝ
心得可申候哉
答諸文を以てはたしきて見ふ申候故利方善悪は不詳
か諸刃計にて後につまに成候哉不詳候もろにもろに
にも有之候も御座候ケ様のしれぬ事多御見て来たる
やうに申候ものはうそにて御座候
一術府の太刀と申候得はさめ計にて糸まりぬ也是束帯
に帯し申候式正の由よふの太刀と申候事はゑふのひゝき
にて申候哉糸巻の太刀はつかを糸にて巻たる太刀ゟ是武
一家専ら用申候故戦場へも古代帯し申候由堂上にては
一向無之候哉太刀の鯉口の処を巻ゝ利方有之候哉是は巻と申
名も有之候哉さや巻の太刀と是申候事はひか事の曲御伝
一承は糸まきにて能御座候と心得申候
一答衛府の太刀の事平義図談にも百ヶ条評にも記候
一絵図もを御目申候鞘を柄のたく巻口を見たり巻と
申は手多まりの為にては糸巻さや是の事も前へ申
通候
一土に二処藤三州藤と申事は先一体軍弓は何にても巻そ
の上塗その上を色々藤を巻候事と候儀にその上仕粧の故に
二処三処重藤等わり候事に当時的号に白藤に而三所
一逸候則三処藤に而御座候哉軍弓を修羅弓と申渡と合戦の
一事び修羅と申候にゟ発り候哉修羅の字は全仏家の言葉
と被存候故不用か宜敷候哉分り兼申候
答軍弓はぬり弓に藤を巻也重藤は白藤を巻なり白
藤といふは藤の皮を削て白くする也木竹の離れぬため
なれとも先は飾にもすり也的弓の藤は白藤に而はなしたゝ
の藤也上古は藤はまかす糸巻き也三和藤は三処宛よせ
し巻きたる也二処と云は二処宛寄て巻なり修羅といふ
一は仏説なりされとも古物語なとに見へたり不用か宜敷候
一忍の術と申者召書に出ついつ頃ゟ用申候哉一軍の備へ
にはなして不叶物に而候哉此法何とやら放下或はまほう
に似寄申候様に見へ申候如何覚悟可仕事に候や
答忍の術古書に見へす魔法つかいを忍の者に用る事
甲州家抔より始候やうに承候
〇一鏡下に直垂のはりますそいゝりの紐付申候も入と申候
一者御座候此後如何御座候哉唯今御かげに而申候直垂のそ
そに飯見へ不申候かの者申候者如何の事に候や袴は尤
長に而は無之候哉と被存候故右之るに不及でうど宜敷殊に
すねあてに候とまり候事にも候哉何ら此段委敷覚悟仕度候
一答鑑直垂小四ツのくゝりと申事有之両袖と袴両すその
くゝりを付申候くゝりなしと申事不存かの紙形に今
り無之候は略なるへし
右三十八ヶ条問者多賀氏常政
同答者伊勢氏貞丈
明和八辛卯年九月
干時
嘉永六癸丑年初冬十月伝写
木林撲斎入道
源景武
12727
大橋
嘉助
一七七一
十一日
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