武者草鞋
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- 机船生輯
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- 2026-08-17T19:23:20.994Z
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- 2026-08-17T19:23:20.994Z
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- 日本語
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- ムシャワラジ
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- 東北大学
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- 2026-08-28T18:53:25.651810+00:00
将軍
武者草鞋
武者草鞋
一武者草鞋全
武者草鞋目録
狩野氏図書記
一心掛の侍不嗜而不叶小道具之事
一具足着用并早着習事
一ノ陣中へ召列家来出立申付心得事
一同馬認具足損益心付事
一陣具当用認事
一初武志を発す事
一要門十帰徳用事
一当流伝統を武仙と申所以事
一大祖舟吟之御事
初学発勤武者草鞋
初学発勤武者卓鞋机船生弁束
心掛の侍不嗜而不叶小道具之事
一侍は治乱共に家業のすへを得究と弁へて罷在候
被仰付御奉公には身命を可委覚悟をすへ平生む
の上の奉公は人先たて武勇の道は一足も人にさかう
ぬ様と心掛ルを武者とは申也たとひ才智明弁なり
と云共此心をうときを忍皆減男と申由すへて小身
のみにはかきまへからす大身にても此志諫けれは
急節に望時諸費をして構を取事不叶者也古
今より名持ためしおかれ候事也先ツ侍軍役之
綿堅と云事有り近きをさしおゐて高上の大路
を行はんとするは鞋をつけすして阻愁を望にこと
ならす依之種薬百種を集めて武者草鞋を
結ひ幼度に授る所め左
一武者草鞋縮様并鼻返事
一陣股引并脚半之事
一陣広紐并縮様之事
一具足肌着并中帯事
一決拾并矢たての事
一武者把計并腰弁当之事
一天水持儀高名の基ひ成事
一高手さし有之事
一陣羽織并腰蓑之事
具足着様
一下上左右着脱習之事
一上帯縮拝之事
早着之事
一刀脇着さし拝之事
一鞭扇子こし拝并決拾之事
〇一頬当掛程并忍緒ト拝之事
一甲高総に掛る事
陣中へ召列家来出立
一歩者足堅并取具足の事
〇一鑓持中間に着籠銅半首の事
一陣柄并寸袋之事
一腰筒并打違之事
一羽織并両薪之事
一惣上帯三尋縄之事
一腰指并中間山刀之事
以上
馬認
一四下艘并こたへ沓之事
一馬衣并立具之事
一修羅鞍之事
附馬氈切付塩手腹帯障泥之事
一轡手縄証之事
一豆粥煮殊同持殊事
一你養桜持事
陣中可所持参方
一血留振美疵膏薬根抜薫陸息合
万病円もくさ
右斯之分拾内に入可嗜
陣具調法
一町小屋裳曳之事
一幕陣張之事
一挑灯松明世智弁之事
一火打袋并夾板之事
ハ陣弁当并甲立之事
一小荷駄印みかきすなし事
以上
小皮籠可入品々
一月分着代冬三夏四一湯かたひう下帯二
一火打袋
同帳鼻紙
櫛入洗薬種
金一幕一十里箕
大皮篭可入物
『荒井泰信氏ノ歌宴を
歩者
具購入セル竹関博士
一夏一倍一馬衣立同
一家来着代一
小者
『狐野亭吉氏藩蔵画』
一一裏曳麻之緒
右上包は陣張皮ふとん其上を茅筵に而しとむ得付には
町小屋みかきつなにて巻茅筵を以包細曳にて
織け是に小荷駄めしを指揮に用意尤也件の認を
五調武者草鞋と号す侍は身を講兵に転せん
事を忘されは実抔堅固にして楽又其中に有迄
云り静謐の時を天の幸として武者草鞋を身
相応に嗜置明日か日も不慮の儀も出来り人のかく
と不定七情逆上する時ハ弥他念を静り御奉公一筋
と御館を勤奉行類人へこと推参憚らす侍の光しや
うせんハかほの時節也如何殊の御慈用被仰付共
御請之面よりすくに進発可仕と心懸を武勇の
本意と仕よし老武被語置行也
幼武志を発す事
一此武者草鞋を或幼武に授けれは生湯好断にて
やありけん欣然として光陰を空ふせす夜の称さ
めにも明なは是をこいさみ用しかは期月の間
に功方治達之自性を養ひ出し来て予に同ふ
事有さいつころ御相伝之武者草鞋一分には余程
はきしめたる殊に覚申候何国へ参候共急節之時には
一熨斗目上下奇物之調度よりも先此武者草鞋大
切に候へはたとひ承及たる武仙とやらんへ社は登り
不申候共武士を心懸る人は一束宛は不嗜して不叶
事と決得仕候扨又武者行縢の内に要門の伝膳
は乾坤之間秀て双なき宝と御座候事明将の身
命を被砕御建立の儀やすからさる事にて候へは
書書公主に御座候へ共我等式之岡目年に而はちと行出の拝
に聞へ申候要門にはね如何成縷用御座候而の称員に
て候哉滞伝絵によつて武者草鞋ははき迄も
はき縮候へは迚之併ふもと迄も一先登り而見度
候其有増計を物詰有之御聞せ候へにしと云り予返
答にめ仰駿門の徳用高大候へは大底の器の前にて
は申益なき事成敬に只烏鷺霜雪のあひさつ斗
申居申候旨罰の大事は御信仰次第に相談仕不細
只中せは様体かましくし能に張良の波上梓沓を写し
大明商位の生上にて賞覧有八曲之内にも此能はあ
れならん奥の堂にか見物一遍かと御勘得有へし
斯の分ちを御心付なく只切方に任せて明将の家伝
に天を御さしあらんには懸隔間違可有之武法に涙
の御志於有之は諸流の理非を其玄底に踏入て先
さくを究し其上にて御了簡候はゝ当流の伝授も前
の精骨に成と不成のわけそこにてこそしれ可申候
唯今の御向談は先不入事と申云こにて問人被申候
候るは一先と申儀座興かましく誤り申候何水寺前
正儀之道手先わさに可仕存文にては無御座候間尋
之色有爰におひて要門の伝授万差無量な
れは凡舌に難述御惹望の上別紙を以要門十帰之
総用と云ル事をあらはしし足半をくりかたに付志
しの武者其働を減して是を手すよら給しと
也此武者草鞋志うすくさけう成人用対しては努々
但見に仕事に候此次第に要門之徳用を述る事事
名将太刀のあしあるに足半を付られたる例しを以
大祖の照覧其宥を仰かく野ことし
要門十帰総用
天下泰平之政如何
国土安全之要法如何
理世安民之政要如何
寛仁大度之器如何
在要門
子孫栄之法如何
衆儀一味之正道如何
今合自在之武者捌如何
変運貫通之実相如何
万歟一懸之囲執如何
神勢不測之兵権如何
問人すく〳〵再吟して曰扨々承及たるよりと結構成ま
統誠に人間第一の宝鑑と御座候俄も急至極仕候此上
は憚りをかゑり見す某之望所此内にありや迚の義に
申而見度と云り語有事ならは申さんとこにて問人の名
は身に取て貪苦程差当り迷惑成物はなし忠孝もかけ
人にもうとまれ情なき事多し何とそ此苦をまぬかる法
御座候哉承度と被申予仕立候へと云窮奥をさましなり
う立かゑらんとす袂をひかへ武者草鞋はしまりけへとも
上なるはきの紐か片方忽せに見へゝと云へは尤うなつき成
俄を直して又間貞忠真孝之道如何要門にあり武運
長久の法も御座候哉勿論之義息災延命之法如何要門
にあり一騎当千の秘術御座候哉元より災除之法有や勿
一論之事剛敵退治之法すや勿論怨敵調伏の法王や否
古識還来之法ありや否不尽して敵を討法はやふ扨敵
に切らす事をいとわさる法有や中〳〵人を押へて我
先か事をあらわす功者し給はや否人に難渋を任し
我は聞き行之得方ありや敵の不意を討如何不知来既に
をさけて懈気を討術有や否様によつて変化道理有
や吾敵の変にようさ類の法有やくとし〳〵扨進退ま早
の法有や要門にあり生死解脱之法と申も御座候就亡れ
こそ肝要問人あきれなから申されけるは吾垂歳にて
諸流し玄底を不窺といへとも凡他流鳥と其類断尋窺
に否答多し仏教慈善之説にたも極悪煩悩之沙汰
近詳なれは諸や其余の理論天地の間に残す物なしと
聞へたり儒教猶如此爰を以大道とさす要門の伝授乾
坤の間に参て双なき武の正道と有上は是大道也然に
和漢共に兵道に専とする論漢言の答多し左程の大
道ならは余事は如何もあれ兵道に斯用はあき弥く
其沙汰をつくし悪と見て不取用捨はありとも善悪
邪正共に世に行ふ所の兵論は備る事なるに欠道の
にては大道と申難からん此段いといふかと云り予申は我文
育かたくななれは儒仏之沙汰先生案内也近をさし
て問ん云へ公と申ハ諸道の頂上也此内に私と云物ありや
問人の言にして三礼をなす愚是を感して申けるは
尤頼母敷御誉覚候そこ迄も我理屈を立て道理に詰り
たらは今こては理に伏し信心の深き人は明か成道へ進む
事の速なる瑞相也智をてうふて事を紛らかし
信心愚にして理にくつたくし負を惜む人は当流の
格にはのらさる気質心得給へし要門之有難と申は
我寺の仏事貴むにはあらす侍は学問可仕障生之故
博識にかゝわらす成程事をはふいて手短にはや
けるの用に立何事に当ても融つて首尾ひとり全き
を武道の大たからとは仕也爰を以武士道一篇のため
には双なき伝授と申儀也儒仏神の三教長くらへ
可仕にては更々生立候然によつて文学博識なる人
は右侯を惜む品社のわれ根は同断にて伝足の宮
に成事あり貴所之信伏難有と申と流儀の褒美に
かぼるに改らす右の子細有を以てなりくり事な
からも夢門の伝授は武勇の正儀にして十郎総甲より
利万善の要質みてりといへとも信念誠意にしては功
用汗水なし御登り候へるも替る篇もなく骨折損に
罷成事も候へし志信堅固ならは一歩一得の功能を得る
説禅定して厚槌を打納時は必竟万効不懐之臭
一鋒を鍛ひ出さるゝ御事に候以上
当流之伝統を武仙と申以所之事
一要門之伝統を日本武仙と云る事是私にあらす四種之
階級成就有て正元結願のため先朝正親町院之御宇
永禄三庚申之夏院参を被還前近衛殿嗣公依内奏而
要門之奥儀達天庁之刻戦国争勤之功叡感之余
一主上親震翰をうなかされ日本武仙と勅銘を下し賜将
拝受之悦不料是併天位を敬ひ公儀を仰給ひし
貞忠之誠通冥慮か故成へし殊更義輝公御吹挙二
よつて当時罷例之官領職に被任弾門武仙之
大祖と成給ふ当流軍官の附属此時より始る後の
門兼兵徳を仰て仍る以鎰とす莫松はなふさと
けて菓味漸く結へる所々撰典庸方を以記すに
慥なり
大祖舟吟之事
一延宝丁未之春愚眼悩有てしはらく閉踞之刻懇情
之因守来輿して目伝之良方を授むる周慈病た
ちま寺愈て快気を得たり然とも猶春霞と共に縁に
してなやをわかつ事疎也すへて眼のみにあらす四
文また朝をものとふすつら〳〵たゝちにみつて指を
あれは歯ひ半百にかたふひてかうへの霜はつけを
さそふ戸さゝぬ御代の通ひちひろきも公けの恵による
事をわきまへす村鳥のすゝかを風に任することく東
西を奔走して流泊之中に老んたり風光は燈の
前に向てすきやすく年月は老の庭より帰りかた
き事今身の上にしられたり且武道は世の様衡に
して人間界のあしろきなれはひたすう其常を観し
世をのかれて一分をやすんする事を要とせす武内
之宿ねはいのちなかふして六代の朝に仕へ商藤の実
盛は白髪を染て死を清ふせし例し有もろこし
の呂望は八旬にして出て裏園を救ひ永く社稷を
保し事是是已堅固にして実相を守り世のあやま
りをたし上を諫めて国民を聞んする留量なれ
は遠き首を聞ても悲の養ひと成わさ也吾か先輩
北越の武仕は年たけ歯ひおとろへても机きによつて
戟を横たへ兵談を述よれし事成俄厳然として
若武宿のいさめとなりねちみやく阿佞の心を其き
一かひなつく器量付し事は徳とわさと兼調たるか
故也斯申某は膳驢の佐けを失へかことし飼牛の労に
さまよふ所要門之流を汲得たる者はたまさかせと
思召御志の旁鉄懇望事肝に銘する思ひ身に
餘れるの間愚縁をかへりみす先師の戒伝を力
登してより〳〵兵談の席に鈴厳鞭を打ならし
て武勇懈怠の睦をさます同馬の催勤によつて
一面に一ツのあやまりを改め酒きなん事は誠に有
難御奇縁と申つへし
大祖之御詠吟に
絶やらぬ道のたねとて武士の
ゑにしあるこそ代々の春なれ
伏て此詞をうかかふに我朝は
日神開基の国として武士の心たけく清きか故に
神国泰城と号す此長く清き心の内に弓箭の気
一気自う具足して武門に生れたる者はつたなき
幼児に至まて古き方前の咄を聞ても西白かり
首に供んてはいさましき思ひをなして商名をは
けます依之心有御方ハ当道のふしんを晴さん事
を深くぬ給ふは絶やらぬ道のためしと申者ナリ
此たねを漸く如くまれたる上代神武帝其後
日本武尊応神天皇を始として高歳を執て国を執て国を
鎮め給ひし極を残おかれたるは右鼠の気と申者也
然を保元之乱れより承久之候ひに及て正統漸
衰味に及其間散粥の名将出給ふといへとも大形一
分身漕之弓箭を執給ふ故近代戦国の時節に
至て武道の枢柄弥涙滅し人の心をそこなひ
けかす事をかへり見す詭謀謀略を事とし我
纔の勝利を争ひ油断の隙には敵に犯され一生
果楽の思ひに任せすいさめる武士もさすりする所
是てはすまぬとおもふ心のうちに類によりそこにて
仏を念し儒に便り見れ共其道一生三昧に修行
する人すう見拝する事まれなれは是も終に
根済する事なくかけ洛ふのうすつくさまに一旦
の為言生て斗にて皆みもにみしや〳〵と消し事
古今目の前也天地の間に人を以貴とし人の上には
武士を頂上とすといへと退てみれは何そ各別の
験なし方箭を執も虎狼の身をきそふかことしされ
ももろこしの聖りも日本を来夷とされし事もひか
事ならす大祖爰の程を我朝の愁とし給ひ御
幼少の時より一日片時も身を早鉄に住せす時もあ
れ戦国の衆中にひとなり精骨砕身の悪功を被
遠日本武仙の開基成就成て武勇の明戒ひらけた
類は弓箭鼠懸相読也と此妙なる縁に各御逢被
成御稽古を被遠高厳の正道御心に得られ候をゑ
にし有とは申也頓而御成就の上武道の本意目出度
不通達成て武門之美景千枝萬紅いよやかなるを
代々の春とは禄せらみ成べし猶生々の菓実を
御相談ならん事主君への貞忠先祖し孝養に
孫の幸栄一分の快慶武門の本意珍き尤爰に
可留事全く戯の詞にあらす丁未之春城北之
一月月九日夜船仕着之
要門末守亭政僅拝
延宝七月二月七日朝倉小新景実
浅野空斎
19467
神谷宗礼謹写