武將軍歌

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不明
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ブショウグンカ
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東北大学
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2026-08-28T18:53:25.651810+00:00
狩刀 武將軍歌 武将軍歌 軍歌 源家康公 敵へよせは大事〳〵と意得て 一合戦を胸に当てちかよれ 又教へ仕寄をするときつらしく 突て出んと意得てせよ 豊臣秀吉公 山を越散地へ入とつまり〳〵 きまに城を拵てをけ 風の事知すは敵はうたるまし 是そ大事の兵法そかし 河を越来る敵は引しさり 待うけうたは頓て勝ぬる 川を越来る穀を河端て うたはおくれをおほく取へし 初陣は功者の人を頼むへし はやり過てはけかを取へし 足利頼氏 士卒勢人馬まとはすあし〳〵に かゝまる敵は頓て敗軍 細道や節所のあらは軍兵を 余多に分て一手つゝをせ 北條氏康 兵軍は功のゆかねはしかけても 味方討して損となるへし 夜軍は唯相印あひ言葉 散と味方の分をあらせよ 大田道灌持資 敗軍の教へかゝらは対の鑓 対の道具はよはものとしれ 崩れ行散の道具の色々に かたまりてのく勢はしれは 迯て行中にかたまり退敵は 大将なりとけなふりてうて 大将なりとけなふりてうて 斉藤山城守 門眼や城の内なる雪隠は 上へも高く広くしつらへ 差物や大立物をしてかたな さしても用をかぬる雪隠 武田信玄 軍には物見なくては大将の 石をいたきて渕に入なり 一戦の日取時取よくゑらひ 物見をかけて兼てはからへ 織田信長公 大軍を請はあたりを地焼して 引しつまりて神妙にもて 枝城に手間を入すと成ならは 根城を巻つ責よしよりは 上杉謙信 ためしさねの人数を持て合戦せは 幾度成と請てたゝかへ 我人数弱とみての合戦は 先をしかけて突立て見よ 柴田勝家 散を請は取かけらるゝ水はなに よかれあしかれ一いくさせよ つつと入手痛き事をせぬ散は 乱入てもほねはきるまし 穀合の近き所の大酒は たかきいやしき然る程からす 陣取に成程ならは櫓あけ あたりの陣に草を結へよ 焼跡に武者を立ると陣取と はいても埋池やせつちん 細道やせこや節所は大勢て 突てかゝるとひとりこたへよ 段々に人数を押と兄勢を 立かためすは次を崩すな 備へ〳〵先を先へと押よせは 功者ひとかさ先に置へし 持もたす在所成とも焼入は 浦へのけなん心あて勢よ 穀城のまはりを焼て取よれは 敵は出ねと逃るとそいふ 小散も弱散も唯油断すな あなとる故にをちをこそはれ 陣取と言と具足を小屋て着 後か後まてぬかすを留へし 馬の鞍とりて置へし何事の 俄にあらん事をしらねは 散近く野山に陣を取時は 一方せめて手あきなるへし 仕歌をは先遠く歌ちとりつき 夜々に構へよ人数たまりを 教近く竹地付は念をいれ 引たくられぬ気せをせよ 水堀や川をしよらはよし篠や しきかけ土をきせ〳〵てよれ 一合戦は勝て甲の緒をしめて おふも二の目も場や時による 舟越はまつ鉄炮をつかはして 其侭船をもとさすにをけ 川越は堤下をも取りため せんくり船を行通ひせよ 陣取はいつく成共気を付て 日暮へさきにあたりみてせけ 散近き里に陣取よな〳〵は おもつにくはつと篝火を焼 散近き陣取ならは我人数 夜中替りに張番ををけ 穀の地へ動く時は夜を籠て 明ぬ先より放火をはせよ 夜の内は人数押をもかたまりて 武者を立つゝ跡をやきゝ 敗軍の人落たまる城ならは 息をつかせす攻てあつかへ 退口の大事成せはかへすとも ふみ出さすにねちむきて退 退口をかへし〳〵て退ならは つゐには散にしてとら留へし 一教の退所へ付はくいつきて をはゝ逃たり逃は追ふ程し 退口に追越味方うたるゝと 引かたまりて突立て退 大事なる退口にして無人なる 時は夜深く出てのく惣し 大事なる退口なりと多人数は 夜こしらへて明はなれのけ 大敵の無人成時しかゝらは かしらへのせてついてかゝれよ 一仕寄する城後巻散のせは 土手塀柵を前後丈夫に 後巻の散に向ひてたゝかふな 人数出さすさし守りゐよ 取掛る初日に強き事せねは 後には敦のへのこかたまる 大小によらす手立は水花に 一合戦するか城を攻通し 畑六郎左衛門尉 敵より先手へ人数くるならは 追立られぬ気遣をせよ 散人数先手を跡へくると見は 退口をちとしたはんとせよ 教方の先手旗本隔たりて あさまに見えはかけ破り見よ 跡を教取切たりと道筋を 無人代ともつきぬけで行 城責に乱入てのせめあひは 真中にゐな脇てたゝかへ 仮初の物話にも武篇儀は そへな残すな有様にいへ 一合戦前城を責んといふ時は 此度まてと思ひさためよ 武篇をは遣ふせすは又あすせんと 思ふそのまに年は寄ける 手明とて油断はしすな夜討火付 その方よりも入物といふ 捕出は手下に伏を見付ても 一城の人数てうたんとなしそ 取詰て仕寄せられは見合て 初心なる手を突立てみよ あらけなく突て出たる其口は 後まて散のおそるゝといふ 我城の土手堀塀のよからすは 門をひらきて防きたゝかへ 物聞や出待の時のゐねふりは やつといふ共用にたつまし 夜は唯詞兵法もつはらに 心に持てうけこたへせよ 一綱越や窓の鑓をは引取と 脇へあたらぬ気つかひをせよ 手間の入願とて捨な捨て後 人の取てはひけに成なり 取頭を人にとらせは倉を入 後の証拠を立て渡せよ 突たおし切たおしてもとらせても 後には首をもらはぬと云 付取は抜たりとても中へ入 甲くるみに持て出へし 退散の下に居かねを打ならは 息をつかせすのつかゝるへし 蒲生氏郷 武者押は皆それ〳〵に奉行付 道より外に脇をとをすな 一穀近く成て人数を立兼る なりは中〳〵見るに見苦し 武者並の恩は馬を乗かけて けちらかしてもなをせ出勢 一万に及人数はよき人と 法度ならてはともはまはらし 千二千三千まてはつかひかり 一五千の人は手にあまる惣し 廿日路も散はさきにも有はあれ 仮の陣屋も道筋をとれ 在郷に陣を取なは旗本に 夜昼ねすの番を付おけ 一城責は馬印をは跡にをき 二の丸まつゝもつめよ大将 大鼓を請は人数を構より 外へ卒所に出す初からす 何時も人数は扣へ置てよし 出過引込体は見苦し 足場をも見に行時はつまり〳〵 跡に人数を残し置ゆけ 加藤遠江守 散よせは昼色々にけなふりて 暮にかゝりて一しまひせよ 一鍛初も二のめ〳〵とこゝろあて 一、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、〇〇 せぬ大将はをちかう地死に 一城攻の塀越と又鑓いるゝ しほは功者の物語きけ 軍兵は小鷹のさいにつゝ如く かゝるも引もさつ〳〵とせよ 足軽のおもくした類くする成は 取とめられつけかはめのまへ 初心なる城主ならはけなふりて 引出しつゝつゝつゝつゝつゝつゝつけ入にせよ つけ入は下こまてもいひきけて 息をつかせす乱れ入へし 付入と先手の者にいひつけは 旗本よりも猶きおふへし おひへ凱散ちかけれはつくるそと 宵々毎に念をいれ程し 教へよせは朝取かけて日高きに 丈夫に隙を取かたむへし 備をは手先〳〵をきをはせて 足なみろくに村をあらすな 散味方まつ旗本の遠近を 見分て人数つかふ親き也 味方又先手旗本をき時は 武者の立場を専にせよ 城の内に夜鉄炮をうたするな 鳥のたつまに忍こそいれ うち通る夜討は骨を切としれ 打かへるには先へゆかへそ 打廻候類夜討成せは請手には 強き功者撰をく通し 取結ふ後備のあしきとて たてかゆる事仮初もすな 小倉三河守 むらかりて突てかゝらは唯取と 脇へ言葉をかけてこたへよ 打ちりてかゝれる中にかたまりて 足のおそきはしれものとしれ 宮部法印 境目の城は引込こしら程よ 出過たるはあしきとそいふ 蒲生氏郷内 蒲生源左衛門尉 取出や又境めの城もちて 散のつよきと程をはしそ 先手より穀強きとの注進は候 一人によりつゝひけに成へし 先にゐて跡へ詞をかけてよし 跡より先へ詞かく留な 散合の道見に行と念を入 一筋はかりみては加へりそ 五十百通行散を唯ひとり 追は物をもいはすしてつけ 逃のふる散は詞をかれてみる 事も有秘し分別せせよ 一右同内佃又右衛門尉 のし付は武者振はよし夜用心 退口なれは野伏したふそ 大事なる退口にいさかへさんと いふにまかせの返事功者そ 武士ならは唯討死と心得よ しなしとすれはひけを取也 先へ行武者をこさんと思ふなら さきか大事と言て越徊し 先へ行武者に表裏をかけてみる 詞の品の智恵をめくらせ 石州住人 田子時隆 兎に角に武士と生れて夜をぬる 夜をぬる者は用に立まし らふ〳〵と眠れる武士はなま武士 まむしならては人はさゝぬそ 疋田九郎右衛門尉 忍入城は取ても二番勢の つかぬ間はよはきとそいふ 立てもつ散の鑓ともふすならは 突てかゝると兼て知通し 堤土手持する鑓の先ともの さからはそれも気をせよ 取出の門はくゝりも能しめて 昼も出入ひとりつゝせよ 境めの城や取出の夜つかひは たしか成とも中へ入るな 和田万鉄 軍兵のつかへに人の馬鑓を 入は自身てかゝれとそ思ふ 一伊藤治右衛門尉 伏しらは夜をこめ恋て櫓より 鳥獣の行かひを見よ 一稲葉伊予守 人数立は先へ功者を召まて 足場みて来て立よ其侭 海端に武者を立ると陳取と 塩の満干の分別をせよ 粟屋 頭数もとらさる者の知音とて とらせたるをも越度とそ言 荒木摂津守 散大将けなけに先へかけ出は 手とをく伏を置てね候へよ 度々に真先にかゝる大将は 殻も味方もはては討死 池田彦右衛門尉 夜の鑓は横に拂てあたるとき 引取突といひそつたふ留 秀吉公織田上野守瀧川 伊勢の関も同意 鑓下にぬき刀にてこたへても 鑓なりけりと和田殿のいふ 加藤太郎左衛門 足軽はよせく類敵をあひしらい 取つかれすに退ほ本とす 逃は追おはゝ逃たりくいとめて 跡をまつこそ足軽のわさ 味方散の間を馬に乗ならは はしめおはりの分別をせよ くろみへも引かけ人数立たりと 無人計と心得なしそ 多勢をもくろみに立て無人そと 見せても事をする物としれ 賢といはるゝはよし若きとき はやく目利といはれはしすな 城責に人持なとか頭ひとつ 取て出るは時による惣し 組討は引よせしつとしめつけて 身に透なくはけかは有て有物也 一浜麦田平地成とも頭とらは 急度引あけ切先てうて 一騎二騎乗かけ敵に行逢て すゝには退そはや脇へのれ 若き武士事せはしなき折節は はやく馬よりおり立てゐよ 老武者は人は何共いはゝいへ その場によりて馬におるゝな 陳取に鑓を立ると結付な わさをこしらへ持せかけをけ 大軍を請はせゝりた事するな ちゑを付ては根はきられまし 若き衆具足の帯をしめすくな しめては膝をつきゐらるまし のけ〳〵と云にこたへて若き衆 行かさ成てけかはたひ〳〵 竹中半六 一城責の一番乗は他力にて 鑓合するは自力成けり 木下美作守 声たてて備の下知も初心ならは 鑓を横にしなをすへき也 城よりも夜突出は引しさり かゝりて防きたゝかへと云 詰かせて城より突て出たらは 押たてられん事は必定 蜂須賀彦右衛門 後巻はしつと先手も押置 旗本ちかく成てしかけよ 後巻はやきおそきもしほ合の はつれぬやうに切かゝるへし 散近く陣を張なは水よりも 夜のめあてを専にせよ 三松 九つの心をしまや武士は おほへもをちも一言そかし ひとり二人取成とても大将の 褒美感状大事とそ云 皆人の目に見えたりし手柄に 後といわすと先褒美せよ 先くと取組と見はかろ〳〵と 唯眼鑓にもつてまいれよ 一鑓先て取たる国は何事を せねともしかと治るといふ 袴かけ親の跡とて取国は 何につけても一手柄せよ 美濃尾張取合の時老武者の 礫も鑓になりたりといふ 滝川伊予守 虎口にて利発たてすな律義に つまる所は分別をせよ 野間 忍取の城も夜討も勝鬨を はやくあく間は越度成けり 常々の覚悟して蒸忍ひ取に 城をとられはかへり攻せよ 花ことおしたりし時は場により くつろけかゝ間塩合をしれ はつたりと行逢散は退度と おもひなからもえのかぬとそ 俳初の手負成とも焼火には あつるな頓つめをまはすへし 案内をしらぬ所の夜軍には 請てしさりてつよくおしこめ 家の内へ取籠散の突て出は をのか左の啓にそふまて 右構へ左かまへをこゝろえて なる程ならはゐよ右かまへ 陣取の木戸はかふきも無用也 明す戸にすな開き声にせ うてぬきや鑓印にも気を付て 利方を本につけよとそ云 さやにする鑓の印はいらぬもの きひしき時はさやをはつすに 服部傳藏 つ遣入に乱逢散城へ入と 当座に討な逃はにかせよ 越後の鑓坊主西方院 河中を馬のうへにて鑓てこは 歩立川へ出むかひつけ 松山も柴田も 塀越や土手柵堀を隔ては 突あふたりと鑓に成まし 城の内へ乱入て突あふも むかしは鑓に成ぬとそいふ 宗卜 弱き番人のいふとも若き者 言葉のはしにいひも出すな 伏夜討城捕にゆく事を しらせは親の死にめをもあ 馬路 取出の番には朝に行着て その日になをせ悪き塀柵 一散方に地郷音しつ犬ほえは 伏か夜討か朝こみとしれ 本人坊 入過てある城散の責留共 うしろ詰すな余の口へのれ 蒲生左衛 千万の利は有とても大刀 大鍔はたゝ人による也 兎に角に討死とみて合戦せ 二のめ思はす突てかゝれよ 羽分なる合戦は家の出頭と をとなの嫌ふならひとそ云 合戦は唯大将の覚悟から 付声にては利は得られまし 命をは我用にはし立るなよ ○詰留ところは主の御用に 草川 我先手するに当座の浪人や 客人なとは心得をせよ 伏夜討城取忍につかはすに ひとりもやるな余所の人数 大鐘藤八 物聞は日のある内に境めへ 功者を出し跡にまたやれ 蒲生氏郷内松田金七郎 感状はいかほと持とあたる場の 不覚をかゝはねはすたらん 海津 追討にする程ならは持はなれ 進行敵を乗かけてうて 北条家 大石治兵衛尉 〓會をあさむく武者を集の 下知に付すは餓鬼に劣れり 読人不知 裏切をするつらと見はめを付て 一散より先に討果すへし 合戦や城責にての一番頭 はやく御前へ持せやるへし 大将とおほしき頭を取たらは 口へ手形を入てをくへし 城攻は一方あけて乗こめよ こほれて手間の入へとそ云 攻あくむ城は引退兵粮つかひ 春類体して扱にせよ 信玄は陳へすかさ鍬三百挺 我真先に持せしといふ 鋤鍬は身の分限に随て 陳へはいつも役に持せよ 大将は詞を士卒に能かけて めをくはりつゝかけ引をせよ 軍兵は物いはすして大将の 下知聞時は軍には勝 軍兵は団取廻る人のたゝ 調儀を閉て下知に随かへ 一分もなくそうどう鳴声聞えなは その日の軍まけと知へし 大将の下知の声のきこえつゝ 皆しつまりて地郷音は勝 急引にひとり計を頼つゝ 御唯屋みの夜の礫成すり 時取は味方よけれは散もよし たゝ肝要は方角を見よ 日取にはその家々の吉事あり 扨は照日と風吹ぬ日と 方角も所によりて見分すは 月日星にてかんかへてしれ 一穀を唯鞠場と思ひ人々の 詰ひらきせよいかてのかさん 唐の七十四度のたゝかひも 頭羽の下知を聞時は勝 逃て行足軽共か脇を見は そのみる方に伏あるとしれ 競く類穀に卒忽に出あふな あひしらいつゝしほをぬかせ 百人を十所に近く備には 千の散にも勝とこそきけ 手を分て備のやうを能つもれ 小石ひとつに四ちやうかゝれは 猛勢かひとつに成て分なくは 一、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、〇〇 その日の軍負と知へし 朝軍たゝみて負は其後の 軍にかたん調義そとしれ 勝とても奢るへからす古も 勝て甲の緒をそしめける 一穀川を越はとりのけ半分も 河を越なはかへさんかため 一伏おほき所は河や橋の本 しけれる藪の陰と細道 大風や大雨の降時にこそ 夜討夜付は入るとそきく 幾度も忍をまはせ城まはり うちのさけすみ肝要そかし 武略をは色々まはす物そかし 油断をなしてたはかれなせそ 動は卯辰の時にうち出て 巳午の時に情を入惣し 霧霞深くて道を見分すは ふか入するなつゝしみてよし 軍兵の高名を勢は感状を とくつかはせはいさむものなり ぬき出てかせく武士をは引分て 褒美を出し盃をさせ かたまりて逃ぬる教をしたひな 都二道にわからんをまて 幾度も散のうちはに疑ひの 出くる手たて肝要そかし 名将の武略智謀や士卒共 下知に付なはまけはあらしな 大将の武略もなくてつよいさみ 嵐の前の花にひとしき 軍をは大事と思ひ仮初も 散をあなつり見さけはしすな 大軍に小勢かつは名将の 武略智謀のゆへと知へし 何時も大将いくさは小城にて 教の見こなすやうにそなへよ 引時も大将人を中にして 後陣の勢をさきに入へし 人数をは一度に入なすこしつゝ そなへをたつたくしつ〳〵とひけ 一合戦に散も味方も引時は 大事にかゝる物とこそきけ 散に若取つめられて日暮は こみへて夜明退てよきなり 我城へ穀取かけは日を暮し ひかん所をしたひうつへし 教陣に士卒をかへてはたりかは あひしらひつゝ戦なしそ 教陣に馬の噺のしきりにて なりさはく時火つけ入へし き度も敵の士卒へ音信し 呼色々に謀略をせよ 大将の右へ落馬はよきそかし 左へをちはあしきそとしれ 大将の落馬の時は馬のまへ まはりて頓て左よりよれ 殻よりも二毛なる馬のく類はよし むかふかみきり神にあくや 大将の乗たる馬の甲流なは 勝と知通しうちなるは負 かゝりけふ空にのほらは勝そかし 地にそふ時は負と知へし 出陣の三日のうちに雨やかせ 雪の降なは不吉なりけり 陣中に馬立さはき馬午の 声頻なは夜討そとしれ 軍場におゐての風の吹はよし 向ふ雨風不吉そとしれ 取合のかつへき方はものゝふの 大に見えて声のしつまる 水上に大将陣をとるはよし 教わきならは魚鱗成へし 教の陳鶴翼に取ならは 味方の陣はとかり失とそ成 顔の陣とかり矢にとるならは 味方は二つに中をあく惣し 貝の音色よくなるは吉事也 つまりてならは槙をせよ 備くる勢にたすけの付ならは 必散はまけをとるへし 我方にたすけの付て其たすけ 教にうつらは散は破れん 月にそひ星のありなはいむそかし 星ある方のまけと知へし 夜毎にむつらの星の色を見よ 白きは吉事黒いろはいむ 陣の上うほの隣の雲あらは 七日の内に陣はやふれん 七曜の剱先にはしかゝるなよ かゝりてつゐに勝はあるまし 陣取は地のきやうそうによるそかし かけひきり在つもり取へし 難所たゝ散の難所は我難所 兼て心得つもりとるへし 何事も心かけ惣し武略事 心かけすはいつもまけなむ 武具馬具の余照やかゝやへは 破軍の時つけられそする 若き武士人に勝かけ出て 事にあはぬは見くる敷也 若武士唯物事に気を付て 功者に尋手にもあふへし 大将は常に慈悲して人なつけ 誠の時に下知にしたかふ 夜討には相詞こそ第一よ 城へ引なは人数吟味よ 延宝七紀歳五月吉祥日 一断断断断断断断断断断断同断同 一今井氏正友書焉 御勘定 十一月十一日 左ヱ門入放 二月一日午後十一日 此儀ニ仕可致候 二〇九十とかず引やに □□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□ 2111 九日夜の大地震大地震 十一月廿一日 □□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□ 十一月二日 一月十日入り 十一月十一日 □□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□ 一十五人計 □□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□ 十二月廿一日には □□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□ 浅草村