上州高崎城大意

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不明
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ジョウシュウタカサキジョウタイイ
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東北大学
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府川辺の 上州高崎城大意 高寄大意 □□□□□□ 上州高崎城大意 「器芸恭恭師ノ寄附会ヲ 以テ購入セル竹精博士 狛野亭吉氏藤 一備に正寄あり敵に強弱あり城に陰陽あり一切天地之 中に生るもの皆陰陽にはすといふ事なし防戦興 同し格守儀呉固の格是又陰陽による防戦堅固は敵 囲て攻るに閣人数を出し進退の自由を達し今城 筆然とも又虚に乗して突し出敵を討に有使を防 戦長国の始といふ是陽の城場の縄也守儀堅固の 格といふは小人数にて篭たまひ大敵たりといふとも 閣守るに利有をさして守儀堅固の城是陰也縄も陰や 一此二品は城を取乃大意也惣而境目の城は本城又は 一二ノ郭も陰にとり三の郭は陽に取といへり本丸の虎候も 一大方一方口也是は本城に人質を篭て二ノ郭大将在 へき為なり高崎城の膳は本城に〆を陰に取守城 一堅固の格也三の郭は陽に取防戦の格也誠間に 云大人数を以篭に挟からす小人数を以篭に広からす 是城を取の極意なり此意味を不知は城を守る 事叶かたし味方小人数の時如何して此広き郭 かためん此方へ配れはかしこかあ哉かしこを図さすれは 此方は明き又大人数の時如何して此郭の内に何方に 置んといかはかり案し煩ふ内不意の敵競来らは 守城叶かたし手茂なく城を明けいたすべきとや 今時人々加様の事いへり是は城取の稽古なき故也 一閣小人数を以篭に本二の邸に篭三の郭を払本丸に人 賃を篭本より守城の縄なれはたとひ億万の人数荷 攻といふとも容易落城すべきにあらす又大人数を以 一篭に三郭を用て人質は本城面方の郭に篭て此所の 二郭南北の震口を登り西北南の三方土居直中に水の 手を取本城を囲に卅二ツの郭広く見へて内に低クさ所 ありて敵攻に使を失ふ意味深かるへし本二三都迄 一大意口と申望かたし此城を広し申云又狭といふは 城の大意を不知故なり子細は独立の大将我独篭と 斗思ひ又は必大人数にて堅固と斗心得一向に思ふ事 是皆大変に逢て度を失の本なり 一本二三大意有増也甲陽の頃は和田右兵衛信玄公の幕下り にして越後之謙信公ニ背く時雑兵一万三千ヲ以今の 廿六時は和 高崎を攻め 田城と云 林甲場の横田十郎兵衛かけんとして此城に 一筆而謙信公攻之事甚急なりといへとも不落横田は口陽の 所之者は板 鉄砲の上手櫓上 より謙信公の籏本に向て放之 に上りてといふ 其国目南を違へす越後の籏本鹿札の辺に来て近士 御座を直す児性に中る越後君は忠感の余りに誠を巻 ほくして越国に帰給ふ何そ名将の児始独に此城を かへ給いて決定して落城せさる事を知給へとも故なく引 給ふは弓矢の恥也其時の本二ノ郭にして三の郭なし是則 守城の縄たる事又は小人数を以大人数の然も世に名を 顕し給ふ剛敵しかも大敵攻落されさるは守城の縄 能といふ事明白也小人数にて此城を馬かたしといふ人も あり夫は敵に不戦に先ツ負たる也大小人数兼て制する こそ弓器かしこきと云〻 一其後権頭宮の命に依て箕輪城を高崎の城に引取 箕城は永野信濃守か城にして地戦には千騎の大将たり 甲国の信去公三年攻に不落信濃守死して三年目に 落城信玄公の御手に入此時越後謙信公の押として内 藤修理在城也越国乃押城なりと成書に見へたり甲乱後藤 沢五郎立城す権現宮を背たると見へたり于時保科 弾正酒井左衛門を以権現宮城幕下に属し度の旨[ク] 一絵て箕輪を攻る事三日にして落城時に権院宮の 幕下に属し宮の御手に入といへり内藤修理箕輪に 在城して越国を押るに使あり今又東府御座城と 成て白城を守笛吹峠を押姥箕輪城より和田城益 一理あるの旨依之井伊氏に命して箕輪を引今の三之 一邦を作り箕輪城を写往昔は越国の押今は又北国筋 吹を押妨て江城守護の城也 一本二の郭を陰に取せまく三郭を広く陽に取たる事 東府の加勢近辺の幕下集り守によし然といへとも 守る計一向に思ふは悪し敵押来るを守といひて無下 小師地を通さんも本意なし兼而其人を遣内にに の堅固を見せ逆も木乱杭下の伏兵橋を引船を流渡[ク] 矢半渡を討忍透汲を用て営陣を焼武者を失せ火 術を以騒動させ道堀切其時に至らさるに察し謀を以 守儀せさる先に放途中敵に塩を付へき事也又は 近辺の菊城地下の一揆兼而試置て取治るといふも 皆是堅と不堅とを知地によつて敵を制す兼城取 によらすといふ事やし成地に至さる先に塩を付ても叶 さる時は城に篭て大人数ならは三の部に籠て敵攻ると も手痛く坊き虚を見て突て出合戦し守戦の理に したかふ大敵の剛敵たりといふ共恐るにたらす和田か越 後ニ及られたるとは大に違へり人数郭中に充まし透問も なく入替矢玉を以防討敵は別敵といふ共日を越二六時中 虚なきといふ事也あらず元守といふは急の湯也急を見て人 数を出し進退回旋規矩其将の意にまかせなは何そ 落城に及へきや是は皆三郎の案也夫に広して人数 配不足といふ又は武具配不成といひ矢懸りやしの城と笑 事大かに総なり皆城を取事を知らねば守る事ならす と古人いひしに相当り郭内広しと難する事是皆 其城の大意を知らす一向に縄の皆固を殺故なり大郭に而は 小人数に而守かたきといふ事も城取の意不知故なり多勢 小勢ともに篭にあくまさるさるこそ名城とも親ともいふへ 今時の人是は此大将には大きなりといひ又小キなりといへり 一是皆城取の習不知故也たとへは小人数にても篭又は 一億万之人数に而も篭に何そあくむ事有へき兼か我身た いに合せ普請をし堅固を構といふ心からは俄の加勢有て いかゝせん父は家臣心変して俄に減したる時は如何せん 曽咸に驚なきにそ城取也高崎の惣構といふに心を付べし 皆町の惣構と計思へり赤坂木戸恵徳寺の方には矢蔵屋 を取長松寺の方にも矢懸りを取虎御狭く堅固に取てあり 一考味有へし南方に虎口を右に附て石垣あり兼而巽図ノ 一構要害を専にする事将の業なり 一本城右にいふことく陰に取震口有といふとも北西の門は前方は 埋門と見へたり今以埋門といひ宜し其上此両所の門の 随古く銘有両所共に埋門鍵と切付有此湊は井伊氏箕 輪引給ふ時の謎と見へたり其時は卅弐ヶ所埋門と見へ たり槻木門一ヶ所にして然も前に郭馬出を取又槻木 の内に蔀を付て大番所の前の門建たり陰の城にしる 蓋堅固也二三の郭破られて本城を攻るといふ共一方虎 口にして虎候も又三重に囲たり 一槻木門内郭 一此所然あらす大勢拝領は五八五七五六十余も其将之 心にす世格有て格なし是は必竟桜木門の蔀也虎口も 一此所は右虎候也其外北西の虎候は左震候也心ある事なるへし 升形は大方土居の高本丸の土居の高サ敷大方同意し て少は狭き事もあり其上一二之門の間数あわす一ノ門 三間二ノ門五間といふ習なるに槻木門ハ桁行六間二ノ門と 思ふ大番所前の門は桁行三間なる是違へり拝形にあらす又 蔀は大方塀もなきものなれとも表は塀廻し有之此本城ハ塀 一向けれは内見ゆるといへり荷屋から此形に用て取たる也梅木 一部も郭馬出しの格なれは本丸より出す人数を此蔀の内記に 梅木郭を馬おしに用ひ又三ノ部へ人数を出すには梅木郭に 人数を屯て梅木門前北の方迄に高毛に用ひ二ノ郭 一四尺之馬出しは殺し是人数を出すに味方先を討れまき ためなり 見へタリ此所土居高信 大番所東ノ方土居土留石垣上ケ居ケ所ミ登リ頻メ北へ打廻シ塀四十三間今急ニシテ坂無恙ヲハ 登りタタシ道木坂カ逢坂ノ内アリ度所也 此所大市米つより東ノ登り降ゟ小へ持込し堀四十三間余ノ処先達ヲ修覆アリ仕所 外ノ塀ト違破同配木舞仕方柱根入等二而道ア候由以後潰二腹之時改メ直スヘキ三程ノ置 所数間配リ木聊違アリテモ失ふ程ノ事ハ本又ヘテハ一タリ殊ニ柏木門前ハ工ノ大損失塀ナリ歟 不利ニシテハ大損失塀ノ論アルマシ大切ノ場所也此矢掛ニ仍此虎候弥令シ 一此蔀の塀の掛様子心の付たる所あり重て悪敷直すと 訓を失ふや委細に心付たる事皆古の良士は如是の武 切なり蔀の坤の角の塀を惣塀より四尺内へ掛たる故に 部内へ横矢有て吉槻木門外南の方上り塀も四尺内へ入 掛たる依て土橋蔀塀へ横矢有り 松木門内坤ノ角塀惣塀ゟ四尺内へ入アリト本文に有依之改ルニ三尺内へ折矢狭間 アリ大意趣亡所第一口んへタリ槻木門外南登り清取付之処内へ三尺五寸入レアル同門北ノ方右衛門 三尺二寸内へ折有り右三ヶ所共表へ付ク敵ヲ打ノ利見へタリ然ル本文ニハ坤ノ角ト槻木門外二ヶ所ノ 心へ通り塀坤ノ角折ゟ蔀へ付ケル敵ヲ打トアリ其い尤アリ然処坤ノ角矢板間ゟハ矢払 有リト云上郡ノ内半寄シ矢利アリ一ケ門へ矢掛り也然ハ合橋失頭ス然共一門脇石垣 キクナリ 松木門外南方モ四尺内へ入有りト本文ニアリ是ハ大概ノ積りト見へタリ後ノ大処大 五寸折テ有リ是ハ弐尺五寸ニテモ口尺ニテモ寸大不整宗四尺ニテモ数間一ツトラテハ 用タシ四尺ノ内ヘ役間二ツ切リテモ一ツハ用ニシムタキナリ然ハ狭間一ツミテモ苦カラス尤猶幾 間一ツ有り破本門北ノ方愛塀取付ノ処是又失済日事ナリ然ルニ峯本文ニ不見是リトカ ムニアラス是ハ多クノ場所故又記南ノ方折ニテ心ヘベシト見ヘタリ 西登り塀大破屋根瓦下分留除板打付置大切ノ場所修覆有度所より此蔵ノ内南ノ方 門際土居居候留石垣高サ四尺程有り此石垣ノ上ニ巾三尺余竪五尺余参ミセリ候得共 ル坂有リト見ヘタリ此登リカ無クシテハ此土広上塀狭間并槻木門渡り櫓ヘ申シルコトナラスキ 土居高倍甚急ニメ坂ナクシテハ登りカタシ雁木坂又ハ重坂有り度所ナリ 一槻木門 此門笠輪ゟ引し門といひ伝門の定様各別也櫓門渡り 櫓門へ足下校間を切門下に附敵を切討といふ事習有て依 之櫓門を造るに大工棟梁に其訳を告て狭る切度の旨 證しに心得かたく腰屋根の内に切たり品々に工夫し 木形を以形を顕しても其訳知かたし然かに今の槻木 門の建様余の門と各別違り其後建給ふ門曽而其心 なし数所の門新に建たるに要害利方の詮儀なく て建給ふ事さりとは残多事也此門は後世の 手本とすへき事也 梅木新同所門 此郭を郭馬出といへり表より郭と見へて馬出に角奥 郭故なり南方より見て御出升形大角馬出の様に見へたり 此郭理門西の方三居崩通り今に子出来尤崩上所に前々ゟ柵本ヶ所より土善普請由来迄多分 菱垣[テ有り土居出来之節柵にスヘク事此埋門屋根大破ニ付当明両余千役屋根 掛置ク此屋根柳葺ニテ其上芝消置所朽損シ早キニ付平日ハ芝上ケ不置始寄芝上ノへキ 事ナリ心得へシ 一世郭本城の要郭也子細は本丸北面の虎御自然と地形陰の地にして 狭く人数を出し働さる虎口也敵二郭に入といふとも人数を出し 防へきは此虎口ならてはなしさひ上虎口を横虎口を積究候 の東方を大横矢郭に用ひ艮櫓巽櫓より矢掛城之両 袖之様ともいふへきにや 一此橋木門多門佐々て二階入口西ニアリ東ニモ有度事左スレ両渡りと成り都合由尤東ノ方ニ入口 付テモ何ノ障モ見ヘ不追テ及候付ル積りニテモ有ヘキカ屋斗此事本文有無事不見数ケ所ノ事書 損シト見ヘタリ追而両渡州ニスル御成ヘン口門虎口全キ事物ニ不置槻木門左右堂レリ塀両 袖ト云巽良櫓ハ両袖ノ櫓ト云通ニ良櫓ハ着玉矢倉也此城ハ境メテ城ト云近辺ノ幕下走り 集り此櫓下に着玉スへ充然明は此櫓外下置間は如何にモ広く壱度所共に米蔵建建る 事此意味心得テ事又ハ不残心得事ニ哉難斗其上梅木郭ヲ馬出ニ用右門外北方迄高田 に用イ槻木郭ヲ此形に用本丸より人荷繰出す事本文ニ見へタリ誠ニサモ有へる事也右ツ 心得ナクシテ根ニ城郭ノ内勝手能キトテ蔵ツ米穴ヲ堀林アト仕置〳〵事如何也武門ノ本意ニ 心を付聊以猥の振舞なき様に有度事なり 一此郭南方に堀留有て先親は橋ありといへり如何様埋つけへき 所可此御虎口壱ツも如何也馬出に左右虎口を取事正兵 寄兵の表相なり爰を以思ふに埋門の場なるへし 此所今は埋門本来外引橋也先年能加年之ここ橋近年大破に十日コボチ取今は橋ナシ 本丸西ノ引橋も同様取払ナシ大切の場所ト云空気有り度事ナリ其上桶木郭ハ郭馬 出シト云角馬出丸馬出ハ両虎口ツ以用トスル然ルニ橘ナキ時ハ一方震候モ同意也孝味有へシ 此門外堀橋芝摺有り未タ不出来此門内左右土居帯摺有り此芝摺先年ゟ止事ナク度々 崩ルミナリ是ハ左右共ニ石垣高ク高供急ナル故石垣へ土居築足ニ依て大島之節ハ石垣ゟ九ケタ ワ身割レ崩ルナリ是ハ重而修覆アハ石垣ニ巾壱尺程ニ三所段ヲ付薬足サハ両候へシ猶論大べキ也 一此郭東中門の押ともなる塀掛狭間を切く心附有へき所 なり東中門の向惣而石折棚の心得又は中門番所と 南中門に向所に大筒狭間切戸に垢ある事か然所なり 同所埋門上ゟ桶木門迄塀掛り納はケ巣中門に向る所并に南中門に向イ大筒狭間有り其外弓 鉄炮狭間并之通り有り出し狭間一ヶ所東の方へ有り石打棚心得有り切戸はなし 一梅木門方右の塀折を付て横矢有門前之横失塀心ある 一儀也能く心の附たる事是を以考へし三郭虎口損失 塀もなく直に門を建二ノ郭三ヶ所の門は横矢塀なけれとも 三所に横郭を取本城は梅木門榎木門共横矢塀近く 門際によせて建たり西丸つと同し委細なる心遣の及 所にあらす其上又も細に心を附たるは一二三段の矢を 一ふさるやうにたとひ本丸よりの矢を本丸の方の横矢折の 塀払本の方の横矢折の塀より又東の方の方の横矢折の塀に 矢浅払様に塀も心を附かけたり委細武切のなす 所へり重而修補の時少も紙の柱配り違は三段の理を 一矢に似たり又二段目の土居へ塀を取ては自失を放て 自か身に中に等し門前に附敵を本丸より打擲矢 玉は皆郭の内に入へし三三段の矢掛を門際へは直に横 一矢塀ゟ柳堅固なる事申かたし門際へ敵したひ附に占 一城筒放等可ロク埋火品々火術習たり門乃左右に必占城 の狭間ありたき所也狭間なして不叶義也又隠し狭間 をもあてよし一 一母梅木門左右の塀打并に横矢払の事此所矢払考べし一通にては心得力多シ意味深し 門脇巨城の狭間左大にあり隠狭間は無之諸所の門脇塀何も罷城の狭間より置べし 一槻木門土橋蔀 此蔀やくて不叶所なり此蔀なけれは本丸より人数を 〽出すに見へすゝ也南の方蔀の塀東拾間程なくて も即吉所なれとも腰掛供小屋へ行しまりなれの有て 此蔀別而堅固なれは大切の囚人かこゆ入置時なと入へ きにや公総蔀之塀狭間を切し事欠あり切度所なり 一此藪塀北之方へ切戸塀あり度所也水の手よし此所 より水際へ近し水の手すくむき城ハ危き事也 此所塀南北に切戸有左右共ニ数間ヲ切テ有定候伝越得出来タリト見へタリ南ノ方様 間程東へ狭間ナシ此塀左右共に大破修覆有度所ナリ 一梅木郭の虎口 伝田両袖の竹形両袖の櫓或は片袖にも取横虎口に取 たるは馬出し故〳〵ても虎口全といへり此伝に叶たる虎 一足艮櫓を袖に用て虎口を横に付本城より横矢を 一掛る城取を学もの手本たるへし 此虎ハ土橋埋樋橋損シ水ノ通行ナシ何之本城裏城へ水掛ル事不成第一ノ水掛り場所 修覆の度事也此門際東ノ方堀政字形ト云ナリ敷際押廻シ石垣有り虎ハ全事 前ニ記ス 一同所の左右に枳穀有伐てよし西方は就中伐てよし 植る事誤也梅木門の虎候へ本丸よりの矢を妨誠に敵に敵に 合力の類成るへし 此所虎御左右ニ枳穀有り伐テ由ト本文ニけり伐候ト見へタリ今ハ若ク通変消而已ニ而矢通 障ナシ 一本丸北の方埋門并土橋同其所の植物同所切戸塀同 「郡古居田植物 一世堤門前にいへることく堤門の惣門を広く建といふは 人数の進退を自由にし多く人数を出して防戦所 の地形見立つを大に作る此所郭狭くたとひ此郭中 に人数満〻たかとも大概程のしれたる事也た申頃二三 人数を出す虎口にあらす夫に門を大[リ]建るは理違 へり埋門の場なるへし尤修覆に物入もなし右にいへる 通り榎木郭はせまく人数大勢不如何程投といふ共其間 有へからす地形合不知しては難すへし此所本丸 の堀水際へ近き所殊に通路もよし世上大方城内に も火哉消道具は有なから水の手心懸ハなきもの也是は堀 水の手也 一此所ねかはくは切戸を五尺計に明け下に足たまり雁木を 付度ものなり 女門今ハ二丁京門ト云先年建直タリ尤櫓門ニ成併本文ノ趣ニ而ハ門主王タリ精力不被 事ニ可慎被約植物今はナン公橋先堀端ニ大木多クアリ是今ハ二之宮明神ノ宮アリテ国ノ 内也本丸ゟ矢にふきなる心得べシ此土橋東ノ方塀切戸有り出来ト見へタリ塀外堀端足 渡りは色哉今八将根ゟ形毛不及是又心得べき事也切戸巾三尺二寸高サ三尺ハ寸ナリ 此土橋講先知ヨリ臂扣ノ所持ノタメ悪敷トニノ枠扣ニ置ス追而修覆之朝故内 扣に直へ其事 ▢一埋門内蔀の左虎口楽取たり人により是又難すへし右に いへることく榎木郭せまし中に大人数かし防戦の地 形に不有たとひ又地有といふ共榎木門の南方に土居 有て高し若榎木郭乗とられ此土居に上ると本城 を見透に依て左虎口と違は内見へす植惣有て内を勤む也依 之本丸の内見へす又榎木都の門南の土居高過たるといふへし 一此土居を低くすれは二郭角欠の土居より榎木郭中を見 すかす皆是名人の縄なれは中に一向に思ふへからす 一此門内郭の云伯ク馬に乗ては内を見透依之土居築足大べク前は年々修覆致に成り 未出木土居形紙形ニシテ委細扣有り高サ申処迄委敷有ナリ築足事モアウハ此様以 相違無之様ニ築足ヘン尤仕方有り此蔀南ノ方ニ悪水吐升アリ是ヨリ樋土居下ヲ通門下ゟ門外 東の方堀江水を咄ナリ樋長り三十間程内土居下石垣なり今は惣樋朽損シ形モナシ水ハ悉 一向に必す此樋十石は本城の内水を将外土居度々崩れる事あり心得べし外樋修覆は 度事なり 一艮櫓同本城東方塀二ヶ所の折 良櫓四隅の櫓の内分て徳多し矢掛所第一梅木門 并郭中第二槻木門第三榎木門弟四北中門内第五条 牛門第六本城北の方埋門六方正面といふ櫓なり惣而櫓の 大意は昇て敵を見切疑を散するを第一と得矢掛は二方三方 四方八方正面に取革習なりといへとも六方正面上に矢払 事論なるもの也 此所先達而其ノ出角下り大破御成ルニ付修補有ヘクト云好此橋外へ出スキタリ今度二尺へ入 修覆部一ハ土居高信七直り以後此面下ル事アルマント評儀アリ然共門櫓ハ本ノ通り修覆スベシ ト云事武家諸法度ニモ見ヘタリ如仍成り去者アリ然処于時修白腹延引タリ其後修覆之 昨日来ノ通相極り向論土蔵不残入替外之方土屋築直シ不垣組直シ地行土年ヘナル故弓生可諸之 地行公六尺注入替子ハ土小砂利ヲ決決メ直シ良角土石又ミヤ下ル事ナキ様ニ大夫ニ修覆アリ 尤櫓川下重引物数年段子シ日レ出荒気ナキニ付板柱入ル候方鉄砲故障少キ様入半返る 修覆ノ朝引物入替仮柱取へキ事ナリ 一四隅に櫓を上ヶ四方を守といふは 形ハ方円之二に不過丸きハ是四頭八尾の形環シの端なき かことくなれ給もなく初もなし円満の形なるへに 霊べし方は四角に東西南北の四戌間の形なれは形角なるに より四の隅あり隅は陰なり陰は陰なり虚也卅四隅の虚ヲ事 一為に櫓を隔に上きり四隅に櫓上けたるに依て方又変して 円となる円満は卍字にして虚もなく空にもあらす是 則形方にして業は漏字なり 四隅に櫓を上ケ郭の内を守護し内に武器を篭て四 方ヲ守便とすといへり然に四方の櫓は武器配なり当世皆 一所へ篭積事混乱の猶も混乱すへき夫のみ不成此穿 一正面の櫓は是大に城を守事余の櫓に勝たり然を鬼門の 櫓とて山嫌へり然とも艮は物の終初の隅也本櫓は城守の 神又兵器は城を守器なり神有て笑なくは如何せん 敵攻て守儀に及々何を以う敵を防かん其時良に当て何そ 艮櫓に武具を不入して置へきや仏も神も悪魔隆伏 忽敵退散し給ふは甲冑を着剣を帯し弓を握り 一矢を持降を提四魔三障を払給ふに足持物兵具の 力によらすといふ事なし民とて武具を不納は先 一規ゟ誤也ねかはくは貴敵の兵具を納めは猶以城郭守護 一威力益強かるへし 伝去八方に櫓を建八那神を観給し四階に櫓を上 四隅の神を観給すといへり櫓は神の舎故也 一惣而櫓共に三の誤あり第一日矢倉台は必浦をめし横失 両方に掛る使ある事を要とし台出るにより陰陽合 体して内見へすかす今の櫓其心得なし第二に矢 窓の明様不知故に矢玉を放に向へはかり矢利は左右へ不利 一矢倉は矢を四方に二段三段かく参より其業ねしたるゝ 向計に矢きくは矢窓の明様違たる故に櫓の徳かけ たり皆軍理の沙汰なく普請奉行まかせにしたる故也 一又普請奉行も其業を不知とより大工任世にしたる故也 一櫓有て其業欠たり第三大木茂り覆て矢道を始て 見切事ならす 世福の往揚ルべす本書に六方正面よりト有其上南下門ノ内矢頭ゟ丁遠トモ二丁目三丁目三丁目 玉鉄砲放能キ頃ナリ殊ニ良溜ノ外迄モ矢利有り然は八方正面と云へク哉本書通狭間 直シ度事ナリ狭間直事仕方有り此櫓上ゟ見ルニ二ノ郭ノ云々右植物茂か三郎一向 ニ不見へ一二三段ノ矢筋ヲ妨タル也スカシ度事ナリ本書ニ云通り此帳四隅ノ内第ノノ 倉タリ然り処武器不入是道田本文ニ見ヘタリ依之武器可入ニ定ニト見へ一頭氏笠頭入ル此武 器ト云は大筒玉ナリ先年三階矢倉へ入置ケ所至数多殿重シ強三階櫓西北ノ角下ル先年 大キニ普請有ルナリ其後右ノ玉フ此櫓へ入置処又々此橋表面より大破トナリ先達而人ニ 修補アリ其後荷毛入ス有処近年不相応之品入之事不都合ナリ外江ウツン願前文是アル 通貢敬ノ兵具入置度事ナリ門櫓の神ノ舎アリト云事本文ニ見ヘタリ口方ノ啓ハ武器 物ナリ当世は皆一所篭積事混乱ノ砌猶其混乱スヘシ候アルハ其蔵江入り事ナリ 一一此櫓南方続の塀本丸よりは東之方惣而塀を掛といふは 外より矢玉を放ツ楯となり内より矢玉ケ自由に放さん 為なり依之味方を能かこひ矢玉を放につかへさるやうに 心得へき事なるに是理に違ひ塀低く柱の配貫の 通様大直しの入様土台木の仕様扣の配一ツとして城郭の 塀にあらすさりとは金銀の売城郭を堅固にせんとするに 無法の作事当産物入其益なきは武功なき故也かた〳〵上ヶ論 するに言葉なし二郭艮の首塀は扣を外に立て有是を以けるに 武功之詮儀一向になき故也是ほと武威衰て冥利に叶事 有へからす民は刀をさし鑓を持せたる計か武士には有へからす 武林に生れ業を兵家に重るなしは世めて城郭の修補 心付へき事也然共一向に武切なして無用の吟味立あらは 往昔の良士郷の所にも心を附置たるを直し又大工任 世にしたる故様〻所〻に残而あり不知して吟味べき 事労呼恐るへし 此所縁直シ出来ト見へタリ高サモ八尺有り折モ二ケ所切戸モアリ狭間唄抔土台并之通 木舞モ并ノ通ナリ然処イノ頃か建替アリテ今ノ降仕方前ゟ遠藤田以後修覆之砌 改メ直スヘキ事 二ノ郭艮ノ隅ノ塀扣木外ノ方ニ有田本文ニ見へタリ是ハ直レタルト名へ今は内ニ有り大 溜の塀念入ト見へ扇子代形に取廻シ掛タリ箱べキナリ 一艮櫓南続并塀二ヶ所の出し塀あり弐ツ出して利を失に 似たり相続矢と云味方討の折也敵塀に附たる時必味 方打也其上如斯出したる事心得かたし逆横失也此出し 塀の所にて二ヶ所折たき所也塀間も長きに折もなき は如何なり逆横矢に折ては狭間の功様にて働も能味方 切なし 世所塀本文ノ通り直シタリト見へ出シ塀ナシ小折二ヶ所アリ尤逆横矢ナり榊木外土 橋へ矢柳ナリ 一艮櫓面へ続の塀本丸よりは北の方 一此所にも出し塀一ヶ所有是は土居形自然と中はかに出たり 横矢に取此かし塀のことく今壱間斗少面へよせて是 にては北中門の内又榎木門土橋上より三郭の内えも失 きゝ也故に出塀のことくめる三尺長七八間世所は石打 棚を用て下に大筒狭間二ツ切度所也伝に塀ゟ矢を二 重ニとるは塀を出しかけ塀足代と云用て矢を二重にかくる是 は石折棚の事也足代のことく板或は竹にてゑんを かく也故に此縄をもふけて北中門を防ため大筒を 打塀は出してかくれは武者天広く吉といへり是も只 出しかけたるには有へからす公居に出神形を附打て塀 出したる也本シ式キハ土居に折を附横矢を取たるよしと いへとも人夫も掛り手間入により所によりて塀にて横矢ヲ 取といへり爰を以思ふに土居にてならすは塀に而横矢ヲ取て飛 一横矢は備の横を討の意千人門を輯一人貫をぬんに 不かといへり横矢を用る徳討るにいとまあらす 此所出し塀今は櫓ゟ七間二尺余西ノ方へ歩寄有り折ノ所二尺余ナリ板門土橋赤坂十門外へも 一矢等ク也直シタルト見エ大筒狭間西ノ方下落一ヶ所有りかゝ塀ノ処切ル間役〆大筒焼り有り石打組出 跡有り尤塀二而折損失取ふしタリ北下門へ矢柳田武北サ門ト云ハ今ノ相及下門ノ事アリ 此側向幅欠ノ土居外堀りゟ此櫓下タツ所へ水掛樋折損シ水ノ掛引一向ニ相成候様ゟ橋木門々橋 下タ樋ゟ塩門前具据下タソレヨリ三階櫓下迄此樋ゟ水取押込ス第一水掛樋より其上橋木 土橋樋も持損れ水ノ通行一向十分旁御水掛引不成甚不失害すり往覆有度畢也 一北方埋門より就僧迄の塀右にいへるごとく就櫓東の方五間 の折有て一二三段の横矢払といふ事前の段に有之故略 出塀櫓の際なれは有に百及此塔小き櫓にて鉄砲の外うし 一働かなりかたし其上土台作にしたる所に土台くさりたる とて艮の角の土台を切柱を石にすへたる故に年々此南 下り三寸余さかりたり大勢篭て働んに大に危き事なり 一本櫓柳ふきにして櫓地になく二階もなく土蔵抔の ことくなるを先儀主腰屋根を附櫓に取立給ふによりかね 合恰好違ひたる也夫故に二階も屋根低く下も同意也二 間に三間の櫓なり惣而艮櫓に不限四ヶ所ともに矢窓の 明様悪き故一向に横に不利向はるりにして其上窓の明 様上りテ矢も鉄砲も台をしあらされは放しかたし鉄砲 一放事曽而不成不自由也窓子年を重ねぬりこを附たる によりふとく留はせまく一入左右へ不自由なる窓なり 北ノ方埋門ト云ハ今は二ノ宮門ト云此所本文香丁ナリ此所就櫓先年修覆アリ惣書台也 下ル所モ直シタルト見へ本文ニ云ルハ四ケ所轄共ニ矢窓ノ明様近敷一向ニ損失不利ナリトアリ尤矢窓心 上り忍サクシテ弓鉄炮放カタン是ハ矢窓下レハ橋外御内委細ニ候へル敵矢倉トへ付而ハ甚不可苦より 先ツ平四七不用心ニ及ル是ハ窓下。能狂ニ御懸キ置キタキ事ナリ是ノ上ヨリ弓鉄炮自由ニ放サレ べかナリ天窓ノ明始仕方アリ此櫓際ゟ東ノ折迄ノ塀ノ高刀ニ相違立田重而建替分改奏 通る事より此矢倉向様不都と居植屋茂りノヒスキ往還通り西不見へ此筋西方殿上へ通り仲木 茂り河原之方見切一句ナシ殊ニ赤坂門外ハ大切の震候誠ニ見切事不成不安無成候程ニ退敷 事ナリ尤透ス事心得べシ猥に透間敷事 一三階櫓同南へ続たる塀同切戸 三階櫓上ヶ所後口上たりといふ地形此所に有て上たると 見へたり西山北は林草有有此櫓なして何か敵を見ゆべき 第一に弁城大意と三階の上所相応せり面に笛吹を眼の あたりけみ海道を脚下に見下す横を討列を妨味方支 るに力を得進退相図小用利深かるへし南方木茂り矢 窓に掛り見切を妨く見合伐度所なり矢窓右にいへることく 悪ニより損多し然といへとも榎木郭西丸の方女郭たとひ敵元 ましたりといふとも此三階一ツを以三重ゟ矢玉を放は篭 中之鳥のことし 一同南へ続たる塀に切戸立 一世切戸心得かたし切戸塀を用る大意常は塀外の用を 足し犬走の掃除所を見て切戸なけれは土居表の用を 達ス事なりかたし是は常事也又隠し郭に切口 をするは敵味方をしたつて内に入る虎口もなきに深入 をさせ切戸を開て敵を討に用是は隠郭の習にあり 一郭の内に云居なしに塀をかけ切也又敵厚く集る所か 虎口の向か往還の左る所か郭内郭外ともに敵仕寄 附かすへき所か又は地形高く敵地内を見すかし又は 井楼を上へき所か味方篭に敵陣取へき所か城近辺の 船か歩後見ゆる所か森林茂有て疑敷所か敵可陣す山は却 の内の櫓か多門か渡櫓か敵に乗取立たる時味方城内ヲ 見送し攻取れて戒に成べき所の心当皆加様の意味を以 一切戸塀をし大筒志かけ置敵の不意を討に其利ふかし 又は敵を引請一度に開て打其虚に乗して突て出 事も有べし又平城にハ堀水の手にも切戸あり一向に見へ からす然るに此所へ切戸何之故とも見へす水の手には水 遠し何とも心得かたし能横矢折の塀なれは切戸を やめて塀々して狭間を切たきもの也大方切戸は櫓の 下抔にあるものなれは櫓下抔か然か然共古より道し石 得かたし此近に土居に桁の跡見へたり横矢折たると見 也 一此所と面方堤門との間に塀を出して掛てあり是は土居 也と見るに出し塀にはあらす横矢の折の形少し見へたり 順の横矢にて然も深門前せましといへとも矢懸ありて 可然也土居形も其形あり 三階櫓廿櫓見切第一ノ櫓ナリト本文ニ見へエ然り慶城裏竹木落り北面南トモ三向不ス杢ノ 橋ト云キ其詮ナシ惜候哉能キ程ニ遠メキ事ナリ併造ト様アリ様ニ透ミ事ナカレ失窓事ハ行ハ 櫓共ニ不利より前に記ス此櫓下ニ切戸有り本文ニハ水手ニハ遠シ差戻候者ハ重ニ切候ハ有之候所ゟ 今や心得カタキトアリ尤橋トクナトニハ有物ナレハ有テモ可然カト有此塀櫓ゟ四百四尺字角敷ナ 折八夫折モアリ大筒狭間一ヶ所切〆一ヶ所アリ此切戸両国間ゟ一畳メ玉大筒取りテアリ尤切戸ニ 獲間切テアリサハリモナラスハ置ラ平日塀外ノ掃除ニ用又ハ此橋外ノ方地行割ㇾ度ミ下り先年 大キニ普請アリ石破櫓下ク外風雨の時分廻り改候由又ハ普請ノ如出入調法也外ニ余リ用ハ差見ス 置ツモ苦力ヲスハ有テモ隣ニ不成南方儀ノ塀折一ケ所有り狭間モ并ノ通り大筒狭木アリ尤垣門方 へ寄折通り順損失折にて埋門前矢御助なり尤所切戸事は一貫目鉄砲致ツンは号大学校方 ニテハ塀痛ニ成ルヘク哉両国切戸然ルベキナリ 一西方埋門并蔀の塀虎口引橋の台 此門今は埋門に不有麁相なる門柱も屋根も朽たり埋門の 場なるへし引橋の門大方埋門なり子細は人数を多く出し 防戦の地にあらすたとひ人数をおとても小人数をおし 又は蔀の通路の為なれは橋も引橋にて狭く門も又小さ し埋つ都合したり 一此埋門今ハ引橋門ト云此門先達が修覆有り惣躰崩棟成候他ナリ余り見舞キ柱先達テ 取替ル以後修覆ノ朝心得有べキすり 一蔀の土居 世虎口も左虎口に蔀を附たり是は悪敷といへとも地形なれは 誤にあらす其上右にいふことく曽而人数多く出入なき虎 けなりたとひ左虎口にして大に建たりといへとも引橋の せまき何の益かあらん大方世上の城主に都合せぬ縄 有之蔀も内せたきといふ大に誤れり惣公居より蔀の土 一居は低きものなるに是は又惣土居より蔀の土居も高く惣 土居は別に下けて埋門を建蔀を附たりと意味深し皆 是思ふに武切のなす所也各別なり 一世虎口の面部は狭し東の二の郭の土居と違て土居低し 後は切岸也旁以見透事なし依之低ししたる也土閤 取ての徳多し矢を葭にとり面郭の内まともん払其 上虎口横の向なれはたとへは郭せまく大人数しとふといへ共 城を乗ていへともみたりに堀を越水を渡る事は不有 敵は虎口をこそよすべきなれは真向に矢を二重にかけん 心遣屋也第二西山近く大筒の恐あり当世第一の心遣なる へし意味深かかへし第三拾土居低けれは西山ゟ内を 見すゝへし今は土居崩武者走なし土居厚く武者 走広く面山への大筒放場にも可成所なるを了場を作り 土居出たるとて敷を切たると見へたりからば候あらす急に なり一入土居の為不足悪る処を切我勝手にして家業を 怠たる事大なる誤なかへし一国一城の主として黎民[ノ] 安し武威を振ふといふは過去の同縁済天の擁護にまたんは 何は一城の主となるへきや武士の冥利に叶たる事なり 夫面に勝手に能とて公居を切広くる事無法の働なり 一城郭の辺を土取場にし穴なと堀事大に悪し心付 へきなり此蔀の土居に大木茂之を仕切てよし 西郡ノ内的門払イト本文ニアリ側門ト云コト何れ成候ヘキカ考へシ意味深ク引橋門水ノ方也 一塀七間余大破ニ付屋根瓦下シ雨除板打付置ク修覆屋所也 世崩土居坤櫓上塀四十七間余ノ所大破ニ成り取払今ハ板カユイタリ此塀外力ノ塀ト違建繕 六ツヶ敷キ場成り数間配并折レ家根柱配等ニ出ル迄少シ相違アリテモ甚不利成べシ建ル時朝者ニ 談シ合建べき事急々心得べきけり此七府中住外ノ方云昼曇り有り今不出候此趣四十七万余処 折三ケ所大間狭間一ヶ所アリ尤折候処心得より折始狭間ノ切様より相談失成ル也此土居ゟ城裏見切〆 処竹木茂り西山辺一向ニ不足能程ニ遮ル敷所すり但土居直シタリト見へ高供并ノ通り并者是 モ広キトハ云カタン然共外ニ順ス坤櫓近キ所ハ余程広クば恐敷新右同様ゟ大間配リアリ大筒放ニ挟ト云 程ニ有ス此節ノ土居ニ大木アリ伐テ由ト本文ニ見ヘタリ今日今了第一巻ニ見廻ルニ土席上及ス又又又人数配トス ルト云モ下タヨリ見ヘス切違度ナリ急ノハシナリ七本文ノ意味考呼給ベシ城郭内穴ナト堀事大キ悪キ ト有り候城普請ニテ無拠土候事有は更三磐埋置事成り其上部内一郭内ハ何或ハ栗苗氏者 山ニ極込ミ見ヘタリ今ハ延過林様ニ見吉是等有之間敷事也尤要害構ゟ不申ハ急ニ切取事ハ障々不成ト 思ヘシ併悪言権之方不広知ル処ハ間ニモ食べレ変ハ急ニ発事有事有常ニ心掛リナキ時ハ其益有之乍然 時数多く木ヲ伐取事第一人丈ノ手間多く越べシ其手間ハ俄堅固構ル工か然候へと殊林木ヲ切捨レ タル時右木ノ置所ニモ当リ人夫ハ多ク懸り取運ト云トモ其跡伐口高ク欠走り等成有シ是等ノ事 本文ノ誡ヲ以考味有タキ事也 一此虎口南方之塀是より南の方西の丸より面記入る敵々 よき矢払なり 右ニ云ル趣西丸ヨリ西郭へ入ル敵ニ能中矢柳トアリ尤面なり榎本部へ入ル敵ト云事成べシ 一引橋台此所は西郭を人質に置本城へ通路す今橋台崩 て此郭へ本城よりの通路を失皆人は通路矢とは不思北の理 一門より通路ありと心得へし是は常の心得なるへし 一時により地下の人賃一郷ゟ五人取進も置所有へうらす 心当なくは当惑すべき事か南の方五ヶ渕といふは深き事 甚深し是又常に北の方へ水深きにより自然と水道筋 たり下水通の所は埋石を入犬夫に石垣の場也橋もあり たき所なり 橋にも品々有之土橋板橋欄干橋廊下橋長橋違 橋双橋刎橋引橋刎橋引橋引橋中の間を取放たる橋替替とと 一此所は引橋か刎橋の場所也心深かるべし 卅引橋台三十年前出来イアリ橋ハ未掛此橋才木切組先年出来掛ル斗りノ所其首並へ 請多此橋掛ル事入用多掛候故南分見合翌年モ差掛ル普請多敢取合成ル依之後木郭之違 請小屋ニ積入置廻リ板ニテ固置所先年右材木弐斗ニ万替詰ニ置下屋其手入茶臺ノ田ニテ玄坂〆 作事にもれ多かき大材木斗り残に南水右小屋へ通り此小屋外板囲を取払屋根斗り仮に補埋置間 風吹入次第ニクテ又後々ハ用達間敷哉分得べキナリ西ノ方六ケ渕ト云ハ深キ事甚深クより然処近 一年障取無之故葭方西方に生漢自然御マリ白ハ余り深ト云程奉ン深泰ゟ一多ク程モアルヘタ也 此橋台所堀深キ故自然ト水通蔀タり下水道ノ所ハ石垣ヲ入丈夫ニ石垣場也ト本文ニ見へタリ此 橋台下堀仕切崩シ先年大に普請了当時差ヲ下水懸水道も明ス併次ノ堀三階御櫓下へ水夕其上樋 アリ世上樋折損シ付右ノ穴ヨリ大雨六節ハ土居押切橋台迄も崩候也此上樋橋候時分早速取替申シ ハ土閤崩ル事事ナレ右上総向明折様ニナリ依之内応上エ伺ト云左重御沙汰及ス是ハ土下事其上入 司ケ事故すべシ依之左折ル間へ遣タレ土俵土俵公俵に入堅メ置カト云口大雨之節ハ押崩へキ哉難計行雇 アリ度所ナリ 一坤櫓より埋門迄の塀 此所は別而土崩武者是も犬走も曽而少々之塀は有といへとも矢 を放鉄炮を放事成かたし順矢の折弐ヶ所有之世所 徳ありといへとも出し塀のことくなる様にて土居に折けと 違へり是は古法の折を用塀かけは昼徳多し西丸より 二の郭への能失懸塀間も三拾間余なれは両所あてよし 然るニ出し塀の南方逆横矢ニ折て有是は矢掛用たるには 相積矢にて如何なり然といへとも此所の塀坤櫓の下にて壱間半 出し北の方にて五尺出して此間八間程有之若は武者老敷を広 くして大筒劔場に用たる龍弁所は面山小坂山へ能大筒の配 場也又坤櫓下ハ一間半の所には切戸有てもか然所なり 一坤櫓ヨリ埋門上ノ塀上り是ハ坤櫓ゟ引橋門迄事成べシ此櫓際ゟ塀一間四尺出シ折 いいさり又七間弐尺北ノ方へ出シタリ直りタルト見上此土居武者是千平右ニ記スナリ塀建候事心得 一甚六ケ処所ナリ是等前ニ記ス本文ニ西丸ヨリ二ノ郭へ能キ矢払トアリ難心得是ハ西丸ゟ 榎木郭ヲ差テ二ノ郭ト云ル成ルヘシソレナレハ西丸ゟ榎木郭へ能キ矢柳ト云心成ルヘシ 一坤櫓 一此櫓より石原山小坂山惣而此辺能見ゆる然といへとも玉目の重き 筒なき放事ならさる櫓なり乾櫓と同事にて後に腰屋 根を附たる櫓麁相なる作建取傾き下りたる也西丸郭 中同門内西郭の中同所の虎口矢払よし 此櫓龍櫓ト同事ニテ玉目重キ以同十ト放事十三又振成ル由尤麁相成作ナリ傾キトリタリト 本文ニ見登櫓大サ腰屋根ノ付縁惣躰乾櫓ニ替事ナン併修覆アリ今ハ惣と臺入ル少モ傾 下リタル事ナリ此櫓ヨリ石原山小坂山此辺能見ルト本文ニアリ今は竹木茂り何方も一向不元本 文に此櫓より西丸郭中同内向郭中間所の虎口矢払由トアリ此所何方の事哉考へし一通 テハ心得カタン西郭中同所ノ震口トアルハ山穴蔵面ノ方付林内ニ古公居有り此所残り端ニ虎ハ取込 此震口へ矢払イノ事ナルヘシ又ハ三階下タ外番所ゟ北方植物有ル所地形少高クに土手ノ様見番 堀端ニ虎ハ取所ナリ又西丸西ノ方木戸有ル所是モ藪ノ内ニ台有り此所共虎ニ付ル場成り右何レ モ虎口又は西郭ノ中へ矢払田と去る事成候べし 一坤櫓より巽櫓の間塀 一坤櫓東方櫓ゟ一同四尺程出して折の塀あり順矢にて 一然も折も三間半過故能損失払といへとも櫓との間壱間四尺 にて狭し弐尺おして塀懸らるへし夫より東へ二ケ所出し 一塀有是皆松様矢也取て須矢の折に塀横矢を申りて よし此所は折なくても坤櫓ゟ能矢払故不苦といへとも有て 戒になる事もなし悪る塀にて横矢を折て塀をかくれは塀 強し其上此所の間数三拾六七間の塀なれは出し塀を 付へき所なり 此塔より堀二間壱尺有りテ折四間アリ走レタリト懸ハ同所江戸弐ヶ所有り此所出し塀今ほレ順矢ノ 折二ヶ所有り尤相焼失無シ此城山陰間口尺余大破ニテ先達ヲ打返シ板囲ニテ通り此塀冬枯ノ節ハ 石原村乗谷村辺ゟ能見えル然候処板囲にテ甚見苦シ修覆有り度ナリ殊ニ本丸ノ塀三ヶ所迄テ 数年板囲ト云事如何ナリ 一巽櫓同北へ続の塀 一此櫓は梅木郭同門前へ西郭の内世所の矢を能柳南 中門の内へも遠矢きく此櫓と艮櫓とは梁間三間に 桁行四間なりといへとも櫓作にあらす上の重の柱を 建のはせたるにより内の働に大に大に妨になりたり惣而櫓屋 仕様悪敷により横矢一切不利塀と櫓とのへら同然多かにより 惣し壱間或は三四尺も出し腰屋根上の重より横を払て こそ塀に附敵も打拂へきに塀よりは櫓矢窓は内に切たり 一刺薄し此所の塀も櫓より五六間北へよせ順矢の折有て 惣間廿一間程ある故に拾間も北によせて能れ共夫に而は櫓よりの矢 の妨になる事有へし 一切戸一ヶ所あり今迄の切戸北により過たり裂櫓より拾間ゆへ こせ明てか然か 一世橋本文ノ通良橋ト作リ同事ニテ本柱内ノ方へ出テ有ウノ始ナリ同様台事四ケ所堀口 坂ト橋トノツコニテ烈シ矢利薄シ此塀折切戸今ハ八間半程櫓ヨリ北ニアリ折々九間程ニテ折タリ 直シタリト見ユ併相核矢見ヘタリ狭間ノ切除心得アリ心付ベキ也 一西丸郭の虎口同東方土居 西丸郭本城の助の郭城の後を堅固に取本城の虎口中に取て 西丸と榎木郭の左右に両虎候を取長蛇のことくひかへ互に 助の郭本紙の虎口郭馬出を取是又西丸榎木郭本丸三の 虎口助たる郭なり 此門ヨリ北へ続ノ土居此植物茂り善槽ヨリ矢利一向ニ不利より尤押櫓ヨリ南中門ノ内へ見切ル 事不成石土居北ノ方留りノ処登り水際マテ蔀之処元年之作事普請ニ用ル上蔀ヲ不残 伐払依之二ツ郭尺角欠の処より西部子は元候仍而今又苗木植置ナリ他事用ニ遣ツ事ヲハ被閤 上ノ木ヲ切レハ呉櫓坤櫓アリ矢筋モ明キ西部モ見遁ス木モ目ニ立蔀モ其侭有テ城郭ノ門内西南アリ ルニ業々蒔伐科イ金又西木ヲ植サスル事心ナキ成リ此苗木二十年モ過術ニ元ク通リ民ヲ 蔀ト相成哉幅カナ考味有度者ナリ此土居上ノ植物右ク六通り両櫓より矢筋開落之同所土 居上ノ植物不残伐部当分菱既詰惣穀苗木住置追而同所塀ノ高サニ苅ツ〆並べシ旨上エ 内前其通済ト云共人夫多ク懸候ニ付城郭ノ普請ニ入用ノ時分段々ニ代取ハウナリ不残伐 柳時角分菱垣絵置枳穀百種置キ末代柵タルへキ尤北ノ方留りヨリ水際迄植物ハ必ス 代ル間敷事也 は地震には陰中の陰の虎口にして寺にかたく人数を多く出 後に見自由なりといへ共二郭内狭々是又多く出すに人 一致進退之利なし本梅木門榎木門二ツの虎口是三ツ なれは必多し人数出す事有へからす 一南方土居尾小屋の郭へ矢を払 母土居養竹藪ニ成テム谷上ゟ見切矢払ナシ此所伐払へハ無掘り西堀船切ゟ見透故見合置ナリ 伐払べシサスレハ菱ニ用ルナリ様ニ伐払へカウス心得べシ 儀西方へ土居半已迄ハ代払事アリ夫ニテハ降り不成是ハ巽図ヲ構ル市根ヨリ四五寸上 一東の方土居 此土居二郭の中に勝て敷広く土居高し東の方二の部 一梅木門前の外矢不利といふ所なし然といへとも土居本城の 一巽の櫓は居敷と同し高サ本城に少し低し此土居表へ 一巽櫓の矢不利也三五間も西へよせて公居可有所なるに此義 不審なり 右に去ル本文之通此太后高ヲ出返キタル故門前ノ矢ヲサマタクナリ此土居五間程モ内へ入タル所ナ 一ハ矢不利ナル処外ニナシ 一或人云此虎口は堅固なるや榎木門虎口堅固なやといへり是 は論するにたらす 梅木郭共へシ 一西郭 西方腰郭を取後堅固の縄による伝に云たとへは後堅固 有て縄をもふくるといへとも夫を頼て本城を堅近く候へ からす腰郭を取て次に本城を取といへり廿郎は本紙の 腰郭の心なりたとひ勝て堅固の城といふとも一側に本 城を取べからす子細は本城を乗取られて何辺の郭 を持てか運を開へきや腰郭を取本城を囲て取たる城 たとひ皆国にたより乗入といへ共本丸興固なれは報の便有 へし 一翁兵後堅固といふは沼か川岸か海か敵の仕寄に便を得 さるを皆によるの縄といへり一向に堅と計心得なは誤なり 左衛時なり川も瀬の変る事あり岸も崩る時は本城へ 一拾間五間又は三拾間も堅を離て取へし人数多く 城に篭には塀を懸城内に用る人数を配て可守之といへ り此心叶たり 此岸下ハ本文ニ去ルコトク者ハ川筋能ひ岩ト夕通りハ古川跡にて水モナク柄堀りノコトク其上ユ 段陀篭重り預ケ所アり殊に立木多く鍛合歓忍入ト云とも由子助ク事不成所也然る石川 普請壱反川筋年々違フ右ノ古川ノ処今ハ本川成ヘリシカ毛川モ浅キ碇川ヲ渡ル平委シ 越少イテハ忽ノ事自由ナリ本書ノ意味尊之慎ヘキ事ナリ尤岸へ水ツキ処ハ岸モ年々 崩ルゝナリ川除普請アリ度ナリ 一此郭地下の人質郭又は倉庫の有度郭也榎木郭ゟは 一四ヶ所にしまり有西丸門より弐ヶ所にして此郭に入然も本城 よりは三ヶ所櫓たとひ郭内に人数入帰たり袋の内に入 れて打かことく敵を足下に見て手に握り足に踏よりも 尚安し 一此郭倉原有キ郭也ト本文に左に依之力先達而迄木蔵拾三棟柱有外修覆者故間ニ朽損 ご大破被成候ニ付段々壊チ取ケ今ハ漸三棟ナラチハ無シ元ノ通花屋処より此所四ケ所メリ心付ベキリ 榎木門ゟ西郭門迄四ケ所ゟノメリ有ルナリ前記ス 一世郭のなき時面山より門を見透し悪し是本城のかさ しになる郭なり 一同水の手道有此水の手道き所に本城の方は広く川水の手 もにせよくしたるより此郭に敵込入といふ共此低き所々 至るには本滅の方甚高きたより矢玉放ても益なし 一世所川水ノ手有心得べシ若シ此所柵あるトキハ川水手ノ心得有べキナリ 一惣而此岸通川筋の方崩岸は各別其外は不残竹木茂り 忍に便有然といへとも此郭の内の竹木心得なく切取内を 見透べし所〻に人を配り見透さる様に心得第一なり 一本書の間久城裏殿通竹木茂り忍ニ便り有り然る処当時落通欠込通用不成廻等ニも行事 ナン依之小笹草木交り候生茂り牛々要言ニ入事不成然共敵忍入べクト思ハ必川ヲ越来候 得可るべし竹を切る事右に云通堅固を握る朝菱に用紙也猥に切払へカラス 一此所の堀切の所竹方菱有し処今は朽崩れ猶又不用心に 一相見へたり菱垣かたくは願くは川端に押出し柵ある所也 惣而此所岸崩土居表も竹に茂り不用心と見へ麁相て 見へたり堅固に桐の今度場かきなりといへ共年々損悪かる べし 一此所本文の通り惣躰崩れ所〻に不登図の場有り別而瓦小屋の内堀面の岸崩れ 不整固ニ見ユル修覆有度所アリ柵タウハ堅固ナルベシ併柵ニスル事一通りニテハ十二テハ十二テハ かり心得べシ 一向越酉方坤の角台有櫓にもに有井楼を上て西山を見切る 正向山より此郭見透にかさし取たるか両様共に利有 今は此辺の竹木茂り通路ふ自由也竹茂りたるへ一切 見切の為にもおらす 此台陣櫓向竹林之内に先へタり本文に云る通竹木茂り一向に共切事不成能程ニ連台へ被通 一用也時々寄り用達様に遣度者ナリ 一焔硝蔵と其次の郭との間赤坂より平地つゝき猶又大に 不用心にして城米蔵の辺への通絡自由なり今竹 垣有といへとも外郭への古にはか何也是又柵の場なる へ 此所堀続様一間余碑也余ハ菱垣也桐ヨリ三十間余山穴蔵脇へ入込処ノ堀り切年〻土砂 崩下り今ハ十カレニ成ル減二平地へ続も足目取り此所家下ニ番所有リト云モ願クハ柵タルベシ此 番所近年川欠破三十間余上り鉄炮場裏々今は有り不堅固ナり候先ゟ南竹橋アり此 内二ヶ所右同様成場有り是又柵かてハ弥堅固成ルヘシ尤柵ニ入ル時川水ノ手ノ所心付べレ 一欄にすること前記す一通にてはならす事なり 一榎木郭より焔硝花の北方郭へ移所へ土居を付木戸にても 有しと見ゆる所は其虎口土居を切て土を取たる跡あり徴 少の縄の善悪により敵便を得ると矢との善悪の違有に此 土居を切たるは城巣の業通して切たるか通せさる歟先は 一大破場場なり幾重にも土居を附皆固に取度所なる 此所竹竹様の内に土居切残して有り此所虎候に付所ぬ事切取事本文の通大谷と至り ナリノ慎ベキナ事ナリ 一本城西丸より榎木郭上堀潟急なるにより年々此堀端 崩落る事今年迄もやひ事出し是は高倍の過たる 故也 此所堀端年々崩ル事の事ナシ本文ニアリ近年ハ不崩多イトヒ堀水十分ニ不懸三階 櫓下の堀は水曲折無之故平日は水一向に不遂此殿に近年山得候事なし尤明に寄能キ 程に水を掛べき事なり 一榎木郭中公閤高く堀深く堅固の郭也三の郭角馬出へ の矢払の折北中門の矢紙の折有角馬出も一方虎口ヲ取 北へふきき南を明て矢を榎木郭より取堅固なる虎口也 是は近き矢払也御郭高く海道川の渡場目の下に見へて此 一郭中ゟ大筒の狭間切戸塀なくて不叶所なり今一ヶ所も見へ す土居大に崩たる所あり 一此郭城米蔵の辺は敷を切込蔵を立たるに武者是狭く 働ならさる所也 一此所塀榎本門南ノ方高キ居上ケ隣ハ切庄ケレ人御間狭間にナン弓鉄砲狭間本頂へ榎 木門小ゟ西の方柵際さて塀たり切ケ所六ヶ所大筒狭間を所かし狭間一ヶ所アり大筒なり有 武者是モ出来タルヤ橋ニテ狭間ト云猶ニモナシ併大事場申レハ武者老今少シ広くシ 一如何に毛働能其様有度所ナリ 一関所置者空陰と所の者はいへり艮櫓の下に有伝に城中 閑所広く高きを用といふ是則習有て建たる也曽とも 雲隠しまり数多有て行違にも狭からす上へ指物もつかへ す今は埋て破壊に及へり誠に後世のかたと成べき事也 井伊氏は其論の城を爰に移され然も甲陽の何某 太神君より附給ふにより誠に能書か能き手跡を写り ことし縄首尾なりて堅固にして殊に今他の城に 稀なる空穏なり習の通に建たる不浄溜も面にして 広し 一惣而不浄を捨る心遣城には可有之事第一也古小田原 の城糞所の捨所なきにより城中に煩はやりたるといふ 一糞捨郭可有之事なり 問所事毘櫓下に立先年修覆有り屋根さし屋成も入候南北二ヶ所ニアリ能出来 ナリ其後大木倒レ懸り中程打ツヘレ見苦敷故取増今ハナレ本文ニモ今他の職ニ稀成ル 雲治ナリト有願クハ先親ノ通建度事ナリ此雲濃速結様絵国委敷記ス 一閑所の際には十坪斗の所に高き弐尺斗も小石有定る古 一城筒柵の側思出し歳心の餘所の者に問に答て云 是ば書院の前に敷たる石なり掃除のため不足取今爰に 一捨といふ誠に五度ものなるに幸なる哉 閉所の脇ニ小石之事此小石暫有候処仁方へ取持弐ケヽハナン本文ノ意味心付十ハ固置ベシト成 石打等ノ心ヘナキト見ヘタリ城内外共ニ平田心ヲ付何事ニ不寄再往論シ合輿空ハ第一ヘ心ヲ付 猥り振舞有間敷事也 一二郭 大意に其陰を明す陰の虎口にとり小人数を以守篭城し て全刹を得る縄也三ッの虎候何れか横矢をとらすといふ 事なき本文に三ツの虎口と有は梅木門板木門西部門是三ツ十リ 事なき 一弐ヶ所の角の欠 一伝言角の欠城内狭しといひて嫌事也角を欠たるとて 普請の助たも塀の間数の減にも不足角欠て内のせま きか損なりといへり角を両方拾間ツゝかき都合弐拾間也 不欠とても其間数は同事也然之内の狭き程か様なり といふ然共廿二ヶ所大角欠にして然も欠たる角堀端に 近く漸く道幅程残し大角欠附たる也是を以考共 尋常の欠様とは違て二郭迄の陰に取小人数を以此城を揚 こたへる様ニとりたると見へたり此城の本窓なれは角を不欠 押出し取出し取出し取出し取多く入る也大角欠なれは 角欠の内江は人数配するか然角欠の内へ敵念は左右ゟ 一打立へし左右より打立んに角欠の内小たよる事かた かるへし西へ向へは北ゟ打北へ向は西より打一方は兎角 一横を打也北中門ゟ東中門迄大概に積百五拾五間程の 内八拾五間角欠東中門より南中門迄は弐百七拾間程の内 九拾弐三間の角欠なり両方合三百八拾間程也都合百七拾 五間は角欠也たとひ百間に鉄砲七拾挺間三拾張配積 にしても鉄砲弐百五拾挺弓百弐拾六俵也是は全き配 なり角欠の所一百七拾五疋此所弓鉄砲を不配により鉄 一炮六拾挺弓五拾八張減したり然といへとも出角の方 弐拾間も配可然四方の出角と二四八拾間と引て弓鉄砲 一合て九拾四五挺の徳也猶以大筒黒城の筒配たるには 徳多かるへし度い思ふに狭間壱る三人といへる壱人 宛にもせよ九拾人也四百人にたらさる人数の内九拾人の減 少といふは此角欠の徳なり此分も不知人は入角の内迄 一配へきは無益なり然共北の角欠東艮之出角南の 角欠南中門の出角に武者走を広く台を取てある は心有ての事なるへし 一南中門な弐角の処武者瓦広く懸り取タルト本文ニ見へかり武走少シ広き方ナリ出角台と 云程ノ処不及武是ヨリ二尺程角ノ処広シ云居形悪キトテ切取タルヤ笑タシ夫仍テ置候モ 序ノ切有タルト見ユル処壁足置並ヘサスレハ台ノ形ケレハルカ也民南欠ノ出角夜ノ台見ヘタリ 心得有ヘシ是ヨリ西ノ方角火ノ入角火ノ入角狭ケ処ハ今ハ城代屋敷取払ニ成り角ノ処也 塀斗残ルより此塀有レハ居候一形ヲ残候ナリ此城代屋敷跡へ何らする枝苗植置処今ハ延 過林ノ様ニ成取払度也前々記ス 一二郭弐ヶ所の角欠候二郭榎木門ゟ西丸迄の間小郭に取しく へき為に利あり境目の城惣而城御成所も隣所有て一日 も持こたふるを武切といふ一郭破られても又一部にて さゝへ所あるをいよしとす此角欠て此利にも叶へり狭き所はさゝ ふるに助となるさゝへて片明成共持こたふるこそ称美すべ 右本文に云る衆口付候事即櫓角欠間呉橋向角欠此所角欠赤堀端狭赤虎江 き也 両所へ取り小郭に取シク所ナリ心得べし 一北中門 一世虎口陽牛の陰にして二段の横矢を榎木郭より取て 有この矢かゝり弥土居高く能横矢也二乃折は少遠し 門際へ附敵ニも矢を払によし門の桁行四間西の方弐 間石垣や土居なき故に門際迄一面に矢利也二軒二郭二ヶ所 の門は何も横矢を能とりて堅固なり此弐ツ何れもいふに たらす大功成虎足然るに門古く破損に及へり先城主 三郭之三ヶ所の門を櫓門に建給ふ利をいいふに二ヶ所 を堅く建給ふべきほり大切の二郭の門惣し三の 郭ハ防戦堅固の格にして人数多く篭味方を出て進 退し自由を達し勝力郭母二郭は小人散にて防戦な らす陰に閉て篭に人数に而利を得の郭なるに門板柱 くさり大破に及へり櫓門ならすとも渡櫓か多御作の 様に有度者なり防戦ハ安く暮るは小人数ヲ以篭て敵 らす蟹か上にも 城をおとさねはさる事な身むかし三部のかたく つよきか上にも猶つよかるへき事なるにむかし 三郭の鍋と二郭の心とは違り三郭は堀狭く然も 浅く土居低くかるく取たるに門は長固也二郭は堀深 く広く土居高く広し堅固に構たる小門は不堅固 にて不都合の所は渡櫓か多門作にて西石垣の上乗 長さ六間に建矢窓を切か然か此門外郭能見ゆれは 見切又は矢を懸る便にも成るへし門の西方爪に矢窓 明てよし心持に二つ有大方爪に矢窓はなきものなれ共 赤坂への横矢を払に吉世門を櫓に高く建る事なら さる所也門高く立矢悪を切は榎木郭見すかすたとひ 敵此門を乗取たるとも榎木郭の横矢か大筒を打 業あるへし 卅弐牛門ト云ハ今ハ家坂牛門ト云也此門先年修覆有下候へサマテ大破ニ七反御櫓 門友渡三丁有り併柱并に板木不宜麁末成ル作り成り然ル処安永三半年焼失ニ付同年 秋新建義火ノ用出候間屋根サン瓦シ尤門丁渡米ノ通柱板等是迄より丈夫レ呉子狭間 突込ニ老公侯ノ杉木ヲ用ルニ付不残杉ニテ出来多門他ニハ黒芝両渡ニテ爪狭間有り畢たる事 有り 一槻木郭門北方に杉木有て二部へ本丸よりの矢道を妨たり 一此虎候外に枳穀あり取ては外より見へ今の通おきては 敵の合力仕寄となるへし尺の木といふは高サ三尺にするといふ 事小尺の木といへり三尺に切てか然所也土橋の上は兵衛蔀 に有たり 槻木郭門北ノ方ニ杉木有テ矢道ヲ防ト本文ニ見ヘタリ是ハ槻木門北ノ方トハほ城来方并良 櫓迄ナリハ丸ノ土居柱物ハ二ノ矢道妨ル事ナシ然ハ榎木門北ノ方ノ柱物成ルヘ乗スレハ本左ヨリ三ツ郭 一ノ矢通ヲ妨ケリ此虎ルヽ松穀有り取テハ外ヨリ見達ナリ置テハ敵の分仕寄ト成ルベシ尺ノ 木ト云ハ高サ三尺アルト云コト尺ノ木ト云リ三尺ニ切テ然ルヘクト本文ニ有槻木門外ニ松穀有事 聞伝ス何方ノ事哉難計是ハ猿部門事成るベシサルレハ本元ヨリ三ケ元へノ矢道ヲ始まり此虎口 外ニハ前ハ枳穀有事聞伝へリ是ハ全ク筆者ノ誤書損シ成ヘシ考有ヘキナリ 一東中門曲尺馬出し坪外形蔀塀 三部になき馬かしを二郭に取たるは是境目の城の格也 曲尺の馬出しを取南の土居にて横矢にとり坪外形に用 たり能虎口也四尺の馬出し塀の竹形と云大工の墨曲人に よせてしかいへり曲尺の馬出坪の外形障り郭是は皆行の 習により地形の様子により同数にもよらす堅固とかまへて取 習もなり雪にも曲尺の馬出し間数不同といへり 一世馬出の上杉木あり伐てよし子細は追手門の内へ牛 門よりの矢を妨く中門へ上りて見るに杉茂り追手門てたかに 不見世上に塀を懸か然所なれとも今地形を考るに中門と 馬かの欠短く土居も高けれは塀をかけては中門よりの矢塀に つかふへし矢つかへは二段走の土居か然 一世馬出内の塀并馬出し堀向の塀とりてよし今は此馬出 しの堀埋干潟となりてあり堀端ハ柵も可然事 同土橋蔀門辺にも土橋より人数を出すに見へ透塀か け蔀狭間を切横矢を払と有公橋見へ違は必塀をかけは 蔀之此所塀北に有りて可然なれとも南に塀懸たるは誤也 横矢を妨取てよし 東中門馬出ノ事此馬出公殿上ニ杉木有由代取ルト見へ今ハナシ尤塀不懸二段乞ナリ此所越ノ 損る事屋後過べシ尤備前土谷名意味深仕方様々通り馬出水門ノ塀并堀向ノ塀合ハ一レ土橋落 ノ塀モんトハ土橋北ノ方ニ有リ直スト見ヘタリ此馬出押廻シ落間ノ処堀後之所ナリ今ニ不出来堀端ハ 塵防松頼五リ此門ニ漕上り御門下ヨリ階子テ上リに有是ゟ馬渡りニシテ左衛へ入口明ケ徳なほルへシ 殊ニ左右共ニ腰屋根ヲ切入ル明ト斗シケ有リ土居ノ高サ縮ク高サ渡り櫓ニ能都合シタリ然ルニ此事本文ニ無 キハ斗カタン先写シ違書桔成ルヘシ考味有ヘキ事尤四尺ノ為出編前土居拵ル事明ニ臨テ塩 合有り候い用ル事ト斗り心得テハ相違有べシ兼而心へ有べシ 一先城主対州公曲尺の馬出しを取払度由の事式人語 し是は軍利に通し給ふか又不通か覚束なし駕出は二部 の要なり框ぼり此馬おしなく人数何の口より出さんや此 虎口追手虎口と向といひ旁以曲尺の馬おしなくして 不叶所なるに取給ふ事覚束なし 今考るに曲尺の為出し坪竹形隠郭取たるを逆心 都といふ主人を持たる者は不用といふ事山鹿か書に見へたり 若非事を心得違給ふか今の曲尺の馬出しは大に違たり 曲尺馬か 切戸 隠部 曲尺の高出を小郭に用本 城の方へ中しきりとし て切戸塀にして敵を馬出 の内へ入れて左右ゟ取か こんて討と伝にいへり此部 の縄地により役るなれはこ 一札に不限此心得を以取たる也 家公小田原の御陣の時今 井城二御取被成由 如此の縄也南方公居を坪に用馬おを取たる 也此馬出とかり坪の竹形なれハとらさる品知也 角馬介を弐ツにしたるかたち也陰郭もなく 切戸塀もなく金逆心郭にあらす南の方塀 を取払駒寄を付北え塀を懸挟間今度所へ 此門の二階に上り曲尺の馬出し先へ矢懸の 考有て塀を懸ても矢はめは馬出し上に 一塀有狭間切度所なり 一升形東南の土居表に竹木茂り巽櫓の矢筋を妨へし 切て吉殊に甚茂りたとひ五七拾人忍入て居たりとも衣へ 見ゆる事なし然も大将の御居宅はか様の不用容なる 事有へき義にあらす塀を懸挟間あり度所なり 此外形東南の土屋西竹木茂り有由本文に見へタリ此材木今はナレ随分堅固なり其上」といへん替り南中門迄 塀掛損ケ寺鉄砲焚石有り四戸二ケ所大御同狭間三ツ所出し狭間壱ヶ所有り不苦固之事勝まナし併植物延 過キ呉櫓ヨリ三ノ郭へ失懸無シ本方ニハ外部弓居徳備ナクハ二郭土居ニ植物少シ有テモ由ト有 然ル処二ヶ刻ノ土合植物多ク植物多ク植込茂り矢通ヲ防ク尤武者老働キ不成能柱ニ連タキ也 一此虎口堅固いふに不及習に合たる虎口なれは不及論 一南中門是陽中の陰の虎口也虎口に陰陽付るは湯は 出るに安く陰は守るに利あり出ても安く守るに横矢有て 便を陽中の陰といふ又出る事より守る方多く又出る にも出易を陰中の陽と云たり陰陽のことくあひ遠 あり 虎口はかり見たるには陽に見へたり尾小屋郭より大横矢を 取たるニより是ニ而陽中の陰の虎口となりて虎口よし又 一世虎口のかさしの郭ともなるべし此郭なくは虎候西の山ゟ 見ゆべしかさしといひ大横郭といひ并以此虎は此郭 に依て強し 一地侯日門外南方堀午ノ仕切可府先年取払被成ル俵仕切守居申午時ハ地形道而門際ノ 一屋数高ク水溜の依之牛ノ仕切有谷今以よク残シテアリ是ハ門際ノ堀敷ヲ掘り南之方但ケ所へ 引ハ地形年々成ル其時仕切守居不残取払へシ昼後仕方一通ニテハ知タシ同所南方水田村 ノ樋折損し其跡崩レ九人御方程ニ土手切りト崖下ゟ見ルニ甚不案固ニ有上候処壱度所ナリ」 此門渡り櫓門にテ吉ト本文ニ有り惣畑地卒鹿井登り其上近年大破成り内冠木朽損シ先 一達花木取替屋根葺直し出来也此以後鷹詣ノ部並坂生門庭屋根棧尾戸竪子狭間 塗込ニシテ重銀有度アリ多門作ナレハ本文ニ叶ヘト是ハ一通ニテハ不成来ル心得セシ 一世虎口の東方に台の形有て此虎口を守南門に向ての台 と行ひ東方へ横矢を払といひ可有所也今は形も崩其形 此震候東ノ方土居角ノ処台有事次第前に記ス はかり残てあり 一同土橋左蔀の植物あり西方は大損郭有て蔀に不及今 の枳穀は大損郭よりの損失の妨也東方土橋蔀の塀なけ れは少有ても不苦南方堀端に有は是大ニ誤なり是は 一仕寄合力なるへし取払駒寄の場南門より人数を引入 るに柵なきは大河なり 此所門外之物堀端布ノ塀左右共ニ今ツナレ并之通歴防枳穀有り桐モナシ取柳ト見 ヘタリ大損失郭ヨリ矢道ノ溝ナン屋南ノ堀端塀蔀柱物ナシ道巾五間程置成徳間囲ノ 塀なり此塀内西の方へ杉木植アリ時により代柳卜田 一瓦小屋并西丸へ移虎え 尾小屋行留にして二丸へ移る虎口なし此郭南中門の ためには大横郭となる又は隠郭ともいふべきにや絵図を以 見たるには西丸門公橋外ゟ見すめやらに見ゆれ共堀の内蔀 あり植物も茂り一郭見ゆる外よりは一郭と見て内に堀あり て二ノ朝也陰の部の心を以取たるか然は尾小屋の入日本戸塀 あるへし 瓦小屋并西丸へ移究候此郭行留ニテ二丸へ移虎口ナレト本文ニ有り二瓦ヘト有ハ西ノ丸ノ事五へ シ次ノ部ト云フニテ二九ト去ルナルヘン考ヘシ此郭入候端ヨリ東方土居上塀也尤加替り然 処大破ニ付当分菱垣ニテ有ナリ以後堀建切戸計る事出るべきより是等ノ事等ニハ取失 事モ有ベキカ此郭東南西へ押廻シ土居九十間築足有処なり等笠築尤築足様意味深 分兼而心得有べキ也 一隠郭といふに二説あり郭を用て虎口を隠す故伏笠 のことしと紛せり舎なきと見せて人数をおし入人数を 引入て後より打出敵を討人数を隠す郭といふ事に隠却 といふ此説よし 一隠郭の意味に叶には尾小屋に切戸塀有へし敵を西丸門 前に引入切戸を開て切て出三方より取かこみか討しか 切戸塀有り右に記ス 十一 一世郭行留の虎口虎惣る郭を太に平城山城共行敷り 不成様に取事を第一とせり行留に郭を取といふは敵 の内通して裏切通するに味方の方便を以引入て敵を破 郭入立相図を以裏切をさせ味方共に出囲て討こといへり由 人の馬かし坪竹形を逆心郭といふも敵の内ゟ通し迷心 するといふ意成へし敵の裏切するに剃ある郭也 一式書に行留の部を取裏功を作て敵に勝たるは頼母友 もなし此郭に敵不行時は危し元来城郭は時に臨て築 くものならねは兼而課には危き意地にて舁将たる人の 考有へしといへり本伝に嫌ふといふ又用所時も有へし一向に 一極へからす用捨か有之義なり 一此郭南中門の大損失に用てこそ南中門は惣内なり 然るに此虎口危きに臨ては此郭ゟ矢玉を以防といへ共本より 行留の虎口なる依て危きに臨て人と思慮して中門破 ては此郭は行留也郭中に敵競来は如何すべきと臆する 意出べし臆する心出は必防におこたり有へし其心を 察して南中門ゟ西へつゝきたる土居を堀切虎日を 附る木戸を建たるにて有へし心深したとひ南中門計に かきらす二の郭破られかときかは此部を守もの算 きは有へからす此木戸あらみたとひ二の郭役と聞 共此声にも一さゝへさらへたるには全く西丸に引取なし 此郭行留る候ニ仍南中門ゟ続ノ土居堀切衆え附ケ田ト本文ニ有是ハ西勢門外東方ニ 薪土居有り此所ニ虎候所へしトナリ尤此所土居堀切堀モ堀入堀端ニ棚ヲ一ルナリ者 味深し考味有べし 一伝言行留の郭といふは先へ行へる虎口なく行て又跡へ帰る 郭也と伝にいへり此郭を嫌ふといふは虎口持こたへかたし敵に 虎口を破られたる時ハ味方行留の郭に居たる人数塀 裏に居て全く守事なし跡を取きられなは討 死と心得たる故に犬夫に其郭に居て守事なし依らゑ といへり其心を附たるは誠に心深し 一二郭中二居所々虎口木茂り矢道を妨る事又土居に 上り矢玉ヲ放にも透地となき所共多し所々を論す るに不及伐度所多し 此所本文ニ三ル通市之虎ハ植物茂り働不成其上見切矢道を妨り論スと不及切遣度と 有り此所考味有能程に透度事ナリ尤透し様心得有へキ事也 一或人曰城内に竹木茂りたるニハ篭城の万に用る徳多し といへり然共茂り過れは矢道を妨武者走に居て防を 妨芝土居くさり草となり日はあたらす虎は門塀に落 朽早く冬は木葉落て堀を埋む此損と薪あこと 斗の徳心得かたし小幡翁小竹旨を門人間城に薪 竹木をつめ置は治世に猶又おこたる事不可有たとへは城 一内に竹木繁りたるとも五千三千束の薪には過へからす 惣而本二三外郭に植物有に心ある事也本城ゟ外部 のもたるはかさし郭の植物は各別其外は切てよし 三軒より木なくは二郭は少有ても障小ならさるは不苦 兔は茂りたる得よしといへり今は本二之外迄も無封に 茂りたる所多し山城淀城の木枝茂りたるとく下枝 を打たるを聞翁曰山城は下をすかし平城は上をすかし ても見上るにより見へ得か思ものといへり 二郭牛公居并虎日植物茂りタル事本文ニ委細へ有り当時ハ其頃ヨリ口十年余余余未壱万 故行以茂り或ハ延王本丸櫓ヨリ三郭一向ニ不見失玉放ニも当有間シ殊ニ土居上武者を不有之 ス テ一向働已代所多シ本文ノ微細何卒孝味有能程ニ切違度事ナリ等閑ニスベキニアラ 一三郭 一大意米に明す是は陽城の格防戦堅固也大人数ニ而爰に 挟からす全防戦に反利を得縄なり小人数にては篭 て後詰を乞なれは陰に閉て後詰ある迄落城に不知を 勝とせり陰陽に表裏也陰陽を兼備したる名城なれは 小人数ニも不広大人数ニし狭からす依之此郭は用捨 の二つを兼たり捨曲輪となり用田輪と成へし此利を 不知は大に相違なる事なるへし 三刻用外ノ二ツ考味たるべシ第一ノ事也此部盤并良大隅土居候台取テ有リ併本文ニ ハ不見是ハ書様成ヘシ此部大都ニ取明町ノ惣構ノ所ヲ外堀ニシテ南町喰違ケ所虎口ニ 取赤坂町長松寺前番所ノ所飛口ニ取テ其外東北ノ出口何レも虎候取仍右二ケ所台江 一橋上ケヘキ為ナリ其処ハ三ヶ刻用ノ郭名べシ此外平坂門北ノ人傷櫓有間キ所ナリ是ハ当然 台モ不見へ或者尤モナシ尤此土居築足有り台モか有事聞伝タリ又小人数ニテ 此城ヲ守時敵大勢ニテ火急々改ル時ハ二ノ丸へ取御発詣方長ク守ルナリ然ル加ハ三ノ数 捨ル成リ時ニ取リテハ月又ハ明ニヨリ捨ル事有偽用捨ノ指ト云ナリ 一たとへは此部を敵攻取たりとも味方助とは成とも害バ不や 成篭中の鳥のことく俄に城を堅固にせんには虎口に馬出 は味方為には大きなる利を得出しかたき人数を出し 一敵仕寄に矢玉を二重三重又は横を用利甚多し又 敵馬おの内迄乗込て何の益なし然る左右より打立なは 一お事も本より入事もならされは敵馬出を乗取ても何か 益なし三郎迄左のことく二郭に向て土居を築後に 堀をほれは土居に容易上事も成かたし此所をよく考 有へし富士山の外三郭中に高き所なし外に矢の不利 といふ所寸地もなし北門へは俱小屋の土居より矢懸り角 欠なれは一方は損失となり艮櫓近迄を見切追手の門は 一四尺の馬出し坪の外形櫓門ゟ討之東門は又二丸坪の外形 より矢利あり南門の内ハ瓦小屋大横田輪南中門同台 より矢懸あり矢の不足所なし 一本文衛門ト有ルハ今ハ子ノ門下云供小屋下ト有ルハ未牛門北ノ大谷成リ矢掛り織細ナル事 本文ニより同部子門此門脇用水流タ井用水上不垣塀共へ崩落へキ様子ニテ先達候事 水ノ処当分仮ニ桶押入置ク依之石垣是迄堪へ残候ト云へへモ最早拾三年程ニ成リ右極 枠共ニ朽損シ漸湛ル城内外堀水ノ手ニテ大切ノ用水ナリ其上米水新後同村等ノ田水ニ用ル 也旁以修覆懸度事也 同所門際より東ノ方六拾間程築且アル所ナリ人今ニ不知来門脇道右ノ塀ハ古来塀ニテ挟 公ナク云台居ニテ常竹ノ塀也城郭ノ塀ニ有ラス是又外カノ塀之通丈夫ニ堀建塀ニシテ 狭州切越前尾付之筈ナリ用水場前ハ土留石垣へ成筈ナリ此石垣高サ仕様等尺有り此門外ニ 堀水西ノ方四折ノ樋折損シ仕切云合モ損シタリ依之口堀水がモ指ス大切ノ場所香カラ 堀りに成りて立事無用也白也修覆アリ度者成り此社内土居外堀端人崩一ヶ所有り仕場 土居ヨリ内東方堀端大芝摺有り右二ケ所共に未出来 一捨曲輪たる事如何小人数たにおゐては広けれは守 られす守事ならねは捨なり大人数多る時ハ用天 一利を得と雪にもいへり本城の堀は深く広きにあきなし 外郭の城は広く深きに利ありといへり深きを先にし広みを 先にし考味有へし高崎城は本二深く広く三郭は狭く 浅し伝ニもいへり本紙を必陰ニ取二三の郭を陽に取敵を引 更城に篭て敵引は突て出敵攻は守之様に取たる城庭 能といはの門戸を閉て守ばかり城の本意にはあらすといへり 利相通たるは誠に名城也惣而城は片明成共守こたふ而を ね炙せり 一追手南北門皆陽に取たり人数を出すに必陽口より都 かたきもの也是は俄の堅固を構の心有へし虎口に向て 〽梁馬おり捨堀か此両娘の内を用人数の出るを敵に打立られ す又は敵一文字に務来る共梁馬出か堀をほりて虎に打向に取 時は敵に二ツに分て向ゟ敵の左右へ分て打立るに利あり又味方 出すに利あり是等の事は皆俄の堅固を構ふるなれは心附 も有へし或人田赤坂堀留の土居に赤坂門より榎木都へ柵を ふりて表に枳穀あり此桐は惣しと難する是は要害はかりに あらす常の用心道の利なし此柵なくは赤坂門をしめ たり共表へ出る事公居つたひニ安し必爰は赤坂外へ出すま しきため又は伝に攻とて忍透没を入堀留を切て水を流 しからずになし攻る便となる此所は大切の志なり堀表に枳 穀を植て内に柵ふるも一段よし枳穀はかりと見せて 一内ニ桐丈夫ニ有ハ安く見へて越る事ならす有てよし 同部赤後門家屋敷地辺大切成ル場ニ而本文ニ有り有り共ニ候所堀仕切る殿下水野榧折損シ内ノ堀り 水木持堀り也万文ニハ急違波ヲ入堀首ヲ切チ水ヲ流物掘ニナシ攻ルタヨリト成スト有リ有リタ入ハ此堀 仕切り十分不及柄堀ノ様子直々知候へシ容害ハめ此成ル所コソ心付堅固タルヘキ事肝用也同所仕 切る居上柵大破ナリ大切ノ場其上平四メリ悪敷怠リノ端也 一北中門外枳穀高サ三尺に切可然無之は内を見ずれ 此所中門外ニ枳殿有り高サ三尺ニ伐テ田ト本文ニ見ヘタリ併何方ニ之事哉今上ゝ無レ此門外ニ 一左右広防様穀有之別ニ部ニ根殺ヲ植ル所不何方ニ有哉心得カタン是ハ若シ榎木郡 門大橋北ノ方是ハ塀ニ成テ之所ナルベシ本書ヲ写シ遠書損シタルカ丗門今ハ赤坂中門ト言 一或書ニ柵ハ乗ニハ乗よしくゝる事ならす枳穀ハ乗ニは 一乗にくしくゝるにはくりよし塀は両様の徳を兼た りと云り 一追手と東門とは一郭に然も虎口なして取たる事是は 大郭にかきりて取事也昔はなし近頃明たりといへとも 外に叶り南北へ五町余にして郭広きに門一ヶ所々如何 也并虎口尤なり南は竹形をたよりて虎口ありといへとも 向にて虎口を二ツ取事は敵向といへ共虎口二ツと見て 仮を分る心にて二ツは陰陽の二有の意なり必勝劣ある もの也防戦といへとも強をさけ弱を討の利は弱き方 へ突てお引上るに喰留は又一ノ虎口より味方馬を出し 横を討相助の虎口なり 又云并馬出し并虎口ハ堀堀の一戦に利ありといふは 此心を以なり二ツの虎口は正寄の仮也攻る敵疑多し 一追手の門と中門と向たる故に曲尺の馬出し猶よし 一追手門内狭し常に騒しき砌りは追手へ集るへき に幅四間ならては無く番所も一間梁に四間にして 狭く尤井戸不浄場もなく無法なる事いふにたらす 一此追手門先年焼失に付建直す其時養屋之建直レ梁間弐間桁行六間程に成り門内云番所 前モ今ハ貧レ騒キ砌リ集ルニ夜カラス折々ハ今ニ無シ番所裏用水流り是ヲ用タルナリ不浄 駒上下二ケ所アルナリ 加門先達而梁損スルニ付冠木橋其ミ三匁置テ刎木ヲ仕掛櫓ヲ上ケ梁三本入替修覆惣覆惣新通り 其後屋根大破に戻り普請候処此門二階へ入置道具外へウツスヲ見ルニ不相応候所沢山へ 是アル何ノ頃ヨリ入置事式前之無キ畢也艮櫓へ入置道具ヨリモ猶又不都合ナル所ナリ昔ハ逃 衛門二階井ハ何モ不入尊キ御札守斗り入口ナリ是ハ公有事也凡ト違第一ノ内十ハ普通 今度者ナリ 一高崎四神相応長久之地事 一夫天に日月の陰陽あり地に五行の霊神あり霊は陰の精 なり神は陽の精也其金神楽あり霊は陰のあり雪淫 神と顕守之作然地の形勢相剋する時は甚神仕なから 守凶四神に相生したる地形あるを口神相応といふ左は 龍 乍は柔軽は木 毛は青 右は面性は 右白虎一 金色は白 前は南性は 前朱雀 火気は赤 火気は赤 後玄武 後北往は 水かね の四神也東に小川田沢あり是を青龍といふ 一東は木小川田傳え 水水生木丁り 西に道あり白虎といふに 西ハ金道ハ土 土朱金十リ 南に流水あ り朱雀といふ 一天地の形北は高く南低ク高山の水は深谷に流是天地自然の理也南る第の ケ分ニシテ水アルハ相剋ナリト雖スハ尚ヨリ盛リナリ因茲ハ計ヲ配ニモ離中断ハ二陽ノ タルナリ 火ヲ上リ高ヲ押 北ハ水山林 如是なるを 北々山林あり玄武といふ 木水生木也 四神相応といふ勝地と祠たり高崎城は東に田沢小河 あり 田部屋根井 二小川部門 西に道あり 小幡海道 宮海道 南に流水有 碓氷島 ノ雨河 北に山林 あり 榛名山村里 林茂之 是御祥相応の勝地たる事明なり 一城築の習にも長久之地繁昌の地を撰といへり乾坤の 形は南北に長く東西ニ短し是天地の形勢なり天地は 尽る事なきを以め行の地勢ある所を長久の地といふ 天理。相叶たるにより繁昌の地ともいへり上古より帝都 を撰城郭を築といふも皆四神相応の地長久の地を撰と いへとも得かたし早陽の玄君榊に旗を立給は鳥羽秋の山を 御館と定給ふも四ノ神相応の地と少ひ殊に北高く南低て 崎城は四神相応の地といひ長久の地といひ殊に北高く南 一低く黒龍之地といひ西碓氷鳥両河流て白虎徳増し 一巨気を東に取て面に向て入是則金性の城也水と金は全生 水金ゟ水を生し吉祥なり龍の水を得虎の山に落る威 一勢禍災を除き幸福を招の勝地也如是の地勢有 一事の城郭破したるを修し壊たるを補の功何か四神 の冥助緩き事有べからすと云亦 敬慎書 } 諸所心得并大破ノ場ノ事 一榎本部門二階ニ不相応ノ道具入置事落ナリ卅門ト鬼門トハ長地ノ二トクシ云サ太助ノ虎口ナル事 本文ニ見タリ不相応最不都合ナリ門櫓ハ神アリ合ナリト云事本文ニ有りああテカ神慮十八サンヤ兄吉 味有度事ナリ 一嘉次門外馬部堀ヨリ水本捨ノ樋打損シ形サシ跡堀切ノ様ニ度小橋掛テ通用有アリ同所南鉄炮場脇堀 より水山橋ノ樋是モ折損シ跡堀切ノ流ニなり小屋掛通用有り右両所共ニ出水ノ川水右ノ堀切ヨリ 一畑八堀橋崩土残押入事有之也依々近年堀埋り今ハ城内崩さめツモ其外茶生茂り二十人惣入と云き夫ニ 知リカタ候ヘシ搦手ケ一ノ要害ニ而余り心無キ様成り是ヨリ城下通り先達而出めニテ押崩候今ハ通用或り カタシ平田廻リ等云事不厳是急ノ端ナリ城下堅固不堅固ノ所通り廻り止テハ平田四ツニ禍イスヘキ所 一考味有敷事ナリ 一本裏通り川普請堂無取城下通り度々出水二テ火崩今日通用不成別而鉄砲場裏堀端欠込川辺川辺川口之間 三間程十二テハナシ前方ハ堀ヨリ川迄三丁程其通アリ捨置ハ堀上欠込へク哉荒束ナキ也鈴藤美知也 一赤丸土橋端五間程一ケ所アリ 一二ノ五門外芝摺一ヶ所 一榎木郭堀端芝摺三ヶ所 一子ノ門西城地切外北堀端大崩一ヶ所此崩レ有之人ノ目ニ付ス所故知ル者少シ今ニ出来ナシ 一同所堀仁切堤折損シ形ナシ依之此所ヨラ堀被成リ葭并草生潰次第ニ埋不要岩ナリ 一同所半鐘堀端大菩橋一ヶ所 一同所門脇用水上不坂下仮施物損シノ事是ハ石垣ツヽ下上シ相答ハ焚候而出来ノ部仮樋相済事也 一同所門内東の方土居六拾間余築足置立る処也未出来 一同所番所屋根大破 一テ玄門内崩土谷南方様より同所門外東堀へ惣水牛升樋大破形ナシ同所門脇左石塀大破 一同所内内蔀公居築足有之処あり未知束 一此櫓より刎橋門内迄城大破ニ付置候板固より長田拾八間余女所東ノ塀大同行板囲弐拾間九尺余 一三階塔北ノ塀瓦下シ弐拾間五尺余刎橋北ノ塀石同断長七間余 一大変所東土居登りける石垣事 一本紙両州橋大破取払ナシ 一良櫓屋根人破 一堤門刎橋大破取払ナシ 一槻木門南方巻口坂之事 一同所西方巻塀瓦下シ角四尺余 一堤門西土居大崩レ一ヶ所 一同所門向堀隅芝摺一ヶ所 一同所門内左右土居芝櫓二ヶ所 一同所門屋根大破当分仮屋根 一坤櫓外北方土居大崩一ヶ所 一槻木門内より外堀悪水必竹樋大破水通行ナシ 一梅木門外埋極大破形ナシ水ノ通行一向ナシ 一艮櫓下堀へ同井外堀ヨリ水掛極丁破形ヲナシ水通行ナシ 一梅木門東方堀端悪水竹樋善芝摺大破 一東中門内悪行咄升極大破水通行ナシ 一同所外馬出堀渡押廻シ五拾間今に出来ナシ 一榎木郭西一代棚当明大破ナリ大切ノ〆リ場修不夥有クキ也 一同所相の内に台有り此台意味染む 一同堀部土居ノ事意味アリ 一南片門外西二居芝摺一ヶ所 一日御堀ゟ水吐捨の極く破形てなシ跡崩レノ事 一同所堀仕切取払事ニ意味アリ 一南門ノ外西堀仕切水四捨ノ樋大破形ナシ此桶まと故此堀水抔ス力ヲ堀ト成ル葭草茂り堀埋ル徒等焼去り度也 一是又人不見処ナリ 一同所堀端芝摺申 一同所門東の塀尾下シ一ヶ所五間余 一西部門北方塀押廻し大破ニ付取払板囲拾壱間壱尺余 一瓦小屋入候塀大破ニ付取払南分菱垣ニ残ル追テ塀建て屋切戸塀付へキ事 一同所土居押廻し九拾間築足有所ナリ未加来 一赤坂門内悪水升極大破并芝摺アリ 一同所内脇堀伊助院極大破損無キ殿損残り外崩草生堀埋る 一同所上桐火破平日〆りノ処大破ニ成り大切〆リノ処修覆アリ度場ナリ 一同所門屋根大破 一刎橋仕切御居下夕埋樋大破此極損レハ橋台先年庭崩レ大普請ト成ル修覆有度ナリ 一東中門内番所新建の事意味アリ 一赤坂門外堀惣体埋り大奥国より堀渡き敷所アリ并専門外西方堀より外極押廻シ南門近浦織有方所也 一本城城ハ深く広く外堀広ク深クト云習ナルニ高崎城ハ本二深ク広タ外堀ニ損ヲ潰レト本文ニ見ヘタル是ハ 三ノ郭用捨ノ曲輪タルニ似テ也然ル処外堀自然埋り惣躰罷通てハ悪等生茂り浅キヲ上ニ直埋り居堀ノ如く 残り第一人安ク其上不堅固ナリ前々ハ年〻一隙取ト云テ度中人足多ク堀へ入候段ノ根ヲ買せ壱ヲタやス 依之平日堀ノ門キレイテ又安キ事文トシ此簾取止故水草ナ分ニ渡城モ埋見苦モナリ此藻取立事近年無キ 故知る者少なし堀埋堀浚スルヨリ如何程か軽キ事也此所考味宜度也 一城郭ノ塀間数凡千三百拾弐万余也此外ニ喰違木戸ノ塀有り千三百拾五間余ノ所内百六拾間程当時配此 ナリ残テ千百六拾六間余ナリ内十数四百七十三間余也大破七百二十弐間金ナリ左ノ塀なり急ニ掛直し 度ト云時中々急ニハ出置ス付一商不職人漸け其上人丈多く懸ル事也塀ヲ懸直ス猶何節アレハ其外 桐モ多シタシ堀モホリクシ州佛泉町折々て職人人夫多く入アリ年日以近年々一ケ年ニ百間宛修 飛きテ七拾三四年頃ニテ漸不残出気ニ及一年百間ツヽ出来兼候事ニ而ハセメテ五拾半ツヽモ出来スハ 末々ハ皆板ガユイト成ルベシ平日心懸ケ年々修覆恋ナク出来候様ニ屋敷其事也俄ニ反何程トモ 伶有間シ常之心掛等閑ニスマシキ事ナリ 南門東門子ノ門右三ケ所門外俄ノ奥固構ル車着テ心得べキ也 一始より心得の次第段々書入候文躰送り至也御本丸二ノ御郭式は御櫓御櫓御塀御土 一居御堀并御堀端御土居崩候土差崩候土居豊橋十日凡二ノ御ノ字入へかる処荒レハ自然ニ 詞多成リ所ニヨリ入アリカタキ処モロシ有ニ付本文ノ文体ニ随済ノ字ヲ略ス 上野国群馬郡高寄城主 三浦平六兵衛十四代 一和田右兵衛太夫同兵部少輔同右京亮 一文元壬辰年領知和田三代城主相続積歌六拾九年天正十八庚寅年相永小里等 落城ノ時和田之一族減亡 一井伊兵部少輔直政拾弐万丁 拾弐万一心 慶長四己更年引テ箕輪越和田古来ノ城地改和田ヲ号高崎ト二年為城主 同五庚子年殿関ヶ原弥衛勝利被助差招之城拝領是ヨリ代々為城主 一諏訪太郎城島守 一慶長五庚子年ヨリ同九甲辰年迄善職也 酒井左衛門尉家次知行五万石 慶長九甲辰年より鳥城主拾二年元和二丙辰年越後高田エ所替 松平丹波守康長知行分石 一元和二丙辰年為城主二年同巳年信州松本壬所替 伊豆守様信吉公御知行五万石 取和丁巳年為御城同口戊午年丹波笹山江御所替 安藤対馬守重信知行六万石 元和己未年為城主 同右京進重長同対馬守重次 三代相続損数七拾七年取録八乙更年満牛松山江所替御加増五午石 御二代様侍従輝貞公御知行五万弐千石 元禄八七亥年為御城主 従下野壬生 同十四辛巳年一万石御加増宝永元年年年一万石御加増都合七乃弐千石宝永七庚寅年 八日越後村上え御所替 間部越前守詮房知行五万石 宝永七庚寅年為儀之領知八年享保二丁乙卯年五月越後村上へ入替御加増二万九 千曲拾石 町二代様待従輝貞公御知行七万弐千石 享保二丁酉年ゟ為御城主従越後村上 御三代様四品輝親公御知行七万弐千石 御四代様侍従輝高公御知行八万弐千石 安永八乙寅年御加増一万石郡へ召八万弐千石 御五代様艮品輝和公御知行目行 御六代様待従輝歴御制同断 御七代様輝奉公同 一町八代様超徳公同 隠居 一御当代様輝元公同 御当代様輝聴公 御治世万之歳仰 元禄八乙寅年より天保十一庚子年迄百四十七年 享保二丁酉年より天保十一庚子年迄百二十三年 に奉行奉行を計 卯十二日 一同壱人同壱人 夫陰陽之発り尋るに一理大極両儀陰陽是ゟめ天地入あり 三才ト成ル城築ク之本は四神相応之地撰ヲ以本とス第一 陰陽に叶たる縄其上益利有を以名城共云へキ哉此三ツ兼備シ タル縄稀存事と申然るに高城は四神相応之地と云縄陰陽に 叶益利多シト云事本文ニ見へタリ殊ニ 御大将明君タリ将之五徳ヲ兼備シ給ニ依テ倍堅シ譬名城タリ ト云トモ将其気薄ケレハ士卒自然ト薄シ侍其気ニ有サレハ又煩ス 然ル時ハ防戦守城共ニ全キ事得カタシ士タル者ハ弓馬小兵法 は常成ト云事世人皆知処也又大兵法モ心掛スハ誤ル事 多るべし大兵法也本は君臣立有苟人体に譬は須は若胸は 長臣手足は役士胴は平士也手本足働と云御胴能に有 サレハ危シ相強ト云片手足働サレハ其詮有可シ君々有之候得又 漬タリ君々タラスト云の清々タラズンバ有ベカラス爰以考味有べ シ軍術之道は揚るニ順アラス然トモモ其業ニ及テハ一番鑓弐 番滄脇三段鉄砲鎗脇馬鎗脇太刀鎗脇場中高 名小返シ高名手負引掛ル高名引際ノ高名後口ノ高 名何も法有とや是等心掛る事肝要なり名将之下には名有 者有りトヤ前ノ山本幸運ハ軍学火術ニ達シ此書ヲ綴りテ奉ル 尊君に御興応有て御秘書となる依て他に語る事を厳敷禁し 一給て時城郭年々悉ク修補有テ大概此本書ニ応する事 一恐怖へき也故に古法を以修補の奉行頭人有と云す重ク禁し 給事深き故依て其徴細を得かし唯君命に依テ自然に依て自然に 応ル者也 是ヨリ後爰ニ記事思憚有ト云臣父行隆ハ越後国村上城ノ頃ヨリ城部修補ノ職タリ上陽高 城トヲイテ従厚シ蒙ト依テ長年是ヲ勤ム続テ兄寛妻又此職ヲ蒙ル厚ク勤ル事久三方タクモ 又某此職ヲ蒙テナリ三十余年未知タリト云モ是ヲ勤行スル事段有ラス然ルニ近年城郭 大破ト成ル依テ置ク処ナク再三 上え諌る云片争か其沙汰にまたはす猶是を恐取事艮久しかて惣す一つは 本書ノ大変ニ足ル処又ル未足或大破小破ノ分ノ請答記事本書ノ 一憚立と云とモ全く我為に記に有す此書の日行重勤の臣尋問事有之 又ハ是ヲ見ル当人心得テ竭クランカ誠ニ見聞ノ有増乗スル而已比愚文ノ甲 乙成ルニ地事ナカレ足サルヲ補イ悪敷ヲ捨能ヲ取ヘシ然リト云モ猥ニ是ヲ見ル事 ナカレ往古ハ武意盛メ厚シ今ン世ハ既ニシテ武兵ヲ薄シ唯金銀ヲ損ナシ 見聞ヲ表にテ是を以官に進録の増ス事世以多シ故に武意自然ト薄シ武 生タル者何レ卒嗜廿ケンヤ毛頭由断有間補発事也則云某文育不七才 〆文字を改其置の処文法を知らす又は愚文に蟠り本意に違事あるて力 一誠に童の思事発し語に等し此略末の意は此書の 一御用重の事又は本書の出る処一つは此大意の祥成る事末世に便レ知 為也聊以他見他言有間敷キ者也 敬順書行堅 天明六丙午年孟冬敬順書行堅 天保十一庚子年孟子敬写清寧 12666 盛置出曲瀬中淡草曲 一同五十一日 □□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□ 上州真壁城図 16028 狩 十一日 23658 □□□□□□□ 上州ハ崎之城之図 上州一 一刀切下ヘ橋城山 「橋城山 城此方 以上方ト云フ 此方ニ当レ行程 勿論執行提一 置ル行程三口 同同月十一日 程三里半有 8$001 国戦陸軍艦軍隊 城ヨリ此山迄一 一百二百二十七軒 一 上フ刀ト巻袋之旨 浅草 上州真壁城之図 是ニ七カヘヨリ 取出有山迄 四町有之 六壁迄七里 十一月 三本道蔵 一上ケ所一手代 三十一 正一一 一米二斗二升 一沼田之城此方ニ而 コノ山ノ上ニ 真壁ヨリ 通三町 ヨリ出アリ 山道三町 是ニ七カヘヨリ 取出有山迄 四町有之 間真壁迄七里 一、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、〇〇 一冊 一月廿一十四日春晴 文森 一上書以上手紙一冊 □□□□ 医 府里洲{ 16029 上州箕輪古城 一月廿一日 一同三十九軒 上州箕輪古城信玄家臣内藤昌豊居城 二木治郎写 クルハ低シ