犬追物之記

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イヌオウモノノキ
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東北大学
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堀川 犬進物之記 犬進物之記 犬進物之記 「荒井恭潟氏ノ寄附会ヲ 以テ購入セル竹蘭博士 「狛野亭吉氏善蔵画 正保四年卯十一月十三日 薩摩守光久 本氏 嶌津 将軍家武州王子村え有渡御大進物被御覧是者松平 其家ニ伝習はす由緒有之ニ因て 上覧ニ備奉る連々執事の者ヲ以堅申候は御許容 有て此村に新に桟敷を構へ馬場を築しむ幾程なく 土木功終けれは今日可有出御定メ諸大名并御譜代 御家人供奉旗本近習以下各録参す此処は江戸の 御城を去事二里斗平原曠野地わくもとる事 放鷹の御狩場なれは御茶亭も有之無所を択られ けるにや桟敷は御茶亭も有束西四十六間南北十一同 南西の中央ニ上壇を構て御座所とす桟敷の 南十二間を隔て馬場有其広サ東西四十二間南北 四十間也四方皆竹ヲ以埒を結持荒高さ四尺五寸地の 高下によりて五尺も有けるとな舞埒の中央四方十八 間に色の砂をまきて馬を立る所とすこれを と云そのまわりをきれと云其中央に長さ十八尋 一余の縄を以て方四五間斗の囲をなす是を大縄と 云その国の国の国の国の中央に長さ五尋余の縄をもつて万 斗の囲をなすこれを小縄と申其内に砂を入満こ 登縄とひとし境の坤の方に戸あり是を犬塚の口よ 云巽の方に戸あり是をものかけの口と云皆轅門に かたさるなる弊し又南と東と西との埒前上にかさり の蟇目の矢をさしはさむ一方に十二桁なり一桁毎 に四ツ結にして四所にかくれは十六筋也十二桁耳は 合て百九拾弐筋可成三方合て矢五百七拾六筋なり 是三手の犬追物の矢数とな事三手の内に上手次手下手 の名あり又埒の外の艮の方にそふて假の役所を構へて 日記の者の座とす旧例には御座の次の席にて日記 を沙汰すの由なれ共此度は御座に近付ん事を憚て かく侍るとなん此役所之内に器物一対をならへ置金銀の 箔を以身を泥其上には青黄赤白黒の餅を二かさね に高くきり一重ことにいくらもつみ重て作花をさし はさす其下には五色の次木をそなふ其器緑を金銀 を以かさる又木を以瓶子一刃を作り設くそれも円銀 の箔をもつてタミ松と鶴とを尽き襟花形を以其口を 包む但酒を盛斗は不及此外硯紙等并幣をも兼て 此内に納め置けると礼舞彼所の前の前の時に 又一ツの戸あり是貴人出入のために設たる事祭 今日は国に不及又埒之外の西南のかたに假屋を構へ 是は射手装束を調る処也己の事 将軍家着御ありて桟敷の上壇引被為入中根壱岐守 正盛牧野佐渡守親成久世大和守広之等以下近習幷小臣 伺候十御座之西之次之間付水戸中納言頼房卿尾張 宰相光義卿紀伊宰相光貞御水戸三位中将光国卿の座 らす其次は彦根中将直孝若狭少将忠勝高松侍従 頼重前橋侍従忠清河越侍従信紀阿部豊後守忠社永 井信濃守尚政朽木民部少輔植紀等湾々列居ス其次之座 は井伊靱負佐直滋小笠原右近太夫忠次奥平美作守忠 昌本多内記政勝等御譜代御家人等列参ス西之方商之方 端之核数司ハ越後少将光長長門少将秀就備前少将光ニ 政毛利甲斐守秀元越前待従光宗因幡侍従光仲出雲 侍従直政阿波侍従忠英士佐侍従忠義肥前侍従勝茂安芸 侍従光歳伊賀侍従高次肥後侍従光尚美作侍従長施 松平形部大夫頼光同播磨守頼隆松平淡路守利次 織田出雲守信友毛利和泉守光広立花左近将監 忠茂京極山城守高国有馬中務少輔忠卿黒田右エ門 佐光之等之諸大名列座ス薩摩守は其座之前之簀子 蹲踞す御座之東之方には旗本の歴々其外諸役人等 充満ス座上ニハ大番頭并番卒衆各警衛た理 仰ニ依て彦根中将若狭守少将前橋侍従河越侍従 豊後守等御前江参て御座之西之御障子囲之 水戸尾張紀伊之四郎御目見次に薩摩守を召今日 天気快晴年来之望相叶満足也と被仰出薩摩守 伏舞奉畏申御樽五荷椙重三組平魚五尾折櫃 物十合進上ス子息又三郎久平同御目見御樽三 一荷招重二組鯉魚五喉を進献ス皆前橋侍従是を 披露す犬追物可初ケ被仰出薩摩守畏て本之座に 帰る次に諸大名并御普代の御家人等以下御目見 有即御障子をさす上意に依て小笠原右近太夫を 古河越侍従奉て是をたつさへて東之方の縁より 御前え出是は累代弓馬之法相伝之家なれは 上覧の間御挨拶のためなるべし近長等すゝみて 御前之御簾をあく阿部五郎三郎正義御腰物を役す 烏帽子素袍碁着て短刀をさしたる男一人 福屋伊賀 某と号ス 埒之役所江のほる是日記の執筆也其次に 二人相従 一人は福崎新三郎 熨斗目の衣服の上に水干に似たるものを着 末広扇を持其髪を垂さけて金箔の壱枚もとゆひ を以て結方らす仮粧にかね黒く眉つくりたる童子 俗ニ童直 衣と云也 一人は祝所弥吉 是は幣を振役人也先例には 幣ふる役人は同朋を用ひたる事也或は一人或は二人 新納形計 一伊東仁右衛門 不定の由なり射手奉行両人 烏帽子素袍短刀 にて埒の西南の戸外に徘徊す侍四人同装束にて二人ツゝ 相分れ巽々坤るの戸の邉に立て居る是足恒一人宛羽 織袴にて相従ふ竹杖つきたるもの八人烏帽子小素 袍短刀にて二人宛埒の隅に分れ居るに分れ居る是を犬 かあの者と云此外同装束にて五人坤の方の戸の内に 居る是を犬放之者と云但此五人は小素袍の剱を手すき にかけて背にてはさみむすふ又肩衣袴を着熨斗 目の衣服にて二人坤の戸の外に居る是を犬下知の 者と云足軽八人羽織袴にて相従ふ是を犬牽之者と云 此崎埒の外西南之方の仮屋より三手の射手三十六 騎しま〳〵と進出其装束は烏帽子をかふり染物の 下襲の上に素袍を着し短刀を指し左の肩〆キ 弓籠手をつけ弓を持蟇目の矢一筋を取添また 脇にも指す或は二筋或は三筋有品右の手に竹の 根の鞭に緒をかけ腕に掛て持左右之股は庇皮の行 纏をツケ其緒を腰にて結ひ是に沓をはく或は行径の 左右え総角をつけたるも有付さるも有弓は滋藤三所 藤矢は鷲之羽鷹之羽其藝之工拙ニ寄差別在候 馬之毛色も差別有皆鬣にて紅の大総をかけたり 此内に薩摩守舎弟五人は総に金糸をましへて クミタリ思ひ〳〵の鞍を置今日を晴り出立たり手綱は 定れる尺有短刀ハ御前を憚て鞘の装束をは 常のことく拵へて身をは木にて作る其余の役人は 短刀も皆然り三十六騎の者も十二騎宛南ゟ西々東方 一博の外に並立つ各外に検見一人咳次一人騎馬にて 或は燕尾帽を用ユ 但疑有ハ各別 相加る検見は亦頭巾をかふり 素袍を 着し短刀を指し末広をさしはさむ黒塗の歌を指し馬に 浅黄の大総をかけたり喚吹は烏帽子素袍を着し 短刀を指し竹の根の鞭を持つ両人ともに音矢不帯検見 埒の外にて下馬し従歩にる巽の戸より埒の内江入膀爾 きわに到北面跪て御前に向て拝礼す此時背の 外之三十六騎并喚次也皆下馬ス検見守の外江出て 馬に乗ル三十六騎喚次も騎馬し巽江坤けの二ツの戸ゟ 十八騎宛相分て埒之内に入て十二騎宛南ヶ東ヶ西トへ 相分て立ツ南を上手とし西を次手とし東を下手 とす云検見喚次は巽之戸と来入凡一騎ことに 矢布の介副一人ツヽ烏帽子小素袍短刀にて相従 検見喚次は梶一人宛有其装束同断検見馬を 進む南之方の上の手十二騎相従其馬タテノ次第ハ 一悉二番を相手とす大縄之まわり北之ハシニ有之 三番四番を相手とす大縄の南のはしに貴津 五番六番を相手とす一番二番之商に有七番八番 を相手とす三番四番の北にたつ九番十番を相手と す五番六番の南に有十一番十二番を相手とす七番 八番の北にたつ一番三番五番七番九番十一番の六 騎は馬の頭を西に向フ二番四番六番八番十番十二番 の六騎は馬の頭を東に向て皆大縄のまはりに并立 喚次は日記の役所之東に馬を扣へて検見膀尓 のきわにて誰か有と喚ふ醜の者情と善馬之口ヲ 取検見下馬し小縄のキワにて弐両し咒文を唱ふ 此時十二騎并西東にたてる二十四騎も皆下馬す 検見立帰馬に乗大縄の内水入十二騎并二十四 騎馬に乗此時大下心の者兼て指図して大斎 之足恒埒の外より火ともを択索にてくひり坤 の戸より五人之犬赦し死者に渡す是を請取て埒の内 江入坤之戸のほとりに置く検見馬上にて鞭を抜 持て御犬あると云犬敎のもの候と答ふるとき十二 騎馬の頭を立なをて大縄にツヒ矢をつかふ検見 御犬牽入よと云犬放の者候と答犬一匹を小縄の 内え牽入て御犬にて候と三返唱ふとな舞検見 はや放てと云犬放の者謙を以素を切犬を放つ 此犬をは村に不及して逃し出す是例也とろひ討 手皆矢をはすす検見重て御犬やあると喚ふ 犬放の者候と答射手みな矢をつかふ検見御犬 牽入与と云大放のもの犬一匹を小縄の内へ牽入る 毎度皆然り又御犬にて候と三返唱検見はや はなてと云時則素を切て犬を放り十二騎の者 矢地次第に矢を放つて是を射る其射中たる者馬 をあゆませ出す作法有検見も又馬をあゆませ いたいて矢こたへ有射手本のことく馬を大縄のきはに 立つ検見馬を進めて膀爾の際へ出れは喚火の 者馳来る検見ソノ討手の世名をツク喚次役所の 前にいたり馬る祭下り某氏某名と呼ふ童子 応諾の幣をふる 幣は一本にて両重 かはる〴〵につとむ也 執筆のもの 則是を記す其しるせる法故実古にや喚次馬に 乗て本の所へ帰る検見本のことく大縄の内に 馬を立て又御犬やあるとよふ男然の犬を牽きたる さきのことく次第有て火を放つ十二騎矢ころに次第に 射る其他法目前あたるときは検見又喚次に告て 関しむ第弐度より以後は喚次下馬におらはす役所の 前に向ひ馬をひかへせるこゝまりて其射手の名を唱へ 但初度の休かさねては 其次の犬をも又 て筆記せしむ 下馬すへからすと断有 さきの如く射るその規式異なる事なし第三度の 犬まては膀爾の内にて是を射る中ても中されとも 外江出れは追に及はす第四度よりの犬をは臥の 犬と名つけて瞻尓の中にて矢中にて矢中の 外え退出す検見いて懸けと云四騎替〳〵馳ている毎度 八騎は大縄のまはりに並立て其馬を左右前劫て 前初して四騎来路をさく東西に相むかひ立る次手 下事の二十四騎も若そのほとりへはせ来れは其心得 ありと見へたり検見は毎度駆まる犬は矢地を 一 逃れんして或ときは四隅へせ候くゝまり或ときハ埒罷 竹によりそひ玉ときは馬の馬の腹の下へ逃入るを犬かあ のもの竹枝をきつて是をかな埒の内を四方竪横に 追ている介副各従歩にて相従落矢を取て授く其矢 所に縄きはにては弓手妻手月かけの矢おしもしり この名あり外の大になりては弓手すかひ妻手よこ なものそてかへし鳥の名有検見その矢こたえにつき 其実否を定む矢中ると云共検見の心に叶ハされは いてをけと唱へて又追まはる教返に及ひ中らすして 犬つかるゝときは検見犬すてよと云て是をいさしめす 其鼻犬とも犬かちるもの巽の戸よりこれを外え 出し又別の犬を呼いる矢つほとくあたり検見の 心に叶ふ時は喚次につけて其名を記さむ若し 検見の見る所射手の心におなしからされは同難に およふ事も有すへて七度に及ひて終る卅七度のうち 落馬するもの二人有其人おり立て悲をぬき手に もてさゝけて射すその相揖して後同しく馬に 一騎るこれ落馬の礼式となむ 上手組犬七疋敢之中矢三其手組ハ閻取定之 嶋津諸右衛門一疋島津四郎左衛門 鎌田又七郎種子嶋為兵衛一疋 本田甚兵衛福屋。助左衛門一疋 上井采女肝付半兵衛 島津弥三郎嶋津又右衛門 吉田長四郎本田久左衛門 板 喚次 嶋津十郎左衛門入道明嶋津源右衛門 最前上手の十二騎南よ追て大縄のまはりにおも むくのとき西の方の十二時次の手たるにより坤の方 より南へうつり東の方十二騎下手たるによりて巽の 方にむかひ南にたてる次手のかしろをとおり西に まはるこゝにおゐて上手の十二時尉おはれて東の 方へうまりたつ検見喚次は巽の戸より退出す さて次手の十二騎南の方ゟ馬を進め検見相ともに 大縄の際日並立つ其相手の次第前のことし喚次も 同前日記の役所の東に馬を扣へ此処は検見喚次 も別人替りてこれを勤む其装束同前但有髪 たるによりて頭巾を着せす烏帽子を着たり前の ことく検見御犬やあると思て犬を一匹宛呼出し放つて いる検見喚次并日記法式皆上手ニ同前但今度ハ第 二度迄の大をは膀爾際にて十二騎矢地第に是を 射る第三度よりを外の火として外へ追出して四騎 替〳〵射る又七度に及ひておはる 次手組犬七匹敢之中矢三其手組は岡取二定之 一島津市正嶋津中務 嶋津源介二疋山田弥九郎 嶋津七兵衛嶋津長門 本田六左衛門仁礼左近 嶋津作左衛門村上左京 入来院石見村上内記一疋 前方次手十二騎南より大縄のまはりへすゝむ時西に 立る下手十二騎坤の方にむかひ南へ廻り東の上手 十二騎巽にむかひ南の下手の後を通り西へうつる こゝに至りて次手の十二騎検見相ともに南より馬を すゝめ大縄の際に並立つ其相手の次第次手と異なる ことなし但第一度ハカリヲ膀爾既にて射第二度よりを 外の犬とす又七度におよひて終日 下手組犬七匹放之中矢四其手組鬮取ニ定之 一同一金一疋嶋津安芸一疋嶋津上野 嶋津主計伊津兵部 伊津兵部 平田兵十郎島津又次郎 一同断島津又次郎 柏原弥太右衛門菊池太右衛門 検見 島津縫殿助 種子嶋次郎右エ門 木ノ田右衛門 嶋津助六 喚次 嶋津佐太夫 嶋津又左衛門 前方下手の十二時南より大縄のほとりへすゝむ時西の 方の上手十二騎坤の方を通り南へうつり東の方の 次手十二時巽の方より南の上手のかしろを通り西へ 廻り並ふこゝに至て下手荒十二騎射終りて東の方に たつ三手ともに皆初のことし検見医尓の際にて 御前に向ひ退て巽の戸のほとりにて下馬すれは 三方に立る三十六騎皆弓を杖につきて下馬し 沓を抜右の手になから行睡を引返し沓に取そへ 持ったの行腰は労に取そへて持てり喚次も 同く下馬す東の十二騎幷検見喚次は巽の戸より 退出す西の十二時は坤の戸より退出し南の十二騎 も六騎も坤の戸より相分れて退出す皆其初入し 時のことし介副瀧等各馬を引て二ツの戸ゟ同く 従ひ出ツ以上三手の犬追物也こゝに於て御簾をおろす 小笠原右近太夫御次の間え退出す其後薩摩守 を召て今一手組いさせよと被仰出畏て本座へ帰る 御簾をあり又西南の方の仮屋より十二騎進出ツゝ 検見喚次相加るその装束皆同前南の時は外にて 暫馬をたて並其内六騎と検見喚次とは巽の戸より 埒の内え入る六騎は坤の戸より入最南の方に並立つゝ 検見膀尓際に馬を進め扣へ十二騎しつ〳〵と馬をあゆ ませ次第に大縄のまはりにすゝみ青相手の次第同前 喚次は日記の役所の東にあり其後犬を呼出し馳追て 射る其規式皆初の三手組之ことし十度に及ひて終日 其上第一度よりを外の犬として四騎替〳〵射而初の三組 の間は御前を憚て御座の前場近き所過な 時は矢地におよへとも矢をはつして射る事なし 此度は御所替たるによりて御免を蒙て御目通り 計をおそれ其外は矢地第に放らつる射礼前の ことし六騎と検見喚次は巽の戸より退出し六騎は 坤の戸より退出す其規式皆初のことし 射手組犬十疋放之中矢八其手組は国取に定之 嶋津市正一疋伊勢兵部 種子嶋次郎右エ門一疋種子嶋為兵衛 検見 嶋津又右ヱ門 嶋津七兵衛 嶋津上野 島津主計 村上内記 村上左京 福屋助左衛門 島津又左衛門 奥次 嶌津安芸 吉田久兵衛 事終ぬれは日記の役者并幣ふりの童子退出す 日既に未之刻にすきたり近長等御簾をおろす 御座之西の方の方の戸を囲て水戸尾張紀伊の三郷 一御目見今日の見物を謝し申さる諸大名御譜代 御家人も同御目見有其後御茶亭え渡御なりて 御膳を十古斎同桟敷にて饗応有水戸尾張紀伊 之三家一座松平出雲守勝隆奉行十諸大名一座 安藤右京進重長井上河内守正利奉行す御譜代衆一座 大番頭等奉行す其外飲食するもの甚多し饗応す 其こと御茶亭え薩摩守父子を召す彦根中将若狭少将 前橋侍従河越侍従豊後守等伺公す御盃を薩摩守 にと下拝戴して退て御腰物国綱を進上す前橋侍 従取て御前え献す次に御盃を又三郎へ被下頂戴し 御先へ給り御腰物国行を拝領前橋侍従とりて授く 拝受志て退くとき御脇指充包を献す前橋侍従取て 御前え奉る父子共に拝謝して退出す誠に家の西目 言言弊暫ありて還御有阿信四郎五郎正之か番所 にて正之を召て大退物之事仰出さるゝ旨有是は 正之及ひ其子左衛門次郎正能に御弓之事被仰付故可成 其後諸大名以下供奉の輩も各帰宅す無村所々 一今日御桟敷の囲直に弓鉄炮之物頭等役所を構へ守番 之器制イト厳重也又松平式部大輔忠次を以 御本丸御留守居々被仰付殿中に残し給ふ松平越中守 定綱をは大手番所におらしめ内藤帯刀忠久を桜田 の御門におらしめ松平丹波守光重をは西丸江立造稲葉 美濃守正則は二之丸東照宮を守らしめ水野監物 忠善松平若狭守裏信をは紅葉山之東照宮 と御仏殿に備へしむ其余定らる御留守之役人并所々 当番也面々は常のことし誠に一人出給ふ事たやす からさるゆへなるへし同十六日薩摩守登城す 将軍家御白書院に出御有上段に御着座元老 執事近臣等伺公す薩摩守御礼申御太刀定判 御馬置鞍白銀弐百牧御殿三十領進上ス太刀折紙をは 前橋侍従披露す犬退物上覧に備へ忝由を若 狭少将言上す御会釈有薩摩守退出次ニ子息 又三郎御礼白銀百枚猩々皮十間進上ス太刀折織 披露同前若狭少将挨拶申て退かしむ嶋津安芸 久雄同市正忠弘同源介久立鎌田又七郎政田伊勢 兵部貞昭 │并五人薩摩守 町田勘解由久則又三郎か家人也 舎弟一 鎌田源左エ門政有 薩摩守 家人也 九人一同に関之外にて 御目見申て退く次王御障子を開く下段江 出御有此度之射手役人四拾一人御次間に並居て一列に 御目見こゝにおゐて入御志給ふ其後河越侍従 豊後守柳之間江出て着座ス奏番等相従ふ薩摩守 家老并舎弟其外射手役人凡五十人を悉かみ呼出し 御暇を頂戴せさしむ或は六領或は四領或は 三領其人よりて品有となん同えし十二月二日 大納言様二之丸の御殿え出御有りて上殿に御着候 彦根中将若狭少将前橋侍従河越侍従松平和泉守 乗寿酒井日向守忠能等以下伺公十薩摩守出仕御礼 申御太刀長光御馬道楼白銀百枚猩々皮十間進上す 太刀折紙をは日向守披露す今度犬追物 上覧に備へ奉り泰由を老長等言上候薩摩守退て御次 之間に有又三郎御礼御太刀馬代黄金一牧御腹十領 進上ス御太刀折紙披露同前老臣等挨拶しく退う しむ次に薩摩守を召て御手ツから熨斗を被下頂戴の さき御腰物則光を拝領す日向守是を取次拝受し て退て御腰指吉光を立上す日向守取て 御前江奉る薩摩守退く次に又三郎を召て御手つから 一熨斗を被下戴て退く時御脇指兼光を被下日向守取て 抜く群戴し退て御脇指安吉を献す日向守番取て 御前に置又三郎退出す御障子囲く下段えおりさせ給ふ 薩摩守家老舎を以下五十人に御服拝領或は二襲 或は三領二領差有和泉守等是を沙汰す事終て 各罷りぬ両御所江の御礼相済て大営故障なく 調ヌト彼家之歓喜不斜となん夫犬退物は神切皇后 三韓を平けし時より事起りて三浦介上総助か那須 野の狐ほかりしも其ためしとなん申伝騎射練習の業 なれは鎌倉柳営京都の幕府より〳〵興行せらる 三宿領四職を初とし武士の家に執行せすと云事 なし信長秀吉の時より其沙汰はやみぬれと其法は 残りて弓馬の家に在今四海無事の代にあたりて 此芸を再興し給ふ誠に太平講武の一緒なるへし と弥祝ひます〳〵目出度事とも也 春田蔵 19499