貞文雜記 卷一三

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伊勢貞丈
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伊勢貞丈
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テイジョウザッキ
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東北大学
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狩り 貞丈雑記画部類 貞丈雑記巻十三 一馬之部 一馬具之部 一 問文庫 馬之部 伊勢平蔵貞丈記 一馬のたけは四尺を定尺とす四尺に一寸あまるを一寸と云 色葉集云 あふ坂の夜出 の同のなかせは いくきの駒を いかてしらむし 二寸あまれハ二寸と云以下是に准し知へし四寸より七寸迄 八寸の字をすんといはすよきいつきむきなきといふ也 寸の字をきともよむ也扨は寸九寸をは又八すん九寸と云也 九寸にあまるをは長に剰ると云也三尺九寸有をはかへり一 寸と云也一馬のたけをさす物を尺さしと言也尺枝とはい はぬ也弓握記に見たり 〇一馬の五性十毛の事青ある毛は木性也栗毛ひばるに毛は ヒハリ毛火性カ ス毛土性不審 之事未記 火性也鹿毛かす毛は土性也つき毛かはら毛は金性也暑 毛二毛は水性也是をそらに覚る歌あり候 青あし木栗とひばり火鹿毛かす土つきかは金に 黒二毛は水此二毛は猿火鼠毛の事を云 一二毛と云に二品有ふち馬は二毛の毛なる故二毛と云二 平家物語拳 けんはにけりかく云詞に似たる故武士は二毛馬に乗らぬなり の国に歌忠清は にけの馬にて 乗りてける上餅 しりかひかけて かひなし 猿毛鼠毛の わりちの事 末に記す されはふち馬をは引出物にし用ひさる由大内義興の 問答返答の書に見ちり又書札雑と聞書に二毛と云 事両諸世猿毛ねすみそ似たり物有是ハ猿毛に一乱 候てか似たるゆへねすみ毛の事を似毛と覚似たる毛と云 事也似毛の事を二毛とも書は同し詞なる故文字の冷 味もなく二毛とも書也黒毛二毛を水腰の馬と云此水性 の二毛は似毛也うす黒きゆへ水の色は黒く当かせいて水 性と云也 一古の武士は馬に乗るには必沓をはき弓を持たり常に何 方へ行とも如此也されハ旧記に弓枝津きて馬に乗る様 馬上弓の持様有又貴人に逢て下馬して沓をぬく礼 一有古は弓持すして馬に乗せは人見てわらひしと也 一馬に乗るにかくを入るといふ其かくの字は角と云字也 一鐙のふちの四角なる所也それにて馬の胴を打つ故かくを 雲霞集に足の大火をわけて鎗のかくを くれるなと云人あり ふむへしと有かく鐙のふち也ふむ所也 もゝ也は 一馬の印と云事旧記にあり一字のかねとよむへし馬のびわ 山らもトモ云 ひわもとてはありあしのももやきかねの印を捨すことなり もゝ也双書琵琶の形に似たる也 今は書の名也文武天皇 大宝元年に換まれたる書也 此事上古より有事也今第八八 流牧令ニ 曰ク凡在ル牧駒犢至ル二歳二者毎年九月闔司共ニ牧長ト対リ以官ヲ 字印一ヲ一ク一左釁ト一云く義觧ニ曰ク謂二股外ヲ一為レ為レ為レ為レ罪ト我 牧トは馬牛を にあか 見所也 馬の子牛の子牛の子牛の子牛の毎年九月 見所也 其牧の有国の国司と牧をあつかる役人と共に牧に行て 官の字の焼印を馬牛の左の股の外に於せと被仰付古 る也扨官の字の焼印有へ馬牛は天子の御物に上る也 後世に及ても馬の股外にいろ〳〵の焼印を捨して馬の品 鹿笛の形末に 記す馬具の記 にあり此部に入 之 位をわかはせ旧記に見へたる印の名品々有され共つま ひらかならす先挙柱と云はことちの形入如此歟庵 と云ハ今石此歟是或ハ一人目結ハ四輪違ハ切引あハ二 四目結ハ四丸ハ○遠雀ハ入右摧量を以て其形を記ニ 大方如斯なるへし此内遠准是ハ日記ニ絵様有又鹿 以由と云は狩人鹿を寄する為に吹欠笛也その笛の形を 印にしたるなるへてつくさひと云は佯ならす下山と云も 催ならすもし山形と云物如此の類歟金鑿といふは 旧記にかねほる道具也絵やう不見知也と有り詳ならす 一金融会郎つゝくざひの事なり此事末に記す見合へ之 馬の印久しく 絶たるを享保 金をほる道具の形なるへし両雀と云ハ両の股ニ省を 年中 有徳院様御 再興也 於したる也是を両印と云雀目結と有も雀と目結と両印 也松皮ハ松皮充しなりへし 印の名書札の 書に見たり 松皮三日月不見及と有之 此末ニも 報の年 一馬の館と云事旧記に有書札雑と聞書に云馬の館の あり見合 べし 事彦間田鎖須弥盤此異名の事馬の館也一段は 本印之焼印 の年なりそろし 子細有る馬に候間書状に此には書戴候事也云々条々 御程とは牧の名 の書也是は書札 調候時の覚悟也 聞書に云馬をよそへ遣候状も乞付印などの事常のことく 可書まつおろしか給須弥たらふなどあるをはそへ帳に可 一書先本印を書て捨なる〳〵下印を可書太刀なとも聞書 彦間田隙須弥豊なと一段の事をは内状にのすへき也云々 館又立ノ字を用 又立ノ字本也立下は 牧こ馬を立てかひ 置き也俗にあの たち此たちと云は 牧の馬より出たる 詞なり 此等の趣を以て考るに彦間田鎌須弥監は牧の名也 是を書を下印と云前にしるす印とは別の事なり 一舘と云事は貞益公あのたち此たちも云たちの事也云々 館は立也彦出のたち田鎌のたち須弥とかゐのたち 詳上知ルとり 故末に記す と云事其牧にこに駒を立て飼ひ置き義也何方の牧 に立たる駒と云事也彦間田鎌須弥盛三ヶ所の牧は良 馬の出り牧にて賞翫也猶又末にしるす見合へ也 一座前のかゝりの木の植様三間四方に隅々に木を植る也 かゝりの事是 より末十三枚め に有 一坐敷南向なれは其前の庭北東の隅は松南東の隅は桜 南西の隅は柳西北の隅は楓を植る也 貞 雲霞集に見たり 一馬打の事に路のまん中を打なとて四記に有は打とは馬を 乗る事也鞭にて馬を打事にてはなし一騎打なか 云も打とは乗る事也 馬屋高を打る 髪のミグレムフボレ 又為に絹にて巻 分て置也髪作は 馬屋の内にての事 なり髪結ひたる を乗は界各義なり 一馬の髪をぬくて云事由記有一馬の髪を引ぬゝ事には あらす馬の髪は結ひたるは略義也窃髪を本式とする 也犬追羽笠県なと射る時は髪ゆひたる馬をは髪結たち 一緒を引ぬきて野髪にする事を髪をぬくと云也頭 ぬくと云 も同に事也 驢馬の足を出すと云事旧記には勢足を乗出す事也 一貴人の御前にて馬を乗る時は声をかけすかくを入れず 是礼儀也旧記ニ見へたり享保年中 有徳院様番の諸士に馬を乗しめて上覧ありし時 声をかけかくを入る事を禁せりれけれは今の 公方様は声をかけかくを入る事御きらひ也と人々の申せ しは故実知らぬ故也今の武士は弓馬の故実知らぬ人多也 一神社にて其社に付て神馬の毛完りたる事有之参詣 の時其毛をは斟酌すへき由大内問答に見へたり其 社に付て完り毛色の事神道家其外有職の人によせ 尋ぬれ共知りたる人なく或人の云上野国一宮の神馬は 舞毛ふちを用依之其国の人は其毛の馬に乗らす 又信州諏訪の神社にてハ月毛馬を忌むといへり此類多 かるへけれともこと〳〵久知たる人なし又何れの毛と定め 雨を祈り晴を祈の中の さる神社もあるへし 神馬の毛色の事末に記す 一馬に乗ると馬を乗ると云に吉別あり馬に乗ると 云は常に馬の上に乗る事也馬を乗ると云は馬の口をも 足をも乗直す事也 一馬の印の名鹿笛飛雀折雀に雀庵下二雀庵下二遠鷹 文字有文字引両丸大輪違庵一方一 に見へたり 是等の名見素往来 館に立の字を司立の字本なり其牧に立てかひ置義なり 一馬の館の事尺素往来に馬の事を書たる状の文言に 前にも馬の館 の事あり 多く佐里之本牧両三疋候須弥足井辺幷技衆地抱所 レ替二子馬候又云大輪遺者彦間立庵下一方者御所御 いはふ 源平盛衰記ニ いけつきもはくろ くり毛の馬高サ 八寸ふとくたへま 八寸ふとくたへま しきが尾のさき ちと白かりける当 四五猶いでくへき 馬なり是も陸 奥国七戸立の馬 鹿笛を金焼に あてたれは少も 紛るへくもなしと あり七戸立と云も 七の戸より出たかり 一牧候と有多久佐里は前に記たる田弾也須弥足井は前に 記したる須弥盤也彦間ハ前に記したり文字同之 彦間立の立の字は前に記したる館に同意也技衆地抱 所替平馬候とは枝ハ四足の事也地抱は地をあゆむ時の 形也四足の形爪の形地抱の形也多久佐里に本牧といひ 須弥足井王辺といひ御所の御牧に対して彦間立と 館なり彦間立 と云も是二同之 いへるを以て考れは多久佐里須弥豆井彦間此三ツト 牧の名なり 牧トは駒をいひそだつる 登をいふなり 此三ヶ所の牧の馬枝爪地抱 各替る所有て是は多久佐男のたち是は須弥足井のたち 是は彦間のたちと見分る也馬の館と云ハ此事也今も馬の通 本印おろし印 と言事あり本 印とは鹿笛目結 等を言也おろ也 印とは馬を牧よ りおろしかねを をし之かたる所の故 をさしておろ之 かねと云なり 彦間田錬須弥たらい など云其数の名状に 書く事を云也 馬の性の事 前にもあり又 末にもあり 惣体のかつかうをみて仙台駒土佐駒信濃駒なと見分かも 其馬のたちを見分候也右多久佐里須弥足井彦間三ヶ所 にて其牧へのしるしの印を遣す也此三ヶ所の牧より出し馬を 古は賞美したる也牧に完有て雀目結を雁庵笛等の 右の尺乗往来は一条構改兼良公の御作也兼良公は かねを出したるなるへし 京都将軍時代の人也文明年甲の比在世の人なり 一馬の五性十毛の事前に記シたるは普く世の人の知る所也 一条摂政兼良公御作 一古き書に見へたり尺素往来ニ云凡菩薩 毛木性馬鹿毛栗毛火性馬霞毛駿土性馬梍左 一目皆色金性ノ馬鴨毛黒水性に馬云々前の五性十毛と少違にて 一やせ馬の事を蟷螂と云也怪郷とはかまきりと云虫なり かまきりの如くやせたる馬也尺素往来に蟷螂サ疋を 候へ候ハヽへくもや世馬と云事也卑下の詞也又犬追物出法師落 書に酔狂のまきをには星はふなる蟷螂ひきよせて 怪怖も蟷螂 はふなるははひあるき はせひきしなかへなと申けると と云事なり も同事也 も同事也 とも卑下みたる詞なり 水もやせ馬也今屋世之間人を見てとうろきの如と云も蟷螂 の如くと云事をいひあやまかしなるへ也 一説幡編 俗なり 一説燭飾とはよき馬の末也 一馬の上かん中かん下かんのかんの字は駅の字也駅の字はたけ くとむ字にてたけりいさむ心也 一けみちと旧記に有は今地道と云り同之事也芸道 一物射馬と云は犬追物笠懸屋ふさめなりを射なかはし 晴工あゝさるを 一蓑と云俗わけ 二モハレニモト云詞 に目之馬のケ三 千も常に道を ゆく足な三と 云しなり 騎射になれたる馬を云也下地馬とも云也 一證をそうとこのしゝにふんつけてと云事馬書に有そう とうのしくとは馬の脇の方鐙のあたる所也弓馬故実 こしりは 呑さき也 一腸帯のゆひどぼりそうとう 鐙ふみ様の事こしりを のしゝにふんつけてとあり羨證向と書なり又しやう とうのしともよむなり ▢一神馬に四手の付損神仏の都に記す 〇一蕎記に馬の印を記したる条にさゝさひ金鑿御ねほう かねの事前 道具也絵損所見知也と有 馬具寸法記ノ書札并雑々聞書 つくさひは にも記す 等の書に見へたり つんさひとも云也因しもの也職人炎歌合に金ほりの歌に 云なかむとてこかねもほらぬつんさびのさひてそ 見ゆる秋の夜の月判の詞云右歌目見るとて金ほね はつんさびめさひたるらんことはり叶て閣内つんさびとは 具足とは道 金ほる日々足にやと有 但扨右の金堀の形を土佐 具と云事也 光信か絵か記たるに金ほりかひさのもとに乙如此なる 按するにつんさひと 物を絵かきたり是つんさひといふ物なり此 づくさひといふも あやまりにはあらさるかウクスツヌフムユルウト五壺通する故つんともつゝ ともいふへし 此都に記す ▢一鹿笛と云印有其形次の馬具の都に記ス へきい舌なり 〇一雨を祈り晴を祈る時神社へ納め烏の毛寄の事留を祈り 丹生の社は大和 国にあり 黒は空の間に には黒毛を用は くもる心也 白は空の色 はれたる心也 暗を祈るには白毛を同じ 是 禁裏方の故実也古顕に神かきにひく駒の毛のいろもせと 位記問答に 見へたり 雨雲きほへ丹生の川上とよめり 一馬の五性十毛の事前に記ス五性は十毛に限りたる事には 五性の事是より 一八枚〆にしるす 赤は火のいろと あらす馬毛さまくあり赤み強きは火性とそは する故なり 麦は木の念と エスは土の色 昔は木の色と とする故也 黄ばみろきは土怪也 青み強きは木性とす する故なり 白釜の色に 白み強きは金性とする也 ずか故なり 黒三強きは水性とす 黒は水の色 同弐百疋 前に記ス十毛の外の毛色皆く是を以て性と定む へしたとへは鹿毛は土性と定れとも黒鹿毛の色黄色がも 暑みの方つよくハ水性と宅へし黒ミよりも黄色の方津 よく見へハ土性と宅へし何れも色の強く濃き方を取て 五行は水火 五行に 当て宅へし 木金土也 一弓馬故実に青くろと言言馬の毛の事当世あまねく云伺 なり青なしは青黒きしは愚とはかりいふへも春と黒と のましりたるにはくわしく見わけかたかるへて云々青の 色こゝ黒き黒にまきる也其差別は黒馬は耳の内の 毛まて黒し青馬はいか程黒くとも耳の内の毛は青 毛あり是を以て分別する也 アサキイロナリ 一鞍つほとは馬に乗るに少前へよるも少しろへかゝるも くらつほと云也弓馬故実に見たり識 鞍の四郎の条に みへたり 弓馬政実に 見へたり 一きつはなちとはほくしを云なり一 弓馬故実に 見へたり 一ほくとゝはかしら也 一馬に乗りたりの時了杖つき様の事尤追物馬場打寄記に 昔は馬に乗るほど 一云馬に可乗桁先弓を右の手へ取直して弓杖をつき我目 一なれは必弓を持さる 下はなし間を持て 手には父弓杖つきて より少高くかいにきりて誰を馬の頭の方へなして弓を立 乗なり間杖つきて 乗る故乗りかかる也 き手総さばき て手綱を取て鞭の前静に左の方の手綱をつよく引 つめて左の大指にかけて前輪をそへて可乗云々用容 記に云弓杖の内向外句と云事旨内向と云は弦を馬の方へ向 てつきて乗也手綱を弓と取そへて弓を馬の足と我足 と三ツかなゑにふみて乗へき也又外句と云は弦を外へ なしてつきて乗る時は手綱は取り人わへすして乗事 を外句と云也云々法要録抄にも乗馬事弓杖をつき出る かひに取そへて弓手にては弓手の手綱を鞍の前輪に取そへ 馬をつめて乗へて弓の本をこえて手綱を取そろへ あゆますへし云々射手方閻書云弓杖つきて馬に乗る 時は左の手にて左の方の手綱をかひくりて左の手かたに さしこえてとりつきて弓杖つきしる右のたておもか いに手綱と弓とを取くらて乗也弓もたさる時もた て程もかいに手腰をとりぐしていまの如くにして乗る也 捨るゝ時も同但此義不審云々貞助返覚書ニ云弓杖を つき乗様弓と両の足ツ三ツかなわその侭右の足鑓にかけ 可乗鳥打の少下をにきる弦ハ向へなる乗てやかて本共 すを左へまはすにきりより一尺程上を持へしつかは上へ かへし手の外にありたり候時右へ前の如く弓をまはし弓 一杖をつきておるへて同かさ持そへ候時かさはつその外也人 さしゆひとたほ〳〵指と取そへ持はかさはたより出へみ結とかさわ持方有 ▢一鞍遺馬に引漆とて裸馬を引そへて近物にする事古代 有之事也此事委細進物の部に記す也 一一かり法師と云は髪を切りたる馬の子也暫を苅て坊主の 山岡明阿言 様にする心にてかり法師と云也源平盛衰記巻十四に云伊 頼政 御師髪今昔 物語に見へたり 法師髪は今言 かりたてかゝ云扨 云之 豆守仲岡は 木の下風名也のを大将宗堂乞れて仲 人人のの 日の事也 を仲綱を付たるなり 綱打はれと云はれて安からす思けれは競か引出物 得たる小糟毛を取寄せて髪をかり法師に切て 余焼はやき かねをあつる也 焼印也 小糟毛 平宗盛入道と金焼して京へ向けてそ放つと云ふ僧 一領政 の家臣渡を競流口といふ者か平の 宗盛より給はりし馬の名なり 弓馬故爰に当世髪を切たる馬 いがらみとは栗の いかに似たる心乙 をかり法師と皆人のいふ子也中といふましき事也かみきり 一本ニヤリトアルハ非ナリ たる馬とも又はいかかみとも云也少長くなりたるをは小 いかゞみとも云也云〻 一本にかりはうしをやうはも之候ゝあり 是うつ之あやまり也不用之 一馬のたけせさすには尺さしを馬の肩の通りに立て 小笠原大破織言貴人の宿にたる大さす残の事ものたより寄て三市みの髪の上よりかうかい渡してさすなり ゆめしすみのかみを分てさす事あるへからす しゆみのかみの所に横に木をあてゝ半をとるなり 土佐絃師祖也 此魚かきたる後み手の後の騎馬 一飛騨守惟久〇 寅朝公時代の人也 武省の鐙のふみ様今の世の人のふみ様の如く也沓のはな外へ 出たり鑓の内へ沓のはな踏込たる躰にあらす 〇一ばなはり馬候ゝ無事古も有事也源平盛衰記す廿二坪 清見か関 下る条 に云馬といへば博労馬の鬼角つくろひ飼たれは 京出はかりこそ首をも少持挙侍りしかはや乗損し て物の用に叶ひかた也云々 寛正日記言 一馬の施毛の吉凶の事和漢古今其沙汰有事なれとも 公方様御馬之 注文の内御では 物いまひにて云事也馬の足はやくみて何もくせなきは吉也 差当たる品斗 大方目の下ほし うとくつはからに むなかへの引廻し口 足猶そくして色々くせ有は凶なり此外に吉凶あるへからす 尾の下是は不可然候と見へたり 我乗料には施毛にかゝはるへからす ▢一引馬と乗替差別の事諸家当用抄に云引馬と云は跡に 引馬乗替の事 猶又未ニ記ス又 引をはいかゝ惣而大名のこみの先へひかせられ候馬を云なり 合一之 鞍おほひをかけてぴく也こみ御免なくては誰もこしに 供の先へ引馬を 乗る也引馬の事大名ならて有ましき也但乗替ハ跡也云々 礼馬と云年下に見 こし見へ引候引馬也こみの跡に引くは乗替也 一引出物に馬を絵はる時牽て出るにはさみ縄をさえて出 さし縄を 手なわけ 手なわせも 中門の外にてさし縄をとく也馬を渡すへは初より手綱を いふなり 持て牽出ス也手綱に輪をして持也 真西の事は駒出張記雲 霞集弓馬政実等工 見へたりさし縄は一方すゝみ音をあとへ引とむる画なり依之尻説共あと 縄とも云手綱いゝろ人は先へ牽なり 渡すも受取も手縄を取也貴人主人に牽て直御目時も 手綱を取て引篭武家の作法也又公家にても同事也桃華 一条摂政兼良公 一閑業 御作の書也 せま御作の書也 春賜二御馬ヲ時降自二中門切妻一徒跪指 随身主弓 或下手綱見玉 一向御所一拝 一分減帳取二御馬上手綱一 一熊庵仁元年 付上ノ上下手 一綱引入リ私按馬右は 上手左ハ下手也 右手綱にて受取渡武家に同之 右武家ト云ハ 宝町殿の 時代の武 家を云也 御鎌倉頼朝卿の時代には差縄を取て受取渡有之 と也東鑑巻立九文治五年巳酉六月卅日の条に大庭平太 通勤 中略 贈御厩御馬監勤小山七郎 景能者為武家古老 朝光引二之ヲ庭上ニ一一景能右レ縁ニ朝光所一善縄ノ端ノ端ヲ投景能 前き京能乍レ居受取テ令所即徒二品入御世後草能様 朝光賀云り吾乞老之上保元合戦之時被レ疵之後不行 歩進退今雖レ拝領シテ御馬ヲ難レテ下二庭上ニ之処ニ被レ投レ投レ投レ親ヲ恐レ 其ノ芳志ヲ一ヲ直ニ千余云フ。二品又惑二朝光所為ニ給フト右ノ右ノ右ノ右首取 按するに前に記したる暦仁元年は文治三年より五十年の 縄を渡也 後なり僅の年数の間に手綱にてワタスかゝ見縄にて口タスの 違あり保宗と田舎との風俗の替りか前にもいふことく京都将軍家の時 には手綱を取て受取いたし来りしや鎌倉の時代にはかふくの礼法も いまたとのはさり之にや 一馬の髪の白さを雲ふりかみと云也夫木抄に源仲正の 歌に山かつのきねのかひにはむこまの雪なりかみと 一卯の花の白きを馬の雪なり 之内召卯の国云々 かみかと見なしたるなり ○一引馬乗替の事前に記したるは宝町将軍時代の事也 鎌倉頼朝卿の時には先へ牽を乗替と云其次に牽を 引馬といひし也東鑑巻之十二頼朝卿建久二年辛亥二月 四日二品明神参詣の行列を書たる所に御先達次先陣 随兵次に御乗替次に帝一人次に御引馬次に御甲差 次に前の右大将家 頼朝 汝也 次に御調度懸次に御後侍二十 六人後陣随兵如此次第寄り 東鑑巻 常に関なれ ●くりげこ 一東鑑巻の上に見たり一馬の毛色は たるは略之 三十 ひたい●さくつきのひはりけ●あくりくろ●しらく 白鹿ノモ 同茅二十一 黒精ノモ 赤華モ 同巻二 白栗毛 りけ●くりけきめたい●くろかわらけ●あをさぎかす さくつきとはしやくひたゐなる へしあかくろ近候為トはあり馬に くろき於ほびがみなるを云慰之 星尾毛 東鑑巻三十三御馬定 古今著聞集 俊頼朝臣房馬毛恋 大をさき のこま 一源順家馬毛名歌合の馬の毛色欲等残る味を受きへひまもあ 巻二十二去或人 のもそに白栗 らはをくろにたてかあをさきのこまくとこそいまはほえ むしはのつるふち ける 毛なつ馬を出す けれ ●馬◯又あ之けの 白雲間よりとふあしはらのへるぶちになに あえ共らのつるふちとは是より腹のあたかに白 はのあしけおひつかんや 白糸の く国まてふちの述なる事云かつるはつかむて平通り 白糸のくりけひきいてゝみるからにふすあさちふのとら げなりけるむち須磨のあまの朝夕つめるいそなるいそなるいそなち むちはなみぞうちけるかちむちはかちん色をむちはふちやうちんは 黒し黒ぶちの馬なるへし 一つきひたゐと云はひたゐ白き高を言ひたるよりはなの方迄 細長く白きをしやくひたゐと云笏の形の如しひたゐばかり 白きをつきひたゐと云月にたとへて云なり額白とも云 一夫木抄二家集恋歌中源仲山屋みなをといもか屋〻 をそさしてゆく月ひたゐなるこまによかせて 一二毛と似毛の事既に御所に記す又大坪流の伝書に高忠 多賀曲後守 伊伊の伊伝書を引て云に毛とはにたる毛と書候此秘 高松大坪門弟也 伝はさる毛に似たるによりての事と云々見たる様は毛色の やうは同し様迄へのこ赤きはさる毛と云々毛かはる也然れは 赤きは猿毛へのこ黒きは鼠毛なり 又同書ニ云同相伝ニ伝頭に毛と云々 毛かはる也とは毛の分別に有を置 又色ふちあいのゆきあひたるやうなるをに毛に云と云世は 文字には二毛とかやうに書候と云々此に毛なとゝ申事 一を陣にきらふやなる事をみやうせんと是をも云也 以上本文也 然れはへのこ 名ノトナヘノワロキナリ 〇一雲雀毛火性かす凡土性不審の事是も大坂伝書に 云ク五幡十毛の事馬方の秘伝一木性はあれはあしめ青色一火 一後は栗毛雲雀毛一土焼と鹿毛かす毛一金性は月毛河原 斎藤安芸守大坪門流 毛一水性ハ黒毛鼠毛佐目好玄曰へ 此十毛 なり天文申年比の人 好玄り曽祖父斎藤 己が曰記に慎め此候二毛 は多加貝豊後にいの国忠 備前守也法名芳連ゟ さる毛の説も問口伝也好玄曰雲雀毛火性と云ハ不審と 存候そのゆへはふす毛とひはり毛とは此二毛何れの馬にもさ さす毛とはさゝ毛乙ましかてはへる也 す毛にて候へは性は有間敷と存候か かす毛はかすり毛也かれ毛と云色 〇一尺さしふん木の事大坪流伝書に云馬の天をさす物を 尺つえと云はわろく尺さしと云へし又横にあたるゝ天を 斗る物をぶんぎと云也云〻ふんぎは分木也 一馬庭乗四本余り木の植損之事 庭乗四本 かそのか コレヨリホ 四枚メニアリ 東南東南 四松木一柵木 三楓榊二柳榎 白白町 一榎木一柳木一柳木一柳木一柳木 一松木二楓板 ③新 同断 四柳榎楓 三棚木松 同九軒 一松原松木 柳棚 貞文云四本 かゝりはまりの 四本かゝりにはあら す武士の家二は 庭乗の局に四本 一かり本一極置也是は 武士の方に故実有 まりの口本かゝりは まりの家に故実 有然置共本は 鞠の四本かゝりを もふりしより事起 右衛門右衛門に依て木の植所の相違は趣其図集に 見たるを今川に図を作て右に記す旨也心得易うらしめんぼ 一為也斎藤左衛尉好玄花に云古木の植やう成候也但八ぎう の物に 八きやうの物 書の名なるへ之 軒と木の間一丈五尺候口伝有是家の権も 柱よりとりての事にて候間ゑんの大小によりて木と軒と たる也今川に倒 大草紙に勤の 大草紙に籬の 通の有道にて 乗る事為召 一外を乗る也内に 馬を入へからす増 て四本かゝりをあ まはす事空通 からすり候 鞠おりの事也 常に異たり 家作の部にあ の間広キ狭き可有也但ゑんは六尺九尺用候時の事候是ゟ 広きゑん候とは心得ずと云々此外高の外なるへてきつたて タケ長キ木のウラヲ切て植るなり の時は一丈五尺に高を定候也世はき時は木としの間一丈 家のおもはゝ 五尺也広けれは二丈三尺四尺にもすへしと云々な つとはおもや ひはしらより寸天をとる事を云口伝と云は此事也 ひさしの柱よりは寸天せる事無之也 一一公方様殿御厩屋の事諸家当用物に 記 北畠家 云ク殿殿 御馬屋ハ常の御坐所と御対面所との間に三間の御馬屋 問屋の前に西むきに西む前に西むきに拾壱間の御馬屋有上二所に 三光院内府記ニ 見ゆ馬具の部二 と有也廊下つゝ記也けしやう腹かけとて手縄のごとく あり是と見合 へし 馬屋の事 うちませてふとさ壱尺はかりにいたし両の端を黒皮 又未にあり にてゆひて腹かけにまとひ付て置也是を馬にさせ候 はりひしやくは 馬のばしざて 出してする しやくなり 事はなし置は腹かけもなくてよるはほとき手縁をさせ候 笛は御馬屋の者さきにつくばゐしとり杖とぶちと はかひしやくとぞばに置馬に向て居候也次郎四郎両 又云はつなは名皮はつな根本は 人仕配いたし候也 麻なり 一右同書に云御馬屋にたゝぬ毛はあし毛又ふちかと承之 大名も同前 一礼馬の事右同書に去壱番に供の先へ引く馬を礼焉 と申也他国へひかせ申候又云他国へは一番礼馬さて乗替 其次に弓持わかたう其次太刀はきわかたら太刀此分也 一貢馬の事右同書に云貢馬と申は正月五日に諸国より 貢馬乗の事 乗り候を御前にて御随身乗入候而内へまいり候御庭て 今川大尊子二 見へたり 乗候而頓而おり候而引而まわり候也云々貢馬は諸国ゟ みつき物に奉る馬也皆公方の御前へ参るを公方御 諸水有て禁裏へ此せらるゝ也内とは内裏を云也 一一地道に今いふを古はけみちと云けの字は藪の字也此詞は衣 一眼より出たる詞也衣服に芸暗と云事有暗着こあち すして常に着るを芸と云也俗語にけにもはれにもと 云ハ此書也是よりして何事にも芸暗と云事有馬の毛 みちと云も常の足つかひを築道と云なり即今いふ 地道の事也 諭語の郷恵の篇に紅紫不以為芸眼トあり朱子之説に 芸服ハ私居眼也トあり私居眼とハ私の家ニ常ニ至る 時の衣服ト云事なり是ハレキにあら さる常の衣服をいふなり 一馬に五性を定る事は物いまひにていふ事也陰陽師の相 一生相剋の説を以て云也相生とは水生木木貧火生土土土金金 金重水也たとへは水性の人は金性の色色の馬を乗へし馬よりして 一金水 なり山 此外一 山外一 生する道理辺は 相剋と云ハ木尅土土剋水水剋火火 推知 封金金財木也たとへは金性の人は火性の馬に乗へからす 歳准シ 馬よりして乗人をそこなふ道理なり 貞丈云馬の性は 馬よりして乗人をそこなふ道理より焼准シ貞丈云馬の性 知かへ之 知るへに 遠所に行くを以て一馬の性とする也たるへは鼠を取るは猫の性也暁に 時をなくは雛の性也盗人を吠るは犬の性也と云り如し人を計せて すこやかに遠洛を行くは一日の性也此外をもの性と云事有へからす 毛色を以て五性をいはらへにしては顔白きは金性の人形なき は火性の人青きは木性の人色黒きは水性の人色黄なるは土性 の人と宅むへきや笑ふべき事也一声の五性上古には沙汰なし 中古以来物いまひにていひおしたる事也用日にたらき 但犬ハ犬の走ルヤウニ随ヲ故不定ナリ 一笠掛右追物流襠馬の類ハ馬を鹿子足に乗て射る也庶子 足と云はだく〳〵足の類なりだく足はだくり〳〵と鞍玉をつく 柏にせはしく鹿子足ハ拍子の間大ニて飛なり鹿の走る足 の如くなるゆへ鹿子足と云是は野駒を飼ひ立てして足 より段々に乗りこむ也前足二ツを一度に上けて飛ふ足づ かひなり 梯の時もかのこ足なるへしやぶさめはかけ足也と云説ありあやまり なるへしやぶさめかさかけ大追拝を一馬上の三ツ物と云いつ れも馬上の作り物といふなり三ツともて同類の物なりやなさめにかきりおのこ 足を不用事いれなし 一享保の頃将軍騎射といひて諸士にこの挟物射させられ しは馬かけ足にて居鞍にして立すからず前輪により伏して 昔の犬追物心立垣 胸をそらして馬声を出して馬を馳て射る也此世に 鞍を立りして乗也け出る事也 〇一庭乗の四本掛りは庭乗すへき為に植置鞠の四本 四本かゝの事 是より前三枚ゟ へりと別也武家にてハ庭乗の為に遊をく也根本は鞠の 鞠秘書ニ云 平人ハ切立と二丁 四本掛りを移したる物也鞠けりにても乗なり 四本立馬也云之 後代ニは切立し一 云ハ竹を立る事 を云菖ハ升ニ限 らす四本邊二本は 根有木を植る也 仮初ニは不遣切て 立るゆへ切立と云也 弓馬政災に云 皆松又は切立とて 一四本残りに切立下た云は四本通りなき庭に急におりそめに 木を切て立る也根のなき木を立るゆへ切と云なり小笠原 長秀の記に切立は二丈或は一丈八尺也又云切たての事松 立も常には柳桜桔松楓也 たては皆松にな柳是は常に有へからす二本ツヽは不苦云々 此を立たり庭 にてはゆつをこめ て前に記す如く 三づん乗べし 是は鞠の庭の切主を云庭乗の切立も准く斎藤好 此広げ常の四本かゝり同 玄記云切立の時は一丈五尺に高さを定候也七天き時は ほかく〳〵の間一丈五尺也広けれは二丈三尺四尺まもすへと云〻 一一四本通りの近くにななして一本木を植る事も有是をにげ 木と云也にげ木有時の葉須雲霞集に見たりにけ木 の在所前後左右不定四本掛の外にあり 一馬上にて働く時報の敷様の秘事武芸の部に注す 一馬乗叶かくを入と云かくは勝の字なり 一馬屋に猿を養ふ事大松本草に云馬経に厩に厩に母骸を 猿馬の疾を 治する事是より 末に三枚ゟアリ 置は疫癘を除くまいへり潜確類書曰敬史砕馬疫本 或は東 一行共腹の馬病をサけ事をしれり西晋の趙国将軍甚敷 塩農抄ニ見 する所の良馬死る趙国是を惜て賓客に接らす郭漢 と云仙術を得たる者に東の乱を避て此に至る門を守る者 シカ〳〵と語て内に通せす郭隣り曰吾能馬を治すへしと申る者 驚て入て曰ス趙図者出て云ク君能五ル馬を治さんやと郭 璞が曰健夫二三十人を得て皆荒干を干を持す東に行き三十里ニ シテ丘林廟社アラハ便竿を以て打拍は当一物を得へシ急に持テ 帰ラハ馬活ト云趙問其筆の如くスルニ果シテ一物ノ検に似タルヲ 得て持て帰る此物馬の死名ヲ見て便其鼻を虚吸ス須まり て馬起て奮迅新鳴スル事常の如シ又向物不見超国大に 称賞云事資俗を加ヘタリト云古按神記ノ説也又漢書始ニ云 東晋の大将軍趙因り乗る所の馬暴に死す将軍是を拒心 むる甚シ郭僕これを聞て我是を生かさんとて数十人 竿持しめ行事三十里して丁獣を得たり其形指の如し 持帰りて馬の前に置く彼嶽鼻を以て馬を吸けるに馬起て 躍る事故の如し将軍甚悦へし今独腹を以て馬厩の中ニ 二丁引也 置は是より起れりと独夷志に出たり 事言要玄物集 一馬の印の事馬具の部にあり 鹿笛の事此部こ 入へし 今立り馬ト云後足せツミ 一あかり馬は 一前足を去り直に立也 に縄さら様大追物政清記ニ云ふかり 引返候 ○前足二ツの間へとりて 馬には縄をさすへし腹帯に縄を入る例始 結付候也 くつわにからむ也強クつめ候へは先へ馬ころふ也可然程らゐニ可仕也 古キ絵に此射をヱカキタルアリアカリ馬の縄ト云事を知らぬ人は不審して 何の為の縄そと云ありアカリ馬をアカラセ又聲縄なり 一一おろしの馬とは馬の足のはこひ様左の前後の足を一度に はこひ次に右の前後の足を一度にはこぶ也歩損二ツ拍子一足 をはこふ也おろしは疎足にておろあしの略語也そろあらはおろ すか足と云事也常の足は四ツ拍子にはこふ細なる足遣ひ也 おろしの足は足を二ツ拍子にはこびて足遣すおろそかに大 まかなるゆへおろしの馬と云おろあしと云事也 シノミニゴル ヘカラズ 〇一ひ左之の馬とは常の足遣ひの馬を取おろしの馬に対して召 名目也ひたしはひたあしの略語也常足トも直足とも言也 ひたしの馬の足遣ひ次は左の前足次に左の後足次右の前へ 足次に右の後足如此四ツ桶に二はこぶ也常の乗須を常 三ノ字ヨリテ 足と云 云ヘカラス 一あかり馬とは後足二つふみて落足二ツト一ケて立上る一而を取ひ 〇一つかし馬とはかしらを高くつり上ケたる如くにして手綱 を引つかみやふり行く馬をき乗人をつるす意也 一こし馬とは尻こみえてあとしさるし引出世とも出さる馬也 一いかじ馬ともいかしける馬とも言は先へ行くまじとすまふ 馬を云也志さるにはあかすして先へすまぬ馬也 一八ツ躰手綱と云事尤追物出法師荷書に有乗馬方の 小笠原刑部大輔 事と云書 信俗記也 手綱はみもなき様にと申候てみしかきと よく候手綱を長く取候てひちの後へまはるをは八ツはちた 梅八つはちト云ハ東海道の道の つなといひてわろき事と申云也 傍に物もらひの童の腰にたゝ きかねを八ツ結はてくる〳〵とめぐりなかり云ゆもくにてかろをたゝく也 八ツかは御諸と云其八ツ躰をたりくひちの形に似たるゆへ八はち手程と云 一馬に鞭打事は犬追物き後を打只の時は後を打は見に くき事也左のひらくひを可打也馬のまはるかぬるに弓手馬 手の後をみ也からすかしらの処を打事も有と竹馬記に 土岐伊豆守利綱の家記也 この書は永正八年の書なり 見へたり凡馬術の古書に鞭の打所あ またあれとも今世の人は打所をそくに覚屋わそれたる ふりけ足を乗る時うしろを打つはかりなり 一馬の乗入損其主意もわさも古今火に違たり今の 乗入よふは細長き馬場にて馬の足なみ葉ろひ馬上の人の 自形美く調ひくせ馬もくせなき名く見習様にして 人の見物を専にして下直なる馬を賞て乗入て高直に 売らんと思ふか今世の一る葉の主意也且一るの足なるは地道 乗りかけの三品より風はなり細長き馬場にて右の三品計 乗り入万ゆへ馬はそれのみ覚へて外の事を知らぬゆへ 左右へ折返し〳〵乗廻り俄に足をつかひかゆる事に訓ぎ るゆへ馬上にて兵具を持て振廻シ敵を左右前後へ追ひつ いへしつする戦場のはたらき幷に犬追物の時右のにくるに 洗ひ追かけ又検見に声をかけられて俄に馬を乗すへ 唱聞事はならぬ也是馬の歩も馴さるか故也右の乗入様ハ たてまた同也 にて馬の足をさましに乗入る也 相広の馬場へ 広サ二するなる 今地道 古の足なみはけみち と言 はしり食りはやむしり と云 今かけ 今だく足と云今は各のみ有て乗るへなし たく〳〵 〽かのこ足粉 たまくあやまちてとくに出す事あり 乗入 なり 故俄に足なみ尤乗かゆる事有手勝をはなして一而上 にて兵具を遣ひ弓を射左右前後へ乗廻し敵を追つまく りつする事をおとして戦場の用に立へき事をそ意もする也さ れハ常に犬追羽をして一方に足つかひを覚へ習ハしける也馬を 売へき馬に遣す足なみ馬上の身形を人の見物にする事を 無意とせす今世の乗る戦場の用に立かたき故近来軍 馬と云事をしかして馬上にて太具をつかふまねをすれ共 甚しとけなき事にて戦場の用に立へしも覚へす元来武 士の馬の間ハ戦場に用んか為なれハ別ニ軍馬と云事ハ有まじき 事也然に別に軍馬と云事をこしらへ出したるはたかしき事也 一古の乗方の書に有乗方の信楽を見て挟た細長き一ヲ場 にては古の如々の乗入はならぬ事を知るへし又馬にまへを とらするとて足の筋を切にもおわす左様の病足のかたわ 物になりて足のふらつく馬は戦場の用にたゝすまへを取 事なとを好尤は人の為の見物と売るを専にする故なり 一さくつきと云笏額也しやくひたゐ共云一事の額に笏の形 額ノ字ツキと との如く白毛有毛有を云今是を信牌白と名付てきらふ也 よむ也笏の 笏は官位有人の持候物也 字サリ芸シヤリ 物いまひ也笏額と云ハゝ忌事有まじ いむへき物にはあゝす トモヨムナリ 一うくつかしの事乗馬方之書言うくづかしだく〳〵の事 也そもたく〳〵今喜だく足と云也同し様にうことは乗尻 の浮くせつかとはつく也尻まて鞍をつく也しとはあしと云を 略にてしと云也尻へきて鞍玉をつきかくる足と云事 也足は馬の足也歩之様を衣也 ○一跡の豆の事同書ニ云礼二足と云は多く〳〵の壇にて猫の はしかやうなるへし口伝有云也 一つけすまひと云事同書に云付すまひとは乗時のけひ しを申候つくる馬とは乗る人の方へよるを云也一ツ手人申事 はわろく候云々梅づけとは乗り寄る時馬が乗人の方へ寄 り付け乗せぬ也すまひとは乗り寄る時一方がのきて云ふま じきとする也一馬ほ養に本意を能心得へき事馬は野にて 生れて野の草を食て生長する物也草は馬の天然の食物也 されは飼料ハ草を以て第一として糟豆等は其次として少飼へし 如斯すれは一而強く肥へす痩すして呈健也豆を多く 飼へハ一而大に肥過て身重く足遅く息を切りやすく馬ハ 見物に備ふる物に非す軍用の為に養者也然るに見物を 専として肥るを悦ふ武事に深き也又既の馬冬ハ綿入れたる 衾を着せて三直事にて一馬は中に在る時衾を着る物非す衾を 着せて一馬の身をおこらすれば弱くなる宣用に立かたし能馬の大学を 巻の 一猿馬の病を治する事独貴志将大將軍詣 是ヨリ前五枚〆ニ モアリ見合スヘモ 問前乗焉暴ニテ将軍悲恨客至レト吏不二敢テ通二郭堕造レ門語テ 曰余能リ法一此ノ馬将軍遽ニ召見ル瓊令三十人ヲ三十人ヲ悉持二長兵ヲ一東行セ于 十里ニ過遇二二在座一社林一即ト散撃ス俄頃ニ一頃ヲ一獣ヲ如レ猿持レ猿持レ帰ル弟二子 前ニ黙以テレ身ヲ取レヲシテ々起ルヿ如今以今以今以今以テ你テ二後ニ高廉ニ此其義也 一摺異志ハ稗海ト云書 ○郭漢か死たる馬を活させたる馬を流に似たる 中ニ編シ今をり 獣也後は真の猿を厩に置也 一馬を将軍家ならへ進上には鞍置馬に添て裸馬を進上 了刷之 年中行事絵 する也是を引別しそ也今川間俊大双紙御馬を上するには 朝覲行奉巻 此外委しく進物之節 一大雨疋はたか馬一疋引副と号也 飾馬唐鞍の 已也 飾タル由易定次ニ視馬ノ警館面尾袋ノミカケタル御馬一疋牽タル鮭ほ二悪モタリ具堂上式一筋 引馬ノ躰ナルヘシ 一馬を牽て尋御目に手縄にて牽くて手綱にて牽と差 一別の事今川家記云鎌倉将軍の衆三の椀飯の一部をは手縄 を打かけて下手縄にて牽也此時はたか馬も一の御馬の 如く二人して呑也普通の義にては壱人して引事有るへ之 其時は手つなにて引也はたり馬の如く何も引出物のるは引 諸口を於すゝは一与の正面に 手参り御前にて諸口お打燈すはかり也此 立向て両のくつわのひつ てを取て馬を灯して三足 はさらかす也 今川大草子云 琉板 の末 御馬を近には鞍置馬一丈 了刷と号也故人ハ組之間烏帽子有をして末を詰て 一つらみして袴のもゝだちを高く狭て引也打巻の 手縄を付て下手の者に引する也下手ハ中間の 引別の馬は始の役人同曳也是下手の手縄有へかにて只 壱人引候也 あませの手縄とは白薄青紺三色の布にて三くりになひたる縄 也薯の手継のことし桃飯に近上の馬は手つなは獣に打 かけて置年な共を左右に付て引也馬の右を上手とし左を下手とす上 手は侍の役にて引下手は四間の役也中間の取る手なみを下手なばと云 下手の者に引するとは下手なはの事也御目にかくる時二人にて牽也常也常には 下手なをとらせて中国は追て侍壱人にて手つなを取て引く也常には 引事なし 一一馬場と云谷目上古より有之也平城天皇大間二年五月兵辰 拾玉集四日 言法概 鷹輿晨駕臨御馬台云々又桓武天皇延暦廿二年 類聚国史 神にいけに されは馬台と云ひ 正月己巳御馬場殿観射云々 北野の馬場ゆふらちの外なち人の心は 日本紀略 又は馬場ありし殿故に馬場殿とりす馬場と云名目 久しき事也 唐土ニ木馬ノ 一木馬の事古代の書に所見なし慶長以来の物なる 名見へし其儘は斎藤安芸守好玄手捻切掛と云々天文 大金宋孝宗朱子曰孝宗是甚次茅艾武劉参申奏事使殿菅見馬立殿昼彫刻 一疑父一日同王子我等一族に斎藤小四郎と云者あり世に勝たる芸 公明公明鼻刻木為之者上下儀久曠島衙之以習歴越騎射政也云々兄光京陸無 元年本朝能を五つ於ほへて有と云とも馬をは得乗らす年 二条院長覚 元年ニ小ヨル たけて人前にて名をなかす事をかならひ馬程に くらかけを作て女の坐敷に置不断女房に口をとら せて云々此文にて木馬あらは一るほとに鞍掛は作る 若亜土ノ製漬シテ作リ始メシ ましき也木馬なき證拠如此也十訓抄に云木馬の名目 出たれとも是は罪人の具にて木馬の語に取かたし 一馬髪の事野髪ふりぼうし二品なり野髪本とを 是ハ野髪の先をかりて六寸計にて なりやうほうしに品々は結髪を 糸にて巻数三十二に結立たる也 前ニモアリス 合へ之 押切一 又以相比又以相替トも云髪の先ノ一文字 箱の如く二寸計二押切たるを云〻 丸頭 カリコブシトモイガ頭トモ又イガ髪もカクタ二丁 今モ云也是ハ髪ノ生ルを押切て又左右ヨリ イカ幡寺は シンヲ立たる也形クリのヽ 小イガ髪 イワニ似たる故なるへ之、 是はイカ殿 殿如此品々有ることも惣名髪 の小サき也 ヤリホウシ 其今好にテ □□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□ ノてナリ。 切たる馬代りましと云より髪切たる事と云より髪切たる事と申 長短アれへて以後 懸村手体拝記 弓馬 畑に見へたり馬の髪を切りゆへ法師になる 改実 弓馬改実取髪切タル方ニテ物サハ射又半也但タカイガラミテ少光程ナツハ可射セキ之 意にてやりほうしと云也されは本式は理管然るへし 前ニモアリ 一ッわん合 一庭験年後鳥羽院震記建保四年四月四日参了 一内御方有庭乗興中宮大進兼隆度に上活馬に寄人解 一頭有之斎藤安芸守好玄記ス庭乗を懸て曲とも申 南 候也建保比既に是各目出たれは久しき事也何の御壺事 馬の覧事東艦セ永久四年九月廿日佐々木左衛門尉広綱 御馬をむ作るを江国ゟ寄来今日鞠御並に於て御覧義 村引之そて 一一座乗事公家武家にて馬廻し須替事也小笠原持長手 後秘書馬倒問書に見へたり公家ハ馬を右へ但し武家ハ 馬を左へ廻し候公武差列有武家に而も貢馬を乗候時者 貢馬乗せて右へ廻し乗候也鎌倉京都両将軍の時共は与 貢馬武家にて乗て即覧後禁裏へ近せらるなり 此時ハ売馬乗を本とする也常は左へ廻し武家にて 一庭乗をする者也不俊大草に云庭乗右の方へ引折て 三めくり打廻す也貢馬乗にて公家境也又法要 録沙公馬を貴人の方へ向て打乗て武家へは左へ 折公家へは右へ折と申侍る云之 室町殿時代也 馬具之部 一古は朱ぬりの鞍又鐙の内黒くぬる事紫のしかかいなど は人のせぬ事也旧記を見て知へし今は人に心まかせに する也又手綱も古に布に筋を染たるを用ひし也今は紫 のちかめんなるを用る也古ハしりかひも赤を用し也馬 くも武具も今は故実を取失ひし事多し 一赤うる人の鞍と武雑記に有は来うるみにてぬかたる 一鞍の事也又蟇目を赤うるしにぬると候は朱うるし の事にあらす此事は弓矢の部に記寿 一馬の鞭をはむちと云鷹の鞭をはふちと云へしと云へしと云 此説非なり馬の鞭をもふちと云也射手方図書にふち ふちとけ有其外古書に馬のふちと云事いくらも あり鷹の鞭といふ詞ハ本はなき事也鞭に似たる将成 ゆへふろといひならはせとも本名は鷹なふりとも也古歌に 一口餌ひき觜をすらする鷹なぶり腰にさしては鞭 かとそ見るとあり馬の鞭は一手をうつ物なるゆへぶちと云 ふちとはうちと云事也ふちと云事をむちともにたる也 鷹の鞭は鷹を打つ物にあらず鷹の羽なとをかひ つけろふものやされは変なぶりと云事本也 ツヽ二ツ藤の皮ヲ ムキタル也 にて組み作たゝ切付也 一つゝら切付と云は白き防已 一つゝう切付申事 見ヨリ末十九枚ニアリ うるえにて黒く飲を書也あたらしきはあまり白き間 くちなしをうすら引へしと云事武雑記別并記等に 見えたりつゝち切付の時は引目波の塩手を用つら 宗五大刀紙云 赤キもうせんの 落おほひは公二万様 御拝の外は大名随 一分の衆はかり古はかり古はかり古はかり古はかり古はかり けられ候馬色の かわりたるをし 誰もかもひけ被申候之 赤化もうせんクラ ヲ六七ノ事是ヨリ一 是ヨリ一 三文冊ヨリ一 未二十三枚宛 切付も引目波の注手を晴なる時は必用之今の人へ知らす 小豆岐守先祖義教公ヨリ火経ノ鞍ヲ伝テ儀御見立て今火ナシヤニ二リ包ヲ凡ケココトホヒノ開タルト云 一句くいせんとは赤きもうせんの事也火氈と書記火の宮 いたせんとは赤きもうせんの事也火〓と書き大の森 明徳二年九月十六日春日御社参記日殿上入業馬之時行列次第各日人ハ馬ノ先馬 の如く赤き故なる人之武雑記に云々はせんの今度の今度の ヨリハ二尺先也直菜ノ中間ハ両方ノ鐙トホリ以上首トスルナリト雑色ニ而の後割 事尋候へは只赤きもうせんの事にて候雪形の候は殊更 中ヲ以此者トスル也或ハ一ルノ左ノヒラリビノトコトリニ歩ムモ笠持ハ小雑色ノ後也鞍口渡 賞翫にて候云之真新云旧記をもうせんとす 一賞翫にて候云之貞衡云旧記にもうせんと云は月の 鹿夏毛皮ノトホリニ付テカ皮ニ付テカ皮ニナイ付ヘシ首ノ方ヲ右ヘナスベシ云クハ もうせんの事にあらす一往沙の事なり センノコトニハアラサレドモクラヲホヒノ故実ナルユヘ爰ニ注スル也 一唐むしろの切付と云も毛鰭の切付也とうせんと云事前へ アリ 記すことし今のらしやの事也 一かつさしりかひは上総の国より出る名物也藤州往来に上絵 本家物語巻五 藤川条に歌アリ 忠清はにげの馬 にそ乗てける 上館しりかひかけ てかひなし 鞭こ有其外旧記に此名あり鎌倉将軍宗尊親王の 御時鎌倉にて内記公府元染鍬の取実を注をす彼 家代へ上総国におゐて此事奉行すと東鑑見えたり 一庭倒往来にも上総獣あり 又東鑑巻十五上総雑見 タリ頼朝時代ナリ 一一なりしうがひとはばんどうしりがひの事也と御供衆実託 なりしりかひの事 猶又是より末十九 に見へたり坂東獣は上総しりよひの事なるへし糸にて 枚〆ニ記ま 織たるゆへなりしりかひと言也 れんじやくしりかひの事 此末十三枚に記す 〇一遠江しかかひと云は遠江より出る茜染のしりかい也 へし遠江あかねと云事も旧記にあり遠江はおかね染 の名物知り 一もんめんしりかひと云は木綿緒をとぢて靴にしたる を免就二御参門。松永弾正より伊勢守貞孝へ被尋申条之 の内もんめんしりがいいたゞの事云々貞孝善にかりしりが ひ本義あて候もんめんも不苦と有もんめんしりがいは織 良ぬ物と見えたり冬もふとも糸を並へて横にとぢ 付たる獣あり此類なるへし 上古は緋の鞍林に刻也延喜式に見たり 一しりがいの宮いにしへはかもかいむながいしりがいともに 平人は赤きを用管様装を御用なり入道法師なと は浅黄からちやもえきなくを用ける由旧記に見たり 今はあまねて紫を主人も用る事に成たり 是ヨリ末十六枚ナニ三ツキノコトアリ 又三寸ト書二丁モ 三つつきトヨム一方 ノ長サ三寸五分子 れ共五分を説々 む也 一旧記に一事の事記したる所に七寸と有はみつ法き候に ヘタリキハミツキハミツキトヒツキトヒツキトヒツニートハントハントハルナリ む也くつわのみつつき也みつつきはひつねの事手紙 三ツツキト云間ニ合セテ水付ノ文字ヲアニ丁字ニ用ルナリ を付るかね也。いかなる故に七寸と書事は徒まひらかならず 夫方上にて三寸ト 書片云 一説にひつねは片方長サ三寸五分ツヽ両方にて七寸なり 此説ムリ日シ三ノ字シツトヨム寸ノ字キトヨムジツヽキナリ一リノ 依之七寸と書てみつつきと云也云〻 是ガ末十二牧ノ連著ノ条ニ記ス見ル 一安川総大ふさなと云名目古よりあり義詮公御参内記 巻十三小松大臣情ノ 条ニ果キ馬ノ七寸ニ に厚房の尻鞍惣て左右を分け二行乗也云々又ふさしり 余二丁太ク逞キ二 白覆輪ノ献 置て厚親 かいとはかりも可也茂教公御元服記に見えたり昔もし 一幕ヲカケリ 大平記にうかいといへばかもらいむなかいむなかひ此内にこもる也古記に見て 戦トアリ桃花芯に 葉ニモアリ しるへし大ふさの絵図は犬追物図説ににしるす ヲモカイシリカイ ムナカイヲ三カイ 五六の證と云はうる之ぬりの證事と心得たる人もあれ ト云事中古以来 ノ事ナリ上言ハ ともさにはあらすぬらすして金銀の象眼入たるにも又 ヲモカイハ副物也 六の鐘あり五六の鑓ト云は鉄を帰分能きたひてかねを 五六錠の事是ヨリ うすく打のへて作り鐙の内に板を入たるを云なりそれ故 未十三枚メ記スア 一合へし三石のかも 一五六の徒はかろき物也五六と名のかけたる事は鑓をつら かにてためす説 不可用之 してしたさきの取に米三石のおもりをかけて鐙せた めすに鉄を能くきたひたる故かねかすけれとも 一銭の出る事なし三石は三拾斗也五六三十斗のほかを 東鑑巻士 くろぬりの はりかつくら はりかいくら かけても引のはされぬ語なる故五六と名付るとぞ 〇一張鞍とはなめし年をはりて包たる鞍也鎌倉年中行事 に張鞍に鞍も渡かけて引事なしとあり革をはりたる 一鞍なるゆへ日にあひてもひわれ損する事なし依之 有ららほほひかくるに及さる也は あるも同之物なり 東鑑巻十一にはりかひ鞍下 ▢一鐙にかくと云取あり鑓の頭に細きかね有て力革へとし さすりともこつなかねとも云又ひ雁よかねともゐかねともに へスその細きかねをかくと云又かことも云也其かこの有所 ゆへ鐙の頭をりこめしらも言也たこかしらと云はあやまり也 一読をくひをかこくひと云もかく有所のくひなる故也 右は三つなかねなり がこの事をへひぢよりねともひけりかねともさすかとも 云也扨かこといふ字力具の上字を用ひ来れり此二字はす へて太刀鎧其外のかなくの事也延喜式ニ太刀の事記之たる 所に鍍貝とあるも太刀のかな〳〵の事也鐙のかこも鐘のかな〴 なる故鏡具の二字を用る也本はかくなれ共くとこと五童通 する故かこ共云也 一鐘のかこをさすかと云はふるき名也伊勢物語の哥に 武蔵鐙の事 末々記す むさし鐙さすかにかけてたのむにはとはぬもつらしとふ もうるさえと有むさしれとて武蔵氏證古は名物にて 有之也さすかと云ハさすかね也ちから革の衣んさすにねン 文永四年歌合は さすかねといふを略してさすかと云也 かき の民部は有家多ひ人の駒うちわかゐす事計籠詰たるなそかけるかこの川浪に 川 カコハ干カラ葉モカクル <割書:「」「「」「「「」「」」」」」」」」」」」」」」」」」」」「」」」」」」」」」」」」」」」」」」「」」」」」」」」」「」」」」」」」」」」「」」」「」」」」」」」」」」」「「」」「」「「 一二重腹帯の事紋法秘伝集に云二重腹帯は布近一幅に して馬のせなかへ打きせて其上に鞍を置勢下へ廻し上へ 引あけ常の如くくらるを二重腹帯と云也くみまかりて修 軍陳し事なり 一羅の時祭る馬によきと也又道照兼楽に云勝帯を 一重にとりわなの方真中をくらの上敷の上にあてゝ 腹帯ををしへ両の腹帯さきを入て天の下腹にて取り 違て服帯さむを又はかひこせえへ通し能々しにて 上露の上にて常の如く一結しめねちて両の前輪の 手形にかけて前輪の前にてむないにかけて常の如し 留入し 古敬法秘伝集には馬の世なかへ打きせとあり道照愚草には 鼓の上敷の上にあてとあり両路少違なり右軍陣ニ用過 一又犬追物明鏡記に云鞍に二重腹帯を懸る事軍陣の様 にはせす腹帯を二ツして小腹布をかけてしむる也是も射 是ハ尤追物の 手によるへし上手の好ぬ事也云々 腹帯を二 二首はかひ也 してとは昔のはるひとにはるび子二ツ也庚文の文体にま きらいらき也小はるひは麻苧にて組たる腹帯なりある 祝にめひするを上腹帯下腹帯と云然れ共口一腹帯下 表板帯 はるびと云名目旧記になし只公重腹帯と云へし 一に腹帯は 旧記予り 一鞭長サの事前の弓矢の申矢つか長サのケ条には鞭の こし良へ様封子具足栂伝に委く有こゝふは略之 一かまさ之縄高を引て手縄也武雑紀に云陣中にては 白手縄を用候是をかまさし縄と申候布にて三ツ上りに仕候 也大かた一ひろかたわきはかりに仕候歟用容記に云かもざし なわ長サ一丈二尺弓馬秘説ニ云かまさ之縄をかもそ之 縄とり云但他流也かまさし縄のさら様馬の右ゟ左へなけ としての下にて結ひ短き方にて引しめ長き方を 二ツなから輪の中へ入一り両方へ引返して轡の十六字の 銀に引より引返して又それを金の縄の外へとるべし もつれたるよふからは塩手に二重て引返して其をつ 障泥又泥障 結ひ結て留へし 一沈障と云は毛皮にて作りたるを云なめし筆にて作り たるは鐙すり候是此事室う兵鑑に見へたり 見タリ 又長秀記ニ 軍陳ノ時射ナ 一行縢はきたる時は泥漬はさすまじき也鐙すりは不苦々室 泥ハ元ハ雨天王衣服六子付ク泥ヲ滞ル為の粉也後也晴天ニモ見リサンシテ飯トスルヤ武用ニ入テ又一 大弓兵鑑に見たりされは犬追物の笠遠に泥障をいさゝ妙也 トニ用ルヿハナシ又永正家中竹馬記ニ云あふり揚野刀井平銀なりゝにハ高からす但是れゟ濃中屋と 一とかけ草の蹶と云ハ自くみかきたる轡の上をうるしにて さして可参は不可然とい うすと塗たる也濃の色を染色とすきとをりてとかげ 一 と云虫の色のごとくに見ゆる也ぬる轡は略義也とかげ 右断十日本郷方囲五郎 いろの事尤進物明鏡記に見えとり 一鞭を以後うつほ等にさす事武具の部に記す かしかけと云はなもかいの事也道照君草に云かけか おもかいともいふ也云之 一一鐙のちからかねを。ひしよかほともひとうかねともみどう かなつかひさ虫[ヒ 駈蚓みゝす かね共云は皆あやまり也本名はみつをかねと云也みづをかねを 證報ハ打つせり 書すト川違り 又尾はれをには アラス ひしやらかねといひ違へそれよりいならと又言違也或説にみす おとは蚯蚓尾也みゝすの尾に似たりみかすをかゝ云を略して みすをみねとそと此説非也我石抄にも延喜武主詮靼の乗 きんちやく草 右ハ無之 義経記衣河 をみりせるゝむ也譫雑とはちからからかわ也但委くい人有万渇 但上古の日章ニトキシキヤリ章ハナシタサキ付マルリスルナリ 一のさきのまろき形の所を候也延喜式にも力革并澄靼とも 一合戦ノ金長崎 太郎鎧のクサスリ 半まひかけてひ さのくちおふみの みつをかね馬のほり けていへり又保元物語の奥本隣にも鑓の力掌乞つを率 ありよこをもさすかともみつをかね共いふ也上古の鎧と かけて ほね五まいかけて きりつけなり 今の鐙其形は違ふへけれ共其名はかりらす力革もみろ をも容とは替るへけれ共其用ひ方は同記也 一馬の印に鹿笛と云形あり鹿笛は持人か鹿をあつむる 馬部ニ入ヘシ シ為に鹿のなく声をまねて吹く眉也その形を鏡印にして 焼て馬の股に出す也 鹿筋 円 此前を 吹ニシ 鈴の口の如し 馬の印には め此の形なる べし 木にて作る也傾我のよきたるあしきにて作りたる笛を ふけはよく鹿の奇るといふ事つれ〳〵草に見えたり 一鞍に柄立を付る事有り柄立ハ調度の事に記ス 一沈障は古は雨てに用ひし物也馬の足にて泥をえね上るを 一障るくなる故泥障と云也されハ晴てに用るハ略奇也 一式正の時又犬追物笠懸の時ハ泥障をさす事なるかし也 一手綱をはゑり懸ると云しりかひなどをばしりくそも 人唐記に見たりしばらぬは前後 輪に居木を結ひ付候付候也 一一みなれ薪と云はしばらぬ鞍を云也 一はたか鞍と云は鞍に塩手きつ付なとをしかけたるを云也 人唐記にしはらぬ鞍をばみたれ鞍と可申候しばりたれ共 一道具不付をばはだる鞍と云也 一一手綱と云は馬のたつなは誰も知たる物也旧記にたふさぎ ふんどし 此事小袖類の部 の事をたつなと書たるも異に の事なり 一装束の部に記す 一馬乗てからかささす時柄立を用る事旧記に有物立の 事調度の如に記寿 年貢の事也 一武蔵院は古武蔵国より貢物に禁裏一納めし証也武蔵国の 風土記ハ日本国 中ノ所々山川ナトノ 名物也日本総国風土記第は十四に曰武蔵円豊島郡貢横 名ノ由来神社仏 寺甲鳥五穀し 一祝鹿皮狐胆老兎血渓萩葭蓬鶴鶴山鶴高平諸 買類名物等ノ 事ヲカキタル 一会諸ノ辞設候阿無見与呂伊等云々阿覚ハ證也与召 ○上古書ナル 工へ今ハ全部 伊は鎧也伊勢物語の歌にむさし鐙さすがにかけてたの花 傳ラズウそ 侍りタリ にはとはぬもつらしとふもうるそ之又庭訓往来に武蔵 院とあり武蔵豊嶋都より出候なり 一馬場の馬を乗出ス鳥を馬場平と言乗り行々者手を 馬場末と云是古の詞也今は馬場屋の事を乗り出しと云 馬場末の事をなつはら云是今の馬九郎の詞にて甚いや しき詞也侍なとのいふへき詞にはあらず 一馬乗袴と云物古はなき物也古は馬のる時は常の袴のそば を取り前こしになしはさみと乗りし也是を小もたちと 云旧記に見えたり 一しかげくらと云は切付をしかけたるを云 一鐘鞍とは鞍の惣体を銀又は真鍮なとのうすかねにて 包みたるを云惣廻りは覆輪をとるなり 一鐘溢手と云ハにき丸鏡の如くかねを打て裏の方に 一常の塩手の如く緒をやすめ管の如くなる所あり 一馬屋の鞭と云ハ馬屋に懸而置くむち也一匹なす為也 初馬ニ序 付左ト略也 風呂記ニ云此 馬屋の鞭の事太竹の根を三尺寺可 切箒を生なるへし緒をはふすへ皮にて入て難むすひをえ てとんほうにはかへさすして一寸計に可切鞭にとんほうをは 早入鞭のかけ所はあいの板のむかふの柱にかけへき也鞭をえて 自馬の者つまる也云之 一一くすりぬさ又八木の事風呂記に云一る屋の腹かけ持の木に 一鍬形の様に二つゝあり此来は腹かけを押へさせんと見へたる とも名有へ之八木とそ也知人稀也又薬貫ともそ也云々 馬具寸法記に見タリ 一一びんどうすりとは力幸の先の丸き所也尤どうかねにて ひとうかねとはちから可ね也 すれる所也即みつなるはの事也 本名はみつなかねと云云 一一鞭に作る木熊柳也一名儀柳とも云紀伊国又土佐玉抔 カツヽ八ノ名 小笠原ノ書ニ見 にありまさきのかつみの如し長く外の木にからみつく物 エテカリヽルト云 好ム千ニ用ト云 也しなひて折る事なき故むちにする也土佐にては一名 ヘルハ非也ム千ニ用 ル木ナルユヘリツ 常用抄に くまふちとも云也又はつづる共云勝尊ト書は 見たり ツルト私ニ書フ ナルヘシ 一公方様も鞭をさし給ふ也風呂記に云鞭をは公方様も被指 一候也近代には法住院殿様馬焼江御成又鞍馬へ御成之時 一肩衣御袴にて被指也又恵払院殿様紫野へ雪の朝の 御成にも被指候也云々 〇一鏡轡と云はくつわの十文字の所を十文字にほりすかで ずうちのへてすかしなく鏡の如しに作りたるを云古き 一結師の書たる騎馬武志の絵にある物也鐘鞍院境 手鏡輿鏡鐙の各中院通方公の餝折にはりたり 一鏡鐙ける云は鐙のはとむねの所を銀のうすかねにてつゝ たるを云也酒井雅楽頭ハ右恭の許にて寛治元年 鏡鐙は半吉のこ に限るへからす 中の比院のうつゝ物をみせられしに其拝読證なり 絞具頭 からすれ 一もとは證は虫舌の證とにて舌先常の證の半分法也かこ ひどうかねの事 かしみをもわせりにしかこも上より下へたれ下る也 一水日朋鞍と云ハ鞍の紋に水絹を入たる也酒井雅楽頭忠恭 の許にて寛治年中の水晶鞍のこつと物を見せられし 其鞍の形山形の体肝基のこまの如く上の方三角なと手 形もなしつまさきの端打そりたり其体梨子地にて 一紋所々にちよして飲の所ハ水扇を少シ高く入たり水晶の 下に朱縁青なとをさしたる故上にすき通にて七宝 の如し飯の形本は銭より少ちいさき圓形をちらしたる を忠恭の好みにて牡丹の花形に改るれし由なり又 其鞍の塩手は鏡塩手付たり轡も鏡塵添ひたり 其境の形は杏義少し其はい論なり 一尻継と云ハ馬を引て行く時手堤をさして馬の先へ 一遣之様も引申候にも有り 当用折云字のしんつなを手説と歌申やしんつなとはかりそ先にも申ましき也人笑ふ也 いさみ進み走り出んとするを先へやるまじき為に手 縄をあとの方へ引か故尻縄と云也尻の方へ引付候心也 是引白時の名也馬にさゝぬ時には手縄の事を尻網 といふへからす手縄と多し又尻縄と云物別になし 飛騨守雅久筝也 に見えたり献并力革 鎌倉実朝公時代の人 一一施三年の絵巻物 の絵左の如し さすか上より下へ 後輪常に 一さかるなり 替馬事無之 前輪に 前後共つ 山形高也 力学 十一丁目 きんぢやく革 アブミ銀スリ下ニ なし クサミアル少ニウツシ謀也邦文 一力革の端きんちやく革といふ物古は無之後三年の合戦 の絵に見えたり力筆何れもきんちやく革無之又酒井 雅楽頭忠恭のうつされし寛治二年の鞍具の力革に も本はきんちやく革なかりしを忠恭好みにてきんち やく革を付るれし由忠恭物語せるれら也残するに 古の鐙はさすかかこひに付てさすかの先候へたれ向ふ也 さすかのさき下へ向て是にさわる事なし依之きん ちやし革なし近世はさすにかこくひに有と上へ向ふ故さすが のさき出て足にさつる故それをなほわんか為にきんちやし 一挙出来候也又古の説ハかこりしちもとほりにそくらぐる也 一寛治二年の鞍鐙のける 水晶鞍 半舌の 証也 古短シ 二サスカ 〽カコカ三ニフニ付 此證は横に ふむなり アシテシニシニシド立ル 鑓ナリ銀ヲハル 半舌トハ丸キ形を半分シタル 如クノ形ニスルユヘ半舌ト云ト也 梨子地 玉イツシモ 水晶也下に 絵ノ具サナス 手形なし 一後三年の合戦館に見へたり大婦さのしかかひ并くらかほひ なり今の世の物におかる事なしぬりくらおほひなり 一古の鞍には手形なきもあり手形すもわかり定らす 一古の鞍の図にて知るへ之鎌田兵衛政清平治の戦の時に 後三年の絵は 後三条院ノ時正キシ春日神殿錺馬ノ絵ニ見タル鞍橋ニモ手形アリ鎌田ヨリモ前暮ナリ 与三左衛門景安か貢を取る比ハ十二月十七日巳の時はかり 鎌倉実朝公 時ニ書タル絵也 一村雨ふりて鞍の輪につらゝゐて乗わつるひしをもも 平治元年ヨリ 実朝公ノ代マ二丁 わつかに五十年 ホトノ間也 手形を付けて乗れやとの給ひしかば打羽にて手形を 切て乗し由平治物語に見へたり手形を切事昔より 平治拝証少殿 ぬいていぶして 有之事なれはこそ手形を切れとは教られしなれ鎌田 手形を切にて ありたりけるくら二 より手形始るといふ説あり非也後三年の絵に手形切 手形を付る事 此時よりそばじ 此時よりそば まつける たり祈ありするに前に前に絵図をあらはすめし 一いにしへこの葉はみかいふくつりあり後三年の絵巻 物に絵かきたる騎馬武しの馬のくつに皆不残こ の葉はみのくつわをゑかきたり 此図後三年合戦絵巻物に 見えたり このははみなり はこトはことはみの略語也今云くつ王の事也 一後三年の絵を見るり騎馬武者の余に手綱と同様に 筋を染たる手綱の如くなる綱を馬の耳の後へ打かけて 一腮の下にて結ひて其あまかせ両方共に下へ引ほろして 鞍に打かけて乗たる図もあり手綱は常のめし又一ツハ 鼻草をかけてとぢかねにかの手綱の様に染さる綱を付て あまりを鞍に打かけ乗たる図にありくつに手堀には常 の如し口乙ハ手綱の切れたる時の用心歟又は口にくせある馬 のくせを出す時手綱をははなして口にさつらず其の端を 以て乗るへき為の用意なるへ之騎馬武者と〴〵く皆落 様にも非す三四騎はかり右の如くにて乗りたる図あり 一水晶地の鞍ハ前に絵図にあらはす所の水崩戦の体を 以て考るに水晶を細に切りて亀の形又ハ石畳なとに して青貝を摺又た様に鞍の悪地に透間もなく 水晶をすり入たる駒なるへし是も水荷の下には五宮の絵 の具をさしたる約成へ之是推量の趣を記すなり 万のアニ入ヘシ 万松院義晴公江州 葬礼方の奉行は し一葬礼の引馬の事穴太記言 定太山東陣事も記す 凶事馬の事又是 すへて凶事の時の 義晴公の 一松田九郎左衛門頼隆注したり 葬礼也 一門岐は松田対馬守盛秀 いろ女にひか五なり ウろしめしの物は 皆黒ふりにて 也先御先へ白鶴毛の太道に鞍置てにび色の鞍かけ鐙の 無紋を用る事 定りたる式なり 内に至るまで黒塗なり鐙はかけやうありと見えたり 馬具のみに限ら ぬ事なり 先例にて伊勢同石のもの御馬をハ亦毛人かりし二折ふし 乗賄は蒭の時 たいまつを持つ 仰也 煩しき事共ありて御厩の舎人にひかせて伊勢次郎 左衛門尉貞清へ人素服にて御馬に添て火屋を三度め 常の見趣を 用ルニハ介紋を くりて後此馬をは桑畑のかへける例にて妙安和尚の中間に 付るなり其役 は忌むなり 山馬へハ無故なり 貞丈言ふひ色は脱色と書て鼠色の事也 渡せば則乗てぞ出にけり 尻かひむなかひなそかひ塩鼡色を用之塩腹帯も 同所也鞍は王ぬり其徒の内も黒し院のかけやうはさす身頭を外へむけて懸る也常には 内へ向て懸る也候つるも勁くつわにかくる也常にはかへてまいすがなり 一厩の事三光内府紀言厩禁中には彼某左右馬寮被替御 馬候以此往様諸家ニ於面向早立既候武士ハ依レ為二守護以弓 一馬駕業然間於面向必立既御乙公武之差別也二間三間は 諸人通法也五間以上者仮分国之多少有之者員依為十 三ヶ国之評領十三間之一晩規模之由承及候 一一古代公家を用るれし歓覆今武家に用る物とは愚也才図 信 結砦草 同人 クラニカケタル図 綾三めなりの類也幅三尺斗長サハ鞍に打かけ錠のかこらひに至る等トナリ打鞍覆へ ト云ハ焼し張テポタル也透熱不成トハこめなりの類のうす約によく他用つすき 返る物にてシタルナリ綾にウフヲ付テモ作るなり地ヲ打タルニテ 仙寺ハ打クラ覆也 〽鞍わ打懸ケリ 草ヲ所下ニハシホリヨセ焼 此クラ覆年中行事ノ絵ニ見 酒井忠恭の 一一右の鞍覆寛治年中の制衣を摸シたるを即見て 許有之 一古例の図 ② ② 此立キリ 切目ニ丁キモアリ 木葉衝ト云 スカシサルモアリ スカレテキモアリ □□ Q □□ ○ ヤナ (2 鏡術ト云 ④ □□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□ アナ 一鐙のかけやう古は鐙はさするは高かしこの上より乗れ下り たる前の図の如し今はかこくひの辺にさするを付て 上へむけてさす也是之様音山の差別あり古の證にとも 一同し書也それりの頭外へ出るは凶事と用と吉事にはさす 吉事トは常 るのひ内へ入る也 の時をそ さすかの かしら ゆへ入る也 ○チカラカハ 吉事 吉事ニは鐙の 内赤シ さすかの かしか外へ 出る也 今世は常に凶事の時の 如しをすかのかしらせ外〳〵 出すゆへその老頭にて すね チカラカハ をはるむるゆへきんちやく年を 付る也いにしくの行革には きんこやし草無之 山事 凶事ニは徒の 内君也 一一津のふくりんの鞍と云は金露りんなとのことし前後の輪の 山かしまりつまさき迄角にて伏物したる也茂経記 しやなわ殿 に黒くり毛なる馬につのふくりんのくらをきき 今ま出の条 かねとり吉次う馬の そ乗なりけるとあり 事をいふなり 一一むかはきをくらほほひにする事多賀共後守高忠閉 茂経記 しなわ殿 小児をの也 書にそのしかし見えたり茂経記は くらま出来 奉らんとてつきげなる馬にいかけぢの鞍腰がくらをきて 大まだらのむかはきくらおほひにして出きたる 〇一ふくみるにつ王の事畳材物語になしちに申きたる白 近老草木の ふくわんのこえにれんしやくしりがいの山子きいろなるを 葉ばみを見えに おもかい付の下 を混ずすねせく包がなるおりひつゝを包たる積之失ひたと見ゆ是あしこくつわなるへし能にも安気ふくみ たるといふ事なるへし今にてもふくむし ふくもつわ 万事許なら丁 かけふくみぐつことにこんのまつなをいれてそのつたりけるとその手井戸に 追物可考 弾正曰凡 一れんぢやく難と云は大ぶてのふさの惣吉也延喜式漢曰凡 式 曽我物語なし 打上ませたる内 ぬくりんの鞍に れんじやくしり 六位以下鞍穀紛虫得連著但聴著新衢及後来云々此心ハ 一且喜年中の法に六位以下は鞭の緒を並へひゝらねそつけ 名の山ふき色奈 るをかけ たるをハ用る事をゆるされす組獄の辻の所と皷の端〻ニ 綱を付る事をハ御免被成と也難の辻とハくはち候への所を云 也連着の二字をれんちやくとよみて綿をいくつもなとづら 八十リ ねて着る也此連着を大海之になさの南北大ふさを以 帰さとも云也潰抄曰古戦ニナリ総題近代難息大焔亡云之 然しは上古は小総にて其後大綱は出来多物也又鞘の辻 日にみちかへの 事な也 にはかりふき一ツ付たるをハ辻絵と云也桃草葉葉葉葉葉葉葉葉葉葉葉葉葉葉葉葉葉葉葉葉葉葉葉葉葉葉葉葉葉葉 に連着に綱辻綱と見えたり延喜式に若耕衢は 一此事也又前に蔑なかとゝいにしへは難と云はむなかいの事も 山内にこもる也室町屋の時代の書なとにはなもかひも其 内にこめて云なり犬もがひせは上古はほもつらといひて 籬の内へはこめていはさりし也 又ハヘ二リガヘ スハヘコシヲ 一梵獣といふ物ハ詳ならす餝抄に林薪の石見見えて赤消 スワヘトヨム 世俗浅深秘抄ヲ見ルニ 或ハ朱浅底サ一寸四分両方長サ四尺三寸などゝ間へたれハ革ニ而 スハヘシリカイ赤ナメ三 草二二丁又イタルニ相 違ナシ焚鞋ト木口 作りたり難然と思はるゝ也木のすはへに枝なし建戦革 葉付干店餅ノ 具ニ用ルコト見タリ にて作にて調なき故木のずはへの枝なきに答へたる物歟 一五六の鐙の事既に前に記若し貞丈按州二前の説米 土蔵半傍三石のおもりを加くると云説を如何也五六三石か五六三百目 周請に尋通に 寸尺り 因幡もならずと云 か来る銀か五六とはかりいひては何とも知れぬ事也五六錠 五六鑓之 と云名上古の書に見えず近き帯よりいひ有したる浴語 又末に記ス なるへし俗わ村木の事を五六と云也大坂道禅入道かに不苦 大平記に云誓の事 霞集と云馬街の書にもほそ橋を馬にをしゆる事馬サ 一大年記に云背の事を五六八九寸ノト云大小 □□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□ 此我木の事も我々 一尺計木だいをして其上に五六を三ツわ多して其上せ五 推量にとたし心 なる事はアラス 六度馬をわたしとあり五六を三ツわたしは材木をわたす 事を云也是を以て思ふにかすかねの鑓の内に木を入るゆへ三は 材木ヲ五六分之云ハ の證といふゆへし帰かくむつかしき義理有べからす 一幅五六寸あら 木の事也しかれともその五六寸のみにもかゝはらずしてすくての 材木の通ねを五六といひならはすなり 一七百日細工の證と云物東鑑六の巻に見たり其外文に銅 一細工事七条宗記大言之又七条記吉丸トアリ文七条紀大守貞 トアリ是を以て考れは七條宗記大丸守貞といひし先は銅 一細工をする者にて銅の鐙をも作自しなるへし 一一五六銭の事薄き鉄鐙の内は木を入たる院也且喜式の相馬 五六端の事又 下に見たり 四分鞍指木鐙料 五勺銀料 一寮式に云際四合五勺 とあり此木院とあるは 五六の鐙なるへし春喜年中の鏡と今の鐙と其形は相違 有にもせよ其作り方薄浜に作りて木を入て潔て 一大進物院ぬるは同事なるへき類 紅熱周後之吉先番よりも方計も多く幅も狭々ひも短々作る也 一たちきゝともおもかひ水すけとも云はくついのからみのさき おもかひを返す所の輪のあるかねをいふせ記 に見へたり 弓馬石実図書記等 に見へたり 日々つ王の名所也然るに今は其所に付る原の飯さを候たち き候共おもかひたすけ共云は非也ふさをばたちきゝのふさ なもいひたすけのふさ共云へし此湯さ古は無之物也古書 にも古き絵にも見えず近代用之功也古き絵にはなも がいの結ひあまりのふてはかりを書たり 一一みつつきと云も日つにの名所也小笠原備前守持臣入道 一浄元の書品これし日々つわの図にはおもいひを返すいね の輪の所をみつつきゝ書替り来りこの義の末に宝徳元年又弓 又弓 十二月十八日とあり 馬故実の図にはひつ馬をみつつき共云分なり是は今の世よ 云ひ習スと同事也 弓馬攻実は伊勢六郎左衛門尉貞順の書也 貞順ハ天文永禄年中の人なり 宝徳元年 より永禄元年迄は百十年程のる也古はならち賀ひ返す所を みづつひにたし哉後にとなへ違へてひつ手の事をみつ つきといひ習したる者歟不審 一泥障をはたくるもいふへからすすぎ無也旧記には皆さす おもかいもかおもかいもの とありしりかひむなかいはし懸ると云手つなとは名り かくると云手綱を松ぐるをハすくると云鞍ハをしこと虎ハ はめみつしと云もためと書ははま 懸ると云日づてははませると云へ 世事と云事也合口の字なり 馬の 馬の毛をつくろふをはだけると云 水内をはうつと云 水間也 一鞍の四方手の名前の左をさつつけ前の右をもつづけ後 の先をしほそ後の右をかとめといふ説は用べからぞ四ツ 共に本名しほて也とつつけと云名は源平盛衰記奉事 記なとに見たり敵の首を取て付る所なり故塩手の則 各をせつつけと云也御つつけの緒とてしほてに緒をむ すび付置も首を取て付候為也もつつけ諸ゞめなどゝ いふ名は古書に曽て見えさる事也用へからず 一一練鞍と云ハ下地を卒にて包み其上にねり物を付て地 をしてぬりたる也練鍔と同しこしらへなり 一一佐々木懸といふ説の事式説を佐々木四郎高継候事 宇治川の先渾之時力革に鐙を懸に常の如くにかけす 左院を右へかけ右院を左へかけたる故右の如くするを作置 翁語盛衰記東鑑には見へず是 是外かけト云カケヤウニテ徒のカコカシラ 掛といふ云々 外へ出る也是を紀州カケトモ云ナリ 右の説終也佐々木掛 と云ハ力革に掛る事にはあらす五六掛加賀掛など 言如し掛とは鐙を作る事を云也近江国日野と云所にて 作りたる證を日野掛と云日野掛の證を佐々木掛とも いふ也近江国ハ古佐ニ木氏の領分にて有之故佐々木 家には日野掛を用ひしに依之日野掛の事を仕て 木懸ともいふと也日野掛の鐙は常の鐙よりハ小形に見へと 惣体所々に関を付す丸みなくして直なりはも〳〵 むねも申尊ならすゑみも甚浅し沓こその折目 も急也舌先の外表の下も直に平也かこくびの上の 印を初もく歌かして其すかしの内にみずおがね ちからね の事也 なさまりてあちらへもこちらへもみすなね出入する也 近江国 日野懸灯図 一名佐々木掛 ミズヲカネ スカシノ内ニ チカラカネ 入ル両方へお 入スル 八トムネノ形 め此申高十郎又 丸ミナシ 外 ヱミサシ 此中通り両方に 一同し高サナリ 此所折目急也 丑三度浅之 カドアリ モロ 五之 一鐙のゑみと云ははとむかねのくほき所と云也咲ノ字を書也 人のゑらぼの心にて名付たる也諸ゑといふははとむね 三川 三子 の形三ツ峰也其形の如此也又片ゑみといふはかたいふはかた〳 計ゑみあり力革わかけたる時外になる方計にゑみ 三ツ片カトアリ あり其形の内如此也又忽之なしと云は一句にゑみなき也 其形如斯乙右三の図ハ證の外はとむねの正面 よりまむきに見たる形なり 兼良 兼良 の尺素往来 一津野鞍といふ鞍一条禅閤──────一津野来にはんへなり 一桜雲記に甲州津野村といふ事見へたり伴野鞍は甲 別伴野村にと作り出せし報をいふなるへし 一説渋濃国伴野庄と云わり此所の名物十リト其云へり 一一つぐら切は防己の蔓にて組絶たる也武雑記云躬贅化つゞら 是ヨリ前十五枚メニモ 切付の事情の時ハ可被用候絵をかき候はぬを用事は不及見候 一ツヽ切付年足りつゝて テ作りけルハ鼓ナシ ミウロキ板白十メシカ 家の敵を黒るゝ如きて可被用候大かたひとの時は心三ツ被 ワニ干包タルヲ代ニ 用事アリサシトモ 用候云々三好高御成之砲御門之旨切付御紋三リ黒湊幸阿 本ノ名ヲ失スシテ 革ニテシタルヲモツハテ 弥絵之ヲ有之或人共つゝら切付ハ葦等ハあらず葛藤にて 切付ト云ナラレ本ハツヾ ラ二二テ作ルナリ 組たる物也革にてへりをわる古記絵にも見へたり云々此 白衡又云白キナメシ 幸ニテ作リウルシニテ 紋ヲ書ト是又ツヽ弓 切付ノ代り丁リ 諸尤よし正説なり宝町家の時代につゞら切付といひし 又貞術説白キ精好二テモ包ム黒ク紋ヲ書クト 物はつゝちを組也 白十メシモ白色イコウニモ葛ニテ粗タル切付ノ代也 ト思ルニナリ葛にて作タルハアシキコトアルユヘ後ニハソノ代ヲ用シナルヘシ 永正の比上原壱万宇 切付はつゝら我家の紋を以 上竪記云 出竪家の紀少に書也 なり付る也又はうるえにても書也又江北記言つたち切付 本也なめしは略義也又高忠閣書云常に出笠掛心方附 はひ義はるの切付不苦「否な也」御手組又はれの右笠掛の 時ハつゝら切付なるへし惣てつら切付本也 おりしう 一名袋しりかい 上野上抄之 一夕口坂東しりかい 一なりしりかい 永正九年結城左衛門殿 国家カ記タル書ナリ □□□□□□□ かひの事是より 前十五枚〆百七アリ り中ふさなりしうかひ也名を御袋艱とも云也坂東鞍共 云也貞丈操織にといひ袋といふによりて見れは平打 の紐の袋打といふ物のことく組み作りたるもの成へし 馬の部に入三十リ 一古衙の図二所馬の部ニ記スル 此部二スヘキ也アヲ取干力一テ 一古代公家に用られし鞍覆の事馬のり記す 同断 此部ニ入へも 一一読鞍と云ハ前後輪の壺を一面に銀又ハ銅真鍮なとにて 予か家に鏡蔵 張り包み山形の上よりつまさき迄同年にてふくわんを を蔵めたり是を 見て知へみ是を 見ぬ人様との方様 忽にきろを打て留る居木先もかねにて包み鉄にて をこしらへ出すなり 留る前後輪蓑の方居木はかねふて包ずたなし ぬり也鏡報異説多之用へからす皆知らぬ人の妄説也 諸鞍の記を考へし 一衝の頭の輪をたちきよと云今世たちきのふさを付る 末にも又アリ 所の輪に切目ありたちきかと云此切目は河の為ぞと いふに古はたちきものふさを用る事なし直にほすかひ を通して結ふ也おもかひのふさ大大にして輪に返り 〽かたう仍ほもかひの耳の 耳 たちきりより入る也如け国通二干結こり 耳たち ヒヨウカモ同イソチヤウソチ フロロヲモカイ クツワツラトヨム 今ノタツナノ事也 一唐 街 八ツヽミナヨム今 同シ今朝同シ辛クノコト也 一徐ノリツハ 一食同シ飾日シ草ノコト也 徐ノツツハノ事也 クラホ 鞍瓦を居木事 一鞍橋杉様鞍尾壮二鞍橋前後輪の事トミ鞍瓦を居木事 一鞍橋 クラホ子ノ形橋ニモ瓦ニモ似ル 一牧鼓橋片鞭尾片方也 とする説あり甚設也居木ハ鞍板と云也 方モカイトスルハ 又籠頭片稽 一馬頭を絡を綱也アラヒカツヒウヒリント アヤマリナリ ヲモワラトヨム 一瓢頭 一五六錠の名蔵諸説多けれ共倍用すへき説なし愚操には 合力説なるへ之鉄と木と力を合するの碁ならん記力の 字りよくもりキも読む又口り片読也口クハリヨクノ神シ多か音 也録の字童りヨク也又曰クモヨム同例也 一むかはきはる時は泥漬はさすと云説有むかばきはき たる時のみに限らずすへて犬追場笠懸や帰さめ開陣 なと万上のわざをするに必泥漬をばさゝぬ物也泥後は たり餝り道具也騎倒の方ニハ益なき物也 クハセンノク 赤花毛氈の鞍覆の事又火煙の鞍落ケ浦共云京都持薬の御 ヲ□ヒ□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□ 是ヨリ 前サ三枚に 物なら故其時代禁製也赤からす外の急とも猥に筆も猥に用也 アリ 此毛氈と云は今世のもこせんにあらす今世の何と云物也異義 より渡るゆへ並人は用る事をゆるされす御め有は用意也 是赤毛セン 御免ノ御同書也 │此引付伊勢守同意 御用書引付に云り 調達の引付迄 白金弐朱代表共 猪小幾ナリ 就日傘袋赤毛氈鞍覆御免之義太刀一腰家助馬 一疋 一帯毛印 雀目結 青銅五十疋至来目出ル也 大永二年ナリ 八月十一日 是はたゝのもう せん御免ナリ赤 三雲源内左衛門とのへ 為白傘代衣毛氈鞍而復教免之侭太刀一腰真守馬一疋 二丁ハ十キナリ 河原毛印 両目詰 一麦眼五千疋到来引出候也 大永二年ナリ 六月十三日 浦上指都筋とのへ 是ヨリ前 │又室町記言応永三十一年 一一葬礼の馬具の事前に記と 十一枚メ二在 甲辰二月廿七日御方御所様溜替申刻御圓数廿九ゟ御 一答毘アリ野御馬鹿毛笠懸被遊御馬也管領ゟ止也御鞍 一は内銀御子に付此御鞭背具者去年相国寺御幸法御定時ノ 貞慶ノ曰キ手綱ニテ引之○貞笑云此時タツナリ 一御鞭也御手綱腹帯分同布 貞安後綱 ハラヲビ白布ヲ用 凡太記ノ文ヲ記ス タリ方松院殿ノ時ニハ二ヒイ口ヲ用タリ前ニ穴大記ノ文ヲ記ス ノ曰ニテモニビイロニテモ用ヘシ 木ノ太サン末ハ五厘ホト細クスベシ 一一くま柳の鞭こしけへ様皮を削り去る是ほどの太サニ削り とつかの皮のたけ めは穴の通へスヘシ カ一丁又キリ皮ノ夕 ウデヌキノ皮ノ夕 ケヲハ内ノそりニスヘシ 鮫の皮にて磨き扨とくさにて磨ら也扨黒公にてぬり世之 めうるえ野ぬりからして其上にらういろこるしをくへん かけへてとつめい相応なるふと花の竹筒を六寸に切て皮 ◯如斯の形にして内に を去り上下を削りのめて内に 麦うるしを付テむちの本にも麦うるしを付そ竹の筒に さしこみとからし置へしかれ翁後うてぬきのあなせあ 一式器皮 むらの下地に布をそ世又は 麻苧をまきうるし地なと けへし筒の上は黒皮にてぬひ包むへし をするはわろし如此すれはむちの外かたくこはくなるゆへなれやすし 一鞭のうてぬき皮とつかゝ同し 一馬の鼻皮の数を一間二間と云事馬を馬屋につなき置に はなかわを以てつなき置候故馬屋一間の分二間のほと 云事にてはな皮を一間二間と云数り 唐のむちは 一鞭はふときは馬の不ねを痛めて悪し少細きも志なひ 先に革緒を付る 其草にて打工へ 馬の皮にアタリテ 骨を痛み又唐人 年乙 て肉をいためてほね迄つよく痛めずむち打枯むちを 上て少持つ様にして虹形に打へして古書には日伝をふり 十一 如此ノ形アリ是ヲ以 一けたるいきほひやそのまゝにうてはあたり強くほねを もへと いたむる故少いきほひを吸きてあたかをやはらかに すへきかための御聞也ばくらこの打つ如しいかりて力まかせに うでハほねをつよゝいたむる故わろしむちうつ本意は 馬をおひさすとてのれ痛になす 如此なる物有り 一くりわのおもかひ付る所に たちきりの輪 此われめをたちぎりと云 おも 右のくつにはたちきり右の図の如く広し此われぬへおも かいをそはめて今こ めけに入て結也依之古はおもかひ 一谷たちきりといふたちは たすけを御用也後代はおもがひたすけ すりのふをといふへ遣事也を 用るゆへたち切のわれめを授くなし合せて作るゆへたち切の間 三川王のたちきゝの よりほもかひを入る事を普く人知らぬ也に 輪と云はたちきりの 輪と云事をあやまりいひ伝へたるなり 輪をたち切てゆへの名なり 一三かいと云詞言はなし古書バ鞭と書て三かいと惣名にし 堺町 ナトニ 又掛ノ字力ケ片 又面掛物掛尻懸と云 カキトモ唱る也一件責相通スル故ヲモカイムナガイシカガイト云流 後代三ガイと云習シタル也 一佐野三カイシホタレ三ガイトモ云今世周之下野国佐野庄より レ此取より出るヲシボタれ三何ト云 一他御出ス又作餅ノ西方渋垂位知シ此取より出るヲシボケれ三何ト云 一たかひ名ふやとの尻に掛る物也あ也あ也あ也あみあ也あ也あみあみあみあして ふさ付たるもあり羅紗又は輩にてしたるもあり是 ふさなし何もなき物也近世用之なり故実なし 一今世進綱と名付て紫色の納緒の太に総せ今也大名の引一るに 用之たき古代なき物也古はさし縄共手縄とも云て布白紺 薄青の三色を三ツくりの縄にてくつわにせして引なり 又白さし縄も又褐色のさし縄とはわ東陣に用之 一八ツ鉢手溜と云は馬具の名にはあらび手綱之取様のわろき をも也馬類の申記スを見べし 一手紙のはかりと云は手綱のまん由の事也一るに手綱を 恵りかくれば手崎のまん中ハ多はみてまかる故也 一手綱をゑり加くると云はゑりはよると云々同じ手綱に 少しありせかけてしかくるゆへゑりかくると云也 一しわらぬ鞍にきりはりを入ると云事自助雑記か見へ たりきりばりを入るとハ木地のろみの前後輪に居木 をかけてあふの聞て鞍の内より前髷の居木の穴と後 輪の居木の穴へ細き竹を十文字に穴て穴へつゝはかたる をきりばりと云なり左右より竹を十文字に穴と穴へ つきはり置なり共れはしばらすとも持とき侍るゝなり 塗は鞍木はきず付焼きりはり入すかり二紙よりなり にてしはる乙木地の鞍はきりばりばりを入るなり此の両 先ともに矢の蓑の如くきりたるかよし 作りみわり仕様伊勢周満家伝 一筋ツゝめえ 一真草行十二 此シハリ汁也 〇〇 ○○ 38 二〇一〇 三〇四〇 ○○ ○○ 初 前 終へ諸一カラミカケ三二丁一筋共こ 一紙ニテ巻入前々左三干留後は右ニテ 雨 如斯ニスゴンツヽカヽル初ヘヘントホシ諸ノ妹ヲヨリメヘ入テユリコスク カカシヲノツカラ衣助ト云ル也 シバリ縄ツトサホワキ筆ノテクホトニテヤワラカニ ツヾミノシウベノ如クニツヨリ合スル縄長サ全サシ一丈ア レハ四方シハラル也縄ノヨリカタキハアシヽ 此見ニテトメノ緒ヲ穴ヘヲ穴ヘヲ穴ヘヲ穴ヘヲシ込ヨウ 何方ニテトメタルカ如此スレハトス 此木にこの縄ヲカラミシムルナリ 見ユズ 一竹の根鞭此原竹の数差別事弓馬関書に竹の様のむちは 紫竹の根也岩升とはむらさき竹と書ゆへ紫は五包の外の色成に 一依て平人御ゆめ〳〵不可用也公方様吉良殿なと御見云々 元来紫紫竹は船約也色もむらさきいろなり此限を尤ちに作る を芦のむちとき淡竹はむちになる物にあらず此の根 むちハ真升の後也本草綱目巻廿七木五行時弥白根下之 枝一為雄一蕎雄七ツ笋其根鞭喜行東南けへ此竹 俗ニ云はい竹也此真竹の根をむちにする故竹の根むちと 云也今用而竹根尤寺ハ近江国粟本郡市津而出る本は 美濃国ゟ出るを兵庫にてむちここしもゆる也唐土ニ而ハ 本草橋目 桜本 南雅見たり 一据木ツヨリ此木を以て一る鞭を作るト云 一谷粟寿木共云也又云芝竹のむちは常の扉の根むちを 雑気にて能色を付屋上の古竹のことくたし取ゆる品を 一紫竹のむちと云て公方様吉良殿計御用ひあらし事有之 有りなるへきや可考 一十文字啓古代より有し物也永正日記云十文字輿に 十文字変名見へたり宝徳並中に笠原浄光寺矢名 所記とも十文字轡の図有り 一張革鼓張鼓の事二拍共に鼓惣体を皮にて包候て るを云なりされと少し其差別あり張革勢は潰 草にて張り付包みて造遣るを云ひ又張鞍とは毛皮 にて縫くゝみ包み造りを云也張鞍にハ毛皮を用ゆる様 列に鞭覆を恐ざる物也鎌倉年中行事云 張鞍は鞍覆力ケテ重事なし云々