裝劍奇賞
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- 稻葉通龍
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- 2026-08-17T19:23:21.347Z
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- 場所: 大阪府
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- 稻葉通龍
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- 日本語
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- 秋田屋市兵衞
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- 10010000001897
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- ショウケンキショウ
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- 東北大学
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- 2026-08-28T18:53:25.651810+00:00
荷主船舶
序例総論
一壮水制可賞構述
稲葉新左衞門述
花里川を
一十一丁
京訓載
装剣奇賞し
大阪書林大野木宝文堂板
■代新照院閉室ヲ
蓑飼奇賞序
以テ購入セル府衛博士
狛野亭吉氏藩蔵
識鑑品定是レ人ノ之所欲也
而ノ不レレハレ以二其ノ法ヲ一ヲ則不レ得也浪
華ニ有二稲葉氏ノ者一ノ夙ニ嫺二識鑑ニ
其ノ能ノ辨シテ眞贋ヲ察スル二紫朱ヲ六ツ猶一
薛燭風胡カ之於レシレ釼ニ下和カ之於
群ニ伯楽サ之於レ馬師曠ル之於
聲ニ易牙カ之於一レ味ニ也遂ニ以テ
得一ル名ヲ于都下一ニ一者ノ数年矣属
者欲二弘ク伝二ト其ノ法ヲ於世一ニ而著
書ヲ名一ク装劔奇賞其ノ為スレ書也
再為賞髪於刀剣装飾之
具ヲ設シテ而傍附以ルニシテ以上ニ以上皮革齒牙
骨角玉木彫縷スル者ノ琢磨ル者
画ク者疑スル者ノ諸スヘ佩譲ノ之物ヲ乃
品定古今ノ名器良工ヲ一矣於上
是人成可シ二以テ得二其ノ所ヲ一六ツヲ歎ナル也
辟フ之ヲシテ以テ二一成ルニ上方員ヲ不レ必二
妻明翰巧一ヲ矣以テ予カ公事ノ餘
力間レスルヿヲ斯ノ文ヲ特ニ請フ一言ノ以
冠之。夫識鑑品定ノ者博物
之一助亦君子ノ之所欲スル
予既ニ嘉二弘ク伝二弘ク伝二其ノ法一法一也乃六
至ル下以テ公事靡シヲ監謝セ其ノ請上也
巳
第一
天明改元冬十月
東都源頼行書于浪華
鈴木街偲怡軒
調
装候留奇ノ災
装候留奇ノ災叙
万山之解有古和氏
而知焉豊城之候留
有雷焼氏而儀焉若
去不寝二子句門照二薬
之若美終朽団計之
気徒没而已には不惜
乎にて悲見安聖誓
候向音不是貴向二子之
は浅野是可謂世之
至実や松平知や哉
識やき并聞人
稲葉通龍其資性之
心好同刀参之荘育に至
凡金銭玉石及皮革拝も
云類土居去之儀之早黄
釜布衍者印之札に聖書之
おと留不参や哉於是乎世人
亦靡然以許焉云述者著
装候留奇賞之一案以便
お世みに事家豈か不謂
足は無之所業札書本尚
後依花井門之徒鳥山播せ
者売公実之云美深土の
顔は浅売金之献込
鈴香為東方之下雷者
而遂叙焉
天明紀元中秋
伏水龍公美書于
鳧川三橋之尓雅高
□□□□□□□□□□□□□
藥
團体
三日本
四郎太
博識強記吾不之能也不有由
焉孔子之以翻読羊後実子産之万
実貌台験一事博物帰蘇之號
称博学洽聞猶不奇石穀之出
字文周偽は錯認用宣之物熱候略
衆歓異終不免儀壱之儀鑑定
之義は石然千益
本邦装飾佩刀其旨の五金之
英而其権象利形小川人物羽鱗
羸な驚き角者衆世孝芳矣
不有焉至其真上精緻絶妙殆
逼莫矣恐不俾桂葉棘猴専
美前古矣知者創之為沙断其述
之為氏園工族工於壱分分等而欠
之価亦随右倍従沼華稲通龍
素名前讒言頃菩装篇奇矣
分類装刀寄系譜並成品騰候供
後置之求
本邦之仍以佩力為君子弟一儀神
家飾之也記曰衣服奉祈而不知共
名か図不何め歳は難不能自識の
也扨是書以得前其名不亦尓尓千書
以贈云天明元年夏六月
が海ら猷撰
自序
あまねきおほんうつくしみのなみやしまの
ほかまでながれひろきおほんめぐみの陰、つくば
山のふもとよりしげかもたゝへしにおとらざるおほん
時にあひて、あきがしはうりかふものゝおほかるに、
ますらせのとりはくつるぎだちをなりはひと
なすなん、あやしうかしうかりけれど、ちはやぶる
つるぎてふたゝはしき神は、おのがほど〳〵によそひ
かざりて、たふとみなごむるなん、をはさまれる母のみさほ
なりけし、さたれいたづらにみやびごとゝそしく、あな
がちにすきものとのみいはんは、いとほいなし、おのれとし
ごろ此なりはひに心をいれて、これがふみかゝんことを
ねがへど”あき人のいとまなく、まいてふみのきうとかれば、
ちゞに物のみ思はれて、ひとつもいひ出んすべなきを”
おもひかへせば、ことばうつくしう、心たかうかくべき、
ふみにしもあらず、此なりはひにおひたつわらばへ
がために、そなふべからんに、ものはぢしてむなしう
しはてざらなんは、くちをしかるべしとなん
山にしめしまに〳〵書いづるに、おほよそたち
かたなの事は、こゝら文そなはりて、さらに
いふべくもあらずめぬきふちかしらやうち
ものは、いまだくはしうもみえこず、これなん先
おもむかんと、このたくみのひじむ、後藤のなに
がしよりこなた名たゝるたくみのたくめるを
品さだめしてあさぢはらつばらかならぬとも
かきつめやがて梓にものせしなんあき人けち
あぎじひながら、かくものせしこそ、あまねさ
おほんうつくしみの御代にうまれひろきお
ほんめぐみをあふであまんのゆたかながためし
とありがたうかたじけなうおもふたまふになむ
なには人稲葉通弐紙
友人近藤忠蔵写
なし
装劒奇賞例言
一此書つとめて目貫小刀柄笄等彫物の作を鑑賞
する事を要とすれども。凡目利は其の人々の自得す
る所より出て。筆して伝ふべからざるの理あれば。其益
なきに似たれども。亦いふべき事のあれば。これをし
一類せり。かく其旨を考。己が意に推軈て自得せば
一目利の助とならざるにあらず。是梓行におよぶ
所なり
一此書はじめに装劒家のこゝろえとなるべき。十が一
一を挙て多きをもらせしは。もはら彫工の名譜を撰
ずるにあるを以てなり。故に後藤氏十三代より。
諸工の系図を出すといへども、猶名譜品題の条に
一於て、再び俗称別號居住及び師傳を出すものは、
一事を丁寧にして捜索に見易からしめんが常に。其
重複をいとはざるなり
一凡彫工の銘する所の花押。其見及ぶものは尽く此
を寫せり•又いまだ見およばす•或姓名居住等詳
ならざるものは、知得て後書補べき料に。姑挟白を
備へたり
一彫工の名譜は。各其頭字を類聚す.其巧拙を以て
一次第するにあらず。索法は詳に奥にしるせり
一名譜中其作を品題するに、名人といふは上也、上手
とあるは其次なり。余はすべて庸工に属せり•名人
上手広工の事。総論の中にいさゝか愚見を述たり。
譜中の足題此意を得て見るへし
一此書目貫小刀柄笄等の名目尽く其原始を挙
ざるものは、是故実家のあづかる所にして、商家
の正すべき事にあらず。しかれども其がたはしを聞
得たるはもらさんも又いかゞなればあへてこれをしる
せり、唐突のおそれなきにあらず
○列二一迄暴官戦
一凡彫物のはしめは、後藤祐乗を祖とす、故に此を
元祖と称せり。しかるに祐‾乗より前に市川彦助
の某ありて鑿三本をもてはじめて彫物を二る
よしいひ伝れども、世已に祐乗を以て元祖と稱
但祐乗を元祖と称する事は.
ずれば。復論を客べからず。
後藤氏十三代の祖なるを以て.
彼家よりいふ所なれども。今はおしなへて。彫土の元祖のごとくいへるは
其家の家たる所にして。名工の余徳といふべし
一職方に伝ふ所の。金具色上滅金赤銅等。合せものゝ
法、或は其秘する所といへども、こゝに出せり。是商家
に益なしといへども。家業を精くするの心得にもと。
菜を買ものゝ多きをよろこぶの笑ひをそへたり
一此書釐て七巻・其第六七の巻を附録として、佩
一垂の事を挙・はじめに巾着筒乱に用る唐草類
を図し•其見様を注し•次に印籠師根附浅の
名称を出し。又根附の図を寫して評を加へ。
に緒下の玉石をあつむ・一応今の世に玩び。或は
商家に交易する所に至ては。遺脱する事なし。
其奇怪の品に於ては知得べき所にあらざれば。
これをもらせり
一余十年許前に此書を纂述せん事をはかりし
に、当時事故ありて、其緒に就ず、荏苒として年
所を経といへども。これを畜念して忘るゝ事あた
はず、しかりといへども余が文筆のたしなみなく。文
に商賈のいとまなきを以て、草を起す事を憚
しにおもへば馬歯已に加・漸に半百に幾つかんとす
れば。其志の遂ざらん事をおそれて、客歳より家
一業も廃し。交遊をも謝して。此に稿を脱するに
至れり、凡此書の類、向采いまだ全備せるものなし、
一余が謗陋を以てこれを備ふるにあらねど。此書幸
に四方に流布し•達識の人補正あらば。遂に全
一備と称せらるべし。尚其賜を蒙らば余が功亦小
なるにあらず、しからば此に傲然として、撰述の名
一を胃もとむる。其罪をにくむ事なかれ
天明改元辛丑五月
芝翠館主人春禽通竜識
式
十一日
○伊野芝翠龍
装劒奇賞総目
巻之一総論雑述
巻之二諸工糸譜後藤氏家譜
附同苗
諸工
巻之三諸工名譜其一
其三
巻之四諸工名譜其三
巻之五諸工名譜七
其三
彫工用具品目
彫工伝方名物鍔図
巻之六唐草類図抄印籠師名譜
并図
緒ト土石類
已上
裝劔奇賞巻之一
週詰
浪華
浪華稲葉通龍新右衛門著
総論
魚
○凡目貫小刀柄等彫物の作を鑑賞する事は。刀釼
の真偽を弁ずるより難からず。先家彫十三代の盤の
趣を熱と心に領して。私に其約束を定めて、何代目の
彫は某の塩梅・何代目の整附にはかゝる気象ありとい
ふ事を朝に試み夕に考て一瞬に彰然たるが如く
にならん事を工夫して後は。他作を見分る事を自然に
貫通するなり、しかれども、多く取扱ざる人は。至てむつか
しきやうにおもへど左あらず。家彫を尽く見覚ずとて。
一作の鑿痕気象其品の等位をよく見定る事を鑑
誅すへし、是捷法なり、其故はすべて名人の作は。家彫に
かごうらず。気象の高をあらはし。庸工の彫は巧なりといへども。
心持の卑に見おとる。此高といふ場を心に踏目に熟せば
庸工のひきゝ所は.一臨して弁すべし
○家彫.又は上代の作なる小刀柄笄の二所物は.必納子を
蒔て地とす。納子」蒔ざるは祝儀に佩べからざる事。猶鞍
に海なきを用ると同例なり、石目地廉は妙事の風流
かして式日恒例の佩料には憚るべしといへりしかれ
とも、近代は家彫にも鯛子を蒔さるもの見えたり、但
縁頭は小道具にあらず。切羽錘等
縁頭は其沙汰に及ばずと
と同しく刀装の金具なりの納了
を。七子とよむ事。字義にはあたらす。其細点を蒔事。魚胎に似たるをもて。
名つけたるなるへし。魚を古語にナといへば。魚子の義にて。ノをナといふ
は音便にて古言に
其例少からず
○元祖より当代に至まで、目貫小刀柄笄より外、彫事
なし、但徳乗の頃より、縁頭鍔など間見えたれども、
至て稀なれば。必ず珍重すべし。近代古作の小刀柄并
の金穀などをはづして縁頭。又は縁に或は錘にからくる
ものあり、又新に下地より彫.色絵舎紋毛彫物も作ら
るゝあれども、甚希なる事なり、これ其作るべき所に
あらざれとも。或は拠なき求などにて。はからざるに
出来しものゝ希に世に伝ふならん
○芳洲雨森先生曰.天下ノ伎藝各有二四等一等一等一ニ曰偏慈
二ニ曰功者、三曰上有、四ニ曰冥尽、君子之於レ道亦然矣、
と今彫工を品題するも亦かくのごとし。余此編に評す
る所、先生の説によつて。三等を定む、天然に巧なるに
猶錬磨の功を経たるを名人とす。是神境に至るとも
へる第一等なり。次を上手といふ。上手に三等あり、
名人に亜は上なり、下手より修行して、上手に至るは
工の本望にして、上手の中等なり、所謂下学して上
達する是なるべし、又新奇を工夫して一時に称せ
らるゝは、上手の下等にして。時をうしなへばすさみ見
おとりするなり、右名人上手の外を、すべて庸工と
す。肩工は肩工に終て。其痛一にあらざれども。概す
るに其心持のつたなきより出る所なり。されば万の
工はこれを心に得て手に応ずる所にして。心の高
ほど手にあらはるれば。工めるものゝ最はづかしき事
にこそ、又鑑賞においても此こゝろもちひあるべし。
利欲依怙の沙汰なきは心の高きなり。心の高きより
目の直に応ずるは上なり、俯める心の眼にうつれ
ばおのれ見あやまるのみならず。必ず人をあざむくも
のなり。眼前の利を貪て・生涯の損をまねく事多し・
慎ますんばあるべからず
○昔の彫工は先盤の法を其師に授り習熟して
後、己が工夫を以て、一流の工となる故に。たとひ上手
にあらざるも、自己の手際そなはりて、何となくしつ
とりと手づよし、後の工はしからず、偶古作のおもしろ
きを見れば、押形といふものにて。損する事を一に。
して、蜑しどろに彫もどろかし、からうじてみがき色上
するとはや。自許してをこがましく銘を切。したりがほ
に他を公しるたぐひ少なからず、すべての伎藝皆
氏類ならん、画工などもしかり、名画とよばるゝ人は師
伝の筆法を習熟して後.古画を藤幅写して、
其図を作る事を工夫し•我筆を下すに至ては
古画の妙にして企及かたきあたりを意に擬して.
己が画才をたすくるまでにそなへて。其写せしまゝを
損する事なし•皆己が筆.己が図なるが故に、具眼
の人これを称美す。庸工はしからず。用筆に心を入
れずして。肉形にくるしみ。灰草もて、小を大に。方
を円にする事さへ自由ならず粘押といふものにて
古人の図せるまゝを、小心になでゝうつしなし、一も
其意匠に出るなきに。さもおも〳〵しき落款する
頭巾気先生も間あり、是彼押形の名人と同価の
曲者にして・ぬけめなき商人をもかすめんとする
まぎれものあれば。とかく目巧を鍛煉して。人をも身
をも惑はしあざむかざる心がけこそ、小道具を取
あつかふ正法眼なるべし
○むかしより一流を彫て。名誉を得し、宗民乗意
利寿安親など、在世己声価高く、乞求人門前に
市をなすがごときからは、家畜て金銀を貯ふべしと
おもへど。利慾に染ては。清稲を得る事のあたはざ
るは、芸能なり。庸工の物を製するは。其日の手間
づかりをもつて・其細工を仕立る故。事十十分に調は
ざれば。其賞日らにすたれて。果はあやしの古金店に
漂泊する事無慙のさまなり、上工は今日の治計の
為に工とおもひながら。済計をわすれて。心のおもむか
ざれば。月をかさぬとも廃業し。心すゝめば夜を日に
継でこれを仕上る故。皆活機を得て。其作超妙なり。
もとより価も貴しといへども。庸工の賎く売よりは.利
泣少し.かの芭蕉翁が.白魚にあたひあるこそうらみな
れとなげかれしごとく。名工も其価を論ずるを聞
ば。さぞほいなうおもはるべし。されば商家の心もちに
も、此場を工夫あるべし。金銀をあながちに貯んと
ねがふは。所謂守銭奴といふものにて。商人の庶幾する
所にあらず。商人はひろく交易せん事を尚び小利
を積で大業を興ん事をおもふを本其ことすしかれど
も。各其心のおもむく所ありて。品異なりといへとも。其
旨は猶名工の清称をもとむるにおなしかるべし。
又かの守銭奴の属は。金銀の通行して用をなし。世の
実たることをさとらず。自己の財とのみおもへる陰悪子
孫にむくひて。遂に子孫の滅するに至ると。余商家
にしてかゝる議論をこのむにあらず。往年或人の示
されしを。わすれざるが故に。総論の後に附して。後。
人に貽さんとす。取捨は其人の心によるべし
○十三代及び。名人の作の出来よきものは。已に家々
の珍蔵となりて。商家の形あつかふ事は稀なる事
なり、しかるにたま〳〵これを得て、主顧にすゝむれば・
或は銅心得の人ありて。十分欣賞して求むべくお
もへど。容易購ともいはず。先あづかり置て。他の商
人に見せて。其買取べき価を問ひて。それよりやす
く買んとするの人。間あり。是終に名物を得る事
あたはざるのみならず。重器の位を賤らする罪人と
いふべし。すべて世にまれなるものを。珍震せんとするも
亦工の気象を高し、商家の大業を興さんと希も
其旨同致にして。志の高きにあらざれば得がたきも
のなり。俗に掘出しと称じて。高名にのゝしるは。品
高く、心優なる人は。せまじき事にて。是商人の
幸福にして毎にある事にあらず。むかし駿馬の骨を
千金に買しより。賢者を得たる故事もあれば。
装剣は昇平をいはふ盛事なれば。分に応じて。鼠
を飾らん事。奢靡に似て。奢‾靡にあらず。よく真偽
を弁じてこれを珍蔵せば子孫の茶といふべし
襍述
○およそ太刀剣のかざりの事は。古記に散見し。或は
故実しれる有識も聞ゆれど。今の刀脇差に用る
小道具なるものゝはじめは、いづれの比。いかなる便宜
をもて作りものずきけるにや。多くは太刀のよそひ
によれるものと見ゆれと、目貫ふちかしらなどの名
栴等正しく考へ得べき事おぼつるなかれど。中比の
記録•又は近代の識者の考へおかれし•これかれを
抄してこゝに出せり。今も礼方.又は工の家などには。
必ず伝来の秘説等ありて。間聞もおよべれどなゝ
に其旨も異に。或は陰陽五行に分配してこと
わる臆説などもまじはれば、すべてこれらの事を
取らず、たゞ古記に見えたるかたはしを。左にし
なせるや。猶遺脱の多からむ事を恐るゝになん
○目貫はもと目釘穴をつらぬきたる覆なり。白石
先生の軍器考に委く見えたり。今は目釘と目貫
とは別の物となれり。されば。此名のふるく見えたるは。拾
遺和歌薬の神楽歌に。白銀のめぬきのたちをさげはき
てならのみやこをねるはたが子ぞとよめるは、銀装の大
刀と昔いへるものゝ目貫なるべし。又鎌倉年中行事
に、牛の目貫とあるは。いかなる製にや。今のごとき真彫
の目貫は祐乗より起るといへど。其已前にもありし
にや.考ふべからず•京都将軍の盛なりし比より•目
貫にさま〴〵なるかたちをものずかれしより。今の
ごとく巧を覚ふに至れり。此物唐山にも似たる製の
あるにやしるべからず。或は鞠をメヌキと訓て。刀ノ飾也と
いへれど。字書にも。刀ノ飾とのみ注して。其製詳な
らざれば椽としがたし。すべて此類字義の本抜に
及びがたければ。下皆これを沙汰せざるなり
○小刀柄は、大双紙に小刀柄かねの鐶ありなどい
へるや。小刀柄といふものゝ見えしはじめなるべし。腰
刀の鞘に。小刀を挿事いつの比よりはじまりける
にや、知るべからず。或説に。太平記の大塔宮を害し
奉る所に。岡辺伊賀の守が脇差の刀をぬきて。先御心
もとのあたりを。二刀さすと見へし。脇差の刀なる
もの。今の腰刀の鞘にさす。小刀なるがごとしとい
へり•又云。今大和国にある所の.後醍醐天皇の御
刀に。小刀はなけれど。今の小刀をさすべき所に
髪掻をさしたり、又八幡殿の鞘巻といふものに・
小刀髪掻をさしたるはとあれば。むかしも小刀
をさせし事のあるにや.いまだ古記に小刀を刀の
にさす事所見なしと
已上
或説
是又室町殿の比
より。はじまれる事なるべし
かうは髪也。頭の殿をカウノ
○かうがいとは髪掻の義なり
よといひ。透垣をスイガイ
といふがことし。カキを
倭名抄に.榛鬢取と書て文選を引
カイといふも音し便也
て勁靭は。理レ鬘とありて、和名加美岐と見えたる
是なり。寝覚記に侍従大納言の守刀ようかうがい
をぬいて。鬢をつくろひしといへる事あれば。いにしへ。
は髪をくゝり上てかうがいにてとめたりと見えたり。
釐など着る時は。髪を乱すゆゑ。かうがいをば太刀に
させる也。しかるに今俗に。笄の字をかうがいとよめ
類は誤なり。笄は倭名抄に加美左之とありて。冠
を挿の釘なり
但此書.やはり笄の字を用るものは。其久しく
用ひ来れるにしたがひて。見易からしめんが為也
◯縁頭と並称する事未一町見なし、但頭となる
もの。日本紀に、剣柄又剣頭と書てタカミとよみ
たるあり。是延喜式に柄頭といふものならん、中比に
は胃金などもいへるよし。或説に見えたり
○鐔は倭名抄に都美波と見えたる。其義詳なら
ざるよし•東雅にしるされ•さて倭名抄蚕絲具を
引て.鍋字をツミとよめるは.今俗にツムといふもの
にして。其物に輪あるを。又俗にツムはといふなりと。
刀剣の鐔其制のよく此物に似たりければ。ツミはと
いひし也と翻されば・此物神代巻にも.軻遇突智を
斬給ふ剣の鐔より垂る血激越て神となるかし
見えたれば、ふるゝ此名あるなり、又古記に錬鍔と
いふもの多く見えたり•或説に愛宕山にある尊氏
将軍の太刀も.錬鐔なりといへり.太平記にも金の
鍔といへるも見えたり
○橘と書て、タチノツカとよみ、神代巻に太刀の手
上といふ、又多加比とも。多加々比ともいへり。天照太
神の劔柄を急握給ふとあるを。粋に神代のむかしは
剱の柄をタカこといふ。日向国風土記に。宮崎郡高
日村は昔天より降れる神。劔柄をもて。此地に置
給ひしによりて。劔柄村といひしを。後人改て高日
村といふと見えし•即是也といへり•されど剣柄を
タカヒといへる義•詳ならざるよし•東雅に見えたり•
是太刀の柄の事をいへるなれど.刀脇差にも同く
刀の柄を絲又革にて
柄といへれば。此に其原始をしるせり
巻し事は鐘の上に
さすべきなり。よのつねに用る事しかるべからざるよし。大双紙に
見えたり。よて今も故実を存ずる家には。絲拳ならぬ。小サ刀を用ふこ。
○鞘は刀室也と。倭名抄に見えて。刀劔の身をば古
言に佐比といひ。やは屋也。小刀の屋といふを略し。
て.サヤとはいへるなるべし.日本紀に七枝刀といへる
も見え.万葉集にふたざやの家とつゞけ.新撰六帖に
しりざや・かりざや・みせざや・さげざやなどの名も出たり・
古事記に小刀をサビとよ
しかれども其制今しるべからず
めるは小冷の義なるべし。刀
をヒエとよめる事は。神代巻に見えたり。いにしへは
鋤をもサごとよみて。鋤は細の古名なるべし
又鞘に附たる具に
粟形.うらがはら.かへり.小尻.鴨目等.各考へ拠とすべ
き事もあれど、文繁けれはこゝに略せり
十一一一巻文一一一十十一一之事
○切羽は狭鍔といふ、を略せる言にて、はゞきといへ
類は脛巾の義にて。脾巾は今の脚絆の事也。刀劔
の本を裹む事。脛巾に似たる故、やがてはゞキガ子の
名を称じ来りし也。太平記にも。はゞキとのみい
へるは、久しく其名のいひならへるなるべし
○下緒といふもの。或説にこれを往古に考るに紐小
刀といひ。匕首といふにつける・八塩折の紐は。後世の鞘
巻にある下緒なるがごとし。鞘巻とは是を腰に挿
時。此下緒を帯の上を引こして。鞴に巻からむ故の
名なりと。案ずるに。今の下緒是より出たるならん
○金無垢の金、其位一にあらず。色よく見ゆるれ共。
但色を上ケざるを素
位あしく、色はさまで見えざれとも御
金といひて色浅し
品すぐれたるあり。是を試るに法あり。目貫なと一具を
そろへて。掌中に入れ振るに。性すぐれず。堅気
銀の雑
たるをは
堅気と
いふ
あるものは。其音チン〳〵と聞ゆゆゆゆ。又鈍金はガラ〳〵と
ひゞく。尤小ブリにあつき目貫などは。位よき金にても。
チン〳〵と鳴れども。しば〳〵振て得と氣をとゞめて
聞時は、自然にガラ〳〵といふ音をなせり。是金のよし
あしを試る捷法にして。十に一もあやまる事なし。
附石にて試よりははるかにまされり
○十二芝翠官成
◯同苗彫又は家彫にあらざるものゝ。至極よく出来
て証文も出べきやと。後‾蔵家の目利を請ふに。吟
味不宜候。又作付不レ申候といふ、書付の添てかへりし
道具を装念家にてなげられしといふ。此なげられ
しものには。かさねて外より鑑賞を求めても。その
まゝそれとしれるやうに。吟味鑑といふものを入て
戻さるゝとなり。其整の入れ所。彼家の秘事なる
べし
口伝
◯柴垣に梅或は竹。又は草花等の模様を割笄に
彫たるを。大夫笄といふは。国大夫節の浄瑠理をか
たりし、宮古路哥内といふもの。はじめ彫物屋嘉
兵衛といひし時。彫りたる故に名くといひ伝ふ。此
哥内が子孫。日暮八大夫といひて。今も京都にて
御免芝居株の名代なるよし
◯縁の内へ頭の陥りて。いかやうにしてもぬけざる事
あり。強てぬかんとする時は。烏金ものなどは損じ
班つくなり。是を脱んとおもはゞ。縁をうつむけにつ
まみて。頭の両端を・指尖にて。心をしづめ。やはらかに
いらひて居ればいつとなくぬけるなり。これさして
書しるすべきほどの事ならねど。えてはある事にて。
第三十二一芝
迷惑すればこれをしらせり。猶此類の事あまたあり
といへども。煩しければすべてもらせり。或は烏金物の
すれなどして色の損じたるを。硫黄にて補ふは誰
も知たる事なれど。心得あり。先硫黄を随分よく細
末して。さて其烏金物を火にてとくとあたゝめて。右
の硫黄の粉を指にて摺付れは。兀たる所。即色調也。
但是は角などの少しすれたるをつくらふに用ふ。
大に摩たるには。下[キ]に出せる薬ノ方を用ふべし
○鯛子の蒔方に江戸京加賀阿波等少づゝの差ひ
あり•此差ひある所に心をとめて見覚る事。彫物を
目利する一ツの心得なり。此事は筆していひがたけ
れはこゝにしるさず。さのみむつかしき事にあらず其
物を得て自分に見覚ゆべし
○縁の切羽へあたる所を。縁の底といへるはしからず
縁の天井といふべし
○古代の妻手ざし。赤木の柄といふ。質朴の風より
ものずかれて。今右京柄と名けて。上下おしなめ
てこれを賞玩し。盛に世におこなはるゝあり。柄は銕
刀木。樹木。紫檀。黒檀。万年木イスなどを以て作る。其
製数品あり。一二を左に図す
○
□□□□□□□□
糸糸
※・
本丸
第三十五巻之一十五歳之助
○和州郡山御家中御差料には・縁頭・鍔又は芝引
小尻等にも。多く幾回回跡此図のごときを地
磨のものに彫沈にして装ふ、是彼御家中にかぎり
て他州には見及ばす。甲斐信玄公御在世の頃の物好
のよしにて、世に信り玄彫と称ず・彼御家其御子孫な
るを以て。此遺風を尚るゝなるべし
一図のごとく頭うすきが故に、鵐目孔上にあり、
毛を戸沢頭といふ。戸津上総介様御ものずきのよし
いへり。此類の事猶多しといへども、すべてもらせり
装細奇賞巻之一終
8535
荷{
諸工糸譜
壮衣創奇賞後藤氏家譜
裝劔竒賞巻之二
通龍
浪華
稻葉通龍新右衛門著
彫工系譜
○後藤糸糸糸
○後藤家系
元
元
祖
祐乗
四郎兵衛ト任シ二佐渡ノ守一ニ号二号二号
濃州人以武仕二普光院義教公ニ永正
九年壬申五月七日没ス七
十三歳云七十八歳連考諱正奥
代ニ
一稱二四郎兵衛叙ス法眼位ニ永禄七年甲
宗乗
昌乗
子八月六日没五七十八歳ニ云七十歳
一作二尊乗一ニ一或ノ曰ク祐ノ乗弟ト未レ知二
諱武光
孰是ヲ一断絶ス納子名人
二
代
乗真
諱ノ吉久稱四郎兵衛ト永禄五年壬戌
五十八歳菱後藤ノ始
三月六日没ス五十一歳一ニ云二月六日
同同一一一一一一一一、三
四十代代
代
光乗
諱光家稱四郎兵衛元和六年庚申
三月十四日没ス九十二歳
元乗
琢乗
光
宗
石乗光
經
伝乗
乗巴
広
代
喜兵衛光
五
徳乗
諱光次後改正家稱四郎兵衛寛永
代五
八年辛未十月十三日没ス八十二歳一
云八十四歳或曰天正九年辛巳豊臣
秀吉公賜二食邑ヲ於某ノ郷一ニ一ニニ云下後藤ノ始
長乗
一稱二七兵衛門
上後藤ノ始
立乗
光
額
覚乗
信
乗圓
乗仙
源八
光成冊
昌乗町乗蓮
伊兵衛
善乗
光則稱一
瀬兵衛
稱市郎右衛門
光質
源乗
一二作二寂乗一
法諱源實
演乗
光英稱二
勘兵衛
|光令
勘兵衛
三升
達乗
先
光房稱
実乗
勘兵
雅
光清勘兵衛
光平
清左衛門
三左衛門
光武
益乗
光
治
清乗
光
長
嶺乗
光親稱二源ノ四郎ト
或作先武
順乗
光明稱二
権兵衛
光豊稱
秀乗
權兵衛
詩念言賞者之二
○二一芝翠館巻
權之介
光教
秀乗
益信
一稱二采女一ト為二探幽養子一號二洞雲一
叙法橋位一云覺秉ノ子
海乗
光綱稱二三
郎四郎
隆乗
光定稱二七
郎兵衛
光甫
七郎
兵衛
光浪
二郎
兵衛
六
代
栄乗
諱ハ正光稱四郎兵衛ト元和三年丁口
四月四日没ス四十一歳一歳一ニ云四十三歳
諱ノ正繼一ニ云正綱稱二理兵衛ト寛文二
代
顯乗
年癸卯正月廿二日没ス七十八歳即
乗以二幼少一預リ
家督ヲ看坊ス
慶乗
光詮稱。
源兵衛
休乗
先
忠一
光
運乗
如
光
光隆稱ス三
就乗
郎右衛門ト
林乗
先
実
源右衛門
光
旧
法乗
法乗光信
半右
衛門
源太郎
光敷
半左
衛門
一諱ハ光重俗稱未詳年十五嗣ク家督ヲ寛永
即乗
八、辛未十一月十三日没ス三十二歳
一二云二
代九
十八歳
程乗
諱ノ光昌稱二理兵衛或ハ銘一ス廉乗以二
幼少一ヲ一預二リ家督一ヲ看坊ス延宝元年甲子九
月十七日
没ス七十歳
良清
小判座良重
同十二庄三郎
寛乗
光永後
改光利一
光
当光
殷乗
富
悦乗
光邦稱、
理兵衛
光倍
理兵衛
関乗
光治
源一
郎
光輪
兵
同
光永稍ニ八
俊来
郎兵衛一
快乗
|光興
八郎
光弘
兵衛
光勝稱ス
八郎兵衛
八十四
兵衛
○三之畢官吏
十一菜翠飯庵
光黄
七郎右
衛門
光品
光清稱二太
仙乗
郎左衛門ト
源之允
七郎右
衛門
光業
為廉乗ノ
養子
梅三
即
一十
代
即清
稱庄
三郎
廉乗
諱光侶稱四郎兵衛十五ラノ嗣ク家督ヲ實
永五年戌子十二月廿三日没ス八十二歳
泰乗
光尚稱治
左衛門
乗興
光
近
體乗
光寄稱ス
左衛門
は
代
代
光嘉稱源四郎貞享元年
乗賢
四月十九日没ス二十九歳
通乗
諱ノ先壽初稱二源之允後改四郎兵衛ニ實ハ
仙乗ノ子ナリ享保六年辛丑十二月廿七
日没ス五十三歳
光幸
源次
即
十二
代
代
寿乗
諱ハ光理稱二四郎兵衛寛保二
年壬戌二月九日没ス四十八歳
十三
代
延乗
諱光孝稱二四郎兵衛天明四年甲辰
九月十八日没ス六十四歳葬二浅草今戸
乗光寺ニ日
蓮宗也
唯吉
光佐
十四
十四
代
光守
一四郎兵衛初名光濤稱二吉五郎
天明四年甲辰十二月家督五十二歳
光曲吉次郎
右系譜キハメテ校正ストイヘトモ同苗ノ
系派ニ至テハ、猶差謬アランコトヲ恐ル、後
一ノ君子補正シ玉ハンコトヲネガフノミ
一勅語書書巻巻二○四一統計
○奈良氏系譜
二
祖元
祖
稱二寸市一
宗貞
宗有
利治
稱ス越
前
稱ス四郎
利永
稱二七郎
左衛門
兵衛
利光
號ス宗閑ト
稱ス七郎左衛門
重治
稱重兵衛
利永弟子
利寿
稱ス太兵衛ト
利永弟子
正長
利永
弟子
陳孝
正長
弟
正親
稱ス清六ト
正長ノ子
正敷
稱ス善二
正長ノ弟
子
利永
―辰政
弟子
政隨
利寿弟子称一
太郎兵衛
兼随
政随
子
矩随
政随
弟子
正間
正親
弟子
正重
稱二新太郎一
正親弟子
稱ス二弥五八一ト
安親
辰政弟子
名ハル三時永利
善三
永弟子
安信
安親子後
改安親
辰房
一稱ス金平安
親弟子
稱太七丁
乗意
善三弟子
常和
稱ス喜六安
親弟子
○横谷氏糸
名ハ盛次稱一ス次兵衛一
京師
宗興
寛永
寛永年中下ル二江戸ニ一
宗知
名ハ次貞
宗興子
宗珉
名ハ友常稱ス二次兵衛ト宗知ノ子
御用御彫物工後辞ス御扶持一ヲ
同十ス伊右衛門ト
英精
城ノ子宗興ノ兄
宗珉
名は友次宗與子
当代
宗興
名は友貞明
和三年隠居ス
友武
稱二傳三郎ト一
友次ノ弟
忠兵衛
宗ノ
弟子
○江州辻氏系
宗理
同
ン上に
英充
号ス自立軒ト一
宗興弟子
称町
田金
茂周
蔵一
同ノ上
西芝翠館蔵
橘丹治一號二塩川堂ト一江
充昌
州坂田郡国友村
住人御鉄炮工辻又
左衛門弟終身不娶
常成
一十二孫助一号一号二楽
堂一ト充昌ノ従兄弟
格亮
稱國友平四郎
號姉水堂一ト充昌ノ
完度
稱國友新四郎號
稱國友新四郎號ス
永川堂一ト格亮弟子
し昌安
同氏號ス
養ノ松ノ堂ト完慶ノ弟子
○加州桑村氏系譜
盛良
稱ス與四郎
頭乗弟子
弘良
初ノ銘ス古〻工ト稱
佐右衛門法
名浄空盛良ノ弟
富久
盛征
稱ス小四郎
程乗弟子
稱スベ
弘良弟子
軽し乗弟子
稱ス、又四郎一ト後改二長右衛門法
盛勝
盛弘
名宗順弘良弟覚乗弟子
一稱二治平一法名了由
盛勝ノ弟覚乗弟子
稱二治|平ト
盛明
盛番
一稱ス清四郎ト一盛弘
弟子子子弟子
盛津
同三十四郎
一程乗弟子
盛福
一稱種善次一弘良弟
子認字未詳
同十二源左衛門ト
丁克久
法ノ名序休
良弘
稱與三兵衛克ク弟
為弘良養子
○加州後藤氏系
市右衛門
名未詳
頭乗弟子
清二郎名未レ諸
吉定
称ス二才次郎
し吉定
詮清
称ス七ー
兵衛
○同水野氏系
久清
構ス七ー
兵衛一
清冷
清左衛門名
名未
レ詳
称二七
兵衛衛
○六芝翠信載
廿一日
好栄
稱ス二源次ト
演乗弟子
源八
名未レ評
早世
源七
照喜
名未レ評
早世
稱ス源次ト家督
多光
稱ニ源六ト自レ此分ヲ
為両家
初ル某後ニ稱ス二源六ト
光政
○能州後藤氏系
甚右衛門
名未詳世二稱二能登後藤一加州後藤一加州後
藤ノ別家ナリ葉ノ弟子後住ニ加州ニ加州ニ
稱ス甚ノ右ノ衛門ト
光章
庄兵衛
球リ乗
弟子
豊光利 ̄ス二本三郎ト一
○越中富山若林氏系
伝三郎
通り乗
弟子
金子氏也
盛定
勝木
氏
次太夫
小澤
氏
□□□□□□□
若林
氏
隔水
稱ス六ー
兵衛
彦四郎
稱庄次郎後改見二ト
理房
島田氏盛定弟子
理直
稱二庄太夫ト
後改ム見水ト
稱ス藤大夫ト
貴定
村上氏
兵次
川上
氏
氏一
阿三次
渡邊氏○通籠按ニ.盛定.次太夫.
氏春ノ三人其姓異ナルヲ以テ
見レバ.金子氏ノ弟子ナルベシ.又理」
房理直ハ父子ニテ・光定以下弟子ト
見エタリ、但シ相弟子ニヤ・又師弟ト次
第せルニヤ.スベテ詳ナラズ.今所聞
ノマヽヲ記ス・猶此類多カルベシ。
幸ニ其鹵莽ヲ罪スルコトナカレ
○京師宗田氏参
十一月十一日
善光寺堂
又左衛門
○太刀金具小柄笄白
銀工宗乗同時ノ人ト云フ
同同三丁
又兵衛
又七
仁兵衛
仁左衛門
始テ為二鯛
子工ト
又兵衛
始テ作ル」五
目納子
仁左衛門
納子
工
文兵衛
入道号
道意
又左衛
・入リ道ノ號ス道
清納子工
徳直
稱一。又兵衛一ト入リ道ヲ號ス
道歸一ト納子工上ノ手
稱二又兵衛ト来テ住一ス大-坂ニ入リ直一ト道メ號ス道直一ト宗
直道
田氏ノ彫物自ニ此人始メトモ亦上手
傳八
徳直弟子
鯛子工
同レ上ニ後歸リ
四郎兵衛
濃州岐阜ニ
直重
稱ス又七十
直峯
稱ス治助ト
直道弟子
○同植村氏系
安宣
同十二十輔十二
野田氏
国長
稱二九兵兵
植村氏
宗峯
高房
稱一一九郎兵衛一、
宗峯子
秀次
稱ス伊兵
高房端
同二十ニ右リ衛
門一国長孫一
吉兵衛
宗峯
弟子
利助同レ上に
利助
富祐
稱ス佐兵
高房弟子
同上に
與兵衛
源兵衛同上に
○同井上氏系
稱文次郎二郎
三郎左衛門
左衛門五代孫
喜兵衛
浅保
弟子
--郎兵衛
同
レ上ニ
一月廿一日
九兵衛
同レ上
半兵衛
同上但同
居弟子
伊兵衛
同レ上ニ
○同保井氏系
一稱二後藤七郎兵衛ト
光定
後改ム二隆乗ト
喜長
光定弟子
一稱二佐兵衛ニ一古川氏
高長
稱二虎平一ト一父ヲ云二平右衛門一
古川善長弟子
寿秀
稱平右衛門高長ノ
弟古川善長ノ弟子一
長常
高長弟子後
稱二一宮越前
高広
一稱ス平右衛門ト
寿秀子
興道
称二藤助時岡氏
寿秀ノ弟子
敬道
稱ス權八ト久保氏
寿秀ノ弟子
○長州覇城府譚工中井氏系
元祖
一二號シ二乗寛隠士一ト明徳年中ノ人住ス二防州ノ
光恒
山口二鎧工ノ創業
恒乗
同十二新左
衛門
恒之
稱ス文右衛門
稱二文右衛門ト一元和年中ノ人
信恒
當代自ニ防州一住二萩府ニ
友恒
称ス佐兵
衛一
友幸
一稱二善助ト一但シ自當代
専ラ作ル二人物鳥獣ノ属ヲ
友恒
稱ス善助所自二當代為代為リ献上
山水人物等ノ手籠鐸長州中興名工
し友之
一稱ス善兵衛ト一萩府細工町ノ住
友信
稱二彦左衛門一ト。西友之弟別宅ス住所
同レ上ニ其銘以二草字ヲ一作ルレ之ヲ
○同岡田氏系
京師ノ人
埋忠明寿
巳出
正知
稱二彦兵衛ト明九郎ノ
弟子住一ス一萩府一
○水芝翠宮氏
○ラノ一度ニ至創着
宣政
稱ス善左衛門
元禄六年有レ故自二
當代改ム二岡田ト一
宣重
稱フ二彦左衛門
政詮
稱二彦左衛門一
称二善左衛門ト
政富稱二彦兵衛ト
政勝
政富
○同仲原氏系
幸直
稱吉兵衛正徳年中ノ人金子幸仲弟子
始テ為ル一彫リ工ト一ト等ノ之作也
稱二ニ吉兵衛ト初メ初メ名ハ幸久幸直男上手也
幸登
○幸登未二弱冠ノ冠一ヲ喪ヒ父働シテ志起ス業ノ専ク師二ヲ
作一ヲ不レ屑レ問フ時ニ。自ラ成二ス一家一家一家一之二外彫
刊各ノ巧妙於レ是名声日聞。故ニ長州侯賜
レ俸フ命メ使レ作二二献上物ヲ於テ於一ト東都一屢〻見レ稱シ其
工ヲ云今猶存在ス巳及ス一知命
幸利
一同十五條ノ左衛門一幸登ノ男其上
能ク絶 ̄キ二父之名ヲ一兼テ善ス画ヲ
度之
称ス源助中邑氏
師ヲ兼ス二彫工ヲ
幸登弟子金具
同岡本熊之允系
幸良
稱二半兵衛吉山氏
幸登ノ弟子鞘師ニテ兼二
彫工
友治
一口稱二惣次郎氏二次郎氏二二二次郎左衛門一トノ萩府住
慶長年中ノ人
友光
乙稱二喜平次一後改二佐右衛門一ト
同称二小兵衛
友義
延宝年中ノ人
方一
桶小兵衛
中等之作
方高
同断同所同一丸
後号二枯喜一名工
知賢
稱二熊之允
學ヲ二工ヲ於東都一時ニ善ス
彫物ヲ
○同岡本藤左衛門系
友次
同年十條、左右衛門一ト門一ト云リ禄年ヲ人自二江戸来テ住二統
府一本ト雖二非二非二彫ト工一ニ好テ善レ之ヲ其名自ヲ顕ル仍テ
長州侯賜ヒレ俸ヲ行年八月ナメ没ス
○デノニ一文三銭
知義
同同二十二十五左衛門
同年七十二ヲ没ス
義勝
稱ス藤左衛門ト任二蛭子町一ニ
縁頭小刀柄等諸彫物調進ス献上物ヲ
義次
○稱二藤之進一義勝ノ男弱冠學一テ画ヲ於雲谷
某一ニ善レ之ヲ好テ彫二人物山水鳥獣龍魚ヲ一ヲ甚メ密ノ密ヲ
○同藤井氏系
清風
一稱スス源兵衛ト一金子幸仲ノ弟子始テ為レ工ト
同同同十二衛ト清風ノ長子
幸永
鍔縁頭之外諸彫物各好二巧密一ヲ
松源右衛門ト幸永ノ長子上ノ長子也
幸貴
其工傚乃父ノ之巧密更ニ加フ一等ヲ
○水戸玉川氏糸
功阿彌
氏
菊池
通寿
稱ス彦六丁
功阿弥弟子
稱三郎四郎玉川
美寿
氏通壽ノ弟子
稱二文平一
正寿
治三郎文平ノ弟
稗太七美壽ノ
美久
甥にて而弟子
○京師岡本氏系
美久
吉十郎
弟子
治國
稱傳兵衛ト
京ノ師ノ人
尚方
尚茂ノ養子
稱源兵衛
尚茂
稲源兵衛治国弟
子世ニ稱二鉄源一初曰二
敏行一
重基
稱金兵衛久保
氏尚茂ノ弟子
武教
稱二宇兵衛ト
重基弟子
○同加藤氏系
長利崎賞長之二
市式画創店
新不ノ識書書巻之二
後藤
古川氏
義休
稱治兵衛ト
隆乗
氏
善長
隆乗弟子
善長弟子
時秀
稱二治助一
義休弟子
○作州津山正阿彌系
勝三郎
白銀
工
勝三郎
初稱五郎
兵衛一
勝三郎
七郎兵衛
弟子
吉久
稱平助後
寓ス京師一
平助
初稱二
平七
○同中川氏系
五助
白銀
工
称ㇲ助
五助勝次と
三郎
義克
稱二甚
兵衛ト
勝正
稱二安
兵衛一
○同千代氏系
勝久
稱勝
助一
久助
白銀
工
久助久助
初稱二喜
左衛門
久左衛門
久助
弟子
千友
稱二忠
助一
助
作右衛門
久助
久助
弟子
作右衛門
初稱勘兵衛一
作右衛門子
○江府岩本氏系
忠兵衛
横谷宗珉
弟子
編二幸八一
-宗寛
実ハ良寛第
○同荒井氏系
宗乙
称忠兵衛
一土工て下手
一箱一興八一
良寛
宗乙子
同同二五郎八ト
称二喜三郎
宗寛
実は良寛孫
昆寛
実は良寛弟子
後ニ養子トナル
次郎兵衛
石川氏
石川氏
住ス神田ニ
典昌稱二小三郎ト一
典昌
典容子
典容
荒井氏称二次郎兵衛
石川氏弟子
○同津氏弟子系
○十七旱官義
第一十二百二十二
尋甫
稱二八左衛
門ト津氏
忠吉
野村氏初稱辻
平八尋甫ノ弟子
正次
野村氏
忠吉弟子
○加州象眼工小市氏系ノ
三郎右
永政
衛門
永重
四郎
三郎
永次
弥左
衛門
永国
弥左
衛門
永次
弥左
衛門
永次
弥左
衛門
○同永良系
永良
勘右
衛門
永良
勘右
衛門
永久
七兵
衛
永久
源左
衛門
永吉
長左
衛門
永信
六右
衛門
永吉
喜
内
永信
吉大
夫
永清
甚
六
永定
次
助
永次
豊
次
永光
半兵
衛
豊
永光
平
弁
○同国永吉重并弟子系
国永
姓氏未詳稱二次郎作一トト
吉重學彫ヲ於琢乗ニ加州彫物ノ祖ト云フ
国久
十リ左
衛門
国久
十左
衛門
國廣
與右
衛門
國久
與右
衛門
国安
與三右
衛門
平國
国平
與三右
衛門
国政
国忠
権左
衛門
三右
衛門
與三左
衛門
國平
喜兵
衛
国長
八左
衛門
○十一日筆官義
吉重
稱五郎作與兄國永以俗稱名于彫物
各賜禄五拾俵ヲ後世以二其名呼テ如レ姓ノ
弟子
吉則
庄九
即
吉國
孫右
衛門
森方
源四
同
吉國
長右
衛門
吉次
八大
夫
吉平
善右
善右
衛門
并
弟子系
○同勝木氏并弟子系
稱與三右衛門承應年間従
盛定
伏見一下テ住二二加州ニ一賜二禄五十俵ヲ一ヲ
與四
盛定
郎
弟子
盛光
八兵
衛
盛定
九一
與四-
郎
盛光
稱勘右衛門改
勝木半次郎
守良
惣左
衛門
盛次
源左
衛門
盛平
伊右
衛門
盛國
藤左
衛門
盛國
藤左衛門
後為鍔工ト
○同定時弟子系
定時
稱ス平八姓氏未詳寛永年間従二伏
見一下テ住ス」」加州一賜」禄三百石ヲ
弟子
定景
新右
衛門
定次
吉六
郎
○同辻山城守弟子系
辻山城守
寛永年間従伏見下テ
住ニ加州ニ賜フ禄百五十石ヲ
一弟子
友重
助九
助九
自
友次
三郎右
衛門
重長
重次
喜八
郎
政平
七
甚
政信
勘兵
衛
新
七
○同宗吉弟子系
宗吉
稱兵部正保年間従伏見一
下テ住ス一加州ニ賜禄百石ヲ
宗次
次
郎
宗長
長吉
久次
郎
九郎
次
長重
九郎右
衛門
○十二芝翠棺験
一至易飲府
○同忠平系
忠平
稱三郎兵衛正保年間従伏見
忠清
庄太
下テ住二加州一賜二禄五拾俵ヲ
郎
○同勝木氏并弟子系
氏家
稱權大夫寛永年間従伏見下住一テ任一ス加
第一賜フ十五人扶持ヲ學一彫ヲ
氏家
弟子
氏永
市兵
稱ス市兵衛ト一氏ヲ改一ヲ改二金
衛
氏家
子為二御細工人ト一
喜兵
衛
第
氏屋
稱二市郎右衛門
本家ヲ相續ス
氏長
喜兵
備
永清
後ニ氏ヲ改メテ田澤一為ニ
野田丁
御細工人ト
□□□□
六
良
氏宣
稱武兵衛ト
勝木氏
一氏清
衛
覚兵
覚之兄
氏賢
丞
三丁
氏宗
郎
弟氏安
吉郎
兵衛
氏安
吉郎
兵衛
氏安
氏安
權吉後
為彫物工ト
弟
氏照
後改若林氏
春一彫物工
氏照
吉郎兵衛
為二彫物工ト
吉郎
兵衛
氏吉
権之
丞
氏平
八郎
兵衛
氏次
円七後為二
彫物工一
氏喜
稱ス市之丞
弟子
彫物上手
氏信
同
同
氏忠ハ
氏忠
八太
夫
氏成
次兵
衛
右ノ外加州ノ工人、猶多シトイヘトモモトトトトトトモモ其系
譜サダカナラズ.或ハ其名キコエザル、
コレヲ略ス、凡加州ノ工人。其始多ク城州
○十三里眼球
伏見ヨリ至ルヿハ.往日太閤秀吉公御
居城アリシ頃ハ.今ノ三都ニモマサレル
繁昌ノ地ナルニヨツテ四方ノ名工多ク
アツマリ居レリ・シカルニ
元和御一統ノ後.其地荒廃ニ及ヒ.工人等四
方ニ離散スベカリシヲ加州ヨリ名レ
御扶持ナト下サレシ故其子其弟子彼地
ニ相續シテ・今カクノ如シト云ヘリ
○阿州平田氏系
丹斎
平田氏
元祖
氏直
稱正阿彌市左衛門盖
京師正阿彌某ノ弟子也
阿州象眼工以テ此人為
祖ト
祖、
稱與八郎
氏安
平田氏
安房
稱二市左衛門一
平田氏下同に
正安
一稱二與八郎○以上五代専ヲ
作二銕象眼鍔一ヲ未レ兼彫物ヲ
正親
稱二市左衛門ト為テ二津
尋甫ノ弟子一ト一ト兼ヌ二彫物ヲ
長房
一稱二市左衛門一彫物ハ
野村正次弟子
稱二新五ト
長秀
長房弟
○同河野氏系
半兵衛
河野氏祖栗山左源太弟子世住ス徳島ニ
實名時代等未詳此ノ糸皆以俗稱ヲ記ス之ヲ記ス之ヲ
五郎兵衛-藤兵衛-藤兵衛門
治
秀
第
第一
同七右衛門弥兵衛
子
宣
五左衛門
秀
半助
一弟
一弟
半蔵
子
○十四芝翠官義
十四芝翠飾床
○紀州金子氏系
吉之丞
丹州綾部彦
自レ幼京住ト云
吉之丞子
義貞
吉治
義貞
子
自レ此為ヨ
利興
忠長
紀州御抱ト一
後號恕
義光
元ト上上
義安
子
義則
義則
義光子有レ故承二テ菱後藤
近江守ノ譲ヲ一兼勤ム
御所ノ御用一ヲ太刀調進
右ノ外諸州彫工条譜。得テ尽クシルシ難
一シ他日後編ヲ纂述シテコレヲ補ント欲
ス.故ニ此ニ其手近ク知ルベキモノヲ挙
タリ.覧者其全カラザルヲ.トガムルコトナ
カレ
○京師後藤氏系譜
此系已ニ前ニ出ストイヘトモ・別ニコレヲ舉ルモノハ見易カラシ
メンカ為ナリ.上後藤ワカレテ数家ナリシガ或ハ其嗣
立ザルアリテ.今其盛ナルモノ
八家アリ。其系左ノ如シ。
元乗
光乗弟
琢乗
諱光宗
元乗ノ弟
傳乗
諱光
広
乗巴
喜兵衛
諱光
生
喜兵衛
謹光
俗
長乗
俗稱七兵衛
徳乗弟
一諱光
立乗
諱光
頼
海乗
諱光綱稱
三郎四郎
隆乗
諱光
定
光甫
稱二七ノ
兵衛ト
光浪
稱二七郎兵衛ト
没ノ後未タレ立テ嗣ヲ
覚乗
諱光信
諱光信』
長乗ノ子
演乗
諱光英稱ス
勘兵衛ト
達乗
諱光房稱二
勘兵衛ト
実乗
諱光雅稱ス
勘兵衛一、
玄乗
諱光令稱二
勘兵衛ト
光晴
勘兵
衛
休乗
諱光忠
顯乗弟
運乗
諱光
如
就乗
諱光隆稱二三
即右衛門
○古世紀記
稱二源右
光旧
衛門
光之
稱二三郎
右衛門一
○光旧マ・テハ京住ナリシガ.光之江戸ヘ下トノ本家ニ居ラ
レケルカ。四五年前没セラレテ其家督今猶定ラズ
林乗
諱光実
休乗子
法乗
諱光
方
文乗
諱光
夥
光長
将二半左
衛門
寛秉
諱光利
程乗第
俊乗
諱光永稱二
八郎兵衛、
快乗
諱光勝稱二
八郎兵衛
光興
称二八郎
兵衛一
光弘
稱八郎
兵衛
殷乗
諱光富
寛乗弟
光黄
稱七郎
右衛門
光品
稱二七郎
光業
右衛門ト
稱梅
聞一
秦乗
諱光尚
庶乗ノ弟
乗與
諱光
近
體乗
諱光寄稱
治左衛門
七五郎
○彫工名譜
一此名譜を編するに。凡彫工を呼来るに。姓名を
つらねていふあり、又名ばかりをよびて姓の知れ
ざるあり。或は姓-名きこえず。俗稱にていふあり
て、一概に定がたかれば。今其姓をすてゝ。名の
一頭字を類聚して歯列す・たとへば、宗珉の如
く・すべて頭に宗の字あるは、奈良宗貞も・埋
一忠宗義も。妻谷宗左衛門などすべて。宗の字を
一頭とするものは。咸此国に収む。其他。利、安等
五巻翠館蔵
みなしかり、又類字なきは、混雑の條にしるす、是
一捜索に便ならしめんが為也。但し後藤の家、
其同苗の諸工は此類字に収めず、これがはじ
めに載る事•其家をたふとみてなり•此譜中
父子師弟等の次第、系譜に見えたるものも
こゝに重出ず。又其工手の品位を題せるものは。
多年余が手にふれ。目を経たるにしたがひて。是
を評する所なれば。其当否を恐れざるにあらねど。
凡これを業として。心をこれに用るものは必ず
一其的をあやまるものにあらざれば。童蒙の目
巧に志あらんには、先余が品題を心にふまへて。
自己の才機を活用せば、其精に至るべし。
一
一是余が庶幾する所にして、此書を纂述せる
微旨なり
一ヘカタヨリノネガヒ
○後藤家并同苗諸工
祐乗
正奥
相伝フ以二狩野元信下繪ヲ一彫レト一彫レ之云フ
一装剣家にこれを元祖と称じて。其価甚貴し。此
一人高彫といふ事を創意せられて。其巧人為に出
ず。今これをものにたとふるに。峨眉天外雪中看と。
一元美が評せしごとく、美にして善なるものなり、今
一其光景をおもふに。所謂未央の柳、風になびき、
一液の芙蓉、露にそゝぐがごとく、品高く趣風流に
玩ぶ人をして、心を温和ならしむるの徳あり、其
一鑿痕疎なるががごとくにして密に神機活動、実に
一此工の聖といふべし。其下安五月七日なるを以て。
今に月々の七日に其監記を出さる
二代
宗乗
武光祐乗子
其おもむき。元祖に似て。出来よきものは。至てわ
かちがたし。かのあやめかきつばたの。にほひさへ農
からず。淡からず。時さへおくれさきたゝざるかことく
一鑑賞に精ならざれは。見あやまる事少からず。
よく心を付べし
乗真
吉久宗乗子
其鏨のあとするどく。山高く谷ふかうして。凛然
たる手際なり目貫などは。金或は赤銅にても。地
一金うすく。上へはり出す。これを出といふ。おもふまゝ
はり出しても。地がね破れぬやうに。色絵を施すを
うつとりと称じて。当時はやりたれど。今はこのま
ず、又は象眼など入る事、此人に興りて。家彫の
うちにての異体なり。其工をものにたとふるに。
○「七一戔
一艘したる武夫の。干城となり。心となるがことく。
たけきうちに、しほらしみあるの上手にして、畢竟
は父祖の花を異にして実を同うせしものなる
べし
光乗
一光家一ニ稱二祐伯一ト乗真ノ子
元祖のこゝろもちにて。上品に位ある彫なり。つよ
からずよわからず。其さまをいはゞ。松陰にやすら
ひて。桜の花にむかふがごとく。やんごとなき上臈
の紫の戸ぼそにたゝずめるがごとし
徳乗
光次光乗子
一所謂むつくりといふ彫にて。光乗の作に見給ふ
もの多し、今これをいはゞ、春の海面遠く、おくれ
さきだつ真帆に。うすくこく。霞かゝりて。はしる
さま見えぬがごとし。折紙を添る事。此時にはじ
まりて、下後藤も此代にわかれたりと
六代
栄乗正光徳乗ノ子
其趣頗る光徳両先生の錬磨を取あはせて、
少しぼつとりといふ風なり、物にたとふるに、総」
一角の野飼をおひ、夕顔さけるあたりに。御くるま
たてたるがことし
○十八一戔
詩人無言賞者
〃絵音堂ノ巻之二
顕乗正継号
始稱理兵衛ト
榮乗ノ弟叙ス法橋位ニ
光乗の手つきによく似て、雪のふりつもれるに、
松と竹とのけぢめをかしう。其色かはらざるが
ごとく、みさほを守る心もちあらはれたり・
寛永の
ころ。此人
加州中納言」殿より、禄百五拾石を下され、京師より、覚乗
八代
即乗
交代にて隔年金沢に在留す、しかるに、茶乗死去して、
即乗幼年たるを以て。家督を相続
光重栄乗ノ子
せられて、禄を程乗に譲られし也
顯乗の風に似てあら〳〵と手づよく健なる彫也
世に三作といふは。祐光顕とあるべき所なるを。祐光
即と八代目の即乗を立しは。此人二十八歳にて
一物故せられしゆゑ。其遺作。世に多からざるを賞
して。あながちに三作の一に入レしものと思ふは
しからず。名人にして稀なるがゆゑ也。長命にし
て錬磨を歴ば。父祖にまさるべきと。賞して
三作の一とせし事。鑑賞家の意地なり。一に
通即光を三作といふは。元祖の作の神境、及び
がたき名工なりと。のけものにして。これを三「作と
程乗光昌細
いふなるべし。是又此道の微意ならん
末光昌織乗ノ子叙スス二法橋位ニ一程或ハ作レ呈ニ
始稱理兵衛ト
此人の作。甚だ奇麗にて。品高く位そなはりて.
誰が見ても作の物と賞する彫なり。其時代今
より遠からねど、光-乗などの風ともいはん古色有
少したがねめ深く。つよくあざやかなり。其光景
江に臨高楼の、珠簾をかゝげて、秋の月を待が
ごとし
加州より顕、乗に下されし禄を受て。隔年に彼
地に寓居せられしに、後屋敷を下され、今に
其跡のこりて.壺野石に伯牙の図を彫し.程乗作の手水
鉢あり、壺野石は、加州の名産にして、金沢城南の山中より
出て、其質城州宇治石のことし、此山今は留山なり。即乗
早世せられ.麁秉幼少なる所.加州より賜る禄を.悦乗に
譲りて.本家を相続せらる。此時代
京師より下夕彫師を多く連レ下ルと云
廡乗光侶職即乗ノ子
おとなしく大様なる所あり。かの光源氏の物語を
よむに。明石の上の事を。しめやかにかきしおも
かげともいはんか・殊に弟子あまたとりたてられて・
寿も長かりし故。此_作多く残れり。其子光喜
といふあり、甚巧にして、名人のいさほし、たの
もしかりしに。夭折せられて。其作今至て稀
なりをしむへし〳〵
十一代
光寿戦仙乗ノ子
通乗
三作の一にて。細工はでなり。花を彫れば匂ひ
きこえ。鳥をたくめば飛立かときづかはれ。人物
などは。わらふがごとく。むつまじくものいひかはさんが
十一半
一読書事ノ巻之二
ごとく、言外の妙あり。むかし偃師といふ工・周の
穆王に献ぜし人形の歌舞をなせしといへるは
一一時の戯れにからくりたくめるものにて。是は彫
琢自然の活機にして、人の目をうごかすにあら
ず。人の心よりうごくと見るの妙なれば。万世の
一至宝といふべし。豈賞して且たふとまざら
んや
十二代
光理介通乗ノ子
寿乗光理介通乗ノ子
寿乗
一通乗の作と違ひ。今の光孝の出来物の位なり。
よく其道をまもり、功を全くせし作といふべし。
かの常山の蛇にはあらねど。首をたゝけば尾に
こたへ、尾をうてば。かしらにひゞきて、勢其中に在
といふがごとき作なり
此自身
延乗光孝順
彫附
姉
此レ極メ彫
附ノ判
弁附判
一同二十四郎兵衛
寿来子
今はゞからず。其作を評せんに。時によりて出来不
出来あるにや。よく出来たるは通乗の如クにて。目巧
を苟せざれば見あやまるまでの妙なるは。誠に
箕裘をおとさゞる所にして、天の此家に私し
給ふ事•名工の徳といふべし•元祖母を去り給ひ•
已に弐百六十余年におよびて其代其人の
第三十一巻之二
一作物年々に於て其価日々に貴く権貴の御
一重宝となる事、其子孫代々名工出て、元祖の業
を潤色せらるゝによれり。是ひとへに
一聖代に逢て刀剣の徳をたふとみ。これを装飾し
て其威を増のめでたきためしに、後藤氏の家
の君が代たゝもに。たえずおとろへざる事。松柏に
いはひ、鶴亀にちぎりて、尽ざるこそ。此を生業と
する。おのれらが大幸といふべし。今はからず。其工
のほどを品顕する事。としごろの冥加を報ふの
漫言なれば。見ん人これを罪する事なかれ
光守
初ノ名光儔稱二吉五郎改一
四郎兵衛江戸京橋
壹丁目ノ住天明四年
甲辰十二月家督
一已に前條に述するがごとく、栗葉ます〳〵盛にし
て。世を逐て名王の出る事。珍重するに堪た
り今十四世の宗匠たるや。竊に其作を鑑るに。
一祖父通乗の綺麗なるに。先工の熱精なるを兼
て一家を開けり。其自得の場に至ては煙雨を青
一峰に望み。霞彩を澄江に蹴がごとし。自然に
昭代名王の気象をあらはす事。他工の企及ぶ所
にあらず
後藤同苗ノ諸工
一同苗の譜第。前の系図に著といへども、猶見
易からしめんが為ごゝに贅す、其ノ品題に至。
ては.言鑑ければ、後編に譲りて.これを略
せり
昌乗
元祖の弟にて.納子の名人なり
元乗残
喜左衛門と称し.光乗の弟なり
十一巻――――――――――――――――――――――――――
琢乗
一諱は光宗、孫左衛門と称ず・元乗の子なり、
加州大納言殿御名にて金沢又能州七尾に在留
し後京師に帰とみと
石乗
一諱は光経。喜たまつと称す。琢乗子なり
傳乗船
諱は光広。宇兵衛と稱ず。石乗弟なり
光利蛾
孫たまつと稱す・傳乗の長子
乗巴
諱は光俗、喜兵衛と稱す。傳乗二男なり
光生
喜兵衛と称す•乗巴の子なり
長乗
七郎兵衛と称す、徳乗弟なり、上後藤のはじめ
立乗
諱は光頼・七郎兵衛と称す・長乗子なり
覚乗牙
諱は光信.勘兵衛と称す。立乗弟なり。寛永の
○廿三
太閤国
芝製十郎店
一頃加州黄門より三十人扶持下しおかれ京
一師より顕乗と交代にて隔年金沢に在留す
乗円
又左衛門といふ覚乗弟なり
乗仙
又左衛門といふ乗円子
昌乗
諱は光政・市郎右衛門と称ず・乗圓弟
乗蓮
諱は光成.伊兵衛と称ず.乗仙弟
乗清
源八と称す。乗蓮弟
喜乗
諱は光則.瀬兵衛と称ず。乗蓮子なり
光質
一郎右衛門と称す、昌乗子なり
寂秉
源實又源乗といふ。覚乗子なり
演乗戦
諱ハ光英勘兵衛と称ず.寂乗弟なり覚乗死
後其禄を蔽ひ、悦乗と交代にて、金澤に在留
す、其頃加州御用向の彫工彼地に多きにより
て、御免を得て、京師にかへり。子孫今に
加州より三十人扶持を下さる
光平戒
十右衛門と称ず。演乗の弟
光武
三左衛門と称ず・光平の弟
達乗州
諱は光房勘兵衛と称ず。演乗子なり
実乗
諱は光雅・達乗子なり
光令糯
勘兵衛と称す。実乗子なり
益乗郷
諱は光治.立乗の子なり
嶺乗
諱は光親.源四郎と稱す。益乗子なり
清乗瓶
諱は光長・權兵衛と稱す・立乗弟なり
咒咒畧畧
○卅五菜翠館蔵
順乗飛
諱は光明權兵衛と称す。清乗子なり
秀乗
諱は光豊権兵衛と称す。順乗子なり
光教
権之介と称ぞ。順乗弟なり
益信
一采女と稱し。洞雲と號す。法橋位に叙す。探幽法
一印養子と成。画を善す。彫物に於ては、多く見らず。
後はやめられしにや立乗子なり
海乗
諱は光綱•三郎四郎と称ず•益乗養子
攻エ乗
一諱は光定七郎兵衛と称ず。海乗子なり
光雄
七郎兵衛と称ず、隆乗子なり
休乗
諱は光忠、源兵衛と称ず。顕乗弟
運乗
一諱は光如。源右衛門と称ず、慶乗弟
就乗
一諱は光隆三郎右衛門と称ず。運乗子なり
光旧財
源右衛門と称ず.就乗子なり
源太郎殿
就乗子なり
慶乗
ハ二
諱は光詮源兵衛と称ず初作乗と云休乗長子
林乗
一諱は光実半左衛門と称ず。運乗弟
法乗刑
諱は光方半左衛門と稱す。林乗子なり
光信州
半左衛門と称す・法乗子なり
光敷
光信弟なり
即清
庄三郎と称ず。即乗子なり
良清
良重といふ、小判座をつとむ。程乗子なり
○幸正翠治蔵
記念言書之二
悦乗
諱は光邦理兵衛と称ず・程乗子なり程乗の名跡
を嗣加州より賜はる。百五拾石の禄を襲ひ、演
乗と交代にて、隔年に金澤に在留し、中年に
およふ。御免を得て。江府に住す。其子孫今に故
のごとく加州より禄を下さる
光治
源一郎と称す
光倍
一人の神と称す、悦乗子なり
寛乗
一諱は光永・後光利と改め。八郎兵衛と稱ず・程乗
の弟なり
俊乗
諱は光永八郎兵衛と称ず。寛乗子なり
快乗
諱は光勝八郎兵衛と称ず。俊乗の子なり
設乗織
諱は光富七郎右衛門と称ず。寛乗弟
作重郎
○粟亜琴治成
第六十六一巻之一〇十八一盞
殷乗子なり
光黄感
七郎兵衛と称す。作重郎子なり
仙乗
諱は光清.太郎右衛門と称ず.殷桑弟なり
源之允
諱は光寿初光誰といふ。仙乗子にして。廉乗の
養子となる
泰秉歌
諱は光尚、治左衛門と称ず。廉乗弟
乗與
諱は光近・泰乗子なり
光奇
治左衛門と称す・乗与子なり
乗賢
一諱は光喜源四郎と稱す。廉乗子なり。貞享元
年四月十九日没す・二十九歳
光幸五
源次郎と称す・乗賢弟なり
光佐狐
○廿九日本附着
唯吉と称す壽乗子なり
光儔
天明四年甲辰十二月ニ
家督トナリ光守ト改ム
吉五郎と称ず。光法第
光典
吉次郎と称ず。光儔の弟
一
附
後藤氏折紙花押并印記ノ図
徳乗
五十代目折紙此
時ヨリ出ツ
榮乗六代
徳乗
浅葉也栄三忠画
十五
十九
七代
顆乗
一玉季節茂
即乗八代
□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□
光重
九代
程乗
四
徳栄顕即四代此裏判を
用ひられしと見えたり顕
乗はよりは程乗同やうの
判用られし事ものす
よしいかゝにや
図
廉乗十代
四
程葉
廉垂
○卅一芝翠棺蔵
通乗
十一代
一米五斗余
寿乗十二代
光寿町
一銀二疋
素理
延乗十三代
十四代
桂乗
青竜
光孝
亀
光守
○廿二匁十
右折紙に用る所の花押印記等各本紙
を摸写する所にして毫も差ことなし。是
此ノ道をこのむ。人の。尤知べき緊要なり。前
にもいへるごとく、折紙の出る事、五代目徳乗
より起れり。よて此にこれをしるして。当代
に及ぶ、凡十四代の次第を暗記せんには、祐
一宗乗光徳栄顕即程廉通壽延と指を掘して。
これを称ずれば。容易覚らるゝ事、誰もしれ
一類所なれど。猶童蒙の為にしるせり
装劒奇賞巻之二終
荷負担
□□□□□□□□
剣奇賞
諸工名譜一
装剣奇賞巻之三
通籠
浪華
稲葉
新右衛門著
彫工諸家名譜
京新町武者小路住ス
宗宗興
横谷氏名ハ盛次稱二次兵衛ト
寛永年中下二リ江戸ニ一正保年中被レ為スレ為スル為セ二仰キ付
御彫物御用一ニ頂二戴ス御蔵米貳百俵二十人扶
持ヲ住ス二神田一一此ヲ曰二祖父宗興ト
上手なり。家風をよく得て。頗にがみある作也。
名ハ次貞稱二次兵衛ト宗興ノ家興ノ家督ノ勤二
宗知
御用一ヲ貞享四年ニ没ス
宗珉為
名ハ友常號二ニ避シト俗稱ハ次兵衛宗知ノ家督トシテ
ヲ勒二御用一ヲ後ニ辞二ス御扶持一テ享保十八年ニ没ス
横谷氏の中興にして。世に名人と稱す。よく家風を
彫て。作にまぎるゝものあり。張これをいとひ。其名
同同竒賞一巻之三宗○乙一芝星官家
を、後世にのこさん事、をねがひて。探幽法印にた
より。或は英一螺にちなみて、下絵をもとめ、はじ
めて絵風飯金といふものを創意して。遂に一家
をなせり、是江府にて町彫といふものゝはじめ也、
此翁の工の凡ならざる、其志高く、其画趣清淡
にして、水繁に沙明なるに、遠山月を帯、連峯
にほひをふくみて。其景倒に鑿がごとく。人為の及
ばざる風鼓あり
宗興城
名は友貞江戸神田住
横谷氏宗珉子
上手なり•父の風をよくのみこみて。おとらざるを”
かなるにや。近年其賞頗る減ず、しかれども固凡
手にあらざれは、其名必発すへし
求珉当名
明和三年。父宗興隠居して。家督を嗣。上手也。
植村氏
宗峯
京都御池通富小路東へ入町に住す。俗称は升
屋九右衛門といふ、武者人物一流の彫工也
宗堅
尾嵜氏
重兵衛と称す。後藤程乗弟子
宗徹
現金壱俵
藤中氏.後藤栄乗ノ弟子
宗武
埋忠氏
宗永
岩本氏稱二平次一ト一
江戸麹町六丁目に住す
宗峯峰
桐木氏.京都北野大将軍に住す
宗印
吉岡氏江戸住
手際さつはりとして力あり。気象あらはれて社と
ず、至て上手にして、名人に亜べき作なり
宗顯
野村氏
同同佐稲宗九郎包教弟子
江州彦根の人.一に幽明子と号す
宗寛
岩本氏俗稱幸八江戸麹町住
良寛弟也後良寛弟子五郎八ヲ子トシ宗寛トクロ桑ヲ
前彫は岡邑栄宜と銘す
宗貞
奈良氏
俗称は才市といふ、江府神田に住す、奈良彫物
のえ祖なり、但シ其娘は御塗物師の家より別る
宗有
奈良氏称ス四郎兵衛ト
御飾御用を勤。越前と稱ず。江府神田に住す。
此人景色を彫に上手なり
頭領書賞書書書
宗典
喜多川氏二代目
江州彦根の人。藻柄子と銘す。しかるを世俗或
はあやまつて、モガラシとよむものあり、一笑に堪たり
宗左衛門
妻谷氏。薩州の人。後江戸に住す
宗兵衛
右宗左衛門子なり
紀氏江戸住
宗介
一明珍大隅守と称す•信家の末葉と云•よて信
家作のの•又は冑鉢に折紙を出せり
宗久
藤田氏円右衛門と称す、埋忠信房弟にて、藤
田の家を嗣ぐ、加州金沢の人なり、細工手づよく、
鮮明にして・上手といふべき位なり
宗房
藤田氏。丈助と称ず。宗久の弟。金澤木新保町
に住。兄と並称ずべき上手なり
宗吉
象ノ眼師なり、正保年間伏見より加[州金沢に
移る、禄百石を賜ひ、兵部と称す上手なり
四一戔翠飯蔵
兵部弟子
宗次
次郎と称ず、加州金沢象眼工
宗長同上ニ
九郎次と称ず。加州金沢象眼工
宗義
一埋忠氏。橘宗義と銘し。数馬助と稱す。大坂の住
宗益
井上氏
上京狩野辻子に住す
宗由心
江戸住
宗理
其姓未詳。嘉平次と稱ず。宗珉弟子なり
一松平肥前ノ守様御抱になる
宗則
其姓未詳稱弁之助京師住
鉄屋源兵衛弟子
宗利
鍔工なり。其銘を見るに表に上佐国佐国住朝珍
一宗利。裏に神道五鉄錬と題す。鉄の冶ひて
上手なるものなり
第三章第一九巻三〇五戔翠飯油
利利治
利
奈良氏稱ス二四郎兵衛ト
江府に住す。手際清楚にして気象あり。上手
といふべし
利永
奈良氏
七郎左衛門と称ず江府神田に住す
利光
奈良氏称七郎左衛門ト
江戸山伏井戸ノ住
宗閑と號す・七十二歳にて没す。利永子なり
奈良氏太兵衛と称す。江府本庄に住す利永
利寿五
の弟子なり名人
一其細工家風にも、横谷風にもあらず、草花鳥類
等•甚しほらしく•世競ふて一流と称美す•已
前より縁のこしき•弐三分ある縁など•当時は
やりし故。奈良風を擬する人多く。数品あれ
ども此人の手際に於ては企及ぶべからざる奇
一巧あり、しかるを近年奈良彫のしほらしき
ものには・必ず利寿の銘を彫るもの見えたり・
是燕石の玉に似たるたぐひにて。下和氏の一
一顧に分るべし
利随国
江戸神田の住.其姓未詳.矩随弟子
利國
○求翠飯庵
江府の住。奈良風なり。
利助
植村氏
京富ノ小路御池下ル町に住す・俗称升屋利助と
いふ。宗峯弟子
姓氏居住等未レ詳
利長画
藻出の鯰などの縁頭に此銘間見えたり
利光画
利貞
姓氏等未詳江戸ノ住
但シ前ニ出タル奈良利光トハ別人
氏等未詳佐渡ノ人
鍔工なり、透無地とも、鉄の冶甚だ精良にして、
工亦至て上手なり
金
重右衛門
黒瀬氏
後藤廉乗弟子
重次
岩井氏茂右衛門と称ず。後藤廉乗弟子
理忠氏京師人
重吉
初重義といふ。義満公に仕へ奉る鍔縁頭
などを作る上手なり
重吉埋忠氏京師人
一彦二郎と稱ず・明壽と號し将軍義昭公・
一豊臣秀吉公及び関白秀次公に仕ふ彫物は希代
の上手なり。鍔又剣をも打し人にて。今に至
て。これを珍重す
重義
埋忠氏
彦二郎と称ず法橋位に叙し。明真と号す。
刀剣の銘には、家隆と切れり、此外他国に、埋
忠を姓とする彫工あるは。皆此家の弟子筋な
るべし
新七ト称ず
重長
重次
喜八郎と称ず
辻山城守弟子家
右共に加州の象眼工なり
重基或
京都佛光寺新町に住す。俗称鉄屋金兵衛と
いふ、始武教と銘す・鉄屋傳兵衛弟子
重広
吉岡氏
江府に住す•奈良風なり•吉岡•の元祖
重光丸
大森氏江戸金龍山下住
与市と称ず、英昌前彫に銘する所なり
重光善
中村氏
半七といふ江戸の住
重治
奈良氏
重兵衛と称ず。江戸の人なり.利永弟子
重啓巫
奈良氏
江戸に住す
渡邊氏
重綱
佐々木氏京師ノ住寛永年間ノ人
重賢病
重二郎
姓氏等未詳京師本満寺ノ辻子
重勝
正阿弥住所等未詳
重信
姓氏未詳俗稱喜太郎京師ノ任
鉄屋伝兵衛弟子
来乗意図
奈良氏江戸金吹町に住す
飜
前彫ノ印
如此ナリ
此人初奈良太七と稱して.奈良善三弟子なり。
一に一翼堂永春といひ。後杉浦仙右衛門と改て。一
深川御屋敷に住すと。其彫工鍛錬精到。已に石
人の城に至れり。奈良風の一変にて。肉合彫と云
ものを創意せり。是を其師家にくらぶるに。所
調青は藍より出て。藍よりも青きの類にて、超
凡の奇工なり•其整つき直にして•気力をふくみ•
これを掌上に翫ば其妙を視ごれを刀剣に装へば
は品を高する事。誠に名人の境といふべし
表則竒賞八巻之三巻
大地震飢饉
和維諸書化九二十九年
乗資
藤井氏
後藤廉乗兼兼兼兼兼兼兼兼兼兼兼兼兼兼兼兼兼兼兼
乗知
乗竹
佐〻木氏稱二庄兵衛一ト一京師並町住
後藤勘兵衛弟子
磯野氏京師住
俗称升屋文右衛門寛延ノ比小左衛門と改む
焉井氏大坂菅田町善菴筋住
乗光
俗称升屋宇兵衛京師井屋喜兵衛弟子也
恵忠吉
志
野村氏
辻平八と称し、江府に住す、津尋甫弟子なり
忠義画
江府住
一地磨にして、傘に冠などの彫物あり、縁頭など
随分こしきひくし。奈良風なり
忠兵衛
江府の人。宗珉弟子也
忠七
小田氏薩摩谷山住
一鉄物師なり。刀豆の鍔などを彫事一家也
忠平
○余言筆一君
三郎兵衛と称ず、加州金沢象眼師也、正保の
頃伏見より彼地に移ると禄九拾俵を賜ふ
忠清
庄太郎と称す、加州金」澤象ノ服し工なり
一
忠好
京師の人鍔工なり
忠道画
京師の人
忠連佐々木氏
三郎兵衛と称ず。大阪玉造に住す
奈良氏本姓土屋江戸神田龍閑町
安安親
も
一俗称弥五八、後東両と号す奈良辰政弟子也。
至て上手にして、利等に似て、同しからざる曲者
なり•たとへば光琳の梅を画き•千鳥を筆するが
ごとく他画の梅な鳥にくらぶれば別様あれども。
誰が見ても、梅といひ千鳥と見るがごとく、奇を
一このみて妙に詣れり、是又近年売造多く出
れども、中〳〵庸手の擬すべき手際にあらず、
一具眼のものは、其真贋忽に辨ずべし
安親
●無言学夢巻之三一一芝翠餅屋
初メ安信と名乗.奈良東両子にして.父におとら
ざる上手なり・江戸に住す
安重瓜布施氏稱二庄三郎ト一浅藤即乗弟子
安重風
奈良氏江戸住
安光為
野田氏
安宣
忠左衛門と称.京富小路押小路上る町に住さ
橘氏讃州高松研屋町に住す
安道
弥右衛門と称ず。上手也.高松侯御扶持
安之
安兵衛
渡部氏京風呂ノ辻子
光行初
光
菊岡氏江戸神田竪大工町住柳川直光弟子
一俗稱利藤次號二獨甫齋又崔下雀下雀下雀下雀下崔下崔下菴一ト
上手なり。横谷風にして、やはらかに品高し。
しのずしき露おもたげなれどさすがに地に
一臥ざるがごとく。たわゝにして力ある彫なり
菊岡氏
光政為
江府の人.光行弟なり
一光曰如レ此アリテ其実未詳
光状
一赤銅の縁など。地磨至て見事なるに。洲流に驚
の類を彫ものあり
光英三上氏江戸浅草観音ノ寺内ニ住
第三号号表九三三〇一二
一柳川直光弟子なり
大月氏
光林抄
鑿の痕奇麗にして気象も健なる上手なり。
於二尾陽名古屋ノ旅宿一ニ作レレ之ヲと銘するもの間あり
牙重
埋忠氏
京都西陣に住
光成紙青柳氏江戸数奇屋川岸住
良光前彫の銘にして、稲川氏の弟子なり
光慶物
江府の人
後藤氏
光守卿
此後藤氏。いづれの別れにや未レ洋。大躰の作なり
阿部氏
光國厰
俗称升屋義兵衛・京富小路御池上ル町に住す
坂元氏
光春風
俗称升屋嘉兵衛・京富小路御池上ル町に住す・生
類人物を彫事をこのむ
光行哥
京師の人
光貞
第十三丁米十三
伊右衛門と称す、宗弟子なり勢州津の人
光秀
上田氏
七郎と称す。其子も同七郎と呼。越前州片町
に住す
光政
源六と称ず、多光弟なり、加州金沢南町の
一住人。整の痕。清楚にして甚巧なり
光章
加州金澤の住にて.甚右衛門と称ず。能登後藤
甚右衛門子なり
藤本氏
光悦
伝十郎と称す。悦乗弟子なり。加州金沢の
住にて、上手なり、手際健にして、見事なる彫
なり
光定村上氏
藤太夫と称ず。越中富山に住す
光永峨
京師に住す
光暁
濃州の住光暁と銘あり。縁の天井まで金着にして。
第一十一日春之三十一四年
秋の野などを至て深彫にす
光政
光伸
右共に上に同し•世に是を美濃彫といひ。
或は美濃後藤などゝも称する事詳ならず・
一但元祖祐乗此国の産なれば。もしくは其後胃
などの支流にや知らず。今美濃瀬といふ
は.商家よりいひ出せしなるべし
光恒
大月氏京師小川夷川住
俗称山城屋喜八.光林十九世孫と云々
光義坂西村氏京師高倉竹屋町住
一俗稲笹屋源助.大月光恒の弟子上手也
後藤氏称二十七郎右衛門ト
同喜兵衛
光籌
光長
同半左衛門
同七郎兵衛
光辰
光豊
同勘兵衛
一右代々上京室町頭後藤ノ辻子に住す。これを
一上後藤といふ、同笛彫なり、各前の家譜に載
すべきを・いまだ其系譜詳ならざれば。姑く
第九五巻巻二巻
類字によつて此に列せり•くはしくは•後篇に
出して。其工をも品題すべし
光友後藤氏
右いづれの後藤の支流にや詳ならず.銘に.
於二江州彦根一ニ彫レル之ヲ行年六十三歳と見えたり
芳芳章の
田中氏称二五左衛門江戸湯島天神下ノ住
後藤利兵衛老倫弟子
芳信盃
百寿軒ト號ス江戸神田永富町
俗称市十郎
芳宣ト銘あるもの同作也
先
知義
長州萩の人上手なり
仁太郎氏江戸神田錐冶町住
一金左衛門と称ず。後鋪随と改む。政随弟子也
知真地
弥七といひて。京師の産なり。後大坂に住せり
其
其阿彌
其友
姓名居住等未詳鍔工也
姓氏居住等未レ詳
地磨に藻出の鯉或は海老などの縁頭間見ゆ
第一十一巻一巻
如
江口竹越村上氏江戸住二増上寺新門前ニ
如如竹越
其はじめは鎧の象眼師なり。其父も同。是を
業とす。此人の象‾眼に於ては一流といふべし。至
て上手にして、群を出づ、今名に因てこれを
評せば.竹の外直にして.中虚く一点の障
なきかごとく。工ずして自然の工あり。其薬の
一溺くとして清風を含み。見るものをして、涼
からしむるの奇致あり
如筆述
すべて草書の銘にて。文字詳ならず•尚或帯の字
れども.字典に出たり.故にこゝに.
にてもあらんか筝は竹の名にて.多く見えぬ字な
しるす。猶後考を待のみ
是も象眼路なり、手際無〳〵麗にして、如し竹にまがふ
もの多し、如竹弟子にて、後子となる也、
如鉄
一如-竹の娘にして。世に娘彫といふ。其字未レ詳
如水為
加茂氏孫山光堂と銘す•京師の人
如竹ノ弟子江戸芝神明前住
如柳
如拍
如竹弟子俗稱和助江戸赤坂田町住
後改ムル仗英ト上手ナリ
始泉如竹第「子ニヤ未詳象眼ノ物見エタリ
如泉
如篤
草字にて如蒿に作るもの。蔦の字なるべし
江戸人
○一九三十九巻之三十七戔
四十貫政蔵
柳川氏
後法名宗圓ト名ク
三左衛門と稱ず・江府神田の住.初メ吉岡氏を
師とし、後宗珉弟子となる、甚だ上手なり、但人
物を彫る事をこのまず・其最長たる所は獅子也•
是を横谷獅子と賞して、一流とせり、或は野馬
等亦妙なり、其手際竒麗なる事、納子に至る
まで、精到力あり、石はしる瀧のあたりに、紅葉
のさかりなるを望がごとく、見事にしてすごき
所あり。尤珍重すぐきものなり
直光面
柳川氏江戸神田ノ住
利兵衛と称す、直政弟子也、柳川風にして恰
も直政手つきによく似て。さらに横谷風を
一かねたり、鏨の跡つくろひなく。勢の屑を尚び。
其滞、洒たる事、浅茅の上に、村雨のそゝぐがご
サツハリ
とし
直政死後三左衛門と改め、
後別家すと云〻
直克風
稲川氏江戸神田永富町住
文四郎と称ず、直政弟子能其工を得たる横谷
風にして至て上手なり
直矩
小中村氏
金四郎と称ず。直政弟子なり、江戸の住
□同□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□
第九十八巻之三
佐野氏江戸白銀町住
直好瀧
秋本侯の御抱
利八と稱す直矩の弟子なり。横谷風にて、
其品高く上手なり
直久
姓氏俗称未レ詳.直政弟子なり.江戸の住
直春哉柳川氏稱二小平次一ト
直春灰
直幸の子江府神田に住す
直利
森川氏稱二久次郎ト一江戸神田濱松町住
彫物師なれども鯛子を蒔こと名人といふへし
直旧砥尾崎氏称二要八ト一江戸新橋惣十郎町ノ住
家風に似て、龍又は獅子を彫事、別して功者也、
直孝柳川直政弟子江戸住
直績圓遠山氏江戸浅草大音寺前住
直随
隨
伝蔵と称す矩随弟子なり
直常○加藤氏江戸神田三河町
直常□
市郎兵衛と称す
直幸四
直次
柳川氏稱二テ小平次一ト一直政弟子江戸人
此人柳川直政ト銘スルモノアリ
清水氏稱甚右衛門ト江戸住
直政弟子柳川小平次直春実父也
○十九巻四十九巻
第一巻壱八巻之三
直之
江戸住
直政尾崎氏
初は喜右衛門。後に孫左衛門と称ず。江府数奇
屋川岸南さや木町住.其彫奇麗にして、気
一象つたなからず古にはぢざる名人尤家風に精し
直次
直道為
京師住
宗田氏大坂住
又兵衛と称ず。後入道して道直と改む。その
先京師の人、父を徳直といふ、人物を彫る事
上手なり•高彫肉合彫等•至て見事にして力
あり.但売物に出す仕入の物は.其作大におとれり
宗田氏大坂住彫助師
直重蔵
直道子にして、父の名をおとさゞる上手也
宗田氏大坂住
直峯姫
治助と称し•一山齋と号す•直道弟子也•
弘良
桑村氏加州金沢ノ住
盛良弟程乗弟子上手
佐左衛門と称じ。古工と号す。大聖持飛騨守様よ
り禄百石を下さる。後浪人し入道。して浄空と称ず。
弘次画
姓氏居住等未詳
「長割奇貞「」巻之二十一之星官氏
弐俵一斗八巻五三
序克湖
菊池氏
稲川直克弟子、江府下谷根岸ク住.柳川流にて.
高彫の上手、毛彫は一流也・手際ものずきより、
品の高きまで。よくとゝのひたる事。仰山にいへ
ば智勇無備といふ心持ならん
序光姫菊池氏称二伊右衛門一ト
序克弟子にして、江府神田に住せり。柳川流の
毛彫に巧にして・甚うつくしくやはらかにぎれ
いなる彫也、恨くは。其勢頗るゆるめり。
序春団
江戸神田住
一宮氏
長常病
柏屋忠八と称して。滅金師の弟子なり初メ雪。
山と銘して、後越前大掾と受領を下され、一
に含章子とも号し.京都麩屋町二ノ条下ル所
に住せり。此人の彫工の妙なる。実に天然と
いふべし.其初メ笋.或は土筆蝸牛蛙等の.生写
ものをこのみて。人をして目を驚かしめ、次第に
一彫球に自由を得て。縦横くのまゝに”龍式は獅子”
又は人物など、時に臨み需に応じて彫出す事。
一竒し妙し當世の神工といふべし、故に世の賞
「一「」長之序長〇十一芝畢官成
一玩も亦大かたならず・いはゞ田毎の月のながめ
異なれど。姨捨山のみね高き心もちより出て。
其手際の自由に、趣の品高きまで、恐くは其
一右に出るものあるべからず。豈賞して。且珍とせ
ざらんや
京師ノ人後住ス二大坂一ニ
長義幾
長常の子にしてよく其妙をうかゞひ得たる上
手なり
長春
江戸住
一乗意風也真鍮の縁頭など多く見えたり
長重
九郎右衛門と称ず。加州金沢象眼工宗吉が末
流とぞ
象眼工
長吉
久次郎と称ず。同ク加州宗吉が未流なり
長兵衛姓氏未詳江戸馬喰町四丁目
長兵衛
菊をしづめ彫にする事上手なるをもて、世
に長兵衛菊と称美す・其工今伝て三代也
長房
正親子野村正次弟子
平田氏稱二市左衞門一ト阿州徳島紙屋町住
表刻奇買一巻之三○十二迄畢官成
久則両
一芝翠餅籠
蓬塚氏稱二文次ト
水戸大学ノ頭様御家中なぐさみ彫也
一其細工至て精く、両面の色絵分の一流。甚だ細二
一密なるをあざやかに仕立られし所外に及ぶもの
なし、近年贋物多く出れども、凡工の決して似
得べき所にあらず。真物は妙なるもの也
久薫
十九
江府住
久清酒
加州金澤住後藤七兵衛詮清子
一上手なり。葡萄に蜂などの縁頭。殊に出来物也
久助
千代氏作州津山住
一鑿の痕奇麗に。よく調ひたる上手なり
江戸神田大工町住
政政随
・或ハ閑径又
太郎兵衛と称し、乙柳軒又は驪風堂、
蜂斉などの数号。ありて.
ハ味墨縄
或は珍し或は銘せるも見えたり。
其銘する所一にあらず
奈良利等弟子なり、其彫一流をなさねども、第
一手づよきをこのみて。気象をあらはし、さつ
ぱりとして勢あり、是も仰山にいへば。虎嘯ば
風おこり、龍吟ずれば、雲を起すのこゝち見
るにこゝろよく爽然たらしむ
政光
金子氏加州金沢在住後原、師に帰る
前田近江守殿ヨリ弐拾人扶持下サル
吉之丞と稱して。九代日程乗下彫工の中にて。
同十三一升六合
格別の上手也但此金子氏其糸未レ許世に聞えし
金子氏は、其祖を吉之丞義治といひて・光乗弟子
なり、歴々の庶流よしなれども、彫工に名誉を
一揚られ、子孫今猶連綿たり。其五代目利興
義治事。錯て名。譜に脱せり。故に
紀州様御細工人となれり
こゝに附記す。委くは後篇に出す
細野氏京小川二條上ル
政守殿
宗左衛門と称し•毛彫象眼といふものを創意
して一流をなし、高彫色絵等、各妙ならざる
一事なく、誠に工中の英物なり、昔郭林宗が人
となりを評せしに。憶不レ違レ親貞不レ絶レ俗といへ
るがごとく、何となく其品高く、徳そなはれる所
あり。花錬磨を経たる上手の至る所ならん
政晴
麟風堂と号す.江戸の住
菊川氏
政恒
江戸に住す・其手際奇麗にして力あり。上手
といふべき彫琢なり
政重面
姓氏未詳江戸ノ人
政長成
同上ニ
同ノ上に
政応
第六十一巻二巻五七一
政春
國岡氏
國岡氏政春酒楽作と銘す・江戸の住
正阿弥埋忠氏
政徳
市郎兵衛と称ず.京都西陣の住
正阿弥
政昌
播州赤穂の住
政平
勘七と称ず、加州象張工辻山城守末流
改信
勘兵衛と称ず政平[サ]子なり
正
正長石
奈良氏利永弟子
清六と稱ず、江戸浅草御門内馬喰町四丁目に住
す、其手際奇麗にして力あり、薄に蟷螂、又は秋の
聞など、殊にしほらしく上品也。此人の彫縁は。疎
密を兼て。よく鍛錬したる上手なり
正程
橋部氏
後藤程乗弟子なり
正治願
正親
富士氏江戸西久保永井町住
富士氏
上手ナリ
奈良氏同横山町三丁目住
正長子
清六と稱し。初は乗和といひて。乗意弟子分と
駿渕寄貴一巻之正正〇十五芝親信成
第無書膏膏一巻、第一巻、第一巻
なり、正長没後二三年は正長とも銘を切。後又正
親と銘す。乗意は其伯母聟なるを以て。弟子分
となれるなるべし。其工は父に及ばねども。亦庸工
にあらず
○奈良氏正長弟子江戸両国駒留橋住
正敷疑
號菊壽壽齋ト
善二と称し。初江戸にて正次といひ。中頃正幸
と名乗、後正敷と改。一に亀光とも銘す。老後
大坂に来り住す・蝠龍を彫に妙を得て•一流を
正間河原氏江戸小伝馬町二丁目住
正間
なせり
徳たまつと稱し。奈良正親弟子なり
正虎の
西川氏
江戸赤坂畔鍬谷に住す鍔工の上手
正重死奈良氏江戸八丁堀辺ノ住
新太郎と稱ず。奈良正親弟子也
正欠
野村氏
阿州侯御抱
江戸京橋に住す・野村忠吉弟子
伊藤氏
正信画
俗稱鍔屋太助。京師新町松原下ル所に住す。鍔
師なり
正恒
伊藤氏稱二甚右衞門
御鍔師一流ノ元祖
伊藤氏稱二甚右衞門江戸神田ノ住
同十一同十一同二十一同一同一
第三章
一細透鍔の作に於ては独歩の名工といふへ」
正方伊藤氏江戸神田ノ住
細透。すき彫鍔工なり正恒の子
正治
江戸に住す毛彫工なり
正尹氏
江戸に住す・正尹と篆文にて紹す
正親
いまだ何許の人なるをしらず。奈良正親とは別人也。
正元
磯野氏京御池柳馬場東へ入
一俗稱升屋小左衛門
正伯
磯野氏
俗稱住所等同レ上ニ
正入同上京二条麩屋町西へ入
同十四日俗称小左衛門後小兵衛と改
正博同上
初め正勝と銘す。俗稱住所並同上
正克
其住所未詳。其彫を以て推すに。京彫の上手とん
ゆるなり、上京の人なるべし
○七七十四里飯
正國
肥前唐津住
鍔など細透の上手なり
平尾氏備後福山住人
正則画
地がねあつく•てつつりとせし彫なり•江戸の町
彫の心持にて、地磨地石目等をこのむ。いまだ
鯛子地のものを見ず
正種公津田氏京都鳥丸八幡町に住す
正種巫
俗称白銀屋彦兵衛とて.白銀師の上手也.彫物
師にはあらず。縁ひ。目貫。小柄。鍔などの直しもの
をする事功者也
正次減
江戸芝新銭座に住
正國
正侶
姓氏未詳江戸住
細透鍔工
姓氏未詳備前岡山住
無垢入レ縁頭など至て見事なり
正安
平田氏
五代目
ナリ
阿州徳島紙屋町住
與八郎と称ず。象眼工なり
正寿
玉川氏常州水戸鍛冶町ノ
文平と称ず、美寿の子なり。後江戸浅草の子なり、後江戸浅草
任す•父におとらざる上手にして。甚だ奇麗に。
○七八八芝翠町
器用なる作といふべし
村上氏江戸芝宇田川町ノ住
正則石
唯七と稱す、如竹弟にて、象眼高彫ともに上
手なり。しかれども其位は如し竹に下れり
正勝
姓氏未詳下総國佐倉ノ住
初メ唐津中比小田原ニ住スト云云
正次
松村氏江戸住
正道正
阿州侯ノ御抱一
姓氏居住等未詳但シ阿州侯御抱一
スルトハ別人ナルモ知ルベ
カラズ・識者正シ玉ヘ
野村山道トテ江戸住ノ人アリ此ノ花押ヲ銘
正親
平田氏稱市左衞門ト阿州徳島紙屋町住
津尋甫弟子阿州御扶持人
信
信時
安堂氏
平七と称ず。尾州名護屋大津町の住人なり。
赤銅地磨。高象眼むく入など。甚だ見事にして・
結構なる事。蜀剣にまされり。人あらそひて是
をもとめ•たのみ来る人。門前に市をなすがごとし•
一生。得一癖あるをのこにて。これをいとひ。のがれて京
師に遊び。終に其名をかくせり。其作物たま〳〵に
出れば。価必ず貴し。最もをしむべきは此人也
信方
江戸住
奈良弥五八を学べり•其姓俗称等未詳
「同痾借二人春之三信○卅九一芝翠館
信益
主水司従六位ノ下・主水ノ舎史原井氏など銘す・
其居住等未レ詳
江戸住
信清玉
信房
理忠氏
清之丞と称ず。加州金沢の住。棄村古工の弟子
なり、手際奇麗にして古色あり、上手といふべし
信重
奥州会陽ノ住正リ阿リ阿リ弥藤原一氏と銘す、俗称未レ詳
大躰の作なり
信安後藤氏
與たまつと称ず。大坂伏見握弐丁目に住す
姓氏未詳奥州仙台ノ住
信経
此人の作別して細金無垢入物金無垢入物上手なり
東孝奈良氏江戸小伝馬町貳丁目新道ニ住
伊八と称ず正長前彫の銘也
陳喜
辰刻新賀春之三丙○三十一定解消滅
英
英昌政
大森氏江戸淺草三軒町住ス
俗稱與市直政ノ弟子
一ニ幹支間の銘あり。大森流の元祖上手なり
英秀弧
大森氏住所同上ニ今浅草柳橋ニ住ス
英昌弟子にシテ後子となる
喜惣次と称ず。世に大森一流と称するは、此人より
盛なり。其彫。琢岩をつんざく勢ありて。しかも甚
竒麗也、四分一に浪などの深彫至て見事に
又梨子地の深牡丹の類は。真似のならぬほどの妙
あり、宗珉の一輪牡丹を擬して、創意せられし
ものと見えたり。武者物殊に妙也。
英精
横谷氏稱ス伊右衛門江戸新橋守山町住
後ニ改宗祐宗興兄
至て上手なれども、其作世に不レ多クハ知ル人稀也
英精
二代目現在江戸京橋太田屋敷住ス
初石川久蔵ト云寓物ノー手後邑球ト號ス
上手なり、此人肌縁の手利にして、達者なる
事およぶものなしたとへば小刀柄などを頼
むに。興に乗ずれば。其まゝ鑿を弄びて数柄を
作る事、奇々妙々、旁に人なきがごとし
英茂
英辰
英精ノ子稱二ス巳之助ト一初銘一
大森英昌ノ弟子江戸浅草住
英幸代
江戸に住す
辰刻許官春之三挺○廿一定畢宮城
英知
英盈
英雲
右共に江戸に住す
ハ花川上氏稱二半十郎ト一
英直画姓氏居住未レ詳
英欠弐横谷氏江戸人
英次派
一古英精弟子にて.後養子となる
痔
常珍画
古川氏現在
元珍子にして、江府馬喰町三丁目に住す・鑿
つき竒麗にて・上手なり、其工父にまされり・
一鈑花匠なり何六高彫のものも見及へり
辻氏
常成辻氏
孫助と称し.楽水堂と号す.江州国友村の人.
辻丹治従兄弟なり、臨川堂の風をよく擬し
て、人々賞せしに、早世せられし、遂に余年を
一悔さば、臨川堂におとらざる名工と称せらる
べきに。遺憾少からず
常和奈良氏江戸住
喜六と称ず。弥五八弟子なり
常重川村氏江戸神田ノ住
一市右衛門と称ず・初関口了嘉と銘す
常定
一江府神田に住す菊池序克弟子なり
常克窮
江戸住俗称姓氏未レ詳ナラシ
常榮
同上
常隆死
姓氏居住等未詳ナリ
常直西
一久兵衛と称ず、長常の弟子なり、揖州高槻の
産にて、後京師に住す
常道
姓氏未詳京師ノ人
常勤好
篠崎氏常州水戸白銀町ノ住
勝国の子なり。庄三郎と云。後雪軒と号す
清
清次郎
後藤氏
其名未詳も加州金沢の住.後藤市右衛門子なり.
其作を見るに、奇麗にして力あり、上手といふべし
後藤氏
清左衛門後藤氏
一是又名乗詳ならず、加州金沢に住して。久清が
第也。細工は上手にして。珍重すべき所なり
清冷後藤氏
七兵衛と称ず。久清が子也。加‾抄金沢袋町に預
す。是又上手にして賞すべき彫工也
清定
其姓未レ詳、奥州仙台魚屋町に住すと、其作甚
見事にして上手なり
島村氏江戸神田橋本町住
清吉
直利弟子なり.納子を蒔こと上手
清安進伊藤氏江戸住
清安進
一墨絵様の象眼など頗る奇也。但し如く竹風也
清助
尾州名古屋長者町の住。姓名未レ詳ナテ
清乗
後藤氏
利兵衛と称ず・江戸浅草堀田原の住なり・江
〕
戸にて広東鍔の作人
清吉
後藤氏、
同江府両国横綱に住す、後藤清乗の弟子.鉄に
一象眼を施事、別して妙から、其外何にことも。うつし
ものゝ上手なり
清久松井氏
長州萩府の住.鍔工なり
十月七姓ノ氏未評鍔屋ト称ス大坂南糸屋町ニ住
清七
鍔工の上手なり
尹泰
伊
右は彫工の名にあらず・江戸神田龍閑町
に住す、伊藤三郎兵衛といふ小道具屋の物
好にて、矩随風の彫工をえらみて、これを製
せしめ銘する所也•尹泰の字は•伊藤の旁を
割取たるものとぞ
尹重正姓氏未詳江戸ノ住
株
孫七
孫四郎
姓氏未詳尾州名古屋住
清助弟子
姓氏未詳備前岡山ノ住
白銀師上手
同同所賞長之三尹孫○七五左長官官義一
右
姓氏未詳長州萩ノ住
有有秀
有重四奈良氏江戸ノ住
高
岡本氏京佛光寺通室町ノ住
尚茂成
世に鉄源
俗称鉄屋源兵衛
一鉄屋伝兵衛弟子也
といふ
初名敏行といふ一に正楽の號を銘せるあり・近
氏独歩ともいふべき名工なり。第一鉄物を治す
事、古来其右に出るものなし・ものなし、金銀
赤銅四分一など、各鑿痕奇麗なる事。半時
一菴が発句に出る日を松にはかせて初ざくら・と
歟。気しきどりし風情なり。惜哉安永九年。
にはかに没せり、しかれどて其名今に高く、其
作ます〳〵賞玩せり
姓氏未レ詳俗称鉄屋文次郎鉄ト伝弟子京師
尚房
一尚茂養子となり、後鉄屋伝兵衛へ帰る
尚道
尚方
尚友
姓氏未レ詳稱二ス庄助一鉄傳弟子京師
同レ上稱二ス長兵衛一ト尚-茂弟子後為リ養子ト一改二。源兵衛ト
同上稱二伊兵衛子
姓氏居住等未詳鉄屋文次郎ト同名別人ナリ
尚房五
一表例所定二三有当則矩○七七匁冬一
同
則虎
姫氏未詳江戸住
同上ニ風上
則久函
如し竹風の象眼工なり
○十一ノ糸一色ヨリ
姫
浜野氏野ノ字聖ニ作レリ俗称忠五郎
矩随国
江戸神田小柳町ノ住
政随の弟子なれども、乗意風の肉令彫なり、近
一年外にても此人の作に擬すれども。決して及ぶ
べからず
矩最甲沢氏矩随弟子数江戸住
装劔奇賞巻之三終
ち
上
宿泊り
装剣奇賞
諸工名譜其二
や
今
装劔奇賞巻之四
浪華
稲葉
通龍
新右衛門著
元元教横谷氏稱ス新右衛門水戸赤沼町住
元
菊の長兵衛弟子にて同く菊に名を楊
元孚大山氏元教子
元孚
新右衛門と称し。赤城軒と号す。水戸下町赤
洛町の住人、時又江戸芝辺にも客居す、四分
一物に、武者を彫る事、和漢ともに功者也、其
外賢人仙人などの類.乗意風の上手なり。殊に
写しものをするに妙あり。其手際甚だ奇麗に
第一一
いはじ石菖蒲を盆中にやしなひて。清斎に
おけるがごとし
古川氏
元冷取古川氏江戸馬喰町馬場住
元珍画
吉郎次と称す。初聖壽といひて.判も跡なりさ
元申駒井氏加州金澤桶町ノ往
一甚助と称ず。はじめ久清弟子。後勝木氏喜に
従ふ其彫さつはりとして上手なり
井上氏
二九常
江戸住
元春函
盛良
与四郎と称ず、後藤顕乗弟子、加州金沢に住
す、上手なり、其彫むつくりとして整目深し
盛勝桑村氏金澤住
又四郎と称ず•後長右衛門と改め•又宗順ともいふ•
古工の弟にて、覚乗弟子なり、其作奇麗にし
て和に。尤上手といふべし
桑村氏
盛弘
治平と称し、了由ともいふ、盛勝弟にて、寛楽
弟子なり、其作兄におとらず上手なり
第三十九巻六四一三戔素餅
盛審桑村氏金澤住
盞番
一清四郎と称ず・盛弘弟・演乗弟子・是又上手也
盛征桑村氏金澤住
盛征
次郎三郎と称ず、富久の弟にして.古工弟子其
作きれいに其品高く。上手といふべし
盛津
桑村氏金澤住
金四郎と称ず。盛審子にして。程乗弟子なり。
通龍
大規模様
字な
るべし
其作きれいにして和に。上手といふべし
盛慇
桑村氏金澤住
一福の字詳ならず
善次と称ず・盛津の弟にして.古工の弟子也.其彫
甚だ見事にして。賞するにたへたり。各又父兄に
おとらざる上手なり
盛明桑村氏金澤住
盛明
治平と称ず。盛弘子にして上手なり
盛定勝木氏金澤住家眼工
盛定
半次郎
郎
初メ与四
一と称ず.勝木氏別家.後越中富山
御細工人に扶持せらる•上手なり•奇麗にして活
機あり
勝木氏越中富山住
盛定
半次郎と称ず。父におとらざる上手なり
第一書壱一巻之四
盛國
一鉄に雲龍の縁頭鍔などあり。鑿奇麗に密なる
細工なり
盛直奥州仙台住
加州金沢象眼工
盛定
レヨウオウム
一與三右衛門と称ず。承庭の頃。伏見より加抄へ至る。
禄五十俵を下さる勝木半二郎祖父なり
同上
盛定
興四郎と称ず。同ク加州象眼浅なり
同レ上
盛定
同ク興四郎と称ず.加州象眼師なり
金澤象眼工
盛光
勘右衛門と稱し•後彫物あとなる•其工溜酒
にして上手富山侯御細工人となる
盛光
盛定弟子家
八兵衛と称ず。加州金沢象眼工なり
盛次同上
源左衛門と称ず。同ク金沢象眼工なり
盛平同上
伊右衛門と称ず。同ク金津象眼工なり
盛國
盛定弟子家
藤左衛門と称ず。加州金津象眼工なり
盛國
一俗称等同レ上。後鍔工となる
國
国治
京佛光寺烏丸西へ入町住
後改ム治國ト
俗称鉄屋伝兵衛といふ。鉄原堂師匠なり
國正氏
京師の住。姓氏未詳ナク
国吉凶
京師の住.姓氏未レ詳な
國重
平戸ノ住人ト銘アリ•又京師国重ト云銘モアリ.偽物
ニヤ詳ナラズ
直り鍮銅四分一などに。初て紅夷画の竜などを
彫出して。一流となれり
國長植村氏京御池通富小路寺へ入丁二住
十一月十一月代左衛門来
子なり
国永加州金沢住
次郎作と称ず。其姓未詳.寛永の頃の人.
加州より五拾俵を下さる•象眼工なり•彫物は
後藤琢乗に学ぶと
国久
十左衛門
国永子
十左衛門
国久
与右衛門
国久
与右衛門
右次郎作弟子家
十一
三左衛門○名ノ頭.類字に
与三左衛門
平國
國安
アラネトモ。其類ヲ以テ此ニ列ス
國平
喜兵衛
国政
与三右衛門
国忠
権左衛門
与三右衛門
国平
八左衛門
国長八左衛門
右並に加州金沢象眼工なり
桑村氏加州金沢住
富富久
小四郎と稱す盛良の子にして程幸弟子なり
富祐植村氏
佐兵衛と称す植村高房同居の弟子なり
二秀典
秀
喜多川氏江州彦根住
彦根彫ノ初・後ニ宗典ト改ム京師.八幡町ノ産
縁頭鍔小刀柄等に。彦根彫と称して。一風あり。
鯛子など精からずして、緑の地金うすく、山高から
ねども谷へ能々鑿ゆきとゞきて。すべてざんぐりと
見ゆるものなり。彦根彫とて見えたる中に、此人。
彦根御家中川北氏の御抱へ
殊にすぐれりと見えたり
となりて氏を喜多川と改と
江戸住
秀随画
一矩随風。肉合彫なり。俗称姓氏未詳ナラ
秀永西
大森氏
江戸に住す
本の元両
一俱利迦羅竜、十疋獅子の形を小刀柄に彫し人也
秀知
俗称姓氏未詳江戸の住
秀房
同レ上ニ
秀次植村氏京師住
伊兵衛と称す。植村高房同居の弟子なり
丁
吉十郎
玉川氏
安名未レ詳.美久弟子なり.常州水戸に住す其
一作奇麗に手づよき国風をよく修行して、
一其上手なれども、世普くしらず惜哉
吉定後藤氏加州金沢住
才次郎と称ず。清二郎弟にして上手なり
山本氏
吉寛
一俗称未詳ヲ江戸の住
吉政
政随風なり。俗称未詳未テ江戸の住
吉久
正阿弥
平助と稱ず。作州津山の住。上手なり
吉次
赤尾氏稱二小兵衛一ト江戸下谷池之端ノ住
元祖ハ越前ノ人
赤銅のすかし鍔を工夫して。其名を得たる人也。
是又一流といふべし
吉長
赤尾氏江戸住
吉重
加州金沢住.姓氏未レ詳.此末流のものは.やがて吉重
をもて氏とし、吉重何某など稱せり、今猶しかり
五郎作と称し、其兄を次郎作といふ。並に実名
をよばす、世にこれを五郎作彫次郎作彫と称し
て•加賀彫の元祖とす•甚だ上手也•絵を金森宗
和君の画工宗佐といふに学ぶと。寛永の頃加州に
至る・侯より五十俵をたまへり
吉則
庄九郎
吉國
孫右衛門
吉國
長右衛門
八大夫
吉次
吉平
善右衛門○以上共に加州金澤象眼工なり
吉重弟子家
吉長
美濃住
美濃住
植村氏京柳馬場二條上ル所ニ住ス
吉兵衛
俗称升屋吉兵衛といふ。宗峯弟子なり
吉兵衛
山氏尾州住治鉄鍔名人
江戸住
吉重
良
良弘
桑村氏加州金澤住
一与三兵衛と称ず。克久弟にして。古工養子になる
上手なり、其彫奇麗にしてやはらかなり
良克及稲川氏江戸神田永富町住
良克返
直克子にして・其彫柳川直政を擬して父の作
に尤よく似たり
江戸麹町住
文寛子岩本氏江戸麹町住
良寛助
昆寛父
俗称忠右衛門後与八と改す一ニ花押作レ毎ニ
良栄砥
一鈴木氏江戸四ツ谷鮫ケ橋中町
俗称金右衛門但岡村良栄又ハ鈴木寛次と
良堯
江戸住
同同一四一巻六四一九九一一三三
良光涼
青柳氏稱榮五郎江戸神田住
良克弟子
良邦の
大月氏京師小川夷川住
市川彦助二十一世ノ孫ト云〻
良久
梅忠氏同上に
一小鍛冶末葉三十二世と云々。梅忠橘某と銘す
姓氏未詳
良盈
好
好栄
水野氏加州金沢住
源次と稱す演乗弟子甚上手なり
好春嶋長谷川氏
弥右衛門と称じ江府横山町壹丁目に住す其
初きせるの毛彫あなり
定定勝種田氏加州金澤住
吉之丞と称ず、演乗弟子・上手なり、奇麗にし
ほらしき彫なり
定時
姓氏未詳俗稱平八加州金澤ノ住桑眼工
寛永年間三百石ヲ賜
定好蔵
俗称姓氏等詳ならず
定景新右衛門
定次吉六郎
右並に加州金澤象眼工なり
姓氏居住等未詳
定寧
定義五
姓氏未詳長常弟子城州山科ノ住
上手
右同例奇賞人巻之四好定
理房
一二云
島田氏越中富山ノ住
理啓
見二庄次郎と稱し.勝木盛定弟子上手也
島田氏越中富山ノ住
理直
見水庄大夫と称ず・上手也、鑿の跡さつはりと
して。見事なる彫なり
奈良氏江戸住
理玄
理啓姓氏居住等未詳前ノ島田氏トハ別人
理房戦
藤木氏俗称幸八江戸京橋ノ住
後藤壽乗ノ弟子上手
一京都藤木流泉三男弱冠の頃江戸に赴き武島一寿
養子となり後本姓に渡す
氏氏安勝木氏加州金沢住
武
權吉と稱ず演乗弟子なり
氏春勝木氏加州金沢佳
宇兵衛と称ず・氏安弟なり、後富山侯御物
となり、姓を若林と改む、上手なり、奇麗にしほら
しき彫なり
勝木氏同上
氏広
氏春
吉郎兵衛と称ず、氏春弟也、納子の名人
氏春若林氏越中富山経氏春子
勝木氏
氏家勝木氏加州金沢住
同同十九巻一四
一一盞
権大夫と称ず。象眼工なり、寛永の頃、伏見より
至れり彫物を顕乗に学ぶと
拾五人扶持拜領と
云々
氏家
同上ニ
市兵衛と称ず。象眼工なり
氏家
同レ上ニ
加州御細工人
同く市兵衛と称し、象眼工なり、後に姓を金子
とあらため、彫物師となる
氏屋
同レ上ニ
市郎右衛門と称ず・氏家の弟・象眼工也、彫物
をも学べり、本家を相続す
氏喜
市之丞と称ず・彫物の上手・甚だ奇麗にしほ
らしき作なり、是も本は我眼工なり
同レ上に
氏宣
武兵衛と称ず・我眼工なり・永清の弟
喜兵衛
喜兵衛
氏永
氏長
六郎
貴兵衛
氏次
氏清
覚之丞
三郎
氏賢
氏宗
権之丞
八郎兵衛
氏吉
氏平
氏次
円七
後彫物工になる
氏安
吉郎兵衛
氏宗弟
訓雑言書
一一盞
氏安
吉郎兵衛
氏安
吉郎兵衛
氏安
氏照
権吉
後彫物師となる
氏春弟也
吉郎兵衛氏春弟也
周物師となる
氏照
若林氏春と改彫物工と成
権吉弟なり
氏信
氏屋弟子
氏忠
八太夫
治兵衛
忠八太夫氏威治兵
氏成治兵衛
右並に加州金沢象眼工なり。其姓勝木或は
若林等詳ならず。猶他の人も入りまぜりし
にや。くはしくはしれがたし
氏直
氏安
稱正阿弥市左衞門阿州徳島住
京師正阿彌弟子阿波象眼鍔ノ始
平田氏稱二與八郎一阿州徳島住象眼工
氏直子
馬
壽孝蔵武島氏江戸住
一□副田俗称姓氏居住等未詳、朝ノ篆字ノ鶴ノ名。文ナル
十一寸
ベシ
人形もの肉合彫、象眼きれいにて。水戸彫のごとき
ものなり
寿永奈良氏江戸神田御玉が池に住す
寿永
七
一
善三と称ず・利永弟子なり
十二時禾乃
保井氏京都住
俗称柏屋平右衛門といふ虎平弟にして。古川佐兵
衛弟子なり
三三町方
池田氏薩州住
観念書肆巻表
俗称姓氏居所等未詳
寿昌湖
寿軌色
江戸住
姓氏俗称未レ詳雲ノ梯堂と号す手づよき彫なり
岩洞に猫子など殊に見事にいさぎゝし赤銅地
がねよく色絵こつてりとしてよし
寿春
江戸住
一寿
武島氏
藤左衛門と称ず・後藤通乗弟子にして名人也
一隣五
江戸住
鈴木氏
山崎氏
一崎氏京御貫通次に住現在
一賀ひ
其先後藤
仁左衛門と称ず同名五代各上手也
就乗ノ弟子
一保姓氏未レ詳尾州名古屋長島町住
六郎兵衛と称ず.京師升屋小兵衛弟子
宗阿田氏薩州ノ住、今ヨリ六十年許巳前ノ人ト云々
一葉軒
京都生
姓名等すべて詳ならず。彫は奈良風なり
第一巻壱巻五十一
澤氏貫齋ト號ス居住未詳
一之
一保地氏未詳大坂内吉町善菴藤西へ入
一俗稲井筒屋文治、越後斎と号す
六辻氏稱二源太夫一ト号ス藍水堂一江州國友村住
一徳四氏称二源太夫源太夫一号二藍水堂ト一江州
一徳盛
姓氏未レ詳號二松栄舎一江戸任
一高画
延
延常
延秀
姓氏未詳武州玉川稲毛住
熊木氏京富小路押小路下江
俗称八文字屋市郎兵衛といふ、鋳ざらへ上鍍金もの
師なり
市
市右衛門
後藤氏加州金澤住
実リ名未レ詳。後藤顕乗弟子にて、上手と賞せらるゝ
作なり。其彫奇麗ノ品も亦高し
市左衛門福井氏同上
市左衛門
実、名未レ詳、後藤悦ニ乗弟子なり、其作を見るに、甚ダ
しほらしく姑色にして・上手と称すべき彫也
市郎右衛門
田中氏薩州住
実。名未レ詳.江ヘ戸後藤家弟子にて.今より八十年
所已前の人といふ。上手也
尾州名古屋末広町住
市平
第一十一巻五十一
市郎兵衛
山田氏肥州長崎住
実名未詳.廣東鍔の彫工なり
市右衛門
津田氏京都住
世に津田縁頭といふ是なり、地磨無銘にして、水に
一鷺”さゝに鹿。秋の野に馬。小草に牛等甚だしほらし
風韻あり
市郎左衛門
川上氏阿州徳島紙屋町住
川上半十郎子なり
鎭
大森氏初メ重光ト云江戸浅草ニ住
與市
植村氏升屋と呼京御幸町二條下ル所
與兵衛
宗峯弟子
震
辰政奈良氏江戸神田佐
辰政
忠左衛門と称ず。利永弟子
辰房
奈良氏江戸住
金平と称ず。弥五八弟子なり
丹州西亀山ノ人
辰尾州
変念音堂ノ巻一寸
釜
金金家其姓未詳伏見住
山水を彫事一流也。或に小鳥などの景色甚だ
事に.其おもむき下絵等.おくゆかしう巧めり.む
かし宗砌法師三井寺に遊びて。ゆふづくよ海す
こしあるこのまかな。と口号しごとく。琵琶の森。
漫たるを。あからさまにものせず。木間よりと。あなが
ちに巧める。風雅の旨を得たりといふべし。今金家
の工も。此致をおびて。漸に其賞を益もの。名工の
底幾する所といふへし
金七
土屋氏加州金澤住
実名未レ詳桑村克久弟子にして.上手なり
高尾氏加州金澤鍵町住
金敦
吉左衛門と称ず、甚七の孫にて、梅村助三郎の
一弟子なり、奇麗にして雅致あり上手
吉田氏京近衛殿北口町住
一文水
應乗弟子初メ野村六兵衛ト称ス
名人なり。但一生銘を切ずと・若銘あるものは贋也
文治
實名姓氏共ニ未詳尾州御金貝師
上ノ手なり
文欠郎三文字屋ト云京御幸町姉小路上ル
文次郎
一表則奇堂一巻之四金文十二之畢官代
第十章、青一巻之四一七一袋黒餅
永峯両姓氏未詳二住
永峯雨
次郎三と称ず。其父も永峯といひて。初は冨小
路押小路上る所に住せり•其彫を見るに•甚だ奇
麗にして細密なる事に妙なり。殊に武者人形
など。いきほひをふくみて。面貌までこまかに仕立ら
一るゝ所いふべくもなく。巧なり。むべなるかな其名を薬
られし事
勝木氏後田沢ト改加州金澤象眼工
永清
氏屋第にして加州御細工人上手なり。凡加州の
象眼工は。其はじめ前にもいへるごとく。伏水より寛
永年中移る所にして侯より御扶持を下され
けるより。次第に其家わかれ。其弟子つたへて。今数
家におよべり。左に列するもの。みな象眼工なり
永政
三郎右衛門
百五拾石ヲ拝領ス
永重
四郎三郎
永次
弥左衛門
永國
弥左衛門
永次
弥左衛門
永次
弥左衛門
右小市氏なり。巳下姓氏未レ詳ナラ
永良
勘右衛門
永久
源左衛門
永良
勘右衛門
永信
六右衛門
七兵衛
永久
永信
吉大夫
永吉
長左衛門
喜内
勘六
永吉
永清勘六
辰刻午一巻之四永○
琴叙言寺一人著太四
豊平
次助
半兵衛
永定
永光
永光幸兵衛永光雄
永光
永豊次
有
自厚
上村氏加州金津塩屋町住
厚ハ厚ノ字ナルヘシ
彦左衛門と称ず・後藤友清弟子なり
白立軒臥
三宅氏名、英充江戸京橋南伝馬町一丁目住
宗與弟子毛利侯御抱トナル
此人其はじめはさして稱すべき工ならざりしを
児島氏
江戸人参
附録ニ出
見所ありと。其志を励し今已に
名人と呼るゝに至れり。其工は後篇に評すべし
友清
「
彦左衛門と称ず・桑村宗順弟子.上手なり
友重
助九郎と称じ.辻山城守弟子也.寛永年中伏
水より至れり
友次同上同上
三郎右衛門と称ず。上手なり
友次
岡本氏長州萩府住
藤左衛門と称す
友恒正中井氏称ス善助ト同上鍔工ナリニ
友恒平
友清
八道氏同上
市平と称す
辰刻行賀春一日自友○七日自武
友直
友房
河治氏同上ニ鍔師ナリ
六右衛門と称す
畑氏
作州津山住
勘平と称し•父を勘七といふ•堆朱彫其外•木彫
の目貫小刀柄の類を作る事。甚だ見事に。上手
なり、塗師もよくせられし人也
友善戦
平野氏常州水戸八丁目曲尺手町メ住
保平弟子本藩御用工ナリ
伊左衛門と称ず・はじめは両介といふ•上手也・すべ
て水戸彫は其品高きといふにはあらず。只手をこ
めて・いかにも結構に仕立て、見るものをして。其手
ごもりしほどを得心さするまで。よくとゝのひたる
細[エ]て、紅梅のさかりなるに。其色はおとらねと
其香は少しおよばざるがごとし
野村氏元祖
友喜成
俗称未レ詳江戸の人なれども。阿州よりめされて
彼藩に下りて.彫工御用をつとむと
十一
友善取
友道戊
一柳氏水戸曲尺手町ノ住.今江戸東叡山辺に寓す
二代目也名乗父ト同シク氏異并辻政親ヲ師トス
平野氏稱一三右衛門一ト水戸曲尺手ノ町住
友善二男
千友
千代氏作州津山住
忠助と称ず
千川堂姓名居住等未詳
タガヤサンクフリンキヅカシ
銕刀木.櫚木等.木柄師なり
○三百二十戔戔油
藤田氏大阪住
勝尹
一俗称未レ詳。面尽或は章魚などを彫たるもの。多く
見えたり
勝次中川氏作州津山住
助三郎と称ず。三十二歳にて死すといふ
勝久
同上ニ同上ニ
勝助と称す
勝正
同上同上ニ
安兵衛と称す
姓氏未レ詳京都ノ住ノ
勝光
勝國
篠崎氏稱藤九郎ト水戸白銀町ノ住
上手ナリ
保平の子にて・弱冠に父を喪ひ・先・友善を師とす
上手なり、水戸彫のうちの傑たるもの歟
姓名未詳上州新田郡大田宿住
勝五郎
其彫、争をたふとまず。実をむねとして仕立るかに
一しつとりとして雅致あり、尤賞すべき上手也
永嘉量跡苗邑氏居住等すべて未レ詳
嘉量亞
嘉兵衛
毛利氏江戸両国駒留橋住
実名未詳柳川直光弟子
堀
喜左衛門
其姓未詳.若芝ト号スルヲ以テ.姓ノ如ク
ナシテ・若芝喜左衛門トイフ・俗ニジヤクシウ
トイフ人アルハヨリ。
トイフ人アルハ訛レリ
肥前長崎ノ人
唐画山水遠景の人物.或は風竹又蟷龍など.渇[リ]
華寓意の趣を擬して。蕭雲として古色あるをこ
のめり、一ノ流と稱すべし、後人これに彷ひ偽作
すれども、其気象におよぶものなし、すべて真偽
にかゝはらず、此風に似たるをさして、若ノ芝〳〵と
となへ来る事・手柄といふへし
喜寛丙
野田氏江戸住
奈良安親弟子
宇八と称ず。しなやかに見ゆれど。甚だ手づよき作
なり・上手と賞せらるべき彫なり。尤モ魚太に工也
喜世三郎
津田氏加州金澤住
実名未詳桑村盛明弟子
喜兵衛
尾崎氏京畠山町住
江戸なる喜右衛門.孫左衛門と改によつて.喜右衛門と改め
喜安
京師住
中路氏
一俗称未レ詳•大体の作なり•彫刻する所•多銅にて
筍の目貫など見えたり
喜兵衛
井上氏京麩屋町二条上ル町・三文字屋ト云
姓氏俗稱等未詳。亦不レ知二何許人一ヲ
喜暉
長利符官長之四倍○仕二芝翠棺袋
丸山氏京上立売室町東へ入所ニ住
喜八
喜七
藤木氏京柳ヲ通次ニ住
喜三郎
喜兵衛
興
興成
興道
中路氏京師人
清水弥兵衛弟子小刀柄笄下地工
磯野氏京御幸町御池上ル
同十一月十一月十二日
堀江氏稱弥十郎號一枝軒江戸西紺屋町住
尾崎孫左衛門弟子分若手にて上手也
時岡氏上京寺ノ内大宮東ヘ入所ニ住ス柏屋ト云フ
興ノ字銘ニ興ト切ル同字ナリ
藤助と称ず。保井寿秀弟子
連連容
蓮澄
謹
武工連容と銘す.俗称居「所等すべて未詳
片岡蓮澄道人と銘す.俗称居所等すべて未レ詳
武
武禪秘
墨江氏名寛心月ト号ス大阪船町住
代良華船頭与兵衛作ト銘スルアリ、後荘蔵ト称シ、今祝髪に
毛彫の上手にて一流の彫なり、画をよくし、画を
以て名あり、故に下絵自由にして、一入見事なり、
宗。眠風にもあらず、家風にもよらず、風流なる彫也
久保氏江府住ト銘ス江戸浅草並木に住す後
武教画
京師ニ住セリ
金兵衛と称ず.後重基と名乗れり
武道
京師住
宇兵衛と称ず・鉄屋伝兵衛治国弟子なり
辰刻奇実一巻之曰典連蓮武
第三十三一巻二四
源源八
源
水野氏加州金澤住
一名乗未レ詳好栄子なり。此人早世すといへども。声
一誉あり、其弟源七も夭折にて、共に上手たり
しを遺憾少からず
源左衛門
後藤氏作州津山住
実名未詳。はじめ与四郎といふ
源兵衛
植村氏京御池通寺町西へ入所ニ住ス
升屋ト云フ
実名未詳宗峯弟子
源助
正阿弥備前岡山住
高廣保井氏京都住柏屋ト云フ
平右衛門と称ず•池柳軒と銘あり•寿秀子也
高長保井氏同上柏屋ト云フ
一虎平と称ず、風香と銘あり、早世す、高広子なり、
古川佐兵衛弟子
高房植村氏京御池麩屋町西へ入
一俗称升屋九兵衛といふ。宗峯長子
仁
仁兵衛宗田氏京都住納子又白銀工
仁兵衛
仁左衛門同レ上ニ同上ニ同上ニ同上
康綱爵俊夫
廿四芝翠館蔵
就
親就受寿理忠氏江戸湯島住
就受寿
加治右衛門と称ず一ト流也、金四分一地金よく鍍
一金もあつくかけて、すりはがしなど旧ありて。賞す
るにたへたり、加治右衛門と名を揚られし事・手柄
といふべし
就方や
同上就受子
幾茂周
筏
町田氏稱二ス金蔵江戸京橋ノ住
父モ茂周ト云ヒテ宗與弟子ナリ
茂則団
姓氏未詳稱市郎兵衛ト江戸品川住
井上氏京都住
茂保朔
文次郎と称ず・三文字屋三郎左衛門の末なり
彦四郎
平田氏江戸湯島六丁目
御七宝三
今七宝と称するものは、はしめ海外より来る所に
して、七-宝とは此方にて名附しにて、正名あるもの
なるべし。隋帝の七宝の七宝の碗といへるは、七種の実玉なる
べし.所謂七宝とは.金.銀.琉璃.頗り梨.車彙.瑪瑙.珍
珠の七種をいふ。但し此七種をあつめて上めると。おほ
よそをもて、七‾宝と名附るにやしらずされば近世
我邦に於てこれを作る人多しといへども。すへて、此
人におよぶものなし。此人の作れる所。舶来のもの
にもまされりといはんか.奇工といふべし
議判所計二朱之四位從後
菊ノ緋音輝八巻之四五
彦四郎
若林氏越中富山住
実名未レ詳、隔水子にして上手也。こしぢの一名家
といふべし
後藤氏作州津山住
彦左衛門
実名未レ詳.上手なり
彦助
市川氏京師ノ人.世ニ彫物ノ元祖ト云.詳・ルコトハ後堀ニ
論ゼリ。故ニ此ニ略ス
粟
末榮蔵姓名未詳阿州徳島紙屋町住
榮藏
同上
江戸住
榮次
三郎左衛門
黒瀬氏、京上立売烏丸西入所に住
実名未レ詳。後藤采女益信の兄、清乗
の弟子也
長
二郎右衛門
山中氏
後藤益乗弟子
其點甚た見事にして。上手といふべし
井上氏
井上氏京都住
三郎左衛門
実名未詳.三文字屋の元祖にして.一流の彫
物師なり、御池彫といふ、蓋京都御池通に住す
姓代等未詳江戸住
三友
三郎兵衛
後藤氏京師住
上手
震劇断賞観巻之四条二〇、〇〇
東部幸雄
三十一
喜四郎
結知氏撰結知ノ字。姓氏ニテイカヽヨムニヤ未レ詳
薩州ノ人京後藤ノ弟子ニテ顕乗ノ時代ト云
善長期
古川氏京師人
上手ナリ
初野田忠左衛門
一佐兵衛と称ず。後藤隆乗弟子なり。
なる者の弟子
善兵衛
知機氏薩州ノ人
善敦
藤川木氏京都住
善五郎
齋藤氏大坂瓦町御霊筋角
一木彫にて目貫鍔などを作る•見事なり•又堀一
朱彫も見えたり
傳
伝三郎
傳七
金子氏越中富山住
後藤通乗弟子
正阿弥羽羽州秋田ノ佐
伝十郎
後藤氏越前片町住
子モ同ク伝十郎ト云
傳八
宗田氏京師住
徳直弟子納子師
伝兵衛
清水弥兵衛弟子
中村氏京町町立売下ル所ニ注ス
伝三郎
横谷氏名ハ友武
當ノ代宗ノ弟
七
七郎兵衛
川村氏
後藤覚乗弟子
七兵衛姓名未詳京富小路松原下ル所ニ住ス
七兵衛
象眼師にして。甚だ上手なり。回て世に象七と呼
れて。其名聞えたり
一同同前同巻之四善道伝士○子
第三十八巻之四
貞
貞登駒井氏加州金澤住
貞歴
甚右衛門と稱す後藤久清弟子なり
藤田氏江戸住
貞次郎
貞隣姓氏未詳同上
同上阿州ノ人
貞芳
勘
勘平西垣氏
勘四郎同上
同上勘四郎子
勘左衛門
右共に肥後國住代〻相續す
卅三
豊前
吉岡氏江戸両国柳橋住
御金具工
一因幡介父にして。上手なり。繋の痕さつはりし
して勢を見せ、奇麗にしほらしき彫なり
四豆光後藤氏加州金澤住
一松三郎と称ず、光章弟なり、能登後藤末流
「
保井氏京都住
平右衛門
柏屋の元祖なり.上滅金物細工人
平力正阿弥作州津山住
平助正阿弥作州津山住
実名未詳、初平七といふ、吉久子なり
□判断□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□
第一論書一巻巻四
義
三代久埋忠氏播州明石住
義次
義局題吉川氏居住未詳
義局画
義休加藤氏京富小路八幡町ク任
義休
治兵衛と称ず。古川善長弟子なり
儀
義克
中川氏作州津山住
甚兵衛と称す
義随正
檜山氏號田龍齋江戸住
上手ナリ
義光
儀長
金子氏号二記ス紀州ノ任上手ナリ
吉之丞六代孫
清水氏京風爐通次住下地師
弥兵衛と称す
儀右衛門
木村氏京都住
京後藤勘兵衛弟子
興
典昌
荒井氏稱小三郎江戸横山町三丁目住
荒井典容の子にして。ざんぐりとしたる彫也、縁頭
に鍬に目白のおしあひ。或は南瓜様のをじめなど
の作。甚だおもしろし
典休葛野氏
清次と名乗.後藤光孝光弟弟一子
多多光水野氏加州金沢住
亥
源六と稱す照喜弟なり。水野氏これより別る
多兵衛尾州名古屋元重町住家眼工
多兵衛
辰刻奇賞□巻之四義儀典多○廿九芝翠常載
第六十六歳巻之四
又
又兵衛
宗田氏京師住
納子師。罫納子ノ元祖ナリ
又左衛門
同レ上ニ
同レ上ニ
納子師後入道シテ道清ト云
又兵衛
同上ニ
同上ニ
納子師後入道シテ道意ト云
又七
姓氏未詳尾州名古屋住
大坂常磐町骨屋町ノ住
同レ上
又三
鍔工上手
甚右衛門
後藤氏能州七尾住
甚
実名未詳.琢乗菓子にして.上手也.世に能、登後
藤といふ是なり、後加州金沢に住
甚七
高尾氏加州金澤住
実名未詳.若林氏春の風を学ぶ
庄左衛門
左
庄兵衛
野村氏
後藤昌乗弟子
後藤氏能州七尾住
実名未レ詳.甚右衛門弟なり。琢ノ乗弟子にして、縁乗
一京へ帰にしたがひて。京師にも留。尾州紀州に
も寓居せし事あり
後藤氏尾州名古屋住
庄兵衛後藤氏尾州名古屋住
庄三郎姓氏未詳常州水戸住
一実名未レ詳上手なり
庄兵衛
佐々木氏京師住
京後藤勘兵衛弟子
庄右衛門小山氏京金安町住
庄右衛門
□同□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□
聚納書賞ノ巻之四十三十一芝翠館蔵
加州金澤住
次大夫
実名未詳後越中富山御物の細工人となる
言ノ上二越中富山ノ山ノ仕
次大夫
次三郎
玉川氏常州水戸ノ住
美寿子
石川氏江戸神田ノ住
次郎兵衛石川氏江戸神田ノ住
次郎兵衛
次左衛門
後藤氏上京住
上手
彌
彌兵衛
岸本氏京元誓願寺堀川ニ住ス
現在
実名未詳.京後藤七郎右衛門弟子上手也
彌市
姓氏未詳尾州名古屋ノ住
彌右衛門
中村氏京御霊ノ通リ
京後藤七郎右衛門弟子
噺
幸左衛門
加場山氏薩州鹿子島住
幸次
幸良
三角氏肥後八ツ代住
彫物上手
奈良氏江戸淺草三間町住
奈良正敷弟子一二幸芳トモ切
幸光姓氏未詳江戸住
幸光
一清乗の風を擬して雲龍などを彫れる也
磯部氏京上立売室町西へ入
幸七
幸助
井上氏京新町一條下ル所ニ住ス
幸右衛門
清水弥兵衛弟子
苗村氏京烏丸今出川上ル所ニ住ス
一條平井弟子
長門首貞門長之曰次彌幸○七月一七日
第九無言巻之四○廿一芝翠餅蒲
和機氏薩州住善兵衛子ナリ
一半七
十一
半十郎
川上氏
阿州徳島紙屋町ニ住ス
石ハ晴ト一字銘ナリ父ヲ英ト云
彫物白銀師ともに甚だ上手なり
五
半助
半藏
河野氏同上ニ
元祖ヲ河野半兵衛ト云テ栗山左源太ノ弟子ナリト云云
右半助弟子ナリ
五郎兵衛
五郎兵衛
井上氏京麩屋町二條下ル所ニ住
三文字ノ屋ト云フ
姓名未詳大文字屋云
京柳馬場六角下ル所ニ住ス
鍔工なり其屋號を合せて。世に大五郎鍔と賞せ
り•秋の野に蟲尽。或は紋づくし•又は霞に千鳥
などの小透の鍔を彫事。甚だきれいにして見
事なり。一-流ともいふべし
五郎右衛門
鵜飼氏大阪追手筋善菴筋西ニ注
釜調ニ毛彫等ヲ教シ人ナリ
新
新吾
新助
平田氏阿州徳島紙屋町ニ住ス象眼師
市ヘ左衛門ノ弟二テ名ヲ長秀ト云
平田氏
同レ上
新七
姓氏未詳彫物屋新七ト云
大坂追手筋善菴筋西入所ニ住ス
釣竿に年魚の目貫小刀柄等ノ作おもしろし
一製紬書ノ巻之四
八
八兵衛
斉田氏京武者ノ小路室町西ヘ入住
齊田氏京武者ノ小路室町
後藤益乗弟子にて名人なり
藤田氏加州金降住
八郎兵衛
八左衛門
宗房弟
平井氏
京一條西洞院西へ入所ニ住ス
八郎兵衛
上京住
後藤氏
上手
痔時定
痔
姓氏未詳加州金澤住
平八と称ず•寛永の頃。伏見より至る•禄三百石
加藤氏京師高倉姉小路上ル所ニ任ス
時秀
治助と称ず。義休弟子なり。
国
因幡
江戸両国柳橋住
甚だ上手にして・其名高し
同上ニ現在
司番代同上ニ現在
因幡介
豊前子にして上手なり.家風に似たるがごとく
してしからず、色絵など金を施ふ事ををし
まず。所謂こつてり仕立にて。甚だ見事也。八重
一山振の花のゆふべはことににほひ濃がごとし
藤兵衛
藤七
八木氏京御諚辻子住
清水弥兵衛弟子
姓氏未詳京富小路二條下ル所ニ住
升屋喜兵衛弟子
藤右衛門
同上京麩屋町押小路上ル所ニ住
升屋忠左衛門弟子
□国府□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□
十一
美寿
玉川氏常州水戸府鍛冶町ノ住後江戸へ至ル
浅草ニ住セリ
三郎四郎と称す谷田部通寿弟子後吉岡
因幡介を師とす。水戸様御扶持人なり.江
戸へ至りても猶御扶持を下されしにやしらず
上手なり
美久焉
川氏常州水戸鍛冶町裏五丁目住
玉川氏
美寿甥ニシテ弟子ナリ又通壽ニ従フ
太七と稱し如英軒と號す。此人龍を彫に上
手なり、およそ工人の龍を作る事は。必ず其勢
を尚ぶにあり。昔葉公竜を画く事をこのみて・
其室中こと〴〵くこれを画しを真竜聞て
天より下りければ・葉公見て大におそれ逃
まどひしと.荘子に筆せられしは.薬公の好む
所は真龍にあらず、画龍也、画竜にして勢ある
を工の活動といふ。今彫工に於てもしかり。其勢は
彫琢にありて、龍にあるにあらず。よく勢を得た
るを。工人の真龍といふべし
七郎兵衛
補
後藤氏上京住
上手
同様
七五郎
一同三斗一升屋忠左衛門弟子
姓名未詳京柳馬場押小路上ル所ニ住
小森氏上京住
安右衛門
後藤勘兵衛弟子
安房
平田氏稱市左衛門象眼鍔師也
阿州徳島紙屋町住平田氏四代目ナリ
宝沢川等寛永七日冬
第一章二十二号
内田氏江戸住
安長
久随運
至テ手ヅヨキ彫ナリ装釼蒙ニテ武士向ト云フ作ナリ
姓氏等未詳號不知堂江戸住
長州萩住
姓氏等未詳長州萩ノ住
久次
仁兵衛同レ上ニ京二―余御幸町
平右衛門
後藤氏大坂住
庄兵衛
姓氏等未詳江州膳所ノ住
居住未詳
金子氏居住未詳
政信ゆ
友之丞
甚助
中井氏
長州萩府細工町住
称二善兵衛一
赤尾氏越前ノノ
裝劔奇賞巻之四終
府中
装剣奇賞
諸工名譜録
一其三
彫工用具習同伝方
名物鍔図
製創奇賞巻之五
通龍
浪華
新右衛門著
江州坂田郡国友村住
充昌国
丹治と稱し。臨川堂と号す。御鉄炮師辻又左
まつ弟にして、一生無妻の人なり、其彫甚だ見事
なり、墨絵様の象眼.其外剱花高彫上彫奇麗
に苦ある事。瓶中に寒梅を投入しがごとし。彫」
物修行のため。江府に出て。宗典に寄。又奈良風
を問て、辻源右衛門と称し。暫ありて帰郷し、益
上達しけるに、安永五年十二年十二年十二月十九日没す・四に
○同所煎巻之伍混雑○三芝黒沼蔵
○余壱四
歳五十六最をしむべき工なりし○彫て名譜巳
一上の巻は類字を以て録す。此巻は類字なきものを
混雑して列せり、覧人其意を得て捜索すべし
祐重画
敷英
国友氏俗リ編市。郎兵衛京都ノ衛。産。後江戸住
一乗。意風の肉合彫の上り手なり。後は其細工おとれり
同上正敷弟子
江戸両国駒留橋.正敷許に住.後生国上総へ帰る
俗称千之助といふ
功可爾菊池氏水戸巨銀町ノ
与五郎と称ず。其工一代にして。弟子に伝ふ。
一産乗の弟子甚だ上手なり。家彫鍛煉の上に
水戸風の鏨を兼。自然に一流をなせり
房吉
明珍氏越前住
小左衛門と称ず•頭盛工なり•類当にも此作あり
房尚姫
佐助
藤木氏俗称幸八
江戸京橋ノ住
後藤光孝弟子
春藤氏京今出川室町西へ入北側ニ住
小刀柄笄の裏師なり
同
兼随
濱野氏江戸神田大工町
號閑眼子ト
政随子にして上手なり後味墨と改
朝景
俗称井筒屋清兵衛.縁頭目貫小刀柄鍔等.何
にても古物なほしものゝ上手なり
包教
野村氏江州彦根住
俗猶三郎次宗典弟子ニテ上手
千英子と号す。享保年間の人と
一百姓氏未レ詳江戸ノ住
康重姫
寄里
姓氏未詳江戸ノ住
木林方姓氏未詳加州金沢ノ住一
源四郎と称ず.象眼工なり.吉重流
広長嶋
守良
奥村氏大坂鑓屋町善庵筋北へ入
稱二又五郎後藤弟子ト銘フ
姓氏未詳加州金津ノ住
惣左衛門と称ず。八兵衛盛光の子。象眼二なり
詮清
午閑
克久尓
後藤氏加州金澤ノ住
清次郎子稱二ス七兵衛ト
布施氏
後藤栄乗弟子
桑村氏加州金沢ノ住
一源左衛門と称じ.序休と号す.宗順子にて.尤
上手なり、桑村氏の工此人を中興とす
九兵衛
井上氏三文字屋とよふ
京千本通下長者町上ル所に住す
へひ
世に山形と称ず其名未レ詳。地廃むく入。洲流に
鷺。或はをだまきの類ひ。赤銅地がねよく。縁頭の
恰合とゝのひ。古代めきておとなしきものなり
第三十九巻之五一戔
照喜氷野氏加州金澤住
照喜
源次と称ず。源七第三男なれども.家督を続
貴道区今井氏京都人
親廣姓氏未詳阿州徳島ノ住家眼工上手
作之進八道氏長州萩府ノ住鍔工
保平元篠崎氏水戸府白銀町住
保平五
庄右衛門と称ず。功ノ阿弥弟子。後安親を師とす
姓氏居住等未詳
行秀百
恭貞雨
埋忠氏江戸住
珍久
姓氏未詳同上ニ
石川氏越前ノ住
記内
鍔縁頭の上手先祖より今已に五代目なり
曽兵衛
幾平
梅村氏加州金津ノ住
水野好榮弟子
諏訪氏肥後熊本新町ノ住
阿三次
大守より五人扶持ニ二十石を賜はる
渡邊氏越中富山ノ住
薫随
姓氏等未詳江戸ノ住
梅村氏加州金沢ノ住
助三郎
曽兵衛子にて棄村富久の弟子なり
兵次川上氏越中富山ノ住
外記姓名等未レ詳奥州仙台ノ住
嘉永三年一月九九五一一四一芝翠館
其作を見るに”いかにもしほらしく、しつとりとして
上手の彫なり
古同荒井氏俗稱次郎兵衛典容ト銘ス江戸西紺屋町住
古洞
石川次郎兵衛石川次郎
姓氏等未詳京都ノ住
花山
花の字多く巷に作りて銘す
姓氏未詳江戸住
春甫延
董令
姓氏居住等未詳
敬道数久保氏京柳馬場押小路下ル町ニ住ス
敬道数
権八と称ず•慶景とも銘せり•但シ初の名也•保井
壽秀弟子。淸廉寡欲の人なり
姓名等未詳.但敬道ノ一ノ號ニヤ知ルベカラズ
兌南子敬
京都住
姓氏等未詳京都住
楊翠子炉
かつ好
江戸住
如-竹の娘などに倣て。かく銘せるにや。其系未レ詳。
小三郎姓氏未詳阿州徳島助任町
白銀師にして。鉄物を彫こなす事。至て上手に
て甚だ奇麗なり
隨庸姓氏未詳京都ノ住
随庸
此人ノ作の小刀柄に以二利休好一ヲ作レ之ヲと銘するあり。
かの居士これらまでものずかれしにやしらず
鋪随
浜野氏
江戸住
乙ノ柳軒ト号ス
同右同同同同同右同右同
第一編著賞物巻之五一戔翠鉛蔵
仙七
西山氏
後藤光孝ノ弟子
桂氏江戸芝ノ田町住人
雲水
有馬侯御細工しくに召る
名は永寿横谷一人
基重姓氏未詳京師ノ人歟
基董
世に称ず石山家の御彫に似て。一ト風あるもの也
具竟村上氏摂津天王寺駒ケ池に住す
真鏡
鉄に金銀の南蛮細工師なり
方周志
富士氏江戸住
杢正
加集氏淡州洲本住
二代目を安信といふ
一阿波風の上手なり、其作奇麗に鎮密にして、
かく行とゞく彫なり。しかしこれは先代をいふにて、
二代目はすこしおとれり•父子ともに同名なり
松英成姓氏未詳江戸赤板田町四丁目
初如‾柏と号す。如-竹弟子にて上手。象眼巧也
若林氏越中富山注
隔水
六郎兵衛と称ず.氏春子なり
宗田氏
京都ノ住後濃州岐阜ニ帰ル
四郎兵衛
徳直弟子
甫救百姓氏等未詳
辻
其名未詳江戸住
素銅緋色ものゝ上手なり
第一一部著著著者五一九五
斉綱幾田氏江戸住
齊綱
喜左衛門と称ず。後藤屋某弟子
尭朝必
江戸住
伊右衛門姓氏未詳播州尼崎ノ住
白銀師なり、深浪高彫のもの見えたり
埋忠
弁助
流泉あ
同二彦兵衛
名は正知
埋忠明寿ノ弟子長州萩府ノ住
藤中氏
肥前長崎ノ住
藤木氏俗称与次兵衛京師柳辻子
良泉子
初名重徳三後藤廉乗弟子藤木理房父なり
鮮虫仁通
姓氏未詳京師ノ住
意徳
野村氏称二庄左衛門ト江戸ノ住
友喜ノ父也尋甫初ノ師匠
上手なり、甚だ巧にして疎末ならず。手づよし
掃頭加藤氏京堺町丸太町下ル所住
掃頭
其彫奇麗に力あり・上手といふべし
京師住
牧川越
一文内と称ず。花龍洞とも号す。慰彫なり。至て
上手にして、家風のもの殊に巧なり、此人の出来
ものには、家にも手をおかるゝよし、妙といふべし、
凡工をなすに、天性其器量そなはるはいふも文
一なり。或は好て上手に至るあり。是所レ謂好こそ物
の上手といふなるべし。此人のごとき。其職にあらず
して、かく巧なる事。天性にや。このめるにや
昆寛画
岩本氏
岩本氏江戸麹町天神山真乗院ニ住ス
稱ス喜三郎前彫にハ浅井良云と銘す
良寛弟子
後ニ為二
養子
上手なり。一に鉄の花押あるものは。
前年の作なるべし。初は魚尽を好て彫られしが。
一今は草花禽獣人物各其需に応じてこれを彫
いづれも甚だ見事に奇麗なる事。落葉のかた
はらに。水仙の咲すましたるがごとく。其にほひ
ことにいさぎよし
尋甫
津氏江戸笹屋町住後移二銀座三丁目
稱二八左衛門一世二村庄左衛門弟子後學二ヲ通リ桑ニ一
家風にして一丁流あり。たとへばものゝぶの桜狩と
いふこゝろもちにて、つよきものゝよわくあたか気
味なる彫方.甚だ上-手にして。広作のもの多く.
正真は稀なれば。最モ賞すべし
縁の見様
○伝あり
釜調弐大日氏大坂鑓屋町谷町西へ入所二住
一凡上工のかたちをなすに。必ず其人に髣髴たる
ものは。これを心に得て。手に応ずれば也。釜調が
一烏人放縦にして。貧賤に戚々たらざる。古人の
一操を尚ぶか故に、其工める所、真率にして。翫ぶ人
一を快。治ならしむるの境に至れり。此人階の発
句をこのみて。頗る其名きこゆ。今其風流をお
もふに
降らぬ日は風のかゝゆるしぐれかな
誰捨て流るゝ苗にほたるかな
など得意の作にはあるまじけれど。偶おもひ出
せるがゆゑに•こゝに記す•此人彫録に於て•甚だ妙
一なれども。名を干めざれば。其作今多く残らず。よつ
て他州にはしらざる人あれども。此津にては競ひて
これをもとむ、故に価も二産ならず、其工の位は
一十目の見るにまかせて。こゝに評せず。いさゝか其
人となりを伝ふ
玄乗地
法橋位
上後藤
太左衛門名村氏京柳辻子住
実り名未レ詳.後藤廉乗弟子にて上手なり、
五宗田氏京柳馬場御池上虎石町ニ住ス
徳直五
称二又兵衛一
此人納子を蒔事至て上手にして・大名島納子
といふものを創意す・大名島納子と
の
ごとく一筋は七子・一筋はみがき、又一筋は七子と。
段々に蒔たるものにて、其七子の間をみがく事、
至て手際ものなり妙といふべし。此人の後よく
これを作るものを見ず。実に一流なるかな
辻氏江州坂田郡國友村住
辻氏
格亮衣
現在御鉄炮鍛冶
平四郎と称し、姉水堂と号す、銕鍔縁頭等、
の質をこなす事上手にて。金銀の象眼も亦
見事なること、更にいふべからず、故彫物も妙にして
一凡ならず、専臨川堂を学べり
完度号
辻氏同上
現在格亮弟子
新四郎と称じ.永川堂と銘す.一に艶の印も
見えたり、其盤の丁り.臨川堂によく似て・甚だみ
事なり、今少し功を積み。精に到らば、双ぶもの
あるまじきほどの・奇工と称せらるべし
五十川氏濃州大垣伝馬町住
日曰安
源七と称じ、養松堂と号す・永川堂弟子也、
此人甚だ器用にて刀脇差の身に樋をかく
一事は、類ひなき上手なり。彫物も亦庸手にあ
らず•其心がけによつて•名人にも至らるべし•
殊に妙齢にてたのもしき人にこそ
李齋本川氏中京住
至て上手のよし聞けり•しかれどもいまだ其作
を見ざれは詳にしるしがたし
一覧会を一冊
法茂
田村氏江戸人
「ウン○此銘アル小刀柄ノ類阿州ニテ間見及ヘリ因テ録ス
明義百姓氏未詳京師ノ任
明義雨
寛利
姓氏等未詳江戸住
正阿弥喜寛弟子奈良風也
山城守辻氏其名未詳加州象眼工
山城守
寛永の頃、伏見より至り、禄百五拾石を下さる
周春
石川氏江戸ノ住
道林
通寿
長谷部氏居住未詳
後藤益乗菓子
谷田部氏水戸白銀町ノ住
彦六と称ず、功-阿弥弟子、後利籌を師とす。此
人水戸彫に於て。所謂中興開山なるもの也
○彫家用具品目并
凡彫工の用ふる所の道具家々につかひ得
て、其品一ならずといへども、いづれの家にも、必し
用のものをこゝにしるして、装剣家の事を精
くするの一助に備ふるのみ
按机
截筋
焼鉢子
銕石
鑛盤
鞘
湯銅壺
大鎚
中鎚小
鎚
鎚
木鉢
治銚
小グチ
発口
色上ケノ
銅鍋也
砺塩
甘堝
生下
紙有二数品
磯
□□竒□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□
十四
按
机
尺五寸
三尺五
三尺
第一部
摺口
三寸
五分
文五百
寸強
□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□
十一
盥
橋上
脂柱
長サ壱尺二寸五分
十一丁
長サ脂柱ニ同
壹寸六分
幅二寸二分
総高サ九寸強
高サ四寸三分
夾剪
サイデ
工巾
細工方に用る
手ヌグヒナリ
柄拂
剪膏
ドウズリバケ
胴摺刷
磨刷
磨革
磨革煮沈水鍋調色汁鍋
木槌
大截盤
瓦炉
ナツノシラガ
鉄毛
針ガ子也
煮汁陶
鋼鐵規
秤
角切鱸
分度
兎手
クハヘ
噬子
目貫小刀柄鍔縁頭等、此柱ニ粘テ
脂柱
彫ルナリ、火ニヌクメテ取ハヅシヲスル也脂ノ方
縁又頭ノ横ヲ彫ニ、此モノニハサミテ彫也。
樫木にて作る・又コレヲ・キヤトコトモイフ
脂の方奥に
出セリ
右用具の文字は正字ありて。此にしるすにあらず。又
深くこれを考たるにもあらず。只仮字書のしどけ
なきをいとひて。率爾に作れる所なれば。必ず差し
誤多かるべし。後の人これを正さん事をねがふ
のみ•下文字を出すもの。亦多く此意を以て見給ふ
べし故其所〳〵にことわらず
○彫家所用鑿品目
四分鑿
骨
片截
此ハ宗民ノ
工夫ノタガネ也
規目整
側寄
毛打鏨
透整
目打整
溝鑿
星盤
束盤
男鑑
罫鑑
納子鏨
女鑑
減整
石目鏨
貫鑿
象眼整
鱗鑿
露鑑
卦引鑑
内側寄
肉塹
諏打
苔打
廉減整
凸起鑑
一凸起鑿定盤入江盤綿紗石目
花石目三方石目梨子地石目
烏帽子石目
但鑑一品に。大小六七本より。十本も有レ之て
都合百五六拾本より。三百本までも用る也
○同鑢[子品目
大鱸
中鋸
小鱸
平鑢
角鑢
円鑢
半月鑢棗鑢
同同断同同長之五
一鑢鱗鑢鵐目鑢中心遍
一線目鑢苔鑢刀薄鑢
右の外職方の用具猶多かるべしといへども。今
記する所は必用の具にして。此餘は各の手馴工
夫等に出て通じ用るものにはあるべからず・もし
此具を用て、これを工ば・彫得ずといふ事なかる”
し好事の人其思諸
前ニイヘル脂柱ノ上面ニ粘ル脂ノ方ナリ
附脂煉方
柱ハ杉ノ丸木ヲ用フ形図ノ如シ
大
松脂
地粉
中○土器ヲ
細末ニシテ用フ
灰炭ヲ
燈油也右銅鍋に盛.文火にて煉合せ用ふ
右用具の中.分度噬子・脂柱.摺口.木樋口.木槌.剣口へ
柄打等を作て、職方小道具屋へ漸ぐ翁あり。鑓屋へ漸ぐ翁あり。鑓屋へ掛り
一小八と称ずれこも。其性米汁を嗜をもつて。綿絲
して酒呑に八といひて、江戸中の職方小道具を
に愛せられて。携来ればいらぬものも買置ばかりの
各物にて。しかもこゝ細工至て上手に。用ひあんばいを能
こゝろえて、値も亦むさぼらざるは。他が生質朴素に
してかざらず。貧を安じて。只酒これをたのしめる
事、古賢肥遁の操にもはぢざる僻者也、酒銭
乏しくなれば、右の用具を造り、これを漸て価を
一同一同同同一之同筆官裁
得て未汁に換るもの。其業貴からずといへども、其
風流に於ては。豈高といはざらんや。よつてこゝに
しるして、しらざる人に伝ふ
○彫家伝方
造烏銅一方
一
同白目
銅
堅白目
弐匁
二十一日
右吹合すれば。煮黒目となる也。赤銅などに金は正の
下地洞即是なり
造烏金方
烏銅拾匁一分
右共に.甘端に入レ吹合也.是をメザシガ子と云。下品
又方
烏銅拾匁
焼金三四分
焼金
一右同法。是烏金の中品なり
又方
烏銅拾匁
焼金六七分
右同法是烏金の上品也・すべてこれを合すには、第
一に炭を吟味すべし。性あしき炭にては。鎔あん
ばい調はず、仕上て、其色も亦うるはしからざる也、此
此がねにて、鍔小刀柄又は縁頭にても、下地をこしらへ、
其上を彫琢して、出来上りて後。よく磨き。煮汁
煮汁の方。奥に出す
にて色上をすれば、烏の金となる也
合四分一方
銅
拾匁
及艮弐匁五分○但銅に銀を四ツ一分
銀
合す故、四分一の名ある也
右共に吹合せ用.但其位下品の四分一也
又方
銅拾匁銀五匁
右同法•是中品の四分一なり
又方
銅拾匁銀六七匁
右同法、是上らの四分一にて、宗鍼宗輿などの用ひ
られし地がね也、但宗輿の用る所は。頗る黒を帯
一は鳥金を少許加へられしものと見えたり。しかれ共。
四分一の中へ、烏金を加る時は、多くおもひ合ず破やす
きものなるを”いかゞして此工夫をせられしにや”しる
べからず。凡四分一は銀彩を含て白きをよしとすれ
ども、宗真の地がねに於ては其性更によろしと云
べし、右是等の四分一は、年を経て旧に到れば。虎文
梨子目等の光彩あらはれて。甚だ見事なるもの也
造二銀蝋一方
銀壱匁真鍮六分
右共に坩堝に入れ。吹合せ。槌にてよく〳〵延し
一切鉄子にて細く切置。さて縁などを曲て付合さんと
する所へ。硼砂を水にてとき。今せ目へ引。其上に右の
細く切たる銀蝋をならべて。火中に入て煠し。合せ
一目へとくと流れ入たると見定て取出し水中へ入れば
よく附て、いかやうにしてもはなれざる事。地金と一
様なるがごとし、是尤秘すべき方也。すべて金と金
とを付合すには、必ず此方を用ふ、縁小刀柄等に限る
べからず•錺屋等も皆これを用ふ•此外に白蝋とて
一同しく金物を付合すものあり。真鍮屋銅屋等に
合て売所なれば、造方をしるすに及ばす。求て用
べししかれども、其性脆して銀蝋の堅におよぶべ
からず。併是も亦。必ず用ふべきの時あるもの也。但し
これを用には、先松脂を引て後、是をならべて火中
に煠す等、銀蝋の法のごとし
造二焼付蝋方是は目貫小刀柄等、何によらず。色絵の
ものに、金銀を着せる時。用る蝋なり
アカドネ
壱匁
弐分
銅
銀
銅
唐白目
四分
右共に甘堝に入て。能々吹合せて後。細末にし
硼砂水にて煉合せ・色絵を施さんとおもふ所へ付
て、其上に金又銀にても、好む所を着せ鉄毛にて
禁定火中に入れ。礫合しと見ゆる時取出し。水に
投るべし
造色上煮汁一方烏金四分一・又銅にても。細工仕上
て後.此煮汁にて色を上かなり
緑青
一天目ニ四分許○
奈良緑青ヲ用○
一緑青の百分一加フ
膽礬
酢
天目二半分○料理
酢ノキブキヲ用フ
水
天目二五杯○随分
カナケナキ流水ヲ用
右四色を合せ。薄鍋に入れ、扨右仕上たる烏金四分
一にても、色を上んとおもふ物を入て・よく煮る也・もし
煮上て、其色黒くなりし時は、又水五はい入れ、煮
ては水へ入、又煮て水へ入れ色よく上るを度とすべし。
此煮汁。陶にたくはへ置て。いつまでも用ふべし。凡綿
頭目貫土彫上て後.堅炭の理濃に和なるを以て
一研、又炭の粉を以て胴摺にて摺て、炭の粉を能々
一あらひおとして随分水気を去砥粉にてつやを
とり、又革に砥粉を付て・よく〳〵みがきて後.右の煮
汁にて色を上るなり
造二早煮汁一方鳥金色上うるはしからず。いかやうにし
製錬部骨一之五〇冊
ても色上らず。穢方に所謂力ブルといふ時。此汁をいて
よく調ふべし
貳分
膽礬
五厘
一緑青弐匁明礬
弐分
五厘
右三色に水五合入れ・前法のごとく煮る也。此汁は
一度用ひて、後はすつべし。是当坐煮汁にて。度々
は上らぬなり
鈍金色上藥方
一消膽礬緑礬薫陸
塩
各三
ま
た
右五味細末にして、水にてとき、金物にこれをめり。
火の中へ入れ。少し熱くなりし時。取出し水へ入れ
あらふなり。是又其下地赤銅などのごとく。よく〳〵み
がきて法のごとく色上すべし
鍍金方
一先地がねをよく〳〵磨き。梅醋にてはぜさせ砥粉
一に水銀を合せ摩付其上へ金又は銀箔にても。好む
所を置物火にて焙、其色調ふ時、又砥粉水銀を
すり付。箔を置てあぶり。如此する事二三遍して
一後砥粉ばかりにてよく〳〵磨き仕上る也
又方
先滾灰汁にて。地がねをよく煮て。其上を枝炭にて
みがき。金剛砂を以て。籠にて能々みがき。梅醋に入て。
灰汁ばらひして。金の粉を水-銀にてよく合せて。
是を右の地がねにすり付あぶる也。二度めには。金
の色出る。それを水に入て。針の胴を横にしてみがき。
其上を櫛払に灰を付。又々みがき。扨緑青にて
一煮・此上を色上をする也
鍍金色上藥方
各等公
白焔消緑礬焼塩塩
細末
右三味.天目の類に盛。水にてすり合せ。紙を覆ひ
三日所置て用ふ、用法は色上んとおもふ所へ、此薬を
一付て焙る也。少し熱くなりし時。水にてあらふべし
煮緑青方
緑青壱匁
右の内へ。醋を少入れ。よく磨て.水弐升五合入れ。扨
前にしるせし煮汁の貯置るを。七分三分のつもり
にして加へて。是を煮るなり
鍍金古様方
新物を古様に見せんとおもふには。彫立たる地の所
へ、墨をぬり、其上に油を引し。但し色絵につかぬ様
にして。色絵のある所へは。海蘿にて砥粉を練合。
筆にてぬり、杉葉にて幾回もふすべ、絹剤にてふ
き。きめ〳〵へ墨を入れ。蝋引して。上を支薦を部に
包み、其上を打べし、即古様となるなり
鳥金及色絵物古様方
一先灰汁にてよく煮て取出し、水にて灰汁気を洗
ひおとし。枝炭にてよくとぎ。新しき劑に砥粉
をつけみがき。又水にてあらひおとし、煮緑青にて
一煮取出し。火にかけ・きは〴〵へ墨を引。唐蝋に油煙
を煉合せたるを付て火どり、絹幣にてよく〳〵ふきて
其後前のごとく。真薦を打べし
右の類猶多しといへども。事祭を以てこゝに略す
○名物鍔図
一鍔の事は。万宝全書已に載といへども。こゝに其
軍
勝
遺れるを図する物は、所謂名物なるものなり
竪貳寸三分平貳寸二分半
ハ智チ登ト
多ク波ハ登ト
竪貳寸
四分強
平貮寸
三分半
○十二月十一日
八
雁
竪貳寸四分平貳寸三分強
竪貳寸三分平貳寸二分強
竪弐寸四分平弐寸三分半
摩
手
支
天
ナビ富
下西見
行西見三丁七番
十一
○廿丁一芝翠館蔵
竪貳寸四分平貳寸三分半
橋
門
菊
竪弐寸三分半
草
竪弐寸二分強
雁
金
ユミ
弓
矢
茶
荷
画
平弐寸三分
信
竪貳寸四分平貳寸三分強
平弐寸弐分強
竪貳寸四分強
家代
平弐寸弐分
○十二巻一十一
一同同同同文二三
竪弐寸弐厘
信
家
平壱寸八分
子皿
宗
形式
立弐寸三分
平弐寸二
○十二組十
右の外•九州に房吉と云•上手の鍔工あり•菊透殊に妙なり•
又尾州に柳生鍔とて、往〻日柳生某といふ、劍術者の好にて。
数十枚の鍔をきたはせ。巻を臼に入て。力にまかせてつかせてつかせてつかせてつかせて。
其破れ。又は毀へるものを除き。珍なきものを。えらみ用ひしと。いひ
伝へるを。武士よく知りて。価ををしまず。これを求られしゆゑ。
貴名やう〳〵に弘り。競ふてこれを賞し。今名護屋辺専ら
行る。上方にはいまだ其沙つ多くきこえず。
装劒奇賞巻之五終
荷{
附録唐草類図抄
印籠師名譜并図
表創竒賞
装剣奇賞巻之六
附録
通籠
浪華
稻葉
新右衛門著
一装劔奇賞五巻、已に卒業して。附するに、佩物
のたぐひ、印籠巾着に用る草の品々より、根附継
一卜におよび。はからずも。二の巻をそへたり。はじめより
これを筆すべき用意なけれど・年来交易して。
自然に胸臆にそみし事にて。商家の為に。もはら
なれば。名称のよこなまり。辞重らんわづらはしき
も・かへりみず・おのがめづらしとおもふは・それに説て
一図をうつしつゝ。まだ見ぬ人のしをりともならん
と。さしもに書えてしとおもへど”おなしどちにも
とひはからず。おのが手にふれ。めにきはめたる
まゝなれば、此書おこなはれて。事しれる人〱の
見給ひ。そはこはなどゝ告て誤しかぎりを正し
たびなんには、円余が希にして。これをいどみ、火
を水にいひけつ心にしあらねど。十になしやつはも
のさしとおもふよりぞ。かくは梨巻をつひやせしに
なん・もしおのが顔厚しとにくみて。いさゝかの差ひ
までもとがめ聞し給はゞ。即商家の益となり。
よき書の類に入らん事・亦幸甚しからずや
○革品
革は皮の製したるものにて、和にツクリカハと訓ふ
二周礼天官ニ掌官ハ掌リ二秋斂ノ
レ之ヲ注ニ有レヲ毛為レ皮ト去レヲ毛ヲ毛ヲ為レ革と見えたり。和語に
力はといふは。甲の音の転ぜるよし。或説に出せり
古渡
亞媽港應帝亞
インデヤは•国の名にして。南天竺なり•一に印度とも。
一書キて印度は天竺の正名なるよし、一切経音義に見
えたり•或書に•台湾国の南にあたる•一ツの島ともい
一へり、すべて革類其産する所の国名を以て称ず
るもの多し、蛮国の地方名称に至ては余博聞
にあらざれは尽く考正する事あたはず。只家業に
もてあつかふ目巧の要をいふに至ては。聊か試み
図書:著さ一一芝翠館前
たる所あれば。これを述ぶ。しからば余が臆見より
出たると。肯ざる人もあるべし。左にあらず。必
ず実見を経て断る所なれば。疑べからず凡イ
ンデヤの事は万実全書に出たれば参考すべし
余が減るに絞これかく、純黒にして、絞下至て赤
きもの上品なり、価貴し、亜媽港と称するもの
を最上とす。全皮大さ三尺に弐尺余あり。按に
インデンの属数品あり余が見る所のものを挙。猶
多かるべし
ルイス印度亜
ルイス字未詳
絞こまやかに、色煤黒し、是又全皮大方三尺許
長臂印度亞
一絞こまかくして少し長く見ゆるもの也。全皮大
き上におなじ○山海経に焦傍国の東に.長臂
国ありと見えたり。此所より出たるにや
鼠印度亞
一鼡色なるを以て称ず。絞細し大さ上に同し
中渡印度亞
莫臥爾によく似て紛れやすし。すべて印第亜
は裏に紅脉あれば。必ず裏を見て分つべし・全
本舘吉十一才著之六六才
皮大さ同上凡此類の皮は。大さ三尺三尺三尺三尺三尺三尺三尺三尺三尺六寸許
にして。馬のごとき形の獣なりといへり
古渡野牛印度亜
一絞あらく色黒く。絞下至て赤し。此草薄く
一軽軟し.野牛は別皮にあらず.やはり印度亜の
中也、或説に野牛は深山にありて.力つよく、物を
載て走る事丸がごとしと
中渡野牛印度亜
一漫絞にして全体茶褐色なり。性合よわし。新渡
野、牛といへるもあり.中渡りよりは下品也.野牛は.カアホ
テホウヌイスフランスといふ国より出るよし。華夷通
商考に見えたり
紋様一ニアラズ今其上品ノモノヲ図ス
一左に図するごとき紋を見るに。鉄印にて。打出し
たるものと見えたり。
あれど。渡は紋ひきく。
地高し、偽造は、紋高
く地ひくし。真物は
価甚だたふとし
本邦にて偽造するも
○旧芝翠官成
第三九一一巻九六一四一九
新渡印度亜
中渡の莫臥尓に似たり。全皮方三尺許
紋野牛
野牛印度亜に紋を打しものにて。和製なり。
蜜柑蜜柑蜜柑あらす
七宝印度亜
紋印度亜の紋を.画具にて彩色たるを以て.名
づけたるものなり。古渡の物至て稀に。価も亦
一貴く。新渡のものなし、一種はルシヤの皮にて製
したるは、大阪伏見町、筒乱屋四郎右衛門といふ人、
擬して作れり。此人紫笛と号し。狂哥を以て
名あり•後僧となり•拙堂といふ
刺紋印度亜
獣毛を糸によりて五
色に染これをもて蔓
草の類を繍たるもの
なり。多く渡らざる物
にて其価貴し
小印度亜
同同同同人巻之六
女莫臥爾の中にて。品よきを取択み。此を名く。
草小形に絞もしほらしきもの也
交趾印度亜
一紋麁く。ざんぐりとして。絞下赤し。性は能けれども
一下品のもの也・但しほらしき所も見ゆ。交趾の産
なれば。其名のみを称すべきに。革のさまの似た。
類をもて。肆にかくは名けし也。凡交易家の言
に此類の事多し
莫臥爾
古渡中渡新渡あり。万宝全書にくはしく出たり。
是亦方三尺許の大さの皮なり。莫臥爾は南天竺
に属せる第一の大国なるよし、通商考に見ゆ
小莫臥爾
莫臥尓草の小形にして。五十張を壹櫃として。
一賀行す、一種薄手なるを女莫臥尓と称ず。是
亦五十張壱櫃なり
呂宋草
万宝全書にくはしく出たり。但し中絞としるせ
るは非なり、大絞にして甚だ軟に、裏かはらけ
色なるもの也。全皮大さ三尺強より、弐尺五六寸
第一六九巻之六六六戔翠鉢蔵
許までなり。呂宋は南蛮に属せる、一ツの島也と
水牛皮
大絞にして純黒に。絞下至て赤し。全皮凡壱間
半に。横四尺許のもの也。水牛一に沈牛又抗牛又抗牛又牝牛又抗牛又抗牛
ともいひて・其色青く・サイロン国に産し。蛮名を
カラバウといふよし.或書に見えたり
中渡水牛皮
其絞あらく、絞の上下とも、すべて茶褐色なり、
新渡のものありて其さま同しといへども。其草
こはき手附なるを以て.これを弁ずべし。是又
サイロン国の産なり
篩斗目水牛
さごとく艶をい
図のごとく箆を以
て筋を附たるもの
と見えたり。打見には
芹藷のやうなり。俗
に鹿通といふ篩の
ごとくなるを以て。商
家これを名付•其草軟に古渡の物は浅茶褐色
なり•大さ六尺五寸に。幅三尺五寸許•但黒色なる
ものは和製にておとれり
黒水牛
一絞あらく絞下赤し。全体純黒にして。こはき皮
なり。表よりこれを折に。折目われる気味なるもの
なり。大さ六尺五寸に幅三尺五寸許
小革水牛
其金皮三尺に弐尺五寸許にて。他の水牛皮に
比すれば、小なるを以て名づく。革こはく。甚下
品なるもの也
ヂンスヰギウノ
銀水牛
一地浅茶褐色に銀の針金もて。蔓草を繍たる
ものにて。紅夷人の製なり
ウスコウベヤ
愚案に。ウスコウベヤの古渡の至て上品と稱
するものは・其絞品々として。絞下、甚だ赤し、但
し万宝全書に.此皮鑑賞の事をしるせるも一
よし、通考すべし、これもとウスンコウルベアンと
いへる蛮語なるを、方言にいつしかウスコウベヤと
いひならはし。更に謬てムスコベヤともいへり。今正名
をしるさんも聞を異にするを以て。通称を記せり
其産地等いまだ詳ならず。全皮大さ大底三
尺許に弐尺彊なり
中渡ウスコウベヤ
其輩の性。しぶとく。所謂漆気なるものうすく。兀
たる所。乾ける気味なるもの也
小ウスコウヘヤ
其草小サし。故に別にこれを名く
新ウスコウヘヤ
是は黄百爾齊亜の極品の所を.和にて修製し
新ウスコウベヤと名て.甚だ性合よきものなり.今
稀にして得がたし、大さ上に同し
小豆草
紅夷人の貢する所にして。其色の似たるをもて
称するよし、万宝全書にくはしくしるせり、但
大紋なるものといへる事。いまだ精しからず、小絞
のものもあり•又革厚しとあるもいかゞ•薄き物也•
大さ二間に、幅一間許のものにて、全皮は大さしる
べからず、今扱ふ所、已に切分たるものと見ゆれば、
至て大きなる獣の皮ならん。すぐて蛮人の褥
但一種方に裁切て渡れ
などに.せしものと見えたり
るを見るに縫合せしも有
同九日畧官成
紋小豆革
紋は本邦の製と見ゆれども近時の作にあら
ず。よほど旧たるもの
也。紋の所黒く染入
紋起地沈て、其年を
辨じて。目利すべじ
青皮
経てなれよきは紋印
伝に紛れやすし。紋
様の和と蛮物とを
くはしく万宝全書に出たればこゝに贅せず。但
一円。機活法。犀の條に。青皮堅厚可二ン以テ為二
尚は犀の咽皮か
臭青皮
又一説なり猶考へし
商家にて蛮産大亀の咽皮といひ伝ふ事・
一朝鮮の大亀の咽皮なるよし。皮あつく.七子の
ごときいざ〳〵あらくして。整斉ならず。下品の
ものにて、緑の色も斑なれば、緑青などをもて、
和にて補へるなり
古渡聖多黙
絞下至て赤く。印度亞に疑似のものあり。鑑賞
にくはしからざれば見あやまるべし・サントメは西天
竺の地名のよし。全皮大さ三尺五寸に弐尺五寸許
中渡聖多黙
絞下ねずみ色なり。新渡も同様なり
大絞聖多黙
其絞の麁大なるをもて称す。性合等異なるには
あらず。紋の様子によりての事也
小絞聖多黙
是又紋をもての称なる事•前に同し•但下品
のものにて、金皮大さ三尺に、弐尺五寸許とぞ
黄聖多黙
黄ばみたる茶褐色にして。性合しつとりとねばり気
ありて能き革なり
白聖多黙
其色純白にして。雪にも勝れり。表は乳気有
てねばりつよく。性合至てよき革なり
真黒聖多黙
其色の純黒なるを以て稱ず。蛮ノ舶貢するもの。
しつとりとして甚よろし、和製ははるかに劣れり
湯入聖多黙
其草薄手なれども。性合ねばし、表の方ボク
ボクと砕る気味にて。絞の上サクうして。絞下白。
毛の穴のごときもの黒し。是は船中にて塩入たる物
と見えたり
紋聖多點
ナントメに紋を打たるものにて。和製なり
百爾齊亞
此草の事•万宝全書にしるす所•甚よし其色の
五色あるをもて、五色革ともいへり、古渡ばかはらけ
色にしてつやなく、性合至て勝れ。染汁よく
おちつきてよし、中渡のものは。つやありて蝋引を
したるがごとく。染汁の付よろしかず。真黒は
ルシヤと稱するは。舶貢にして和製にあらず•五
一拾張。又は三拾張収一櫃もの也。西天竺の産とぞ
白百爾齊亞
是は全皮にてわたりしものをいまだ見ず。水銀
壷を覆ひ寿じたるを得て。用に備ふ。其性至て
下品のものなり
コケガハ
面背の図次に出す
苔草
万寶全書に見やう等委く出たり.蛮人の製に
ヱロ
革
衣
五百
コトハストキハストストナ
○
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◆◆
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つつて
以上表表
同
圖
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*
表訓奇賞
○十三迄挙官義
して.肆に.絵草.又敷草又は銀草.伊勢いんでん
凡物の似て非なるものを。伊勢といふ事は。ふるき言葉
ともいへり
なり。堀河院五百首に。池といふ題にて。藤原ノ忠房
〽いせならばひがことぞともおもはましやまとなるてふみまさか
の池。又夫木某に鴨長明〽伊勢人はひがことしけり津島より申
斐川ゆけはいづみのゝ原。などいへる・みな伊勢をさして。
青漆もて。
例事のよしにいへり。今もいんでんに似て非なるをいへり
菊の紋を撮せしものにて。裏表模様図のごとく
かはれり。大さ方一間餘に截断せるものにて。全皮
の大さしるべからず。いかなる獣にや産物の測がた
きこれらにておもふべし
奥草
莫臥児に似て。更に下手なるものなり
小草
此草はルシヤによく似たるをもて。見あやまる人
少からず。性合よほど異なるものなれど。染などし
たるは。更によく似たり。弁ぜずんば有べからず
紋百爾齊亞
和製なれども。舶貢の
ものに擬せし模様を
打出したる也。紋高く
地ひくし
紅革
一万宝全書に、ハルシヤの中にありとしるせるは
一非なり.性はサントメなり.古渡は浅紅色にし
て.性合等甚だ上品なり.新渡は色赤く光あ
りて。大におとり。草もこはく。バリツクなどいふ気
味なり
此草を。黒サントメに染るには。楊梅皮を煎じたる
汁にて。十リ遍許染。其後五倍子の煎汁に。緑礬を
入れて染れば•黒サントメとなる也。但古様に仕立るには。右染上•
て後、所々をおもいれに。浮石をもてすりはがし。扨其上をば。
一紺屋に用る。梅汁といふを。刷毛にて一面に引也。前に染るといへるも
皆刷毛もて引也。およそ皮類水にあへはかならずこはばるものなれば。
染上て後。随分よくもみやはらぐべし。染汁の
法。いろ〳〵あれど。此法におよぶものなし
傍葛刺革
はルシヤのごとくにして別種なり。革も又小ぶり
なり•赤黄黒の三色あり•其赤きものを見て。赭
と称する事、色の良似たる故ならん、ベンガラは蛮
一夷の地名にて。東ノ印度の種なるよし。武備志に
も見えたり
透草
彩色革ナリ
一和産の牛のあまはだを。サビ皮といひて。刀脇差
の鞘工の用るものあり。其サビ皮のごとく薄き物也。
一打見には人物唐花の類を。模様どりたるをす
かし見れば•おもひの外なるわらひ絵•宛然とし
て鳶転鳳倒忽透徹す。紅毛製といへどもしから
ず人物など南京人と見ゆれは唐物なるべし
印花草
蛮産にあらす•唐山の製と見えて。方壱間半許の
大革なり、地色白く、やはらかなるに、緑青生燕
脂のごとき二色にて。人物などを絵けり
南京絵草
是も唐山の製にて.近年渡しものにや.絵様
彩色等甚だ見事なり。革性は暹羅樟皮の
類を滑せしものと見えたり。左に図す
南
京
繪
ナル
革
十四
□□□□□□□□
萬國圖革
一此草全体牛皮と見えて甚だこはし。是は
一紅夷人の製にて。面を白くぬり。萬國の図
をしるし•磁石に此図をそなへて•島々を渡
一海するよしを聞り。余が蔵する所は。大さ方
壹尺七寸許にて.洋中の島ゝ.其名詳ならざ
るを、何人か所々に證せり。此草佩物等の用
に具がだけれども、世に多く見えざるもの故・
其全図を略してこゝに出せり.紅夷人の坤
一輿に精き事は、人皆しる所なり
まあるようになれぬかつなかんなみない
萬
国
三回
革
省
豆一
□□□□□□□
継之六
象皮
一色黒く厚さ弐寸許・絞甚だ大にしてあらし、
薬用に備ふるよし。裁縫は一向用ひがたき物也
蛇手
模様図のごとく.地は
黒漆に銀鑑末を加
てぬりたるごとく光り
ありてざら〳〵とする
気味あり。模様は五
色をもて。それ〳〵に
一彩たる事・至て奇麗
に清たるもの也・一種
蛇ばかりを画けるも
あり。すべて模様の
所は鉄印にて打出
して彩色したる
ものにて、蛮人の製なり、勿論草の性もよし、
一応此類を交易家にて。金唐皮と称ず・万宝
全書に金草金唐皮と二品のみ出せるは。当時
多く流布せざりし故。もらせるなるべし
一升平日久きによりて。百貨競ひあつまり。海外
一より貢ずる所。年〻新なるがゆゑ。吾儕まで
これを粥て、主顧のもとめにそむかざるを辱す・
故に此書に載する所.新旧を問はずこれを
出す事。皆手なれ故あつかふによる事。前に
いつるがごとし
人形手
一左の図に出せるごとく。人物あるをもて。此名を
称ず余が見る所四品あり。地色濃紫にて
一模様の所、種々に著色す、大さ弐尺五寸に
弐尺弐寸のもの。其草こはし。性は印度亜なり。
又猿を画き添て.地色濃鼠のごとく、模様は銀
なり。打見には彩色下の様にて。銀光ドミて
錫箔のごとく。大さ弐尺八寸に。弐尺弐寸のもの。
革こはくして、よほど次なり、しかれども地色模、
様においては、希代の物也、又地、粟色にして模様
の所。箔濃。大さ弐尺五寸に。弐尺。其草軟かなる
もの、又地模様とも、一面に金色にして、大さ前の
ごとく、革もやはらかなり、各人物を画き入れたり、
凡金草の金は、金箔にあらず。銀箔に色をつけ
對念言賞
巻之六
図
革
形
人
□□□□□□□□
銀
同
革
置
一十一芝翠飾簡
俵劇荷賞
巻之六
○二十一芝翠館蔵
たるものにて。模様はすべて鉄印なり
淀屋草
26200
□□□□□
〇〇〇〇〇〇
革の性は苔革に同也
く.極印にて打出し.
黒漆をもて図の如
くくゝりたるものなり。
舶来の物にて甚だ
古し往年本府に淀屋古菴といひし人の珍
一蔵なるをもて名く、今多く見らず、価貴し
極印手
一前にいへるごとく、金草は銀箔を製したるものな
◎◎
羅紗手又火口手トモ云
れども•此草のみ•本金
の上を・玄色のごとく、一―
面に色を付て。図の
ごとき模様を淀屋革
のごとく。黒染にて。くゝ
り起たるもの也
地は箔濃也鉄。印打出。模様の所。羅紗のごとし・
一全体銀の地にて。かの一紗のごときものを揉おと
甘芝翠餅蔵
せよで銀光あらはるゝ也・
其模様も不レ一・青き
もの、白きもの、又五色
に分て彩たるもの等
あり。大さ弐尺壱寸に。
一寸壱尺七寸。又今少大
ぶりなるもあり。性はハルシヤなり
鏡奩
紅夷人鏡奩を装ふに用ふ•故に此名あり•其
模様反品あり。今僅に其一二を図す
□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□
花の如きもの麗し
き紅にして葉は緑也
甚だ美なる事この
中にて最上のもの也
…………………………………………………………………………
模様すべて銀光楽
して・地は濃臙脂の
うるはしきがことく。
至て奇麗也
○世芝翠館蔵
joooocooot
〇〇〇〇〇〇〇
lo000000000
iCoDEUCECO
{9000000円
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…………………………………………………………………………
一でCOOCCCOM
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……………………………………………………………………………
一〇〇〇〇〇〇〇〇
…………………………………………………………………………
○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○
○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○
bocoo。
boo0cr
boco。
○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○
一〇〇〇〇〇〇〇〇〇
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○○○○○○○
〇〇〇〇〇〇〇
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…………………………………………………………………………
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〇〇〇〇〇〇〇
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〇巻〇、〇〇〇
○○○○○○○
…………………………………………………………………………
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…………………………………………………………………………
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○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○
…………………………………………………………………………
4.00
100000000
Coccoo。
一生三本館前
地銀にして。七子の如
き打出しあり。花は
紅に甚だ見事也
地色一ならず。朱漆
青漆•濃繰色•又は茶
褐色等の漆ぬり或
八石黄白漆なるも
あり・模様は箔濃也
一革はハルシヤを裏よりすきたるものと見えて
薄し、大さ壱尺五寸四分に。幅六寸なるは、大
の方也、小は、壱尺弐寸、幅四寸七分、但摺返の邉
は除く、此外に奩の扇に用たる草。頗大なり、
一壱尺弐寸に幅壱尺あり。扇の表裡ともに、此
を張用ひたり
王子手
一地色鶏卵殻の白き色合にて。其下銀新清く。
一花卉禽鳥・或は栗鼠蝙蝠などを打出して
見事に彩色たるものなり。是金草中ノ第一品
にして世に稀なり。価も又たふとし
花瓶手
一〇
銀革
全皮の正位に大なる
花瓶に花を挿たる
図あるをもて名とす・
今は其はしを写せ
るなり。革軟にて下
品の物にあらず
前に苔革の一名を銀革といへど。今とは別也
}
□□□□□□□□
一模様図のごとく二手
あり、一面銀のうすび、
やくたんにして彩色
なく・打出したる物にて
草甚だこはし是は
箱などを張て渡す
を剥て裁縫せしもの
にて.此方にて交易す
る所の大さ。弐尺三寸
に壱尺七寸許
○届光翠箱蔵
一名梨地金草
無地金草
総金うすびやくだん色にして。地紋模様等なく、
ぬんめりことしたる物也。革やはらかなり
百合手
地色銀の上を・樺皮
のごとくにぬりて。図の
ごとき模様を起し
たる也。花の蕊。百合花
のごとくなるをもて。此
名あり.革少し硬し
琉球繪革
下地を朱にてぬり。其上を
此方にいふ。ウルミ色なる漆
をかけて.山水楼閣を景の
人物などを箔濃と黒染
にて画しものにて打出し
たる物にあらず、其皮硬が
故に.とりなやみなどすれば.
折目の所より、朱の色見ゆ
一類なり。文庫様の箱に張て渡すを剥たり
同弐反同九十一同五十八歩
柘榴手
廿貫一一
新渡金革の中にて
此草をはじめとす。是
より三品渡れり。各
左に図す・一に牡丹手
ともいふ・性はルシヤにて・
大さ弐尺五寸に弐尺
のもの也。今より二十四五年前に、四百張許貢す
所今猶流行するなりと
青地
大模様金革
模様図のごとく。金地
所々少づゝ彩色あり、
大さ上に同じく。革
性少こはし
一表則断賞
地球緑のチヤン薬を
ぬりたるにて。模様図
のごとく。藍赤白にて
一彩色たり。大さ同レ上草
の性よろし
○月光翠草蔵
小模様金革
又桜手トモ云
図のごとき花の趣き
一絲桜のやうなり。初て
渡れるもの花の莖ふ
とく画き.革軟に性
亦よし。後渡のものは・
花の茎ほそく、革性硬く、彩色等すべて劣れり、
大さ・又は彩色・上と同・様なり
なり
已上四品新渡金革
古渡紋水牛
前水牛の次へ列すべきを。不意に
こゝに挙たり。見る人訝るべからず
紋の内.絞のまゝにて.地は一皮うすく剥たるか.又
すりはがしたるがごとし
革少硬し
十四日
淀縫
是は全皮あるにあらず
サントメ・ハルシヤ。紅革。金
革.又は白ハルシヤなどの
裁おとしをあつめて
巾着筒乱の料になるほどによせ・雲形唐花の
一類を繍補ひたるもの也。山城淀府にて製す。甚ク
一巧にして古色なり。他所にてこれを製するも、す
べて淀縫といへり
渡白滑革類
一舶来の白草三品あり。所謂瘴皮は小様のもの。
一山馬と称するものは。良大ぶり也。並に大宛国の
産なり、暹羅の産は、山馬同様の大さなり。是なり。是なり。是なり。是等
は佩物には用ひざれとも、唐草の類なるを、いて
此に録す。已下十品は和草なり
鶉革
一地紋鶉羽のごとくふすべたるを以て此名あり•又
一縄すだれのごとくにも見ゆるなり。別に紋鶉と云
あり。右の地紋の上に緑青にて。菊の花を所々
ちらしたるもの也・大さ方三尺
附正平革
天平革
一肥後国八代古閑橋のほとりにて製。元鎧の威
の料に供ふ、天平十二年八月と題す、当時交易
せざりしを、後売買をゆるされしゆゑ御免革と
もいへり。又正平
南朝
年号
六年六月一日と題せるあり。
第九六
○廿八日本之眉
平
正
革
圖
全
一是を正平革と名く。此事くはしく近代世事談
といふ書にしるせり。尤も正説なり。右図のごとき
を一具とす。全皮に六具を収む
菖蒲草
城州男山の麓にて。
往昔染る所にして
是も鎧の威に用ふ。
菖蒲は勝武の義を
音に借て。これを祝せ
る也。此亦無事談の
議讒言賞尹巻之六
○七十芝峯創着
説。最これを得たり。故
こゝに詳にしるさず。又
此草など。こと〴〵しく
図するに及ばねども、
手代りのものをしら
しめんが為。こゝに出せ
り。次の図なるを花菖
蒲とも、杉立ともいひ、
其次なるを。巴菖蒲
といへり
御免革
*
同断同六匁一歩
同壱升七合
同十一年
同三十一日
同同百六十一
糸糸糸糸糸糸糸糸糸糸糸糸糸糸糸糸糸糸糸糸糸糸糸糸糸糸糸糸糸糸糸糸糸糸糸糸糸糸糸糸糸糸糸糸糸糸糸糸糸糸糸糸糸糸糸糸糸糸糸糸糸糸糸糸糸糸糸糸糸糸糸糸糸糸糸糸糸糸糸糸糸糸糸糸糸糸糸糸糸糸糸糸糸糸糸糸糸糸糸
地を紫に染て。図の
ごとき菊の形をおき
たるもの也。其様の天
同一
平革に似たるをもて。
これを御免革と称
して売買す・真の御免革とは別なり
姫路革
一播州姫路にて製す・五色あり、いづれも一葉の
葵と•散桜の極印あり•大さ壱尺三寸に。七寸
不念言二二頁者之六〇〇
五分あり、紅草のものは。此中にて高直なり
印花革
前にも此名あり•今と別なり•是はさしさ模••
を。江戸にて製したるもの也。大さ壱尺弐寸に
八寸あり
大明革
一十年許已前京師にて製す。さらさ革の如
きものなり
類違
白滑革。又は古きふすべ革などを茶汁にて染た
るをいふ
虎皮
一交易のもの。多く雲南東埔寨より出ると。掛目
大なるものは、壱貫七八百目、小なるは、五六百目
一までの重さなるもあり。以下毛皮の類を挙
豹皮
一洗州又湖広より出るよし。通商考に見えたり
羊皮
古渡のもの色白く鮮なり、新渡は薄黒く、臭
あり、諸蛮夷より出れども、西天竺の産を佳とす。
観念言賞□巻之六
金鼠
毛先金光あり、又銀鼠あり、同ク毛先銀色かゝやけり、
一是は数十張を縫よせて衣服に製したるもの
なり。蛮人の衣裳のまゝにて渡れるもの見えた
り、一種火鼠と称するものあり、其毛少赤みを
帯。火中に投ずれば焼ざる。よしいひ伝ふれどもし
からず。或人あやまつて。火中におとせしに。一段
とよくやけたり、以て笑談とす。かの竹取物語
にもとめわびし火ねすみのかはぎぬなるものや・
火に入ても焼ざるならん火。洗布などいへるものも。
此類にて得がたきものとしらる今火鼠と名
一付しは。かりそめに好事のものゝいひ出せるにて。其
実にあらざるべし。近世或人の工夫にて。火浣布を
製すと、いかまも。火に投じてやけざるよしを
聞けり、いまだ実見せざればこゝに詳にせず
猟虎
金色にして綿毛のこときものなり。手にてなづ
れば。なづる方にしたがひ。指にで文字などを付
れは、其文字しばらくのこれり、奥州松前より
出る、大さ壱間に、幅三尺許有以下和産毛皮
第三十一巻之六
メツフ文字正名等未レ詳
一全体綿毛茶褐色にして、先黒し、油気有
て、くさみ聞ゆ。滑せば臭気頗除し、是も奥
一州松前の産なり
アザラシ一に水豹の字を用ふ。しかるや否をしらず
毛色メツプのごとくにして。豹皮のごとき銭形
ニク
古来羚羊の字を用ふ。未レ詳
の文あり、油気臭気等前に同し、同松前のま
全体毛茶褐色にして。毛尖黒し、綿毛白し、
其毛長し
鹿胎皮
皮至て薄し。文鮮なり
唐熊を上とす湖広の
熊皮
産尤よし
兎皮
至て白し
色なり光なし
山兎は茶褐
テンノカハ
茶褐色にして光あり
貂皮
狐皮
附アンペラ水草を以て織たるものなり。アンペラ
は.符簷の唐音なるよしをいへり。芹一に符に
作て.符簷は蘆篠に似て直文のものと.楊
子方言の注に見えたり。今のアンペラは符
簷の精品なるものにて、蛮人の製なり、通り
商考に浮泥国にて織よし見えたり。此
○卅三芝翠飯庵
第一革属にあらざれども.佩物等に用れば・こゝに
これを出せり
○印籠工名譜
凡印籠の名義説々あれども未レ詳故に略す、
今録する所.印籠師.名有て氏しれず.氏のみ
一称して、名のきこえざる等すべて名姓字号
にかゝはらず。いひなるしにまかせて。これをあつ
む、只恐其差課あらん事を.識者正焉
梶川縣
一称二久次郎梶川彦兵衛弟子
江戸中橋檜物町住
印籠工古今第一の名人.故に其価甚貴し.此郷
重裡に刑部梨地、又平目梨地片いふあり、殊に見
事なり、元祖より今に至るまで、其名をおとさず、
先は此工の名家といふべし
江戸中橋住
御印籠蒔絵師
古満休伯
二代曰久蔵安巨トイヘリ尤名人
是又梶川と等しき名人なり•元祖より当代に
観子破笠江戸人
至るまで、家声を減せず。名‾家なるかな
上手なり。此人の蒔絵には。必ず楽焼又は堆朱又は
染角などをあしらひ、仕立る事。甚だ風流なる物
なり。是又一名家といふべし
製剤断貨巻之九、印蓋工○卅四迄羅治成
第三十二人巻之六一九
姓氏居住等未詳
近直図
一姓氏未レ詳京師ノ人
春政
塩。見小兵衛の父といふ。蒔絵の上手也。其名高し
京師住
塩見小兵衛政誠
一磨出し蒔絵のもの多し•甚だ奇麗に上手也
加兵衛召
世に加兵衛練といふ•京師の人歟
常加
山田氏江戸南塗師町住御印籠工
上手なり
法橋光林稱シ二勝六ト一號一ス青二青々堂一京師ノ人
光悦門人にして風流の好士なり.画をよくす•等
一家也、印籠は光悦好のかたちなるよし、其蒔
絵は、所謂光琳風の絵にて、青貝かながひにて
形を模し、地を粉にてうづみ内も葉地を用ひ
一ず、やはり金粉濃なり•鉛は蓋のうらに錐の尖
にて引たるごとく細しと其名をしるす
江戸ノ人歟
田付孝則極
孝則親族数
同せう女西孝則親族歟
桃葉齋稱二源六ト江戸住阿州御抱
稱フ二次郎又一江戸住上手
野村九圭
同樗平
稱二次郎兵衛一九圭弟江戸住
上手
第一十六巻九十一
江戸神田永富町住
円阿弥丹後
上手蒔絵結構にして甚タ見事なり
幸阿弥因幡
同皆川町住
是亦上手なり其作丹後に等し
江戸住
奈良八左衛門
同上
望月重蔵
名ハ建元木村氏稱二文次郎江戸住
狩野十旭
名重春木村氏稱甚右衛門上
巣野不幽
江戸人
温故長寛
覚々斎と号す上手なり
土田半六
江戸赤坂住
刑部太郎江戸人
同レ上
奥村四郎兵衛同レ上
鈴木正義國京師住
安川其名未詳大阪住
根付師ノ條ニ出
友忠
一蒔絵印籠を製するにあらず。象牙にて彫成し
図するに、七賢人、又は竹に虎を彫起こ事巧也。
蒔絵師市兵衛
大坂追手筋
卅九番割
貝入さび印籠師なり
清兵衛
大坂伏見町邊ニ住
甚ク上手にして。世に清兵衛のバラ印籠と稱し
て、賞翫すバラ印籠とは、重をバラ〳〵にして合
すに•下を上の重に合し•裏をおもてに合し
ても.其工合しつくりとして.同し塩梅になるを
以ていへる也。余弱冠の比.江府へくだりし時。数
竒屋川岸に住せる・児島新六といふ人。梶川
一古満など。上作の江戸印籠を目利する事を。
授せらるしに、すべて上作のものを見極むるには。
右バラ印籠の如く合せ見て・其肯祭を得
を以て、上印籠の約束とすべきよしを教へ
られしを承て。これを試に違ふ事なし。すべて
此意を得て、鑑識せば。十に八九まで課る
事なし•是商家の秘といへども•児島氏の功者
なりしほどを。世に告んがため。こゝにしるしぬ。
此清兵衛宝永の頃
関東へめされしに。不幸にして箱根の宿にて病
て没せりと
《名《《仮名仮名仮名仮名:《振り仮名:名仮名仮名仮名仮名仮名仮名仮名仮名仮名仮名仮名:
姓氏未詳稱次郎兵衛京師ノ人
春正
清水源四郎
江戸人
一甚だ上手なり。此人の製する印籠を。桐の間
と称して珍重す。桐の間と称する事。恐れ多
ければ。其よしをしるさず
蒔絵師市大夫
加州金沢桶町ノ住
加州御扶持人代〻印籠師
清水源四郎弟子にて・上手なり、加賀印籠と
て一風あり・やさしう奇麗に蒔絵など甚だ巧
にしほらしきもの也。就中此人の作・別して勝
れたるをもて名高し•世に翫ぶ•加賀蒔絵の童
合多く此人の作なり。もとより茶人のきこみも
あれば・其作の風雅ならん事おもふべし
蒔絵師藤蔵
市大夫長子
藤蔵弟鍛冶町住
同友之進
友之進弟下堤町住
同
同市之丞
右兄弟たがひおとらざる上手にて。伯は幸派
の鼓をよくうち、仲は笛・叔は太鼓をこのみて・各
一巧なりしも業の餘適なるべし
金澤袋町
蒔絵師庄兵衛
同所
同庄二郎同所
生
貝
入
物
名
印
籠
四回
ゆめかとよ
やみのうつゝの
うつの山
月にも
つたのほそ
みち
我庵は
み和の山もと
こひしくは
とふらひ
きませすき
たてる
けてる
門
かすか野に
わかなつみつゝ
よろつよを
いはふ心は
神そ
しるむ
色よりも
かみ所
あはれ
おもほゆれ
たか袖
ふれし
宗の
め
そも
○九州八分
鷹のゐる池
のみ
きはにおふ
りて
宇古の外の
こゝ
ちこ所すれ
【念音賞之六
第六十七歳巻之六○卅九終芝翠館蔵
右の外、印籠工、其名きこえざるもの。幾百人と
いふ事をしらず。今其銘あり。名きこゆるもの
のどりあつかひて。価も其ほど〳〵を論ずる
ものを挙•猶銅螺の時代もの•或琉球の貝入
一堆紅がりなどのからめきたる・長門印籠の
品くだりたるまで。其数きはむべからざれば。
すべてこゝにもらしぬ
装劔奇賞巻之六終
荷貨物
内録根附師名譜并図
壮衣剣奇賞猪ト玉石類
装劒奇賞巻之七附録
通龍
稻葉通龍新右衛門著
浪華稻葉通龍新右衛門著
弁図
根附工
一印籠巾着等すべて佩垂の隆に用るを根附と云・
一名物六帖に懸錘の字をよめり.近世これを刻して
一名を得し人少からず。今其工の巧拙にかゝはらず名
称を録し、間其象を図して鑑賞に便す
フゲンシウザン
法眼周山
大坂島ノ内住詳ニ下ニシルセリ
すべて彩色根附也。世に贋物多しといへども。能画の
所為なれば。企及べからず。今嗣法眼に乞て左に図す
梵念言筆二十七
○一二辛丑寅刻
同同同同同同同
一朱餅巻之七
○三芝翠飾簡
同同同同同同同同同同同
○口一盞翠飾簡
先考法眼周山先生諱充興號採僊皇画名之盛世之
所固知、而先生初稱周次郎好刻佩隆、其所損象多就
山海経及列仙伝図中、取其物状尤塊竒者而或補或
省或官或遍弄鉄縦横唯其思之所擬着色詭異之出
乎人意表然中歳已後止不復造而春以其罕故欣賞
弥衆属者友人稲通寵著装細奇賞附録有仏隆譜出
象諸工所刻若干品而就余請写先人遺製誰不可辭
但前所謂奇物怪象者今巳為人所珍襲不可復多聞
則島有以能当夫世所欣賞乎然余意乃以為先生此
技本亦丹青之余適則今雖非為奇特者且随所有以
有其形似亦何傷於先生、遂写所有一二、以貽焉云、
欽賜法眼周圭吉村充貞識
一表刻奇覚巻之一○左
第一点二百七十七七七七七七七七七七七
竜神全図
一芝翠飾庫
・
右
法眼周圭男
吉村周南充國寫
雲樹洞院幣丸
姓氏未詳大坂蛮島住
此人世にいふ神道ノ者にして、人の需あればこれを
雕刻す、甚だ上手なり、但刻せる所多くのこらざる
一故、知る人亦多からず。今其一二を択び左に図
してこれを広む•すべて素刻にして•彩色の物
なし。あれどもわづかに衣など禄をきめるほどの
事にて。薄彩色なり
紀州人
小笠原一齋紀州人
才錢十壹錢
近来無双の名人にして.現在の人なれども得易
一からず、すべて象牙鯨牙等を用て雕刻する事、
至て細密にして人工の及びがたき手際なり。下
に六図を寫す。象牙の色を付ざる素刻なり
飛
龍
名闕
罔象
元興寺仮面
人魚
天虞山神
右雲樹洞刻図
橘保年写
一親部藩之七
□□□□□□□□
辛啄
拍毬
猿樂
一袋翠鉢蔵
俳優
焚禽
右一齋翁刻図
橘保年写
三輪姓欺名歟スヘテ詳ナラズ下傚之ニ江戸関口水道町
三輪
上手也、子供の獅子遊、蛸猟師など称する物
あり、すべて桜木の素刻にして、紐通の穴に萌
黄の深角を入る•象牙の物はなし
和流江戸人
此人もし三輪の弟子にや。三輪の形に倣へる
肉多し
大坂備後町西本願寺横ニ住ス
蓑荷屋清七
元欄間工にして・根付を兼作るに.甚だ巧に
一の細密なるをこのめり、すべて素効なり、色付象
□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□
辛啄
拍毬
猿樂
一芝翠鉢蔵
俳優
焚禽
右一齋翁刻図
橘保年写
三輪
開姓數名歟スベテ詳ナラズ下傚レ之ニ江戸関口水道町
上手也.子供の獅子遊。蛸猟師など称する物
あり、すべて桜木の素刻にして、紐通の穴に萌
一黄の深角を入る・象牙の物はなし
和流江戸人
此人もし三輪の弟子にや。三輪の形に倣へる
肉多し
蓑荷屋清七
大坂備後町西本願寺横ニ住ス
元欄間工にして・根付を兼作るに.甚だ巧に
細密なるをこのめり、すべて素剤なり、色付象
牙等なし
大阪長町住
九郎兵衛
一菜翠鉢蔵一
一彩色根付師なり周山刻を偽造す・しかれども
甚だおとれり
根来宗休大阪京町掘住
根来宗休
入歯工の名人にして.根付も又上手なり
大阪天満住
龍木勘蔵
此人の根付たま〳〵見えたり
又右衛門
紀州住
上手なり。故に今も商家にて・よき根付を見
れば。紀州の又右衛門でもあらふかといふほどの
上手なりし
雲浦可順
文字未詳今或人ノ云ヘル所ニヨレリ
大阪道頓堀樋ノ上に住す修験者なり
彩色精しからず・唐人すがたのあやしげなる
を彫刻す•素刻象牙等なし
勢州津人
岷江風
本刻に色〳ゝと興をそへたる。巧を弄す・たとへ
ば.達摩を彫るに。其眼のぐる〳〵と。ひつくりか
へるなど・甚だ拙なからず、故に世にもてはやせり・
現在の人なれとも已に偽物あるにて・其妙を知
るべし
春周姓氏居住等未詳
春周
友忠
京師人
和泉屋七右衛門と称ず。牛を彫事妙に詣れり。
関東にて特に賞玩す•故偽造の多き事•百を
もつてかぞふべし。真物は格別手際なり
勘十郎
大坂久宝寺町谷町
顔手足を象牙にて作。衣帯に黒檀を用て。人
物を彫し人なり
田原屋伝兵衛
大坂住
勘十郎弟子なり.象牙木彫ともに作る
我樂
大阪人
為隆尾州名護屋本町八丁目住
利助と称ず・田原屋伝兵衛弟子.器用なる彫し
喜多右衛門と称ず・此人一流を彫出せり.人物
などの衣紋に唐草を堆く彫上し所.尤奇
妙なり・故に其名きこゆ
河井頼武京都人
仏師なり。其根附至極奇麗に模する所の
もの•必一曲ありて興を添ふ•一家といふべし•お
もふに•此人の作•年を追て賞を加べし
草花平四郎博労町心斎橋筋
草花平四郎
欄間師なり、此人草花を能彫を以て姓と
す、間根附も彫れり、しかれども多からず
樋口氏大坂島内ノ住今住二江戸ニ一
法眼舟目
画工なり•画を以て法眼位に叙す•此人細工
甚だ巧なるによりて・根附を彫・もちろん手
際すぐれたり
奉真
京師人
一象牙にて、蛤の内に宮殿などを彫れり
大坂内本町御祓筋ニ住
佐武宗七
欄間師なれども根付にて。其名きこゆるは。果
して上手なれば也。彩色象牙木彫何にても。彫
刻せり
柳左江戸人御挽物師
挽物クワラ根附の上手。蒔絵印籠に墜して
蒔絵にあたりても。きずつかず甚よし
京師人
広葉軒吉長京師人
十歳紀州和歌山湊戎の側
一齋の風に似たり。手際器用なり。日を逐て
表剝竒賞
上達せらるべし
柴田市郎兵衛大阪堀江住
正直京師人象牙木彫スベテ上手最賞スベシ
岡友同レ
印齋大坂北久太郎町難波橋
ふたや伝兵衛と称ず象牙狙公根附師也
是楽江戸三十軒掘住
大坂住
三小
一小兵衛といふ、彫刻甚だ巧にして・摸する所など
すべてよけれども。恨くは其品高からず
住居未レ詳
吉兵衛
辻
同上上手木彫バカリニテ象牙ハナシ
畑友房作州津山二階町住
畑友房
塗師勘兵衛と称ず.ぬりものゝ根附作人
大坂住
次郎兵衛
角彫龍の隆鞘の作人
同上ニ稱ス平助ト
龜谷肥後
本は機関工なり。今入歯師にて。根附も刻めり
和性院
一文字未詳只云伝フルニマカセテコヽニ字ヲ製ス
ウンポ
大坂上町ニ住ス修験者ノヨシ
雲浦風の彩色彫也
一志州貞長七七
京師人
清兵衛
一世に清兵衛彫と称し名高く、此人の作なら
ざれども。木刻のしほらしきを見れはなべて清兵
一衛彫といふは、上手なれば也。今偽物多し
牙虫居住未詳此銘アルモノアリ
大坂島内住
近江屋嘉兵衛
京師人
玉治
同五條サヤ町住
大黒屋藤右衛門
京師人此銘アルモノアリ
友胤
霞鷲
居住未詳文字音ニテカシユウトヨムニヤ此銘アリ
長尾太市郎
山新堀御城代屋敷
小幡川一齋の弟子
密にして奇麗なる事。師家に譲らぬ逸品なり
同上彩色根附師
竹内彌須平
居住未詳此銘アルモノアリ
宜元
光春
京師人同上
出目右満江戸人御面師
なぐさみ彫と見えたり。面の根附は自然の妙
にて•他に及ぶものなし•又出目上満といへるあり•
右満の子にや、是又上手なり。凡出目の銘あらり
一面の根附のみにて。外の形ある事なし
十良訓寄貞長之口
大坂住
豊島屋伊兵衛
関東にて。火
スヒガラアケ
ハタキといふ
を。銀又銅の針金にて一楽
のくみものごとく、くみたる根附の作り人なり、又
瓢箪も見えたり
泉州堺人鋳物師
唐物久兵衛
クワラ・スヒガラアケの類.唐金鋳物の根附あり
同上ニ土屋氏號ス二望藤軒一
一楽
籐又は細き藤にてくみものゝ腰下を作り出せし人
なり、又瓢箪などの根付をも、くみものにて作れり
中山大和女
江戸注
象牙のクワラの根附に獅子龍などを至極細
密に針尖にて。毛彫たるものなり
附人魚骨
奸商.人魚の骨なりとて.人を欺き利をむさぼ
るものあり、甚だ非なり、是は鬼鱶の聘なるよし、
これを識者に正せり・往〻よろこびて根附に
用る人あれば。こゝにこれをことわれり
一根付時計又香合時計トモ云フ
紅夷人貢するにより。すべてヲランダドケイとい
へど。其属国スセリヤといふ島にて作ると。此国
余言学一巻之七七七文
の人•天文にくはしきを以て。これを製せり•又一
一種フランスといふ国にても製す何も妙工至て巧
なりといへども、根付に用る時は、日久しからずして
工合文そこなふ。たゞたゞたゞた。掌中に玩びて
其奇工を愛すべし
唐彫根附
唐山の人.此方の根付のごとく。佩たるにはあらず。
印鈕
古来印鈕の
図下に出す
刀柄.杖頭、冠帯の飾の。佩墜に
一堪たるを。孔なきは穿て。紐をとほし。或は紐の
むすばるべきは纏ひて用るなれば。其形の名称
一の詳ならざるもの多し、只其奇なるをもて•唐
彫をこのむのむねとすべきなり、今奇なる物
一若干種を得て。皎天斎の翁に乞て。左に図
せしむ。其奇物こゝに炎るにあらず。得に随て
十が一を薬るのみ
同十二日同歳劇
○廿五百五十一半消滅
面
○十三年創着
裏有
背
印
裏有
印
東京
印有限
裏有
印
同同同同同同同
裏有
印
○一才一才
裏有
印
鹿紅竜三谷村
印有業
東京
印
裏有
同同斉賞巻之七
同同同同同同同同同同
圖ツ
紐
環
金
連環
寿亭侯印
及關南司
伊
馬皆用此
一印
罪
釼
金
駝
印刷
紐
右
奥
金
環
印録
橘国雄写
龜
裏
有
□□□
面
捕鯨
四十一
○十七一芝翠錦篇一
□□□□□□□□
やりて
第無表情ノ巻之七〇十代一著
緒ト玉類
ヲシメの正字詳ならず.坊間の学語篇といふ
書に、壓口捺子の字に。術字を副あれども、い
かゞにやしらず。此学‾篇の術字副も余り
あてにならぬよし。或人いへり。彼書に秋風客
の字をビンボウダイジンと譯せり。是甚だ笑ふ
べし。秋風は抽豊と通音にて抽豊客は俗
にいふ。スアヒをとる商人の事也。すべてかやうな
るは・推量にて仮字を附たるものにて・これを・
信用するものは、大に迷惑する事なり、只
我邦にて製したるものは、文字も通用するや
うに取合て書べし。是我邦の故実なるよし
きゝおよべり•余固寡聞のものなれば•此説によ
りて。すべて正字を考へ用ひず。をじめとは。
緒をしめるの用が体となりて。名に用ひたる
なり、あふぐ用が・あふぎと体になりて。名に
用ひたるかごとし、俗に緒〆と書く、〆はト
の字なり、卜レ居ヲなどの訓を侮たる也、此緒〆
の玉石類•江州木内小繁が作の雲根志に
出たるは、すべて正しき説なれば、彼書に譲り
第三十九巻之七七七十ガ一巻
てこゝにもらせり•此書は商家の為に備ふれ
ば。尽く産物家に質問せず
珊瑚俗に珊瑚珠といふ、雲根志に出たり、故に此
に略す•交易家には•亞媽港を最上とす。就中
粉吹玉と稱するもの。至て稀なり。薄桃色に
して、珠の内より、粉を吹出すがごとし、又唐
人口と称するものあり、色赤く至て下品なり、
此外に黄色のものあり。
血玉と称するも此類なり
黄珊瑚珠と称す同種也
琥珀雲根志にくはし.古渡を上とす、新渡はお
とれり。産所等通商考に出たり
瑠璃珠真物至て稀なるよしいへども。余已に五
六顆も取あつかへり、真物は日又は燈に照し見る
に珠の中、濃紫に紺かちなる色かゝやきて、活動
するがことし打見には無景なる黒石のごとき物
也。吹物は打見は。碧色に光あれどもすかし見れ
ば、尋常の硝子のことし、前漢書の注に.大秦出二
赤白黒黄青緑縹紺十種ノ流離一ヲ此レ自然之物と
あれども•今見る所すべて•漂紺色なり•漂紺を
一ルリイロといへるは・此珠の色によりていへるなるべし
碑礫通商考に、瓊州石といふ広東の内なりと見え
一綾幸浦川巻之七七斗一著
たり•字書に石の玉に次ものとあり•又本草に
其一形如レ扇。背文如二瓦屋一とあるを以て見れば。海
扇の類にて、石にあらず・此物至て稀なるにや。
いまだ真物をとりあつかはざれば、貝か石かを詳に
せず。今売物に出るは。海扇を摩て作りたるも
のにて・賤価の品なり
水晶雲根志にくはし日向に産するを最上とす
砂金石一に金「星ノ石ともいふ。雲根志に出たるとは別也。
商家にてこれを金水晶共いふ。茶褐色にして
○梨子地のごとく光彩あり、但梨子地と違ひ、自
然の光范甚だ鮮明なり。本草に毒を解し、神
を鎮め、骨硬を治するの功を挙。三才図言には。
美人の首に装ふよしをしるせり、其器に作り・
一硯に供するといふも。皆貴人の清賞にして・庸
人の珍にあらず。此玉の事。猶いふべきあれど。事
○繁けれはこゝに略せり。其美なる事は。求て遂
をしるべし
星珊瑚珠青玉に赤光星のごとく、散堂す•商家に
此名をもて交易す。価至て貴し。是すなはち
一種の属にて山より生ず希品なり
製絨業賞
雲南石又硫政石ともいふ五彩の小石をあつめて摩たる
ものゝごとし、いづれの産にやしらず、雲南石と
いへば、即其地より出るにもあらんか
瑪瑙雲根志に出たり.但商家にこれを津軽石
といふ。津軽より出るにや。津軽より出る舎利石と
は別也
猩々石舶来の物なり。瑪瑙の光なきがごとく。
赤き事赭のごとし。是又交易の名にして。露
いまだ詳ならず
キンパク是琥珀の至て陸徹するものにて・其色の
浅き事。よき玳瑁を摩出したるがごとし・小き
蟲など、玉の中に吸こみて。鮮に見ゆる事。琥珀
但色濃もあり。とかく鮮明にすき
のおよぶ所にあらす
とほるものを金ノ珀と称せり
ロハク黄茶色にして光なし、琥珀の一種なり、
ナンキンセキ
南京石
其色の唐蝋に似たるを以て。蝋珀と呼ぶなるべし
又唐瑪瑙と云
猩〻石に光彩あるものなり
カラフト
一名ムシノス
吹物ナリ
奥州松前カラフトといふ所
より産す。色浅黄の濃がごとく、自然に理。又蟲
の喰たるごとき巣あり•又米なきもあり•上品也•
偽物は茶碗薬をもて焼たるものなり
同一九一
夜光貝をすりて製したるものをいふ
真珠本草に石決明に産すとあるは。薬用に供する
所にして•小粒なり•緒卜に用類は•大さ豆のごとく
ありて•何の貝より産せるにや•又石決明より出る
にも。大なるものあるにや。すべて詳ならず
七宝舶来のものは至て下品なり。但シ古渡には甚だ
見事なるあれど、今得がたし、只江府平田氏の
製、古渡にゆづらず、雲龍牡丹獅子等の作。殊に
妙といふべし
鶏冠石雄黄の中の色よきを緒卜に作れり
蝋石篆印に用る石なり。古渡のよろしきを玉とな
し、唐草などの模様を彫りて.緒卜とす
銀沙石砂金。石のごとくにして。色浅鼠に銀彩有
ものなり
平戸其はじめ肥前の平戸にて製するにより
て名とす、今京ノ師より出るは、至て下品に賊価
のものなり、ふるきものは。金又銀の針金を巧に組
て。処々に玉類を装ひて緒〆とす
羅漢唐胡桃に羅漢の像を彫たるによりて名とす
蛮人の製にて、巧なるもの也、珠数のごとく貫きて
渡る。羅漢のかたち色〳〵あり
曲王神代の物なるよし、くはしく雲根ノ志に見え
たり、天満本教寺上人の説に、靖務天皇の御陵
ありのほとりを握れば。間これを得ると、上古冠服
一の飾なり。今緒しに用ふべき小なるは少し
星珊瑚珠己
靑瑪瑙星珊瑚珠のごとくして光彩なし。
に前に出たり。
一但古来青珊瑚珠と稱せしを。其星点ありて、星青音同じ
きを以て。木府長堀三休橋北詰・龍野屋宗兵衛といふ人改て
星-珊瑚珠と称せし故。今これにしたがふは。商家に通ずれば也。固
宗兵衛年久しき。佩物屋なれば。これを用ん事しかるべし
本教寺説に、雲州玉造石の類歟と云々
金物緒卜類金銀鳥金四分一等にて、高彫の色絵、又
毛彫象眼。或イモツギ等あり。間宗興の銘あ
るものも見えたり
石英雲根志に出たり.黄白黒紫の四色あり•皆縁
磨して緒下に用ふべし。黄色のもの江州より
出と
白珊瑚珠舶来のもの也、其おもむき珊瑚にして
白し・海底に生ずるものと見えたり.正名未詳
崑崙石其色の黒をもて。此名を施しなるべし
琉球珊瑚珠
又根三五珠片。
薩摩石トモ云フ
鉛丹の色のごとくにして。
巣のたちたるもの也。所々珊瑚の如き木理あり
筋王正名蛮名等未レ詳.紅夷人の吹ものなり.古渡
一極品のものは、光沢なく。土をつくねたるがごとし、
偽物は硝子の如く。光りすきとほれり。奸商或は
一砥にて其光をすり消て瞞すれど。孔口に其光
猶残りて。真物の光なきものとは大に異なり。近
年贋造多く見えて.古物の極品は稀也。略す
汝す
ガンギ玉見分やう上に同し
スヂ玉
同
レンボ玉是も吹物也但地は虫の巣のごとき薬に
て•色は浅黄もえぎ白黄等あり•紋は獅子の文•
又はらりざくらのごとき花見えたり
印花玉吹もの也。筋玉のごとき彩色にて。さらさの
模様あり•是も舶来の物也•下並におなし
絲屑玉吹もの也。色は萌黄か藍の玉に、白絲を十
線許まとひたるがことし。但其糸の上。少陰起す
柘榴石雲根志に出たり.但緒卜に用るは.吹物なり.
全躰石榴実のごとく。地は一面に氷文あり。古渡は
石のことく。新渡はいかにも吹物と見ゆる也
孔雀石雲根志に出たり。よつて略す
緑青石又雲根志に委し
紫水晶色うるはしき紫にして。吹物にあらず
大理石石質堅し。雲南より出ると、黒く班に
赤き飛入ありて。此方に製する。墨流の大きな
一るがことし。硯屏などに作りて。多く渡れり
蛇石蛮名スフンカステンといふ。黒く碁子のごとき物
なり。此もの瘡腫の膿汁を吸の功ありと。実に
しかるべし。是を水中に投ずれはやがて沫を吹
蛇の頭にある石
事しきりなり。最竒といふべし
なりといへり
凝水石越の白山、又立山の・飛流ほどはしりたる
が.やがて凝て石となるは.極寒の地なれば也土器
色にして光なし、これを試るに、水中に投すれ
一ば。水と混じて見えず。其元水なればにや
薫陸薬用の中より。堅質の物を択み製す
雀石正名未レ詳.雀の羽のごとき色にして・白黒
の点あり。舶来のものにて至て稀なり
厚貝貝を磨たるものにて。其光真珠のごとし。紅毛
よりわたると
南京染附玉やきものにして・山水唐草やうの染附
あり、伊万里陶のもの紛れやすし
菱餅音賞一巻之七○七才一戔翠餅
鳳天俗説に鳳凰の頭の骨といふ。さる祥瑞の物
を屠へくもあらず。是はから国の鶴の頭骨な
るよし、色は唐蝋の如くして理あり。玉に製したる
一両方の腹。朱のごとく見事なり
葡萄石雲根志にも此名あれと。彼は累々として
其ふさをなせるよし。図にも出たり。緒卜に用る
は一顆にして蒲桃のごとし
妓際白玉に杢目あり。日にてらし見れば。其杢の
間.透徹して光あり•是七宝の玻璃にや。又其
物に似たる故此名を付しにもあらん、玻璃は水
一晶の類にて。氷千年を経て化する所とい
へり
眼石色はさま〴〵あり。すりて緒卜に作るに。自
然に蛇眼の如きもの出れは。商家に是を眼石
といふ、石の性は何にもせよ、右の理見ゆれば名く也
象牙緒卜象牙を囲く製して或は細密なる
一彫ものをなす。多くは根附作れり
堆紅唐又は長崎京都江戸にても製す
有石星珊瑚珠の赤点なきがごとく.石性軟かに
して、蒲桃石とは異にて、雲州の産なり
同廿七日
「老言学一巻之七○廿七一刻翠館
孔雀骨孔口は木のことくにして。全体孔雀の
一羽のごとき分れ目も見え。其色も亦能似たり。海
中に生する所のものと見えたり。商家に孔雀骨
と字せり
鳳凰石全躰茶褐色にして青黒白紅黄及び
ヒハチヤ色などの筋を。いやが上に彩たるがごとくし
て光あり、舶来のものにて稀なる故、価も又貴
し、自然石にして正名未レ詳
インス蛮人の耳垂珠に穿し環に用ひしもの
なり。金にて造れる故しかいふなるべし。此方に
製す匕輪の総卜といふものゝあるにより。好事
のものゝ此陵を得て総卜に用ひしより。新哥
一を售んとこゝろがくる商家の倣ひ製せしより。間
此ものゝ行はれしなるへじ。インスの名も不稽の
至り也・一応市人の物に名くる皆此たぐひ也
牙玉至て大なる鯨を一ツコクジラといふ。其牙を
緒卜に作りて。生蕪脂にて染偽珊瑚珠を
一作りたるをいふ一説に海豚魚の牙なりとこいふ
斑玉瑪瑙の班文あるものにて。自然に団なる
ものなり、本教寺説に奥州合、浦より出ると.
○東芝翠店成
○廿八一芝霊飯
一已下二品其産所並に本教寺説なり
鬼飴餅外白く内鼠色にして自然に団なり
信州の産
ツヨシ石内白瑪瑙のごとく。外に皮あり。内光り
外澤なし。肥前の産
香玉薬種を細末して煉合せて玉となし花
などを彫たるもの也。其薬気きこゆるを以て・
にほひ玉といへり、必ずしも、沈麝の薫ずる
にはあらす・舶来のもの也
菩提樹天竺物也、菩提樹の事、諸書に出たり
唐ツブツブは木患子の事にて.即菩提。樹の子
和産のもの産のものものものも。少し異風なるを緒卜に用る
人あり•唐ツブといふものは•別物と見えて•浅鼠
色にして・小児の雀の玉子といふものゝごとくして、
和のツブよりは大なり。是何の樹の実なるにや。
いまだ詳ならず
桃核猫子又猿などを刻て。緒トとす。根付師の
作なり•此外猶多かるべし•其繁からんを厭
ひてこゝに尽さず
装細奇賞巻之七終
第一章部巻之七〇廿一之
伯兄通龍所撰装劍奇賞成ル余受而卒シ
レ業ヲ以テ其事詳悉ニ其文雅馴一リ乃謂然リ乃謂然テ曰ク
人之在レ世ニ世、以二著名一ヲ為レ榮ト、而著名固ニ非一
容易之事一ニ以レ文ヲ著二シ於治世一ニ、以レ武聞二ヲ聞二ルニ於風
世一ニ者ハ、固ヨリ無レ論、若不レハ能ハ則曲藝ノ之特其亦
可レ冀フ也余家本家本系トトネレス自二河野氏一盖鎌倉氏
之時、河野通信以武著爾後家門日ニ衰
今已ニ為レル庶伯兄自レ少放レルモ情ヲ肆レヲ志ヲ不レ治二、生
業一ヲ及レ壮ニ為レ賈ト以レ売二ヲ刀劍ノ飾具及襟偵一ヲ為一ヲ為一
レ業、為レルニ之ヲ東往西去。終歳不レ寧ナリ、未レ幾レ歿シ致シ致シ致シ
家産一ヲ、乃分二掛テ於林通尹季通氏及余通
邦等一ニ、各就二テ其業一ニ初メテ伯兄業レタル此ヲ専ラ亦用二心ヲ
於鑒識一ニ、蓋質二レ諸ヲ先達一ニ、復以自試ニ日夜勤
攻以冀二テ其精一ルヿ是ヲ以テ凡其所レ貨ル、雖二微小ノ物二
必辨二、真広一ヲ賈販不レ苟モ、且謂ラク世ノ之以二鑒鑑鑒識ヲ
所レ稱ル者、有下其識、雖二頗ル精一ト或ハ秘メ而不レ伝、或
不レニ精シヲ而為レ精キ以自高スル者二、故ニ世ノ賈人雖二ル間一
有レ志二於鑒識一ル者一者一ト以二其不レヲ傳ヘ不レ能二得テ講究
真贋湯然トシテ、唯利之レ求メ、以誤ル人ヲ者、往〻不
レ少、伯兄有レ慨二于此一ニ于此一ニ欲著レリ書ヲ以傳一セ、已ニ十年
所、其間業余所レ録スル曰二世故一ニ未レ成レ成レ篇ヲ、深ク以テ
為レ憾ト客歳奮レテ志ヲ就レレル緒ニ、謝二ノ販粥及家事一ヲ、刪
正補綴ノ結写完レ功ヲ即促二シ梓氏ノ
茲ニ告二ヲ刻成一ヲ刻成一、余カ年前有二通信後
世冑衰降テ今己為庶然寒微ニ存猶同
レヒムセ、然幸ニ曰二伯兄ノ之有二ルニ此挙一、稍得レル掲二ル二姓稱一ニ
者豈可レシキ不二ル以謂レ伝ヲ以レ文ヲ著二ルハ於治世一ニ之類
乎雖二是レ曲藝之一端一トキ庶益ハ足キ以益キ以益二乎、
余ヤ也賤賈素ヲ不レ閑二文事一ニ雖レ然方二テ是ノ刻成一。
心竊ニ有レ喜フヿ心之不レ可二自抑一ヲ、言ノ之不レ可レ可レ可レ可レ可レ可レ可レ可レ可レ可レ可レ可レ可レ可レ可レ可レ可レ可レ可レ可レ可レ可レ可レ可レ可レ可レ可レ可レ可レ可レ可レ可レ可レ可レ可レ可レ可
已一ノ乃託二ノ諸ヲ某氏一ニ文ノ以述二ヘ其所一ヲ喜、敢題二テヲ敢題二ト篇
末ニ云
第約書ニ
天明改元辛丑秋九月初吉
仲弟稲葉通邦林蔵拝識
羅
糖器
調査
芝翠館蔵板記
装劒奇賞餘稿嗣出
大坂鹽町筋心斎橋西へ入
作者稻葉新右衛門
天明元年辛丑九月発行
○浅香山春之女一十一十二名一名一名一
日本橋南壹丁目
東都書肆須原茂兵衛
寺町通蛸薬師前
平安書肆山本平左衛門
心斎橋筋順慶町
浪華書肆渋川清右衛門
同北誥町
上田卯兵衛
同南久太郎町
柳原喜兵衛
同南弐丁目
石原茂兵衛
司安堂寺町
大野木市兵衛
江戸日木橋通壱丁目須原屋茂兵衛
同貳丁目山城屋佐兵衛
同馬喰町弐丁目木林屋治兵衛
諸國京都三条通柳馬場角堺屋仁兵衛
備州同山紙屋町中嶋屋益太郎
播州姫路米田町灰屋輔治
發行攝州兵庫鹽屋町中屋與兵衛
発行
勢州桑名魚棚糀屋伝四郎
濃州大垣本町茶屋源蔵
書肆
書肆紀州若山新通帯屋伊兵衛
同駿河町阪本屋喜一郎
同昇平河岸同大二郎
大阪心斎橋通南一丁目秋田屋市兵衛板