かつしかの筆

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とものや主人
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とものや主人
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カツシカノフデ
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東北大学
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・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ …………………………………………………………………………………………………………… ………………………………………………………………………………………………………………… ………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………… ………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………… ………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………… ………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………… かづ〳〵か子筆 ○つへか子筆金 狩野博士集書 このしれふみかつしか郡にありして何みたりかはしくしるし契にたる しまの里にかへりて凡に見てかきあらためおきおきなるかまたく本 所てふ処にてなりたるものなれは今かりにかつしかの筆とは名つけひ し也けり但し寒あせしのとひは代々木てふ村にありし頃こたへたる也 不知問答ゆゑよし とものやわへ 年あめしは爰のまねひなくて其心ふかく唐国の学問なくして其学 力たかきぬしになん有けるもかうへに立子の事はこゝ祖父母しの我泥を求 山何某ぬしにまねひ終に其道ゆゑつけられたるとそきる故にか野合ひ坂 鳥城船軍のとひなといとたかゝりしか何おもはれけん此頃自ら不知問答と 目つけてとはれし帝の跡をおきまたとはれまた動きいくたひも斯して ありし小冊を諏訪ぬしにあとらへおこされたりおのれ故資の事は五味 大人の門に入てまね〳〵とも雪水のへたをかりてまた得かたきのみか 其心さへつたなくはれはもしほやくあまたの事を人の見るめも有磯海 のなみ〳〵ならぬとひにしあれはいなひかへさひ申さんとは思ふ物からみ むすこ供命ぬしもおのか門にいられしよしきへあれはこたへすてあらんは中々 になめしけれはおふけなくあきたる紙に書つけては贈りかへしつる也抑此主 爰の草問かくて其心ふかしといへるは此とひあれは也から学なくて其学力あり と言しは彼類互かしらさるをしらさるとして何業も不知下問ひたふるに 下学とたつのむねに叶はれしをこそいひたれ天保三年といふ年の霜月ころ にとひこたへはてしかあやなくも病ひにかゝりてはかなくなかれにたにはいとなん 心うき業なりけるそめて此不知問答をたに其思ひ出にとて其跡しらす保 とものやはへしるす 冷長しにかり得て写しおきつとものやうへしるす 天保十一庚子斎津岐 一矢たばと申候事此間御尋申置候如何 とき緒を矢搦と申下の緒儀矢来と申候旧記に矢ひもといて打くつ ろき抔申候矢のもりかた儀杖兵杖にわきあるへし 一根たはを合するとは如何の意味る御坐候 わま今古にくらくてしり侍しねとも全く武術薄くなりてより槍 刀をためすに罪人のはやくつみせられたるこゝなきからをもちひて きり口のよそあしさ抔をほこりかにいひのゝしるときの詞とこそな 案にを合するなとゝするは ほゆれ 俚言をたすけたる強言なり はさるゆゑにむかしのよき武夫はかゝる時には猶よき 一鮭なとも用ひたるへき今もねたはのあひたる物をはきてあたみたる 人道にあへれはそし切ふせたりとも其力のちに其なり人の見たらましかは いみしうとかめ侍らましわか要讃州にいはゆる武を心掛る物の是に似 いにしへのためし方槍刀のみならす矢の根 たる非とやいはん さへよろひなとをもてためすのをためしとす 一武器に亥の目形猪の目すかしと申候事は思腰に杉と申ものは跡へかへ らぬ故武の上に跡へ引ぬやうの意味候や 一武器すへての鉄具に猪の目を透す事別の子細有へからす打太刀の勢 ひを抜んかぬ或は物をかろからしめん道なるへし其遺せし形文師なき 頃は只ものゝ眼のやうにすかけし居て柱の目に似たる故かくなつけし 物にも有へし押移りては唐風のかさりを専らとする世にいたりてはさま〳〵 の物をすかしたるも松田名を失すして松の目とふに候是訳なく扇 の魚の魚の目に似たるをもて加奈目といはんしし大神宮式に悪目打 とある今の話の事なるへし此ものも今は様々の形はあるを猶かなめとよひ たる蟇目抔も同しかるへし 一同歯はと申候皮は直延如此の形を付候染皮を申候へとも其意味筋へ敷候 且しな皮も伺申度候 一さうふ年の事は何の子細もなく御給のことしあゐ革に百藩の花と葉の 坊とをならへて染しなるへし亀武年なとの成とするは取にも国上りしなかはとある 正月の程 伊勢平蔵ぬしした革どはいひに も歯朶の葉を染たるにて心得へし 白の事也 くき故しなかはといふ五暮相通といはれしはまたしかりけり右之あるに唱へ かたき故に転したるには有へからすさるは万葉に波太すゝきとなるを古今には はなすしき日本紀には赤裸之保といへる剱名を旧事きに赤巻とあるにてしる となくかたきは今のひが口にもあるへく へし元来り唱へかたきにはあらす同言なれは也お またたまさかとなふるゆゑなるへく思へ 一鍬形の意味伺度候 一鍬形は字のことく鍬の形なるへし まつろはぬ奴らをかいなてに打平らけ民を治るかお本もとなれは貪な らぬを示さんか為に農笠を用ひしにか足利殿ころより武器の第一 を槍とすられたるから今も道具とのみいへは武器にては槍とけらるゝめく 民を治る軍なるから君器第への鍬を表したるかもとにて力よけ矢防に にも少しの利用は有へし老ふへき事か伊勢守平蔵主鍬形は兼菰形にて 鍬は仮字也くわかたを用る事はくはゐの義をとり加坊の義にて祝 とする也といはれし猶いかゝあらんか此ころはやく仮字のたかひも有て 頼政卿の哥にまらのほるへき両よりなけれは木のもとにしゐをひろ ひて世をわたる哉となる草木の椎はしひのかなにて位階のしゐは しゐの仮名なれは仮字ちかひ也名にしおふ卿のいかにそや抔もいふへけれ 共是はものゝ名なれはゆるすへしされとも加増の加はくは閉草木の烏羊 はくわゐなれは論するに不及 一今の武士乱法とも帯する刀脇差の拵の頭縁鍔目貫切羽はしき鞘こひ 口くりかたしとゝめ論等也武家に生れなからおろかにして末意味しらす 伺度〳〵柄はゑと申候つかむ故つかと申候や 一握玉の事御屋に存候頼朝共の和名抄に太刀の豆加は剱柄也と侍れ うちまけてはたちのつかと長くいふへき事わりなるへし給へし給へし林道に よるへし 一頭はかしら也別意味はすゝ哉と 一是は儒類といへる熟する詞なるへし神代紀に剣頭垂血々々あれは也通方卿 のかさり物に水精甲也と侍り巻か計は略故実は引通しなるへし 一ふちは縁也と存候 一縁は梅のふちなる売具故渕の教也陸より水とわかる処をふちといひ たると専ら同言なるへし此ふちに縁文字をかりけるも家屋の端を縁と 畳のへりは一畳二畳のへたてにて湯の意 いひ畳の端を縁といふと同し なれとも猶同言といふへし 一目灸三石錬如何 一目貫は拾遺某にしろつかねの自ぬきの太刀をさけはきてなしのみやこ をねるは嘉子そとかくら歌の部にに見留されと云則の目貫と古刻とは 目抜は刀の中子の穴目を 今の つらぬきたるにて則目貫也 いみしうことなる物也古く目貫といひし物はつは。 目釘の事にこそ侍ゝめさるを今の自貫は古の目釘の四金を専〳〵 に物して程表に上下にわきて付しなるへしされは故事を失ひ 両る様なれと能思へは剣術の業委しくなりにたれは寺のゆつかみ心 はからんをもてくうつきかくせし物にもたるへしさては逆目貫にあら されは其そんもなき業なめりかゝる事をはゆめしらすて只本り出し物の 自慢せんとしてはとみに中子を見するぬのみになりしそ本いなかりまり 一頼項公加藤次へ給し目貫にハ宝螺のすかしありうよし時長卿の聖衰記 に見ゆ 一切羽の意味伺度候 一切羽を塞羽の儀なるへし凡てはてふものは物をきる物にて生るの歯ゟ 出し義也寔は古事記に持兵人等多塞山 履中の みまき 云々見ゆ敵地と味 方地とのわかり也なかれくる水をとゝめん道にもの書堤もせきといふに 生しるへし斯てはよく〳〵刃をつきたる処を買て鍔の寒とするなる へかめれは関塞防の文字なとこそあらめか〳〵てははゝきもひし今は よかりける三尺壱寸なりける切母の剱をぬくまゝにけゝ明徳記にみゆ 一はゝきは物をつゝむ形故すねあてを今様にはゝきと申候ことくと思案別し 意味御座候哉 一古く腰西の下に短帯をあてゝ扨すねあてをする物なれは同所の具といへとも 混するはみたりぬるへしはゝきは腹帯の中略ともいふへけれとおよくおもへは 刃帯く母にはゝかね也はくとはすへて下につくるをいふ下駄足袋袴なと おもふへしかしては釼先にある名乗のやうなれとさる所へ別に金をつくへく も侍らす盛衰記に飛源太郎左衛門景高ははたきかねより太刀うち折て 物あれはふる物等此下吟味大事なるへし但し物頭を上としては絵本 は下なるへけれはうつなく刃帯なるへし 一鯉口は鯉の口に能似たる故鯉口と申候歟 こいくちは 一鯉口はこき口なるへし いをきといはんは正義言葉也きをいといはん 〽かなたかへり は音便也鎧のわきにてもわいたてとなまるかめし扨こきは今もしこの帯 なといひて力のいるにしきるは釼の日ゆるやかなれはさやはしりとめ給を用 ふれは手間とからすこき出すめきそ能なりけるまたやいはもやきばといへるは よきをやいはとなまるより様々の説はおこるめり夫木に〽かたさす さや口にあふひつはとあれはさや口といふそふるかるへき 一くりかたは粟実の形殿申候か意味うかゝひたし 一御尤に存候 一しとゝめは鳥の名より起るか意味如何 一一鵐目は御説御口のことく或は鳥の自に似たるの或ハシタヲトメの中冑といへ れど上総留てふへき物もなく鴨といへる鳥のいかなるまなこ様かわかまた しらぬ処なれは後悔にこそ申こたへまし 一鍋は顔の尻に似ら殿にや思召如何 一こしりは万葉に夕千ノシリとあるそ古言なるへきさるをこの字をそひ ていふことは小裾小踊小勇数いへる古にて凡荷語に似たり只尻とのみ 心得て元覚 願上冊を諏訪姓へ御届御座候を見て御笑くさ 越智保吉 よき人にあふ坂の関もる身よりしるもしらぬもしれるうれしさ とものやの君奉 寒河ぬし猶とひ給たる其言しかへにしるしつけつ 一起請文に梵天帝釈云々伊太公様両処権現有之より今武蔵将軍にては 氷川の神ありたき事にやめる 一元恭天皇の時神探湯てふ事もありまたありのなきをなり近はなと いへる古屋もあれはむかし人とてもいつはりあるへけれどもかまくら三代将軍 のころのことく唐又斯として至らぬくまなきころの偽りとは其偽り たかひてそ侍らまし抑誓詞てふ業は聖ろへたる代のわざくれにて 更に尊ふへき事にはあらされと 尊氏は信長公豊国神なとみな武勇いちはやき霊たちなれはかゝる業 は頼侍の時のまゝにてさてありなんと宣ひてなかれ来りしならん をほしく 日光の神はたをくしき霊にましませは同しく打捨変ひしならましさる をす氷川の神なとゝかきかへんには猶衰世のふりをいたく尊ふに至るへし おほらかに日本国中大小神祇にて事をもしけたるかしこけれと 徳川の御なかれみつれどもあふれす名のらせ給へるわか松のときはかき はに茂りさかゆるのみか すめらきのみことのりはたゆきわたらひてかにもかくにもめてたき御めつ ろひはさみ此ひとことにてもふかくおもふへし 一洞は胴なりと心得申候 一胴は字音なれは論ふかきりにあらす 一かふといかふるゆゑ申候や其意味伺度候 一かふとのかはかしらの加ふはふるゝの婦とは家屋の戸の字なるへきかかしく にふるゝ戸にて頭をとさして敵の鑓太刀をさくるなるへしかんふりもかふり にて同し荒木田久元神王市原の毛の御哥に注さくして古事記身 涙の段に冠を投捨給ふとあるはいふかしといへかはいと〳〵うけ難し此 事おのれ甲冑考といふ物にいはんをまち給へ 一よろひとは如何の意味候や 一一よろひとは今もきま〳〵の物をあき給ふみけをよろつやといひたらぬかた なきを羨しといふも能とりよろひたるをいふに安らすや高市 のちに舒明天皇 大和国にみゆきの時天の香久山騰立国見 一山岡本宮御宇天皇 となん申奉る 一辛為者関原波桐立蔵海原者加一刀目立多都との給ひし前に取木呂布 天の香久山といへる御言葉あるも烟といひおもめといひ此はにやすの池 とようとりそろひてめるれけぬ三品弟そとの給ひしなるへし源氏物語にしか 〳〵の身の御屏風ひとよろひとあるも屏風一双にて是夫とりそろひ たる詞也斯ては男といふも鎧のうちの小名なるか五体のうち其重き 五味利龍師よく武器の語雑をいはれしか 頭につく物故談ゆるといへるなるへし思へと 中にも要の鎧の義をいはずさるはいかにそや 一八幡座は座を八枚重ね候故八枚座なるへしと心得申候其意味伺度〳〵 一八幡座は俗称としるへしこゝろみにいはんには盛衰記にはテヘンとこそかき たれ俚言に南無三宝といへる詞ありいかにも男の二んンをうたれては南 無三宝なかへけれは三宝といはんより猶八幡といはんかたそよかりける やはたの御神を信仰する人なと此処に勧請せし。よりの名なれは貴 らすとも頭上は俗にも正直の首に神やせる抔もいへれは斯名付しならん 一しころの意味伺度候 一しころは是の尻なれは尻衣の異ならんか尻をしとのみいはんは屏庵 と書てしことよまんか如し衣をころといふは金秤衣はクルムの狩語にて 一モ公は編の詞にて吉の二音そ鉢言なりける 一簀摺居敷候得は草摺候故と心得申候如何 一下散をこひ給はすして草摺をとひ給ふめててたしいかにも心得可然候 一小手腰当両品は如何 一小手をものこもる処前篭り手なといふは論ふに当らす文字の通り心得ゝ て取あんさるは衣服袖尽く大なるに六具して椀につくものゝみ少さら けれは少手といふかまた手とのみいひてはあしき故例の小尻の小かなる へし綿当は近根当の中略ともいはん猶あるへし 一小札の意味伺度候 一小札の小は例のそひ言葉なるへし鉄紀宝亀十一年八月有之今甲裏船 これにて古くはみな革のみ 一軽便中米難費自今以後年料甲冑皆宜用革ひ 也と思ふはあしゝ金も有しならん 又三代富録に貞現十二年云々小野朝臣石雄家羊草甲一領平常 一令云はあるみな今いふ小札なるへし今札といはす小札といへるは有札てふものの 起りしより小字を付るなるへし後の旧軍記にはこかねまけたる鎧とある にて続紀の自今以後宜用革とある御令の行れし由ももの〳〵 しるへし 一おとし毛何故おとしもと申哉伺度々 一成毛は総通毛也已にあきたる札の穴へ緒を通す也毛を革糸とのみ なに給ひそ小細きものは凡ていふへし 一吹かへしは風にて吹かへしたる形故と思按いたし候 一御説遠からす存候但し勇壮の詞なるへしひたふるにきりかゝる時は しころのふきかへるやうにも見ゆへし実に吹かへるにはあらすとも是男 賞の数といふへし今制のかきもちのめくなるもの何の為にか 一まひさしはまへのひさしと考申候如何 一まひさしは目庇なるへし目を真といはんは目つ毛をまつけ眼のあた りをまのあたりといはんかめし 一そては神と心得申候 一お玉かたよろしきれとそては衣手也 天智天皇我衣手との給ひしもやかて衣手也是は五七のしらへにて 斯とゝのへしなるへしふるく衣はそといへり 一一とはいつころより始りし物にや桑の弓蓬の矢なそと古物語承り候 一何州こと名付候哉前九年後三年絵巻物をこはる時も藤巻の弓ね 見え申候へとも今様木竹を合用候事御座候哉 一弓の起草はかしこけれと 大御神はやすさのをの命とみうけひの段そものに見えたるはしめ なりける寺の弓堂の矢尊唐さへづりのとるにあらす弓は丸木かふるく 木竹したるは後なるへし夫木にいかにせんまゝきの弓のともすれはひき はなしつゝあかぬ心をまた伊物に梓弓真うつき弓年をへてもる 遣しかことうるはしみせみなと引はなしとおひうるはしかせみなど今様の 弓にもありなんやと思はるゝまたゆみてふことの葉ははなちてかならす 貝原等信まかりたる故ゆる みの中略といへるはあらす 弓は直なるをそ弓 のこゝろとはする 一矢は何故異と名付候や覚度候 一矢は敵にまれ鳥獣にまれねらふ処へ討箭るから矢といへるならん かるは活用の詞にてヤリヤルヤランヤレなとゝ働くなり 一ゆかけは弓いる時掛候故弓懸と心得申候如何 一一伊勢相蔵忽しの説此通りかと覚え申候我は横に掛る物故指懸と存候 一何故くらと名付候哉伺度候 一一鞍而位にて矢をいれ置処を箭くら足をおく処をあへら目を屋 すめんとする物を眼蔵なといふみな物をおく所也正従の位階凡て座 す処をいひたるにて心えへし 一くつは馬の口に輪形をはめ候故口輪にも候哉別意味御坐候哉 一御説にて御座候高のくちわ也くつばみも口喰にて候 一をもかゐ尻かひむなかゐ何故名付候哉 一三かいとも面にかくるおもかい胸にかくるかむなかい尻にかくるかしりかい なれは三かいのいひゐなとか〳〵は也例のきけのなまりなれはいの声 ごろし 一あふりはあをり候故か如何 一一隣泥はあふりと書へし乗て足のふるゝ物故あふりならんか同足の 一好む処を足踏といはんかめし此もの起原を絵師のとはれたり とて前田主のわか方へとひおこされしめは源太郎君の時よりならん と思ふはいかにといはれしかは旧記ともを尋ぬるに早く延喜式にも 見えたる由こたへ置し事侍り 一何故鑓と名付候分物をつきとめ候故つきと名付申候て四に鑓候は如何 一既にこたへたることく心志す肌へ村やるを以前と名付る此ものはた忌す 方へつきやるから同しく箭有くよきをさては箭槍のわき留めなけれは 里文字をつき至かなるへし是そことたまの幸ふ国なるそも〳〵かゝる 業をこたはんとならはしつけきといはんにも猶ことなき折そ物すへ きわさなれとかくてはいつをかきりともあらかしめしるへからねいたる へるふしはおよき人に見せ給へとてなんかうみたりことかきちらし 侍るはおこわさ也けり としあしのなにはのこともくさすしてにこれる所はいたゝなかれ舞 とかゝやかしうてなん必やうなき人にはなみせ給ひそおもなのさまや 霜月つこもりはかりとものや主人題 おむかはの霊に 寒河保命ぬし猶ちゝのとひたる事おもひ出あらはいかさまにもふつけ てよとこはるゝうへとはおもふ物から其事とみにおもひ出へくもあらすか らくしておもひ出せし事共をひとつふたつしるせし末の鎧の古名は またくとはれしにはあらねとも鎧の語釈を問れしをおもへはこの事も とはまりしかるへき事かとおもひなりていさゝかいひつ 一きかはやしのさし物 一さけの事はミワといひサヽといひサケといひみきといふ事夏の物いひふり なり此もの早く神典に見てて登り後の物にはいと多かり人代にも 御間城入彦五十増殖天皇のみまきに高橋色人治日みわ奉れる時わゆる故 許能流枳破和餓弥枳那羅橘椰麿等那殊於明望農 奴之能介跡之跡枳そゝはゆ後世さか林のさし物といひて杉の 枝葉をまろめてする是もとはゆゑある事にこそありしか今変速のわろ きをいふへしそも〳〵酒の事をみわといふはふる物かたりにみわかしとある是 神へ奉る実気洗米の事也但しこのみき今の酒とは暑にて甘酒なるへし ひける処の活日か歌に於明物主の云々あるは 大名持の神のひとつのみ名なるか杉はみめの神来なといひていたく病に よしある樹なるからこの木をまろめて酒林と唱ふるはそしなきにあらす 一酒林は酒生にて三輪は古の酒作船と忘れ日本紀に以高橋邑人活日為大神之 掌酒云ゝ見えたり是等のとしなれはときを今の心は惟酒無量不及乱なとか故実に而 寛問症是酒の或よく図前に向て幾回か辞なとの心にては無必さし物用ひ て実に益なし但し 大名持命は円造りの業に見切あるかみなれは専らそのごとく南の横見に而 民をおさむる国忠あらんをしらまくもしるましき為に此神にも向る 心ならはありもすへしされと用ひぬにはしかす 一空風や水地并野晒のさしもの 一死を常に覚悟せよといふ事壱家者図すしていへることにてこはひた みちにおのかもてる刀おのかならひし武芸のこるくまなく後悔なきやうに 只はたゝきにはたしけとおしへたるなれはよろしきをかのさかふちの帰蘇の 教のみ高く生ゑ必成のときやうのこゑに猛花一日栄の理を記し地水やう風の かくしてこそ梅薬往生はなるへけれしるしも早く成仏せんなきにては死をし まぬは同しやうなれとも死する時のはたゝきは天地のたかひあらんきては此さし もの無用の長物とやいはんまた必死を示して敵を恐れしめん抔はかの鎧 の職公男壮を現して敵を感すの心なといふらんおもの事にて士にはあらぬ 業そ野さらしとてもその如し物玉かたかうやうのさし物用ぬにしかす 一漢文のさしもの 一唐語に勇者不懼後掠如火無類天下敵不動如山なとのさし物は必 用ふへからすさるは すめらず御国に昔より人沢にうち群ありてよき語をいひし人も多かる を受をうちまて西戎の語のみ尊くおもひたるやうにてあしすかうへに その語のことくならは少しはよきをおこのさし物を指たる人の心はかるへし と人にこゝろを見するさるらのみにて働のさまはいたく語の意にたかへる我 は沙汰のかきり也永禄天正の頃とかある人不去一足といふさし物して物に たちし、いかなる事かありけん逸足して逃出せし。さすかさし物の語 をおもひ出して駒の首を引返し友崩の難をのかれしといへる事ありし とかこれはものそこなひのほまれといへる物にてなへての例には引難したく 義経の了流し景清のしころ引なからき世のひといふべし但し勇壮 の語のさし物も敵将より給りたらはさす事も有へし御方よりの給はり 心を用ふへしまいておのれと右様のさし物をさすへき事かは凶鹿甚五左衛門 むしゐ大輔なとこて袋持参あらはめたゝぬ様にけといひしはしかすかに 届きし詞也凡てさし物はたゝ〳〵札符といふ事を能心得て何ものによれ 用ふへし本かの理用か本地となりて安ひしるしか垂諸となりにたる様に おもはる也平家物語本うちらしかつせんの段に蔵仲宗の吉留なれは とく七年にわかちかち云々御かたの笠印には松の葉をそなたりけるとある文意す 聞事なりけるかしこけれと御入国頃のそのおしへやうと今からおささり〳〵 にたる時のおしへ方ならひやう其心しらひあるへき事にか今の兵器には 義杖のうちましりたるめ〳〵なめりとおろかなるわれはおもひゐる事なり 国のを向さん人は心を用ふへき事か 一とはれすかたりによろひの旧名をいふへしさきによろひの事のみいひ てはおきしか猶あかりたる代の名を以はん五味貞足大人云鎧の旧名は伽和 尋也此かはゝは説も色々ある事なれともとかくかは日心えべしらは助字なり 今屋根を葺屋あり是も鍵のかたちをかりてカワラといふとみはたり此かはら といふ物出来たるより古く甲を鎧と名をかへたる物に向立みと見はたりかれ 忠之按するに古く今の鐘の名はいかにもかはらといひしにか神武紀に云々 彦国革命幾垣安彦中旬月而殺焉其卒怖乞の既甲巡之時人是其 脱甲智伽和羅とあるふみの心をうち思ふにいかにも五束大人のいはれしや うに安呂比の目より伽和羅の号そふるかるへきれと皮と包と此伽伽和羅とく同し きまにいはれし。うへなひかたしとは書きなる伽和羅のみこと実ならは房 皮と混しては加なかへめ瓦は加波羅皮は柯のかなられはなりおつら〳〵老る に釘輪良の制は前須美荷湯昆阿計誤なゞみなものをかくしかくるゝ言の 如し水中にいるを水を一りつれといひ雨雪を直に家の上にふれさるやうに 伽はらをもてかくしへたつこと又何きといふも内外をかくしへたつもの一ツ 弁とふも其心中むかしよりかまりといふも人しれす味方の人数をかくしおく 事か煮志てふものもわかかたちをかくす事なるへしきてかはらの和ばとりまく 心にてわかいをとりまきつゝみて敵の矢槍をふせらの名なるへし我をとり まきつゝむことくいひしは万葉に和の海字に問の字をうつめたるにて しるへし中むかしも本丸をとりまきし縄をくるほといふにて玉えへし桶の こゝろみにいはゝ たにも輪といふにあらすや凡てめくる心にて車の輪もおなし下 からたのわといふ 〽かか下の長は師説の如く助字なから葉の差別につきしにもあるへし但し 家屋の瓦のわきためによろひしといひしに屋といはれしは誤りなるへし 此あけつ らひはいと 長けれはそいもらせり ときこそあらめ きて右りにいひし伽和羅を後世音便に古遠良といふにか恋道我 のわか体をつゝみまなし物を俚言には古遠良といふ也抑あしはらのみつし玉は あらはらのはらわらと必なまるへからすみつほのほし 夕みつをとゆくへからすあたら古兵を失へは也 いたるきわさにはくはしほこちたるの玉人の 女みつをとゆくへからすあたら古言を失へは也 心はうくやすの国のみることたまのかみまし〳〵てうちかさすおほみやわたりは 更にもいはすあすさかるひなのくり〳〵さへにあなかしこたゝひとことの詞といへとも みなからたまありしをいなしこめきたなきもかのねちけ人御問とて聖徳は 子にこひりつきて時の 御門をはあさむきたりその事をたゝす心のある人まら参られらのゝち目なれ平なれ たる字音のみにかゝつらひて生立事にしなれ候は屋〳〵かゝき業に心を労し浅帯を 費しめて給ふることの誠にいたる事はなしえさるとやそまかつ日台まかつ日のみ あらひ”少くき物からみなかみ清き玉川の其中つせにさらすすふてつくりの 市かや八幡のまつりに唐て吉備大臣をもち さら〳〵とみそかんときもなとかなからんに につきといへる灯よりあり加藤筋の見切かるわさにすゝかゝれり 一右りにいひし加和良はそろひの古名にして後世理といひそめしは勝当はき 一稲其外よくとりよろひてよりのね号なるべし扨この鎧を印度にては僧な といひ鎧をしたるを僧叟なといひけん西我にて鎧の事はさま〳〵凡文字を もてするから世の立家はる身更に唐風にへつらひ七書武備志なと言らん 物の中とかえりいたしてその門人にもおしふるから外国の事はよかひること玉の ことになき物とおもふめるよりともすれはこの鎧も猶外国にまねひたりとおも はん人もなき事あたはす ひめ氷の朝鮮みことむけころまた外国の事はさら〳〵しらぬほとなるかいとやすら ににうちなか成はて給ひしをおもふへしこの事本居氏の双の戒綴言にしから国の 文ともを引いてられて誰としていはれしあはれめてたき此讐言と此国をちゝ はゝの国と奉はん人はこの文意を思ひてはあるへからす実に加茂翁正統第一の 学者なるへし」外国のなかれとてさはかりたけき豊国の神のみことむけには 下部の首一ツ二ツはかれに与へもしけん是らの事をおもひ合せらし 高良明神のころ外国風をしるへくもあらす 一このところにいふへきにあらされとも五味貞は火人の説にさかつらゑひしと いふはかつらの木もて造りたる物也となるを真野市之丞といふ人に偽せし人あ り其人の説とて真野氏のいひしはさかつては逆頬にてけものゝつらをさかしま にはりあるなり葛とするは無稽の臆説也とけめし此事何とかおもひ給へると語 れりこの真野氏の学筋いたくうけられぬ事あれは其説は師説なる物から いかにかあらんといしへおきて跡にて老ふるに猶師説動くへからす角風少 き頃の人心を以はんとならはもと異てふ物は敵を射たにすれはどきといへるか 矢を持ものゝ心なるへけれは殊更に遠く得かたきものゝ皮なとは用ひす 近くえやすきかつらをもて矢をはもりけんことうつなし扨葛服を佐の音 をかふらせしは度極といひて聞ゆる処を狭度極といひ夜源布といひて聞ゆる をも左与不計るといひまよふといひてよきを佐真千布といへることくのたならん 此佐小の義としてさゝやかさゝなみなすの例としてこまかに引わりたる葛なと いはんはくはしきに過て古物の趣に叶はすこの佐の音は。かゆきはゝかり。あなら ふなといはんふくひともせん後の物なから土佐の光信といへる者の中し 職人尽歌合藤送り人の図の詞書にさかつらかなくて押ゑひらにすると なり是もかつらかなくて抑にするならん此櫛も葛の類にて古代柳賀と 是も聖徳太子以来唐文字の いひて延喜式にも見ゆ今いふ様こりの類ならんか松 わするよりやない箱とあやするめり 音にのみなつみ〳〵こゝの声を やないといひては何事ともきこえす の柳の杉の枝のしなやきたるをかつらのつるのおもふまゝ に屈曲のなるとをおもへは今引し絵の詞なるさかつらかなくて極ゑひら にするといへるは蕘の代りに竹の皮藤つかならを用ゆるといへる本との事と成 てよしきこゆるを獣の皮かないから柳を用ゆるといひては可ら地のたかひ成 へしされと此品類に革を用ふる事もなきにはあらす延喜式に蒲籾 二十枚丈各二尺広等五分下広四寸 以桧作之編蒲者表以鹿皮著頂以丹画狸となりこゝに麁皮とは あれども著項と著類との差別また鹿皮を以てさかしさに着る共なしとし 足利殿ころわり難在のいひしさか面ありともあたら古言を失ひたると 文師古に花信したるとにて保え平治頃のさかつらの證には言難し 尊氏公の時まて文飾も武具にはすくなかるへけれとも 此両君の時に足利殿亡ふへき萌あり よりしてそ物毎委しき 義満公いを改公 義輝公義昭公の時と思ふはあらす に過たる摺鉢の火は犬の碗にせよ猶辟者たらはぬかるみへかししけなと云 らん類のおしへもおこりためり伊勢家の説とて聞しに毛をさかしまにすれ は身頼のなつみよき故に逆顔にはくといへるおしへありとか唐人よら赤子を 養ふ事をまねひてとつし物はあらすとかいへる事とのことには心つきたらすや古 代武夫の手軽く用ひしさかつらゑひらも文師の世には革をきへそひ取ての 文師に金銀をはきこうし頼朝公頃の物にいたるゑひらに東をりしなら 日にそひて凡唐文のうちひしき乗画の差別業にいいよら事 いへる文言も見えたり ○あたはす口に忠孝のおしへを囀り存する様をおもひぬべし足利 足利 殿よりいまゝはきたしてのゝち北越流に野靭と野の字をさへに用ひたる箙の起 りみな怠務なれはこかへす〳〵雷磯は味噌を摺は用籠は矢をもるか用といへる事なら もとなるへき 一寒河保吉悪しのあへりける時といれしには太田道灌か斎持の図をみし時 むかはきといへる物をはきたりこの行得の意いかん答て曰古事紀にたゝむきと あるを紀にはむかもゝとありこれみな 大御神のみよそひにて真向の国なるへしその記のむかももあるは左右のみ足に而 ゑにむかひたるをいふ是へはし行縢なるからむかはきばきなるきてはことのかさ なれけりむかはきとのみいふならん則きゆみの木の弓を下略してまゆみと いへる例なるへし 一一野更に馬上組打としいへは必両馬か間にどうとおつとなる道の文勢也但文 勢と言ては事もなきやうなれとも是又文師の代にはひもつの学問なり けりふどけみとせさきつ方いつくさのみのりあしきとて世の中穏ならす みたるゝとしもはなけれともかしこ爰に惣す人ありけるすある所にて 家のものゝふによろひをきけて馬にのせてしなひの試合をさせしか 馬と〳〵の鼻つき合せては呑へたゝりて二間鑓は間鑓はわたらんを長しなひ抔 にてはつきもならすつかをもせす何の為にはたちけんとおもふ迄なりし とそ抑このころ長しなひてふ業のおこなはれて今日の帯刀はその常の刀ゟ 凡七八寸も長きに釼術稽古試合の節はよの常のよりも二尺四五寸は長きを もての 今通郡長きか頭鍋ともに三尺五六寸 ひたちあひすらかくのことし続日本後記興 短かきは三尺たらす中すみ三尺はかりて 福寺の僧従か 神明のすめらみ神の大み賀の時奉れりし歌の巻末に今至僧中頗存古語 可謂礼失則末之於野故構分載之云々是を野にもとむるとある野の字 よりうちおもふに求之猶野吏でたかふも組も馬の横腹とそこはらとをすり たかひてこそ物すへけれ 一野史に大量のあとなつてとある詞足利殿初代の本とこそあらめ永 録天正こなるの軍記にかく書はまた歌人は為なかく名所をしる故に間違ひ 多しといへる本との本也旧事記を見てその文法にならひてかゝばとからんと おもふよりのあやまり也さるはふるく童男女ともに宇奈ゐとも和良波とも いひう有髪をちらしておよつと見ゆとしころに及ひて男は初冠し女は そのかみをあけしなるへし足利殿頃より前髪をそりおますことくしなれ候 いたとひ男をぬきたりとも。音の体とはこと也甲斐に大帝の契とあるは 今の世鬼若衆といへる本との事なるへし是ら何斗の論にもあらされとも おもひいつるまゝにいひつ 〇一野史にしか〳〵の男を猪首にきなしとあるは思の外あけつらひある 文なるへし抑とりよろひては沈むかたちをなけしとすはれは男はたう つむくかよかるへきを猪其に着してはあふむく姿となれらは兵家去流の 清酒をもていはんには専らすむ心なるへけれはためきものゝふの粧にいはんは いかにそや思ふめれとよくおもへは此あふむくはかぶとにのみかきりてよの物に 勇ある事なしさるはふるくてへんの由はいと大きけれはこそうつふきてて へん射さすなといへる文はあれきはいへといたくあふきてはまたあしき故に いとあふむきてうちかふと射さすなとこそかきあれとまれかくま也 この橋是は男のかふりかたをいへるにはあらてわきひら見す向ふ敵をひと捨 太刀とねらふ心の勇壮の本かに見ゆるはよつ男をもてこそいはめ是る文章 の様子によりて心得有たし 一一弓働の処にこ出るゝ斗忘るゝ計引し本りなとあるにも抑心付すべし そはきはめておのかむねとねみふ物ある時にかきりての詞にて今の代のあり さまたり忘るゝ計こむるゝはかり引しほりたらんには心怠るから自ら了 勢もやつるなるへし中の外ㇾははなれ口のとしあしにこそあらめ持かためし 様にはみるへからす老ふるに此詞は凡の弱前の討方也としられたり 一大図をちらして戦ひけりとあるこの火図もいさゝか意味あるへし鉄と 鉄とあたりあひては雲のいつる事あれともそをいひしには有へからす敵を うたん御方をはうたけしのやたけ心をいへるのみか火は恐れる心にとるへけ れは也矢叫ひのとも同しかるへし但しさけひはさけふともはたらくことば なから矢佐計火はいる箭もさくるの心持なるへけれは少し意味たかへるか 一かたつを立てなりをやめてなといへか文大方心同しうしていとしめやかなる 勝負にて是そ誠なるへきを両陣のときの声今地に震動する計也とある はそこの文のつゝきからにて明りあるへしさるは行軍仕寄城攻などならは扨あるへ けれとも悪戦の文章ならずには両とへは先手は漸川をわたりて鑓を初しか ゑの二の見は後海にありて各先手を勤まさんか為に我劣らしとなくる思の 事は可ケ地も鳴動するかと思ふはかりなとやうには有もすへし御勢何十万抔 いへる無参考なる文章と専ら同し趣也但勢鳴といふ物は別にあるへし 新田町考聞 わる家の名を福井弥と名つきやけるを新見縁翁ぬし見給てわる友早川 何かしかひめもたる伊せ平蔵の鞍落一門あり見給はましかはかりてまいしせ 侍らましをとの給ひけりおのれも物のいと方あらは聊かき出て見はやとこゝろ かまへありつるかおもひきや平蔵主の考あらんとはいかてとこひねきおきしを 何くれのことしけきに打捨おける間に祈見主空蝉の世を去給けるはいと口をし き事になんありける此頃少しいとすあるなへに早川ぬしのもとにものして しか〳〵契り置し事なゞきこえさすれはいつにても見よりのゆかし嬉し かりけり抑この早川主は筒井そのみもとにて一度の宮いめも給ひけれは かゝりしなら外このときにかりもてきたりてとおもひたれとわる家の 名につきたる詞の事をおろそかなる老も昨くあらんは中々にこちなく おもひなりてまつわか考をあら〳〵かくなん いてやわれから国のふみに物くしくていふへきにはあらされともこの勤の文 はまさしく皇国の物あしていともつらかなるのみか其物はたいたく古 き物にこそはけれそはまつ 皇照大御神 一病而よう腹振立云々見ゆるそ物に見えたるはしめなるかゝるゆゑよしある のみかのちに 応神天皇とたゝへ奉る御門の大みなしとなれとはしめは大弱和気命 とは申けりしかおほみなのつきけるよしはこの大神のみ腕にとものことき しらありける故となん申伝へたる迄の世談のうらにおとかねてふ物を入て 弓のいきもひをあらはしいる矢にいたつきを見することくおもはるゝ甲矢 の仲声乙矢の屈声なといふ事また旧記に強音高く切て放ちおもふ 備後の地名 一壺をあやまたすなど見ゆめるはやかく勤の名残といはまし出す書は 右官堀 茂雄吉 義万葉に丈夫の勤之音為奈利物部之大臣楯立良思通このもの論 嘉兵衛 の名をおひけることの心をおひけることの心はんか足を止といへるは討手大明神を 射堂大明神といへることく多行を通ばしいへる也面を毛とのみいへるは猶は詞の 親にしててにをはの音なく言葉の下におもといへることなし水のものゝ音 あれは病といへれと水おもとのみはたれもいはゑか如し此面彼面もこのもか のもといへるにて心えへしされと爰にいへる言の義は猶穏ならすそもとみの事 なれはそ猶おろかなる老のちにあるへし今はかりに手面の心とはなし つる也きるはたりの臂につけてたもとをおさへ。射る為のうつはなれはそ 則ゆひにかくる物を名付てゆかけといへることくならん静けしこのもの延弁 太神式に鞆二十四枚以鹿皮縫之胡粉杓紙墨画之などありと人の 家紋に己といへる安やあり是まさしく此鞍を絵かきたるにてやかて 麺絵なるへし出雲風土記に恵雲の郷の国の形絵かけるともの如しと あるにて勧てふ物は古へ各国に名高き事をも絵に書し事をも合せて おもふへし延喜或に麺袋也料葉表緋程帛一条各長サ一尺弐寸広サ一尺一 すなどその袋さへあれはみたりには取あつかはぬなるへしこの物をつくるをは 張といへるそ詞なるへき続記に翻張鞍作の号見はたりこのはめつてか なる処は雪蔵惣しの考あるへけれは曽につきておもふへし早川ぬしに ゆきて写し得へきにこそから爰にも老圃にしかすといへるやうに故実の 事は故実者流そけにくはしかるへき とものや主人しるす とものや主人しるす 天保十一庚子年弥生つこもりはかり 附言 一旧説は印宝の勧と軍用の麺とは同名異制なるへしといへり此説考へさる物也 さるは儀杖壱状とわかりたるは後の事にてかしこけれと 仲裏の御門頃まては必かくる業有へからすたるはしく此二ツのわかりなるはいと 後のぎにてたかへりまた以墨絵かくとあるは己を給かくにては有へから す年にさま〳〵のもやうを事しなるへし水をの里をかきしとたるはあらす 平蔵その勘考ある嬉しきにゆくりなく玄師の説をおもはさゆみしはあら さりき今是を見るにいはく髷といふ物は装束の上にて鳴弦を取の墓 日なといる時用ふる戦場へ用ふる物とは聞えす云々 右之云既に引し万葉に楯立候に火もとなるにて敵なき時 にのみ用る物にはあらさるをしるへし また言勤は高諸高官の人弓討る時手をやふらさる為只こ手当等 いふ顔なり 忠うたきはやく引し万葉に丈夫廼麺能音須奈利といひ たるにておもからぬものも用ひしをしるへし勤の音を聞て 高位高官の大臣たちか楯をたてよとこ其所へおふせられたる 意明らかなれはなり 去りの柄水を書て早川十右衛門主にまいらせて置て平蔵悪しの考を 見るにおのかおもひよらぬ事さへありていと珍らかなりけれはたゝに見過 さんも本意なくおもひなりておのかいひしになき事とまた心のうらう 男なる事共を中ゑきて○を悪しの詞としをわかしれ事として しるしおきつ 〇万葉巻之七羈旅作者不知 一好去而亦還見六丈夫乃手二巻持在勤之浦回平 こゝにまくといひうらわといへるにてはね中行事の図能叶へるに似たり ○和歌題丹愚抄為忠 ゆたちとく村手のもろ人動つけてすゝのいたつきつまならす也 爰に勤つけてといへるにては行事の図必あゝれり共定めかたし 貞治六年 ○思ひのまゝの日記と ○六月十八日には諸弓の事ありゆはに出さず 二条良基記 給ふ四府の奏なといと面にし公卿弓矢も分勤などつけてあるさま近頃 めなれぬ事也 うたにともの事 貞治 年甲行事哥合 二年 同廿九両左衛門廿九番左衛門 なしを略す 改良基公注にて云々いは 卿以下米帯にて是をいる也袖のよそもひやうなり家々口伝あるへしゆ かけさし勤抔つけて弓いるやう此頃しれる人もすくなきにや 此両条に動をつくるといひ或この頃はれる人も少きにやなとをおもひ 合すへし手にまきもたる麺といへるにては年中行事の絵よく叶へれと こゝらつくるといへるには少し意味たかふへしかくては在臂避弦具也とあるも必 しくといへる物は野伯も 誤りとはきはめかたしそはから国に似たる貝あらんもしるへからすか 出ものはれものところ きらはすとはいへるゆから脈処のわたり にあらむは如何ならん老ふへし かとまれかくまれ麺なとつきている様此頃しれる 人少きにやとあるにても此論のつき処まき所は巡見束なしそは貞治ころ よりみれは四百ねはかりも早く能雲守殿勤の和名その用方さへいはれ しなれはいと後の土佐の光長とかいへるものゝ書し年中行事の図はいよく頼み 難し但和心抄はた誤りなき事あたはすされと既に其かたちそのつけれ を見ていはれしなめれは悪工の跡よりさたかなる考證といふへし今とても今 あるものをうつゝに見てかきし絶すら必たかはすといひかたきをまいて此 ころ鞍のつけなしれる人がなしとやことなき良甚いつからの給しにあらすや 去部秘訓の図おのれも家蔵せしく普蔵主の新按の図はさしあたり ようわかるやうにおもはるゝ也またならの葉のふる言に好去る云この哥をは能 こそひろひおかれたれおのれ人のしれるやうに藤つかへしけくうからのうゑをし のかんかてさへあらぬ身にておかけなく友の万葉をかりて廻りあひて見しや それともといはまひしきまてにさしめきつゝ凡に見たるを今此に引出られ たるこそうれし計れ 〇貞丈云高勤之音瀬謂音大也如高天原高御座同例尊称也云々 此事うけ難し高天原などゝ同例といひては屋かて高火の意におつる を猶釈紀私記なる高輪即是高大之勤也とあるをうけられぬこそ またうけられね者之云高勤の高は高大かもとにて今はうつして 武士の武士の武士の武士の武士の武士の武士の武士の武士の武士 剛強に及出せしなるへしさるはかけまくもかしこきは 物をはのきつよきの意神 典に伊都の遠 多計善とあり たけはやすさのをの命日本武の命たけみかつちの神なとは更にも いはす熊襲建などあらふるやつこさへにこのたけの言ありて俚言に 剛けつの心なるへし抑たけといへる詞ハタケタタタキタナルなといひて其心 みなおなしかくては古事類にたかともに竹鞍のかたを埋しは字意にかくはら でお五しこの竹といへる物そ岩のはさまよりしのき出て或は青人くさの おきつまたへのもとよりもはは持する心別法にあらすぬ扨は先にひきし 丈夫の鞍の音す也といへるいさましき様さへもの〳〵みはたり思ふへし 〇貞丈曰言之柄一物而三名曰保武多曰加羅曰登毛是也制翻字能意則 柄字訓加羅以木伊為革編書之 按するに止足を加良といへは云いかなるものにか見ゆるおのれ早見牟見ゆくして 見し事なしもしくは古事紀のひかよみを用ひられたるにはあらさるの草 偏あかりたる御代は木片をも用ひたるかおのれいと若かりし頃藤の見居 たか江次第をかたへけりうち見し事ありしか久楽の音に按の草をうめ 按るに按はやまとくえ鞍はからくら たり り鷹野に諸外に諸ありさるを千蔭の万園解に九良のうたに 同しく梅の字ありしを按は鞍のあやまりと断りしは上きぬこゝちそ する上古かゝる事には強て心を用ひぬにかさて柄とする時は竹からと訓を付 たるかもしらねとも是ひかよみとやいはん又褒武院といへるはきに上古 之段俗号勤謂褒無多とある訓注よりいはれたるかもしらねともこは に駄和気命のしこと下にたく其おむみにさへおひもち給へれは上古論の事 このおむきみのみよはしめ を下つ方にされはみては保牟田といひけんもまたしるへからすて勘師養子養子の実に をそまりける子たから国の文うちひしかぬ御代とて献の事をほんたいひてもかゝる事はなそのみよめあ らゆをもふへしもし唐瓶うちひしきなる御代にし置すとさいつちあたまの御門あれましゝ時先構の 事を何天皇と申たらんにはいみしき 人斯てはうちまかせて勤の事を保無駄もいひしには有 みなしきをかゝふるへしよくおもへ べからすとも人の名ものゝ名などにかゝる例はいと多かり忠之言 国のかたち 此図動のかたちに似たり是を絵かきなるか勤絵にて今の水紋 のともゑは後世の物なるへし出雲風土記にゑかけるともの如し とあるは巴をゑかきしにはあるへからすうつなく此絵の図をゑかきたる成 へし貞天悲しの説の如くは額にゑかきしとの如しとあるへき語せなら すや ○堀川国首賭弓俊頼 引なかすゑつかの弓の矢をはやみ勧音にまとのなりかはすかな この歌は百箱役所中のみか矢とひもとし矢つきさへはやしといへる侭哥成へし ○夫木集六帖題むろ民部卿為家 梓弓いそへにたてるむろの木のとことはにうつ麺の浦波 此度は弓街出精の談歌には然るへし勤ある故実には無用の引哥なり 〇年中行事絵射人著勤図 貞丈云軍岡考左腕を 小手サシタル如く画〳〵ハ 誤也裸腕也 忠之云良蓋公記に公以下束帯 にて是を討る也袖のよそひやうなと 家ゝ口伝あるへしとある文意実 ならは強て軍器老を誤りとも さためかたし ○貞犬云漢土無翻故其字亦無之之 忠之云西戎其文字無之といへるはよろし無義故といふはいかしか西戎三橋然るに 文選の詩に山桜発欲然とあり 早こそたかへれ正敷爰の 鞠はなくとも其品類 あらんもまたしるへからす ○吉部秘抄図不明蓋 延喜式 近藤雄 牛蒡 此処稜アルヘカラス 延喜式熊波一条 賜料長九寸 り北平通ハ等をテート 展転伝写所誤乎今按図 和州国は大き過るなるへし ヌイメ厚平組 程にテヌヒツ クル 括皺 箔ヲ張ルハ鞠ヲ ハルト制同シカル ヘシ 此今梅の図吉部の形より自易けれは白物いつる時にては是をもつて勤 とまへし抑武器の干名ある事を伝へたるは吾先師沢崎大人北越の遺風を伝へ 山鹿甚五左衛門甲斐の流石を唱へ出し水嶋卜也小笠原軍礼を顕し長沼外記西戎 流昼夜継光長書なとの趣をかきあつめて更に長沼流をうめき出し或心ある 神主等の類の其魂物はなきものからしかすかに神典に其名見ゆるをあたら ふる事のちりもひうさん事をうれたみて後世其事に力をいれてあなくりたす へき人のなとかなからんなどあひなたのみにかゝりてかりにものせしかたなとの残 りあるより五先師五郎大人故実を偏集しいくもともなく伊勢栄蔵主四季草 米義笑談なといへる物をあらはされその事中つねの文癖としてしか〳〵の事は文章 不才の輩は尊信すへけれとも又明宝才のやからは腹をかたへかく笑ふへき事也なと 見ゆきれとも此文方即才の輩ありてこそ四季草も平義義笑語もなりつらめもし 此文爰なかりせはまと〳〵平義四季みなからなる事なからましまた伊勢家代〳〵 武具の故実あらは心を号し帋雀を費やせしはあらぬ業になんある玄師の書草 或もの書ふたつなから兵家流々をふみつきにせし事のみおほして其書に其心 をいひたる処のみにては数市に至るへくもあらす西戎のむかし三国とかいひける 時兄は七義に詩をうたふことならすは是を刎んといひ第ははねゝれしとうたへる詩 に豆をわるに其豆毒をたく豆苓中に在て鳴と。うたひける時聞し事あり 実に其心いたくけりなる物から猶凡人の心とそいはんいかゝして煮んとも人の 口にいらはさてありなん此豆吉のいさをゝいはんには苗に秀てゝ時を得てなせし豆 を猶ことに焚木を用ひすして葉枝をもてそのまめを熟したる時人の口に いりて餓をしのかせたる処やわく大切なるさる事には心を用ひす豆のうまきのみに 心をうははるゝ世の様よ口をしともいと口をしき業なるへし斯ては云家者流を 唱へ出せし人々をたゝ〳〵あふき尊ふへしされは記氏ぬしハたかき山もふもと のちかひちよりそなれりけると延喜の御代にの給ひし事また我加茂大人お下 の大樹はみねの小芝に及はぬかめしといはれしなどみな物まねふへき人の心の底に かさめお〳〵へきおしへそ此頃弓射る堂を教ふる人。からようせすは名をたにしら ぬ此勤の例のおろかなる兵家老源のみなまた毎にその羽我れ残りつゝうこかめへ 御代のいはまにせかれて今かうおとたてんとはおもひきや 同年迺佐部乱朔日婆か理動罰弥免之諸 武夫のとりつたへつゝあつさちいつきたるとも音に比毘久なり 狩 新 添正之 一于時安政五午年仲秋念八日書写之畢 る ………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………… ………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………… ………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………… …………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………