厭求上人行状記
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- 祐山[撰], 宅亮 [訳], 空蕐老人 [校訂]
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- 祐山[撰], 宅亮 [訳], 空蕐老人 [校訂]
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- 日本語
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- 西村市郎右衞門等
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- エングショウニンギョウジョウキ
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- 東北大学
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- 2026-08-28T18:53:25.651810+00:00
厭求上人行狀記全
雀
源
土
荷
蕨
原原
雷
同壱丁目丁
真珠院什本
□□□□
南無阿弥陀仏戦泉通
発展協序
夫以ハ申呂ハ自レ嶽降リヿ傳説爲二。列星從來
俊又應一ルモ世ニ世ニ不二偶然一ヲ矣厭老上人夙
智ノ所動幼ク幼テ懐二ト邁倫ノ之志一ヲ如二ク金翅龕レヲ。海
直ニ到レテ龍宮一ニ一超ニ超二入覺王ノ門一ニ然ク后学
行功成大ニ震二ヒ法雷一ヲ五畿七道雲行雨
施ノ四海ヲ為レ家不レ為二ヲ個ク蟲多一ト一鉢ノ生涯
磊磊落落寔是ノ絕代ノ之偉人也蓋ハ来
宿願輪一ニ而來ル者カ乎法孫宅亮以二テ其ノ行レ
狀記一ヲ囑レテ予ニ訂正セシ予。聞二テ聞二テ鴉聲一ヲ而徹二
達磨ノ玄機一ニ修二ク念佛一ヲ而契二テ。諸法實相一ニ楞
嚴維摩信手ニ枯ル手ニ枯レ來テ作二ス自家底ノ施設一リ是ノ
故ニ其説法活溪溪地更ニ不レ涉二テ尋常ノ途
轍一ニ解レキ粘ヲ去レリ縛ヲ抽レキ釘ヲ抜レク楔ヲ有二リ格外ノ之作
略一可レ謂ク永明楚石ノ之流亞ナリ也。節操漂
漂ノ湿而不レ縮大法ノ之抵柱苦海ノ之抵桂苦海ノ之船
師豈易得邪孟軻氏有レ曰。豪傑ノ之士
雖無文王而興ト予於師ニ駭二ス其言之不
愆鳥庫焉得再興師於中興師於中原一ニ輔翼此
道ノ祖庭秋晩秋晩。唯懷二慨スル。哀一ニ耳曽聞ク先
德有レテ善不レル能レハ昭ハ昭リ昭ナキヿ於世一ニ者ハ後學ノ之過シ
也亮公ノ此ノ擧宗ニ鐵石ノ之孝心ニ而法門ノ
之盛事矣鳥ヲ得レテ得レテ不レヲ擊レ節而稱歎一ル邪校
訂既畢テ聊贅二テ聊巻
明和五年春杪八事山空華老人題
厭求上人行状記
師諱は貞憶後に厭求と改む。真蓮社広誉心阿は本宗
恒式の別号なり。俗姓は村上源氏。平安城の人なり。寛永
十年癸酉二月四日に誕生す。幼稚なりし時伯父武藤氏
に就て射を学ふ。伯父篤信にして時々一僧を宅に請じて
供養し身を屈して給仕すること君父に事るが如くす。師
或日彼僧の草庵に行て見るに独住草丁の野僧なり。
師ひそかに思へらく伯父は是衆人の長にして従者数輩
あり然るに身を謙りて独庵の僧を恭敬することぬ婢の
主人に事るが如くす。仏法の威力妙なるかな奇なるかな
言語の及ぶ所にあらずわれ誓ふて必ず出家すべし仕官
の栄を期すべからずと。是より後毎夜夢中に一僧来り告て
云く。出家修道は一大事因縁なり小縁の事にあらずたとひ
焼火僧も一千戸の官人に勝れり汝早く出家すべしと故を
以て師父母に告て素懐をとげん事を乞ふ。父母堅く許さ
ず。己ことを得ずして師自から髻を截て切に入道を願求す。
父大ひに耽りて一室に籠居させ永く外出を禁ず。其後
巻ならざるに父卒去しぬ。師歎息して云く我家に在て
父に仕へて孝を行ふことあたはず。既に孝道を欠。又出家し
て父の後世を弔ふことを得ず現当の大事両ながら失却
す。いかゞせん〳〵とて哭泣悶絶す。母見て驚歎して云く。異
しひかな呼汝は我子にあらじ幼年にしてよく是の如きの
善語を咄出せり我何んぞ汝が出家を障んや。然共今年
一周忌までを
を守りて宜しく老父の命に随ふべし
は期の喪
期の喪と云
明年にいたらば我汝が素意を遂るに任すと。爰におゐて
師次然たり光陰程なく遷り往て朝の表既に畢りぬ
正保二年乙酉五月二日歳十三にして洛の専念寺信誉上
人に投じて刺染受戒す。信誉則ち浄土三部妙典六時礼
懺を授けて読誦せしむ数月ならずして暗誦し更に一字
を失せずその聡明絶偏なること是の如し見聞の者歎
じて異人とす。師偶一日過あり信誉是を咎めて責るに
大灸を以てす艾草百目を束ねて一壮とすその大さ拳の
如し。是を背の上に置て火を点ず師怡然として是を受て
堪忍し面色変ぜず小苦なきに似たり。諸人怪みて灸火の
尽るを待てその苦熱を問ふ。師答へて云く小苦あることなし
と。諸人驚き見るに都て魚の跡なし但懐中なる守袋より
煙の出るあり守袋の内外焼抜たり。即ち是此守袋の仏
代りて苦を受るのみ呼奇なる哉。此守は法印何某の加持す
る所なり。師の母歓喜して此由を彼法印に語る。法印の云く
我曽て此守護を施与すること許若千人なりき終にいまだ
師の如き代受苦の事ある事を聞ず是はこれ他にあら
す師の信力強盛の感応なりとぞの幼齢にして但信徹
骨なる事是の如し。他日他力本願を仰信する事も
又是の如くなるべき旨こゝにあらはれたり。栴檀は二葉
より香しといふは実に虚語にあらず
◯師歳漸く長じて十七なりしかば宗の式法に任せて
修学の為武州江戸に下り霊巖寺の珂山和尚に随ふ
和尚一見器許し一宗の秘蹟宗戒布薩これを伝へて
余蘊なし。師自から浄教を研究して昼夜をわかたず
又兼て諸経論を探りて其歯致を究む。恵解天然に
して錐嚢を脱するが如し是を講ずる時は辨懸河の
ごとく人心を感動せしむ。既にして飯沼弘経寺に行き
宗閑和尚に就て修学す其後又霊巌寺に帰る
○明暦二年丁酉正月十八十九両日江戸大火にて城中并
に城外諸侯の亭館商家民屋一時に燬燼す。巡遁るゝ
道なふして焼死する者数万人に及ふ霊巖寺も又火裡
にあり。師走り出て河辺に至る橋既に焼落て又船筏
なし惘然として佇立せり。忽ち男女数輩小船に棹して
河岸に寄来る。師喜びてこれに乗り漸く火災を脱れ
て既に中流にいたる。更闌夜深て竿を折き焼を絶つ。水
深して底なくいかんともすへきやうなし。運に任せて遥に海
上に出づ暴風船を皺て波濤山の如し忽ち水底に沈
没せんとす。時に何くともなく船一艘衝来りて行違ふ。其間
相去ること一丈ばかりなり師即ち仏力を念し力を策し
て彼舟に飛移り始めて存命することを得たり。先に乗所
の小舟をかへりみれば既に沈没して路方なし唯叫喚の
声を聞のみなり
◯爰に於て師大ひに省軽して思えらく現今日前三途
の苦情むべく生死の業縁恐るべし。無常の数鬼は時処を
ゑらばず頼むべきは本願なり修すべきは念仏なり空しく此
地に留るべからずと。是より直ちに濃州大垣の大運寺に行
徳を医し光を韜みて常念仏の結衆に入り日夜に称
名するのみ。師なりと知るものなし。或時城主僧を選ぶこと
あり。爰に於て始めて師を知る又其志を感ず。仍て寺主
等師の説法を請求す師固く辞其衆人再三蔵請す。師
ごことを得ずして始めて法輪を転ず貴賤歓喜して発心
念仏す。専修一行是より弘通す。邪執の安心。謬解の一念
自然に亡涙し日課念仏日々月々に盛なり翻邪帰正の
僧侶多く弟子と称し渇仰して師とす。又勢列桑名に
行正源寺に住して教化すること数日城中城外の貴賤男女
席を争ひ群を成し信伏帰敬して念仏するもの勝て計ふへか
らず。正源寺は信誉の師○源誉上人所住の地なり則ち故。松平
越中守曽て深誉を洛の専念寺より此寺に招請す。師は是
深誉の法孫なる故に諸人共に請じて此寺に住持せしめんと
願ふ。師耳を塞ぎて聞入れず急に走り去る。是より矢田に
行。時晩冬なり師七七日別時念仏す。夜寒忍びがたく又睡
催す時は衣服を脱ぎ庭を巡りて称名ぜらる。霜雪膚を侵
し寒風骨に徹すれども確平として撓む事なし是の如くして
障なく七々日を修満す諸人舌を巻て凡人に非すと称讃す
○翌年濃州の片山に往き寂静の地に草庵を結び住居する
事数年なり。此間常に法衣を脱ず無益の事を談ぜず日課六
万返六時勤行永く自業とす是より以来終に懈怠せず。時々
尾州の熱田。遠州の荒井に趣きす。或は摂州鮎川茨木高槻
芥川に往き又洛陽に至る縁に随ひ機に応じて接化無究
なり有智無智信伏帰敬する事草の風に偃すが如し当世
仰ひで念仏の大導師とす。師に投じて出家するもの男女老
少数百人なり。濃州大垣領底田の円満寺も師を以て中興とす
彼地に師の画く所の吉水大師の尊影あり
支那ニハ見召
聞声ノ下ニ
省悟ノ人
○師或時摂州鮎川に在て楞厳維摩を披閲す。鴉声を聞
アマタアリ
日本六甚
メ布有ナリ
て忽然として省悟あり。是より知解奮発す。深文奥義竹を
破がごとく七通八達ならずといふことなし。長水法安と号せ案ぜべ
◯大風師の性たるや慶量広大にして風韻凡ならず質直無
欲孝順慈愛天然なり。唯今日ある事を知りて明日を期せし
ず都て物を蓄へず又悋惜なし得るに随ひて是を遊す。直言
にして佞曲ならす人情に乖くに似たり。他人の苦しみあるを見聞
しては己が事の如くす禽獣といへども又然り。徳ありて荘ならず柔
和にして晴る事なし。衆を愛して果を好み人に対して世事を
語らず。常に世智の者を誡めて云く人間の貧富は過去の宿業
による世人是を知らずみだりに貧を厭ひ富を願ひ非分に貪り
求む。然るに若貧窮の報を受べき人はたとひ財宝を積
て自から守るといへども種々の災難来りて貧人と成る又福報有
人はたとひ貧家に生るといへ共自然に財宝充溢して炎既日在
なり。因てみだりに宝を求る事なかれ若又宝あらばみだりに
慎むことなかれ。皆是法界の物なり以て法界に任すべし。又たとひ
財宝を盗るゝことありとも強て嘆くことなかれ已に福分あれば
財宝去ても又来る。已に貧分あるときはたま〳〵得ても是を失ふ
三世因果決定の報。業に循ふて発現す努力猶ふことなかれ。但
俗は念仏の師に世務を営むべし僧は常に念仏して世事を思ふこと
なかれと。師京都にありし時しば〳〵大雲院にて説法す法雨等
しく沽ふて信芽を増長せざるものなし
○万治二年己亥老母に随ふて摂州有馬の温泉に浴するの
序。請を得て極楽寺に説法すること一七日。貴賤歓喜し遠近
感動して未曽有なりと称ず。時に寺主栄誉。老に至りて弟子
の継席すべき者なし。師をして爰に住持せしめんことを欲す。衆
人と共に懇請して云く此地は四方より浴客の来会する処散れ
無慚貪欲熾盛にして尤難きの衆生なり。唯五欲に耽着して後
世を思はず他力を信ぜず因て念仏未だ弘通せず。師にあらずんば
誰か是を度すべきや伏して乞ふ大悲を置て此寺に住し群迷
を救済し給へと。師堅く辞す。其請再三に及ふ。師告て云く予
が固辞する事別に子細あり。予一生涯水雲のごとく住処を定む
べからざるの誓ひを立たり又再びいふべからずと。爰において寺主
等いかんともすることあたはず甚だ是を憂へ師の老母に就て方便
慰諭して是を請ずることやまず。母公元より身に痼疾あり常に
温泉に浴せんことを思ふ。幸に此事を悦び師に語りて云く我老
て命期も程あらじ身恒に病あり温泉に浴する時は快し。師此
寺に住せば我又常に浴して餘年を保つことを得ん願はくは我為
に強て衆請に応じ給へと。師茲におゐて黙然として思惟すらく。
徹骨
自の誓ひは軽し老母の命は至りて重し。我既に出家する故に
微髄
孝道を行ふことあたはずとも。なんすれぞ此命にそむくべきやと。
即ち請に応じて住持する事九年。寺内修補する所多し師
を以て中興とす。師六時に勤行す是より永く寺法と成る。寺主
たりといへども常に香衣を用ひず故ありて着用する事両三
度その謙譲なること知んぬべし。平日勧誘を以て作業とす。
示しより以来本願に帰して念仏するもの甚だ多し往生の
素懐を遂るもの数を知らず。老母別室に住して恒に歓喜念
仏す多歳安然たり。一日少悩あり本尊に向ひて合掌念仏
すること数声寂然として逝す法誉性遠法尼と号す寛文
七年二月十日なり。爰におゐて師自から惟へらく我既に老母
の命を全し畢れり速に退院すべしと。此旨を衆人に告ぐ
衆人堅く留めて許さず。師夜に紛れて寺を捨遁れ去る。諸人
是を聞て考妣を表するが如し。諸檀家集り議して師の
弟子をして席を継しむ善阿了阿相続て住持し師の門
風遠く仰ぎき益倍盛なり
本宅は勢州の
射和にあり
○師有馬極楽寺に住せし日。洛の冨山氏某は
温泉
に浴するの序。師に謁して数々教舟を蒙り信感髄に徹す
是よりして帰依常倫に超たり。師の極楽寺を捨去ことをはる
かに伝へ聞て洛の西北。梅が畑の導政院を再興し師を召請
して供養せらる。師即ち来り寓ずること年あり。此地は元観
智国師の弟子了的導散大和尚黒谷より幽樓し給ふ所
なり導故和尚の法第線山現住廓山大和尚遷化たるにより
台命に因て此地より直に縁山へ移転し給へり。其後荒蕪に
属せしを冨山氏方へ求め得て草屋を構へ置れしなり。道寸故院
といふ三大字の額あり知恩院宮良純法親王氏
後水尾院
第八の皇子
の御筆
なり。此地のありさま緑樹蕣欝として後山に覆ひ脩竹清酒と
して前渓を囲み眼下に村里を見渡して風景絶勝なり。中央に
石窟あり其内に開山導故上人の名号石此
六字を石に
ゑりて立たる也
中興厭求
左に当院歴代の墳墓有
上人の名号石あり
右に冨山氏代々の墓あり
二人家を去こと遠からず右に
五智山を見左に仁和寺を望む紙塵の佳境壺中の乾坤にし
て隠者の騒旋すべき処なり。本尊は坐像三尺の弥陀仏なり
両祖の画像上人の木像皆悉く自作なり。又別に檀主念誉
浄仙菴主照誉春光法尼の木像あり是は仏祖へ常随給仕
是又上人
供養の為なりとぞ
の作なり
○師式時勢州射和冨山内室吹
法名
心栄
逝去の節。贈り給へる書壱通
あり。彼家の児孫珍蔵して今に所持す。その文にいはく。心栄往生の
由承り。何レモ愁歎力落ノ段令推察候。乍去神妙ニ殊勝ナル歟
終ノ由扨々目出度存候。人界へ生ヲ受テハ生死ヲハナレ真猶ニ至ル是
ヲ諸仏如来ノ本意トシ玉フニ。若キ人ノ目出度臨終ハ仏ノ冥加ニ
御叶ヒ候ト感入存候。但シ一旦ノ別レハナゲカハシキニ似タレトモ皆是迷
俗耳ノ
碇針
ヒテ歎クコト也悟リテ見レハ本来不生不滅也。喩へバ夢ニ生ルヽト見
死ヌルト見ルニサメテ後夢ノ中ノ事ヲ思フニ生レモセズ死モセズ唯
夢也。ソレガ如クニ今生ト云ハ迷ノ夢也迷ノ中ニ居テハ生ルヽト思ヒ
死ルト思ヘトモ極楽ニ往生メ見レバ生レモセス死モセズ。唯速カニ往生
スレバ一切ハ皆迷ノ夢ナルコトヲ知ル。往生セザレバ夢ヨリ又夢ヲ見
ル是ヲ無量寿経ニ従冥入冥ト説玉フ。クラキヨリクラキニ入ト云
事也。タトヒ今生ニテ歎キヲ引替テ悦ニシテモ夢也。悦ヲ引替テ
軟トシテモ夢也。凡夫ハアサマシクテ一切皆夢ナルコトヲ知ラズ凶ヲ歎
キ幸ヲ悦也。一切ハ皆夢ナリト知レバ凶モ幸モ共ニ夢ナルガ故ニ悦モ
ナク亦憂モナシ悦モナク憂モナケレバ是ヲ無為ト名ク是真実ノ
悦也然ルニ衆生アヤマリテ夢ノ中ノ悦ニマドイテ往生極楽ノサメタ
ル悦ヲバ願ハズ迷ノ中ノ悦ハ願ヘトモ叶ハズ往生ノ悦ハ願ヘバ頓テ叶フ也
願ヒテモ叶ハヌ迷ノ悦ハ子ガハレテ。遂ルニ安キ往生ノ悦ビヲバ願ハス是
ヲ顚倒ト云。サカサ一三迷フト云コト也。一切ハ夢ト云コトヲ知ラヌ故也。サムル
処は極楽世界。サムル手ダテハ南無阿弥陀仏也。爰ニ心栄は念
仏シテ無量刧ノ迷ノ夢ヲサマシテ極楽ノ蓮台ニ在テ今生ノ夢
ノ境界ノハカナキ事ヲ悟リ玉フベシ。サゾヤ心ノスヾシカルラント推量スレ
バ誠ニ以テ羨シクコソ存候。一旦ノ別ヲ歎クハ迷也。道理ヲ弁ヘテ
悦ブハ悟也。迷ト悟トイクバクカヘダツ。能〻此道理ヲ思ヒ明メテ愚ナ
ル衆中歎キモ御休候へ。浄信へモ太郎次殿夫婦へモ傳筆。南
無阿弥陀佛
心栄法女の牌前に贈る
花の色に迷ふ心のちりぬれは悟りの身とや
なり栄ゆらん
九月廿七日
厭求
◯延宝の初弟子了縁等。北野聖廟の頭りに於て小庵を結
び。以て兄弟法類集会の所とせんことを願ふ。師速かに点頭
あり庵既に成就す則ち師を請じて導師とす。師此地に於
て法幢を立大ひに獅子吼を。遠近雷同し緇素雲の如くに
集り信心を発きし念仏するもの夥し。師に投じて剃髪入道
するもの数百人に及ぶ。其後漸く地を開きて堂宇を立つ終に
一寺と成る今の専福寺是なり
○師又爰を去て摂州唐櫃に行小庵を結び松風を友とす。
元来此地の男女その性暴悍にして恒に猛獣を狩し無慙放
逸なり。未だ曽て後世をしらず。師時々是を教化す始は敢て信
ぜず後に漸く因果の道理を聞て当来を恐れ念仏する者多
し。一日師偶遠方にゆき山路を経て庵に帰る。遥にして露身
の僧に逢ふ。時晩冬なり。其由を問ふに答へて云く今朝此山中
にして盗賊の為に衣服を剃れたり我は是旅僧なり本国に
帰らんと欲す風雪膚を侵し寒苦骨に徹り飢又堪がたし請ふ
慈愍を垂よと。師則ち侍者に命して路資の用金を施さし
む。師自から着たる所の衣服の半を脱て与へて云く。我と汝と共
に寒苦を分たんのみと。僧礼謝して去る。師の慈忍斯の如し。其後
唐櫃を退ひて又洛の梅が畑に帰る唐櫃の庵今現在して歯松庵
と号す
○天和元年の冬より同二年の春に至る迄飢饉災あり。洛中洛
外近里遠村餓死する者数をしらず途に横り街に満り。師梅が
畑に在て是を聞是を見て黙止するに忍びず。則ち山を出て専福
寺にいたり別時念仏を修して餓死の士具を弔ひ又自身の衣服を
脱ぎ日用の調度をも米銭に代て日々餓者に施行す餓者歓喜
して来ること市の如し。疑財既に尽たり。師則ち手づから一体を持し
て市中に入り行乞して餓者を救ふ。諸人是を感じて大ひに金銀
米銭を送る。師則ち急に任せて大疑行をなす。日々に六七千或は
八九千人皆此施を受て寿命を全ふす。貴賤讃歎して云く大
なる哉法施財施。普く現当二世を救済す実に大悲薩埵なりと
○貞享年中洛の専念寺火災に罹りて一宇も残らず灰煙
して焦土と成りぬ。寺主いかんともすべき方なき故に夜に紛れ
て出奔し去る。檀家の輩列参して師に告て云く。尊師の師跡
是の如し。檀家も又焼失する故に再興を謀るに力なし。伏して
願はくは尊師大悲を垂。枉て人情に随ひ寺主と成りて再建し
給へと。師答へていはく再興は諸檀の力にあり予は唯法施を以て
是を助けんのみ。寺主は外に求めに我は決して領掌せすと。爰に
於て諸檀歓喜して退き相議して師の弟子誓誉をして
寺主たらしむ。師則ち瓦礫場に坐して大法輪を転ず。貴賤
市を成して法義を信受し賃財を寄捨し幾ならずして堂
宇を造立す。是の如きの興隆唯一二のみにあらず。勢州中万邑弘
道寺も師の中興する所なり。遠州荒井の念仏寺摂州芥川
の万福寺。洛北梅が畑の導故院等悉く師の中興せし道場なり。然る
に皆是師の素意に非ず。或は止ことを得ずしてこれを成し。或は
時の勢に乗じて自然に功をなすものなり
○師は常に建立を好まず又常行念仏を嫌へり。平日徒に示して云く
建立は大善功徳なりといへ共種々の煩ひあり猥りに是を作べからず。是
を作ば多く魔の妹と成る。自然に貪欲を増し富家に対して媚を成
す。或は早く成就せしめんと欲するに工匠我意に任せざれば覚えず眩
患を生ず。財ある者は財あるに就て名聞を愛して往生の大利を障ふ
財なき者は財なきに就て利苦を貪りて後世の大事を失ふ。口に念仏
を臨すといへども。心名利に走りて自然に本心を亡失し永く往生を
妨ぐ。若尓らざる人は十が中に一人或は百が中に五三人のみ。若それ上々利根
道心堅固の人は恒に建立を成といへども功徳を増進して速に往生を得
べし。其餘はいまた必すしも然らず。唯念仏して速に往生を遂べきには
しかず。若己ことを得ずして建立を作ことあらば仰ひで仏力を念じ深く
厭欣心を起し。恒に念仏して是を作べし。但衆人の功によりて成るべき
諦忍評
日此下ノ
時を待べし。若是の如くならずんば必ず是を止べし。又常念仏は
決断定
二千古ノ
必ず好むべからず。その故は結衆信心なれば善事なり若不信心なれ
卓見ナリ
世挙リテ
懈怠懶
情ノアリ
サマ言
語ヲ縄
ば悪事たり。昼夜の念仏は必ず退屈の心を生じて曽て後世を忌
はず。世上の産業の如く成りて恒に貪眩を起し意名利に走る。檀
家も又参り多分は是名聞にして善人の名を取らんとおもふのみ故に
ス又祠
堂金散
結衆を敬はず却りて誹謗するなり。是他なし僧侶共に不信心なる
失ノ事モ
目ニ触テ
故なり。若僧俗共に志を問ふして信心に修行せば大善根と成りて
皆尓リ
師ノ教ノ
必ず往生の業を成す。然るに初は僧俗共に信心ありてこれを修す
如クセバ其
愆ナカ
といへども後多く退屈して名利の穴に落入る。是の如き人何に因て
ラン事ヤ
必セリ
か生死を出べきや。是故にわれ是を好まず。恒に是を誡むるのみ。長行
を修せんよりは頭陀を行じて草庵に念仏せんにはしかじ。又今時世上
に祠堂金と号して金子百両弐百両を施主家より寺院へ施入す。
寺院より是を豊饒なる人に預け置。其利息銀を以て常行念仏
を執行する事多し。是甚だ宜しからざる事なり。大凡浮世の習
ひ盛者必衰にして永代豊饒を保つものなし。其家衰ふるに至
りては其預りし祠堂金を返すことあたはず。然る時は盗仏物の大罪
を得るなり。又其財物散失するに及びては常行念仏も退転す。仍
て檀家より施金を受取永代常行念仏退転有まじなどゝ誓約
すべからず甚だ不心得なる事なり。唯追善などの志あらば金千百両或
は弐百両。檀家より請取置。此金子にて毎年四十八夜念仏を五度
但し金拾両を以四十八
十度
一は執行し其金子皆尽るを期として惣回向を修
夜一度の料物とす
行すべし。檀家も又此意を得て施入する事肝要なりと
◯師常に勧むる所は深く厭欣を起し。他力本願を信じ口常に仏名
をとなへて疑ひなく往生をまつ是を要とす。日課の員数は己が分に
随ひ十返百過より五万六万乃至十万に至る。又時は一時二時より六時等に
至る唯人をして念仏せしむるを以て要とす。日保を授るものには血餘
を与へて結縁す。凡そ日課を授与するもの数十万人なり
後水尾法
◯或時師洛より勢州に往んと欲す。因に故醍醐亜相の母堂は
皇の連枝
にして一条前摂政
御実照院の請によりて念仏安心の法語一巻を述し弟子
殿下の室なり
雲竹に命じて清書せしめ以て是を進呈す。時に雲竹密に二通
を写し一通をば深く蔵して家宝とす。数年を経て後是を知る者
あり密に乞て梓に鏤め題して念仏安心といふ世に現行す一日師
偶これを見て失する所あるが如く嗟歎する事久し。是より後若
記することあれば自から書して更に他筆を用ひず
○其店今は念
◯師勢州に往豊原の山中に草庵を結びて住居せらる。此
仏寺と号す
その草庵尤害少にして僅に腰を容るゝばかりなり。此内に宗坐
して念仏するのみぞの餘は忘れたるがごとし一向称名の外餘言な
し。近里遠村渇仰信伏す又射和及び中万には年来師に帰依
するもの多し仍而師又恒に此等の処に施化せらる。又鷹司前殿下
瑞藤
景興
院
故醍醐亜相
「并に慈受院
院
御所士
院
御所
華光
院
十一月の請に応じて時〻洛陽
に至る。固辞すれども許さず己ことを得ざるに廻りて然り。淡然草の
要革といへる書は此豊原にての述作なり。彼書の序に云く。人遠
く世に捨られて柴のあみ戸をさゝねどとふ人の跡なき草の店の
内に潮暮弥陀の岩号をとなへ居れども。心は山の猿に似て五歌
の枝にとび移りてよしなしごとのそこはかとなくおこり。思ひは野の
駒のやうに六塵の境にあれはしりてあやしく物ぐるほし。是妄念
とやせん亦心しば〳〵をこるとやいはん。折にふれては此文をひろげて
見ぬ世の人を友とするはこよなうなぐさむわざなれど。事しげ
くてまぎるゝ方あれば我為に利ありと思ふ段をえらびて粗書
ぬき私に益ともならむ義理のうかべば。えかたにとりなししどろ
もどろに書付。とこなつに無始の煩悩取付身の蚊はらひ扇のしめ
ともなれがしと思ひて。つれ〴〵かなめ草と名づけ。腰づけにして
あふげど〳〵涼しからぬ心のぬるさこそいと口おしけれ。腰づけに付て
見んとておぼへかくいやはやはらの皮のきんちやく。勢州櫛田川。豊原
の里天王山に住する折書すと
◯師既に他の開舟によらずして自然と教外の禅関に黴透せり。
因て黄檗山第二代木店禅師第三代恵林禅師嵯峨朝照
和尚梅畑の清雲和尚河州恵極和尚と常に法話して法喜の
遊を成し道熱頗る深し。一日師洛より摂州有馬の温泉に浴す
るの因。故人丹州の大舟別伝和尚を訪ふて法話す。師の弟子に
得法の者一人あり。是別伝和尚の知る所の者なり。和尚の評彼に
及ふ。師の云く彼実に未だ得ず。纔に所得ある時は則ち不可なり。
故に古人いふ直に万重の関を透りて青宵程にも留らずと。彼此意
を会得せず。悟了同末悟無心亦無法の地に至らず。胸中に一物ある
を以て我常に呵責して許さずと。別伝和尚聞て黙頭す。又別伝
和尚観経の是心是仏是心作仏の意を談じて云々す。師是をうけ
がはず。和尚の云く尓らば師の意いかんと。師答へていはく浄教の意は理
を以てこれを説す。則ち事の想心を指て是心等といふなり理心を指て
是心等といふに非ずと。和尚の云く若禅を以て是を談ぜばいかんと。師の
云く若我これを談ぜば永く和尚に異なり。それ一心是万法なれば
十方浄土現前にして他にあらず即ち是心是仏なり。万法是一心なれば
事想心等豈心外とせんや即ち是心作仏なり一法の他物を見ずして
当相節是の本分なり。唯浄土のみにあらず十方の穢土地獄鬼畜等
亦仮是心なり他作といふことなかれ。本心空寂にして一法の定相なし
不可思議の心既に定相なき故に空といひ清浄といふ唯業に循ふ
て発現するのみ。妄りに分別を生ずることなかれ。若一念誤り畢らば
野狐心に堕すべし。心理但空と執じて妄りに因果を撥することなか
れ。又因果に耽着して小乗の見に堕することなかれ。元来生死なし
妄りに生死を執ずる故に生死無窮なり。仏は是生死の長なり我は
是生死の風夫なり。仏即ち本願を立つ我即ち他力を信ず。凡夫本
願に乗じて速に浄土に生ずるは不可思議の法即ち是心作仏繪業
発現なり若此意を得ば大安楽を得て事理を論ぜす心に内外なし。
生死海に在て大自在を得て正に始めて風流の野狐なることをしること
あるべし。祖師の手段学者をして安心の地に至らしめんと欲するの外他
事なし。諸仏の方便我念仏の法亦後是の如し。智愚を論ぜず善悪
を捧ばず是を信じ是を修すれば安心の地に至り大安楽を得智者は
これを知る愚者は知らず。是を謗り是をあざける唯糟粕を食ふて徒
に空病を生ず。眼は盲の如く諸法を見ず。耳は聾者に似て妙法を
聞ず。意は井蛙の如く僅に胸中方寸の地を知りて未だ法界心性の大海
を伺はず。形は仏家に在て心は邪見に堕し自他共に損ず憐れむべし
悲しむべし。是の如きの愚人は循業発現して当来定めて熱鉄丸を呑
日あらん。即ち是他作にあらず是心是地獄是心獄人なり振議する事
なかれと。時に別伝和尚舌を吐て云く一別以来未だ久しからず何ぞ
黴透することの茲に至れるや。今日始めて知る市中の猛虎又頭角を
生ずることをと。則ち大衆をして各々師を拝せしむ。又随て称歎して
云く厭長老は浄土の大導師兼て又禅を得たり。実に是自然悟道
の人直に万重の関を透りて青宵程にも留らざるの漢にして即ち
我法第なりと。別伝和尚は恵林禅師の法嗣なり昔年黄檗に
在りし日。師と共に往話す。故に一別以来の詞あり。師の禅林諸大宗
師の為に称答せらるゝ事是の如し
○師式明羽州湯殿山に登る。駅次羽州山形邑の裡に草刈氏入道
勇大と云者あり。元江戸に在て儒習たり老後に発心出家し山
形に幽栖す。遠く師の名を聞上洛して師の所在を探り求む。人吉て
いはく師は湯殿山に登らんと欲して今江戸にあり不日に其地に至ら
るべしと。勇大聞得て且泣且喜び昼夜を分たずして山形に帰り。人
を道に出し師の来るを伺はしむ。往来の僧を見て日々尋問す一日
師果して至る。勇大甚だ歓喜し地に拝伏して暫く此処に留ら
ん事を乞ふ。師即ち室に入りて其故を問ふ勇大答へていはく予始は
儒道を学び中比は禅に委じ後には念仏を修す。然るに仏書を披け
ば経々異説し諸師の義立解釈多端なり仍て今大疑国を生ず。
明師に謁して此疑図を打破せんと欲すれども未だ其人にあはず。まさに
此生を誤らんとす。願はくは師慈を置て我を救済せよと。仮殿衣を治
し心誠外にあらはる師其志を感じ。回に随て拝釈す。問難往復数
番にして彼が煙滞渙然として氷のごとく舞たり。始めて他力にもとづき
深く本願を信じ安心決定して一向称名す。師此に留ること一七日其間
日々説法す老若男女益夜市を成して信伏帰敬し念仏者と成る。
歳を経て勇大念仏功積り臨終正念に仏迎を感じて大往生を
遂たり。勇大曽て扶桑往生伝二巻を編集して梓行せり今現に流のす
所の名を
二十二分二
○師是より羽黒山に上らんとす。彼山の麓になり
念仏の道場あり師
峠と云
の弟子蓮休此道場にありて大衆を引卒して師を迎へ請ず。師即ち
寺に入る諸人招ざるに門前に来りて群を成す。仍て滞留動き
する事五日信伏帰敬して念仏するもの数千人なり。又是より先
月山の別当代和合院より一僧を遣し蓮休に告て云く遥に聞
厭求老師其地に来臨ありと未だ実否を知らず若弥実ならば
速に我に告知らしめよと。是に依て蓮休使を馳て今般老師来
○寺と同山と相
和合院大ひに悦びて師を召請す。師則ち
臨の由を報ず
去ること二里餘に
彼に至る。和合院深く敬ふて弟子の礼を取慇懃に給仕す。大衆を大
坊に集会せしめ中央に大高座を構へ謹て師の説法を乞ふ。師固
辞して応ぜず和合院のみく願はゝは師堅く辞する事なかれ我帯
日江州飯道寺の学寮にありて上洛の序に師の説法を聞て発心
念仏す。師を拝せんと欲すること久しけれども寺務紛罪にして閑暇
を得ず今日幸に志願を遂たり。我は是師の弟子なり此大衆は則ち
我門下なり。夫当山は専ら修験の事を以て今日の要務とす当来
の資糧自から疎略なり。出難生死の道を知らず。大導師願はくは出難
の要法を示して愚迷を教化し給へと大衆も又共に懇請す。爰
に於て師衆情に応じて高座に隆り大衆に告て云く。和合院は
当時の学匠台教に通達し兼て餘教に亘る道心堅固にして西方
を期す何ぞ我教舟を待ん然れ共座中初学の衆の為に予が
存念を語るべし。凡そ成仏は得がたく都卒には生じがたし。極楽へは生
じ易く念仏はとなへ易し。当今出離生死の要法は唯弥陀の本願
に乗じて念仏往生するにあるのみ念仏は是仏の本願なり仍て念
仏するものは決して順次に往生す。餘行は然らず本願に非るが故なり。
浄土に生せんと欲するものは智恵を論ぜず持破をゑらばず男女を
隔てず善悪をとはず。唯本願を信じて常に名号をとなふれば一惑
未断の凡夫といへ共速に浄土に往生す。浄土は是報身報土なりき身
紀公に非す分別思議の及ばざる所唯仰ひで信ずべきのみ。此念仏は本
願なるが故に往生を得るの法に必定せり。我是のごとくいふといへ共我
又いかなる由ある事をしらず。唯我知らざるのみにあらず十方諸仏も又
是を知り給はず故に是を読歎して不可思議功徳とのみいふことを
得たり。火は自然にあつく水は自然に涼しその由を知らず。念仏も又
大凡ソ師
ノ一代ノ
説法巧ニ
自然に往生すその由を知らず此故に往生を得んと欲せば但信じて
これを修せよ臺髪ばかりも拾ふべからず。法華経に諸法実相の
循業発
現ノ四字
ヲ説ノミ
是楞厳
ノ文ニシテ
旨を述。その諸法は十如是を以て具にこれを説。故に十界因果の諸
法なり即ち実相の因実相の果なるが故に十界の業果皆是実
相なれば衆生の善悪一毫も失せず凡夫の作業大小共に違はず
省悟せ
ラルヽ
ノ妙旨
ナリ
其業因のごとくその果報を得。譬へば物を打ば其音出るが如し大
ひに打ば大音あり小く打ば小音あり即ち是実相打に随ふて音
を出す毫釐も違はず法界の心性即ち音と成りて出。我等が心性
全く他物にあらず。同一法性業に絹ふて変現す地獄天宮森一生
万像十界依正亦後是の如し故に諸法といふ即ち実相也古人或は
実相は無相なり諸法を混絶して一物もなき真理を指といふは然らす。
実とは真実にして虚妄ならざる義なり。相とは相状にして各々の法相
を顕はす。事は事のごとく諸法の相状なり理は理のことく但理空理一理
円理等の相状なり今は円理をいふしかも其法のごとくこれを顕はして
分つべきこれを相といふなり。然るに是の如き実相の因果の諸法又分
別思議の及ぶべき所にあらず故に妙法といふ。妙は是不可思議の義な
り。諸法一々に実相なり一々に妙法なり念仏往生も即ち是実相なり。
又妙法なり。物を打は実相の因なり音を出すは実相の果なり。磬を
打ば磬の音を出す余の音にあらず。鼓を打ば鼓の音を出す笛の音
にあらず。一切是の如く善因善果悪因悪果衆生の作業一切善悪亦
仮実相なり。諸法一々法位を失せず其法位に住してそのまゝ実相
なり故に法華経に是法住法位世間相常住といふ。是の如き諸法唯
一実相にして差別なく仏界衆生界平等一心なり唯作業によりて其
果を発現す。果報儼然として即ち十界あり作業無量なれば果
も又無量なり故に楞厳に絹業発現といふ其業報や分別思議の
及ぶ所にあらず。故に無量寿経に云く衆生行業果報不可思議諸
仏世界亦是不可思議と云〻。念仏往生も又是の如し分別すへからず
思議すべからず唯信じて念仏を修するは物を打が如し是実相の因なり
浄公に往生するは音を出すが如し是実相の果なり。千人念仏を修
すれば千人往生し。万人と忌仏を修すれば万人往生す鼓を打ば則ち音
出るがことく永く相違なし少しも柊ふべきにあらず然るに世上の人々
世間の事におゐては妄りに信じて格はす念仏往生におゐては多く拾ふ
て信ぜず。呼世人薄俗にして共に不急の事を諍ひ日夜急々として唯
世務を営むのみ。無常の穀鬼俄にいたりなばいかゞせんや僧俗共に斯の
如し未だ真実に後世を思はさるなり。或は本願念仏往生の理を信ず
といへども手を下して身に行はず大経に易往而無人と説給ふは寔に
それ宜なり。その本願といふは無量寿経にいはく設我得仏十方衆
生至心信楽欲生我国乃至十念若不生者不取正覚と云是のことく
誓ひ給ふて其願既に成就し今現に阿弥陀と成りて安住し給へり。
若念仏の行者浄土に往生すること能はざる時は此本願破れ畢るなり
本願若破れば正覚も破るゝなり。正覚若破れば阿弥陀は却りて凡
夫と成り給ふべし十方仏土の中に一度成覚の仏再び退転して凡夫と
成るものなし。故に楞厳経には是を金鑛灰木に灰木に給へり。謂く既に
鎧に入る金をば好金といふ。未だ鑢に入らざる金をば山鉱と云ふ絵は凡
夫にたとへ金は仏果にたとふ。山鑛一度鋳鍛に入りて好金と成れは再
び元の山砿とは成らざるなり。凡夫一度正覚を取て仏と成りて後は再び
凡夫とは成らざるなり。又凡夫は木の如く仏果は灰のごとし一度木を焼て
灰となす此灰再び元の木とは成らざるが如く。一度成仏して後はおりて又
再びえの凡夫とは成らざるなり。故に知んぬ一度弥陀の正覚を取て後は
又再び凡夫と成るの理あることなし。然らば則ち本願成就して。一切衆生
往生する事決定不改の道理なり。本願に乃至十念といふ上は一形
を尽し下は十念一念に至るまで往生する事決立の道理なり。本願
に十方衆生といふ僧俗貴賤持破善悪男女老少を択ばず皆悉く
往生を得る事決定の道理なり。故に深く此本願を信じ常に罪悪
を恐れ一心不乱に念仏すれは十人が十人ながら順次往生に相違な
きなり。世に一類の人ありていふ深く本願を信じて一度弥陀を頼
み念仏する人は罪悪を恐るべからず。若罪悪を恐るゝ時は本願を
柊ふに成る本願は五逆をも救ふ我等いかに悪を作れども未た五逆
を作らず。然らば十悪を作るは全く恐るゝ所にあらずと。是の如き人は
大邪見なり附仏法の外道なり必ず信受すべからず。祖師上人の言
く悪人も往生すれども悪業は往生の障りなりと深く此語を信受
すべし。一念顛倒すれば地獄に入る事矢の如し恐れ慎まずんばある
べからず。又妄念異念を止て念仏せよといふにあらず。妄念の起
るに随ひ己大念の生ずるに就ても役々高声に念仏すれば妄念に
妨げられぬ念仏ぞといふ事なり。返す〳〵万事を救下し一向念仏す
へしと云々。其時一会の大衆尊重帰敬して本願に帰伏し念仏を
仰信す。和合院は感涙衣を治し。立て師を拝し偈を説て讃歎して云く
大悲薩埵化来師直説西方願王意ヲ
念佛ノ一行超二生死ヲ善悪ノ凡夫生浄土一ニ
和合院又告て云く往昔師の教きに依て念仏を修し往生を期
すれども但称一行を以て順次の往生を遂るの義柊なきにしも
あらず。是故に或は法花経を読誦し陀羅尼を持念し又は円類
一実の親をなして思ひを一心三観の月に凝す。是を修しても修し
得ず彼を行じても行じ得ず。念仏を修すといへ共意未だ安穏なら
ず。然るに今再び教化を蒙りて迷雲忽ち散じ柊霧永く消す
念仏の一行安心決定す順次往生掌を指が如し曠劫の大慶何
事かこれにしかんと。言畢りて再拝す。大衆も又一同に師を拝して
去大衆の中に始めて発心して専修念仏の行者と成る輩又すくな
からず。又大坊に於て翌日請に応して説法云々す
○師月山に登る。兼てより此山上に弥陀或は大日の来迎ありといふ
ことを聞てこれを拝覧せんと欲す。山上に両宿し終日念仏す。
して弥陀尊を拝見する事数度なり。弟子の輩も又これを拝
す。然るに諸人の所見不同なり或は金色の像。或は影の如く薄墨
色にして分明ならず。或は丈六八尺或は極大極小何れも悉く輪光
あり。或は又一向に拝見せざる者もあり。真偽不審の岐にたゞよふ。
師の云く桟感仏応理趣必然なりこれを疑ふべからず。若信力
によりて拝せば強ちに処によるべからず何くにありても相見すべ
し。然るに此山上に来迎ありといふ事は諸人深く信じて疑はず何
て拝することあるべき道理必然なり。その相見せざるものは自の宿
障によるべし。真偽に至りては凡そ益ある事は皆是善なり益な
き事は皆是悪なり。妄りにこれを論ずることなかれと。時に当山の僧
及び山伏諸国の山伏并に同行数千人堂下に群集して師を縦頂の
拝堂に請じて教舟を願求す。師則ち説法すること数刻に及ぶ。其時一人
の山伏忽然として師の前に立。大音声を揚て云く当山は弥勒仏の霊場
たり。未来成道して龍華会の節始めて此所に説法するを待のみ。若
弥勒にあらずんば誰か爰に説法せん。当山開闢以来終に未だ一人の此地に
説法するを聞ず。諸天嶺に遊び山神谷を護る。立どころに賞罰あり
て恐怖万端なり。師は是何人にしてかほしひまゝに此に説法するやと師答
ていはく汝わづかに弥勒当来の成道のみを知りて未だ今日の化導ある
事を知らず。薩埵の仁導何ぞ当来のみをまたん。大直の方便無方難
思なり。唯衆生をして生死を解脱せしめば即今の説法則ち弥勒当
来の化導なり。維摩経に所謂弥勒如与二衆生如一如無二二如一汝迷執
答得テ
を改て宜しく念仏すべしと。山伏問て云く師は是弥勒か。何人ぞと。師答
四男
著地
て云く我即ち弥勒なりと。山伏愕然として師を拝して去る。諸人更に
此山伏を知らず又その往所を知らず。嗚呼奇なるかな。時に諸人信心題
に徹し昼夜称名の声谷に響き山に応ふ。其翌日又爰に説法す。其
後師湯殿山の宝前に詣でゝ法施を献りて山を下る。夫より奥州仙
台に遊ひ有縁を教化して洛に帰る。今熟案するに彼一人の山伏は
若大悟の人にあらずんば我即ち弥勒也の
世にいふ所の天狗なるべし
一即答は出ましきなり
◯師又一時請に応して芸州厳島の光明院にいたる是以八上人の旧
跡明神護法の霊場なり師兼てい八上人の高徳をしたはるゝが故に此
請に応ぜらるゝ所也。時に此寺住持なし。然れども諸檀家の輩兼て
師の誓ふて寺院を領ぜざることを聞知りける故にこれを請ぜず唯
時々爰に逝化し給はんことを願ふのみ。師即ち為に説法す。一嶋の諸人
帰敬尊重し仰ひで本師とす。広島の貴賤海を隔て徳を仰ぎ隣
国の男女船を浮べて来詣し。往来の旅客帰路を忘れて法味を聴受
す。師初め光明院の請に応ずるの日。自からおもへらく今己ことを得ず
して宮嶋に行。彼に至りて一両夏を経ば必ず帰り来るべしと。既に彼島
に至るに及びて。明神の宮殿海に接し。廊腰緩々廻り満潮の時は廊下
潤湛へてさながら龍宮城に似たり。宝塔上に聳へ華表。浪に浮び。その風
景絶勝実に神仙の霊境たるに感じて初念に違背し覚えず七年
を経たり。その間神前の参詣一日も闕ことなし諸檀度師の弟子を請じ
て院主とす。師の法義を伝へて任導俗盛なり。師是より直に九州四
国に遊化し至る所念仏を弘通して大ひに法審を震ふ宮嶋光明
院は師の余風残りて今に至り金子十両施入して早八夜を頼み来るも
のあり
○師又雲州に遊行して屡敷化する事あり。晩年老を養ふて洛東
岡崎に住す。時に雲州松江城前大守網近。眼病に罹りて明を失す。
則ち仙石氏をして遠く師を迎へしむ。此仙石氏は兼てより師に帰信す
故に是に命じて慇懃に請じていはく願はくは遠く来臨し法燈を挑
げて我迷暗を照し給へ労を辞することなかれと。師其親切の情を感
じてその請を許す。不日に雲州に至り大守に揚す。大守大ひに喜ひ
て数重恒式に超たり。此時諸宗の知識方并に一家中の諸士悉く列
座せり大守則ち問ふていはく諸法実相とはいかなる事ぞ委しく再し
給はれと。師その時手に持たる団扇を左より右にめぐらし旋転の相
を作していはく諸法実相とはかくの如し。地獄より以上餓鬼畜生修羅
人間天上声聞縁覚菩薩仏の十界。輪円平等にして差別なし
法華経に如是本未究竟等と説是なり然るに今日の衆生は
かゝる平等の内に居ながら悪業ゆへにみだりに差別を見て自から
悪道に沈みて苦しむもの也。仏是をあはれみ浄土に往生させしめて
元の平等に復帰させしめ玉へる也浄土を願ふに付て凡眼の前
にはしばらく浄穢生仏の隔歴あるやうなれども法体は本来不二
平等にして実相無相也。是によりて古徳の法語にも諸仏心内ノ衆生
則塵々極楽。衆生心中ノ諸仏則念〻弥陀。所以終日念仏ノ而不レ乖無
念ニ熾然ノ往生フ而不レ乖二無生一ニ凡聖各住二ノ自位一ニ而感応道交。東西不二ノ相
往来セ而神遷二浄域一と是則ち諸法実相の念仏往生なりと。時に満座
の道俗覚えずわつとよびて感心す。大守は元より甚だ歓喜信受し
て疑雲消散し因果をわきまへ念仏を修行せらる。府下の諸士高下
押並て帰依渇仰して念仏に帰す。中に就て一老臣あり素より大
儒なり。専ら仏法を誹り経論の語を以て悉く誑惑の語とす。国中
の僧俗仏法に志す者意憤々たれども彼に対して口を開く事あ
たはず皆以て諂侫するのみ。然るに彼老臣今般恒に師に随従す師
舌を動すことあれば必ず耳を傾けて聴。唯黙然してこれを窺ふ
て更に一語を吐ず。諸人悉く怪しみて思へらく。師に帰依すとやせん。
将師の短を伺ふて誹るべき端とやせん。必ず仔細あるべしと。師或日仏
石氏の家に在て法話す。彼老臣又従ひ聞。健害として師に謂て云
く。師の所説の如きは則ち真の仏法なり諸法に通達して歯の玄の妙
理明なること鏡に向ふがごとし。我年来の疑滞消散し盡ぬ。従来の非
を改め始めて仏法を信ず長命の故を以て我今日幸に師に逢ふ事
を得たり。今日より誓ふて師の弟子と成る更に師教に違はじと則ち
日課念仏を受又師の所持の数珠を求めて以て受法の印信とす。師
更に誡めていはく汝年来仏法を誹謗し他の信心を妨ぐ其罪無量な
り。死して必ず無間地獄に随去へし。然るに今発心して仏法に帰命じ
念仏を信ず念仏の功力は能五逆をして浄土に生ぜしむ。甚々の称名は
常懺悔なり汝常に念仏して怠ることなかれと。仙石氏の云く一騎当千
の仏法の大敵今般師に帰伏す。彼一人を度する事即ち万人を度す
るに当る。以後彼必ず念仏の先鋒と成りて国中を動励して大ひに
仏法を興すべしと後果して然り。師彼地に留ること多日。君臣及び国
民を教化して辞して帰る。大守又命じて師を洛東に送らしむ。此仏石
氏は常に仁心いと深く。禽獣まで慈愛に懐きけり。平日諸鳥来り馴て
手中に呼む。師にも啄せ給へと申されける。仍て師も又手を出して喩せ給ふ
に諸鳥同しく手中に来りて恐るゝ色なし。師の侍者或は仙石氏の近習
の輩啄せて試るに諸鳥恐れてにげ去る見聞の人感歎せずといふこと
なし。今般仙石氏の宅にて師説法の節国中へ触を廻し来る幾日
ゟ何日までは何村ゟ何村の者共私宅へ来り聴聞すべしとて日々仙石
氏の屋敷へ国中の老若男女を招き寄て師の説法を拝聴せし
む。時に仙石氏も又自から外縁に出路て共に聴聞す。師の説法の体
たらく汝等よくきけ。およそ人と生れ出たる甲斐には仁義礼智信
の五常を守り。親としては慈にとゞまり。子としては孝にとゞまり。兄弟
相たすけ夫婦和順し聊も不義無道なる悪行を致す事なかれ
先第一に君の御恩を忘れす年貢上納少も疎略を存べからず若
これを疎にせば忽ち冥加尽ぬべし。扨未来を恐れて浄土往生を
願ふべし往生の道は弥陀の本願に縋りて専心念仏する外はなし。
後世願ふ隙とて別にのけてあるべからず唯平日行住坐臥に心をか
けて念仏するを要とす。此通に修行せば現世安穏後生極楽少し
も疑ひなしと大略此の如し説法畢りて仙石氏その国民共に向ひて
申されけるは君の御影にて今日未曽有の法を拝聴し現世未来
の大益を蒙る事甚だ大幸なり慎て忘るゝことなかれと申渡されけれ
ば老若男女一同にあつといふて感涙を流しけり此仙石氏日比国民を
憐む事一子のごとし仍て国中の輩父母のごとく思ひける折節なれは一入
感喜に堪ざりしとなり
◯元禄の末。洛の本山浄花院良秀上人。師を請じて祖堂にし
て説法し給へと願求せらる。師再三固辞す師心願ありて久しく高
座に登りて説法せず故に辞退に及べり。仍て良秀上人駕を師
の茶庵に枉て自から請じて云く。我老僧の労を思はざるにはあらず
唯憾むらくは本山大師前の法縁を闕ことを。我深く是を来るのみ。
師若大師前にありて纔に口を開かば上祖恩を報し下愚迷を
度し又我望を満足す。末寺檀家一統に求願する所なり桟縁
既に熱す何ぞ是を思はざるや。旦察に高貴の命の我に託して
請ずるあり固辞することなかれと。爰に於て師己ことを得ず遂に
一同文求上人行伏
許諾し畢れり。時維八月。師本堂大師の前に説法す。洛中の溜
素歓喜踊躍して暁天を侵して至る堂上の貴族商家の男女房
を争ひ座を奪ふ門庭群を成して更にす隙なし。是のごとくする
こと七日説法既にわすりぬ。回向の導師は即ち方丈に譲る。方丈良秀
上人香を招し回向し畢りて。先大師を拝し次に師を拝して云く
再来の導師大悲の薩埵。宿縁深厚にして能衆生を度す。他の
及ばざる所なり我是を尊ひて万分の一を謝すと言ひ畢りて又拝す。
師又手して云く讃言甚た過我をして罪を得せしむと。哥にて
上人を拝す。満座の貴賤親たり見聞して感歎せざるはなし
◯摂州勝尾寺二階堂円光大師の旧跡念仏回向の明師と本山
百万遍の光誉上人と互ひに導師を勤める。又件の所にて元禄
の末大ひに念仏を修する事あり回向の導師は本山知恩院の
秀道上人なり。説法の導師は即ち師これを執行せらる。師のき
導遠近に及ひて諸人帰依渇仰すること大旱に雲霓を望むが如し
○師老衰の後日課を増進す。多分七日に百万過を成就す。或は又六日
八日九日に百万返を成就す秘して他に語らず弟子の輩時々師を伺
ふに深更といへとも称名綴ず。毎時感涙することありて発声と心仏す
その由いかんといふことを知らず
◯師或時おもむろに二三子に語りて云く。我尤裏に迫る。日あらずして
必ず浄土に遊ん。若浄土に至りなば速かに自在身を得て近くは弥陀
に奉事し遠くは十方に遥化し上諸仏を供養し下衆生を済度
せんこと豈歓喜せざらんや。一惑未行の我等称名の一行を以て報兵へ直
入する事は偏へに仏願力による。仰ひで是を信じ伏してこれを思ひ須臾
もわすれず自然に念仏を増進す。予中年に一夏九旬の内に十箇の
百万遍を修せし事あり万事を救下し昼夜不退にして始めて是をし
成就せり。今は参らず余事を捨ずしても七八日には必ず百万返を成就を
老ては睡眠薄き故に自から数万の功も成ずるなり。汝等常に策励し
て怠ることなかれ。然といへども多少の数を以強ちに要とすべからず。空しく
数万の功を積といへども邪解或は不安心なれば浄土に生ずることを得
ずと云仏は一念に一度の往生を誓ふ本願なる故に搔ひなく深く信じて
是を修すれば上一形を尽より下十声一声に至るまで皆往生を得る
なり。只念々怠らざれば自から数万を成就す。善導大師の三万六万
者皆是上品上生人等の解釈これを思ふて忘るゝことなかれと
○正徳三癸酉五月三日師洛東開崎に在り。偶禅室を出て洛に趣
んとして中途より帰る。此後更に外へ出ず。念仏の暇には法話をなし或は
仏を刻み絵を作こと恒の如し。同月十六日微疾あり猶念仏法話して疾
を忘るゝに似たり。同月廿八日師の病重し是より弟子等驚ひて二三十人
常に左右を離れず。既にして其病快し唯不食のみ。六月四日弟子専
念寺白蓮花を持来りて座前に捧ぐ師これを見て吹然たり告て
云く此白蓮を見て浄土の金蓮を思ふ願はくは我早く不浄身を捨て
金蓮に乗し速に清浄身を得て弥陀尊に随従し亦十方に聴き
せん事命終の端的にあり曠劫の大学何事かこれにしかんや汝等能
念仏して必ず浄土に生ずべしゆめ〳〵怠ることなられと。五日説法云く。六
日常の如し髪を剃身を浄め本尊を病床に迎へ香を枯して念
仏すること須臾にして恬然として睡に就夜に入て又法話す弟子厳鳴光
明院法要を問ふ師の云く浄土に生ぜんと欲せば一向専修の但念仏可
なり。然るに念仏の人は多けれども修し得る人希なり所謂これを知
る事の難きに非ず是を行ふことの難きなり念々に怠らず。たとひ餘
事に亘るといへ共意常に念仏の上に在て須臾も忘れず是の如く念
仏する人を修し得る人といふなり。修行功を積ば皆必是の如くなるべし
即ち本心湛然として一切事に動ぜず念仏の功を以て自然に安楽
の地に至り法界洞朝にして一切の疑概を脱す。予発心の始より終要
の今に至るまで唯浄土に生ぜんと欲して念仏する外更に他事なし。
汝等が恒に知る所なり。我敢て虚言せず病身体を侵すといへども心
常に安然たり是平生念仏の功なり小子これを知れと云々七日病
稍快し弟子有馬極楽寺霊山。師の病を聞て即ち来り謁す。師
の云く近く汝を見て遠く汝が法兄を思ふ未だ我病を知べからず
滅後聞て定めて慷慨せん汝為にこれを告て再会浄土にありと
いふべしと因に法話云々。浄土の蔵及び神通快楽に至りて感
渡し歓喜してやまず。十日の夜左右の弟子の輩に命じて同音に称
名助念せしむ其後安然として睡に就
○十一日の暁天にいたりて俄に弟子を召し自から大衣を着し端
坐して弥陀尊に向ひ左手に御手の糸を取右の手に磬を打高声
に光明遍照等の文を唱へ念仏する事数十返。又弟子をして磬を打
しめ念仏する事数百返。即ち随従の弟子を顧ていはく生涯我為
に孝養を尽す予恒に歓喜すと。又惣門弟等に対し皆是迄と。手
をあげ言畢りて高声に十念し。猶又本尊に向ひ合掌して高声
念仏す。念仏の内自然に安詳として寂す。寂後猶合掌乱れず容
顔笑るに似たり。春秋八十二法臘七十なり。十二日の夜二更に弟子の
遠方弟子の僧尼は
密に送りて華頂峯に荼毘す遺
僧尼二百余人
未た知らざる故に来らず。
骨を十有余所に分ちて塔を立礼敬するのみ十日の暁天慶雲
を東に見て師の寂すべき事を知り来て入滅に逢ふ者あり。十一日
の暁天西より紫雲岡崎を貫くを見て師の往生を知るもの有
滅後に人々彼庵を呼て厭求庵といふ本尊は座像曼陀羅座な
り是又師の作也房舎聖教悉く月硯ど
後改て
寂照と云
寂照と云
に附属せられたり
○伏見の里墨染村に妙寿といふ名あり。清家の処女死して蘇生し
父母に告て云く。我極楽に生ず宝池の蓮花甚だ多きを見る。其内
に一蓮花あり大にして未だひらかず。一僧告て云く此は是京都厭求
上人の蓮花なり彼上人の往生近きにあり汝往て是を告よとそれ
故我帰り来りて告るなりと云畢りて永く死す。時に正徳三年閏五
月なりその処女の父母未だ厭求といふ名をだにしらず往て妙寿
に語る妙寿則ち洛の石川氏に告て以て是を伝ふ
◯又海湯に願誉道白といふ者あり。河原町松原上る処嵯峨屋仁
右衛門が父なり。正徳三年九月十一日花して忽ち蘇生す。即ち諸人に
告ていはく我只今極楽に往生し赫々たる宝殿に上る遥に向ひの方
を見渡せば又殊に勝れたる最飾微妙の七宝宮殿あり我彼殿に
至らんと思へども未だ進み行ことあたはず。時に一僧ありていふ汝未だ彼
にいたることあたはじ。此は是中品生彼は是上品生なり上品に生ぜんと思
はゞ先娑婆に帰りて専修念仏すべし速に上品に転ずと。我則ち同
ふて云く上人は是何人ぞと僧の云く我は是京師の厭求なりと。我又
問ふ何れの時か往生せるやと僧の云く近き頃来れりと我歓喜し
て則ち其僧の十念を受たり。其後の事は覚えず然るに蘇生する
こと斯の如し。我曽て上人の事を知らず実とせんや不実とせんやと
時に座中にこれを知るものありていふ去る六月十一日に彼上人往生せり
と。道白感涙を拭ふて云く上人のき導無縁の衆生を度す。大悲の
方便不可思議なりと是より専修念仏し昼夜をわかたず。同月
十四日に安然ことして大往生を遂たり
○摂州有馬に立厭といふ僧あり。師の弟子なり。正徳四年四月下旬
師の塔を立んと欲して上洛し法見了厭に就て師の刺たる髪を乞
得て歓喜し有馬に帰る。清吟庵の尼衆
師の弟
子なり
是を拝せん事を願ふ
大坂の宗鑑といふものあり同席にありて共に是を請ず。立厭即ち
雪に応じて是を発くに。忽ち舎利一粒迸り出皆悉く驚歎して委
しく探り求むるに都合金利六粒を得たり。其形極ににして芥子のごとし
円満にして光明あり白き事白髪の色に似たり堅き事金剛の如し
其内三枚は立厭持し帰りて専修庵に安置す。二粒は清作庵に置き
一粒は富鑑頂戴し治華に帰りて尊敬す。後に段々分じて多くなりし
ゆへ厭求庵導故院へもわかち納めて霊室とす
○大凡師一生の行履。寺院を領ぜず濛々落々として雲水の境界
なり。常念仏を好まず建立并に奉加を堅く誡しむ。平生にして
いはく世の諺に奉加帳は狼もいとふて巡るといふなり。仍て奉かは一向せ
ぬがよきなりと。又恒に弟子を誡めて云く朝夕の勤行を懈怠すべ。
からず。平日製沙衣直綴を祝べからず。今時の俗仁を見るに今判の道
心者をば深く敬ひ。幼年より出家して寺院に住職する僧をは却て
敬はざる也。その故は今剃の道心坊主は真実の志あるゆへに朝夕の勤行も
懈怠せず仮初に物を食すれども十念し回向して食す袈裟沙衣衣
をも随分脱ずして念仏する也。寺院に住持する僧は却て朝夕の勤行
を怠り合時も無慚愧の体たらくなり。平日多分白衣にして。勤行
及び客応射の外は袈裟衣をも着ず放逸なればなり。俗仁実に
眼あり懶愧すべしと
◯師式時示して云く元祖上人の詞に。煩悩の薄厚をも顧みず飛障
の軽重をも沙汰せざれといへり。悪見の人此詞を心得違ひて顧見ざれ
沙汰せざれといふを苦しからずといふ事なりと思ふは大ひなる誤りなり。
煩悩は悪しき物にて嫌はしければ顧みざれと仰られたり譬へば道の
ほとりに見苦しき不浄の物あらば目を塞ぎて二目と顧みずしては
通るべきがごとく煩悩は仏道のほどりの不浄の物なれば二目と顧みずし
て早く過よといふ事なり。又罪は仏法清浄の中には悪しき物にて嫌はし
ければ沙汰せざれと仰られたるなり。譬へば我身の上にあさましき悪
事あらんに人来りて念比に其事を尋ね聞ば左様なる事は某が身の上
の恥なればかさねて御沙汰御無用と答へんがごとし。罪障は行者の身の上の
はづかしき悪事なれば重て沙汰も無用の事なる故に沙汰せざれと仰ら
れたり沙汰するだに嫌はしく増して罪を作らば重々のあやまりなり。さればと
て不図あやまりて作りたらん時沙汰をだに嫌ひ給ふ罪を作りたるとて深く
歎くは即ちそれが沙汰といふものになるなり。若あやまりて飛を造りたらん時
は念をへだてず時をへだはず日をへだはず南無阿弥陀仏ととなへて幟
悔すべきなり是つ犯随職の故実なり
此語ハ
師自作
○式人師に向ふて云く。一向専修の行ゑ。餘法を捨て餘法を破らず。余法を
ノ諸文
領解ニ
貴て余法を用ひざる事如何。師答て云く捨るといふと破るといふとは別なり。
出タリ
諸師
用るといふと貴ふといふとは又別なり。仏神に就ていはゞ或は弁天毘沙門地
未発
ノ卓
見ト云
蔵観景の形像を立て朝夕蒂散礼拝するは貴びて用るといふものなり。
見ト云
ヘキニ
堪タリ
捨て破らずといふは縁に任せて種々の形像に向ふ時は謹て敬ひ奉り縁に
任せて種々の説法を聞ことあらば謹で聴聞し奉る。形像にも向はず説法
をも聞ざる時は不足の思ひもなく求る心もなきなり。是の如くなるは敬ふ。
て用ひざるなり。破るといふにはあらず破るといふは我こそ一向専修の行者
なれとて他の仏像に向ふ時も拝せず。他の説法を聞時も敬はず。念仏の外
は無益の事なりとてけがらはしき様に思ひ蔑にするは是破るなり。宗に
立る所各々皆その理あり猥りに誹るべからず譬へば酒を吐る人は餅を
嫌ふて酒こそ真実の物なれ餅は無益の物なりといはんに下戸の人是
を許さんや。又下戸の人餅を嗜て酒を嫌ひ餅こそ大利益の物なれ酒
は甚だ無益の物なりといはんに上戸の人是を許さんや唯己が口腹に響
と嗜ぬとにてこそあれ無益とはいふべからず。残らば下戸の人は餅が上々
の物なり。上戸の人は酒が上々の物なるがごとし。念仏の行者も又是の如
し雑行は我材に契はざるにてこそあれ無益とはいふべからず。雑行も
大乗甚深の妙法なれば但敬ひを作べし軽しむることなかれ。往生の機
の前には雑行に得すくなき故に取合ぬまてなり。是を蔑るは大なる僻事なりと
◯師楞藤維摩に熟し。敷外の玄機に徹する故に其説法独脱超
遭にして常格に泥ず一種の古気ありて人に迫る。師の着す所の書
都て三部あり。念仏安心と諸文領解と徒然要草と是なり。その卓
識高論言外の妙旨あり。実に後学の奇珍なり
○或時師の法第洛の専念寺現住誓誉といふもの岡崎の禅室に
来りて法話す。彼誓誉は師に相継で説法に名あり時に師少々安心
の違目など教示せられしに誓誉自己を募り詞を返し承諾
の気なかりければ。法に私なしとて師甚だ怒り椶櫚箒を持て。う
たんとせらる誓誉即時ににげ去れり。師又それを追かけられしに洗
足にて速かに我住所専念寺まで逃込れける師の随佳念故といふ
もの心えなく思ひ。跡より専念寺へ尋ね行けるに本尊前にありて
さめ〴〵と感涙して居られけるを見て。念故も覚えず落涙して如何
にやと申ければ。誓誉のいはく我甚だ誤れり慚愧にたへず早々師に
懺謝せん足下先に帰り歎き給はれとて跡を追て来れり。念故先
帰りて件の趣を述て歎くに。師も又感涙を流して云く一寺の主老
僧ともいふべきものを法の為なればこそ小僧の時のごとく振舞し
を。逃去り又来りて懺謝する事いとしほらし法を深く思はずんばいか
でか斯あらんやとて。誓誉を膝元へ呼互ひに感涙席を治す。これを
見るもの皆随喜の袖をぬらしたりき
◯師凡そ出家二衆の弟子并に法孫千人に近し然るに師の堂奥
に至る者少なり。師笑て云く我子を失ふて孫を養ふ。宛も八句
の老翁三歳の孩児を愛するに似たりと
◯師念仏の師に仏像を彫刻し。又仏絵を画く并に其妙を得たり。仏工
画工といへとも及ばさる所なり壮年より八旬に至るまで彫刻し図書する
所の仏像都鄙に散在して其数を知らず中に就て最大なるものは。摂州
有馬温泉寺の本尊坐像丈六の薬師仏。同所極楽寺の本尊坐像三
尺の弥陀仏。并に光明大師の木像。円光大師はりこの御影。一丈五尺の
涅槃像の絵。同本堂仏後の釈迦の絵像是なり。其次には洛の専念
寺の本尊坐像三尺の弥陀尊。洛西専福寺の本尊坐像三尺の弥陀尊
洛北梅が畑導故院の本尊坐像三尺の弥陀尊。勢州射和伊穏寺の本
尊坐像四尺の弥陀仏。是なり。その外三尺以下二三寸に至る迄の仏像祖
像所々に在て彫刻する所は数をしらず。又長三間半餘横弐間半餘の湿
願主三井氏恭しく四條の
又一丈五尺の当麻曼荼羅に
。願主は冨山氏銘文は
槃の絵像
法第寂照書之なり
是
道場に請じて是を画しむ
洛東真如堂の什物なり。又同所本堂記後の釈迦文殊普賢の絵像書:
長二間
半餘
横四間の内是又
或は当麻四分一の小図或は五六尺以下弐三寸に至る迄の仏葬祖
願主富山氏なり
師の両像諸国に散在して数を知べからず。又極細字を能す。米壱粒の上に
弥陀三尊の宝号并に三社の神号を書す。又胡麻一粒の上に六字の名
号を書す。その筆尽尤鮮明なり。又二祖対西の像を画く雲中より出る
所の光明悉く名号也。猶又光明大師半金色の絵紋同しく金泥の名号
なり是は元有馬清で庵の什物なりしが今般導故院へ寄附して現在
せり。弥陀経を書する事凡そ千巻。八句有余の春これを書するも
壮年の時の如し絵も又尓り。又恒に一枚起請并に六字名号を書して
諸人に施す事数十万に及べり
○師の弟子有馬の祐山。正徳四年九月師の行状の大概を記
して筥に納め置れたり。近年有馬の染河といふ者より上人の
遺跡なればとてその記を導故院に寄附す。即は既に上人の法孫
として導故院を領ぜり。此記空しく蠹魚の腹中に葬られなんと
するを見るに忍びず原本は漢字なりしを今般和字に訳し
其外に見関の事実の慥なるをひろひ集め大成して一巻とし
梓に鏤め世に行ふ者なり聊法乳の恩に酬はんと思ふ一片の志
のみ若も随喜し給ふ人もあらば予が大幸なり
厭求上人行狀記大尾
恭以此書梓行微功報答
先師了阿上人万貞大和尚慈恩茲薦先考欣誓居士先妣
珠貞法尼追貢且薦長門内田氏伊田氏三家沓家氏有光
氏山本氏田村氏永富氏勝原氏等先祖歴代眷属精靈冥
福又願四恩普酬三有齊資乃至沙界俱霑利樂
十九二百二二九二五
曽祖厭老和尚没後既ニ向二六十年一ニ
未タレ見二行状記ノ行ル二于世一ニ於二テ予カ意一ヲ一ル所レ不ル
レ安ナモ也於レ茲尋尋下討レ旧記一ヲ譯ノ為二和字ト一童二
之ヲ八事峯空華尊者一而需二証誠一
以テ図二ル梓行一ヲ矣是レ無レルレ他一片ノ丹心唯
為ナリレ欲スルトトコト云ト云
明和五戊子夏六月
現住導故院兼光明山
法孫信阿宅亮敬識
問題
門人寂彈謹書
関半複雑点跋
在昔東漸大師肇ヲ開二ルヿヿ淨土易往ノ宗一ヲ已
來繼テ倡二シ斯ノ道一ヲ衆ニ所二ル知識一ル者ノ世不レ爲レ不レ爲レ不
富二トモ其ノ人ニ而シテ其ノ潜レント光ヲ也或ハ乏二ク利利物一ニ其ノ適
時ニ也或ハ嫌二ナリ德未二ク滿ク滿ク抑〱亦人師ノ所二以爲二以爲二。
人師可レ謂レテ不レト易ヲ矣吾カ廣擧上人ハ者葢シ
駕シテ願戰一ニ而興スカ乎道德彌レテ中ニ而化導彪
外ニ一期ノ行實始ンテ出二ヲ思議ノ之表一ニ宗ニ僧中ノ
猶龍ナル者ニ非ヤ邪宜ナリ哉當二テ其ノ世一ニ丕レク緇トトト止レク素ト
無レク貴ト無レク賤ト苟モ相遇フ者共ニ擊節崩角ニ推シ
如レトシテ眞佛一ノ也上人ノ門下ニ有二祐山ナル者一上人
示寂ノ後憂二ハ其ノ行狀ノ徒ニ湮滅一セリト所レ視ル所レ聽
操レテ觚ヲ記レシ之ヲ以テ自ラ備二フ龜鏡一ニ而ク未レク逞二ルヿ再治セ
刊布一ルトストモ其往一ニ冥往一ニ實ニ可レシ惜ム矣邇タル者同法
曹宅亮公紹二テ山公ノ志一ヲ乃以二テ其ノ稿一ヲ稿一ヲ譯爲二
和字一謁二ノ八事山空華大和上一ニ乞二テ之ヲ修
飾訂正一ヲ大和上爲スルニ許諾シ敢テ不レ辭二キ其ノ勞一ヲ
不レメ日ヲ卒レハ業ヲ併テ爲二テ之ヲ序一ヲ贊成ス焉亮公亦
屬スルニ余ニ以レス跋レテ之ニ余ヲ無似セル豈ニ敢ヒ乎雖レ然ルト余
於二ル上人一ニ亦猥リニ厠二ナリ法孫ノ之末一ニ則不レ得二固
辭一スルヲ遂ニニ綴二テ蕪詞一ヲ以應レス之ニ意ヲスル者。斯ノ編一ニ出テ。
則上人ノ德光重テ昭二スニ乎世一ニ在在增二シ歸仰ク
之心一ヲ頭頭修二ルニ往生ノ之業一ヲ法門ノ盛舉豈
可レキ不レ不レキ不可コトモ乎
維時明和五戊子七月
京師大雲院住持沙門潮音謹跋
糟
四十一
往生要集
同首書
往生要歌
恵心僧都作
全六冊
全
雲居和尚作
全二冊
一言芳談首書
湛澄上人作
全壱冊
一言芳談句解
元師上人作
全壱冊
隆堯上人作
十王読嘆修善抄
全二冊
念仏安心
財求上人作
全壹冊
生譽上人作
念佛無上法王義ハ
全十二冊
了智上人作
緇白往生伝
造往生伝云全三冊
但一名新選往生伝トモ云全三冊
梵網經要解
八事山諦忍和上作
新刻全ト一冊
勧修念仏記
一条禅閣作
全四冊
彈誓上人繪詞傳
信阿和上作
全二冊
同翼讃
八事山諦忍和上作
全冊
厭求上人行狀記
信阿和上作
全一冊
稱念上人行狀記
心院妙阿和尚作
全二冊
尾州名古屋本町
大坂心齊橋順慶町
藤屋吉兵衛
書林
澁川清右衞門
江戸
江戸通本町三丁目
西村源六
京堀ノ川通線上ル町
同市郎右衛門板