元祖圓光大師六百五十年御忌圖録

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不明
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2026-08-17T19:23:15.276Z
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場所: 皇都
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CC0
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日本語
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澤田吉左衛門
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ガンソエンコウダイシロッピャクゴジュウネンギョキズロク
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東北大学
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2025-11-13T05:41:44Z
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2026-08-28T18:53:25.651810+00:00
四 狩刀 元祖円光大師六百年 御記図録 以テ購入セル心 元祖園光大師六百五十年御忌図録 連文紀述 抑わが元祖大師の御忌といへるは昔永正の頃後柏原院 大師の遺徳を崇重せさせせ給ふ餘り其法則を定めたまひ 宜レ修二法然上人御忌一ヲとの詔ありてよりこのかた毎年正月十九日 より廿五日迄七昼夜の法儀いと厳重に行はるゝ事になん侍べる 御志と称じ来れる事かたじけなくも綸言に出たれば 万乗の至尊とその称呼を同くしかつ簡別の言葉を添ざれ ども御恩とだにとなふれは人みな大師の恩なりと心得侍るも 道徳のやんことなきか致す所ならんかし又 を栄賜有事は大師なを世にましませし時後白河院 恵光菩薩の錦を賜り後鳥羽院恵光仏といへる御願を 給ひ入滅の後は四條院華頂尊者と謚し賜ひ後嵯峨院は 寛元二年正月十日知恩院に幸ましまして通明国師の野を 給はり後花園院は浄華院第十世等熙和尚の奏請を 勅許ありて天下上人無極道心者と称すべきよし綸命を 下され後柏原院は青蓮院宮尊鎮法親王の奏に因て光 照大士の御額を賜ひぬ又後伏見院御信仰の余り後の亀鏡に 備へんさて比叡山功徳院の舜昌法印に詔して大師の行状絵 詞四十八巻を撰集せしめ伏見院後伏見院後二條院の 三帝宸稱を染させおにしまし青蓮院宮尊円法親王を始め当時 能書の人々を撰て結写せしめ給ひ画図は絵所士佐の某也よりて世に 勅修御伝とは称じあへりかく代々の帝王御崇信おはしまし て贈拝も度々なりしかどしからべき因縁にや示寂より四百 八十余年に至る迄いまだ贈大師号なかりしを東山院 の御代元禄八年征夷大将軍よりいとねんごろに 奏請なし給ふければ本寺の上表にも及はずして胡儀す でにさだまり同十年正月十八日伏原少納言を勅使 として円光大師の嘉号を贈り賜かき中御門院の御代宝永 八年五百年の御忌にあたりて又東漸の号を加辞し給ふ 勅使は平松少納言とぞ聞えししかのみならずさらに 詔ありて七昼夜の中の日をしめて勅会の法儀を行はせ 給ふ御門主尊統法親王御導師せさせ給へば参詣の道俗袖 をつらねて群をなし大師の光輝も弥増に覚え侍りて感涙 彼をしほりけるとぞ桃園院の御代宝暦十一年五百五十 年の御忌にも恵成の号を加護ありて勅使は高辻 少納言とぞうけ給る勅会も同じく行はれ御門主尊 峯法親王御導師つとめさせ給ひ規式宝永のためしにかはらずとなん先格 天皇の御代文化八年六百年の御志にも弘覚の辨を加益ありて勅使は西洞院女納言 とぞうけ給る勅会も同じく行れ御門主尊趣す親王御導師つとめさせ給ひ 法式宝暦にことならず今年万延二辛酉年六百五十年の御忌にあたりしかば 今上皇帝忝も慈教大師の声を加へさせ給ふ正月十八日勅使交野少納 言知恩院の真頼前に勅書を宣揚し給へりそのかみ大師智 ゑ第一の挙ちまたにみち多聞広学の聞へ世にしきて五たび 三蔵の霊典をひもときあまねく諸宗の薩奥に通しふかく仏祖 の悲鼓を探りこじめて浄土の真門を吾朝にひろめ一切の群類を かの楽団に誘ひ迷を転じて覚りを得せしめ給ふければ恐れながら 此御諡の其実に見当せし事あふ有がたき恩栄ならずや古き 御代の贈號は年席つもりて無下にしらざる人も侍れど元 録このかたの証は広く世に弥淪してあやしの賤の男賤の女まで ともにうちとなへて余光を仰がざるはなし同廿二日には旧章に したがひ勅会の法事いとおごそかに行ひ給ふ勅使参 堂の儀といひ勅修法会の式といひまたなき壮観にして 浄土宗門の盛事なれば今その都にありながら事の 縁に障られてその厳儀を拝見せざりしものゝ迷憾哉 とく一助とするのみ 知恩院細見之図 真源院 以徳陀 真蔦庵 ま 樹昌庵 □□□□□□□□ 源光院 ぎをんばやし つりがね堂 鎮守八まん □□□□□□□ 金 春 下ケ所 小かぢ水 経だう 一心院さか □□□ 茶ほしよ 此所 此原松あり もん 既成院 一 ス 大 本だう一 堀城少ん 此事 しんらん土介つか ○宗泰院 小方丈 衆会堂 四つ足門 たいめん所 大名もん 御くり所 黒門 あさざさ 瓜生石 兵庫表派 四十一 二しんざ□ くら 良正院 役にて 先求 光玄院 言様 忠藤院 入信院 光照院 知恩院細見之図 松宿前 花宿菴 北うら門 □□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□ 円光大師御廟之図 此坂のうへに 将軍塚あり 御廟 紫は水 一心院坂 正月十八日大僧正唐門より入堂御行列 雑同同同同同同同同同同同同同同同同同同同同同同同同同同同同同同同同同同同同同同同同同同同同同同同同同同同同同同同同同同同同同同同同同同同同同同同同同同同同同同同同同同同同同同同同同同同同同同同同同同同 行者 雑色素袍同同同同同同同同同同同同同同同同同 若堂 中童子持幄童 大古王子天堂中童子持帽童美堂寺敬寺原山役者布衣 上童説草箱持香合持 一大童子同中喜兵衛 山役者布衣 白張布衣侍共但右同断六俣同長老老女十人西党若平人青侍若父 大僧正照傘持同笠持 六役同同長老同西堂同青島同 一裏同沖蔵 三ヶ山行烈之式 一心院さり 黒谷 百万遍丈宝 浄花院 本堂 貴丈 唐門 □□□□ □□□□□□□ 大僧正行烈之図 仆 持物僧 ふ役 六やく 小童子 持幡童 中童子一 十八文 六やく あんじや 京いなか 国へ左 本堂 あんじや ざうしき 勅使鎮守坂行列之図 九株町同 源光院 くらまし法師 召便 □□□□□□□ 勅使本堂前行烈之図 同断 史生 百便 鞍馬力者 けいごの侍 その 浄花院 黒谷 百万遍 黒谷方丈 本堂 手水桶 □□□□ 章 號 勅 勅 使 贈 宣 易 揚 廿 大衆 行者 浄花院 百万遍 黒谷 役し 長老 図画 大郎 酉正月十八日 勅使交野少納言時萬朝臣 少内記山口少内記邦昌 史生宗岡式部大丞経成 召使青木兵部少丞行誠 少納言侍森内藏大属正篤 使部安田参河様源良能 勅使御宿坊より参堂御行列鎮守坂より手輿に召替られ 鞍馬法師十人浄衣を着し舁なり 素袍同同白丁同同如木布衣 雑色 雑色 素袍同同白丁同同如木 布直垂同 先行御宿坊 布直垂同布衣 素袍同同白丁同同同同同同同同同同同同同同同同同同同同 棘 布衣同沓持白油 布衣同籠白紙 白張沓持 史生褒 少内記布衣 白 白張笠持白張笠持 一布衣同箱白張箱 同箱持白張笠持白張箱持 召使 一白張沓持白張沓持 使部 白張笠持白張箱持 白張沓持 白張箱持 同 六斎念仏修行之図 干菜山光梅寺 正月廿三日巳刻 知恩院本堂前にて 俗にほしな寺といふ 鉦五十人 片側に廿五ツゝ □□□□□□□□ 本堂 金銀菊の紋 たいこ二つ 金銀桔板の紋 たいく二ツ向ゟ 合せうづ 平たいこ百十人 干休 五十五ツゝ 本堂の前太皷鉦建 右に列して打住持は百姓 籠の間曲泉に梵日笠を さしかける左右に僧あり 右はわき導師なり左は調 声僧なり同しく後用 右左俗二人従一人宛 臺鉦の儘あり 常の御忌廊下行烈式 本堂 廊下 大僧正 平信方 もが人衆 長老 □□□□□□□□ 西党方 悦知 最老方 □□□□□□□□ 大役衆 西堂方 長老 堂内初讃唱道寺之図 平僧方 長老方 糸幡 幡の胴は惣金にて地紋ほりぬき也長さ五尺但上の間 には天人の像一体あり下の二間にはおの〳〵ぼさつの 像一体づゝあり幡の足糸なり長さ八尺 平幡 潘の胴金襴なり長さ糸ばたにおなじ三間ともに 蓮花のうへに輪宝ありぐるりは雲の紋なり幡の手足 いづれも五色の織分なり 幡棹長さ三間半 わく大サ五尺四方 龍がしら惣金 龍がしらに玉をいたゞく是すなはち 龍神を表する也 惣幡尺壱丈三尺 糸幡之図 各十二統 同断 糸織色五品 浅黄黄赤白黒 平幡之図 各十二流 庭牆以上廿四流 寳暦十一年辛巳正月 文化八年辛未正月 萬延二年辛酉正月改正 惣本山御用御書物所 知恩院古門前 皇都書林澤田吉左衛門 十四日