東野州聞書
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東野妙聞書
本文記表{
東野浦芳
『荒井恭姫氏ノ寄附
以テ購入セル第四十一
一第一宇吉氏書蔵書
介里亭晋伊蔵
文安六年七月廿二日招月庵出行寺辺に暫
旅宿有しに尋まかりて例式歌の事毎た
ね申しに色々の事ありてこの歌を申されし
山家内
後京極摂政殿
明しもあれ古郷人は音も勢て深山の月に秋風そ
ふく誰にもこれを申と申されし
通光卿
懐垂
あさちふや袖に朽にし秋の霜わすれぬ夢を
とふあらしかな
三体之内に寂蓮
むさしのゝ露をは袖にるわひぬ草のしけみに
秋風そふく夏首心ぬぬよしを申はやすかり
ぬ悪き事なれと又さも侍ぬらん二申しは前々
歌はあさちふのやとをとひこし人も今はむかしに
なりて夢のやう成をわすれぬ夢をとふあらし
かなと読ると申されし其ほとはけにもとおもひし
はかりにて心のまゝきゝしにもあらぬ筆の跡や
次の歌の心は草のしけみに秋風かふくほとに
袖に露をわけわひぬとはかり申されし打
きくときは天尓於波の違たるや申にて侍共さもなくて
殊に面白よし申されし扨も此ときの人々はいつれか
殊にすくれ侍るへきと尋申せはさとりは皆同所に
侍へし哥の体は其身の思ひ〳〵も金言透色も
侍るらしことの病かなる奇妙の体は定家卿
大に勝れ給ひしよし致申しや後京極殿を定家卿
ほめ申されしは空はなを霞もやらす風さにてての歌
を書出て色々かめこゝしけるにも思ひあはすれは山
家月はことのみもなしとて誠に面白遣に見え給ひ
しそかし心なき身一にはあまりの事にこそ
侍しか此二三年さきに有所の会に初秋の春
に
白露も扇もおきてとるからに給ふ極めちにをくに
秋風此歌を思ひ出してもし月影にもやと
覚しかともこと替りたれは書て出するにまり候
言をしらす宗砌一人は思ひたりと尽しかあち
きなく道のかやうに浅く成侍とてうちあをのき
給ひしや茜の夜葉に雪の下と侍る雪は誠
の雪に作弐覧又前に月とてあれはさやうの
事なとに思ひより候へきと尋申せは真の雪
と申されし是にこ仰しもかくこそ有しか李楽
の歌のやうを申されしは理の上をうつくしく
あそはしけると見まいらせらや素明は服をかけ
給ひし処もたかく素果の志よりはましてこそ侍ら
めと申されしやいかゝ
国内人のわたるをかわの朝氷跡にさやけき水の音
かな此歌を物語申たれはよく御したて有ける物かな
とて暫く吹しられし新玉津島の社の法
楽とて新続古今に入
尭孝法印
草花我古郷のほかに入遠津飛鳥井のみやこ
よひしもこれを踏申たれは此所はゑはなれぬ
人なりあはれ此人の歌かなと打わらはれし紅帰
て一念の物語皆申上しなり過し弥生の十日比
根月庵ゑのしに常に見えて可然物は三代集の
外何か侍るへきと尋申たれは常光院の人に申
されしは草庵集の体と有し由伝承さりなから
歌はやともすれは末の世りひかるゝのみやさるを
頓あ時らに心をかけん事あまりに侍へし
此作者定家卿の比にも勝たらはさも侍るへし
さも侍らすは拾五愚草新古今なとや常に見習ふ
置に物にはよく侍るへきよし申されしや
一同年七月廿六日根内庵堀川辺に光段有終日物
語有け中に
伊駒山嵐も秋の色に吹手染の糸春よるそ
くるしき
いこゆくいさむる峯に入雲のうきてとひの消る
ひもなし
ゆるさの夕部は北に吹風の浪走そふる峯の卯花
此三首の心を仰られしは先手染の糸の哥そ
この伊約山紅葉多き所也もみちをあらしの
吹ちらしてあかきを秋の色に吹とよめり手染
の糸のよるとはむかし河内の女とて糸よりし
ものゝすし也是はよる糸のやうにあかくあらしの
紅葉を吹秋のよる悲しきと続る也かやうに
とりなされたる心の多く美是のみにはあらねと申
つゝし楽たしと申されし
諫るみねに入雲の歌袁は約といふにつきて諫
ると読る也下の心を思ふに恋の心をせいすれ
とも長いせられすしてうきたる思ひの消るひも
なしと云心也
きしの卯の蔵は渓卯花と云題也是は本文有そ
こたゐとて親に孝のもの有木を拾ひて親を
養ひけり其久に云ていたいか昔の風朝には南吹
夕には北に吹と云り此文の心也是も愚輩の中
の歌
おのれのみあまのさかてをうつたへにふりしく木
のは跡たにもなし此歌は恨恋と云る也
伊勢物鈎の歌の心詞をとれり其段も心も
うらみたる心也
秋かけていひしなからもあらなくに木の澤しく
えにうそ有けれとすてあまのさかてを打ての
ろふと詞にも有専これをとれると見えたりと申
されしかやの逢言ともを思にも有難人也
一郭思ひ所の侍そいかゝに覚え侍るこれかに侍らすは
今の世には此道の眼目にてこそ侍らめかやしの
処は読出し給ふ歌の聊の事也古歌の難
義なと申されんは鏡のことく成へしと覚えたり
たらちねのおよはす遠き跡とめて道をきわ
むか和哥の浦人吾身の事を読れたるよし
申されしかとも是計は人の上に心得たきよし
これに仰られし村に是肝心せられて覚え侍る
也縦作意我事なりとも他の事と申は理成
草の陰にても思ひあはせ給らん神慮にもまた
なとかかなはさらんさもあらはいよ〳〵此道はんしやう
せさらんや
一文安六年七月七日御所にての御短冊の御歌とて
氏世物語有識文次久
七夕の色ぬ契の秋をへて天津星冷の
束を重つゝ
七夕雲社雑
たなはたのくへきにもさゝかにのいとにかゝらぬ
雲の通路
七夕獣
織女の水かふ駒もなつむらしさゝはくまなき
あまの川せは
あるひとのこれも宗匠の歌とて語侍し
寒草
夜まくさにかり残しける跡やこれ見つののに
たかき霜の下草根月庵こらしは宗匠の
近文ほとの歌に此道もさき草のとよまれたる
をあるへ難して道のさき草と侍る事心心すとて
有けるいかなれはかやうに申らん親歌誅歌とて
惣別有これは此道もといゝきりてさき草のと
読留歌よりいまほとはあたすゝしとよまぬ哥
をはかやうに難するや定家卿も秀歌はおほくは
誠の歌有と仰られけるとかやいまの難酒ことに
心得すと申されし
一宝治元年八月五日或人野根月庵の歌とて語
侍り
氷宝
松か崎都のつとの世下かや朝露氷る道の夏草
式抄にみちのくの忍ふもちすり誰故にと言歌
を注しけるに誰故に見たれたる我そと云心也
と注たる也私云誰故にとはこと人故にも乱たる我
にてもなしといへり
一八月七日常光院来段
道をきわむる和歌の浦人の事を尋申たれは
此歌の心は俊成卿の心を読みたるよし申され候
我身の事にはあらすと云此次に為世の歌に
君にわれみつわくむ迄つかへきぬ一り二かの道を
きわめてとあるは道の奥儀をきわめたるとあるは
道の奥の儀を極たるにあらす心ふやうわる興し
と出師もこたしたるよしや宝治元年八月九日光院へ
まかる物語有しは今世の中の歌の心也様ふしき也
すなをにたゝしく道を守り神過をそむかてよめ
いへはつるも今日も読ふるしたる事にてひとへに
盗心也かゝれはまた口かるにあたらしく人の読
ふるさぬ所を心にかけて読とおしへ侍れはゑしけなる
事或は俗に近く又は古人のいましめ侍し事
をさなかちいひ出してあたらしき事読出し
たりと思ふ也物をやふりて道をたてぬときは
邪正とてあるへき物にもあらすたふとふ釼第
神仏も一心の外なく侍れともかやうにては又物と
いふものはあらはれぬなり村更此国は神国也
万の道もたゝしてしてこそ人の道もあるへけれ
音道は天地ひらけしよりの歌道なれは文貫を
かさりても真の志なくはいたつら事也と申されし
歌は初心の者の心成てか読やうと達かの上とは
かはる悪し懐同法師か申けるは童のかうくきと
音の五もしはなたらかなれとあるはさもこと覚る
よし申されし三代集の事尋侍りしかは後撰
一拾遺は一向儀を古今より付さる大事侍れとも此
た奥儀と申は左古今集にてこそ侍らめと有
し也此地に根月庵へ参たりしに武子内親王
御歌に
あふ事をけふ松か枝の手向草書代しほるゝ袖と
かはしる此作者の心を尋申せは逢事を
此暮と尋ゐてき代しほるゝ袖とかはしる草は
祈念心也あなかち神に祈るにはあらに心ゆし
に念願のほとなり
手向草の事尋申せは古今の大事に侍るさかり
苦の事にて侍るよし申さる常光院のこゝしには
相違いかゝ同日愚問賢注の事を尋侍しに
申されしは私の所ねには近頃可然申たる物と覚え候
一殊更風体を御尋之者に漁朝は敵をほろほし
世をとる故に風体もうへり我朝は天神地神の
御末代なれは大に体ひたなしときの撰者の
好所少々侍れともそれも替まての事はなし
かやうの所ことに肝心して覚え候さりなかち
二三所私の申は是まてはなくと存処もへとも
御れまての事にてはなくゝのかし申されき
宝徳元年九月十九日御番にて人の語侍るよしにて
安東遠州物語有八月の比かとよ三井寺の仏
待院にあしかやにてふきたる子のあるにて会
の有けるに山初秋といふ事を招自序
一吹風も山をゝしなみくる秋にしられぬ軒の
草かくれツゝ
一同九月十六日の東畠山阿州光段有色〳〵の
物語の内に申されしは年月眺望と申題は
遠近ともに有へきかとね候所に春日三品の云ひ
しは遠支心也遠望と云題も眺望と同心と
申さる此事いかゝ心得るにやと尋申さる古歌にて
見え侍るへしとて六百番歌合かり広沢池眺
皇とあり是にくたしく候へしとて則取出て
見るに遠き心す前中納言の跡に住きける跡は
光に残れとも月社ふりね広沢の池と有是は
眺望の心なしと難す拾遺愚草の内貞永
の百首に眺望五首とあり何そとを支心す
遠近ともに読ならは近き心五首の内なとかゆ
しらてあるべき同百首を家隆のよまおし
五首には一首には五首には五首には五首には五首には
みつ空雲のはたてをとふ鳥のあすかのさとを
おきやわかれんとす詞には遠き心詞あれとも
柳の事なるへし多は遠き心す難する所さもて
すへしと物語す澄歌を引見る事は当座これらの事也
眺望といふ題にてもと阿州の歌に近き心をよ
まか是によりて春日三品も難せるとかや常光院
の申けるは遠近ともに有へし只興に望心なりと
申由阿州物語有又申されしは俊成定家の間は
何れをとるへきにか我は多く俊成とるへきよし
申されこれにも御同心す定家の村に勝たるは父に
ひさしく立ならふによりてやと申合候也能重の事
常光院の申ける遠近ふもにあるへした興望の
心なりと申由阿州物語有
一同年九月十六日入夜阿州同道ありて招月庵御出
有常縁も御供にありて
思ひかね妹かり斯は冬のよの河風さむみ千鳥
時也
夕されは陰風こしてみちのくの野田の玉川千鳥鳴なり
浜千鳥妻とふ月の影寒み芦の枯はの雪の下風
此三首を根月へ阿州何もとは存候へともしゐては何れ
をかめさる悪きと尋申さる根月の返事に我は
立家宗にてはつへき上はいつれもおなしほとの
事にては侍とも浜千鳥につき侍るへしと申さる
阿州絶て残二首はまたいつれをかと申さる如事に
塩風こしてみちのくのなと侍あたり中〳〵思はし
からす残二首の内にては妹に斯はにてあるへき
よし先の夜此沙汰有し時は阿州も是にもい
もかりをとこそ物語有けると家し
家隆の集に眺望五首の内
天津空雲のはたてに飛鳥のあすかの里を出るや
おれん此作意を阿州とひ申さる是はあすかの里を
おきてゆかは君かあたりは見えすにもあらんとある歌
を思ひ読か歌也此心はあすりの古郷に夕暮の空
を詠てあるに雲のはたての風情も見えなとするに
とりもとひ興村に面白所をあすは何くゑかおき
会の歌とて語られし
おれんとよめる哥也と申されし廿一日息徳院の
黄葉
秋はへぬ金花咲陸奥の木のはの色をひとつに
秋霜
秋はへぬ我り若髪の初霜にとひし筋はなきなれとも
玄莚
しるゝめや言のはのへて思ふとち逢夜も法の筵也けり
胡歌の第五句能も覚えす此外あまた語られうか
とも覚えす
今川了俊の歌とて根月物語有
世にすまは亥かくもかな難面て残るをゝしむ有な月
いまは我よの事を祈らねは心やすくや神もみるらん
千早振神も交家塵なれは身のかるかれて何にかせせ
かくはかり風の心のまゝならは残る花のなとなかるらん
何くにかいなさ細にの世鴨のすみかもなくてうかれらん
招月の歌に逢ち咲と読し事彼家持の歌を思ひ
てなり
一九月の比於殿句等心両人と云題をあそはさる人
十五人也
一飛鳥井殿父子其外いつもの御前衆也御詠わり
なしや忍ふの徳に立悟こなたになひく心は遅〳〵
とき恨やあらん逢事に一夜のうちを分て期とも
おくのは飛鳥井入道社雅の歌也此両首に堯孝
合惣申也出殿しかを上懸のよしこ給出則二篇
拝見申て合黙申され候也
雅親卿
思ひわひかたみにとへは河方もみのおこたりの菊かれ
とそなる常光院こゝ申は是に合黙すへかりしかとも
詞本集の歌を心に持て読れたり此集明らの作者
を本歌にとるへからす後拾れ作者堀川院百首の
作者迄とありこれさへ人の口をあるを本歌にはとるへし
とあれは是はあまりにさかりたれは歌からは子細
なく見て侍れとも合懸ふたしの由錦られし
一十月十五日千何会に尭孝
古寺嵐を今はらやとふうきみの西を山峯の
あらしはさもあらはあれ
一同十六日常光院来段有て申されしは歌双紙の外題
を端に倒式のやうにおすなり物語をは中に
おすよし申されし今度京極黄門共自筆を連歌
古奉行也我社に消て一字も不違私に書写也此
本の外題を所望仕其序にめけ申されし
なへてなめてともに用也とこし
一同廿二日阿州へ参候処御物語有
白州のゆふ付鳥を埋れて明る梢の雪に鳴也
是は頓阿歌也風雅集御自撰の明雷や鳴見
として此集に入候留悪きよし仰下さるゝ御存事に
左様に候はゝ此歌をはか義御めよしかたく申上る
扨別の音入て是はいらす道はめのと物語有実も霜に
鳴らんは十月廿八日招月侯へまかる時物語有し歌也
飛与井入道殿之也
五月雨に見かさこえぬと三時卿の浪にかくるみあし
の村立これを直すにつ外隠し申たるに常光院
聞て飛鳥井殿哥読損したるとはかやしの事を
申にやとこまとて物語あり連々常光院此人の歌
あへしたるよし沙汰有し也
香酒元朝臣百千首読れし時よみしとてかたら
れし南北摂衆かたふきて月すむかたの粉にも
跡にもちかく打衆哉此歌の心を尋申侍し也
思ひ入ふかき心の便まて見しはうれとまなき
山路かなくわしく申されしかともふに注
稀恋といふ事を題あ明わたり雲間のほし
のさのみなとまれに成行契成らん
千五百番有家卿歌朝日影にほえる山の
桜花つれなく消ぬ雪かとそ思ふ頓あ申けるは
いかなる病中にも此歌を吟すれは心のはれ〳〵と
なると申けるとて人の謂得し
あるへの語侍しは制の詞とてあるはこれはかう
ちかたの者忠哥といふ人頓あか義をうけて書た
る物也さるをけ近き程将軍家へ定家の作
とて飛鳥井入道有之書進けると申例の事也
是は頓あか子孫ならては存ましき事也制の詞
とて書たる計を守るへきにあらす愚問賢注にも
かやうの類と書たる上は今なり共人読出したらは
制の詞にて可有也是は阿州御物語也
宝徳元年壬十月四日常光院へまかる其時こ銘
侍しは詩の文也
周詩関雕序略曰情発於響キ成文謂之
音治世之音安以楽其改和乱世之音怨心
一同年十一年之図之音書以恩其民因改正
得失動天地威恩神莫近於詩先王以
是経夫婦成孝教原人倫美教他移
風易俗此文哥道之眼目也と申されし也
後小松院寺はと申九世并を召三四度聞召て
乱世の声有とて其後終に御前へめされす案の
ことくはしめの赤松乱有けりと畠山阿州物語有
此事あまねく沙汰有し也まして歌道は大事の上の
大事也とひたふるに思ひえたるいかゝ招月の歌とて
不及し也
主しらぬ入江の夕人なくてみのと棹とそ船に残
せる更に浦山敷もなき哥也ぬしはまんの気
色すけるとそこれらや乱世の聲に侍へき是は私
の興也誤にやいかゝ飛鳥井殿の歌とて常光院
語侍し候
花そなきあたり外山の詠哉真木のはかすむ春の
曙これも詠と侍るいかゝ古哥に
村雲のうつれはかはる詠哉夕立しいる山のはの月
後十月七日十首領所望仕則引分一重年にうへ
をたてふみてをこする也竪文紙杉原一枚也
十一日合懸の礼にまかる其時申されしは定家卿
直歌の本意は新勅撰にえらひ入られたり
わか歌にて知悪きよし頓阿庭訓とかや申誠に
道の一つのさとりなりと存也是に過て能言葉
の本意をしるへき事なし
悪鎮和尚へ定家卿こ遣たる状に御詠亡父歌人に
御入候定家は以外音作にて西行称所天下第へ候
是尚以歌作にゝとてこけたるよし阿州物語也
尤可能々其後常光院にて再此事聞帰る也
初春の題に立春は詠す立春に初春はふ
可詠と常光院申されし
遠州物語に飛鳥井入道走の歌町雨晴御所
御言の兼日也月を見を日影をかくし一かた
に思ひさためす降時雨哉
雅永
風に行雲なるの日影見すもあらすみもせぬ空に
ふる時雨哉同御言に当座露論孝親
風渡る岑の霞のしからみをかけても花の浪は
こえつゝ夜恋逢とみるよは
を現の床とはに頼めは夢と明る空哉
百首の御短欄の御製竹鶯
なれも見をおしとや思ひ呉竹の林に残る鶯の声
古寺鏡将為
種しあれはかはらに生る松陰にむもれてひゝく
山寺のかね
山館といふは六家に同し心也乍去しゐて差別
といはゝさも侍へしと常光院招月同しやうに
申されしや
大岐所に御座持氏の息無異に関東へ御下向
のとき根月詠をの歌
こゝのとせ君九重の内をたに見すともなれし
月なわすれそ京に御座候間九年也
あやうきをあまかけてやは守けん雲井の鶴の岡のへの
神
古への契かはらすさかへなん都をあふけ君か行末
後小松院仰られけるは此歌を御一期の内のには
一首なりと母人にあそはされて手本にこ下ける
登人の語侍しほと書付る也
さめて後泪の川に渡しけるほふと見えつる夢の
うきはし
一宝徳元年十一月廿八日公方家御会所作立られて
始而御会有其時の御詠竹遐年友千世まても
友となるへきたくひほと三葉よつはのやとの呉
弁
尭孝法印
言のはの花もさき草千代の影なひきそふへし
やとのくれ行当座越菊
仙人もかよはん道のおもむ支をうつしほめたる
庭のきゝかな寄木恋
動なき岩ほにねさす蛍たにも風吹ことになひきやはさめ
せぬ
鐘師梅寮大納言三條
講師少将孝国
御会の御人数式正也武家は一色畠山等也
一宝徳二年三月於御前朝身花飛鳥井入道
咲そふは所からかも朝な〳〵君かみはやす宿橘木
同時御会秋時雨御詠
山鳥のをくらの山の秋風に夕白へたてゝ雲そ時ゆゝ
寿花説
今よりは猶末とをく契おかん四本の桜千代に餘りて
其時分か鞠のまゝりうつられけるとなん
同比細川右馬殿入道の会に尭孝
言の葉をつら〳〵椿つらねきぬ千歳の春を契る
ある人の御方より代々の勅撰続捨きまての撰
者の影陰に云て同面々の歌有是を見侍る
とて氏界しは万葉よりけきの撰者の歌思ひ
〳〵にえりて我身のにせんはこれとて氏名は
いかにせんさらて浮世はなくさます頼し月も涙おちて
此哥もなかりしを額に心の行所可申よし申候
程に東をへて馴たる人も別にし比はことしのこる
にも有哉是を申候や氏泰子心を見え侍るいかゝ
〇一宝徳二年五月の比姥川三郎方より親軒なつ
第三年の志とて一品経勤侍し時読て御
かはさる神刀品如風於空中一切無障礙と
いふ事を誰も皆心をならへ吹風のそらにさはらぬ
包みゆるたして懐旧
なけてしぬる夜の床も安かして三年過行夢
をはかなみ
一同年卯月朔日根月菴へことし初てまかり雨
りしに色々物語侍し内二条冷泉の沙汰すて
二条家の歌の趣は白雲の言はかさねて立田山
小釜か斧に本匂ふらし冷泉は更に一体にあらす
とりても本とするゝちくさの花に乱あひて風より
上の宮城のゝ露されは為兼卿玉葉の内にも
あまたの体を撰入てうしのあゆみたつちりの
かせさへあつき夏の小車も入れりと語られ
しいかゝ後見其用捨あるべし二条家は一体
に定ると根内庵心中におもはる一本成とも
正体に侍らはいかく家隆卿子息隆祐吉備津宮に
詣て百首歌奉しに御子に神院して御返歌有
至たれのみすのあみをの糸まても猶きて道の末は新
けるとなん此道は申ても心にまかすへきにしもあらす
一宝徳二年六月十六日根月庵へ罷る時物語登も有
し主の歌に夏山をふしのねの煙やともし
よるとなきかのこまたらの雪の白山
寄火恋思ひ川うきみなそこの石の火の打出
てもゆる見えん世もなし此歌当座に沙汰有
村に夏山の歌面白よし人々申けるとかや主は
さは人々申侍しかとも恋を読いたされたるよし
申され侍り事夜雨と云題にて
東の雨の心の庭にとをるかな昔の人や袖ぬらすらん
此哥の心しらさるよし申侍しかは愚僧か如
十余年か間には読出たる心なし候只慈談の歌も
神もや袖をぬらすらんと侍る歌又あふけは空
になと侍る哥ともにて其心おしはから給へし
と有て作意とかくふと申暫すて人は生々世々の
心を其侭持て生れたる物にこそ侍らんとこまし
後京極立御歌に萩のはに吹は嵐の秋なるを
待ける庭の棹鹿の聲此心さしたる事なし
只萩の風は音はせしきを都て鹿はなきけり
被遊候にやときしかゝる不審申出して一道な
き事は侍らす今の世には又其徳勝てもなとか
侍らさらんと入道殿の種物無心えとて根月庵
来段有旧友なれはしゐて見参有一色殿の七
夕の会に出へき歌とて七夕馬に
八十瀬二く舟路あさくは彦星にかさはや天の河原も約
一七夕桜おちそめん七つめの黒髪にさすや
別のへしも海も為重郷の歌とて語られし
七夕馬七夕にかゝ門と見えて木幡山馬はよそなる
けふの旅人
昨日の礼とて御文子根月庵へ罷る
雨影のひかふるかたに帰りみる都の山は月ほそくして
此歌は源氏の内に浮舟のかたへ白兵部卿行て暁
帰るとて御馬に召ほとひなかへさるゝ心ちしてと
侍る心也餘情村に勝たるよしうたし順徳院
のこゆし定家卿の影有いて根月庵陰所に
写させて客殿にかけらる其賛
敷嶋の道を極てよそなきあふかさらめや定布の風
宝徳二年八月九日兼日家出題常光院
山内明月前鹿寄内応
是はいつとも聞不及題者同人
八月
夕鹿江月橋雨廿一日
夕鹿
遠山夕鹿名所夏祓寄埋木立廿三日
十一月
霜夜月汐雪源寄舟恋廿八日
三月
夕雲雀躑躅台寄自応
夕雲雀
二月
尋本恵恋廿一日
一雨晴既寒草縄揃湖水眺望廿一日
七月
早冷知秋薄末出穂寄埋木置廿一日
擣衣出
小鷹狩帰河ゑ
旅雁鳴雲
前雁雲秋月添光松老松老洞底
あるへの語しは俊成卿の墓南禅寺の即明院
の奥のくに有と申せしなり此永明院の地
の主にておはしますかる毎月廿九日はまもとふ
らひ申とかや朝夕大悲呪一へ有迫向五条
三位俊成入道尺あと唱候由頓而彼院の僧申込
宝徳二年八月の比か春秋和尚と招月と読る
給歌金剛の正体なれは君と我略
へ頂上はふますともあれ
返し招月金剛の両足なれは君と
我町庭以上はふみもかまはす
南禅寺入院し給いける時分歟
一寒徳二年九月十三日公方家にて御兼日題三首
十三夜晴南北摂衣中畠地に思移応守る
よし尭孝物語有飛鳥井新中納言入道殿次第
一宰相当て此両人は恋に源氏物語の歌取に用
けるか心不叶と常光院慥に被申し中納言は空治
に浮舟のかるへかほるのまねをして兵部卿共行
ける所をとりてよまる宰相は六条御息所にて中将
君をくりに出けるを朝顔の歌読てかけられける
所を取て取読けるとかや何も殊の外相違のよし
沙汰有家と申天下歌人といひ此両人如斯題を
見透ては人々いかゝ侍るへき誠に道の零落と覚え
たり
一和歌所園閣之所え常光院木蛇寺殿
素果歌也斯後拾遺人比無
へもなき言のはなから七十にかゝる七世の跡とたにみよ
今よりは末もさはし七代迄あし分きつるわかの鋪に
七十にかゝる七代の松の言のは勅撰に名をかけて
世々をふること七代也素暹已来也
今度新続古今時一巻遣すとての歌也
夢窓国師之百年忌宝徳二年九月晦日也一天下
大儀也東林寺へ木地寺殿
法の声あるをもしらて徒に暮しやすらん亭の松風
十月時分根月庵へ罷けるに物語すしはれ海といふ
法師あらしを吹み月をはむと読たりけると近比
の事かな月をはむとはと申されしかやうの事そ道の
零落はくれ〳〵申されしよこのに堤霧降て落かた
人に寒き雁かね是も同作者なり同し体也をめて
落かたひとやとせよかしと申されし也
一宝徳二年十一月三日久くまからす侍しほとに常光院へ
おとつれ侍れはつれ〳〵としてとふ人もなかりけり今
一度於何洞御預合一条殿田田蔵鳥井中納言入道判也
〽関魚はかり判せられけるとかや此哥今両条御読し
けるを為御使返し畢就関白殿御判に不審三ヶ条は
一一には源氏物語を引よめ類越我身の意の心すく
なしと判せられたる二には千鳥の歌番に酒を残
して立衝哉と読るを千鳥の政をつれて立へき
物のやにきこゆ三にはしそく一するとの歌也
かやうに有へきと判せられたる所是三か也何れも
是より被仰趣と法印も同心と申さる乍去歌
しの相る吹毛の疵を求るならひなれは御判さ
ほとはあらし今の世にはかやうに広く物をしらん事
あるへからす真に天下の御宝と被申されとも和歌
の道の口伝のなき事を法印なけき申也白河院
御町の御預合に君か代は津きしとそ思ふ神風や
みもすう川の寸まん限はと読るにて君の御よ
はひ定しより又はるかにのひさせ給たるとし
神達の申あはせ給ふにも丸君の御夢に御覧し
ける也かくはかり歌の道は大事の事にて侍る也
此歌をとりて心詞御預合に法印注進申てける
を判者もほめてかたかせられけるを作者も祝者
のよし申也誠に理と覚ゆ法印物語有し事共也
身をはやなからとはみのむかしなからとや伊勢
女さめと成て山王に住ける時内裏より題越越給
て詠進の時の歌
山河の音にのみ聞百友を身をはやなからみるよしもかな
一見方ほとは常の義かはくぬ躰也操と書り
一宗尊親王いかゝあらぬといふ五もしをこ遊ける
を為家卿あまりに珍敷候て不可然之由申て只歌
の五文字はなたらかにわたきよし申されけるとなん
一宝徳二年十一月七日常光院へ使として罷る序に申候は
今ほと源氏物語習侍るとてよめるをきくにみな
かた事のみ侍て作者の読つらんにはたかひ侍らんと覚へ
ぬるよし物語有万家の説と申は只大概のすちめ
はかりにて大損みむきに見え侍る真是か道の侍る
へきと有此物語も奥入とて少々の注有河内流と
申は俊成卿弟子也此流に代々注とも有近くは
四辻宮と申は此流御相伝有しか則注を御ほ作有
如此の注ともにて大概光俊已来四部有今はかゑり
て文字の清濁おほつかなく侍るやと申さなし
いかなる事にかすこしも幾々侍らぬ物なれは思ひ
よる所なし此久さに根月庵へ罷たりしに
細川大京大夫勝元い文和哥道之師に可頼申之由
有摺目より季一性斟酌之返事す如斯侍る事
此秋の初よりの事やと三井寺へ此底まゐられ
ける内ころける歌当座に人のほめけるとて語ら
れし
濱千鳥
宮木積大津の浜のつなて舟心ひかるゝ小童千鳥哉
里摂衣
雁のこぬ所は聊の秋風に里をなれすや衣うつらん
遠望朝雪
降へたる高ねの雲の諸晴て朝日になしぬ松白雪
此歌ともはさうの物也と申されし
一人麿影之事
兼房朝臣申云諸道祖師をあふく事みな有之
然とも歌道に其事不見人丸此道の祖師也此
彰写とめさる事遺恨なりとて彼尊体を掛
奉られけるにある夜夢中に奉見し尊体写と
めて酒師せられける今の世に有歌是也桜花散
ける体也其後宝蔵にこめられけるを顕季申出し
兼房のかゝせし画工にかゝせて影供と云事其後
有之斯れけり後には垂俊此影供とりおこな
はれけるほとに影供領とて所をよせこれると也
一信実は為家可同時の人也と云々
一講師の事先文台のそはによる時腰の扇を
ぬきて置其のち文台のそはによる人文台と
身の近さ五寸計也文字を慥に見んため近く
よる事也懐紙をは端作より名を読扨題をよむ
春日同詠の字を濁て読釼し名を読事貴人
をは只読体をする也公卿を実名をよますあるひは
宿所の名むけ名をよむ按察大納言おなしく
大臣なとやうの人は時々一人ならてはなしさもあらぬ
中納もなとやうはあれたあれは三条とも飛鳥井とも
前内大臣なとはけんのうちのおほひまうちきみと読
四字題も三字題もよみきる事なし読はてゝ退
出の事読師五もしの頭を出さは可退出
一懐紙は十首迄は二行七字十五首にもなれは二行也
日はしつくりの事季の日をかけは姓名乗をかく
只又詠三首和歌と計かけは官と名乗を書て
性をかくす無官は名乗計也
一何にきわなきなといふ事好み不可読此詞多く
玉葉風雅に見ゆるよし被申し
一あまた寄合て歌読題ることとる時の端作は続
一誦十首とも百首とも可云之一人は例式也
一宝徳三年三月三日常光院にて物語有し医房に
の歌本旨にめさるへき条いかゝのよし公方家より
法印へ御尋有つ返事に本歌にめさるへき事
不苦後拾遺作者たる上其身達奉り候非人は
三代に仕候而後一条の末つかたより白川の御時は一入
さかんにつかゑしよしこゝ申上之
一詠歌大概に月やあかぬ桜ちるなとの哥二句つ書
つらねて侍る奥に如此類雖一句不可取詠と有
飛鳥井家本之就是子細有
ある本に二句たりといへともと有雖石と侍る本か
用之由法印こり
一なにそはありてと侍る歌吟するとて法印そのち
をすましてよまれし春かすみなにはつ
みなすみてよまれし
一源氏物語注事光行水原残ヲ作
親行光行子諸本を集て用捨して河内一流の
本を定
儀行新行子法具素弁紫明妙を作此深行阿源中
秘妙を作き河内一流めて
一拾遺集公同卿抄トスされとも御自撰のことく集を
可用後捨れは母抄を可用候
後徳大寺殿俊成卿卿卿
一実定公西国海路を遥に上路の時折真風はけ
しくて船中難義成しに何くともなく老翁来
てろかひをたてなをして無事につきぬ其後老人
ふみいふかしくてやみぬ其比此郷住吉に参詣有けるに
明神小児に託しての給ふ於此社頭先坐歌合有し
にふりにける松物いはゝとひてまし黄もかくや住の
江の月と被読し事余にめてたく覚えて今度船中の
難をも御すくひ有しよし申けり此哥合は西国下向
より先にすし也俊成卿判して此歌勝侍しある
書に此事有神明に通以哥此道可服目と云て
此歌千載集に入社歌一此歌集に入社頭
一宝徳三年十月四日常光院来段有天下光無為
を悦申ける次に申侍し事共京極中納言の詞に
歌之道あらぬ様に成もて行つるを西行といふ人すて
読ならし侍ると云々顕公の言代々勅撰之事新古今は
撰者あまたは事も定かたし千載より以来の撰せるの
歌とも其家嫡々のを祓書て哥の趣撰者の本意
を知へしと也
一西行上人三十六番之自預会を伊勢両宮にて法楽
とす是を俊成定家両卿判詞を乞けるに宮川
をは立家卿判し給ふいまた侍従の時也判詞出
来て西行上人是を見て後ある方への状に侍従こそ
歌判して候へこれもよからんけに候と云りよくこそ行末
をは老けれと俊成卿の事につきて申されし
俊成卿の判にことなくてよろしと三ヶ所迄此歌合
の詞に有六百番千五百番の判詞多きにたり
重説なきを僅に三十六番の内に同し様にこと
なくてよろしと三所まてに書給ふはよく〳〵〳〵事なくて
宜し成事彼本意なれはこそとおしはかゝれて有
かたきよし法印くれ〳〵申されしまた京極黄門
詞に顕輔清輔基俊太父卿なとは近くは三代集の
往にも及てこそ侍らんと云〻
一はし鷹のたかへるとは人なれて手の上に帰りすはる
義也と帰るは事をふる事とや帰る也
一十月十六日常光院へてにをはおるに死し時俊成卿女と
侍るは定家卿の妹か姉かと尋侍しに定家卿の
為には姥俊成郷の孫にて候へとも歌道黒用抜群
たる上むすめと契約有し也と申されし
一正月十一日根月庵公方江始て出仕あり梶井殿に
御定ある若君の仰にて歌を書て被進之料紙
小鷹控曳
大原や小塩の山の姫に松はやこたかゝれ千代の影みん
此哥を書て被進之其後愚歌を書可被を仰にて
則詠を有
未遠き君かみかけはあふきみつ我せの東を猶やのはん
氏世御物語有之は当座の時宜殊に能侍しやとそ
根月七十二東町迄
一ある時法印の云哥の第三の句の終りのもしと
第四の句の終りのもしと同けれはあしきかし
度々被申候
一宝徳三年冬の比根月之出題に和詞応と出せり
法印被申は古不及見若自作死古へ新題を出す
其仁かす由八雲御様なとにも見えたりいかゝ近年
此類多く可了簡事也
一そくや是はなそ何そなと申詞同事なり根月二日は
すかやと云様之詞と云々
一定家卿誕生応保二年任奉会帝は八代也此内
六条院高倉院殿御代は出年成へし三代集
相伝は貞永元年也治承年中新勅撰を被
撰時七十一歳也二条家相伝の古今被書候年は
建久
貞応二年六十二歳也卅二歳の時に
貞応二年六十二歳也廿二歳の時建久六百番預
合に会か四十歳にて千五百番預合に会る廿六
一東にて千載集にこ入此集始み此集は卅四ヶ月め
文治三年九月奏諸々
一一俊成卿永久二押生る奉会帝九代之四十九歳之時定家
安元二年
生る墨俊より古今相伝は廿五歳也但不分明六十三歳
文治三年
建久四年
一出家七十四歳にて千載集奏鏡八十歳にして
六百番預合判八十八歳にして千五百番哥合に会
建仁元年九十賀を給りたまふ也九十一歳にして卒
一定家卿は父卿に四十三歳まてつきそひ給しこれ
らの事或は書柄の奥書等を見合て注畢定誤
多かるへし
一人丸之影は益房夢に見奉りて画工にそのことく
写させて白川院に奉られしや顕季此歌を申出し
子給て影供を御行ける也影供の時の一性の題音
水風来晩これ越各詠す為備影供を俊頼朝臣
をよひ申されし也彼朝臣よりも上衆等有ける
にかく有しは能々道にたえたる人にや有けん影供
永久年中に始てこ行讃岐国里海土といふ所を
為影供領被下顕季畢此影供領技家中絶
見し事有し也至正応年中安堵隆博朝臣顕季
の末孫也則隆転席にて影供に改行日野資宣を
う呼初秋風といふ題にて資宣
里の海士のもしほのけふり立帰りむかしになひく秋の西風
と安堵の所を詠せらる顕季影供こふ行とき白野
敦光人丸の讃をかゝれけるこの資宣そのすゑなる
故也伏見院御代事也
一三五記の事定家卿の作にあらす頼の本末とて
二帖玄旨一帖うゆかし一帖三五記一帖以上五帖也
就之口伝多彼ノ口の詞おほく此内に有能見
定て可用之也此妙之内七歳の時父にたすけ
られて於中殿参内の時はしめて哥仕るに
こよひそ秋のといふ歌仕しを不斜叡哉あり
けると有是第一役御作にあらさる證拠也其故は
其内のみかと六条院にてまします彼卿七東のと
きはみかと五歳にてまします親し哥源意不可
有御役知也子細猶口伝
一蝉丸之事近喜の御ににあらす古今集の時分
まては名なくして仙人一人ありとはかり人思ひし也
卒て後せみ丸と名をつけたり昼後撰名有か秘之
一延喜御門延喜五年八十八歳にましますさるによりて
不入御製云々不審
一六月二日醍醐天皇の御事委考注て法印の所へ
持参す於彼所則又々考尤私住所相叶に由為
褒美光孝天皇御宇仁和元年巳正月十八日醍醐
御誕生寛平九年巳御即位御算十三歳なり七月
十三日也延長八年夜四十六歳にして崩
一空や上人世以皆延喜の御子の由申金非御子
延喜三年癸誕生天禄三年壬申七十歳ゟ平
仁明し雲林院御子常康親王し空也如叶可秘
一六月三日以状法印に尋申
玉たれと申は足引の山玉鉾のみちなとの類
にゝぬいかゝやうに足つ玉鉾とて山にも道にも
つゝけ申には聊か相替玉たれのこかめを中に
おきてと催て末にも謡ひてゝ也簾にかき
るへからす候やと云々
一後撰作者大津ふねは棟梁り女也
一続後撰廿巻に奇子院位にまし〳〵けるとき
いまた御子にて正月初にわりこてよし后宮の
御かたに奉らせ給ふとて書つけさせ給ける十一
二之御比之御歌也御召位延喜御製花なし
歳也
二葉よりけふをまつとはひかる共久しきかとをくらへてもに
御門おさなくおはしまして古今に御歌入ぬと
申説不謂侍也と法印へ尋申候へは此集の御侍口
申され侍し也
一宝徳四年七月廿二日於常光院尋し事
君はもとはきみはと尋る心也
ねぬなはぬなは同草也油に有草也ねぬなは
根をよせたる也公方御念に次泉政為あやめの
ねと上句に読て下ノ句にねぬなはとよまれは
たりめの事をたにしらぬにやと申されし
一享徳元年八月十六日常光院に尋侍し条々
拾遺之事書にひけこに花をこき入て桜をと
くらにしてと侍り鳥のやとねくらの事也見て
九郎幣の事ほうへひなとの事也
一一楊名介とは諸国介也源の人のなるなり口偽す
常陸上総上野三ヶ国大守は親王之外不任之
然間三ヶ国介為揚名介
一享徳元年九月下句常光院におひて口伝
捨き
続後
大伴方見左近大将明祝部成仲
〇一俊成卿女と有は彼卿ノ孫也俊威ノ女なり則
俊成卿聟也
一住吉社之事
一伊勢二諏訪三住吉四玉津嶋
一新古今に入道左大臣とすは三条実房公也
一顕季六条な顕輔九条家
一経文之時端作
季日聴請法華経目録不軽品和歌名乗可有
一御子左家は為定為遠為衡也
為家卿は中院とま為氏をは冷泉と申為世をは
二条と申なり
一一幡紙之事皆輩の会之歌には季の日姓をも
書す端作は詠の字計名は官途と名乗計
なるへし会主賞翫のときは季の日妊官逢
を書へし
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