弘法大師誓筆法

creator
歌川國貞畫
created_at
2026-08-17T19:23:18.081Z
updated_at
2026-08-17T19:23:18.081Z
field_notes
場所: 江戸
field_rights
CC0
field_creator
歌川國貞畫
field_language
日本語
field_has_image
true
field_publisher
鶴屋金助
field_identifier
10010000014469
field_ocr_status
completed
field_title_yomi
コウボウダイシチカイノヒッポウ
field_attribution
東北大学
field_oai_datestamp
2025-12-02T15:05:28Z
field_oai_identifier
10010000014469
field_ocr_updated_at
2026-08-28T18:53:25.651810+00:00
辰陽春新板 弘法 大師 狩生涯 第 折言 筆 濤 上編 同十二 曲亭馬琴作 歌川国貞画 森治版 文政三庚辰 陽春新刻 上編 弘法大師誓筆鴻 曲亭馬琴作 歌川国貞画 馬喰町二 森屋治兵衛板 如是我聞世尊龍華の参会に。諸天積物の蒸籠は。須弥 山もなほ低しとせし。涅槃の室の貸座敷。こゝに伝へて弥高き 高野大師の書会には。衆生墨染の筆意を仰ぐ。仏法不可 思議。自他平等念ずるものには利益あり。信するものには奇 ( 特あり。七難去て七福来たる。大師河原の厄除本尊。縁起 を少許聞かぢり。輪廻応報有がたい。説話を画にかく善 巧方便浮屠家の慈悲は実から。出たる虚の川嵜土産。独鈷 に似たる米饅頭の。鼠も草木も。めを出す。現葺陽のはるの日 のなが物がたりに自序すといふ 馬琴戯述 文政三庚辰年春正月新版 三人 ○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○ 柳條将白髪 相対共垂絲 臼の目切 大師老爺 一百五十五文 三回 ○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○ 信天翁 まともじ 大和文字 譬へば 風の 柳かな 桜井小野之進 処女お通 □□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□ □□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□ 十一日 しら露や 無分別 なる 置ところ 宗因 小磯 刈根 新二郎 弘法大師 旧跡廻国 三界坊夢庵 十月廿一日 闇坂治部五郎 苧環の 竹部 ゆくへや 杉にいか のぼり 閑齊 塚見九郎 一人怪我人 上野村一番組合 公去 鎌くらの武将足利氏みつあそん くわん東のくわんれいたりしころか とよむさしのくにしぶやの 郷士にさくらゐ 海円といふもの あり大師 やうの しゆせき みごとなり ければ弟子 あまたあり けり惣れう 作内は せん妻の子也 二なん小野の近は のちぞひましほが はらにいで来たり これによりましほは わが子小野の進をかとくに せんと思へどもいかにせん小野の進は をさなきときたいどくのよどくに よつて右のかいなじざいならず そのうへ久しくめをやみわづらひて やうやくへいゆしたれどもがんりきは 人におとりてこまかなるものを見 わくることえならず又惣れう 作内はそのしゆせき父に ま〽ふでとることはかなはずとも五町八たんの かとくあればおとゝにいへをゆづらんために いへ出するとあるはいのふ 一六 ******* 〽あにじや人のおこゝろざし おなさけあまつてうらめしい おめ〳〵と兄にいへ出させ 人なみならぬそれがし どのつらさげて かとくをとられう いまだ● さと人 をかり もよふ あとお とめんは そう おとらずがくもんさへにこのみしかは ましほはさらにせんかたなく くちをしきことに思ひけりかくて 同二月九日大坂 作内廿五才小野の進廿二才と いふはるのころ子どもの為によめを むかへて作内がよめをさつきといひ 小野の遠がよめをおくてといひけり しかるには又海ゑんは老びやうやうやく 身にせまりてつぎのとしのあきの すゑ六十八才をいちごとして つひにむなしくなりにけり これよりしてのちはゝおやましほは 作内ふうふをにくむこと日ごろに ましてたへがたししかれども作内は 孝しんふかきものなればいさゝ かも母をうらみずつく〴〵と 思ふやうしよせんわれこのいへを うけつぐときは母のこゝろ安かる べからずおとゝはかたわなるにより ふびんやむひつもんもうなれども 五町八たんのでん地をゆづらばいちごを やすくすぐすにたらんとひたすらに 思ひさだめて女ぼうたつきにとさしめすに たつきはおさなきよりふたおやをうしなひて 口弟もなきもの也もとよりそのこゝろざま ていしんふかき女子なればおつとの孝しんをかんじ つゝとく思ひたち給へかしといふにつきへつゞく 〽ろしもぬしとて あねさんのいた ましいこのかき おきおとしよられ し母さまの 御かいほうを たのむとく あるふでの はこびは心の まことそれのみ ならず身は おもきすでに 八月のおなかに 子もちゆくへ さだめぬたび ねには なんだ しせん 女子 おもふ 天社 作内ふかくよろこびてひそかにかきおきをのこしとゞめ 女ばうさつきをたづさへていづく ともなくいへでせり みやこをさしておもむくほどに さつきはすでに身ごもりて八月に なりしかばさらぬだになれぬ をなごのたびなるにたゞ 〽さるほどにさくらゐ作内は ならぬ身はいとゞしく つかれにみちははかどらず いとかくしてふうふはゑんしう さよの中山をこゆる日に たつきはにはかにさんのけ つきたりとてみちのほとり なやみつゝ此ときなほ八つきよして女の子 に をぞうみにけるしかれどもさんごの つかれによはりはていとゞあやう 見えにけり 今この ふうふが はゝめい かんなん 思ひやられ てあはれなり 同四十九月廿一目 〽折もをつとて にはらのしゆつ さんあたりに 立より いへも なし 月はたら ねどつゝが ない也の子 はこともなれ かくもない はゝのさん ごがこゝろ もとない たし 〽こちの人ながい わかれにならふ しれぬ 水あらば たゞ一丁くち まつごに うけて しに たい はい なァ かくてさくら井作内がつまたつきはさよの中山のほとりにて をんなごをうみたりしがなれぬたびぢのつかれにやうみおとすと そのまにつひにはかなくなりにけり作内は今さらに つまをうしなひむすめをまうけてしんたいすでに なんぎにおよべばなく〳〵ところの人〳〵をかたらふて たつきがなきがらをよなきのいしのほとりにぞ ほうむりけるしかるにうまれたる むすめはさいはひつゝがなけれども さびの事なればもらふ べきちゝもなし かゝればまた みごろしにこの 子をもころすの ほかなしとても かくてもわがふし あはせはぜんぜにつゝりし あくごうの今にこゝに たくひきてかゝる むくひきてかゝる うきめにあふならん さきだちしつまの ためやがてぞ死なん 子のためにほとけ のみちにわけ いりてのち の世をまぬへ 〽さんがいるてん ほうまつ かるべしと 一トすぢに おもひさだめつゝ むぜう おもへば ゆめの うきよ やがてむけん山に じやなァ 公志仁次 よぢのぼりてくわんおん寺の ぢやうぢにけちみやくを こひうけつひにていはつ こひうけつひにていろんを してさんがい坊むあん作 あみだぶつとめいかう せられけさころも おひなんど大かたに とゝのへてしよ こくをしゆ ぎやうし なき人の ぼだいを とむら はん とぞ たちぬこの おもひ あひだ三日 をへたるに あか子は なほつゝが なしこゝは 山ざとの ことなれば ちをもらふ べきいへもなく そがまゝに すゞじつるに つぎへ 引江戸 けふまでもわがむす うちつむす めのつゝがなきはさいはひ なれどもとてもちぶ さにはなれしあか子 のいつまでかなが らふべきなまじい こゝを立はなれ しらぬ さとの つちに せんより おなしくは はゝを うづはし よなきの いしのほとりへ ほうむりみを かろくしてくわい こらせばやうと心 ひとつにしあん しつその よはよなき石の ほとりにあかして よすがら 在むけ丸山道 ねんぶつゑこう するにもとても かくても たすかり がたき わが子 にこそと 思ひきり つみのよは あかねを ふところには いだかず くさはらに かきすへて ねんぶつの ほかなかり しにその 子はたえて なきもせず ふけゆくまゝに すやくと よくねたる やうなれば さてははやこと きれたるかと 思ふになみだむねに みちてやをらそな たを見かへればあや しいかなさつきが すがたまぼろしのごとく うちかけわが子にちゝを あらはれてあたりの石にしり 〽せう れう とくだつ とくたん にせあんらく にせあんらく くわう めうへんぜう 十ほうせかい 一念仏しゆ ぜうせつ ふ なむ 同十一日 のませてをりこはそも ゆめかとばかりにあるは おどろきあるはかなしみ おどろきあるはかな こゑをかけんとしたりし がまてしばしなましい にことばをかけなば ゆうれいたちまち きえもやうせん まことにおやの 子をおもふ死して のゝちもかくまで にありけるもの かと心に なきて なきて れんぶつ おこた らず つひにその よをある せしが しづらく くわい こくの つゑを とゞめて なほ山中に とうりうし かな〳〵かの石の よな〳〵かの石の ほとりにあかして ねんぶつを となふるには たしてたつき たしてたつ がやうこん よな〳〵 いでゝその 子にちゝ をあたへし かばふし ぎにつゝが なかりけり むあん坊 思ふやうわれ もしこゝを 立さらばなき つまのやうこん よな〳〵あらは るゝことなからん かとてひとゝせ あまりさよの なか山にどう りうしたり しが今は いつまでか こゝにあるべき とてつきのとし のはるみやこの かたへおもむき しに道中の つぎへ 永江丁目 けふまでもわがむす めのづゝがなきはさいはひ なれどもとてもちぶ さにはなれしあか子 のいつまでかなが らふべきなまじい こゝを立はなれ しらぬ さとの つちに せんより おなしくは はゝを うづはし よなきの いしのほとりへ ほうむりみを かろくしてくわい こらせばやうと心 ひとつにしあん しつその よはよなき石の ほとりにあかし よすがら ねんぶつゑこう するにもとても かくても たすかり がたき わが子 にこそと 思ひきり 思ひきり つみのよは あか子を ふところには いだかず くさはらに かきすへて ねんぶつの ほかなかり しにその 子はたえて なきもせず ふけゆくまゝに すやくと よくねたる やうなれば やうなれば さてははやこと きれたるかと きれたるかと 思ふになみだむねに みちてやをらそな たを見かへればあや しいかなさつきが しいかなたつきか すがたまぼろしのごとく あらはれてあたりの石にしり うちかけわが子にちゝを 〽せう れう とくだつ にせあんらく くわう めうへんぜう 十ほうせかい 一念仏しゆ ぜうせつ しゆ ふ なむ だぶつ のませてをりこはそも ゆめかとばかりにあるは 一おどろきあるはかなしみ こゑをかけんとしたりし がまてしばしなましい にことばをかけなば ゆうれいたちまち ゆうれいたちまち きえもやうせん まことにおやの 子をおもふ死して のゝちもかくまで にありけるもの かと心に なきて いよ〳〵 れんぶつ おこた らず つひにその よをある せしが しづらく くわい こくの つゑを とゞめて なほ山中に とうりうし よな〳〵かの石の ほとりにあかして ねんぶつを たしてたつき となふるには がやうこん よな〳〵 いでゝその 子にちゝ をあたへし かばふし ぎにつゝが なかりけり むあん坊に 思ふやうわれ 思ふやうわれ もしこゝを 土へさらばなき つまのやうこん よな〳〵あらは るゝことなからん かとてひとゝせ あまりさよの なか山にどう りうしたり しが今は いつまでか こゝにあるべき とてつきのとし のはるみやこの かたへおもむき しに道中の つぎへ 弘法大川 とまり〳〵にてつまのなきたまむすめにちをあたふる事 はじめにかはらずこれによりいとよくふとりむしけ もなしおんあいのまことゆうめいにつうずると いふ義をとりてむすめのなをばおつうとよび てことしははやふたつ也むあんほうしつく〴〵と 思ふやうわれかゝるかんなんのうちふし義に おつうがそだつことさよのなか山なるくわん ぜおんの利やくにして又ひとつにはわがちゝ 海ゑんのとしごろふかくしんかうし給ひし むさしのくに大しがはらなるやくよけ大しの おうごなるべしさらばまづかうやさんへさんけいし それより四こくさいこくなる大しのきうせきを おがまんとてまづみやこへのぼりて東寺へ まゐりさらになにはへおもむきてこゝかしこの れいちをおがみつゝおもはずもゆきくらし ければそのよはせんにちでらのほとりに 野じゆくせりしかるに 此両三夜はいかなるゆへにや なきつまのゆうこん 来たりておつうに □□□□□□□□ 公法被仰 十一 〽しぬる命はをしからであの子に わかれがをしまるゝなんにもしらで かはいやのもし さひはひに ひらはれて 大きう ならば さぞや さぞ むごい おやじや うらみも せんコレかん にんして たもやい のふ こけうのみちは ひらけてもみのなるは ては子をすて命を すつる夫婦がはくめは おもへばこれもおやの ばちみらいのくげん さぞあらんみちびき 給へあみだぶつ ちをのませずしかれども はやむかはり月もたちしかば くわしらくがんなどあたへつゝ やう〳〵その日をおくりけり かゝるところにとしのころ 二十五六のおとこと十八九 なるをんなやつれはてたる すがたにておの〳〵えり にずゞをかけうまれ て百日ばかりにもや なかぬらんとおぼしき をさな子をかきいだき 夜はうしみつのころにびに 千日寺のもんぜんべ なく〳〵たどりつきたるが 今ははやこれまでなり なげき給ふななげかじと たがひにいさめいさめら れよくねいりたるおさ な子をすげがさの内へ な子をすげがさの内へ うつし入れほそひもを もて三ところをかぎへ しかとむすびてあたりなる松がえにつりさげしはその 子をすてんとてなるべしかくてもろともにねんぶつ 数十へんとなへつゝをんなはすでに座をしめてはやう こちて下さんせと両手をあはせてかくごのていにをとこは ころして下さんせと両手をあはせてかくごのていにをとこは なみだかきはらひそなたひとりころしはせぬわしも いつしよに死出さんづうかみもやらぬのちのよの まよひはあとにのこすおさな子あらなにとせんと ばかりにいちどにわつとなきしづむ 折からきこゆるごやのかね時おくれ なば人もやしらんよあけぬうちにと すゝむるせうみとうなむ あみだぶつのこゑもろ ともぬきはなしたる こふりのやいばすでに うたんとふりあげしが なにとかしけんめくぎ はしりてつかはをとこの 手にのこりやいばははるかに けしとんで野じゆくの してうをつんざきつゝ内にふしたる むあんほうしがむねのあたりへ ぐざとたちあつとひとこゑたまきる こゑこなたのふたりはひとしく見久り はじめてかしこに人ありて野じゆくしたるを しるにこそをとこもをんなもあはてふためき はしりよりつゝもろともに手ばやくしてうを かきとりつ見ればひとりのたびそうがをさな子を だきねせしその身はちしほにまみれつゝいぎ たえなんとするほどにこは〳〵いかにとおどろき さはぎいだきおこしていたはればむあんはくるしき 〽しなんとしたるわれ〳〵はしぬるにしなれぬ こよひのしぎこりやまあなんとせうぞいのふ 〽そでふりあはすも たせうのゑん今まで しらぬそなたしゆ 夫婦がみがはりに たつこのみのはくおい たのむは娘おつうが ことはかないおやこ のわかれとも しらぬがいち いきをつきさてはなんぢうとうぞくよといはれて いきをつきさてはなんちうとう をとこはます〳〵はぢ入りわれらはまつたくこう ぞくにあらずもとはかまくらゆきのしたの道士に かか根村太夫といふものゝ一子どうみやう しも次郎といふもの也わかげのあやまり けはひ坂のけいせいこれなる小いそにうち こみておやのしんせうをこにふるひついに 小いそを身うけせしかばおやのいかりに かんどうせられにいそもろともかまくらを 立さりてせつしうあまがさきのあるべをたより こぞよりそこにをるうちにちかごろ男子 しゆつせうして見太郎となづけしがらう〳〵の たゝはへつきてすでにかつめいにおよぶをりおや 村太夫大びやうなるによりかんきのわびの ねがひもかなはんはやうこけうへかへるべし とて友だちのしよでうとうらいしろよう せう〳〵おくられしかばとるものもとりあへす あまがさきをほつそくせしにとうぞくにつけ おや子三人はる〴〵とかまくらへおもむくことえならず おやのまつごにあひがたきはみなこれふ孝のてん ばつならんさりとてほかにすべもなし来うせうの あまり死がみにさそはれてをさな子をこゝにすて 夫婦死なんと思ひさだめてすでに小いそをうたんと せしにめくぎはしりてやいばをとばし人をさへあやめたり わびてかへらぬことながらゆるし給へと身のさんげにいそ もろともかきくどきさま〴〵いたはりかいぼうにまことは 見えてあはれなりむあんはきゝていきをつきさてはさる人 しがおとゝにかとくをゆづらせ為づまをたづさへいへでせし「かざへ られてろようのこりなくうばひとられしかば なりけるよわれはむさしのものにしてさくら井作内ことよばなし ばいふびんで ござる 〽わぶるによしなき 身のあやまちこの 子はけふより われ〳〵がまことの むすめにことなら ず手しほにかけて はぐゝまんゆるさせ 給へたびそうどの 弘法大師 はじめはかやう〳〵也をはりは かやう〳〵也とつまびらかに 物がたり死んと思ひさだめたる 物がたり死んと思ひさだめら おん身夫婦はなほしなれず 思ひがけなきそれがしがかくは やいばにかることみなこれぜん ぜのやくそくにてわがあくごう のなすところ人をうらむも そのかひなしわれにいさゝり ろようありそれをおん身に まゐらせん夫婦ひつ死をとゞ まりていそぎこけうへたちかへり おやごにわびて孝をつくし身の あやまちをつくのひ給へひとり あやまちをつくのひと ならずおや子三たりが命を すくひてわれしなばほとけの ぢひにかなふべし心をあはれと 思ひくみむすめおつうを子とし 思ひくみむすめおつうを子とし はぐみ人となして給はれかし かれがおぢはしぶやの郷士さくら 井をのゝ進といふものなれとも われしか〴〵のことによりいつたん いへでせし事なれば今さらに をのゝ進にむすめが事はたのみ がたしおやかいゑんにゆづられし こうぼうだいしのしんせきたる おひのうちにおさめたりおつうが人と せうれいしうのいちくわんは今なほ なるのゝちおやのかたみに見よりしとつたへて 〽さて〳〵そなたはきどくものじや げんじものがたりもよみたくはやがて かふてやりませう 〽百人いつしゆは かしらがき までそらで おほえて をりまする げんじ 物がたりが ほしう ござり ます ひさうさせてたべこの二三日は女ばうたつきが よひ〳〵ごとにあらはれてちをのますること なきによりいとゞ心にかゝりしが思へばわれは ひめいに世をさりおつうはこゝにおやならぬ おん身夫婦をおやとしてやしなはるゝゆへ ならんされば又かりそめならですゝせ あやしき元にしにこそたのむ〳〵といふ こゑもつひによはりていきたえけり あはれはかなきさいごなり ○かくてしも次良小いそらは なく〳〵むせんほうしがなきがらを 千日寺のほとりにほうむり すてたるわが子見太郎をとり あげておつうもろともまふ かはる〳〵にかいほうしかたみの いちくわんをふところにしその ろようをとりてそのあけがたに 〽けふもさうしへ 淀ふねにびんせんし伏見より 東かいどうをかまくらにおもむき しかばさと人とりもちておや村太夫に かんだうをわびしかばことつひにとゝのひて おやのびやうちう心をつくして夫婦かん びやうしたりしがろうびやうなれば 水をかけて かへりはせぬか 又しても ねだりぐび アかおつうが おとなしさ みのかひもなく村太夫はみまかり けり母はさきだつてよをさりしと きこへよりこれにより霜次郎は おやのかとくをうけつぎて小いそをつまとし 月日にせきもりあらざればはやくも十よねんをへておつうは 十三さい見太郎は十二才にぞなりにける すこしは はぢて おつうをむすめとしわが子見太郎とともにはぐゝみけるに たしなみや 公去也仰 〽ヤかましいかゝあめ もつとうまいものを くはせぬとあすから 手ならひに ゆきやァ しねへ みゝい しかるに おつうはをさ なきよりてならひを なきよりてならひを このみ又百人いつしゆを よくよみしがのちにはさうし 物がたり哥しよなどよむを たのしみもしこゝろやさしく孝行 なるのみならずそのきりやう 人にすぐれて玉のごとく月の 〆ごときかほばせなれば 〽おれがひらつた このぜにをさきへ 見つけたもすさ まじいふてへ がきめたからごウ 人みなめでよろ こびてこのむすめ 一八のはるに いたりなば ひろきかま ▼あたり なる石をとつて なる石をとつて どきよは太郎をうらしかば きうしよにやあたり けんうんとばかりにのけ ぞつてたちまちいきは たえに一けり所の人〳〵 これを見て たぐひ あるべからずといはざるもの ある日見太郎はこめ丁 けれどもその なしそれには引かへしも次良が なるてう人の子によは太郎 かひなくこと 実子見太郎はちゝにもにずはゝにもにずつらたましひ とてわれとおなじとしなる の大じになり わらべとなめり川のほとりに にけり たゝましくてちからはざをこのみ手ならひものよみなどは あそびてぜに百文をひろひしがわれこそさきに かたときもせずしよもたんりよにしておやをおやとも思はず 見召されいやわれさきなりとあらそふ かろづわがまゝにのみたちふるまひければち春も次郎はこれを ほどにたんりよの見太郎大きにいかりて▼ なげきてをり〳〵きやうくんするといへどもつめばかりももちひずやほどにたんりよの見太郎大きにいかりて黒 まづしきものなればこめ町のよまはりなどにぢひじん院にて見太郎をていはん まづしきものなればこめ町のよまはりなどに やとはれてやう〳〵その日をおくるもの也 よは太郎がおやはよは右衛門とよばれてもとよりしはじめてあんどしすなはち ぢひしん院にて見太郎をていはつ さぜ法めうを見西とぞ つまは先ねん世をさりて只ひとり子 なるよは太郎はかりねしも次郎が なづけられける 一六六、一六一 せがれ見ちみにといさかひして うちころされしと きくとそのまゝ そのところへ はせつけしが はやこと (二 きれて せんすべ なければ 狂気の ごとくなき かなしみ也もんじよへ 成 下山 うつたへ申てわが子の かたきをとるべしとて かたきをとるべしとて うらみつなきつもんちやくせりげに見太み江が ふてきなるそのつみのがれがたしこといへどもかれは そのとし十五にたらねばさと人らはしも次々に ふうふが為にさま〴〵にあつかひて小つぼ村なる ぢひしん院はしも次郎が為にもよわ右衛門が為にも だんなでらなるによりぢゆうぢ正ねん上人をかたらひて 見太江をばかのてらの弟子にしてながくよは太郎がほだいを とむらはすべく又よは太郎がそうしきりやうはしも次郎より つくのはせんとてかね十両をいださせてこれをよは右衛門におくりつゝ みなひたすらにわびしかばまづしきものゝかなしさはよは右衛門も今かさらに いきどほりをはらすによしなくやうやうやくなつとくしてければしも次とにふうふは □□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□ 〽ぎおんにう むゐほうおんしや なむあみだぶつ 十一 〽いちにん しゆつけ するときは きうぞく てんに のぼると いふ 命がはり しゆつけ じやぞ よは右衛門どの これでうら みを はらして 下され 〽ハテなにごとも ぜんぜの 正介 やくそく かうなろの □□□□□□□ うらみも ござらぬ かくて見太郎坊主けん西はぢひしん院のしやみとなりて かくて見太郎坊主けん西はぢひしん所のしやみとなりて はやくも五六ねんをすぐすほどにことしは十七才にな しかれどもきやうもんはいちくわんもえおぼへず つねにさんもつをぬすみためてしのび〳〵にさとに いでてさけをのみにくをくらへりこれにより 正ねん上人より〳〵きやうくんをくはえ給へども うへにはしたがふごとく見せてつゆばかりも あづまに下りしがかまくらなる ぢひしん院の正ねん上人は まさしく弥膳がおぢ也ければ まづ当寺に立よりて上人に たいめんししんぐわんの事 あつてむさしへおもむく よしをつげにける をしえをまもらずおのがまゝにぞ ふるまひけるともしらずしておや しも次郎は月ごとにけんさいに小づかひ ぜにをおくりつかはし夫婦かはる〴〵に さんけいしておせうのあんひをとひしかば 上人もふたおやの心づかひをさつしつゝ 〽さてはあなたは おいごさまよい おちかづきに 折からにそれがしも なりまする かれが悪事をつげ給はずなほ おんびんに見ゆるし給へりさればこの ぢひしん院はしんごんしうの小寺にて 同宿両三人にすぎざれども こうぼう大師のじぐわの ぞうは当寺第一の ぞうは当寺第一の じうもつなるにれいげん もつともあらたなれば ゑんにちごとにさんけいくんじゆし さんもつもすくなからねば おのづからまづしからず 上人もとよりきやくを あいし碁をこのみ給ひければ とひ来る人おほかる中に やみ坂治部五郎 いふらうにて かまくら いつけんの為 しばらくゆきの下に とうりうしこの寺へ さんけいせしが よく碁をうつに よりて上人の あひてになり こよひもこゝに しゆくせり かる折から南朝 のらうにん竹部 弥俗といふもの しゆせきしうしんに よりむさしのかたに 大師やうののうじよ ありときゝつたへ その弟子にならん とてはる〴〵 □□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□ 〽しゆせきしう あつて しんと はる〴〵の けこうは きどく〳〵 おさないときに 見たまゝなれば おもわすれする までにあはれよい をとこに なつて 〽ふたおやもなく るらうのそれがし 思ひながらも 思ひなからも としごろの そゑんは 御めん 下され ませ 〽見太郎 坊主 けんさい 音 部 〽せつしやは 当しよけんぶつの ものなれど ふし花な 御ゑんで 上人さまの 御べつこん しかし めうちやうは ほつそく おなごり おしう ぞんじ ます み法大川 そも〳〵竹部弥膳と いふわかものはそのおや 竹部の左衛門よしのゝ みかどにつかへ奉りて きのくにのぢゆうにん なりきなんぼく両ちやう おんわぼくのころ左衛門 ふうふは身まかりて 弥ぜんはらうにんとなりし かば何とぞいへをおこさん とて高野山にさんろうし かう法大師をいのりけるに あるよむさうのつげありて むさしのくにゝおもむきかやう ものにしたがはゞさいはび あるべしとつげさせ 給ひしかば弥ぜんはよろ こびにたへず いそぎ紀の国を しゆつたつして まづかまくらに たちこえぞくえん あれば小つぼの ぢひしん院に立よりてをぢの 正ねん上人にたいめんしそのよひそかに しんぐわんのおもむきとむさうのよしを 物がたるに上人ふかくかんたんしてなんぢ すでにごんしやのおうごをかうむり奉りしかば 身をたてんことうたがひなしわがてらは させるだん名つもなくかたのごとくの 小でらなればたゝいへあるにあらざれども いさらのろようをたすくべし なんぢがりつしんしたらん日に かへしおさむべしととき ◑あたへ おひしかば 弥ぜんは大きに よろこびてたひ しめしてかね三十両 とりいだし 弥ぜんに にもつの内におさめつく おぢ上人のおんをしやし かゝればめうちやうほつそく してむさしにおもむきわが身の〳〵 すみかをもこめてのちに又 おん礼にまゐるべしと いらへしてふしごわぞしり ぞきけるしかるに見太郎卿 坊主げんさいはつぎのまに ふしたるがたちまちあくしん かし おこりいかにもしてかの三十金を かすめとらばやと思ふにかれも 又武士のらうにんなればその てなみのほどはかりがたしひとりの かとうどをえてこそと心の中に もゝろみづゝひそかにふしどを おきいでゝきやくでんにふしたりける やみ坂ぢぶ五郎をゆりおこしかの 治部五郎大きによろこびわればろようつき 御へんあんないしつたればかのたび人のふしどに入りてうまく金を 三十両のことをつげておのがたゝみをさらやけば あること □□□□□□□ たるによりほつそくもしがたかりしにそはみゝよりのさうだんなり 仏 〽弥ぜんけがはせなんだか くらうてはあぶない〳〵 弥 〽おさはぎなさるな おさはぎなさるな 上人さまぬす人は とらへました 〽なむさん てはづが まちがつて ごぢんもいつ こう あてに ひとり ならぬ ひとり かぶりか いめへましい 〽ぢひしん院の しうもつこう 大師じひつの ぐわぞう はこの内より ひかりを はなちて 治部五郎を こらしめ給ふ 〽とんだ ところで かつけが これじやァ おこつた とても手は だされぬ ふげへねへ ばうずめだ 引いだせよ われはとの かたにありて もしかの たび人 めをさまし なかす おづかけ いで手に あまちば われ うけとりて おしかたづけん とせよかく せよとたがひに しめしあはせつゝ しめしあはせつゝ そのようしみつの頃 けん西は弥ぜんが ねふりたるを〽つきへ うかゞひすでにくだんのかねをぬすみとる ところをねぜんはがばとはねおきてえりがみつかんで 引もごせばふかはらつてにげんとするあしをはらつて もんごりうたせおきんとするをとつておさへて ぞくあり〳〵とよばゝるにぞ治部五郎は なむさんぼうけん西がしそんじ たりいで〳〵かれをさすけんとて はしりよらんとするほどに手あし しびれて一トあしもすみ入ることかなはねば こはたゞとにあらずとおそれておのがふしどに しるぞきつゝそらねふりしてゐたりけるさるほどに ぢゆうち正ねん上人は弥ぜんがぞくありとよぶ こゑにおどろききめしそくをとつていでゝ見れば むざんやなけんさいはさいふをにぎりもちながら 弥ぜんにいたくくみしかれゆるし給へとさけびけり そのとき弥ぜんは見西をぐる〳〵まきにいましめて ことのよしをつぐるになん上人きゝてたんぞくしかれは かやう〳〵のことによりしゆつけしたるものなれども 心しぶとくぬすむくせありわれこの日ごろ さまぐにけうくんをくはえしかどかれつゆ ばかりもこれをもちひずかゝる悪事を おや霜次郎をよびよせてことのおもむきを ときしめし寺法のまゝにおこなふべし まづそれまではきびしくいましめおく べしとてそがまゝ見西をくりの 入り給へば弥ぜんはこられしかねを おさめてこれもふしどにいりにけり はしらにくゝりつけさせふたゝびふしどに さるほどにやみ坂治部五郎はつく〴〵と なすうへはゆるすべきみちもなしよもあけば ヨリ 〽ヤレ人ごろし であへ〳〵 〽よはゑもん よまはりして けん西に きらるゝ 〽ダア引 〽このこころ はげしきたち まはりやゞけん西 あてられて あてられて たふなく うすどろ〳〵になる たびそうはおつうを わきばさみしまゝ すがたをかくす うちにかれをにがしてわれ又めうちやうほつそく せばあとばらやめずと心にうなづきひそかに つみにおこなはれんかそれも又はかるべからずとく〳〵 ふけれとさゝやけばけん西は治部五郎がはじめに われをすくはざりしうらみをのぶるにいとまな〳〵 かべをうがちへいをこえてそがま のがれさりにけるよあけてのち ぢゆうぢ弥ぜんらはけん西がにげ うせたるにおどろきてひやう義 まち〳〵なるまぎれに治部五郎は たびじたくしてこんてうほつそくの よしをつげいそがはしくいでさり ければ正ねん一人も弥ぜんもふかく 治部五郎をうたがひてかれも又 どうるいにてけん西をばにがし つらんと思へどもせうこなければ そのまゝにじていだしやりぬ ○これよりさきにけん西はあはてゝ寺を にげさりしがみちすがら思ふやうわれ いつせんのろようもなくていづちへか ゆかるべきゆきがけのだちん也えう こそあれと又いつそうのあくしんを おこしつゝあかつきちかきころほひにわが おやざとに立よりてあはたゝしくかどをたゝけば おやしも次郎おきいでゝまよなかすぎてなにごとぞと とへばけんさいいきをつきさればわが師の上人こんやぬす人に 思ふやうけん西坊主がいけどられてせめとはるゝ ことあらばわれもどうるい也といはれんこよひの くりにおもむきてけん西がいましめのなわをときすて なんぢこゝにうら〳〵をらばはぢのうへなるはぢはさらなりいかな うちゆひげんせん きずつけられ おん命はなはだ あやうしぞんめいの だんほうの たれかれを よびあつめ よとのた まへばまづ このよしをつげ 申スとら〳〵と いそがして内へも いそがして内へも 入らずはせさる にぞしも次郎は おどろきて 小いそにことの よしをつげ ちやうちん ひきさげいでゝ ゆくこかげに 女つ うかぶけん西は うまし〳〵と ほくそゑみて ふたゝびかどべにたち よりつゝ又いそがはしく よびおこせばあねのおつう おきいでたりけん西うちを さしのぞきはゝごはいざへ さとをさより人をてらへつかはしてことの よくねてござるかととへばおつうはあとべを見かへりはゝさまも おきのひしがちやうづにかはやへおもむき給ひぬおんみ ふたゝび来給ひしは何事やらんととはせもあへずおつうが かたさき引つかんでやにはにそともへ引いだしおどろく所を さるぐつわようゐのなはをたぐりいだしてかどのはしらに くゝりつけこのめろさいはあねとはいへどもとはひらひ子 なりしよしはゝのいはれしこともありよしやあねともいはゞ いへときの用にははなもそぐこいつをうればずつしうと みのしろにあたゝまるそれよりもなほ手みぢかな ろようもがなとなん戸におもむき手ばやくいふく 金せんを一トふろしきにせをひつゝちゝしも次郎が さしがへのかたなをとつてこしにぼつこみはゝの はやにげうせてゆくへ しれずかくてそのくだり 人々をせん義せらるゝにかの いはするにかれはてらにてもしか〴〵の あくじありてよんべちくてんしたりと きこへしかばいよ〳〵わたくしにこと すまずつひにくわんれいの くもんじよへうつさへ申せしかば 〽いちのつかさいわものを手 わけして見西をからめ とらせんとせられしに おもむきをことはりけん西をわたし給へと とぶがごとくにはせさりつゝ五六町ゆくほどに はやあけがたの時まはりよは右衛門は 小ちやうちんぼう引さげてはしなくも けん西をきつと見てあら心へぬ けん西坊あねをむごくいましめて いづくへゆくととがめたるしたも ひかせずけん西がかた手なぐりに かはやを出ぬうちにとおつうをめてにわきはさみ おはせし事ごんごどう けん西はおさなきときよは右衛門が 一子よは太郎を打ころししやつけの あつたようけをおここしかかかしやつけの のち今又よは右衛門にふ おはせし事ごんごどう ●くせもの也 しかるに しかるに その上 見廻が おや田工人 立よりし 立ようし ことまた 霞次郎が あかつき あはて てらへ おもむき の辺霜次郎は けん西に あざむかれし いへども いへども是 はなはだ うろんのこと なりこれ のみならず きりつけたるやいばのひかり もろともによは右衛門は あつとさけんでちしぼに まみれたふれたり かる所にさび僧一人 こつぜんといで来たりて けん西をつきたふし やにはにおつうをとり かへして小わきに しかとかきいだくを つきへつゞ 〽ならふことなら わたくしを おつれなされて てゝおやをおゆるし くださりませ 君 〽にようばうむすめさのみは なげくなわれも又若かりしとき あやまつておやにはふこう それのみならでなほいひ がたきわけもありそのつみ なほわたさじと立よる ところをさそくのあてみに けん西はうんとばかりに のけぞつたりたびそうそれには めもかけずしも次郎が かどぐちまでしづ〳〵と おもむきておつうを そのまゝかきおろ せばおつうはふし義の 思ひをなしてわが 身をすゝひ給はりしおんみは いかなるひじりやらんととへば たびそうにつことゑみ われはなんぢにいんえんある むさし川さきのほとりの もの也今こそあれ のち〳〵に思ひあはする ことあらんといふかと 思へばそのまゝにかたちは きえてなかりけり ○さるほどによま はりよはゑもんはふかで なれどもさいかひにして きうしよをはづれたり ければりやうぢとゞく べしとのゝしりさはぎて つけたるものをたづぬるに ぢひしん院なるけん西 ざと人らほんさうしまづそのきず なるよしふんめうなるにより 公去也印 とがのむくひ来てなはめの はぢもこのみのあくごう おりやあきらめてゐるはい やい 〽おやのこしになはを つくるといふたとへに もれぬわがこの 画事そのみの 悪事そのみの とがはぜひも なし なんにもしらぬ をつとにまで おうたがひは きみへ ませぬ ませぬ モよいひ わけして みのあかり たつる しほんは ないかい なア 〽とがにん たとう よは太郎がらたれしとき見太郎江に しゆつけさせよはへもんにかねをおくりと わたくしにとりあつかひしより大かた ならぬおちどなればけん西がゆくへ しるゝまでおやしも二良をきん ごくすべしとてつわものらに げぢをつたへてゑもすかきを からめとらせきびしくひとや つながれけり かばひさられし おつうをばふしぎに ○さるほどに小いそは見西に ごんじやのたすけに よつてとりかへして よろこぶまもなく しも次良にうた がひかゝりて思ひ がけなくひとやに つながれ命あや うしときこへし かばおつうもろとも かなしみなげきて すくひいださんこと はかれども あまたのたから なければそれもかな すぎこしかたを思ひ 一ゞけていんぐわのどうりを 〽まうしはゝさまきこへませぬ 五十二月一 十二 五十一丁 とゝさまにはいき わかれ今にあなたに すてられましてわがみは なにとなりませう なにとなりませう こりやまあどうせう こりやまあどうせう なんとせうぞいのう さとりつく小いけはにちやゑうたんのあまり さこしやいはく 〽小いそがかき 下下十一おきのおもむきは くはしくこうへんに 見へたり いつゝうのかきおきをのこしつゝそのゆふぐれにまよひいでて なめり川にみをしづめそこのみえずとなりにけりあはれはかなきさいご也 ▽光景信号ノ観測会ヲ 以テ購入セル前 狩野事吉氏善蔵書一 10393 曲亭馬琴作 歌川国貞画 辰陽春 第 狩 新板 弘 弘法 大師 誓筆湾 文政三庚辰 湯春新判 下編 こうばうだいしちかひのひつほう 公共大河折 てし 大河折兵筆鴻 曲亭馬琴作 歌川国貞画 馬喰町二不目 森屋治兵衛板 かゝておつうはな〳〵〳〵さと人らをかたらひてはらのなきがらをかつぎあげ のべおくりをしたれどもとひなぐさむるしんるいもあらず は又しも次郎はとらはれてすでにあまたの日を ふれども見西がゆくへしれねばしやめんを いつともさだめかねたるなげきのうへに なげきをかさねしなみだのひまに 思ふやうふるきよのことわざにも 千金の子は市にしなずとやらん いふことありちゝはとらはれ給ふとももとより そのつみあるにあらずしからばあまたの かねをもてこれをあがなひいださんに ゆるされずといふことあらじとひそかに つげたるものもありしかれども そのかねはせう〳〵のことに あらずこのとしごろふたおやは 見太郎が中にいれあげて 物大かたはうりつくしいともまづしく なり給ひしにましてをなごの 心ひとつにあまたのかねをいかに 心ひとつに思ひさだめてたのもしげなる人を かたらひこうぼう大師のしんせきをもて かね三十両をからんといふにかすものなし しからばこれをうらんといへども真偽を しるものまれなればうたがひてかひもせす おつうはいよ〳〵うちなげきて又これかれと おつうはいよ〳〵うちなげきて又これかれと 人にもたのみみづからももちあるきて かねとゝのへんと思へども なほかふ人はなかりける してとゝなふる よしのある よしのある べきもしやと 思ふしちくさは こうぼう 大しの 給ひし せう れいしうのまきもの也 わがみはいとけなかりし ときまことのおやは世を さり給ひし これこそおやのかたみ なればとばかりいふてとゝさまが ひそかにわらはに給はりしがまことのおやはいかなる人 いかなるゆへともつげ給はずおやといふ名はよたりまで ありがひもなく今は世にながらへ給ふはひとりのおやのみ そのやういくのおんをおもへばいのちもたえてをしからず 身にかえがたきまことのおやのかたみなりともおん義の 為にをしみて義理あるおやのなんぎをすくはずは孝と いはんやとにかくこの一トしなをしちにもいれんうりもやせんと▼ 〽きにかゝるあのからすなき ひとやのかしやうにとゝさまは やみわづらひなされぬか ぢごくのさたもかねしだい これがうれねばとゝのはぬ かねがかたきの世の中じや ム法也市 ム法也師 それはさておきこゝに又むさしの国しぶやのさとには さくらいさく内ふらふがかきおきしていづくともなく いでにしころさく内が弟小のく進そのつまおくてらは さら也母おやましほも今さらにまゝ子作内ふうふに つらかりしことをこうくわいしてとくおつてをかけたれども 作内はかねてはかりてほんかいどうをゆかずこみちより のがれさりしかば人〳〵いたづらにかへりけりかくてのちは 作内ふうふが風のたよりもあらざれば小のゝ遠は 作内ふうふが風のたよりもあらざれは小のゝれは このことをいと心うく思ひつゝひとゝせあまり おくるほどにはゝのましほはかぜのこゝちとて うちふしたるがおいたる人のくせなればしだい〳〵に やまひおもりていきたえなんとするときに とへていはゞこのふみ石はなれ〴〵になりしゆへに わしがりやうぢもとゞきがたくうすのやくには たちませぬ人もまたかくのごとし兄弟なりよく 家内和じゆんしはなれぬやうにするがよし こうぼうさまをおねんじなされなんびやう なをりますぞへ こぞのその月さく内が 小のうをふうふをまて上にちかづけ 第にかとくをやずら んとてつまもろ ともにいへでせしは わがひがみこゝろ よりかれらに よりかれらに うとまれたれば ならん今さら思へば さく内はそのしゆ せきおやにおと しかも又 こう〳〵なかき らず しかるに かれらが 右のかひなは をらずとて 同 〽いはるればみな もつともぶしん〴〵 かみほとけを おうらみまらすは もつたいないこちの人も 日ごろから大しがはら しろ〴〵じやらいのふ ふじゆうにて 人なみならぬ 小野の進が かとくを とらんは みちにあらず だいしがはらなる やくよけこうぼう 大しは先だち給ひし 海ゑんぬしのふかく しんじ給ひしかば しゆせきをもて 名をなし給へり 今よりしておんみ ふうふ心を あはせてかの □□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□ □□□□□□□□□□□□□ みほとけを ねんじ奉り第一には 作内がゆくへしれて引もどし おのみをがなん びやうへいゆを いのるべしとゆいげんして このかとくとすべきこと第二には つひにむなしくなかに けりおのみをおくてらはへ かくまで心をあらためい 母のまことをかつよろ これはなか こびかづかなしみて ゆいげんにしたがひ これよりしてふうふ かはるがはるに一つぎへを 〽人はみかけ よらぬもの 八二丁 見あげた □□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□ おやぢ ではある 弓法フ自 大しがはらへさんけいおこたらずつねに あゆみをはこぶことすでに三がねんに およびけりしかるに此ごろ大し ちゞいとゐめうせられていととし よりたるうすのめたてあり よりたるうすのめたてあり ある日おくてはかのめたてをよび 入れてうすのめをたてさせけるに 大しぢゞいはゑんがはにしりを 大しちゝいはゑはかはにしつを かけあるじふう様によも山の 物がさりするほどにふるき ひきうすのかたはれをにはの とひ石にしたるを見て 小野のくをにいひけるはこの 小野のくをにいひけるはこの とび石もふたつあれば ひきうすの用をなせども うへのひとつがうせたるゆへに 人にふまれてかくのごとし つら〳〵おんみのにんさうを見るに もとは兄弟二人なりしにそのうは うすなるあにごはうせておんみは うすろくることはうではうであんこは かひなにやまひありふでとる ことのかなはねば一おやのかぎやうを ことのかなはねは つぐことかなはず とび石によくに その心にまこと ゆいげんをまもり 大しをきねんし これひきうすの たりしかれども たりしかれども ありておやの こうぼう てあにきの あからをしらん ことをいのか給ふこそ たのもしけれさり ながらかの人は ぜんぜのあくごうに よりてふたゝびかへること あるべからずかへることは あらずといへども おんみがしか〴〵 おこたら ずは かひ あらん 只おこたらず しん〴〵し給へやまひもつひに ほんぶくせんいつたんとみさかふる ともゆづるべき人にあはゞすみ やかにみしりぞきてしづらに おいをやしなひ給へわがからふを みたがひ給ふなのちにおもひあは することあらんとねんごろにとき しめしそのゝちはふたゝび来ず 小野の進ふうふはことにふし義の ことにおもひてしん〳〵はじめに いやましつゝやくよけ大師をねん ずること又二とせにあまりしがしん〳〵の ずること又二とせにあまりしがしつ〴〵の はじめよりすでに五ヶ年といふ はるのころ小野の色がゆめにたれとは しらずよごとに来て大しやうの 公兵七印 六郷橋 しゆせきをおしゆると見ること およそ半ねんあまりにして かひなのやまひつひにいえたり こはたゞごとに あらずとて ふうふがよろ こび 大かた ならず 大しに おん礼を 申さん とて 小野の進は あさとく 出て大し がはらへ おもむくに わがみ ながらも あやしき までに きりよく すこやかに なりて みちのつかれ 〽これぞ まさしく 天しの おぼへず すでに げこうに 利やく ふしぎと いふも おそれあり りくふとや かたじけ なやなァ およぶとき 六がうのはしの ほとりにてふで いつゝいをひら ひにけりこれも 又こうぼう 大しの利やく かとおしいたゞく ほどにうしろの かたに 〽六がうの はし長さ 百九けん あり 今は ふな 人ありて おのみをせいを だせしゆせきは おやにもまさる べしといふ こゑたそと 見かへれば なり さきにふし 義のことを しわせし大し ぢゞいなり ければこれは いかにと とはせも あへず われは また 次へ 西こゝへおもむく也 といふかとおもへば かたちは見へず なりにけりまことや さいこくにては今も こうぼう大し うすのめたてに けぐんしてさいど けぐんしてさいど し給ふとつたへきけり さてはかのおきなこそ 大しにておはしにけりと 〽それは 何さま 見たい もので ござる ごゝく ゆるかと おだん まう さふ たちまちさとりし おのみをはかんるいをのごひ あへずいそぎわがやへ主かへりて 女ばうおくてに利やくのおもむきを つげしらせこゝろみにひらひしふでを もつてものをかくにならはずしてひつほう 心にまかせずといふことなくまれなる のふじよになりにけりこのこと京かまくらは さら也くに〴〵へきこへしかば師とたのみ手ほんを もとむるものす百にんにおよびつゝその名いよ〳〵 たかくあらはれしゆせきとしぐに上たつしていと 同 〽京ばし ときは 丁なる かめや ゆたかにぞなりにける ○かくてまた十とせあまりをへにければ 小野の進がしゆせきの弟子かまくらには ことにおほくなかぬ又ずいしんせし門人に やみ坂治部五郎といふものあり心さまは よからねどしゆせきばつくんなりければ 小野の進がめうだいとしてこれを かまくらへつかはせしに治部五郎は 喜兵衛 喜兵衛 方のさくら づけは御酒の くちとりに めうでござる きんじづ先生へ いつきよく けんじませう かのちにとうりうのあいだ やうしよがよひしてしよ もんじんよりおろたる金 ぎんをつかひうしなひ大きに うとみはてられてすご〴〵と かへりけれどおのゝ近はかれが しゆせきをおしむがゆへに なほおんびんのさたを もてひそかにゐけんを くはへつゝそのまゝに ゆるしおきぬ しるにその ころ紀の国の らうにんにたけ部 弥ぜんといふもの しゆせきしうしん にしておのゝかをが てすぢをしたひ はる〴〵しぶやの さとに来て ずいんせんことを こひねがひけり 〽さやう〳〵せつしやもさる方で かのさくらづけをせう くわんいたしたが どうもいへぬ ふうみで ござつた させるせうかいは なけれどもその人がら にうわにしてとくじつ なるべきわかものなれば 小のゝをこゝろにあいして つひに弥ぜんをとゞめたり このとき弥ぜんはぢひしん院にて めんくわいせし治部五郎を小のゝしんが 公友之印 ※ もんじんなりとはじめて これをしるといへ これをしるといへ ども治部五郎は かまくら にての ていたらくを はぢだり しよたいめん のごとくに もてなせし かば□ぜんも その心を すいして かまくら にてのことを いはずさかげ なきさまに あいさつせか さるほどに たけ部にぜんは ある日 おのゝをと たんの ついでに いひ けるは かまくら なる ぢひしんいんの 十一 ぢうぢはそれがしとぞ えんあるにより此たびかの てらに立より候ひしが ふりよのことによりて 思ひのほかに日をすご せりその ゆへは かやう 〽たゞ今おはなし申 ましたるこうほう しんせき御しよもう ならばかまくら お供いたしては いかゞござりませう おもむき おや しも 二郎 ひと に つな つ 小 いそ なめり 川に つきん 引江大洲 みをなげしことを物がたりことにあはれむべきはしもす即が むすめにおつうとやらんいふもの也かれこうしんふかくして おやのつみをあがなはんとほつするにそのかねとくのはず 只こうぼう大しのしんせきたるせうれは集のみ ありこれを三十金にうらんといふにまことか にせかをしるものなければいまだうれずと ふうぶんせしがそのゝちはいかゞしけんもし 年「われわかかりしときあやまつて おやにふこうのうきよ ぐるひそれのみ ならではからずも 人をころせし● かのせうれい集が大しのにくひつにきは まらばやすきものに候はずやとつぐるを きゝて小のゝしんは思はずもきやうたんし せうれい某のしんせきはわがいへにつたへし ほかに二ほんとあることをきかずしかるに わが兄さく内といゝしものゆへあつて いへでせしときかのしよをたづさへられたるが 今にいたりて十八年あにさく内がゆくへ しれず君かるにかまくらゆきの下なる 郷士のいへにしよぢせらるゝこそいぶかし けれもしそのかかねしも二郎といふ ものはあにさく内がかへなには あらぬかわれかまくらにおもむきて ことのきよじつをたゞさんとてにはかに たびのよそほひをとゝのへあけの あさかまくらへおもむきしがいさ さか思ふよしあればあんないの為に 弥ぜんをばともなはず供人はづかに 一人をめしつれてつぎの日ゆきの下なく 妻も二郎がいへにおとなひわれは むさしのしぶやより来つるもの也 このいへにさうでんせらるゝ大しの しんせきせうれいしうを ●むくひにてあく人なる じつ子をまうけりの わう死もなはめの ばちもおんをうけつゝ このとしごろむあん 法しのぼだいもとはで あだにおくりしめう ばつならん さんげに 〽みもほろ ぶときく 今ぞ ほだいの たびごろ のりのかど でのよう せん 〽わがあにふうふの ゆめのあとのこるは むすめとかたみの 一トしなたづねあて しも大しの利やう たねんのほんもう ありがたやな 〽そんならおまへは わたくしがおぢさまで ましませしか思ひがけ なきさいはひにまた かなしきはうみの うらんといはるゝよしをつたへ きゝぬくるしからずは見せ 給へといふにおつらはよろこびて そのはこながらにとり いだし小野の進がまへに おくをうちひらきていら〳〵 見るにこれかねて見おぼえ ありまがふべくもあらぬわが いへのせうれいしうなりけるに おつうがおもかげはあによめたつきに にてきりやうは十ばいまさりそのこはねは あにさゝ内ににたるやうなれば心のうち いよ〳〵いぶかりこのしんせきはいかにして ゑよぢせらるゝやらんととへばおつうこたへて それはわらはがをさなきときによをさりし おやのかたみ也とてやしなひおやの給はかき しかれどもいかなるゆゑにもちつたへたるやらんかみの おやの名も氏もつゝみでしらせ給はねばわらはゝ しらずとこたふるにうたがひはなほはれずしからば そなたは孝女也われはかまくらのれき〳〵にしゆ せきの門人あまたあればおやしも二郎をあがなひ いださんおやぢがいへにかへりてのちそのでんらいをたづね とふてともかゝもすべけれといふことのはのたのもしさに おつうはかんるいにむせびつゝ命のおやとぞふしおがむ 〽かゝて小野の辺はりよしゆくへは六へよらずそのすぢに こゝろをえたる門人三輪すぎの丞といふものゝやしきに おもむきしも二良がことをかたらひつゝあまたのあがなひ せんをもてすくひいだすべきよしをかたらふに両三日のゝち しも二良へとがをゆるされてことなくかへることをえたりかく その日小野の童はみちにしも二郎をまちうけてたいめんし しも二郎はとがをゆるされてことなくかへることをえたりかくて おやの はかなき さいでの 物がたり きゝに 一け ても ても なみだ の たね 弘法文明 そのすんしをつげしかばしも次良はおもひがけなき 高おんにかんるいをながしつゝ相ともなふてしゆくしよに かへればおつうはかどにまちわびてはゝのさいごのことの よしなげきのなかのよろこびのなみだながらに おやと子がおのゝみををふしおがみそのせいめいをたづね一 しも二郎は又さらになみだをぬぐふてたんそくしさては まれ人はしぶやの里なるさくら井氏にてをはせしか むすめにはなほつけさりしこのおつうこそおん身が兄 ぞく名はさくら井さく内ていはつのゝち法めうは 三がい坊むあん法しのむすめ也十七ヶ年いぜん かやう〳〵のことによりわがぬきかけしかたなの めくぎはしりてはからずかの人は命をおとし 給ひにきさればいまはのものがたかにそのつまたつひ どのとやらんがたびぢのさんごに世をさりしより 一ひにほつんのことのおもむきそのなきつまは よごと〳〵にをさなごにちをあたへしあやしき ことのかぎりまでわれ〳〵にときしめして ろようさへゆずり給はりこの子の やういくをたのまれしがむさし 大ぶやの郷士なるさくら井おのみをと いふものはわがはらかはりの弟 なれどもかやう〳〵のゆへ あればおとつれ無用と とゞめられしゆいごんに まかしつゝさすがにはぢて おつうにもゑほつぶさには つげざりしがいんぐはめぐりて わが実子の見うらゆへに 母は入水しむあん法師の これをぼだいのたねとしてすみのころもにさまを かえこうぼうごしのきらせきをのこりなくおがみ めぐりてむあんほうしのしよぐわんをはたさんなむあ かたみなるせうれいしうがしるべして ふたゝびおつうがをぢごなるおのゝをどのに すくはれしはめんぼくもなきわがみのあくごう 〽うきよをすてし たびなりともたより きかせてくだ さりませ 〽そなたも ずいぶん まめで ゐやれよ みだぶつとねんじつゝ めぐりてむあんほうしのしよぐわんをはたさんなむあみだぶつとねんじつく 〽しも次良 しが あんぎやの 事くは しくは つぎに 見へたり むあんほうしがかたみなるかいたうをもて もとゞりをきりはらひたるほつしんの ゑんじづさんげ物がたりにおつらはわつと なきしづむ (五 まへのゞきしも次郎又いひけるはそれかし わかりしとき不孝のこゝほうによりて 不孝大あくのせがれをまうけ女ばう 小いそはくれゆへになめり川のあはと きえわがみもなはめのはづかしめにいんぐわの どうきをさとりえたりおつうが日ころの こう〳〵にはづればかほもむけがたしねがはくは とそうあんぎやのみことなりてこんせうの あくごうをめつしらいせのくげんをまぬかる べしとさんげしておつうがことを小のゝをに たのみゆだねてわかれをつげさく内がかいめうの いちじをかえてさんがは坊むあん相あみだぶつと ほうめうしすみのころもにさまをかへて ながきたびぢにおもむきけり思ひさだめし ことなればとゞむべきよしはあらねど 今さらに又なごりをおしみて むせかへりつゝなくおつうを 小のゝをはいさめさとて しもこら法しがかどでをみおくり さと人をかたらひてあとのことを とりまかなひつひにおつうを ともなひてしぶやのさとにたちかへり さてありしことともを女ばうおくてらん 物がたりおつうを引あはせこうぼう 大しのしんせきをおがませなどするに 家内のものはさらなりそのことの おもむきをもれ聞たる門人まで きいのおもひをせざるものなく ずいきのなみだをながしけり かくて小野の進はおつうにしゆせきを まなばするにかれはとしごろ大しの } しんせきを手ほんにしてならひたるに しつせきを手ほんにしてならひたるに 今又小のゝ進が心をもちひて をしえづることなればいよ〳〵上たつして 治部五郎弥ぜんらはさら也小のゝをも 〽またしてもはぢしらず みだらなことをさしやんすと をぢさまに つぐるぞへ 部 〽ひんしやん するを こはがつて しらはに こひがなる ものか あんまり つれない 命とり めが およびがだしと思ふばかりになりにけりしかるにやみ坂治部打らは いろこのみのくせなればいつしかおつうに心をかけて人なき をりにたもこをひきさま〴〵にくどきよれどもおつうはその 心ばえいともたゞしきをとめなればそのたびごとにうち はらたてうつれなくたしなめこらせどもをぢのひさうの でしなれば栗はがりて人にはつけずうるさきことに次第 おもひけりしかるをなほ治部五郎はいさゝかもはぢとせず せひにおもひをとげんとて人なき折をうかゞひしに ある日小野の進はあざぶのさとなる門人にまねかれて たけ部弥ぜんをともなひつゝかしこにおもむきつまの たいひひせんをともなひつゝかしこにおもむきつまの おくてはにざしきにかみをゆひけはひなどしてをる ほとに治部五郎はこれくつきやうの折也けりと よろこびてげなん下女らがひまをうかゞひわり なくもおつうをとらへてほゐをとげんといどみ はくどくをおつうはやうやく引はなしにげんとすれは いつのまにかいでゐのすぎな いつのまにかいでゐのすぎ戸をとざしたりには ぐちならてはみちもなしかどへいでんにはさすが にてこゑをたてつゝにけまはるをなほにがさしと おひまはしおびつめんとする折しも小野の進は あざぶよりかへり来てこは何事そと内にける 出あひかしらをそれとはしらずまなこくら みし治部五郎師匠にしかといだきつき かほ見てひつくりはいもうしそがひになりて かしこまるおつうはなほぐと〳〵とのゝしり ながらそらどけしおび引むすびなとする ほとに小野の進はゆう〳〵ととこはしらのかたに 座をしめ治部五郎こゝへいでよなんぢは門人の かみにゐながらわかき弟子ほうばいをそゝのかし やうしよへいさなひあまつさへわがめいに不義を いひかけてむたいにほゐをとけんと せしなごんごどうたんのくせもの也われ この事をかねてよりしらざるにあらね どもさすがに師弟のちなみを思ふて おんつびんに すゞ せしが 今は やるし それのみ ならす なんぢわが 名だいと してかま くらへおも むきしとき 門人のおくり 物をつかひ うしなひあま つさへぢひしん院の あくそう見西がぞくせう あらはれてらをちくてんしたるをり なんぢもかれがどうるいなりしといふ ふうふんありわれかの地へゆきし日 これらのことをきゝたるなり しせうのつらへどろをぬるにんぐわいの ふとゞきものこんにちより 破門也すみやかにいてさるべしと のゝしられて治部五郎いかれる まなこを見かへしてかたなを とつてこしにさし人のうはさを せうこにしてとうぞく よはうせられては われも又いちぶんたゝず ゐよといふともこゝにおらんや 師弟のえんをきつたれは おきみやけにはまつこの とをりといひもはたさず ぬきうちにきらんとするを 小野の進はつはもととつて引たくり かたなのみねうちりう〳〵はつしと うちすえられて治部五郎は しばらくおきもえざりけり「つぎへ 〽ほうぐわいなること いはずとも 治部五郎さ おたちやれ 弘去大師 〽テモ よい ところへ をぢこ さまの おかへり なされ うれしや 〽おんをうけて師の名を けがすこゝな人で なしめが てもんした でて うせう 〽いでゝゆけといはれずとも していのこんんはこつちからきる おのゝをこのへんほうはきつと するぞよ すこしおくれてかへり来たるたけべやぜんはことの やうすにすゝみかねてひかへゐたるを小のゝをこれを うすにすゝみかねてひかへゐたるを小のゝをこれ よび入て女ばうおくてをよばするにおくてはことの さわぎにおどろきさきよりすぎ戸のあなたにて たちぎゝしてありしかばよばれてやがてすゝに入り をつとのきさゝをなぐさめつゝゆるかせなりしるすを わびてやがておつうをいざなひさてなん戸のかたへ しりぞきぬかくてやぜんは小のゝ遠がさしづに したがひ治部五郎を引立てをり戸ぐちより おひいだせしがあにでしのことなれば今さらに ふびんに思ひて心をあらためきやうごを つゝしみをりをまつてわびし給へと きやうくんをしたれども治部五郎は ありし日のぢひしん院にてのことのよしを 小のゝをがしつたるはやぜんがひそかに つげしならんとわがひがみよりすい りやうしてこれをもいかりうらみしかば こたへをばせであざわらひ大手を ふつて立さりけり ○かゝて又半ねんにまりをおくるほごに かまくらのくわんれいあしかゞ氏かね あそんのきんしん三和杉之丞あり跡は ことしごろ小のゝ遠が門人にてさきに しも次郎をすくひいだせしくなるが くわんれいのおんつかひとして小のゝ色が しやくしよじゆらいしたいめんして いひけるは先生のそくぢよおつうどのは こゝんにまれなるいうじよにしてしがも よくうたをよみぶんをつくるよしらんきゝに たつせりこれによりてくわんれはけの御あいぢよ るりひめうへの御しはんになさるべしとの げんめい也かつ又こうほう大しのしんせき せうれいしうをさうでんせらるゝよし きこしめし御らんなされたきとの事也 〽御じやうしさまには 御くろうせんばん かくまうすは たうじゆくのばつてい たけ部やぜん おみしり なされて くださり ませ 〽めいはもち それがし まで めんぼく あまる 御じやうの おもむき ちくいち そんゐを えまて ござる むさしさかみはさかひをまじへたれども そのみちなほとをしかまくらにおいて やしきを給はるべきでふおぢ小野の遠 ふうふはさら也家亡の男女をめしぐして すみやかに引うつるべしせうえんとうは さん上のゝちよろしくあておこなはるべしと 仰いだされたりおんうけあるべしと のべつたへてみぎやうしよをわたせしか 小野の色はつこんでうけ給はり やがておつうをよびよせてげんめいの おもむきをつげしらせ又かの せられいしうをとりいだして せられいしうをとりいだして □□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□ おんつかひのないらんに入れ 弥ぜんらをもてさま〴〵に もてなしければすぎの丞は よろこひをのべてあさ からぬきやうおふにそひす からぬきやうおふにえひを つくしきんじつおつうどのと ともにこのしんせきを たつさへ家内をともなふて さん府したまへとうながしつゝ やがてかまくらへぞかへりける 〽かやうなめでたいおんつかひをうけ給はりしも 先生とはしていのちなみこれあるそれがし きみにもあつきおぼしめしをはしませして 四十一 きつし入ります 小野の進はよろこびにたへずして そのよかくておつうらにいひけるは むかし大しぢゞいがひきうすの たとへをひきてわがみせんのことを しめしたることばにわが兄さく内 どのはぜんぜのあくごうによりて どのはせんせのあくごうによりて 立かへることをえず。かへらざれども かへるがこときさいはいのあるべき也 なるべしさく内どのはすくせあしくてたひぢ いつたんとみさかふるともゆつるへき人にあは すみやかにいんきよせよとをじえしはけふのごと なるべしさゝ内どのはすくせあしくてたびぢにのまべし むなしくなり 給へども娘の おつうがおや ざとへはから にもかへりしは かへらざれ どもわが あにのかへり 給ふにこと ならす ならず又 ゆづるべき ゆづるべき 人といひしはおつうが こと也かれがしゆせきは われにもましてくわんれい けのひめかへの御しはんに めさるとうへはわがいんきよの ときいたれりあまたある弟子の うちにたけ部弥ぜんはしゆせきも すぐれて武げいも又大かた ならず心ざまとくじつなるに そのちゝはなんてうのらう人よけな 左衛門といひしもの也ときけりわが ちゝ海えんぬしもにつ田家のちう人 なればそのちなみなきにあらず かゝれば弥ぜんをわざなき兄の めうせきになしておつうを めうせきになしておろうを めあはせうとくをさうぞく ほつそくのようゐぞいそきける ○さるほどにやみ坂治部五郎は しせう小野の立がいへをおひいだ さすべしとてまづかまくらへ されしのちしんるいにも見かぎられ されしのちゑいるいにしよんかきられ よるべなきまゝにかまくらにおもむ きてかりそめのしるべをたのみ半年 一 あまりおくかしがらうにんのたくはへ つきてをはうちからすまゝにわが身の あやまちをばくひもせずひたすらに おのくをねぜんらをうらみつゝい参もして ゐしゆをはらさんとおもふにいさゝかつたへぎゝ たることあればそのきよしつをしらんとて しのびてしぶや人おもむくほどにわざと かな川にて日をくらしさよふけて すゞがもりなるいそばたを とほりけるにあまたなる 野ぶせりらたき火の ひかりにこれを見てひと しくたちてみちをさへぎり 見ればものもなさそうなり こよひはさしたるとりも かくらずやせらうにん でもたゞはとほさぬ ふるわんぼうを身 ぐるみぬぎてこし かたなもおいて ゆけとたけりかゝ れどちつとも さわがすから〳〵と あざわらひしに そこなひのやせ いぬどもよふけの かいどうせうちで とほるに人をも しらずほへかゝらば あしこしの用心せよと いはせもあへずぼざい いはせもあへすぼざい たりたゝんでしまへと ぜんごよりうつてかゝるを とつてなげにくみつくを 引つけてもんどり「わざへ 〽二ほんざらでもひとりたびたかのしれたる はしとしごとばらしてしまへ なにようこしやくな 後一 〽二尺八すん だてには さゝぬ よく人を 見て ものをいへ みぬらは いのちが 〽ようろん いろの すこそでに たしか がた がた あかいわし 女ぬもの おもへども 身ぐるみ ぬいで きかくと とらせて やつて くたァア くたませ 山玄太川 五 願比此功徳説 発菩提心往生 て 〽六どうのうげの つゞき うたする しゆれんの やはらに かなはぬ ゆるせとのぶ せりらはみな 大ほさつもさかてに かつへ給ひいゝちと かりささのぢざうかほ この世ではがれて みらいをたす かれ ちり〴〵ににげゆくを なほもおはんとする ほどに一にんかしらと おぼしきのぶせり さきより こかげにたち かくれて しばらく せうぶを うかゞひ ゐたるか てしたの ものども ちり〳〵に にぐるを見 かねてはしり いで治部五郎が □□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□ うしろよりかたなの こしかをしつかととり ふたあしみあし引もとせば ふたあしみあし引もとで たぢろぎながらみをひね りてやいばをぬかんとする ひぢをおさへてつけいるしゆれんの はたらきいどみあひつゝ 治部五郎はあみがさのひも引 ちぎられてたがひにはじめて かほうち見あはせそちは 見西坊主じやないかわぬしは 見西坊主じやういつたすがたで やみ坂治部五郎かはつたすがため とちうのたいめんこれは〳〵と ばかりにもろひざうちてたき 火のほとりの名□りかけさし むかひ見太郎坊主はぢひしん 院にて治部五郎がやうそくを たがへてすくはざりしをうらみ あねのおつうをひきいだしてうらんと したるにことならずかくまて おちぶれはてゝつかみ九郎と ゐみやうせらるゝわがみの うへを物がたれば治部五良も 又そのよにはかにかいなの なえしびれてすゝみがたかりし なえしびれてさ よりるらうせしことを物がたりかくわづかなる はたらきせんよりわれにかやうのもゝろみ ありわぬしてしたのものにもすゝめてわが たすけとなるときは大がねになるべきなり そのゆへはかやう〳〵とおつうがことのはしめ をはりおのがうらみのよしをつげみつだんときを うつすにぞ見太郎坊主つかみ九郎は聞はてゝ ます〳〵よろこびしからはさくらはおいし色が かまてへおもむくとちうにまちぶせしてうつて とりそのまぎれにこうぼうのしんせきをうばひ よしをつげ又らかごろしか〴〵の事に 咒 ………………………………………………………………………………………………………… をりしもくもりし うすづきよ ぢざうほさつ おもひしは さうぞくで あつたよ な とりかつうを さらつてふける ときはなるほど かねになるしご しからば とせんかくせよし その日のあいづを しめしあばせて しめしあはせて 治部五郎はよあ けぬひまにと しぶやのかたへおも 一むきけり見太郎 坊主はあと見 おくつてさても こよびはまんの わるさよ又一ト ごとかいどう なる石ぢざうをおし てかしやれがさふよくいたゞ きてだいざのうへに大あぐら よきとりもがなと〽わざへ まちゐたりかゝるところにしも比良入道 相阿弥はさきにかまくらをさびだちにて まづむさし大しがはらなる大し堂へさん けいし百日こもりてきねんをこうしたか ければたちまちかんどうせしことあり いよ〳〵しん〴〵のむなしからざることを よろこびてそれよりえのしまのいはや ばう州なごのくわんおんすべてくわん とうすぢなるこうぼう大しの きうせきをじゆんれいしふたゝび 大しがはらへところざしこの日は芝 大しがはらへとこくさしこの日は芝 うらにやどとりしが八つのかねを あけ六ツぞとかぞへたがへて よぶかにいでしことなればすゞが もりをよぎるころ月はおぼろに かきくもりてさすがにみちをさり あへずゆんでのかたにたゝせ給ふぢざう ぼさつにゑこうしてこゝにあくるを またんとてかねうちならしなむ あみだとんせうぼだいとねんずれば あやしいかな地ざうそんは右のかいなを おしのべてしも次郎入道がえりがみ ぢざうもはなはだなんぎ也よらひためたる ぜにあらんぬのことともにきしんせよと いはれて思はずおどろきしがこゝろを しづめまなこをとぢてなむ大しへん ふし義なるかな見太郎坊主はこぶしを まろびおちにけりときにそらさへくも はれてくまなくてらすしんによの月 はれてくまなくてらすしんによの月 〽われはぼんぶの今どうしん ぎやうもほうもまだしらねど しゆつけしてしゆつけをとげざる はかいむざんのなんぢを うつはとりもなほさず 十二ト これぶつばつ ほねみに こたへたか つかんでぐつと引よせこのごろのさむさには ぜうこんごうたすけ給へとねんずれば ひらきてだい座のうへよりどつさり 見あげ見おろすたがひのおもかげ見西ならずや おやぢであつたかなむさんぼうとにげんとするを引すへて ずゝはすなはちほとけの御手 〽まへのつゞきしかくてしも頃かき入道さうんあらんあんばかくな 〽うちすて川さきのかたへおもむきけりおもむきけり せざりける大あく不孝の見なら江坊主も玉つぱつぱつなり けるにやうられたるところはれあがり みあねいたみ てたへがたくひさしく やみていたり こへをあらゝげあくしの むくひは今そのさま でもわるき心をあら さめえざるちらせうに 候をいふべきなんぢ ゆへに母は入水し われはかきよをすて ぼうずだいばが あくにもおとらぬ くせものとくしな ずやとずやふり あげてりう〳〵 はつしと うちすへたり 音 むべなるかな しも次郎入道が もつたるずゞは さきに大しかは らの大しだこへ 百か日さんろう してけちぐわんの あかつきにむちうの ときうつりてしな川にて はや夕ぐれになりたれども びやくせん だんのねんず なればかゝ きどくのありし なるべし▼ さるほとにしぎのさとには さくら井おのゝをかまくらへさんこうの ようゐをいそぎかざいちやうどのたぐひは さきだつてしな川うらよりふねにつみ きたつてしな川うらよりふねにつみ 入れて三輪すぎの窓がやしきまで おくりつかはしおとておつう弥ぜんらと しもべ三四人をしたかへて五月十五日の あさかどいでをするほどにさと人は さらなりちかきわたりのもんじんじん なごりをおしみむまのはなむけ するほどにりうぐつのさかもりに はやるか かねて川さきどまりと さためしかばいそがはしく人〳〵に 立わかれてすゞがもりの いそばたをすぐるころは十五やの 月たかくのぼれりしかるに見太郎坊主 つかみ九郎は手あしのいたみなほ いえずこの両三日はこしさへたくず なりにければわがみのくつうに なりにければわかみのくつうに 治部五良とやくそくしたることも おもはずみちのほとりなるわら ごやにうぢふしてをるほとに〽つまへし 人迄大師 十六 一)十二 〃〃〃 三三 同断同二 ………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………… 川助ける IIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIINNITIIITIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIII 1000000000000000000000000000000000000000000 がりかり‼ 川加川村 一一一一一一一一 三三二 この日手したの野ぶべせりどもはしり来ておやくたいたははいまだいえずや このごろなかまのものどもにいひつけられし大じごとはいよ〳〵けふにきは まりしとかのらうにんよりしらせたりそれからそれへいひつぎて大うた こゝろをえたれどもかんじんのおやかたがねてござつてははじまらず 又このことをかの人にしらせたいものなれどもあしもとからとりの たつけふになつてはそれもえならずちつともこゝろよいならば でてさしづしてくだされといへばやうやくおきなほり大がねに なるしごとでもこしがたゝねばたからの山をおもとから見る ほかはないおればかりをちからにせずとわいらずいぶんはたらけと いはれてそらをうちあほぎけふもはや七ツさがりしやつらが 来るにほどもあるまいそんならなかまをよびあつめもくばり せんといひかけてひがしをさしてはせざりけり 〽さるほどにさくら井小野の進はしな川の小やすみ にてたちおくれたるあしよはをばあとよりともなひ 来よといひて弥ぜんとしもべ両人をのこしその 身はせうれいしふのはこをたづさへたびのり物に うちのりてすゞがもりのいそばたを十町 ばかりゆくほどにまちぶせしたる治部五郎は まつのしげみに身をかくしやごろをはかつて やかすぐしねらひすませしたねがしま火ぶた をどうときつてはなせばねらひたがはず のり物のまつたゞなるをぞうちとほす おとにおどろくかごかき両人しもべもともに わつとさけびてふしつまろびつにけうせ たりしすましたると 一治部五郎はてつほう はたとなげすてゝ とゞめをさゝんと のり物にはしり ちかづき手をかゝれば 内よりひき戸を おとは たしかに 大さてはかたきは治部五郎 なんぢがひどうのつゝさきに なんでふいのちをおとさんやと のゝしられてぎよつとせしが 右のかひなにいたでをおふたる かれ何ほどのことあらんと あなどつてことばもかはさず たゝみかけてうつたちを 小野の進はのり物を小だてに とりてさへぎりとゞめしばらく いどみたゝかふほどにおし いとみたゝかふに たふしたるのり物の うちよりいづるせう れいしうえたりや おふと治部五良丁と けあげてかいつかみ 一たんばかりうしろ なる見太郎ぼうずが かの人アヽこれ 手さきがむづく すれどながめて ゐればおにはのさくら にほひもかゞれす いめへましい な わらやのうちへちからを きはめてはたとなげ入れ ふみこみ〳〵たまふたりけるとこ ろにたけ部弥ぜんはおくておつうに あひしたがひしな川をたちいでつゝ もりの八まんのやしろのほとりにて にげて来つる小野の進が供人のしらせに おどろきふたりいをんなもり物をば しばらくみちのほとかにたゝせてつざんし く去七升 けはなしてあらはれ いづるおのゝくをさいはひに してきうしよを はづれ右のかひなを てつほうにうち ぬかれたりければ ひだりのかたに かたなをとつて 一ツ天ゟ上へつゞく 〽なにもの なれば りふじんに とび どうぐ うちかげ しかれども てはあさし おどろく べからず さわぐ まい とぶがごとくにはせくれば あとさきさへざるのぶせつども ソレうちたふせとかせづゑ ふりあげきそひかゝるを ものともせず うちこむつゑを 引つけ〳〵とつて なげすてたゝき ふせかつたゝかひ かつはしるをなほ のがさじとしたひ 〽なめら さんぼう 来るうしろのてきも すておくれずいつたん あまりあなたには はけしくたゝかふ 小野の遠きくでの いたみに治部五郎が きつさきをあしらひ かねていともあやうく 見えしかば弥ぜんは しぜうをすくはんとこゝろ しきりにはやれどもなほ あまたなるのぶせりらを 引うけたゝかふ折なれば はるかに見つゝそのところへ はしりぢかつくことかなはず かたなをひだりにとりなほして 〽すけだち ならぬてづめの せうぶあはひはすこし へだくるともめざす かさきへとの かたきへ思ゆれんの しゆりけん たゝかひながらわきざしの かうがいをてばやくぬきとつ 治部五郎がみけんをのぞんで ヱイ 丁とうつたるしゆれんの しゆかけんは 〽右のかひなはかなはずとも なんぢらごとき なまくらはがねで おのゝしんは うたれぬ〳〵 〽ひだりぎつちやう でかす〳〵なぶり ごろしだくわんねん 〽どつけへ しめたぞ 〽そくちは うつたり うつたる こつちは かつたい ぼううち ほどな かります ちのなみだ おならが でそうで かかない 〽ダア 山法也師 音 〽海部 五郎へうち かけし弥ぜんが しゆりけんそれて 見太郎 ぼうずを うつ 治部五郎がかうべのうへを とびこへていづたんばかり とびこへていつたんばかりしろ うしろなるわらやのむしろ 戸をつきぬいて見太郎口 ぼうず見西がむねの あたかへはたとたてば あつとさけんでのけぞつたり 治部九郎はたけ部弥ぜんがしゆり けんにしたをふるつてそのいきほひ はしめにすず弥ぜんはえたりといへ なしわりくるまぎりあるひは大げさ からたけわかにひとりもあま さずきりたふし又ちがたなを うちふつて治部五郎がうしろ よりおめいてけるたちかぜに 治部五郎はへき名きして やいばをひいてにげんとするを やいばをひいてにげんとするを に出しもやらずおのゝをが しよたちにはたと きりたふせはあとは弥ぜんが うけとりてしせうに はむかふてんのせめ 思ひしらずやと さへぎりとゞめし野ぶせりらかまんなかへ おもてもふらずわつて入りまつかう 〽ひどうの のゝしりせめてづた〳〵に きりさいなみづひにとゞめを さしたりけるかうところに おくておつうはのぶせりらが むくひ てんのせめ てんのせめ 思ひしつたか のこりなくかたれたるよしを きゝてのか物をとばせつゝみな このところへあつまりて小野の進が 命めでたく弥ぜんが式げいひるい なくあまたのあたをたちどころに ほろぼせしをよろこぶほどに まつかけなるわらやの内にて うめくこゑのきこゆるにぞ 弥ぜんははるかにうち見やりて それがしが治部五郎へうち 治部五郎 かけししやりけんそれて あのわらごやへとび入り たりしと思ひしがさては 〽こちの人のつゝがない かほ見てもまだおち いかぬむねはだゝ〳〵 つかぬむねはだゝ〳〵 ぢびやうのつかえ どうまあ おさまること じややや 〽このあく こよひのきう こよびのこと なんもつとも のがれがたからんに さいびにして かたゐをあやめしか そのせうすを見 とゞけんといびかけて たゝんとすればヤア〳〵 ん〳〵まち給へその しゆりけんのおちたる よしをそこへまゐりて申べしと たからかによびかけて見太郎ぼらずを 引たていゝせうれいしうのはこをいだきて 立へいづるものはおつうがやうふいしもすとに 入道さう阿弥をよはりきつたる見太郎 ぼうずをどつかと引すゑて人〳〵に うちむかひさきの日よふけてこのところへ 物かたりそれよりしてせつそうは大しがはら さんけいしみだうにこもつて日をおくりしに さらに大しのじげんをかうむりさくら井 氏の事をもとなくたゞ今こゝまで 来たりしにさいはひにして治部五郎ち あまたのあたはほろびにき しかるにかしこのわらやの内に このくせものがふかでをおふて うめくを見ればおや子のおん 見太良坊主をうちこらせしことのおもむき 〽をさない ときにはもろ そだちしてそんみの おとゝにことならぬ 人のまつごを すゝはれぬ さりは あいさすがによそに見すぐじ がたくうらのかたより立 まいりことのやうをせめに まはりことのやうすせめとへは こやつもかねて治部五郎にかたん したれどそれがしがずゞにうたれし よりみほねはいたみこしたゝずたゞ そのてしたの野ぶせうらにはたらかせ こやつはかしこにおも〳〵とけんぶつしてゐたりしが 思はずそれたるしゆりけんにかくまでふかでを おひぬといへうつら〳〵ものをあんずるにこれまたつぎへ 公去也印 第 〽悪人なれ共 うはの正念これも すなはち大しの利やく ゐざりとなり しは大しの おふごその 身の ばつ 〽は〽と 思ひあたつ たゆるして 下され置 ぢさま なむあみ だぶつ〳〵 いんぐわのどうら也ありし むかしはそれがしふしふしふしふしふうふうふしふ にて死をきはめ小いそを さゝんとせしやいばのめくぎ はしりて思はずも 小野の遠どの舎兄 なりし作内ほうしを あやめたるいんぐわ めぐりてわが子の さいごもおもひ がけなくしゆり けんのそれて 命を● 四 ●おとすにおよぶ してふににたる むしろごやことの おもむきあひおなじ しかしながら見太郎 坊主が大あくひどうの めうばつ也とはいふもの これも又おやのいんぐわが 子にむくふめん ぼくもなき わがしゆく ごうやう やくこゝに めつすれば 又かぎりなき よろこび也と ことつまひらかに ものがたればおのゝをも 〽さくら井小野の進がめいぢよつうならびに 門人たけ部弥ぜんめしにおふじて すなはちさん上 〽三輪杉之丞 ひろうする 〽くるしう 両人とも ちかう かうぎやうせりこれよりして おろうがなたかくきこへ おのゝをがめいなれば よの人おのゝおつうとぞ よびなしけり たんそくしはれも又しゆくごうの よぬかれがたきよしをしれり しん〴〵のきどくによつて右のかひなの やまひもいえむひつなりしもしゆせきをもて かとくをつぐこと十九ねんめいのおつうがのうじよと なりて今らま三郎へまゐるにおよびわれはまた てつほうにて右のかひなをうちぬかれもとの かたわとなりぬればふでとることはかなふべからず これ孝しんにしていへでせしあにがかとくはあづ かりものそのひつほうもわがあにのむすめ おつうへかへせし也とおもへばなか〳〵よろこばしくと たがいにさとるいんぐわのことわかみゝに入りてや 心のおには今ぞうせたる見太良坊主はちに まみれたる手をあはせねんぶつ十へんばかり となへてたちまちにいきたえければおつうは さら也み〳〵もそぐろにたもとをぬらしけり ○かくておのゝをおつうらはつぎの日かまくらへ さんちやくして治部五郎見太郎らがことを申あげ まづせうれいしうをたてまつりしかば氏かねあそん きこしめしておのゝ色がきずやうぜうをめいぜられ おいう弥ぜんをめしいだしてことのよしをたづねさせ給ひ おつうには庄ゑん百丁弥ぜんには五十丁を給はりつうは ひつがくと和歌をもてなりひめにつかへよ弥ぜんは武げいを もてわれにつかへよと仰いだされておんさかづきを給はりせうれい しうをかへし下されそのゝちおのゝをがねがひによつておつうを さくら井作内がかとくとなし下され弥ぜんを小野の辺が やうしに仰つけられおつうを弥ぜんにめあはせてさく内おもゝかを 兄弟のいへをひとつにすべしとめいぜられしかばおのゝをはふかく よろこんであふぎがやつにいんきよしふうふしづかにおいをやしなふに おつうねぜんは孝をつくしてまことのおやのごとくせりされば弥ぜんは ぢひしん院の正念上人にしやく用のかねをへんさいし寺内に大し 堂をこんりうしておつうもろ共作あみたろき小いそちがついぜんの大ほうじを 〽つうとやらんは そなたじやの 〽よにありがたきおんめ見へ 〽御ぜんよろしくおとりなし 夜 〽ひとへにたのみ あげまする 国貞画へ 曲亭馬琴作 〽とうほう大しよりかんとくなされたずぐ なればとりもなほさず大しさまの おかぢをうくるどうぜんじや みなしゆ〴〵なされよし さるほどにしもつゝに入道さうあみだふ心はその日 見太郎坊主治部五郎のぶせうらが死がいをこひうけて つからきこめそれより日本くわいこくすること つか少きこめそれより日本くわいこくすること 十ヶねんにして今よくらへたちかへりかのずゞをもこゝ しよにんのなんびやうをうぢするにいづれも いえずといふことなし又かのよはゑもんは 見太郎ぼうずにきずつけられしより あしこしのたゝざりしに相阿弥だぶつの かぢによりてきうびやうたちまちへいゆ せしかばうらみをわすれてぐつこうし ならびなきしんじやとなかぬ げにぶつほうのふかしぎなる たふとかりけることゞもなりめでたし〳〵 婦人ちのみち諸病の 縁由女易 □□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□ 妙やく包百銅 傳示す 米 財奇應 奇應九 製 大包二朱 中包一匁五分 小包五ト 製 婦人つぎ患薬 一包 小包 六十四文 三十二文 ますきは 森沼板 ○薬取次所 芝神明まへ 真方黒丸子一包代五分 江戸元飯田町中坂下四方みそ店向 瀧澤氏製 間家神田明神下同明町東新道 いづみや市兵へ 大坂心斎はし かはちや太介 曲亭馬琴作 市二三作 文 弘法大師誓筆鴻金 全六冊 万両 兄弟邂逅両剣徳全三 命じ 全三冊 歌川国貞画 歌川美丸画 政 (新辰三政文 式亭三馬作 宮本武者四 羊卯鳥分吾 片木山才言 巌崛要 歌川国貞画 美洲 縁亭可山作 於楼 一金兵衛目 時雨の猿蓑全 如風の打手元 歌川美丸画 版新辰三 十返舎一九作 方言修行 十返舎一九作 善光寺参詣 金草鞋全九冊 金草鞋全六冊 同同同同 四国編路 歌川国丸画 十四編近刻 口上 金のわらじ初へんゟ十三べん迄売出し候 合巻草双紙并小本合巻新はん 売出し候間何分御求被遊御高覧 のほど偏奉願上候已上 地本問屋 馬喰町 木林屋治兵衛 錦森堂 二丁目