海の泡噺

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ウミノアワバナシ
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東北大学
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海の泡噺 む □□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□ □□□□□□□□ 二丁 { 〳〵いたい { 四日 荒井恭唱氏ノ寄附会ヲ 以テ購入セル南博士 浦野亭吉氏著書 海の泡壷 江川の海浪も静の真中へ声高砂と大勢の智仁 武勇のみ股の士をはこびて築立る御台場迚厳重に 嘉永七 威勢異国愈靡く吹を粛く寅の春に 朝日 甲寅や 輝きさす潮の中に住居し貝類の蜊哈破家猿 煩塩吹貝も打つれて雑路裏々くと這出る途 の跡に塩吹の哀れ無常の声をしてコウ蛤サン是は どふいふ事であろふ此海中を此よふに埋め潰して わたしくいが居所までなくなりて小貝親類傍輩 も思ひ〳〵にちり〳〵と行末とてもたよりなく アノ人声の出そろしひおまいよふすを御友 かへと云に齢ふりかへり此海中へアリよふに山を築 とは大変じやとふいふわけと思ふ内岡に住居し 小雀のおいらの中間え飛入し岡のよふすを聞た れば海を埋るは御台場とて去年の夏は異国から 船のきたりて御要害大名方の大さわぎ御金の入ると シヤベル 故手前は今迄何所にいたと聞にわたし者 是迄は歓学殿の蔭に生れ聞覚へたる裳求や史 記に左伝に其外しけ漢書も大体おほへ込夫から 上野浅草の両の御堂や堀の内祖師の八戒八葉の 妙法蓮卒の題目も聞覚たる幸に神道え又 こゝろざし神明社内の拝殿の住もあきて御屋敷の 御殿の屋根や御座敷の御縁の先江もチヨウ〳〵と御長 屋迄も飛歩行市中残らず裏表おもて住居の 商人は欲にひつぱるつらの皮諸色を高く金銀の 貸侍迄も不実意を見るも身の毒広野江と ゆけば鉄砲太同に西洋流の人声に広い世界小さ の此身置処なく海中へ姿を替て飛入りて見れは 俄に埋立る有為転変は溜陸も同し世界の有さま で聞につけてとも御台場のよふすを誰ぞに聞 たへと向ふを見れは若角に宝螺の居るを見付 猿頬 戸をかけユウホウサンどふじやわたしらは居所を 埋潰されて宮迄よろ〳〵逃て来たホラまりやア とふした事で「瓢とふしたとは御存ないかへ唄に ある通り霧烏の内かげにうかれくる身の悲し くを今は我身に引かへていきた甲斐ないこの からだねくらに迷ふて居るわいのふアサリコウ猿頬 晒落所ジアしネイ時に蝶サンあの品川の海を無噎に 埋潰は何ンの事じや〽ホテあの海を埋るは御台場と 言て去年の夏異国の船が浦賀の港へ俄に乗込 人で夫から始た。御要がいの御台場よ去年の六月は 陸の方がエロウさわぎで又此年も異国の船が来る とて夫で此御台場を案にはふかい御計策かある歟 知らん我々にはかたで一向にわからんといへば〽人は万 物の霊小天地と尊み孔子サへ人は裸寝の長じやと 云々智過才覚は人程賢いものはないに此海の 中へ庭の置石を見るよふに御要害の御台場を 拵へ大騒な御金を入れて万一異国主たりて軍を 仕懸たらバ打払ふための御要害御帰じやそふなユリヤリ ユリヤム 少と浮雲ものじやテ都てかよふの所へ御備の陣 処をするは死地と云て軍立の備には餘り好まぬ陣取 じやと云事よ其訳と云は此御台場え味方から自由 に続く勢の後口備と云ものもなく異国の奴等を 一番に打払ひたらばよけれども異国船のくるは必 春夏の間なるへし軍法には春は東をかたず 麦は南を制せすと新田義貞も冬北国を刺して 終に発し漢土にては漢の高祖冬北国の匈奴 と云戎を費て味方利を失ひ大に敗北して 戒に見侮れ生涯我に脳され難渋したとさ是 等は畢竟天の時を考へずして敗北しこり 此御台場も其通り春夏は多く東南の風あり 其時に南に向て大筒を打時は忽ち味方の方え横が なびきて味方の矢先見へ兼又敵より打し大筒は真 ともに味方え煙と共に玉の来るであろふ其時味方 国をはづさず敵を砕かばよけれども万一打損し こならば味方は皆殺とならん尤後詰の御手当 もあるであらふが者の大将方は好まぬ死地の 陣取ジヤ併夫には味ひある御計策のあるてあろふ さ〽始螺サンの云通り去年異国の船のきた時は 大さわぎであつゝ乗込んで来た異国私はわづ か四艘の船で其上軍をす景色もなく唯軍船に 岡つと日本で見た事のない蒸気船で来たと 兵計だ異国の奴等も軍をするには跡に続く 諏詰の船がなくとは死地江四艘位の船を乗込んで 中々手出しをする気をはないに岡の大名方の 大騒は何事であろふ周章騒ぎて千ト異国の 奴らにも気の毒てあらん能ク思ふと見ふし 四艘の船へ五百人宛乗てきても二千人日本の 十万石位の大名が御二方も向ふたら一堀りに握り 潰してしもふであらふ夫に異国の永が掛り 場所がわるいとて少し動したれば岡の方では ビツクリ仰天し早半鐘を打と云て諸向へ触出し たと云事ごやが惣体軍の時は早半鐘を打ものか 江戸ヲヨ軍と云ものは大事にて昔唐土の世の世の 乱たる時は彼鉞を用ゆるとて釼戟を以テ切 鎮めて世を治め又能く世の治りたる時は楽を 用ひて民心を和らぐとて楽器五ツを作られ 第一に壇と云五笛を造り是は北方の水の声にて 五音には羽と言唇の音此声は仰息と言て深く 思ふ事を主り又南は絃と言を作りて火のそ也 火は湯にして喜養を施し万物ヲ和しくや 鼓は東に属し陽気を発生する方故蟷螂東 にあるときは敢て指さゝずとにじの出とさへ 指さす事をぜずといふ程の大切の方鐘は西に 属し万物を粛殺す陰声にして剛断と言て 強きをたつ時に取ては秋の陰背の気たる故に 太皷は震雷と云て軍の時に責太鼓とて是を 打て責懸り又味方を引あぐるときは鐘を打 鳴らしと味方の気を鎮めと引揚る既に 火事にも出太鼓しめり鐘といふも此事也其陰 声の半鐘を打て夫々の詰場え参ると言事は 又御法のある事であらふき昔の大将方は左様な 逆事は嫌ひ也既に奇に順なる時は万筋を育し 奇に逆なる時は万物を按すと軍は惣して 順を以て逆を討と言兎角天理に迷わぬよふに するジヤとさア十ン螺サンおまいは軍の事はたつい切者 だがどふゆふ事で御存ジヤ〽私の先祖は軍といふと 一審がけじや其訳といふは私の声は十二律の外に て陽気りテしとする故ホラ貝の声を発る時は 山岳谷々迄嶋渡り其響にて猪猿狼も恐れを なす故に一番貝にて兵粮を遣ひ二番貝にて 貝是を着し三番貝にて持場に詰め大将の 下知を待つ数騎の中ても皆わたしの声で備を たてる神代より源平戦応仁の舞又は新田足利 楠の合戦夫ゟ武田上杉の軍立陣取模様も能々 見覚へと居るよ軍といふものは極々大事な ものど軍師名臣なくてはならぬ故唐土にては 下賎の農夫たりとも軍学に達し智ある者を 撰みて軍師大将に命して合戦をする故に 周の武王は大公望を抱へ只呉王は孫子を軍師とし 湊の高祖は張良韓信を抱へ男の玄徳は臥龍 山へ雪中に三度迄足をはこび乳明を頼みて 軍師とす是等は皆下々ゟ軍学に達したる ものを見付て国家を治め万代迄名を残す 我国の人は高位高禄の人被下々ゟ事を聞を 配とする国風は農夫野夫々も軍学に達し 智あるものもあれども是をもちひず殊に 聊の過するものを疵にしてもちひず名将は 其罪を悪みて其人を悪ますと義貞の小山田 太郎をゆ事したるを以テ知るべし皆御用立 ものを埋れ木となしぬ絵玄は名将にて山本 勘助を見出して軍師とし武士七十五人を 預け太閤秀吉は下々の中に勇士になるべきを 撰し古今に名を顕したる加藤福嶋を始末 代に名を揚たる勇士数多有之に今度日本 内の蔵と違ひ勝手の知れぬ異国の奴馬と 合戦するには中々高位高禄の格式の高い 人斗を大将としてはどふであらふ穴異国の ものは燈術は妙を得るといふ故万一戦ひに なれば船手の合戦故に味方にも兼而其気 を抜の方便がなくてはならぬ事よ〽〽ヤヽヱウ 螺サン春気を抜とはとふするのじやへ〽こう 其気をぬごとは軍に望みて色々の気度と 言事あり先敵方に燈術の妙を得味方 是に難儀の時は兼て船手の戦ひ故焼船の用意し 六十石位の船を百艘も拵置又押送り船位の小船の百艘も かねて用意し置焼船には柴茅の焼草を損置 是に焔消に油国そゝぎ置て先房州の方伊足の方 浦賀上総江戸と四方八方に手配りし置合戦の時々 望之風の模様によりと風上より火を仕懸敵を焼 打にする工夫が第一ジヤ其火を懸るも時取日取あり 時取とは天の燥也と言てよくかわく時日取と者 十一月 合戦するには中々高位高禄の格式の高い 人計を大将としてはどふであらふ願異国の ものは燈術は妙を得るといふ故万一戦ひに なれば船手の合戦故に味方にも兼而其気 を抜の方便がなくてはならぬ事よ〽〽ヤヱウ 螺サン其気を抜とはとふするのじやへ〽こう 其気をぬごとは軍に望みて色々の気変と 言事あり先敵方に燈術の妙を得味方 是に難儀の時は兼て船手の戦ひ故焼船の用意し 六十石位の船を百艘も拵置又押送り船位の小船の百艘も かねて用意し置焼船には柴茅の焼草を漬置 是に焔消に油国そゝぎ置て先房州の方伊豆の方 浦賀上総江戸と四方八方に手配りし置合戦の時々 望之風の模様によりと風上より火を仕懸敵を焼 打にする工夫が第一ジヤ其火を懸るも時取日取あり 時取とは天の燥也と言てよくかわく時日取と者 合戦するには中々高位高禄の格式の高い 人計を大将としてはどふであらふ願異国の ものは燈術は妙を得るといふ故万一戦ひに なれば船手の合戦故に味方にも兼而其気 を抜の方便がなくてはならぬ事よ〽ヤヽヱウ 螺サン其気を抜とはとふするのじやへ〽こう 其気を以ごとは軍に望みて色々の気度と 言事あり先敵方に燈術の妙を得味方 是に難儀の時は兼て船手の戦ひ故焼船の用意し 六十石位の船を百艘も拵置又押送り船位の小船の百艘も かねて用意し置焼船には柴茅の焼草を漬置 是に燗消に油国そゝぎ置て先房州の方伊豆の方 浦賀上総江戸と四方八方に手配りし直合戦の時々 望み風の模様によりと風上より火を仕懸敵を焼 打にする工夫が第一ジヤ其火を懸るも時取日取あり 時取とは天の燥也と云てよくかわく時日取と者 天の二十八宿の中に箕宿磨宿具宿戦宿此四星の 配当の日を用ひすべて昼の吹出す風は久敷ふき 夜の風ははやくやむと心得て敵の風上より焼打を かける時は此火に夷賊も心を被集自然と炮術空 虚とならん其品を見込て味方より大御同小筒を船の 水際を目当に透間もなく打すくめ其虚に乗じと 兼て用意の押送り船え水主十人位に若手血気の 壮士を以て乗り寄銘々得ものの鑓長刀熊手打建 等に鉄砲を用意し敵船の角下へ付ねらひ透を 伺ひ舟のともより鉄砲打込程よく飛なり無二無三に 接戦の工夫をい多し一艘を乗取時は惣軍勝軍とならん しかしかよふの事は皆大将の心中にある事故に都て 大将は始の謀を第一にして五事七計と云兵士なり 意味を知し扨は中々数多の人を指揮して合戦は ならぬものじやとさ〽只其始計と云はどふいふ事じや テ始計とは先合戦の始に敵と味方の目算をする事に 敵の人数と味かたの人数を見くらべ敵の大将の器量 と味方の大将の器量とを見競敵の勇士と味方の勇士 の別臆を見ぐらべ又は合戦陣取地取芸術炮術の目 関をなし夫から五事と云て一に道二に天三に地四に 将五に法と此五事をよく大将の胸に畳みて諸軍 を指揮するものじやとさ先第一に道と言は大将者 万卒の心を一致にさせて生死を同ふする事懸るも 引も死ぬも生るも上たる人を捨ぬよふにする事 又上たる人も下々の事をよく〳〵思ひやりて仁恵を以テ 遣上下和同して万卒立に救合て心を剛なるよふに するを道と云道の備らざる味方を以て敵と戦ふは 甚危し道は暫くも離るへからす離るべきは道に あらずと戦て勝べきの見へかねるを戦ひ万卒の 懐き慕ふ道の見へぬを以テ軍立をするも左し 是をよく〳〵審察して軍備いたす事又二に 天と言は天の時也時とは天の運び也昔も今も天道の はこび行は一ヶ年十二月もはこび一ヶ月三十日も 運び一日十二時も運び天は古ゟ今に至迄日夜時々 封々に運び行故に惣して皆天に掛りたる事を 天の時といふ是を陰陽共寒暑共時刻共云陰陽 とは日取時取方角の吉凶十二丁十二支七曜九喉の標 様雲気煙気の見様五行相生相対を弁へ 都て天時は春夏秋冬日夜朝暮年の豊凶水旱 大雨大風大雷大雪潮の満乾是皆天の時也大風の 時は風上なり火をかけ大雷の時は日月をうしろ にし釼戦を以敵を破り天時に望んで千変万化 に計事也三に地とは遠近険易広狭死生と云て 遠き所は緩にし難所は歩行によろし平地は残馬 に宜し広地は大軍に宜し狭地は小勢宜し死地言は 味方引事のならざるを言又生地とは味方守るに 宜しきを云其外地の理数挙に遑あらす時に望ん と是を行ふ又五に将といふは中々筆字舌頭に □□□ 空しがたぎ事なれ共将は智也とあれとも此 智と云は中々智恵才覚の事にもあらす又利口 発明にも非ず学文博きにもあらす弓馬鎗剣にも あらす又悟道発明して三世に通達したる事もあら ず唯能々人情も通し敵となり味方となるさま〳〵の 人の心を能々しり意味深長の情合に通じたる大将 の事也五番も法と云は曲制官道主用也曲制と言は 軍の備へ分き也陣取の法制をいふ其備立の根本は 東西南北の四隣ありて合せて五法と言て五人組を定め 土人を一組とす是備の元也十伍を一隊とす人数五十人也 三隊を一曲とす百人也幾万人といへ共是ゟ段々組立而 を云法制とは籏馬印笠印袖印鏡太鼓其外進退 の相図なり又官道とは小頭組頭一族奉行鉄炮頭 弓大将長柄頭目付使番其外之役々は皆宿へ也 主用とは兵粮小荷駄金銀米穀其外陣取城責色々の 用具を主り軍士の外を勤る役々也誠に軍と云ものは 大名方ても極々の難儀の事で第一に金銀を多く 売し兵粮米を潰し其上家来を討死させたり 千辛万苦の上に下手にすると我国を敵に大戦はせ 先祖代々の家名を。潰し妻子も旅途に迷わせ ぬる故御国に乱をわすれず常々下を愛し家来を 憐み家事を倹約質素にして武芸を優ずと言 書にも兵ハ国の大事死生存亡の道禁せずんばある 入からすと也是を経てするとは譬は城の糸筋の 如く緊糸三百六十筋のよふに歴然す。法を立と横 糸は右よ尼子とすれ共竪原に少しも延縮なく幟 のおれるが如く是を以テ動かぬよふに軍法立る事ジヤ と[リ]右の軍法を立るにはよき大将や名臣なくては 中々出来かたきとす其国に名士ある時は敵国より 是を犯す事のならぬものじや譬へていわば凶に 猛獣有時は其山へ採薬樵夫も入らぬよふなもの じや智士あれば戦ひに人の武勇壮任を撰みて 軍の先生にもちひ又内の事は国用を呈す 事を能する役人を用ひて軍事を調国用足ル 時は思ふ侭に備染をなしぬる様思ふ侭に人を 遣ふ事のなるもの故に漢の高祖も世を治めて 後蕭何を第一の官録高く殺じたるは蕭何は 合戦にはかまわず。国用を専らにして高祖にとふ 侭に働らかせたる故に四百餘州を手にいれて 治めたるも嗇何の働しきじやく賞美したる也 大名方でも軍事には第一に御勝手が肝要じや御 勝手がわろひと軍事の調わぬものじやその上 万卒を懐る事も出来ず香胖の下には賢英集り 重恩の下には商力士出る士の死を軽くさせるは 賞の重きにおり高名手柄も其時々恩賞なく ては皆働らかず武器調練は第一の本多りといへども 又国用を足次に理ある役人を撰みて内事を 主らしめぬる事又一ツの輩法じやしかし 眼の噺に気をうばはれ口から出ほうだい の事を言を世人是を木うを吹といへ共此噺は 海中殿聞流しにしてもろふよ時に何け事や 汐が乾て来た潟く所へ行て又別の咄を しませて猿類塩吹はやく来へと皆々引 つれ這出しける □□□□□□□ マ □□□ 同断 □□□□□□□ □□□□ より □□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□ □□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□