卷飩考釋詰並勸解指摘
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- 曲亭瀧澤馬琴, 解山崎美成
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- 2026-08-17T19:23:22.649Z
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- 曲亭瀧澤馬琴, 解山崎美成
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- 日本語
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- 10010000026425
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- ケンドンコウシャクキツナラビニカンカイシテキ
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- 東北大学
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- 2025-11-13T07:12:11Z
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- 2026-08-28T18:53:25.651810+00:00
所月
究2
学別館
北成書
書名
写
所蔵者
(備考)
撮影
大川引会3大
東狩引株平真
巻蝕考釈語並勧解指摘
曲亭馬琴
山崎美成
辨論
巻鈍考釈誌
東川区
イロスト
PILRIURI
けんとん考釈詰勧解
同詰釈勧解指摘
豊井泰信氏ノ関贈
以テ購入セル▽南博士
猶野亭吉氏藤蔵画
弁論約言
巻銚ははしめその箱によりて名を得たり今の世に至りても箱
の上下に溝をつくりてその蓋をさすものをなへて巻銚蓋
といふけんどんは箱のかたち恰シよく書箱に似たりかたく出
し納るゝの膳を書巻に擬して巻飾と名つくこの名目甚
妙也しかれとも当時はもろ人只けんどんの名を知りてその字義
を知るす稀也譬は今ぢこそ頭巾と名義を知らす流行詞
の由来をすら少くしるもの稀なるが如しかたる故にや巻鈍も印
一本にすら正字をしるさず多くはみな只仮名にて書たりたまし
真名に書ものは是頓に作るもあり又慳貪にかよはして地口の如し
く唱へたる有是より名義紛紊して後人を惑しむ予が今か
さねてこの書を綴るも職としてこれにゆれり蓋孔子の聖な
らされは粛慎氏の矢を識ることかたく実彼終軍の博ならざれは
は豹鼠を認り易からず古来博識達観のよく物を弁たる
今さら挙て数ふへけれやひとり予が如き小知庸才この弁論
をつくるに及て数万言に至るまて畳々として猶人の服せさらん
ことをおそるゝのみ鳴乎談何ぞ容易ならん帳然として太息
し又自笑して纔下に諸にて
曲亭
けんどん考釈詰
一予嚮に謬て耽奇冊子に附られし埋貧蕎麦の説を否し
て更に巻甌考一篇を添しよりゆくりなく足六の怒りにあへり
この故に足下又予か説を詰りて数条を引て質問せらる正は
言の当否はとまれかくまれ予は壮年より老職不争の言
を甘なひて人と争ふことを好まず一時漫戯の性記なるものを
懸念して又何をかいふべき即この故をもて推辞たれともえさ
れず猶その苦を聞んといはる答るときは罪をまさん又
答へずは誣たりとせられん悔といへとも駆も六度かず空に己
ことを得さるの義なりよりて又その次第を追ふて答侍ること
一左の如し嗚乎信言ハ必美ならす美言御心信ならず予か言の
美ならぬも信なることは必信也みつから熟談再恩して海客
せられば幸ひならん
一詰に云けんとんは蕎麦切のみならず多くは温飽なるよし記さ
れてはゝけ百人一首の狂歌を引用し猶老人の話を証したまへと
巻之
都遊興そめきの品々をいへ
延宝九年の印木都風俗鑑一
一四葉表
る條に或は蕎麦切によせて彼山州がけんとんなりとかこち三官
飴にたとへては風味一縁かはりものじやと嬉しかりと見へたりこれ
そのかみ温飩のみ多くは蕎麦切とはいふまじきものをや同じある
の仮名学紙にけんとんそむは多かれとけんとん温飩といふ名
目は見ずさて温飩はむかしは多くは桶にて箱は稀なりそのよし
この考載せて
あればこゝにいはす其益の
委くは友人柄亭子の考
還魂紙料にあり
今の世店屋にてうんとんをもる物に似たるとあれば昔をもて
今の沿革ハ証すへく今の器は昔の証にはなりかたしその証は醜
も今は専下箱につけることなれと昔は桶に入みつけたり過し
耽亭会に吉野の酢桶か出しことあり収めて漫緑中に在り古
製を見るに足れり又温飩と同し一轍といふべし
釈て云けんとんは蕎麦切のみならす多くは温飩也しよし給ふ
けんどんのとんは即温飩の鋸の字なるにてもしらるさて蕎
一麦切も一碗の価下直なるがはさゝ也持出し出まへなるもの
すけんとんそむといへる也その記は延宝四年の印等江戸
惣鹿子僊諸商人の部に温飩そ生州神明前の浄雲浅草
ひやうたん屋とあり此温飩はうんとんか粉にて粉な屋にて売る
にやと思ひしに元禄五年の印木万買物調宝記に江戸にて
そうめんやほり江丁通り同籠そらめん云〻同めんるいや神
一明前浄雲浅草ひやうたんや日木橋北西中通り芝金杉橋
通り新材木町南通りとあるを見れハ惣鹿子に所云温
一飩は粉にあらずこは乾うとん蒸うどんを売る麺類屋にて
そむ粉を兼ひさきし也是より猶まさしき証あり是は
又下にいはん又惣鹿子の商人の顔に見頓屋堺丁市川屋中
橋大り町まりやとありて又その次ニ同提重堀江丁若なや木
一町新橋出雲丁とあり此見頓屋としるせしハ則巻毘屋に
て一碗の価を二六ク二八に鬻きしものゝ殊に名こゝる店なる
べし又その次なるけんとん提重といへるは大名巻鈍の事なり
一後世隠レ売女に提重と唱るものゝあるもその名目はけん
とん提重より起りて売女の持出し出まへを旨とするより名
つけし也又月書并々買物調書記ともに温飩籠さらめん
は戴たれともそむ切をのみ売る話を載さりしは当時
蕎麦一包の名店斗りし故也只是のみならす天和三年
の写木紫の里と郡に処々の名物をつゝなし條下に池の端
のめりやす蒸餅芝の三官飴は唐飴あり飯田丁の壺屋がうとん
を出し是とあれとも是む切の事なしこれにても当時は温
一飩を好むものゝ多きにより温飩の名話多く扨うとん
屋にてはむ切を兼ひさきしとはしられたり纔の間なから
元禄のなりばより宝永に至りてはそむ切にも名店いで来し也
是は当時の風俗を出たる草紙にてしらるゝ也さはれこれ
柏道が
よりもなほ後なる二代目市川団十郎へ
事也
といふ助六の歌舞伎狂言は正徳三年癸巳の夏四月木挽
丁なる山村座にての事也この狂言に助六がくわんへら門兵衛
の頭にうちかくるものは温飩なりこれも今の世に初てすなる
狂言ならば心ふつかけ蕎麦なるべししかるを温飩にて
がばめんしたり
今もこの狂言にその形を追ふて春なるは此時まても猶う
とんを好みし人の多く鬻く店も亦多かりしによりてなり
又昔のうどれハ桶にて箱は稀也といはるゝも柱に膠するの論
なるへしはしめ温飩に桶をもちむしもけんとん提重といふ
ものゝ行れしゟ遂にその桶はすさめられし也よしやその後
迄も桶に入れて商ふ店ありとてもこれを買ふ人そがまゝ桶
に器を入れて食るへき物りはわかち盛るにはその器の必別に
あるへき也又酢も昔は桶はしを今は箱なるをもん温飩
と同一轍といふべしとあるはいかにぞや昔の酢は今の酢とおなし
からすその製作はやきも一二角おそきは両三月よし漬
ならして後に飯をあらひ落して切てくらへりかゝれば是を
一漬るに桶なくては宜しからすとす今の酢はその日につけて
その日に売つらしその日に食ふものなれバ箱のかたを便
利とすこゝをもて酢は製作調理に今昔の差別有温
一飩はさる差別なし昔か温飩も今のうとんも製作調理
一相同しいりでか同一轍とすへきものなられや彼古人山東庵
が蔵奔せし大名けんとんのうつわものゝ声の世の話屋にてう
とんをもる物に似たりといひしは温飩の製作調理の今昔
一相同きによれを也されは物によりて今も昔といたく異な
るものあり鮓の多くむ是也昔と今と相同しきものあり
一饂飩はば切の煮これ也且うとんの桶も箱も并に外盆也
そを盛るものは雛を壁に引べてもあらず且そば切の
一器物は予が小児のころ御皿也今は多くは平をも用ひ小蒸
籠又井鉢をも用れと温飩のみそのうつわもの小箱の如
々にしたるものにて一トたひもうつかかへらず五十年来
ぢなじ物也予がしらさりしわ前いつれの世にかはしまり
けん大名けんとんの行れしころより今の如くなりしかも
しるへからす又けんとんも物には見頓屋と書たるはあれと
一も慳貪屋と書たるものをいまた見て只巻餅と埋貧
と同音なるより慳貪にかけて慳貧と有たるはあれとも
そは歌連歌のいひかけにひとしき言葉也まさしく埋貧
屋と書たるものなけれは証としかたしかゝれバけれせれは見頓
也といへるは猶よりとこうあり慳貪也とせらるゝは假を見て真
宝暦五年
となすにあらすや後の物なから深川珍煮緑か
の写本
に巻飩
とまたるぞ正字にはありける又けんとんそばといふはあれと
けんとん温飩といふ名目を見ずといわるゝは勿論の義にて
一けるとんのとんは則うとんの銚なるによりけ風生んといへは温飩
の戦其中にこもれり夫を猶けんとんうとんといへば重勿
になる也この故に蕎麦切にのみけんとんそばと唱へて
うどんにはしかもなへすけんとんにて通すれ也又按するに
けんとんは昔京大阪の市中にその店屋なし万買物調置
一記いろは分ヶけの字の下にも三分けんとんやさかむ丁市川也
同
中はし
をか丁
きりや同ほり江丁若なや同さげちう本丁同
一新はし出雲丁と見へたりかゝれは都風俗縦に当時
一江戸流行の巻飩をおよむよせて彼山冊がけんとす也と
一かこち云々といへるの也是その妓の慳貪に巻銚をかけたよ
詞なれは証とすへきものにはあらす蕎麦切によせたるは昔
なりとてそば切のなきにあらす既にけん先はばの名目
あれが也
曲亭
談に云又けんとんの文字見頓とあるは假字なることは論をま
一たず巻瀧も予はうべなはす旦今の出まへのことにて箱に入て
持出すの義とせられこれとそばうとん茶漬まてはその名
巻三の
僧俗助取にうちこむことの条
一も叶へと又都風俗終
十葉春
にはやるにまかせだちんの高下ありてあるは太夫といひ陰庶
と名付慳貪野郎といふが侍りとあるは何とかいはんこれも俗
に云提重とり異名するかくしものゝ類とせん歟予は今
の切見せ女郎といふことく一ト切にうるものゆゑいかにも情
なく慳貪のあつかむ也といふ意なるへしとおもへるは非な
りやされは先の夜いでしことく蕎麦茶漬ももり切にて埋
一貪のあつかむなる意におなじかるへし当時あきなひさせ
の慳貪なりとて買人はさいふともうる人の唱ふへともあらす
といはれしは一トわたり理はしりなれと鄙崎の常言に異名
の名目になれる少からず十月十九日の夜伝馬丁にての市を
くされ市といふ是も買人のかゝる名は負せしなるへけれども
今はうる人もこよびはくされ市にあきなひに行べしなどいへる
がことしかゝる事考出なば猶あまたあるべし
○○釈て云見頓巻飩等の諱は既にふくこむ前条に述たれは
こゝにはいはす扨都風俗鑑に慳貪野良とあるをも下切
りの色情慳貪の意とせらるれどは甚しき誤也大名
けんとんをけんとて提重ともいふをもて解すへし上の慳
一貪は仮字也抑当時京摂の戯作者西鶴文流一鳳のとの
がら江戸の事を書たるには伝聞のあやまりあればすへては
一証としかたきことありされば巻滝慳実同音なれバ相かけて
唱へには咎むへきにあらねとも大約祇園嶋の内なる瓦里
〽お山より自人ゟ芸子等に至るまて一生の花に定めあり
て切りうりならぬものはなう下切りつゝに売る故に毛情
一慳貪の意也とせば彼等もなへて慳貧といふべしかゝれは
けんとん野良といむしは提重蔭馬といふにひとしく寺がこ
などへ赴きて色を鬻きしものにやあらんしかれ共流行
怪我
詞の転することも多かれ心物によりて埋貧の意をにて呼
ふは地口にちかしそれらはすべて転語なれば巻碗の義には
義にはいよ〳〵遠かりかゝる類は京摂の戯作を引くまてい
なく紫の一もと趣三谷の條下に吉原の事をしるして右の
巻
かた江戸丁揚屋町京町といふけんとん河岸といふもあり
角町と新町のくらを羅生門といふと見へたりけんえ
河岸は並つほ手の事にして享保文中の細見記の直段附
に㊀からのことくしるしたる下切り百文の賤妓にて今いふ
一鉄砲見せの事なるよしは論なしこれも足公の説の如く
ならば一ト切り無情慳貪なる意をもて名つけたりといふらん
愚按は又さにあらす有時つほ手見せの異名を四寸三寸とい
へり今は是を四六といふ又並つほ手を一寸といへり又品川
にては二百文の飯盛を鉄橋と異名せりこれ皆その価に
よりて異名を得たり是らの例を思いよするにけん先
一河岸と名つけしは彼けんとん提重の一箱を一人前として
一其価百文つゝに鬻くに擬して一ト切り価百文ツヽなるあそ
ひどものつほねなればこれをけんとん河岸と異名したらん
とおもふ也是刻転語也かゝればけんとんは元来持出しを
旨とせしよりその罪によりて唱へむしめしものなれとも
一それより又転しつゝその価廉にして巻鈍にひとしきもの
一或は大名けんとんに擬してうつは物奇麗に一人前の価百文
なるものをもけんとん飯と唱へしもあるへしもし盛切り
一無情慳質扨乙の義によりて今の一膳めし丼飯の費馬
かた駕かきほてふりの商人等がをせし長ふ物ならは万買物
調宝記その他の書にも江戸名物の部にのせてけんとんめし
金龍正同目黒同品川おもたりや同日より金屋なとしるし出
すべくもあらすかしされば昔は物語下にも温飩蕎麦一
切音は町中二拵タルを歴々喰か升こせず寛文の頃ケントン
蕎麦切と云り物を拵出し中近年歴々の裏も喰ふ結構成
御座敷へ上ル迚大名ケンドン抔ト云テ拵出スといへるをも合せ
考ふべしけんとんは埋会の意にあらす又大名といへるも其
一箱の絵模様より名つけたるにあらす貴人の口にも入といふ意
にて大名けんといむしゟ後には諸侯の船しるしたし候へつけ古
る也こゝにけんそんそず切といへるは持出しの温飩そば切といふに
おなしいはでもしれたることなから詞書にけんとんそは切といふ
ものと拵出しとあるにてけんせんといふ名目は売ものより名
付初しこと分明也これふみな慳貧の意にあらずるの明証とすへ
しざて又予が買ふ人は慳貪といふとも売人のしか唱ふへてもあ
らぞといひしを詰りて十月十九日の夜伝馬丁にてたつ市をくさ
れ市といふをもて証とせらるれとそは昔の事をもて今の浴
革は証すべし今の器をもて往古のことの証とはしるたしといはれ
しに齟齬せりこれも又今をもて昔の証とするにあらす
や且かの傳馬丁なる市をくされ市といふことは昔ゟ唱へ来
れるものにていまの人の唱へもしめしにあらすこの故に今の
世かの市に出るあき人もくされ市といへる也その市もし
今の世にはしまりたらんには縦ふ景気なりともあきなふ
ものみづかしくされ市と唱ふべてもあらすちかこに播磨
の赤松国鷹柄にその祖を罵りしと聞り此な人の祖也
といへとも則祐溜袷等は十数世むりしの人なる既に罵りも
せめその祖父その親の不義ありとても人の面前にて罵り
ものはあらすかしかのくされ市もさのことし市は数十人の
市にしてその身一人の商ふにあらす且むりしより異名
せられし事なれは人のくされ市といふをも気にあけすみ
つからも戯れにはくされ市といふことあらんもし一家一人のうへ
ともて汝が居はくこれ左也汝がしら物かくされしろ物也
といはゝ誰か腹こち思らさるものあらんやしかるをみつか
らわれらが居かくされ故也われらがしろ物はくされしろ物
也といふてあきなふものはいよ〳〵なしこれ人情のおのつと
しかるところにしてこの人情によく渉るを方学のすた
じきといふべしかゝればけんとんが慳貪ならばとらじ買ふも
のゝさいふとも売るものはしか唱ふべともあらすといひし
はこれ人情の志かる所にして昔より異名せられしくされ
市を今その市に出るあき人の重と唱ること日を同しく
して詰るへからすもしけん先御登りきり無情慳貪の義
にて鳴はしめたらんには当時惣鹿子その他の書にけんとん
屋としるして板せしときそのけんとん屋は心怒りてその板
を削らするにも至るべししかるにかゝることは露まかりも
聞へすしてその書の今の世まて伝れるはもり切り矢情
一慳貪の義をもて唱さりしによれり寛政中あるへの作
りし猫しやらしといふ小冊は両国むかむなる金シ猫とかいひし
一童女の事と書けるもの也其書書板のとろかの売女等猫と
かゝれしを恨み怒りてかれ此と障りたるよしを聞にき又お
なじ頃ある年の天王まつりにも伝馬丁にてあまた出世之
地口行燈のうちに大雨車力を流すといふ地口ありしを
そのわこりなる事力ともいたく怒りてその行燈を出せ
し店を破却せしことありきかゝれはけんとんが実にもり
きり慳貪の扱ひのことにて唱たらんにはそのけんとんやた
るもの誰かうれしとおもふへき板せふるに及ひてはさへ
をいひたつへきことばりししかれとも昔より唱へ来て今
の世に至らはさまて怒ることはあるへからすこれくされてこ
相似たる遐述人情の差別なれとも今の世がとまれかくまれ
昔かのけんめん屋の障りをいひし事なきにても予は埋
一貪扱ひより名つけしといふ言を取らすからのみいはゝされ
ばこそ印木には慳貪の字をはゝかりてわさと見頓屋
と有たりなどいふ説もいで来つべし見頓はともからも
欠木に多くは仮名にてけんとん屋と書たりこのけんとん
は巻餅にも慳貪にもかよへは慳貪の事ならすといふい
ひわけは立かたかるべし大名けんとんに大名の字を憚
けんとん提重と書たる例にてけんとんも又慳貪の義ならは
印本には遠慮して温飩ともそば切ともかくへき事也
これらの唱に遠慮せす又聊も障りなかりしハ埋貧
曲亭
扱ひなる意に依て名つけしことにあらねはなるべし
詰に云さての給へることなれと二百歳の翁あらば此書否は定め
てんともいわれす今の世の事の今しれとるものいと多かり
いつれにもあれこれらはわきてゑうなきことの如くなれと
も小事もかならず名を正すは聖門の旨とする所にして
後学のものゆるか世にすへからず且ツ子は莫逆の友と思へは
こそかゝるよしなきなかことをもいへゆめなしるにはあらず
趣を質すは学志の常にする事にて切瑳は朋友の道に
あらすや心置なく楽しまひね猶こゝろにかゝる事もあらば
乙酉孟夏朔
内侍るべし
釈て云こ百歳の翁ならすはこの当否は定めかたからんと
一書しかせしきまことして云々といわるゝは是下には似けなる
らすや縦二百歳の翁ありとも必此ことも尚否を知れ
りと定めかたき事足下の詰をまたすして誰もしる
おもかべし忘かるに予が尚否を老仙に託せしは経験すべ
きよしもなき往昔市店の事なれは予が説を書れり
とたしかには猶いはでみつから四勝の地にをらさりしこれ謙
一区のわげ道にて足下の鼻をむしがんとてせしわさな
らぬをあじはす也只これのみならず彼記においては足下
をも輪翁と推並べて先醒と称したりこれ又その説を否
すれとも足下をもて拙しとせず公道人情両かなから
うしなはじとてのわさ也しかれとも日弓において足下を
先生と称せさるはこれ又故あることそかし予が人を称
呼するを譬は階級あるが如しいるにとなれは儒学国
一学詩歌書画の類これにゟて侍録をうくる人これにより
て口を糊ひ妻子を養ふ人は侭にいふ黒へ也こゝをもて
その学の浅枝の巧拙にかゝはらす往来の暑牘牛おいて
◆
なべて先生と称する也これ敢諂ふにあらず凡門戸を張り
徒弟を集め学術技芸をもて世をわたる人々は只外
一飾を上るとするものなれは往来舅牘の論にまで心を其
人の為に用ひて外聞よかれと思へはこの地博学多聞能
一書好画の人といふともこれによりて侍録をうけず是をもて
活業とせさるものは俗にいふ素人也この故に予かなへて
これを先生と称せすこれを先生と称せすといへとも
その人おのつから生業あり人の数ふ数によりて外聞損益
に拘るものならねば也しかれとも官録ある人においてはこれ
を大人と称し或は徳行或は黄者の老人家は文墨をもて
業とせさるものといへともこれを大人と敬し先生と称す
ること稀にあり又予がこときものをも人謬て書牘に先生
と称するものあれは予も又必その人を先生とす是其数
をかへすの義也予が用心すへてからの如ししかるに予が
けんとんの評記においては足下を称して先醒とすこれ他
一なし偏足下の説を拙しとしてせさ更意をありて也され
とも足下はよくおもはすや予を貶して子と称せりその
往来回報今の礼節をもて見れはさながし師は第の如
しなとてみつから尊大なることからのことくなるやこれし
りしながしわが薄徳の鼓す所足下のゆへにはあらず
かしはにもかくにもわが心の為せさるを歎くのあまり
言のこゝに及へるのみ扨又二百歳の翁はさら也今の世の
事の今しれさるも多しといはるゝ今の事の今しれさるは
一億万の人に問はゝしるゝことも猶あるべし往昔市井瑣々た
ることの既に伝へを失ふものは経験すへきよしなさよ
只古書に拠りてことはりの当然たるを取らんのみしかれと
も是等の引書はみな場間の児籍なれは択むと思ふとの
疎なれはその引替も六両のみかたし兼子に町云書書
書不如年書といへるは是なりかゝる瑣々たることをしも名
を正すは聖門の旨とする所後学のもの忽にすへからす
云々といへるゝはこれ金孤玉弦にて割鶏牛刀の類にあら
すやかのけんとんと唱へしものは近世市廛の売物也よしや
その名目をよく煮得たりとも聖つ名教の為にはならず
又考あやまりたれバとて名教の害にもならす知らすと
いふとも恥にならす知りたれはとて誉れにもならす畢
竟駆戮の漫録にて根も葉もあるへきことならねとも予
を莫逆の友と思へはこそなが〳〵しきことをもいへといはるゝ
いせめてものことにおぼゑていと欲しき事になんさらバ
予か木心をあかさんかおりて交遊の間には只その友を択
一むにあり択てこれを得たらんには宜く信を尽すへし
朋友と交りて苟も信なきは士たるものゝ助る処寧信
なからんより交らぬにますことなしと思ふに依て動もすれ
は世の人に疎にせらる予がこの二十許年来客を謝し
一帷を棄て閑居したるもこの故也近ことろ多くはゆり棄
一乙世と推移らんとおもへとも下息の痼疾はせんかたもなし
さるにより猫席の弁をはしめとして慳貪の記にも批を
添しはこれひそりに足下の為に諷諫の徴意にして冀
くは暁ることあれりしとおもへるのみ予が固陋寡聞なる
一足下の広博強記にくらべは雲塊の差ありぬべししかれ
とも予は足下の齢におならき娘をさへもてる者也論し
て足下に勝たりとも人もほめじわれも又手がら也とは
思はぬものをいかてり長短巧拙をもて争ひを好んや只
足下を足下として愛する心の己をを得すいさめにか
えたるわざなれともはかりしよしの拙きゆゑにや燃る
薪に油をそ見て遂に足下の怒りにあへりかゝれは又何
をかいふへきわが誤を悔るの外なし足下はなほいつまて
も埋貧の説を持し給へ予は巻銚をよしとおもへと名つ
けむしめし人に遭手ば経験当否は終に得こしあなお
はましの老のくり言に元うなき筆を費しぬけにこと
おほき世に春有りけれ
右談問の答条々愚恵かくの如しかくても猶詰
らんとあらばいくたひも推し給へ予も六すゑしなる
昔鰹に至りては引証すへきものあまたあり
いふへきことも猶多かり互に論しつくして後に
感服するよしあるに至らば怠状をまゐらす
へしねかはくは活眼をもて左書を看破しその
理に随ふ考証を引給へ只己に迷ふをもて憤
りを旨とし妬忌媚狭に問難起ふは是唐山の
一党飼に応し後学に嗟嘆する所予が尤怕れ慎む
所也
乙酉孟夏十三
けんとん者制解
釈語の一篇委し記しおこし給へること不為友辞
首の言定しからす心にかけ給へるか厚き謝するに所
なし予がけんとんの名義を問侍りしを詰るとしも
し給ふは思ひもよらすもししか思ひ給ふるよしもあらん
かとて問侍りしことの末にこと八り侍りしさてけんとんの名
義及む温飩の器物鮓の製造に古今の異あるまて
詳にその比の書とも引証し弁しまへること博且精に
して散服するに堪たり問一得三との如ら亭に望外
の至にてあれ予先々席々席上にてけんは埋貧の
義なるよしいへるものも予が臆断にはあらす写木調
一房読園世女閣紀原人論訓蒙図彙世事談崎の説
によれるまて也その説の守否も姑く置これは再び弁
するにはあらす只予の言の妄ならさるを証する也予日
一問に二百歳の翁云々といふゟは弁し給ふことく戦の
一聴辞なるはしりなかし聖門の名教なとにけなきこと
まてしるしこるは予も同しく贅言し侍りし也しる
れとも予か性もと滑稽なけれは思ふことの通せすや
ありけんよしなしことさへ出たるはこれをにて也けり
これまてはいかにもあるへしもとより詰るにはあらて難
ひを問ふ意なれは也さて予を先生と称されしに足
下を子と称したるを貶せりとはりめ給へるはいかなる意
にやこれも予が意には弁論せられしゆらのことにて
しるしたるにはあらす先そのよしをいはゝ予はもとより
商賈也尊称をもとめさることはいふまてもあらす人
をおとしめいはん心もなし足下の人を称するに階級たる
事もいまたしらす即に老をもて称せよ老境に入る
人老をもて称せらるゝは快らすとて忌嫌ひ給ふもの
から子をもて称したりしを貶せしに思ひ給ふは予が
意とは齟齬せり論語義疏に子是有徳之称古者
称師為子也といへり孔子孟子程子朱子の称をも
て見るへそのみ又論語之書成於有子曽子之門人
故其書猥二子以子称と種子ものゝまへるものゝまへるものゝまへるものゝまへるものゝまへるものをや尊
一称もあらすやこゝをもて予は足下を子と称せるしは
敬するの心にて貶す意曽てなし且予は足下を
莫逆の益友と思ひとれはこそ先にも鬼園の非を
一弁せられしを深ら心にうへなひ猶又けんとんの義を
も心台なく詞ひ侍りしはこの故也しりるを語るとし
一疑せるとせられしは予か忽卒の筆に出たる罪とや
いわん足下の名天下に普く著述の多き且才ト云
一齢と云予と日を同しくして語るへからすしかれ共
予か不方なるをも海のことく容レ給へるは同好のよし
みをもてなるへしされはかへす〳〵もおとしめいはんや
予も元より角は好ます怒るこゝろはつゆほともなし
互に弁し声て後怠状を出すかこときは意趣を
さしはさむ常人のことにして吾輩のまこゝろには
あらすかゝることも茂と交情の厚きに任せておもふ
かきりなを問ひ侍りし思ひきやかくまてにのたまふ
ことのあらんとはゆめな心にかけ給ひそいともし本意
一酉孟夏
なくこそおほゆれあめななしここ酉盃夏
再云予先に会約をしるしてつとめて人をかるはし
めかけこといはんはむけに服黒なるへしといひたりし
ことし此念には心に思はんことはあ事にまれいはんと約し
一たれは面従後言也さるこゝろにてあからさまに問
侍りし也己に迷ふをもて憤りを旨とすへきよし
もとよりあるましき子はりし
曲亭
けんとん考勧鮮の一通避辞謙退なり〳〵に当りか
たくては侍れ足下又復論弁の趣意なけれは予も
六この勧解におきていさゝかもいふへきにあらすなか中
にけん先を埋会也とせし事は写木調庵語閣を北女
開記原人論訓蒙図彙世事譚綺等により給ひ
しよしなれと写本銅唐語図は享保五年の撰にて
大名けんとんの慶せし後よりいへることなれは既にあや
まり伝へし也又諸国より後のものものものものものものもの
図彙は元禄中の風供へ諸商売の画図を書つめたる
ものなれともこは京師にて撰述せし倦書にて蒔絵
師源三郎とかいふ手のゝ筆に成れるものなれは江戸
の事は混伝ること多かり当時京摂の冊子々江戸の事
と書るにはあやまりも粗あるよしは曩にいへるかことし
一かゝれは只顧にこれらを信用し給ひしは千恵の一失な
るべし又子といふことは尊称のよしにて論語疏并も
二程全出なる様子の言を引て教論せりる予は浅草
なれとも御はかりの事は知れりいにしへ唐山姫周の
時子は五等の爵也又子は男子の惣称ともいへり当時は
弟子その師を尊称して子とすること勿論也しかれ共
当時師も六弟子を子と称することなり孔子の光に
あらす彼こみ子也なといふ子は孔子の為には孫弟子
なる顔渕か弟子をさしていふにあらすやこの他小子識
之なといへりこの故に墨氏列氏の徒に至てはその師を
椎尊く子墨子子別子なと上下に子を置て称たり
これ孔子世をさりし後には子とのみ称するもの軽き
かたになる故にしられたり孔子の時といへとも師弟の問対
には夫子と称せり夫子の弁は朱子の語中にあり足下
のしれる所なれはいはす是はとまれかくまれ予り暑
一編に足下を先生と称せしに足下は予をさして子と
いくれし事をいふくたりに今の礼節をもて見れはさな
から師弟のことし云々といへり今か礼節といふ今の字
則字眼なるをよくも見られすや今の字にこゝろありと
見はれ前は遠き姫用の時孔子の子を引も要なし
譬ハ殿といふことは関白殿下を申たる称なれとも渡世
に様といふ称呼の行れしによりて殿といへは様といふより
いたく貶したることのやうに聞ゆるかことし子と称する
すいにしへは尊称なれとも今は尊称にあらす同輩朝
度の間相対せす物にかくには某子と称すれとも往来
の尺牘にも子と称せは誰か貶せりと思はさるへきよりて
帯は足下を先生と称せしに足下は予を子え称したり
今の礼節をもて見れは師弟のことしといへに也されは
とてこれと非礼として足下を咎るにあらすかずかずり
の用心にも足下に知られさるは吾罪薄の故也と身を
責て歎息せしまでなり又曩に足下市を称して
一老兄といはれしを云々といひしにより忌嫌ふゆえに思は
れしは愚意とたかへり古人も十年肩すくれは兄とし
一祝ふといへり大抵兄弟をもて称することは同年輩の
こへにあるへし又壮弱の人を老と称する事はその方徳
老人のことく也とたゝゆるの意なれは論なし又われより年
は弟なれとも書を見ることわれゟ博らその才のわり下に
あらぬを称して兄といふことは論なししかるを五十六
十の老人はみつからも愚老と称すれは老御俗にいふあたり
まへ也又われゟ年齢の廿余も三十も劣りたるものゝ為
には兄といはるゝもあたりまへにてたくとまるゝことはおも
ほへすされはとて礼にも長者前不称老といへるにあらす
やさはれこれらの意味にも唐山のいにしへにはさま〳〵のわけ
あるへけれとも只今俗文の手簡には却て馬鹿にされる
やうに思ふものもあらん足下の博識高才もてかはかり
の事に心つき給はぬにやと思ひしかはいひにしき事なる
と云々といひし事万みな朋友の傍より出たる諷諌の徴
言也けりいと憚あることなれとも足下の癖として動す
れは席上にて人をゆりこむることしむし也是下は心つか
すやいふらん予も両三度ゆりこめられしことありしかれ共
予は争ひをこのますいふへきを辞すへき事あり
ともさやらの時にはつき口してをりし故足下はいつきぬは
ぬならんもし足下の博識をもて謙遜を旨とし給はゝ
才能兼備の君子ならんと思ひつゝ足下を愛する心
から人は後いはぬことまてをいひし也かくて今勧解の篇のみ
ならす近ころ足下の動静之為に心をつけて見れは去は
一冬ゟ当春の曲峰子にあらす一段の光輝をましあひし
を窃によらこひ思ふのみ愚者にも一得あり賢者も一失
なからんや過を改ることは君子のおそるゝ所也足下元ゟ
あやまちあるにはあるへからされと予かむか目にはしか思は
むし也すへて足下の説は弁せしことは諷諌の微定のみされ
生とてよき説をもり有しといふことは絶てなし予は人の
説のよきを聞けは歓ていねられす人にも告しらせ物にも
しるすそむかしより今なほしかり一言百たり其人の説
をわか説のやうに書あらはすことは予かふりく恥る所也
又あやまちあれは怠状を出すも恥とはおもはす孔壁
すらその過ある人の先るものあれは丘也幸云々と宣
へり俗客のあやまり証文と学者の念状とはその美
庭遷ありわか辺あらんには足下に諌られんことをね
かふのみかくのことくならは寔に恋形の事といふ〳〵し
あなかしこ
文政八
乙酉仲夏
ウヱウ
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五百六十二