魚玄機

森鴎外

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魚玄機

魚玄機ぎょげんきが人を殺して獄に下った。風説はたちま長安人士の間に流伝せられて、一人として事の意表に出でたのに驚かぬものはなかった。
とうには道教が盛であった。それは道士等どうしらが王室の姓であるのを奇貨として、老子を先祖だと言いし、老君に仕うること宗廟そうびょうに仕うるがごとくならしめたためである。天宝以来西の京の長安には太清宮たいせいきゅうがあり、東の京の洛陽らくようには太微宮たいびきゅうがあった。そのほか都会ごとに紫極宮しきょくきゅうがあって、どこでも日を定めて厳かな祭が行われるのであった。長安には太清宮しも許多いくたの楼観がある。道教に観があるのは、仏教に寺があるのと同じ事で、寺には僧侶そうりょり、観には道士が居る。その観の一つを咸宜観かんぎかんと云って女道士じょどうし魚玄機はそこに住んでいたのである。
玄機は久しく美人を以て聞えていた。趙痩ちょうそうと云わむよりは、むしろ楊肥ようひと云うべき女である。それが女道士になっているから、脂粉の顔色をけがすを嫌っていたかと云うと、そうではない。平生よそおいこらかたちかざっていたのである。獄に下った時は懿宗いそう咸通かんつう九年で、玄機あたかも二十六歳になっていた。
玄機長安人士の間に知られていたのは、独り美人として知られていたのみではない。この女は詩をくした。詩がの代に最も隆盛であったことは言を待たない。隴西ろうせい李白りはく襄陽じょうよう杜甫とほが出て、天下の能事を尽した後に太原たいげん白居易はくきょいいで起って、古今の人情を曲尽きょくじんし、長恨歌ちょうこんか琵琶行びわこうは戸ごとにそらんぜられた。白居易の亡くなった宣宗せんそう大中たいちゅう元年に、玄機はまだ五歳の女児であったが、ひどく怜悧れいりで、白居易勿論もちろん、それと名をひとしゅうしていた元微之げんびしの詩をも、多く暗記して、その数は古今体を通じて数十篇に及んでいた。十三歳の時玄機は始て七言絶句を作った。それから十五歳の時には、もう魚家の少女の詩と云うものが好事者こうずしゃの間に写し伝えられることがあったのである。
そう云う美しい女詩人が人を殺して獄に下ったのだから、当時世間の視聴を聳動しょうどうしたのも無理はない。
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魚玄機の生れた家は、長安の大道から横に曲がって行く小さい街にあった。所謂いわゆる狭邪きょうしゃの地でどの家にも歌女かじょを養っている。魚家もその倡家しょうかの一つである。玄機が詩を学びたいと言い出した時、両親が快く諾して、隣街の窮措大きゅうそだいを家に招いて、平仄ひょうそくや押韻の法を教えさせたのは、他日この子を揺金樹ようきんじゅにしようと云う願があったからである。
大中十一年の春であった。魚家の数人が度々ある旗亭きていから呼ばれた。客は宰相令狐綯れいことうの家の公子で令狐滈れいこかくと云う人である。貴公子仲間の斐誠ひせいがいつも一しょに来る。それに今一人の相伴があって、この人はおんせいで、令狐鍾馗しょうき々々と呼ばれている。公子二人は美服しているのに、は独り汚れあかついたきぬを着ていて、兎角とかく公子等に頤使いしせられるので、妓等は初め僮僕どうぼくではないかと思った。しかるに酒たけなわに耳熱して来ると、温鍾馗は二公子を白眼にて、叱咤しった怒号する。それから妓に琴を弾かせ、笛を吹かせて歌い出す。かつて聞いたことのない、美しいことばを朗かな声で歌うのに、その音調が好く整っていて、しろうとは思われぬ程である。鍾馗諢名あだなのある于思盱目うさいかんもくが、二人の白面郎に侮られるのを見て、嘲謔ちょうぎゃくの目標にしていた妓等は、この時そばに一人寄り二人寄って、とうとうを囲んで傾聴した。この時から妓等はと親しくなった。は妓の琴を借りて弾いたり、笛を借りて吹いたりする。吹弾すいたんの技も妓等の及ぶ所ではない。
妓等が魚家に帰って、しきりうわさをするので、玄機がそれを聞いて師匠にしている措大に話すと、その男が驚いて云った。「温鍾馗と云うのは、恐らくは太原温岐おんきの事だろう。またの名は庭筠ていいんあざな飛卿ひけいである。挙場にあって八たび手をこまぬけば八韻の詩が成るので、温八叉おんはっしゃと云う諢名もある。鍾馗と云うのは、容貌ようぼうが醜怪だから言うのだ。当今の詩人では李商隠りしょういんを除いて、あの人の右に出るものはない。この二人に段成式だんせいしきを加えて三名家と云っているが、はやや劣っている」と云った。
それを聞いてからは、妓等が令狐筵会えんかいから帰るごとに、玄機の事を問う。妓等もまたう毎に玄機の事を語るようになった。そしてとうとうある日が魚家に訪ねて来た。美しい少女が詩を作ると云う話に、好奇心を起したのである。
玄機とが対面した。の目に映じた玄機まさに開かむとする牡丹ぼたんの花のような少女である。は貴公子連と遊んではいるが、もう年は四十に達して、鍾馗の名にそむかぬ容貌をしている。開成の初に妻を迎えて、家には玄機とほとんど同年になると云う子がいる。
玄機えりを正してうやうやしを迎えた。初め妓等に接するが如き態度を以て接しようとしたは、覚えずかたちを改めた。さて語を交えて見て、は直に玄機が尋常の女でないことを知った。何故なぜと云うに、この花の如き十五歳の少女には、ちと嬌羞きょうしゅうの色もなく、その口吻こうふんは男子に似ていたからである。
は云った。「けいの詩を善くすることを聞いた。近業があるなら見せて下さい」と云った。
玄機は答えた。「は不幸にしていまだ良師を得ません。どうして近業の言うに足るものがありましょう。今伯楽はくらくの一顧を得て、奔踶ほんていして千里を致すの思があります。願わくは題を課してお試み下さい」と云ったのである。
は微笑を禁じ得なかった。この少女が良驥りょうきを以て自ら比するのは、いかにもふさわしくないように感じたからである。
玄機って筆墨をの前に置いた。は率然「江辺柳」の三字を書して示した。玄機しばらく考えて占出せんしゅつした詩はこうである。
賦得江辺柳
翠色連荒岸すゐしよくくわうがんにつらなり。 烟姿入遠楼えんしゑんろうにいる
影鋪秋水面かげはしうすゐのおもてにのべ。 花落釣人頭はなはつりびとのかうべにおつ
根老蔵魚窟ねはおいてぎよくつかくれ。 枝低繋客舟えだはひくくきやくしうつながる
蕭々風雨夜せうせうたりふううのよ。 驚夢復添愁ゆめよりさめてまたうれひをそふ
は一しょうしてしと称した。はこれまで七たび挙場に入った。そしてつねに堂々たる男子が苦索して一句を成し得ないのを見た。彼輩かのはいは皆遠くこの少女に及ばぬのである。
此を始としては度々魚家を訪ねた。二人の間には詩筒しとう往反おうへん織るが如くになった。
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大中元年に、三十歳で太原たいげんから出て、始て進士のに応じた。自己の詩文はしょく一寸をもやさぬうちに成ったので、隣席のものが呻吟しんぎんするのを見て、これに手をしてった。その後挙場に入る毎に七八人のために詩文を作る。その中には及第するものがある。ただのみはいつまでも及第しない。
これに反して場外の名は京師けいしに騒いで、大中四年に宰相になった令狐綯も、を引見して度々筵席に列せしめた。ある日席上でが一の故事を問うた。それは荘子そうしに出ている事であった。が直ちに答えたのはいが、そのことばすこぶる不謹慎であった。「それは南華に出ております。余り僻書へきしょではございません。相公しょうこう爕理しょうりいとまには、時々読書をもなさるがよろしゅうございましょう」と云ったのである。
また宣宗菩薩蛮ぼさつばんの詞を愛するので、填詞てんししてたてまつった。実はに代作させて口止をして置いたのである。然るには酔ってその事を人に漏した。その上かつて「中書堂内坐将軍ちゆうしよだうないしやうぐんをざせしむ」と云ったことがある。が無学なのをそしったのである。
の名はつい宣宗にも聞えた。それはある時宣宗が一句を得て対を挙人中に求めると、宣宗の「金歩揺きんほよう」に対するに「玉条脱ぎよくじようだつ」を以てして、帝に激賞せられたのである。然るに宣宗は微行をする癖があって、の名をってから間もなく、旗亭で邂逅かいこうした。は帝の顔を識らぬので、暫く語を交えているうちに傲慢ごうまん無礼の言をなした。
既にして挙場では、沈詢ちんじゅんが知挙になってから、を別席に居らせて、隣に空席を置くことになった。詩名はいよいよ高く、帝も宰相もその才を愛しながら、その人をいやしんだ。趙顓ちょうせんの妻になっているの姉などは、弟のために要路に懇請したが、何の甲斐かいもなかった。
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の友に李億りおくと云う素封家があった。年はより十ばかりも少くてすこぶ詞賦しふを解していた。
咸通かんつう元年の春であった。久しく襄陽じょうように往っていた長安かえったので、がその寓居ぐうきょを訪ねた。襄陽では、刺史しし徐商じょしょうもとで小吏になって、やや久しく勤めていたが、つい厭倦えんけんを生じてめたのである。
の机の上に玄機の詩稿があった。はそれを見て歎称たんしょうした。そしてどんな女かと云った。は三年前から詩を教えている、花の如き少女だと告げた。それを聞くと、くわしく魚家のあるまちを問うて、何か思うことありげに、急いで座を起った。
の所を辞して、ただちに魚家にって、玄機れて側室にしようと云った。玄機の両親はへいの厚いのに動された。
玄機いでと相見た。今年はもう十八歳になっている。その容貌の美しさは、の初て逢った時の比ではない。もまた白皙はくせき美丈夫びじょうふである。は切に請い、玄機は必ずしも拒まぬので、約束は即時に成就して、数日の後に、玄機を城外の林亭りんていに迎え入れた。
この時にわかに発した願が遽にかなったように思った。しかしそこに意外の障礙しょうがいが生じた。それはが身を以て、ちかづこうとすれば、玄機は回避して、強いてせまれば号泣するのである。林亭はゆうべに望をいだいて往き、あしたに興を失って還るのところとなった。
玄機が不具ではないかと疑って見た。しかしもしそうなら、初にへいしりぞけたはずである。玄機に嫌われているとも思うことが出来ない。玄機は泣く時に、一旦いったん避けた身をもたせ掛けてさも苦痛に堪えぬらしく泣くのである。
はしばしば催してかつて遂げぬ欲望のために、徒らに精神を銷磨しょうまして、行住座臥こうじゅうざがの間、恍惚こうこつとして失する所あるが如くになった。
には妻がある。妻は夫の動作が常に異なるのを見て、その去住に意を注いだ。そして僮僕どうぼくくらわしめて、玄機の林亭にいることを知った。夫妻は反目した。ある日岳父が婿むこの家に来てを面責し、は遂に玄機うことを誓った。
は林亭に往って、玄機に魚家に帰ることを勧めた。しかしは聴かなかった。縦令たとい二親ふたおやは寛仮するにしても、女伴じょはんあなどりを受けるに堪えないと云うのである。そこでかねて交っていた道士趙錬師ちょうれんし請待しょうだいして、玄機の身の上を託した。玄機咸宜観に入って女道士になったのは、こうした因縁である。
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玄機は才智にけた女であった。その詩には人に優れた剪裁せんさいたくみがあった。を師として詩を学ぶことになってからは、一面には典籍の渉猟に努力し、一面には字句の錘錬ついれんに苦心して、ほとんど寝食を忘れる程であった。それと同時に詩名を求める念がようやく増長した。
に聘せられる前の事である。ある日玄機崇真観しゅうしんかんに往って、南楼に状元じょうげん以下の進士等が名を題したのを見て、慨然として詩をした。
崇真観南楼しゆうしんくわんのなんろうにあそび覩新及第題名処しんきふだいのなをだいせしところをみる
雲峯満目放春晴うんぽうまんもくしゆんせいをはなち。 歴々銀鈎指下生れきれきたるぎんこうかせいをさす
自恨羅衣掩詩句みづからうらむらいのしくをおほふを。 挙頭空羨榜中名かうべをあげてむなしくばうちゆうのなをうらやむ
玄機が女子の形骸けいがいを以て、男子の心情を有していたことは、この詩を見ても推知することが出来る。しかしその形骸が女子であるから、吉士きっしおもうの情がないことはない。ただそれは蔓草つるくさが木の幹にまとい附こうとするような心であって、房帷ぼういの欲ではない。玄機は彼があったから、の聘に応じたのである。これがなかったから、林亭の夜は索莫さくばくであったのである。
既にして玄機咸宜観に入った。が別に臨んで、衣食に窮せぬだけの財をおくったので、玄機は安んじて観内で暮らすことが出来た。が道書を授けると、玄機は喜んでこれを読んだ。この女のためにはけいを講じ史を読むのは、家常の茶飯であるから、道家の言がかえってその新をい奇を求める心をよろこばしめたのである。
当時道家には中気真術と云うものを行うならいがあった。毎月朔望さくぼうの二度、予め三日のものいみをして、所謂いわゆる四目四鼻孔云々うんぬんの法を修するのである。玄機のがるべからざる規律のもとにこれを修すること一年余にして忽然こつぜん悟入する所があった。玄機は真に女子になって、の林亭にいた日に知らなかった事を知った。これが咸通二年の春の事である。
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玄機は共に修行する女道士中のやや文字ある一人と親しくなって、これと寝食を同じゅうし、これに心胸を披瀝ひれきした。この女は名を采蘋さいひんと云った。ある日玄機采蘋に書いてった詩がある。
贈隣女りんぢよにおくる
羞日遮羅袖ひをさけてらしうもてさへぎる。   愁春懶起粧はるをうれひてきしやうするにものうし
易求無価宝もとめやすきはあたひなきたから。   難得有心郎えがたきはこゝろあるらう
枕上潜垂涙ちんじやうひそかになみだをながし。   花間暗断腸くわかんひそかにはらわたをたつ
自能窺宋玉みづからよくそうぎよくをうかゞふ。   何必恨王昌なんぞかならずしもわうしやうをうらまん
采蘋は体が小くて軽率であった。それに年が十六で、もう十九になっている玄機よりはわかいので、始終沈重ちんちょう玄機制馭せいぎょせられていた。そして二人で争うと、いつも采蘋が負けて泣いた。そう云う事は日毎にあった。しかし二人はただちにまた和睦わぼくする。女道士仲間では、こう云う風に親しくするのを対食と名づけて、かたわらから揶揄やゆする。それにはせんともまじっているのである。
秋になって采蘋たちまち失踪しっそうした。それはの所で塑像を造っていた旅の工人が、いとまを告げて去ったのと同時であった。前に対食をあざけった女等が、玄機の寂しがっていることを話すと、は笑って「也飄蕩ひんやへうたう也幽独けいやいうどく」と云った。玄機あざな幼微と云い、また蕙蘭けいらんとも云ったからである。
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は修法の時に規律を以て束縛するばかりで、楼観の出入などを厳にすることはなかった。玄機の所へは、詩名が次第に高くなったために、書をもとめに来る人が多かった。そう云う人は玄機に金を遣ることもある。物を遣ることもある。中には玄機の美しいことを聞いて、名を索書にりてうものもある。ある士人は酒を携えて来て玄機に飲ませようとすると、玄機僮僕どうぼくを呼んで、その人を門外にい出させたそうである。
然るに采蘋が失踪した後、玄機の態度は一変して、やや文字を識る士人が来て詩をい書を求めると、それをとどめて茶を供し、笑語晷しょうごひかげを移すことがある。一たび欵待かんたいせられたものは、友をいざなって再び来る。玄機かくを好むと云う風聞は、いくばくもなくして長安人士の間に伝わった。もう酒を載せて尋ねても、逐われるおそれはなくなったのである。
これに反していたずらに美人の名に誘われて、目に丁字ていじなしと云うやからが来ると、玄機ごうも仮借せずに、これに侮辱を加えて逐い出してしまう。熟客じゅっかくと共に来た無学の貴介子弟きかいしていなどは、さいわいにして謾罵まんばを免れることが出来ても、坐客があるいは句をつらねあるいは曲を度する間にあって、みずかて欠然たる処から、独りひそかに席を逃れて帰るのである。
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客と共に謔浪ぎゃくろうした玄機は、客の散じた後に、怏々おうおうとして楽まない。夜が更けても眠らずに、目に涙をたたえている。そう云う夜旅中のに寄せる詩を作ったことがある。
飛卿ひけいによす
堦砌乱蛩鳴かいぜいらんきようなき。 庭柯烟露清ていかえんろきよし
月中隣楽響げつちゆうりんがくひゞき。 楼上遠山明ろうじやうゑんざんあきらかなり
珍簟涼風到ちんてんにりやうふういたり。 瑶琴寄恨生えうきんにきこんうまる
嵇君懶書札けいくんしよさつにものうし。 底物慰秋情なにごとぞしうじやうをなぐさめん
玄機は詩筒を発した後、日夜の書のきたるのを待った。さて日を経ての書が来ると、玄機は失望したように見えた。これはの書の罪ではない。玄機は求むる所のものがあって、自らその何物なるかを知らぬのである。
ある夜玄機は例の如く、ともしびもとに眉をひそめて沈思していたが、ようやく不安になって席を起ち、あちこち室内を歩いて、机の上の物を取っては、またすぐに放下しなどしていた。やや久しゅうして後、玄機は紙をべて詩を書いた。それは楽人陳某ちんぼうに寄せる詩であった。陳某は十日ばかり前に、二三人の貴公子と共にただ一度玄機の所に来たのである。体格が雄偉で、面貌めんぼうの柔和な少年で、多く語らずに、始終微笑を帯びて玄機の挙止を凝視していた。年は玄機よりわかいのである。
感懐寄人かんくわいひとによす
恨寄朱絃上うらみをしゆげんのうへによせ。 含情意不任じやうをふくめどもいまかせず。 早知雲雨会はやくもしるうんうのくわいするを
未起蕙蘭心いまだおこさずけいらんのこゝろ。 灼々桃兼李しやく/\たるもゝとすもゝ。 無妨国士尋こくしのたづぬるをさまたぐるなし
蒼々松与桂さう/\たるまつとかつら。 仍羨世人欽なほうらやむよのひとのあふぐを。 月色庭階浄げつしよくていかいにきよく
歌声竹院深かせいちくゐんにふかし。 門前紅葉地もんぜんこうえふのち。 不掃待知音はらはずちいんをまつ
は翌日詩を得て、ただち咸宜観に来た。玄機は人をしりぞけて引見し、僮僕に客を謝することを命じた。玄機の書斎からはただかすかに低語の声が聞えるのみであった。初夜を過ぎては辞し去った。これからはは姓名を通ぜずに玄機の書斎に入ることになり、玄機を迎える度に客を謝することになった。
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玄機うことがしきりなので、客は多くしりぞけられるようになった。書をもとめるものは、ただ金を贈って書を得るだけで、満足しなくてはならぬことになったのである。
一月ばかり後に、玄機は僮僕にいとまって、老婢ろうひ一人を使うことにした。この醜悪な、いつも不機嫌なおうなはほとんど人に物を言うこともないので、観内の状況は世間に知られることが少く、玄機とは余り人に煩聒はんかつせられずにいることが出来た。
は時々旅行することがある。玄機はそう云う時にも客を迎えずに、籠居ろうきょして多く詩を作り、それをに送って政を乞うた。はこの詩を受けて読む毎に、語中に閨人けいじん柔情じゅうじょうが漸く多く、道家の逸思がほとんど無いのを見て、いぶかしげに首を傾けた。玄機しょうになって、いくばくもなくと別れ、咸宜観に入って女道士になった顛末てんまつは、ことごとの口からの耳に入っていたのである。
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七年程の月日が無事に立った。その時夢にも想わぬ災害が玄機の身の上に起って来た。
咸通八年の暮に、が旅行をした。玄機は跡に残って寂しく時を送った。そのころに寄せた詩の中に、「満庭木葉愁風起まんていのこのはしうふうおこり透幌紗窓惜月沈くわうしやのまどをとほしつきのしづむををしむ」と云う、例に無い悽惨せいさんな句がある。
九年の初春に、まだが帰らぬうちに、老婢が死んだ。親戚しんせきたのむべきものもない媼は、かねて棺材まで準備していたので、玄機は送葬の事を計らって遣った。その跡へ緑翹りょくぎょうと云う十八歳の婢が来た。顔は美しくはないが、聡慧そうけい媚態びたいがあった。
長安に帰って咸宜観に来たのは、艶陽三月の天であった。玄機がこれを迎える情は、渇した人が泉に臨むようであった。暫らくはがほとんど虚日のないように来た。その間に玄機は、度々緑翹揶揄やゆするのを見た。しかし玄機は初め意に介せなかった。なぜと云うに、玄機の目中には女子としての緑翹はないと云ってい位であったからである。
玄機は今年二十六歳になっている。眉目びもく端正な顔が、迫りるべからざる程の気高い美しさを具えて、あらたに浴を出た時には、琥珀色こはくいろの光を放っている。豊かな肌はきずのない玉のようである。緑翹は額の低い、おとがいの短い猧子かしに似た顔で、手足は粗大である。えりや肘はいつも垢膩こうじけがれている。玄機緑翹を忌む心のなかったのは無理もない。
そのうち三人の関係が少しく紛糾して来た。これまでは玄機の挙措が意に満たぬ時、は寡言になったり、または全く口をつぐんでいたりしたのに、今はがそう云う時、多く緑翹と語った。その上そう云う時のことばきわめて温和である。玄機はそれを聞く度に胸を刺されるように感じた。
ある日玄機は女道士仲間に招かれて、某の楼観に往った。書斎を出る時、緑翹にその観の名を教えて置いたのである。さて夕方になって帰ると、緑翹かどに出迎えて云った。「お留守にさんがおいでなさいました。お出になった先を申しましたら、そうかと云ってお帰なさいました」と云った。
玄機は色を変じた。これまで留守の間にの来たことは度々あるが、いつもは書斎に入って待っていた。それに今日は程近い所にいるのを知っていて、待たずに帰ったと云う。玄機緑翹との間に何等かの秘密があるらしく感じたのである。
玄機は黙って書斎に入って、暫くして沈思していた。猜疑さいぎは次第に深くなり、忿恨ふんこんは次第に盛んになった。門に迎えた緑翹の顔に、常に無い侮蔑ぶべつの色が見えたようにも思われて来る。温言を以て緑翹すかの声が歴々として耳に響くようにも思われて来る。
そこへ緑翹ともしびに火を点じて持って来た。何気なく見える女の顔を、玄機は甚だしく陰険なように看取した。玄機は突然起って扉にじょうを下した。そしてふるう声で詰問しはじめた。女はただ「存じません、存じません」と云った。玄機にはそれが甚しく狡獪こうかいなように感ぜられた。玄機は床の上にひざまずいている女を押し倒した。女はおそれて目をみはっている。「なぜ白状しないか」と叫んで玄機は女ののどやくした。女はただ手足をもがいている。玄機が手を放して見ると、女は死んでいた。
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玄機緑翹を殺したことは、やや久しく発覚せずにいた。殺した翌日の来た時には、玄機緑翹の事を問うだろうと予期していた。しかしは問わなかった。玄機がとうとう「あの緑翹がゆうべからいなくなりましたが」と云っての顔色をうかがうと、は「そうかい」と云っただけで、別に意に介せぬらしく見えた。玄機は前夜のうちに観の背後うしろに土を取った穴のある処へ、緑翹かばねを抱いて往って、穴の中へ推しおとして、上から土を掛けて置いたのである。
玄機は「生ける秘密」のために、数年前から客を謝していた。然るに今は「死せる秘密」のためにおそれいだいて、もし客を謝したら、緑翹踪跡そうせきを尋ねるものが、観内に目をけはすまいかと思った。そこでせつに会見を求めるものがあると、強いて拒まぬことにした。
初夏の頃に、ある日二三人の客があった。その中の一人が涼を求めて観の背後に出ると、土を取った跡らしい穴の底に新しい土がまっていて、その上に緑色に光るはえが群がり集まっていた。その人はただなんとなくいぶかしく思って、深い思慮をも費さずに、これを自己の従者に語った。従者はまたこれを兄に語った。兄は府の衙卒がそつを勤めているものである。この卒は数年前に、が払暁に咸宜観から出るのを認めたことがある。そこで奇貨くべしとなして、玄機おびやかして金をようとしたが、玄機は笑って顧みなかった。卒はそれから玄機を怨んでいた。今弟のことばを聞いて、小婢しょうひの失踪したのと、土穴に腥羶せいせんの気があるのとの間に、何等かの関係があるように思った。そして同班の卒数人と共に、すきを持って咸宜観に突入して、穴の底を掘った。緑翹の屍は一尺に足らぬ土の下に埋まっていたのである。
京兆けいちょういん温璋おんしょうは衙卒の訴にもとづいて魚玄機を逮捕させた。玄機ごう弁疏べんそすることなくして罪に服した。楽人陳某鞠問きくもんを受けたが、情を知らざるものとしてゆるされた。
李億はじめとして、かつて玄機を識っていた朝野の人士は、皆その才を惜んで救おうとした。ただ温岐一人は方城の吏になって、遠く京師けいしを離れていたので、玄機がために力を致すことが出来なかった。
京兆の尹は、事が余りにあらわになったので、法をげることが出来なくなった。立秋の頃に至って、つい懿宗いそうに上奏して、玄機ざんに処した。
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玄機の刑せられたのを哀むものは多かったが、最も深く心を傷めたものは、方城にいる温岐であった。
玄機が刑せられる二年前に、は流離して揚州ようしゅうに往っていた。揚州大中十三年に宰相をめた令狐綯刺史ししになっている地である。が自己を知っていながら用いなかったのを怨んで名刺をも出さずにいるうちに、ある夜妓院ぎいんに酔って虞候ぐこうに撃たれ、おもてきずを負い前歯を折られたので、怒ってこれを訴えた。と虞候とを対決させると、虞候は盛んに汙行おこうを陳述して、自己は無罪と判決せられた。事は京師に聞えた。は自ら長安に入って、要路に上書して分疏ぶんそした。この時徐商楊収ようしゅうとが宰相に列していて、を庇護したがが聴かずに、方城に遣って吏務に服せしめたのである。その制辞せいじは「孔門以徳行為先こうもんはとくかうをもつてさきとなし文章為末ぶんしやうをすゑとなす爾既徳行無取なんぢすでにとくかうのとるなし文章何以称焉ぶんしやうなんぞもつてしようせられんや徒負不羈之才いたづらにふきのさいをおふ罕有適時之用てきじのようあることまれなり」と云うのであった。は後に隋県ずいけんうつされて死んだ。子のも弟の庭皓ていこうも、咸通中に官にぬきんでられたが、庭皓龐勛ほうくんの乱に、徐州で殺された。玄機が斬られてから三月の後の事である。
参照
其一 魚玄機
三水小牘       南部新書
太平広記       北夢瑣言ほくむさげん
続談助        唐才子伝
唐詩紀事       全唐詩(姓名下小伝)
全唐詩話       唐女郎魚玄機詩
其二 温飛卿
旧唐書        漁隠叢話ぎょいんそうわ
新唐書        北夢瑣言
全唐詩話       桐薪どうしん
唐詩紀事       玉泉子
六一詩話       南部新書
滄浪そうろう詩話       握蘭集あくらんしゆう
彦周げんしゆう詩話       金筌集きんせんしゆう
三山老人語録     漢南真稿
雪浪斎せつろうさい日記      温飛卿詩集
大正四年四月

人物台帳 / Persons (standOff)

名前 / Name 出現 / Occurrences 注記 / Note
魚玄機 118 唐の女詩人(844頃–868)。長安の倡家に生れ、温庭筠に詩を学ぶ。李億の側室となった後、咸宜観の女道士となり、婢の緑翹を殺して咸通九年に斬られた。本作の主人公。作中では「玄機」「魚」とも記され、字は幼微、また蕙蘭とも称した
温庭筠 72 晩唐の詩人(温岐、812頃–866頃)。字は飛卿。醜怪な容貌から「温鍾馗」、八叉手で八韻を成すことから「温八叉」の諢名がある。玄機の詩の師
鍾馗 4 疫鬼を退治する伝説上の存在。その醜怪な容貌から温庭筠の諢名となった
令狐綯 8 晩唐の宰相(795–872)。大中四年に宰相となり、大中十三年に罷めて揚州刺史となる。作中では「綯」とも記される
令狐滈 3 令狐綯の子。旗亭に妓を呼ぶ貴公子。作中では「令狐」とも記される
斐誠 2 令狐滈の遊び仲間の貴公子。作中では「斐」とも記される
李億 29 素封家。温庭筠の友人で、玄機を側室に迎えるが、妻の実家に責められて玄機を逐う。作中では「李」とも記される
李白 1 盛唐の詩人(701–762)。「隴西の李白」として言及される
杜甫 1 盛唐の詩人(712–770)。「襄陽の杜甫」として言及される
白居易 3 中唐の詩人(772–846)。長恨歌・琵琶行の作者として言及される
元微之 1 元稹(779–831)。白居易と名を斉しくした詩人として言及される
李商隠 1 晩唐の詩人(813頃–858)。温庭筠と並ぶ当代の詩人として言及される
段成式 2 晩唐の文人(803頃–863)。『酉陽雑俎』の著者。李商隠・温庭筠と併せて三名家と称された。作中では「段」とも記される
老子 2 道家の祖とされる人物。唐の王室が李姓であることから先祖と称された。作中では「老君」とも記される
荘子 2 荘周。道家の思想家、およびその書『荘子』(=南華真経)。令狐綯が席上で問うた故事の出典として言及される
宣宗 6 唐の第16代皇帝(810–859、在位846–859)。温庭筠の才を認めながらその人を鄙んだ
懿宗 2 唐の第17代皇帝(833–873、在位859–873)。咸通九年、上奏を容れて玄機を斬に処した
沈詢 1 晩唐の官人。知挙(科挙の試験官)として温庭筠を別席に隔離した
趙顓 1 温庭筠の姉の夫。姉は弟のために要路に懇請した
趙錬師 6 李億と交わりのあった道士。玄機を咸宜観に受け入れ、道書を授ける。作中では「趙」とも記される
趙飛燕 1 前漢成帝の皇后。痩身の美人の典型。「趙痩」と圧縮した形で玄機の容姿の対比に引かれる
楊貴妃 1 唐の玄宗の妃(719–756)。豊満な美人の典型。「楊肥」と圧縮した形で玄機の容姿に擬せられる
楊収 2 晩唐の宰相(?–868)。温庭筠の上書を聴かず、方城に遣った。作中では「楊」とも記される
徐商 3 晩唐の官人・宰相。襄陽で温庭筠を小吏に用い、後に宰相として温を庇護した。作中では「徐」とも記される
采蘋 7 咸宜観の女道士。玄機と親しく交わったが、旅の工人とともに失踪する。趙錬師の言では「蘋」
緑翹 18 玄機に仕えた十八歳の婢。陳との仲を疑われ、玄機に扼殺される
陳某 29 楽人の少年。玄機の情人となる。作中では「陳」とも記される
2 温庭筠の子。咸通中に官に擢でられた
庭皓 2 温庭筠の弟。咸通中に官に擢でられたが、龐勛の乱に徐州で殺された
龐勛 1 咸通九年に徐州で乱を起こした唐末の反乱指導者(?–869)
伯楽 1 春秋時代の馬の名鑑定家。名馬を見出す者の典型として、玄機が温庭筠に擬えて言及する
宋玉 1 戦国楚の文人。玄機の詩「贈隣女」に美男の典型として詠まれる
王昌 1 唐詩に美男の典型として詠まれる人物。玄機の詩「贈隣女」に見える
温璋 1 唐の京兆尹(?–870)。衙卒の訴により魚玄機を逮捕させた
嵇康 1 三国魏の文人(223–262)。竹林の七賢の一人。書札を書くのに無精であったことで知られ、玄機の詩「寄飛卿」に「嵇君」として詠まれ、温庭筠に擬せられる

地名台帳 / Places (standOff)

名前 / Name 出現 / Occurrences 座標 / Geo 注記 / Note
長安 12 34.2658 108.9541 唐の都(現・陝西省西安市)・概値。「京師」も同じ場所を指す
洛陽 1 34.6197 112.454 唐の東都(現・河南省洛陽市)・概値
京兆 2 34.2658 108.9541 唐の京兆府。長安を中心とする首都圏。長安の座標で代用・概値
2 唐王朝(国名・時代名)。特定の地点を持たないため座標なし
隴西 1 35.0032 104.6343 現・甘粛省定西市隴西県一帯・概値。李白の出身地として言及される
襄陽 3 32.009 112.122 現・湖北省襄陽市・概値。杜甫の出身地、また温庭筠が小吏として勤めた地
太原 3 37.8706 112.5489 現・山西省太原市・概値。白居易・温庭筠の本貫として言及される
揚州 2 32.3947 119.4127 現・江蘇省揚州市・概値。令狐綯が刺史となり、温庭筠が虞候に打たれた地
方城 3 33.254 112.992 現・河南省南陽市方城県・概値。温庭筠が吏務に服した地
隋県 1 31.69 113.38 唐の随県(現・湖北省随州市)・概値。温庭筠が遷されて没した地
徐州 1 34.261 117.185 現・江蘇省徐州市・概値。龐勛の乱で温庭皓が殺された地
咸宜観 8 長安城内にあった道観。魚玄機が女道士として住み、緑翹を殺した場所。城内の坊の位置に確証が持てないため座標なし
崇真観 2 長安城内にあった道観。玄機が南楼の及第題名を見て詩を賦した場所。城内の坊の位置に確証が持てないため座標なし
太清宮 2 長安に置かれた道教の宮(玄元皇帝廟)。城内の位置に確証が持てないため座標なし
太微宮 1 洛陽に置かれた道教の宮。城内の位置に確証が持てないため座標なし
紫極宮 1 唐代に諸都会ごとに置かれた道観の名。特定の地点を指さないため座標なし
青空文庫。底本:「森鴎外全集5」ちくま文庫、筑摩書房。1995(平成7)年10月24日第1刷発行。入力:清角克由。校正:ちはる。ルビ・注記は省略し、外字は Unicode 実字に置換した。https://www.aozora.gr.jp/cards/000129/card2051.html