おくのほそ道

松尾芭蕉

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冒頭 元祿二年三月二十七日(旅立の日を付す)(1689-05-16)

月日つきひ百代はくだい過客くわかくにして、ゆきかふとしまた旅人たびびとなりふねうへに生涯をうかべ馬の口とら(へ)おいをむかふるものは、日〻ひびたびにしてたびすみかとす。古人も多く旅に死せるあり。予もいづれの年よりか、片雲へんうんの風にさそはれて、漂泊の思ひやまず海濱にさすらへ、去年こぞの秋江上かうじやう破屋はをくくもの古巣をはらひて、やゝ年もくれたてる霞の空に白川の關こえんと、そゞろがみの物につきて心をくるはせ、道祖神だうそじんのまねきにあひてとるもの手につかず、もゝひきやぶれをつゞりかさつけ(へ)て、三里に灸す(う)るより松嶋の月まづ心にかゝりて、すめかたは人に讓り杉風さんぷう別墅べつしよに移るに、
草の戸も住替すみかはぞひなの家

面八句おもてはちくいほりの柱に懸置かけおく

旅立 元祿二年三月二十七日(1689-05-16)

彌生やよひすゑ七日なぬか、明ぼのゝ空朧〻ろうろうとして、月は在明ありあけにて光(を)さまれる物から、不二ふじみねかすかにみえて、上野うへの谷中やなかの花のこずゑ又いつかはと心ぼそし。むつましきかぎりはよひよりつどひて、舟にのりて送る。千じゆいふ所にて船をあがれば、前途三千里のおもひ胸にふさがりて、幻のちまたに離別の泪をそゝく。
ゆく春や鳥なきうをの目はなみだ

これ矢立やたてはじめとしてゆく道な(ほ)すゝまず。人〻は途中にたちならびて、うしろかげのみゆる迄はと見おくるなるべし。

草加 元祿二年三月二十七日(1689-05-16)

ことし元祿ふたとせにや、奧羽長途ちやうど行脚あんぎや只かりそめに思ひたちて、呉天ごてん白髮はくはつうらみを重ぬといへども、耳にふれていまだめに見ぬさかひ、もしいきて歸らばとさだめなきたのみの末をかけ、そのやうやく早加いふ宿しゆくにたどりつきにけり。痩骨そうこつの肩にかゝれる物まづくるしむ。只身すがらにと出立侍いでたちはべるを、紙子かみこ一衣いちえは夜の防ぎ、ゆかた・雨具・墨筆のたぐひ、あるはさりがたきはなむけなどしたるは、さすがに打捨うちすてがたくて路次ろしわづらひとなれるこそわりなけれ。

室の八嶋 元祿二年三月二十九日(1689-05-18)

むろ八嶋やしまけいす。同行どうぎやう曾良そらいはく、「この神ははなさくやひめの神とまをし冨士一躰いつたい也。無戸室うつむろいりやき給ふちかひのみ中に、火〻出見ほゝでみのみこと生れ給ひしよりむろ八嶋やしままをす。又煙を讀習よみならははべるもこのいはれ也。」はたこのしろといふ魚を禁ず縁(起)むね世につたふ事もはべりし。

佛五左衞門 元祿二年三月二十九日(本文は「卅日」とする)(1689-05-18)

卅日みそか日光山ふもとに泊る。あるじのいひけるやう、「わが名を佛五左衞門いふよろづ正直を旨とする故に、人かくは申侍まをしはべるまゝ一夜の草の枕も打解うちとけて休み給へ」といふ。いかなる佛の濁世塵土ぢよくせぢんど示現じげんして、かゝる桑門さうもん乞食こつじき順禮じゆんれいごときの人をたすけ給ふにやと、あるじのなす事に心をとゞめてみるに、ただ無智無分別にして正直偏固へんこの者也。剛毅木訥がうきぼくとつじんに近きたぐひ、氣稟きひん清質せいしつもつとも尊ぶべし。

日光 元祿二年四月一日(1689-05-19)

卯月うづき朔日ついたち御山おやまに詣拜す。往昔そのかみこの御山を二荒山ふたらさんかきしを、空海大師くうかいだいし開基かいきの時日光あらため給ふ。千歳せんざい未來みらいをさとり給ふにや、今この御光一天にかゝやきて恩澤おんたく八荒はつくわうにあふれ、四民安堵あんどすみかおだやかなり。なほはばかり多くて筆をさしおきぬ。
あらた(ふ)と青葉若葉の日の光

黒髮くろかみは霞かゝりて雪いまだ白し。
剃捨そりすて黒髮山衣更ころもがへ
曾良

曾良は河合氏にして、惣五郎と云へり。芭蕉の下葉したばに軒をならべて、予が薪水しんすゐの勞をたすく。このたび松しま象㵼きさかたながめ共にせん事を悦び、かつ羈旅きりよの難をいたはらんと、旅立たびだつあかつき髮をそり墨染すみぞめにさまをか(へ)惣五あらため宗悟とす。よつ墨髮山の句あり。衣更の二字力ありてきこゆ。
廿餘丁山を登つて瀧あり岩洞がんとういただきより飛流して百尺千岩の碧潭へきたんおちたり。岩窟に身をひそめいりて瀧の裏よりみれば、うらみの瀧申傳まをしつた(へ)侍る也。
暫時しばらくは瀧に籠るやはじめ

那須 元祿二年四月二日(1689-05-20)

那須の黒ばねいふ所にしる人あれば、是より野越のごえにかゝりて直道すぐみちをゆかんとす。はるか一村いつそんを見かけてゆくに雨ふり日暮る。農夫の家に一夜をかりて、あくれば又野中のなかゆく。そこに野飼のがひの馬あり。くさかる(を)のこになげきよれば、野夫やぶといへどもさすがに情しらぬには非ず、「いかゞすべきや、されども此野は縱横じゆうわうにわかれて、う(ひ)/\しき旅人の道ふみたが(へ)んあやしう侍れば、この馬のとゞまる所にて馬を返し給へ」とかしはべりぬ。ち(ひ)さき者ふたり馬の跡したひてはしる。ひとりは小姫にて名をかさねいふききなれぬ名のやさしかりければ、
かさねとは八重撫子の名なるべし
曾良

やが人里ひとざとに至れば、あたひを鞍つぼに結付ゆひつけて馬を返しぬ。

黒羽 元祿二年四月三日(1689-05-21)

黒羽舘代くわんだい淨坊寺じやうばうじ何がしかた音信おとづる。思ひかけぬあるじの悦び、日夜かたりつゞけて、その桃翠たうすゐなどいふが朝夕つとめとぶらひ、みづからの家にも伴ひて、親屬しんぞくかたにもまねかれ日をふるまゝに、ひとひ郊外に逍遙して犬追物いぬおふものの跡を一見し、那須の篠原しのはらをわけて玉藻たまもまへ古墳こふんをとふ。それより八幡宮まうづ與市よいち扇のまとし時、別しては我國わがくに氏神正八まんとちかひしも、この神社にてはべるきけば、感應ことにしきりに覺えらる。くるれば桃翠宅に歸る。
修驗しゆげん光明寺いふあり。そこにまねかれて行者堂ぎやうじやだうを拜す。
夏山に足駄あしだを拜む首途かどで

雲岩寺 元祿二年四月五日(1689-05-23)

當國(岩)のおくに佛頂ぶつちやう和尚山居跡さんきよのあとあり。
竪横の五尺にたらぬ草のいほ

むすぶもくやし雨なかりせば

と松の炭して岩に書付かきつけ侍り、といつぞや聞え給ふ。その跡みんと雲岸寺に杖をひけば、人〻すゝんで共にいざなひ、若き人おほく道のほどうちさはぎて、おぼえず彼麓かのふもとに到る。山はおくあるけしきにて、谷道はるかに松杉黒く苔したゞりて、卯月てん今猶寒し。十景つくる所、橋をわたつて山門にいる
さてかの跡はいづくのほどにやと、うしろの山によぢのぼれば、石上せきしやうの小庵岩窟にむすびかけたり。妙禪師めうぜんじ死關しくわん法雲法師の石室をみるがごとし。
木啄きつつきいほはやぶらず夏木立

ととりあへぬ一句を柱に殘侍のこしはべりし。

殺生石・遊行柳 元祿二年四月十九日(1689-06-06)

これより殺生石せつしやうせきゆく舘代くわんだいより馬にて送らる。此口付このくちつき(を)のこ、短册たんざく得させよとこふ。やさしき事を望侍のぞみはべるものかなと、
野を横にうまひきむけよほとゝぎす

殺生石せつしやうせき温泉いでゆいづる山陰にあり。石の毒氣どくきいまだほろびず、はちてふのたぐひ眞砂まさごの色の見えぬほどかさなり死す。又、清水しみづながるゝのやなぎ蘆野あしのの里にありて田のくろに殘る。此所このところ郡守ぐんしゆ戸部某こほうなにがし此柳このやなぎみせばやなとをり/\にのたまきこえ給ふを、いづくのほどにやと思ひしを、今日けふ此柳このやなぎのかげにこそたちよりはべりつれ。
一枚いちまいうゑ立去たちさやなぎかな

白川の關 元祿二年四月二十日(1689-06-07)

心許こころもとなき日かずかさなるまゝに、白川しらかはせきにかゝりて旅心たびごころさだまりぬ。いかでへと便たよりもとめしもことわり也。なかにも此關このせきは三くわんの一にして、風𮪚ふうさうの人心をとゞむ。秋風あきかぜを耳に殘し、紅葉もみぢおもかげにして、青葉あをばこずゑなほあはれ也。はな白妙しろたへに、いばらはなさきそひて、ゆきにもこゆる心地ここちぞする。古人こじんかんむりただ衣裝いしやうあらためし事など、清輔きよすけふでにもとゞめおかれしとぞ。
卯の花をかざしにせき晴着はれぎかな
曾良

須賀川 元祿二年四月二十二日(1689-06-09)

とかくして越行こえゆくまゝに、あぶくまがはを渡る。左に會津根あひづね高く、右に岩城いはき相馬さうま三春みはるの庄、常陸ひたち下野しもつけの地をさかひて山つらなる。かげ沼云所いふところゆくに、今日はそらくもり物影ものかげうつらず。
すかがはえき等窮とうきゆうといふものをたづねて、四五日とゞめらる。まづ白河しらかはせきいかにこえつるやととふ長途ちやうどのくるしみ身心しんじんつかれ、かつ風景ふうけいたましひうばゝれ懷旧くわいきうはらわたたちて、はか/″\しう思ひめぐらさず。
風流ふうりうはじめやおくの田うゑうた

無下むげにこえんもさすがにと語れば、脇・第三とつゞけて三卷みまきとなしぬ。
此宿このしゆくかたはらに、大きなる栗の木陰こかげをたのみて、世をいとふそうありとちひろふ太山みやまもかくやとしづかおぼえられて、ものに書付侍かきつけはべる。其詞そのことば
ひと見付みつけぬ花や軒の栗

あさか沼 元祿二年五月一日(1689-06-17)

等窮とうきゆうたくいでて五里ばかり檜皮ひわだ宿しゆくを離れてあさか山ありみちより近し。このあたり沼おほし。かつみかるころもやゝ近うなれば、いづれの草を花かつみとはいふぞと、人〻に尋侍たづねはべれども、さらに知人しるひとなし。沼をたづね、人にとひ、かつみ/\とたづねありきて、日はやまにかゝりぬ。二本松にほんまつより右にきれて、黒塚くろづか岩屋いはや一見いつけんし、福嶋ふくしま宿やどる。

しのぶの里 元祿二年五月二日(1689-06-18)

あくればしのぶもぢずりの石をたづねしのぶのさとゆくはるか山陰の小里に、石なかば土にうづもれてあり。さと童卩わらべきたりてをしへける。「昔はこの山の上にはべりしを、往來ゆききの人の麥草むぎくさをあらしてこの石を試侍こころみはべるをにくみて、この谷につき落せば、石のおもてしたざまにふしたり」といふ。さもあるべき事にや。
早苗さなへとる手もとやむかししのぶずり

佐藤庄司の舊跡 元祿二年五月二日(1689-06-18)

月の輪のわたしこえて、瀬の上いふ宿しゆくに出づ。佐藤庄司が旧跡は左の山際やまぎは一里半ばかりあり飯塚いひづかの里鯖野さばのききたづね/\ゆくに、丸山いふたづねあたる。これ庄司旧舘きうくわん也、ふもと大手おほての跡など人の教(ふ)るにまかせてなみだを落し、又かたはらの古寺ふるでら一家いつけ石碑せきひを殘す。中にも二人の嫁がしるしまづあはれ也。女なれどもかひ/″\しき名の世に聞えつる物かなとたもとをぬらしぬ。(墮)涙の石碑も遠きにあらず。寺にいりて茶を乞へば、ここ義經よしつねの太刀辨慶べんけいおひをとゞめて什物じふもつとす、
おひも太刀も五月さつきにかざれ紙幟かみのぼり

五月さつき朔日ついたちの事也。

飯塚 元祿二年五月二日(1689-06-18)

其夜そのよ飯塚いひづかにとまる。温泉いでゆあれば湯にいりて宿をかるに、土坐どざむしろしきてあやしき貧家也。ともしびもなければゐろりのかげに寢所ねどころをまうけてす。夜にいり雷鳴かみなり雨しきりにふりふせうへよりもり、蚤蚊にせゝられて眠らず。持病ぢびやうさへおこりて消入斗きえいるばかりになん。短夜みじかよの空もやう/\あくれば、又旅立たびだちぬ。なほよる余波なごり心すゝまず、馬かりて桑折こをりの驛にいづる。はるかなる行末ゆくすゑをかゝ(へ)て、かかやまひ覺束おぼつかなしといへど、羇旅きりよ邊土へんど行脚あんぎや捨身しやしん無常むじやう觀念くわんねん道路だうろにしなん、これてんめいなりと氣力いささかとりなほし、みち縱横じゆうわうふん伊達だて大木戸おほきどをこす。

笠嶋 元祿二年五月四日(1689-06-20)

鐙摺あぶずり白石しろいしの城をすぎ笠嶋かさしまの郡に入れば、とう中將實方さねかたの塚はいづくのほどならんと人にとへば、これよりはるか右に見ゆる山際やまぎはの里をみのわ笠嶋かさしまいひ道祖神だうそじんやしろ、かたすすき今にありと教(ふ)此比このごろ五月雨さみだれに道いとあしく身つかれ侍れば、よそながらながめやりてすぐるに、蓑輪みのわ笠嶋も五月雨のをりにふれたりと、
笠嶋はいづこさ月のぬかり道

岩沼に宿る。

武隈 元祿二年五月四日(1689-06-20)

武隈の松にこそめさむ心地ここちはすれ。根は土際つちぎはより二木ふたきにわかれて、昔の姿うしなはずとしらる。まづ能因法師のういんほふしおもいづ往昔そのかみむつのかみにてくだりし人、この木をきり名取川なとりがは橋杭はしぐひにせられたる事などあればにや、松はこのたび跡もなしとはよみたり。代〻よよあるはきり、あるひは植繼うゑつぎなどせしときくに、今將いまはた千歳ちとせのかたちとゝのほひて、めでたき松のけしきになんはべりし。
櫻より松は二木ふたき三月越みつきごし

宮城野 元祿二年五月五日(1689-06-21)

名取川なとりがはわたり仙臺いる。あやめふく日也。旅宿をもとめて四五日逗留とうりうす。ここに畫工加右衞門いふものあり。いささか心ある者とききて知る人になる。この者、年比としごろさだかならぬどころを考置侍かんがへおきはべればとて、一日ひとひ案内あんないす。宮城野みやぎのはぎ茂りあひて秋の氣色けしき思ひやらるゝ。玉田よこ野つゝじが岡はあせびさくころ也。日影ひかげももらぬ松の林にいりて、ここ木の下いふとぞ。昔もかく露ふかければこそ、みさぶらひみかさとはよみたれ。藥師堂天神の御社などをがみて、其日はくれぬ。なほ松嶋塩がま所〻ところどころ畫にかきて送る。かつ、紺の染緒そめをつけたる草鞋わらぢ二足はなむけす。さればこそ風流のしれもの、ここに至りて其實そのじつあらはす。
あやめ草足にむすば草鞋わらぢ

壺の碑 元祿二年五月八日(1689-06-24)

かの畫圖にまかせてたどりゆけば、おくの細道の山際に十(符)すげあり。今も年々十(符)の菅菰を調ととのへて國守に獻ずといへり。
つぼの石ぶみは、高サ六尺あまり、横三尺ばかり。苔を穿うがちて文字かすか也。四維しゐ國界之數里をしるす。「此城このしろ神龜元年按察使あぜち鎭守(府)將軍大野朝臣あそん東人あづまびと之所(置)也。天平宝字てんぴやうはうじ六年、參議東海東山莭度使同將軍惠美朝臣𤢥ゑみのあそんあさかり修造おさめつくる而十二月朔日」とあり聖武皇帝の御時に當れり。むかしよりよみおける哥枕、おほく語傳かたりつたふといへども、山くづれながれて道あらたまり、石はうづもれて土にかくれ、木はおい若木わかぎにかはれば、時移り變じて、その跡たしかならぬ事のみを、ここに至りてうたがひなき千歳ちとせ記念かたみ、今眼前に古人の心をけみす。行脚の一徳、存命ぞんめいの悦び、羇旅きりよいたはりをわすれてなみだおつるばかり也。

末の松山 元祿二年五月八日(1689-06-24)

それより野田の玉川沖の石たづぬ。末の松山は寺をつくり末松山まつしようざんといふ。松のあひ/\皆墓はらにて、はねをかはし枝をつらぬるちぎりすゑも、つひにはかくのごときと悲しさもまさりて、しほがまの浦入相いりあひのかねをきく五月雨さみだれの空いささかはれて、夕月夜ゆふづくよかすかまがきが嶋もほど近し。あま小舟をぶねこぎつれてさかなわかつこゑ/″\に、つなでかなしもとよみけん心もしられて、いとゞ哀也。其夜そのよ目盲めくら法師の琵琶をならして奧(淨)るりといふものをかたる。平家にもあらず舞にもあらず、ひなびたる調子うちあげて、枕ちかうかしましけれど、さすがに邊土の遺風ゐふう忘れざるものから殊勝しゆしようおぼえらる。

鹽釜 元祿二年五月九日(1689-06-25)

早朝さうてうしほがまの明神みやうじんまうづ。國守再興せられて、宮柱みやばしらふとしく彩椽さいてんきらびやかに、石のきざはしじんかさなり、朝日あけの玉がきをかゝやかす。かゝる道のはて塵土ぢんどさかひまで、神靈あらたにましますこそ、わが國の風俗なれといとたふとけれ。神前に古き宝燈はうとうあり。かねの戸びらのおもてに「文治ぶんぢ三年和泉いずみ三郎(寄)進」とあり。五百年來のおもかげ、今目の前にうかびてそゞろにめづらし。かれ勇義ゆうぎ忠孝ちゆうかう也。佳(名)今に至りてしたはずといふ事なし。まことによく道をつとめ、義をまもるべし。名もまたこれにしたがふといへり。

松嶋 元祿二年五月九日(1689-06-25)

すでににちかし。船をかりて松嶋にわたる。その間二里餘、雄嶋をじまの磯につく。
そもそもことふりにたれど、松嶋扶桑ふさう第一の好風かうふうにして、およそ洞庭どうてい西湖せいこはぢず。東南より海をいれて、の中三里、浙江うしほをたゝふ。しま/″\の數をつくして、そばだつものは天をゆびさし、ふすものは波に匍匐はらばふ。あるは二重ふたへにかさなり三重に疊みて、左にわかれ右につらなる。おへるありいだけるあり。兒孫じそん愛すがごとし。松の緑こまやかに、枝葉しえふ汐風しほかぜふき(わ)めて、屈曲(お)のづからためたるがごとし。其氣色そのけしき窅然べんぜんとして美人のかんばせよそほふ。ちはやぶる神のむかし、大山(づ)のなせるわざにや。造化ざうくわ天工てんこう、いづれの人か筆をふるひことばつくさむ。
雄嶋をじまが磯は地つゞきて海にいでたる嶋也。雲居禪師うんごぜんじ別室べつしつの跡、坐禪石ざぜんいしなどありはた、松の木陰こかげに世をいとふ人もまれ/\見え侍りて、落穗・松笠など打けぶりたる草のいほりしづかすみなし、いかなる人とはしられずながら、まづなつかしく立寄たちよるほどに、月海にうつりて晝のながめ又あらたむ。江上かうじやうに歸りて宿をもとむれば、窓をひらき二階をつくりて、風雲の中に旅寢するこそ、あやしきまでたへなる心地はせらるれ。
松嶋つるに身をかれほとゝぎす
曾良

予は口をとぢて眠らんとしていねられず。旧庵きうあんをわかるゝ時、素堂そだう松嶋の詩あり。安適あんてき松がうらしまの和哥を贈らる。袋をときてこよひの友とす。かつ杉風さんぷう濁子ぢよくしが發句あり。

瑞巖寺 元祿二年五月十一日(1689-06-27)

十一日(巖)まうづ當寺たうじ三十二世の昔、眞壁まかべの平四郎出家して、入唐につたう歸朝きてうのち開山す。其後そののち雲居禪師うんごぜんじ徳化とくげよりて、七堂いらかあらたまりて、こんぺき莊嚴しやうごん光をかかやかし仏土ぶつど成就じやうじゆの大伽(藍)とはなれりける。かの見仏聖けんぶつひじりの寺はいづくにやとしたはる。

平泉 元祿二年五月十三日(1689-06-29)

十二日平和泉ひらいづみと心ざし、あねはの松緒だえの橋など聞傳ききつたへて、人跡じんせきまれ雉兎ちと蒭蕘しよぜうゆきかふ道そこともわかず、つひみちふみたが(へ)いしまきといふみなといづ。こがね花さくとよみてたてまつりたる金花山海上かいしやうに見わたし、數百の𢌞船くわいせん入江いりえにつどひ、人家じんか地をあらそひてかまどの煙たちつゞけたり。思ひかけずかかる所にもきたれる哉と、宿からんとすれど更に宿かす人なし。やうやくまどしき小家に一夜をあかして、あくれば又しらぬ道まよひゆく袖のわたり尾ぶちの牧まのゝかやはらなどよそめにみて、はるかなる堤をゆく。心細き長沼にそ(う)て、戸伊广といまいふ所に一宿して平泉に到る。その間廿余里ほどゝおぼゆ。
三代の榮耀えいえう一睡いつすゐうちにして、大門だいもんの跡は一里こなたにあり秀衡ひでひらが跡は田野になりて、金鷄山のみ形を殘す。まづ高舘たかだちにのぼれば、北上川南部より流るゝ大河たいが也。衣川和泉がじやうをめぐりて、高舘の下にて大河に落入おちいる康衡やすひら等が旧跡は、衣が關へだて南部口をさし堅め、えぞをふせぐとみえたり。さても義臣すぐつて此城このしろにこもり、功名一時のくさむらとなる。「國破れて山河あり、じやう春にして草青みたり」と笠打敷うちしきて時のうつるまで泪を落し侍りぬ。
夏草なつくさつはものどもが夢の跡

はな兼房かねふさみゆる白毛しらがかな
曾良

かねみみおどろかしたる二堂開帳かいちやうす。經堂きやうだうは三將の像をのこし、光堂ひかりだうは三代のひつぎをさめ、三尊さんぞんの佛を安置あんちす。七宝ちりうせてたまとびら風にやぶれ、こがねの柱霜雪さうせつくちて、すでに頽廢たいはい空虚くうきよくさむらなるべきを、四面しめんあらたかこみて、いらかおほひて風雨をしのぐ暫時しばらく千歳せんざい記念かたみとはなれり。
五月雨さみだれふりのこしてや光堂ひかりだう

尿前の關 元祿二年五月十五日(1689-07-01)

南卩道なんぶみちはるかにみやりて、岩手いはでの里に泊る。小黒崎をぐろさきみづの小嶋をじますぎて、なるごの湯より尿前しとまへせきにかゝりて、出羽ではの國こえんとす。此路このみち旅人まれなる所なれば、關守せきもりにあやしめられてやうやうとして關をこす。大山おほやまをのぼつて日すでにくれければ、封人ほうじんの家を見かけてやどりを求む。三日風雨ふううあれてよしなき山中さんちゆう逗留とうりうす。
のみしらみ馬の尿ばりする枕もと

あるじのいふこれより出羽の國に大山をへだてて、道さだかならざれば、道しるべの人をたのみこゆべきよしをまをす。さらばといひて人をたのみ侍れば、究竟くつきやうの若者反脇指そりわきざしをよこた(へ)かしの杖をたづさへて我/\がさきたちゆく。けふこそかならずあや(ふ)きめにもあふべき日なれと、からき思ひをなしてうしろについてゆく。あるじのいふにたがはず、高山森〻として一鳥聲きかず、したやみしげりあひてゆくがごとし。雲端うんたんにつちふる心地して、しのなか踏分ふみわけ/\水をわたり岩につまづいて、はだへにつめたき汗をながして最上の庄づ。かの案内せし(を)のこのいふやう、「このみちかならず不用の事ありつつがなう(お)くりま(ゐ)らせて仕合しあはせしたり」と、よろこびてわかれぬ。あとききてさへ胸とゞろくのみ也。

尾花澤 元祿二年五月十七日(1689-07-03)

尾花澤にて清風せいふういふ者をたづぬ。かれはとめるものなれども、こころざしいやしからず。にも折〻かよひて、さすがに旅の情をもしりたれば、日比ひごろとゞめて長途ちやうどのいたはりさま/″\にもてなし侍る。
凉しさを我宿わがやどにしてねまる也

這出はひいでよかひやが下のひきの聲

まゆはきをおもかげにして紅粉べにの花

蠶飼こがひする人は古代のすがた哉
曾良

立石寺 元祿二年五月二十七日(1689-07-13)

山形領に立石寺りふしやくじいふ山寺あり。慈覺大師じかくだいしの開基にして、ことに清閑の地也。一見すべきよし、人〻のすゝむるによつて、尾花澤よりとつて返し、その間七里ばかり也。日いまだくれず。ふもとの坊に宿かりおきて、山上の堂にのぼる。岩にいはほかさねて山とし、松柏しようはく年旧としふり土石どせきおいて苔なめらかに、岩上の院〻とびらとぢて物の音きこえず。きしをめぐり岩をはひ佛閣ぶつかくを拜し、佳景かけい寂莫じやくまくとして心すみゆくのみおぼゆ。
しづかさや岩にしみいる蝉の聲

最上川 元祿二年五月二十八日(1689-07-14)

最上川のらんと、大石田いふ所に日和ひよりまつここに古き誹諧の種こぼれて、忘れぬ花のむかしをしたひ、芦角ろかく一聲いつせいの心をやはらげ、此道このみちにさぐりあしして新古ふた道にふみまよふといへども、みちしるべする人しなければと、わりなき一卷殘しぬ。このたびの風流ここに至れり。
最上川みちのくよりいでて、山形水上みなかみとす。ごてんはやぶさなどいふおそろしき難所なんじよあり板敷山いたじきやまの北をながれて、はて酒田の海にいる。左右山覆ひ、茂みの中に船を下す。これに稻つみたるをやいな船といふならし。白糸の瀧は青葉のひま/\におちて、仙人堂岸にのぞみたつ。水みなぎつて舟あや(ふ)し。
五月雨をあつめて早し最上川

羽黒 元祿二年六月三日(1689-07-19)

六月三日羽黒山に登る。圖司づし左吉いふ者をたづねて、別當代べつたうだい會覺阿闍利ゑがくあじやりえつす。南谷みなみだに別院べつゐんやどして憐愍れんみんの情こまやかにあるじせらる。
四日、本坊にをゐ(おい)て誹諧興行。
有難や雪をか(を)らす南谷

五日權現ごんげんまうづ。當山開闢かいびやく能除大師のうぢよだいしはいづれのの人といふ事をしらず。延喜式に羽州里山の神社とあり書寫しよしや、黒の字を里山となせるにや。羽州黒山を中略して羽黒山いふにや。出羽といへるは、鳥の毛羽をこの國のみつぎたてまつると風土記にはべるとやらん。月山ぐわつさん湯殿ゆどのあはせて三山とす。當寺武江東叡に屬して、天台止觀てんだいしくわんの月あきらかに、圓頓ゑんどん融通ゆづうのりともしびかゝげそひて、僧坊棟をならべ、修驗しゆげん行法ぎやうぼふはげまし、灵山れいざん靈地の驗效げんかう、人たふとびかつ恐る。繁榮とこしなへにしてめでたき御山おやまいつつべし。
八日月山ぐわつさんにのぼる。木綿ゆふしめ身にひきかけ、寶冠はうくわんかしらつつみ強力がうりきいふものにみちびかれて、雲霧うんむ山氣さんきなかに氷雪をふんでのぼる事八里、更に日月じつげつ行道ぎやうだう雲關うんくわんいるかとあやしまれ、息たえ身こゞえて頂上にいたれば日ぼつして月あらはる。笹をしきしのを枕として、ふしあくるをまつ。日いでて雲きゆれば湯殿ゆどのくだる。
谷のかたはらに鍛冶小屋といふありこの國の鍛冶、靈水をえらびここ潔齋けつさいして𨥁つるぎうちつひに月山とめいきつて世に賞せらる。かの龍泉つるぎにらぐとかや。干將かんしやう莫耶ばくやのむかしをしたふ。道に勘能かんのうしふあさからぬ事しられたり。岩に腰かけてしばしやすらふほど、三尺ばかりなる櫻のつぼみなかばひらけるあり。ふりつむ雪の下にうづもれて春を忘れぬ遲ざくらの花の心わりなし。炎天えんてん梅花ばいくわここにか(を)るがごとし。行尊ぎやうそん僧正の哥のあはれここに思ひいでて、なほまさりておぼゆ。惣而そうじてこの山中の微細びさい行者ぎやうじや法式ほつしきとして他言たごんする事を禁ず。よつて筆をとゞめてしるさず。坊に歸れば、阿闍𮤠あじやりもとめよつて、三山順礼の句〻短册にかく
凉しさやほの三か月の羽黒山

雲の峰幾つくづれ月の山

語られぬ湯殿にぬらす袂かな

湯殿山錢ふむ道の泪かな
曾良

酒田 元祿二年六月十三日(1689-07-29)

羽黒たち鶴が岡の城下、長山氏重行いふもののふの家にむかへられて、誹諧一卷有。左吉も共に送りぬ。川舟にのり酒田の湊にくだる。淵庵不玉えんあんふぎよくいふ醫師くすしもと宿やどとす。
あつみ山吹浦ふくうらかけてゆふすゞみ

暑き日を海にいれたり最上川

象㵼 元祿二年六月十六日(1689-08-01)

江山かうざん水陸すゐりく風光ふうくわうかずつくして、今象㵼きさかた方寸はうすんを責。酒田さかたみなとより東北のかた、山をこえ磯を傳ひ、いさごをふみて其際そのきは十里、日影やゝかたぶくころ汐風しほかぜ眞砂まさご吹上ふきあげ、雨朦朧もうろうとして鳥海てうかいの山かくる。闇中あんちゆう莫作もさくして、雨も又也とせば、雨後うご晴色せいしよく頼母敷たのもしきと、あまとま屋にひざをいれて雨のはるるまつ
其朝そのあしたてんよくはれて朝日花やかにさしいづる程に、象㵼きさかたに舟をうかぶ。まづ能因嶌のういんじまに舟をよせて、三年幽居の跡をとぶらひ、むかふの岸に舟をあがれば、花の上こぐとよまれし櫻の老木おいき西行法師記念かたみをのこす。江上に御陵みささぎあり、神功后宮じんぐうこうぐうの御墓といふ。寺を干滿珠寺かんまんじゆじいふ此處このところ行幸ぎやうかうありし事いまだきかず。いかなる事にや。この寺の方丈はうぢやうしてすだれまけば、風景一眼いちがんうちつきて、南に鳥海てうかい天をさゝ(へ)其陰そのかげうつりてにあり。西はむや/\のせきみちをかぎり、東に堤をきづき秋田にかよふ道はるかに、うみきたにかま(へ)て浪打入うちいるる所を汐ごしいふ。江の縱横じゆうわう一里ばかり、おもかげ松嶋にかよひて又ことなり。松嶋は笑ふが如く、象㵼はうらむがごとし。寂しさに悲しみをくは(へ)て、地勢ちせい魂をなやますに似たり。
象㵼や雨に西施せいしがねぶの花

汐越や鶴はぎぬれて海凉し

祭禮
象㵼や料理何くふ神祭
曾良

あまいへや戸板をしきて夕すずみ
低耳

岩上に睢鳩みさごの巣をみる
波こえぬ契ありてやみさごの巣
曾良

越後路 元祿二年七月四日(1689-08-18)

酒田余波なごり日をかさねて、北陸道ほくろくだうの雲にのぞむ遙〻はるばるのおもひ胸をいたましめて、加賀の府まで百卅里ときくねずの關をこゆれば越後の地に歩行あゆみあらためて、越中の國一ぶり(市振)の關に到る。この間九日、暑濕しよしつらうしんをなやまし、やまひおこりて事をしるさず。
文月や六日も常の夜には似ず

荒海や佐渡によこたふ天河あまのがは

市振 元祿二年七月十二日(1689-08-26)

今日は親しらず子しらず犬もどり駒返こまがへなどいふ北國ほつこく一の難所なんじよこえてつかれ侍れば、枕ひきよせていねたるに、一間ひとまへだておもての方に、若き女の聲二人ばかりときこゆ。年老としおいたる(を)のこの聲もまじりて物語するをきけば、越後ゑちごの國新潟にひがたいふ所の遊女いうぢよなりし。伊勢參宮するとて、此關このせきまで(を)のこ送りてあすは古郷こきやうにかへすふみしたゝめて、はかなき言傳ことづてなどしやる也。白浪のよするなぎさをはふらかし、あまのこの世をあさましう下りて、さだめなきちぎり、日〻の業因ごふいんいかにつたなしと、物いふをきく/\寢いりて、あした旅立たびだつに、我/\にむかひて、「行衞ゆくゑしらぬ旅路たびぢのうさ、あまり覺束おぼつかなう悲しく侍れば、見えがくれにも御跡おんあとをしたひはべらん、衣のうへ御情おんなさけ大慈だいじのめぐみをたれて結縁けちえんせさせ給へ」となみだを落す。「不便ふびんの事には侍れども、我/\は所〻ところどころにてとゞまるかたおほし。ただ人のゆくにまかせてゆくべし。神明しんめい加護かごかならずつつがなかるべし」と云捨いひすていでつゝ、あはれさしばらくやまざりけらし。
一家ひとつやに遊女もねたりはぎと月

曾良にかたればかきとゞめ侍る。

加賀の國 元祿二年七月十四日(1689-08-28)

くろべ四十八か瀬とかや、數しらぬ川をわたりて那古なごいふ浦にいづ擔籠たご藤浪ふぢなみは春ならずとも、初秋のあはれとふべきものをと人にたづぬれば、「これより五里いそ傳ひしてむかふの山陰にいり、蜑のとまぶきかすかなれば蘆の一夜ひとよの宿かすものあるまじ」といひ(お)どされて、かゞの國いる
わせの分入わけいる右は有磯海ありそうみ

金澤 元祿二年七月十五日(1689-08-29)

卯の花山くりからが谷をこえて、金澤七月なかの五日也。ここ大坂おほざかよりかよふ商人何處かしよいふあり。それが旅宿りよしゆくをともにす。
一笑いふものは、この道にすける名のほの/″\聞えて、世に知人しるひとはべりしに、去年の冬早世したりとて、その兄追善をもよほすに、
塚も動けわがなく聲は秋の風

ある草庵にいざなはれて
秋凉し手毎てごとにむけや瓜茄子

途中唫とちゆうぎん
あか/\と日は難面つれなくもあきの風

小松いふ所にて
しほらしき名や小松ふく萩すゝき

太田神社 元祿二年七月二十五日(1689-09-08)

此所このところ太田ただの神社まうづ(實)かぶと・錦のきれあり。往昔そのかみ、源氏にぞくせし時義朝公より給はらせたまふとかや。げにも平士ひらさぶらひのものにあらず。目庇まびさしより吹返ふきかへしまで、菊から草のほりものきんをちりばめ、龍頭たつがしら鍬形くはかた打たり。(實)討死の後、木曾義仲願状ぐわんじやうにそへて此社このやしろにこめられはべるよし、樋口の次郎が使せし事共、まのあたり縁(起)にみえたり。
むざんやなかぶとの下のきり/″\す

那谷 元祿二年七月二十七日(1689-09-10)

山中やまなか温泉いでゆゆくほど、白根しらねだけあとにみなしてあゆむ。左の山ぎはに觀音堂あり。花山くわざんの法皇三十三所の順禮じゆんれいとげさせ給ひて後、大慈大悲だいじだいひの像を安置あんちし給ひて、那谷なたと名づけ給ふと也。那智たに(汲)の二字をわかちはべりしとぞ。奇石きせきさま/″\に古松こしよううゑならべて、かやぶきの小堂岩の上に造りかけて殊勝しゆしよう土地とち也。
石山の石より白し秋の風

山中 元祿二年七月二十七日(1689-09-10)

温泉いでゆよくす。其(效)有明につぐいふ
山中や菊はた(を)らぬ湯のにほひ

あるじとするもの久米之助くめのすけとていまだ小童也。かれが父誹諧をこのみ、らく貞室ていしつ若輩じやくはいのむかしここきたりしころ、風雅にはづかしめられてかへり貞徳ていとくの門人となつて世にしらる。功名ののち此一村このいつそん判詞はんじの料をうけずといふ。今更むかしがたりとはなりぬ。
曾良は腹をやみて、伊勢の國長嶋いふ所にゆかりあれば、先立さきだちゆくに、
ゆき/\てたふれふすとも萩の原
曾良

書置かきおきたり。ゆくものゝ悲しみ、のこるものゝうらみ、隻鳧せきふのわかれて雲にまよふがごとし。予も又、
今日よりや書付かきつけ消さん笠の露

全昌寺 元祿二年八月六日(推定)(1689-09-19)

大聖(寺)の城外、全昌寺といふ寺にとまる。なほ加賀の地也。曾良も前の夜、この寺にとまりて、
終宵よもすがら秋風きくやうらの山

と殘す。一夜のへだて千里に同じ。吾も秋風をきき衆寮しゆれうふせば、明ぼのゝ空近う讀經どきやうこゑすむまゝに、鐘板しようばんなつ食堂じきだういる。けふは越前の國へと心早卒さうそつにして堂下だうかくだるを、若き僧ども紙硯をかゝ(へ)きざはしのもとまで追來おひきたる。折節をりふし庭中の柳散れば、
はいいでばや寺にちるやなぎ

とりあへぬさまして草鞋わらぢながら書捨かきすてつ。

汐越の松・天龍寺・永平寺 元祿二年八月八日(推定)(1689-09-21)

越前ゑちぜんさかひ吉崎よしざきの入江を舟にさをさして汐越しほごしの松たづぬ。
終宵よもすがら嵐に波をはこばせて
月をたれたる汐越の松
西行

此一首このいつしゆにて數景つきたり。もし一辨をくはふるものは無用の指をたつるがごとし。
丸岡天龍寺の長老、古きちなみあればたづぬ。又金澤北枝ほくしといふもの、かりそめに見送りてこの處までしたひきたる。所〻の風景すぐさず思ひつゞけて、折節をりふしあはれなる作意さくいなど聞ゆ。今すでにわかれ(臨)みて、
かきて扇ひきさく餘波なごり

五十丁山にいり永平寺えいへいじらいす。道元禪師の御寺也。邦(畿)千里をさけて、かゝる山陰やまかげあとをのこし給ふも、貴きゆ(ゑ)ありとかや。

福井 元祿二年八月十日(推定)(1689-09-23)

福井は三里ばかりなれば、夕飯ゆふげしたゝめていづるに、たそかれのみちたど/\し。ここ等栽とうさいいふ古き隱士いんしあり。いづれの年にか江戸きたりて予をたづぬはるか十とせあまり也。いかにおいさらぼひてあるにや、はたしにけるにやと人にたづね侍れば、いまだ存命ぞんめいしてそこ/\と教(ふ)。市中ひそかに引入ひきいりて、あやしの小家に夕㒵ゆふがほ・へちまのはえかゝりて、鷄頭はゝゞに戸ぼそをかくす。さてはこのうちにこそとかどたたけわびしげなる女のいでて、「いづくよりわたりたまふ道心の御坊ごばうにや。あるじはこのあたり何がしといふものゝ方にゆきぬ。もし用あらばたづね給へ」といふ。かれが妻なるべしとしらる。むかし物がたりにこそかゝる風情ふぜいは侍れと、やがてたづねあひて、その家に二夜とまりて、名月はつるがのみなとにとたびだつ等栽も共に送らんと、すそ(を)かしうからげてみち枝折しをりとうかれたつ

敦賀 元祿二年八月十四日(1689-09-27)

やうやく白根が嶽かくれて比那ひなたけあらはる。あさむづの橋をわたりて、玉江の蘆は穗にいでにけり。鶯の關すぎ湯尾ゆのをこゆれば、ひうちじやうかへるやまに初鴈をききて、十四日の夕ぐれつるがの津に宿をもとむ。その夜、月ことにはれたり。「あすの夜もかくあるべきにや」といへば、「越路の習ひ、なほ明夜の陰晴はかりがたし」と。あるじに酒すゝめられて、けいの明神に夜參す。仲哀天皇御廟ごべう也。社頭しやとう神さびて、松のあひに月のもりいりたる、おまへの白砂はくさ霜をしけるがごとし。往昔そのかみ遊行ゆぎやう二世の上人大願たいぐわん發起ほつきの事ありて、みづから草をかり土石どせきにな泥渟でいていをか(わ)かせて參詣往來わうらいわづらひなし。古例今にたえず、神前に眞砂まさごになたまふ。「これを遊行ゆぎやう砂持すなもちまをし侍る」と亭主のかたりける。
月清し遊行のもてる砂の上

十五日、亭主のことばにたがはず雨ふる
名月や北國日和ほつこくびよりさだめなき

十六日、空はれたれば、ますほの小貝こがひひろはんといろの濱に舟をはしらす。海上かいしやう七里あり。天屋てんや何某いふもの、破籠わりご小竹筒ささえなどこまやかにしたゝめさせ、しもべあまた舟にとりのせて、追風時のまに吹着ふきつきぬ。濱はわづかなる海士あま小家こいへにて、わびしき法花寺ほつけでらあり。ここに茶をのみ酒をあたゝめて、夕ぐれのさびしさ感にたへたり。
寂しさや須广にかちたる濱の秋

浪のや小貝にまじるはぎちり

その日のあらまし等栽とうさいに筆をとらせて寺に殘す。

大垣 元祿二年八月二十一日(推定)(1689-10-04)

露通このみなとまでいでむかひて、みのゝ國へとともなふ。駒にたすけられて大垣の庄にいれば、曾良伊勢よりきたあひ越人ゑつじんも馬をとばせて如行が家に入集いりあつまる。前川ぜんせん荊口けいこう父子、その外したしき人〻日夜とぶらひて、蘇生のものにあふがごとく、かつ悦び且いたはる。旅の物うさもいまだやまざるに、長月六日になれば、伊勢せん(を)がまんと、又舟にのりて、
蛤のふたみにわかれゆく秋ぞ

からびたるも、艶なるも、たくましきも、はかなげなるも、おくの細みちみもてゆくに、おぼえずたちて手たゝき、ふし村肝むらぎもきざむ。一般は簑をきる/\かゝる旅せまほしと思立おもひたち、一たびはしてまのあたり奇景をあまんず。かくて百般の情に鮫人かうじんが玉をふでにしめしたり。旅なる哉、器なるかな。只なげかしきは、かうやうの人のいとかよ(わ)げにて眉の霜の(お)きそふぞ。
元祿七年初夏 素龍

人物台帳 / Persons (standOff)

名前 / Name 出現 / Occurrences 注記 / Note
曾良 19 河合曾良(1649–1710)。芭蕉の門人で本旅の随行者
杉風 2 杉山杉風(1647–1732)。江戸の門人・魚問屋
素堂 1 山口素堂(1642–1716)。俳人
原安適 1 江戸の歌人・医師
濁子 1 中川濁子。江戸の門人
空海 1 空海(774–835)。真言宗開祖
木の花さくや姫 1 木花咲耶姫。記紀神話の女神
火々出見のみこと 1 彦火火出見尊。記紀神話の神
佛五左衞門 1 日光の宿の主人
佛頂和尚 1 仏頂禅師(1642–1715)。芭蕉参禅の師
妙禪師 1 高峰原妙(1238–1295)。中国宋代の禅僧
法雲法師 1 法雲(467–529)。中国梁代の僧
玉藻の前 1 伝説上の妖狐
與市 1 那須与一宗隆。屋島の合戦で扇の的を射た武士
淨坊寺何がし 1 浄法寺高勝(桃雪)。黒羽城代家老・俳人
桃翠 2 鹿子畑翠桃。桃雪の弟・俳人
清輔 1 藤原清輔(1104–1177)。歌人・歌学者
等窮 2 相楽等窮(1638–1715)。須賀川の俳人
能因法師 1 能因(988–?)。平安中期の歌人
義經 1 源義経(1159–1189)
辨慶 1 武蔵坊弁慶。義経の郎党
佐藤庄司 2 佐藤基治。義経に仕えた佐藤継信・忠信兄弟の父
藤中將實方 1 藤原実方(?–999)。歌人。陸奥に左遷され客死
加右衞門 1 北野屋加右衛門。仙台の画工・俳人
大野朝臣東人 1 大野東人(?–742)。多賀城を築いた将軍
惠美朝臣𤢥 1 恵美朝狩。藤原仲麻呂の子。多賀城を修造
聖武皇帝 1 聖武天皇(701–756)
和泉三郎 1 藤原忠衡(1167–1189)。秀衡の三男
雲居禪師 2 雲居希膺(1582–1659)。瑞巌寺中興の禅僧
眞壁の平四郎 1 法身性西。鎌倉期の禅僧、瑞巌寺開山と伝わる
見仏聖 1 見仏上人。松島雄島で法華経を読誦した聖
秀衡 1 藤原秀衡(?–1187)。奥州藤原氏三代
康衡 1 藤原泰衡(1155–1189)。本文の表記は「康衡」
兼房 1 増尾十郎兼房。義経最期の伝説上の老臣
慈覺大師 1 円仁(794–864)。天台宗三世座主・立石寺開基
清風 1 鈴木清風(1651–1721)。尾花沢の紅花問屋・俳人
圖司左吉 2 図司呂丸(?–1693)。羽黒山麓手向の染物屋・俳人
會覺阿闍利 2 会覚。羽黒山別当代
能除大師 1 能除太子。羽黒山開祖と伝わる
行尊僧正 1 行尊(1055–1135)。天台座主・歌人
干將 1 干将。中国春秋時代の刀工
莫耶 1 莫耶。干将の妻
長山氏重行 1 長山重行。鶴岡藩士・俳人
淵庵不玉 1 伊東不玉(1648–1697)。酒田の医師・俳人
西行 2 西行法師(1118–1190)。歌人。本旅は西行五百回忌の年
神功后宮 1 神功皇后
西施 1 中国春秋時代の越の美女
低耳 1 宮部低耳。美濃の商人・俳人
一笑 1 小杉一笑(1653–1688)。金沢の俳人。前年に没
何處 1 金沢に通う大坂の商人・俳人
眞盛 2 斎藤別当実盛(?–1183)。篠原の合戦で討死
義朝公 1 源義朝(1123–1160)
木曾義仲 1 源義仲(1154–1184)
樋口の次郎 1 樋口兼光。義仲四天王の一人
花山の法皇 1 花山法皇(968–1008)。西国三十三所巡礼を再興
久米之助 1 泉屋久米之助。山中温泉の宿の主人(俳号桃妖)
貞室 1 安原貞室(1610–1673)。京の俳人
貞徳 1 松永貞徳(1571–1654)。貞門俳諧の祖
道元禪師 1 道元(1200–1253)。曹洞宗開祖・永平寺開山
等栽 3 神戸洞哉。福井の隠士・俳人
北枝 1 立花北枝(?–1718)。金沢の門人
仲哀天皇 1 仲哀天皇。氣比神宮祭神
遊行二世の上人 3 他阿真教(1237–1319)。時宗遊行二世
天屋何某 1 天屋五郎右衛門。敦賀の廻船問屋・俳人
露通 1 八十村路通(1649?–1738)。門人
越人 1 越智越人(1656–?)。尾張の門人
如行 1 近藤如行(?–1708)。大垣の門人
前川子 1 津田前川。大垣藩士・俳人
荊口 1 宮崎荊口。大垣藩士・俳人
かさね 2 那須野で馬の後を追ってきた農家の少女
戸部某 1 芦野資俊(俳号桃酔)。芦野の領主
大山ずみ 1 大山祇神。記紀神話の山の神
素龍 1 柏木素龍(?–1716)。能書家。素龍清書本の筆者

地名台帳 / Places (standOff)

名前 / Name 出現 / Occurrences 座標 / Geo 注記 / Note
富士山 2 35.3606 138.7274
上野 1 35.7141 139.7774 江戸・上野
谷中 1 35.728 139.7672
千住 1 35.7496 139.8046 旅立ちの地
草加 1 35.8254 139.8055
室の八島 2 36.4066 139.7401 大神神社(栃木市)
日光 3 36.758 139.5986 日光山・東照宮
黒髪山 3 36.7652 139.4906 男体山の古名
裏見の滝 1 36.7412 139.5629
黒羽 2 36.8557 140.1211
那須野 1 36.93 140.05 那須野が原・概値
那須神社 1 36.8785 140.1258 本文の「八幡宮」
修験光明寺跡 1 36.87 140.13 大田原市余瀬・概値
雲巌寺 2 36.7891 140.2103
殺生石 2 37.0967 139.9758
芦野 1 36.9958 140.1683 遊行柳の里
白河の関 3 36.9367 140.228
京都 4 35.0116 135.7681 本文の「都」「洛」
阿武隈川 1 36.98 140.44 渡河点付近・概値
磐梯山 1 37.6014 140.0728 本文の「會津根」
岩城 1 37.0505 140.8877 磐城平・概値
相馬 1 37.7967 140.9195
三春 1 37.4411 140.4931
常陸 1 36.3418 140.4468 国名・概値(水戸)
下野 1 36.5551 139.8828 国名・概値(宇都宮)
かげ沼 1 37.3 140.36 須賀川近郊・概値
須賀川 1 37.2861 140.3728
日和田 1 37.4586 140.3711 本文の「檜皮の宿」
安積山 1 37.4614 140.3672
二本松 1 37.5847 140.4314
黒塚 1 37.5772 140.4468 安達ヶ原
福島 1 37.7608 140.4747
信夫の里 1 37.7702 140.515 文知摺石の所在地
月の輪の渡し 1 37.79 140.49 阿武隈川の渡し・概値
瀬の上 1 37.8092 140.4858
飯塚 2 37.8236 140.4453 現在の飯坂温泉
鯖野 1 37.8095 140.4432 医王寺
丸山 1 37.8219 140.4369 大鳥城跡
桑折 1 37.8471 140.5183
伊達の大木戸 1 37.877 140.553 国見町・概値
鐙摺 1 37.94 140.65 白石市斎川付近・概値
白石 1 38.0025 140.6197
笠島 4 38.156 140.837 名取市愛島笠島・概値
箕輪 2 38.16 140.83 概値
岩沼 1 38.1043 140.8702
武隈の松 1 38.1096 140.8661 二木の松
名取川 2 38.17 140.88 渡河点付近・概値
仙台 1 38.2682 140.8694
宮城野 1 38.263 140.91 概値
玉田 1 38.272 140.935 歌枕・概値
横野 1 38.268 140.925 歌枕・概値
榴ヶ岡 1 38.2603 140.8935
木の下 1 38.2528 140.9284
薬師堂 1 38.2531 140.9289 陸奥国分寺薬師堂
榴岡天満宮 1 38.2648 140.8952 本文の「天神の御社」
おくの細道 1 38.298 140.958 岩切付近の歌枕・概値
多賀城 0 38.3061 140.9887
壺の碑 1 38.3044 140.9886 多賀城碑
野田の玉川 1 38.297 141.006 概値
沖の石 1 38.2958 141.0064
末の松山 2 38.2972 141.0087
塩竈 2 38.3178 141.0217
籬が島 1 38.3169 141.0355
鹽竈神社 1 38.3196 141.0107
松島 9 38.3688 141.0632
雄島 2 38.3639 141.0608
洞庭湖 1 29.32 112.9 中国湖南省
西湖 1 30.243 120.15 中国杭州
浙江 1 30.25 120.17 銭塘江
松が浦島 1 38.31 141.06 七ヶ浜・概値
瑞巌寺 1 38.3721 141.0597
平泉 2 38.9856 141.114
姉歯の松 1 38.85 141.02 栗原市金成・概値
緒絶えの橋 1 38.5771 140.9551 大崎市古川
石巻 1 38.4344 141.3028
金華山 1 38.2999 141.5641
袖の渡り 1 38.428 141.303 石巻・概値
尾ぶちの牧 1 38.52 141.3 伝承地・概値
真野の萱原 1 38.45 141.33 石巻市真野・概値
長沼 1 38.7 141.1 概値
登米 1 38.6919 141.1876 本文の「戸伊广」
高館 2 38.9903 141.1218 義経堂
北上川 1 38.99 141.13 平泉付近
南部 2 39.7036 141.1527 地域名・概値(盛岡)
衣川 1 38.998 141.104
和泉が城 1 38.995 141.12 概値
衣が関 1 38.993 141.1 概値
金鶏山 1 38.9878 141.1046
光堂 2 38.9942 141.0998 中尊寺金色堂
経堂 1 38.9941 141.1001 中尊寺経蔵
岩出山 1 38.6494 140.8711 本文の「岩手の里」
小黒崎 1 38.638 140.771 概値
美豆の小島 1 38.636 140.765 概値
鳴子温泉 1 38.7383 140.7167
尿前の関 1 38.727 140.697
出羽 3 38.7 140.1 国名・概値
最上の庄 1 38.76 140.3 新庄付近・概値
尾花沢 2 38.6006 140.4064
山形 2 38.2554 140.3396
立石寺 1 38.3126 140.4358 山寺
最上川 4 38.59 140.37 大石田付近
大石田 1 38.5906 140.3722
碁点 1 38.477 140.385 村山・概値
1 38.49 140.39 概値
板敷山 1 38.68 140.12 概値
酒田 4 38.9146 139.8364
白糸の滝 1 38.755 140.062 最上峡・概値
仙人堂 1 38.757 140.075 概値
羽黒山 6 38.7057 139.9843
南谷 2 38.7 139.982 羽黒山南谷・概値
月山 3 38.5489 140.0272
湯殿山 4 38.535 139.9891
東叡山寛永寺 1 35.7203 139.7745 本文の「武江東叡」
龍泉 1 28.08 119.14 中国浙江省
鶴岡 1 38.7275 139.8267
温海岳 1 38.6 139.62 本文の「あつみ山」・概値
吹浦 1 39.055 139.868
象潟 6 39.2028 139.9028
鳥海山 2 39.0989 140.0489
能因島 1 39.205 139.905 概値
蚶満寺 1 39.2036 139.9064 本文の「干滿珠寺」
有耶無耶の関 1 39.135 139.875 三崎峠・概値
秋田 1 39.7186 140.1024
汐越 2 39.21 139.9 象潟・概値
鼠ヶ関 1 38.5569 139.5486 念珠関
越後 2 37.5 138.8 国名・概値
越中 1 36.7 137.21 国名・概値(富山)
市振 1 36.9636 137.6389
佐渡 1 38.0186 138.3672
親不知 4 37.0228 137.7139 子不知等を含む難所
新潟 1 37.9161 139.0364
伊勢 3 34.4551 136.7254 伊勢神宮
黒部川 1 36.87 137.44 黒部四十八ヶ瀬・概値
那古の浦 1 36.778 137.067 奈呉の浦(射水市)
担籠の藤波 1 36.83 136.99 氷見・概値
加賀 2 36.45 136.55 国名・概値
有磯海 1 36.85 137.25 富山湾・概値
金沢 3 36.5613 136.6562
卯の花山 1 36.67 136.88 概値
倶利伽羅峠 1 36.6706 136.8636
大坂 1 34.6937 135.5023
小松 2 36.4086 136.4453
多太神社 1 36.402 136.452 実盛の甲を蔵する
山中温泉 2 36.2519 136.3786
白山 2 36.1553 136.7715 本文の「白根が嶽」
那谷寺 1 36.3161 136.4256
那智 1 33.6687 135.89
谷汲 1 35.66 136.6 華厳寺。本文の「谷組」
伊勢長島 1 35.077 136.735 桑名市長島町
大聖寺 1 36.3054 136.3122
全昌寺 1 36.303 136.31 概値
越前 2 35.95 136.18 国名・概値
吉崎 1 36.2554 136.2262
汐越の松 2 36.247 136.235 北潟湖畔・概値
天龍寺 1 36.093 136.297 本文は「丸岡」とするが松岡(永平寺町)
永平寺 1 36.0561 136.3555
福井 1 36.0641 136.2196
江戸 1 35.6812 139.7671
敦賀 2 35.6544 136.0637
日野山 1 35.855 136.205 本文の「比那が嵩」・概値
浅水 1 35.985 136.215 概値
玉江 1 36.058 136.208 概値
鶯の関 1 35.8 136.19 概値
湯尾峠 1 35.79 136.19 概値
燧ヶ城 1 35.7702 136.2022 今庄
かへる山 1 35.75 136.17 鹿蒜山・概値
氣比神宮 1 35.6547 136.0745 本文の「けいの明神」
色ヶ浜 1 35.6879 135.9557 本文の「種の濱」
須磨 1 34.6394 135.1133
美濃 1 35.55 136.75 国名・概値
大垣 1 35.3671 136.6184 むすびの地
二見 1 34.51 136.79 二見浦
みちのく 1 39.0 141.0 地域名・概値
青空文庫(図書カード No.61619)。底本:「芭蕉 おくのほそ道」岩波版ほるぷ図書館文庫、岩波書店、1975年。底本の親本:「おくのほそ道」岩波文庫。素龍清書本の翻刻にあたる本文のみを収録し、脚註・解説・凡例・ルビ・返り点は収録しない。外字は Unicode 実字に置換した。https://www.aozora.gr.jp/cards/002240/card61619.html