おくのほそ道
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冒頭 元祿二年三月二十七日(旅立の日を付す)(1689-05-16)
旅立 元祿二年三月二十七日(1689-05-16)
草加 元祿二年三月二十七日(1689-05-16)
ことし元祿二とせにや、奧羽長途の行脚只かりそめに思ひたちて、呉天に白髮の恨を重ぬといへ共、耳にふれていまだめに見ぬさかひ、若生て歸らばと定なき頼の末をかけ、其日漸早加と云宿にたどり着にけり。痩骨の肩にかゝれる物先くるしむ。只身すがらにと出立侍を、紙子一衣は夜の防ぎ、ゆかた・雨具・墨筆のたぐひ、あるはさりがたき餞などしたるは、さすがに打捨がたくて路次の煩となれるこそわりなけれ。
室の八嶋 元祿二年三月二十九日(1689-05-18)
佛五左衞門 元祿二年三月二十九日(本文は「卅日」とする)(1689-05-18)
卅日日光山の麓に泊る。あるじの云けるやう、「我名を佛五左衞門と云。萬正直を旨とする故に、人かくは申侍まゝ一夜の草の枕も打解て休み給へ」と云。いかなる佛の濁世塵土に示現して、かゝる桑門の乞食順禮ごときの人をたすけ給ふにやと、あるじのなす事に心をとゞめてみるに、唯無智無分別にして正直偏固の者也。剛毅木訥の仁に近きたぐひ、氣稟の清質尤尊ぶべし。
日光 元祿二年四月一日(1689-05-19)
卯月朔日、御山に詣拜す。往昔此御山を二荒山と書しを、空海大師開基の時日光と改給ふ。千歳未來をさとり給ふにや、今此御光一天にかゝやきて恩澤八荒にあふれ、四民安堵の栖穩なり。猶憚多くて筆をさし置ぬ。
黒髮山は霞かゝりて雪いまだ白し。
曾良は河合氏にして、惣五郎と云へり。芭蕉の下葉に軒をならべて、予が薪水の勞をたすく。このたび松しま象㵼の眺共にせん事を悦び、且は羈旅の難をいたはらんと、旅立曉髮を剃て墨染にさまをかえ、惣五を改て宗悟とす。仍て墨髮山の句有。衣更の二字力ありてきこゆ。
廿餘丁山を登つて瀧有。岩洞の頂より飛流して百尺千岩の碧潭に落たり。岩窟に身をひそめ入て瀧の裏よりみれば、うらみの瀧と申傳え侍る也。
あらたうと青葉若葉の日の光
黒髮山は霞かゝりて雪いまだ白し。
剃捨て黒髮山に衣更
曾良
曾良は河合氏にして、惣五郎と云へり。芭蕉の下葉に軒をならべて、予が薪水の勞をたすく。このたび松しま象㵼の眺共にせん事を悦び、且は羈旅の難をいたはらんと、旅立曉髮を剃て墨染にさまをかえ、惣五を改て宗悟とす。仍て墨髮山の句有。衣更の二字力ありてきこゆ。
廿餘丁山を登つて瀧有。岩洞の頂より飛流して百尺千岩の碧潭に落たり。岩窟に身をひそめ入て瀧の裏よりみれば、うらみの瀧と申傳え侍る也。
暫時は瀧に籠るや夏の初
那須 元祿二年四月二日(1689-05-20)
那須の黒ばねと云所に知人あれば、是より野越にかゝりて直道をゆかんとす。遙に一村を見かけて行に雨降日暮る。農夫の家に一夜をかりて、明れば又野中を行。そこに野飼の馬あり。草刈おのこになげきよれば、野夫といへどもさすがに情しらぬには非ず、「いかゞすべきや、されども此野は縱横にわかれて、うゐ/\敷旅人の道ふみたがえんあやしう侍れば、此馬のとゞまる所にて馬を返し給へ」とかし侍ぬ。ちいさき者ふたり馬の跡したひてはしる。獨は小姫にて名をかさねと云。聞なれぬ名のやさしかりければ、
頓て人里に至れば、あたひを鞍つぼに結付て馬を返しぬ。
かさねとは八重撫子の名成べし
曾良
頓て人里に至れば、あたひを鞍つぼに結付て馬を返しぬ。
黒羽 元祿二年四月三日(1689-05-21)
雲岩寺 元祿二年四月五日(1689-05-23)
殺生石・遊行柳 元祿二年四月十九日(1689-06-06)
白川の關 元祿二年四月二十日(1689-06-07)
須賀川 元祿二年四月二十二日(1689-06-09)
あさか沼 元祿二年五月一日(1689-06-17)
しのぶの里 元祿二年五月二日(1689-06-18)
あくればしのぶもぢ摺の石を尋て忍ぶのさとに行。遙山陰の小里に、石半土に埋てあり。里の童卩の來りて教ける。「昔は此山の上に侍しを、往來の人の麥草をあらして此石を試侍をにくみて、此谷につき落せば、石の面下ざまにふしたり」と云。さもあるべき事にや。
早苗とる手もとや昔しのぶ摺
佐藤庄司の舊跡 元祿二年五月二日(1689-06-18)
飯塚 元祿二年五月二日(1689-06-18)
笠嶋 元祿二年五月四日(1689-06-20)
武隈 元祿二年五月四日(1689-06-20)
宮城野 元祿二年五月五日(1689-06-21)
壺の碑 元祿二年五月八日(1689-06-24)
かの畫圖にまかせてたどり行ば、おくの細道の山際に十苻の菅有。今も年々十苻の菅菰を調て國守に獻ずと云り。
つぼの石ぶみは、高サ六尺餘、横三尺斗歟。苔を穿て文字幽也。四維國界之數里をしるす。「此城、神龜元年、按察使鎭守苻將軍大野朝臣東人之所里也。天平宝字六年、參議東海東山莭度使同將軍惠美朝臣𤢥修造而十二月朔日」と有。聖武皇帝の御時に當れり。むかしよりよみ置る哥枕、おほく語傳ふといへども、山崩川流て道あらたまり、石は埋て土にかくれ、木は老て若木にかはれば、時移り代變じて、其跡たしかならぬ事のみを、爰に至りて疑なき千歳の記念、今眼前に古人の心を閲す。行脚の一徳、存命の悦び、羇旅の勞をわすれて泪も落るばかり也。
つぼの石ぶみは、高サ六尺餘、横三尺斗歟。苔を穿て文字幽也。四維國界之數里をしるす。「此城、神龜元年、按察使鎭守苻將軍大野朝臣東人之所里也。天平宝字六年、參議東海東山莭度使同將軍惠美朝臣𤢥修造而十二月朔日」と有。聖武皇帝の御時に當れり。むかしよりよみ置る哥枕、おほく語傳ふといへども、山崩川流て道あらたまり、石は埋て土にかくれ、木は老て若木にかはれば、時移り代變じて、其跡たしかならぬ事のみを、爰に至りて疑なき千歳の記念、今眼前に古人の心を閲す。行脚の一徳、存命の悦び、羇旅の勞をわすれて泪も落るばかり也。
末の松山 元祿二年五月八日(1689-06-24)
鹽釜 元祿二年五月九日(1689-06-25)
早朝塩がまの明神に詣。國守再興せられて、宮柱ふとしく彩椽きらびやかに、石の階九仞に重り、朝日あけの玉がきをかゝやかす。かゝる道の果塵土の境まで、神靈あらたにましますこそ、吾國の風俗なれといと貴けれ。神前に古き宝燈有。かねの戸びらの面に「文治三年和泉三郎奇進」と有。五百年來の俤、今目の前にうかびてそゞろに珍し。渠は勇義忠孝の士也。佳命今に至りてしたはずといふ事なし。誠人能道を勤、義を守べし。名もまた是にしたがふと云り。
松嶋 元祿二年五月九日(1689-06-25)
日既午にちかし。船をかりて松嶋にわたる。其間二里餘、雄嶋の磯につく。
抑ことふりにたれど、松嶋は扶桑第一の好風にして、凡洞庭・西湖を恥ず。東南より海を入て、江の中三里、浙江の潮をたゝふ。嶋/″\の數を盡して、欹ものは天を指、ふすものは波に匍匐。あるは二重にかさなり三重に疊みて、左にわかれ右につらなる。負るあり抱るあり。兒孫愛すがごとし。松の緑こまやかに、枝葉汐風に吹たはめて、屈曲をのづからためたるがごとし。其氣色窅然として美人の顏を粧ふ。ちはや振神のむかし、大山ずみのなせるわざにや。造化の天工、いづれの人か筆をふるひ詞を盡さむ。
雄嶋が磯は地つゞきて海に出たる嶋也。雲居禪師の別室の跡、坐禪石など有。將、松の木陰に世をいとふ人も稀/\見え侍りて、落穗・松笠など打けぶりたる草の庵閑に住なし、いかなる人とはしられずながら、先なつかしく立寄ほどに、月海にうつりて晝のながめ又あらたむ。江上に歸りて宿を求れば、窓をひらき二階を作て、風雲の中に旅寢するこそ、あやしきまで妙なる心地はせらるれ。
予は口をとぢて眠らんとしていねられず。旧庵をわかるゝ時、素堂松嶋の詩あり。原安適松がうらしまの和哥を贈らる。袋を解てこよひの友とす。且杉風・濁子が發句あり。
抑ことふりにたれど、松嶋は扶桑第一の好風にして、凡洞庭・西湖を恥ず。東南より海を入て、江の中三里、浙江の潮をたゝふ。嶋/″\の數を盡して、欹ものは天を指、ふすものは波に匍匐。あるは二重にかさなり三重に疊みて、左にわかれ右につらなる。負るあり抱るあり。兒孫愛すがごとし。松の緑こまやかに、枝葉汐風に吹たはめて、屈曲をのづからためたるがごとし。其氣色窅然として美人の顏を粧ふ。ちはや振神のむかし、大山ずみのなせるわざにや。造化の天工、いづれの人か筆をふるひ詞を盡さむ。
雄嶋が磯は地つゞきて海に出たる嶋也。雲居禪師の別室の跡、坐禪石など有。將、松の木陰に世をいとふ人も稀/\見え侍りて、落穗・松笠など打けぶりたる草の庵閑に住なし、いかなる人とはしられずながら、先なつかしく立寄ほどに、月海にうつりて晝のながめ又あらたむ。江上に歸りて宿を求れば、窓をひらき二階を作て、風雲の中に旅寢するこそ、あやしきまで妙なる心地はせらるれ。
松嶋や靍に身をかれほとゝぎす
曾良
予は口をとぢて眠らんとしていねられず。旧庵をわかるゝ時、素堂松嶋の詩あり。原安適松がうらしまの和哥を贈らる。袋を解てこよひの友とす。且杉風・濁子が發句あり。
瑞巖寺 元祿二年五月十一日(1689-06-27)
十一日、瑞岩寺に詣。當寺三十二世の昔、眞壁の平四郎出家して、入唐歸朝の後開山す。其後に雲居禪師の徳化に依て、七堂甍改りて、金壁莊嚴光を輝、仏土成就の大伽監とはなれりける。彼見仏聖の寺はいづくにやとしたはる。
平泉 元祿二年五月十三日(1689-06-29)
十二日、平和泉と心ざし、あねはの松・緒だえの橋など聞傳て、人跡稀に雉兎蒭蕘の往かふ道そこともわかず、終に路ふみたがえて石の卷といふ湊に出。こがね花咲とよみて奉たる金花山海上に見わたし、數百の𢌞船入江につどひ、人家地をあらそひて竈の煙立つゞけたり。思ひかけず斯る所にも來れる哉と、宿からんとすれど更に宿かす人なし。漸まどしき小家に一夜をあかして、明れば又しらぬ道まよひ行。袖のわたり・尾ぶちの牧・まのゝ萱はらなどよそめにみて、遙なる堤を行。心細き長沼にそふて、戸伊广と云所に一宿して平泉に到る。其間廿余里ほどゝおぼゆ。
三代の榮耀一睡の中にして、大門の跡は一里こなたに有。秀衡が跡は田野に成て、金鷄山のみ形を殘す。先高舘にのぼれば、北上川南部より流るゝ大河也。衣川は和泉が城をめぐりて、高舘の下にて大河に落入。康衡等が旧跡は、衣が關を隔て南部口をさし堅め、夷をふせぐとみえたり。偖も義臣すぐつて此城にこもり、功名一時の叢となる。「國破れて山河あり、城春にして草青みたり」と笠打敷て時のうつるまで泪を落し侍りぬ。
兼て耳驚したる二堂開帳す。經堂は三將の像をのこし、光堂は三代の棺を納め、三尊の佛を安置す。七宝散うせて珠の扉風にやぶれ、金の柱霜雪に朽て、既頽廢空虚の叢と成べきを、四面新に圍て、甍を覆て風雨を凌。暫時千歳の記念とはなれり。
三代の榮耀一睡の中にして、大門の跡は一里こなたに有。秀衡が跡は田野に成て、金鷄山のみ形を殘す。先高舘にのぼれば、北上川南部より流るゝ大河也。衣川は和泉が城をめぐりて、高舘の下にて大河に落入。康衡等が旧跡は、衣が關を隔て南部口をさし堅め、夷をふせぐとみえたり。偖も義臣すぐつて此城にこもり、功名一時の叢となる。「國破れて山河あり、城春にして草青みたり」と笠打敷て時のうつるまで泪を落し侍りぬ。
夏草や兵どもが夢の跡
卯の花に兼房みゆる白毛かな
曾良
兼て耳驚したる二堂開帳す。經堂は三將の像をのこし、光堂は三代の棺を納め、三尊の佛を安置す。七宝散うせて珠の扉風にやぶれ、金の柱霜雪に朽て、既頽廢空虚の叢と成べきを、四面新に圍て、甍を覆て風雨を凌。暫時千歳の記念とはなれり。
五月雨の降のこしてや光堂
尿前の關 元祿二年五月十五日(1689-07-01)
南卩道遙にみやりて、岩手の里に泊る。小黒崎・みづの小嶋を過て、なるごの湯より尿前の關にかゝりて、出羽の國に越んとす。此路旅人稀なる所なれば、關守にあやしめられて漸として關をこす。大山をのぼつて日既暮ければ、封人の家を見かけて舍を求む。三日風雨あれてよしなき山中に逗留す。
あるじの云、是より出羽の國に大山を隔て、道さだかならざれば、道しるべの人を頼て越べきよしを申。さらばと云て人を頼侍れば、究竟の若者反脇指をよこたえ、樫の杖を携て我/\が先に立て行。けふこそ必あやうきめにもあふべき日なれと、辛き思ひをなして後について行。あるじの云にたがはず、高山森〻として一鳥聲きかず、木の下闇茂りあひて夜る行がごとし。雲端につちふる心地して、篠の中踏分/\水をわたり岩に蹶て、肌につめたき汗を流して最上の庄に出づ。かの案内せしおのこの云やう、「此みち必不用の事有。恙なうをくりまいらせて仕合したり」と、よろこびてわかれぬ。跡に聞てさへ胸とゞろくのみ也。
蚤虱馬の尿する枕もと
あるじの云、是より出羽の國に大山を隔て、道さだかならざれば、道しるべの人を頼て越べきよしを申。さらばと云て人を頼侍れば、究竟の若者反脇指をよこたえ、樫の杖を携て我/\が先に立て行。けふこそ必あやうきめにもあふべき日なれと、辛き思ひをなして後について行。あるじの云にたがはず、高山森〻として一鳥聲きかず、木の下闇茂りあひて夜る行がごとし。雲端につちふる心地して、篠の中踏分/\水をわたり岩に蹶て、肌につめたき汗を流して最上の庄に出づ。かの案内せしおのこの云やう、「此みち必不用の事有。恙なうをくりまいらせて仕合したり」と、よろこびてわかれぬ。跡に聞てさへ胸とゞろくのみ也。
尾花澤 元祿二年五月十七日(1689-07-03)
立石寺 元祿二年五月二十七日(1689-07-13)
最上川 元祿二年五月二十八日(1689-07-14)
羽黒 元祿二年六月三日(1689-07-19)
六月三日、羽黒山に登る。圖司左吉と云者を尋て、別當代會覺阿闍利に謁す。南谷の別院に舍して憐愍の情こまやかにあるじせらる。
四日、本坊にをゐて誹諧興行。
五日、權現に詣。當山開闢能除大師はいづれの代の人と云事をしらず。延喜式に羽州里山の神社と有。書寫、黒の字を里山となせるにや。羽州黒山を中略して羽黒山と云にや。出羽といへるは、鳥の毛羽を此國の貢に献ると風土記に侍とやらん。月山・湯殿を合て三山とす。當寺武江東叡に屬して、天台止觀の月明らかに、圓頓融通の法の灯かゝげそひて、僧坊棟をならべ、修驗行法を勵し、灵山靈地の驗效、人貴且恐る。繁榮長にしてめで度御山と謂つべし。
八日、月山にのぼる。木綿しめ身に引かけ、寶冠に頭を包、強力と云ものに道びかれて、雲霧山氣の中に氷雪を踏でのぼる事八里、更に日月行道の雲關に入かとあやしまれ、息絶身こゞえて頂上に臻れば日沒て月顯る。笹を舖、篠を枕として、臥て明るを待。日出て雲消れば湯殿に下る。
谷の傍に鍛冶小屋と云有。此國の鍛冶、靈水を撰て爰に潔齋して𨥁を打、終月山と銘を切て世に賞せらる。彼龍泉に釗を淬とかや。干將・莫耶のむかしをしたふ。道に勘能の執あさからぬ事しられたり。岩に腰かけてしばしやすらふほど、三尺ばかりなる櫻のつぼみ半ばひらけるあり。ふり積雪の下に埋て春を忘れぬ遲ざくらの花の心わりなし。炎天の梅花爰にかほるがごとし。行尊僧正の哥の哀も爰に思ひ出て、猶まさりて覺ゆ。惣而此山中の微細、行者の法式として他言する事を禁ず。仍て筆をとゞめて記さず。坊に歸れば、阿闍𮤠の需に依て、三山順礼の句〻短册に書。
四日、本坊にをゐて誹諧興行。
有難や雪をかほらす南谷
五日、權現に詣。當山開闢能除大師はいづれの代の人と云事をしらず。延喜式に羽州里山の神社と有。書寫、黒の字を里山となせるにや。羽州黒山を中略して羽黒山と云にや。出羽といへるは、鳥の毛羽を此國の貢に献ると風土記に侍とやらん。月山・湯殿を合て三山とす。當寺武江東叡に屬して、天台止觀の月明らかに、圓頓融通の法の灯かゝげそひて、僧坊棟をならべ、修驗行法を勵し、灵山靈地の驗效、人貴且恐る。繁榮長にしてめで度御山と謂つべし。
八日、月山にのぼる。木綿しめ身に引かけ、寶冠に頭を包、強力と云ものに道びかれて、雲霧山氣の中に氷雪を踏でのぼる事八里、更に日月行道の雲關に入かとあやしまれ、息絶身こゞえて頂上に臻れば日沒て月顯る。笹を舖、篠を枕として、臥て明るを待。日出て雲消れば湯殿に下る。
谷の傍に鍛冶小屋と云有。此國の鍛冶、靈水を撰て爰に潔齋して𨥁を打、終月山と銘を切て世に賞せらる。彼龍泉に釗を淬とかや。干將・莫耶のむかしをしたふ。道に勘能の執あさからぬ事しられたり。岩に腰かけてしばしやすらふほど、三尺ばかりなる櫻のつぼみ半ばひらけるあり。ふり積雪の下に埋て春を忘れぬ遲ざくらの花の心わりなし。炎天の梅花爰にかほるがごとし。行尊僧正の哥の哀も爰に思ひ出て、猶まさりて覺ゆ。惣而此山中の微細、行者の法式として他言する事を禁ず。仍て筆をとゞめて記さず。坊に歸れば、阿闍𮤠の需に依て、三山順礼の句〻短册に書。
凉しさやほの三か月の羽黒山
雲の峰幾つ崩て月の山
語られぬ湯殿にぬらす袂かな
湯殿山錢ふむ道の泪かな
曾良
酒田 元祿二年六月十三日(1689-07-29)
象㵼 元祿二年六月十六日(1689-08-01)
江山水陸の風光數を盡して、今象㵼に方寸を責。酒田の湊より東北の方、山を越磯を傳ひ、いさごをふみて其際十里、日影やゝかたぶく比、汐風眞砂を吹上、雨朦朧として鳥海の山かくる。闇中に莫作して、雨も又奇也とせば、雨後の晴色又頼母敷と、蜑の笘屋に膝をいれて雨の晴を待。
其朝、天能霽て朝日花やかにさし出る程に、象㵼に舟をうかぶ。先能因嶌に舟をよせて、三年幽居の跡をとぶらひ、むかふの岸に舟をあがれば、花の上こぐとよまれし櫻の老木、西行法師の記念をのこす。江上に御陵あり、神功后宮の御墓と云。寺を干滿珠寺と云。此處に行幸ありし事いまだ聞ず。いかなる事にや。此寺の方丈に座して簾を捲ば、風景一眼の中に盡て、南に鳥海天をさゝえ、其陰うつりて江にあり。西はむや/\の關路をかぎり、東に堤を築て秋田にかよふ道遙に、海北にかまえて浪打入る所を汐ごしと云。江の縱横一里ばかり、俤松嶋にかよひて又異なり。松嶋は笑ふが如く、象㵼はうらむがごとし。寂しさに悲しみをくはえて、地勢魂をなやますに似たり。
其朝、天能霽て朝日花やかにさし出る程に、象㵼に舟をうかぶ。先能因嶌に舟をよせて、三年幽居の跡をとぶらひ、むかふの岸に舟をあがれば、花の上こぐとよまれし櫻の老木、西行法師の記念をのこす。江上に御陵あり、神功后宮の御墓と云。寺を干滿珠寺と云。此處に行幸ありし事いまだ聞ず。いかなる事にや。此寺の方丈に座して簾を捲ば、風景一眼の中に盡て、南に鳥海天をさゝえ、其陰うつりて江にあり。西はむや/\の關路をかぎり、東に堤を築て秋田にかよふ道遙に、海北にかまえて浪打入る所を汐ごしと云。江の縱横一里ばかり、俤松嶋にかよひて又異なり。松嶋は笑ふが如く、象㵼はうらむがごとし。寂しさに悲しみをくはえて、地勢魂をなやますに似たり。
象㵼や雨に西施がねぶの花
汐越や鶴はぎぬれて海凉し
蜑の家や戸板を敷て夕凉
低耳
岩上に睢鳩の巣をみる
波こえぬ契ありてやみさごの巣
曾良
越後路 元祿二年七月四日(1689-08-18)
市振 元祿二年七月十二日(1689-08-26)
今日は親しらず・子しらず・犬もどり・駒返しなど云北國一の難所を越てつかれ侍れば、枕引よせて寢たるに、一間隔て面の方に、若き女の聲二人斗ときこゆ。年老たるおのこの聲も交て物語するをきけば、越後の國新潟と云所の遊女成し。伊勢參宮するとて、此關までおのこ送りてあすは古郷にかへす文したゝめて、はかなき言傳などしやる也。白浪のよする汀に身をはふらかし、あまのこの世をあさましう下りて、定めなき契、日〻の業因いかにつたなしと、物云をきく/\寢入て、あした旅立に、我/\にむかひて、「行衞しらぬ旅路のうさ、あまり覺束なう悲しく侍れば、見えがくれにも御跡をしたひ侍ん、衣の上の御情に大慈のめぐみをたれて結縁せさせ給へ」と泪を落す。「不便の事には侍れども、我/\は所〻にてとゞまる方おほし。只人の行にまかせて行べし。神明の加護かならず恙なかるべし」と云捨て出つゝ、哀さしばらくやまざりけらし。
曾良にかたれば書とゞめ侍る。
一家に遊女もねたり萩と月
曾良にかたれば書とゞめ侍る。
加賀の國 元祿二年七月十四日(1689-08-28)
金澤 元祿二年七月十五日(1689-08-29)
太田神社 元祿二年七月二十五日(1689-09-08)
此所太田の神社に詣。眞盛が甲・錦の切あり。往昔、源氏に屬せし時義朝公より給はらせ給とかや。げにも平士のものにあらず。目庇より吹返しまで、菊から草のほりもの金をちりばめ、龍頭に鍬形打たり。眞盛討死の後、木曾義仲願状にそへて此社にこめられ侍よし、樋口の次郎が使せし事共、まのあたり縁紀にみえたり。
むざんやな甲の下のきり/″\す
那谷 元祿二年七月二十七日(1689-09-10)
山中 元祿二年七月二十七日(1689-09-10)
全昌寺 元祿二年八月六日(推定)(1689-09-19)
汐越の松・天龍寺・永平寺 元祿二年八月八日(推定)(1689-09-21)
福井 元祿二年八月十日(推定)(1689-09-23)
福井は三里計なれば、夕飯したゝめて出るに、たそかれの路たど/\し。爰に等栽と云古き隱士有。いづれの年にか江戸に來りて予を尋。遙十とせ餘り也。いかに老さらぼひて有にや、將死けるにやと人に尋侍れば、いまだ存命してそこ/\と教ゆ。市中ひそかに引入て、あやしの小家に夕㒵・へちまのはえかゝりて、鷄頭はゝ木ゞに戸ぼそをかくす。さては此うちにこそと門を扣ば侘しげなる女の出て、「いづくよりわたり給ふ道心の御坊にや。あるじは此あたり何がしと云ものゝ方に行ぬ。もし用あらば尋給へ」といふ。かれが妻なるべしとしらる。むかし物がたりにこそかゝる風情は侍れと、やがて尋あひて、その家に二夜とまりて、名月はつるがのみなとにとたび立。等栽も共に送らんと、裾おかしうからげて路の枝折とうかれ立。
敦賀 元祿二年八月十四日(1689-09-27)
漸、白根が嶽かくれて比那が嵩あらはる。あさむづの橋をわたりて、玉江の蘆は穗に出にけり。鶯の關を過て湯尾峠を越れば、燧が城、かへるやまに初鴈を聞て、十四日の夕ぐれつるがの津に宿をもとむ。その夜、月殊晴たり。「あすの夜もかくあるべきにや」といへば、「越路の習ひ、猶明夜の陰晴はかりがたし」と。あるじに酒すゝめられて、けいの明神に夜參す。仲哀天皇の御廟也。社頭神さびて、松の木の間に月のもり入たる、おまへの白砂霜を敷るがごとし。往昔、遊行二世の上人大願發起の事ありて、みづから草を刈、土石を荷ひ泥渟をかはかせて參詣往來の煩なし。古例今にたえず、神前に眞砂を荷ひ給ふ。「これを遊行の砂持と申侍る」と亭主のかたりける。
十五日、亭主の詞にたがはず雨降。
十六日、空霽たれば、ますほの小貝ひろはんと種の濱に舟を走す。海上七里あり。天屋何某と云もの、破籠・小竹筒などこまやかにしたゝめさせ、僕あまた舟にとりのせて、追風時のまに吹着ぬ。濱はわづかなる海士の小家にて、侘しき法花寺あり。爰に茶を飮酒をあたゝめて、夕ぐれのさびしさ感に堪たり。
其日のあらまし等栽に筆をとらせて寺に殘す。
月清し遊行のもてる砂の上
十五日、亭主の詞にたがはず雨降。
名月や北國日和定なき
十六日、空霽たれば、ますほの小貝ひろはんと種の濱に舟を走す。海上七里あり。天屋何某と云もの、破籠・小竹筒などこまやかにしたゝめさせ、僕あまた舟にとりのせて、追風時のまに吹着ぬ。濱はわづかなる海士の小家にて、侘しき法花寺あり。爰に茶を飮酒をあたゝめて、夕ぐれのさびしさ感に堪たり。
寂しさや須广にかちたる濱の秋
浪の間や小貝にまじる萩の塵
其日のあらまし等栽に筆をとらせて寺に殘す。
大垣 元祿二年八月二十一日(推定)(1689-10-04)
跋
からびたるも、艶なるも、たくましきも、はかなげなるも、おくの細みちみもて行に、おぼえずたちて手たゝき、伏て村肝を刻む。一般は簑をきる/\かゝる旅せまほしと思立、一たびは坐してまのあたり奇景をあまんず。かくて百般の情に鮫人が玉を翰にしめしたり。旅なる哉、器なるかな。只なげかしきは、かうやうの人のいとかよはげにて眉の霜のをきそふぞ。
元祿七年初夏 素龍書
人物台帳 / Persons (standOff)
| 名前 / Name | 出現 / Occurrences | 注記 / Note |
|---|---|---|
| 曾良 | 19 | 河合曾良(1649–1710)。芭蕉の門人で本旅の随行者 |
| 杉風 | 2 | 杉山杉風(1647–1732)。江戸の門人・魚問屋 |
| 素堂 | 1 | 山口素堂(1642–1716)。俳人 |
| 原安適 | 1 | 江戸の歌人・医師 |
| 濁子 | 1 | 中川濁子。江戸の門人 |
| 空海 | 1 | 空海(774–835)。真言宗開祖 |
| 木の花さくや姫 | 1 | 木花咲耶姫。記紀神話の女神 |
| 火々出見のみこと | 1 | 彦火火出見尊。記紀神話の神 |
| 佛五左衞門 | 1 | 日光の宿の主人 |
| 佛頂和尚 | 1 | 仏頂禅師(1642–1715)。芭蕉参禅の師 |
| 妙禪師 | 1 | 高峰原妙(1238–1295)。中国宋代の禅僧 |
| 法雲法師 | 1 | 法雲(467–529)。中国梁代の僧 |
| 玉藻の前 | 1 | 伝説上の妖狐 |
| 與市 | 1 | 那須与一宗隆。屋島の合戦で扇の的を射た武士 |
| 淨坊寺何がし | 1 | 浄法寺高勝(桃雪)。黒羽城代家老・俳人 |
| 桃翠 | 2 | 鹿子畑翠桃。桃雪の弟・俳人 |
| 清輔 | 1 | 藤原清輔(1104–1177)。歌人・歌学者 |
| 等窮 | 2 | 相楽等窮(1638–1715)。須賀川の俳人 |
| 能因法師 | 1 | 能因(988–?)。平安中期の歌人 |
| 義經 | 1 | 源義経(1159–1189) |
| 辨慶 | 1 | 武蔵坊弁慶。義経の郎党 |
| 佐藤庄司 | 2 | 佐藤基治。義経に仕えた佐藤継信・忠信兄弟の父 |
| 藤中將實方 | 1 | 藤原実方(?–999)。歌人。陸奥に左遷され客死 |
| 加右衞門 | 1 | 北野屋加右衛門。仙台の画工・俳人 |
| 大野朝臣東人 | 1 | 大野東人(?–742)。多賀城を築いた将軍 |
| 惠美朝臣𤢥 | 1 | 恵美朝狩。藤原仲麻呂の子。多賀城を修造 |
| 聖武皇帝 | 1 | 聖武天皇(701–756) |
| 和泉三郎 | 1 | 藤原忠衡(1167–1189)。秀衡の三男 |
| 雲居禪師 | 2 | 雲居希膺(1582–1659)。瑞巌寺中興の禅僧 |
| 眞壁の平四郎 | 1 | 法身性西。鎌倉期の禅僧、瑞巌寺開山と伝わる |
| 見仏聖 | 1 | 見仏上人。松島雄島で法華経を読誦した聖 |
| 秀衡 | 1 | 藤原秀衡(?–1187)。奥州藤原氏三代 |
| 康衡 | 1 | 藤原泰衡(1155–1189)。本文の表記は「康衡」 |
| 兼房 | 1 | 増尾十郎兼房。義経最期の伝説上の老臣 |
| 慈覺大師 | 1 | 円仁(794–864)。天台宗三世座主・立石寺開基 |
| 清風 | 1 | 鈴木清風(1651–1721)。尾花沢の紅花問屋・俳人 |
| 圖司左吉 | 2 | 図司呂丸(?–1693)。羽黒山麓手向の染物屋・俳人 |
| 會覺阿闍利 | 2 | 会覚。羽黒山別当代 |
| 能除大師 | 1 | 能除太子。羽黒山開祖と伝わる |
| 行尊僧正 | 1 | 行尊(1055–1135)。天台座主・歌人 |
| 干將 | 1 | 干将。中国春秋時代の刀工 |
| 莫耶 | 1 | 莫耶。干将の妻 |
| 長山氏重行 | 1 | 長山重行。鶴岡藩士・俳人 |
| 淵庵不玉 | 1 | 伊東不玉(1648–1697)。酒田の医師・俳人 |
| 西行 | 2 | 西行法師(1118–1190)。歌人。本旅は西行五百回忌の年 |
| 神功后宮 | 1 | 神功皇后 |
| 西施 | 1 | 中国春秋時代の越の美女 |
| 低耳 | 1 | 宮部低耳。美濃の商人・俳人 |
| 一笑 | 1 | 小杉一笑(1653–1688)。金沢の俳人。前年に没 |
| 何處 | 1 | 金沢に通う大坂の商人・俳人 |
| 眞盛 | 2 | 斎藤別当実盛(?–1183)。篠原の合戦で討死 |
| 義朝公 | 1 | 源義朝(1123–1160) |
| 木曾義仲 | 1 | 源義仲(1154–1184) |
| 樋口の次郎 | 1 | 樋口兼光。義仲四天王の一人 |
| 花山の法皇 | 1 | 花山法皇(968–1008)。西国三十三所巡礼を再興 |
| 久米之助 | 1 | 泉屋久米之助。山中温泉の宿の主人(俳号桃妖) |
| 貞室 | 1 | 安原貞室(1610–1673)。京の俳人 |
| 貞徳 | 1 | 松永貞徳(1571–1654)。貞門俳諧の祖 |
| 道元禪師 | 1 | 道元(1200–1253)。曹洞宗開祖・永平寺開山 |
| 等栽 | 3 | 神戸洞哉。福井の隠士・俳人 |
| 北枝 | 1 | 立花北枝(?–1718)。金沢の門人 |
| 仲哀天皇 | 1 | 仲哀天皇。氣比神宮祭神 |
| 遊行二世の上人 | 3 | 他阿真教(1237–1319)。時宗遊行二世 |
| 天屋何某 | 1 | 天屋五郎右衛門。敦賀の廻船問屋・俳人 |
| 露通 | 1 | 八十村路通(1649?–1738)。門人 |
| 越人 | 1 | 越智越人(1656–?)。尾張の門人 |
| 如行 | 1 | 近藤如行(?–1708)。大垣の門人 |
| 前川子 | 1 | 津田前川。大垣藩士・俳人 |
| 荊口 | 1 | 宮崎荊口。大垣藩士・俳人 |
| かさね | 2 | 那須野で馬の後を追ってきた農家の少女 |
| 戸部某 | 1 | 芦野資俊(俳号桃酔)。芦野の領主 |
| 大山ずみ | 1 | 大山祇神。記紀神話の山の神 |
| 素龍 | 1 | 柏木素龍(?–1716)。能書家。素龍清書本の筆者 |