昭和十三年十二月、東京帝国大学総長拝命を知らせ、今後の厚誼を願う平賀譲宛の就任挨拶状。
本文は「(1)」のみが判読でき、資料の内容や題名・日付・記載事項は確認できないページである。
本文は「}}(11」という断片のみで、資料の内容やタイトル、日付、主題を判別できる情報は記載されていない。
大正八年四月十六日、宮内大臣波多野敬直から平賀讓夫妻宛の観桜会招待状。二十二日午後、新宿御苑で催される会への招待を記す。
「同令夫人」とのみ記されたページで、前後の文脈や資料名、日付、人物の詳細は本文からは確認できない。
OCR結果は「0000…」や英語の断片「Comples and the…」が連続するのみで、資料の内容を判別できる本文は確認できない。
大正六年四月十二日付、宮内大臣男爵波多野敬直から勲三等平賀讓・同令夫人宛の観桜会招待状。十七日午後二時三十分、新宿御苑で催される旨を記す。
OCR本文は英語の断片的な反復語句のみで、「Prom Mare」以外に資料の内容や日付・主題を判別できる記述はない。
本文は「}}}}…(2(」のみで構成され、資料の内容・題名・日付などは読み取れない。OCR不良または空白に近いページとみられる。
明治四十三年十月二十五日、伏見宮附別当馬場三郎から平賀譲宛の園遊会案内。三殿下御帰朝に伴い十一月一日開催への来場を求める。
「帝国学士院会員平賀譲殿」とのみ記された資料で、帝国学士院会員である平賀譲宛ての表記が確認できる。
十日の賜饌召状に関する通知。不参の場合は前日までに宮内省總務局へ御断書を届けること、当日の服装は通常服または軍装と記す。
「平賀會員」とのみ記された資料ページで、本文にはそれ以外の説明や日付、内容は確認できない。
昭和十七年五月十四日の昼食献立を記した資料。冷肉、洋風の魚料理、清煮、清まし汁、菓子、込焼羹が挙げられている。
昭和十七年五月十二日付、宮内大臣松平恒雄から帝国学士院会員平賀譲宛の通知。十四日に宮中で午餐を賜るため正午参内を求めている。
昭和十七年四月二十八日、帝国学士院長長岡半太郎が平賀譲に、五月十三日の授賞式で来賓接待委員を委嘱し承諾を依頼した文書。
昭和十七年五月五日、帝国学士院が平賀讓へ第三十二回授賞式出席と宮中賜餐の手続き・服装を通知した文書。
昭和十七年五月、帝国学士院会員が五月十四日の宮中午餐への参内を、病気のため欠席すると宮内大臣松平恒雄へ届ける断り書き。
数字「123456789」のみが記されたページです。資料のタイトルや日付、内容を示す文章は確認できません。
括弧と数字のみが並ぶOCR本文で、「(1)」「(2)」「(10」などの記載が見えるが、資料の内容や題名・日付は読み取れない。
大正五年十一月十三日付、宮内大臣男爵波多野敬直から勲三等平賀讓殿・同令夫人宛の観菊会招待状。二十日午後二時、赤坂離宮御苑で催される旨が記される。
「從四位勲二等平賀讓殿」と記された、平賀讓宛の位階・勲等を示す短い文面の資料である。
「印宿一七〇」とのみ記された資料で、本文中に表題・日付・内容説明などの情報は確認できない。
昭和三年四月十一日付、一木喜徳郎宮内大臣から平賀譲宛の通知。十五日に宮中で午餐下賜のため正午参内を求める内容。
「勲三等平賀譲殿」「同令夫人」と記された宛名書きの資料。平賀譲とその夫人を対象にした文面である。
本文は「0」が連続するのみで、資料名・日付・内容を示す判読可能な文字情報は確認できない。
大正六年十一月十二日、宮内大臣波多野敬直から平賀譲・令夫人宛の観菊会招待状。二十日午後二時、赤坂離宮御苑で開催と記す。
「平賀讓殿」とのみ記されたページで、宛名または表書きと思われる本文以外の内容は確認できない。
本文は「}}}}…(2(」のみで、資料内容やタイトル・日付・艦名などを判別できる記述は確認できない。
昭和七年七月二十六日、東京会館での昼食献立表。澄ましスープ、鮎のムニエル、鶉の蒸し焼きなどが記されている。
昭和七年七月二十日付、奧名清信から平賀讓宛の招待状。博恭王殿下主催の七月二十六日東京會館昼食会への出席を案内する。