「市外青山原宿一七〇ノ二六」と記された平賀譲宛の宛名部分で、受取人として「平賀譲殿下」と書かれている。
「芝区白金三光町五一九」という住所と、「財部彪」の氏名のみが記された資料。内容は宛名または連絡先の記載とみられる。
竹田も名代田二百疋を受け取り、平賀俵を下されるよう願い出ている短い依頼文である。
本文は「一」のみで、資料の内容・題名・日付・人物名・艦名などを確認できる記述はありません。
「平賀写御」「縣児携」と記された資料の1ページで、本文は短い書き付けのみから成る。
「鈴木真良貞」と記された資料で、本文にはこの人名のみが確認できる。
東京市世田ヶ谷区代田二丁目一〇七五番地の故・千賀譲閣下御遺族宛に、「敬って差し上げます」と記した献呈文です。
横須賀市公郷町の太田方を宛先とし、差出人として米内光政の名が記された二月二十三日付の資料。
東京市千駄ヶ谷原宿宛の短いメモで、「一七〇、三〇」「平賀譲」「一、各人同じ」「御礼」と記されている。
「聞軽津」とのみ記された資料ページで、ほかに内容や日付・艦名・人名などを確認できる本文はない。
「海軍少月内船七郎四郎」「一中賀悦持」といった人名または所属を示す断片的な記載がある資料。
「御音明町」と記された短い資料で、本文には町名または地名と思われる語のみが記載されている。
本文は「0000…」のみが連続するOCR結果で、資料名・日付・内容を示す判読可能な文字情報は確認できない。
昭和十五年九月付の資料で、東京市世田谷区深沢町二の一二五九の小川順郎の住所・氏名が記されている。
「奉請御叱正」と記され、小林順一郎の名が添えられた短い文書。叱正を願い出る趣旨の一頁である。
本文は「(19」のみで、内容を示す語句や文書の題名・日付は確認できない。ページ番号または断片的な記号列とみられる情報だけが記されている。