講演:皇室中心主義に就て(一)
- 作詞・作曲・編曲・実演家
- 早大総長 高田 早苗 博士
- 製作者(レーベル)
- コロムビア(戦前)
- 歴史的音源ジャンル
- 講義、講演、演説
- 出版年月日
- 1929-04
- カテゴリ(AI 付与)
- 皇室
- キーワード(AI 付与)
- 新皇室中心主義, 家族的国家, 本家, 国民, 繁栄
- 注記
- 商品番号 : 25521, デジタル変換後ノイズ除去 : ノイズ除去なし, 講演
ただいまから、新皇室中心主義という題を掲げて、一条のお話をしてみようと思います。
この新皇室中心主義という講演は、私がほとんど全国にわたって述べたのでありまして、
従ってその講演もなかなか長いのである。
このレコードにその全部を吹き込むことは到底できがたいことでありまするから、
極めてその一部分だけをここに申し述べてみたいとかよう思うのであります。
我が日本は言うまでもなく家族的国家である。
家族的国家なるものは、ヨーロッパの片隅やアジアの隅っこに大昔にはあったものである。
しかしながら極めて小さなる国家である。
今日はその跡形もとどめない。
しかるに極東において、今日現に七千万の大衆を要するところの大国家が現存するということは、
これは我々大和民族の誇りとすべき一大事実であると私は考えるのである。
すでに家族的国家であると申す以上は、
皇室と我々と、皇室は我々のご本家、そうご本家と見なければならず、
我々はその末家、そのまた末家の末家か知れないが、
とにかく皇室と我々とは本末の関係に立っているに沿いないのである。
皇室のご先祖は申すまでもなく大神にまします。
しかしながら我々の先祖もやはり神は神であったろうと思うのである。
同じ神でも神世において、そこら吹き掃除をするところのお三鈍神もあれば、
またそこら走り使いをするところの御助神もあったに沿いないのであります。
いずれ我々の先祖はその御助神かお三鈍神であったろうと思うが、
神は神に沿いないのである。
そういう関係に我々と皇室とは立っているのでありまして、
これを例えて申せば、いわゆる皇室本官国民仕様ということになる。
皇室は大幹、国民はその枝葉。
皇室が大幹で国民が枝葉であるとすると、
この大幹をして定々天をしのぐところの大木たらしむる、
またその仕様の繁茂をはかるということのためには、
どうしてもその大木の根底に培うということが必要である。