評議会 昭和十三年 其一 コマ14

コマ
14
評議会 昭和十三年 其一
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2518
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を有するのであるから。』 といふ如き反帝大意識を表明して左の如くいふに至つてゐる。 『むしろ大學の改革にとつて差當り必要なことは、その一切の封建的なものの打破である。その敎授團のギルド的 性質、その學者養成における親分乾分的關係、各大學間における教授任用の封鎖的、派閥的諸關係、その他これに 類する一切のものの改革が要求されてゐる。この種の改革が行はれない限り、研究の自由と云つてもほんとのもの であり得ないであらう。大學の自治を主張する者は大學敎授の他の官吏とは異る特殊性を云ふのがつねであるが、 その教授たちには果して官僚主義がないであらうか。世間のいはゆる官僚獨善はむしろ大學教授において甚だしい とは考へられないであらうか。』 三木氏が指摘した『教授團のギルド的性質、その學者養成における親分乾分關係』といふことも中世封建時代に於 けるかゝる關係は善き意味での精神的傳統を有した場合もあるが、 今日の我が帝大敎授間に於けるそれは形式的特權 だけを振り舞はす、いはば馬鹿殿樣の如き專恣横暴を學問の世界に發揮しつゝあるもので、封建主義を排撃する僞新 思想の標榜者たる帝大教授河合氏らが、今日、昨日までの思想的親近者であつた三木氏の如きから『封建的』思想家 と張札されて公然排撃されるに至つては、同志から化けの皮を剥がれたやうのもので、三木氏もいまはリユシコフ大 「それが日本思想界に演じ始めた譯である。然しこの轉向者三木氏の所論も敵本主義の伏線を敷いてをるもので、 昨日までの生々しい積惡を眞に懺悔贖罪しなければ救はれることは出來ない。 二、特權的學閥と閨閥財閥と根本的改革の要望 獨しそれは今措いて、三木氏のいふ帝大教授らの『封建的、派閥的諸關係』に就いては、學閥以上に閨閥財閥から 官僚閥政閥黨にまでからみ合つてゐることを思ふべきで、菊池大麓、穗積陳重、鳩山和夫等の名を擧げたならば、現 東大の教授詳の閨閥が如何に政界財界とも素聯してゐるかを髣髴することが出來よう。猶この點に就ては徳川『民政』 幕府の廢殘儒者がこの帝大に立て籠り明治維新の根本精神を思想的に破壞し來つた陰謀經路をも考へなけばならぬけ れども、今はたゞ一言するに留めておく。要するに藩閥官僚を攻撃しつゝ、日本國體日本精神そのものに反逆するに 至つた帝大教授らが、今日『世間のいはゆる官僚獨善はむしろ大學教授に於いて甚しい』と看破されるに至つたのは、 確かに時代の進步である。 現日本の官僚の精神的缺陷が却つて、 實はこの帝大の自由主義個人主義思想に因由するこ といふまでもないのである。 この意味に於いて『日本評論』九月號の卷頭社說『大學の問題』中に、室伏高信氏の文體で 『大學は一種のダブウのやに思はれて來た。これは手をふれてはならないものであり、そしてこれに手をふれたも のは殆んど例外なしに刑罰を受けた。』 『かくて日本の大學は自治の理想にまで漕ぎつけ、同じく官吏でありながら、ひとり大學教授は地位の神聖を保障 され研究の自由の名のもとに大學は思想の安全地帶となり、世間の狂風を尻目にかけて、大學だけは別地の幸福を 樂しんだ、』 『この自由主義の最後のトオチカを見よ。この時代錯誤的な知識の骨董藏を見よ。大學は自由の名のもとに自己硬 化し、そして時代から閉め出されてしまつたのである。』 『今日において必要なのは大學の自由ではなくて大學の革新である。國家は資本主義の辯護のために大學をつくつ たのでもなく、新時代の青年を老學者の自慰的舊思想に委ねるためにつくつたものでもない。』 『研究の自由の名のもとに大學はどうなつたか。とりわけ研究の自由を要求する文化科學、更にとりわけ社會科學