評議会 昭和十三年 其一 コマ35

コマ
35
評議会 昭和十三年 其一
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2518
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「其教科ニアル教官ハ………大抵明治五年以來ノ教育ニ成立シタル者ニシテ西洋ノ外面ヲ挙仂シ曾テ國 藤君臣ノ大義道徳ノ要ヲ聞知セサル者共ナリ、彼ノ某等ノ著書ヲ一見シテモ其放言スル所ニ依テ其思想ノ 赴ク所ヲ概見スヘシ、此等ノ頭腦ヲ以テ生徒ヲ教導セハ後來ノ害實ニ恐ル可キナリ今ニシテ此ヲ停止セサ レハ復挽回スヘカラス」 「君臣ノ道モ國體ノ重キモ腦髓ニ之無キ人物日本國中ニ充滿シテモ此ヲ以テ日本帝國大學ノ教育トハ云 フヘカラサルナリ」(前掲書上卷一〇六五―九頁參照) といふ如き痛烈の批判、改革の要望が見出されるのであるが、この改革が行はれずして今日に至つてゐるので、そ の弊害は單に帝國大學内部に止らず、我國全般の學界思想界を通じて官界、政界、財界に及びて國家國民生活を毒雲 して、赤化共産黨事件其他現日本萬惡の禍源となつてゐるのである。 いま長與東大總長が此の多年の慣習は支障最も尠かつたと言ふ如きは、 無反省無慚愧も甚しき態度である。 京都帝 國大學が河上、瀧川事件を發生せしめたことは今一言するに留めておくが、東京帝國大學は先に法學部より欽定憲法 の精神を破壞し、皇國に學問的反逆を企てた美濃部教授を出したる際に於て、この學説に對しては大學自身には何等 發的に戒愼し戒飭するの力を發揮し得なかつたではないか。また同大學の經濟學部よりは創設當初の森戸事件より 引續き大森、山田、平野の三赤化教授を出し、更に現事變下に於てさへ所謂大内教授事件を起した。而して彼等が國 法によつて送局せられたる事實ありたるにも拘らず、大學の自治體は何等の處置を行ふ能はず、大學總長は恬然とし て何等自責の處置に出でず、又同學部教授會に於ては不當にも同類思想教授に依つて彼等に對する當然なる處分すら も阻止せられた。 而して彼等は此の事件を目して「經濟學部に於ける内部抗爭」とさへ言つて居る。之れ亦甚しき迷妄と言はざるを 得ない。 不逞思想を有し赤化運動を行ひたる大内教授其他を處分することは當然のことであつて決して抗爭でも對立でもな い。若し現在の自治制なるものが之を左樣に見且つ對立的現象を起さしめた原因であるとすれば、これこそ自治の不 當なることを證明するものではないか。 嘗て九州帝國大學に於て赤色教授處分問題が惹起したとき彼等の一派は自己の非違を隱蔽し、その位置を護らんが す、遂に左翼教授を馘首する口實として正論を唱へたる教授迄も内部抗爭の理由の下に一律に馘首して以て大學の自 治の却て害毒を天下に流すことを暴露した、これと同じことが私立大學でも最近京都の同志社大學で行はれたので ある。 卽ち現在の大學自治慣例は何事も多數決を以てし、假令惡であつても多數ならば之を強行して行けると云ふ如きは 不合理極まることであつて、特に我國に於て斷じて之を許すべからず、一日も早く之を徹底的に改革しなければなら ぬことは言ふ迄もない。 然るに長與帝大總長の如きは未だ此點に於て事理に徹せず、飽く迄惡慣例に捉はれ、且つ天皇機關說の實行を强行 せんとするのであるか。 茲に於て時局協議會に於ては去る八月三日、日本主義團體各派の代表者を會合し、一大決意の下に決議するところ あり、世話人は即日文部大臣に對して面談し、左記進言書を手交し、併せて長與東大總長に對しては左記勸告文を發 つてその善處を要望した。 進言書 皇國教學の大本は畏くも明治天皇の宣し賜へる教育に關する勅語により炳として明かな b 然るに今回、大學舊來の幣風を打破し、大義名分を正さんとせる文部大臣の信念的提唱に 對し大學當事者は學問の獨立、學園の自治を主張し、猛然反對的態度を採りつゝあるは吾