太暤古暦傳 巻之4
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- 平田, 篤胤, ヒラタ, アツタネ, 平田, 銕胤, ヒラタ, カネタネ, 平田, 延胤, ヒラタ, ノブタネ, 碧川, 好尚, ミドリカワ, ヨシヒサ
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- 諸暦, 理学
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- タイコウ コレキデン
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- 九州大学
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- 太昊古暦伝
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- 2026-08-28T18:53:25.651810+00:00
太峰古暦伝巻ノ四
希望所
太略古暦伝巻之四
徳広蔵蔵
男平田鉄胤
大声平篤胤撰述孫同延胤
門人碧川好尚
攷
売
七十三
一太一紫宮ニ執レ斗テ而左麁ニ日ニ行キ二一度ヲ一以周ル於天ヲ一二日冬至ハ峻狼之山。日
移ス一度ヲ一凡行百八十二度八分度之五。而夏至ハ牛ノ首之山。反復三
158256
百六十五度。四分度之一而成ス二一歳ヲ一故曰テ一。子子干酉一為二縄一五寅
辰己未申戌亥ツテ為ス二四釣一ヲ一東北ヲ為二穀徳之維一西南為二背為二背易之維一東南ヲ
為シ二常羊之維一。西北ヲ為スレ疏通之維。
此ノ條は淮南子の天文訓に拾ひ載せり。史記ノ天官書に。中宮
6135
物理學教室
6135
上州市國大學醫學部
土壤土壤土壤土壤土壤土壤土壤土壤土壤土壤土壤土壤土壤土壤土壤土壤土壤土壤土壤土壤土壤土壤土壤土壤土壤土壤土壤土壤土壤土壤土壤土壤土壤土壤土壤土壤土壤土壤土壤土壤土壤土土土壤土壤土壤土壤土壤土壤土壤土壤
科學工學園大學工科
一十一日
數學物理學教室
正/2年/日
文化」」「」「「「「「「
數學物理學教室
數學物理學教學教學教學教學教學教學教學教學教學教學教學
大正/2年1の月ご
天極星ニ其ノ一明ルル者太一ノ当居也。旁三星ハ三公或曰フ二子属一後ノ句ト後ノ句ト
星。末ノ大星ハ正妃。餘ノ三星ル後宮之属也。環レテ之ヲ匡衛スル十二星ハ藩臣。皆
○春秋元命邑に。紫ノ之言ハ此也。宮ノ之言ハ中也。宋均
曰二紫宮一とあり。
注了。十二宮中外ノ位各ノ免ル総テ總テ謂二之紫宮ト也、史記一也、史記
評林にハ考要ニ云フ天極一名ノ北極スルニ位在リ中央一、四方ノ所レ取レ取レ正ツ故ニ曰フ二申
宮一。故ニ曰二ヲ天極一、即チ孔子ノ所レ謂北辰、所レ謂レ居二ルト其所ニ一ニ一ニ者也など有る事
思ひ合
すべし。
太一とは太古伝に委く説著せる如く、無始より天
極に在りし上皇太一神の事なるま。暦道に係て称ゆる太
一は。天皇太帝を云へり。其は春秋合誠図に。紫微ハ太帝ノ空太一
之精也。満た天皇太帝ハ北辰星一也。含レ元テ乗テ易ヲ舒レ易ヲ経レ精ヲ吐テ先ヲシテ二一
中ニ一制二馭四方ヲ一と云ひ。
また元命色にも
次に引く太一式に。太
此ノ問説見えたり。
実は天皇
一ル者北辰神名。居二リ其所一ニ一曰二太帝トなど有にて知べし。
太帝の上
に無始より太一神ありて。太原の主宰たれども。為こと無
して寂然たる子。太帝代りて其徳子行ふが故に。太帝をや
がて太一とも云ふなり。其は太一之精也と云ひ。太一は者北
辰ノ神名と云ひて。居二ホリ其所ニ曰一フフ一太帝一と云流れどに心字著天思
ひ弁ふべし。太帝の上に別に太一在りて。太帝は其所に居
り太一の事を行ふ由の諦なるをや、然れば史記の正義に。
太一は天帝之別名也と云へるも
然る言ながら未タ精からず。
さて紫宮執レ計ヲ而左旋とは謂
ゆる太一。即天皇太帝の。其ノ所に居なし。北斗字左旋せしめ
り。天地の運行子齊ふるを云ふ。其は天官書に。斗ヲ為二帝車一運二
干中央
○宋均云.言ハ是レ大帝傑レ事
巡狩ス。故ニ無レ所レ不ルレ紀セ也。
臨二制トモ四郷一分二金易一ヲヲ逮テ建テ二四時ヲ一ク均二五
行ヲ一ヲ一移二シ節定二ヲ定二諸紀一ヲ皆繋二於年一ヲまた天文訓の別所ニツ帝張二西張二西維二西維一ヲ
一運レ之ヲ以レ斗カ月ニ従二一辰一辰一ヲ復スルニ其所一歳面画ヲ終テ而終テ而復ク始ルなど有ルに
て知へし。
③高誘注に。帝ハ天帝也と云へり、此ノ宋均高誘等が註に
ても。暦道に謂ゆる太一の天皇太帝なる事は知る事は知る事は知
べきなり。天皇太帝と云ふ字略し
て大帝とも天帝とも云るなり。
○日行一度以周二於天一ニ於天一と
は。ま都度と云ことは。天の周囲に日輪の転する日数に合
せり三百六十五度四分度の一に割定めて其一字一度と
云ふ方。斗星もまた日にその一度ネ周らす由なり。日冬至ハ峻
リ狼之山云々とは。日に一度得ゝ移周りて。冬至の節には
峻狼之山と云ふ亦至る。その度数凡そ百八十二度八分度
の五にて。三百六十五度四分度之一の半分なり。斯み是より
り反復して、また百八十二度八分度の五を周りて、牛首之
○高諺が注に。峻狼ハ南極之
山と云ふ不至れば夏至の節なり。
山、牛首ハ北極之山と云事
り。かく周匝すること。三百六十五度。四分度之一にして。一
歳字成すとなり。四分度之一とは。一度を四分せる其ノ一に
なむ下に委く
云ふ古語なり。
云ふを俟べし。
但し此は凡人の視動に都き
て。姑かく云へるなれど。実は尚書考霊曜に。地ニ有二四游一。冬至地
上テ行テレ北ニ而西三万里夏至ハ地下テ行レ南ヲテ行レ南ヲ而東亦三萬里。春秋二分ノ
其ノ中ナリ矣カ地恒ニ動テ不レ止。而人不レ知。譬ヘハ如二人在二テ大舟中ニ閉レ幡ヲ而坐スル舟
一行テ而人不レ覚也と有る如く。大地の右旋の右旋之都ゝ冬夏に南北
に浮沈するが故に。日輪及び斗星などの厄旋する如く視
ゆるなり。
の考霊曜と同説なむ河図帝覚禧にも見え。同ク枯地
象には、天ノ左動起二リ干牽牛一ルハ地ノノ右動ハ起ルコトシト雖一とも云了
も。誠には我が乗れる大地の旋動するなれど。凡人其ノ義字
覚らす、天象のみ動くと視るは実にも大船に乗りて川子
渡るに舟は動かで岸の移ると視るには
然らば往古より天
等しき故に此を視動とは云ふなり。
○三
文及び暦法を伝へたる諸書に何とて地動説字以て説げ
ると云ふに。其は尋常の人の容易く意得まじに事なる故
に。右の古説は存都ゝも、視動にて説たりけむ。故今も古人
の然る用意に効ひり。本文のまゝに総て視動にもて説な
成たり。其は何れにても歳時の来経に異なく。かな地動も
やがて天帝の紫宮に機ま握り枢を乗る其ノ神德に出るこ
と。固より違ひ無ればなり。
南中縄ハ易気極リテ金気萌スル故ニ曰フ一夏至為トレ刊カ金気極セハ則北至二テ北極ニ下至二下至ル一
八十三
十三
二日冬至則斗北中縄ク会気極ヲ易気萌スニ曰フ故ニ曰フレ徳ヲ日夏至ハ則年
黄泉ユ一故ニ不レ可ルヿ二鑿レ地ヲ地穿一テ井カ万物閉蔵芸ス首レ穴ヲシテ故ニ曰二徳在一トレ室カ易気極ト一
則而至二南極一ヲ上至二未天一ヲ一故ニ不レ可レ可二以夷レ曲ヲ止テ上レ屋ニ万物蕃息。五穀兆長ヲ
故ニ曰二徳在トレ野ニ
此條もまた天文訓に採れり。
○四
九十三
一日冬至則水従フニシテ。井水盛リ盆水溢ル八尺之修日中ニ而景丈三尺。日
夏至則火從レクレ之ノ流黄沢ヒ石精出ツ八尺之景修径尺五寸。両維之間
五十一度十六分度之五ニ而升ル日行リ一度十五日ニ為二一節ト一。以生ス二
十四時之変ヲ一帝張二テ四維一ヲ運レ之以レ以ス以レ斗ヲ節徒二ル一辰一辰一ニ復反ル其所一孟春指レ寅ヲ
季冬指レ丑一歳而匝リ終而終而復始ル其加二卯酉ニ則会易分而日夜平矣
此條も天文訓に拡ひ採りて載せり。
十四
ル聖人仰テ取二象於天一ヲ一俯取二法ヲ取二法ヲ於地ヲ以テ立二定ス二十四悉ク一始二於ク一始二於冬至一ヲ終二
於大雪ヲ一周天三百六十五日四分日之一ツ八分ヲ八カ之ヲ得二九十一日有
奇四一ヲ正分而成二八節ト節四十五日二十一分。八節各二分。二分カ各得二十
五日七分ヲ一。而為ス一器ト一也。分満二三十二一ニ一ニ一ヲ一日一今レ備。日冬至ハ子午ノ夏
至ル那酉カ冬至ニ加二三日一。則明年夏至之日也。歳遷テ一ヲ一ヲ終テ而後始ルルヲ
好尚云フハ此ノ本文子旧橋に。聖人仰テ取二象ヲ於天ヲ一ヲ俯テ取二法ヲ法テ於地ニ以テ知ル二
一会易精微所応ナリ一故ニ日者衆易之精也。天ニ所二以タリ照ス二四方一也。因テ立二
定ス二十四症ヲ一始リ二於冬至ニ一終ル二於大雪ノ一ヲ一周レ天ヲ三百六十五日ニ四分日
之一ツ分レレハ之各ハ得二九十一日有奇四一ヲヲ平分而成ス八節一節四十五日。
二十一分ヲ八節各ノ、三分各一得二十五日七分ヲ一而為ス二一点ヲ一点ヲ也
十二一ヲ為二一日一ト一今レ備モ或為二復二十四点ヲテ其ノ復合二セ二二於昼応一ヲ其ノ法ハ皆先ツ
復二之ヲ二日ニ一左リ同レ右ニ所レ謂ハ三百年テ斗暦改レ憲者患者是也。と作られて
註釈字も委曲に為し措かれたり。今其旧注の侭に記す事
左の如し○此ノ条左モ同レ右ニと云フまては易緯通卦験に。二十四
一忝の饗長節令所応の事に記し畢たる最末条の全文子取
り、所」謂と云より以下は後漢の暦志に引たる春秋保乾図
但し通卦驗の文なる四分日之一の
の古説字拡乞載せり。
五字字。本に、分之一会一易と作るは
誤字なれは改め都、また分レ之各得二云々」と有る各得此間に
得二八十二日有有奇分一為レ普と云へる十字あれど。其は疑なく衍
文なれば
刊り去り都。
さて聖人とは太昊氏ま指こと言ふも更なり○
一金易精微とは鄭玄注に、暑及雲然也と云へり。所応とは。節気は
の当至不レ至ルコヲと未レ至ル而至ルと。共に必スその応験あると云ふ。
の鄭注に応ル者応ニス人君政之進
故ニ日ル者衆易之精也とは有ゆる
退一と云云きれど。然には非ず。
衆易の精然の鐘れる義に見る
○天ハ
一衆易の本精なる義なり。
るは俗見にて本末違きり。
所二以照ク二四方一ヲ一とは。日は衆易の精神にて。天に懸りて四方を
照す所以の物ぞとなり。○因ヲ以立二定ス二十四点ヲ一とは。日の天
手照し行る度ま観察して。二十四忝子立定せる義なり。卅
斗星の建しに因りて節然の立定する事と心得たる倫も
に星の建しに困りて都志の定まる程に節志の定ま指のみ、
有れど。然には非文ク斗建は唯に節忝の定まる位字指のみ。
実に節然の立定するて。全日の行度尓因
○始二於冬至一ニ一ル二於
る事なり、此ノ差別字思ひ混ふべからず、
大雪一とは。其二十四点の来経は。冬至の然子始とし。大雪の
其は既に出た
忝字終とすと云へるにて。是一歳の逕りなり。一
る如く、大雪の
終り。冬至に至る節は、日景の長一丈三尺にして。修支極な
るか、冬至の節より。漸次に短くなり以来て夏至の節には、
一尺四寸八分となり。また漸次に長くなり以往て大雪の
終りに右の如く長子極めて、冬至より短くなり始れは。冬
至は気の始め。大雪は気の
○周レ天三百六十五日四分日之
終なること論ひ字俟多す。
一は。二十四系の来経ゆく間に日の天字一周する日数なな
り。四分日之一とは。古暦に日法三十二分と立たれば。其ノ四
分一と云ふ事にて。三十二分の四分一は八分なれば。昼夜
十二時の四分一にて。即チ三時なり。○分レ之ヲ各々得二九十一日有
奇四一ヲとば。右の三百六十五日八分子春夏秋冬の四季に分
れば各々九十一日有奇の日数なる事。四都得ると云るに
て。其有奇も即十分なれば。各々九十一日と十分なり。甘
其は
九十
一日子四ツにては三百六十四日なれば。一日と八分余れり。
然るに一日は三十二分なれば、八分と合せては四十分な
るに、また四ッに分る故に。一季の日数九十一日と十分にあ
たる、さて土田字求むるには・九十一日十分に五ツに分て、
八日八分四秒都ことなる故に、残りて七十三日一分六秒
なり。即チ立春子距ること七十三日、一分有奇にして土旺と
なる
なり。
○正分而戌二八節一ト云々とも、其四季の日数千正しく分ケ
之八節と成せば。一節の日数四十五日と二十一分朔日と
そは一季九十一日十分子二都に分れば四十
成る由なり。
三日朝ゝにて一日と十分余れり。然るに一日
は三十二分なれは。十分と合せては四十二分なる字また
分なれは。十分と合せては四十二分なるままた
二都にまゝ四ツに分る故に。一節の日数四十五日と二十一
分に当
るなり
○八節各ノ三分各ナリ得二十五日七分ヲ一而而為ス二テ一兵一也。八
節ま各々三都ゝに分たるが二十四忝にて。一忌の日数は
十五日七分都ゝと成る由なり○分満ルハ三十二ニ一ニ一二一日ト一令レ備ヲ
とは。一然十五日七分なれば。二十四春にては。三百六十日
と百六十八分なる子三十二分都ゝの日に結べば五日と
一八分あり。此ま一年に総ては三百六十五日八分と成り。此
分は即チ謂ゆる四
一分日の一なり。
是ノ八分に四年積ては三十二分にて即チ一
日なり。故四年のと云ふ年は三百六十六日と成ると云ふり
但し此ノ八分字四都合せたる一日
此は既にも云へる事なり
は、一日に少か足らず、其由は下に
委く論ふ
○或ハ為二復二十四忝一ヲ一と云フよリ。左エモ同レシ右ニと云まで。殊
を俟べし、
一に固より古人も説なく甚く心得かねし文なるま。深旨有
けに思さるより。数月の苦心を積けるに。神わが心字開な
○之は実に天保二年枯空
て諦に思ひ得しめたる秘説あり。
月の月立そめし頃とは
思まど其ノ日も
既く忘れたり。
其は古今の暦法の日数歳差を推究するにク
両都太昊氏の古暦子作れる甲寅歳の前年癸丑歳の冬至
甲子の日は。天正の暦元なれは。是より数子起して。寛政五
癸丑歳の終まで四十八百年間に一年三百六十五日八分
一の日数をもて分満子日と為し令備都ゝ算ふるに。一百七
十五万三千二百日あり。此子六十甲子にて除ふに。二万九
千二百二十甲子尓て。癸亥の日に終り。其ノ次日は即チ甲子令
己由ありて若きより少も算法に知らず唯に
至に当れり。
九々と云ふ事字開記せる耳なり。故是ノ書の前
後に著せる数ども皆謂ゆる胸算の定めて後に、算法字得
たる人々に質問して相違なしと云ふ子頼みに記せれは
大抵違ひ有
の斯て今世に授け賜はる。寛政五年の官暦なる
ましくこそ。
大雪の終り丁未ノ日より。右古暦の天正暦元なる甲子冬至
の日まで逆推するに一百七十五万三千一百八十四日を
一得たれば。古暦の癸亥に終たるとも十六日退けるにて。其
丁未の次日は。即チ戊申の冬至なり。然れば正に一愁の差な
一る。古暦の進と今暦の退と何れか正きと云ふに今歷の
戊申冬至ツ暑応と密令して正しき事は云ふも更なるか。但し
此は官暦なるに諂ひ憚りての言には非文。今謂ふ寛政五
年の暦は、貞享四年に澁川春海子用ひて、改正し給奉る後、
六十八年ありて、宝暦五年になほ訂正し給ふる暦にて、此
以前に頒ち給ふる神武天皇以来の諸歴ヶ松よひ、西上も漢
以来の諸暦の参差おほき類ひに非受、実に正暦なるが故
にかく言ふなり、然て此後に寛政十年の御改暦ありて益
の暦法精微に至り。今は万国に比類なき正暦と
そ成れりける、尚是暦の事は下に云フに候へし
古暦の甲子
冬至なるも。実の相違に非ず。今暦の戊申と。其ノ干支こそ十
但し此
六の違ひ有れ。其ノ日は同し冬至なる甚深き謂あり。
は今年
今日己が始めて発明し得たる説にて、漢以来の歴学者な
との夢にも知ざる事なれは如此言ふ子聞てもまず甚く
訝しむ人の有べけれど、心子平にして下は
で其申は。ま都
に論らふ旨に論らふ旨字疑はし、
後の暦学の諸書に。上古は歳差を推知る法のいと拙く鹿
かりしを後世次々に其術の工に精く成れる由子記せれ
ど。其は古暦の真法子知さる故の非言にて誠には古歷は
一麁に似たれと遠く数千歳に用ひて失はず後層は精に似
○然れば
たれと、近く数百歳にも通用之難支、術等なるをや。
晋の杜
預が長暦に、漢の太初四分三純なとの諸暦子訪りて、各拠
其字ニ一以推二ル春秋一ヲ止ル無レ無レ異ルト下度二己カ之跡ヲ一而欲上レ削二ト他人之足一ヲ也と云
宋の何承天と右の等を誹りて二三ノ君子為」暦畿下乎不レ知而
妾言者[ニ]」歌と云へるよし続漢志の注に見えされど。予を以て
之字視れば「此ノ輩の暦法もまた知めして妄に言む、己が跡
一字度りて他人の足を削らむと欲する論ひ小異なかず思ふ
はる
れ。
抑本文にツ為[ラス復二十四春とある後は。前漢の律歴志に。
一制不二相役一と有流文の師古リ注に。後ハ重也。音扶且反と云る如し
く重復の義なり。其も一然の間字十五日七分とは云きと。
七分に少足さる故に。前悉の末分に後蕉の初分子重復し
て。暑応に合せ斉ふるを云ふ。是を以て其後ハ合二ス於悪応一と云へ
るなり。
り其は譬まば、子の七刻にて立春の節の終む尓は、其ノ
八刻より雨水の節を起すへき事なれど互に不足
つか故に二烈の界なる一刻に立春の末と雨水の初とを
挂て二刻に用ふる類なり、其ノ余の復気に定むる法も此に
准きて知
るべし。
然らは其一愁の不足は幾分なると言ふに。一日
を三百分と為たる一分字また二十四分せる其ノ一分の不
足なり。其は何字以て知ルなれば、彼作暦前年の甲子冬至日
より。寛政五癸丑ノ歳の冬至に至り。四千八百年にして。十六
日の差あるに因りて考ふるに三百年に一日の歳差明る
然るは十六日を四千八百年に平分す
を以て之ま知れり。
れば、三百年に一日の不足なる故に。一
年の不足も、一日を三百分せる一分にあたりク二十四蒸の
不足は。其の一分を二十四分せる一分なること論ひ字俟た
び然れば一日を三百分せる其ノ一分子二十四分して其ノ一
分な次気と重復する法なること著明なるが、尚是分法方
巨細に云むには。三百分の一分字二十四分するは約分な
れど。三百年にても七千二百分あり。況てこを日に分れば
三百年の日数。十万九千五百七十五日なる故に。一日の分
やがて十万九千五百七十五分にて。是ぞ終古に動なき天
四月十一年の海漢の律歴志に出せる刻歌が三統歴の
度自然の日法なる。
の律に因りて。日法八十一分と立たる
字始め歴代の暦法とも、各々に日法に立たるに或は七百
五十一分とし、或は千三百四十分とし、或は三十四十分と
し、或は八十四百分と為たるれど、日法なほ多かるが、授時
暦の一万八日と立たるぞ多数の極みなる、然れとも其暦法
字立たる輩、開闢の年歴は更なり。太昊氏作暦の家年敬を
たに知れる人なく、只に其臆に取れる推法字もて、松に定
めし暦元なるが故に僅に其ま制出せる数十年間にこそ
天度に合ひて見ゆれ、数百年には通用し難く、吹て終古に
動なぎ暦法とては有ルことなし、然れば一万分を立たる日
法は精しき事は精けれど・天度自然の十万九十五百七十
五分の日法に比ては麁しとも粗き日法にぞ
有ける猶下に論ふ歳差の説子も合せ考ふべし
○其法ト皆
先ニ復復スル二日一ニ一左ルモ同レ右とは上に謂ふ如き微少の不満子毎気
尓復合する事は。愚応に合すとは云了ど。斉き難き法なる
故に取総て二日に復すと云へる文意にて。皆先ニとは。三十二
一分の日法にては。干支五反り三百年に一日の不満あるこ
と。神璽の久視に。いと締に観察せる事なれば。三百年ごと
に。皆先に一日ま二日に重復すること。左も右に同じとな
か右とは古注と云フが如く、たとは今来と云フが如くにて、三
り
八百年の光ごとに必ず然して歳差字齊ふる法字示せる
語なる故に。其法
○所ルレ謂ハ三百年ニテ外暦改レ憲ヲ者是也。この三百
とは云きるなり。
年云々の七字は、春秋保乾図の残文なるが、上文に接して
互に発明すべき文にて。古
互に発明すべき文にて古暦の真詰なること疑無れば乃
取りて如此は文せり。
まことや己先師の恩頼によりて神世の
の故実子解明し、其ノ力に因りて赤県の
○十一
古説をも知り、其ノ力に依りて太昊氏の如が神輿なる事なる事な
知り。其ノ力によりて古易古暦の我が神輿に出たる事子悟
り、其力に因りて古年歴の実数字知り、其ノ力に依りて三百
年一日の歳差を暁行。其ノ力に資てて此文これ古暦の貞詰
なる事を知り。其ノ力に頼りて前文すなはち日法役日の古
説なれど。彼この文字得受ては、其ノ復日の時位て知べき由
なく、此ノ文かれを得ひては、其改憲の法字知づき由なく、彼
此相得て照応して。古暦はじめて。之子掌中に視るが如く
著明尓ぞ知
られ在ける
・さて牛唇とは、即チ古歷なり。北斗の建に因りて
二十四忝子知り定むる憲なる故に。如く謂るると聞えた
然れど此称謂他の古書に
り
は未タ見及へることなし。
憲は即チ外暦の憲法なり。改レ憲レ憲法
とは。毎三百年の一日に。二千疋を重復して二日と為し。三
百年に一日不足の歳差手齊ふる子謂ふ。然る子漢以来こ
の古義は知れる者一人も有こと無く皆否ぬ裡にひき誤
めてぞ有ける。
○其は後漢書の律暦志に、章帝が元和二年二年二
月に太初三統等の暦を廃て、四分暦を行ふ
由を令する書に、春秋保乾図ニ曰、三百年ノ外暦改レルト憲ハ憲ヲ憲ハ史官ニ用レ二太
初一、都平カ術有二餘分六一在リ三百年之域一行度転差リ今改テ行二フ四分一云
々と見え、賈達が論に。太初暦不レ能ハ下通二於今一ニ、新暦不レ能二上得二
漢元ヲ一一家暦法在二三百年之間ヲ一故識文曰三百年計暦改レ憲ヲ
漢興常ニ用二太初一而不レ改、下テ至テ一太初元年一ニ百二歳乃改云々など
所見たれど、復日の義を知得たるは有こと無く、後の書等
に往て引用せると皆同じ
一趣なる字以て辨ふべし
然らば其三百年に一日子二日
一尓復する年然は何時なると言ふ。太昊氏の馭戒せる五
十三年壬子に当る歳の大雪と冬至の界なる日子復せる
より。毎三百年の壬子歳ごとに咄スしか為都ゝ周ノ報王が六
本文に年忝の始終
一年壬子ノ歳まで其ノ憲相続してぞ有りける。
字始二於冬至ニ一終二大雪ニ
と有る字もて。一日を二日に復する日は必ず大雪と冬至
との界なる日なるべきこと、心子平にしてまず思ふべし
○十二
其壬子歳と云フこと何な以て云フなれば。其ノ暦字作れる甲寅ノ
一歳の前年癸丑ノ歳は。かの四分日之一天ふ八分を四年朝み
て一日三十二分に備まし三百六十六日の全年にて。其の冬
至甲子の日は天正暦元に立し日なれば。必ず復日と為ま
じき道理なるを思ふに先に二日に復せる日は。其前年壬
一子に当る歳の。大雪冬至の界なる日子除きて何日か有む。
此は開闢の初発よりして。必然るべき神理の具なる事な
其は五行太義に。経
らむと想ひ合さるゝ事ども少からず
云天ハ生レ一ニリ始ルニ於北方ノ
水に云々と有る如く水は五行の貯なるほとなるほとは亀腹横之
の象形、今は亀頭及び其甲文の象形なるが、説文了云ハ位ス北
方ニ一会極テ易生ス懐妊之形カ承レ亥ニ士シ以テ子生之叙也と有る義にて、
士子ともに。北方玄武の水に属し。発丑の参は亀足の全形
にして、固より、足の義あるが故に。転じて充足の義に用ひ、
丑また亀腹の文に出て紐結の義有れば壬子に妊学し、癸
丑に紐結充足して、甲寅に全形具足寅達せる義を含畜せ
ること。上に出せる漢の歴志の筆二ノ蕭於子一ニ細身於世一。引二遷於
寅一ニと有る丈に注せる小林元儁
が言を思ひ合せて悟るべし
然らば其憲周報王が六年
壬子の歳まで相続して有りしと云フこと何字以て知ると云む
に。漢武帝が元封六年丙子歳は。周ノ殻王が六年壬子ノ歳より。
二百五年後なるに。其ノ丙子ノ歳の冬至ノ日の甲子なりしを以
此は即チかの太初暦子作れる・太初元年の前
て之子知れり
年にて。甲子の朔旦冬至なりしと云フこと、史
の記漢書を始め諸書に見えて暦
然るは太昊氏の医子作れ
学者たちの能ク知れる所なり。
る甲寅ノ歳の暦元甲子冬至の日より。其ノ丙子ノ歳の甲子冬至
に至りて二千九百三年にて日数一百六万三百二十日と
二十四分なる子甲子にて除ふに一万七千六百七十二甲
子にして癸亥に終り。其ノ二十四分は。甲子朔旦冬至に当り
て。古暦の憲に密合せるは。漢ノ世人こそ得知らね。太昊氏作
暦甲寅ノ歳の前々年壬子ノ歳の後日より後。三百年めの壬子
ごとに必ず一日子復し、赦王が壬子ノ歳まで総て十日復せ
る暦日を相続し来れる故に。元封六年の冬至は甲子にて
有りしなり。
彼ノ太昊氏の初復日より、其ノ第二は神農氏の三十
九年、第三は帝魁氏の二十六年、第四は陶唐氏の
三十七年、第五は夏ノ帝芬が二十五年、第六畳殷ノ小庚が元年
第七は殿ノ祖庚が七年、第八は固ノ穆王が五十四年、第九は周ノ
匡王が四年。第十は周ノ報王が六年、この壬子ノ歳ごとの。大雪
は冬至との界なる日は必ず復日して憲字改め来りしな
り、猶下に云ふ
を俟都べし。
其は後漢の歴志に案二暦法一。黄帝。額頭。夏殷周。
魯凡六家各自有レ元カまた黄帝造レ暦ヲ元起二シ辛卯一而顔顔頭ハ用二而額頭ハ用二乙卯ヲ一
虞ニ用二戊午一夏用二丙寅一ニ丙寅一ヲ用二甲寅一用二ニ用二ルヿ甲乙一ヲ用二庚子一ヲ漕ス、漢興承レ祭ニ
初テ用二フ乙卯一ヲ一と有れど。此は徒に暦元正朔なと子草たる耳に
て。古暦の全体は更なり。三百年復日の憲は。厳重に用ひ来
殊にこは彼ノ元封六年の冬至甲子の合
りし故に右の如し
る耳ならず。漢以前の古書ども。詩書礼
春秋字始め、暦日子云るる語とも尽く、予が今伝ふる太昊
古暦の暦日に符合せざるは無きこと別に著せる夏殷周
三代の日契暦子
漢世以前の暦法とし彼ノ太初以来の諸暦
見て知ルべきなり。
法の如く推法区々にして。彼ノ改憲の事の無りせは。武帝が
一元封六年の冬至は必ず甲寅ならずは得有まじき道理な
りかし
○其は既に云ふ如く、日は三百年に一日足らず、三千
年に十日の不足あれば。節気それに従ひて後るゝ
故に復日なき暦法にては。元封六年の冬至かならず甲子
なるまじく。十千支退支て。甲寅なるへきこと。心字平にし
て熟く思ふ
法支なり。
さて其元封六年の翌年は太初元年丁丑歳に
て。此年に始めて謂ゆる太初屠て作り。間なく劉歌が三統
暦子用ひ。また四分暦など云をも用ひしより。歴代次々に
改暦し都ゝ。壬子復日の古暦法は。永く廃れ果は歳善の正
しき分度は三百年に一日なる由字も得知更そ成りにける
る
○其は近く天経或問小リ客問二歳差一テ曰考二テ曰考二歴代所レ紀度分一ヲ或ハ多ク
或暮而無二定則如二キ後ノ郡平改暦一洛下間謂百年後当レ差レヲレ差ヲ一度一度ヲ、
漢未劉洪佐二乾象暦ヲ一有二核歳之法一晋ノ虞喜始ヲ以レ天為レ天為レ天、歳為レ歳、
立差以進二其変ヲ一以テ二五十年ヲ一ヲ一ヲ日差二一度ヲ一何散天増レ之約メ百年差二一
度一ヲ隋ク劉棹折二取二家ノ中数一ヲ為二七十五年ニ差一度一度一ハ劉焙以二四十五
年差一度梁ノ虞鄭以二百八十六年一差一度、唐ノ僧一行作二太衍層ヲ一ヲ
以二八十三年差一度、宋ノ大明暦以二四十年一差一度、統天曆以二六
十七年一差一度元授時暦ニ以テ六十六年一差一度、明ニ大統曆以二七
十八年一差一度、万暦中ニ利西泰、約以二六十八年、八関レ月差一度
毎年不レ及二周天ニ一ニ一分三十秒熊良孺ハ以二六十七年差一度、方密
之ハ以二六、十餘年一差一度、而差之説紛紙ヲ以レ何為ヲレ何為ヲレヲ掠知二其差ヲ也、ヤ
問字起して、其ノ答司の紛然として決せさる中に、掲子宣曰ク、
歳自為レ歳、差自為レ差、歳原ト無レ差也、云々
〇十五
六十歳而ノ大終日復始ル二甲寅一
歳ニ而復スレ故ニ十九合一千五百二十歳。名ヲ曰フ二一紀一。凡三紀四千五百
日。而シテ無二余分一。故ニ三百六十五日ノ者三ツ三百六十六日ノ者一ツカ含八十
二十一
十一
一日ノ行ヿ一度ニテ歳有二奇四分度之一一。故ニ四歳ニ而積一千四百六十一
四
此條は天文訓と周髀算經と合せ攷きて載せり。○好尚云フ
一此ノ本文に旧稿には〽天一ノ元始フ正月建寅日月俱ニ入ル二菅室ノ五度一ヲ一
天一以始テ建ル。日ノ行一度而ノ歳有二奇四分度之一一。故ニ四歳ニ而積千
四百六十一日而シテ復合フ七十六歳。日月復以二正月一入ル二営室ノ五度ニ一ルニ
無二シ余分一。名キ曰二一ノ一ト一。凡二十紀一千五百二十歳カ名ヲ曰二ヲ一元三
元四千五百六十歳而大終日月星辰復始ルル甲寅ノ元[リ元」と作られ
て。註解にも為られたり。今其侭に視す事左の如し。○天一
とは既に出たる太一天帝の分精と云ふ。其は乾鑿度に九
宮の数を記して。故ニ太一取二テ其数一ヲ以テ以テ以テ一ヲ四正四正四維皆合二於
十五一ニと有る所の鄭玄註小太一ハ者北辰之神名也。居二其所二其所ニ一ニ曰二一
太帝一ヲ行二テ、於八卦日辰之間一曰二天一ヲ。或ハ曰二天一天一天一ノ天一之行ハ猶二天子ノ
出テ巡将一ヲ一易ハ起二於子一金ハ起二於午一是以テ是ヲ以テ太一ノ下ヲ行二ルヿ九宮一従二次官一始ル也
は見え
琉球一式の文も今引
○此之今本小は誤字多かり。今は五行大義に引たる
文と投合して其ノ宜しき子取れり。其は皇朝に伝は
一楽緯叶図微に天宮紫微宮也北極天
く文に同[リ]文に同みければなり。
一太一。宋均注に。天一大一ハ北極神ノ之別名也とも有り、其ノ所
に居流子太帝と云ひ。八卦日辰の間に行るに天一と云ふ
由なれば。天一と称ふは天帝の分精なること疑な物な
り
○然る字五行大義か、世記と云ふ物字引きて、天皇氏は、天皇氏は
帝なりと云る説は然る事なれと。地皇ハ為二天一一人皇ハ為二リ太
一」と云ひ。星経九宮経なと字引きて、天一太一と両星あり。
紫微宮の門外に在りて天皇太帝に侍して。天一は農様を
主どり、太一は水旱兵飢を主海由子論じ、かな其ノ使ふ十六
神十二神なと云ふ物の事子も委く記して、上の鄭玄が説
を非と為たれと、其はみな後漢の層志に謂ゆる民間諸暦
の俗説ともにて古義に叶はず一切に掃除すべし其は其の
神名の中に伝送功曹など云へ海は漢ノ世の吏名な
るを以ても後世の杜撰なる事は知るへきなり。
○さて天
一ノ元始。正月建寅とは。孟春建寅の節を歳の元始正月と立
たる本義に述たる説なり。其は既に出せる霊枢経の如く。
天一の降わり八卦の日辰を行る実の元始は坎宮子ノ位に
て。其所に四十六日在れど。冬至小寒大寒の節にて。猶いま
だ歳の元始と為すに足らず。是ま以て寅に建す孟春の節
此は謂ゆる夏正の
をもて。歳の元始正月と為たる由なり。
原なり。年の始めと
立べきこと、実に是の時なるべきこと、既に初め
に云ひ、また三層由来記にも云へるを見べし
日月俱ニ入二営室一
五度一天一以始テ一以始テ一と天帝の分精にして凡帝の分精にして凡人の目
に見ゆる物に非ず、故其ノ建しを知べき由なし、是子以て日
月俱に営室の五度に入る時ぞ天一の始めて建す時なる
神眞の古伝ならずして豈かくの
と示せるなり。
如くならむや、等閑に勿見過しぞ
○日行「一
度云々は。日の行流度数に同し。四分度の一は。日法三十二
分の八分なる故に四歳にては千四百六十日と四八三十
二分あり、此ノ余分を合せて一日と成せば。千四百六十一日
か本書に日行より復合
にて余分なし。之字復合とは云まり。
に至る二十八字字始二十八字字始二
甲寅ノ元一と云ふ文の下に記し
○七十六歳日月云々とは。其の
次たるは錯乱なれば訂し都。
元始の歳より。七十六歳字経るまでは。日月倶に営室の五
度に入ること無なり。七十六歳めの正月に至りて日月俱に
また営室の五度に入り。日もまた余分なしとなり。
北ノ七十
六歳の
事はいほ次条に委
○名テ曰一フ一紀一凡二十紀一千五百二千五百二十歳と
く説くを俟都べし。
有の紀は次條に謂ゆる蔀なり。七十六歳子旧く紀とも蔀
とも云りと聞えて。乾鑿度にも二様に記せり。然れども一
事に名の二様なるは胡乱ければ。次條よりは周髀及び後
其は周
一漢の劉洪が暦に効ひて蔀と云ふ名字のみ用ひ都。
辟に、一
節七十六歳、二十蔀ク為二一遂一々々々々ハ千五百二十歳三逐為二首一首一々々ハ
四千五百六十歳と見え、後漢の暦志に、蔀以部レ之、紀以記レ之
元以原レ之登
名曰二ヲ一元一。一元一三凡四千五百六十歳而大終の名
有る子云ふ、
より而に至る十五字は。己が私に補なるなり。其は本書に
一千五百二十歳大終と有れど。疑なく今補ふ文の落たる
なり。
り然るは唯一元にては日月星辰また甲寅元に始し
まること。無く、領本大終と云ふに足さればなり。
〇日
月星辰復ノ始二ルヿ甲寅ノ元一とは。天の日月星辰を云ふは固よりに
て。日とは日の干支を云む。月とも月の干支を云ひ。星とは
七曜及び二十八宿字云ひ。辰とは時刻の干支を云ふ。四千
五百六十年にして。歳月日時の干支及び曜宿も何も。始め
て暦子作れる甲寅の元年に、配せるまゝに、立復る由なり。
此所の日月星辰子只小天の日月星辰字云ふとのみ見む
は委からず、歳月日時の干支曜宿字云ひて、天の日月星辰
をも兼たるなり。思ひ
を潭めて考ふべし
なむ次條より次々に云ふ子視て知
るべし
○好尚云此条に繋る事ども記し措かれたる艸稿の中
に、○日ノ行フ一度と云フより以下は。淮南子天文訓に取れり。
天日の日々に行こと一度とは云まど。一歳に総ては其ノ
一行の竒なほ四分度の一あり。是を以て一歳の日数字三
百六十五日四分日の一と云ふ然れば一日に足ざるこ
と四分日の三なり。
のかくて日分の古法は一日を三十一日を三十二
分と立たれば四分日の一は即チ三十
二分の八
八刀なり。
○故。四歳而云々は。三百六十五日四分日之一
を四歳合せて千四百六十日と。四八三十二分あり。此餘
分に総て一日と為せば。千四百六十一日にて余なし。之
〇周髀算經了。三百六十五日南極影長。
字復合とは云まり。
明年至二三百六十五日一而及短、積二四期一
以歳終、日齢及長、故ニ知レ之三百六十五日ノ者三ツ
○故ニ舎八十
三百六十六日ノ者一、と有公も即チこの義なり。
一歳ノ而復レ故ニは、舎とは。日の天度と会する所を云ふ。八十歳
は右の四歳子二十総たる数にて。是ノ日数二百九千二百
二十日あり。此子かの甲寅ノ歳の甲子冬至を始と為て甲
子字以て数ふるに四百八十七甲子にて余分なく甲子
冬至に至る。こを故舎に復すとは謂ふなり。尚次条に云
千字見る法し。
○好尚云ヲまたの稿に。○日月星辰復ク始ムル甲寅ノ元一とは。歳月
り甲寅に起せる耳に非ず日時の元字も甲寅より始め
しこと更に論ひ無支物にて。謂ゆる作暦の元年は。甲寅の
歳の甲寅ノ月の朔旦立春やがて甲寅ノ日にて。其晨寅ノ時に
其も日月星辰と
やがて甲寅に定めしこと疑無くなむ。
有乃星は即チ歳星
を云ひ、辰は即け時をいひ、月とは孟春正月に云ひ。日とは
其ノ朔旦立春子云へる語なる字以て知渡し、若然らずとし
ては、日月星辰復タ始二甲寅ノ元一ニ」と云フ」と云フナい
と、絶て意なな語とぞ成るめる、
○日ニ行フ一度而歳有レ奇
四分度之一一は。既に上に説たるが如し。故ニ四歳而云々と
は。四歳の日数。すべて千四百六十日と。彼ノ八分起候四ッ字
合すれば。四八三十二分にて一日なる故に。千四百六十
一日にて余分なし。之字復合とは云へり。故舎八十歳而復
故とは、まず八十歳は四歳を二十合せたるにて、舎とは
一歳星の舎りを云ひ。八十舎して八十歳に為すが故にか
く云へり。此ノ日数凡ソ二万九千二百日と。かの八分都ゝの余
分六百四十分あり。此字また日に直せば。二十日にて余
分なし。此手復故とは云へり。然れば一紀七十六歳と定め
しは、是ノ八十歳の四歳に減したる数なるが即チ四歳都ゝ
十九字積みて定たるにて。是ぞ古暦ノ法の大要なりける。
此に就て按ふに既て見たりし天地二球用法記、また近
此の就て按ふに臨て見たりし天地二球用法記また近
頃見たる遠西観象図説など云ふ物は、共に西洋の天文
書字訳せる物なるが、其書等に拠るに、彼国辺に用ふる
書字訳せる物なるが、其書等に拠るに、彼国辺に
歷法二タ様あり。其ノ古なるは我が崇神天皇の五十三年丙
子ノ歳に当りて朗摩ノ国に由利安と云へる首の在しが立た
流法にて。一年字三百六十五日と余分六時とせり。其ノ六
時と云ふは、彼ノ国にては、一日を二十四時に立たれば。一
昼夜の四分一にて昼夜子十二時と立たる諸越の歴法
に四分日之一と称する八分に当れり.斯て其ノ法三百六
十五日六時のうち六時に除きて。仝日三百六十五日字
一歳として之字平年と云ひ其餘数の六時子積こと四
年にして一日と成るを第四年の日数に加きて三百六
十六日となし其ノ年子閏年と云ふ。是子以て第四年に必
ず閏年あり。故は由利安が始めし歷法なる故に由利安
年と称して千六百余年がほと行はれき。是古法なり。然
るに我が天正十一年癸未歳に当りて。宣社碁刹と云ふに
者ありて。其唐法を改めり新法字立たり。其は詳に天度
字測り年月字推歩する尓。大易の纏度居面の節気に光
だること千六百年余の間に。十余日の差子生ぜり。是に
因りて太易の区度に巨細に測れば、三百六十五日六時
四十九分あり、六時四十九分の六時は、既に云ふ如く、諸
越の暦法に謂ゆる四分日之一にて八分なり。四十九分
は、四洋の一日を二十四時とせる一時に六十分とせる
四十九分なれば、諸越また皇国の一時の半時足ぞなり
〇二十一
然るに其ノ三百六十五日子平年としては、其ノ餘数字積こゝ
と四年にして一日に満ざる故に千六百年余子経る間
に十余日の不足子生たり。是に依りて、四年一関の法字止
めて四百年めに一日にな本半時餘り足ざる時刻子強
ひて一日に立て、閏年と為たり、此の法に拠ときは七千二
百年にして一日の不足子生すれとも由利安の歴法一
千六百年にして十余日の不足をなす尓比すれば、歳実
に失ふこと少し於蘭陀にては此暦法字用ひて宜礼略
利年と称する由見えたり。此ノ由利安か曆法いと既く今
の古暦に似たるは。其もと同く太古に神真の伝るし古は
法なるべし、此に比添ては、宣礼碁利か暦法は精に似て
却りて迂なり。蘭学子また無き物に好まむ人など。此等
の言字聞む尓は決めて謝しみ思ふべけれど我所
て尚深く思ひ得たる定説有れば如此は云ふなり。
終レ歳。三百六十ノ日法也。五日謂二之ヲ候テ三候謂ヒ之ヲ気一六気謂ヒ二之ヲ時ヲヲ
二十四
十一気数者所下以紀スル化生之用一也天ニ天二天二有二十日一。日六竟而周レ甲。甲六復而
時謂一ヲ二之ヲ一ルニ而各従二其主治一焉カ五運相襲而皆治レ之終二碁之日一。周而
復始。如二環無レ端也。
此條之素問六節蔵象論に採れり。○好尚云。此條も註解ま
缺れたり。
二十四日
一二孟春則加二大寒ニ一十五日ヨリ玉衛指二報徳之維一故ニ曰ク距二冬至一四十五日ニ
而立春ナル]喜長一丈一寸六分。加二立春ニ一ニ一十五日カ指レ寅則南水ヲ。律受二太
簇一。大簇者簇而来レ出也。喜長九尺一寸六分。
此條より五十四條まて。淮南子天文訓に採れり。時則訓に。
高誘云招
孟春之月招揺指寅
揺計建也、
参西方白鹿之
昏参中旦尾中。
同四是同昏時
中二於南方一尾ハ東方蒼龍之宿
也是月将レ且時中二於南方ニ一
其ノ位東方其ノ日甲乙盛徳在レ木、
甲
乙、
木日也、盛徳在
東方、小易。鱗蟲ハ龍為二之
亦。木王二東方ニ一也、
其蟲鱗其音角
長一、南ノ木也位在二東方一也、
律中二太
簇一其数八
○舎衰易舎万物太簇地而生、故ニ曰二太簇一、
其ノ数八ハ五行数ハ五木ハ第三故ニ曰レ八也、
其ノ味ハ酸其臭ノ臭ノ臭ノ臭ノ臭ノ臭ノ臭ノ臭ノ臭ノ臭ノ
種
木ノ味、酸、酸之言鑚也、万一
○其ノ祀戸祭ルニ先ヨリ
蟄伏之類始テ動キ生出
由レ戸ニ故ニ祀レ戸ヲ也、脾ハ属一
物鑚レ地而生、 ̄ハ木杏疆。
土ニ陳二設俎豆ヲ一ヲ脾在レ前也、春
木勝レ土ニ言フ常食」所勝也
東方ノ火木ノ母
東風解キ凍テ蟄蟲始テ振蘇ハ
也気温、故ニ東
風解レ凍蟄虫
振動蘇生也
是月之時魚応易而動上負レ水ヲ
魚上ヲ負レ氷獺祭レ魚
也、獺浜也、是月之時獺祭リ
於水辺ニ。四面陳
之ヲ謂フ之祭レ魚也
ゟ是月時候之応、雁従二彭蠡一来
候雁北
北過二周洛一。至二漢中ニ一孕即欝一也、
云々とも
見えたり○報徳之組とは。東北巽位等云フこと既に出たり。
玉衡その維に指せば立春の器に至れるにて。其は冬至子
此字上元甲寅ノ歳にて一例
距こと四十六日に当る由なり。
一字云はゝ前癸丑歳の冬至
甲子の翌日乙丑より四十六日数まて
庚戌ノ日なり、冬至を距とは即テ是義なり、
加二十五日ニ一とも。譬き
ば上元甲寅歳の前癸丑ノ歳の大寒は、乙未日なるを。其ノ日に
十五日に加まて。庚戌日これ翌年甲寅歳の立春なる類な
○丸りの條々に距と云ひ加と云ふ
り
不言すべて之に効ふへし。
さて春夏秋冬に。孟仲季と
一稱する事は。蔡琶か月令章句に。孟ハ長也。庶長ヲ称レ孟言ハ天於二十ト
時ニ一無レ所レ常ト適先至ル者長レ之カ故以一庶長之称ヲ為スレ名レ名ト。仲裏也。仲裏也。時二月
故ニ次レ孟ニ為レ裏也。季求也。時ニ有二三月一至一至レテ此ニ而尽。故ニ謂二之末一也とあ
○月令章句は全書伝はらず。今は
り
玉燭宝典に引たる子再引たり、
さて孟春は三十日の月
なり。立春は建寅孟春の立初し節なる故にかく名け。雨水
は孟春の中然尓は。是ノ時寒気已に緩ひて。雨水の降るま以
王応鱗が困学紀聞に夏小正云正月啓蟄月令ニ
て名けたり
孟春発虫始テ振、仲春始テ雨水、注ニ漢始、以二驚声一ヲ為二正
月ノ中一トハ雨水為二二月節一左伝ニ語二倍二驚而却ス建実之月、正義之太初以
後更ニ改テ二気名一ヲ以テ以ヲ一雨水一ヲ為二正月ノ中ト驚驚ヲ為ス二月ノ節一二月ノ節一、迄今ニ不レ改、改落ヲ
為レ驚益避二景帝講一也、周書時訓及ヒ通卦顕先二雨水ニ次ニ二一鷺鼈一此潰
太初後暦也。月令正義云ハ劉歌作二三統曆一ヲ一次之ニ然則二書皆作二
於劉歌之後一ニ時副非一同公ノ書ニ一明シ矣と云へるは然る言に聞ゆれ
ども。雨水驚蟄の次第の三統暦に同しきにもて、二書に刊
歌より後と云ふ説は非なり。然るは淮南字は太初よりも
尚以前の書なるに、雨水の次に驚発あり然れば此は古説
にしか二タ様に伝方
てそ有りけむかし。
四十四
一。仲春ハ則加二雨水一ニ十五日。玉衛指レハ甲リ甲ヲ則啓蟄。唇長八尺二寸。加二啓蟄一セスルヿヲシテ
十六日。指セスル印ヲ則中縄。故ニ曰距二立春一ヲ一四十六日ニ而春分ト、律受二夾鐘ヲ一夾鐘一ヲ
一鐘者種始テ葬ル也。碁長七尺二寸四分。
弧星ハ在二輿鬼ノ
時則訓に、仲春之月招揺指レ卯ク昏ニ弧中シ且建星中ノ
南ニ一是月昏時
中二干南方ニ一建星ハ在リ斗止、是ハ
月平旦時中二于南方一也、
其ノ位東方。其ノ日甲乙其蟲鱗。其音角
是ノ月万物去レ会夾レ易衆
其数八其味酸其臭鑑。其記
律中ニ二夾鐘、
地而生故ニ曰二夾鐘也、
○自二冬ノ氷雪一、至レ此春分穀雨、故ニ曰フ
蒼
戸祭ル先レ脾ヲ始テ雨水ノ桃李始華。
始雨水一ト桃李干レ是皆秀華也
○蒼康爾雅ニ曰、商庚黎黄楚雀也、斉人謂二之博柔二
反鳴。鷹乞句鳥若庶爾雅ニ曰、商康養莫楚後也、商人商人謂二之博為二
庚鳴ノ鷹化ヲ為レ鳩
秦人謂二之黄流離一、幽冀謂二之黄鳥一、至テ此月ニ一而鳴、
八刀は
鷹化為レ鳩喙正直不
是ノ月也。日夜分。雷始発声ヲ蟄蟲咸動蘇戦
鵞搏也、鳩謂二布穀一也
也、冬会閉固雷伏不発、是月易
云々とも有り。○仲春は三十
升雷始テ発レ声也。咸皆動蘇生也、
一日の月なり。啓蟄は本に驚蟄と有るま改め都。其は夏小
正また左伝尓も啓蟄と有りて古名なれはなり
其は上に
引たる玉
応解か説にも
本書に指セレレル甲ヲ則雷驚蟄と有れは。此節に至り
既に見えたり、
て已に雷震の悉字催して。蟄蟲の啓発する義なり。春分は
建印仲春の中名尓て。立春より四十六日。已に春の半分な
る故の名なり。建酉秋分と相対して中縄すること既に出
たり。
此巻の第三十七條子
さて啓蟄の十六日を。本書に十
立却り見て知るへし
五日と有れと此は劉安の原本には決めて十六日と有け
むす。後に傳ふる徒の古暦字知さるが。次々に写し論れる
物なり。其は此一条のみに非ず。下なる芒種。小暑。白露。大雪。
冬至の五然と共に十六日つゝならてみ得有ましき物な
るね其等をもすへて十五日とのみ有り。然ては四十六日
と云もの六部。四十五日と云もの二ツ刻。凡は三百六十六日
なる日数に合ざれば。謁字なること炳焉よに許慎高諸ま
〇然れば此一事子以ても、列安より
始め。此議なきは何ぞや。
後の学者らの古暦字知さる事は
推量ら
たり。
さて斯の如く考了定めて。芒種以下丑忝の十五日に
前所之並へて十
と有る子も憚らず、みな十六日と改め都。
五日とのみ有る
は。概略して云るにやとも思ひしか
と其はなき其はなし也けり、
一季春則加ト二春分ニ一十五日。玉衛指出スヿ乙ヲ則清明。畧長六尺二寸八分。加二寸八分。
五十四
清明一十五日。指レスルハ辰則穀雨。律受二姑洗一姑洗者陳去ヲ而新来ル也喜長
五尺三寸六分。
七星ハ南方
時則訓に。季春之月。招摘指レ辰ヲ昏七星申シ。且ニ牽牛中。
朱雀之宿
是月昏時中二于南方ニ一、牽牛ハ北方云
其位ハ東方其日ハ甲乙其虫鱗
武之宿ハ是月平旦ノ時中二于南方一也、
○二十五
姑ハ故也、洗新也、是 ̄ノ月易気、
其数八。其味酸其ノ
其音角律中二姑洗一
養生去レ故就レ新故曰二姑洗一
桐梧桐也、是ノ月生レ華、
臭ハ鴇其祀戸祭先レ脾桐始華田鼠化テ為レ駕
田鼠龍鰌鼠也駕鶉
虹蟒竦也、詩云端陳在東莫之
也虹始テ見ユ萍始生一
敢指一、萍水藻也、是月始、是月始、
是月也生気
方ニ盛易気発泄。
発世猶
布散一也
ニ句ル者畢ノ出。萌ス者尽達。鳴鳩奮二ヲ其羽ヲ載ヲ一載伝
降ル二千余一
一。鳴鳴奪二迅シ其羽ヲ直ニ刺上飛テ入雲中ニ一者是也、戴一
○驚載勝鳥也、詩曰嗚嗚在レ桑其子在レ梅是也、
云々とも
有り。○季春は三十日の月なり。清明とは。本書に指レ甲ニ則清
明風至と有れば、東南兌位の風の吹至る時なる故の名なる
り
○東南兌位より吹く風を景風とも清明に
風とも云こと、第二十八條に出たり。
穀雨は建辰季春
の中然にて言義は。二十四気論了。穀雨如シシシ面一我公田一ニニ之而二益
自リ中以此時一ヲ一播種有上ニ而下一也。三月ノ中自二雨水二後ノ土膏、脈動ノ今又ハ
雨二其ノ穀ヲ於水一也。周礼ニ稲人。掌レ被下地一。註ニ謂ク以二水澤之地一種レ穀即チ
此二十四気論は続文章正宗と
穀雨之謂也と云へるが如し。
云ふ物に出て、胡炳文と云ふ人
の説
なり。
十五日孟夏則加二穀雨一十五日。玉衛指スル二当羊之維ヲ一故ニ曰距二春分一ヲ四十五日
六十四
而立夏ノ略長四尺三寸六分。加二立夏ニ一ニ十六日。指レトトト乙乙巳巳則小満ク神
呂一。仲呂ハ者中云ル大也。畧ノ長三尺四寸。
翼南方朱鳥
時則訓に孟夏之月。招揺指レ已。昏ニ翼中。且発女中。一
之宿是月昏
時中二干南方ニ一ニ毒女一ニ曰ク須女北方一
玄武之宿、是月平旦中二于南方一也、
其位南方。其日丙丁。盛徳在
火ニ
丙丁ハ火日也盛徳
其虫羽其音徴
盛易申レ事鱗散レ初、羽
在レ火ニ火ハ生二南方一也、
虫鳳為長徴ハ火也、
律中ル二
○是自易散シ在レ外ニ会実在レ申、所二以易成レ功、故一
其味
仲呂一ニ其数七
曰二中昌ト一、其ノ数七ハ五行数五、火第二故曰レ七也。
苦。其ノ臭焦。
火味苦也
焦ハ火香焦シ
○是月火王。故祀レ竈肺ハ金也。
其ノ記ハ竈祭光明
祭祀之内光用レ所レ勝也、
螻螻蛄、蛔蝦蟇也、四月
蜻蛉鳴卵螟出
金気始勤ニ於丁一ニ一改ニ鳴
玉瓜は拾
王瓜生ヒ苦菜秀
桜也尓
一雅ニ曰不レ栄而実曰。
云々とも有り。○当羊之維とは。東南兌位
秀二苦菜一宜レ言レ言レ栄也
を云こと既に出たり。玉衛その維に指せば。立夏の為に至
れるにて其は春分字距こと四十五日[クに当る由なり。此維は
と西北艮位の維とて四十五日と定めたる事由は。第一
然るに本書天文訓の遺言が校正本な
條に既に出たり。
と、此ノ絵字のみ四十五日と有れと、西北
と疏通之維を余と同じ僅に四十六日と有るは。旧支誤写
と見えたり。況て劉続が補注本には。一ト所も四十五日と為
たる所なきは甚く誤まれり、其は八所みな四十六日都ゝ
にては、凡り三百六十八日となる物字や元より此は大数
字出せる文には有れど本義な得知らぬ徒の次々に写し
ひがめ来れるに其の注する徒も深く思はずかく終り来れ
るに
こそ、
待さて孟夏は三十日の月なり。立夏とも孟夏の立初し
節なる故にかく名け。小満ば孟夏建己の中悉にて。是時に
一至りて易忝の小盃満する義乎以て名けしと聞ゆ。然れば
芒種は大満とも云ふべし。二十四気論に金気の小満する
義に見たる説は強ひ言なり。
七十四
小仲夏ハ則加二小満一ニ十五日。玉衛指レ丙則芒種ノ長二尺四寸四分長二尺四寸四分ハ加二
芒種ニ一十五日。指レル午ヲ則易気極ク故ニ曰距二立夏一ヲ一ヲ四十六日而夏至律受二
一薙実一。疑実者無而服也。畧長一尺四寸八分。
九ハ東方青龍之
時則訓に。仲夏之月招揺指レ午ツ昏ニ九中シ旦ニ危中ク
宿是月昏時中二
于南方ニ一、危北方玄武之宿、
是月平旦時中二干南方一也
其位南方。其ノ日ハ丙丁。其虫羽。其音徴。
是ノ月舎気萎萎莱在レ下象二主人一也
其数七。其味ハ苦。其臭ハ
律中薙実。
易気在レ上ニ象二賓客一也、故ニ曰フ蒙賓ト一、
蟷螂世ニ謂二之天馬一一名
焦其ノ祀ハ竈祭ル先レ肺ヲ。小暑至。蟷螂生。
歯脱沈、予ニ謂二之ヲ巨爺ト一也目
鵙始
鵙、伯労鳥也。反舌ハ百舌鳥也能弁二変其ノ子。
鳴反舌無声。
反二易其声ヲ一以効二百鳥之鳴ニ一故ニ謂フ百古一ト一也一
鹿角解
夏至鹿角解堕也
半夏ハ薬草也、木槿朝、
輝始鳴
虫女鳴
蝉鼓翼ヲ始テ鳴也
一半夏生木堂栄
栄莫落樹高五六尺
其ノ葉与二安石榴相似也、是ノ日生栄、華可二用テ為レ蒸一
也、維家謂二之ヲ朝生ト一、一名舜詩云顔如二舜華一是也一
云々登と有り
○仲冬は。三十一日の月なり。芒種は。彼二十四気論に。芒種ノ
二字見二周礼一。芒謂二種之有レ芒者ヲ一麦也、穀雨芒種指二穀麦ヲ二穀麦一ヲ一言者ノ穀
袴二於春ニ一ニ一伝二木気一成二於秋一ニ一金乾木也カ木気ハ粟也、故ニ穀頴ハ至。変種ヲ於
秋一得二金気一成ル二於夏ニ一火尅金也ヲ金気剛ヲ故ニ麦額昂ノ此レ自然之理也。
無穀民何ヲ以テ即食無クレトルヲ以ヲ以テ續食セハ春秋大ニ無二麦禾一則書ス於レ此ニ也
此説迂に似たれと然る理の
と云へり。
無きに非されは採用し都、
夏至は仲夏建午の中
悪にて、冬至と対合し。易然極にて食気是より始まる故に
名けしなり。
八十四
四季夏ハ則加二夏至一ニ十五日。玉衛指レルヿ。則小暑器ノ長二尺四寸四分。加二
小暑一ニ十六日。指レル未ラ則大暑カ律交二林鐘一林鐘一林鐘者引而止ル也。碁ノ長三尺
四寸
心東方青龍之
時則訓に。李夏之月招揺指レ来。昏ハ心中。旦奎中。
宿是月会時中
于南方一奎ハ西方白虎之宿
其位中央其日戊已盛徳在レ土
是月平旦時中二于南方一也
戊己は
十一日
也盛徳在レ土ノ
一羽落而為レ羸々虫鱗為二之長ハ
律ノ中ル
十一、王二中央ニ一也
其蟲ハ羸其ノ音ニ宮ノ
宮土也位二中央五音之主也
○百鐘林鐘也是月易盛会起ヘ生養万物ヲ
百鐘其数五
故曰フ二百鐘其数五ハ五行ノ数ハ土第五也
其味甘其ノ
〇二十八
臭香
土味甘也
土臭香也
其記中雷ク祭ハ先レ心
世勝
涼風始テ至リ。蟋蟀居レ興ニ
土用レ事故祀二中雷一中雷室中一
之祭二記后土也、心火也、用レ所
聴呼、蚓煙織也、詩ニ曰七月在レ野
此ニ曰居レ奥、不二与レ経合、奥或作壁也
鷹の
。秋節将レ至鷹自テ習レ越テ也妍ハ馬絃也、
一学習草化為妍
幽冀謂二之ヲ秦渠ト一所読奚径之径也、
云々とも
有り。○李夏は三十一日の月なり。小暑とは。大暑に対して
云まり。大暑は季夏建未の中然なるを小暑に対して大と
は稱まり。
彼ノ二十四気論に、易曰ク寒往、則暑来暑来暑往則寒来、寒
暑相推而歳成ル焉。通二上半年一皆可レ謂レ謂レ漏レ通二下半年一皆
一可レ謂レ寒、而ルモ曰二小暑大暑一者不レ通二上早年気候一之辞爾ニ大暑二非二拠ニ
至二於大ニ一也。由テ小西副至二於大一也六月終暑之極故ニ為レ大然レハ則来
至二於極一則猶為レ小也と云云万
り此も通えたる説なり。
而立秋唇長四尺三寸六分。加二立秋二立秋ニ十五日。指レスルハ申則処暑律受二夷
四
十四日
九十四
十
孟秋則加二大暑一ヲ一十五日。玉衛指ス二背易之維一故曰距ルヿ夏至一四十六日ニ一四十六日ニ
則一夷則者易二其則一也。巻ノ長五尺三寸二分
斗ハ北方玄武之
時則訓に。孟秋之月招揺指スレスレテ昏ニ斗申。且ニ畢中。
宿是ノ月昏時中二
于南方ニ而畢、西方曰虎之宿、
其位ハ西方。其日ハ庚辛。盛徳在レリ金。
是ノ月平旦時中二于南方一也、
庚辛
金也、
盛徳在レ金金ハ
其虫毛其音ハ商
一金気寒保者衣毛、毛虫虎為一、昆類、
王西方一也
之□長、商金也、位在二西方一也、
律中ル二
夷傷也、則、法也、是月易衰金盛万物凋傷応法成
夷則一其数九
桂故曰二夷則一也、其ノ数九五行数五、金第四故曰レ九
一金味辛也、
世
其味辛其臭腥
金臭腥也
孟秋始内人由レ門
其ノ祀門祭先レ肝
故祀門也、肝、木也、
祭先之用
所勝也
是月鷹
涼風至白露降。寒蝉嗚鳴。鷹乃祭レ鳥。用始テ行レ戮一
搏驚殺
鳥ヲ於大沢之中ニ一四面陳レ之世謂二之祭鳥ト一
用二是時一乃始行二殺戮一刑罰順二秋気一也。
云々とも有り。○背易
之維とは。西南震位と云こと既に出たり。玉街その組に指
せば立秋之気に至れるにて。其は夏至を距るは四十六日
に当る由なり然て孟秋は三十日の月なり。立秋とは孟秋
の立初し節なる故にかく名けり処暑は孟秋建申の中忝に
り。言義は二十四気論に。処暑如二既ニ両既ニ処之処一々止也。謂上也。謂下着
気将ニシテ此時一ニ止世也と云へるが如し。
白露一ニ十六日。指レハ酉ノ酉ノ則中縄。故ニ曰距二立秋二四十六日ニ而秋分。律受二南
十
土中秋ハ則加スト云二處暑ニ十五日ヨリ玉衙指レ庚ヲ則白露ハ暑ノ長六尺二寸八分。加二
呂一。南呂ハ者任也大也。畧長七尺二寸四分
牽牛ハ北方
時則訓小。仲秋之月招揺指レ酉。昏ニ牽牛中。且觜窩中主
玄武之宿
是ノ月昏時中二干南方一觜鳶西方白
虎之宿、是月平旦ノ時中二于南方也、
其位西方。其ノ日庚辛。其虫毛。
南ハ任也、言易気呂畝而
其ノ味辛。其ノ臭
其音ハ商。律中二南呂一其数九。
志助金、々任二成万物一也、
候時之雁従二
腥。其ノ祀門祭先レ肝。涼風至。候雁来。玄鳥帰リ群鳥翔
北漢中一来、過二
固雖一南至彭蠡一也、玄鳥帰、秋分後帰二蟄所一ニニ一也、挙島朔、寒気気盈草
鳥肥盛試二其羽翼ヲ一ヲ而高ク朔々ハ者六嗣不レ動也、或ハ作レ養養二育其ノ羽
センモ
也は
ゆへ
也。是月也雷乃始収。蟄虫虫培レ戸。殺気浸盛。暑気日衰。水始ヲ涸潮
過ニ酒或ハ作レ盛
々、言二金勝一也
云々とも有り。○仲秋は三十一日の月なり。白
霞とち此節に至りて已に白露のおく故に名け。秋分は仲
秋建酉の中悉尓て。立秋より四十六日已に秋の半分なる
一故に名けたり。然て建卵春分と相対して中縄たること既
第三十七條に立却
に出たり
り見て知るべし。
二十五
五季秋ハ則加二秋分ニ一十五日。玉衛指レ辛則寒露則尽露ニ尽ク長八尺二寸ヲ加二寒露一
十五日。指スルレ戌則霜降。律受二無射一無射者入ルニニ無キトキ也。略長九尺一寸
六分
一虚北方玄武之
一時則訓に。李秋之月招揺指レ戌昏虚中旦柳中。
同是月昏時中ス二
于南方ニ一柳南方朱雀之宿
是月平旦中二于南方一也。
其位ハ西方。其日康辛。其ノ虫毛。其ノ音商。
律中二無射ニ一
金気上針易気下降。万物
随易而蔵無射出見也、
其ノ数九其味辛。其臭腥。其ノ
是ノ月時候之雁従二北漢一
祀門祭ルニ先ス先ハ肝。候雁来ク賓産入二大水一為レ時。
之二彭霊籍一蓋以為八月来
者其ノ父母也、是月来者蓋其子也、羽翼祖弱故、在レ後爾、賓雀者一
老雀也、栖宿入二堂宇之開一如二宝客一者也故ニ謂フ之事一大水一大水ハ海水也、
伝曰雀入
対似狛而長尾其ノ色黄是レ
南ニ有リ二黄華。射乃祭レ獣戮レ禽ハ
月時討殺レ獣四面陳レ之。世ニ
海為レ蛤也
謂二之祭獣
歌猫レ殺也
霜降天寒未潦難レ戌故ニ
是月也霜始降百工休
百工休止不二復作レ器也
草木
黄落蟄虫成説
説伏也青州謂レ伏為
一レ使無留当レ言レ断也
云々とも有り○李秋は
三十日の月なり。寒露とは。先にたゞ白露なりしが。已に寒
同十三
して霜に結ばむゑ勢ある時なる故に名け。霜降とは。季秋
建戌の中然にて寒露已に結ひて霜と降る時なる故に名
けしなり。
而立冬昼ニ長丈一寸二分。加二立冬一十六日。指レル亥ヲ則小雪ハ律受二応鐘一ニ
五十五
孟冬則加スルヿ二霜降ニ一十五日カ玉衛指スル二跪通之雖一故ニ曰距ルヿ四十五日ニ
応鐘者応二スル其鐘一也。長丈一尺八分。
○危ハ北方玄武
時則訓に。孟冬之月。招抱指レ候。昏ニ危中。且七星中。
之宿是同皆
時中二于南方一七星南方朱雀之
宿、是月平旦時中二干南方一也、
壬癸水日也盛徳
其蟲介。其ノ音羽
一在レ水水王ニ北方一也、
其位北方。其ノ日壬癸。盛徳在レ水。
小分ハ甲也象ニ冬閉固皮漫胡也、
甲虫亀為二之長一羽属レ水也。
律中二応鍾一其数六
雲応二干易一転二成其功一万物聚成故ニ曰二応
○鍾二其数六ツ五行ノ数五、水第一故曰〕六也、
其味
鹹其臭腐。
水味鹹也、
其ノ祀井祭先賢。
井水給人故祀也、井或作
水臭腐也、
行行門内地久守在レ内故
祀也。腎水自
用二其蔵一也・
蜃ハ蛤也
水始氷地始凍。雉入二大水一為レ蜃ト虹蔵不レ見ル
大水ハ誰
也、伝曰雉入ニ于淮ニ一為レ蜃、虹舎
云々とも有り。○疏通之維とは。
中之易也、是月金盛故不レ見、
西北邑位を云こと既に出たり。玉衞その維に指せは立冬
の器に至れるにて。其は秋分子距こと四十五日に当る由
なり。
此の点に至る日数の四十五日
さて孟冬は三十日の月
なる由は既に上に見えたり。
なり。立冬は孟冬の立初し節なる故にかく名け。小雪は孟
冬建亥の中悉にて。已に雪の降初る時なる故にかく名け
しなり。
三十五
一仲冬ハ則加スルヿ小雲ニ十五日ク玉衡指レ壬則大雪。碁ノ長丈二尺四分加二大
雪ニ十五日。指レスルレ子ヲ則金気種ノ故ニ曰距ルヿ二立冬一四十六日ニ而冬至。律受二黄
鐘一鐘。黄鐘者鐘已黄也。暴ノ長丈三尺。
東壁北方玄武
時則訓に。仲冬之月招揺指レ子ノ昏ニ壁中旦ユニ軫中。
之宿是月昏時
中二干南方ニ一軫ハ南方米鳥之宿
其ノ位北方其ノ日ハ壬癸其ノ蟲ハ分。其ノ音ハ
是月平旦時中二于南方ニ一也
羽律中二黄鍾一。其数六
黄鍾者易気聚二于下一ニ、舎気盛二于上、
万物黄二萌干地中ニ一故曰二黄鍾一也、
其味鹹。
其ノ臭ハ腐カ其祀ハ井。祭先レ腎。氷益壮。地始坪。鴉鵙不レ鳴。虎始交ヲ
鶏鳥
山鳥・
中ニ
是ノ月金盛故不レ鳴也ク虎ハ発易
中之舎也、舎気盛以レ類也、
是月也日短至。茘挺出菩始生。邨
茄馬茘草也、芸、芸蒿菜ノ名、邨虫也、
演結処角解
結屈結也、麋角解堕皆応二微易気一也、
云々とも有
り。○仲冬は三十一日の月なり。大雪とは、小雪に対して云
なり。冬至は仲冬建子の中忝にて。夏至と対合し。易気是より
八分。
寒ニ一十五日ク指レ丑ヲ則大寒。律受二大呂一大呂者旅旅而去也。暴長一尺
四十五
四
李冬ハ則加二冬至一ニ一十五日カ玉衡指セルルトモレ癸ヲ畧ク長丈一尺四分。加二小
五十五
十五
り始まる故に名けしなり。
毒西方白虎之
時則訓に。季冬之月。招揺指レ丑。昏ニ。母中。旦ニ氏中。
一同同同同同
干南方一、昏、東方青龍之宿、
是月平旦ノ時中二于南方一也、
其位ハ北方其ノ日ハ壬癸其轟ノ介。其音ハ羽セ
○呂旅也、万物前二動子黄泉ニ未テレ能建見一所二
律中一ル二大呂一
以旅一旅ハ去レ会即易ニ助二其成功ヲ一故ニ曰二大呂ト一
其数六其味
雁在二彭森之水一皆北
鹹其魚腐。其祀井。祭先レ腎。雁北郷。鵲加レ巣一。
而将レ至二北漢中ニ一也、鵲
感レ易而動
上加」策也、
矣雖難乎ノ
詩云難之朝雖尚求二其一
是月也日窮テ二于
雌是也、難呼鳴求印也、
次一。月窮二于紀一ニ星周二于天一。歳将二更始一
十二次窮リ二干牽牛ノ中ニ也、紀通
窮ル二於故病一也星周ノ二千天一者謂
四日
言二
二十八会更見二南
方ニ一至二是月一周匝也。
云々とも有り。○季冬は三十一日の月な
り。蓋こは彼の四年め四八三十二分を合せて一日とせる三
百六十六日の歳こそ有れ。三百六十五日の歳はい都も三
○其ノ由は既に此ノ巻の第四十一
十日の内なり。
條に言ければ今更に云はず。
さて小寒とは。
一大寒に対して云まり。大寒は季冬建丑の中烈にて。小寒に
二十四気論に、白露より大寒に至る
對して大とは稱まり。
気子論じて。八月節白露九月節寒露
白ノ者露之色、寒者露之気、色先ツ白テ而気始テ寒シ之固ニ有レ漸也、九月
中ハ霜降寒露始テ結テ結テ為レ霜也、立冬ノ後ヲ曰二小雪大雪ヲ一寒気始二於露一、中
為レ霜終二於雪、霜之前ヲ為レ露之由テレテ白ニ而後寒、霜之後為レ雪ト之由レ小
而至レ大ニ皆有レ漸也十一月之余ヲ為シ二小寒ト一十二月之終為二大寒一
之ヲ比シ不レ過二総結二下半年之気候一ヲ前、合テ而言フニ之ヲ上半年ハ至ル生ル生テ曰雨
曰雷曰風、皆生之気、下半年ハ吉二天時一ヲ不レ苦レ晨、言レ農、哀レ忽二ル二ハ春夏一也、
垂ハ者化之漸、化者変之成、立春雨水ノ後寒気漸重ニ立夏一則寒
冬ノ化ヲ為レ暑ト矣、然曰ク小暑大暑一ト其他也、固ニ有レ漸焉、立秋処暑ノ後暑
○三十三
気漸変、至二立冬一則暑尽ク化為レ寒矣、然曰二小寒大寒大寒ト其化也、亦有
漸焉、易曰知ル二変化之道一者、其レ知二神之所レ為乎。観二二十四気一ヲ可レ見
矣と云へるは
然る言なり、
與二孟冬一為レ合ヲ伸夏ト與二仲冬一為レ合ヲ李夏ト異二季冬一為レ合ヲ孟春ハ始テ孟春ハ始テ羸シ孟秋
五十五
五十五
六合ハ孟春ト雖二孟秋一為レ合テ仲春トト與二仲秋一高レ合テ季春興季秋為レシヲ孟夏ト
始テ縮シ仲春、始テ出ノ仲秋ハ始テ内ノ季春ハ大出テ季秋ハ大ニ内ヲ孟夏ニ始テ始テ始テ始テ始テ始テ始テ
急ニ仲夏ハ至テ修リ。仲冬ハ至テ短季夏ハ徳畢リ。李冬ハ刑畢ル
此条は淮南子時則訓に採れり。春夏秋冬のかく六合する
様は闇にも知るべし。此まなほ委細に云むには。十二合なり。
一其は立春と立秋と合字なし。雨水と処暑と合に為し。啓蟄
と白露と合て為し。春分と秋分と合す為し。清明と寒露と
一合を為し、穀雨と霜降と合て為し、立夏と立冬と合字為し。
小満と小雪と合けなし。芒種と大雪と合字為し。夏至り冬
至と合を為し。小暑と小寒と合を為し、大暑と大寒と合て
為せり。
其は別に著はす大成国式を見て知るべし。是を以
て易緯通卦験に。立春当レ至不レ至則兵起。来年麦不レ成、
一未レ当レルモ至ル而至則人多ク病二粟疾疫、疾疫ニ応在リ立杖ニ一様小二十四悉尽ク
その所応に封合の忝にかけて云まり、其説ども能く叶き
るも多けれど、中には叶ひ強く所思ゆる事も多かれば、此
には漏せれど其謂ある説なれば、本書に就て能く視るべ
し、さて羸縮ク出内ヲ緩急。修短は文を変たる耳にて異義なく。
一羸出緩修は日の漸に延ると云ひ。編内急短は日の漸に縮
○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○
ると云ふ
一歳の大風子云子ば。易気は
は余也益也とあり。
孟春より起り始めて、其徳季夏に畢り、金気は孟夏より起る
り始めて、其刑季冬に畢ること既にも云万りき。
○好尚云々別に記し措かれたる草稿の中に故ニ正月夫ハ」政七
月涼風不レ至ル二月失レ政。八月雷不レ蔵。三月失レ政ク九月矢レ政ク九月不レ下レ霜四
月失ルハレ政十月不レ凍五月失レルハレ政十一月蟄出二テ其卿ニ一六月失レ政。十一日
二月草木不レ脱スル七月失レレレハ正月大寒不レ解セル八月夫レ政二月雷不
一レ発セル九月失ル」政三月春風不レ済カ十月失レルハ政四月草木不レ寛ク十一月
一失レハ改ク五月下二シ二雹霜ヲ十二月失レハ政ヲル六月五穀疾狂。
故ニとは、上ノ件の如く、節悉の対合するが故と云へる意なり。
政は国に治むる政事を云ふに非ず。斉二フ七政一ヲとある政に
同く、節時の運気を云ひ。其気候の時に相応せざるを失
政とは云了巳正月失レ政七月涼風不レ至リハ七月失ルレ政ヲ正月大
寒不レ解クは正七対合なるが故にて。涼風不レ至は彼ノ西南風
の至らぬネ言ひ。大寒不レ餅クは彼の東風凍子解さるれり、
ク通卦驢小ハ立春ノ応ハ在二立秋一、雨水ノ応ハ在リ処暑一ニ立秋ノ応ハ一
在二立春一、処暑ノ応ハ在リ雨水一ニと云へるは即チ是義なり。
二月失レ改
八月雷不レ蔵八月失スレ政ヲ二月雷不レ発セは二八対合なるが故
にて。雷不レ蔵は上ノ文に仲秋ニ雷の収と有る雷の蔵らめつな
言ひ。雷し不発は上ノ文に仲春、雷始発レ声ヲと有る其声を発
せぬ子二ツ
通卦験に。啓蟄ノ応在一リ白露一ニ春分ノ応ハ在リ二秋分ニ一白露ノ応ハ
在二啓蟄ステヿ、秋分ノ応ハ在二春分一、と云事流は即チ是レ飢ウ。
三月失レハレ政九月不レ下レ霜ク九月失レ政ヲ三月春風不済テは三九対
合なるが故にて。不レ下レ霜ヲは上文尓季秋霜始降とある霜
の降ぬと云ひ。春風不レ済フは。かの清明風の止さるを言ふ。
高誘注に。済ハ止也とあり、通卦験に、清明ノ応ル在二寒露一穀雨ノ応ハ
在リ二霜降一、寒露ノ応在二清明一。霜降ノ応ハ在二穀雨一と云流は即チ是なり。
四月夫レハ」政ヲ十月不レ凍。十月失レ政ヲ四月草木不レ実ヲは、四十割合
するが故にて。不レ凍は時則に。孟冬、水氷リ地始テ凍ルと有風に
一失ふ字云ひ。草木不レ実は時則に。孟夏ハ王瓜生苦菜秀など
通卦驗尓立夏ノ応ハ在リ二立冬ニ一マ小満ノ応ハ在二リ小
有流尓失ふ子云ふ。
雲ニ一立冬ノ応ハ在リ二立夏ニ一ニ一小雪ノ応ハ在二小満ニ一と云
る是
なり。
五月失ハレ政ヲ十一月蟄蟲出二其郷一ニ一ハ十一月失ヘレハ政五月下ル
霜一ヲは五月十一月封合する故にて。蟄蠱出二ク其郷一は。時則に
仲冬二邨蝶結と有成煩などの郷に出るに云ひ。下二雹霜一ヲは
一時則に仲夏蝉始テ鳴キ半夏生など有る時なるに。霜雹の降
流字云ふ。
通卦験にハ芒種ノ応ハ在リ大雪ニ、夏至ノ応ハ在リ冬至一。大雪、大雪ノ一
応ハ在二芒種一ニテ冬至ノ応ハ在二リ夏至ニ一ニと云るは是なリ。
六
月失ハレ政十二月草木不レ脱。十二月失レハレ政六月五穀疾狂は。六
月十二月対合するが故にて。草木不レ脱セは商談註に。不レ脱。
一葉橘著ナレ樹不二零落一也と有流が如く。五穀疾狂は高誘注に高
封通
一疾狂ハ不レ華而実也と有る如く。互に時令子失ふ子云ふ。封
験に小暑ノ応ハ在二小寒ニ一大暑ノ応ハ在二大寒一小寒ノ応ハ
在リ在二小暑一大寒ノ応ハ在リ二大暑一と云流は是なり。
格リ林行二夏ノ令一ヲ一奉行二ハ泰ノ今一ヲ栄テ行二、冬令一ヲ托カ冬行二ル春ノ令一ヲ泄カ行二カ行二ハ皇ノ今一。旱ノ行二ル秋
六十五
春行一二夏ノ令一ヲ洪シ行二秋ノ令一水ヲ一行ニ行二冬令一ヲ蕭カ夏行二ハ春ノ令一ヲ用テ風ヲ行二ル秋令一ヲ無ク行二冬ノ
令ヲ両敬
此条また時則訓に採れり。乃チ同篇になむ同義の精説あり
て。令とは其節々に行はるゝ時令に云ひ。其ノ常子尖方ば必ス
其応ある義に諭せり。其は春行二夏令一ヲ一ヲ一世云々の精説に。孟春
高誘云孟春ハ木徳用
行二ハ夏令一。則風雨不レ時。草木早ク落。国乃有恐。
事ノ法當二寛仁一。而用二火
気動ニ干上一故ニ草木
早ク落国惶恐也、
行ヘハ二秋令一則其民大疫。飄風暴雨総テ至ル黎秀達
ノ孟春寛仁而秋正、金鉄之令気不レ和、故ニ民疫疾ハ
行二冬令ヲ
蔦並興
風雨隈ニ至、故黎莠蓬蒿疏蔵之草並ニ興盛也、
一冬ハ金也、水泉湧起、而春行之、
則水潦為レ敗。雨霜大雹首稼不レ入。
故為レ敗気不レ和故雨霜大雹
○三十七
植稼不
熟也
仲春二行一ヘハ秋令一ヲ一則其国大水。寒気総至。寇我来征。
仲春易
中也、易
気長養而行二秋節殺戮之令、故ニ
行ヘハ冬令一則易気不レ勝ルハ必スルハ
寒気狼至寇兵征二伐其国一ヲ一也、
仲春行二冬会之令ヲ一会気勝レ易。故易
行二夏令一則其国大
民多ク相残
不勝則麦不二升熱一民相残賊也、
○仲春行二夏太易之令一ヲ一故大旱易気熱故ニ
旱煩気早ク来。虫与為レ害。
煙極易生レ会ヲ。故蠹螟作」害也、食也、食レ心曰レ慎
季春行二冬寒穀
季春行二ハ冬令一則寒気時ニ発。発草木皆粛。国有二大恐一。
之気也故寒気
時ニ起、草木上
鰊曰粛也
季春行二夏
行二ハ夏令ヲ一則民多二疾疾疫一。雨不レ降テ山陵不レ登。
亢易之令一
起。
□□□□□□□□□□□□□
気不レ和故民疾疫雨沢一
一行ヘ二秋令ヲ一則天タタ二沈会。謡雨早降。兵草竝一
不レ降。故草木不二登成一也
○秋金気用事水之母也。季春行レ之故一
○夏行二春令一風云々は。
起。
走多二沈舎一為レ雨也、金為二兵草一故ニ並起也、一
其方
其精説に。孟夏行二ハ秋令一ヲ則苦雨数来。五穀不レ滋。四鄰入レ滋。四鄰入レ保。而
孟夏
盛易
當レ助長養一。而行二金気殺戮之令一故告両殺レ穀レ穀。
行二冬令一則草木早ク
不レ得二滋長一也。四方之民来入城郭一自保守也。
心行冬寒閉固之令一故ニ草木旱枯大
行ハ春
一枯。後乃大水敗二壊城郭一。
水敗二壌其城郭一女レ時団行之応也。
孟夏当二継長増高助易長
令一ヲ一則螽蝗為レ敗暴風来格ル。秀草不実。
養一而行二春行啓蟄之令一故
致二螽蝗之敗一春木気多レ風故言二
暴風之至一便二当レ当レ秀之草不二長戌一ト
不レ通暴兵来至
○仲夏行二冬令一則雹霰傷レ穀道路
冬水凍故雹霰傷二害五穀一也。冬気閉蔵又多二二二八
雨水一故道陥壊不二通利暴害之兵横ニ来至也二千
○行医春木王好二生育一之令上
春令一則五穀不レ熟。百騰時起其国乃饑。
故五穀晩熟リ百騰動レ殷
春令一則五穀不レ熟シト百騰時起リ。其国乃饑。行春木王拝二
蛇属也時起害
穀故国饑也
行二。。秋令一則草木零落。果実発成。民殃二於疫一。
有レ候
一曰レ果、
黒核曰レ菘。仲夏行二秋成熟之令一故ニ草木零
季夏行二春令ヲ一則穀実
落果実発成、非二其時気一故ニ民有二疾疫也。
ツ春ハ木王木、性堕落易発多風。而行二其令一
解落シ多シ二風款一民乃遷徙。
故穀実解落、民疾病風款秋上気象春
邸ハ高也隠
一易布散一民
遷徙者也、
行二ト。秋令一。則郎隠水潦。稼穡不レ孰。乃多シ二女災一。
卑也言高
下皆有二水潦一。故ニ殺レ穢令不レ孰也。会気
過差。故多女災一女災生子不育也、
行二ハ冬令一則風寒不時。鷹集
○三十八
冬会粛殺而行二其令。故ニ寒風不レ節鷹隼
一沓勢。四郎入レ保。
陰撃。四首入耳皇ノ声勢、四界之民皆入二城郭洋聚也○秋二
早ク撃撃、四界之民皆入ニ城郭一保聚也。
○秋行ハ二
夏令一ヲ挙云々は其精説に。孟秋行ル二冬冬ヲ一則金気大勝ハ介虫敗レ穀。
戎兵乃来
。孟秋ハ会也。復行二冬水王之金ヲ一故ニ会気勝二
行ヘハ春令ヲ一則其
也、其介喪敗レ穀ヲ也、金気并故戎兵来也、
春易元燥而行二其令ヲ故ニ旱也。易気
国乃旱。易気復還五穀無実
還者此月涼風而反行二過風之令一
故穀令二丁ハ
夏火王而行二
二二夏令一則冬多二火災一寒暑不レ節。民多二瘧疾一ヲ
レ無レ実也、今ニ
其令一故ニ多二火
一災。寒暑相干故不レ節。多
也仲秋行二春令一則秋雨不レ降。草木生栄。国
瘧疾一瘧疾一瘧疾寒暑ノ所レ生也。
有二大恐一
一春易気面行二其令一故雨不レ降。又湿照之仁。故草二
行ヘハ夏令一
ニ木生二栄華一也、気相干必有二災咎一故ニ国大惶恐。
行二炎易之令一故ニ旱涸気熟
則其国乃旱。蟄虫不レ蔵。五穀皆復生。
故蟄虫不レ蔵使二五穀復生一
○行二冬寒気激之令一故
行二、冬令一ヲ則風災数起。収雷先行。草木蚕死スル。
有二風災一又冬開蔵故
収雷先行草
木早死也
李秋行一。夏令一ヲ則其国大水。冬蔵殃敗。民多靴室。
〽文子
□□□□□□□
木
舎気而行二夏月霖雨之令一故大水大気熱故冬蔵鉄敗
行二冬令ヲ一
也、火金相干故民靴室ノ鼻不二通利一也、熟キ、読テ怨仇之仇ニ
則国多盗賊一遭竟不寧土地分裂。
冬水純会奸謀所レ生故多二盗
賊一使二辺竟之民不二安寧一也、則
土地見二役削一為二
一行二ハ春令ヲ一則煙風来至。民気解隋ルリ。師旅並興。
春気
一鄰国一所二分裂一也
湯温、
故ニ煙風至リ民気解隋ス也、木干スレ金故ニ師旅並一
○冬行ヘハ春令一池云々
興也。二千五百人為レ師五百人為レ旅ト也
は其精説尓モ孟冬行二ハ春一令一ヲ一則疎閉不レ密カ。地気発泄ハ民多ク流亡一。
春
易
気散越。故凍閉不審、地気発
○行ハ二夏令ヲ一則多二暴風一。方ヲレ冬ニ不レ寒蟄蟲
泄也、民多流亡、象二易気布散一、
始冬当二関蔵一反行二夏盛易之令一故ニ多二暴疾一易
行二秋令一則雪霜
復出
○気温故盛冬不レ寒令二蟄伏之出也、
一秋気于冬大寒一不レ当レ当レ雪而雪、不レ当レ霜
不レ時。小兵時ニ起土地侵削。
而霜故ニ曰レ不レ時也、小兵数起鄰国来
夏気
伐侵削其
一十一也、
仲冬行二夏ノ夏ノ令ヲ一則其ノ国乃旱。氛霧冥々雷乃発レ声
炎易
故ニ其国旱也、清濁濁相干故ニ気霧冥々也、
十一月雷発声非二其時一也、故ニ言レ乃也、
行一。秋令一則其時雨水ノ爪
○三十九
一秋金気水之母也、故ニ雨水
瓢不レ成国有二大兵一。
水金用事故ニ有二大兵一也、
行ヘハ二春令ヲ一則鶴輝為
春易気蟄伏生ス故ニ虫煙螟敗レ穀水泉
敗。水泉水或竭民多二疾癘一。
竭也、易干レ舎気不レ和、故多二疾癘一也、
季冬
秋節白露故ニ白露早
行一ハ、秋令ヲ一則白露早ク降。介虫為レ秩。四鄙入レ保ニ
降分甲之蟲為秩災
金気為兵故四章之
季
一行二ハ春令ヲ一則胎夭傷レ。国多二痼疾一。命レ之曰逆。年
民入二城郭一自保守也、
文
大寒而行二春湿之令一気不レ和、故胎養天傷一
夕に
固多二馬疾一逆二風気一之由也故之曰逆也、
行二夏令一則水潦敗
時雪不レ降氷凍消釈
夏気炎易之多二霖雨一、故ニ水潦敗レ国也、時雪
一将レ降而不レ降、水凍不レ当二消釈一而消釈、皆干
時之
徴也
など有る子合せ見て知るべし。
七十五
北斗之神ニ有テ二雌雄一仲冬ニ始テ建シ二於子一。節従テ二一辰ニ一辰ニ一雄ハ左行ニ雌ハ右行。仲夏ニ
合テレ午ニ謀レ到リテ仲冬ニ合レテレ子ニ謀レ徳景ハ生ス二於子ヲ故ニ仲冬ニ鶴始テ加レ黨テ加レ翼金ハ生ス於午二於午一。
故ニ仲夏為テ二小刑一。冬生ノ草木必死ル
此條は天文訓に採れり。○好尚云フ此ノ條も注解ねたり。
また始めに本文字別に作られて。其綴り様子記し指れた
れば此所に録して視すこと左の如し。
北斗之神有テ二雌雄一。仲冬ニ始テ建二於子一。節従二一モ一辰一。雄ハ左行。雌ハ右行。仲
夏ニ合レ午ニ謀レ刑。仲冬ニ合テ二合テレ子ニ謀ル德ヲ令ハ生二於年一易ハ生二ル於子一。於子ニ。北斗ノ所レ撃ヲ不
可二興ニニスル一大時ハ者目建也。小時ハ者斗的也。大時ハ迎ヲ者辱。背者強左ハ
者衰ル右ハ者昌ナリ小時東南則生ル西北則殺スルハ不レ可レ可レ可レテ也。而モ可レ背ク也。不
可ナラレ左也。而モ可シレトトス也。其レ此之ノ謂也。
此ノ條は天文訓に。彼此に錯乱散見せせる乎衍文字去て。誤
せて雑ふる
○其枝正の様はま
字字訂正し。集めて一章と為たるなり。
都。本に斗杓ヲ為二小
載一一咸池ヲ為二大歳ト有る咸池は魁にて一[ノ第一星より第四星
まで子云ひ、斗杓とは第五星より第七星まて子云へるが、
此字大歳に哉と有るは軽写の談なり。其は大蔵とは歳
星子云ひ、小歳とは太金を称ふこと。既に云了る如クなれ
は、同書の同篇にして、斯の如く二ヶ様に称すべき謂なく、
り都歳星太会は、毎歳子総司すれば。大歳小歳と云むこと
と其ノ理に叶まれど、北斗は毎節子司れば太歳小歳と云ふ
むこと其ノ謂に叶はず。故是を以て本篇に、大歳迎者ハ辱レ云
く、小歳東南則云々と有る字今は予が決断をもて、大時
小時と改め都、然るは本篇に、な本此レ之謂也と云了る文
に連んて、大時者歳池也、小時者月連也と云る文あり、此
はもと疑なく大時ノ者月建也、小時者斗杓也と、前文に大
時小時と有りし文字釈せる文なりと聞ゆるに思ひ合
せて辨ふへし、偖是ノ文の存せるに依りて、上文の大歳に
歳字、大時小時の渓写と知れるは此よなき賜物には有
れと、此文もまたに時者月建也と有るは訛なり、然るは
大時やがて咸池なるが謂ゆる雄神にて、左行し都く節
建て為せど。小時は謂ゆる雌神にて、右行はすれと、節建
には立さればなり。偖また咸池と云ふ名は別星の名は
にも有りて、紛はしければ、北斗の名には用ひ受なむ、
□□
〇四十一
北斗之所レ撃ヲ不レ可レ可ク二輿ニ敵スル。天地以テ設レ分而為二会易一易生二於金二於金於舎ハ生二於
八十五
易一ヲ一会易相錯ステ四離乃通或ハ死シ或ハ生シ万物乃成ル或ハ蚊行喙息。莫レ貴トハ於人一ヲ
孔竅肢体皆通ス於天ト一故ニ故ニ挙テレ事ヲ而而而不ルレ順レハ天ニ者。逆二其生ニ一者也。
此條も天文訓に接ひ採りて載せり。
九十五
天地開闢。元歴。紀名ノ月ノ月ノ首。甲子。歳起二リ甲戌一。日月五星。俱ニ
起ル牽牛ノ初一ヲ以テ行一形一如二事益一ヲ一日月ハ若二合壁一ニ一五星ハ如一、如一ノ編殊一衆星ハ紫景
如二連具一ヲ一太魄氏乃始テ合二故歴一以テ為二之元一合朔章蔀之朔章蔀之制。作二於此時一ヲ
時。
此ノ条は。発端より如二連貝ノ一と云フまで。尚書考霊曜に採れる中
に。夜半の二字と歳起二ル甲戌一ヲニの四字は。己が意字以て補まり。
其由は下に謂
一太昊氏云々は。春秋内事。易稽覧図などに。天
不字俟べし。
一地開闢五緯各居二其ノ方ニ至テニ至テ二伏義氏一乃始テ令一故歴ニ一以為二之ヲ元一と有
るま。考霊曜に合せ攷付て記し。合朔より以下は、周髀算経。
イ。如二合朝二古ハ者包犠制作ヲ為スルヲ為ス二歴度元之始一ノ趙注小ハ聞ク聞ク包蟻立二テ
周天ノ歴度ヲ一運二章部之法一ヲ一と有るに依りて載せり。○好尚云ツ此ノ以
下都て註釈に缺れたれど。此書に関係る事とも記し措か
れたる草稿の中に。此條に由ある事のみ振ひ出て今此処
に附録せり。見む人参考に備ふべし。
○さて太昊氏以前に暦法の図有せる事に少か論はでは
一末に思ひ惑ふへき節も有れば。今其ノ大略を云むに。両都
易緯誓覧図に。天地開闢五緯各ノ在二リ其方ニ至テ至二伏義氏乃合二故
此文は陶宗儀が説郭に引たるを再
暦一ニ以為ル二元暦ヲ一とあり。
引たり。武英殿の聚珍板中に稽覧図
の金木と覚しなが収
たれど、此ノ文は缺たり。山
此伝へに拠れば。太昊氏より前に。既
尓故暦と称ふ物有けり。故其ノ歴は誰か立けむと稽ふる
尓。此は彼ノ三五歴記に、元気ノ肇セル始ニ有二神人一号二天霊ト一と云る天
皇氏にぞ有ける。其は春秋保乾図に。天皇氏以テ二木徳ヲ王二天
下ニ一。于レ是ニ斟レ元陳レ元陳レ枢ヲ以立二易風一ヲ有流は。宋均カ注に。威則也。威則也。威則也カ法
也。言フ下斟二酌シテ陳列枢機之行上テ上也と云へる如く。る如く。謂ゆる紫微
中宮より起る元気と共に生出して。其の元気子斟酌し。その
の運行の様字察し。かな天には五緯を安在し。地には五
岳を陳列して。終古に動なき天地の枢機となし。生〻化
て次る機変をもて易威と立たる義なれば。易暦ともこ
此事なり委くは太古伝子見て知
其本まず是に定れり。
るへし。其の深旨は中々に比に尽す
べくも非ざれは、今は
◯抑易法暦法その名こそ異れ其の
只その大略字云フなり。
はかく一機に起る道なるが故に。其理密合して相離れは
ず。其は易とは繋辞伝に。生々之ヲ曰フレ易トとある如く。四時に
会易五行の気行はれて。生長収蔵あると云ふ語なる事、
其ノ象字八卦に摸して。即て易てふ名字用ひ。唐とはもと
其字に歴に作りて。集韵に經歴也と有る如く。生長収蔵は
の易行はれつゝ。歳時の来歴ゆく趣字辨別するより云
一是子以て易字云るば。暦法か
ふ名なるを以て知るべし。
ならず是に従ひ、唐子云まは
易法かならず是に従ふこと左な云事ば右これに從ひ。
右子云弟ば左これに従ふに同じ、故に易字学ぶ者は必
ず暦をかね学び、暦を学ふ者は必す易子かね学びて其
理を参考発明せでは其蘊奥を尽すこと能はず、但し歴
とは云予と後世の暦法に云ふ亦非ず、今の謂ゆる元暦
を云ふなり、易とは云子ど世に用ふる周易と云ふに非
受。太昊の古易を云ふなり。此は別に著せる三
易由采記及び太昊古易伝子見て知るべし。
然れば枕旨
覧図に。天地開間。五緯各在ヨリ其方ニ一とは。五星各〻その所々
に列張して、自然に易暦の行はるゝを云へり。但し此子今
一姑く自然とは云フなれど。実の自然に非ず。其ノ易威字立た
る天皇氏やがて天皇太帝なること。既に云へる如くなれ
ば。即チ是ノ天帝の。万邦に授け賜はる。歳時の真易真層にぞ
有りける
是を以て淮南子天文訓に紫宮者太一之居也、紫
二宮ニ執レ斗ヲ而左旋、日行一度以周二於天一云々ツまた帝張テ
四維一運之以之以レ斗云々。陸貢新語の道基篇に、伝ニ曰天生シ万物ヲ
以レテ地ヲ養レ之ヲ序二四時一ヲ調二金易一ヲ一ル次二置シ五行フハ春生夏長秋収冬蔵一
茂一亡一潤レ之以二風雨ヲ、曝レスニ之ヲ以シ日光ヲ一泣シレルレ之以二節気ヲ一降レ之ヲ以二殞宿一ヲ以二殞宿一ヲ
位レ之以トト云二衆星一制スル之以二斗衡ヲ一色レ之ヲ以二六合一ヲ一ヲ羅ハ一一之ヲ以ス二紀細一云〻領
と、惣て又帝の意行に係て道字説たり、是より旧き書の
かゝる説等はな本計ふるに暇あらず、実や和が師の真
○四十四
暦考の古の真暦の事子云ひ。末に是そ此天地の始めの
時に。皇祖神の造らしと。万の国に授け置給万流、天地の
自題からの唇にして。人の巧みて作れるに非されと。八
百万十万年字経行けとも少かも違ふふし無く改むる
労きも無な真の唇には有けると云れしを。或人の進め
て。皇国の始の時と云はばまず然らむ字。天地の始めの
時はいかな皇祖ノ神も知給ふ事に非受と云へる字弁じて。
此は例の漢籍に溺れたる甚狭き料簡なり。皇祖ノ神は天
地万国にわたりて、万ッの道字始め給奉る大神にして、此ノ
自趣からの真暦も万国に通る事なり。皇祖ノ神とは。伊那
那岐伊邪那美二柱の大神なり。此の大神は。天地の始めの
時の神にして、万国の万の道子始め給ふ大神なり。此う
の委き子細は漢籍に惑る尋常の尋者の知る所に非
ず、また世に謂ゆる神道者も知る所に非ず。たぐ漁籍の
習気字請く洗ひ去たる古学者に非受は知ること能はじ
と云れな。天皇氏やがて伊那那岐大神にませば。此ノ言まゝ
ことに当れり然れど今し読ぶみを読まぬ漢意の人両
た多く成ぬれは。今の我が説まて字諾なりと云む古学
者の世に有りや有
らずや知らずかし。
○さて至テ二伏義氏一ヲ乃テ合二故暦一故暦一ヲ以テ為二元暦一ヲ
とは。右の故より自然に行はるゝ唇に合せて。元暦字作
為せる義にて、尚書考霊曜に。元暦ハ名レ月ヲ首二ヲ首二甲子冬至一ヲと言
ひ。漢書律居志に。伏義甲子元歴と云ふ有れば。月々に名
字設け。干支の名字設けしは此ノ時也けり。
一然るに爾雅の
釈天に、大歳在
甲曰二開逢スルヲ乙曰二海蒙一丙ヲ曰一ヲ桑北一云々。大歳在レラ壬曰ニレテ曰ニトテ曰二
亦奮若一ケ寅ヲ曰二ヲ提提捨一云々と云々と云る類の干支の異名字。後の
史類また古今原始など曰。天皇氏初テ制ス于支之名一ヲと云ヒて。
此異名ども其制と為し、後に甲乙子丑などの名に改め
たりと云へるは推
斯て其ノ月名の由来子稽ふるに。人皇氏
量りの妄説なり。
の世まては其の名なく。唯に孟春仲夏季冬なと云ヒ来しを。
一彼六皇の頃より。始めて其ノ名等を設けて。其子太昊氏の
三皇の世まで月ノ名の
一当昔まで伝召来れると所思たり。
無りしと云ふ故は、当
○四十五
世いまだ月の運りは無りしかばなり。此は皇国の古典
を能く見む人は疑ひ有ましき事なり。然るに地皇氏の
時に三辰を定め。三十日子一月と為すなど云ふ事のあ
るは皆非伝なり。然して六皇などの世より月ノ名字設ける
しと云ことは。此程すでに月の運りの有
其は彼三墳に。
しこと我が神典の伝にて著ければなり
伏義氏因レ風ニ而生スル故ニ風姓ハ皇策辞ニ曰ク承父居方。上升二君位ニ一ヲ一
十二日モ易二草木ヲ一惟シ天至仁ノ於二草生月一ニ雨降日河風時龍馬負ヲ回フヲ回フヲ
神開キ二我心一始ヲ一始畫二八卦ヲ自レ上而下成安ス其ノ安一ヲ一ヲ一ヲ図出ツ後二十二日二、
草木一ヲ木枯ノ月作月リ二六書ヲ。後草木一ツモ易木王ノ月始作ル二甲暦ヲ一唐起スル
寅一ニと有ルにて、太昊馭戎の當時すでに月ノ名ある事知られ。
一易二草木一ヲとは。歳の易れる義なれば。幾度草木を易たる木
王ノ月。草生ノ月。木枯ノ月領ど云へること著明なり。
右三墳の文、
今伝はる本
に二所に出たるが、互に事の精粗あり。また後の誕妄と
間ゆる事も多かにて。彼辺あり。また後の誕字と
聞ゆる事も多かる字。彼此柱合して。其の真文と思はるゝ
文字のみ振び取れり。上に引たりし路史の引文も稍異
文子のみ据ひ取れり上に引たりし路史の引文も稍異
なり。木王ノ月とは正月を云べく。草生ノ月とは三月に云づ
く.木枯ノ月とは十月を云なるべし、斯て具ノ余の九箇村に
月一月の月名の伝はらざるは甚をしき事なりかし。
然れ
ば羅沙も。歳暦未レク著シ。鳥従而紀レ之哉三墳書以二一歳一ヲ一歳一ヲ為ス一易
草木一益以一ヲ草木一ニ周禅為二之ヲ紀辨一ヲ爾。今都波之人莫レ知二四時之
候ストハ女貞之俗不レ知二テ正朔紀年ヲ。但云フ已ニ見二ル草青一ヲ一ヲ幾度二流求之国
以二テ月ノ生死一ヲ辨レ時ヲ以二テ草木ノ栄枯一ヲ為レシシシ歳儋岸ハ観二テ禽獣ノ産乳ヲ識時ヲ占二テ以二
一傷芋成熟シテ一紀二歳ヲ土番ハ以テ二麦熟ヲ為ス二歳首ト一ヲ一宕昌党項皆候二草木一ヲ以テ以テ
記二時序一。太古之世。中国之俗。有下以テ與二蠻夷一同ト同セリ爾と云まり。
とや此説、師の眞暦考に。天地の始めの時に皇祖神の造
らして。万の国に授け置結了る。天地の自然からの暦な
○四十六
りと云れし旨に相符ひて。此真暦の万国に
行はるゝ趣もいと能く知るゝ説にこそ。
さて一歳子
しか十二尓分て。こを某ノ月其ノ月と流けしは。天なる月の。
一大凡そ一年に十まり二度反り運る様に准了て。仮に月
とは云なれど。後の暦法の如く晦朔手合する法は有こと
と無く。
晦朔字合せて閏月子立ることは唐尭の世より
り始めし事なり。其は下に云ふ字俟都べし、
え
より四時に孟仲季と云ひ来れる。春の孟仲季子春三月
となし、夏の孟仲季を夏三月となし。秋の孟仲季子秋三日
目となし。冬の孟仲季子冬三月と為して。右の名等に命
たるを。伏義氏に至りて。斗柄の建字熟々観て。八節示建
分し。其子また二十四節に分て彼毎月に二節都ゝを屠
し。爰に始めて十干十二支字作りて、方位にも歳月日時一
にも配せり。是時なき節季と天なる月の運とに合す法
は立されば。其孟春の月は立春の日より数、始めて。雨水
の節の終までを。三十日にまれ三十一日にまれ一月と
定め。其季冬の月は。小寒の日より数始めて大寒の節方
でを三十日にまれ。三十一日にまれ一月と定めたりけ
り
○仲春の月より仲冬の月に至る十月の定めも此に准
まて知るべし。偖しり十まり二月にして彼ノ三百六十
五日三時の一歳
をは終たりけり。
さて干支の事を五行大義に。蔡籠月令
章句ニ云ヒ大概採二五行之情一。占二斗機之所一ヲ一ヲ建ス。始テ作二甲乙ヲ以ヲ以テ名レテ日ニ
謂一ヲ一之ヲ報一作二子丑一ヲ以各レトヲレ月ニ謂二ク之支一故ニ有二支テ名一也と有れど妄
からず。
此ノ文に支干の作者を大概と云るは
祭篭が誤なり。其ノ由は下に云ふべし。
然るは干支
ともに。歳時にも方位にも配せれど、十千は左傳の疏に。
日之先後異レ所二分別一故ニ作二甲乙一ヲ以紀レス之レ之ヲと云ヘる如く。四時に
一五気の更生する趣より採りて、日名に制れるが本なる
を。歳時及び方位に用ふるは末なり。十二支は斗機の建
しに依りて生長収蔵ある趣に占ひて。方ノ名に制れるが本
是字以て方には支
なる事。月日の名に用ふるは末なり。
を重く取り。日には
干字重く取れり。生歳生月の干も有るを。其は取ずて。生
日の干を取りて、其徳とする事も、干は日に主と為すが
故な
り。
時応ヲ春三月一ノ中気。雨水。春分。穀雨。夏三月ノ中気。小満。夏至。大暑。秋
十九
十六
片四時成レ歳ヲ有二春夏秋冬ノ一。各有二孟仲季一。以テ名二十有二月一。中気以テ著ス二
三月ノ中気ハ処暑。秋分カ霜降。冬三月ノ中気。小雪。冬至。大寒。閏ハ無二中気一。
斗指スル二両辰之間一ヲ二万物春生シ。夏長。秋収冬蔵。天地之正四時之極。不
易之道也。
十三度。七十六分度之二十八。二十九日。九百四十分日之四百
二十六
一ハ天度者所二以制スル日月二之行ヲ一也行ニ有二分紀一ヲ一同ニ有二道理一日行ヿ一度月行ヿ一
九十九而為」月ヲ以テ以テ二月一ヲ為スス歳而ニ而歳ニ有二余リ十日ト九百四十分日之
八百二十七。故ニ五歳再閏十九歳ニテ而七閏リ立二ヲ端ヲ於始ニ一表二正於中ニテ推二
余ヲ於終一而シテ天度畢矣。
一此ノ條は淮南子天文訓の文と。素問ノ六節蔵象論の文とを合
せ考きて記せり。
辰在レリ丑ニヨリ斗建在レリ。自二リ勢女ノ八度一ヲ危ク十六度一ニ、為二ス云栲一ニ曰二ヲ天竜一於
二十六
一天ニ有二十二次一日月之所躔也。自リ二斗ノ十一度一。至二至テテ黎女七度一為スハ星紀於一
辰ニ在レ子ニ。斗建在レ丑カ自二リ危ノ十七度一ヲ至二至リテ夜ニシテ一ヲ一ヲ一ヲ一ニ曰一ヲ一ヲ一ヲ一ヲ一ヲ於レ辰ニ
在リ亥ニハ斗建在レ寅自二奎五度一。至一テ胃ヲ一。為二降業一。於レ辰在レ辰在レ戌計建在レ卯ニハ
自二胃ノ七度一ノ至二畢ノ十一度一ヲ為二大二大梁一ト。於レ辰在リ酉ニ。斗建任レ辰。自二畢ノ十二度一ヲ
至二リ東井ノ十五度一為二宝沈一。於レ辰ニ在レリ申ニ申ニテ計建在リ已ニ。
此ノ條及ひ次条は。晋の皇甫謐が帝王世紀にヨリ二天地設闢一。未ス
有二経界之制一。三皇尚レ矣。諸子ニ稱。神農之王天下二天下一地東西九十万
里カ南北八十一万里。及二黄帝ノ受命一ヲ一始テ始作二舟車ヲ一ヲ以テ以テ済二不通一乃チ推二分
但し帝
星次一ヲ以テ定二ル律度一ニと云ひて。此ノ本文字綴れるを採れり。
王世紀・
世に存や亡や。余未その書字見受。此は後漢書郡国志の劉
昭が補注に引たるを取れり。然るに本書に。一次ことに。於
一辰ニ在リ丑ニなとの下に。謂二ヲ之赤奮若一ト一など十二支の異名字記せ
れど、此は既に論ふ如く、己か取ざる所なれば刪り去て。ま
た一次ごとに今呉越ノ分野。今宵ノ分野など記せれば。是も余
が取ざる所なれば刪去たり。其の由は下に論ふ字俟べし、
至二リ張ノ十七度一ニ為二ス鶉火一ニ於レ辰ニ在レ午ニ斗建在リ未テ自在リ自一リ張ノ十八度一至二リ乾十一
二十六
十六
自リ二東井ノ十六度一至二柳ノ八度一為二為二為二コト一於レ辰ニ在レ未二日計建在レ午ノ自二柿九度一。
度一為ス二鶉尾一ヲ一於レ辰ニ在レ已ニ斗建在リ申二ル自二リ二リ朝ノ十二度。至二テ巳ノ四度一ヲ為二壽星一於
レ辰ニ在レリ辰ニ斗建在レ酉ニ自二ニ自二氏五度一。至二尾ヲ九度ニ為一ス、大火一於レ辰ニ在レ
戌。自二尾ノ十度一。至二斗ノ十度一為二為スス一ヲ一於レ辰在レ寅ス計建在リ亥。一次三十度ヲ
三十二分度之十四
一此ノ條も帝王世紀に採れること。前條に委く謂るが如し。
四十六
月ニ有二リ九行一。遠道二日出二黄道南ニハ黒道二出二黄道北ニ一白道二出二黄道ノ西ヲ一テ
青道二出二黄道ノ東一ヲシ_二黄道ヲ一為二九行ト一立春春分月從二東青道一立東青道ヲ一立秋秋
分従二リシ西白道一一立夏夏至従。南赤道一。立冬冬至従二ススヿテ北黒道一天ニ有二四表一ヲ
月ニ有リ二三道ヲ一聖人知ルレ之ヲ。
此ノ條は龍魚河図に採れり。
五十六
日月東行フ而日行ハ遅クカ月行ハ疾日ハ日ハ日ニ行ヿ一度ニ行フ月、日ニ行ヿ十三度。十九分
度之七二十九日有余カ而シテ月行レ天ヲ一周與レ日会ハ。而ニ月ニ月或ハ在リ日道表一
或在レハ裏ニ則不レ食セル日同二日同道乃食。月食ノ始日。五月ノ者七。六月者一。
五月復一。六月者五。而五月者一。凡テ一百三十五月ヲ而復始メ故ニ月
食ハ常也。日食ハ為不レ不レト減也。日食ハ国君。月食ハ将相当レ之ヲ
六十六
一冬至ル昼極テ短。「日出テ」辰ニ而入ル申ニ」夏至ハ昼極テ昼極テ長。「日出レヲ宙ニ而入ル戌」故冬至ハ
従テ二取易一在リテ子ニ。夏至ハ従二テ当金一在レ午ハ。冬至之後日ハ右行。夏至之後日ハ左
行ク左ル者往テ右ハ者来ル故ニ月ト與レ日合ヲ為二一月一月一日復レ日復レ日ニ為二一日復レヲ一日復レル星ヲ為二
一歳トニ十九歳ヲ為二一章ト一ヲトヲ四章ヲ為二一蔀一七十六歳ヲ二十節ヲ為ス一ノ一ス一ル一千
○五十
三百二十歳。三紀ヲ為二一元一四千五百六十歳
此條は周髀算經と天文訓と子合せ考まて記せり。
好尚云此ノ章始めに十九歳為二一章一と云フより已下字本文
と為られて。其綴り様を記し措かれたる草稿あり。今附
録して視す事左の如し。○此ノ條は周髀鼻經に採れり。然る
るは此事。史漢の歴志及び緯書等等等にも出たれど。事の因
に云る耳にて。斯の如く次第の整へる丈の照ればなり。
但し十九歳字章と云のみは異説無れど。蔀以下の名例
に異説あり。其は乾鑿度に、七十六ヲ為二一紀一紀一二十紀ヲ為ス一一
首ト一と云ひ。周髀の原文にて。二十節ヲ為シ一遂一ト一遂ヲ為二一首トと
言ひ。漢志尓は。十九歳字章と云るは固よりにて。四章字
蔀と云ひ。二十万字紀といひ。三紀字元と云ひて。時以分ヶ
と。歳以周レ之章以明レ之ノ節以記以記之、紀以記以記シレ之元以原レスレと云
了り、事は同くて互に疏の異れるなり。後世の歴家多は
漢志の紀號字用ふれば。今は其に拠りて本文に其ノ號字
定め下に諸書な引出るにも紀号をば総て今用ふる紀
號に改めて引たり。其は事の混錨を厭きはなり。見む人
説るこ
と勿れ
子ナリ為二節首二蔀首一七十六歳次ニ得ル二癸卯蔀ヲ七十六歳。次ニ壬午節七十六歳。
七十六
十五徳之数。立テ二木金火水土ノ五一ヲ一合三百四歳五徳運行ノ日月ノ開闢ハ申
一次ニ辛酉蔀七十六歳凡三百四歳ハ木徳也。主二ル春生一。
是より下六條は周髀の趙君卿が注に引たる乾鑿度の文
今伝は流乾鑿度の本に。孔子曰至徳之数
字再引たるなり。
立二木金水火土徳一。合三百四歳五徳備。一紀一紀一
七十六歳因ヲ而四レ之為二三百四歳云々と有れと注
文多く混入せるが上に略文にして聞えがたし、
春秋命歴止
序に。入レ元ニ三百四歳ニ為二ス徳運一と有るも此ノ義にて。各三百四歳
○五十一
一の間子五行の徳の更々運行する由なり日月ノ開闢ハ甲子と
云ふ語義は既に初めに説たりき、太昊氏の暦を作るに、其
甲寅ノ歳の前年癸丑ノ歳の。冬至に入る日は。日月俱に子の方
位に会せれば。此ノ日に甲子配して蔀首と烏たる由にて。甲
子は干支の初め、其冬至は諸蔀の首なる故に蔀首とは謂
ふなり。蔀ノ字は周髀ノ注に蔀之言ハ斉二同シ日月之分一ヲ為二ス一蔀ト一
云へるが如し。さて此ノ一蔀七十六歳は。前条に謂ゆる一紀に
て。彼ノ四歳にして千四百六十一日なる字十九部たる歳数
にて。積二万七千七百五十九日あり。其は三百六十五日八
にて。積二万七千七百五十九日あり。
其は三百六十五日八
一分の日数字総ては、二
万七千七百四十日と六百八分なる字]一日三十二分の日
法字もて日に直せば。十九日なるに合せて。二万七千七百
五十九日
と成なり。
かくて此ノ七十六歳字甲子蔀と云ふを始め癸卯
壬午辛酉など蔀名とせる事は。其歳々の冬至に入る日の
一干支字以て名けし物なり。故茲に其推法の例子著さむに。
満郡甲子蔀の初年。甲寅ノ歳の前。癸丑ノ歳の甲子冬至の日より
り。三百六十五日八分は甲子より己已に至る。是亡已其其の
甲寅歳の冬至。次乙卯ノ歳の首なり。
故是子以て。其ノ亡己冬至の日より六亡己三百六十日
を拂ふに。残り五日八分は己巳より甲戌に至る。是ノ甲戌は
其ノ乙卯ノ歳の冬至。次丙辰歳の首なり。故其ノ甲戌冬至の日より
り。六甲戌三百六十日を払へば。残り五日八分は甲戌より
〇五十二
己卯に至る。是ノ己印は其ノ丙辰ノ歳の冬至。次丁己歳の首なり。
こゝに於て三年すべて
故其ノ己卯冬至の日より六己卯三
三八二十四の余分あり。
百六十日を払ふに残り五日八分は亡卯より甲申に至る
て。上三年の餘り二十四分と。總て三十二分にて一日と為
れば。其ノ甲申申の翌日乙酉は。其ノ丁巳ノ歳の冬至。次戊午ノ歳の首
なり。然れば甲寅。乙卯。丙辰の三歳は三百六十五日の年に
前條淮南子
して。四年の丁巳ノ歳は三百六十六日の年なり。
の文に四歳
而積千四百六十一日.而め復合と
さり斯の如く次々四年の
有るは即この義字云了るなり
一毎に復合し都ゝ冬至字定むる事。四年期ゝ凡て十九復し
○前条に七十六歳.而日月後以
て七十六歳これ甲子蔀なり。
正月ヲ一入二営室ノ五度ニ一無二余分」とあ
る謂尓依りて七十六歳
次爾癸卯蔀は。甲子蔀七十六歳の
ま一蔀とは定めしなり。
未年の己巳ノ歳の冬至は癸卯なる字蔀名となし。次に壬午節
は癸卯節七十六歳の未年乙酉歳の冬至は壬午なるを蔀
名となし。次に辛酉蔀は壬午蔀七十六歳の末年。辛丑ノ歳の
つて歳々の冬至を
冬至は辛酉なる子蔀名と為たるなり。
知る法上に記せる
四年の如くなるが。猶其ノ捷径を載さば。六々三百六十日を
数万去て。残り五日八分の干支を推て知る事は定れる法
なれば、三百六十日字数ふる事子止めて。譬了ば癸卯蔀七
十六歳の冬至字知るには。発明より六日数まて戊申に当
る字。癸卯蔀の初年庚午歳の冬至なりと知り。戊申より六
日数万て癸丑に当る乎、第二辛未ノ歳の冬至と知り、癸丑よ
り六日数万て戌午に当るま。第三壬申ノ歳の冬至と知り。第
四癸酉歳の冬至は戊午より七日数まて甲子尓当る事冬
至と知る。次々此の如く節首の干支より始めて三年は六
日数育四年めは七日数育て定むるに、幾万歳にても過都
〇五十三
こと
無し、
さて四蔀凡て三百四歳を木徳と云フことは。甲子蔀そ
の初首に在るが故にて。此ノ三百四年が間は。春気の万物字
発生する如き天気の運行する由なり。
丁酉ノ蔀七十六歳凡三百四歳、金徳也、金徳也
八十六
次ニ庚子ノ蔀七十六歳次ニ己卯ノ蔀七十六歳次ニ戌午ノ蔀七十六歳次ニ
庚子蔀は。上の辛酉蔀七十六歳の末年。丁己歳の冬至は。庚
子なるを蔀名となし。次に己卯蔀は庚子蔀七十六歳の末
年。癸酉ノ歳の冬至は己卯なるを蔀名と為し。次に戊午蔀は。
亡卯第七十六歳の末年己丑歳の冬至は戊午なるを即ち
となし。次に丁酉蔀は。戊午蔀七十六歳の末年。乙巳歳の冬
その推法並ひに上
一至は丁酉なるま蔀名と為たり。
に出せるに同し。
さて四
蔀凡て三百四歳字金徳と称ふ事は。庚子蔀その初首に在
るが故にて、此ノ三百四年が間は。秋気の万物字成収する如
き気の運行する由なり。
癸酉ノ蔀七十六歳。凡テ三百四歳火徳也。主二夏長一
九十六
廿此次ニ丙子ノ蔀七十六歳次ニ乙卯ノ蔀七十六歳。次ニ甲子ノ蔀七十六歳ヲ次
丙子蔀は上の丁酉蔀七十六歳の末年。辛酉歳の冬至は丙
子なるを。蔀名と為し。次に乙卯蔀は。丙子蔀七十六歳の末
年丁丑ノ歳の冬至は乙卯なるを蔀名となし。次に甲午蔀は
乙卯蔀七十六歳の末年。癸巳歳の冬至は甲午なるま蔀名
〇五十四
となし。次に癸酉蔀之甲午蔀七十六歳の未年。己酉ノ歳の冬
至は癸酉なる字部名と為たり。
その推法は並ひに
上に出せるに同じ、
さて四
蔀凡て三百四歳字火徳と云ふ事は。丙子蔀その初首に在る
るが故にて。此ノ三百四年が聞て夏気の万物子長養する如
き気の運行する由なり。
十
七次ニ壬子ノ節七十六歳。次ニ辛卯ノ節七十六歳。次ニ庚午節七十六歳次ニ
亡酉ノ節七十六歳。因テ三百四歳水徳也。主二ル冬蔵ヲ一ヲ
壬子蔀は上の癸酉蔀七十六歳の末年。乙丑ノ歳の冬至は。壬
子なるを蔀名となし次に辛卯蔀は壬子蔀七十六歳の末
年。辛巳ノ歳の冬至は辛卯なる子蔀名と為し、次に庚午蔀は
辛卯蔀七十六歳の末年ノ丁酉ノ歳の冬至は庚午那名
となし。次に己酉蔀は庚午第七十六歳の末年の癸丑歳の冬
至は己酉なる方蔀名と為たり。
その推法は並ひに
上に出せるに同じ。
さて四
蔀凡て三百四歳字水徳と云ことは。壬子蔀その初首に在
るが故にて。此の三百四年が間は。冬気の万物字包蔵する如し
一き気の運行する由なり。
次戊子ノ蔀七十六歳。次ニ丁那蔀七十六歳。次ニ丙午ノ蔀七十六歳。次ニ
乙酉ノ蔀七十六歳。凡テ三百四歳土徳也。主二致養ヲ一ヲ
戊子蔀は上の己酉蔀七十六歳の未年己巳ノ歳の冬至は、戌
子なる子蔀名となし。次に丁卯蔀は。代子蔀七十六歳の末
〇五十五
年乙酉ノ歳の冬至は丁卯なる高蔀名となし。次に丙午蔀は
丁卯蔀七十六歳の末年辛丑ノ歳の冬至は丙午なる子蔀名
となし。次に乙酉蔀は丙午蔀七十六歳の末年。丁巳ノ歳の冬
その推法は並びに
至は乙酉なるを蔀名と為たり。
さて四
上に出せるが如し。
蔀凡て三百四歳方土徳と称ふ事は。戊子蔀その初首に在
るか故にて。此ノ三百四年が間は。土王気の万物子致養する
如き気の運行する
甲子ニ一故ニ謂フフ之ヲ紀一。五徳ハ者所以論二天常ヲ一ヲ一ヲ一ヲ中長ク一ヲ
二十七
十二其ノ徳ハ四正子午卯酉ニ而期ス二四時一焉凡一千五百二千五百二十歳終二テ一紀一ヲ復二テ復二
上ノ件木徳は。甲子癸卯壬午辛酉の四蔀ヵ金徳は庚子亡卯戊
午丁酉の四蔀。火徳は丙子乙卯甲午癸酉の四蔀。水徳は壬
子辛卯庚午己酉の四蔀。土徳は戊子丁卯丙午乙酉の四蔀
共に。北子南午東卯西酉四正方の支等なるが。四時な期之
て運行し。
か但し此五徳運行の次第すべて相剋なるは帝王
の五運の相生するとは異にして、天地の五運は
相りて事の成る深
き由縁の有ればなり。
二十蔀凡て一千五百二十歳癸酉尓
終る字一紀と云ふ。上元また天元とも稱ふは是なり。
此上
元の
一未年癸酉ノ歳ハ皇美麻通々芸ノ命の千五百七十
四年に当り、彼ノ国も殷ノ小甲が十七年に当れり。
さて終テ二一紀ヲ一
復二フ甲子ニ一とは。歳の干支の甲子に復すと云ふ尓て非受。冬至
の干支のまた甲子蔀に復する義にて。乙酉蔀の末年癸酉ノ
歳の冬至は甲子にて。次甲戍歳の首なり。是より甲子蔀に
〇五十六
一入りて。歳の干支こそ違子。二十節次第の如く相続して。一
千五百二十歳字終ること上元に同じ。此字中元とも地元
とも称ふ。
〇此中元の未年は癸巳にて、垂仁天皇の六十二年
に当り彼国は前漢の武帝が建武九年に当れり
斯て中元乙酉蔀の末年癸巳歳の冬至は甲子にて。次甲午ノ
歳の首なり。是より復甲子蔀に入りて。歳の干支こそ違了。
二十蔀次第の如く相続して。一千五百二十歳に終ること
上の二元に同じ。此子下元とも人元とも称ふ是にて三元
此ノ下元の末年は後奈良ノ院ノ天皇
凡て四千五百六十歳なり。
の天文二十二年に当り、彼ノ国は
同十一日明世宗が嘉靖三
十二年に当れり
さて下元乙酉蔀の末年癸丑歳の冬至は
甲子にて次甲寅ノ歳の首なり。是より復上元甲子蔀に入り
て三元相続し終りてまた日月星辰俱に甲寅元に復する
一此甲寅上元の初めは、即チ復の
こと終古に環の端なが如し。
奈良院天皇の天文二十三
年なり、是ノ天保三壬辰ノ歳に至りて
凡二十万一千五百二十五百二十五百二十
二百七十八年なり、なり、長しや
一歳の日数。總て積五十五万五千百八十日。是ノ一元子三合せ
て。積百六十六万五千五百四十日これ三元の日数なり。
○五十七了
三十七
孝安天皇ノ四十一年。歳在二己巳已一。仲冬戊子朔旦冬至。自レ此而来朔一
始テ生レ差ス毎三百四年ヨリテ而一日退。自孝元天皇ノ十五年。歳次二辛丑一ニ一丙
午ノ冬至二而来テ気始テ生レ差ヲ毎百二千年而一日退スル是ノ故計曆改斗曆改レレ憲ヲ以テ以テ以テ憲テ以テ以テ以テ以テ以テ以テ以テ以テ以テ以テ憲テ憲テ憲テ憲テ以テ以テ以テ以テ以テ以テ以テ
其ノ戊子朔旦冬至一ヲ為二朔元一。以テ其ノ丙午冬至一ヲ為二シテ為二ルヲ朔ハ以二十九日
三千七百六十分日之千九百九十五ヲ一求メテ九日望ハ以二十四日。七千五
百二十分日之五千七百五十五一ヲヲ求メ之之一一一一テ十五日ト二千八百八
十分日之六百二十九ヲ求メテ之ヲ平朔平気終古ニ不レ失ル矣