本義座右書
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- 上原本義
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- ホンギザユウショ
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- 東北大学
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狩猟
全
本義座右書全
一本茂座右書撰用書目
草文記表
大農神
以テ購入セ
弓法集世々三儀一統と云
明徳応応応応承々書
一弓矢百谷小笠原信濃守奥谷ゟ小笠原信濃入道清順
伝来之書也鹿永之頃之書
村豊松紀永享五年十二月廿四日
村礼私記
名主利言前備前守持長判
前備前守持長判
高忠聞書寛正五年十一月日豊後守高忠判
高志聞書
又明応二年賢家判
寛正五年十一月日豊後守高忠判
永正八年六月日
高忠軍陣聞書
小八木若狭守忠勝判
弓矢条之多賀豊後守高忠之記
高忠弓之記多賀豊後守高忠
寛正五年十一月日豊後守高忠
一高志聞書別記又明應二年八月日賢布判又永正十七年二月二日
高志聞書別記
上厚豊前守高家判
記者不知
寛正記
小笠原家之旧記也
一使物之記年号月日記者不知小笠原流
狭物之記
古書也
応永廿一年七月廿日
丸物条之事
一笠原備前入道興元
明応九年三月八日
宗長記明応九年三月八日
宗長判
御公場始之記
鹿狸判
永正二年十二月日
年号月日記者不知
小笠原流古書也
一崎村秘抄鹿永廿三年四月五日沙弥興元
騎射秘抄
勝州和井小笠原備前守衛長入道法名典元
一小笠原備前守酒長入道法名興元
笠織日記永正三年五月廿六日右京太夫元判
笠掛日記
小笠原持長之記小笠原ゟ澄元相伝之書
文亀三六月十九日
貞宗聞書
貞宗判
文亀元七月廿一日堤右京亮右宗記之
弓馬聞書
小笠原備前入道浄元因播磨守ゟ伝来之辺
長享延徳之頃
尚清聞書
小笠原式部小笠原式少輔尚清之記
天文之頃
一宗賢聞書小笠原備前守稙盛入道宗賢之記
弓馬三冊弘治二年六月吉辰
一信豊判
永禄年中
弓馬古実
弓馬古実伊勢六郎左衛門尉貞順之記
年号月日不知
摸図竹田淡堂之記
年号月日記者不知
弓矢弓懸納之記年号月日記者不知
小笠原流古書也
細川方国之記
小的之事
一波々泊部因幡入道宗岳判
年号月日不知
弓法秘伝聞書
一小笠原大膳太夫之記
一矢本秘傳弘治二年八月吉旦
法豊判
一矢本秘伝弘治二年八
記者不知
大永聞書記者不知
小笠原流聞書
弓馬興秀記天文四年八月十日
興秀判
宝町殿之時代記者不知
射午方聞書
小笠原山城守仁田右馬助之説を記タリ
永禄六年五月十日
的出張之記
伊勢六郎左衛門尉貞久之記
永禄三庚申年八月二日
伊勢加賀守貞助判
弓馬秘説
永正拾三年八月日上原豊前守高家
一笠掛拝并射手出立之事
吉田新助え伝丸書
年号月日記者不知
丸物草鹿之記年号月日記者不
于時応永廿九年三月一日
笠掛之事
民部少輔持長判備前入道真元判
一同小笠原播磨守様にて入道宗長実名元長
流鏑馬日記出火兼播二人通宗長実名元者
対清筑後守元定相伝日記
弘治弐年八月吉旦
流鏑馬
武田伊豆守信豊判
文亀二年正月廿三日
流鏑馬日記文亀二年正月廿三日
小笠原氏部少輔尚清
一鳴法事幷諸聞書脈縁五年九月朔日越州に相定夜右申
鳴法事并諸聞書
聞書と有記者不知
文明五年三月吉日
歩立日記
記者不知小笠原流古書也
年号月日記者不知
笠掛聞書
小笠原元長多賀高忠祐戸大蔵大輔等之説を記タリ
一笠掛礼式之書
小笠原流古書也
年号月日記者不知
年号月日不知
源大蔵少輔入道春判
年号月日記不知登原入道宗信多賀
一小笠掛由来之事豊後守上原豊前守等之説を記たり
記者不知
慶長十九月廿二日
奉射之巻記宿不九月廿二日
享保年中
一軍器考荒井筑後守君若妻
貞享年申
一射法提西女集同
安永年中
四季艸
一伊勢平蔵貞丈書
安永三年甲午春二月丁酉
伊勢平蔵貞丈書
軍器考標訳
寛文年中
用対録
広瀬弥一書
通計五拾部
本茂座右書巻之上
目録
一弓のおこりの事
二一張弓の事
三神代四弓の事
四八張弓の事
五九木弓の事
六重恵の事
一七流鏑馬の事
八遠笠掛の事
九小笠掛の事
十犬追物之事
十一的の始の事
十二大納之事
十三丸物の事
十四草鹿の事
十五百手の事
十六半的之事
十七武利々の事
十八奉射の事
十九
十九小的之事
二十開的の事
二十一
二十一狭物の事
二十二八的之事
二十三三的の事
二十四乱日の的谷向の的等の事
二十五三々九四六三の事
二十六本文字の事
二十七七夕神事の事
二十八
二十八蝶の事
二十九鏑矢の事
三十雁股の事
三十一征矢拵様之事
三十二とかり矢の事
三十三壱手神頭の事
三十四神頭と云事
一三十五四日のからの事
三十六常の四目のからの事
三十七小笠掛の矢拵様の事
三十八引目といふ事
○三十九神代の引目入部之墓目等の事
四十竹の根引目の事
四十一的矢拵様の事
一四十二笠掛からの事
四十三射つけのふしの事
一四十四兄矢弟矢の事
一四十五金神頭の事
四十六木梓の事
四十七いたつきの事
四十八野矢の事
四十九具なりの事
五十石打征矢の事
弓のおこりの事
一弓のおこりは黒き両頭の蛇をみて是を作る神切后皇
の御時より弓を御たらしといふ事は天竺に八七尺
五寸を一たらじゆといふ其後天智天皇の御時より
今のはづに切なをす是則蛇頭をおそれ思召ゆへ
なりされは随兵軍陣なとの弓は下地を黒しぬりて
せんだまきをすべしこれは両頭の蛇のいろこを
まゑびたる也その上に重藤をつかう藤の寸二寸
はかりあひ五ほ斗矢すり五寸はかり也うらはずは
少長く本はづは少みじかくうらはす本筈に
赤く朱をさすべし是は蛇のしたを表したる
故也なといふ説あり用まじき也古代の俗説なり
弓馬三冊上巻にも此説をいへり右のヶ條へ伊勢貞
丈朱筆にて貞丈云弓の起りは両頭の蛇を見て偕
と云事神切后皇の事たらしの事是等は古
代の俗説にて正史実録にかつて見へざる事なれば用
にたらずすへて武田小笠原の書に物の由来を記し
たるは皆出所もなき俗説にて笑ふべき事多し
用かたし是等の事をは捨て唯其弓矢の法式
の古実計を貴ひ用ゆへしと書入あり又弐書に
弓矢の始り八人王十二代景行天皇の御時東国の
謀反人を退治せしめんの為に日本武の尊を大将
としてさしむけらるゝ時日本の尊始て弓矢
を作り給ふといふ用ゆべからず。財法本記略説に云上
皇初代ノ時魔障神坊一二天政ヲ一皇天造二弓矢一ヲ一射レ之是レ
一射術の始め也云々上皇初代の時とは天照大神の御
事をきしいふ也四季艸に神代にそさのおの尊と
云神あり御文は伊弉諾尊御母は伊弉冉尊御
姉は大日霊尊といふ天照大神の御事也素才
一常に悪事をなす事を好み給ひしかは父母神にく怒り給ひて素多嗚尊
一鳴尊を高天原より根の国へ追下し給ふ時素才
鳴尊いとまこひに天照大神の御もとへ参りかわん
と聞へしを国をうはわん為に来るならんと疑ひ
給ひてこれを防かん為謀に天照大神公神なれとも
男の装束を着給ひ矢を負ひ弓を持弓声を振り
起てちから星をふみ武勇のすかたをあらせし
て素才鳴尊の来り給ふを待給ひしと云事本
記の神代の巻に見へたり此時に既に天照大神弓を
持矢を負給ひしとあれはそれより猶前かたより
弓矢は有来りしなるへし弓矢を始て作り出し
給ひし神の御名は何れの書にもみへす評ならす
と見へたり神の御名は何れの書にもみへす詳ならす
天照大神の御時より猶箭よりありしものなり
一張弓の事
一張弓の事
一近世一張弓と号して絵図をかき巻物にし第なへ
伝へるものあり其絵図を見るに外竹を朱漆に怒り
内竹を黒染にぬり撚上に藤数三十六遣ひ握下に二十
八の藤をつく地の三十六会天の二十八宿をかたとり天照
大神の持玉ひし弓著形なりと言用る事なかれ
神代に三十六合日二十八宿など言事なし応神天皇
の御宇始て文字渡り夫ゟ以後天文陰陽の書とも
渡りしおれば是にて後人の作り事なるこゝを知
へし
三
神代四弓の事
一神代の四弓といふは日の神の執り給ひしを座
陣弓天雅彦に賜りしを発向弓皇孫降給ふ時
諸部の神の執給へるを護持弓彦炎出見尊の
持たせ給ふを治世弓といふよし神代抄に見へたり
八張弓の事
一八張弓八太平記蛇形弓羅形弓相違肆足弓
陰陽弓福蔵弓世平弓是也是は小笠原家にて
定めしか按するに神代の四弓などいふ事に
よりて後代作り出せるなるへし其中に怪物射る
べき弓又常に枕の上にたてをくべき弓などいへる二
張あり蛇形弓四弦形弓などいふなり八張弓の事
小笠原古伝之書に見へざれとも了法集の中是実
検の作法を記したる条に弓は大平弓にこしらふ
へしと云事見へたりされは八張弓の名は其以前
より定りありしなり八張弓の制作は別絵図有
五
丸木弓の事
一丸木弓八丸木のまゝ竹をつけ合せざる弓也上古みな
丸木弓を用ひしなり檀弓槻弓梓弓等皆丸木弓
なり丸木弓は矢替あしく最初矢数かゝらさる
うちはかなりに矢端もあるべきなれとも矢数
かれははじきひてつろしされは其後片竹
をつけ又其後外竹内竹ともつけ鯨はなれさる様に
うるしにてゑり藤をも重〳〵遣ひたるなり四季竹
には軍陣には丸木弓を用べしと見へたれとも丸木
そより木竹倉たる弓ははしきよまればおのづ
とかたきをもつらぬくべし中古丸木弓は用ひ
ず軍陣に重藤の弓を用ひる也丸木弓はすたり
木行あわせたる弓のみになりしにて丸木弓より木竹
あわせたる弓のまさる事を知へし
六
重藤のの
一重藤は雨露にあいてもにべはなれさるために藤をしげし
遣ひたる也前にも云しことく軍陣にもつべき弓也
握より上を三十六所殿を遣ひて地の三十六分目にかどう
一握より下を二十八所藤をつめいて天の二十八宿にかたどる
と云是のみ重藤にあらす藤を重〳〵つよいたる
ちは皆重藤也藤を遣う事弓のかざりにはあらす
にべのはなれぬ為なれは藤をつかい初めし頃は藤数
に定まる法もあるまじ室町殿のひにはすでに藤
数のさた有しと見へて射手方聞書に仁田右万助の
説に握り上は廿八所握り下は三十六所藤をつかうと
見へたり上下の違こそあれ三十六合二十八宿をかたとる
事は同じされは宝町殿の頃より藤散に定れる
法出来し成へし軍陣聞書に落は白き本也ぬり
この藤と云は重藤の上を亦うるしにてぬりたる
を云なり惣してうるしにて藤をぬる事異義
なりと見へたり
一納玉張之記に云本しげとうはゆるしなくてハ不持候
なりぬりこめどうの弓においてはたゞ人も持也と見へ
たり
七
流鏑馬の事
やふさめは欽明天皇豊前国宇佐の宝前におゐて此
事あり是此濫觴なりといふ又天武天皇の御時より
始るといふ説もあれとも其始さだかならず軍軍略考
に言流鏑高と云事八古より神事に用ひられし所也
いかなるいわれある事にやその故をばしらすその
由来る事も久しき事也信濃国の任人諏訪太夫
盛徒といふ者流鏑馬の芸をきつめて秀郷朝臣の
秘訣をならひ伝へしよし東鑑に見へたれは秀々
朝臣の時すでに此事ありきと見へたれば其始さざら
されとも古くより有来りしもの也と見へたり
一馬場たけ二町なるへし馬を通す所はみそをほる也是を
さくりと云さくりの本末に扇形あり是馬かへす所也
埒は両方にあるへしめらちをらちといふおらち
は高くめ埒は低かるへし射る時の馬手をめ埒と
いふ也
一三の的の寸曲尺にて一尺八寸四方の板也三ツ三所に立る
串の長さ三尺五寸はさみきは四寸也二所をかみよりに
てみづる也
一一の的間了秋四十八枚但馬のはやきをそきにより
て酌の間のべちゞめあるべしまた射手の老少により
て串ものべちゞめあるべし此等は故実也
一二の時より三十八杖三の的二の的より三十七枚也
一一的と馬はしりの間三尺五寸
一射手の人数不定但十六騎十騎七騎など先例あり
一射手具足をやふさめの時は射手装束と云あけ装束
射手装束替也水干を着す紐のとめ様ありたをえ
かたぬき小手をさす右の袖口をはくゝる袴のすそのくゝ
りをしめ手袋をさすむかばきをはく神事やふさめ
には神事むかばきをはく腰刀はいふに不及太刀をはく
鹿をさす重藤の弓を持箙に征矢をきし朴の木
のかふら矢三ツ上矢にさして負ひふちを手にぬき
入沓をはきあやゐ笠をかふりて馬に乗る也
一供のものは童一人雑色一人当立六人ゆふくろさし
一人此外侍騎馬にてあまた有へし
一射手馬場へ打よせて矢をぬきはけて左にて手綱をとり
て右にて捨むちの扇を悪きて笠の端をつくろそ
さて右の手にて手綱を取て弓を取なをし馬場末を
見かへりて馬をくすへし馬をひんとしさくりへ馬を打
入さまに鞭を打時扇をなけすてふちを打つこれをすて
ふちの麻と云なり夫ゟ段々に三の的を射也若射そづ
し或は矢をぬきこぼし或は馬もはやき時矢を射
かぬるときは矢をはなつ根にして弓のもとはすにて
酌をつきわりて馬をはしらかす是則あたり也
八
遠笠掛の事
そそも〳〵笠掛の起りは右大将頼朝卿の御時養和年中
前浜へ打出て受甲三郎季隆かたつうに竹笠の有
けるを浜西に掛て射る是笠掛の初めなりといふ説有
又射法提要集には頼願卿上野国新田庄にて幼奥
行の時射手中に笠を風に吹揚られしを大将
御覧して入奥せさせ給に依て笠を射けるなりこれ
笠掛の始なりと云ともに信じかたし又室町殿
の代に記したる笠掛の書にも何れも笠掛は頼朝
の世に始るよし見へたれとも四季艸に中右記に究治
六年二月八日加波多河原にて茂綱朝臣の家臣十
騎笠掛射し事見へたり頼朝の征夷将軍の定旨
を蒙りし年より百年はかり以前の事なり然者
頼朝の代に初りしにはあらす頼朝の世に至て
笠掛の射式を改め定られし事ありしを誤て
その時笠懸始りしと伝たるかと見へたれは頼朝卿
世に始りしにあらす義総朝臣の時分すでに笠
掛ありし事なれは古より行われしものなるべし
一遠笠掛の納の勢壱尺八寸に板を丸くして皮にて
ぬくるみ中に毛を入て面をふくらかにする事物のこ
とし丸物よりふくらみひきし笠形のことし絵
をくすべ付るなり
一的串形は大納の串のことし横串五尺四寸立半地の
上四尺五寸丸くすべし木口一寸六分横串両方へ二寸
ツヽ出る黒ぬり也
一あつちは弓杖十杖にあまれり広さ高さ不定但広
さ七尺余にすべきか引目とゞめともいふ
一的の掛様九杖に打て八杖に的串をか立的は地の上亭
に一掛布皮は的串より一杖のせてたつる也布は六の水
立にそめて左へふせてぬふへし布の長さ五尺たかは
よりの定の下をは縄を入て縫くるみておわのあとさき
を串にしかと結ひ付へし上をは縫めの中へ横串の
入様にする也
一串は竹にてつくる前後の切目をは木を入て黒く
ぬるへし立くしのきわより両方のはしへ一寸ツヽ
あまるへし
一布はゞ金壱尺弐寸
一横串は布はゞにならふへし
一一上より壱尺弐寸下にとぢかりあるへし
一さくりの土さ壱町也広さ上弐尺底は一尺八寸ふかき
は交也的に向て弓手と馬手にらちをゆふくろもん
しゆと云物をませてゆふへし或は萩斗にても
結ふへし高さ一尺五寸横ふち有へし弓手の方
を男らち馬牛の方を女らちといふ
一納串か立ほどらい馬場本の扇形の細見よりさくり
の真中通りを三十三杖に打て其通りに後串をか
立也
一一射手の人数拾騎本式但十五騎時によるへし
一射手の装束ひたゝれむかはき烏帽子かけをして沓
をはく也中古にすあふにて射る也紐のとめ様あり
笠掛には直垂の袖を吹返すといふ名目有これ
小手さゝぬ故也弓はぬり弓三所藤なり矢は笠掛
引目也
一より屋形より出て馬をひきおをしてか乗馬場もと
よりしつかにうち入まづ一度御くりをとをすへし
これをすばせといふ馬場末の馬手の方へ馬をあげて馬
場本の方へたてへし二番の射手又すはせをして同じ
様に馬手にあかり一番の射手の馬手の方に馬を立
めめ斯順々にすはせをして馬を立そろへて一番の
射午より順々にさくかへ入て馬場本へしつかにかへり一
番に馬を立たる人扇形へ乗入て扨まくりへ乗入て射る也
一二番より以下皆同し一番と十番の射手炎飢なり
一十騎射終りて馬場末にて馬よりをり常をぬきあし
おかをはきて弓の弦を下にしてかいこみむかはき
のすそを手にもちさくりのそとを馬場本へ行へし
一馬をばかいぞへ引てさくりのうちを通す引手はさ三り
のそとらちの前を通るへし射手の沓を八中間
もつてかいそへのあとにゆく也
一笠掛に太射なますといふ事有笠掛躰拝并肘手出立
之事ニ云いなかす笠掛と申は公方様御相手に参時
九たびまてつめてありとも御はつしあらは拾度め
は納の下へいさけてはつすへし是をいなかす笠掛と
申也と見へたり
一笠懸に所々あり神事笠掛百歩笠掛開笠掛七夕笠掛
等あり
一小笠掛の事
一小笠鋪は遠笠掛より後に始りしものか小笠原
一秋の笠掛日記又軍寄等には遠笠筵笠掛より小笠懸
古くよりありしよしあれとも射法をもつて按す
るに小笠掛の馬場とて別にはなし遠笠掛の馬場を
逆に馳て射る也小笠掛由来之事に逆馬場に通すは埒
ある也と見へたり是等をもつてあんつれは小笠惣
は遠笠掛より後に始りしものなるべし又笠掛
聞書に小笠掛のついでにほんの笠掛の事を申にそ
遠かさかけといふべしと見へたり遠笠掛をほんの笠
掛とあるは小笠掛より遠笠掛古くより有来りし
笠掛なればほんの笠懸といふなるべし
一挟物の記に云遠笠掛といふは小笠掛に対して遠の
一字を付て云也小笠掛といへばとて大笠掛とはいわす
遠笠懸といへばとて近笠掛と云事なしと見へ
たり
一小笠掛は遠笠笠掛の馬場を逆馬場に馳て射込助け方
四寸の板也目の方の内のかどをきざみて立る也串の
石さ土の上一尺弐寸殿を黒くぬりてはさむ所に銀
にてせめを入る也的の立様的と馬走の間八寸也
一射午の人数射午日大足等遠笠掛に同し矢八小笠
掛からとて小引目にて射る也
十
右追物の事
一犬駆物は神切后皇三韓を攻給ひしとき彼国の王宮
に新羅王は日本の犬也と云文字を弓はづにて書給ひ
しより三韓征伐をかたとり大追物始ると云用而申
おかれ神功后皇の時末日本に文字なれば文字書
給ふ事有べからす武勢用には犬追物は武州心
天皇に始り則日本紀に走犬試馬とあり是的実
の證にして大造物の始りなり日本紀は吾国の正史
なり豈それ信せざるへけんやと見へたり日本紀は
正史なるべきなれとも犬追物の事をのせたるにはあら
すたゞ犬をはしらせ馬のあしを試みたるのみに
て右追ものゝ始とはしかたし又一説に近衛院の
御宇狐玉藻前と云美女に他しにより狐より試
に犬を射しより始と云妄説なり畢寄考に云
大追物の事は三代将軍の記には見へす入道将軍頼
経の代に至りて定応元年二月南庭において此事
あり其後は此事をしるす事絶へす足利殿の代に
はことに盛に行せれき中原高忠か聞書に多賀堂り笠
か事なり
掛は頼朝の御代に射始めらるゝ也犬追ものは前代
の時より射始めらる其後あまりに蟇目もこほれ籠
笠
も折るゝ間大義たる由皆々十合せ籠も白髭にな
り蟇目も黒く草になされたり蟇目赤漆本也
笠掛蟇目にて射始られしにより赤漆本也とそ
しるしける此説もつとも據ある古文にや但笠掛は
頼朝の御代に射始られしと云しは小笠掛の事
を云しなるへし前代の時といひし八北条が家鎌倉
按するに高時入道滅ひ
の執権たりしときをさしける也
一其子相模次郎時行
か兵を起せし時中前代といひし事太平記にも
さらば東鑑に見へ
見へたりこれは足利殿之代よりさし上る称にて有也
し頼経将軍の代に此事ありしそ其始おるべき卦
軍男考標起に云来鑑頼朝家実都の記に右追
物の事見へす然とも小笠原信濃守源貞宗の康永
世々不追物
元年光明院に捧し奏牒
并に騎射
目安と云書
秘抄の序
者射馭之簡要驅逐
書発端小当家用此流信我
等に云於犬進物
者可用此流尊氏御判と袖書付
馳逐
和抄作
之妙術也是以
秘抄作
然間
鎌倉大臣家ノ御時権輿之云々右両書鎌倉の世を
さる事遠からぬ時に書たるものなれは最證とすべ
し犬追物実朝の世に始る事明か也東鑑に其
事をもらして記さす頼経の記にはしめて定応
元年の犬追物の事を記せり其文に今日始ると
いふ詞も無之又其根子も今日始りし体とも見
へすしかれは右大臣家之御時これをけんよと
いふ事疑ふべからす多賀豊後守高志の聞書にも
犬塩ものは前代の時より射始らること見へたり米代
代に作先代より射始ると
式は先
云事尤追物書にも見
に前代とは実都之世の事を頼経
の代より指して云し詞の後まて残りし也頼経
は実朝の名跡を継て血脈改りし故実頼々
代を積して前代と云し也其例にて頼経以来
北條執権の時の事を足利殿の代より指して
中前代といゝし也白石は前代の時と云しは北
条が家鎌倉の執権たりし時をさしける也と
いへるは事違へるか掃犬追ものは実胡の代に
始ると云事を白石の書連さりし太偏に東鑑
にのみに泥て貞宗の奏牒騎射秘抄などをば軽
して執られさりしか別に意味ありしかと見へ
たれば犬迄ものは実朝の代にはじまりし事
あきらかなり
〇一犬延物の馬場は相広の馬場也はつし弓七十杖四方ほり
四方に竹垣を結也是を竹垣と云又外はうし共云四
方に木戸有馬場の真中に小縄とてふとさ一尺八寸ま
わりの三ツくりの縄を輪にして置也小縄の内に砂を入る
其外に同じふとさの縄廿一尋を輪にして置なり
是を縄と云也小縄といへはとて大縄とはいはぬ事
也又内はうじとも云其外に黄色の砂を敷めくら
す是をけづりきわと云縄よりけづりきはの端まて
弓杖二杖なり
一射手の人数は三十六騎也是を三ツにわけて十二騎を上
の手と云又十二騎を中の手と云又十二騎を下の手
と云犬数は百五十文也一手にて五十疋つゝ射る也
一射手の装束を射手具足と云折えぼしにすほふ
をきて左をかたぬき小手をさす犬村小手とて拵様
あり下は小はかまにくゝりを入てむかはきをはく了は
ぬり弓三所藤也引目三ツ腰にさし一ツハ弓にとりそへ
もつ也物射沓をはき鞭を持馬に乗る也射手貝足
する次第法あり
一検具の役者装束射夕に同じ法式種々有也
一よばわりつぎの役有装束検見に同し法式有なり
一日記付の役有付様書様法有也
一ぬきふりの役者桟敷の縁にぬきを持て居て喚次
射手の名をよはわる時ぬさをふる也是は聞うけたる
しるしにふる也
一貞宗聞書に云犬の馬場をはこしらへると云なり翌武
のばゞをはあつるといふ也犬のばゞをあつるといふこと
ひけふの事也と見へたり
一土射様又其外の事とも事しぜく法弐散多ある
なれは異すなり犬追もの書を見て弁へへし
十一
的の始の事
一的は仁徳天皇の十二年高麗国より歳のたて帰を
けんせしに諸人射貫く事なかりしを的臣の祖
角人宿祢是をかせず射とをしけるよし日本
紀に見へたり是我国にて的射る始也と云り用ゐべからす
これはたゞ国史に見へし始なるべし神代に弓
矢ありし事なれば神代より的ならんに真か
でか其芸をゐらふべき四季艸に出雲国風七記に天下を
造する所の大神の繋立むひし所なる故矢代と
云と見へたれは的は神代よりし事を知べし
大納の事
一元はたゞ的とのみとなへしなり後に小的できし
よりまきらはしけれは大の字をつけて大納と
いふなり的の勢五尺弐寸にして桧木の薄板にて
あじろを組て麦裏ともに紙にて張て表へ行給り
をひ以て絵を三重に出すへしこまなこの白二尺七寸
置て一の黒三寸五分二の黒二寸五分山かたの黒三寸
め斯絵を出すへし上古は中り所によつてろくの多
少をわけし故に元三重に絵を出せし也中古ゟ
はたゞ酌のかざりとのみなりたる也大納の寸尺はつの頃
より定りしかさたかならす上古の的は三尺又
二尺五寸などみへたり寸尺は同しからされとも三重
に絵を出す事は其かた今に残れり
一大納太式正の時用らるゝ酌也弓杖三十三に打て三十
二杖にか立申の事横串七尺六寸内のり六尺八寸
立串土ゟ上六尺六寸串の太さ口二寸木は桧木にて
白木のまゝ丸かるへし
一大納掛拾三方八寸下六寸也せみといふ哥を三ツ的の吉
へ付て是へ縄を付て裏へ引通して張也結様等法
有也的より一杖後に布草を張る也布皮は胸中ゟ
少高くすへし弓立の方に前と後とに数塚有
前後の射手立て射る所也砂をもつてつく也高さ一
尺二寸あみかさの如くする也後のかづ塚は常の数塚よ
もよく御覧ぜられんが為也
り一尺五寸斗的の方へよせてつく也うしろの射手を
一射手の人数は三番なれは六人五番なれば十人両人ツヽ出
て射る也第一番に射る人を弓太郎といふ弓太郎の
射手は小射手といふ也
一兵太将軍よりひ給尤行藝の達人なり外の
一射手の立所に四ツ角と云て賞翫の立所あり多くは
三番なれは一の角は第一番の大前也二の角は第三番の
前也三の角は第一番の大うしろ也四の角は第三番の
一後也第一番の前を大前と云同うしろを大海と云第
三番の前をせきの前と云問うしろをせきのうしろ
と云始と終を賞翫する也五番の時も是に準じ
知べし此四角にたつ人は何れも射芸の達人也
一射手の装束は風折ゑぼし水干曽袴をして
さやまきの刀をさし右薬をさし浅沓をはきさ
て座につくべき次第前弓も後弓も白毛を初の方なて
しきてくしかみをまわりて着座して沓をぬくべし
扨たとふ紙を取だして扇をぬきてたとう紙の上
に少しすぢかへてをきて前も後も右の方発の
下へおし入て少し見ゆるやうにおくべしさて前後
の射手見合かづずへ行て袖紐をおさめて射也弓た
をし有へし射終てかづずかをふみめくり相手と
見合座へ帰りひもをゆひてやかてたとう金をふと
ころへ入て扇をさすへし以下作法あれとも体拝の
書にゆづりて略す
十三
丸物のの
一夫丸ものは遠笠掛の風情を以初心の人に矢所を
しらしめんか為也暫間矢沙汰に別に細なし地
家にはいかなる矢のさたありといふとも当家にはさ
のみわたすべき事なしと丸物條々事に見へたり
一丸物の始は正治年中海野小太郎幸氏工藤小次郎
行光等藤沢親綱か家に会合して作り出せうた金
五頼家将軍此よし聞し召連て御臺の内に明か
けて射させ給ひしほどに人々是を学ひ射たりし
と申伝へたりと丸物草鹿々記には見へされとも
其始さだかならず
一丸物の的場の遠さ十一杖に打て幼串を十秋に立べ
しあつちと的との一杖に少近しあつちなけ
れは布皮をはるなり
一一丸物はから板位八寸丸くして白草にてぬいくゝ
みて中に毛を入ふくらかす也丸き玉を二ツにはりたる
こゝし絵の出し様れんぜんの白み寸斗矢。たまり
の黒四寸外廻り黒し的の裏板に三所に乳を付て
綱を通す乳の長さゆひ二ふせ也
一的綱太白青黒三色の布を三くりの綱にして三筋用
る也又紅なる糸の四ツ組なるをも用る也
一一的串の事横串五尺内あり四尺三寸竪串土より上
三尺七寸串のふとさ口一寸七分地に入分は八角なるべ
し丸物草鹿笠掛の串は黒ぬりなり明より一夜う
しろに布かりをはるなり布皮の串の長さ内かり
以下本事のこゝし
一一丸物を三度弓に射る時の次第装束は折しぼしひた
たれ又は素襖に袴射様御約の如く成へし三番
三度了の時射手の人数六人弓太郎有へし立所も
一御的の如く成へし矢の体拝も替事なし
一一弓は白木本式也若こしらへ弓にて射る事あらは
白弦をかけへし
一矢は一手矢頭一手四目也
一一丸物も矢代をふりかけものを出し勝負に射る也
一日記書様付る事法ある也
一中り矢あれはさか羽をうつ也うち様法あり
一矢のさたの事釣にあたりて其矢なくれちつて本中
をこへたれは外れ失也其外矢沙汰の仕様法あり
十四
草鹿の事
一草鹿の起りさだかならす弓法集に鎌倉者大将家
富士野の持にすかふ弓手の物を射はづし給ひて
一小笠原次郎に尋られしかば馬と鹿とのさくりを打て
見るに何れも十一杯そありけるこれいける鹿也今の
稽古は死せるものなれはとて九秋半になされし也
本説は十一杖也と見へたり此説のことくならんには
草鹿はふじ野の特のときに始りしよふにも
きこゆれともさきのとし建久三年八月廿日幕
府にて草鹿の勝負ありし事東鑑に見へた
れは此かりのときに始るにあらず猶て箭よりあり
しもの也
一草鹿と名付る事夏野の草の中に立たる鹿を
射る心也されは駒の鹿の形も足をつくらぬほり
足は草にかくれて見へさる心也草鹿射る事
持の為也と丸物草鹿の記に見へたり
一鹿の勢長さ一尺八寸首の長さ七寸五分つらのしさ
三寸五分也せとをりの星七矢あての星罰金の
一定まはりの星八四所は大き〳〵四所は少なるへし前後
にかの〳〵やつゝ大小合て廿三也裏板に乳を四ツ付類
乳の間五寸斗総を二筋裏の方にてすちかへに打ち
かへ四の乳に通して四所串に結付る也
一綱の事黒白青三色の布を三くりの縄にする丸物
の作法にかわるべからす丸物の条にて知べき也
十五
百手的の事
一一百手的は大約也惣て釣以下弓場とも大納のことく
たとう紙扇敷皮御約のことし神事祈祷なとの
一一の時過射り也常のときにも射る也
一射手の人数拾人也壱人して十手宛拾人の矢数都
一合弐百すし器儀には五手宛矢数合て百本射る
事もあり
一一射午の装束は小すあふ也常のことしさいはいふり
日記付る事等大約のことし
十六
羊的の事
一平的は大納の半分にて弐尺六寸なり絵も大約半分に出
すべし本式にはあらす稽古なとに対る的也串
は大的の事を用へしせみをば大約のより少ちいさく
すべし元は稽古計に対しものなれとも近き頃ゟ
御覧ありゆりによつて詠をたまわる也尤略の前也
十七
武利々の事
一ふり〳〵も丸ものに同しくして猶ちいさきもの也こし
らへ根丸物にかわらす径三寸四寸の間也綱は一筋を
両の乳に引通して綱の両端を横串に結ひて酌
をつるしてをく也精兵は弓勢つよき故酌に矢
あたる時ははね上りて総横半をまとふまとひかづ
の多しあるを賞翫する也つよくまきつめたる又まき
もとす也まきもどしたる数をも数にいれるなり
別成子細なし弓勢をあらそふ為也矢は丸物にお
なじと丸物草鹿の記に見へたり
十八
奉射的の事
一奉射も大納也奉射之書に上古は三十三秋本るり当時
一は二十一杖又十八状を用候拾束はしぼし上下たるべし
と見へたり
一射手六人一番ツヽ三度か立五度弓の時は五度たるべ
し
一一さいはいふり日記付る事等御的の如し
一奉射は神社の祭り又祈祷ならに社頭にて射る也
的を射て神慮をなくさめ奉る意也
一奉射歩射騎射等の事まきらわしけれは記置也歩
射とは大的以下草鹿丸物狭物都而かち立の惣名なり
馬上にて射は騎射なり流鏑馬笠掛犬追物群馬上
にて弓射る惣名也神事のぶしやは奉射と書也
十九
小的の事
一小的は鎌倉の時代には。東鑑には見へす室町殿の代に記
したる書ともに小納の事多くみへたりされとも始り
し年月誰か射始しと云事などは詳ならす
と四季草に見へたり
一小納は桧の木を丸くまけ物にして紙にて四五重より
粉のりを引大約の如く絵を出す也かわのあいめを串
にはさみ立色大納のあや杉をかたとり桧垣を書ほり
まとの裏に鬼と云字なと書事あるべからず
一射場の遠さ十五杖但定らす弓立の前にけつり
百朋木
有弓立に数塚ある也数塚はつかぬ事も有弓立のう
しろに了立あるへし弓立と書てゆみたてともゆん
たちともよむ也ゆんだちといふときは射手のたつとこ
ろ也
一射手の装束は折しぼしすあふ也射様は大駒のこゝし
二十
開的の事
一閣約といふは矢代也矢をふりて上矢の射手下矢の射手
相手となり勝負をする也故に関酌とは云也されは一尺弐寸
の的にきらす八九寸にも又あれの的にても賭ものを出し
矢代をふりて射れは開的也人数の多少によりて二り有
にも三了立にも又四弓立にも射守也矢代をふるは其内
の切者ふるべし二度により勝たる上矢の人矢代をふる
へし下矢の人は賭物をとるへし矢代ふり様さかね
打様等法あり
一關的にほちねぶりといふ事有おちと云は射手の人
数半なるときは一人にて相手なき射手有是をおちと
云なちの射手は一ツあてれば二ツのあたりになる也矢
代をふるに矢二ツヽくみてふるあまれはそのまゝ一ツ置也
此矢主おちになる也ねふりと云は見物中にふるに
手などありて只見るもうぢやましとて賭ものを
出し祝ふりを所望する事有射ずして賭ものを出し
てその組合の射手賭ものを取時は祝ふりの人もわけて
える也射すして取る故ねふりといふほちの事を
祝ふりといふ人有あやまり也おちとねふりとは左つ也
二十一
狭物の事
一はさみものを四寸四方に定らるゝいはれは昔うす
おしきを立て射はしめたり昔のうすおしき四
寸四方たるによりて狭ものを四寸四方に定らるゝ也
といふ用難し又四年と云は狭ものを四にわりた
るを云也。挟ものを四にわりたるを云也挟物を四にき
れは二寸四分也是四半の本也二寸四方より大なるも
ちいさきをも四半と云ましき事也といふ説も
ありともに用かたし狭物之記に云板を串になき
みて立て射る也板は桧の木のうす板也あつさ法堂に
し大概二分計也大サは四寸四方也其板のううの方
竪の木目の通り上下の端真中の通りを表へ見へぬ様
にきすむ也如此きさみめを付る事は射何てたる時
此きさみたる所よりわれて落る為也串にはさむ時
八角をはさむ也と見へたり是は式のはさみもの也
又四半といふはうすおしき八寸四方なるを四ツに
きれは四寸四方ツヽ也或のはさみものと同し寸なれと
も式のはさみものはあらたに板を切て用四半は有
合のうすおしきを用式と略との差別これ也
又挟物之記に四寸四分にては餘りちいさしとて今中
かくのほしき八寸四方なるをふちをはなし其儘立る
と見へたり此八寸を用るよりして四半の事まきらわ
しくみたれたりと見へてさま〳〵の美説出来たり
一挟物の中の事木は桧の木也四角に削るへし長さ
一尺二寸斗也広さ厚さ定なし但大方広さ六七分
厚さ四五分計少ひらたくあるべし上の方の切様
裏の方をは長し表の方をば短くひつそきに切べし
上をばわりかけ下をば削とがらして土にさしこむ
也上のわりかけ様横にわる也わりめにはさみものゝ
角を五郎程はさむ也土の上四寸か六寸に立べし酌の
うらへきさみめをするわれのよき為也
一狭物の物間の事七枚半也半杖うしろはあつちほり
あづちなく八布皮を張へし
きざみ目かくのせく裏の方に有べし
右図することしにたつるなり
一弓は的弓矢は神頭四目にて射る也射様朽弓の体拝也
古は人の弓射るを見むと所望する時ははさみ物を
射させて見し也
一一木草の葉花貝のから沓はなす風情のものを串に
はさみて立て射たり是もはさみものといふ也弓馬
興秀と云主君の家の紋又は素襖以下定紋又時に当る
衣裳にも染たる紋又当座貴人の紋なと立ぬものなりと
みへたり
二十二
八的の事
一八的といふは歩射なりとも騎射なりとも云説ありて詳
ならすされとも八的歩射にはあるべからす騎射なべき
か流鏑馬次第に流鏑馬可仕由仰出されは三酌を先一射
なり作物事三々九八的たはさみこひたれつきほそ
也此等皆作物也別に日記在之と見へたり又武田流鏑
馬の書にも流鏑馬を可仕由被仰出は先三約を可射也
物作りものを御所望有之は三々九八的手狭等を可
射也これらは皆作物也と見へたりされは八的は騎射
なるべし歩射にはあるべからずこれを告射として
花扇四半端板鼻紙算下汁小刀の八ッを八所に掛
置射法あつてこれを射るといふ説あり妄作也用事
なかれ又一書に其藝の精をこゝろ見んか為也尤ふるき
事也四半を八牧馬場の両方に四牧ツヽ立て馬上にて
往と還るこに是を射る也と見へたり此説よき様なれ
ともしかるべき書に見されば証としがたし
三的の事
一三的は大中小と三ツ可立的の寸法不定絵は常のみし
一中にて二ッ宛引よせてかわをはさむへし串は三ツ有へし
木竹いつれにてもすべき也左に図をあらわす
朱にて印有所を
串にてはさむ串
一ツに的二ツヽはさむ也
此図は弓馬三冊に見へ
たる図也
大
一三的勝負の事大成を十文かけならは中廿文掛小は三
十文にてあるべし十文かけのに射何てたりとも廿文かけ
のに射あてたる人あらは十文出すへし十文はうまる也
十文かけのにあたりとも三十文かけのにあたり
あらば十文うまる廿文出すへし廿文午のに射あ
てたるに又三十文のに射何てたる人あらば廿文うま
るべし十又出すべし十文かけのに一手矢あたらば
菱のに射あてたる人と持になるべし何れも〳〵此
義たるへし能々可算也と高忠弓之記に見へたり
是は歩射の三酌也馬上の三的と云は流鏑馬の事也
二十四
乱日の的谷向の的等の事
一乱日の的谷向の釣旗第の釣押の約などいふ歌有よし
一書に見へたり何れも古き書に見へざるもの也近木之妄
作ものなるへし古木なき事を作り出し口伝秘事
おどし云事近世之はやりもの也用べからす
二十五三々九四六三の事
一三々九の的尚清の流鏑馬日記に三々九の胸の寸九寸串の
長さ三尺的同事成へしとみへたり又元長の流鏑馬日記
には三々九の鰯の寸事の長三的同事なるへしと見へたり
右両書とも鴻字の誤りあるか両書合考へ見るに三々
九の的の寸九寸串の長さ三的同事なるべしならん是
を以拵すれば方九寸の板の的を三的の如くたてたる
ものと見へたり又四六三は四寸六寸三寸の的なるか詳なら
す又作りものに大はさまにはさまといふ事有元し
の流鏑馬日記に大はさまの間十七夜小はさまの間七
杖と見へたり
二十六
体拝文字の事
一たいはいの文字体拝と書へし体ばかたちとよみて
射手の害儀を正しくする事也拝は礼の事にて
水干の袖を納るより始て射終て本座へ帰るまて
容儀を正し法式を守て射る故射拝と云なり帯佩
の字は道理に叶わすと四季草に見へたり当時体拝
といふ字秘事なりとてかな書にして通用す也いま
小笠原にて秘する文字はしらされとも体拝の文字
道理に叶ふへき也古き書にも体拝と右の文字を用
ひし書多くある也
二十七七夕の科古又の事
一七夕の神事といふ事有尚清聞書言七夕の神事と
云は七夕の法楽にあにても射てまいらする事也笠掛
小笠掛大助草鹿何にても七度ツヽ射也是は七夕にかき
る也と見へたり
二十八
鰈の事
一蝶にぬふ皮にしき皮又は何色にても無後の茸をば
用ひず指をつぐといふ事もなかりしか鎌倉との富士に
まきかりしかひし時久敷狩をせらるゝによりて大ゆひ
とくすし指の皮弦につよくあたりやふれたれは其
一時大指とくすし指とをこと革にてつきはしめられ
たりそれよりおもしろきとて其後よりくすり指と
たけ高指とつきたりさるによりてとも幸にてつぎた
るか本なりと高志聞書に見へたり
一一組留様馬上歩立軍陣流鏑馬各留様法あり別紙に
記置也又流鏑馬の時にかきり鞨を手袋といふ也
一馬上にては一具鞨を用歩射にては右翼計を用也右
一薬斗の時は大指へ緒をかけべし
〇一鮭の指皮当世こと皮にてつく事略義なり指を付
し皮にてつくべきか本儀也ゆかけのかわとゆひかわと
一渚の皮と三立別々此皮にてはせぬ事也指の皮にても
ゆかけの皮にても同じ緒を付へしと高忠聞書にみへ
たり
一近来角入鰈を用慶長十一年三月十九日石堂竹林の弟子
浅岡平兵衛といふもの洛陽三十三間堂にて通矢をした
り是矢数の初めなり又たゞ弓替をこゝろみし事は
保元の頃蒼源太といふもの通矢をしたり是は
一矢数を射たるにはあらず弓勢を試たるのみ也矢
数の始りは浅岡平兵衛より始る也これよりして
一矢数を通す事さかんに成りたり矢数をいるには
ゆび痛故大指へ角をいれたる也又は木など入
しも者也それより前は皆今の騎射の襪のこと
しされば蝶のぼうしに寸法などはなきなり然れ
とも当時何流のぼうしは長く何流は短きかみ定
れる寸法あるやうに云ものもあるなれどもそれはもとを
しらざるものゝ云出せし事なれば用ゆるにたらす
河流にても戦場にて用るゆかけは騎射のゆけの如く
大指をかためるといふ事なし何流にても皆同じ事
おりこれにてもとぼうしに寸法なき事を知べし
二十九
縮矢の事
一鏑矢は大事の物射べき矢也しびうの上さしに用なり
はぎやう四立はしり羽太鷹の羽たるべし小将
は山鳥の引尾也小羽をも同しく鷹の羽のことく
すへまてとをすへしかふらの一ツのときは内向外向
いつれも不定いつれもくるしからす但外向を用ゆ
べき也外向は陽也一手の時は一ツは内向一ツは外向
たるへし四ツ立の矢にはいつれもはしか物外向なら
は小物も外向たるへし箆は白苔は篩筈はつ
のなり例式にかわる也はき糸はかたて糸に作て赤漆多
るへしこきくり色也
一節は羽中を賞すへしいくふし箆とは不定但三ふ
しか然羽中すけふし箆中のふし以上三所也
羽中の節とすけふしを本にして四ふし五ふし
箆にてもくるしからす鏑のきわに諸たまきすへ
〇一編の事長さ三ふせ也目は二目鹿の角にてくりて
三方にゐためを残すへしぬためとは角のかわの事
也根本太八ツ目其後は五目四目三目にくりたる也今は二
目を本とする也ほうの木にてもくりたる事あり是は
一流論馬神事の時用る也雁股の寸法定れる法なし
弓勢によつて大小不定たるへし
一四ツ立の好を方ほとも云也寛正記に方拝の時は何に
ても小羽は必山鳥の引尾也と見へたり
一鏑といふ事はすべてものゝ根にふくらみ何るをかなら
と云あらめの根をめかぶうと云弓の弦の輪の所は
弦の根也つるかぶらと云弓のそづのところをはづか
ふら鏑矢は根ふくらみ大きければ襦矢といふ
又蕪菁根に似たれば蕪矢といふ平家物語には蕪
矢とかけり
三十
雁服のからの事
一雁またのからの事前に記置かふらのからに替まし
但かり又のかうにはくつ巻ねぐゆき有へき也
き也。皇つまき二伏ねたまき。
き也。うつまき二伏ねたまき。一伏たるへし但ねだ
まきは一伏より長〳〵まきたるかよき也おりはへい
し成中を高く矢先のかたへ五まきくつまきのかた
へ七まきへいじおりにまく事丁股のからにきり
たる事なりこと矢へいじなりまく事なしは
きめのせくあかうるしにぬるへしへいじなり
にまく事鏑を表したるなり
一一一股といふ事雁の足の塩のまたに水かきあるに似た
れん名付るといふ足に水かき首は雁のみにあらず
水鳥には皆水かきあり又或説にかり又はかへるまた
也久るの股のこと〳〵なる形なれはかへる又と云詞転に
してかるまたに成かるまた又轉してかりまたと
なりたるなりその詞について雁の字をあて字に用
木れるなりと云へり此説発明なる説用へしと四季
草に見へたり又一説に雁股と名付しは雁の足の股に
似たれは雁股といふと云へり前の両説より此説まさ
れるなるへし
三十一
征矢拵様の事
一征矢のこしらへ柳籠にはふしかけをぬるへし筈は
よそづなりふしはおつとりのふしを本とすへし
いくふし箆とは不足但おつとりのふしすけふし範
中の節以上三ふし可然をつとりの節有所は本作
の下のまき面より一そくはかり間を置てお川とりのふ
しを置へししかといか程とは不定也一束計可然
すこしの上り下りはくるしからずはきめはづまき
一恐添たるへしくつまき同くろかるへしねた巻は
ゑり糸にてまくへし赤漆たるへし
〇一羽は真鳥羽本也切府中黒其外何をも真鳥の物を
付へし但切府を付る事ことなるくわしよくの儀
なり
一一根は丸根本也根のまき余りに丸それはゑひうにさゝれぬ
なり根の大小は了により又ひとの好に依へし
〇一征矢にて八人より外列のもの射る事なき也と弓馬聞書
に見へたり
一大永聞書に云皆鷹の羽のおひ征矢皆山鳥のほひ伍夫だにの
人おふべからす大将の具也と見へたり
一征矢と唱へる事征戦の時用矢那連は征矢と名付た
るもの也汝は上より下をうつなり又正なり下をうつて
其罪を正すこゝろ也といふ説あり用る事なれ必失は
頃矢かり貞矢轉してそ矢と云しより征の字をあて
字に用たるなり征戦のとき用故なれば第一編矢雁股
など征矢なるへし其外征戦の時用る矢は皆征矢なる
べきなれとも征矢と唱へる矢は一種也征矢には丸根
柳葉等を用ひて直なる根なる故す矢といひし也根は
品々有なり大永聞書に貞丈朱筆にて征矢は直なる矢
じりの惣名なり征矢に品々あり真中にしのきをたてずれ
く肉置たるを丸根といふと見へたり征矢に品々あり
とは矢じりの事をいひたるなり
三十二
〇一とかり矢の事既には節かけをぬるへしけづはよは
づおりふしはおつとりを本にすへしいくふし籠と
は不定但出つとりすけふし箆中のふし三ふしか然
くつ壱黒塗ねだまきはゑり糸にて巻て替事な
しはぎ様は四立なり羽は鷹の物なり小将は山鳥
の引尾也とかり矢は一匁のもの也物は的矢のことく一ツ
は内むき一ツは卯向たるへし
三十三
一壱手神頭は箆はさぼしのたるへしふしかけをとりてぬ
るへしはつは節也こしまきにうるしをためへし
物は真ゆはきめ黒くぬる也こきくり色也
一ふしはすげふしを本とすへしすけふしのほとらい
しんとうのすけきつより三伏たるへし神頭のすけきは
のからを三分斗巻てそれをも黒くゐるへしふしは
三節本也すけふし一所将中一所築中の筋一所
以上三所也め斯拵事一手神頭の本也又四ふし五ふ
し箆にても不苦略儀なりいくふし箆にもあれす
けふし本也
一神頭はめかふ也いかにもほしかためてする也神頭の長さ
三ふせ也少切入て三所まきて上へ見へぬ様に地をして
塗かくして黒くろう色をとつてぬるへし神頭のなり
口伝
三十四
一四季草に接するに神頭は実頭也かふら引目四目なとの
顔は皆中をゑりぬきて空きよにしたるもあ也神頭
は中をゑりぬかす空虚にせす中しつしたる事なれ
は実頭となつれしなるへし実頭といひにくき故
しんがふともしどふとも云其詞に合て後に神頭應
頭総頭なとゝ云文字をあて字に書たるもの出るへし
と見へたり軍器考には神頭といふものは神代より
始まれる物れは丸は矢の始にて神頭などもかく也此説
いかゝ有べきか用ひがたかるへし四季草の説も推量の
さたなれともすてへきにもあらす
三十五四目のからの事
一一一手四目のから一手神頭にすこしもかせらすぶし
かけをこつてぬるへし但神頭のからよりいはだけ少し
みぢかく少羽を広くすへし是ならてはかわるま
しき也
一四目の寸三伏也目は四ツ有へぎ事本義也四ツ有により
四目と云也但目を三ツにするもくるしからす是は
此儀也しめは柊よき也目の上かしらのくち三所
ゑり糸にてまき目の見へぬ様に地をしてらう色を
とりて黒くぬるなり
三十六常の四目のからの事
一一常の四目のからは白篦たるへしふしは三ふし昆羽
中を本とすへし物は真羽を付へしうるしはざ
たるへし糸の上を赤うるしにぬるへし立糸に
てもはくなり四目は竹の根にても木るてもすべ
しいつれともに不定大小も不苦なりあゝうるし
にも黒くもぬるへしまたこかし鏡にもする也器
茂也
一三十七小笠掛の矢拵様の事
一小笠掛の矢箆はこかしの也はつはゝから竹のふしを
けづりて其まゝする也竹は枝の有を用へき也ぬる
べからす白かるべし矮様は何れにてもあれ立糸
にてはくへしはつも同て立京也羽は真羽也ふし
は拝中本也すけふしと将中と幾中と三所ある
箆にすへし
一一引目の事目は九目也目の上一所目の下一所箆
只所以上三所しつめてまきて目の見へぬ様に思の
をきせて地をして黒湊にてぬりてらう立を取へ
し引目の寸は四寸なり金の定昔より四寸と
は定め置たれとも大小の事は弓の刀によつてすへ
し少しのよりのきはくるしからす又目を盲にも
する也但略議なり
三十八引目と云事
一引目といふ事さま〳〵の説多し墓の目に似たれ
は蟇目といふ又蟇のなく音に引目のなり音似た
れは蟇目といふ尤用かたし一説に引目といふは
ひゞきめなり中こつろにして穴をあけたるものなれ
は風吹入て鳴也此故にひゞきめと云し也後にひゞき
めをつめてひきめと云といへり此説発明なる説なる
へし用べし
一笠掛引目を射て見るにはしらめてみると言義也お射
引目をはしらめてとは不言と笠掛聞書に見へたり又
笠掛礼式には蟇目を試に射てみるをしらむると云
也しらむる時ははだぬきてもぬかても射る也何れも
法学無之間いやうにても不苦也と見へたり
三十九神代の引目入部の引目等の事
〇一一書に神代の墓目入郡の引目岩直引目産屋引目
出射蟇目笠掛引目等各別の制のかもむきに見へ
たれとも用べからす神代の引目入部の引目出と云
ものいかなるものにや古伝の書等にかつて見へさるも
の也近き世に妄作せしものなるへし又との如引目
といふ引目別にはなき也尤射引目を用るか本也
との為引目といふはとまり番の士用心の為又魔除
に夜る引目を射て鳴音をするをとのゐ引目といふ也
高志聞書にも夜引目射るには右射引目本なりと
見へたり又産屋引目是も出射引目にて射る事
本也古き引目の書にも見へたる所也およそ引目
ハ笠掛引目小笠掛引目大尉引目竹の根引目是な
らでは外になし此ほかの引目ともは皆近世の新作
ものなれば用べからす
四十
一竹の根引目の事
一竹の根引目といふもの古よりありしもの也延寿義経
鎌倉に下向有しに路次にて藤原能保朝臣の侍後
藤新兵衛尉基清か所従と伊勢三郎能盛とか下部
と闘諍に及不能盛か引馬の鞦をきりてはしり
ゆくを能盛はせ出て竹の根の引目をもて射たりし
一事東鑑にも見へたりと軍略考にも見へたれは
升の引目は古くよりありしもの也
四十一的矢拵様の事
一的矢の拵様箆はさせし箆たる事すけふしを賞す
へし筋はすけふし物中箆中のふし三節本也
一笞はふし谷節をけづるべし好は真拝本也殊に切府
を用べしすけふしほどらい三伏可然暫まきは
黒くぬるへし
笠掛からの事
一笠掛からさわし昆本也ふし八羽中を賞すへし
三節箆本也ぬくい篦略義也はすは的矢のことく
たるへし羽は真羽本也鶴の拝略儀なれとも容の
に鶴の羽笠掛からに賞翫せらるゝ也引目并うるし
本也
右に記したる矢の拵様多賀豊後守高志の聞書に
見へし所也草に拵様は略しぬ
一挟物之記に云糸はきの事うらはぎは左りよりの
糸本はぎは右よりの糸にて云く也小笠原并多賀豊
後守は此はき様秘事なりといへり多く人の知らぬ
事也と見へたり
四十三射つけのふしの事
一矢に射つけのふしといふは的矢に限りたる事也鳴弦
一事弁諸聞書に小的にはつくらといふものを立てそれに
酌を立也いつけのつくらと申也さるによりて的矢にかぎ
りて射付のふしと云也と見へたりまれはこと条射
つけのにしといふ事有べからず又的矢をはすげ
ふしともいふなり
一四十四兄矢弟矢の事
一兄矢といふは外向なり外向といふは殊のうちそとへ
成たるを云第矢は内向を云内向と云は拝のうち内
へなしたるを云なりと弓矢条々に見へたり
四十五金神頭の事
一矢頭に金神頭といふ有木の神頭のやうに鉄にてこ
しらへしもの也たてなとを射たをさん料なるへし
精言ならでは難用軍書考に能光守教経の令神
頭の図有
四十六
木棒のの
一きほふといふものあり四季草に木棒を木にて作るを
本と思ふは非なりと見へたれとも神頭に金神頭
有類にて木棒は木にて作るゝあなれとも弦弓の
一射手鉄にても作り城の木戸又矢倉なとを射砕かん
病に用意したるものなるへし木にて作るものなれ
は木棒と言しなるへしうつ木青木なとにて遣づ
りたるもの也ふせぎ矢或は又持などに用ひし也
小笠原持清伝ニ云神頭木棒など小者にさゝする時も
六ッはさゝぬ事也当流にむ失とていむ也といへり高忠
聞書にも木梓を小者にさゝせる事見へたり是持のとき
用る證なり
四十七
四十七いたつきの事
一古いたつきといひしものは四目神頭の類矢尻の説
ものをすべて平題といひたるよし今の世的矢に用い
たつきといふは薄かねにて矢尻をつゝむ古の平耀は
形はことなれとも是も矢蔵ふ説故いたつきと云
なるへし又一説に矢車などの器にいれたるとき矢の
板につく所也との意とも云此世つの如くなれば今の
世のつたつきは板付なるへし
四十八
野矢の事
一野矢は征矢の事なりといふ説あれとも誤りなり野
一矢は本名鹿矢と云也保老物語の霊本に鎮曲八郎の
一大矢の事しるしたりけることばに徳矢をも能き物
にてははかさりけりまして野矢は晴のあらはこ
そ能殊にてもはかめ夜る昼朝夕の狩なれは昨日はい
たるは今日の時に射そんす今日はく天は明日の朝の
料常の持なれ共箆も物もこらへざりけれは鶏のをも
烏の物をもはき付〳〵はぎし由しるせり又東鑑
に建久三年十一月鎌倉殿入洛の所に征矢負たる小童
一人とありて水干着の人々皆々野矢を負ふとあり
又実朝将軍由比浜にて遠笠掛の所にも或は野矢
或は征夷負せしと見へたり野矢則征矢にいあらぬ
焼なるへし野矢は箆もむらかわつきたるを用ゆなぞ
も何ほと定りなし尤こりはぎ根はのみ根すやき
などを用麁末なるもの也
四十九具なり矢の事
一くなり矢は水鳥を射る矢也桧木相木の類軽くし
て水ばしりよくこしらへるなり病のことくしてちい
さき雁股の袂をすける也又自形の根をも用弓法秘
伝聞書にくるりの事あなかちこしらへ様とて本俄には
さのみなし何れともこしらへ水鳥の射よきやうに
命別あるへしと見へたり
五十
石打征矢の事
一石打の石矢古の時は大将の具足なりされば加州当
実盛か北国に向ひし時此ものと錦の直垂とを内府
宗盛に望みしなど源平盛衰記にも見へたり石打
の好といふは最下に重りたる羽なり石打の必矢とは
大鳥の石打にてはぎたる征矢也石打を称美する事
は好の性つよき故也といふ是誤りなり四季筆に石打
と云名は敵をいしく打と云事に気なして其名
〽詮を称美する也いしくと云はうまくと云事
なり熟の字也と見へたり
一本茂左右書巻之下
目録
五十一
族の事
五十二矢により一手二手一ツ二ツなどいふ事
五十三矢羽の事
五十四矢の名所の事
五十五こりはきの事
五十六しきりはきの事
五十七
五十七ふしかけの事
五十八矢印の事
五十九切府中黒等の事
六十矢音の事
六十一中リ采配の事
六十二羽の細き方の名の事
六十三矢ぼろの事
六十四弦の事
六十五つるさいでの事
六十六弦巻の事
六十七弓の名所の事
六十八三人張十五束の事
六十九二人張三人張の事
七十弓を張事
七十一弦をくひしめす事
七十二弓袋の事
七十三弓の附を柄とも云事
七十四弓の一刀二刀を知る事
七十五馬上の弓の事
七十六弓の鳥打の事
弓の附を柄とも云事
七十七
七十七弓を御たらしと云事
弓を御たらしと云事
七十八
弓杖にて物間を打事
七十九弓のふしの事
八十ふしまきの事
八十一ふくら二ふくらと云事
一八十二弓杖を間に見る事
八十三箙の事
八十四定穂の事
八十五やなくひの事
八十六靱の事
一八十七土俵空穂の事
八十八つくらの事
八十九燥の事
九十行騰の事
一九十一敷皮の事
九十二巻わら前の事
九十三矢開の事
九十四射ましき鳥の事
一九十五軒草弾冠の事
九十六
九十六弓を引かすして刀を知る事
九十七
九十七弓をよく持入る事
九十八
勤の事
九十九中外の事
百ふせ鳥射様の事
五十一
鰕の事
一矢鉄の事一般鳥吉鉾矢丸根柳葉指割剱尻
一定角鑿根なとは古きものなべし近世鉄の刻殊に
多くなりてさま〳〵の制あり百鏃の図と云物ありて
異形の鍵多く見へたり越前高来の楼根口人か磨殿
能野の天狗なといふもの世に名ある者といふ元亀
天正の頃用られしもの也又軍番考に見たる摂州
一天王寺蔵上宮太子鳴和州法隆寺蔵聖徳太子矢
和州大安寺八幡宮蔵神功后皇御矢是等の鏃は
別也
五十二
五十二矢により一手二手一ツ二ツなど云事
一的矢神頭四目許矢は一手のもの一手二手といふ也かた〳〵
は一ツといふ也鏑矢雁股征矢墓目は一ツ二ツ或は五ツ六ツ
十などいふへし引目一腰といふは四ツ也一束と八廿也
矢羽の事
一大鳥といふは尾十四枚あり本白中白妻白本黒中忠妻
黒切府等ある也羽がいに鬼かすり黒ほろ有
一小鳥に尾十二枚あり是をかす尾と云ふがいにめすり
ほろ有又小鳥にうすひやしの文ある鳥あり此島には
ほがいにほろ計有といふ
一乾せしと云は尾つま黒羽がいもと白ほろ有也
一山鳥は引尾斗を用又真羽といふはこまなきを云
なり若州宮川谷の山鳥皆といふ
一ふくろうの羽はてうふくに用ゆれは平生は用さる也
一たかのほといふはくまたかの事也三府を賞美す
る也又蜂鶴といふ有好て蜂をくらふくまたかなり
といふ
一大島の白尾といふは白き物
一鶴又雉の尾ときとび醫嶋白鳥等をも用也鵯は
桃花鳥とも紅鶴ともいふ也
一一中黒本白いふ顔皆好の文をもて名付し也うすゑま
のみは何故にうすひやうと名付しや軍器考には
宇須信乎宇須布などいふを世には圧の字を
用るにや源平盛衰記にはこと〳〵具護田鳥尾とか
きたり倭名鈔に爾雅集注を引て端一名沢広郎
一護田鳥也倭名は於須売止里といふよし見へた
れはもとは於須売手於須売布なといひしを
後にかく転説しなりこれは小鳥の尾の波護田鳥
の文に似たればかくいひける也と見へたり
五十四
矢の名所の事
4
十三袋
此矢所の図は弓馬口実に見へたり此外にも名所を種
之記せし書もあれとも此外の名所は近世増補したる
名所なるべし用べからす
五十五こりはきの事
一矢の羽にこりはきといふ有是は羽のはしをからす
はきたるまゝなるを十一りはきといふ也
五十六しきりはさの事
一しきりはきといふは白羽と黒羽とを段々につきた
かの三府の様にしてはく也白紙と黒ねと
切続てしきりめを立る故しきりはきといふなり
軍器考に藤原秀卿朝臣の家の宝しきり給ふ
云矢は白紙黒羽にてはきませて侍りしよし
秀郷の草紙詞書に見ゆと見へたり是則しきり
はき也しきり物は蕭慎の羽に似せたるものなり
しゆくしん国の鷹の物也此国のたか殊に勝れ
たりといふ古は彼の地に出し矢の好我朝につ
たりしと見へたりしゆくしん国より来りし鷹
のほをしゆくしんのほと云しよし見へなり
むかしは矢のほをかる事を犯すと云たる也駿射
一籾抄に引目の好の事首様に餘りせはくおし
たるも的矢おどの様に見ゆ又当世とてほそ花に大
鳥の跡を少もおさずしてはきたるも又かたはし覚
ゆ是も既により拝によるへし一篇に難定と見
へたり
五十七ふしかけの事
一ふしかけにくだふしといふは長くぬりてきり留
たるをいふ小ふしかけといふはふしのきつをすこ
しぬりたるを言と矢本秘伝に見へるり又長くゐりて
留をうすくしたるを長ふしかけと云是を長ふし
かけと云はいろし是は本のふしかけ也小ふし
かけは異義なりと見へたり一説にふしかけとるは
箆の芽をかきて取たる所より乾われるものなり
是に依てひわれぬ先にうるしをためてひりれを
ふせぐ為なりといふ尤一理あれともいつの時代乾わ
れをふせく為にふしかげとりしかさたかならす
足利の世ら頃にはすでに矢箆のかざりのみ也又ふ
しかけとる事は若竹のかはをかふりて枝をめく
みたるを教してぬりはじめしもいふ評ならす
五十八矢印の事
一一高忠弓の記に云おひ征矢に矢印を書べき事うるし
にて可書也可書也可書也可書也可書也
一拝の通に書也一所は沓巻の上走拝の通にか書なり
沓まきの上のはつれと名乗の下の書留の間ふた
つふせ斗あわひ有やうにか書也此三所の内賃
もあれぬしのはからひ也多賀豊後守中原高忠と
一苗字官氏名乗追か書事本也亦豊後守高忠とも
書もすべし又中原方忠とも可云也是は略義也
ものはからひたるべしと見へたり
一弓馬三冊に矢印は非中本はきの印すけふし以上
一三所なり鹿園院殿御矢印すけふしにありし
なりと見へたり
一五十九切府中黒等の事
一切府の矢といふは節影をとり皮めを付たるに
鷹の好二真好一ツ付たるをいふ也真ほを了ずり
に付る也又大中黒といふは箆拵篩かけ斗どり
たるに真拝を三ツ付たるをいふ也又小中黒といふは
一箆拵大中黒同前拝の付様真羽二ツ鷹の羽一ツ付
たるをいふ也鷹の羽をやり物にか付といふ何れも
用べからす別に切府の矢と唱へる矢はなきなり何
矢にてもきりふをよきたる矢はきりふの矢なる
べしされど箆拵等にかゝわる事などはかつておし
一高志聞書にも征矢の拵様をしるせし所に非八真
鳥の本也切府中黒其外何をも真鳥羽を付へし
と見へたり。切府といふは矢の名にあらす羽の府
をいふ也真島の妙也切府に品々ありきしきり府
こきり府こまきり府まねきり府しきり府すり
きり府等あり此外にもある也大中黒小中黒是も箆
一梅矧様等に子細なし大中黒の好をはぎたる矢は大
中黒の矢小中黒のほをはぎし矢は小中黒の矢なり
是も真約也大中黒と云は殊の妻と本と白くし
て中速きを大中黒と云也小中黒と云は大中黒のも
やうにて中の黒のすくなきをいふ也何れの矢につけて
も切府はきり府中黒はなか黒也矢の劇作に
よる事かつてなし
六十
一矢音の事
一弓馬三冊に云壱色神頭にて武のはさみ物を射てす
ひやうはたと云也はづしたる時はひやうすつとはつ
してといふ也
一四目にて或のはさみものを射てはひはたと射て言
なりはつしたる時は飛すつとはつしてと云也
一神頭にて草鹿丸物鳥兎狸木竹の葉はな出りふせい
のものを射ては飛やうしとゝいふ也はづしたるときは
ひやうすつとはつしてと云也
一四目にて草鹿丸物鳥兎独ふせいの物を射てはひし
〳〵と射てと云也はつしたる時は是も飛すつとは
つしてと云也
一鍋にて物を射てはひふつと射てと云なり流鏑馬の
的に射何てたる時は飛はたと云也はつしての時は
飛すつとはづしても云なり
一一一の股にて物を射てはやうふつと射てといふ也はつし
てはひやうすつとはつしてといふなり
一征矢釼しりにて物を射てはひやうつはと射てと云也
はつしたる時は飛やうすつとはつしてと云何れも
物くによりて言葉主類へき也と見へたり
六十一中り采配の事
一中り矢ある時ふる采配の事串は木にてもすへし
竹にてもくるしからす一尺弐寸也紙は檀紙を三枚
重てひろさ一寸ツゝにたちて串に挟む也はさみぎは
をかみよりにてゆふへし振人は的の後の方に座
して拵へし但国的にては三枚五枚七枚三様之内
何れにても用へし式の的のときは三枚下りなりと
開的射手覚悟条々に見へたり大納小的とも采記に
一替事なし左にあらわす図は模図に見へたる
所の図なり
さいはい切様
切留る
通りを切也
此筋通りを切也
此朱引の
所を串
〽井校む也
幅一寸
円以
幅一寸
幅一寸
□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□
紙よりにて五巻上より巻
左右より
そぎてけん
さきに
する也
広さ一寸
紙よりにて七巻上より巻下すうしろ日てまむすひにして
ゆる
しわりかけてはさむ
六十二
作の細き方の名の事
一好の細き方をかいかたといふ是は矢工の調也射午方
にては用ざる調也高志聞書に羽のほそきかたをばす
るもきとも又のいそともいふ也と見へたり
六十三
六十三矢ほろの事
一十六矢は二はたはり也廿矢廿五矢には二はたはりに
わりのを可入打たれは一尺弐寸也たかはかりの定めうつた
一尺弐寸の分をは思ふましき也但わりのゝなをは
かた〳〵へぬい付へしすそのてりの分ばかり也矢に
かゝる分の長さ打たれをのけて矢つかの長さにする
也矢にあてこて拵へし但廿矢廿五矢の時は矢
のはつの方広くあるあいだみじかくつまりて見ゆ
る也少は長くして矢にかゝりてゆる〳〵と見よき
一程にすべし打たれの分をはくみにて女むすひ給ひ
五分斗かしらのき門に引しめてさす一の矢にかち
とむへし打たれのきわばかりをは黒芋と赤茸と
合て赤皮を下に重る女むすひにして切也又家家の
もんを付る時は打たれにてもふのとをりにてもか
付又引りやうともんとを二色付る時はもんを打た
れに付てひきりやうをは好のとをりにか付又無紋
にもすべし色ふ定也と軍陣聞書に見へたりまた
武用弁略に矢母衣の図あり其形底肩袋をうつぶ
けて底を上になし矢を入て下の口を括りたる図也
古伝の諸書にいふ所とは違へり信用しがたし古伝
の書に見へし矢保衣は古き絵どもには皆うつ月に
掛たり此時代にはもつとも空穂にかけ皮のなき
時分な
るへし又箙にも矢保衣を用しと見へたり
六十四弦の事
一白木には白弦をかけべし塗可には塗弦を用べし
着塗弓に白弦をかける事あらばつる輪をすみに
てぬるへし白木にぬり弦かくる事あらば弦輪を
紙にてまくべし村こき例黒側白木等は白木に準
ずれは白弦をかけべし
一しのせき弦といふは射しめたる弦をせきたるを云
軍陣聞出にしきの弓の弦は炎弦也ぬるやう巻
弦とは常の弦の上を懸にて太刀つかまくことく
ちかへてまくをせき弦と云也又一方へまく事もあり
それをも炎法と云也それは略義也まき弦をば
先能々射ならして後巻てぬる也と見へたり弦をせ
くはよりのもどらぬ為也射しめたる弦をせきたるを
しめのせき弦といふ也
一しない弦といふは故散の弓を初て張弦をいふなり
又弦を一筋二筋とはがくへからす一条二条とかく
は副弦儲弦などいゝし也
べし一張とは七条を云一桶しゝは廿一条也替法を古
一六十五つるさいでの事
一弦輪にまくきぬをつるきぬといふいろし本名つる
さいでといふ今の通宣式射午抔紅のつるさいで御免
を紅仕掛御免といふは誤り也紅の弦さいで御免なるべ
六十六弦巻の事
一弦巻は替弦をまくべきもの也是を弦袋とも
いふ也書に弦袋を巾着又は四角にきれにて袋に
ぬいたる図あり弦袋といふより妄作したるなるへし
用難し源平盛衰記に長兵衛尉信連かいひし所は
弦袋と云は後の内待所の御かたちをかたと連る
也徳府の官は浅官なれは地下にして奉公をい
たすされはたゞ人にまきるべけれはとて内侍所
の御みかたちを尊ひて弦袋賜左右の品をしる
とそ見へし軍墨考にも右に記せる源平盛衰
記を引信連か云し所たしかなる狭ありとは見へ
うら弾
つるかぶら
ねどいま其形を見るにまこと神鏡をうつされし
なともいふべき物也これ儲の弦を巻なん料なれは
世には又弦まきともいふにや塩のふ抄に弦袋弦
巻別に門かちいだせるはあやまれるに似たりこれ
を帯むするやうをも今はよくしれる人多から
ぬかと見へたり
六十七
弓の名所の事
又内竹之
無意候
嘉兵衛
分ケ所
右に図する所の名所は弓馬故実に見へたり是財手
方に用ゆる名所也近世板行の書其外にも名所を記せ
し書に肩姫反相打押附大鳥打小鳥打鞨附握下
手下乙腰関板弦持木平等の名首是等は弓工
の用る名所にて射井方に用さる所也右之内木半
と云事は射手方にていふ詞也高忠聞書にも見へ
たり弓工の以飛習したる名所は射手方にては用
ましき也
六十八三人張十五束の事
一三人張に十五束などいふは其矢の白の手にて十五束と
覚へたるものありいかに長矢束にても我手にては十
二束なれとも大男にて手大きけれは通例の人の手
にては十五束もあるなり矢束八人々十二束にきり
まりたるもの也己かたかはかりにて弐尺七寸五分なり
三人張とは三人じて張弓也又よつき弓にても其人
の弓又たいじの弓などは一人にて張ましき也
六十九二人張三人張三人張三人張三人張三人張三人張三人張三
一二人張いふは二人して張弓也三人張といふは前にも
いひし通り三人して張弓也弓一張を四人五人して
張弓は有ましき也まれは二人張三人張とは云へ
し四人張五人張と云事有べからすと高忠聞書
其外古伝の書にも見へたり
七十
弓を張事
一弓を張事うらはつの弦せを能見てすくにかりた
らは其まゝ置ゆかみたしはなをし角みのはし
らにそのうう筈をおし当て左のひざ小あて右の手
にて弦わを取てくわへて弓をひさにおし当てはり
右の手にてにきりの下をとりて左の手をは其まゝ
置て次第〳〵に弓を上へとり上て張岸を見へしそ
るゝは其侭弓を申にをしあてゝおしなをす時は立
なからも又はひさまつきても直すへし北へうらは
つを向て張ましき也かけより張て出すへし但前
にてはれと所望あらは前にてはるへし賞翫の
人の方へ後をなさずたとへ後を貴人の方へなすとも
と向て張事有べからす張て後すわふの袖にて
そのほこりを押ぬくひて出すへし弦音少二三度
すへしと弓馬秘説に見へたり
七十
弦をくひしめす事
一弓を結て弦をくひしめすと云事すゑはすより先
くひしめすへしすゑはつより本のかたへ三寸はかりそひ
しめしてさて其口にてうら谷のかたへくひしにすなり
そこへしはつる也其後本盤のつるをくひしめす也おと
れも二三寸先にきりの方へして扨又はつの意して
きてとむる也上下ともにそこへしてとむ事也
其後さぐりの下をくいしめしてさてゆひにてつるを
めこきさぐるやうにする也主貴人の御弓などをは
りてはくいしめすべからすくひしめすべしと仰あら
は倫にしたかふへきなり
弓袋の事
一弓袋延喜式倭名抄にも見へたり又畠山二郎重忠
白旗白弓袋をさゝげて前右兵衛御殿の御陣に参り
しなといふ事源平盛衰記にも見へたり世には
此もの鎌倉殿上洛の時より始れり又袋にすべき弓
殊に大事のものなりなど申伝たるか誤れるに似たり
建久六年の夏入洛の日御弓袋さし一騎具せら
れし由東鑑にしるせるならを見てかくは伝へ供連
るなるへし弓袋の式も家々につたふる故実同
しからぬか今は大やう水豆に紋を絵かくにや古には
其立定まれるにもあらす源氏借位して半家
を亡さむとて白旗白弓袋になり返れると云事深平
盛衰記には見へたりそのかみ源平両氏小ぞくせし武
士のはた弓袋のこときも各両家用ゆる所の色にした
かびしに源氏すでにほろび平家さかふるに及んては
国々の武士こと〳〵と誓色を用ひしに漢代又兵
を起に及ては皆白き色になり返れるにぞされは
弓袋の立定まれるにはあらずと軍略考には
見へたり又宝町時代の伝書に万袋河立もくるし
からす式の弓袋は白かるへし式の弓袋とは随云
軍陣の時の義也と見へたり挿するに元は弓袋
何色とも定りはなかりしに一流白色一を用るにおよ
んで弓袋も白色と定りしと見へたり頼朝の時代
に極められしか又足利の世に定りしかさたかなら
す弓袋拵様法ある也
七十三弓の附を柄とも云事
一弓のにきをつかとも云也古歌に信濃なるそのはら
山のあつさ弓ぬしさたまりてつかかはをまくと
弓馬秘説に見へたり
七十四了の一刀を知る事
一弓の一刀二刀なとゝ云事むさと云ましきこと也何を
まして一刀二刀とは云へきそやいはれぬ事也一刀
二刀と云は弓を削る時木と竹との遣づりくすを
手のうちに握りて一はい骨を一刀手の内に二ある
を二刀と云也手の内の撚様の事つよくもにき
らす又よいくも握らす能程に手の内に一はい
有を云也これにて一刀よいくなる二刀よりて
成たると云也と弓馬故実に見へたり又小笠原信
一濃入道清順の弓矢百谷には弓の一刀二刀を知る
事握より上一束ツヽ取上れは三刀迄は量を知る
と見へたり外の古伝書には見へざる事にて一説
の事也さりなから捨べきにもあらぬか
一七十五馬上の弓の事
一馬上にて持べき弓のたけは其身いつそくにふみ
そろへ手をいつはいにのばし握りたる所其今の
万丈ケ也附革豊べき所右の乳の下にもとはす
をあてゝ左の手をのべて其とゝく所をにきりて
其所を巻也
七十六弓の鳥打の事
一弓の鳥打といふは天智天皇と大友雪子と位をあ
らそひ給ひて三井寺に御座の御時大友皇子なし
鳥に生をかへて天智天皇の左のめたへはしりよりて
つゝきころし給わんとしける所をいつもはなさす
用心に弓を左に御持あるあいだ袖打に此鳥を
打給ふその鳥屋にて死する也さるによりて其時より
鳥打と云なり鳥にあたる所ううはす一間斗下
より四五寸上へあたる也其時よりうらはす一尺斗
下より五六寸上迄を鳥打と走といふ又一説に弓
の鳥打といふは未はつより一尺の内土かへし是に
あたらぬ事也いかにも至へき木歴あり殊に出
陣の時などつゝしみ然るへしといふ両説とも
尤用難し鳥打と云は伏鳥を射るとき矢所
によりて鳥飛立なり其時了にて打底事ある也
一末はつより壱尺余下の辺打能なり故に鳥打と
いふ也古歌にうつらかり秋のくさ根の梓弓はやけ
打の名こそしなけれといへり是にて鳥打といふ事
を知へし
七十七弓を御たらしと言事
一御たらしといふ事は天竺の貝多羅葉はその
長さ七尺五寸也弓の長も同じ事なる故にたらし
といふといへり用難し軍番考に云多四絃樹の高さ
八九十尺とも一多羅樹とは高さ七匁をいふ七尺を
一伍といへは其高さ四十九尺也なといふ事はあれとも
それも一定の説とも聞へず又万葉集のうたにい
御執の梓の弓と読けり男子の執れる物なればい
にし元には御執といひしを後代に至て御名羅
枝といふ事はそのことばの転ぜしなりたとへは
刀剱は佩ところのものなれは弥波迦志といへる
例なるへしとえへたり軍陣聞書には弓を御た
らしといふ事は只の人の弓は申ましき也覚
一様の御弓をバ可申也御矢をは御てうとゝ可申也
是も公方様の御矢ならては申まじきなりと見
へたり式説に矢をてうじゝ云は調度といふ木にて
一矢を作りし故也といふ用へからす貴人の御弓を
一御調度と云事公武士の家にては了矢を以第一
の道具とするゆへ弓矢をさして調度といふ也矢
ばかりを調度といふりはあらすしかれとも貴人の
御弓矢はうやまひいふ事成故御たらし御てりと
調をかへて去たるまでの事也又御矢を済てうず
とも云也
七十八弓杖にて物間を打事
一はつし弓にて物間をうつ事うらはつをわかたへ
なして外竹を下へなし打へし何方成とも定りたる
方より打へし本はつの方より土に付て後から筈
の方を土に付て打へし貴人張弓をいゝされ打へし
と仰あらは其侭張弓にて打へき也其時は弦を
下にして打へき也其外ははつし弓のこと〳〵なる
へし貴人はづして打へしと仰あらばはづして
打へし時色にしたがふへし
七十九
一七十九弓のふしの事
一弓のふしを十三佛に表しふしに委く名を付
てそれを記して伝受の書などいふ用事なり
弓のふしに名はなき也まして十三仏に表す事
一豆にかつて見へさる事也古は弓のふし数ふ定也
了法秘伝聞書に弓に辻と云事あり外竹にても内
竹にても一方にふし二ツ有を云嫌ふ事なりと見へた
り是等にてふし数不足事を熱し昔の間はふ
し数才尺とも不同也軍器考に見たる神切后皇
の御弓長七尺餘上宮太子の御弓長六尺餘天武
天皇御弓長六尺八寸餘と見へたり四季艸に諸書面
用抄に云矢つか弓ほこ爰上の秘事也老若とも
にその人の手にて弓ほこ七尺五寸矢は十二束なり
大なる人は大なる手にて定め小達人は小き手にて
定る故其身の大小相応の弓矢となる也是中古は
上古よりも射術精しくなりしによりて此相応
のつり合を考へ出したるものなるへしと見へたり
又今の世の弓は曲尺の定にて七尺三寸を以定尺とす
此寸尺いつの頃より定りしかさだかならす用射録
には天正年中より定り用ひ来ると見へたり此
七尺三寸の寸尺に極りしよりふし数も定りし
なるへし
八十
八十ふしまきの弓の事
一ふし巻の弓は内竹のふしをよし削りふしの上を
まく也外竹はふしをけづらされは上下二所ツヽ炎也
又弓矢条々にふしをまけばおもく智故うる
しにてぬりたるもふしまき成りと見へたり是は
略義なるへし
八十一一ふくら二ふくらと云事
一弓杖に一ふくら二ふくらと云事あり一ふくらとは
一杖の事二ふくらとは二杖の事也左様あれは
とて三ふぐらなどゝはいわす三杖よりはいくつえ
と云也と宗賢聞書に見へたり但一杖二杖といふべ
き事本也
一八十二弓杖を間に見る事
一一弓杖を間に見るは八にて割る也間を弓杖に直す
時は八を掛る也
八十三箙の事
ゑひらは猪のさゝのつう本たるへし熊のさゝか
つらは猪のさかつらのつき成へし又柳履竹箙
等あり此ゑびうともは古きものと見へたり近世種
この箙出来たり武用弁略などに図ありしびらに
矢をさすへき様十六矢廿矢廿五矢なり外向内向
のさし様有廿五矢本式也本式のときは上さし
中さしある也諸矢をさす也中さしはとかり矢
なり廿矢十六矢には中さし上さしはなきなり
矢から三の仕様事長遣れは略す
八十四定穂の事
一一宜穂古はかまどばかりをうつぼとて付たるなり夫
より前はなかりし也と高忠聞書見へたりしひ
らなと負たるこゝしさるによりて矢種つきたる
をやかて人みる間何矢をさしたるをも人にしら
せす矢を射尽したるをもしらせしか為に昔の
人故実にて当代のうつぼの如く作りなして立こ
の主をかけ来る也夫より空穂には何皮をか
くへき共定らさるなりと四季草に見へたり矢の
さし様は征矢をはいち下にさす也矢散により二通り
にも三通りにも重てさす也いくつとは定らぬなり
但十斗十二三まての事也其上に丁股をさす也かり又
は二ツ三ッも身よりの方をあけてさし重るなり
一編をさすにはかりまたの上に真中に一ッきすへき也
又そ矢七九など半に有時はうつぽの外の方に重て
さすへしと高志聞書に見へたり此外に立こさし
様を記したる書も何れとも右に記せし所のさし
一様用べきなり腹は負といふ空穂はつけると云也
一歩立日記に云うつぽを付事さのみうしろへま
わすべからすしこを負たるに似てわろし矢も出し
にくき也前へひきまわしてくらのまへわにかまどの
あたらぬ程に付へしうつぽの穂のはねたるは
見よけれとも馬かけ玉せは矢みなぬけておつる也
かちてはしる時は矢思けてあしのこうにたつ
旁以矢ありかねよりちとはねたるがよき也と見
へたりうつぼのはねたるとは矢筈高に立て付る事
也かねとは空穂を立ず一文字に付る事也
八十五やなくひの事
一軍器考に云胡禄古は箙の字を用ひてやなくひとよむ
これ則胡餅なり今は胡禄の字をやなくひとよみ
て箙の字をゑびらとよむ今の胡禄には平やなく
い壺やなくひなどいひて木地螺鈿蒔絵螺鈿等の
刻あり又転胡褓といふものもありこれらは徳府具足
なれば征矢戦の具にあらさるか鎌倉殿の頃すでに
平胡禄に矢さゝんやう丸絹つけんやうなど未国の
武士はしらざりしに平家の侍監物太郎頼方が
弟武藤小次郎資頼といふもの其事をしれる
よしにてつみゆるされて調近らせしと東鑑に覚
へたりと記せり
八十六靱の事
一籾といふ器あり日本紀神代の巻に千箭五百歳の
靭を負給ひし事見へたり延喜弐に見へたる幸釼
姫勒等の図軍器考に見へたり劔の字をうつぼに
用たる書あり誤なるべし又靭胡禄とは形少ちかつた
るものなれとも古書に胡禄の事を靭と書たるも
あり是おなじ類のものなれはなるべし
一八十七土俵空穂の事
一土俵うつ。ほといふは其形大にして土俵といふ前に
にたれはかくは名づけしか小田原御陣のとき
秀吉公七俵空穂をつけられしといふことあれ
とも土俵空穂は付べき貝にはあらさるか人
してもたせべきものなりといへり此もの蜷川
道標といふ人作り出せし故道標といふとも言用
難きか蜷川道標は俗名新右衛門親長と云人にて寛永
正保の頃の人なりといふされば秀吉公ゟ後の人なれ
は蜷川か作り出せしにはあらさる也いつの頃より
ありしものなるや其始さたかならす
八十八つくらの事
一つくらといふもの有むかしはつくらへ小酌をたて
て射たるなり今の世にも小的御覧の時はつくら
を用らるゝ也
一つぐらこしらへ様の事高忠弓之記に言わらせ
諸こがきにしてか巻まきたる口弐尺長三尺也
一金の定也二所結也ゆひめ両のはしより五寸也
と見へたり
八十九條の事
一大雨の時の煤高さ広さ不定但広庭には高さ
一丈二尺斗につかすへし横の広さはそれに
したかふべしと御弓場始之記に見へたり左
は染はなくて布皮にて矢をふせぎし也中古
一塀をつく事始りし故定れる寸法もなきなる
へし
一小的の螺は高さ七尺五寸にて取へし其上に
けしやう芝有へし広さは一張半なるへし厚さ
一張のあつさ成へし小棚の高さ半張替へし
又は三尺にもと弓法集に見へたり此寸法も定法
といふにはあるへからす高忠弓之記に染とて
近年芝にて築へき事も定りたる也されは案
の寸法有へからす殊に揉と云事近年の事也
と見へたりされば可法集の寸法も定法といふ
にはあらされとも見能所をしるせしもの
なるべし
九十
行騰の事
一一行騰の事昔は今の人の上下着るやう哀懐
はきけりされば何事をもせよ行騰はきてせし
ほとに今に笠掛小笠掛流鏑馬又は猟する時も
或々の時は皆はく也と中原高忠の声書に見へたり
一軍器考には鎌倉殿の時御家人等が御弓矢なと
進らする時には御行騰をも馴て成らす賜せる
時にもかくぞありける古は錦をもて作て武
宮の礼服とせし由みへたり後代武士のむかはき
は皆鹿の皮也夏毛を用る事定まれは成なを
されば老若にかゝわらす神事には皆藤毛を用べ
き也又神鼻むはきそ折目のすそをすじかへて
一四寸切也笠掛之事に云神事の行騰切事白毛の
折目をすぢかへて一刀切也是にて穢を除也此切様子
知者神事の笠掛流鏑馬等仕べき事神慮にあい
かたしと見へたり又神是になきときはおさな若
き人は殿毛を用へし十八九廿あまりまては藤毛ヨリ
〇の秋かけたり
を可用中老名老にいたりては秋毛の黒き皮を
用べき也夏毛といふは赤く白もん眉又夏毛の
秋かけたるは夏毛のすこし迷みかゝりたるなり
秋二毛とは夏毛の秋かけたるに又すこし黒迄か
けたる也もつとももんの見へる所
一秋ふた毛と藤毛とわりあわせにする事もある也
其時は夏毛は前也秋二毛は後なるへしわり合は略
義なり又塗行騰とてうるじにて塗たりあり
或は熊の皮或は豹虎の皮などを以へり合せに
したるもあり緒の皮は菖蒲草を本とす黒かわ
ふすべ皮をば晴のときは用ひず引目とゝめ尚こみ
の緒なと云有定利殿の時御所の御むかはき
にす紫皮を用ひられて裏には色々に染たる綾唐
の織物などをうたれし又裏うたれぬをもめされし
といふ
一行縢の長さ三尺六寸腰のせすしの通りより白毛毛迄
の事此寸尺金の定にもあらす又たかはかりにも
あらす我手の定なり此三尺六寸むかなきの本尺
なりと高志聞書に見へたり又笠掛流鏑馬神事に
射るときのむかはき犬追ものゝの時はくむかばき
よりみじかくつめて切るべしと見へたり
敷皮のの
一両革の事射礼私記に鹿の皮たるべしへりは
菖蒲草又は黒皮なるへし米絹うしろ緒にて取
りを取へし前緒と云はよこしやうふ也うしろ
緒と云はたてしやうふの事也通りの取様くし
かみよりたへおまた前緒にて其へしと見へたり
〇一献皮の事長さ定りなし高忠聞書別記に御
一教葺の事長さ不定と仰く同軍陣にての敷度
は鰯のよりもすこしながくひろくと仰々と見へたり
又弓馬古実には長さ三尺計広さ二尺余見はからひ
て能程にすへし但二尺三寸程も可然御的のときは
我とたみ候間少ちいさきか能なりと見へたり
酒の
九十二まさわら前の事
一今のまきわう谷のどうゆいなり弓馬古実にも
とうゆいといふ事本式にばなきもの也何とこし
らへても不苦去さゆい所なとも又何れにても不苦也
と見へたりたゝ稽古の為に射るゝものにて人に射てみ
するものにあらさる也むかし人に弓射て見せるには
挟ものを射て見せし也されとも近き頃巻わら射
礼とて世上一派あるなれば是又しらずしてはい
か也本式にはなき事なれは其式も又何ときつ
めてもくるしからぬかうち〳〵の哉なり又偽書に
一胴締射之巻といふ書ありとうゆいの寸法台の寸法台の寸
法式作法を委く記して貞書に小笠原多賀
等の名を出し其末に水伝卜也之成としるせり
是水嶋か妄作の偽書なり予も此偽書を所持せり巻
わらに式作法有事古書にさらに見へす水嶋は無
作にうた物なし又板行の書などにどうゆいの寸法
を記せしものもあるなれともさらに用るにたら
ま
九十三矢開の事
一矢開といふは初て狩に出たる人腹物を庖丁の
々も人々に食せるなり又白赤黒の餅をくつかに
こしらへ三宛重ねおしきにのせたるを三ツならへ
て臺にすへて食せる也又腹物庖丁仕様まな板木寄
ばしやきぐし庖丁てと〳〵く作法ある事也食
根にもこと〳〵く俳法ある也是を矢開といふ也
九十四射ましき鳥の事
一貞宗聞書にましき鳥は鶯烏とびふくろう
みゝつく石くなき木鼠むさゝび鷹不申及此
鳥とも八射ましきよし見へたり
九十五陣草酔冠の事
一一書に研革の事蟇目射時用るものに驚
也大声葦小声葦と云替りあり何も口伝と見へ
たり用事なかれ妄説なり蟇目を射時用る事
笠掛犬追もの引目の書等に候つて見へさるものなり
近世亡女御せしものなるへし古書に見へし拝冠
といふはうら酔へ頭巾の様にかけたるものにて
引目射るとき用ゆるゝそのにてなしたゞかべなとに
たてかけをくに酔のすれぬためなり法式もなけれ
は秘事にもあらす又ちかき頃弾冠とて用
るものは上下の小群に切くみ三ツかしらへ少かゝる
ほどに縫合せ革袋きせたものあり是に三ツの
徳ありといふ一ツには壁砂石ものにあたりてもす
れかけそんしさる徳二ツには弓弦くひいらさる徳
三ツには皮の上に弦をかける故和かに持合よきか弦
音よきやうなりといふ此癖冠も作法もなれは
秘事にもあらす
一九十六弓を引かすして刀を知事
一弓を引かずして刀をしるは常に我か弓の本はづ
何寸位上にて何程の力にて弦を押ば弓の内竹に弦
のつくといふ事を覚へをきて扨他の弓を見ると
き弦をおして見れは我用所の弓より何程の
弦弱といふ事しれる也と射法提要集に見へた
り古伝之書には見へざる事なれとも捨べき事
にもあらぬか
九十七弓をよく持入る事
一ろをよく持入る事弓はあら村の時よく張るは
を直し三五日もはり固メ置さて射込なり五
七本も射てはとをりを見握又握上の移り専に
見合つよる所を踏込上下ふみこみて弱めなる所
を引立又五七本も射ては見合〳〵弓の落付程に
百二百も射てきてあまへ上け二三十日からし其後
天気よき時おろしはり貌友分になをして小村
を仕上け持入たるこそよきれとある功者のいひ
侍りしよし弓打広瀬弥一の用射録見へた
り
九十八
麺の事
一古は勒といふものを弓手に結付て弓射也年
中行事賭弓の図に勤着の射をしがけり弓に
を弦にて打を防く料なりといふ勤は中空
虚にし
て勤のことし革にて縫括りたるもの也伊勢の神室は
鹿の皮にて作る常に射手の用たる鞍は熊の皮にて
由延式に見へたり勤に弦あたれは鳴音ある故万葉
集の歌にますらおの勤の音すなり武士のおほま
うちきみ楯たつらしもよたり勤を箙の
事とし弓小手の事なるは誤なるべし
一九十九中外の事
一一小納の中外小納のかりの合せめへ射こみたるは也
打矢と云は是なり
一矢さき的のかわの中より外へ射出たるも外よりちへ
射入たるも何も中り也あたりて繰へ射こみて充苦
的のおもてへ見へぬ有左様のこきは手にて酌をかゝへ
て手の中にて胸の面をさするに矢谷あくれは
中也あたらねははつれ也又弓の弦を渡して
みるに笞弦にかゝれはあたり也かゝらねははつれ也
一的にあたりたる矢の筈にあたりて扨あたりたるは
中也はつれたる矢のはづにあたりてあたりたるはは
つれ也箆中などにあたりたるも同事也
一的にあたりたる矢の箒にあたりて矢筈に付
ははつれ也射さきたりとも立もせす的にもあた
らすははつれ也あたりたらは中也
一的を射るとき勅あたり矢の筈にあたりて矢の
かへりたるははつれ也
一射あてゝ的ころひて谷のかくぬくる事それもなき
り也
一あたりたる矢の的に跡もなくなとり帰る事それ
ははつれなるへし但かへりてもいたつきぬけて酌の
中にとまれば中也
一一酒いる時自然小鳥など酌のまへをとぶとて矢に中は
矢すくに行て的に中事有へしはつれ也はや
一的よりまへに物に中りたる矢なれば也
一大的の中外の事とひかへりたる矢ははつれ也箆
的のふちをすり音はしても胸やぶれまれは身也
又的にかゝりたる矢かゝり様によつて中外あり左に
図をあらわす
五尺弐寸
の約
三寸
二寸五分
三寸五分
こまなこ
のくろ
あたり
はつこなり
右に記せし所の中外の事は高忠了の記了馬
三冊高国小釣の書弓矢懸約の記等に見へたる所
なり
百
ふせ鳥射様の事
一伏鳥と云は雉とうつらにかきりたる事也
のまわりを馬にて遠しとくつわをならし鳥を中に
まわしこめてしだい〳〵に近くまりしこむれはに
鳥伏也其時可射也字長記にふせ鳥の事矢所
二かど也前よりは弓手のかたさきうしろよりい
めてのねたゝきよこ鳥をば射ぬなりとえへたり
射様太鳥
此二冊の書は古伝之諸書其外之書ともより
も荒増を書ぬきて其偽説妄作を正しこ説
をしるし置もの也
一天保六乙未年九月廿三日上原郎右衛門蔵書
在判
天保十己亥年三月吉日写之
1911